21 天国の扉

1 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:06
21 天国の扉
2 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:08





墨を塗ったような東京の空は白み始めていたけれどもそんなことは私には関係のないことだ。
私の意志がどうあろうと夜は明けるし日はまた昇りそして沈んでゆく。
目の前の箱。小さな箱。手のひらに収まってしまいそうな箱。ただ、それだけに目を奪われていた。
パンドラの箱の中には数え切れないほどの悪意とひとかけらの希望が入っていると言うけれど、私
の目に映る箱の中には、枯れた葉を巻いたちっぽけな紙切れが13本。火をつければあっという間
に煙となって消える他愛もないものだ。

けれど、あの言葉がよみがえる。13本目の煙草には、吸った人間を天国へと導く力がある。

天国。私はこのひどく曖昧であやふやな存在を信じることができない。人は死ねばみな天国へ、ま
たは地獄へ行くなんて嘘だ。天国なんて、いやおそらく地獄でさえも生にしがみつく人間が死の向
こう側を恐れるあまり作り出した妄想の産物だ。なのに。どうして。
私はこんなにも目の前の煙草の箱に見せられているのだろうか。
偶然。興味。現状打破。疑心暗鬼。希望。絶望。自暴自棄。
いくら言葉を並べつくしても、言葉は意味を返してはくれない。それどころか、開け放たれた窓か
ら吹き込んだ夜風が意味をなくした言の葉を散らせてしまった。
きっと、私が知りたい真実は私自身が煙草を手に取りそして火をつけるまではわからないのだろう。
3 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:09


                 ◆

4 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:10





あいぼんが煙草を吸っている現場を写真週刊誌に撮られたのは、冬の寒さが日に日に厳しくなって
いったある日のことだった。事実を知った私たちは事務所に集められ事件のあらましとこれからの
対応、そして私たち自身への警告にも似た注意喚起が行われた。昨日まで一緒に歌い共に頑張って
きた仲間の起こした事件に衝撃を受けた私たちは、そのことだけでもう疲労していた。安倍さんの
時や矢口さんの時もそう感じていたけれど、私にとっては今回のことは自分と同じ年の人間が起こ
したということがより深い衝撃と疲弊を引き起こしていた。
ふと横を見ると、のんちゃんの顔があった。彼女の顔にもまた疲労の色が濃く見える。それもそう
だろう。彼女にとってはデビュー間もないころから一緒に仕事をしてきた相方のような存在、それ
を失うことの悲しみは計り知れないものがあるに違いない。そんなことを考えていると不意に、

「コンコン、あとで話があるんだ」

とのんちゃんに話しかけられた。先ほどまでの憂鬱そうな表情が嘘のように、いつもの彼女の顔だ
った。まるで「新しいケーキ食べ放題のお店見つけたから一緒に行こうよ」と言わんばかりの。
瞬時に過ぎるのは、疑念。どうしてのんちゃんはそんな顔をしていられるの? これじゃ、まるで
さっきの神妙な顔つきが演技だって言ってるようなものじゃないか。その疑念が晴れることなく事
務所のお偉いさんの話は終わり、私たちは暗澹たる空気から解放された。
5 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:11


まさか本当にこんな場所に連れて行くとは思わなかった。
ガラス張りの窓際の席に座る私。虚ろな結晶に映る私の顔もまた、憂鬱そのもので。そんな私の背
後から、明るい声がする。

「お待たせコンコン」

のんちゃんが、プレートいっぱいにケーキを積んでやってきた。そのすべてが、黄色い小さな光沢
を湛えている。全部、モンブランだ。
最近ちょっとはまっててさあ。そんなことを言いながらのんちゃんは私の向かいに座る。コンコン
も取って来なよ、と言われたけれどとてもそんな気にはなれなかった。代わりにのんちゃんのモン
ブランの山から小さな一切れだけを分けてもらった。
彼女の食べっぷりはいつもにも増して凄まじかった。加えて、異様だった。
モンブランのクリームの部分だけを銀のフォークでこそぎ取って、口に運ぶ。下のスポンジはまる
でいらないものであるかのように、白い皿の端に寄せられる。そんな作業が何回も、何十回も繰り
返されていた。

のんちゃんの話って何だろう。
この場所にどうしてやって来たかを思い出したのは、彼女が持ってきたモンブランの解体作業を半
分ほど終えたときのことだった。あんな事件が起こった後の今だ、しかも彼女は当事者に一番近い
立場にいた。話があいぼん絡みだというのは火を見るより明らかだった。
けれど私の予想は大きく裏切られることになる。
6 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:12
「コンコンさあ。13本目の煙草って、知ってる?」
「え?」

