18 応答せよ、こちら小春

1 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:22

18 応答せよ、こちら小春
2 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:30

「だーかーらっ」
ジャージ姿の小春が南東の空へ両手を伸ばす。
「あっち、あの辺の空をこう、ぐおーんて飛んでったんだってば」
ぐおーん、腕を波打たせながら数歩走った。
「ふーん」
美貴はそれを見るでもなく、持っていたバッグ二つを濡れていない草を探して下ろした。
その上に真っ白のハーフコートを畳んで乗せた。
解放された両手を一二度結んで開き痺れを取ると、再度足元を確認して腰を下ろした。
柔らかい春草が程よくクッションになる。
「ふーんって、美貴ちゃんUFOだよ。ほんとUFOなの、ピカピカ光って。
 あそこ、新しく出来たあのでっかい工場、あそこの上辺りの空をどおーんて飛んでったんだから」

「どおーーん」
と美貴はのんびりした声を上げて景色を眺める。
さほど高い山でもないものの、周りはまったく起伏のない土地のために、
二人が腰掛ける中腹からはかなり遠くまで一望できた。
後ろの竹やぶを抜けて来る風はまだ心持ち肌寒いが、さらさらとくすぐったい音で髪を撫ぜていく。
雲も小春が今指したその右にひと塊あるだけで、ここには温かい日差しがふんだんに届いた。
焼けちゃうかも、呟くその口で美貴は欠伸した。

「もおっ」
小春が地面をだんだんと踏みつけた。
「美貴ちゃん、小春の話聞いてないっ」
がに股で詰め寄っていく。て言うか、と陰になった美貴は、逆光の心持ち丸みの増した頬に向けて、
「信じてない、みたいな?」
へらへらっと笑った。
だんだんだん、ちぎれた草の葉と共に埃が舞い上がる。竹やぶの風。
ぶ、抑えた呻きが上がり、また少しシルエットが歪んだ。美貴は笑うのを堪えなかった。
3 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:35
「もおいいっ。ばーかばーか、もう美貴ちゃんなんて知らない」
いーだ、歯を剥いた小春が周囲を回る。美貴はその子供っぽい行動に構わなかった。
流される雲を黙って眺めようとした。それでも風上で暴れられるのには、
「ちょっと、ゴミ飛ぶんだよね。ぐるぐるされると」
とつい文句がこぼれた。すると相手は喜んで、より忙しなく足をばたつかせ円を描いた。
ち、美貴は舌打ちする、お前ウザイ。

「あっ」
もののぶつかる音と重なって小春が叫ぶ。美貴は右手へ来ている彼女を見た。
バックに片足を突っ込ませ固まっていた。その側に落ちたコート。
美貴はのそりと起き上がって拾う。草がなかった。裾にべったりと土がついている。
おっま、美貴は指の背で叩くようにして、コートから汚れを払った。
「ふざけんなよっ」
「あ、ごめ」
「うわー、落ちね」
白地に血のような赤茶けた跡が残った。美貴はうな垂れる相手を睨みつけた。

お前ぇ、怒りを含んだ声に小春は震え、
「ゴメン、ゴメンなさい美貴ちゃん」
繰り返し頭を下げる。すう、美貴は空気を一つ吸い込み、はああ、すべて吐き出した。
バッグを二つとも拾い上げる。軽く叩いて凹みを直しつつ埃を払った。底の青葉が目の前を舞った。
4 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:37
右はコートと共に、左のバッグは肩に担いで、竹やぶへと歩き出す。振り向かぬまま、
「いい加減あたし帰るわ。まだ荷物も置いてきてないんだから」
わ待って、取り残された小春が慌てて後を追う。
「ゴメン美貴ちゃん、ほんとゴメンね」
並んでから恐る恐る覗きこむと、
「あ? ああ、いいよ別に。どうせもうクリーニング出すし」
言葉通りその顔にもう怒りは見られなかった。小春はほっとして、
「じゃあ、まだいいでしょ? まだお昼なんだしさ急がなくても」
担ぎ持たれた方のバッグを受け取ろうとする。しかし美貴は振り払うように体をひねった。

