赤とんぼ
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 00:06
- 赤とんぼ
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 00:07
- 教室には、絵里とれいなの二人しかいなかった。
正面の壁には画用紙に描かれた園児たちの作品がいくつも貼られている。
換気の為か、教室のドアは全て開かれていた。
部屋の中央には、プラスチック製のカラフルな積み木が積まれている。
その積み木に向かい、絵里とれいなは大きな“何か”を共同で作っていた。
パタパタと足音を立て、保育士のお姉さんが教室を訪れた。
絵里とれいなをいることを確認し、ほっと息を漏らす。
「絵里ちゃん、れいなちゃん、お姉さんが迎えにきたよ」
れいなは、すくっと立ち上がり、すたすたと玄関に向かって走り出した。
「待ってぇ」と、絵里もその後を追いかける。
絵里の胸にはチューリップのバッチを、れいなの胸には桜を模ったバッチをつけている。
バッチは教室の毎に決まっており、バッチをつけた子供の年齢を表していた。
チューリップは保育園の年長組の子供たちが、桜は年少組の子供たちが付けている。
つまりは、バッチを見れば、絵里が4歳で、れいなは3歳であることがわかるのである。
- 3 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:08
- さゆみは保育園の玄関で、絵里とれいなが来るのを待っていた。
中学生の制服を着て、両耳の後で髪を束ねている。学校帰りに立ち寄ったのだろう。
れいなは、玄関に立つさゆみを見つけて、大急ぎで足元まで走ると両腕を広げた。
「さぅみおねえしゃん、だっこぉ」
「はいはい」
鞄を脇に挟み、れいなを抱き上げた。
すると、後からやってきた絵里が、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
「れいなずるーい。えりもだっこー」
「はいはい、また今度でね」
ぶぅ、とふてくされる。
さゆみはれいなを抱き上げたまま、保育士のお姉さんにお辞儀をした。
そして、保育園の敷地内の、まだ二十メートルと歩かない内に、重たいから降りて、と、れいなを降ろした。いつもの事である。
- 4 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:09
- 保育園から歩いて三十分ほどの距離に、彼女たちの家はあった。
家に帰り着いても誰もおらず、静かなものだ。
さゆみは、絵里とれいなを着替えさせると、一階の子供部屋に連れて行く。
子供部屋は四畳ほどの広さで、窓には柵が付けられ、外に出られないようになっている。
しかも、鍵がドアの外側にしかついておらず、中からは鍵の開閉が出来ないようになっていた。
さゆみは子供部屋に絵里とれいなを押し込めると、夕食の支度を始めるのであった。
彼女達の母親が家を出て、三ヶ月が過ぎようとしていた。
母親は小柄ながら活発で、可愛らしい、優しい人であった。
意志が強く、何事も中途半端に出来ない性格で、その性格が災いしたのだろう。
さゆみが母親の浮気を知った時には、既に、その男性と家を出て行った後であった。
母親は書置きを残していた。
長々と書かれた書置きの一部に「私は、妻として、また、母親としての自分を裏切ってしまいました。子供達の母親である資格を失ったと思います。」などと書かれており、さゆみが初めて読んだ時は、その内容に、怒りを通り越して呆れてしまい、笑いが込み上げた。
父親は、朝から晩まで仕事をしていて、家には殆どいない。
仕方なく、母親がいなくなったその日から、長女のさゆみが家事を担当することになった。
- 5 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:11
- 絵里は部屋隅っこで、声を出して絵本を読んでいた。
保育園でも習い始めたばかりで、まだ、平仮名しか読めないが、字を読むのが楽しかった。
れいなも、絵里の真似をして絵本を広げる。
まだ、字を読むことができないれいなは、絵を眺めることしか出来ないのだが。
初めはおとなしく見ていたのだが、一人で見ていても面白くはないのか、絵里のところに絵本を持っていった。
「こぇよんで」
愛くるしい笑顔で絵本を差し出す。
