03 音響兵器901

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:18
03 音響兵器901
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:20
世界と平和は近いようで遠かった。
一つの国が始めた戦争は各地へと広がり、世界は争いに満ちていた。
そんな常にいがみ合う世界を一つにしようと、とある組織が起ち上がった。

目的は平和。
しかし、平和は建前で、実際に行っていることと言えば力による支配だ。
争いを争いで鎮め、話し合いに耳を貸すことはない。
そんな組織のやり方に反発する国も多い。
だが、組織の持つ圧倒的な力の前に、世界は一つにまとまりつつあった。

組織が有するパワーの象徴とも言える殺傷能力のない新型音響兵器。
それは兵器とは思えない形をした人型音響兵器だ。
モデル顔負けの体型に、子供のような無邪気な微笑み。
そして、時折見せる殺し屋かと思うような鋭い眼光。

音響兵器901。
正式名称、熊井友理奈。
愛らしい外見に似合わぬ怖ろしい能力に、人々は畏怖の念を込めて彼女を熊井ちゃんと呼んでいる。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:20

「くまいちょー、そろそろ終わりにしよぉー」
イヤホンを通して聞こえてくる嗣永桃子の甲高い声に、友理奈は片手を上げて応えた。
嗣永桃子は新型音響兵器である友理奈を作り上げた博士だ。

もう、終わりかあ。
じゃあ、もう一回ぐらい叫んじゃお。

お茶もう一杯下さい。
それぐらい気軽な気持ちで友理奈は叫ぶ。

『ぼえー!』

後遺症を残さない範囲内で、人間が生理的に耐えきれない程度の音。
そんな音を友理奈が作り出す。
狙った場所に向け、耳をつんざく音のビームをピンポイントで発射するのだ。

兵士を殺すわけではなく、耳障りな音で戦意を喪失させる。
それが友理奈の役割だ
友理奈の作り出す音は強力で、何分も聞いていることが出来ない。
兵士は武器を投げ出し、耳を押さえ、友理奈の元から逃げ出す。
友理奈が出向いた地域は、数分と持たずに人っ子一人いなくなる。

戦わずして勝利する。
それが最善の方法だと組織の偉い人が言っていた。
最善の方法を実行出来る友理奈は今の仕事に満足している。
待遇は最高だし、周りにいる人もいい人ばかりだ。
毎日をエンジョイ出来る環境が友理奈に与えられていた。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:21
「ねえ、まだやるの?くまいちょー、もうかえろー」
友理奈の頭上、戦場には似合わないパステルピンクのヘリコプターがぷるぷると飛んでいる。
そのヘリコプターの中にいる桃子から指示が飛ぶ。

隣には助手である徳永千奈美が乗っていた。
ここがどこなのか忘れてしまうような脳天気な桃子の声に、友理奈は頷いて見せた。
そして、スキップをしてヘリコプターに乗り込める場所へと移動する。

ドガンドガン。

身長約19メートル。
腕も足もすらりと長い。
でも、運動は少し苦手だったりする。

小さなビルを蹴り飛ばし、大きなビルは体当たり。
避けることは運動よりも苦手だ。
友理奈が歩いた後は瓦礫の山が出来上がる。
殺傷能力はない。
だが、それを信じている者は誰一人としていなかった。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:22

「熊井ちゃん、今日もお疲れ様」
研究室の一角、省エネモードとなった友理奈に千奈美がお茶を出す。
友理奈は場所によって身長を変化させることが出来る。
通常はエネルギーを必要最低限のものに押さえる為、190センチ程度と小回りのきくコンパクトサイズで生活している。
コンパクトサイズになればヘリコプターに乗り込むことも出来るのでとても便利だ。