「そう」
差し向かいの顔に、
「お昼なんだよ、もうっ」
言うと再び歩みだした。
「美貴今日まだ何も食べてないんだよ。で、もうお昼過ぎってありえなくない?
 久しぶりに腹いっぱい食えるぞおって、期待して電車に揺られてきた美貴はどうなるのって話じゃん。
 この、お腹と背中がくっつくぞっていう、このお腹どうしてくれんの」

「待って美貴ちゃん」
「嫌だ、待たない。美貴もう帰るから」
「待ってよお」
「待ぁちぃまぁせぇーん。もう、ぐうすかも限界なんだよ美貴さんは」
と言うとき二人はけもの道の入り際で、しな垂れ伸びる影に覆われていた。
美貴は右手のコートを見やった。と同時に体が引っ張られる。小春がバッグを掴んでいた。
「待ってってば、お姉ちゃあん」
さらに強く振り回され、ころり、彼女は倒された。
5 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:41



「なんだよ?」
美貴は尻餅をついたまま応じた。平坦な声だった。
小春はぴくっとそれに反応し、ううん、静かに首を振った。
「おい、なによ?」
今度は笑い、美貴は立ち上がって荷物を拾った。片方のバッグは小春の手にぶら下がっている。
彼女の視線もその辺を彷徨う。うん、首を振った。
遠くから竹の葉の擦れる音が伝わってき、かさかささ、抜けていった。
小春が微かに身を竦めた。美貴は自由な手で頭を掻く。

「で?」
小春が頭を上げる。
「え?」
「それで?」
あの、小さな声に美貴は、
「本当に見たわけUFO?」
再び下がりかける頭を、ぽんぽんと叩いた。すると彼女はほっとした顔で、
「ほんとだってば」
元気な声を張り上げ、先ほどの草地へとぐいぐい美貴を引き戻した。

「でも、あれでしょ結局」
今度は周辺も確認した上で、美貴は荷物と腰を下ろした。
「飛行機とかそういうの」
「はあ? ちっがーう、絶対違う。本当にゆーふぉー」
「そう、違うの。飛行機とか気球とかハンググライダーとか、なんかの反射とかに違いないの」
「違わない、本物」
「飛行機なんだよ小春ちゃん」
ほら、美貴が指した空をブロペラ機らしきものが一機飛んでいく。
「あんな感じの」
「あんなんじゃ、なあいっ」
小春は自分の膝を叩いた。いつの間にか、ちょこなんと隣に座っていた。
6 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:42
美貴はしかし平然として、
「でも、ぶーん言ってるよ」
「は?」
「いや、お前さっき言ったじゃん、ぶーんて飛んでたって」
「言って、ない」
叩くぱし、ぱしが音節に合っている。
「じゃ、ぐーんだったかな」
「ぶーんも、ぐーんも、言って、ません」
「はあ? 何か言ってたじゃん、ぐーんでもぶーんでもいいけど」
「言って、ないっ。UFOだよ? 音するわけないじゃん。もうすいすいーって」
「すいって言ったの?」
「言ぃわぁなぁいーのっ。光ながらひゅんひゅんて感じだったんだから」
と小春が腕を振りまわす。美貴はそれじゃあ反射っすね反射と手を打ち寝転んだ。

「もお、美貴ちゃんのバカ。へそ曲がりっ」
「そうお? 美貴綺麗なお腹してるよ」
すると小春も寝転んで、
「こないだ帰ってきたときは、ぶくぶくだったよね」
「はあ? なに言ってんのお前、ちょっとだけふっくらしてたんだよちょっと」
「嘘お、やばかったよかなりぃ」
「そんなことありませんー」
「えー、はちきれそうだったじゃん美貴ちゃん」
「嘘だねぇ」

「えー、えー、だってあの時は」
と小春は美貴のわき腹をつまんだ。うっわ、大げさに驚く。
「今もちょっとまだやば」
「ふざけんな、てめえ」
しかし小春は目の前の腹を指で突付いて、
「やばいやばい。美貴ちゃんやばい。デブだデブぅ」
殺す、陽光が赤く美貴の目に耀いた。小春は跳ね起きる。
「逃がすかっ」
怒号が遥かに轟き渡った。
7 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:46