私がよほど間抜けな顔をしていたのだろう。のんちゃんはころころと笑い声を上げはじめた。
抗議の意味を込めて頬を膨らませると、ようやく彼女は笑うのをやめて、涙を拭ってから話の続き
をしはじめる。

「あのね、煙草って大体が20本入りじゃん。でも、本当にごくたまに、宝くじを当てるよりも難
しいくらいの確率で、13本入りの煙草があるんだって」
「……ただの梱包ミスとかじゃなくて?」
「うん。しかも、手に持った時はわからなくて、開けてみてはじめて気がつくの」

何とも不思議な話ではあるけれども。
あいぼんの事件があったのに煙草の話をするなんて。のんちゃんは確かにがさつで大雑把なところ
がある子だけど、決して無神経な人間じゃない。その奥にはきっと、彼女の言いたいことがあるは
ず。そんなことを思いながら、私はのんちゃんに話の続きを促す。
7 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:13
「それでね、その13本目の煙草を吸うと……天国にいけるんだって」
「天国?」

思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
私は天国という存在を信じていない。もちろん、神様の存在も。無神論者、と言っていいのかもし
れない。そんなものは、所詮は弱い人間が何かにすがるために作り出した便利で都合のいい存在に
過ぎないのだから。
けれどものんちゃんの表情は私の持論など寄せ付けないほどに、真剣だった。だから私は彼女の言
葉を無碍に否定することなく、

「へえ。何だかロマンチックな話だねえ」

と言った。のんちゃんは何も答えなかった。

「でもさあ。もしも13本目の煙草を途中で消しちゃうようなことがあったら」
「あったら?」
「きっと天国にはいけないで、神様から罰を受ける」

途中で消す。罰を受ける。
あいぼんのことを指してるのは明らかだった。
のんちゃんが私をここへ呼んだ理由。他愛もない都市伝説にすがる理由。
彼女なりに、あいぼんのしたこととその結末に、理由をつけたかったのかもしれない。
目の前のモンブランからは栗色のクリームは全て取り去られていて、後にはスポンジが残っている
だけだった。
8 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:13




私の中に大きな痕跡を残したあいぼんの事件とのんちゃんの話。けれどもそれは忙しい日々という
名の大きな流れによって忘れ去られようとしていた。事務所からはあいぼんと連絡を取ることは禁
止されていたし、のんちゃんが13本目の煙草の話をすることもなかった。砂浜の上に拵えた砂の
城が波に洗われるうちに崩れてなくなっていくように、私もそしてきっとのんちゃんや他のハロー
の子たちも日常へと帰っていった。
再び私が非日常の腕に囚われたのは、事務所の思いがけない発表がきっかけだった。

紺野あさ美は、7月をもってモーニング娘。及びハロープロジェクトを卒業します。

晴天の霹靂だった。
最近ハローの台所事情が苦しくなっていることは肌で感じていたけれど、それにしても突然で唐突
な一方的な通告だった。どうして私が大好きなモーニング娘。を、大好きなガッタスを辞めなけれ
ばいけないのか理解できなかったけれど、その不満をぶつける相手は存在しなかった。
それから少しして、私の卒業に高卒認定試験受験のため、という筋書きが付け加えられた。
9 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:14
「でもさー正直やってらんないよね」

麻琴は開口一番、そんなことを口にする。
彼女もまた今回のリストラの被害者だった。私とは違ってハローには在籍する形にはなるけれども、
それは口約束にも似た曖昧な約束だった。
卒業が決まってから、麻琴と電話で話すことが多くなった。モーニングの仕事中だと他のメンバー
もマネージャーさんもいるから滅多なことは話せない。だから、電話という形で二人だけの空間が
設けられると私たちの口に堰が築かれることはなかった。

「にしてもお互い無理やりな理由付けだよね」
「うんうん。確かにあたしも海外で色んな世界を見てみたいとか言った気もするけどさー」
「私は唐突だもん。大学とか考えたこともなかった」
「こっちだって海外留学とか思いもしなかったって。大体どこ行くんだよっつーの」

ふとある考えが頭を過ぎった。
麻琴の『どこへ行くんだ』という言葉が引き金になったのかもしれない。
私は一体どこへ行くんだろう。事務所のシナリオ通り高認試験を受けて、仮に合格したとして、そ
れで大学に入ったとして。
私は何をすればいいんだろう。モーニング娘。としてがむしゃらに走ってきた今の私に、他にやら
なければいけないことって、あるんだろうか。
10 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:15