「ほんっと、カッコイイなあ。熊井ちゃんは」
ずずずっとお茶を飲みながら千奈美が言った。

「ももと徳さんで作ったんだもん。当たり前じゃん」
レモンティーのレモン抜きを飲みながら、桃子が呆れたように千奈美の肩を叩く。

「あたしが作ったから、あたし好みの兵器になったのかなあ」
桃子の声が聞こえていないのか、それとも無視しているのか。
千奈美が友理奈の方を見て、しみじみと呟いた。

「ちょっと待って、徳さん。設計したのもも!ももなんだから!それをもとにして、徳さんと作ったんじゃんっ」
「そうだっけ?覚えてないなあ」
「思い出してよっ」
「やだ」
「やだじゃないのっ!設計したのももなんだから、設計したももが一番カッコイイのっ」
また始まった。
友理奈はお茶をごくんと飲み干す。

博士と助手のコントのような喧嘩は日常茶飯事だ。
二人が話していると大抵喧嘩になる。
どうして桃子が千奈美を助手としているのか。
どうして千奈美が桃子の下で働いているのか。
二人が喧嘩をしている姿を毎日見ている友理奈には理解が出来ない。

「まあまあ、二人とも落ち着いて」
友理奈はのんびりと起ち上がると、次第にヒートアップしていく二人の間に割ってはいる。

「くまいちょー、落ち着きすぎ!」
だが、反対にエキサイトした桃子に怒鳴られる。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:22
「じゃあ、あたしともも、どっちがカッコイイか決めようよ!」
「いいよ。くまいちょー、どっちがカッコイイか答えて!」
何が「じゃあ」なのかわからないが、千奈美が提案して桃子が同意する。

「んー。ももちって、胴の長さがあたしと同じぐらいなんだよね。そういうのカッコイイって言わないと思うし。で、ちぃはダジャレ好きだよね。それってカッコイイっていうより、オヤジっぽくない?」
「待ってよ、くまいちょー。ももの胴、そんな長くないっ!」
「ちょっと、熊井ちゃん!あたし、もうダジャレ封印したしっ!」
真面目に答えた結果、何故か怒りの矛先が友理奈に向く。

えー、なんでえ。
ももちの胴なんてこんぐらいじゃん。こんぐらい。あたしとかわんないって。
それにちぃだって、ネタ帳捨てたとか言いながら、よくダジャレ言ってるじゃん。

案外、友理奈は口が悪い。
悪気はないが、結構酷い。
しかも、本気だからたちが悪い。
友理奈が真面目にそう反論しようとしたところへ、研究室に勤める須藤茉麻がやってきて、桃子と千奈美の腕を掴んだ。

「はいはい、充電の時間。二人とも熊井ちゃんから離れて」
腕を掴まれた博士と助手は、投げ飛ばされそうな勢いで友理奈の元から排除される。

ぱかっ。

服の裾をめくり、茉麻が友理奈の腹部を開く。
臍の辺りを小窓のように開くと、中にはコンセントの差し込み口が見える。

ぷすっ。

茉麻がコンセントを友理奈に差した。

手軽でエコロジーな兵器。
それも友理奈の特徴だった。
友理奈は充電によって蓄えた電力を元に動く。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:23
充電ってエコっぽいよね。

桃子の一言から生まれたシステムだが、実際は原子力だとかもっと危ないシステムが使われていると組織の中では評判だった。
だが、桃子が「充電ってエコ」としか言わないので真相は藪の中だ。

システムが何にしろ、友理奈自身は気にならない。
充電中、コードの範囲内しか動けないことが不便と言えば不便だったが、190センチと小さくなった友理奈には十分と言えた。

「ねえ、すぅちゃん。チャーミーって、今どこにいるの?」
桃子が千奈美と共に友理奈の点検を始めた茉麻に話しかける。

「あー、チャーミー?今さ、また僻地の鎮圧にいかされてるみたいだよ。大変だよね」
「そっかあ。この前、基地に帰ってきたって話聞いたから、久しぶりに会いたいなって思ったんだけど」
「なんか、地味に忙しいみたいなんだよね。僻地回りで」
チャーミーこと石川梨華は旧型の音響兵器だ。
可愛さと独特の高い声が売りだったが、新型の友理奈が活躍しだしてから僻地担当となった。
そんなチャーミーを作り出した藤本美貴博士は、「チャーミーはまかせた」と置き手紙を残して組織を去った。
今はチャーミーを作り出した実績を持って、握手付きの兵器即売会を生業としているらしい。

