04 サメの背中
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:51
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今年の夏も勝てなかった。
中学最後の大会も、高校に進学した春の大会も私は負けた。今年は同じスタート台にすら立っていない。
鈴木愛理。私が一方的にライバル視している同い年の女の子の名前。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:51
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愛理は群を抜いている。高校水泳界では国内だけではない世界大会へ近いうちに出場する有力候補として一目置かれていた。
水泳を始めて駆け出しの自分にとって、ライバルといえども愛理の泳法は勉強になる。インストラクターとしてお手本になるような丁寧なストロークと終盤底力を発揮する脚力。そして、スタミナ。どれも超高校級だった。同じ学年の彼女に勝つ、ということはイコールで大会優勝がかかっていた。
優勝が目的ではなかった。世界大会出場が夢でもない。
ただ、愛理に勝たなければ近づけない背中があった。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:52
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- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:52
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水泳を始めて駆け出しの自分にとって、ライバルといえども愛理の泳法は勉強になる。インストラクターとしてお手本になるような丁寧なストロークと終盤底力を発揮する脚力。そして、スタミナ。どれも超高校級だった。同じ学年の彼女に勝つ、ということはイコールで大会優勝がかかっていた。
優勝が目的ではなかった。世界大会出場が夢でもない。
ただ、愛理に勝たなければ近づけない背中があった。
うちの高校は屋外にプールがある。それほどスポーツが盛んな校風でもなく、文化系に強いワケでもない、いわゆる普通の進学校だ。進学率はそこそこの成績だが、私みたいに学業方面に多少難のある生徒も普通にいる。
特色、ということでいえば。国際コミュニケーション学科というクラスがあり、中国語、英語と外国語を二つから選択できた。交換留学制度も中国とアメリカの2ヵ国と交流がある。ちょっと変わっているのはそれくらいで、あとは本当にどこにでもあるような高校だった。コンピュータ系の設備を充実させても、運動部の設備に最新機具が投資されることは稀だった。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:53
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屋外にある所為で、プールは葉っぱや虫も一緒に泳いでいる。他の生徒はそれが嫌でなんだかんだ理由をつけて水泳の授業を避ける人もいた。男子はそれほどでもないみたいだけど、女子は特に多かった。虫の死骸や枯葉が浮いたプールに浸かるなんて不潔だから絶対ムリ、らしく。屋内プールの方が安全で清潔というが、多数の意見のようだ。私は屋内でも屋外でも結局どっちでもいいけど、長い間循環され続けている温水より、太陽光で消毒されている水の方が体に良さそうだな、となんとなく思った。
水泳の強い学校は、大体屋内プールだ。設備も整っていて気温も水温も低くなる冬だって関係なくオールシーズン泳ぐことができる高校が多いけど、うちの高校は違う。
水泳で勝つには、そういう施設が整備された高校へ進学すべきだった。愛理に勝ちたいなら。先を考えるなら、今から転校することだって不可能な選択ではない。でも、私はこの高校の水泳部にどうしても入りたかった。
夏焼雅が進学した高校だった。
2歳上のうちの部のエースだ。
愛理は夏焼先輩と一番近い場所にいる。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:53
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負けた私と違い、夏焼先輩の夏は長い。彼女は国体強化選手だし、高校3年ではあるけど引退はまだ先だった。
県の記録更新に一番近い存在の夏焼先輩が水泳強豪校ではなく、この高校へ進学したのには何か深い理由があるのかと思っていたけど。実際は、制服がかわいかったから、らしい。夏焼先輩の自宅とうちの学校はわりと近い場所にあった。小さい頃からこの高校の生徒を見ていて、大人っぽくかわいく特に女子生徒が彼女には憧れの存在として映っていたようだ。
