シスター

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:34
シスター
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:35

夕暮れ、街のあちこちで細い煙がのぼりはじめる。窓から入ってくる光が少なくなってきた。
それだけ確認すると、わたしは時計も見ずに家を出た。そろそろ時間だ、と思った。

近所の田畑でいつものように作業をしているナツミと目があう。
なにも言わないで、通り過ぎるのも感じが悪かったから、かるく会釈した。
「なにそれケイちゃんキモーい」
「うるさいわねー」
笑う。笑った後、行ってきます、と手をふると、いってらっしゃい、と笑顔をもらった。
太陽の高度は一気にさがって、頭の上では星がピカピカと、光っていた。
回り道してよかった、と思った。そうしないと早くつきすぎてしまうのだ。

酒場はもうしっかりと営業中だった。
もう少しすれば中からすてきな歌声が響いて、それ目当ての客でにぎわう。
わたしもまた、そのうちの一人だった。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:35

カウンターに腰をおろすと、マスターが近づいてくる。
その前に、いつもの、と言うと、かしこまりました、と返ってきた。マスターはなにもしない。
ただその代わり、愛らしい女の子がわたしのそばにやってきた。
女の子の名はアヤといった。マスターの愛娘だ。
「いらっしゃいませー!」
わたしはなにも言わない。でも、そのかわいらしい笑顔に、ほほえんだ。
「はいっ。じゃあ行ってみましょうか!」
「期待してるわよ」
「はーい!」

元気な声で、酒場の角にある小さなステージに立った。
客の視線は一斉にアヤに支配される。二、三回短い発声を繰り返し、口を開いた。

次の瞬間、この酒場は彼女のものとなった。

もしこの世に歌を歌ってお金をかせぐ人がいたのなら、それはアヤのものだ。
上下する歌声はこの小さなステージではおさまらない。
美しい声は、街中を駆け抜けていく。
そしてそれは、わたしをここの常連にしてくれた、魔法の言葉だった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:35

「終わりっ」
照れくさそうに、アヤは魔法使いから女の子にかえった。
一気に沸く酒場。客全員が惜しみない拍手を送り、また、外からでさえきこえた。
アヤはステージをおりると、アンコール、と野太い声がひびく。
苦笑いすると、「あとでね」とだけ答えた。アヤはわたしの横に座った。

「今日もなにも頼まないんですか?」
「アヤのこれのために来てるから」
「もーっ、おケイさんたらうまいんだからー」
初めてこの酒場にきたとき、わたしは中に入るかどうか、迷った。
注文する気はなかった。歌は聴きたかった。困った。
どうしても聴きたかったわたしは、仕方なくその歌に対してお金をはらうことにした。
他にお金の使い道がなかったから、気にならなかった。
アヤはそれを喜ばしく思ったのか、歌を歌い終わると必ず、わたしの横に座った。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:37

「今日の歌どうでしたー?初めて歌ったんですけど」
「よかったわよ。なんだかぐっと来た」
なぜか少しだけ迷いのある歌声が、わたしの心に響いた。
「ありがとーございます!」
すっかりご機嫌のアヤは、カウンターにあったお酒をコップにつごうとして、やめた。
笑顔も、仕草も、完全にくせになってるんだな、と思った。
「たまにはおケイさんの話も訊かせてくださいよ」
「話すようなことはなんもないんだけど」
「そんなことないでしょー。たとえばぁ」
真剣な顔になって、そのまま黙り込んだ。思いつかないのか、動かなくなった。
このままだといつまでたっても悩み続けそうだった。
「木こりさんの話してよ。えっと、なんだっけ。キミ?」
「ミキ」
頬がふくらむ。不思議と猿に似た顔だった。

「ガーピー。アヤひらめきました」
最近、アヤはロボットの真似をよくしている。
「家族の話。お母さんとか、お父さんとか、兄弟とか――」
兄弟。久しぶりにきいた言葉だと思った。懐かしいとは思えなかったけれど。
姉のことを、思い出した。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:38

わたしの姉は醜かった。わたしと似た顔をしていたけれど、わたしはまだ整っていた。
だからわたしが姉と姉妹だと、わかる人はいなかった。それだけ、姉の顔は崩れていた。
姉は醜いせいで街中に笑われた。
姉は発明家で、顔だけでなくそれも笑われる材料に使われた。
そして、山へと逃げ込んだ。わたしをおいて。