一方、梨華の力は未だ健在で、精力的に働いている。

前線で活躍していた頃の十八番「ザ☆ピ〜ス!」をひっさげて、僻地の暴動を抑えている。
過去、梨華はそのピースフルな歌で兵士の精神を破壊し尽くした。
はっきり言って、音響兵器としてはやりすぎだった。
今なお梨華の歌は語り継がれているようで、「ピース歌うよ」の一言だけで大抵の暴動は収まるらしく、歌を歌う必要のない梨華は不満が溜まっているらしい。

「あーあ、愛しいあの人。お昼ご飯、なに食べたんだろう。……って、すぅちゃん。お腹空いたねえ」
昼どころか夕飯の時間もとっくに過ぎ去った研究室。
桃子がザ☆ピ〜ス!の台詞をぼそりと呟いた。

「やめてー!チャーミーの歌声思い出すからっ!」
その呟きを聞いて、千奈美と茉麻が叫ぶ。
組織の中でも梨華の歌声は伝説となっているようだった。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:23

「くまいちょー、今日もよろしくー」
いつも通り、散歩にでも行くようなお手軽な指示がイヤホンから聞こえてくる。
敵のど真ん中、友理奈は今日も最前線で戦っていた。
足下には兵士が群がっている。
友理奈は兵士を踏みつぶさないように棒立ち状態で、その立ち姿は電柱も真っ青だ。

「今日は気分が良いから、安心感歌っちゃおうかな」
友理奈は咳をゴホンと一つしてから歌い出す。

『ねえ』

滑り出しは上々。

『いつだって、安心したいのよ』

青空に響く友理奈の歌声。
耳を押さえ、逃げ出していく兵士。
梨華よりも控えめな効果に友理奈は満足する。
何事もやりすぎはよくない。
梨華の歌は行き過ぎだと友理奈は思う。


「おー、さすがくまいちょー。今日の仕事もすぐに片付きそうだねえ」
歌の合間、のほほんとした声で桃子が言った。
そしてその言葉通り、予定の半分の時間で仕事が片付く。
友理奈達が去った後には、大きな足跡と半壊や全壊した建物が残されていた。
今日も熊井友理奈は絶好調だった。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:24

戦乱の地で少女が一人、花を植えていた。
兵士は逃げだし、地面はビルの残骸だらけ。
辛うじて残っていた小さな花壇は踏み荒らされていた。
しかし、それでも少女は花を植える。
そして歌う。
今、植えたばかりの花に力を与えるように少女が歌う。
澄んだ声が廃墟と化した世界に響く。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:25

省エネモードの友理奈はパステルピンクのヘリコプターに乗っていた。
昨日、鎮圧した場所にまた兵士が集まっているという情報があり、今日も前日と同じ場所に向かっている。

「このへんでいいかなあ」
真面目に考えているとは思えないアバウトな感じで、桃子が着陸場所を指定する。
仕事がいくつか重なっている時に、「ボールペンの倒れた方向からね」と言って向かう場所を決めていたから、真面目に考えているわけではないのだろう。

「熊井ちゃん、がんばって!」
ぶるんぶるんと着陸した廃墟近く。
省エネモードのままてくてく歩く友理奈に千奈美が声をかける。

「はーい。がんばってくるねー!」
「気をつけてね!終わったら、一緒にお茶しよー」
千奈美が力一杯手を振って友理奈を見送る。

「くまいちょーに勝てる人なんていないって」
「でも、心配じゃんっ!」
無責任な桃子と友理奈のことになると途端に心配性になる千奈美の声が廃墟に響く。
二人の声を聞きながら、友理奈はヘリコプターから少し離れた場所に立った。
ヘリコプターが飛び立ったら巨大化して、さっさと今日の仕事を終わらせるつもりだ。

