13 smooth

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:53
13 smooth
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:53
飛行機と汽車を乗り継いで、私は我が故郷である町に帰って来た。
雪は降っていなかったが、汽車を降りると雪国独特の、刺すような
空気に出迎えられる。
多忙な時間を割いて無理矢理時間を作って来たので、疲れからくる
睡魔で危うく降車駅を乗り過ごしそうになった。
慌てて出て来た私にとっては、その冷たい風による歓迎は、かえって
ありがたかった。

「香織ちゃん!」

改札の目の前では、お隣のお婆ちゃんが、私を迎えに来てくれていた。
赤いほっぺ、毛糸の赤い帽子、赤い手袋に赤い長靴。……赤い杖。
相変わらず赤が好きなようだ。変わっていない。

訪れる前に予め最近の写真を送っておいたので、すぐ見つけてくれたようだ。
何せ十数年ぶりの帰郷だから。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:54
「よく来たねー、寒かっただろ」
「お久しぶりです、お元気そうで」

改札から出た私が丁重に頭を下げると、お婆ちゃんは毛糸の帽子を脱ぎながら

「あんた、ですとかお元気とか、やめな。調子狂っちゃう」

そう言って、どうやら照れているみたいだった。

「もうお隣の香織ちゃんじゃないですよ」
「何言ってんの、おれが死ぬまであんたはお隣の香織ちゃん!」

この町のお年寄りよりは男女関係なく一人称が『おれ』なのだ。
実際に聞いて初めてその事を、そして、町民皆揃って頑固な気質を
持ち合わせている事も、脳裏に蘇った。

目的が目的なのだから、東京に帰るまでのちょっとの間、
『お隣の香織ちゃん』を演じるのも、情けだろうか。
そう、思った。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:54
お婆ちゃんは独り暮らしをしている。
数日に一度、ボランティアの人がやって来て身の回りの世話をしてくれて
いたが、今年の春に、それも無くなってしまうという。

「また色々手続きしないと来てくんないんだと」
「……大変そうだね」
「ああ、ああ、大変だあ!」

台所で大声を出しているお婆ちゃんは元気そうだが、昔から足が悪くて、
杖をついて歩いている。
私が物心付いた時からなので、両親にも何となく理由を聞けずじまいで、
今に至る。

炬燵で呑気に蜜柑など剥いている私だが、勿論色々とお婆ちゃんに手伝いを
申し入れた。
……頑固なので、全て断られたのだが。

「インスタントだけども。コーヒーなんて淹れるのも久しぶりだわ、はいどうぞ」
「ありがとう」
「茶菓子は羊羹な。そういや洋菓子も最近ちっとも食ってねえわ」

明らかに来客用と分かる高級そうなティーセットに、このシュガースティックは……
何となく数年前のもののような気もした。
スジャータ、は今もあるんだっけ。

どのみち私はブラックで飲むので、まずは一口頂いた。
なかなか刺激的な濃さで(多分分量がよく分かって無いんだと思う)、
つい羊羹に手を伸ばし、口に含むとこれがまた意外とコーヒーに合う甘さで、
思わずおいしい、と呟いてしまう。
お婆ちゃんはとても喜んでくれた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:55
「あんた今日来て明日帰っちゃうの」

炬燵の向かい側でお婆ちゃんが言う。

「仕事が忙しいから、どうしても」

私は申し訳なさそうに微笑む。

「ゆるくないねえ」
「でも若いですから」
「まあそうだろうけどよ、せっかく帰ってきたんだから」
「お祭りが見たかっただけだし、あんまりゆっくりしすぎると返って、ね」

お祭り。
夏と冬に一回ずつ開催する。
町で一番大きな公園に、夏は櫓を、冬は、降り積もった雪を集めて山にし、
大きな滑り台を作る。
私が帰郷した目的は、このお祭りを見に来るためだった。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:55
到着した時間はすでに夕方だったので、一息ついてから私たちはすぐに
公園へと向かった。
と言っても、お婆ちゃんは杖が無いと歩けないし、冬道なので足元に
気をつけて進まなければならないから、相当な時間がかかる。

道中、商店街の前を通った。
開いている店はゼロに等しい。

「買物にはほとんど行ってねえわ。買ってきて貰ってる」
「他の人はどうしてる?」
「隣町まで行ってるさ。大きいスーパーがあるしよ」

閉校してしまった小学校の前も通った。

「雪で埋まってる……」
「冬眠だな。もうずっと目ぇ醒めねえけども」
「そんな、私ここの卒業生なのに」
「そうだったか? ああ、悪ぃ……憶えてねえ」
「……まあしょうがないね」

