14 記憶じかけの橙色
- 1 名前:14 記憶じかけの橙色 投稿日:2007/09/01(土) 23:14
- 14 記憶じかけの橙色
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:15
- 四十分の通学路の間、約三十分を崖のようなこの道を漕ぐことになる。ガードレールを突
き抜けてしまえば、三十メートルくらい転落した挙句、海へとダイブ。幼い頃は近寄らな
いように言われていた場所を、風と共に走り抜ける。大人になったような気分、もうそん
な心配をしてくれないんだという切ない気持ちを織り交ぜながら、足に力を込める。
顔を上げたのは、車道を挟んだ向こう側から自転車が走ってくる気配がしたからだった。
ちょうど斜めに鏡を入れたように、私とその人は、すれ違う瞬間にお互いの顔をうかがい
見るような仕草をする。それは特別なことではなくて、狭いこの町では制服姿だったら知
り合いの可能性が高かったりするからで。
そう、まさにその予感が当たった。背中からの太陽を受け、怪訝な顔をしているその女の
子は、絶対に私の知っている人だった。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:17
- その子は太陽を背に回し、私は太陽に向き合い、それぞれそのまま漕ぎ進んだ。
見つめ合ったそのひとときは本当に一瞬で。
私は声をかけることもなく、勢いをつける自転車を急停車させることもなく、もう沈みかかろうとしているその太陽に突き進んだ。
心地よい風が、秋の匂いを漂わせながら肌に当たる。
私は追い風に身を任せながら、もう振り返っても見えないと思う、さっきの女の子について考えてみた。
絶対に知っている人だった。
でも、誰だったのかは分からない。
思い出せない、とかじゃなくて、分からない、そんな気がする。
でも絶対に知っている人だった――。
その事には何故だか、妙な自信があった。
◇ ◇ ◇
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:19
- オレンジ色の夕陽が、全ての始まり。
それは終わりの始まりで、私は暗い路地をとぼとぼと、開いたばかりの瞼をこすりながら足を進めた。
色褪せたレンガで造られている足元に目を落としながら、その新しい一歩を前に踏み出す。
夢の人生の始まり。
私は地面と同じようにレンガで造られた階段を上りながら、木でできたフェンスに手を置いて、そのまま前のめり気味に体重をかけた。
年期が入っているそれはミシミシっと音を立てながら私の体を支える。
そして顔を上げた先には、月が照らすオレンジ色の光にも負けないような、まだ明るい夜の町があった。
屋根もなく、レンガや石だけで造られた建物が、コンクリートとは程遠い少しだけ舗装された土混じりの地面の上に建っている。
ガラスもなく、大っぴらにされている、穴ともいえるその窓を通して、どの家からともなく笑い声が聞こえてくる。
今日獲れたであろう獲物の料理を囲って、楽しい夕食のひとときを過ごす人々の姿が今にも目に浮かんでくるようだ。
いびつな形でできている建物から突き出ている煙突からは白い煙が出ていて、それに乗せられて料理のいい匂いが漂ってくる。
これがこの町の、一番幸せで平和な瞬間。
蛍光灯とは似つかない、灯油ランプや蝋燭が作り出している町の明かりを見ながら、そう思った。
その平和を、ちょっと高台のここから、私が見下ろしている。
吹き付ける夜風が顔に当たって、同時に笑みがこぼれた。
「ここが、私の…」
小さな声でそう呟いて、唇をぎゅっと結んで、頷いた。
おとぎ話に出てきそうな、その小さな町を包み込むようにオレンジ色のお月様が輝いて空に浮かんでいた。
この始まった新しい人生に、私の心は浮き立って、わくわくした。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:21
-
◇ ◇ ◇
