05 プラスワンが明日を変える

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:48
05 プラスワンが明日を変える
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:50
四十分の通学路の間、約三十分を崖のようなこの道を漕ぐことになる。
ガードレールを突き抜けてしまえば、三十メートルくらい転落した挙句、海へとダイブ。
幼い頃は近寄らな いように言われていた場所を、風と共に走り抜ける。
大人になったような気分、もうそんな心配をしてくれないんだという切ない気持ちを
織り交ぜながら、足に力を込める。

顔を上げたのは、車道を挟んだ向こう側から自転車が走ってくる気配がしたからだった。
ちょうど斜めに鏡を入れたように、私とその人は、すれ違う瞬間にお互いの顔をうかがい見るような仕草をする。
それは特別なことではなくて、狭いこの町では制服姿だったら知り合いの可能性が高かったりするからで。

そう、まさにその予感が当たった。
背中からの太陽を受け、怪訝な顔をしているその女の子は、絶対に私の知っている人だった。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:50
車道はめったに車が通らないから、その自転車は人を降ろして左右確認もせず私に近づいてくる。
その人の顔がわかった瞬間思わず顔を下げた。足がすくむ。

「あれ…もしかして絵里?」

…なんで。
なんでここにいる?

途端に足を速めたくなる衝動を抑え、足元を見ながら自転車を降りた。
じわじわと胃からせり上がって来る不快感。
後ろ向きになりそうな自分を必死に抑える。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:50
大丈夫、大丈夫。
私は変わったんだよ。
あの頃の絵里はもういない、死んだ。
今の絵里は、どこも恥ずかしいところなんてない。生まれ変わった。
人並みに制服も着崩してるし、人並みに髪も明るくしたし。
普通に友達とカラオケだって行けるし、流行りの雑誌の話題も出来る。
恥ずかしいところなんて一つもない。

だから、真っ直ぐにこいつを見て笑えばいい。

「やだー、久しぶりだね!こんなところで会えるなんて思わなかったよ」
「…うへへ…絵里もびっくりしたぁ。なんでここにいるのぉ?」
「うん、あのねぇーうちの母さんの実家がこっちにあるから、久しぶりに遊びに来たんだ」
「そうなんだ」

声が小さくなっていく気がして、意識して声を張った。
負けたくなかった。
相手が自分を負かそうとしていなくても、負けたくはないという気持ちだけがエリを支配していた。

よく見ると、そいつが着ているリボンをあしらった白いブラウスと短いプリーツのスカートは
制服にしてはうざいくらいにフリルが効きすぎていて、私服であることが伺えた。
少なくとも、この町に唯一存在する学校の制服ではなかった。
当たり前だ。
中学の知り合いの誰も通わない高校をわざわざ選んだのだから。
小さい頃に住んでいたこの田舎町へわざわざ一人でやってきたのだから。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:51
「それにしても、絵里変わったね」
「え…?…そうかな?」

…それ。
その言葉を、心のどこかで待っていた。
その言葉を聴いた瞬間私はやっと肩の力を抜いて笑えた。
何年か越しに、やっと自分の呪縛から逃れられるような気がした。
やっと。
…こいつらは、私を笑ったりしないんだ。
笑われるような人間じゃなくなった。
そう思った。


けれど。

「ウケるー。あの白靴下の絵里がそんなおしゃれになっちゃって、
 なになに?彼氏でも出来たの?絵里に彼氏いたら元一中女子皆死んじゃうわ、あっはっは」

そいつは醜い笑いを浮かべて、私の過去の傷を簡単に抉る。
息をするのと同じくらい気軽に…私の忘れたいこと全て、笑いやがる。


馬鹿にして。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:51
馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして。
馬鹿にして馬鹿にして馬鹿にして馬鹿にして馬鹿にして。
お前なんか死ねばいい。お前みたいなやつら全員死ねばいい。
なんならここから落としてやろうか。
落ちろ、落ちろ、落ちてぐしゃぐしゃになって死ね。
お前らに美しい死なんか味わわせてたまるか。一番苦しい死に方で死ねばいい。
あんなに私を苦しめておいて、のうのうと生きているお前らなんて全員死ねばいい。
殺してやりたい。死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