「みやも高校生になったらあの制服を着る」
幼い頃から思っていたことを叶えただけで。水泳選手としての将来と、憧れの話は別のことだったみたいだ。
私は、夏焼先輩に憧れてこの高校へ進学した。
彼女の泳ぐ姿に惚れた。理屈抜きで彼女へ近づきたいと思った。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:54
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夏焼先輩が泳ぐ姿を初めて見たのは、中学1年の夏だった。
私はもともと水泳に興味なんてなかった。美術部に所属していたし、幼い頃から身体を動かすことより、どっちかというと室内で本を読んだり音楽を聴いたりすることが好きだった。
中1の夏が分かれ道だった。全国大会出場がかかっている県内の大会に従姉妹が出場するというので、その従姉妹の親と私の母親と一緒に応援へ行くことになった。従姉妹が出場した種目は平泳ぎと、メドレーリレーだったと思う。従姉妹は残念ながら全国大会へは進めなかった。何位でどれくらいのタイムだったかは忘れてしまった。
鮮明に記憶しているのはメドレーリレーの決勝戦だ。自由形の泳者の中に夏焼先輩がいた。
従姉妹の学校を応援していたのに、気が付けば夏焼先輩に釘付けだった。彼女がプールへ飛び込んだ瞬間、会場の声援が一層大きくなった。3番手か4番手にいた夏焼先輩は、極端に少ない水しぶきをあげて前を泳ぐ選手を次々追い抜いていく。断トツで速かった。
サメの背びれだけが海を進んでいく映画のシーンが思い浮かんだ。水を割っていくようにスイスイ進んでいく。無駄がなさそうに見えるけれど、とても個性的な泳ぎ方だと思った。
あっと言う間に、レースが終わった。従姉妹の学校は3位。夏焼先輩の学校は2位だった。
順位を告げたアナウンスから夏焼先輩の学校の名前を記憶した。学校の名前を辿り、大会関係者に配られたパンフレットから「夏焼雅」という名前を知った。
美しい水泳フォームだった。野生動物を思わせるしなやかさと、花のような柔らかさ。彼女がどんな人物か知らなかったけれど。きっと大人っぽい達観した性格なのかなぁとまで想像していた。
同じ中学生とは思えない美しさだったから、特別大人びた人なんだろうと勝手なことを考えていた。
頭の中で、何度も何度も夏焼先輩の泳いでいる姿を繰り返しイメージした。今までに知らない、美しさだった。強烈な印象だけが残り、この胸の内で起こったざわざわする気持ちが何なのか理解することはできなかった。
自分も、夏焼雅のように美しく泳げるのだろうか。
泳ぐことがどういうことなのか、知っているつもりになっていたけれど。彼女の泳ぐ姿を見て、経験、知識すべてが砕かれたような感覚だった。
あの人に近付きたい。泳ぐことがどういうことなのかもっと知りたい。
次の日には美術部へ退部の意志告げていた。
中1の夏から憧れで始めた水泳だったけど。勝ちたいと思い始めたのはいつからだろう。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:54
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- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:54
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たぷん、と水が撥ねた。
制服姿のままプールサイドに腰掛けて素足を水に浸した。
夏休みが始まって間もないので授業の補習や夏季の集中講座がある。他に部活動もあるから姿は見えなくてもどこからか生徒の声が聞こえていた。
部活が終了した時間帯の現在は生徒の声も少なくなった。そろそろ夕方に差し掛かる時間だった。しかし晴天の今日は日差しが無遠慮にジリジリ肌を焼く。
私は日焼けし難い体質なのか水泳部なのに思ったより肌が焼けなかった。日焼け止めは欠かさず、肌の手入れを入念にしていても夏焼先輩は肌が焼けてしまうようで、日焼けを常に気にしていた。「梨沙子の肌が白くて羨ましい」と彼女は憚らず口にしていた。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:55
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「あっつ…… 」
頭上の太陽はだいぶ傾いた位置にいた。なお威力を弱めずプールサイドを焼いていた。どこに手を置いても火傷しそうだ。逃げ場が無かった。
手で水をすくってプールサイドに撒いてみた。焼け石に水とはこのことで水分は暫く経つと蒸発してしまう。
ばしゃばしゃと一人で水遊びをしていると後ろから声を掛けられた。
「帰んないのー? 」
熊井友理奈だった。
