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01 アンジェラ/ス

1 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時05分39秒
 
 
アンジェラ/ス
 
 
2 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時06分52秒
 
 街を見下ろす丘の上──というより、ちょっとした山の麓にへばりつくようにして、それは建っていた。もくもくと生い茂る深緑の雑木林に身を包み、大きく一箇所だけ暖かな白を剥き出しにしている。出迎えのゆったりとしたワゴン車に揺られながら、ニュースか何かの映像で見た黒いチャドルをまとったイスラムの女性の祈りを、私は思い出していた。
 大袈裟に、ストレッチャーに乗せられたままで車を降りると、一瞬、眩しさを覚えた。都会の喧騒とは明らかに異なる元素で組み立てられた空気に思わず胸が高鳴り、気がつけばそれを深く深く吸い込んで肺の隅々にまで染み渡らせていた。
 建物の玄関は病院のそれではなかった。むしろ小ぢんまりとした避暑地のホテルという印象だった。まばらに生えた木々の奥にはひっそりと教会が建っている。そして看護婦たちは白衣姿ではなく私服にエプロンを身に着けていて、それはまるで幼稚園の先生のように見えた。病院、ホテル、教会、幼稚園──それらの要素が入り混じった何とも奇妙な空間を目の当たりにして、私はここへ来た目的をあらためて自覚するのだった。
 
3 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時08分20秒
 
 あてがわれた2階の個室に到着すると、ストレッチャーからベッドに移された。部屋は南向きに大きく窓がとられていて、はめ込まれたガラスは8月初旬の午後にふさわしい力がめいっぱい凝縮された光を中へと引き入れている。落ち着いたベージュの壁とフローリングの床はその光を柔らかく反射し、部屋に掛けられた絵とその額縁、花瓶、グラスといった小物たちを懸命に輝かせていた。

「大石恵三さんですね。」

 ふっと声が掛けられた。振り向くと、白いブラウスの上にチェックのエプロンをした妙齢の看護婦が立っていた。

「わたし、安倍麻美っていいます。大石さんの担当になりました。よろしくお願いします。」

 自己紹介して彼女は頭を下げた。部屋に溢れる光のせいか、残像が見えた。営業用のスマイル、とまでは言わないが、やはりどこかその笑顔はぎこちないものだった。それは、幾分か鋭さを秘めた彼女の視線がもたらした錯覚なのかもしれないし、この場所の性質上仕方のないものだったのかもしれなかった。
 
4 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時09分15秒
 
「ええと、あべ……あさみ…さん、ですか…」
「……はい?」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします。」
「あ、はい…。」

 私が変なところで間を空けてしまったせいか、ぎこちない雰囲気はさらに広がってしまった感触がした。そんなやりとりに少々訝しげな表情を混じらせながらも、

「それでは、失礼しますね。何かありましたらお気軽に声を掛けてください。」

麻美さんはもう一度それらしく笑みをつくって、部屋を出て行った。
 
5 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時09分58秒
 
 ひとりになって、私はそっと右の手のひらを眺める。深く深く皺が刻まれた手。つねに微かに震えている手。
 いつしか、時は過ぎ、しかし、時は巡り、私はまた戻ってきたのだった。死と隣り合わせの空間。いや、今度は確実に死を迎えるための空間。私は満足して人生を終えるために、ここに来たのだ。
 末期のガンに冒され、もう長くはもたない。それならば、何も家族の手を煩わすことなく死を迎えよう──そう考えた私は、片田舎のホスピスへと転院することに決めた。
 そして、こうして光の中でまどろみながら、残された日々を過ごすことにしたのだった。
 
6 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時10分42秒
 



 こちらに来てから1週間ほどが経った。
 死を受け入れて生きるというのも、妙な感覚だった。昔、大病を患ったときには、死にかけることで生きている自分の中にある生命の厚みを測っていた。死の距離がはっきり見えていた分だけ生を実感できた、と言い換えてもよい。
 だが、いざ「ここで気持ちよく亡くなってください」という現場に放り込まれると、手始めに何をすればいいのか、どう時間を過ごせばいいのかさえもわからなくなってくるのだ。
 光溢れる南向きの部屋の輝きは、生の輝きなのかそれとも死の輝きなのか。少なくとも、生きるってことは明るい面ばかりを見ていれば済むってもんじゃない。
 飾られた生と隠された死。あるいは、隠された生と飾られた死。光と影ではない。繋がっているのだ。
 