その天使の如き可愛い笑顔を見せられたら、誰であろうと断ることは出来ないだろう。
だが、絵里は違った。
絵本を読むのを邪魔されて、煩わしそうにれいなを見と、後で読んであげるから、と、再び絵本の世界に没頭するのであった。
- 6 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:12
- れいなは、つまらなそうに唇を尖らす。かと思うと、小悪魔のような笑みを浮かべた。
手に持っていた絵本を絵里に定めると、バンバンと叩き始めた。
「いたぁい。ちょっと、何するの」
本気で怒った絵里は、手に持っていた絵本を閉じると、仕返しとばかりにれいなを叩こうとする。れいなは脱兎のごとく逃げ出した。
かくして、狭い部屋の中で鬼ごっこが始まった。
逃げるれいなに追いかける絵里。
しかし、数分も立たないうちに、れいなが追いかけて絵里が逃げ出すようになる。
絵本を団扇のように振り回して、れいなは絵里の後を追いかける。
絵里は、頭を腕で庇いながら「もう、やめて、れいなのいじわるぅ」と走り回る。
どういうわけか、最後はいつも、こうなるのであった。
- 7 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:13
- 窓からは射し込む日の光が、今が夕暮れ時であることを知らせている。
耳をくすぐるその音に、絵里は、興味を示して窓の方に顔を向けた。
窓から覗く空の色は、夕焼けの赤から夜の紫へと変わり始めた頃で、空も、街も、すっかりと赤く染めていた。
窓から見て正面には、背景の大半を占める岩盤の露出した山が聳えており、夕日の光がくっきりと輪郭を浮き上がらせている。
歌声は、その山から聞こえてくるようであった。
れいなは手に持った積み木を放すと、すくっと立ち上がり絵里に近づいた。
「なにしてぅの」
「お歌を聞いてるの」
絵里と同じように山の方向に耳を澄ませる。
なるほど、微かだが確かに歌声が聴こえてきた。
「ほぉとだ、なぁのおぅた?」
「わかんない」
曲名も知らない歌ではあるけれど、二人とも直ぐにその歌が好きになった。
窓の縁に掴まりながら、キラキラした瞳を歌声の方向に向けている。
二人は、夕食の支度を済ませたさゆみに呼ばれるまで、山から聞こえる歌声に耳を澄ませていた。
- 8 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:15
- 父親が帰ってきた時には、時間は夜の九時を回っていた。
さゆみは、絵里とれいなを寝かしつけ、テレビのある居間で父親が帰るのを待っていた。
父親の気配を感じ、テレビを見ながら「おかえり」と、言葉をかける。
父親は、疲れていると言わんばかりの溜息をしてテーブルの上に鞄を置いた。
背広を畳んで椅子に掛け、テレビに夢中になっているさゆみに視線を向ける。
ネクタイを緩めながら、ゆっくりとさゆみに近づき、後ろに立った。
「テレビを消しなさい。大事な話があるんだ」
「後でていい?」
気の無い返事を返す。
「今すぐ消しなさい」
「大きい声ださないで。絵里とれいなが起きちゃうでしょ」
さゆみの、あまりの剣幕に、父親は驚いて半歩ほど後ろに引いた。
しかし、父親の威厳を失ってなるものかと、すぐさま姿勢を正して眼鏡を中指で押し上げる。
壁だ、俺の後ろには壁があるんだ。そう思い込む。
「いいからテレビを消しなさい」
強い口調で言われて、さゆみは渋々テレビを消した。
- 9 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:16
- 父は、さゆみが立ち上がり、振り向くのを待った。
さゆみは、随分と不貞腐れた顔をしていた。
これは、テレビが終わるまで待ったほうが良かったか、と一瞬思ったが、それでは如何と、咳払いをして気を持ち直す。
「お前、高校には行かないって言ってるそうだな」
「うん、行かない」
即答で返す。意志の強さが窺える。だが、ここで引く訳にはいかない。
「高校に行かないで、どうするつもりなんだ」
「仕方ないでしょ。絵里もれいなもまだ小さいし」
「お前は、高校に行かないのを二人のせいにするのか」
「ていうか、二人のせいじゃん」
「絵里とれいなの事は俺に任せて、お前はちゃんと高校に行きなさい」
「何いってんの。お母さんが出て行ってから、二人の面倒はあたしが見てるんだよ。食事や洗濯だって、みんなあたしがやってるんじゃない」