「コンコン、ちょっとコンコン聞いてる?」
「あっ、うん、聞いてるけど」

麻琴への返事も名前返事になってしまうくらい、何も見えなかった。
やりたいことも、行きたい場所も、まるで見えない。
理不尽な大きな力によって、光の挿さない暗闇に放り込まれたような気分だった。手探りで歩くに
は、目の前の道は果てしなく長く厳し過ぎる。
麻琴は見えているの? そう訊ねようとしたけれど、やめておいた。暗闇の中隣に人がいれば安心
はできるだろう。けれども、だからと言ってその暗闇までが晴れるとは到底思えない。それに、仮
に彼女がそんなことを思いもしていなかった場合、彼女を先の見えない世界に道連れにする行為以
外の何物でもなくなってしまう。

結局その夜はどうでもいいようなことに話題を移し電話を切った。
けれども布団の中に入っても、一度露見してしまった不安が消えることはなかった。
先が見えない不安なら誰だって抱えている。人はそれを今までの実績や経験で乗り越える。
けれども私には、それがない。これではまるでオールのない舟で夜の海を渡るようなものだ。
そうだ、いっそのことどこか果てしなく遠くへ行けばいい。人の手の届かない、遥か遠くへ。
11 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:15


             『死』

12 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:16
そんな一文字が大きく浮かび上がり、咄嗟に私は否定する。
死んだところで一体何になると言うのだろう。そこまで私は追い詰められてはいないし、そんな自
覚すらない。ただ、誰も行き着くことのない遠くへ行きたいだけ。
そこではじめて、かつてのんちゃんが語ったことを思い出した。

『13本目の煙草を吸うと……天国にいけるんだって』

天国。
人が造りし現実逃避のためのまやかし。
でも、今私を襲っている不安から逃れることができるのなら。いや、もともとが現実逃避のために
作られたのなら、現実逃避のために使って何が悪いのだろう。
私はいつの間にかベッドを抜け出し、外へと駆け出していた。
13 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:17


手持ちのお金全て使って、コンビニの煙草を買い占めた。
夜勤疲れを顔に浮かべた若い店員は目を丸くしていたけれど、私は気にすることなく買い物袋に煙草を
詰め続けた。
家の近くのコンビニはほぼ全て回った。おかげで私の部屋はカートンで埋め尽くされた。それを手
当たり次第に剥き続け、封を切って中身を確かめた。
20本。
20本20本20本20本20本20本20本。
当たり前だ。どこの世界にわざわざ13本しか箱に梱包しない人間がいるのだろうか。仮にそんな
ものが存在するとしても、たかが数軒回っただけでその奇跡に遭遇できるとは思えなかった。
それでも私は中身を確かめ続けることを止めなかった。布団に入り泥のような葛藤に身を沈めるよ
りは多少はましなように思えたからだ。
14 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:18


                 ◆


15 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:18



そして私は今、目の前の箱をずっと見続けている。
驚いたことに、最後に開けた箱の中には煙草が13本しか入っていなかった。
何という偶然だろう。いや、私がそれを手に入れることは既に決まっていたことなのだろうか。
とにかく後は、13本目の煙草に火をつけるだけ。
そんな簡単なことができずに、ずっとテーブルの上の四角い物体を眺めている。
細かく神経質に時を刻む針の音だけが、部屋にこだまする。
怖い?
否定はしなかった。確かに私は怖がっている。でもその恐れの正体が天国へ行くことなのかそれと
も幻想が破れて再び冷たい現実を突きつけられることなのかはわからなかった。
それでも。何もしないよりは。
外はすっかり夜の闇が薄れ、鳥のさえずりが遠くから聞こえ始めていた。
ゆっくりと、ちっぽけな箱に手を伸ばす。
16 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:19



17 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:19






18 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:19




19 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:20





「22、23歳になった時、こうなっていたいという夢があるんです。希望校も自分の心の中にあ
ります。合格は来年になるか再来年になるか分からないけど、頑張ります」



20 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:21



13本目の煙草は、今でも私の部屋の勉強机の奥で眠っている。
結局私は、煙草の箱をあけることはなかった。
私がほんの一時期渇望した天国は、その扉が開かれる前に姿を消してしまった。
それは暗闇に立ち向かうことを決めたわけでは決してない。でも、何もしないよりは何かをしたほ
うがいいと考えた時に気がついたのだ。何もしないうちから誰も手の届かないどこかへスキップす
るのは、何だか癪にさわる。
とりあえずは目標を立てて、その目標を達成するまでは。

その時までは。
21 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:24
川o・-・)y-~~
22 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:25
川o・-・)y-~~
23 名前:21 天国の扉 投稿日:2006/08/20(日) 22:25
川o・-・)y-~~

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