7 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時11分19秒
 
 つまりは、生きながら死んでいるかのような錯覚。血を吐いて苦しんでいたときの方が、よほど私はちゃんと生きていたのではないか──いつしか、そう考えるようになっていた。
 テレビや新聞で伝えられる情報が、まるで別世界のことのようだ。所詮、死んでいく私には関係のないこと。
 “死んでいく私”──ここにいる限り疑いようのない事実が、じわじわと私の世界からリアルを奪っていく。朝の光。風の音。鳥の声。どこか遠くに、それらはあった。吐いたばかりの温かな息が薄い膜となり、身体を包んでいく。そして私は身動きのできないミイラとなり、そのまま、冥途へと送られるのだ。
 
8 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時11分54秒
 



 まるで小さな公園のように丁寧に手入れされた中庭は、今日も数少ない入所者たちが集まり、ささやかな賑わいを見せていた。おしゃべりする者、読書する者、昼寝する者。皆、思い思いに残された時間をつぶしている。
 正直を言うと、この中庭はそれほど好きな場所というわけではない。しかしそこを通り抜けないと、散歩コースである雑木林の方まで出られないつくりになっている。一日中部屋の中でじっとしているのは息苦しくなってしまうから、義理の挨拶を軽く交わしながら、今日も私はこの場所をそそくさと歩いて横切るのだ。
 そして、芝の合間に敷かれた道から逸れることなく進み、渡り廊下へと曲がったとき。

「きゃっ!」
「うわっ!」

 柱の陰から出てきた何かとぶつかって、私は転んでしまった。その拍子に腰をしたたかにスノコ板にぶつけてしまい、しばらくうずくまって痛みに耐える──
 
9 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時12分42秒
 
「大丈夫ですか?」

 腰に手が添えられ、声が掛けられる。

「ええ、何とか…」

 老人の様にしゃがれた声で返事する。ここ最近は小康状態が続いていたから油断していたが、やはり病身である事に違い無いのを自覚させられる。

「御免なさいね、気を付けないと…」

 彼女の白い下履きの周りに花が散らばっているのが見えた。裏手の花壇から摘んで来たのだろう。手を伸ばして拾えるだけ拾う。すると彼女も慌てて落ちている花を集め始めた。
 
10 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時13分18秒
 
「はい」

 全て拾い終えると彼女に手渡す。と、そこで彼女の顔を見て、思わず固まってしまう。相手が、ここに入所した時から一寸憧れていた看護婦さんだったからだ。自分の記憶が確かなら主に重症患者を担当する事が多い様で、それで今まで近付ける機会が無かったのだ。

「──有難う御座います。」

 目を細め、彼女は笑った。その表情に一瞬で完全に心を奪われてしまった僕は、頭が逆上せて混乱してしまい、気付けば口走っていた。

「あの、せ、折角ですから、天気も良いですし、一寸、お話でもしません…か?」

 彼女は少しだけ目を見開くと、唇をきゅっと引き締めて、やはり目を細めて、そして頷いてくれた。
 
11 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時13分54秒
 
 中庭に置かれている長椅子に、二人で腰を下ろした。彼女の白衣は裾の所に少しだけ泥が付いていたけど、後は全く汚れが無く清潔で、それは彼女にとても似つかわしかった。入院患者とは云え冴えない寝間着みたいな自分の恰好が本当にみとも無くて、それであの様な切り出し方になってしまったのだと思う。

「あ…すみません、その、うつったりは…しません、よね…?」
「何云ってるんですか。これだけ晴れているんですし、空気だって綺麗ですし、平気ですよ。それにこうしてお話する事だって、治療の一環なんですよ?」
「あっ、はい…」