バタバタと耳をつんざくような轟音がして、ヘリコプターが飛び立つ。
友理奈はヘリコプターを見上げる。
廃墟の隙間から見えるのは、雲一つ無い青空とやけに目立つピンクのヘリコプター。
なんだか戦場とは思えなかった。

たまには仕事を休んでピクニックにでも行きたいなあ。

戦場という場所とはかけ離れたことを考えながら、友理奈はうーんと伸びをする。
ヘリコプターがまだ近い位置にいるから、巨大化は出来そうにない。
友理奈は距離を測る為に
ヘリコプターを目で追いながら、ふらふらと歩いた。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:25
「熊井ちゃん。そこ、どいて欲しい」
廃墟の裏手に回ったところで、誰かから声をかけられた。
振り返ると見知らぬ少女が立っている。
その少女は見たところ友理奈と同じぐらいの年頃で、友理奈に比べると小柄だった。

「どうして?」
わけがわからず、友理奈は問いかけた。

「そこ、花壇だから」
「え?」
「花植えてあるの。ほら、足の下見て」
友理奈はよいしょと足を上げる。
するとそこにはぺたんこに潰れた花があった。

「あっ、ごめん」
少女に謝る。
しかし、少女は友理奈に目もくれず、潰れた花に駆け寄った。
そして、友理奈の足の下にあった花を大事そうに植え直す。
もうぺちゃんこで命の欠片も残っていなさそうな花にも関わらず、少女は諦めるつもりはないようだった。

「植え直すから手伝って」
「うん」
友理奈は少女と同じようにしゃがんで、踏んでしまった花たちを植え直していく。

「熊井ちゃん。昨日、歌ってたでしょ?」
俯いたままぽつりと少女が呟いた。

「聞いてたんだ」
「あたし、歌ってあんなことに使うものじゃないと思う」
「でも、あれがあたしの仕事だし」
「仕事とか、そんなの関係ないよ。……あんなの、歌じゃない。歌ってもっといいものだよ」
少女は俯いたままだったが、表情を見なくても彼女がどれだけ真剣に言葉を発しているのかわかった。
だが、友理奈には少女の言葉の意味が理解出来ない。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:26
友理奈にとっての歌は仕事だ。
そして、歌うと楽しくて仕事をエンジョイ出来る。
少女に否定されても、あれが友理奈にとっての歌なのだ。
問題などどこにも見あたらない。

「くまいちょー、なにやってるの?早く仕事はじめてー」
花を植え直すことに一生懸命になり、仕事を忘れていた友理奈の耳に桃子の声が響く。
友理奈はすっくと起ち上がって、少女に告げた。

「あたし、仕事があるからこれで」
バイバイと手を振って、この場から立ち去ろうとした。
しかし、少女が友理奈の服の裾を掴んで引き止める。

「待って。人が逃げ出すんじゃなくて、聴きに来るの。そういうのが歌だと思う」
「ごめん。よくわかんない」
本当にわからなかった。
逃げ出すことを期待して歌うのが歌。
友理奈はそう教えられている。
それなのに、この少女はまったく反対のことを言う。

「ねえ、熊井ちゃん。なにやってんの?早く仕事始めないと」
「今すぐ始めるから、ちょっと待って」
千奈美に催促される。
わからないことを考えていても埒が明かない。
友理奈は少女の細い肩を掴んで引き離した。

「ほんと、仕事行かないとヤバイんだ」
「でも、熊井ちゃん。ほんとの歌、知りたくないの?」
「ほんとの歌?歌に嘘もほんともないよ。音に合わせて歌ったら、それが歌じゃん」
「そうじゃないよ。上手く言えないけど、でも、そんなの違うと思う」
「違うって言われても、困るんだけど。あたし、あれが仕事だし。それに、さっきから言ってるけど、今から仕事なんだ」
少女が発した言葉の意味は半分もわからない。
だが、少女の必死の表情に酷く悪いことをしたような気がした。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:26
「……そっか。そうだよね。あれが仕事なんだよね。ごめん。ほんと、ごめん。なんか、勝手に歌のこと言ったりして、迷惑だったよね」
「ううん。気にしないで。じゃ、あたし行くから」
まだ何か言いたげにしている少女に微笑む。
早く仕事に行かなければと、花壇から出た。
視線を感じて振り返ると、少女が友理奈をじっと見つめていた。

