月夜に唄う少女達
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/21(木) 17:36
- 月夜に唄う少女達
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/21(木) 17:49
- その山は近所でも曰くつきの山だった。
山の上に、4,5メートルはあろうかという大きな岩。
奇観の名所として売り出せばこの街も少しは栄えるだろうに、街に住む
人々は決してそうしようとはしなかった。
あの山には、『シコメ』が棲んでいるから。
そう言って普通の人々はまったく山に近づこうとしなかった。山に用事
のある人は大抵は後ろ暗い事情を持っていた。まともな神経の持ち主な
らば決して足を踏み入れようとは思わない。そんな場所だった。
かく言う私も小さい頃から『シコメ』の話は嫌と言うほど聞かされてい
て、その存在を決して疑うことはなかった。酷く醜い容姿を持ち、山に
迷い込んだ者の血肉を啜り生きている、とさえ聞かされた。
好奇心で山に入るのは決まって街の外からやって来る余所者、だけどし
ばらくすると「シコメがあり得ないほどの高さから飛び降りて襲ってき
た!」と言って転げ回るように山から逃げ出していった。
そんな山の麓に、私は住んでいた。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/21(木) 17:59
-
「お母さんの、バカッ!」
「待ちなさい、希美!」
後ろでそんなことを叫ばれても、足を止めるはずもなく。
すっかり日の暮れた街の中を私は全速力で駆けていた。
理由は口にするのも馬鹿らしい。
お母さんが、どこの馬の骨ともわからない男と再婚すると言うのだ。
しかも南のほうの出身らしく、彼の使う言葉はこの街のそれとは激しく
異なっていた。
さらに付け加えるなら、男の連れ子である娘の生意気さが私の癇に触っ
た。彼女は、胸に不気味な鬼のプリントがされたTシャツを着ていて、
それがまるで私を威嚇しているように思えた。
「れなは…れなはあんたのこと、お姉ちゃんだなんて認めんけん」
最初に彼女が発したのが、その言葉だった。
見た目からして明らかに私より年下だし、腹立たしい気持ちを抑えて接
するのが年上として当たり前の態度。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 00:59
-
「のんだってあんたみたいな生意気な妹、欲しくないもんっ!!」
往々にして言葉は気持ちとは裏腹に。
って言うより単純に私が大人げないだけの話なんだろう。
とにかく両方とも引かなければ言い争いが熱を帯びる。傍らでおろおろ
している男のことは目に入らなくなっていた。
「大体あんた、れなより年上に見えんけん。胸だってぺったんこやし」
「お前だってぺったんこだろ!」
「れなはこれから大きくなるばい!あんたは一生洗濯板っちゃろうけど」
結局言葉ではまったく勝てない気がした私は思わず、
目の前の少女を突き飛ばしてしまった。いかにも華奢な体つきの彼女は、
簡単に倒れて尻餅をつく。ごめん、と手を差し伸べようと思ったのはほ
んの一瞬で、彼女の瞳により激しい怒りの炎が燃え盛っているのを見て
さらに感情を高ぶらせようとしたその時だった。
ぱちん、という乾いた音。
刺すような熱さが頬に伝わり、それがお母さんが私を叩いたということ
を教えてくれた。
「何やってんのよ! れいなちゃんに謝りなさい!!」
いたずらをして引っ叩かれるのはしょっちゅうだったけど、この時はす
ごくショックだった。
自分は悪いことなんか何もしてないのに。
どうして自分じゃなくてあの子の肩を持つの?
気がつけば、大声で叫んで家を飛び出していた。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 00:59
-
夜の空が視界に入る。
世界中の闇という闇を集めて作ったその色は、どこまでも暗い。
そんな黒一色に塗りつぶされたカンバスの真ん中にそびえ立つ、山。
わたしはそこを目指して走り続ける。
お母さんはあの男と結婚したいがために私を捨てるんだ。
私なんてもういらないんだ、あの子がかわいいんだ。
そんなのってあんまりだ、ばかやろー。
何故かあの子の勝気な顔が浮かび、目の前がふよふよした液体で滲みは
じめた。ぼやける景色。
でも、そのままにしておいた。それを拭う暇があったら、力の限りにあ
の不気味な山へと走り続けたかった。
人目につかせたくないようなものを、山へと捨てに行く人たち。
差し詰め私は、自分自身を山に捨てに行くようなものなのだろうか。
もともと長距離走より短距離走に向いている私は、山の中腹にさしかか
ったあたりで完全に息が切れてしまった。
思い切り、地面を背にして倒れこむ。耳に響くは、敷き詰められた枯葉
の音。誰かの立てる心の音に、よく似ていた。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:01
- 背中が自分の汗で、少しずつ、湿ってゆく。
空を見上げると、満月にはちょこっとだけ足りない月が浮かんでいた。
こんな時くらい、満月になってくれたっていいのに。
もうあの家に戻らないつもりだった。あの男と、あの子と、お母さん。
私はただの邪魔者。だったらいないほうがいいに決まってる。
これからどこへ行こう……
あてなど何もなかった。けれど、どこかへ行かなければならない。自分
の家以外の、どこかへ。
立ち上がって、背中にへばりついた枯葉を払い落とす。そこで、暗闇の
奥から明かりが漏れていることに気づいた。目を凝らしてみると、それ
が古びた山小屋から発せられていることがわかる。
いつの間にか月は雲に隠れて見えなくなっていて、それが奥の光を一層
強調させていた。
あんなところに、山小屋?