わたしは姉に捨てられた。

姉がいなくなった日の朝、太陽の光はいつもに増して輝いていた。
なにも言わず、なにも残さずに姉はわたしの前から姿を消した。
わたしはどうして、とつぶやく以外、なにもできなかった。
かなしむことも、できなかった。できたらどんなによかっただろう、と思った。
わたしは感情が人よりたりなかった。
でもそれがあったなら、わたしは間違いなくかなしまない。
きっと、憎んでしまう、姉のことを。だからそれでいいとも、思った。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:38

「――さん!おケイさん!」
「え?」
「え?じゃないですよぉ。おケイさんの話してくださいよ」
「だから話すようなことはなにもないって」
「だから家族の話をしてくださいって」
真似たような口調でアヤは得意げに笑ったけど、今回ばかりは笑えなかった。
その後立て続けに三曲聴くと、わたしは家へと帰った。

真っ暗な部屋に灯りをともす。
わたしはずっと入ってなかった姉の部屋に、足を踏み入れた。不思議と埃は少なかった。
部屋は最後に来たときと全く変わっていない。当たり前だ。
姉がいなくなった日から今日まで、この家を訪れたニンゲンはいないのだから、変化があっては困るのだ。
汚い机の上とか、汚い本棚とか、汚い模型とか、綺麗なベッドとか。
それらに触れることなくわたしは、部屋を出た。もう遅い。時間だ。

8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:40

* * *

その日、アヤの姿が見えなかった。
わたしは、いつもの、と言った。言ったら、マスターの表情がこわばった。
訊くべきかどうか、一瞬悩んだけれど、
「どうかしたんですか?」
訊いた。マスターは深刻そうな顔をしていて、でもどこか猿に似ていて、おかしかった。
「実は……」
そうしてはじまったマスターの話にわたしは、最初から最後まで黙っていた。

アヤはプロポーズを受けていた。隣の街の、一番大きな家に住むアヤと同世代の男性に。
後はアヤの返事を待つばかりだったけれど、アヤはいつまでも返事をしなかった。
男性はアヤとの結婚を強く望んでいた。だけれどアヤは返事をできずにいた。
そしてマスターが代わりに返事を出した。今日のことだ。
アヤはそれを知った途端に、家を飛び出してしまった。
日没からはじまるはずアヤのショーは、主役の不在で成り立たない。
アヤは歌の仕事をそれはそれは愛していて、だから常連になってから、こんなことは初めてだった。

なるほど、と思った。この間、アヤの歌声に感じた「迷い」は、間違いなかったのだ。
アヤがいないのならわたしがここにいる意味はない。
一言二言マスターと言葉を交わすと、わたしは店を後にした。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:40

職をもたない、姉が遺していったお金で生活していた。することがなかった。
だからアヤの歌声はわたしにとって、もてあました時間を解消してくれる、救いの存在だった。
彼女に救われている人はきっと、たくさんいるに違いない。
きっとアヤの歌声は、ニンゲンの気持ちさえ変えてしまうのだろう、と思った。
彼女が嫁いだら、あの酒場に来ている客はどうなるのだろう。

強い風が吹いている。
夜の街はひとけが少なくて、道の真ん中を歩いても障害はなかった。
建物の窓の隙間から流れている光と、星空と、月。満月が浮かんでいた。
誰もいなかったので、全速力で道を駆け抜ける。
走りたい気分だった。そんな気分になることはおかしかったけど、そんな気分だった。
すぐに家の前に到着すると、わたしは誰のいない家の中に、何も言わずに入った。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:41

* * *

その次の日も、次の次の日も、そのまた次の日も。アヤは歌った。
かなしそうな顔はなかった。さみしそうな顔はなかった。
ただ一つ、いつもと変わらず、アヤの歌を愛していた。それだけは言いきれる。
だから、わたしもいつも通り拍手をして、いつも通りお金をカウンターにおいて、いつも通りアヤとしゃべった。