背中の壁は、脆くも崩れ去った。
実際、母親が出て行ったからというもの、さゆみは良くやっていた。
絵里とれいなの世話に加えて、家事の面でも大部分をさゆみが一人で行っているのだ。
自分の不甲斐無さに情けなく思い、何も言えず黙るしかなかった。
「とにかく、高校には行きなさい。それと、今日はもう寝なさい」
さゆみは父親を睨みつけると、部屋へと戻っていった。
- 10 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:17
- 翌朝になっても、さゆみと父親の険悪ムードは収まらない。
さゆみの方が一方的に聞く耳を持たないといった態度で、会話らしい会話も殆どない状態である。
さすがに、絵里とれいなの前ではあからさまではないものの、それが、二日、三日と続けば、二人も敏感に感じ取り、不安を感じ始めていた。
保育園からの帰りに道に、絵里は、さゆみに思い切って聞いてみた。
「さゆみお姉ちゃん。パパと喧嘩したの?」
「別に、喧嘩してないよ」
優しい声で言う。
あまりにも普通に返してきたので、絵里は不安な胸騒ぎを覚えていた。
さゆみは嘘をついている。絵里には知られたくないことがあるからだ。
絵里がそう思うようになったのは、以前にも、同じような体験をしたからである。
- 11 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:18
- その日の夕方、何時ものように、さゆみは夕食の支度を始め、絵里とれいなは子供部屋に閉じ込められた。
れいなはクレヨンで画用紙にお絵描きを始めるが、絵里は、ずうっと、浮かない顔をしていた。
「ねぇ、れいな、さゆみお姉ちゃんも、ママみたいに出て行っちゃうかもしれない」
れいなは、ぎょっとして振り向いた。信じられない、いった顔で絵里を見る。
「でぇいったりしないもん」
「でも、ママも同じだったもん。パパと喧嘩するようになって、えりが、パパと喧嘩したの?って聞いたら、してないっていったんだもん。ママ、出ていっちゃったじゃない」
「ちあうもん。えぃおねえしゃんのうそぉきぃ」
れいなは絵里を押して転ばせると、グゥの形に手を固めて、手の甲で叩いた。
「何すんのよ」
絵里はカッと頭にきて、気づいた時には、れいなの頭を殴っていた。
初めは、ぽかんとした顔をしていたのだが、次第に広がるじんわりとした痛みに、れいなは声を出して泣き始めた。
- 12 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:19
- 絵里は、すっかり弱ってしまった。
泣きじゃくるれいなを、どうしていいのかわからないのだ。
三歳と四歳では体の大きさの差がはっきりとでる。
喧嘩をすれば絵里が強いのは当たり前で「お姉さんだから我慢しなさい」と、怒られるのも絵里の方だ。
いつもその事を不服に思っていたのだが、習慣というのは恐ろしいもので、また怒られるのではないかと不安になる。
悪いのは絵里ではなくてれいなの方だ、という思いもある。
泣き止んで欲しいのだけど、謝りたくはない。どうしたものかと絵里も泣いていまいたかった。
- 13 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:20
- そうこうする内にドタドタと走る足音が聞こえて、ドアが開いた。
胸がドキリと鼓動して、身構えるように肩を窄める。
「こら、喧嘩しないの」
開いたドアの隙間から顔を覗かせ、さゆみが叱る。
れいなは、さゆみに向かって走りだし、しがみつくように抱きついた。
「さうみおねぇしゃん、でえいったりしないぉね」
涙混じりに言う。
さゆみは、一瞬、驚いた顔をするが、れいなの頭を撫でてやり、にっこりと微笑んだ。
「うん、しないよ」
「ほぉ、とぉ?」
「うん、れいなは、さゆみに出て行って欲しいの?」
ぶんぶんと首を振る。咽びながらも、涙は止まった。
ぱぁと明るい顔をして、さゆみをぎゅうっと掴んだ。
嬉しそうな顔をする。
さゆみはれいなを離すと「二人とも、もう喧嘩したら駄目だよ」と、ドアを閉めて台所に戻って行った。
- 14 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:21
- 絵里は事なきを得てほっと胸を撫で下ろす。
さゆみが家を出ないことを知り、先ほどの不安もすっかりと氷解した。
