6 アヒル
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:00
- 6 アヒル
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:01
- 「絵里の口ってなんかアヒルみたい」
レッスンの帰り、公園のベンチでソフトクリームを食べていたとき、さゆに
そんなことを言われた。
「ぶりっ子してるったい」
れいなが間髪入れずにつっこむのに、わたしは無意識に口を尖らせてしまう。
「ほら、それそれ」
二人は声を揃えて笑った。わたしは苦笑しながら、溶けかけているソフト
クリームをなめた。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:01
- 「クセなの」
「けどさー」
れいなが公園の真ん中にある池を指さしながら言った。
「うちらみんなアヒルみたいやない?」
「どこが?」
「ほら」
指さす方を見ると、3羽のアヒルがのんびりと水面を滑っていた。
「じゃ、さゆは一番右っかわのかわいいやつ」
さゆが楽しそうに言った。
3羽の違いはあまり分からなかったけれど、わたしはそれなら、真ん中に
浮かんでるアヒルかな、なんてことを思った。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:01
- 「暑いなー。水遊びしたいなー」
さゆが空を見上げながら言う。
午後の風はまとわりつくみたいに蒸し暑かった。空には一筋のひこうき雲が
走っていた。
「日曜にプールでもいこっか」
「うん、行こうよ」
「あ、でもさゆ浮き輪禁止ね」
「えー、やだー」
二人が話しているのをぼんやりと聞きながら、わたしはまた池のアヒルを
見つめていた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:01
-
◇
始めはどこかで水でも漏れてるのかと思った。
かすかなコツンコツンという音で、ベッドに寝転がったまま微睡んでいた
わたしは体を起こした。
また聞こえる。コツン。窓の方からだった。
なんだろう、もう夜中なのに。いやな想像をしながらそろそろと窓の方へ
近づいていくと、また鳴った。
誰かが石でもぶつけてるんだ。
普通だったら、すぐ階下へ行ってお母さんに言うところだろうけど、その時は
なぜかそうしなかった。
わたしは窓を開けると、目を細めて表の道路を見下ろした。
れいなが両手を広げて、小さな体でぴょんぴょんと飛び跳ねている。
わたしはため息をつくと、窓を閉じて階下へ降りていった。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:02
- 「ホントに家に戻らないつもりなの?」
「お母さんがバレエ続けるの認めてくれるまで戻らん」
ペットボトルの緑茶を飲みながら、れいなは決然とした口調で言った。
あまり詳しい話は聞かなかったけど、なにが起きたのか大体想像は出来る。
「ていうかさ……石とかぶつけるのやめて欲しいんだけど。怖いから」
わたしが愚痴っぽく言うのに、れいなはごめんごめんと頭を下げながら、
「けど他に方法思いつかんくって」
「携帯は?」
「置いてきた。親にお金払ってるものだし、使うわけにいかないから」
変なところで潔癖性だったりする。
その割にはどこか抜けていたりして。
「けど、レッスン代は?」
「それは……将来返すものだからいいの」
「ふーん……」
れいなの性格は、小さい頃からよく知っていた。
こうと決めてしまったら、梃子でも動かないのだ。
だから、わたしがいくら説得したってしょうがない。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:02
- わたしとさゆとれいなは、3人で同じバレエの学校に通っていた。
小さな頃は、みんなして、将来は有名なバレエ団で踊ろうという夢を語り
合ったりしていたものだ。
それももう、遠い昔のことのように思えてしまう。
3人の中でも、れいなは一番熱心にレッスンをしていて、それだけに、一番
故障も多かった。
脚にテーピングや絆創膏をみないことはなかったし、アキレス腱の炎症とか
靱帯を伸ばしたとか、そういう話を笑いながらよくしていた。
わたしはいつも、れいなの精神的な強さをうらやましいと思っていた。
でも、それも限界があることを、中途半端に目先が利くわたしは分かっていた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:02
- 「れいな先月も捻挫してたでしょ? 大丈夫なの?」
「捻挫とか、全然大したことないから」
笑いながら立ち上がると、狭い部屋の中でピルエットを回る。
膝がキャビネットにかすって、写真立てが倒れそうになった。
わたしはれいなの肩を押さえて座らせながら、話を続けた。
「けど……れいなも今年で16でしょ? 絵里も17だけど……」
「うん」
わたしがそういうのに、れいなは下唇を噛んで俯いた。
本人だって分かっているはずだ。
もう年齢的にはぎりぎりの線なのだ。もし本気でプロを目指すとするなら、
わたしたちくらいの年齢でバレエ団からの引き抜きが来なければ、将来的
には難しい。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:02
- 「……絵里も、お母さんみたいなこというんだ」
「えっ?」
「現実を見なさいって。よく言われる。夢とか未来とかそんなことばかり
言ってる年齢じゃないやろって」
そういうと、れいなは苦笑した。
わたしはなんと言っていいのか分からなくて、ただ目を伏せただけだった。