その日もいつもと同じ朝を迎えた。
朝が弱い私は、目覚ましが何度か鳴って、それでもまだ目を開けれないから、結局親が起こしに来るギリギリの時間まで二度寝しちゃう。
母の、「ほら麻琴、早く起きなさい!」という声に背中を向けながら、布団に丸まって、うずくまる。
どうしてこう毎日眠いのかな、なんて思いながら、いつもしぶしぶと体を起こす。
で、時計を見て一気に目が覚める。
朝は戦場で、私はこの戦に勝たなければならない。
そして最後にいつも、この戦場の山場とも言える大仕事が待っている。
それが、家を出る前の鏡チェックだ。
いつもと変わらない高校の制服に身を包みながら、顔のチェックをする。
髪型を整えたり、眉毛を整えて、かいたり。
そして私は毎日思う、そう、いつも通りに。
なんて、醜い顔なんだろう、と。
私はすぐに顔を背けて、もう見慣れてしまったいつもと同じ制かばんを手にとって、玄関へ向かった。
もう何年も使い古した、少し錆びついてきている自転車にまたがり、その日の一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:23
- 平和な町を見下ろすのに飽きたら、今度は人気のないその高台を見回すことにした。
ぐるっと首を回して周りを見ると、ほとんどが森に囲まれていることが分かる。
そして私はある一点で目を止めた。
近づいてみると、そこには崩れかけのようにがたがたの、整備されていない石でできた階段があった。
そしてその先には、頭の方が少し尖がっている、少し細長い建物がある。
そして入り口のような、人が通れるくらいの穴が正面に構えている。
私は少しそれを眺めてから、そのドアをくぐった。
中はもっと真っ暗かと思ったら、お月様のおかげか、うっすらと青白く明るい。
建物の中は見渡す限り何もおいていない感じだったけど、よく目を凝らしてみると、一番奥に何か大きなものがあった。
駆け足で近づいてみると、それは硬い何かで作られた銅像だった。
銅像といっても、そこまで細かく具体的に人の顔をしているというわけじゃなくて。
しかし、聖母マリアを思い出させるような、そんな柔らかい雰囲気が漂ってくる。
この町の守り神かなんかかな、と思って眺めていると、銅像の下に文字が彫られているのを見つけた。
何語なのか分かんないけど、なぜだか私には言葉が分かった。
そしてそこにはこう書いてあった。
「たかはし・あい」と。
◇ ◇ ◇
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:27
- いつもと変わらない学校に着いて、いつもと変わらない教室に入り、授業が始まる。
そしてこの変哲もない長い一日を、鏡に映った自分の顔を思い出すことによってむかえるのが私の日常。
毎日鏡に映るその顔は、私の一番大嫌いなもの。
私の小さい頃の夢は、本当にありえないけど、アイドルになることだった。
アイドルの定義がどういうものか、まだ全然知らなかった頃。
大勢の人から注目を浴びて、尊敬されるような、慕われるようなそんな存在。
他の子より目立つこととかが大好きだった私は、テレビに映る輝いている芸能人たちがとても素敵に見えた。
結局、常に誰かに注目されていたかったんだと思う。
こんな私を見ていてほしかったんだと思う。
そうやって、でしゃばって、他人が自分をどう見ているのかなんて深く考えずに友達とも遊んでいたから、きっと天罰が下ったんだろう。
「まこっちゃんって、きもいよねー」
小学生のとき、仲の良かった友達グループにいつも通り話しかけにいった時の、彼女たちの返答だった。
今思えば、私が鈍感すぎただけなのかもしれないけど、それは本当に突然の出来事で。
正直、驚いた。
確かに、どこか調子に乗っていたと思う。
誰もが自分を好いてくれていると、有頂天になっていた時期だったとも思う。
でも、どんな理由があったとしても、その時の私の心には大きな衝撃が走り、感情を真っ二つに裂かれたような感覚が心に刻まれた。
