プリズミック・プラズマ

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:18
プリズミック・プラズマ
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:19




アヤは月の顔へ歌いながら、見もしないあたしの手を、迷わず一度で握った。
あたしは、泣くなと叱るより、歌いながらその手を握りかえした。
歌い終えて、もしもまだ動くなら、博士のことを、アヤに話そうと思った。
話の終わりには「しあわせに」と言い、「ありがとう」と言い、「さようなら」
ときっと言わない。
心に決めた。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:20


「カァアァット!!」

監督の声が、山じゅうに響き渡った。

「お疲れ様でしたー」
亜弥ちゃんがおなじみのイントネーションで周りにお辞儀をする。
はちきれんばかりの拍手で迎えてくれる、スタッフや共演者の俳優さんたち。
映画「歌ロボット」の、クランクアップだ。

「歌ロボット」は美貴と亜弥ちゃんのダブル主演という形で企画された。
シナリオはインターネットによって公募されたらしい。そこで選ばれた作品が美
貴と亜弥ちゃんが主役だったため、モーニングの一員でありながらソロで飛ぶ鳥
を落とす勢いの彼女と肩を並べて主演の扱いを受けることが出来たのだそうだ。
元ソロの美貴としては気分のいい話じゃないけれど、それが現実なら仕方ない。
それに、そんなちっぽけなプライドに固執するより久しぶりに亜弥ちゃんと水入
らずで時を過ごせるという事実を楽しんだほうがよっぽどいい。
でも、楽しかった日々も今日のクラックアップでおしまいだ。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:21
話の出来がよかったのか、美貴たち以外のキャストも次々に決まっていった。
脇を固める豪華な顔ぶれ、というのは映画を宣伝するときの広報さんの決まり文
句。主演する美貴たちも予めシナリオを読んでいたのだけれど、なるほど、これ
ならと思った。それでも亜弥ちゃんのお父さん役にあの有名な俳優が配されると
は思ってもみなかったけれど。

最後のロケ現場である大岩を、マネージャーさんに先導されて降りてゆく。
「みきたんお疲れっ」
「亜弥ちゃんもね」
歩きながら、美貴たちは顔を合せてそう言った。
「でもさ、二人で歌歌った時。わたしめちゃめちゃ緊張しちゃったよ」
「何で? 二人でなんてカラオケでいくらでも歌ってるじゃん」
「そうじゃなくてー」
亜弥ちゃんは猿顔になって反論する。
「ああいう形で二人でデュエットするのってはじめてだからだよ」
「…ああ、そういうことか」
「うん、そういうこと」
まるで昔やった深夜番組の締めみたいな会話をして、再び歩き始める。
大岩から望む街は、高度差のためかぼんやりと霞んで見える。それが何だか美貴
の心模様をあらわしているように思えた。
「ねえみきたん」
「ん?」
「ちょっと…痩せた?」
そろりとおなかの部分に伸びた手を払いのけて、
「役作りだよ」
と言った。
「だってさ、今にも電池が切れそうなロボットが樽みたいなおなか晒してたら、
様になんないじゃん」
「なるほどねえ」
亜弥ちゃんは感心したようにそう言ってから、美貴の前を歩き始める。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:22

事務所が用意してくれた車に乗り、ロケ地を後にした。
後部座席に並んで座る、美貴たち。亜弥ちゃんは疲れているのか、瞳を閉じてシ
ートにもたれかかっていた。美貴はと言うと、とてもじゃないけれど眠れそうに
ない。
それにしても。
遠ざかってゆく山頂の大岩を振り返りながら、思う。
アヤに自分の寿命のことを教えることなくこの世からいなくなってしまったロボ
ットの美貴。
「しあわせに」と言い「ありがとう」と言いながら、何一つ悔いを残さずに逝っ
てしまった美貴。
彼女は、本当にそれでよかったんだろうか。
自分で演じておいて何だが、その部分だけはどうしても感情移入できなかった。
本当の気持ちを実らせたことがないロボットは、果たして彼女自身が映画で語っ
たように、それで良かったのだろうか。それとも
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:22

「みきたん」

亜弥ちゃんの言葉で、思考が大岩から車内へと引き戻された。
隣を向くと、彼女もまたこちらを見ていた。
何かを探るような、そんな目つき。
「何考えてたの、ぼーっとしちゃってさ」
「ううん、何でもない。何でも」
緩慢に、首を振る。
「そっか。ならいいんだけどね」
「それより亜弥ちゃんさ」
一つは気分転換。もう一つは相手に話の矛先を向ける。そう言った意味合いで
話を振った。
「アメリカ行きの準備は進んでる?」
「うん。撮影中もちょっとずつ用意してたから」
亜弥ちゃんは、にゃはは、と笑ってそれから再び瞳を閉じた。
その瞼の裏には薔薇色の未来が眠っているのだろう、きっと。

