03 釦

1 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:23
03 釦
2 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:23
脱退、なのだそうだ。
まあ確かに卒業というのとはまた違うだろう。
加入後に追々事情を知ったのだが、もともと二十歳までという条件付き
だったという。

正直言ってもう何人も送り出していることだし、
あたしは彼女に涙は見せたくないと思っている。



『そうですねぇ、その日を最後に、
 同じユニットで歌うってことは無くなっちゃうかもしれないけれど、
 あーなんだろなぁ、
 多分これから新しく何か色々始まるじゃないですか。
 そしたらまた会えるんだし、
 だから泣かれたら美貴の方が困る、かな。困りますね』



つまり暗に、いちいち慰めないぞ、と言ってるのだと理解した。
隣でそれを聞いていたあたしは、
事前に思い切り釘を刺された気分になった。

今日で彼女と二人だけの仕事は最後。ラジオの仕事だった。
脱退のコンサートはまだ少し先だ。
3 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:23

4 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:24
「いくらしたのかなぁこれ」

美貴ちゃんは、番組収録中にパーソナリティから贈られた大きな花束を
両手に抱え、苦笑いしながら呟いた。
その苦笑いに、花とか興味ないんだよね、とか、花粉症だから、とか、
別れにはつきものの礼儀みたいなもんだろうけど、正直これ邪魔だな、
とか、色んな気持ちを勝手に汲み取った。
つまりは嫌なんだ。じゃあ、あたしが。

「それ持つ」
「いいの?ありがと」

その時見せた笑顔は、安堵からのものだ、と勝手に思った。

あたし自身、花は好きな方だったが、持ってみるとこれが結構重い。
二人だけで最後の仕事を終えた帰りの夜道であったこともあり
(普段はきちんと送り迎えをしてもらうのだが、美貴ちゃんが突然、
歩いて帰りたい、と言ったので徒歩での帰宅途中だった。
マネージャーさんは当然顔を顰めたが、二人居るから大丈夫ですって、
と、あたしも協力して何とか言いくるめた)、まだ早いとは思っても、
つい感慨深くなってしまう。

「またロマンティック歌えるねえ」
「そうだね、一番好きな曲だし」
「前にハローのコンサートで歌わせてもらえるって決まった時、
 超喜んでたよなあ」
「そりゃ超嬉しかったからさ」
5 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:24
でもね、と彼女は続ける。
あれは実のところ事務所側の応急処置であった、と。
口約束とは言え二十歳までの条件付だということを、珍しく先方が記憶
していたらしい。当時の現状からソロ復帰は難しいという結論に達し、
その代わりコンサートの中で一曲与えられた、ということらしかった。

「そうだったのぉ」
「そうだったのさ」

話を聞き終える頃、あたしは両手で抱えていた花束を、右手と右肩を
使って、抱えるように持ち替えた。
するとすかさず空いた左手に美貴ちゃんの右手が絡み付いてくる。
ああ、そういえばそうだった。
手を繋ぐ事が至極当たり前の行為として、あたし達の間にあったことを。
あたし達というか、ハローのメンバー間でも当たり前になりつつ
あるのだが。
……彼女には確か、最初はあたしから繋ぎに行っていた気がする。

美貴ちゃんは男っぽくてサバサバしているのに、
きちんと女の子らしさも持ち合わせていて、
あたしからすればとてもバランスの取れた人だった。
こんな浮いた世界に居て言うのもなんだが、
飛びぬけて何かができるというよりは、
そういう人を羨ましく思う。
可もなく不可もなくという意味ではなく、
何でもそつなく上手にこなせるバランスを持っている人になりたい。
ハローの中では美貴ちゃんがその理想に最も近い人だった。憧れていた。
生まれ変わるなら彼女になりたいとインタビューで答えるくらい本気で。

よく素の顔が怖いとか突っ込みがきついとか言われているけれど、
あたしは全くそうは思わない。
現に、そう言われているのだと自分から打ち明けているのは、
それだけ気にしているということなのだから、充分年頃の女の子らしくて
可愛らしいと、あたしは思うのだ。
6 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:25
「やっぱ花束って目立つね。愛ちゃんさっきからチラチラ見られてる」
「持ってんのあたしだから、あたしが何か辞めたとかそういう風に
 見られてんのかな」
「うちらの正体バレてれば、脱退するの愛ちゃんじゃないことくらい
 わかるしょ」
「いやいやいや、正直、もうそんなに知名度があるユニットじゃ
 ないから。一般の人は知らん人いっぱい居るやろ」
「うわ、言っちゃった。いいのかよ」
「ほんとのことですから」

