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45 三面鏡

1 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時26分48秒
三面鏡
2 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時32分47秒
1.

 登山にしか使わないようなどでかいリュックを中身一杯にして担ぐ。しかし服装はデートに行くような格好をした私。そのアンバランスさが他人に無関心なはずの都会人に好奇の視線を向けさせる。

 JRの山手線から東海道本線に乗り換え、相模鉄道を乗り継いで弥生台に辿り着く。そこからは電話で聞いた記憶を頼りに進む。公共掲示板の横に建てられた近辺地図を見て、教えてもらったルートが存在するか確認した。

 方向感覚が良くも悪くもない私は相応に迷いながら、目的地へ足を進める。
 暫く近くをウロついていると、無粋な一軒家や築年が二桁を超えそうなくらいのアパートが立ち並ぶ中に、割と真新しい一軒家が建っていた。そこがこれから私が住むことになった家だ。

 玄関前で電話をすると学校の同級生である真里が玄関の扉を開けてきた。待ってましたと歓迎の表情を見せた後、全身を見回し、「トラックとか後で来るの?」と聞いてくる。真里とその背後に広がる瀟洒な洋装に少し見蕩れながら、「ううん、これだけ」と答える。
3 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時36分37秒
「本当に何にも持ってないんだね」
 比較的声が高い彼女の声質のせいか嫌味には聞こえない。すぐに二階へと誘導された。階段を上ったところにある右側の扉を開けると、エアコンと机と移動可能な三面鏡台があるだけのがらんどうとした部屋が広がっていた。
 私は目で最終確認をする。

「うん、ここ。好きに使って。ベッドとかカーペットとか、何か欲しいものがあったら言ってね」

 リュックを下ろし、もう一度全体を見回す。フローリングなので正確には分からないが、十畳ぐらいの広さだろうか。私は今までこのような大きな部屋に一人で生活したことはない。中央で手足を広げ大の字で寝るという子供染みたことをしてみた。床は冷たく、天井は真白で高かった。

 階下へ降りると、真里は誰かと電話をしていた。私は近くのソファにさりげなく座り、あわよくばと耳をそばだてる。しかし、終わる直前だったようで真里はすぐに電話を切り、私に話し掛けてきた。

「どうだった?」
「うん、私にはもったいないくらい。でもいいの? ホントにあんなとこ使っちゃって?」
「いいのいいの、どうせ誰も使ってないんだから」
 真里は優しく微笑んだ。
4 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時37分52秒
2.

 真里とは半年程度の付き合いだが、特別に親密になったのはここ一ヶ月のことだ。それまでは週に一、二度昼飯を学食で一緒に食べる程度の仲だった。最初は人見知りが激しいのか嫌われているとさえ思うくらい私には愛想がなかった。

 こんな話になったのは、私が底抜けの貧乏だったからだ。バイトも掛け持ちしていて勉強したり遊んだりするよりバイトする時間のほうが長かった。
 一週間前。キャンパスの真中にある庭園のベンチで二人、初春間近の弱弱しい陽光を浴びている時だった。

「もし良かったらさあ、家来る? あたし一人で寂しいんだよね」

 真里の家族は海外在住で、本人の意向で日本に残った真里は現在一人で二階建ての大きな家に住んでいた。この誘いに対し、もちろん小さなプライドが瞬間的に邪魔をした。同情は嫌いだ。今までラクな生活をしたことのない私が浴びた幾つもの同情のせいで、その類の視線には敏感だった。

 しかし、真里の目の奥には同情は殆どなく、代わりに純粋で儚げな結晶が埋まっていた。そして、真里の隣に座る幻影に私は邪な欲望を膨らませた。
 二つの力に押されて、私はO.K.した。
5 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時39分40秒
3.