亜弥ちゃんにアメリカ行きの計画が持ち上がったのは、「歌ロボット」のクラ
ンクインの少し前だった。何でも向こうの有名な映画監督が亜弥ちゃんのPV
を見たらしく、一目で気に入ってしまったそうだ。そして、自らの手がける大
作映画に出演させるという夢のような話が持ち上がった。
奇しくも「歌ロボット」のアヤとミキに似たシチュエーションができあがった
わけだ。でも。
似てしまったのは、それだけじゃない。
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:23
歌ロボットの美貴と、本当の美貴。
お互いに似てる部分なんてそうはなかったけれど、ただ一つ、完全に合致してい
る部分があった。
映画の役柄と同じように、亜弥ちゃんには決して伝えられないこと。

スクリーンの中の彼女と同じく、美貴にもわずかな時間しか残されていない。

もちろん充電器に入り忘れた、とかそういうんじゃなくて。
人体組織に突如現れた、致命的欠陥。
それが、美貴に与えられた終止符だった。

少し痩せたね、と言われたけれど実際には少しどころの話ではない。
一番目立つ顔の部分が、一番ましなのだ。顔から下の、人目には晒す機会のない
部分の惨状たるや。
荒々しく削り取られた肉体は、まるで出来損ないの木彫りの人形みたいだった。
こんな姿、誰にも見られたくはなかった。だから、撮影の時以外は山の気候が寒
いなんて言い訳をして極力肌をさらさないようにしていた。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:23
車窓を流れる景色が、ゆっくりと止まる。
美貴のマンションに着いたのだ。

「じゃあね亜弥ちゃん、また連絡するから」
「うん、わかった」
そこで予想だにしなかった、沈黙。油膜の張ったプールに投げ込まれたような気
分になって、そのま
ま車を出ようと思ったその時だった。

「みきたんあのね…」
「なに?」
「ううん、何でもない」

そのまま、漆黒に塗られた車の後姿を見送った。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:24

自室に戻り、ソファに腰掛けてテレビをつける。
パチパチという静電気の音と共に映し出されたのは、くだらないバラエティ番組。
心の空虚を埋める足しぐらいにはなるだろうと思っていたけれど、逆に穿たれた
穴を広げるだけだと言うことに気づいた。スイッチを消してから、手に持ってい
たリモコンを力いっぱいブラウン管に向けて投げつけた。バラバラになるかと思
ったリモコンは予想に反して電池カバーが外れるだけで、金色の電池がフローリ
ングの床に音を立てて転がった。
こんな風にして自分自身を壊せたらどれだけいいか。撮影中に何度思ったことか。
美貴の背中には電池カバーがあって、その中に埋まっているくすんだ色の電池を
取り外す。
終了。そう、何もかもが、だ。
でも美貴はロボットでもなければテレビのリモコンですらないので、そんなこと
は到底実現不可能な話だった。じわりじわりと迫り来る影を、ただ待つばかり。
そんな状況の下で、笑顔で亜弥ちゃんのことを送り出す。
果たしてそんなことは可能だろうか。答えはもちろん、ノーだ。
お話の中の事実は全てが絵空事。それをそのまま実行できるはずがない。
大きくため息をつくと、その反動からか体を絞るような咳が出る。
口を抑えた手のひらには、小さな赤い花が咲いていた。
どうやら「ありがとう」すら言わせてもらえないらしい。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:24


次の日、美貴は天王洲での収録に行くことなく、ある場所へと向かっていた。
「歌ロボット」の最後のロケ現場、山頂に大岩を頂く山。
そこの山小屋なら、誰にも見つかることなく全てを終わらすことができる。
美貴には笑顔で亜弥ちゃんを送り出すことなんてできない。下手したら、全てを
話してしまうかもしれない。だからその前に。それが、結論。
レンタカーを借りて、高速道路をひた走った。
走行中に咳の発作が出て、そのまま中央分離帯にでもクラッシュしたら、とも思
ったけれど幸か不幸か車は無事に麓の街までたどり着くことができた。
山小屋までの道のりは病身には決して生易しいものじゃなかったけど、山小屋に
行きたいという気力だけでひたすら山道を登った。見慣れた古びた小屋を目にし
た時には眩暈さえ覚えたが、それすらも大して気にはならなかった。
小屋での撮影は一週間前に終わっていたから、中の様子はすっかり変わってしま
っていた。小道具の充電器や生活用品はすでに撤収されていて、後は元からあっ
たらしい壊れかけのベッドが残されているだけだった。そこに腰掛け、そのまま
体を横たえる。
すぐに、眠りとも微睡とも言えない意識の沼に落ち込んだ。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:25