「ねえ、熊井ちゃん。この木、何か知ってる?」
何故か立ち去ることが出来ず、立ち止まったままの友理奈に少女が声をかけた。
そして、友理奈の近くにある枯れ木を指さす。

「わかんない。なに?」
「桜」
「あー、ピンクの小さい花がいっぱい咲く木だよね。桜って」
「そう。春になったらね、花が咲いて木がピンク色になって綺麗なの」
今の季節は秋。
花は咲いていない。

「知ってる?桜って歌があるんだよ。聴いてみたくない?」
友理奈が返事をする前に、少女がすうっと息を吸い込んだ。
そして次の瞬間、透明感のある歌声が辺りに響く。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:27
「さくら
  さくら」

聞いたことのない歌。
早く仕事に向かわなければと思う。

「やよいの
  そらは」

けれど、この場を離れることが出来ない。
耳に音が残る。
頭の中に声が響き、咲いてもいない桜が見えた。

歌には力がある。
それは人を追い払う力だと思っていたし、そう教えられていた。
しかし、少女が持っている力は友理奈とは違う力のようだった。

「おーい、くまいちょー!早くしようよ。あんまりもたもたしてると怒られちゃう。ちょっと、くまいちょー。返事してよ」

ぷちっ。

友理奈はイヤホンのスイッチを切って、歌の合間に入り込んだ声を消す。
イヤホンを耳から引き抜き、歌を聴く。
少女の声が身体の中に入り込んでくる。
友理奈は知らず知らずのうちに、彼女に近づいていた。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:28
「いざや
  いざや
    
みにゆかん」


歌が終わる。
もう一度聴きたい。
気がつけば、友理奈は少女のすぐ隣に立っていた。

「熊井ちゃん、どうしたの?泣いてるの?」
「えっ?」
歌い終わった少女が息を整え、友理奈に問いかけた。
友理奈は頬に手をやる。

ぬるり。

手に何かがつく。
指先を見ると黒い液体で汚れていた。

涙というものは見たことがある。
だが、自分が流したことはない。
では、今、頬を流れるこの液体は何か。
答えは簡単。
オイルだ。

涙を流すような感情はプログラムされていなかった。
兵器に涙は必要ない。
でも、確かに今、オイルという名の涙を流していた。
涙の理由はわからないが、とにかく胸の辺りがぽかぽかと温かくなって、目からオイルが流れ落ちた。
熱暴走という単語が頭に浮かんだが、何か違う気がする。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:28
「大丈夫?」
「うん。平気だから。……歌、上手いね」
ゴシゴシと手でオイルを拭いながら少女を見る。

「ありがとう。でも、あたしなんかまだまだだよ。もっとね、上手くなりたいんだ」
「もっと上手く?」
「うん。もっと心から歌えるように」
少女が恥ずかしげに、でも嬉しそうに微笑んだ。
友理奈の胸に言葉が残る。

心から。

友理奈にあるのかどうかわからないもの。
心というものが友理奈と少女の違いなのかもしれない。
だから、友理奈はその言葉を忘れないようにしようと思った。

「ねえ、名前教えてよ」
もう一度歌を聴く為にはどうしたらいいのかと尋ねるかわりに名前を聞く。
何度も歌を聴く時間はないし、改めて歌を聴きに行くような暇もない。

「愛理」
「あいり?」
「うん。あいのことわりって書いて愛理」
ことわりってなんだろう?
初めて聞く言葉に戸惑いながらも、友理奈は「へえ、良い名前だね」と笑った。
手を振って、今度こそ少女と別れる。
だが、友理奈は仕事が出来なかった。

戦場へ送り出されてから初めて、友理奈は仕事をすることなく組織の拠点へと戻った。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:29