行くあてのない私の足は、自然と山小屋へと向かっていた。もしかした
らそこには『シコメ』がいるかもしれない。構うもんか。襲おうが血を
啜ろうが、好きにしたらいい。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:01
-
目当ての山小屋が近くに見えてきた時のことだ。
それまで山を覆うようにして茂っていた森のアーケードが途切れ、視界
が開ける。それと時を同じくして、歌が聞こえてきた。
後ろを振り返る。遥か頭上に、山の頂上、大きな岩。
女の子が二人、岩のてっぺんに座っていた。
そして片方の子が、歌い始めた。
ふしぎな歌声だった。
じっと耳を澄ましていると。
本当にすぐそばで聴いているような感覚。
美しい、とさえ思えるその歌声は。
貴いものに捧げているような歌い方だった。
片方の女の子が歌い終えてから少しして。
今度はもう片方の女の子も立ち上がり、二人で歌い始めた。
弾むような歌声と、静かに響き渡るような歌声。
月を隠していた雲が晴れ、金色の光が歌い手たちを照らす。
二つの異なる歌声が重なり合い、生み出すハーモニー。
私は二人の少女が月明かりの下で踊っている姿を想像した。
片方の女の子は嬉しそうなのに、もう片方の女の子の顔はどうしてだろ
う、少しだけ翳りが見えた。でも二人で歌えることの楽しさが勝ってい
て、もう片方の女の子はそれに気づきもしない。
どうしてそんな絵が浮かんでくるのだろう。
そう思った時に、後ろで小さな枝がぽきっと折れるような音がした。
振り返ると、暗闇に浮かぶ鬼の顔。
その上に、ばつの悪そうなれいなの顔があった。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:03
- 「あっ、あんたこんなとこで何やってるのよ!」
歌に聴き入っているのを見られてしまったせいか、思わず怒鳴ってしま
った。それがいけなかったようで、れいなの表情が険しくなる。
気がつけば、いつの間にかまた言い合いに。
「……いじけて泣いてるのかと思って後つけたら、そんな場所で突っ立っ
て、何しよっと?」
「そ、そんなの、のんの勝手でしょ!」
「あはは、泣いとっと」
「泣いてないってば!」
れいなに言われて初めて、自分が泣いているということに気がついた。
でもそれはあの歌を聴いたからだ。いじけて泣いたわけじゃない。
「あんたみたいな生意気な子。『シコメ』に捕まって殺されちゃえばいい
んだ」
「え、『シコメ』?」
それまで強気だった彼女の表情が、緊張で強張る。そうだ、この子は街の
人間じゃないから『シコメ』のことを知らないんだ。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:03
-
「『シコメ』は山に迷い込んだ小さな子供を捕まえて、生き血を吸って暮
らしてるんだよ。特にあんたみたいな生意気な子が、大好物」
「う、嘘っちゃろ?そんなこつ聞いたって、れなは怖くも何とも」
「本当だって。現に何人もこの山で子供が行方不明になってるし。人殺し
のような目つきだし、頭だってこーんなに禿げあがってるし、おまけにお
腹だってぽっこり……」
れいなの顔がみるみるうちに青ざめていくのが面白くて、私はどんどん言
葉を重ねていった。彼女の表情の意味が変わっていることもわからずに。
「誰が目つきが悪くて禿げてて樽っ腹だって?」
突然の後ろからの声に、私の体が硬直した。
もしかして、本当に『シコメ』が?