心の中で、目の前の醜い女を殴る。殴る殴る殴る。
泣き叫んでも許してやらない。
私の心に受けたダメージに比べてこの攻撃のなんと痒いことか。

そうして何とか心のバランスを保って私は笑って見せた。

「…彼氏なんていないよぉ、絵里だよぉ?」
「えーでもマジかわいくなったって、マジで。彼氏できたら教えてねー、皆に教えるから」
「うん」
「あーうちもうすぐご飯だから行くね、ジジババに時間あわせてるから早いんだわ」
「うん、じゃあねー」
「また会えたらいいね」
「うん」

もう一生会いたくない。
出来るなら今すぐ死んで欲しい。
そう思いながら私は笑う。笑って手を振る。

…去って行く背中を自転車で殴り倒す妄想だけで、私は生きてきた。
私は復讐だけで生きてきた。
あの時、私を笑ったやつら全員の残酷な死だけを願って。
もし私に権力があるのならば、全員この手で嬲り殺す。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:52
でも絵里はただの一庶民。
そして、殺人という復讐であいつらにこれ以上人生を棒に振られたくはなかった。
あんなくだらない人間の為に服役するなんてあまりにも馬鹿げている。
だから、願うんだ。

もしあいつが、向かいから来る4tトラックに跳ね飛ばされれば――――私は、大声で笑ってやろう。
天罰だと。
人の心を踏みにじった天罰が下ったんだと。
ざまあみろと、ひしゃげた死体を踏みつけてやる。

けれど、あいつは何事もなく坂道を滑り降りていく。
トラックも通りはしなかった。
現実の無味さに私の心は乾く。

ああ。
忘れかけていたこの感情が、私を支配して汚す。
心が黒く染まっていく。

せっかく絵里はここへ来て新しい生活を手に入れたのに。
思い知らされる。
心から楽しかった時なんてない。
いつも、あいつらを見返すことばかり考えて生きていた絵里に、
心からの幸せを感じられる時なんてなかったと。
いつかまた笑われる日が来るんじゃないかと思って、安息の瞬間なんてなかったと。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:52
どうして絵里だけがこんな思いをして生きているの。
どうしてあんな屑がなんの悩みもなく笑ってるんだ。
どうして、どうして。


「ははは…は」


何故だか笑えて来た。
ずっと握り締めていた自転車のハンドルがみっともないくらい濡れている。
そして、絵里は自分のお気に入りのメタリックなライトブルーの自転車を思いっきり蹴り飛ばした。

ガシャアアアン!

蹴った足がすごく痛い。
これが現実だった。
絵里は自転車にすら馬鹿にされているんだ。
一生笑われて生きていくんだ。
髪の色を変えたくらいで。スカートの丈が短いくらいで。
カラオケのレパートリーが増えたくらいで。雑誌を読み漁ったところで。
絵里は何も変わってないんだ。
心はあの白靴下の、メガネの、髪ぼさぼさのださい絵里のまま。


帰る気力もなくなって、コンクリートの上に横たわる。
夕焼けが沈みそう。
眩しい。
雄大な自然だけが、絵里を馬鹿にしたりしないでいつもいてくれるから。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:52
目を閉じる。
…ひんやりとしたコンクリートの感覚。草の匂い。虫の声。
ジジーと、自転車の通る音。
キュ、と小さくブレーキのかかる音。


…眠りにつくような、命が燃え尽きるような…
静かで、どこにも力が入らないような。
白くて柔らかいものの中でゆられているような。
脳内から現実逃避の麻薬が分泌されているのだろうか。



「…カメ?」



聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ気がした。
幻聴まで聞こえてくるらしい。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:53
「カメ、カメ?どうしたの?大丈夫?」

しばらく朦朧としていた意識に突然何かが割り込む。
それはどうやら幻聴ではなく現実らしかった。
思わず閉じられていた目が開いた。視界いっぱいに赤紫の空。
けれどどうでもいい気分だから反応せずにいた。
少しだけこのままだったらどうなるかなと思った。

「転んでどっか打った?…救急車呼んだほうがいいのかな…うえええ、どうしよう…」

予想通りで少しつまらない。
…全くこの人は…ほっとけばいいのにこんなやつ。
このままだと本当に救急車呼ばれかねない。この人はそういう人だから。
だから、むくっと起き上がって笑顔を作った。
それは、私と同じクラスのガキさんだった。