 真っ直ぐな眼差しに鼓動が速くなり、思わず視線を逸らしてしまう。ふと、小学校の校舎の様な木造白塗りの建物が目に入った。
 サナトリウム。結核の療養を目的にして、この施設は高原に建てられた。澄んだ空気の許で過ごせば肺の病気も治るだろう、と夏場になると避暑を兼ねる様に入所する者が多く居た。僕もその一人で、長めの休暇を貰って治療に専念しようとここに来たのだ。
 
12 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時14分28秒
 
 街の中と違って、ここでは風がどこかひんやりとした空気を運んでいる。それでも弾ける様なセミの声や、ずっと彼方にある蒼い草原を覆っている入道雲は、いつもと変わらない夏の仕来たりを頑なに守っていた。

「二十二号室の、大石恵三さんですよね。」
「えっ、御存知でしたか…。」
「そりゃあここの患者さんの事はきちんと把握してますよ。」

 彼女は僕の方に少し向き直る。

「わたしは安倍と云います。安倍なつみ。」
「あべ……なつみさん、ですね。」

 こくりと彼女──なつみさんは頷いた。
 
13 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時15分05秒
 
「学生さん、でしたっけ?」
「いえ、もう学校は出てまして…一寸休みを貰って、旅行も兼ねて治そうかと。」
「ふふ、確かに周りの皆さんに較べれば、お元気そうですものね。」
「ですが、兵役の検査には受かりませんで。それでやはり、この際きちんと治した方が良いと思いましてね。」
「…そうですね。」

 その瞬間、僅かになつみさんの表情は曇ったが、直ぐに光を取り戻し、一言ぽつりと呟いた。

「健康が一番ですけど、平和はもっと大切ですから。」
「はい…。」

 僕達はそれから黙ったまま空を仰いだ。夕暮れの茜色を縁に浮かべ始めた入道雲のさらに彼方、このずっと向こうのどこかで飛んでいる飛行機の音なんて、聞こえる筈が無かった。
 
14 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時15分37秒
 
「又お話しましょう」

 そう云ってなつみさんと別れた僕は中庭を後にした。日が落ちて辺りが暗くなる頃までサナトリウムを囲む雑木林を軽く歩き廻って、それから自分の部室へと帰ることにした。
 薄暗い蛍光燈に照らされぼうっと浮かび上がる一階の廊下。どこからか紛れ込んだ一匹の小さな蛾が、ひらひらと光源に縋り付いている。
 その様な閑散とした空気を突然、何かが擦れる様な音が数度、切り裂いた。それは烈しく、絶え間無く続き、平手で叩いた様なジン、と云う余韻を積み重ねて行く。

 ──咳だ。

 結核特有の空咳が機銃の様に木霊する。見れば今、まさに隣を歩いている十九号室から、その咳は聞こえて来ていた。余りに不吉な響きに、僕は逃げる様にして階段を駆け上がり、自分の部屋へと戻った。
 
15 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時16分19秒
 
 寝台に凭れ掛かると、手でそっと喉を押さえる。瞬間、頭の中に蘇る十九号室の咳の声。

「う、う…」

 込み上げて来る物を必死で抑えるが、頭の中を巡る残響の所為で均衡は破られ、遂に僕の口からもそれは溢れ出した。

 ──咳。

 白いリノリウム張りの床に何かがボトリと落ちた。赤い。真っ赤だ。──血だ。
 咳で空気が混じり、僕は深紅の泡を吹いていた。繰り返す咳で腹筋が身体を支え切れ無くなり、床に倒れ込んだ。
 そのまま這いつくばって扉を開けた。その拍子に、偶然廊下を歩いていた看護婦が僕の姿を目にして悲鳴を上げ、慌てて医者の所へと走った。何とか、助かった──その姿を見て、僕は吐き出した生命の温もりの中で、瞼をゆっくりと閉じた──。
 
