06 パンがひとつならわけわけね

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:38
パンがひとつならわけわけね
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:38
のどかな牧場に「もっかい最初からお願いしまーす」の声が響く。
オーバーオールに軍手、麦わら帽子に身を包んだなっちは
しゃがんでぼーっとそれを聞いている。

朝からずっと、お昼も食べずに撮影が続いていた。
牧場という和やかなロケーションに逆らった緊迫のシーンで、
監督さんを始めスタッフさんも他の共演者さんも
ぴりぴりした雰囲気の中見守っている。ちょっと、息苦しい。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:39
お腹がきゅーって音を出して、なっちはこっそり静かに
撮影現場から離れる。なっちの出演はもっともっと先だし、
ほんのちょっと、5分もかかんないから平気だよね?
そぉっと、鞄を掴んだ。

忍び足は早足へ、やがて駆け足へ変わる。
荷物置き場に着いてところで軍手を脱いでなっち、自分の
鞄からフランスパンを出した。
やっぱりきっちり食べないと。朝昼さーんじ夜深夜♪ってね。
歯のために食べ始めた硬いそれを散切って、口に放り込んだ
瞬間。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:39
「なっちお姉ちゃん」
と囁き声がした。パンをもぐもぐしたままそちらを見ると、
お揃いのオーバーオールを着たリュウ君が立っていた。
「見ぃちゃった」
ボクにもちょうだい、って笑顔を浮かべてる。

役の上でも実際に姉弟のリュウ君とは、割とすぐに打ち解けられた。
小学生とは言えさすがにプロで、台詞もしっかり覚えてて演技にも
妥協なく監督の意見にも大きな声で答えてる。けれどカメラが
回っていない場所では、まだまだ子供の顔を見せてくれていた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:39
くすくす笑みがこみ上げてくる。
小さく散切ったパンを差し出すと、リュウ君は口を近づけて
直接食べた。ふふっ。可愛いなぁ。
そうね。味気ないけどひとつしかないパン、みんなで
わけわけしなくちゃね。

なかなか噛めないパンをふたりでもぐもぐ。そして抜け出したのが
迷惑かけてないうちに戻った。ふたりで、走って、手をつないで。
「内緒だよ」「うん」
別れ際にそぉっと指きり。ささやかな秘密が、私達をより親しくする。

そしてこれは毎日の、ふたりだけの儀式になった。
撮影中にそっと目配せして抜け出して、静かに静かに会話を
しながら、パンをわけ合うこの大切な時間ごと。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:39
「リュウ君さぁ、クラスに好きな子とか居ないの?」
「いないよ」
「嘘」
「ほんと」
「嘘」
「ほんとだって」
「実はいるんでしょ。ねねね、お姉ちゃんにだけ教えてよ」
「あ。もしかしてなっちお姉ちゃん、ボクに惚れたんでしょ?」
「あのねぇ」
「‥‥」
「‥」
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:40
「お姉ちゃんはちょっと悪い人が好きなの」
「わる?」
「そう、ワル」
「えー不良ってこと?マジっすか?怖くないの?怖いじゃん」
「そう思うのはキミがぁ」
「ボクが?」
「坊やだからさ」
「‥‥」
「‥」
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:40
「なっちお姉ちゃん、たからものって何?」
「えっと、家族と友達とメンバーです」
「えぇー。そういうインタビュー向けの答えじゃなくって」
「本当はおばあちゃんに作ってもらったぬいぐるみかな」
「子供っぽいね」
「失礼な。あ、そのぬいぐるみ、ちょっとリュウ君に似てるかも」
「ふぅん」
「何よ、聞いといてそれだけ?」
「たからものと言ったら腕時計なのかと思った」
「‥‥」
「‥」
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:40
一週間の撮影が終わって打ち上げの夜。スタッフさんや
共演者さんが楽しそうな中、お酒がダメななっちは飲茶楼を
片手に壁の花になっていた。
主演の女優さんの挨拶を聞いていると、「なっちお姉ちゃん」
リュウ君がいつの間にか横に居た。
「あ、リュウ君。今日までお疲れ様」
「あとでさ、なっちお姉ちゃんの部屋に行くね」
えっ?
「すごいの見せてあげる」
突然の言葉。視線を向けると真っ赤な顔。
答える間もなく、リュウ君は人の輪の中へ駆けていった。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:41
夜。もうすぐ十二時になる。
ひとりひとりに割り当てられた牧場の部屋の中で、
なっちは何度も行ったり来たりしていた。
いつもならもうパジャマに着替えてごろごろしてるけど、
今日はまだワンピースにカーディガンを羽織った服のまま。
うぅん。リュウ君は何しに来るんだろ?
そう思って浮かんだ映像を慌てて手でかき消す仕種。
そんなまだ小学生だし、なっちより九つも歳下だし、
でもチュッってくらいなら減らないし、ほっぺならきっと――。
こんこん、と音がした。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:41
はっとして耳をすますともう一度、確かに聞こえた。
でもドアからじゃない。窓の外?
近寄ってカーテンをそっとめくる。覗くと、リュウ君が居た。
「ちょっともー驚かすのなし!」
ほっと息を洩らす。リュウ君も別れたときとな同じカーキの
パーカーとベージュのキュロットで、ポケットに手を入れている。
「ちょっと待ってね。今鍵開けるから」
聞こえてないかも知れないと口パクで、鍵を指差しつつ伝える。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:42
「なっちお姉ちゃん」
えっ?
はっきり聞こえた。まるで耳元で囁かれたように、しっかりと。
視線を戻したリュウ君の顔から、右の耳が。