「ほええ、ほめんなはいい」
捕獲された小春が、頭をぐりぐりされ呻く。謝り方がふざけていると美貴は力を強めた。
「うおお、そんなことないです、反省してますぅ」
「では、きちんと謝りましょう。はいどうぞ」
息絶え絶えの口から、ゴメンねと音が漏れる。美貴は解放しなかった。
「ゴメンなさいでしょ?」
「ゴ、ゴメンなさい」

そのまま美貴は軽いテンポで、
「ゴメンなさいお姉様、はい」
しかし相手は応じなかった。繰り返す。
「ゴメンなさい美貴様」
はいに合わせ攻撃した。ゴメンなさい、小春は呟くがそこで途切れた。
美貴は腕を緩めた。鳶が二羽高いところを飛んでいく。
彼女の肩を抱いて眺めた。すうう、風切りの音が聞こえそうなほど静かだった。

「美貴ちゃん、あたし知ってるんだよ」
しばらくして小春は言った。
「何を?」
「あたしお父さんとお母さんにこの間聞いたの」
「何を?」
「あたし実の子じゃないんだよね」
「知ってる」
「知ってるの?」
と小春は聞きながら、相手とは反対側へ頭を傾ける。
「あさって帰るからって電話したとき聞いた、お母さんに」
美貴も空を見やったまま答えた。

「ふーん」
「うん」
「じゃあ、美貴ちゃんそれまで知らなかったの?」
「や、知ってたよ」
「なんで教えてくれなかったの?」
と聞かれ美貴は腕を解く。鳶は山の背へと消えていた。
向き直り相手の目を見据えて、だって聞かなかったでしょと答えた。小春は不満顔になった。
「だって、知らなかったもん」

「じゃあ、なんで聞いたのお母さんに?」
と美貴から尋ねた。だって、小春は俯く。
それから静けさに飲まれてしまいそうな声で、テレビでそんなのあったからと明かした。
「ちょお前、それ一番ダメなパターンじゃん」
と美貴は呆れ、ため息をついた。だってだってと小春は駄々をこねる。
「ちょっと冗談で」
「や、シャレになったないからそれ」
美貴はばっさり切り捨てた。だって、その先はもう聞き取れなかった。
「まあ、しゃーないか、聞いちゃったもんは」
彼女の髪をわしゃわしゃと乱して側を離れた。右手の麓にこじんまりとした中学校がある。
8 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:48
桜まだだなあ、と美貴はそこの黒いかたまりを残念がった。小春は髪を整えながら、
「いつも咲き出すの四月でしょ」
「じゃ、こっちいる間にゃ無理か」
「どのくらいいれるの? 咲くまでいればいいのに」
「うーん、いようと思えばいれるけどねえ」
「ん?」
「道場開くんじゃない?」
と美貴は肩を落とした。あはあ、小春が笑う。
「申し込み好調らしいよ」

あのはげおやじが、と美貴が悪態つくのを小春は後ろから楽しげに見ていたが、
「ちょうどいいから美貴ちゃんも参加したら? うちの断食道、いえ、なんでもないです」
振り返る美貴の眉間に、それは消え入る言葉尻となった。すすん、美貴は涙を拭うマネで、
「やっぱりダメ、耐えられないわ。道場開いたらもう即帰る。肉食えないのにいる意味ないもんっ」
「お寺の子なのにほんとお肉好きだよねえ美貴ちゃん。梅干美味しいよ」
「関係ないしそれ。ああ、どうしてうちは。食べられるなら美貴絶対必ず毎日朝から」
「ねえ、美貴ちゃん」
と彼女の肉慕情の吐露は遮られた。

「知ってたんだよね、美貴ちゃん」
「ああ、うん」
「でも後から考えてみたらそれっぽい感じあったんだ確かに」
小春は微かに口をすぼめている。
「そお?」
「うん」
「お母さん褒めてたよ小春のこと。しっかりしてたって」
と美貴は右手を受話器があるかのように耳へ当てた。

