07 魔法じかけのオレンジ

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:47


07 魔法じかけのオレンジ



2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:48

四十分の通学路の間、約三十分を崖のようなこの道を漕ぐことになる。ガードレールを突
き抜けてしまえば、三十メートルくらい転落した挙句、海へとダイブ。幼い頃は近寄らな
いように言われていた場所を、風と共に走り抜ける。大人になったような気分、もうそん
な心配をしてくれないんだという切ない気持ちを織り交ぜながら、足に力を込める。

顔を上げたのは、車道を挟んだ向こう側から自転車が走ってくる気配がしたからだった。
ちょうど斜めに鏡を入れたように、私とその人は、すれ違う瞬間にお互いの顔をうかがい
見るような仕草をする。それは特別なことではなくて、狭いこの町では制服姿だったら知
り合いの可能性が高かったりするからで。

そう、まさにその予感が当たった。背中からの太陽を受け、怪訝な顔をしているその女の
子は、絶対に私の知っている人だった。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:48
でも、その子は止まることなく走り去ってゆく。もしかして無視された?私は振り返る。
白と紺のセーラー服が、だんだん遠くなってゆく。確かに目が合った気がするんだけどな。
首をひねりながら、私は再び自転車のペダルに足をかける。力を込めて、走り出す。

どう考えても無視される理由がわからなくて、私は少しイライラした。ついこの間の日曜日
もその前の日曜日も一緒に遊んだっていうのに。その子、絵里はひとつ年上の、公立高校
へ通っている女の子。ドライブ愛好会の仲間の中で、私がいちばん仲良くしている子。
それなのにさっき無視された。そりゃ、私たちは高校も違うし日曜日にしか会わないっていう
関係だ。毎日一緒にいる家族や、毎日学校で会う友達とは違う。でも、少なくとも私は絵里の
ことを大事な仲間だと思ってる。親友だって、そう思ってるっていうのに。

明後日の日曜日もドライブ愛好会の仲間で海で遊ぶことになっている。七月に入ってまさに
季節は夏。私はひと目惚れで買った、新しい水着を持って行くつもりだった。きっと絵里もこの
水着を気に入ってくれるはず。だけど、絵里から無視されたことがずっと頭の奥の方に引っか
かっている。なんだか気まずくてメールも電話も出来なかった。一日二日連絡を取らないなんて
こと今までもあったから、絵里の方がどう思ってるのか私には全然わからない。わからないから、
少し悩んだ。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:48


小春ちゃんは大きな浮き輪を抱えて待ち合わせ場所にやって来た。ニコニコとした笑顔は、
ちょうどいま私の頭の上にある太陽のようにキラキラ輝いている。

「道重さんおはようございます!」
「おはよう」
「まだ道重さんしか来てないんですね」
「うん。今日、なんかみんな遅いの」

私はいつも遅く来る方なのに今日はまだ私と、小春ちゃんしか来ていなかった。なんかおかしい。
そう思うのに大した時間はかからなかった。第一、毎回の集合は早朝だったけれど今日に限って
午後三時。海で遊べるのは日が暮れるまでのほんの数時間だ。

「ねぇ、みんな来ないなんておかしくない?」
「そうですね。もう、待ち合わせの時間過ぎてますよ」
「なにやってんだろ」
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:49
私は携帯電話を取り出して、電話をかけることにする。とりあえず会長の吉澤さんにと思ったけれど、
車の運転中だったらいけないと思って、その助手席に乗ってるだろう愛ちゃんにする。

電話の向こうで愛ちゃんは、道が渋滞していてもう少し時間がかかりそうだと言った。渋滞なら仕方ない。
わかった、と言って私は電話を切る。小春ちゃんに説明をして、二人で大人しく待つことにする。

「もうすぐ夏休みですね」
そう言う小春ちゃんはとても楽しそうで可愛かった。悩みなんて、全然ないんだろうな。
「夏休みは、みんなで色んなところドライブしたいですね」
「そうだね」
「それでみんなで泳いでビーチバレーしてバーベキューして――」

私たちは、このドライブ愛好会をきっかけに知り合った。吉澤さんも、藤本さんも、愛ちゃんもガキさんも、
紺野さんもまこっちゃんも、れいなも、そして絵里も。この十人はすっごい仲間だって私は自信持って
言える。あの張り紙にピンと来て、思い切ってここへ飛び込んでみて良かったと、心から言える。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:49