何だか真新しい一階建ての建物の前を通った。

「……調剤薬局か」
「小せぇ町でも居るのは年寄りばっかだからな。二軒あるわ」
「お婆ちゃんもここに来てるの?」
「そうだ。ジジババの喫茶店みてぇで楽しいよ」
「……そうなんだ」
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:56
十数年ぶりの再会にもかかわらず、こんな調子で話題に事欠くことなく
公園に辿りつく事が出来た。

陽は既に傾いていて、周囲は既設の街灯に加えて、公園を囲むように
ライトが増設されている。
小さい頃と全く相違ない光景に、懐かしさを感じずにはいられない。

「凄い、昔とほとんど一緒だよ」
「そいつは良かった、香織ちゃんが嬉しいとこっちも嬉しくなってくる」

私が喜ぶとお婆ちゃんも喜んでくれるのがくすぐったい。
ただ、駆け出したくなる気持ちをぐっと抑えるのに辛い気持ちもあった。
杖をついているお婆ちゃんを置いていくわけにはいかない。

しかし、公園の入口に辿り着くと、流石に違和感を覚えずにいられなかった。
あんなに巨大なものに見えていた雪山の滑り台が、驚くほど小さかったからだ。
高さはだいたい、2メートル程度だろうか。

「……滑り台、昔からこんなに小さかった?」
「ああ、あんたがでかくなったんだよ」
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:57
そうなのか。
やはり、そうなのか。

何もかもが小さい村の中にあって、唯一大きな存在として記憶の中にあったのが、
この雪山だった。
心得ていたはずだったのだが……想像以上にダメージは大きい。

「おお、おお、今も昔も子供は楽しそうに滑ってるじゃないか」
「そうだね……」
「香織ちゃんもどうだ、滑ってきたら」
「無理」
「何でだ、昔住んでたんだから良いじゃねえの」

そういう意味ではないよ、お婆ちゃん……

「見に来たかっただけだし、それにさほらこの滑り台って子供用だから幅が狭いの」
「そうだったか?」
「そうなんだよ、今私が滑ろうとしたらお尻嵌って抜けなくなっちゃう」

ショックを隠しながらの言い訳だが嘘はついていないし、こんなことがとっさに
スラスラと言える自分も、伊達に歳は取っていないものだと妙なところで感心する。

「じゃあ、甘酒飲んで帰るか」
「そうしようか」

紙コップに一杯の甘酒は、実に複雑な意味で心と体に沁みた。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:57
行きよりも更に倍くらいの時間をかけて、帰り道を歩いた。
街灯はオレンジ色で、冬になるとこの光が雪道や積もった雪に反射して、
また曇りの日などは、更に上空の雲に雪道のオレンジが反射する。
上も下も見渡す限りオレンジ色に染まるのだ。
夜のようで夜ではない不思議な空間が出来上がる。
小さい頃はさして気にも留めなかった光景が、今は不気味に映る。
心境のせいでも、あるかもしれない。

「香織ちゃん」
「あ……疲れた? 休む?」
「いや、おれ一つ思い出したわ」
「……何を?」
「あの滑り台、確か一人一回しか滑れなかったべ」
「ああ……うん、そうだ、そうだったね」
「憶えてるか? 一回じゃ足りないっておれの家の物置屋根から滑って遊んでたの」
「……ああ!」

頭の中の抽斗を一つ、お婆ちゃんが開けてくれた。
両親や係りの人に泣いて縋って頼み込んでも、結局許してくれなくて、
グズグズ泣きながらお婆ちゃん家に行ったっけ。
そしたら、ここならいいぞって教えてくれて。

斜めに傾いた屋根の上には、そこから滑り落ちた雪の山をつたって行って。
気をつけないと途中雪の柔らかいところに足がズボッと埋まってしまって、
そこから這い上がるのが凄く大変だった。
のぼってみたらトタン屋根の上には雪が無くて、それだけが不満だったけど、
ダンボールの切れ端持ってきてお尻に敷いて、何度も何度もそこから滑って遊んでた。

「憶えてる! 懐かしいなあ〜」
「おれの記憶力も捨てたもんじゃないだろっ?」

お婆ちゃんはここぞとばかりに声を張って、隣の私を上目遣いで覗き込んで、
ニヤリと笑った。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:58
家に帰ってくると、私はつい物置を探した。
来る時は全く目に入らなかったが、それもそのはずで、玄関の手前、
雪掻きでできた小さな雪山の一部が、物置だったのだ。
屋根以外が白い塗装だったので、雪と融合して気付かなかったようだ。
屋根は昔のまま、オレンジの街灯の下でも、お婆ちゃんの好きな赤だという
ことがわかる。

「香織ちゃん、滑ってみたら」
「……いやでも、やっぱり恥ずかしいっていうか」
「そんなこと言って! おれに嘘ついても駄目だ」
「下に敷くものも無いしぃ〜……」
「んなもん、物置開けりゃ腐るほど転がってるべ」