「そうなの?」
「うん」
「だって」
「うん?」
「不安そうな顔してんだもん、お母さんすごく」
「じゃ聞くなよ」
「もう聞いちゃったもん」
「しゃーないなあ」
9 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:51
「美貴ちゃんはさあ」
「ん?」
「いつから知ってたの?」
「ああ? うん、どうだろう?」
美貴は首を捻った。あれえいつからだ、人差し指で額を叩く。
「分かんないの?」
「て言うか、気付いたら小春いたからさあ。ああでも、最初ってどうだったんだろう。
 確かにお母さんのお腹が膨らんでたっていう覚え、そう言われるとないんだけど、
 でも美貴もちっさい頃は赤ちゃんがどうやってできるのか知らなかったわけで。
 で、お年頃になってあれ? 小春ってそうなのかなって思ったりもしたんだけど、
 すげえ今更な感じして、だってもう十年は来てるわけよ?
 だから別に聞いてみたりしなくて、ああ、そういう意味じゃ美貴知らなかったのかも」
「なにそれぇ」
今更だしねと美貴は肩をすくめた。

「じゃ、じゃあ、美貴ちゃんはっ」
小春は勢い込んで、
「知らないの?」
「うん?」
「小春の、そのぉ、本当のっての」
「あー、うん、知らない」
「本当に?」
「ほんと」
「本当に?」
「ほんとだって」
「そっかあ」
「なに、知りたいの小春?」
「分かんない」

「聞けばよかったのについでに。って言っちゃダメか」
「聞けないよ」
「なんで?」
「そんなのあたし興味ないよって方が良いかなって思ったし」
「お母さん?」
「うん」
「まあ、そうかもね。ほっとした感じあったし」
「そうなんだ」
「感じね」
「そっか」
「感じ」
10 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:52


11 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:56

美貴は草に寝転んでいる。隣でこめかみに筋を立てた小春がコートの泥と格闘していた。
「もういいって」
「うん、でもここ」
と小春が縫い目に沿って指でかく。視界の端に見ながら美貴は鼻の息を抜いた。
「小春さあ、コンドルっているでしょ?」
「飛んでいくやつ?」
「そう。でもあれ、実は飛べないって知ってた? パタパタって」
「ふえ?」

それがさあと美貴は立肘に頭を乗せて、
「あれって体が重すぎて空飛べないの。山頂から飛び降りてるだけなんだよムササビみたいに。
 それだって寒がりだから、お日様でよく羽温めてからじゃないと無理なの。
 で、地面に降りた後なんだけど、登るんだよコンドル。とことこ歩って登るの。ありえなくない?」
「えー、本当にー?」
「ほんとだって。ウケるよねー、もう鳥違うでしょって感じじゃね?」
と美貴の爆笑するのに釣られ、小春もつい手を止めた。可笑しがりながら、
「でも、なんでコンドル?」
と尋ねる。すると彼女はきょとんとして、さっき飛んでたんでと答えた。
「コンドルが?」
「多分違うけど」

てきとー、と小春は呆れた。
「その話もやっぱ嘘っぽい」
「はあ? ほんとだって、テレビでやってたんだって」
「ほおら」
「違う、教育番組なのそれは」
それを聞いた小春が、教育番組っと噴き出すので、
「お前、バカにしてんな」
おいおい、と美貴は指先で草をちぎって投げつけた。小春はコートで防いで、
「でもバカでしょ、そんで嘘つきだし」
「美貴頭いいし、嘘もつかないもん」

嘘ですう、小春はおどけて体を揺すった。嘘じゃないですう、美貴も負けずに対抗した。
「美貴はあ頭いいですう。嘘なんてえついたあことないですうー」
と節を付ければ、小春がそれが嘘ぉと歌い上げる。美貴は口を歪め眉根を寄せた。
手をそっと地に置き、一度ぉもなあいですう、可能な限りに指を広げごっそりと掴んで、
「よっ」
投げつけると青い匂いが漂った。
12 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 08:58
文句を言い言い小春はジャージを払う。美貴は寝たまま顔の葉を摘んだ。離すと風に乗り飛んでいった。
「南西の風、風力3」
「北風じゃないの? あっちから吹いてんだから」
「いいんだよ、どっちでも」
と新しいのをちぎって上へ放った。キラキラする空は同じように飲み込んでみせた。
小春は肩をすくめた。それから手にしたままのコートをジャージに羽織った。
へへ、袖を通した小春は照れ笑う。思い出したように裾の汚れを、ぱっぱと隠し見せした。