 玄関のチャイムが鳴り、真里は即座に席を立って向う。私との会話中、時間を気にしていた真里だったので、誰かを待っていることは勘付いていた。そして、その誰かさえも。

 真里は一人の男を連れてくる。髪型はソバージュ、目はどちらかというと切れ長で、鼻梁が真っ直ぐに伸びた小顔の男。真里は異常に背が小さいので横に立つ男の背は中背にも関わらず高く見える。

「さっきも電話で言ったけど、荷物ほとんどなかったみたいだし」
 真里は男のほうにそう声をかけてから、私に紹介する。
「こいつはあたしの彼氏。美貴の引っ越し手伝わせようと思って呼んだんだけど、いらなかったみたいだね」
 私は男のほうに目を向け、すぐに逸らす。理想の展開と再会に異常に高鳴る胸の鼓動を悟られたくなかったからだ。
「知ってる。克くんでしょ。一回、一緒にお茶飲んだじゃん。二週間ほど前に」 

 邪険な感じの口調になってしまったことで、真里は少し狼狽する。まだ、克を嫌っていると思われたほうがマシだと思い、私は何のフォローも入れず、密かににやついた。
6 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時41分23秒
4.

 一週間ほど経てば、二人半の生活にも慣れてきた。掛け持ちしていたバイトを一つにするとかなり余裕ができた。家賃はタダだったし、家で一緒に食べれば奢ってくれる形になっていた。

 しかし、耐えられないことが一つだけあった。それは深夜の真里と克の声を聞くことだ。大きな家で一人暮らしということもあって二人はいつもこの家で事を楽しむ。二人とも敏感な体質のようで、二階にいる私の部屋までその声は届いていた。今日も私の存在を無視するかのように二人は感情を灯し上げていた。

 布団にでも潜り込んだり、音楽をガンガンに流せば聞こえなくなるだろう。しかし、一度記憶した二人の淫猥なハーモニーを脳という再生機器はどんなに耳を塞いでも延々とリピートしてくる。
7 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時42分21秒
 制御不能だった。百八十度に開かれた三面鏡に自分の顔を映す。鏡の自分が私の脳に伝達する。感じろ、そして、その欲望を満たせ、と。さらに遠くの記憶を引っ張り出し、私を本来の偏執狂な女に戻していく。

 忍び足で階段を降り、二人の寝室を覗き見した。月夜の僅かな薄光から映し出されるモノクロームの裸体がベットの上で重なり合っていた。
 自分の部屋に戻り、鍵をかけ、目を閉じた。直前の淫靡なシルエットを目の裏に焼き付け、階下から聞こえてくる絡み合う声にじっと耳を傾けた。二つの情報から織り成す正確な描写がリアルな幻影を創り出す。

 服を脱ぎ、この幻影に身を託す。命じられるがままに段々と粘着してくる唾液を指で掬い取り、下半身に宛がった。
8 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時45分21秒
5.

 真里が焼いてくれたトーストに克がバターを塗り、私がベーコンやエッグを乗せる。これで三人分の朝食は完成。ただし飲み物はココアかコーヒー。朝食のパンに最も合いそうな牛乳はない。真里が嫌いなため、この家には存在しないのだ。
 二人とも低血圧なのか、それとも夜が長かったせいかテーブルを囲みながらもただ黙々とパンを食すだけだ。朝独特の惰性的な沈黙が続く中、テレビは全国の様子を順に映し出している。私の故郷、北海道の街並は初春だというのに白い化粧を残していた。

 纏わりつく緊張を隠しながら見慣れた景色を見遣っていると、真里は感心したような声をあげ、「北海道はまだまだ冬なんだね〜」と呟いた。独り言のような口調だったが、いつの間にか視線は対面に座る私のほうに向けられていた。

「まあ四月になっても残ってるからねぇ、北海道は」
「へー、そうなんだ。……ってあれ? 美貴、北海道だっけ?」

 克は隣で無関心にパンを食べているだけだ。私は些細な反応をも見逃さないように真里の顔を見ながら、克の様子を耳や肌で感じ取る。
9 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時48分09秒
「うん。滝川ってとこ。北海道のド真中ちょい左寄り。冬なんてずっと氷点下なんだよね」

