16 anti/mornism

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/22(月) 23:57
16 anti/mornism
2 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/22(月) 23:58


今にも崩れそうな、洋館。
そしてその玄関の前に静かに横たわる、一人の少女。
小づくりの顔、端正な容貌、だがそこにはまだ幾分かの幼さが残る。
彼女が深き眠りから覚めた時、物語は始まる。

瞳を、外の光に馴染ませるように、ゆっくりと、開く。
ぼんやりと浮かび上がった人らしき姿が形を成してゆく。

「おはようなの」

漆黒の髪と、人形のような肌の白さがコントラストを形作っていた。
年頃は少女より少し上、といったところか。
目の前の人物の瞳の深さを、少女は吸い込まれるような面持ちで見つめている。

「あなたは、誰? ここは、どこ?」

自然と口をついて出る質問。けれどまるでそれらの質問を制するように、横たわっていた少女
の手を取り起こしあげようとする。

「……どこへ?」

それには答えず、顔を洋館のほうへ向ける。どうやらあの朽ちかけた建物の中に入ろうとして
いるようだった。
3 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/22(月) 23:59
「あなたはこの洋館を目指してこの場所にたどり着いた。そう、つんくさんから聞いているの。
違う?」

少女は首を横に振る。彼女はこの地に立つために今まで生きてきたのだ。握られた手を強く握り
返すと、そのまま勢いをつけて立ち上がった。
空を見上げると、一面の闇。少女は自分の生まれ育った村の空を思い出していた。ここの空とは
違い、透き通ったやさしい色をした空。だけど。
暖かい毛布に包まったままでは、外の世界すら見渡すことはできない。だから、最初の一歩を踏
み出した。

「準備はいい?」
「はい」

そして二人は黒い霧の立ち込める館へと、足を踏み入れたのだった。
4 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:00


「名前は、名前は何て言うの?」

重厚な造りの扉を開かれ、黴臭い空気が少女の鼻をつくのと、彼女の手を引くものが言葉を発す
るのはほぼ同時だった。館の中は暗く、壁に掛けられたろうそくが僅かに光を齎していた。
少女は不躾な質問に、くっきりとした眉をひそめた。

「相手に名前を尋ねる時は、まず自分が名乗るべきだ。そう、村のおばあちゃんに教わりました」
「ふふ、そうね。それは失礼なことをしたの。私の名前は道重さゆみ。あなたにこの館を案内す
るように命じられたの」

道重さゆみ、と名乗ったもう一人の少女はよくよく見ると多少なりとも緊張しているように少女
には見受けられた。それは少女に僅かばかりの安心を与えた。

「私は、久住……久住、小春って言います」
「こはる。いい名前ね」

そう言いながら、緩やかに螺旋を描く階段を昇り始めるさゆみ。
どこへ行くのだろう、そんな思いを口にすることなくさゆみの後を歩く小春。
一階から二階にかけての壁に、大きな絵が飾ってあるのが小春の目に付く。
色眼鏡をかけた金髪の男の、肖像画だった。
5 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:00

「道重さん、あの絵は」
「小春」

自分の名前を呼ばれたことに不意を付かれたのか、それ以上何かを言うことのできない小春。
その隙を突くように、さゆみは話し始めた。

「これから、小春には色々なものを見てもらうの」
「色々なもの?」
「そう、色々なもの。多分小春は失望するの。けど決して目を背けちゃいけないの」

さゆみは振り返ることなく、そう言った。
小春は物腰の柔らかそうなさゆみの口調とは裏腹に、その奥に閉じ込められた冷え冷えとしたも
のを感じ取っていた。だが、今はその正体が何なのか確かめる術はない。とりあえずは自分の先
を歩く彼女の提示する「色々なもの」を見る。それが小春にできるたったひとつのことなのだと、
他ならぬ小春自身が感じていた。
6 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:01
螺旋階段を昇りきる。
奥へと続く廊下はどこまでも、昏い。
わずかな明かりが、廊下の両側にある複数の扉の存在を浮き立たせている。
あの扉の向こうには一体何が。
小春のそんな思考をあざ笑うかのように、ぬるい空気が彼女の頬を撫でた。

「これから扉の向こうのものを小春は見るの。そして、考えて欲しいの」
「考えるって、何を」
「それは小春自身が考えるの。考えない人間はかかしと一緒なの」

さゆみがゆっくりと歩き出す。
両側に続く部屋の扉を、確認するように。
そして、とある扉の前で、立ち止まった。
扉に打ち付けられた金属製のプレートには、数字で「510」と書かれていた。

