11 マニュアルなんていらない
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:41
- 11 マニュアルなんていらない
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:41
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デートとは。
時間を決めて人と会う約束をする事。
最近は恋人じゃない相手と会う約束をしてもデートって言うよね。
当然、女の子同士で約束しても。
だったら、今のこの状況もある意味デートって言えるんじゃないだろうか。
これは、あくまで私なりの勝手な解釈に過ぎないのだけれど。
ただ、日本語じゃなくて英語を使うならば―
この場合は普通、「Date」じゃなく「Appointment」になるらしい。
それでも、自分にとって大切な人と会う事は、十分にデートだと・・・思う。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:43
- 「いらっしゃいませ、保田様ですね。本日はどうなさいますか?」
「あっじゃあ、毛先のカットとトリートメントを」
ついこないだカラーリングもしたばっかりで、切りたいとこだってほとんどないのに。
でも、やっぱり我慢できなかった。
こんな日でも―
いや、こんな日だからこそ。
彼女に会いたかったから。
「ご希望の担当者は三好でよろしかったでしょうか」
受付の女性に大仰に頷く。
だって、私は彼女に会うためだけにここまで通ってるんだから。
他の人じゃ意味がない。
仮にどんなにカリスマだ何だと人気の美容師がいたとしてもだ。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:44
- 「保田様!またいらして下さったんですね」
三好さんは私の元に駆け寄るなり心底嬉しそうな顔を見せてくれる。
笑うと黒目でいっぱいになって、それを見る度に救われるような気がしてしまう。
陽だまりみたいに温かい笑顔。
仕事の疲れが一瞬にして吹き飛ばされる。
私はこの笑顔を見たくて来たんだよ、って心の中で彼女に語りかける。
たとえ営業スマイルでも。
今夜の会社のクリスマスパーティーを断ったのも、ここに来るためだ。
理由を正直に述べた私は、同僚かつ親友の矢口から
“美容師の営業トークをいちいち真に受けるなんてバッカじゃないの”
と厳しい言葉を受けたのだけど。
矢口に言わせれば、私は報われないのにホストに入れ込む客そのものらしい。
・・・相手は女の子なんだけどなあ。
だけどこんな風に笑いかけてもらえるなら、営業だろうと何でもいい。
私は三好さんに案内されるまま、シャンプー台へと向かう。
周囲を見回してみると、若い女の子ばかりでやたらと混んでいる気がする。
前もって予約してて良かった。
心からそう思った。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:46
- ―この美容院に通い始めて随分経つ。
既に三好さん以外のスタッフの方にも名前と顔を覚えられているのだから、常連と言えるだろう。
これまで、三好さんとたくさんの話をした。
髪質に関する話や私の仕事の話、ファッションや音楽の話、ニュースの話、近場にできた新しいビルの話―
それこそ数え切れないほど多くの事について語った。
三好さんは話の引き出しが多い人だから、いくら話しても飽きなかった。
それでも得た情報はまだまだ少ない。
彼女は自分の事をあまり話さないからだ。
下の名前は絵梨香。
私よりもいくつか年下で、まだ20代だって事。
一人暮らしをしている事とか、出身地は北海道って事だとか。
あとは・・・アイドル好きって事くらい。
つまるところ私は彼女の事をほとんど知らない。
それもそうだよね。
今まで彼女と過ごした時間を換算しても、多分24時間にも満たないだろうから。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:48
- 「痛かったら言って下さいね」
三好さんはそう声をかけて、指圧をしながらシャンプーをしてくれる。
この瞬間がたまらなく気持ちいい。
清潔に切り揃えられた爪に、優しい指が私の髪の中を通る。
彼女がどんな人かもまだちゃんとは分からないのに、安心して身体を預けられる。
どうしてなのか理由は分からない。
けど。
それだけで幸せな気持ちになれる。
彼女に触れられるのは好きだ。
こういうの、フィーリングが合うって言うのだろうか。
本当は、彼女をもっと知りたい、触れてみたいと思う気持ちもあるけれど。
こんなにも心地良い時間を提供してもらって、これ以上望むのは間違ってる。
そう思うほかはなかった。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:50
- 「―保田様の恋人になれる人は幸せ者ですよね」
「?」
シャンプーを終え、三好さんに毛先のカットをしてもらっている時だった。
持って来てもらった雑誌を片手に雑談をしている際―
突然そんな言葉を受けて、私は困惑するしかなかった。
「い、いきなりどうしたの?」
「これからデートなんでしょう?任せて下さい、バッチリ決めてみせますから」
明るい調子でそう続ける三好さん。
どうやら、私がデートの前に綺麗にするためにここへ来たと思っているらしい。
さっきから私に恋人がいる事前提で話が進められている。
「いやいや、いないよそんな人」
「そ・・・そうなんですか?」
慌てて否定すると、鋏を持つ手を止め、三好さんは目を丸くして鏡越しに私を見つめて来た。
そんなに驚く事だろうか。
確かに、クリスマスデートに向けてなのか、周囲の人達に目をやれば凝ったスタイリングをしてもらっている。
彼女達と同じように、私にも恋人がいてデートの約束があると思われても仕方がないのかもしれない。
でも、正直私はクリスマスなんてどうでもよくなるほどに―
彼女の事で頭がいっぱいだった。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:51
- 「私はただ、三好さんとこうしてお話したかったから」
そう、ただ―彼女に会いたかった。
それだけだった。
一瞬だけ、三好さんはハッとしたように息を呑み―
そっと指先で私の髪を梳いた。
「ふふ、光栄です。私も、保田様の事考えてましたから・・・。
それにほら、こういう日って特別な日でしょう?