そして今となっては、そういう彼女たちの言葉だけが焼きついたように私の頭に染み込み、それが毎日擦り切れたテープのようにリピートされる。
「顔だって、ぶすだしさー」
いつの間にか頭に植え付けられていた最も煩く響くその言葉も、どんな時にどういう状況で誰が口走っていたのか、もはや覚えていない。
それでもこの言葉はその後の私の人生を大きく変えてくれたし、きっと神様が私に教えてくれた、素晴らしい「人生の気付き」だったんだと思う。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:28
-
今にも眠ってしまいそうなほどの退屈な授業を受けながら、いつもと同じようにそんなことを考えていた。
そんなことがあってから年月が重なっていくうちに、私の夢もいつの間にか違ったものになっていた。
別にアイドルにならなくたって、みんなが見捨てないような、注目してくれる凄い人物にはなれるはず。
私は、教壇に立っている教師から、一番前の右角に座っている生徒、そしてその後ろ、と順々に、見える範囲で教室を見渡し、最後に目の前に座っている生徒の背中を見た。
今は私のことを注目もせず、慕ってもくれない輩。
友達みたいな同等な立場や、建前だけの関係なんて要らない。
心の奥底で私の一挙一動をきっと嘲笑っている人間なんて要らない。
この世界には、この場所には、私の夢はない。
私の夢は、誰もが自分を慕って尊敬し、崇めてくれるような人しかいない世界。
その世界に私が『要る』こと。
そうまるで、私がそこの統治者のような――。
◇ ◇ ◇
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:31
- 活気あるその夜の街は、やがて静まり返り、夜をむかえ、朝をむかえる。
そして朝になると、石やレンガで壁を覆っているその家々から、眩しい笑顔をそえて人々が外へ出てくる。
そう、村人である彼らは今、町より少し外れた高台にある神聖な「祈りの場」へいそいそと足を運んでいる。
私の日常は、このようにして始まる。
この町で教会と呼ばれるその中の一番奥にある、夕陽がシンボルに描かれている壁絵の前に私は満面の笑みを浮かべて立っていた。
横にはあの銅像もある。
毎朝必ず行われる儀式。
村人たちは私の前に並んでひれ伏せ、皆心からの感謝をこめた祈りを、その合わせた手に言葉をのせて捧げている。
代表である長が、毎日新鮮なお供え物を取り揃えて、私の前へと丁寧に並べていく。
「アイ様…。いつもありがとうございます。この村が平和に日々過ごしていけるのもアイ様のおかげです」
長が私の前にひざまずき、手を重ねて頭をたれる。
「皆の者、いまいちど、アイ様に感謝の意を込めて、祈りを捧げるのじゃ――」
私は背中しか見えていない人々の姿を見下ろし、大きく頷いた。
◇ ◇ ◇
つまんない学校が終わって、いつの間にか家にいて夜をむかえて、いつもと同じ一日が終わろうとしていた。
私はいつもと同じパジャマを着て、いつもと同じ布団に身を包んで、次に昇ってくる太陽を待つことにした。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:33
- ―――
「…さん…がわさん…」
ん?
「…お、がわさん…おがわ、さん…小川さん!!」
目を開けてみると、そこには見たこともない、髪を肩まで伸ばしたおばさんが私を見ていた。
なにか凄く心配そうな顔をしていたかと思うと、私の顔を見てその緊張が緩んだかのように、つり上がり気味の目が細まる。
ほっという溜め息とともに手で胸元を押さえ、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
「えぇっと…おはよう、小川さん。気分はいかが?」
その人は白い服を身にまとっていた。
よく見ると、おばさん以外のものも白で染まっていた。
部屋も白で、布団も白。
「…小川さん?」
あ、はい。
…あれ?