「ごめん。待たせちゃって」

待ち合わせ場所に吉澤さんの愛車が到着したのは太陽の光がオレンジ色に染まり始めた頃だった。
助手席の愛ちゃんが笑顔で「乗りな」と言い、親指で後ろの座席を示す。
「でも、他の人たちまだ来てないんだけど」
「いいからいいから」
「お邪魔します!」
小春ちゃんが勢い良く、そのドアを開けて乗り込む。首をひねりながら私もその後に続いた。
「みんなはどうしたんですか?」
私は前の二人に聞く。小春ちゃんは気にならないのだろうか。ずっと楽しそうにニコニコしている。
「行けばわかるよ」
ハンドルを握っている吉澤さんは鏡越しに私にそう言って、微笑んだ。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:49


いつもの海に到着すると、小春ちゃんは浮き輪を置いて私の腕を引っ張った。車から降りて浜辺に
向かって一直線に走り出す。なになに。なんなの。頭の中がハテナばかりの私は、ちょうどサンダル
で砂を踏んだ瞬間、その場に立ち竦む。

「ホント、なんなの?」

私は呟く。オレンジ色の世界のど真ん中に大きなケーキがあった。砂で作った、ケーキだった。その
周りでは絵里たちが、笑顔でこっちこっちと手招いている。三歩先にいる小春ちゃんが笑顔でもう一度
私の手をとってそのケーキに向かって走り出す。みんなの笑顔がどんどん近づいてくる。

何か言いたかった。でも、なぜだか何も言葉が出てこなかった。何事も無かったかのような絵里の
微笑みと、目の前の大きな砂のケーキに、私はこれでもかっていうくらい圧倒されていた。

「吉澤さん!早く早く!」
まこっちゃんが楽しそうに手を振って叫ぶ。振り返ると、吉澤さんがダッシュでこちらへ近づいていた。
その後ろから愛ちゃんがてけてけ走ってきている。二人の何か企んでいるような笑顔を見て「なに?」
私は小さな声でまた呟く。本当にわけわかんないんだけど。

「やっと全員集まったね」藤本さんが言った。
砂のケーキの周りを囲むように十人立っている。私は絵里の隣に行ってこっそり尋ねる。
「今日はなんなの?」
絵里は、目を細めてただ微笑むだけだった。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:49
「状況をまだ把握出来てない重さん」
「はいっ?」
いきなり吉澤さんから名前を呼ばれて変な声が出た。みんな、私を見つめていた。

「ごめんね。驚いたでしょ」
「ま、驚かせるつもりで企画したんだけどね」
のんびりとした吉澤さんに藤本さんがすかさずツッコんだ。その場に少し笑いが起こる。

「まだ少し早いけど、今から重さんと小春の合同バースデイパーティを始めます!」

ぽかんとしている私と、笑顔で拍手をしているみんな。なんだかひとりだけ置いてけぼりな感じ。

「重さんは今年、十七歳になるんだよね」
吉澤さんの言葉に、はい、と返事をしようとした瞬間、小春ちゃんが「コハルは十四歳です!」
と手を挙げて叫ぶ。藤本さんが「おまえ空気読めよ」と冷たい口調で言った。それは、見慣れた
いつもの光景だった。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:50
「それじゃあみんな、ハッピーバースデイ歌おう」

もうすぐ日が暮れそうな海辺は、鮮やかなほどのオレンジ色に包まれていた。私は仲間たちの
やさしい歌声に、目の前の綺麗な景色に、涙が出そうなくらい感動している。今日は海で泳げな
かったけれどそんなことは大したことじゃない。十七歳の誕生日――まだ来ていないけれど――
をみんなに、素晴らしい仲間に祝ってもらうなんて。全然考えてもなかったことだった。

「おめでとう。さゆ」

隣の絵里が一歩私に近づいて言う。私は素直に、ありがとうと応える。

「もうさぁ、あの時マジ焦ったんだってば」
あの時。私は、すれ違ったのに無視をされたことを思い出す。絵里ははっきりとは言わなかった
けれどきっとあの時とはその時だろう。
「あの時ね、今日の打ち合わせに行く途中だったの。絵里そんな嘘とかつけないからさぁ、さゆと
話したら絶対ばれるって思って軽くシカトしちゃったみたいな感じになちゃって。ごめんね?」
「軽くっていうか思いっきりシカトされたような気がするけどね」
ばっさり切り捨てた私に、絵里は「さゆこわーい」と自分自身を抱きしめるようなポーズをする。
それがキモ可愛くて私はちょっと笑ってしまった。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:50
みんなが作ってくれた砂のケーキの前で記念撮影をする。そして、そのケーキを本当に食べるわけ
にはいかないので豪快に崩そうという展開になった。
「もったいなくない?」
私は壊したくないと思ったけれど、藤本さんが「いいよ飛び込んで」とぐいっと背中を押してくる。
すると小春ちゃんが「コハル、いっきまーす!」甲高い声で叫んで、駆け出す。