「ちょっと、くまいちょー!どうしちゃったのっ」
研究室に戻って最初にしたことは、桃子の前に座ることだった。
友理奈の前では、小さな博士が両手を腰にあて大げさに怒っている。

「どうもしないけど」
「どうもしないのに、仕事サボるとかありえないし」
「サボってないよ!仕事しようとしたけど出来なかっただけだよ!」
「同じじゃん。仕事しなかったんだから」
「サボりと出来なかったは違うのっ」
友理奈は椅子から起ち上がって熱弁をふるう。

「やんなかったら同じでしょっ」
小さな桃子も負けてはいなかった。
背伸びをして友理奈に言い返す。
そこへやってきた千奈美が友理奈の前に立った。

「もも!熊井ちゃん、責めすぎ!熊井ちゃん、オイル漏れ起こしてたんだよ。なんかあったんだって。ほら、敵に襲われたとか、そういうことが」
「さっき、くまいちょーが襲われてないって言ってたじゃん」
「そうかもしれないけど、絶対なんかあったんだって。そうだよね、熊井ちゃん」
問いかけというよりは、確認といった口調で千奈美が言った。

「……あったって言えば、あったけど」
花壇で起こったことを言うべきかどうか迷って、小さな声になる。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:29
「歌、聞いたの」
「歌?」
「うん、桜の歌。そしたら涙が出た」
千奈美に話しかけながら、友理奈は少女の歌を思い出す。
熱暴走を起こしたときは違う温かさが胸に広がる。
柔らかで優しい熱だ。
あの歌をもう一度聞きたいと思う。

「くまいちょー。それ涙じゃなくて、オイル漏れだから」
「あれは絶対涙だよ!なんかオイル漏れと違った!」
「そんなことないって。ももの設計だと、くまいちょーは泣いたり出来ないもん。構造上、目からオイルが抜けるようになってるから、オイル漏れだよ。絶対に」
桃子の言うように友理奈からは、痛覚や悲しみ、哀れみといった兵器に不必要なものは排除されていた。
仕事の他に、博士と助手の二人と人間らしい会話を成立させる為に、嬉しいや楽しいといったものをメインにプログラムされている。

「絶対!絶対にあれはオイル漏れなんかじゃない!整備完璧だって、ももちとちぃが言ったんだよ。オイル漏れなんか起こすはずないじゃんっ」
「そ、それはそうだけどさあ」
友理奈の剣幕に押され、桃子が困り顔で後退る。

「はい、そこまで。熊井ちゃん、充電タイム!」
喧嘩の仲裁は任せなさい。
そんな勢いで茉麻がやってきて、話はそこでお開きとなった。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:30

基地の一角に友理奈の部屋がある。
充電も終わり部屋へ戻った友理奈は、今日会った愛理について考えてみる。

愛理の歌は自分の歌と違った。

どう違うのかははっきりとわからないが、とにかく違った。
彼女の歌を聴いて泣くことのない友理奈が泣いたのだ。
オイル漏れというならオイル漏れでもいいが、整備が完璧だった友理奈がオイル漏れを起こした。
なんだかそれはすごいことのような気がする。

同じような歌を歌ってみたくて、今日聞いたばかりの歌を口ずさんでみる。

『さくら さくら』

何かが違う。
かなり違う。

『さくら さくら』

どこが違うのかはわからないが、少女と同じようには歌えない。
なにが悪いのかと頭を捻って考えてみるが、悪いところが思い浮かばない。
声質が違うのは仕方がない。
だが、それにしたって違いすぎだ、と友理奈は思う。

『さくら――』
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:30
トントン。

ドアがノックされる音に歌を邪魔される。
渋々起ち上がってドアを開けると、隣の部屋に住んでいる千奈美が立っていた。

「熊井ちゃん、歌うたってるの?」
「あー、うん。今日、聴いた歌を歌ってみたくて」
「さっきから気になってたんだけど、その歌ってさ、誰が歌ってたの?」
千奈美を部屋へ招き入れ、友理奈は今日あったことの一部始終を話して聞かせた。
花のこと
愛理のこと。
そして、歌のこと。