私は咄嗟に返事をしたんだけれど、なぜか声にならない。
それにさっきから、おばさんの顔を見ようとしても、なんだかよく見えない。
よく分からない。おばさんだってことは、分かってるのに。
何かがおかしい、変だ。
そういえば、よく見ると白い部屋がオレンジ色に染まってきている。
なんか、とっても、変――。
そう思ったとき、おばさんとは反対側にある窓が視界に入った。
オレンジ色の光だった。
―――
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:38
- 聞きなれた音が頭に響いて、私は目を覚ました。
毎朝必ず鳴る、意味を成しているのか分からない目覚まし時計。
それでも今日は、このうるさい時計が初めて本来の仕事を成し遂げたような、そんな日だった。
よく覚えてないけど、あまり楽しくない夢を見ていた気がする。
まぁ、そのおかげで目覚ましの時間通りに起きれたわけだし、いっか。
そして私はいつもとちょっと違う目覚めをむかえたけど、でも後はいつもと全く変わらない朝をむかえ、一日を終えた。
◇ ◇ ◇
私は毎朝行われる儀式と、村人たちからの溢れんばかりの祈りを受け取り、その崇拝によしよしと頷きながら、変わらない毎日を過ごした。
平和で、争いはなくて、私を侮辱したりする者もいなくて、私を見下す者もいなくて。
うん、凄く平和。平和そのもの。
私の求めてたもの。
町の平和とかよりも、私自身の平和。
私が誰からも必要とされて、慕われる存在として成り立っている平和。
永遠に繰り返されるんじゃないかっていうほどの、何の変哲もない、いつもの日々と、私の平和。
繰り返される毎日を見ていて、私はこの町を支配したと思った。
◇ ◇ ◇
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:41
- そして私はいつもとちょっと違う目覚めをむかえたけど、でも後はいつもと全く変わらない朝をむかえ、一日を終えた。
終えるはずだった。
学校の帰り道。
四十分の通学路の間、約三十分を崖のようなこの道を漕ぐことになる。
顔を上げたのは、車道を挟んだ向こう側から自転車が走ってくる気配がしたからだった。
ふと、デジャブを感じた。
私はこの光景を、前にも見たことがある。
あの時、「知ってるけど、分からない人」がその自転車には乗っていた。
あれは果たして夢で見たのか現実だったのか、そしてあれが誰だったのか、未だに分からない。
とにかく今、現実に目の前で自転車に乗っているのは、紛れもなく私の知っている人。
小学校以来会っていない、高橋愛ちゃんだった。
愛ちゃんは自転車を止め、こちらへ向かってきた。
勿論私も自転車から降りて、それに応じる。
笑顔を作ってるつもりだけど、果たしてうまくいっているのか分からないほど、引きつってる気がする。
でもなんで、引きつってるんだろう。
「支配、完了したよ、マコト」
「え?」
私は自転車を引きながらオレンジ色に輝く、沈みかけている太陽に近づいていく。
愛ちゃんは堂々と、昔と変わらずピンと背中を伸ばし、私の前に立っていた。
私はそんな愛ちゃんを知っていると思った。
前にもこんなことがあったような、愛ちゃんが、私の前に自転車をもって立っていて…。
あれ、なんだっけ…。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:42
- 眩しいからそのまま近づいていくと、愛ちゃんの体がすっぽりと太陽に包まれた。
私は眩しくてよくその顔を見ることができない。
あれ、そうだっけ?
太陽に体が包まれるって、なんかおかしい。
『普通、太陽の前に人が立ちふさがったら、光が遮られるから、眩しいはずないんじゃない?』
突然、私の頭の中に声がした。
あれ、今のは私が思ったこと、だよね。
『まだ気付けてないの?』
また声。違う、私の思ったこと。いや、声…?
誰かな、愛ちゃんかな、と思って目の前にある顔を見ようとしても、やっぱりなぜだか眩しくて、よく見えない。
「ねぇ愛ちゃん、これ、どうなってんの…」
声は出るようだから、今朝の夢とは違うみたい。
じゃぁこれは現実…?こんなに意識がはっきりしてるし、夢にしたって、妙にリアルな…。
『マコト、私は愛ちゃんじゃなくてアイ様だよ。ほら、よく顔を見て』
私はわけが分からず、でも必死で目を細めながら、眩しいのを我慢して愛ちゃんの顔を見た。
満足そうな笑みを浮かべているその顔は、絶対に私の知っている人だった。
でも愛ちゃんではない。
そう、それは、その顔は――。
「顔だって、ぶすだしさー」
そう、ぶすな、ぶさいくな、きもちわるいって言われた、きもちわるがられた、私、あれは、あの顔は、
あの顔は、確かに私――。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:43