美貴ちゃんはまた笑いながら続けた。

「醒めちゃってんね、愛ちゃん」

それは結構お互い様だと思う。人のこと言えんのかぁ、っての。



しばらく無言で歩いていると、行く先に歩道橋が見えてきた。
スクールゾーンらしくて、階段の手前に、くたびれた黄色い旗が
立っている。
風が無いので尚更みすぼらしい。
道路を渡るにはここを上り下りしなくてはならず、階段の傍に街灯も
無いので足元が薄暗く、気を付けて、と、繋いでいた手に力が
籠められる。
その左手の感触で思い出した。

二月二十六日の夜、どこか別の歩道橋でのこと。
7 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:25

8 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:26
黒のコートを着た美貴ちゃんと手を繋いで歩いていた。
彼女は、左手に今日のよりはやや小さい花束を持っていて。
あれは祝福の花束だったせいか微笑みながら持っていて。

歩道橋の階段を一段上り二段目に足をかけようとした時、
ブーツのかかとが段に引っかかり、美貴ちゃんは前のめりにバランスを
崩した。
咄嗟に繋いでいた手にぐいっと引っ張られ、あたしはその瞬間自分の方に
それを引き寄せていた。
辛うじて倒れることは避けられたが、半身を起こした彼女は言う。

「コートの釦、どっか飛んでった」

美貴ちゃんのコートは、生地の黒に対して釦が白で、大きさは五百円玉
くらい。
それが脱着のためとデザインのためとで、前身に合計八つも付いていた。
袖の両手首のところにも一つずつだから、全部で十個。

転びかけた拍子に、どこかの釦が千切れて飛んで行ってしまったのだ。

「あーめんどいなあ。どこ行ったんだよ」
「あらぁ釦さん家出しよったの」
「それ面白くない。愛ちゃんもそっち探してよ」
「……今ちょっと笑ったくせに……」

階段の途中で千切れたので、もしかしたら後ろに転がって歩道の方へ
落ちてしまったかもしれない。
あたしは覚えていないが、美貴ちゃんは独り言で恐らくそんなことを
言ったのだろう。
9 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:26
言われた通り暗い階段の上をきょろきょろ探していると、

「だったら無駄だし諦めよ。替えあるし」

彼女はそう言って、一段二段と先に上って行ってしまった。
ちょうどその時、あたしは自分の居たところの一つ下の段に落ちていた、
白く光る釦を見つけた。
咄嗟に手摺に掴まって一段飛ばしで階段を下り、手早く釦を拾い上げる。
顔を上げたら、こちらを振り返ることも無く、どんどんマイペースに
階段を上って行く彼女。

「美貴ちゃん待ってって!」
「待たない」

淡白な。
でもそれを、冷たいとは思わなかった。

あたしはただ置いていかれるのは嫌だ、という思いで、また一段飛ばしで
美貴ちゃんを追いかけた。
コートのポケットに白い釦を突っ込み、夜空と美貴ちゃんの背中を、
追いかけた。
10 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:26
釦は、いつでも返すことができる状況であったせいか、
逆にタイミングを掴むことができず、ずっとあたしの手元にあった。

そしてまたこれは不思議なことだが、あれ以来彼女は一切あの時と同じ
コートを着てこなくなったのだ。
あるはずだと言っていた替えの釦が、結局は無かったのだろうか。
そのことすらも何となく聞くことができないまま、時は過ぎていった。
11 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:27
……今なら聞いても不自然ではないかもしれない。
歩道橋だし、花束持ってるし。

「なぁ美貴ちゃん憶えてる?」
「何さ」

「前美貴ちゃん誕生日の時こやって二人で歩道橋歩いてて、
 こけてコートの釦ふっとばしょったやろ」
「あん? 待って待って愛ちゃん早い早いから。
 もっかいゆっくり言って」

嗚呼何年経ってもこういうやり取りは相変わらずか。
生憎とこのやり取りで過去に甘酸っぱい思い出は無い。

「段差に躓いて美貴ちゃんのコートの釦が千切れて飛んでぇ」
「んなことあったっけ」
「あったよぉ、であたし探してたのに替えがあるからいいやって
 とっとと一人で先行ってもたの」
「……あぁ!」

しんとした夜の街に響くくらいの大きな声。
流石、歌手。

「あたし何となく気になってたんやけど、あれ以来あのコート
 着てこなくなったよな?やっぱ替えの釦無かったんかなって」

それならば、今すぐに鞄のサイドポケットにあるものを、目の前に
差し出してご覧に入れましょう。
12 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:28
……が、

「あったよ」

彼女はさらりとそう言い放った。
今度は自分の方が、階段の段差に突っかかりそうになった。

「あ、あったの、あったのか」
「何慌ててんのさ」
「いやいやいや」
「いや何かさ、ちゃんと釦付け直そうと思って床にバッて広げてみたら、
 中学の時に着てたのと似てたんだよね。したら醒めちゃって。
 何か、青春してた頃っての?
 みたいなの色々思い出してうわもうこれ着られないやって」