 声量を若干上げ、克の耳にもしっかりと届くようにする。予想通り、克は一瞬だけ体をピクリと動かした。小さな勝利感を得たまま、手についたパン粉を皿に振り落とす。
 真里はマジ? とリアクション大に反応し、「ちょっと聞いたぁ〜?」と隣の克の肩を揺さぶった。

「確か、克も滝川ってところだったよね? 出身」
 克はぶっきらぼうに頷いた。真里は先程と同じくらいの吃驚顔を二人に振りまく。
「すっごい偶然じゃん。あのね、克の田舎も北海道の滝川ってところなんだよ」

 そうして今日初めて私は克の顔を堂々と見られる権利を得る。
 薄らと生えた顎鬚が童顔を少しだけワイルドに見せている。ボタンの外れたパジャマから覗かせる引き締まった胸に心を押し付け、彼の鼓動と私の鼓動とを同期させる。

 私の視界から真里は消え去った。真里は憎しみの対象にはならない。いずれは玄関に置いてある狸の置物のような無意味な存在になる予定だ。無邪気で不幸のないその人生は私という存在のおかげで、丁度公平な幸せ量になってくれる。
10 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時49分03秒
6.

 もしこれが何の意味も有さない偶然の事象なのだとしたら、運命論者は皆自害しなければならない。

 鍵の掛かった机の一番上の引出しを開ける。中には古びたフォトアルバム。前の家の押し入れの奥底に眠っていたものだ。一枚一枚捲っていき、やはり運命なのだという確信を明瞭な黒色で縁取る。

 私は二度、一目惚れをした。
 一回目は滝川で見た中学の先輩。彼はサッカー部の主将だった。決して強いチームではなかったが、サッカーのことを殆ど知らない私でも彼は一番上手くて目立っていた。
 そして二回目は今目の前にいる東京で見た友達の恋人。この二人が同一人物だったのだから、私はそれを運命と決め付けるしかない。
 一回目と二回目の間、彼をずっと想っていたわけではない。今まで三人の男と付き合ったし、その全てが幸せと呼べるものだった。

 しかし、再び克と出会った時、その全てがチープなイミテーションだったと知らされる。心の深奥から突き上がってくるマグマの塊のような高熱の情動が美化されつつあった過去の男たちの影を一瞬にして焼き尽くした。他の男では代替できない類であることを直感的に理解した。
11 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時50分16秒
 中学生の時は克に声すら掛けることができなかった。ただ隠れて写真を撮り、こっそり後をつける。克の背中を見つづけ、知らなかった情報を得るとそれだけで満たされていた。軽微なストーカーだ。そんな関係だから克は私の存在を知らない。
 二度目に会っても、最初は中学の時のように自分を抑えつけていた。
 しかし、もう違う。私は女になった。身長も体型も一端の大人になった。メイクも上手くなり平均より上の美しさを手に入れた。そして独り善がりな幸福で満足できる人間ではなくなった。

 真里の誘いを契機にどんどん狂っていく。いや、狂うのではない。自分に対して純粋になっていくだけだ。成長という自尊が加味されて、欲望は無限大に膨張する。
 誤魔化しもそろそろ効かない。優等なDNAを望む私のDNAが彼だけを標的に定める。制御装置が危険信号を点滅させる。

「もう少しで救い出してあげるから、待っててね」

 写真を一枚取り出して舐める。克の生臭い汗の味がした。私はささやかな悦楽へと溺れた。
12 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時52分32秒
7.