アヤが歌わなかった日から、十三回目の夜。日没前に、アヤはわたしの家に現われた。
「おケイさん」
「なに」
いきなり現われたことにわたしは困ったが、いやではなかった。アヤは真剣な顔だった。
「今度の満月の、昼に式をあげて夜に宴をあります」
「……おめでとう」
一瞬、どうしたらいいものか、思考回路がショートしかけた。

「嫁いじゃったら、もうここで歌えない」
「うん」
「でも、でも……」
詰まるアヤにとりあえず、うん、と応えた。空白がうまる。
「そしてもここに、来てくださいね?」
その笑顔は、造られたものだったとわかった。わかったけれど、わたしも笑った。
姉もちゃんと言ってくれればよかったのに、と思った。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:42

アヤが去った後、なんとなく姉の部屋に再び入った。アヤの今日の行動が、そんな気分にさせたのだ。
そして前回触れることのなかった机に手をかけた。
汚らしいその机は、字で真っ黒にうめつくされた紙がたくさんあった。
汚い、と思った。まるで意識してそうされたみたいに感じられて、わたしは紙の海を泳いだ。

一枚の紙が海をぬけて、大空へと飛んだ。

わたしはそれをキャッチすると、顔に近づけた。
そこには文字ではなく、絵のようなものが描かれていた。絵はニンゲンの形をしていた。
ただ体よりも外は黒く染まっていて、紙はひどく汚かった。
姉よりも、わたしよりも、ずっと美しい形だ、と思った。
全身描かれた絵のおかしな点に気づいたのは、すぐだった。
体中のいたるところから線がのびていて、細かく文字が書き込まれている。
黒く染まっていた部分は、それだった。
わたしはすぐに部屋を飛び出した。全速力で家を出る。
町を駆け抜けるとき、たくさんのニンゲンの視線を感じたけど、気にならなかった。
時間がなかった。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:43

それはロボットの設計図だった。意味がわからなかった。
でもそれとともに、姉がいなくなってしまった理由が、すぐにわかった。
姉がどこにいるのかもわかる。シコメと呼ばれた人が住んでいるといわれている山小屋。
そこ以外に、ありえなかった。

全身をフルに活用すると、驚くほど速く、山小屋と思われる場所に到着した。
その間、周りは全く見えなかった。街の人も、山の植物も、なにもかも。
わたしはすぐに扉に手をかけたけれど、すぐに手を離した。躊躇した。罪悪感があった。
でもわたしには時間がなかった。鍵のないドアはすぐに開いた。

ここは……、中に入ると、そうつぶやきかけて、やめた。
誰もいなかった。食べられるようなものもなかった。汚らしいガラクタがあった。
生身のニンゲンが生きていくために必要なものが、そこにはなかった。そして、見覚えがなかった。
ただ、壁に立てかけられた、古臭いギターだけは、確かに見たことがあった。
わたしはすぐに、姉はもうここにはいないんだと、気づいた。
姉の逃げる宛なんてもう、ないことをわたしは知っていた。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:44


―――街のどこかに さみしがりやがひとり

歌声が聴こえた。山小屋の外、そう遠くないところから聴こえた。
ひどく聞き覚えのある、歌だった。わたしは、この歌を知っている。
姉がよく歌っていた歌だ。メモリーに入っている、姉の唯一の声。
わたしはうれしくなって、かなしくなって、口を開いた。声を重ねる。

―――今にも泣きそうに ギターを弾いている

生まれて初めて見たものは、シコメと呼ばれた姉の顔だった。
ものを識別し、判断する機能を与えられていたわたしは、すぐにそれが醜いことに気がついた。
その顔に似ている、わたしにも。
わたしは姉よりも整った顔をしている、わたし自身の顔をおかしく思った。
姉はどうして、そのように作ったのだろう。崩すほうが、ひどく簡単なのに。

14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:45

―――愛をなくして 何かを求めて

お前はヒトガタロボットで、名前はケイだと、言われた。
なんて呼べばいいのかと訊いたら少しだけ悩んだ後、「お姉さん」とでも呼んで、と言った。
ほかにいい言葉が思いつかなかったから、わたしはお姉さんと呼ぶことにした。
「初めてにしてはうまくいった」とか、「すごいスムーズに動くね、ニンゲンみたいだ」とか、誉めてくれた。
悪い気はしなかったし、というよりも、うれしかった。多分、うれしかった。
初めてのため、うまく感情という機能を入れられなかったから、それがうれしいのか、判断がつかない。