- ―――
「統合失調症…?」
「そうです」
「と、言うと…?」
「現在はそう呼ばれていますが、分かりやすくいうと、一昔前までは精神分裂病と呼ばれていました」
「精神、分裂…。うちの、うちの娘がですか?!」
小川麻琴の症状について初めて親御さんに話した日から、半年が過ぎようとしていた。
専門担当医となった保田圭は患者のカルテに目を通した後、ブラックのコーヒーを片手に持ち、外を眺めた。
空は快晴で澄み渡っている。
院の敷地内から生えている、昔からそこにあったという大木は、今日も風に揺られ、葉の間から零れている木漏れ日が保田の顔に当たった。
いつもと変わらぬ平和な外の世界を眺めながら、小川麻琴の平和はいつくるのだろう、と考えていた。
半年前のその日。
小学校からの友人だった高橋愛が目の前で大型トラックに轢かれ、その日から小川麻琴の人生が変わった。
確かに、友人が目の前でトラックに押し潰される光景は、想像する以上に辛くて悲惨なものだったに違いない。
それが彼女の中にもう一人の人格を作るきっかけになったのは確かなはずだ。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:50
- しかし、と保田は考える。
なぜもう一人の人格者の名前がタカハシアイというものなのか。
統合失調症を引き起こすきっかけになった出来事の人物の名は、小川にとって最も思い出したくない辛いものになるのではないのだろうか。
保田はこの職に就いてからまだ日が浅い。
自分が経験不足なだけで、そういうケースも想定されうる範囲の話なのかもしれない。
しかし、そう思いつつも、保田は正直なにかすっきりしないものを感じていた。
その理由の一つとして、事件そのものへの疑念が大きく関わっているように思っていた。
いくらカーブになっていて運転手から高橋が見えなかったとはいえ、なぜ高橋は車が来る可能性がある車道に立っていたのだろうか。
小川のいた白線の内側にある路側帯に立つのが常識というものではないだろうか。
しかし目撃者も小川と運転手以外にいなく、そして運転手も、傾く夕陽が遮って視界がはっきりしていなかったと述べ、実際の状況が分からない。
唯一の目撃者である小川は事件直後、まだ精神が分裂する前に「高橋が車道で立っていた」という供述を残しているから、警察では事故として処理される方向のようだ。
小川は事件から数日後に発狂した。
発狂、そして発症。
人格交代に夕陽が関連していることまでは分かっている。
毎日、いつもと変わらぬ高校の日常を頭に思い描いて喋り続ける小川麻琴。
きっとこっちが本体で、本来の小川の人格だと保田は考えている。
そしてこの本体は異常なまでに自分という存在を憎んで嫌っている。
そして、少し宗教ちっくな世界で村人に囲まれ神になりきっていることを事細かく、活き活きと話してくれるタカハシアイ。
小川はいつも何かに脅え続け、夕陽が差し込むと同時にタカハシに変わり、そこでタカハシはタカハシの生活について話してくれる。
そして眠りに落ち、朝目覚めるとまた小川麻琴に戻っている。
保田は、タカハシの方が小川よりどことなく意識がはっきりしているように見受けられると感じていた。
そしてこの二人を統合させるにあたって、あの時の事故が大いに関連していて、鍵を握っていると予測している。
何か真実が隠されている、そんな仮説を立てていた。それを暴かない限り、何も進めないと思った。
―――
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:53
- 私は目の前にいる自分の醜い姿を見て叫ばずにはいられなかった。
ただ途方もなく、うわああーと大声で叫び続ける。
なぜもう一人自分がいるのかとか、そんな事を考える間もなく、ただ言い知れない恐怖が襲ってくる。
なのに目の前の醜い私はその笑みを絶やさない。
『だめだよ、そろそろ現実をちゃんと見なきゃ』
その子が喋ったのか、私が考えたのか、分からない。
ただ私の頭の中に、別の何かが声を発していることは分かる。
私がいくら叫んでも、その声は消えないし、どこまでも追ってくる。
『私はあの時、久しぶりに愛ちゃんと再会して、すっごくきれいになってる彼女に、嫉妬せずにはいられなかったんだよね』
なにそれ、違うよ…。
『愛ちゃんは関係ないのにね、小学校の頃、私に不細工って言ったグループにはいなかったし。
愛ちゃんはむしろ優しくしてくれたんだよね。でもその優しさが、憎らしかったんだよね。
愛ちゃんと一緒にいると自分がどんどん突き落とされているみたいな感覚になったんだよね。
いつも周りから比べられてるようで、私は愛ちゃんが大嫌いだったのに、愛ちゃんはいつも近づいてきて』
違う!違う違う!