そのおどけた様に美貴は微笑むと草を放り、
「最近ゴルフはまってんだ」
「ゴルフ? 美貴ちゃんが?」
意外という声を小春は上げた。
「友達が先やっててさ。それで美貴、もう激ウマよ。プロ級?」
「へー。スコアって言うの? 美貴ちゃんは?」
「ああ、美貴まだコース出たことないから」
「はい?」
「打ちっ放し専門なの」
「打ちっ放しって?」
「知らない? みんな一列に並んでネットの方にどんどん勝手に打ってくやつなんだけど」

すると小春は拳を振り、
「分かったあれでしょ。おじさんが女の人の手とか腰触って、こうやらしく密着してくるやつでしょ?」
嫌っ止めてくださいと身悶えた。
「あーうん、たぶんそれ。あたしは触られてないけど」
「美貴ちゃんが女の子のお尻触ってそう」
「しねーよ」
「じゃ、なにしてるの?」
「だぁから、打ってんだよ玉。もうあれよぐいーんよ。美貴が打つとすごいんだからね飛んじゃって」
「本当にぃ?」
「ちゃんと当たったらね」
どばーん、美貴は腕を突き上げる。マニキュアの爪が柔らかく光を弾いた。
釣られて小春は首を回す、先ほど自分で言ったぐおーんの空へ。
ぼんやりと眺めていたら美貴が声を上げた。振り返ると彼女は頷いて、ボールかも、にやりと笑った。
13 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:01
「違う違う、そんなちっちゃいのじゃないもん。絶対本物」
「てゆーけどさあお前、じゃあ本物のUFOってどんなのよ?」
「どんなって」
「UFOってあれ、未確認飛行物体? 空飛ぶ分かんないのは全部UFOになるんじゃないの?」
それは、と小春は言い淀んだ。美貴はさらに口の端を上げて、
「ほうら、じゃあ飛行機だってグライダーだってボールだっていいじゃん、コンドルだってさ」
「コンドルなんていない、光らないし」
「じゃあ飛行機ぃ、ハンググライダぁー、ボールぅ光ったりするでっかいぼおるー」
小春はただ唸るだけ。はい美貴の勝ち、勝利宣言がなされた。

それじゃと美貴が立ち上がり背や尻をはたいた。悔しがっていた小春は黙る。太陽が傾き始めていた。
「そろそろ帰ろうぜ」
美貴は快活に言った。な、強いるところのない声に小春も、分かったと小さく応じた。
「お腹すいた?」
「とっくだっての」
美貴はほっと息をつくと、小春の足元にあるバッグを顎で示して、持ってねと命じた。

「えー、これなんかすっごく重いよ。やだあ」
「うっさい。嘘臭い話に付き合ってあげたんだから、それくらい当たり前」
「嘘じゃないもん」
はいはいと構わず歩き出す。小春はすぐに追いついてきた。興味津々の顔で、
「ねえ、これなに入ってるの? お土産?」
「はあ? なんで実家帰るのに一々土産買わなきゃいけないのさ」
との答えに小春はぶうぶうと不平を鳴らした。
「あたしゃむしろ、また帰る時には食料もらってくつもりだから」
「けちんぼ」

「貧乏が悪いんだよ、小春ちゃん」
美貴は嘆き、
「それもこれもあの坊主がいけないの。くっそ、丸儲けしてるくせに。もっと仕送れっての。
 ね、小春ちゃん、すべてあのお父様のせいなのよ。あの人がけちなの。分かった?」
と悲しげに首を傾げた。
「変わんないよ、二人ともけちだもん」
「なんだとー。もういい、小春にはお土産やんないから」
と美貴はそっぽを向いた。
「えー嘘つき。ないって言ったじゃん」
慌てて小春がファスナーへ手をかけるのに、
「嘘じゃないよ、入ってるのこっちだから」
竹やぶへと駆け込んでいった。
14 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:02