「あたし、熊井ちゃんの歌聴きたい」
「え?でも、危ないよ」
「大丈夫だよ!あたし、健康なのが取り柄だし」
「危ないって」
「へーき、へーき!音響兵器だけに、へーき。なんちゃって」
「ちぃ、寒い。それ」
「まあまあ。ほら、熊井ちゃん忘れてるかもしれないけどさ、あたし、ももと一緒に熊井ちゃんを作ったんだよ。そのあたしが大丈夫って言ってるんだから、歌ってよ」
自信たっぷりに千奈美が胸を叩いた。
叩きすぎたのか咳き込んでいるところが信用出来ないと思ったが、友理奈は人前で愛理と同じ歌を歌ってみたい欲求に勝てない。
もしかしたら、自分が感じた何かを千奈美に伝えられるかもしれない。

そんな思いが友理奈の胸によぎる。
いつも歌う歌と違う歌。
人が逃げ出さない歌。
出来るかわからないが、歌ってみたかった。
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:31
「……じゃあ、いくよ」
一抹の不安は残るが、友理奈はあの時の愛理がしたように息を吸い込む。

『さくら さくら』

千奈美に向けて歌うが、思ったようには歌えない。
だが、千奈美が聴きに来たくなるような歌になるように歌う。
愛理の歌と言葉を思い出す。

心から。

心があるのかどうかわからないが、心というものを想像しながら歌う。

『やよいの そらは』

ゴトン。

千奈美が倒れた。
友理奈は思った。

やっぱり平気じゃないじゃん。
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:31

それから毎晩、友理奈の部屋に千奈美がやってきて、歌を聴きたがった。
友理奈がどれだけ止めても歌を聴きたがる千奈美の為に、友理奈は出来るだけ慎重に歌を歌った。
けれど、千奈美は毎晩倒れた。
そして、毎晩救護室に運ばれる千奈美を不審に思った桃子が、友理奈の部屋に尋ねてくるようになった。
頼まれて歌を聴かせると、やはり桃子も倒れた。
そして翌日、同じようにやってきた茉麻も倒れた。
それにも懲りずに三人が友理奈の部屋にやってきては倒れた。

歌うと倒れる千奈美。
歌うと倒れる桃子。
歌うと倒れる茉麻。

自信喪失。
友理奈は歌うことが出来なくなり、声を出すことすら怖くなった。
怖いという感情はないはずなのに、怖いと感じた。
友理奈はなにも出来なくなった。
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:32

歌うことも声を出すことも出来ない友理奈は兵器として存在価値がない。
だが、さすがに即お払い箱ということにはならなかった。
桃子と千奈美が上層部にかけあったらしく、修理という名目で友理奈は研究室へ閉じ込められた。

友理奈を修理している間、チャーミーが前線へ呼び戻され、組織の力は何とか保たれているようだった。
何度か研究室に尋ねてきたチャーミーは異常に生き生きしていた。
そして、止められているにも関わらず、戦場で嬉しそうにピースを歌っているという噂を聞いた。

「くまいちょー、声出してみて」
研究室の中、友理奈の喉から胸にかけてのパネルがぱかりと開いていた。
身体の中から見えるいくつもの細いコードを、切ったり繋いだりしながら桃子が指示を出す。

『あー、あー!』

今までどうやっても出なかった声が出た。
友理奈は嬉しくなって起ち上がる。
そして桃子を抱きしめた。

「声、出るようになったみたい!ももち、ありがとう」
「ちょっ、くまいちょー。蓋開いてるから、蓋っ!」
嬉しさのあまり、喉から胸にかけてのパネルが開かれていることを忘れていた。
友理奈は慌てて、桃子から離れて椅子に座る。

「待って!あたしも手伝った、あたしも!」
「ちぃもありがとう」
不満そうな千奈美に微笑みかける。
24 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:32
「歌はまだ待ってね。声帯、作り替えるの結構時間かかるから」
「ごめんね、あたしのせいで」
「いいって、いいって」
桃子が照れたように、手を顔の前でぱたぱたと振った。