―――さまよう 似たもの同士なのね

ある日わたしは姉に言った。
「お姉さんはわたしをなんのために作ったの?」
「う、んと……妹が、ほしかった」
姉は口ごもり、ごまかすように応えた。
「わたしもほしい。わたしみたいな顔じゃなくて、もっとかわいい娘が」

次の日の朝、わたしは姉に捨てられた。

シコメは山へと逃げた。噂はすぐに街中をめぐって、部屋の外からわたしへと届いた。
わたしは自分が姉に言った言葉をひどく後悔した。
きっとわたしが姉にとって、ただ一人の話し相手であり、ただ一人の家族だったはずなのに。でも、違った。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:46

―――ここへおいでよ 夜は冷たく長い

しばらくすると、わたしはニンゲンと生きていく道を選んだ。
なんでそうしたかはわからないけど、おそらくさみしかったんだろう。
ほとぼりが冷めてから、わたしはこの空き家をもらった、と人の前へ出た。
似ていても似つかないわたしが、姉との関係について訊かれることもなければ、もちろん、ロボットだと気づかれることはなかった。
わたしは冗談で醜いと言われることはあっても、本気で言われることはまずなかった。
すぐに溶け込めだ。酒場で生きる目的と姉が遺していったお金の使い道を見つけた。
胸に少しだけモヤモヤとしたものがあったけれど、それがなんなのかはわからなかった。

外の歌声に合わせて歌っていた。そして最後のフレーズ。
聞き覚えのある声が、更に上から重なった。街におりたことのない木こりの話を思い出した。

―――黙って夜明けまで ギターを弾こうよ

16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:47

その声がアヤのもので、ずっと歌っていたのが姉の作ったロボット、わたしの妹だと、わかった。
見に行く時間はわたしにはもうないけれど、見に行かなくても、わかった。
それはわたしの体の中にあるどの機能よりも説得力に欠けて、どの機能よりも確かなものだった。

どうやらそろそろ時間切れらしい。

まだ見ぬわたしの妹。ついに会えなかったけれど、かわいいことだけは知っているよ。
他はなにも知らないけれど。
あなたも姉をなくして、動く意味をなくして、アヤに救われたんでしょう。
動き続ける、行き続ける意味を。わたしは確かにアヤから、それをもらった。
そんでもってちょこっとだけ、幸せになれた。あなたもきっとそうだと思う。
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:49

部屋におかれた大きな機械が、警告音を小さく鳴らした。聞き覚えがあった。
どうやら妹の充電器は、わたしのそれと全く同じらしかった。
昨日の充電からもう、二十三時間が経過していた。

わたしが生まれた日、姉はわたしに二十二時間ごとに充電するよう、言った。でも、もういい。
わたしを捨てたはずの姉が、わたしの妹を作るためにこっそり消えたのだとしたら、それだけでわたしは幸せだった。
幸せなんて高級な感情、わたしにはないのだろうけど、きっと幸せだ、そう思った。

歌声がまた、聴こえてきた。今度は二人だ。アヤと、わたしの妹の声が、山小屋までよく届く。
保存されていた、姉の歌声のファイルを取り出し、耳の奥で聴く。二人の声に、重ね、わたしも口を小さく開いた。

お姉さん。あなたのためのわたしが、あなたなしで今日まで動いていた理由、やっとわかった気がする。
わたしはきっと、妹と出会う日を待っていたんだ。だから姉はわたしの体をとめずに家を出た。
だからわたしも妹も、アヤと出会った。アヤの歌に、魅せられた。
そして、アヤの手によって、今日、わたしたちはとまる。

お姉さん、家を出たとき私をとめないで、妹をとめないでいてくれて、ありがとう。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:49

歌い声がやんだ。アヤの声が、きこえる。妹の声が、きこえる。
妹はアヤに姉の話をはじめた。
妹は「しあわせに」と言い、「ありがとう」と言った。
「さようなら」だけが別れの言葉じゃない。ふと、そんなことを思った。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:49
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20 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:49
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21 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 23:50
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