ぽとりと落ちた。

「ぉえぇちゃん」
それからゆっくりと左の目玉が抜け落ちた。右目とはなの穴から
だらっと血が流れた。口がだらしなく開いてごふっと血と歯が落ちる。
「いたぃょ」
おでこがぼこっとへこんで、散切れた耳のところから、何か
白いものがでろんと出かかってる。話すたびに血が飛び散る。
「あうぃょ」
差し出された腕が不自然に曲がってる。骨が飛び出てる。
「たうけてょ」
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:42
あ、あ、あ、、、、。
口を動かすけど声が出ない。やだ。やだやだ。
カーテンをしめた。逃げようとしたけど腰が抜けて座り込んでしまう。
「おえぇちゃん」
窓ガラスをことことと叩く音がする。低くくぐもった声が聞こえる。
べちゃべちゃと何かひきずってる。
「ぃあいょぉ」
耳をふさいで目を閉じた。怖い。怖い怖い怖い。怖いの!
ぼろぼろと涙が溢れる。何よこれ何なの何よ!
「もぉやめてよ!」
叫んだ瞬間、すぅっ、と音が止んだ。

気がつくと、ベッドに居た。カーテンの合わせ目から光が射している。
朝になっていた。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:42
朝からずっと姿が見えなかったリュウ君は、
正確にはちょっと前までリュウ君だったものは、崖下から見つかった。
牧場に置いてあったオートバイもその近くで大破していて、
おそらくオートバイごと崖から落ちたのだろうと言うのが警察の
見解でした。

死亡から数時間しか経っていないのに、
バイクの重みで潰され、夏の暑さで腐敗し、
鳥や動物に目や耳がかじられていて、リュウ君はほとんど人の形を
してなかったそうです。

警察も撮影のスタッフさん達もわからなかったのは、
なぜ真面目なリュウ君がそんな、オートバイを無断で借用して
無免許で乗ろうとしたかってこと。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:42
理由がわかってたのはきっとなっちだけ。
――すごいの見せてあげる。
なっちだけが、リュウ君がそんな「悪い」ことをしそうな理由に
気づいていた。でも言わなかった。言えなかった。
目を伏せる。軽く口唇を噛む。手をぎゅっと握る。

疑われたくなかったから。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:43
何度目かの夏が来た。
あの夜なっちが見たリュウ君が本物だったのか、夢だったのか、
虫の知らせだったのかは時が経つほどにあやふやに
感じられるけれど。

あの撮影をした日が、リュウ君の命日が近づくたびになっちは
押入れの奥にしまった箱を取り出す。ふっと埃を吹き払い開けるたび
あれは夢じゃない、と強く想わされる。

なっちがおばあちゃんからもらった真っ白だったゴマアザラシの
ぬいぐるみの背中に、あの事件の頃からついたまだらな斑点。
血のように赤黒く、洗っても洗っても落ちなかった。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:43
心の中からなっち自身の声が響く。裏切り者って。
自分さえ良ければ良かったのかって。
こんなことしても許してもらえないだろうけど、私はテーブルに
ゴマアザラシのぬいぐるみを置いた。

あの日々のように鞄からフランスパンを取り出すと、
手でひとかけ散切ってゴマザラシの口元近くに差し出した。
目を閉じる。そっと手を合わせた。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:44
(|||´D`)
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:44
(|||´D`)
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/13(日) 10:44
(|||´D`)

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