照れくさそうに笑う美貴ちゃん。
なるほどそういう気持ちは自分にも憶えがある。

例えばたった今まさにあたしはそういう気持ちだ。
釦を返せず、ずっと衣服のどこかに忍ばせていたりして。

大事に大事に宝物とかお守りのようにずっと。
……猛烈に恥ずかしい。

「美貴ちゃん、それ、捨てたんか……?」
「箪笥で眠ってる。でもいつか捨てるつもり」
「……そうか」
「何で?」
「いや、別に」
13 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:28
「何かさあちっちゃい頃とかの服なら今見たら
 まあ懐かしいなあって思うけどさ、中学とか高校のとかは、
 駄目だね。結構憶えてるから、逆に苦しくて」

全くだ。
今あたしは相当頑張って過去のことを振り払おうと頭の中で必死なのだが、
なかなか振り払うことができない。

持ち返った釦に彼女を重ねるとかいう乙女な妄想をしたというわけではなく、
いや寧ろそういう邪念をこれに向けてはいけない、と、一時期はハンカチ
に包んで保管していたりして、ある日ふと、ハンカチに染み付いたうちの
においがついてしまったら、逆に返しにくくなると慌ててそれから取り
出したりした、そういう挙動の一つ一つを思い出してしまって。

ああもう懐かしくて苦しい。
さっさと忘れてしまえ。
今だけ時間が二倍速にならんやろか。

「だからこの花束とかも、後で絶対似たようなの見てうわあって思うよ」
「そんなん捨ててまえ。あいや、捨てたら駄目」
「どっちだよ」
「だ、駄目」
「てか今持ってんの愛ちゃんだからね」

そうだった。すっかり忘れていた。
14 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:28

15 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:29
分かれ道に差し掛かり、あたしは花束を贈られた人の手へ返す。

「美貴ちゃんち花瓶あるよな?」
「無いよ」

何気なく聞いた一言にはまた淡白な答えが返ってきた。

「じゃあバケツとかに入れんといかんね」
「いいや、捨てるし」

次の淡白な答えには流石に驚いた。

「捨てんのか?!」
「うん」

呆然としているあたしに彼女は続ける。

「花束にされてる時点で死んじゃってるようなもんじゃん」
「そんな、だ、駄目やって!」

「さっきも駄目って言われたけどさ、枯れてっちゃうのを見るよりは
 綺麗なまま捨てるよ、美貴は」
「…………」

その理屈がわからなくはないのだが。
ショックだった。
ガン、と頭を殴られたようなショック。
16 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:29
初めて美貴ちゃんに対して、否定的な気持ちを持った。
信じられない。有り得ない。

……幻滅した。

「じゃ、愛ちゃんおつかれ。
 コンサートまでまだあるけどさ、まあそれの後でもいいんだけど、
 またどっか買い物行ったり、美味しいもの食べに行ったりしよ」
「……うん、おつかれさま」

辛うじて別れの挨拶だけ呟いたが、
手を振りながら帰途に着くかつての理想の人の背中は、
そこらの通行人と変わらない印象の薄いものとなった。



「…………」

あたしだって特別花を愛でている訳ではない。
けれど美貴ちゃんの一言はあまりにも冷酷すぎる。
いくら興味無いからって。

重い足を引き摺るようにして、あたしも何とか帰途に就こうとした。
が、あまりにも精神的ダメージが大きくて、すっかり歩くスピードが遅く
なっている。
もしかしたら、歩いている間に日付が変わってしまうんじゃないかと思って、
腕時計に目をやった。
何とあと十分ほどで、午前零時を迎えるところだった。
慌てて携帯電話を確認すると、予想通り母親からの着信履歴がいくつか
並んでいた。
はあと溜息をつきながら自宅に電話をかける。
17 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:30
小言を言う母親に平謝りしながら空車のタクシーを探した。
母は、近くに居るなら、歩くより近所のコンビニで待っていろと言った。
なるほどその通りにした方が良さそうだ。
……待ってる間に、何か甘いものでも買っておこう。
すっかり、疲れてしまった。

通話を切らずにそのまま世間話をしながらコンビニを目指す。
眩しいほどの照明に目を細めながら、大急ぎでバッグをまさぐる。
あった。
コンビニの入口脇にあるダストボックス目掛けて、それを放り投げる。
入っても外れても、いや恐らく外れたと思うが、もう知るものか。



「いらっしゃいませ」
『午前零時をお知らせします』

店員さんの声と店内放送の時報が順番にあたしを迎えた。
18 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:30
「間に合った」


「え?いや何でもない」


「ほやから何でもないって。あ、おはようお母さん。零時やよ」


「いやあっという間に朝んなるからって意味。ふざけてない。
 ……ごめん。ごめんなさい。
 ……うん、じゃあ、待ってるから……」
19 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:31

20 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:31

21 名前:Θ 投稿日:2005/08/15(月) 01:31


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