ああ、困った。
我慢できるけど、お婆ちゃんが臍を曲げそうで。

「そうだ、あんたに一つ教えてやる」
「なーに」
「これ聞いたら絶対滑る気になるさ。
 その物置のトタン屋根、一回ペンキ塗り替えてんだ。塗ってくれたのは、
 あんたの亡くなったお父さんだよ」
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:58
……私の父は、役場勤めの公務員だった。
母は専業主婦。

この町には、新築の一戸建てを建てて住んでいた。
本州から役場に転勤になった一家。
町の人々は頑固者ばかりだけど根は優しい人ばかりで、今となっては
奇跡的に思えるが、余所者の私達のことを差別したりしなかった。

出火原因は、火の不始末。
慣れた頃が恐ろしいとはよく言ったものだ。この地に住んで3年目の冬だった。

私だけが助かったのはどうしてか、未だに自分を責める事がある。
今日ここに来るのにも、相当の勇気と時間を要した。
迎えに来てくれたお婆ちゃんが未だに赤いものが好きで、
それだけで泣いてしまったらどうしよう、という事まで考えた。
……赤とオレンジは、あれ以来苦手な色なのだ。

「滑る気になっただろ?」
「……ううん、やっぱり止めとくよ、お婆ちゃん」
「なんで、おれが折角とっておきの事……」
「何度も言うけどもう大人ですから。今の私がこんなボロい
 物置の屋根なんかに乗って、抜けたらどうするの!」
「そんならそれで直せばいいだろ」
「駄目。私ぜっ……たい滑らないから」
「香織ちゃん……。
 ああ、やっぱこの町のもんは離れてもみんな頑固もんだな」
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:59
漸く家の中へ帰り着いた。
時計の針は9時を過ぎた頃だったが、お婆ちゃんは流石に疲れている様子で、
早々に寝支度を始めた。
私はやっとお役に立てると思い、無駄に張り切りながら客用布団を二組、
畳の床に敷いた。
足の悪いお婆ちゃんはいつも居間に万年床で寝ていたので、新しい布団は
久しぶりなのだそうだ。何度ありがとうと言われたかわからない。

「香織ちゃんももう寝るか」
「え、いや、私は……」
「疲れてんだろ、たくさん寝ておいた方がいいぞ」
「そう……かな。そうした方がいいかな」
「眠れなかったらおれが子守唄でも歌ってやる」
「それは遠慮しておく」

お婆ちゃんは音痴だ。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 12:59
布団に潜り込むと、どっと疲れが出た。
動いている間は何かと緊張している事が多かったから、なおさら。
気を抜くとあっという間に夢の中、となりそうだったのと、
それ以上にお婆ちゃんが先に眠ってしまいそうだったので、
私は体を横にして、隣の布団で寝ているお婆ちゃんの方を向いた。
まだ、話していない事がある。

「お婆ちゃん、お願いがあるんだけどさ」
「なんだ」
「香織って呼んで。お母さんお父さんみたいに香織って呼んでほしい」
「……でもよ」
「もう居ないから、小さい頃の私をよく知ってる人は、お婆ちゃんくらいしか。
 お祭りに行ったら友達に会えるかもと思ったけど、結局会えなかったし」
「……おれももうすぐお迎えがくる」
「そんなの関係ない! お婆ちゃんに、呼んで欲しいんだよ……」
「……香織、わかったから…………泣くな」
「……っ、……」
「泣かねえでくれよ……」

お婆ちゃんがゆっくりと手を動かし、私の肩に触れた。
それからその手は壊れかけた機械仕掛けの玩具みたいに、ぎこちなく
私の腕を伝っていき、手の甲に触れると、ぎゅっと強く握り締めた。

私の町は、来春、市町村合併で無くなってしまうのだ。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 13:00
だからお祭りも今回で最後。
家自体が全焼したと言っても、小学校が閉鎖になっても、
この町が私の故郷であることに、変わりは無かったのに。
数少ない私の、幼い頃の、心の拠り所。

「香織の手ぇは今も昔もすべすべだねえ……変わってねえよ」

お婆ちゃん。
何十年も住み続けた町がもうすぐ無くなっちゃうって、
きっと自分も辛いはずなのに。

お父さんやお母さんに怒られて泣きながら駆け込んだ時も、
こうしてずっと手を握り、優しくさすってくれていたお婆ちゃん。
私には実の祖父母もちゃんと居るけれど、私の小さい頃の事を
一番良く知っているのは、あなただけなんです。

泣きながら、たくさんの言葉が頭に浮かんでは消えていった。
落ち着いて最初の言葉を搾り出すまで、お婆ちゃんは、ずっと、
私の手をさすってくれていた。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 13:00
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 13:00
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/01/05(木) 13:00

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