熊井先輩は一つ年上の水泳部の先輩だ。身長が高く、種目は背泳ぎを得意としていた。
「帰ったのかと思ってた。決勝見てた? 」
プールサイドが焼けるように熱いと知っている熊井先輩は出入り口からこちらへ来る様子はなかった。
彼女の言う決勝、とは夏焼先輩が出場する女子100m自由形のことだろう。
先輩の質問に私は首を振って答えた。
「惜しかったね」
その言葉に夏焼先輩が負けたのかと思い、慌てて熊井先輩の方へ振り向いた。
「夏焼先輩負けたんですか? 」
熊井先輩は驚いた表情を見せて、次の瞬間笑い出した。
「違う違う。ごめん、みやは勝ったよ。うちが惜しいって言ったのは梨沙子のフライング」
「ああ」
夏焼先輩は前評判通り優勝したようだった。スランプだと本人はかなり焦っていたけど本番に強いのはすごいな。タイムはどうだったのだろう。
それに比べて私はフライングで失格。泳がずして準決勝敗退だ。スタートがうまくいかなかった。思い出してまた、気分が沈んだ。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:55
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「何で先帰っちゃったの。みんな心配してたよ。
部長にちゃんと事情説明した方がいいんじゃない」
のんびりした声で熊井先輩は身勝手な行動をした後輩を諭しているみたいだ。
「うちからも、部長に言っておくけど。
っていうか、暑くないの? 梨沙子」
「熊井先輩」
「え? 」
「鈴木さん、は、どうでした」
「鈴木愛理は、2位でした」
熊井先輩は私の質問にストレートに答え、他に余計なことは口にしなかった。
私はプールに浸していた足を思い切り持ち上げ、水面を蹴った。
傾きかけた太陽に反射してしぶきがきらきら光る。
「あーぁ」
大声で嘆息した。
同じ、スタート台に立ちたかった。
夏焼雅と同じ舞台で泳ぎたい。
恰好良くて優しい憧れの先輩と、かわいい妹みたいな後輩なんてどこにでもある関係、それが嫌だった。
真剣勝負で戦う同士。気を緩めたらいつでも足元を脅かしてくる愛理と、夏焼先輩は試合では常に対等だ。
愛理と夏焼先輩は間違いなく同じ場所にいる。
二人が泳いでいる姿を見ている時、私は舞台を見に来た観客みたいな仲間はずれのような気持ちになった。
夏焼先輩へ近づくには、鈴木愛理に勝たなければならない。
客席から見ているだけでは、満足できなかった。夏焼先輩にも私を見て欲しかった。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:55
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「やっぱり、夏焼先輩が泳ぐとこ見たかったー」
「自分で勝手に帰ったんじゃん」
「だって、見たくなかったんだもん」
立ち上がって、熊井先輩と向き合う。熊井先輩は私が本当は見たかったのか見たくなかったのか、一体どっちなんだろうというような表情をしていた。
スタートを失敗して失格になった情けなさ。気持ちばかりが先走って結果を出すことができなかった。
情けない私とは住む世界が違うと見せ付けるように、愛理と夏焼先輩は多くの人の注目を真っ直ぐに受けて決勝レースを並んで泳ぐ。実力も、立ち姿もお似合いの二人。悔し過ぎて情けなくてその場にいられなかった。二人が並んで泳ぐ姿なんて想像しただけで胸が苦しくなる。
一度でいいから、愛理みたいに夏焼先輩と一緒に泳ぎたかった。
今日は、最後のチャンスだった。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:56
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「夏焼先輩、勝ったんですね。よかった」
強がりでも言ってないと、泣きそうだ。
「よかったじゃないよ、梨沙子ー。勝手に先帰って」
「ごめんなさい」
「なんで帰っちゃったの。具合悪かった? 」
熊井先輩は私を疑っている様子は微塵もなかった。何か事情があったから、やむを得ず先に帰ったのだと思い込んでいる。
「見たくなかったんです」
正直な気持ちを口にしたけど、熊井先輩が理解できるはずもなかった。彼女の顔にはちんぷんかんぷんと書いてある。
「一緒に泳ぎたかったのに、私失格になっちゃったし」
悔しくて。情けなくて。認めたくなかった。
結果を受け入れることができなくて逃げ出した。
「勝手に帰ってごめんなさい」
もう一度謝って、ぺこりと頭を下げた。
頭を上げるのに、なかなか苦労する。
大きく息を吐いて、ぐっとお腹に力を入れた。
泣くんじゃない。
今ここで泣いても、背が高くてちょっと鈍いけど根は優しい先輩を困らせるだけだ。
「スタートの練習」
勝手な後輩を咎めるでもなく、理由を追及するでもなく熊井先輩が明るい声を張った。
「頑張ろう」