みきたん、みきたん。
遠くで亜弥ちゃんの呼ぶ声がする。


12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:25


ふと、目が覚める。
美貴を呼んでいたのは夢でもなんでもなく、窓からこっそり覗いてみたら、小屋
の周りの草原を掻き分けるようにして亜弥ちゃんが美貴のことを探してた。
今、彼女に会うわけにはいかない。ベッドの下にちょうど隙間があったので、急
いで身を隠した。
みきたん、みきたぁん…
段々と遠ざかってゆく彼女の声。
そう、これでいい。
声が完全に聞こえなくなるのを待ってから、ゆっくりと体を出す。

「見いつけたっ」

楽しそうな、亜弥ちゃんの声。
「どうして…?」
するとベッドの縁に腰掛けていた亜弥ちゃんは、
「みきたーん、みきたーん! みー…きたぁーん…たーん…」
と一人ドップラー効果をやってみせた。
観念して、彼女の隣に座ることにした。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:26

「たん、ダメじゃん。仕事さぼっちゃあ」
「……」
「お仕事で何かあった? まつーらさんで良かったら、何でも聞いてあげるから」
観念はしたものの、降参するわけにはいかなかった。
本来なら、何もなかったような顔をして彼女を送り出すのが誰も傷つかない最良
の方法なんだろう。でもそれを完遂するには、美貴は弱すぎた。「歌ロボット」
のミキには、なれない。
だったら、取るべき行動は、ただ一つ。

「別にさ、大したことじゃないんだ。美貴、梨華ちゃんと映画に出たこともあった
けど、本格的な映画はこれがはじめてでさ。大岩の上でのカットも多かったけれど、
やっぱりこの山小屋の一人語りのシーンが一番印象深くて。センチメンタリズム、
って感じなのかな。気がついたらここに来ちゃってた」
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:26
相手を真実から遠ざけるには、道化を演じるのが一番だ。
「歌ロボット」の中でアヤがアヤ1号だったように。ミキが最期の歌を歌う前にお
どけてみせたように。だから美貴も、ピエロになる。決して笑顔には、なれないけ
れど。
「そっか。なあんだ」
ほっと胸を撫で下ろす亜弥ちゃん。
「そういうわけなんです。だから、心配しないで。美貴はもうちょっとここにいた
いから、亜弥ちゃん先に帰ってて」
「うん、わかった」
そう言って、背中を見せる、亜弥ちゃん。
でも、その背中が、凄く震えてて。
「…亜弥ちゃん?」
「…そつき」
「え?」
「たんのウソツキ!」
振り向いた亜弥ちゃんは、両目いっぱいに涙を滲ませていて。
「あたし、全部知ってるんだから! みきたんが異常に痩せてってるのも、あんまり
遊んでくれなくなったのも、時々難しそうなお薬飲んでるのも、ぜんぶぜんぶ!!」
本当に道化なのは全部隠し切れてると思った浅はかな考えだったことに気づいた。
そして、目の前の相手が、こんなにも自分のことを思っていてくれていることにも。
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:27

だからこそだった。
亜弥ちゃんには、本当のことは告げられない。
もし美貴が長くないことを知ったら、亜弥ちゃんは全てを投げ出してでも美貴の側に
いてくれるだろう。でも、それじゃダメだ。
たとえ二人が幸せでも、周りの人たちは。そうなってもいい、なんてことは亜弥ちゃ
んには言わせたくなかった。だから、今は美貴にできるだけの強がりを、見せるべき
なんだ。

「嘘じゃないよ。確かに体の調子は崩してるかもしれないけど、慣れないロケのせい
だから。だから、美貴のこと、信じて」

今ならわかる。「歌ロボット」のミキの気持ちが。
彼女は、アヤが大切であるが故に、何も言わずに去ることができたんだ。
笑って彼女のことを、送ることができたんだ。
精一杯の笑顔は、強さなんかじゃない。
今なら亜弥ちゃんに「おめでとう」も、「ありがとう」も、言えるような気がした。
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:28
「さようなら」

17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:28
ときっと言わない。
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 22:28
心に決めた。

Converted by dat2html.pl v0.2