そんな日に、保田様がここにいらして下さったのが嬉しいです」
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:52
- どういう意味なんだろう。
―“美容師ってのは一人でも多くの指名を取る為に必死なんだから。
口の上手いヤツに騙されんじゃないぞ!”
矢口の忠告の言葉が脳裏を過った。
確かに、一個人として私と会えて嬉しいと言うよりも・・・プ
ロとして、大切な日に来店してくれてありがとうとお礼を述べているように聞こえる。
だけど、それでもいい。
三好さんの指が触れる、鏡越しに見つめられるだけで、こんなにも満たされる。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:53
- 「保田様、失礼ですけど、今夜のご予定は・・・?」
「え?特には何も」
「あの・・・もし良かったら、恋人のいない者同士、一緒にどこかへ飲みに行きませんか?」
三好さんも恋人いなかったんだ。
なんとなく確かめるのが怖くて、聞けずじまいだったのだけど。
そっか・・・そうだったんだ。
ううん、それよりも―
「いい・・・の?」
「店の片付けや反省会とかもありますから、すぐには上がれないのが心苦しいですけど・・・。
保田様が少し遅い時間になっても構わないと仰って下さるなら、是非。
私は、保田様と一緒に過ごしたいです」
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:54
- 信じられない。
どうして?
様々な熱い感情が交錯して、それらが胸の内を灼く。
上手く言葉にできない。
だけど、嬉しいよ。
嬉しくないはずがない。
「喜んで」
私は鏡越しに大きく頷いて笑いかける。
同じように、彼女も微笑んでくれていた。
その黒硝子のような綺麗な瞳で。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:55
- 「ありがとうございます。保田様にはいつもお世話になっているので、御礼させて下さい」
三好さんが新たに紡いだ言葉に、のぼせていた頭がすっと冷える。
―私がお得意様だから。
ああ―やっぱり私はお客である事に変わりないんだと、改めて思い知る。
知り合ってそれなりに経ってはいるのに―
いつまでも“保田様”という呼び方も、堅苦しい敬語も決して改めようとしない彼女。
一定の距離を保っていた割りに、突然踏み込んで来たかと思えば―
すぐにまた離れてしまうような。
三好さんが分からない。
分からないからこそ―こんなにも、知りたいんだと思う。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:56
- 今の私にとっては、ただ耳に心地良いだけのマニュアル通りの言葉も―
彼女の唇から零れるそれは、まるで甘露の一滴のよう。
だけど、いつかは―
本当の彼女の心の言葉が聴けたらいいのに。
そう望むのは、欲張りだろうか。
それはいつの話になるのか、そんな日が来るのかさえ自信が持てないけれど。
来なければ、それでも構わない。
今は、この時間を―疑似でも何でもない、現実となったデートの約束を大切にしよう。
「?保田様?」
突然黙り込んだ私を、三好さんが怪訝そうに見つめる。
そんな彼女に対して、私は心からの笑顔を向けた。
鏡に映る彼女ではなく、隣にいる生身の彼女に。
「今夜は、三好さんの事、色々と聞かせてね」
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/12/26(月) 00:57
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