15 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:05

付きまとう小春をあしらいつつ、美貴は急激に光の減った中を歩いた。
未整備の小道はふかふかとしたところがあったり、張り出す硬い根が靴を引っ掛けたりした。
竹の葉が鳴り出す。しかし二人を囲む全方位で揺れ、吹きつけるまで風向きは測れなかった。
頬に受けるとき、反射的に美貴の体は震えた。どうかしたと小春が尋ね、隣へ回ってくる。
「ん? なんでもない。タケノコあるよ、ちょっともう伸びすぎだけど」
地面から顔を覗かすそれをぼんやりと蹴る。UFOてさと口を開いた。小春は警戒した。

「UFOって言うとなんか怖くない?」
「えー、そうかなあ」
「ほら、言うじゃん? 牛がUFOに連れ込まれて、内臓とか血とかごっそり抜かれちゃうの」
「美貴ちゃんモツ好きだから」
と小春は笑った。しかし美貴は真面目顔で、
「そう、大事なモツを、ハラミを、センマイをっ」
きつく拳を握り締めると、
「もしかして小春のお腹も」
のけ反って彼女の腹をわし掴んだ。うきゃあ、叫び声が竹やぶを揺らした。美貴はひとしきり笑うと、
「でもUFOより、かぐや姫とかの方が良くない?」
と聞いた。え、小春はまだ腹をさすっている。

「かぐや姫。空ひゅんひゅん飛ぶのがさ、なんかするかもの宇宙人よか、あチップ頭に埋め込んだり?」
とこめかみへ指を伸ばすと、小春は触れられる前に飛びのいた。美貴は面白がりつつ先を続ける。
「そんなおっかない宇宙人じゃなくてさ、かぐや姫みたいに自分メインで飛ぶ方がずっと良くない?
 いいじゃん最高。美人で貢がせまくった挙句、じゃあねってお迎えの車で月に帰ってくの。
 てか美貴かぐや姫イケるんじゃない? こんな竹がぴかー光ってて割ったらあれ、美しい美貴や姫が」

「無理っ。それにかぐや姫そんな話じゃないもん」
「えー、違うー?」
「かぐや姫もどっちかって言うと、連れ去られちゃう方でしょ、泣きながら」
「そだっけ? でもお腹抜かれたりしないでしょ?」
「絶対ない」
「なら良いじゃん。美貴だっていっぱい買ってもらったら涙くらい流すから」
それを聞いて小春は、バカだよね美貴ちゃんてと嘆息した。
16 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:08

笑い合いながら竹やぶを抜けると、舗装された道に出た。
しかし10メートル足らずで行き止まり、常夜灯を挟んで石段が後を接いで伸びている。
Uターン出来るスペースに、黒塗りのセダンが停まっていた。
どこもよく磨き上げられていて、覗き込む小春の姿が歪まずに映った。
美貴は階段の上方へと目を転じた。行くよ、興味の尽きない彼女を引っ張り登り始める。
「しっかし、相変わらず長いなあ、これ」
運動、運動と小春が繋がった腕を揺らした。
「わ、危ないだろ」
と美貴はふらつき手を離そうとするが、逆にぎゅっと握り締められた。
小春が笑いながらまた、しかし程よく腕を振る。美貴はされるがままに任せた。
踊り場と街灯に時々区切られながら、石段は延々と続く。

「一人暮らしでなにが嬉しいって、この段々がないことだね」
と切れ切れの息で美貴は言った。
「そんなこと? これくらいへっちゃらへっちゃら」
小春はむしろ元気が溢れる。美貴は恨めしそうに彼女を見やって、
「だって美貴、学校帰りとか町に遊び行った帰り、あの常夜灯に寄り掛かってこう見上げるとさ、
 ああもう帰りたくないっ、ていっつもいっつも思ってたわけ」
「段々嫌で?」
「嫌で」
「でも、それじゃ帰れないよ?」