れいなも泣き止み、全てがすっきりとした気分だった。
ところが、れいなの気持ちは治まらない。
笑顔の絵里とは対照的に、怒った顔をする。
「えぃおねえしゃんのうそぉき」
「さゆみお姉ちゃんが嘘ついてるのかも」
「うそぉき!」
舌を突き出した。
- 15 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:22
- 仲直りに、それほど時間はかからなかった。
初めは絵里を避けていても、遊びに夢中になる内にすっかり忘れてしまっていた。
ついには、積み木で塔を作るのに、どちらが高く積み上げるか競走を始めだした。
ふと、積み上げる手を止めて、絵里は窓に視線を向ける。
外はすっかりと夕暮れ時になっている。窓の外からは綺麗な歌声が聞こえてきた。
絵里が窓まで駆け寄ると、その後をれいなが続いた。
二人で窓から遠くの空を眺める。
「聞こえるね」
れいなは頷きを返した。
「なんておうたかなぁ」
「れいな、知らないの?」
「えぃおねぇしゃんもしやないれしょ」
「えり、知ってるもーん」
「ほぉと、おしえて」
「えっとねぇ、ゆうやけこやけの、あかとんぼっていうの」
「あかとぉぼ!あかとぉぼ!」
れいなは嬉しそうに繰り返し言った。
絵里はれいなを横目で見ると、笑いを堪えた分、余計に、肩を震わせて笑っていた。
- 16 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:23
- 金曜日の午後、下校時間になると、帰宅する者、部活に出かける者、様々である。
さゆみのクラスでも、仲の良いグループで集まって、今日のスケジュールの相談を始めていた。
「今日さ、カラオケ行かない?」
「うん、行く行くぅ」
「いくいくぅだってぇ、ひわいー」
「なんだとー」
さゆみは、机二つと離れていない場所で話す女子グループの会話を聞きながら、自分には関係ないと、鞄を手に持ち教室の出口へと向かう。
「あ、さゆみ」
突然、呼び止められて振り向いた。
ついこの間まで仲の良かった友達である。声を掛けれても不思議ではない。
「さゆみも行くよね、カラオケ」
「あ、ごめん、行けない」
「どうしたの、さゆみ?最近付き合い悪いよ」
「バカ、さゆみの家って今、ほら」
「なに?どうしたの?」
友達に気を使われて、堪らなく自分が惨めに思える。無神経に聞かれるのも腹が立つ。
何より、自分が居る事で空気が重くなるのが堪らなく嫌だった。
「妹を迎えに行かなくちゃいけないから。ごめんね。また誘って」
手のひらを立てて、ごめん、と拝むと、勤めて明るく聞こえるように言った。
「うん、また明日ね」
友達に手を振られ、さゆみは教室を後にした。
- 17 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:25
-
その日は土曜日ということもあり、さゆみは一日中妹たちの世話を見ていた。
絵里とれいなも、さゆみに構ってもらえるのがとても嬉しいのか、傍にべったりある。
もちろん、家事をしなくても良いという事にはならず、今は掃除も一段楽し、洗濯機が洗濯が終わるまでの時間を子供部屋で潰していのである。
以前は、家事らしいことを殆どしていなかったので、掃除にも要領を得ず、掃除が終わった頃には日も沈み始めて体も心もくたくたであった。
カーペットの上に腰を下ろし、膝の上でれいなを寝かせると、手櫛で髪を梳かす。
指からサラサラとこぼれる細い髪の毛が、なんとも気持ちのよい。
れいなも、嬉しくって堪らない、といった様子で、親猫に甘える子猫のような、可愛い笑顔を浮かべていた。
「さぅみおねぇしゃん。おうたうたってぇ」
「いいよ。何の歌がいいの?」
「えっとねぇ、あかとぉぼ」
「うん、いいよ。じゃあ歌うね」
さゆみは、学校の授業で習った「赤とんぼ」の歌詞とメロディーを、記憶の底から引っ張り出した。
それほど難しい歌ではない。
- 18 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:26
- 一呼吸を置いて、歌い始める。
「ゆぅやぁけ、こやけぇの」
「ちがうよぉ。そんなおうたじゃないの」
歌い出して直ぐに、れいなに止められた。
れいなが期待していた歌は、夕暮れ時に時々聞こえたあの歌である。もちろん小学校で習う「赤とんぼ」とは別の歌である。
当然、さゆみがそのような事を知るはずもない。
