インデックス / 過去ログ倉庫 / 掲示板

31 浴槽マーメイド

1 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時07分57秒

浴槽マーメイド
2 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時09分12秒

宅急便のお兄さんが、大きな荷物を二人がかりで運び込んできた。あて先は
『石川梨華』ってあった。どうやら通販でお買い物したみたいだ。

「ねえ、なにこれ?」

梨華ちゃんはニコニコしながら包装を解いた。中から出てきたのは、浴槽――
イギリス映画なんかで出てきそうな、四本の足のついたホーロー製のバスタブ
だった。

「よっすぃ、これ部屋に運ぶから手伝って」

私はよく分からないまま、梨華ちゃんに言われるがままに浴槽運びを手伝わさ
れた。どこに持っていくんだろうと思ったら、梨華ちゃんの部屋だった。絨毯
の敷かれた部屋の真ん中に、でーん、とバスタブは鎮座した。
3 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時09分47秒

「私、今日からここに住むの」
梨華ちゃんは、バスタブを指差して宣言した。

「……この中に?」

「うん」

「どうして?」

「まだ秘密」

「ふーん」

新しい遊びなのか。それともバスタブに住むのが流行りなのか。どちらにしろ、
私には興味のない話だった。
4 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時10分42秒

「梨華ちゃーん、朝だよいつまで寝てんだよ」

部屋のドアを開けてギクッとした。そうだ忘れてた。昨日、バスタブ運び込ん
だんだ。

「それにしても、シュールな光景だよねえ。……うわっ、マジで中にいるし」

毛布に包まった梨華ちゃんが、浴槽の底に丸まって寝息を立てていた。せまっ
苦しそうだった。

「ねえ、石川の様子おかしくない?」

楽屋で、飯田さんに声をかけられた。そうかな、と首をひねって梨華ちゃんを
見る。鏡の前で辻を相手に「最近、お肌が乾燥するの」とか言いながら、肌水
を顔に吹き付けていた。

「別に、いつもと変わんないっしょ」
「寝違えて、首が痛い、って言ってるし」
そりゃそうだろ、と思ったけど、飯田さんには梨華ちゃんの浴槽生活のことは
黙っておくことにした。禁止されるか、圭織もやる、と言い出すかのどっちか
だと思ったから。
5 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時11分25秒

「ねえ、さっき、石川のこと噂してなかった?」

仕事を終えた帰り道。梨華ちゃんは二人っきりになってから、私に話しかけて
きた。

「別に。梨華ちゃんの様子ちょっとおかしくない? って聞かれただけ」

梨華ちゃんは、がびーん、と自分で言って、さすがリーダー鋭い、と言葉を続
けた。

「で、よっすぃはなんて返事したの?」
「んー? 梨華ちゃんはいつも変ですよ、って」

ひどいー、と梨華ちゃんは私をポカポカ叩いた。私はごめんごめん、って言っ
た。
6 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時11分55秒

「ねえ、よっすぃ。私たちが出会ってから、5年になるね」

そうか? と私は気の無い返事をした。

「5年、たっちゃったんだよ」

私の顔を下から覗き込んで、梨華ちゃんは行った。その時、私は彼女がなんと
なくセンチメンタルになってるだけなんだと思ってた。
いつもみたいに腕を組もうとすると、梨華ちゃんは反射的に逃げた。

「どした?」
「えっと、今、肌荒れてて……」

梨華ちゃんの曖昧な返事に、なんとなく白けた空気が流れた。
私と梨華ちゃんは離れて歩いた。その後、家に戻るまで会話は無かった。
7 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時12分50秒

満月の夜。
ぱしゃん、って水が跳ねる音で目が覚めた。その水音は梨華ちゃんの部屋から
聞こえた。

(んー?)

私はベッドを抜け出して、パジャマの上らかカーディガンを羽織った。梨華ち
ゃんの部屋の前に立った。中から、もう一度、ぱしゃんって音がした。扉を開
ける。梨華ちゃんはバスタブの中に居た。おでこを浴槽のヘリにもたれかけさ
せて、寝息を立てていた。濡れた髪が、肩と背中に張り付いていた。

窓からの月明かりが青く天井でゆらゆら揺れて、まるで部屋が海の底になった
みたいだった。
8 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時13分24秒

「梨華ちゃん何してるの?」

「ん? よっすぃ?」

寝ぼけまなこで梨華ちゃんは返事した。梨華ちゃんはハダカだった。腰まで水
に浸かっていた。しっかりしなよ、と肩をつかんだ。梨華ちゃんの肌はひどく
ザラザラしていた。荒れている、なんてレベルじゃなくて、それはまるで――、

「ああ」

私が眉をしかめたのが見えたのだろう。梨華ちゃんは、ああ、バレちゃった、
とため息のように言った。

「私ね」

梨華ちゃんは、濡れた手で髪をかきあげた。水の雫が月明かりに青く光った。
9 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時14分16秒

「もうすぐ、海に帰らないといけないの」

「……」

「5年、たっちゃうから」

梨華ちゃんは、窓の外の月を見上げた。

「うみ? 漁師?」

――人魚たちは言葉をしゃべれません。だけど、とても素敵な声で歌うことが
出来ます。

いきなり、梨華ちゃんは絵本でも朗読するかのようにしゃべり始めた。私は黙
って梨華ちゃんの言葉を聞いた。
10 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時15分07秒