「自分でも分かってるよ……。れいなは体も小さいし手足も長くないし、
ジャンプ力もないし」
「……」
「だからすごく努力したんだけど、努力じゃどうにもならないこともあるから。
それくらい、自分でも知ってる」
「それは絵里も知ってるよ。ずっと見てたし。けど……」
「でも、だからって諦めるのはやなの」
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:03
- やっぱり、れいなは変わってない。小さい頃から一緒だ。
わたしとは全然違う。
「……コンビニでも行こっか」
「え?」
「お腹空いたし」
暗い雰囲気を変えようと言ってみたけど、あまり効果はなかったみたいだ。
でも、れいなは抱いていたクッションをベッドに戻すと、立ち上がった。
少し前を歩いているれいなは、かすかに右足を引きずっているみたいだった。
まだ足首が痛むんだろうか……。レッスン中にはそんなそぶりは見せたことは
なかったような気がする。
といっても、わたしはしばらくレッスンから遠ざかっていたから、よく
分からなかった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:03
- 一月くらい前のことだ。わたしは適当にレッスンで汗をかいてから、ジュース
を飲みながら他の子たちを見学していた。
れいなはグラン・ジュテの着地に失敗して、そのまま床にうずくまってしまった。
わたしは驚いて立ち上がった。先生が駆け寄ってくる前に、心配そうな表情で
見守っていたれいなのお母さんが先に助け起こそうとした。
「なんでもないから」
れいなはそういうと、お母さんが差し伸べた手を払いのけて、立ち上がろう
とした。
先生が駆け寄ってきて、慌ててれいなを止めた。
「やめなさい……すぐお医者さんが来るから、それまでじっとして」
「れいな、今日はもううちに帰って……」
「いいから! 大丈夫だから、お母さん帰っていいよ。こんくらいの怪我
なんて……」
そういっても、苦痛が顔に浮かぶのは隠し切れていなかった。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:03
- わたしはぼんやりと立ちつくしたまま、れいなのことを見つめていた。
れいなは脚の筋肉が足りないから、ゆっくりした難しい動きになると、
どうしても体が支えられない。
わたしは大分前から気になっていたけど、夢中で練習しているれいなを見て
いると、とても言い出せなかった。
「絵里」
振り返ると、頬を上気させたさゆが心配そうな表情で立っていた。
「れいな、大丈夫かな……」
「うん……しばらく安静にしてほうがいいと思うんだけどね……」
「大変だね」
本人にそのつもりはないんだろうけど、なんか他人事みたいな口調で言うのに、
わたしはちょっとムッとした。
さゆは昔からそういう子だって、分かってはいたけど。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:03
- 足を引きずっているれいなを見ながら、わたしはそんなことを思い出していた。
短パンから伸びている脚は細くて、見るからにか弱い。
膝や足首に残っている傷の跡が、夜の街灯の中で見るとやけに生々しく見える。
「さゆが今度コッペリア出るんやろ?」
コンビニの前にしゃがみ込んでサンドイッチを食べながら、れいなが言った。
「らしいね」
「さゆすごいもんね。前から声かけられてたみたいだし」
そう言うれいなを、わたしは複雑な表情で見つめた。
「けど、ちょっと悔しいよね」
わたしがそう言って見つめるのに、れいなはふっと目を伏せた。
「まあ……でも、頑張るしかないから」
れいなは笑った。
彼女はとても強くて、その強さがたまに痛々しく映る。
「今日泊まってもいいから、明日帰ろう」
わたしが言うのに、れいなもあまり納得してない様子だったけど、渋々と
頷いた。
「れいな、絶対あきらめん」
その眼差しは強くて、わたしはつい目をそらしてしまった。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:04
-
◇
練習スタジオに行くのは久しぶりだった。
開けっ放しのドアの向こうから、軽やかな曲が聞こえてくる。
わたしたちには耳馴染みの曲だった。3拍子のワルツ。
でももうきっと、わたしの体は動かないに違いない……。そう考えると、
すこしさみしくなった。
学校帰りの制服姿のまま、練習スタジオに入ると、見学の母親たちと一緒に
座り込んだ。
スタジオ内は熱気がこもっていて、バーについたニスの匂いはわたしを
懐かしい気分にさせた。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:04
- 母親たちはわたしなんかには目もくれず、じっと自分の娘に熱心な視線を
送っている。
わたしたちだって、そんな時期はあった。体の限界を知って、怪我や疲労と
闘いながら踊り続けるのか、踊りを止めるのか、そんな現実を突きつけられる
前は、こんな風にみんな希望に満ちていたはずだった。
女の子たちが広いスタジオの中で、跳躍し、回転し、バーにしがみついて
必死に脚を伸ばしている。
こんな小さい子たちでも、やはり能力の差は見ていて分かってくる……それが、
わたしには辛かった。
一人の子が動きを間違えて、すぐさま先生から注意の声が飛ぶ。
エカルテ・フェッテの難しい動きだった。女の子は繰り返すが、何度やっても
うまくいかない。
先生の声に苛立ちが混じり始め、わたしはハラハラとした気持ちでじっと
見守っていた。