友理奈は倒れる三人を見ても、歌いたいと思った。
目標があるのだ。

愛理と同じ歌を歌いたい。

仕事はする。
けれど、愛理と同じようにも歌いたい。
だから、逃がす歌と集める歌の両方歌えるようにしてくれと二人に頼んだ。
身体の構造が変われば同じように歌えると思っているわけではないが、人を追い払うことを目的に作られた身体のままでは愛理に近づくことは出来ないだろう。

「徳さん、もうすぐくまいちょーの歌聞けるようになるからね」
桃子がにやりと千奈美に笑いかける。

「なんで、あたしに言うの」
「くまいちょーの歌、一番聞きたいの徳さんでしょ」
「べつに、そんなことないしっ」
ウフフと笑う桃子に、顔を赤くする千奈美。
どうしてそのようなことになっているのかわからない友理奈は、ただ二人を見ているしか出来ない。
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:33
「あるくせに。まあ、ももはさ、ももの為に歌ってくれる音響兵器作ってるから」
「あー、助手に秘密でなに作ってるの。それ、初めて聞いたよ」
「くまいちょーから愛理の話聞いて、歌で人を排除するより、人を集めたほうが楽しそうだと思ってさあ」
桃子が引き出しの中から大きな紙を出してきて、それを広げて見せた。

「じゃーん!今、愛理を作ってるんだ。これ出来たら、くまいちょーと一緒に歌ってもらうの」
友理奈と千奈美の前に広げられたのは愛理の設計図だった。
何が書いてあるのか詳しくはわからないが、ピンク色のマーカーで大きく「愛理の設計図」と書いてあるから、設計図だということは間違いない。

「ちょっと、もも!人、集めるって。そんなことしたら、怒られるんじゃないの?」
「だろうねえ」
そう言いながらも、桃子は大して気にしていない様子だった。

「……もしかして、あたしクビになんの?」
新しい兵器愛理。
そして組織が怒るようなこと。
友理奈には自分の仕事がなくなるとしか考えられない。

「んー、そうじゃないんだな。これが」
ちっ、ちっ、ちっ、と桃子が舌を鳴らしながら、口元で人差し指を揺らす。
ハードボイルドに顔を顰めているが、まったく似合っていなかった。
26 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:33
「新しい組織、作っちゃわない?」
ケーキ作らない?
ぐらいの軽い口調で桃子が言った。

「え?新しい組織!?」
友理奈の隣で千奈美が素っ頓狂な声を上げる。

「レジスタンスだよ、レジスタンス!わかるかな?二人とも」
重大発表とでも言いたげに、芝居がかった口調で桃子が告げる。
だが、友理奈はレジスタンスの意味がわからなかった。

「なにそれ?もも、レジスタンスってなに?」
千奈美もわからなかったらしく、不思議そうな顔で桃子に問いかけた。

「抵抗運動しちゃおっ!」
「ていこーうんどー?」
やはり意味がわからないまま、友理奈は桃子の言葉を繰り返す。

「そうそう。世界を支配するんじゃなくて、救うの。ほら、そのほうがカッコイイじゃん!」
支配ではなく救う。
救うというのは困っている人を助けることだ。
それは、確かに何だかカッコイイ感じがした。

「やるやる!それ面白そう」
友理奈が起ち上がってそう宣言すると、開いたパネルから赤いコードがだらりと垂れた。
そんなことは気にせずに、千奈美も後に続いた。

「熊井ちゃんやるなら、あたしもやるー!」
そして、どたばたと走ってきた茉麻が言った。

「それ、もちろんあたしも仲間に入ってるんだよね?」
「当然じゃん!」
27 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:33

世界は喧噪と戦争で溢れている。
レジスタンス901。
小さなアパートのような名前の兵器が、レジスタンスとして活躍する世界はまだ遠い。
けれど、平和はすぐそこまで来ているように思えた。
28 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:34
川*^∇^)
29 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:34
ル*’ー’リ
30 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/16(木) 02:34
从*´∇`)

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