38 ワダカマリのカタマリ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:50
- 38 ワダカマリのカタマリ
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:52
- 飯田さんの冷凍庫には雪だるまがいる。
齢四年を迎えた氷塊は表面に霜をおろし、しなびた様子を晒していた。
もともと長期保存を考慮して作られたものではない。
作った本人が言うのだから間違えない。
あれは美貴が高校一年生だったとき。
北海道の実家の屋根に積もった新雪のまんなからへんをくりぬいて、
お握りを作るときのようにちゃっちゃと握った。
黒フェルトで目口を入れ込んで出来上がった雪だるまに
クリスマスカードと親愛のキスをつけて、
上京したての先輩へと冷凍便で送ったのだ。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:53
- 高校を卒業した美貴は目的もなく、
地元でぐたぐたと時間をつぶした後、
とりあえず面白そうだからと上京した。
程なく飲食店業の仕事を東京で見つけ、
宿先として飯田さん宅でルームシェアをさせてもらうことになったのだ。
そして共同生活の開始一日目、冬半ばの時期。
飯田さんとの酒盛りの最中に氷を求めて冷凍庫を開いて見つけたのだ。
季節限定、故郷発都会行きの贈り物。
まさか生き延びていようとは。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:53
- 粉砂糖のようだった新雪は、結晶のむらを含めて固まってしまった。
なめらかに凍結した部分と荒い雪結晶部分との
光透過の加減のせいで、黒いシミのように見える箇所がある。
雪玉を握ったときか、あるいはその後か、
何かに押されて凹んだらしき跡が一つ二つ三つと残っている。
フェルトの目口は失われていた。
そもそもすでに達磨形をしていない。
全体的にはコーラ瓶を短躯にしたような、奇妙なひょうたん型になっていて、
立つこともできずに横たわっている。
もはや存在意図が判らない連結した氷玉。
果たしてこれを雪だるまと呼べるのは、在りし日の姿を知っている
美貴と飯田さんだけではないだろうか。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:54
- 同居を始めて一週間が過ぎた。
観察していたところ、飯田さんの冷凍庫参りはどうやら日課になってるらしい。
仕事が終わって帰宅すると、コートを脱いで一息。
冷凍庫を開けて中をのぞく。
「北海道は寒いけど暖かいよね。
東京の冬は寒いんだ。心の問題かな」
語りかけ、時折手を入れて触り、閉める。
このような「お氷さまの巫女さん」を産んだのは
――縁が巡って美貴ということになるだろう。
だけどそんなポエジーな事は氷の塊に向かってではなく、
美貴に向かって話してくれればよいのにと切に思う。
複雑な親心である。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:55
- 飯田さんは有名なファッション誌のモデル兼ライターをやっていて、
年を経るごとにどんどん垢抜けていった。
上京する前は腰まで届くさらさらの黒髪が自慢の飯田さんだったが、
帰郷するたびにウェーブがかかったり色が変わったりしていって、
現在は毛先が長めのショートになっている。
髪が長かった頃はそれこそ神様に仕えているようなミステリアスな雰囲気があったが、
今は都会の知的美人といったところだ。
見た目は大きく変わっても、中身はさほど変わらない。
感覚的。抽象的。突発的。空想的。
多感な少女を残した飯田さんの慣習をとにかくいうつもりもないが、
一片の雪塊を拝む姿は似合わない。
美女と少女のギャップを愛らしいと思う者も、気持ち悪いと思う者もいるだろう。
美貴は前者であり後者である。
親愛なる先輩は、気色悪くて愛おしい。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:56
- 「動きを止めたら息も止まってお終いになっちゃうんだよね」
その日の飯田さんはコートも脱がずに冷凍庫に直行すると、
鮫のようなことを吐いていた。
どうも酔っぱらって大泣きしてきたらしい。
コートの着方がだらしない。
顔から首まで赤くなり、アイメイクは崩れ、頬にはの涙の跡が残っている。
見開いた目は充血していた。