赤とんぼと言えば、さゆみが歌った曲である。
間違ってもいないのに「違う」と言われては堪らない。
別に歌いたかったわけではなく、自分で選んだ曲でもない。
それなのに歌い出して直ぐに止められたのでは、さすがに面白くなかった。
とはいえ、相手はまだ三歳の子供だ。腹を立てても大人気ない。
こんなことで怒らないの、と自分に言い聞かせ、努めて優しく接した。
「これで合ってるよ」
「ちがうもん。さぅみおねぇしゃん、へたー」
「さゆみお姉ちゃん、うたへたー」
面白がって、絵里もれいなの後に続けて言う。
絵里としても、さゆみに構って欲しかっただけである。
だが、この言葉がさゆみの怒りに火をつけた。
- 19 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:28
- 「何よそれ」
低いトーンの声で呟く。さゆみはもう、笑っていなかった。
「ねぇ、なんで、あんた達にまで馬鹿にされなきゃいけないの」
今度は声を荒げて言う。
不意打ちを食らった絵里とれいなは、突然の豹変に、体をビクつかせた。
驚いてさゆみを見つめる。明らかにさゆみを怖がる目だ。
その表情が、余計にさゆみの神経を逆撫でした。
こうなると、さゆみは止まらない。
「もうやだ。いいかげんにしてよ。あたしだって、部活もやりたいし、友達と遊びにだって行きたい。やりたい事はいっぱいあるの。けど、あんた達がいるから何も出来ないんじゃない」
早口で捲し立てられ、その剣幕に圧倒される。
本気で怒り出すさゆみに二人は怖くて堪らない。
何故怒り出したのかも検討つかず、不安はどんどん大きくなる。
ついには、大粒の涙がこぼれ、声を上げて大泣きし始めてしまった。
耳に劈く泣き声に、精神が掻き毟られる。
その声が、さゆみには耐えられなかった。ムカムカと吐き気を覚えさせる。
「うるさい!うるさい!うるさい!」
両耳を両手でふさいで、大声で叫ぶ。もう、うんざりだった。
- 20 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:29
- さゆみはこれまで、絵里とれいなを煩わしく思うことはあっても、嫌ったことは一度も無かった。
今日ほど疎ましく感じたのは初めてだ。
二人の顔も見るのも嫌だった。一秒でも早く、この場を離れたかった。
「もう、やだ」
さゆみは部屋から出ると、そのまま家を飛び出した。
玄関が勢いよく閉じられて大きな音を立てる。
絵里は、びくんと体を震わすと、慌てて部屋を飛び出した。
さゆみを探すが見当たらない。
涙を服の袖でごしごしと擦りながら、駆け足で玄関に向かった。
玄関に自分の靴を見つけると、お尻を床に付けて靴を履き始める。
れいなは、ひっく、ひっくと息を喘がせながら、歩いて絵里の傍に寄った。
「どぉ、たの?」
「さゆみお姉ちゃん、出て行っちゃった。だから、探しに行くの」
「れぇなも、いく」
れいなは玄関の縁にちょこんと座った。靴を履かせて、と足を上げる。
「いいよ。一緒に探がそ」
絵里は、れいなに靴を履かせた。
- 21 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:29
- 玄関を出てすぐに道は右と左に分かれている。
「どぉちいくの」
「こっち」
離れないように、れいなの手をしっかりと握る。
そして、保育園とは逆の方向に歩き出す。
絵里は、直感的に自分が知らない方の道を選んで歩いていた。
右に曲がれば次は左、その次は右に曲がる。
とにかく、街中を歩き回っていた。
帰り道はおろか、自分達が何処にいるのかも全く分らない状況ではあるが、二人が気する様子は無かった。むしろ、気づいてすらいない。
二人が探しているのはさゆみである。さゆみを見つけさえすれば、それで良いのだ。自分達が何処にいるかは重要視していなかった。
- 22 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:31
- 太陽は殆ど姿を隠し、夜空と夕焼けが溶けて混ざったような紫色に変わっていた。街灯に明りが灯り、夜の街へと姿を変え始める。
絵里は言い知れぬ不安にかられて立ち止まった。
右を向いても左を向いても道も家も始めて見るものばかりだ。
まるで、絵里の知らない世界に一人ぼっちで取り残されたような心細さを感じていた。
手を、ぎゅっと強く掴まれた。れいなだ。突然立ち止まった絵里を不思議そうに見つめている。