どこまで熊井先輩が私の伝えたい気持ちを理解してくれたのか分からなかった。的外れのような彼女の言葉は、何故か私の気持ちを軽くしてくれた。
笑顔で返事をしようとすると。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:56
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「今からだよ、梨沙子」
背が高くてちょっと鈍いけど根は優しい先輩の、ではない声がした。
熊井先輩が、後ろへ振り返ると同時に彼女の横をすり抜けて夏焼先輩がこちらへ向ってくるのが見えた。
なんで、この人ここにいるの。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:56
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「先輩が必死に戦ってる時に勝手にいなくなるってどういうこと? 」
「ごめんなさっ」
ずんずん近付いてくる夏焼先輩は、企んでいるような少しニヤついた表情をしていた。
あっと言う間こちらに近づき、何故か私は腰を抱きかかえられる状況になっていた。
「っな」
驚いてこちらが抵抗すればするほど、余計に夏焼先輩の腕に力が入った。
「え、ちょっと」
「よーい」
先輩が、大きい声を出した。
「ドーンッ」
身体が、浮く。
空がひっくりかえる。
事実は、私がひっくりかえっていた。
しぶきが光って見えた。
次の瞬間は真っ暗だった。音もなかった。
夏焼先輩にタックルされて、私は制服のままプールに落ちていた。
驚いた拍子に目を瞑っていた。何が起こったのか瞬時に把握できなかった。
息が出来ない。息が出来ない。なんなの。一体何が起こったの?
必死でプールの底に足をついて、水面から顔を出した。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:57
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「みやっ」
さすがに驚いた熊井先輩が私たちの側のプールサイドまで駆け寄ってきた。
「何やってんの」
「言ったじゃん。スタートの練習頑張るって」
夏焼先輩は悪びれもせず答えた。
「危ないよ、ばか」
どっちが先輩後輩か分からない会話だった。
「熊井ちゃんも、やる? 」
「やんないよ。やるわけないでしょ、制服で」
どーすんの?
熊井先輩が、極めて真っ当な質問をした。
どうしよう、制服。確認しなくても分かっていたけれど。自分の姿を一応見てみた。ずぶ濡れだ。シャツは替えがあるからいいけど、スカートとリボンは乾いたとしても皺になる。明日も練習があるのに制服は替えがなかった。
隣の夏焼先輩も同じようにずぶ濡れだ。
茶色味がかった明るい髪の色が濡れて濃い色の毛先は束を作っていた。雫が髪から、頬から零れ落ちている。そして、冗談でも言っているような笑顔だった。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:57
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「どーする? 」
「ごめんなさい」
そんな目で見られたら辛い。
私は逃げ出したのに。夏焼先輩は、優しくて。しかも全然分かってなくて。そして敵わないと思った。
「決勝、勝手に帰ってごめんなさい」
ホントだよ、コラと言いながら、夏焼先輩が手で水面を叩いて水をしゃばしゃひっかけてきた。
今なら、泣いてもばれない。喉の奥に込み上げてくる熱いものが律していた気持ちを揺るがせた。
「梨沙子、怒ってもいいよ。プールに落とすなんていたずら、子どもみたい。先輩関係ないよ」
熊井先輩が私を慰めるような言葉を口にしていた。
負けて悔しかった。先輩はこの夏で引退して、また遠くなってしまう。それも嫌だった。どうしたら、夏焼先輩は私を見てくれるのだろう。特別な存在になれるのだろう。近づきたかった思いは募る一方だった。鈴木愛理に勝つことができたら? 一緒のレースを泳ぐことができたら? 全国制覇できたら? 思いは募るのに私は気持ちを伝えていなかった。何一つ行動を起こせていなかった。一人で拗ねて一人で泣いて。私は夏焼先輩なんかより、全然子どもだ。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:58
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「一緒に、泳ぎたかったんです」
夏焼先輩と。
それだけじゃない、と思ったけど。
それ以外の言葉は出てこなかった。
熊井先輩と戯れていた夏焼先輩がこちらを見て、視線が真っ直ぐ繋がった。
夏焼先輩は何も言わない。
たぷん、と水の撥ねる音がした。
すると夏焼先輩は自分のリボンを外して、熊井先輩の方へ放り投げた。そのまま黙って、プールサイドをよじ登った。
