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02 「1.5のリード」

1 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時24分56秒
02 「1.5のリード」
2 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時25分51秒
夕暮れと闇の間に佇む公園は、ワクワクと、ほんの少しの後ろめたさで出来ている。
そこに佇む、幼い少女の中には、遠足の前日のように浮き足立つ気持ちと、底冷えするような恐怖が同居している。
梨華、早く帰らないと家の人が心配するよ。
ぼくは呼び掛けるが、彼女には届かない。
時々思い出したように空を見上げはするものの、シロツメクサで花冠を紡ぐのにただただ没頭している。
ピンク色のスカートを、はためかせているのは風ではなく、楽しさと好奇心、そして愛情だろうか。
本人も、帰らなければならないことはわかっているし、真っ暗な公園はやはり恐ろしい。
だけど、かわいらしい小さな白い花達の誘惑には、勝てないでいる。

ぼくはといえば、嫉妬していた。
シロツメクサに。この公園に。
あの頃、ぼくは、まだコドモで、
梨華を振り向かせる方法なんか知りもしなかった。
だから、ヤマモモの木の隣に座り込み、ただひたすら待っていた。花冠が彼女の髪を華やかに彩るまで。
だけど、やっぱり後悔するんだ。
それは両親にたっぷりお説教をくらい泣きじゃくる梨華を見るまでもなく、
はじめからわかっていたことだった。
3 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時26分39秒
ぼく達のあいだに、会話という会話は特に存在していない。
時々、彼女が相槌を期待するふうでもなくポツリポツリ漏らし、
また、時々ぼくが、一言二言返事を返すだけである。
「あの人、カッコいいでしょ?付き合ってるの。どう思う?」
二年前のこの質問だって、例外ではなかった。
梨華の問いには、答えないことにしている。
というより、ぼくには答えを伝える術がないのだ。
だから、いつもただ黙って隣に座り、彼女の目や、膝や指先、頬にかかる茶色い髪を見ながら、聞き役に徹し続けている。
ぼくは梨華のことを愛している。小さい頃からずっとそうだ。
だけど、梨華は違う。だから、ぼくは黙っている。
4 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時27分26秒
ぼくと梨華は、夜の道を歩いていた。
珍しくて仕方がないほど、空が美しい日だった。
流れの早い僅かな雲は、ヴェルヴェットのドレスとなって丸い月を包み、
背景に散りばめられた小さな小さなスパンコールが、上品にそれを彩る。
雲ひとつない透き通るような綺麗さとは違うが、絶妙なバランス。美しい。
だけど、今日の梨華は溜息ばかりだ。
きっと、またあいつと喧嘩でもしたのだろう。
それとも、またあいつの悪いクセに悩んでいるのか。
勝手な男なんだ。浮気性で。しかも、手が早いときてる。
あいつと付き合い始めてからの二年間、
梨華は泣いてばかりで、ぼくは、締め付けられて悲鳴を上げる自分の胸を、騙し続けなければならなかった。
つらいし、どうしようもなく苦しいけど、
どうにもならないことは、確かにある。
5 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時28分16秒
昔よく一緒に遊んだ児童公園の前に差し掛かった時、
梨華は、1.5メートル先を行くぼくを、やんわりと引き止めた。
「少し、休もっか。…ね?」
ぼくは黙ってそれに従う。
彼女は、公園の入り口から一番近いベンチを選び、腰かけた。
時間のせいか、それとも生い茂る雑草のせいなのか、人の姿は見えない。
唯一の遊具である鉄棒だけが、月と向かい合っていた。
まるでここだけ時間が止まってしまったかのように、開発から取り残された公園である。

ここに来たのは、久しぶりだ。
家から歩いて五分とかからない距離にあるのに、もう何年も足を運んでいなかった。
幼い頃の梨華は、この公園が大好きだったっけ。
何もない場所なのに、忘れ去られてしまうほど荒んだ場所なのに、
毎日のようにここへ来ては、木に登り、名も知らぬ草花を摘み、ベンチでママゴトを繰り広げ、苦手だった逆上がりの練習をしていた。
ぼくのことは、ほったらかしで…。
6 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時29分02秒
回想に耽る間、
梨華はポケットに詰め込んでいた携帯を取り出し、ただただディスプレイを眺めていた。
ぼくはディスプレイに照らされた彼女を見る。
僅かな光は表情をより痛ましいものにし、顔色を蒼白に変えてしまう。
「掛けて…こない…か…」
彼女が呟いた声は、ぼくの心に突き刺さる。