一人ではないと分るだけで、ずいぶんと楽になった。
「もう、帰ろう」
絵里は回れ右をすると、れいなの手を引っ張りながら歩きだした。
若干、早足に歩き出す絵里に引っ張られ、れいなは疑問の眼差しを向けた。
「でも、さゆみおねえしゃんはぁ?」
「きっと、もう、帰ってるよ」
- 23 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:32
- どんなに歩いても、見知らぬ町並みが続いていた。立ち並ぶ家々、店の看板、歩道の縁まで知らない物ばかりだ。
これまで、ろくに目印も決めずに歩いてきたのだ。当然、帰る道を覚えているはずが無い。
絵里が泣かずにいられたのは、れいなが傍にいることで生まれる、責任を感じていたからである。
「えりおねえしゃん、ここどこぉ」
見たことも無い知らない場所である。答えられるわけが無い。
何も言えずに、れいなの手を引きながら歩き続ける。
突然、れいなは歩くのを止めた。
「つかれたぁ」
「だめ、歩いて」
「もうやだ。あるきたくない」
その場にしゃがみこむ。もう絶対動かないと言わんばかりに両手を組んで座った。
「お願い、歩いてよ」
困った絵里は、その手を力いっぱい引っ張っていた。
そんな時、絵里の耳に、いつも夕暮れ時に聞いていた歌声が聞こえてきた。
れいなも聞こえたのか、歌声がする岩山の方向を振り向く。
「聞こえるね」
れいなの呟きに、絵里は、こくんと頷く。
「行ってみよう」
れいなは頷き立ち上がった。
- 24 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:33
- 山に近づくにつれ街灯の数は減り、辺りは暗くなっていく。
排水溝に落ちないように気をつけながら、山に続く舗装された一本道を、絵里とれいなは歩いた。
山の麓にはキャンプ場に使われる広間があり、その直ぐ近くには四、五十人は入れる広めの講堂がある。
さらに、山の中腹辺りで道は二手に分かれている。山頂までの山道は、大人の足でも4、5時間はかかり、もう一方の道は、岩肌が露出した危険な場所へと続く為に封鎖れさて久しく、すっかりと草本に覆われ道らしきものも無くなっていた。
絵里とれいなが、キャンプ場に辿り着くよりも前に、その歌声は止んだ。
二人は立ち止まると、互いに顔を見せ合う。
「どぉするの」
「どうしよっか」
絵里は、道の端に移動すると地面に座った。
れいなも、絵里の隣に座る。
ひんやりとした感触が、気持ちよかった。
ここまで歩き続けた二人は、クタクタで、泣くことを忘れるほど疲れていた。
火照ったからだが冷えてくると、夜の冷気にすっかりと体が冷たくなり、二人は、肩を寄せ合い座っていた。
絵里が、夜空の星をぼんやりと眺めていると、隣でれいなが、こくり、こくりと頭を揺らし始めた。
「寝てていいよ」
絵里がそう言うと、れいなは、目を擦りながら、うん、と頷いて絵里に寄りかかる。
絵里も、れいなに体重を預けると、再び空を見上げ、星を見た。
どのくらいの時間が過ぎたのか、突然、懐中電灯の光が絵里とれいなを照らした。
絵里は、ぼうっとした表情で光の根源を見つめる。
「君達、こんなところでどうしたの?」
懐中電灯をかざした女性は、驚いて二人の元に駆け寄った。
- 25 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:34
- 絵里はその女性と手をつなぎ、山を下山していた。
れいなは、彼女に抱っこされて、すやすやと寝息を立てていた。
「それでね、お歌が聞こえなくなったから、どっちに行っていいのか、わからなくなったの」
「そっかぁ」
絵里の話を聞きながら、彼女は、何度も頷きを返していた。
歩きながら二人が道に迷った事情を知り、何とかしてあげたいという思いに駆られる。
絵里は、話を続けた。
「お歌、とっても、お上手だったの」
「そぉ、ありがとぉ」
彼女は、照れたように笑った。
「お姉ちゃんは?」
「あたし?」
「あたしはねぇ、お友達に会いに、かなぁ」
「お友だち?」
「そう、でも、今日その人に怒られちゃった。絵里ちゃんと同じだね」
絵里は、彼女の手をぎゅっと掴んだ。さゆみのことを思い出したのか、急に泣きそうになる。
「大丈夫だよ。きちんと謝ったら、きっと許してくれるよ」
「ほんとぉ?」
「ほんとほんと、約束する」
彼女の優しい声に、絵里は嬉しくて微笑んだ。