それから振り向いて、私の方へ手を伸ばした。
「これが最後じゃないでしょ」
恐る恐る手を伸ばして私は夏焼先輩のそれを掴んだ。
先輩に引揚げられるように、私はプールサイドの熱されたタイルの上に座りこんだ。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:58
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「うちも、梨沙子と泳ぎたいと思ってる」
水に濡れたからではなく、背筋に風が吹いたように。気持ちがひやりと撥ねた。驚いて、先輩の方を見上げた。
「スタート、死ぬほど練習して」
こちらも見ずに夏焼先輩は低い声で言った。
それは、諦めるなと告げられたのか。これからを期待していいのか分からない曖昧な返事だった。
彼女はスカートをおざなりに搾りながら、「プールに落としてごめん」と最後に謝罪していた。
ぺたぺたと足跡がプールサイドに黒い染みを作った。
「みやー。帰るのー? 」
夏焼先輩は熊井先輩の声に返事をせずに姿を消してしまった。
「何しにきたんだろう、みや」
ほら、梨沙子も。
熊井先輩に促されるように私は更衣室へ向かった。
彼女が持っていた大きめサイズのタオルに制服ごとくるまる。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:59
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「優勝の報告に来たのかなー」
夏焼先輩のリボンをくるくる回しながら熊井先輩はあっけらかんとした様子でこちらを見ていた。夕陽が窓から差し込み、彼女の髪をオレンジに染めた。逆光で少し眩しい。
「タオル、ありがとうございます」
「お礼はみやから貰うから、気にしないでいいよ」
「熊井先輩」
「え? 」
「その、夏焼先輩のリボン。内緒で私に譲ってください」
これ? というような表情で相手は目を丸くした。
窓から差す光でリボンのふちが淡くぼやけて見えた。
「お守りにするから」
「別に、うちのじゃないからうちがあげるものでもないけど。直接みやに、頂戴ってお願いしてみたら? 」
「内緒に、して、欲しいんです」
勝つまで、気持ちを告げるつもりはなかった。
告げる気持ちがなんなのか、今でも理解できていなかった。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:59
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愛理に勝ったら、少しは近づける気がした。
夏焼先輩に勝ったら、もしかしたら気付いてもらえるかもしれない。
熊井先輩は私の無理なお願いにも勘繰ることはせず、分かったと了承してくれた。
「内緒だよ」
背の高い彼女は、私の手を持ち上げて、プールの水で湿ってくたびれたリボンを握らせた。
「うちも、梨沙子とみやが泳ぐとこ。見て見たい」
今年の夏はこれから熱くなる。泣いている場合じゃない。
まだ、レースは始まっていなかった。
「スタート。練習頑張ろう」
私の呟きに熊井先輩が噴出して笑った。
「梨沙子がみやと泳げるようになるの、いつになるんだろう」
その返答には困ってしまい、私はタオルで顔まで隠して場を誤魔化した。
いつになるかは答えられないけど諦めない。
何度だってスタート台に立つ。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 19:59
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- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 20:00
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- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 20:01
- END.
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 20:01
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- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 20:02
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- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/04(日) 20:02
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