初めて見る飯田さんの酔態には戸惑ったものの、
美貴の知る範囲の酔っぱらいに比べれば異を喫するほどでもなかった。
冷蔵庫の前で電池の切れたように立ちつくす飯田さんを引っ張って
ベッドに寝かしつけると、美貴は冷蔵庫から氷を取り出しウィスキーで一杯やった。
飯田さんのお勤めはご苦労な場所らしい。
新社会人見習いらしい無責任さで達観していたら、
翌日、新たなご苦労様がやってきた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:57
- 夕飯の買い出しから帰ったら、それがリビングのソファに座っていた。
美貴より年下に見える少女は、
氷を浮かべたウィスキーグラスを両手で包んで持っていた。
グラスに口を付ける気配はないが、顔色はすっかり出来上がっていた。
地肌は色白のようだ。
面白いぐらいに酒気反映した肌は真っ赤に色づき、
丸顔と相まって林檎のようだった。
洋服ボタンのような黒目がちの瞳で、
電源の付いてないテレビ画面をじっと見ている。
鍵を閉めてあった家に入ってくつろいでいるということは、
飯田さんの来客なのだろう。
どうしたものかと悩んだあげく、美貴は冷蔵庫から冷えたビールを
手にして少女の真っ正面に座ってみた。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:58
- 少女の視線は美貴を通り過ぎるままだ。
挨拶をする隙もない無関心。
美貴は少女をまじまじと観察する。
顔立ちは清楚で童顔なのに、グラマーな体型がよくわかる
大人っぽいニットを着てナチュラルな化粧をしている。
ビールの缶を開け、一口飲む。
しばらく眺めていても、少女の様子は変わらない。
気持ちが悪くなってきたので、少女の目の前に手をかざして振って見た。
ふっと、少女の目が動いて美貴を捕らえた。
見返される。
その意図はわからずとも、押すような力を感じる。
反射的に目をそらしてしまい、少女の手元を見て
琥珀色の液体に浮いている奇妙な形の氷塊に気が付いた。
ちょうどひょうたん形の氷塊を二つに割ったようなーー。
息を飲む。
顔を上げて少女と視線を合わせた。
まっすぐな少女の顔が、挑発的に歪んだ。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:58
- それから程なくの飯田さんの帰宅で、居心地の悪い空間は片づいた。
といっても、美貴が外に逃げ出てしまったのだが。
飯田さんと少女の会話はどう控えめに聞いても痴話喧嘩で、
居たたまれなくなった美貴は、友達の家に行くと言って出てきてしまったのだ。
際どい修羅場ともいえる場所に飯田さんを一人残していったのは、
少女が飯田さんに言った言葉に深く共感したせいでもあった。
「どうして私に何も話してくれないんですか」
この子は、美貴の言いたいことはすべて伝えてくれるような気がしたのだ。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:59
- 飯田さんの家から飛び出したものの実は行く当てはなく、
とりあえずはと駅の方に歩き出した。
何十年ぶりの大寒波が来ているという。
こんなに寒々しくても都会の夜は、雪が降らない。
飯田さんの言うとおり。
寒々しいのは心の問題だ。
誰も知らない街に一人で歩けば、酷く心細くなる。
白い肌の、黒目がちな、丸顔の少女だった。
飯田さんは昔から雪だるまが好きだった。
だから私は贈った。
親愛なる先輩に、憧れている後輩として、喜んでもらうために。
今頃の部屋の様子を想像しながら、何をしてるんだ一体、と自分に毒づく。
胸の中がゴロゴロする。
嫉妬や憎悪とは似ているようで違う、
正体のわからない胸のカタマリ。
触って確かめずにはいられない気がかりなカタマリ。
これからどうしようか。
新しい部屋を探すべきなのか、あの部屋に居続けていいものなのか。
とりあえずは、この凍える夜を過ごす場所を探そう。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:59
- 塊
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:59
- 雪
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/07(土) 23:59
- 終
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