先生が指示を出して、女の子はしゅんとした様子でバーの所へ戻り、基礎練習
をはじめた。まるで昔の自分を見ているようだった。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:04
- 「あ、絵里!」
休憩していたんだろうか、さゆがTシャツ姿のままレッスン室へ入ってくると
、すぐにわたしに気付いてくれた。
「よかったー、もう来ないんじゃないかって思ってた」
「うん、いや、ちょっと帰りに寄ってみただけなんだけど」
二人して廊下に出ると、自販機の側の椅子に座り込んだ。さゆがコーヒーを
買っていたのがすこし意外に思えた。
「今度のコッペリア、初舞台なんでしょ? 言い忘れてたけど、おめでとう」
「ありがとう。うれしい」
さゆは屈託なく微笑んだ。
その自然な笑顔を、わたしはうらやましく思う。
「いつごろからだっけ」
「なにが?」
「さゆが、うちらの中で、なんていうか……抜け始めたのって」
「え?」
わたしの言葉に、さゆは首を傾げた。
「そんなことないよ。絵里もれいなもすごく頑張ってたじゃん」
「うん……まあ、そうなんだけどね」
不思議と、さゆがそういっても全然嫌みには聞こえないのだった。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:04
- さゆのレッスンを見ながら、わたしは無意識にため息をついていた。
力強いジャンプはとても優雅で、まるで翼が生えているようだった。
軽やかなピルエット、フェッテで伸びた脚の美しさ……。わたしたちとは確実
に違う次元に行っているのは、一目瞭然だった。
なにより、さゆ本人が自分に絶対の自信を持っているのが、多分一番の違い
なんだろう。
わたしみたいに優柔不断だったりすることはないし、他のことに気を取られ
たりもしない。
ただ一心に、自分を磨き続けた結果なのだ。
ワルツの3拍子にのって、優雅に舞い踊るさゆを見ながらだと、聞き慣れた
旋律もにわかに鮮やかな色を帯びたように感じられる。
すらりと伸びた脚を信じられないくらい高く上げ、全身のポーズの変化は、
ほとんど流れる水みたいだった。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:05
- 「れいな、最近どうしてる?」
「さあ……来てないの?」
「うん。だからちょっと心配で」
家を飛び出してきた翌朝、家まで送っていったあと、れいなとは一度電話で
話しただけだった。
相変わらずお母さんとは意見が対立したままらしくて、かなり苛立っている
様子だった。
スタジオに来ていないとしても、れいなのことだから、きっとどこかで自主的
にレッスンは続けているんだろう。
「……れいなってかっこいいよね」
独り言みたいにさゆが言う。
わたしは何も言わず、たださゆの方をちらっと見ただけだった。
「すごいと思う」
そういうと、飲み終えたコーヒーの缶を捨てて立ち上がった。
「自分もがんばらなきゃ」
「……頑張ってね」
スタジオへ戻っていくさゆの背中に、わたしは小さな声を投げかけた。
なんだか、自分自身へ言い聞かせてるみたいだった。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:05
-
◇
午後の公園は、あまり人の姿は見られなかった。
一人でベンチに座ると、ぼんやりと池の方へ視線をやった。
かすかな風で水面が揺れて、波間に陽光が煌めいている。
と、池の周囲にある低い柵の下に、なにかが落ちてるのを見つけた。
雑草に覆われるようにして転がっていて、はじめはなにか分からなかった。
近づいていって拾い上げると、それはおもちゃのアヒルだった。
黄色い表面は泥にまみれていて、ビニールの胴体は少し凹んでいた。
そういえば、小さい頃こんなおもちゃを、湯船に浮かべて遊んでいたような
思い出がある。
頭を押さえて沈めても、すぐに浮かび上がって来てしまって。
何度やっても、アヒルはすぐ水面に顔を出して、ゆらゆらと呑気に揺れていた。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:05
- おもちゃのアヒルは、からっぽだからずっと浮かんでいられるんだって、
そう気付いたのはずっと後のことだった。
本物のアヒルが、呑気にうかんでいるようで、実際には水中で脚を動かして
いると知ったのはもっと後のことだ。
わたしは柵を乗り越えると、おもちゃのアヒルを池に浮かべた。
軽く押してやると、ゆらゆらと進んでいって、すぐに止まってしまう。
今のわたしと変わらない。からっぽだから浮かんでいられるけど、ただ
流されるだけでどこにも行けないんだ。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:05
- ベンチに戻ると、ぐったりと腰を下ろした。
空を見上げる。
空は、池を映しているみたいに同じ色をしていて、3羽の鳥が並んで飛んで
いくシルエットが見えた。
池に浮かべたアヒルは、凹んだ胴体のせいで傾いていたけど、いつしか
真ん中近くまで流されていた。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:06
- 。。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:06
- 。。。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/08/16(火) 16:06
- 。
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