 チャンスはなかなか訪れなかった。
 克だけを見ていたい。克の声だけを聞いていたい。欲求は加速度的に膨れ上がる。しかし、克は私に全く話し掛けようとしない。私の方から数度それとなく声をかけてみても完全に無視する。きっと真里を恐れているのだろう。

 そして、真里はいつも私たちの邪魔をする。克が家に居る時、真里はまるで私に見せつけるかのように、全く克の下を離れない。
 私の野心に気づいているのかと勘繰った。しかしそうであれば、もっと邪険に扱うはずだ。私を追い出したっていい。それなのに真里の瞳は私を同居へと誘った時と同じように純粋に煌いていた。
13 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時53分13秒
 きっと真里は愚かで優しくて、それ故に人を無意識に縛り付ける人間なのだ。
 自分が持つ幸せの量が容量を越えたため、無償で分け与えようとしている。だから、「寂しい」だなんて嘘をついて、私を幸せにしようと導いた。悪意は存在せず、百パーセントの善意から私を飼いならす。克とべったりくっついていることにも何の意味もない。自然体が自然に任せた無負荷の行為に過ぎない。だからこそタチが悪いとも言える。

 私は騙されない。虚構の幸せのお零れなんて要らない。容器の奥底に沈んでいる最も濃密なものを掬い取ってみせる。そして囚われの克を救い出してみせる。その儚い結晶を砕いてでも。
14 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時56分54秒
 時は突然訪れた。
 克が来る日、料理を作っている最中の真里に電話がかかってきた。電話を切ると同時に、エプロンを脱ぎだした。どうやら今からすぐに出かけなければならなくなったようだ。夕食のことを聞くと、「適当に仕上げて、克と一緒に食べてて」と慌て気味に言った。
 湧き上がる高揚を必死に抑えながら、真里を見送り、私はテーブルにある料理を全て捨てて、一から作り直した。

 克が来たのは料理完成直後だった。私は人妻のように出迎える。真里が居ないことを知らないのか無愛想に辺りを見回す克に、「真里は今ちょっと出かけていったよ。先にご飯食べててだって」と言った。すると、克は無言のまま椅子に座り、煙草を火につけ、一人の世界に入り込もうとする。

 私は克の真正面に座り、一挙手一投足を見つめた。克の煙草を吸う緩慢とした仕草、微かな息遣い、物憂げな眼、夜を抱こうとするフェロモンを肌全体が性感帯となって感じ取る。

 克は煙草を一本吸い終わると、目の前のサラダに口をつけた。私が洗ったキャベツだ。刻んだキャベツだ。私がかけたドレッシングだ。私の分身が克に入っていく。
15 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月16日(日)23時58分48秒
 全てが私のものになったと確信した。今克は私だけにその姿を晒している。最高潮に達した脈動のメトロノームが振り切れる。頭の中が真白になり、理性が喪失する。

「あなたが……好き」

 そんな状態から出てくる言葉は人間の最も本質的な部分であり、街中に溢れている市民権を持った低俗な「好き」とは全く異質のもの。比べること自体冒涜に値する。

 しかし、何故か克には届かない。構わずに冷凍のミートボールに箸を運んでいた。
 まだどこか見えないところに二人を阻む壁があるのだろうか。焦燥しながら「好き」を繰り返す。段々と声が大きくなる。間隔が狭くなる。それでも、克には届かない。動揺の欠片一つ見当たらない。口も開かない、反応さえしない。
 代わりに克の背後にあるエアダストが突然作動し、煙草の煙を吸い上げる。低く唸るような音が私の想いに呼応するように鼓膜に突き刺さる。

『お前は塵や埃だ。そんな奴が何をしたって塵や埃にしかならない。無はお前だ。早く意思を捨てろ』

 克の声のようだった。今この家には克一人。他にあるのは生命を持たない物体のみ。じゃあ私は――私は……ただの塵?
16 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時00分03秒
 一瞬皮膚や内臓が活動を停止する。そしてすぐに恐怖にも似た衝動が身を奮い起こす。真白だった頭の中が真っ赤に染め上がる。「違う!」という絶叫が喉から迸る。
 克に飛びかかった。後方に倒れ込みながら克の両肩を床に押さえつけ、目をギロつかせながら諭すように口を開く。