――その中でも、一番可愛くて一番歌の上手なお姫様人魚が、人間の王子さま
に恋をしました。お友達は反対しました。悲しい思いをするよ、って。でも、
恋の力には勝てません。みんなには黙って、こっそり魔法使いに、両足と言葉
を貰いました。ただし、魔法は5年しかもちません。それを過ぎれば、また元
の人魚に戻ってしまいます。そして嵐の夜、人魚姫は群れから飛び出したので
す。

そこまで一気に話して、梨華ちゃんはふう、と一息おいた。

「よっすぃこれで分かった?」

「なにが?」

「バスタブの理由」

「よく分かった」

心配いらない様だということが分かったので、私は自分のベッドに潜り込んで
眠った。
11 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時15分44秒

翌朝。
梨華ちゃんは、今日の仕事を休む、と言い出した。

「なんで? 風邪?」

私が部屋に入ろうとすると、梨華ちゃんは「来ちゃダメ!」と大声で静止した。
どうやらあのバスタブの中には見られてはいけない光景が広がっているらしい。

「分かったよ。でも、マネージャーさんには梨華ちゃんが電話しておいてよ」

「うん。後で電話するから、よっすぃはもう仕事に行って来て」

結局、梨華ちゃんは私が支度を終えて家を出るまで、浴槽から出てこようとは
しなかった。
12 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時16分31秒

仕事が終わってから、楽屋から梨華ちゃんの携帯に電話をかけた。なんかいろ
いろ買い出しとか用事を頼まれた。コンビニに寄り道して、シュークリームと
唐揚げクンとおでんのゆで卵を買った。

「ほーい、梨華ちゃん、夕ご飯だよー」

また部屋に入っちゃダメ、って言われるかも知れないので、扉を開けたところ
で立ち止まって、梨華ちゃんに声をかけた。梨華ちゃんはやっぱり浴槽の中に
いて、テレビを見ていた。

「よっすぃ、ありがと。隣おいでよ」

浴槽の隣に、折りたたみ椅子が配置されてあった。昼間、用意したのだろうか。

バスタブの中には、バスクリンの入った水が張られてあった。腰から下は見え
なかった。
13 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時17分07秒

「いただきまーす」

梨華ちゃんはおなかが空いてたのか、猛烈な勢いでご飯を食べ始めた。私は梨
華ちゃんから頼まれてた食料以外の品を、いっこずつ床に並べた。

日本地図。
方位磁石。
マメから。
吉澤ひとみ写真集(なんでだ?)。

「あ、マメからは今使うの」
「歌の練習?」
「よっすぃとラストフレーズを歌っちゃダメダメをするの」
「えー、やだよめんどくさい」
「お願い! チャーミー一生のお願い!」

一生のお願いなら仕方ない。
なに歌う? って聞いたら、花*花がいい、って梨華ちゃんは言った。なので
『あ〜よかった』をセットした。何フレーズか歌ってはマイクを渡し、梨華ち
ゃんが歌ったマイクを貰っては歌った。
14 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時17分44秒


ああ よかったな あなたがいて

ああ よかったな あなたといて

ああ よかったな あなたがいて

ああ よかったな 一緒にいて

15 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時18分15秒

「はい、梨華ちゃんの負け」
「くーーーっ、くやしいーー。もう一回、もう一回させてっ」

梨華ちゃんは再戦を希望したけど、明日の朝も早いし、もう寝ることにした。

16 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時18分52秒

次の日。

天気は大荒れで、朝からもの凄い雨が降っていた。
梨華ちゃんは、今日も休む、って言った。私は一人で、今日の仕事場のTV局
に向かった。

仕事が終わったのは深夜だった。外は相変わらずどしゃ降りだった。今日はひ
どく疲れた。私は自分の部屋に直行して、パジャマに着替えることもなく服を
脱ぎ散らかしてベッドにダイビングした。梨華ちゃんが何か言ってるような気
もしたけど、すぐに深い眠りについた。

ばっしゃーん! と、大量の水がこぼれる音がして、私は目が覚めた。時計を
見ると、午前三時だった。続いて、豪雨の音。何が起こったんだろう、と部屋
を出る。私は梨華ちゃんの部屋に向かった。

17 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時19分23秒

部屋の中は、ひどいありさまだった。浴槽が横倒しになっていて、床がべちゃ
べちゃになっていた。窓が開いていて、雨と風が吹き込んで来ていた。



梨華ちゃんはいなかった。



梨華ちゃんの人魚の話を思い出した。ああ、あれ嘘じゃなかったんだ、と思っ
た。

叩き付けるような雨音に混じって、遠くから梨華ちゃんの歌う声が聞こえてき
たような気がした。

18 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時19分57秒

翌日から、大騒ぎになった。
私も警察の人にいろいろと話を聞かれた。だけど、浴槽の話とか人魚の話はす
べてスルーされた。

あれから、梨華ちゃんとは一度も会ってない。梨華ちゃんを見た人もいない。

19 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時20分57秒


雨が降ると、あの夜を思い出す。ざあざあという音に混じって、梨華ちゃんの
歌が聞こえてくる。

そして、私は想像するのだ。

ちょっと色黒でネガティヴな人魚の姿を。

20 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時21分31秒


おわり
21 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時22分20秒

 
22 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時22分56秒

 
23 名前:31 浴槽マーメイド 投稿日:2003年03月15日(土)11時23分43秒

 

Converted by dat2html.pl 1.0