それは簡単に崩れた。砂だもん。仕方ない。小春ちゃんのアタックで、半分くらい崩れてしまう。
「ほらさゆ、いいよ行って」
絵里からも背中を押される。れいなも「早よダイブしい」と言いながらにやにやしている。
私は躊躇いながらも少し下がって走り出す。うさぎのようにぴょん、と跳んでケーキの上に乗っかった。

まるでそれが合図だったかのように、他のみんなも加わってケーキを食べた。全員砂まみれで、
少し口に入って嫌な感じになりながらもぎゃあぎゃあ騒いではしゃぎまくった。私も何も考えず楽しんだ。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:50
汚れた服は海水で洗い流した。みんなここへ来るときはそうなってもいいような服装だから大丈夫。
海から上がった時にはもう太陽はすっかり沈みかけていた。私はなんだか残念な気持ちになる。
一日のうちであの色が見れるのは日が沈むまでのほんの数時間。今日は特にその時間が早く感じた。
楽しい時間ほど早く過ぎるものなんだ。私は妙に納得する。

いつの間に持ってきたのか、愛ちゃんと吉澤さんはそれぞれ本物のケーキを手に笑顔で待ち構えていた。
肩にタオルをかけた紺野さんが驚くほど素早く愛ちゃんに――いや、そのケーキに――駆け寄った。
「美味しそう」
「さゆはチョコレート、小春はイチゴのケーキだよ」
小春ちゃんが身体全体で喜びを表現しながら「わーい!」と叫んだ。この子は常に叫んでる。
「うっさいうっさい」そして藤本さんは常にツッコんでる。私は絵里と目を合わせて、くすくす笑った。

まこっちゃんとガキさんとれいなが用意してくれたテーブルの上に二つのケーキが並ぶ。
吉澤さんがかっこよくライターを取り出して、ろうそくに火を点した。暗くなった浜辺には、十七個と十四個、
オレンジ色の炎がよく映えた。もう一度、みんながハッピーバースデイを歌ってくれる。

小春ちゃんと「せーの」息を合わせて、ろうそくを一気に吹き消す。沸き起こる拍手。私は自然と笑顔になる。
それから、みんなでケーキを分けて食べて、本当に真っ暗になるまで騒ぎ続けた。

私の十七歳のバースデイは、きっと一生忘れないだろう。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:51


後になって話を聞けば、その時にはもう紺野さんが遠くの大学へ進学することや、まこっちゃんが海外へ
語学留学することが決まっていたらしい。それに、その次の年の春に吉澤さんと藤本さんが就職したことを
きっかけに、私たちドライブ愛好会の活動はめっきり減ってしまった。

それでも絵里とは頻繁に連絡を取り合っていて、あの日からさらに二人の仲が深まった気がしていた。
町で偶然すれ違っても無視されたりしない。今日も帰る途中にばったり遭遇して、自転車を停めて立ち話を
していた。空のオレンジ色は、やっぱりあっという間に変わっていった。

「そういえばガキさんから聞いたんだけど、今度またみんなで遊ぼうって言ってるらしいよ」
「本当に?いついつ」
「わかんない」
「なんだ。決まってないんじゃん」
つまらなさそうに言った私を見て絵里は苦笑いした。
「あーあ。またみんなでドライブしたいな」呟いた私に絵里も「そうだね」と言った。
「吉澤さんのおっきな車にも、藤本さんのオープンカーにも乗りたいな」
「そうだね」

辺りが大分暗くなってきたので、その日はなんだかしんみりとした雰囲気のまま絵里と別れた。
せめてずっと空がオレンジ色だったら絵里とずっと話していられるのにな。そんなことを思った。


ドライブ愛好会の招集がかかったのは、それから一ヶ月くらい経った後だった。集合するのは夏の始め。
私はその連絡を受けた次の日さっそく新しい水着を買いに行った。絵里も気に入りそうな、可愛い水着を。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:51

とうとう今日みんなに会える。私は全速力で自転車を漕いでいた。吉澤さんに藤本さん、紺野さんに
まこっちゃん、愛ちゃんガキさん、れいな、小春ちゃん、そして絵里。素敵な仲間に会えるんだ。

私は願う。今日という一日が、一分でも一秒でも長く感じられますようにと。
私は信じてる。今は青いこの空が夕焼けのオレンジ色に染まったって、どんなに真っ黒になったって、
みんなとの関係は、絶対に変わらないと。

待ち合わせ場所が見えてくる。自転車が軋むくらい私は力いっぱいペダルを漕いでいた。
絵里の姿が見える。そして見慣れた二台の車も、久しぶりに会う仲間たちの姿もはっきりと見えてくる。

――私はとても興奮しているので、第一声は小春ちゃんみたいに叫んでしまうかも知れないと思った。


14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:51

おわり


15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:52



16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 22:52




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