「絵里は元気だよ?」
「うぉわ!びっくりした!!ちょ、もおー!意識あるなら言ってよ!!!びっくりしたじゃん!ったく…」
「うへへへぇ、ちょっと空が綺麗だったから」
「はいはい、カメはロマンチストですね、ほら立って、風邪引くよ」

その手がぽん、と軽く私の頭を撫でる。
そしてべったりコンクリートに座る私に手を伸ばす。
…今までこの人以外に、こんなことされたことなかった。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:53
笑われたことしかない私のカラオケに付き合ってくれるのはガキさんだ。
ファッション誌の話をするのもガキさんだ。
ふいに何が何だかわからなくなった時、力強く私の手を引っ張って
こっちだよ、と言ってくれるのもガキさんだった。
誰も信じないと誓った私の醜い心を叱ってくれるのもガキさんだ。
もしこの先今日以上に嫌な気持ちになって誰かを手にかけようとする時に、
ガキさんがきっと止めてくれるだろう。
だから絵里は安心してあいつに死ねと唱えられる。
ガキさんがそんなこと言わないの、って言ってくれるから。
復讐に殺人することがくだらないことに思えるようになったのも、
もしかしたらガキさんを見ていたからなのかもしれない。

ガキさんは私に言った。
中学の時に東京でいじめにあって、この町へ引っ越してきたんだと。
それでもガキさんは私に優しくしてくれた。
誰かを怨むようなことを言っているのを聞いたことがない。
誰かを拒否する姿も、見たことがない。

私にはきっと出来ないけど。
ガキさんを見ているうちに、不思議と私は落ち着いた。

「…ねえ」
「なに?」
ぼーっと突っ立っている私の制服を払いながら、ガキさんは返事をする。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:53


「絵里は、幸せになりたいな」


唐突に呟いた私を。
…笑うでもなく、茶化したり流したりせず。

「そんなの、わたしだってなりたいよ」

ガキさんはそう答えた。

「ガキさんも?」
「…でも、もう幸せなのかなとも思うよ」
「いつ?どんな時?」
「生きているなあって、思ったとき」

いつもと同じあったかい笑顔でそう言うから、そのあまりのお人よしぶりに呆れてしまう。
私は少しだけ、言いたいことを言ってみる。

「…生きていることなんて、辛いことがいっぱいじゃん」
「そうだね、わたしもずっと思ってた。生きていることが辛いって。
 けどこの町で自然に囲まれて、ご飯が美味しくて。…カメにも会えた」
「絵、里に?」
「そうだよ、カメは変わってるけど、色々なことを感じて生きている。 
 カメに教わることもたくさんあるし、出会えて本当に良かったと思う。
 カメの笑顔に癒されるときとか、すごく幸せ」

…変なの。
こんな絵里に、そんなこと言うなんて。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:54
でもそう言われるのは嬉しかった。
別に、嘘でもよかった。
嘘でも、そんなこと言われたことなかったから。


この先、100パーセント誰かを信じることができないとしても。
ガキさんの隣には私がいるといい。
一緒に遊んで、くだらない話をして。
ガキさんとなら、いつまでもそうしていたいから。


夕焼けはもう沈む。
いつもと同じ。絵里を馬鹿にしたりしない。
雄大な自然と…あと、一人の人間だけが、絵里を馬鹿にしないでいて欲しいなんて。
そんなことを夢見てる。
やっぱり絵里は変わらない愚かな人間。

でも。
もう一度だけ、愚かになってみてもいいのかな。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:54
「ガキさん」
「なに?」

縦になって自転車で進む。
前を向いているガキさんの声は遠くに聞こえる。

「絵里、おなか空いた」
「じゃあ今日はウチで一緒にご飯食べようか」
「本当?嬉しいっ!下宿のご飯よりガキさん家のご飯が好きー」
「それはどうも、お母さんに直接言ってくれる?喜ぶから」
「うんっ」


住宅街に出てくると夕餉の匂いが色んなところからした。
カレーや焼き魚、炒め玉葱の匂い。
その匂いに心を躍らせているうちに、絵里はすっかり再会した人の顔を忘れていた。
自分でも不思議なくらいどうでもいいことのように思えた。


今日、ガキさんの家はどんなご飯が出るのかな?
おなかが待ちきれない。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:55
リd*^ー^)<カレーの匂いがするわ
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:56
( ・e・)<帰りの道の出来事
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/26(日) 00:56
リd*^ー^)( ・e・)ああ また明日 会えるといいな

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