私は耳が裂けるほど大きな声をあげたけど、その声はしつこく頭に響いてきた。
顎が外れそうなほど口が裂けて、これ以上でないというくらいの声をだしているのに。
いつの間にか目も見開きすぎて、落ちてしまいそう。
『だからあの日、まこっちゃんは変わらんねぇって言ってきた愛ちゃんが憎くて、思わず突き飛ばしちゃったんだよね。
でもまさかそこに、あんなにちょうどトラックがくるなんて、思わなかったんだよね。
だからマコトは自分は悪くないって思い続けて、そしてそのおかげで、アタシは生まれた』
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:57
- 私はもはや力なくそこに跪いていた。
そこが夕陽の差すあの場所だったのかさえ分からないほど、穏やかで澄んだ空気が流れているように感じた。
一生分の声を出し尽くして、そして私の一生も終わってしまったかのような、静寂。
『私の名前はタカハシアイ。マコトがずっと憎いくらい憧れていた人。
私はマコトがずっと思い描いていた夢のような世界で夢のような姿で生きてるの。
マコトの夢と共に、私は生きてる。私は生まれた、マコトの強い願望と共に。』
私はもはや、息を吸うのも忘れていた。
タカハシアイという私の中にいる私の言葉だけが、そこに在る。
そして、朦朧とする意識の中でふと思い出した。
知ってるけど分からなかったあの時自転車ですれ違った人は、きっとこの子だったんだ。
あれは、夢の世界で生きる私が生まれた瞬間だったんだ。
あの時追いかけていたら、何か変わってたのかな。
『でね、今日はそこの支配が完了したから、報告にきたんだよ。
マコト、いつも思ってたよね、誰もが自分を必要としてくれて、慕ってくれたらいいのにって。
みんなを支配したかったんだよね。私もその気持ち、凄く良くわかる。
だから今日は、マコトにその夢を叶えさせてあげるためにきたんだよ』
夢…。
『だって私はマコトが望んでいたもの、全部手に入れることができる。そういう存在なんだよ。
だから、マコトが夢を叶えたいなら、私と一緒にきてくれたらいい』
そう、私と私が、一緒に――。
支配のために――。
私は全てから救われるような、解放されるような暖かい風を肌に感じた。
とても心地よかった。
そして――。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:59
- ―――
お気に入りのブラックを半分飲み終えたところで、急な知らせが舞い込んできた。
小川麻琴がこんな夕方に目を覚ました、というのだ。
夕暮れはもうほとんど沈みかけで、その鮮やかなオレンジも、もうほとんど見えない。
しかしそんな時間でも、小川麻琴がタカハシアイに成り代わって出てきたことは一度もない。
はやる気持ちを抑えながら、保田はコーヒーを乱雑に机に置き、部屋を出た。
病室に駆け込むと、そこにははっきりと目を見開いて唇を結んでいる小川の姿があった。
何かから目覚めたような、強い意志を感じさせるようなオーラを放っていた。
保田はゆっくりと近づき、横の丸イスに腰を下ろす。
「あなたの、名前は…?」
すると、小川は一瞬躊躇したような顔になった、いや、今となったら気のせいだったと思える程度だったかもしれない。
そして、
「まことです。おがわ、まことです」
保田は思わず右斜め後ろを振り返った。
ちょうど、ほとんど沈みかけの夕陽は、まだその姿を部屋の一部にみせていた。
「小川、さん?」
「先生、今まで有り難うございます。先生の話、いつも聞いてました。タカハシとは話し合って、消えてもらいました。私、治ったんです」
保田は大きく息を呑んで、カルテに手を伸ばそうとした。が、自分がそれすら持ってきていないことに気付いた。
慌てて立ち上がり、「ちょっと、待っててね」と伝えながらドアへと向かう。
…これで、次の支配、完了…。
「え?」
「ん?」
「今、小川さん何か言った?」
「いえ、言ってませんよ?」
「そう。じゃぁちょっと待っててね」
保田はこの急展開に、心を躍らせ、廊下を急いだ。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:59
- END
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:59
- ・
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/01(土) 23:59
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