- 26 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:36
- 街に戻ってからは、彼女は交番を目指していた。
交番に行けば、子供達の住所がわかるのではないかと思ったからだ。
しかし、その必要は無くなった。
夜の、ずいぶんと遅い時間だと言うのに、絵里とれいなを呼ぶ声が聞こえたからだ。
絵里は、直ぐに名前を呼ぶその声に反応して嬉しそうな笑顔を見せた。
「さゆみお姉ちゃんだ」
彼女の手を離すと声がする方向に走り出す。
「あぁ、ちょっと待って」
彼女も、絵里の後を追って走り出した。
「待って、れいなちゃん、起きちゃうよ」
そう言うと、走る歩行に合わせて上下に揺れるれいなを、心配そうに見つめた。
走るにつれて、二人を呼ぶ声ははっきりと聞き取れるようになった。しかし、まだ随分と離れている。
ところが、絵里は4歳の子とは思えない体力で、どんどん先を走っていた。
後を追っている彼女の方が先に参りそうであった。
あぁ、恐れていたことが現実に。お願いだから泣かないでね。
彼女が危惧した通り、れいなは揺れる胸に抱かれて目を覚まし、きょとん、とした顔で彼女の顔を見ていた。
- 27 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:37
- 絵里がさゆみを見つけた時には、絵里はもう泣き出していた。
「お姉ちゃん」
その叫ぶ声を聞いて、さゆみも絵里の姿を見つける。
さゆみに抱きつき、さゆみも抱きつき返す。
「絵里のバカ、心配かけないでよ」
抱きつくや否や叱った。他にも、もっと言いたいことはあった。
しかし、絵里が何度も「ごめんなさい」と謝るので、さゆみは何もいえなくなってしまった。
れいなも、さゆみを見付けると騒ぎ出した。
何度もさゆみの名前を読んでジタバタする。
困ったのはれいなを抱いた女性の方で、どうにか落とさないように地面に下ろすと、その場に立ち止まり、れいなを見送る。必死に呼吸を整える姿は、疲れてもう動きたくないといった様子でもあった。
れいながさゆみに近付くと三人で抱きしめあった。
二人がお姉さんと仲直りできたことを確認できてよかった。
「二人とも、お姉さんと仲良くね」
満足して頷くと、深夜に近いことを思い出したのか「いけない、こんな時間」と走り出した。家の手伝いがあることを思い出したのだ。家は酒場をやっていた。彼女の仕事はこれからである。
- 28 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:39
- 翌日も、さゆみは家事に追われ、絵里とれいなは、子供部屋で過ごしていた。
れいなは積み木を掴むと、えい、と投げて、絵里が組み立てたばかりのお城にぶつけて遊んでいる。
絵里は崩れゆくお城だったものを眺めながら、れいなに頬を膨らませて講義する。
ふと、窓から差し込む朱色の陽の光に気づいた。
積み木遊びに夢中で、時間がたつのも忘れていたのだ。
絵里は、窓辺に立つと、じっと夕焼けの空を眺めた。
れいなも、絵里の隣に立ち、じっと耳を傾ける。
「おぅた、きこえないね」
「うん」
それから、すっかりと暗くなるまでの時間を、空を眺めて過ごした。
子供部屋のドアが開かれ、おたまを手に持った、エプロン姿のさゆみが顔を覗かせた。
「絵里、れいな、ごはんできたよ」
「はーい」
絵里とれいなは返事をすると、台所に向かって走り出した。
「あしたぁ、おうたきこぇるぅ?」
台所に向かう途中で、れいなが絵里に尋ねる。
「きっと聴けるよ」
絵里は頷いた。
台所からは、甘いカレーの香りがした。
- 29 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:40
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- 30 名前:赤とんぼ 投稿日:2005/04/25(月) 00:40
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- 31 名前:Max 投稿日:Over Max Thread
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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