「まずは、この部屋」
「……」

ごくり、と小春の白い喉が鳴る。
ただならぬ気配が、扉を隔てたこちら側に伝わった。手を伸ばした先のドアノブが汗で湿り気を
帯び始める。それでも不安との競り合いに僅かに勝った義務感と好奇心が、彼女に力を与えた。
7 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:01
何もない部屋の中央に、巨大な十字架が突き刺さっていた。
その十字架に磔にされているのは、小春見たことのある女性だった。
しかし小春の記憶に残るその姿とは違い、女性はかつての輝きを失いこの洋館と同様、あとは朽
ち果てるのを待つばかりの様相を呈していた。
彼女がまだ太陽の輝きに守られていた頃は漲るばかりの瑞々しさを保っていたであろう両の腿も、
今となっては枯れ木のようにぶら下がるばかり。そこには確かに時の流れというものが形を成し
て漂っているように小春には思われた。
干からびた唇が、空気を掴むようにして、二、三度動く。何かを伝えようとしているのか、それ
ともただの生理現象か。

「次、いくよ」

小春を我に帰したのは、さゆみの声だった。
かつての輝きを失いゆく存在に、自らを重ね合わせていた。自分も、いずれはああなるかもしれ
ない。奇跡などという言葉はただのまやかし。存在しない。そういった思考の深淵に飲み込まれ
てしまいそうな、そんな矢先のさゆみの言葉。
今はただ、さゆみの示すものを見続けるしかない。この館に入ってから幾度となく繰り返したそ
の言葉にすがりつくように、次の答えを探し小春は歩を進める。
8 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:02
89、と書かれた部屋がさゆみが次に指し示した場所。
扉の前に立った時、小春の耳を鋭い衝撃音が襲う。何かが崩れ落ちる音、そして、沈黙。
ゆっくりとドアノブに伸ばした手が小刻みに震えてるのが、彼女自身にも理解することができた。
磔にされた女性の姿が頭を掠める。彼女のようにただ時の流れの摩滅を待つ人が、中にいるのだ
ろうか。それとも。ただ、どちらにせよ希望に繋がるような何かではないことは確かだった。そ
んなものは目を覚ました時から、小春の手のひらから零れ落ちていたのだから。

扉を開いた時に小春が感じたのは、安堵。
小さな椅子が、一つ。そして、さらに小さな体をした女性が腰掛けていた。
しかし。よくよく見てみると、女性の表情に希望の欠片もないことを小春は知る。
何故? 目の前にいる女性は先ほどの女性と違い、見た目は普通だ。それなのに一体何に対して
絶望しなければならないのだろうか。
答えを求め、さゆみを振り返る。しかし、さゆみは瞳を閉じて首を振る。答えは他ならぬ、椅子
に座る小さな女性が示すからだ。
女性はジーンズの右ポケットから、鈍く光る何かを取り出す。見るからに重く暗いそれは、軽く
力を込めるだけで人の命を奪い去ることができそうだった。
そこではじめて、小春は部屋に立ち込めるきな臭さに気づく。ただ、世の中の全ての事象が得て
してそうであるように、気づいてからではもう、遅いのだ。
まるでダンスか何かの振り付けのようだった。女性は銃を自らのこめかみに当て、そして、何の
ためらいもなく。
引き金を引いた。
反対側のこめかみから、赤黒い花火が散る。
9 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:03
だが、それは悲劇でも何でもなかった。
女性の小さな頭は爆破された西瓜のように破壊されたはずだった。それが今。
まるでビデオの巻戻しのように、彼女の周りだけ、時が逆回転する。
銃口によって穿たれた穴に吸い込まれる血液、脳漿。やがてその弾痕さえも塞がってゆき、女性
はまるで何事もなかったかのように椅子に座っていた。

「何で、何でおいらを死なせてくれないんだよ……」

彼女の抱える絶望が、小春には見えたような気がした。
彼女の絶望が薄れていった頃に再び撃鉄を起こし、そしてまた死ねないことに絶望するのだろう。
そんなことを永遠にこの部屋で続けなければならない。
帰りたい、と思った。
清く澄み渡る空の下に広がる鄙びた村に帰りたいと、小春は心から願った。
けれどそんな彼女の思いをかき消すかのように、さゆみが彼女の手をひく。

