04 電車のいろはみかん色

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:15
04 電車のいろはみかん色
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:17
◇  ◇  ◇                
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:17
 四十分の通学路の間、約三十分を崖のようなこの道を漕ぐことになる。ガードレールを
 突き抜けてしまえば、三十メートルくらい転落した挙句、海へとダイブ。幼い頃は近寄ら
 ないように言われていた場所を、風と共に走り抜ける。大人になったような気分、もう
 そんな心配をしてくれないんだという切ない気持ちを織り交ぜながら、足に力を込める。

 顔を上げたのは、車道を挟んだ向こう側から自転車が走ってくる気配がしたからだった。
 ちょうど斜めに鏡を入れたように、私とその人は、すれ違う瞬間にお互いの顔をうかがい
 見るような仕草をする。それは特別なことではなくて、狭いこの町では制服姿だったら
 知り合いの可能性が高かったりするからで。

 そう、まさにその予感が当たった。背中からの太陽を受け、怪訝な顔をしているその女
 の子は、絶対に私の知っている人だった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:18
◇  ◇  ◇
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:18
そこまで読んで、中島早貴は本のページにしおりを挟んだ。

ちょうど、段落が終わるところだったし、遠くのほうの踏み切りがカンカン鳴りだしたのが、
ホームまで聞こえてきていたからだ。もうすぐ電車が来てしまう。電車がきてから、
あわてて本の間に指を挟んだまま乗りこむような真似は、誰が見ていなくたって、
早貴はしたくない。

本を入れてチャックを端まできっちり閉めた通学カバンを、膝の上で軽くはずませながら、
電車を待つ。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:19
時刻は夕暮れ。

釣瓶落としの秋の日はもう落ちて、ホームも空も、線路も早貴も、みんなが「みかん色」に
染まっている。早貴のいちばん好きな食べもの、みかんの色。
夕暮れの空のいろを「みかん色」といった作家さんがいると教えてくれたのは祖母。
その人の本を読んだことはないけれど「みかん色」だけで、早貴にとってその作家さんは
芥川賞モノ。大好きで尊敬する相手となった。

いま読んでいた本は、残念ながら、その人のものではない。
クラスメイトの有原栞菜が貸してくれた少女小説だ。「友情モノ」らしい。本を読みつけて
いない早貴には、改行のすくない文体が、いささかむずかしくうつった。

それにしても、と早貴は思う。

小説の登場人物って、ほんとよくしゃべる。口にだしてしゃべってるんじゃなくて、心の
なかの声なんだけど。あんなにあれこれ考えてばっかりで、疲れないんだろうか。
あたしの心は、思ってること全部を書いても、そんなにきっと、おしゃべりじゃない、と
早貴は思う。

だけど、いま思ってることも、ぜんぶを紙に書こうとしたら、小説みたいに長くなるかも。
きっと、書くほうが、話すより長い。ぜんぜんだ。電話ではすぐ済む用でも、メールだと
やたらと長くなるし。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:20
空気の抜けるような音とともに、ドアが開いた。早貴は電車に乗りこんだ。
車内は微妙な混み具合で、座席に荷物を置いた人を憎らしく思いつつ、早貴は向かいの
ドアの前に陣取った。車内は電灯と自然光が交じり合って、話する人もすくなくって、
やわらかい、けだるい、暖色の空気が、うっすらとただよっている。

