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47 空想狂
- 1 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月16日(日)23時56分41秒
- 「空想狂」
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時01分02秒
- 呼び止められて高橋は振り返った。
すぐ背後には、もう一人の特練合宿生である藤本の姿があった。
どこで聞きつけたのか、高橋が携帯電話を新調したことを知っていて、
その動画撮影機能で撮って欲しいという。
短距離走者の藤本は走り高飛び選手の高橋の練習場にずかずかと入ってきた。
踏みきり向こうに立ち、手を挙げて合図をし、走りだした。
手足を大きく振りあげる伸び伸びとしたフォームでスピードを乗せる。
つま先でノックをするように軽く地面を蹴って、藤本は飛んだ。
高くはないが、速かった。
カーブをつけた助走で遠心力が加わった体は、無造作に空に放り投げられたように見えた。
まるで、重力から切り離されて空を舞う人工衛星。
もちろん実際には、藤本の体は物理の教科書通りの放物線を描いてマットに落ちた。
藤本は立ち上がりかけながらVサインをする。ここまでで五秒。動画が切れる。
これが、藤本の最期の映像だった。
- 3 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時02分13秒
- 女子短距離走の新星と注目されていた藤本の墜落死は、
昼ワイドショウーにとっての恰好のニュースとなった。
マラソン以外は話題になりにくい国内女子陸上の選手、
しかも高校生であり、大舞台での経験も勲章もない藤本であったが、
ルックスの良さから「陸上界のアイドル」として、
しばしば陸上専門誌外でも取り上げられていた。
その藤本の、普通でない死に方。
藤本は、合宿所から少し離れた公園の高台の柵を背面跳びで越えたのだという。
公園を散策していた目撃者が語った。
柵から離れた場所に立ち、夕焼けを見ているのかと思ったら、
両肩をぐるりと回して走り出したのだと。
自殺には足りない、5mの落差で藤本は死んだ。
当初のニュースでは、発作的な衝動による発作的な飛び降りだろうとの見解だった。
国際競技会へ向けて某企業がバックアップする、
合宿得練生としてのプレッシャーに耐えきれなかったのだろうとささやかれた。
得練生につけられたコーチには、幾分スパルタ気味な所があって、
マスコミは容赦なくその点を攻撃した。
- 4 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時04分11秒
- 大会地の合宿先にまで湧きでてくるカメラ、インタビューマイクに辟易した高橋は、合宿を中断し、母校に戻って競技大会に備えることにした。
帰った先でも、取り巻かれた。
たった二人だけが選抜された得練生の片割れなのだ。
マスコミは高橋のコメントを取ろうと執拗に追い続けた。
雨の中グラウンドに向かう傘をかいくぐって突きつけられたマイクを、
高橋は無視した。
合宿上で初めて出会った他校の得練生の先輩について、
話せるようなことはなかった。
どんなに厳しく叱責されても堪えないような図々しい人ではなかったが、
めそめそ泣き続けるほど弱い人でもなかった。
コーチの怒声に、はいっ、はいっ、と挑むように返事をする藤本を見て、
勝ち気な人だなと高橋は思った。
スポーツ選手には珍しくない。
高橋もそうだ。
負けず嫌いでなければ、重力への挑戦、地球と引っ張りっこはし続けられない。
藤本に感じたものは、遠い旅先の地で同じ郷土の人に出会ったような共感だった。
深い意思の疎通があったわけではない。
高橋が語れるとしたら、この様な話、テレビの尺に合わない思いだけだった。
- 5 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時09分45秒
- 事件の数日後には、藤本の死にはノイローゼ説だけでなく、自己犠牲説が加わっていた。藤本の財布から臓器提供カードが見つかったこと、藤本の幼なじみが長らく病気を患っていてドナーを待っていたことが発覚したのだ。
高橋の手元には、空を飛んだ藤本の映像が残っていた。
警察にデータを転送した後も、持ち続けていたのだ。
高橋には、もう二度と撮影のできない藤本の姿を消すことが出来なかった。
だがその映像を幾度も見返す気があるわけではない。
藤本が死んで以来、一度も映像を見ていなかった。
着メロが鳴るたびに、心が重苦しくなる。
携帯を手に取ることもためらわれた。
動画だけどこかに移して保存して、新しい携帯を買おうか。
高橋が悩んでいる間に、再び陸上大会地に入る日が近づいてきた。
コンディションの調整に勤しむ高橋に、藤本の母から連絡が入った。
藤本の友人が高橋に会いたいと言っている、と。
- 6 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時11分56秒