16 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時17分01秒
 



 突然の喀血は結局、それ程重大な事態には至らずに済んだ。しかし用心はした方が良いだろうと云う事で、暫く看護婦が付き添ってくれる事になった。

「大石さん、宜しくお願いしますね。」

──僕の担当になったのは、なつみさんだった。



 寝台の上で安静にしている日々が続いたが、少しも退屈では無かった。なつみさんと思う存分に話す事が出来たからだ。
 僕は故郷の話をした。悪戯をして親に叱られた時の事、級友達と過ごした日々の事、上京して学校に通った事、そして、病に倒れた事。何気無い毎日の何気無い幸せについて話した。
 全てになつみさんは耳を傾けてくれた。時には優しい母親の様な、時には無邪気な妹の様な、時には愛しい恋人の様な瞳で。
 
17 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時17分48秒
 
 なつみさんも故郷の話をした。室蘭の街に降る雪の事、懸命に育ててくれた両親の事、一緒に遊んだ友達の事。ちっとも寒くは無かった、皆が温かかったから、と。
 二人が互いの事を知れば知る程、僕の病状は恢復して行った。一緒に散歩に出る距離は少しずつ長くなって行き、やがて僕達は林から大分離れた小さな丘の上に腰掛け、深緑の中にひょっこり現れたサナトリウムの白い背中を眺めながら話をする様にさえなっていた。
 その時、僕はこの上無く幸福だった。真夏の向日葵を思わせる様な、強く華やかなその笑顔を独り占めする事が出来たからだ。彼女が自分だけに向けてくれる光こそが、僕を恢復させる力の源だった。こうして彼女が重症の患者達を皆平等に救って来たと云う事実に、僕は嫉妬すら覚えていたのだった。
18 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時18分38秒
 



 高原の夏は短い。九月になる少し前には、もう秋風が吹き始めていた。
 なつみさんのお陰で病状が驚く程良くなっていた僕は、休暇が切れる事もあり、サナトリウムを離れる事になった。
 出発の前日、いつもの様に散歩をしている間、僕達はずっと無言で居た。帰り道、サナトリウムに近付くにつれて歩みは遅くなり、玄関に着いた頃には辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

「お休みなさい。」

 そう云って、呆気無い程簡単に、僕達は別れた。



 眠れなかった。肺臓のもやもやよりもずっと重くて苦しい心臓のもやもやが、僕の身体を締め付ける。
 真っ暗闇の中、目を開けても目を閉じても頭の中はなつみさんと過ごした時間の事で一杯だった。
 息が苦しい。全身が熱を帯びて行く。丁度発作を起こした時の様に、自らの意思と関係無く胸がどんどん高鳴って行く。止まらない。
 
19 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時19分18秒
 
 ──ぐすっ。

 硝子窓の向こうで啜り泣く声が聞こえた。いや、正確に云えば聞こえた様な気がした。
 しかし僕は確信した。そして、部屋を飛び出したのだった。
 野生の獣の様な躍動で、僕は風の如く廊下を駆け抜け、中庭に出た。零れ落ちそうな程に満杯の光を湛えた月だけが、僕の姿を見付けた。
 だから僕は走った。何者にも捕まらぬ様に。疾く、疾く。
 ずっと長く休んでいた僕の肺は、確かに機能していた。夜風が気管を烈しく揺らせる度、僕は歓びに打ち震えながら、全身を巡る血液に酸素を送り込んだ。
 それ程大きくは無いサナトリウムなど、直ぐに一周出来てしまう。だから彼女を見付ける事など、容易だった。
 裏手の花壇に、なつみさんは居た。
 
20 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時19分55秒
 
 なつみさんは果たして、泣いていた。花壇の柵に凭れ掛かる様にして座り込み、泣いていた。

「──なつみさん」

 声を発すると、彼女は肩をびくりと震わせた。しかし振り返らぬまま、押し黙ったまま、只、しゃくり上げている。

「──どうして泣いているの?」

 僕の問い掛けに、彼女は嗚咽で答えるだけだった。
 その弱々しく丸まった小さな背中に、そっと左手を落とした。

「御免なさい……わたし…」

 切れ切れの声で、漸く彼女は言葉を紡ぎ出した。僕は只、黙ってその隣にしゃがみ込んだ。
 サナトリウムの屋根を越えて、月が僕達を照らし出した。狩人の様にしつこく追い掛けて来ても、彼女と一緒であれば逃げる必要など全く無い。僕はじいっと、彼女の言葉の続きを待った。
 