飛ばし飛ばしの準急で、3駅21分の家路。
カバンにしまった本を出そうかと考えたが、すぐに思いなおした。宿題のための英和辞典が
入っている。立ったまま読書をするには、今日の荷物は重い。それに。
早貴はほんのすこし目を細めた。
あまりにもいい具合に、世界は「みかん色」だ。別世界に飛ぶには、もったいない。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:20
頭の片側を車窓にもたせかけた。ちょうど、ドアが閉まって、景色が流れだす。
電車が揺れる。がたんがたんと髪の毛に響く。
進行方向を向いているから、行ったことのないイタリア料理屋の看板が、商店街の軒先の
果物が、さっき友だちと手を振って別れた角が、小学生の集団が、ススキの草むらが、
視界に入ったと思うと、ひゅんひゅんと後ろへ飛んでゆく。加速する。ひゅんひゅんが
びゅんびゅんになる。目を上にやる。電線が一定の区間で高さを変えるのは、電線自体が
走ってるみたいに見える。ときおり夕日できらっと光る。本当に、空色にみかんの果汁を
足したみたいな色した空の色が、まわりの風景をやわらかいものに変えている。
アスファルトも、草も、砂利も、空も、雲も、ほんのりだいだいに染まってる。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:21
いつも見ている景色だけれど、途中下車をしたことはない。
早貴の生活圏は狭い。小学生の頃は、電車で中学に通うようになったら、いっきに自分の
世界が広がると思っていたけれど、あいかわらず。
早貴の地図にはたんに『中学校』という一点と、そこにつながる『通学路』という線が書き
くわえられただけだ。テーブルにたまった水だまりの端をつまようじでなぞって伸ばした線
みたいに、細くてたよりない勢力拡大。このままここで大人になって、町をでて、そうしても
きっと、早貴の陣取りゲームには、進歩がないのだろう。より細く、より長い線が引かれて
いくだけで、世界はたいして、広がりはしない。ちょっとつまらないと思う。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:21
ふいにがくんと電車の速度が落ちた。
おや、と思うと同時に「停車信号です」のアナウンス。ゆっくりのままの速度。
早貴は停車信号がなにで、なんのために電車の速度が落ちるのかを知らない。だけれど、
ふいにゆるゆると流れだす景色に、それまで外の世界とは無関係の通りすがり、傍観者で
いた車内の自分が、外からはっきり見えるようになってしまう、外の世界と中の世界が
いっしょになる。そのことは知っている。今も、カートを押して通りを歩くおばあちゃんと目が
合いそうになったほど、電車は速度を落としている。

なんとなく落ち着かなくなって、視線をめぐらせかけたとき。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:22
赤い自転車が、ぐんと視界に飛びこんできた。
ゆるい速度になってしまっている電車と並び、張り合うように、自転車はぐいぐいと速度を
上げる。早貴の立つドアの斜め前にいたる。まだまだこぎ手は足を緩めない。徐行中とは
いえ、電車に追いつく速さはなまなかではない。自転車をこいでいる人の頭は、ぶんぶん
と左右に揺れ、長い髪が、風にめちゃめちゃに乱れてる。しかも、あきれたことに、二人乗
りだ。後ろの子もいっしょになって、頭をぶんぶん振っている。早貴は、お正月に中村屋
一家スペシャルで見た、歌舞伎の連獅子を思いだす。
地面につくんじゃないかと思うくらいの勢いで、自転車も体も左右に揺れている。転ばない
かと不安になる。後ろに座った子は、電車のなかまで声が聞こえそうに口をあけて、何か
さけんでる。わくわくと緊張ではちきれんばかりの顔で、こぎ手を応援するみたいに、
いっしょに左右に傾いてる。と、早貴の視線に気がついた。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:22
ちいさな手のひらが、白くこちらにひらめいた。

逆の手で腰をつかまれたこぎ手が、髪に隠れた顔を上げる。

早貴はガラスに張りついた。
ふたつの満面の笑みと、ひとつのちいさな手と。
こちらに向けられたそれらに、驚き、あきれながら、笑顔とバイバイを返す。と、停車信号の
解除か、がくんという振動とともに再び速度をあげる準急、こぐことをやめた自転車を、
どんどん後ろへと引きはなす。
あ、あ、と早貴は窓ガラスの向こうに顔を出したい気分で振り返る。どんどん遠くなる、
手を振る二人乗り。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:23
カーブで二人が見えなくなって、早貴は窓から額をはなした。ふいに車内の視線が自分に
集まっている気がして、けっしてそんなことはないとわかってるのにどうしてもそんな気が
して、照れて前髪をさわる。考える。

あたし、今日で転校するんだったっけ。食い逃げでもしたっけ。学校になんか忘れてきた?

なんであの二人、あんなに全力で追いかけてきたの?