- 後藤、という高飛びの選手についての噂は聞いたことがなかった。
高橋より1年上だという。
その学年の上位ランカーならば確実に知っているはずだった。
話を聞いてみれば、小学生の時に今の病気にかかり、
すぐに飛べなくなったのだと言う。
後藤の肌は病的に黒くよどみ、頬肉が落ちていて輪郭が鋭い。
白目が濡れて輝いている。そこだけが生命を主張していた。
鳥のよう顔なだった。
病室のサイドテーブルには、
各種通信会社の携帯の最新機種が箱のままで置いてあった。
それに藤本の映像を移して欲しいと頼まれた。
動画を送り終え、携帯を後藤に渡してやると、
後藤は説明書を片手に苦労しながら藤本の動画を再生させた。
後藤は藤本の跳躍を見て、微笑んだ。
静かに、喜んでいる笑い方だった。
その時、高橋はワイドショーの噂を思い出した。
ドナーを待っている友人。ドナー提供者。
高橋は勝ち気で、理由のはっきりしない藤本の死に重苦しさを感じていた。
後藤の素振りに禁忌を犯された感じを受けて高橋はかっと気が高ぶり、
険のある言葉を吐きだした。
何を、笑ってるのか。
- 7 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時12分52秒
- その悲鳴のような一言で、後藤は高橋の非難を理解した。
後藤は口元に手を当てて、困ったような上目づかいで黙るだけだった。
後藤は確信犯だ、藤本の死を喜んでいると感じ、高橋は後藤に詰問するが、
後藤は、秘密だ。どうせわからない人には話してもわからない、と拒絶する。
高橋が後藤の手から携帯を奪い取って後藤を睨み据えてようやく、後藤が折れた。
後藤は話した。
私たちは空のくにを目指している。
- 8 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時16分59秒
- 藤本も後藤も、多忙な両親の元、裕福な家に生まれた。
毎週の出張の旅に両親の乗る飛行機を見送り、空を見上げる内に、
二人は空に呼ばれていることに気がついた。
人間は、上がる生き物なのだ。
かつて人間は海から陸に上がった。
そして今は陸から空に上がろうとしている空の時代。
やがては空も越え、星を越える。
滅びを迎える瞬間まで、人間は果てのない天へ向かうのだ。
藤本は速度で陸から離れる道を選んだ。
後藤は高さで地と別れる道を。
藤本は自分の速さが達したのことに気がついたから、飛んだのだ。
そしてわたしにも、空の時代がやってくる。
いままで重くてたまらなかった体が、
このところとても軽く感じるようになってきた。
後藤の話を聞いて、高橋は恐怖に凍り付いた。
狂っている、と思い、哀れにも思った。
怒り狂っていた高橋が急速に静まるのを見て後藤は、
ほらやっぱりそんな風になる、と苦笑して続ける。
秘密のくにのことはわからない人にはわからない。
空のくにを信じないあなたの方が信じられない。
ならなぜ、あなたは高く飛ぼうとするの。
空を目指さないならば、地面を歩いていればいいのに。
- 9 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時17分47秒
- 再び大会地に入った高橋は、藤本が飛んだ公園に行ってみた。
花が添えられている柵のすぐ近くに立つ。
柵は高くない。高橋の腹の辺りまでだ。
柵をしっかりと握って、おそるおそる下を覗いた。
高いことは高いが、自殺には心許ない高さだった。
頭上に轟音を感じて空を仰ぐ。
曇り空を大きく横切る、飛行機。
顔を下ろしたら、地面がとても高く見えた。眩暈がして額が地面に近づく。
地球が、私を引き落とそうとしている。
高橋は柵に捕まったままその場にしゃがみ込んだ。
- 10 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時19分23秒
- それから間もなく、後藤が死んだ。
高橋は大会で好成績を上げられず、その後も記録に伸び悩んだ。
なんだか、体がとても重いのだ。
コーチに秘密でダイエットを始めたが、記録は落ちる一方だった。
時が過ぎ、新しい春を迎える頃、下校途中の歩道橋で、
真新しいランドセルを背負った子供とぶつかった。
子供はよろめき、手にしていた風船が離してしまう。
子供の母親よりも早く、高橋が手を伸ばした。
体がわずかに接触した。
高橋は独楽のように回って歩道橋の向こう側に落ちていった。
背中に受ける風を感じ、視界一杯の空を見て、
高橋はゆったりと息を吐いて腕を広げた。
- 11 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時19分47秒
- 終
- 12 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時20分18秒
- 終
- 13 名前:名無しさん 投稿日:2003年03月17日(月)00時20分53秒
- 終
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