21 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時20分28秒
 
「わたしには…大切な人が…居ました…」

 その可憐な唇から漏れたのは、ひどく残酷な告白だった。

「先刻、急な報せが入って…その人が…戦死したって…」

 ごつごつとした岩肌の様に乱暴な抑揚が、僕の心にぎゅっと擦り付けられる。でも僕は、不思議とその痛みを素直に、冷静に、受け止めていた。どんなに僅かでも構わない。僕が痛みを引き受ける事で、彼女の痛みを少しでも和らげる事が出来れば。──そう、反射的に思っていた。

「病気の人が懸命に生きようとしていて、わたしはそれを手伝っている…。なのに、それを嘲笑う様に健康な人の命が簡単に奪われて行く!」

 そして彼女は僕の肩を涙で濡らした。その背中を抱き締められる程、僕は無神経では無かった。右手を宙に浮かせたまま、只、時が過ぎるのを待ち続けた。
 
22 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時21分10秒
 
 どれ位してからだろうか。彼女は落ち着きを取り戻し、でも震える声のままで、云った。

「大石さん、本当に御免なさい。わたし、非道い事をしてしまいましたね。」
「なつみさんは何も悪くありませんよ…。」

 それだけ口にすると、僕はそっと彼女の右手を握った。

「さあ。」

 しゃがんだままの彼女を立ち上がらせて、向かい合う。

「一つ、約束をしましょう。」

 彼女は、小さく頷いた。

「僕が貴方の事を愛していた証拠に、僕はどこまでも生き続けます。笑顔で僕の命を救ってくれた貴方を悲しませない為に、例えどんな重い症状になっても、例えどんな危険に陥っても、決して諦めないで、生き続けます。」

 彼女はもう一度、今度はしっかりと頷いた。
 
23 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時21分53秒
 
「だからなつみさんも、ずっと笑っていて下さい。皆、貴方の笑顔に救われました。だから、これからも、ずっと。」
「──はい。」

 二人の握手は固く結ばれて、そして僅かに小指を絡めて、離れた。
 狩人は狙いを外さなかった。月の光は泣き顔の笑顔を捕らえ、私の深い深い心の奥底にしっかりとそれを焼き付けていたのだから。
 今でも目を閉じれば、その表情を鮮やかに思い出すことができる。ほら、こんなふうに──
 
24 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時22分34秒
 
「ごめんなさい…だいじょうぶですか…?」

 声が掛けられて、慌てて立ち上がる。見ると、エプロン姿の看護婦が痛みに顔をしかめながら尻もちをついていた。私の担当の麻美さんだった。

「ははっ、コワイ顔しちゃって。こういうときこそ、笑顔じゃよ、笑顔。」

 言いながら、皺だらけの右手を差し出す。麻美さんはしばらくきょとんとした表情で私を見つめていたが、ふっと口元を緩めると私の手を握り、そして立ち上がった。

「そう言う大石さんも、笑ったの久しぶりですね。」
「ちょっとな、本物の笑顔を思い出したんじゃよ。」
「──本物の笑顔?」

 首を傾げる麻美さんだったが、私が構わず笑っているのを見て、一緒になって微笑んでみせた。少しだけ面影が見えた気がしたけど、まだまだその表情はどこか硬い。

 ──生きよう。とりあえず、麻美さんが最高の笑顔を見せてくれる日までは、がんばろう。
 
25 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時23分17秒
 
 
 
 僕の生命は、彼女の記憶とともに、どこまでも続いていく。





【了】
 
26 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時23分57秒
(●´ー`)
27 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時24分38秒
       (`ー´●)
28 名前:01 アンジェラ/ス 投稿日:2003年07月17日(木)00時25分08秒
(●´ー`)人(`ー´●)

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