だあからと美貴は殊更踏みつける様に足を動かし、
「もう頑張って頑張って登ったんじゃん、挫けずにさ」
「大げさだなあ」
「大げさじゃなく。そんでもうダメ美貴もう歩けないダメよ美貴頑張れ美貴ファイトよ美貴っ、
 て何度も思いながら登っていくと、ようやっく」
と視線を上げ、へへっと笑みを漏らす。
「あれ、あのボロっちい寺が現れて、そんで暗けりゃ提灯がぼうっと灯ってるのがようこそーって、
 ああ、なんとか今日も野宿しないで済んだわって思うわけよ。やー、おうちー」
笑う膝で最上段に立った。ゴールと振り上げられた手を小春は離し、よく頑張りましたと背を叩く。
17 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:12
美貴はしっしと追い払った。本堂正面に提げた大提灯には火が入っていない。
右手の真新しいコンクリートの建物に沿って回り込むと、本堂の陰から木造住居が現れる。
お客さんかな、美貴が言うと小春も玄関の人影に気付いた。
夫婦然とした壮年の男女が、別れの挨拶らしく剃髪の男に深く頭を下げていた。
女性はハンカチで目の辺りを押さえた。
それを眺め歩いていた美貴の視界から小春が消えた。足音もなかった。

振り返ると彼女は何メートルも後ろで立ちすくんでいる。バッグを持つ手が強張っていた。
あの、陰になり覗けない顔の小春が呟く。
「うん?」
「あっ、あのね、もう一個見たところあったんだUFO」
「小春?」
「あたしちょっとそっちも見てから帰るよ」
「帰るよって、もううちだよ」
「美貴ちゃん疲れたでしょ? いいよ、小春一人で行ってくるからご飯もらいなよ」
と彼女は方向を転じた。
「ちょっ小春? 待ちなよ」
美貴は小走りの彼女を追った。二人は鬱蒼とした林へ分け入っていく。

「あのさあ」
と美貴は狭い樹間にバッグを引き寄せ、前を行く背中に続く。
「うん」
「まさかと思うけどさあ」
「うん」
「それ違うよ」
「うん」
「好調なんだろ申し込み?」
「うん」
小春は振り返らずに進んだ。美貴はふうっと息を吐き出すと、
「絶対違う」
「うん」
「だって、それじゃちょっと出来すぎでしょ?」
そうだねと小春は進む。美貴も続く。バッグが枝に引っ掛かったので振り払うと側面に穴が開いた。
18 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:13


19 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:15

新しい空き地は先のに比べるとずっと狭かった。
地面は凸凹の岩だらけ、景色もただでさえ翳り始めた陽では麓まで届かず、冷たい表情だった。
ただ左手の入り組んだ山肌に、二人の寺が一部ではあるが確認できた。
小春はそちらから顔を背け、硬い岩の上に体育座りしている。見上げる空には鈍色の雲がかかっていた。
美貴は斜め後ろの岩に腰掛け、時々ひょうと吹く風に身をちぢ込ませる。

「美貴ここ初めてだ。小春はよく来るの?」
と声には震えを持ち込まず、明るく尋ねた。
「ううん」
「そんなでもない?」
「うん」
「二回目?」
「ううん」
「三回目?」
「うん」
「そっか」
「うん」

黒い鳥が一羽里から帰ってきた。カラスなのか違う種か、美貴には見分けられなかった。
目を反らせてもないのに見失った。風が吹き付ける。匂いはない。
それでも一杯に吸い込むと、知ってる? と変わらない調子で話を接いだ。
「美貴のこと知ってる?」
「え? 知ってる」
「じゃなくて」
「じゃないの?」
「美貴のこと」
「なに? 知らない」

「聞かなかったんだ?」
「なにを?」
「美貴のこと」
「聞いてない」
「じゃ知らなかったか」
「だからなに?」
「美貴も実の子じゃないって」
20 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:18

嘘だ、小春が言うのに数拍あった。
「嘘じゃないよ」
と美貴は間を置かなかった。
「嘘だよ」
「嘘じゃない」
「嘘」
「本当」
「本当に?」
「本当に」
「どうして?」
「や、どうしてってあたしに言われても」
と美貴は吹き出した。じゃあ、小春がそっと振り返った。ただ顔はうつむいたままで、
「美貴ちゃんは聞いたの?」