ぶぶぶぶという携帯の振動音が、あっという間に結論を出してくれた。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:24
『ナッキー見た見た? いっしゅん電車追いついた! 死ぬー』
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:24
汗だくのまま、せっせとメールを打っている、矢島舞美の姿が目に浮かんだ。
自転車のこぎ手は、今年の春中学を卒業していった、二個上の幼なじみ、矢島舞美だった。
後ろに乗っていたのは誰か知らない。ずいぶん小さい子だったけど、舞美に妹はいなかった
はずだ。顔も似てなかったし。

早貴はさっそく返信した。

『ひさしぶりー。びっくりした。危ないから、電車と競争しちゃダメだよ』

そっけないかな、と思って追加する。

『ていうか、超速かった! そして後ろは誰さん? すっごいかわいいね』

まだそっけないかなと思いつつも、とりあえず速度優先で送信。すぐに返事はくるだろう。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:25
二人乗りをしていたら、走る電車の中に知った顔を見かけた。テンションあがって、必死こぎで
追いかけてきた、というわけなのだろう。昔っからあんなんだ、あの人。
年上でしっかりものなのに肝心なとこが抜けてて、子ども会でも、運動会でも、なにかと世話を
焼かせた舞美。過ぎた悪ふざけに一度だけ、本気で早貴が怒ったとき、大慌てで泣きそうな
顔で、何度もごめんねとくりかえした舞美。
いろんな出来事が、早貴の胸のなかに、紙芝居みたいにぱたぱたとよみがえってくる。
メールするのも、笑いあうのも、思えば卒業式以来。半年たっても、舞美があんまり変わって
いないらしいことを、早貴は嬉しく思う。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:26
張りついていたガラスの表面が白っぽく曇っていることに気がついて、早貴は制服の袖で
窓をぬぐった。

「あ」

思わず声を上げていた。
知らぬまにお気に入りの「みかん色」のうえには闇が降りて、西の空には、だいだい色と
薄青のグラデーションができている。とてもきれいだ。
思いがけない闖入者、舞美の赤い自転車は、あざやかに、みかん色の夕暮れに夜を
つれてきた。

携帯がまたしても、ぶぶぶぶと着信を告げる。早貴は画面を開いた。

『紹介するよ! 降りたら待ってて。近道するから抜かしちゃうかも!』

紹介なんて、べつにいいのに。こういうところも、あいかわらずだ。早貴はくすりと笑って
返事を打つと、携帯の画面を閉じた。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:26
高校生と中学生では、さすがに接点がすくなくなるものの、同じ町に住んでいるから、
たまに舞美の姿を見ることはあった。だけど早貴は、河原で舞美が子犬と遊んでるのを
見ても手を振らなかったし、コンビニエンスストアの前に赤い自転車が置かれてあっても、
店のなかをのぞきこむことはしなかった。深い理由はない。ただ、話すことない、そう思った
だけで。

今だって、どうしよう。
ひさしぶりすぎて、どんなこと話せばいいか、戸惑ってしまいそうだ。おまけに知らない
女の子まで。舞美はおしゃべりなくせして口べただ。ランナーズハイと再会のテンションが
おさまったあと、あの、人のいい笑顔で口をあけたまま、会話の竿を、早貴に押しつけて
しまうのは、まちがいない。
そうなることが目に見えてるのに、なんのためらいもなく、早貴の乗った電車を追いかけて
しまうのだ、舞美は。気まずいかもとか、話すことないとか、そんなのいっさい考えないで、
笑いかける。舞美のまっすぐさが、早貴はすこし苦手で、とても好きだと思う。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:27
外の景色は、もう、ぼんやりとしか目にうつらなかった。

ふと早貴は思う。自転車通学、悪くないかも。

窓に映る自分自身より向こうの暗がりに、目をやる。

自転車通学するんなら、とうぜん色は、みかんみたいなだいだい色で。藤の前カゴをつけて、
チリンチリンはつや消しの銀色。

わくわくしてくる。

外の闇を、幻のみかん色の自転車が走りだす。もちろん早貴も乗っている。幻の早貴を
乗せた幻の自転車は、あっというまに電車を追い抜いて行ってしまう。闇をつっきって走り
去る自転車を、早貴はぼんやりとみおくった。駅の明かりが遠くに見える。
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:28
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21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:28
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22 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/25(土) 23:28
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