「もう怖がらなくていいから。やっと二人きりになれたんだよ。これからはずっと二人きりだよ!」

 すると初めて克はまともに私と眼を合わせてくれた。深遠な瞳は遠い彼方へ私たちを誘う。
 そこは運命付けられた二人が幾多の試練を乗り越えて漸く辿り着いた約束の地だ。そして私たちは二度と離れることのない季節外れの織姫と彦星。

 呪縛から解き放たれた彼の顔を確認し、絶望しかけた涙が安堵の涙へと変わる。
 そのまま唇を押し付けた。克の液体が私の体内へと入り込む。どんな麻薬にも勝る最強の媚薬だ。下半身どころか全身を溶かし出す。

 全てが満たされていく。私たちは唯一無二の存在になった。そう確信した時だった。
 私は強い力によって後方へと突き飛ばされた。
17 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時03分04秒
 台所の壁に後頭部を強かに打ち、拍子に横の扉が開く。軽い眩暈の向こう側には輪郭の歪んだ顔が見えた。
「克……」
 朦朧とした私に克は理解不能な絶対的否定を私の心臓に練り込ませる。確かに私は塵や埃から生物へと昇格した。しかし、それは有害な突然変異体?
 克は拳を握りしめ、私の顔を手加減せずに殴る。痛みは感じなかった。ただ、殴られた後、克の顔が一瞬視界から消え、克はどこに行ったのかと当惑した。

「やっとあいつも愛してくれるようになったのに、なんでお前がここに居座ってんだよ。なんで邪魔するんだよ。早くどっかに行けよ!」

 獰猛な野獣のように唸った後は、顔だけでなく胸や腹をサンドバックのように何度も何度も殴ってきた。そして喉を強く掴まれた。酸素を失い、意識が霞んでいく。克の顔が消えていく。私は生命を与えられた途端、その炎を同じ創造主によって失おうとしている。

 気がつくと、私は扉の裏側に掛けられていた包丁を掴んでいた。これはきっと本能だ。しかし、防衛本能では断じてない。私にとっての本能は克という個のみであり、それ以外のものは有さないからだ。
18 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時05分51秒
8.

 白から赤に変わった心はもはや影に啄ばまれ腐蝕している。息も絶え絶えにただ徒に鼓動が虚無の時を刻んでいた。殴られた痛みはあまりなかったが、少し視界が悪かった。

 物音が聞こえ、私は無意識に顔を上げた。真里が見えた。事実を認められないのか無表情に立ち尽くしている。暫くするとその肌色が失われていくのだろう。
 許しを請う気持ちは微塵もない。私は克のみを求める偏執狂だ。そんな人間を見抜けず、雛鳥のように飼いならそうとした真里が悪いのだ。手の平にベトついた真里から奪った濃密なものを食み、幸福に沈む。

「私ね……ずっとずっと克のことが好きだった……。だからね……」

 しかし、真里は私の想像とは全く違う表情をしていることに気付いた。小さな体が大きく見え、嘲笑気味に見下ろされている。
 疑問が頭を駆け巡る中、真里は息が微かに残る克の顔面に冷酷に足を乗せた。

「知ってたよ。最初から」

 克のうめき声が塞がれ止まる。同時に私の荒れた呼吸も止まった。
 真里から細い線のような歌が毀れた。砕かれた空気の欠片が共鳴し、精美な旋律を描く。
 私の黒ずんだ心が流れに合わせて徐々に溶けていく。そして汚濁した無に染まる。
19 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時07分19秒
 こいつはさ、凶暴な性的倒錯者なんだ。ロリコンっていうやつ。中学生以下しか抱けないみたいで、何人も犯しまくってたんだ。それに大人の女に迫られるとぶっ殺したくなるんだって。だけど、あたしだけは大丈夫なんだ。なんでだと思う? あたしが究極のロリコン体系だからだってさ。キショすぎだよ。
 それとあたしには中学生の妹がいるんだけど、こいつの被害者の一人なんだ。で、妹は傷を癒すために親と一緒に海外逃亡ってなわけ。偶然だったんだけど、後で知って笑ったよ、マジで。
 んなことは全く知らないで、こいつはあたしのこと、かなり本気だったみたい。付き合って二ヶ月も経ってないのに結婚まで考えてたっぽい。合法的に抱けるのはあたしだけだからね。今までの罪を全て忘れて幸せになろうとしてるんだからたまったもんじゃないよ。
20 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時08分20秒
 真里の憎悪で滲んだ口調とは対照的に、状況が理解できなくなった脆弱な私への眼差しは純粋であり続けた。