またか。また、あいつからの電話を待っているんだね。
もう、やめておけばいいのに、梨華。やめてくれ。あんなヤツやめとけよ。ぼくじゃ駄目なのか?
いつでも、いつだって、抱きしめてあげたいと思ってる。
抱きしめて好きだと言えたら、どんなにいいだろう。
だけど、それは不可能なことなんだ。

『でも、やっぱり、好きなの』
きっとその言葉が、ぼくの動きを止めてしまうだろうから。
7 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時29分34秒
梨華は、搾り出すように息を吐いてうつむいた。
「もう…ダメなのかなぁ…」
語尾が震えていた。長い髪がさらりと肩から滑り落ち、彼女の表情を覆う。
泣いているのだろうと思った。

そんなことないよ、ダメじゃない、大丈夫だ。泣かないで。
言ってあげたいと思った。
だけど、言葉はなぜか頭の中で反響するだけで、音として出てこなかった。
ぼくの口は、夏の生ぬるい風を吸い込んでは吐き出し、吐き出しては吸い込んで、ただただ僅かに上下するだけである。
理由はわかりきっていた。
うまくいかなきゃいい。そう思っているから。

ぼくは言葉を吐き出せないんだ。
慰めてあげられない。
じゃあ、彼女の涙を拭うために、何をすればいいのだろう。
8 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時30分17秒
ふと、昔見た、幼い少女の背中を思い出す。

今夜は、神様がチャンスをくれたのかもしれないと思った。
あの頃とは、きっと少し違う。
一歩踏み出すチャンス。気持ちを伝えるチャンス。あいつのところから彼女を連れて逃げるチャンス。

だって、月はこんなに綺麗だ。
今、この場所には、ぼくと彼女しかいないし、
あいつは電話を掛けてこない。
梨華は泣いている。
忘れさせてあげられるのは、ぼくだけ。

あいつのことは忘れて、ぼくと一緒に。
早く、ココからどこかへ行こうよ。
今の場所にいたって、何もいいことなんてないよ。
ぼくはそう思うね。
9 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時31分05秒
外へ出ようと促す。
この公園があいつの懐に思えるから。
半ば引っ張るようにして、公園の外に出ようと彼女を急かす。
運命の赤い糸を、手繰り寄せなきゃ。
もう、後悔するのはいやなんだ。あの頃みたいに。
今、赤い糸は、
間違いなくぼくと彼女を繋いでいる。
彼女の指先と、そして、
ぼくの首を、繋いでいるから。
10 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時31分42秒
リードを握った右手を、急に引っ張られた彼女は、慌てたように顔を上げた。
「あっ、ごめん、散歩の途中だったね」
それから、ゆっくり立ち上がる。
頬の辺りを拭い、息を吐いたあと、ぼくに優しく微笑みかけた。
「よし、仕方ないなぁ。行こっか、ラッキー」
「ワン!!」
好きだと言うかわりに、ぼくは一声だけ鳴いた。
彼女の優しい掌が、頭を撫でてくれる。
少し、くすぐったい。

後ろに遠ざかる何もない公園には、ほんの少しの後ろめたさを置いていく。
ぼくが急かして連れ出した少女の中には、期待と諦めが同時に存在している。
梨華、もう帰ろうよ。
泣いてる姿なんて、見たくないんだ。
好きなものに目を奪われて気付けないなら、
ぼくが知らせてあげるから。
11 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時32分16秒
足を早める。
1.5メートルの赤いリードが、ピンと張って、それから輝いた気がした。
一生伝わらなくても仕方ない。家族というならそれでいい。

飼犬は、闇へと吠える。
彼女より1.5メートル先を行きながら。






終わり
12 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時32分52秒
13 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時33分26秒
14 名前:02 「1.5のリード」 投稿日:2003年07月17日(木)00時34分00秒

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