「道重さん……」
「辛いかもしれないけど、これが現実なの。ここには夢を描いた人の数だけ、部屋があるの。そ
の部屋に入ったが最後、どんな未来が訪れたとしてもそれを受け入れなければならないの」
10 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:03
それから、さゆみはいくつかの扉を小春に開けさせた。
両腕を壁に塗り込められた、幸の薄そうな顔をした女性。
手にした小さなナイフでお互いを傷つけあう、よく似た背格好の少女たち。
ある部屋には、人がいなかった。自らの身を襲う不幸の重さに耐え切れず、部屋を逃げ出したの
だと言う。壁一面にはびっしりと、呪詛の言葉が書き連ねられていた。

小春はやがて一言も発さなくなっていた。
さゆみは彼女の整った横顔を眺めつつ思う。この子はここに来るべきではなかったのでは、と。
この洋館が崩落するのはそう遠い未来ではない。遠くから見れば綺麗に見えるものでも、近づい
てみると事実の誤認に気づくもの。隣の少女が例に違わぬという可能性は、無きにしも非ずなの
だ。
11 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:04
最後の部屋、とだけ告げてさゆみは小春を促す。
どれだけの不幸を見てきたことだろう。どれだけの絶望を瞳に映したことだろう。
ここに来て小春のできることは扉を開けること。そうさゆみは言った。けれどももう一つだけ、
彼女に与えられた選択肢はあった。
背中を向けて、逃げればいい。そうすれば見たくないものは見なくてもいい。聞きたくないもの
は聞かなくてもいい。
新潟の片田舎の空が、小春の手の届く場所まで近づいていた。ほんの少し。そう、ほんの少しそ
の手を伸ばせば、そこに帰ることが出来る。
それでも小春の心には何かが引っかかる。当然だ。何をしにここまで来たのか。そのことを考え
れば、目の前の扉を開けることなく逃げ出すことなどできなかった。
最後の部屋、とさゆみは言った。その言葉を信じ、小春は握り締めたドアノブをゆっくりと引い
た。逃げ出すのは、その後からでも遅くはない。
12 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:05
部屋には、誰もいなかった。
ここもかつては誰かが居て、そして逃げ出してしまったのだろうか。
頭の中に浮かんだ可能性を、小春は本能で否定する。
いや、ここはさっきの部屋とは何かが違う。
辺りを見回す。何もない、白い壁に囲まれた部屋。
そして床に目を移したその時だった。
小さな、足跡。5組の、足跡。
うっすらと埃の積もった床なのに、その足跡の部分は丁寧に研磨されたかのように輝いていた。
この部屋で何があったのか。足跡の主がどこに行ったのかはわからない。
それでもこの5組の足跡がこの部屋の、いや、この洋館全体にとってどれだけの意味を持つのか
が小春には伝わっていた。
誰も語らない。誰も教えてくれない。でも小春には、足跡のある場所に5人の少女たちが立って
いるのが見えた。それだけで、もう十分なような気がした。

「道重さん」
「ん?」
「わたしの部屋に、案内してください」

そう。
小春は考えていたのだ。さゆみの言う通りに。
そして理解していたのだ。自分にも部屋が用意されていて、そこに身を委ねなければならないこ
とを。
自分自身と同じ志を抱いたものたちの、成れの果て。
そんな姿を見せ付けられ、心が折れそうになってもなお。
小春は自分の中の炎が燻り潰されるどころか、ますます燃え上がってゆくのを感じだ。
奇跡という言葉は、確かにただのまやかしなのかもしれないけれど。
閉ざされた未来を自分で切り開くことが、それ自体が、新たな奇跡になるのかもしれない。
そう考えられるように、いつの間にかなっていた。
13 名前:16 anti/mornism 投稿日:2005/08/23(火) 00:08
恐らく。
いや、きっと。
さゆみもまた小春と同じように、故郷の空を間近に見ていたのだ。
帰りたい、戻りたい、いなくなりたい。
けれど小春が何かを得たように、さゆみもまた何かを得たのだろう。
さゆみの瞳を通して見た小春の闇は、さゆみ自身の闇だったのかもしれない。
だが、その闇ももしかしたら晴れる日が来るのかもしれない。

もう迷いはなかった。
故郷の空が、遠ざかってゆく。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/23(火) 00:08
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15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/23(火) 00:08
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16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/23(火) 00:09
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