「まぁ、もうそんなことはどうでもよかったんだけどね」

 私は真里の告白を小さな怯えを抱きながら受け止める。あれだけ全てだった克の姿が目に入らなくなる。こめかみの辺りに痙攣が走り、瞳孔が開いたままになる。
 出そうとしても言葉が出て来ない。ただ、この淀んだ空間を金魚のようにもがくだけ。真里は柔らかく抱合された微笑みを向けながら私の頭を優しく撫でた。

「やっと出会えたね、美貴」

 混乱した頭が真実を僅かだけ結ぶ。真里は私の性質を見抜いた上で私を家に住まわせた。私は利用されたのか? こうなることを知っていたのか?――真里は膝を曲げ黒々とした結晶を私に翳す。儚く見えたその結晶は真っ直ぐ覗き込んでみると宝石のように硬質で冷たかった。そして鏡のように私を映し出した。DNAが軋み、悲鳴の暇さえ与えぬまま変容していく。
 真里は冷たく伸びた指を私の震える唇に優しく触れ、耳を舌先で軽く舐めながら囁いた。

「あたしも偏執狂で性的倒錯者なんだ」
21 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時09分49秒
9.

 四月。
 灰色の風が舞う。凍った太陽が地上を照らす。壊れた世界のほんの片隅に私たちの家がある。
 あれから大き目の冷蔵庫を買って二階に置いた。私の部屋が二階から一階に変わった。あと密かにお気に入りだった三面鏡台を二階から持ってきた。変わったことはそれぐらい。

 朝食は真里がパンを焼き、私がバターを塗る。そして二人でベーコンやエッグを乗せる。ちなみに牛乳はない。真里が嫌いだから、この家には置いていない。
 少し焦げ付いたパンの耳を齧り、苦かったのか顔を顰める真里を笑ってやった。
 テレビは全国の様子を順に映し出している。最後に映った北海道は遅めの春の息吹を覗かせていた。

「今日、消臭剤と芳香剤買ってくるね。なくなりそうだし」
「ああそっか。ごめんね、迷惑かけて」
「ううん。他に何か必要なものある?」
「う〜ん、今は特にないかな」

 真里は「了解」と頷く。私は寝癖をチェックしようと三面鏡を覗いた。三人の私が居た。軽く微笑んでみると、三人とも同じように微笑んでくれた。
22 名前:45 三面鏡 投稿日:2003年03月17日(月)00時17分26秒
 朝も昼も夜も、何も変わらない。日常が日常として動くだけ。しかし、それを現実と呼ぶには輪郭が朧すぎる。
 三人は犯罪者としてではなく秘密の共有者として、全ての価値観をその中だけに閉じ込める。感情は赴くままに輪廻するのみ。幸せかと聞かれたら恐らく皆否定するだろう。もう幸せかどうかさえ私たちにとっては問題ではないのだから。

 闇に鎮座した冷たい幻影に口付けを交わす。
 清澄に奏でられるか細い歌に口付けを交わす。
 そして、与えられた時間を永遠という存在に作り変える。

to 0.
23 名前:45 投稿日:2003年03月17日(月)00時17分47秒
 
24 名前:45 投稿日:2003年03月17日(月)00時18分41秒
 
25 名前:45 投稿日:2003年03月17日(月)00時19分43秒
 

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