「なにを?」
「本当の」
「ああ」
「聞いたの?」
「死んじゃったみたい両方」
と美貴はこだわる様子もなく言った。
「本当に?」
「ほんと」
「それでいいの?」
「いいのって言われても」
あゴメン、小春は謝った。いいよと美貴は手を払う。
21 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:20
でもやっぱりと小春は顔を上げた。
「嘘だよ」
「美貴は嘘つかないから」
と相手の目を見つめる。小春は目を反らした。
美貴はふっと笑うと、嘘じゃないよ、繰り返した。小春が頷く。美貴も大きく頷き返すと、
「そんじゃあ小春、お母さんたちには黙ってよう」
「ええ、なんで?」
と彼女が驚くのに、なんでってとしばし考え込んで、
「言わなくていいよ、わざわざ。小春知らないんだし」
「知ってるよ?」
「知らないの、小春は」
でも、と小春は渋った。

「うん、聞いてないんだから小春知らない方がいいって」
「よく分かんない」
と彼女は首を捻るが、分かんなくていいのと諭され、ゆるゆるとまた頷いた。
美貴は機を逃さずに、小春は知らないと確認した。
「うん、知らない」
「聞いてない」
「聞いて、ない」
「だから言わない」
「だから言わない」
よしっ、そう笑いかけると、小春も嬉しそうに、うんと答えた。
22 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:27
満足の美貴は腰を上げた。ストレッチして膝関節を伸ばす。
「でも、だから美貴、お迎えは自分で用意しなきゃいけないんだよね。めんどさー」
息を吐いて前後屈の運動をしつつ小春の側に立つ。小春は見上げながら、
「美貴や姫大変だ」
「大変だ。それにお月様がどこかも分からないし」
「どうするの?」
「どうって、おうち帰るよ。他帰るところないし」
でも、小春は口ごもった。美貴はわざとらしく、
「えー、美貴帰っちゃダメなのお?」
「そんなことない。ないよっ」
ぶんぶんと小春の頭が左右に振られた。

「じゃ、帰ってくるよ。はげ親父はけちだけど、お母さんも小春もいるし」
と美貴は手に掴んで動きを停めた。小春は前頭部を押さえられたまま、
「お腹すかせて?」
「ぺこぺこで」
「お肉食べに?」
「がんがん食べに」
「お土産は?」
「お金あればね」
けちんぼと鼻をすすった。

太陽が山の稜線に消えようとしている。雲は空の一方で青黒く解け、反対で赤く燃えていた。
コートに今も汚れがあるのか判別つかなかった。美貴がぶるっ体をと震わせる。
もう暗いや、バッグを拾い抱きしめた。小春は立ち上がってコートに手をかける。
美貴はそれを手で制した。それから、あそこと指差した。
小春は彼女の示す方を見た。薄闇の中で一つ、ぼんやりと橙色の灯りが滲んでいた。

「うちの提灯だね、小春」
「そう、だね多分」
「多分じゃないって。あんなのうちくらいだよ、電気違うし。やばかった、あれなきゃ道迷ったかも」
な、笑いかける顔はすぐ近く、小春にもはっきり見てとれた。
「そうだね、帰ろっか美貴ちゃん」
と言うとき、最後の陽が雲間を抜けて射し込む。瞬間彼女の全身は花咲くように耀いた。
23 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:30
美貴は小春の髪をくしゃくしゃっと乱す。もお、という抗議を無視して、
「それじゃ、そろそろ帰還しようではありませんか小春さん」
促した。歩き始める。
「ほら、あたし道知らないんだから、あれだけじゃ帰れないんだよ。てか美貴まだうち帰ってないの?」
あれどこからだっけと迷う横を、しょうがないなあ、小春が追い抜き木立の中へと飛び込んでいく。

ちょ速いってと美貴の慌てる声に、
「小春号、どーん」
彼女はむしろ加速して、橙の光に向かって突き進む。えちゃ、美貴の耳に切れ端が届いた。
「え、小春なんて?」
しかし返事はなく、ただ葉の擦れる音、踏む枯れ枝のこだまが響いた。目指す灯が次第に大きくなる。


「お姉ちゃんっ」
闇を払うような声が前から上がる。
「こちら小春こちら小春、ただ今基地に帰還中。お姉ちゃん応答せよ、どーぞー」

「こちらお姉ちゃん、どーぞー」
後ろの声がそれに応えた。

24 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:33

― 終わり ―
25 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:34

― 終わり ―
26 名前:  投稿日:2007/03/31(土) 09:34

― 終わり ―

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