そう思うと、体の震えが止まらなかった。襲われてもいいなんて大嘘だ。
いざという時には普段考えてることなんてあてにならない、そう思った。
でも恐る恐る振り向くとそこには、シコメでもなんでもない、お姉さん
だった。
「……どうでもいいけどさ、美貴、ちょっと疲れてるんだよね。悪いけ
どさ、そこの山小屋まで運んで……くんないかな」
そう言ってお姉さんは、そのまま近くに立っていた木の幹に体を凭せか
けた。顔色は、夜でもはっきりわかるくらい、悪かった。
この時ばかりは私もれいなも何も言わずに、そのお姉さんを例の山小屋
へと運んでいった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:05
-
山小屋の中はたった一つの点を除けば、質素な造りになっていた。
そう、ひとつだけその場にそぐわないような鉄の塊が鎮座している以外
は。
確か、「キカイ」って言うんだっけ……
色々な複雑な造りになっているそれを横目で眺めつつ、ベッドに横たわ
るお姉さんに目を向ける。
お姉さんは顔色がよくなるどころか、逆に衰弱していっているように思
えた。「お姉さん、今からお医者さん呼ぶけん」という言葉にも、黙っ
て首を振るだけだった。
どうしたらいいのかわからずに、彼女の傍らに座る私たち。
お姉さんが口を開いたのは、しばらく経ってからのことだった。
「あのさ……会ってばっかでこんなこと頼むのも、悪いなとは思ってる
んだけどさ……」
瞳の焦点は最早定まっていないようで、私たちのほうではなく、天井を
見たまま、言った。
「美貴が……止ま、死んだら、裏の大きな木の下に、う、埋めて欲しい
んだ。ついでに、この山小屋も……焼いて。あの子が、探しに来るかも
知れないから」
理不尽なお願いだと思った。少なくともさっき会ったばかりの見ず知ら
ずの相手に頼むようなことじゃ、決してないからだ。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:06
-
「ただ……とは言わないからさ。美貴が歌、歌ってあげるから。今日の
ところは、それで、勘弁」
そう言ってお姉さんは一息つくと、そのまま歌を歌い始めた。
そこではじめて、私は岩の上で歌っていた女の子が彼女だったことに気
づいた。
歌声はさっきのそれとは違って、弱弱しく掠れたものになっていたけれ
ど、それでも私の心を震わすには十分だった。隣を見ると、れいなもま
た、泣いていた。あの時、彼女もお姉さんが歌っているのを聴いていた
のかもしれない。
一体どれくらいの時間が経ったのか、わからなかった。
気がつくと歌はもう終わっていて。
私とれいなのしゃくりあげる声だけが、小屋の中に響いていた。
「ほら……約束、守ったんだから、そっちも約束……守ってよね。それ
とあと、たった一つお願いが……」
「なに?のんができることだったら、何でもするよ」
もう理不尽なお願い、とは思わなかった。
私はお姉さんの白く小さい手を握り締める。その手は思いのほか冷たか
ったけれど、そんなことはまったく気にならなかった。
「麓の街にさ……アヤって名前の子が、いるんだ……もしさ、その子に
会うようなことがあったら……美貴は、ずっ…と見守っ…て」
そこで彼女の言葉は、途切れてしまった。
空に浮かぶ月のように、静かな横顔。
私たちは、そこに死を悟った。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:07
-
それからの私たちの行動は実に手早かった。
お姉さんを言いつけどおりに、家の裏の大きな木の元に埋めた。
家の脇に置いてあった灯油を撒いて、山小屋に火をつけた。
盛大に燃えさかる炎が、闇夜を赤く、赤く染め上げる。
火に炙られた月が、まるで林檎のように見えた。
どちらが先だったのかはわからない。
でも確かに私たちは、歌い始めていた。
炎に、そして月の光に照らされながら。
お姉さんたちのようには決して上手くは歌えなかったけれど、それでも
ありったけの力を込めて歌った。
ひとしきり歌ったあと、私たちは手を繋いで帰った。
歌の力、なのかもしれない。
やっぱりあのお姉さんは『シコメ』で、私たちに何らかの魔法をかけた
のかもしれない。
そんなことは確かめようがなく、私たちの間にわだかまりのようなもの
が消えていたという事実だけが残った。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:07
-
それからの私たちの行動は実に手早かった。
お姉さんを言いつけどおりに、家の裏の大きな木の元に埋めた。
家の脇に置いてあった灯油を撒いて、山小屋に火をつけた。
盛大に燃えさかる炎が、闇夜を赤く、赤く染め上げる。
火に炙られた月が、まるで林檎のように見えた。
どちらが先だったのかはわからない。
でも確かに私たちは、歌い始めていた。
炎に、そして月の光に照らされながら。
お姉さんたちのようには決して上手くは歌えなかったけれど、それでも
ありったけの力を込めて歌った。
ひとしきり歌ったあと、私たちは手を繋いで帰った。
歌の力、なのかもしれない。
やっぱりあのお姉さんは『シコメ』で、私たちに何らかの魔法をかけた
のかもしれない。
そんなことは確かめようがなく、私たちの間にわだかまりのようなもの
が消えていたという事実だけが残った。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:08
-
今でも私たちは、時々あの夜のことを話す。
「のんちゃんさあ、何であの時あの山に行ったと?」
「え、別にいいじゃん……」
「もしかして山の中で暮らそうとか思うとった? 何かのんちゃんら
しいって言うか、アホっちゃね」
「だっ誰がアホだよ!」
「のんちゃんが」
「このー!!」
れいなのTシャツの柄が鬼から骸骨の柄になったこと以外はあまり変わ
っていない私たちの関係だけど。
いつか、またあの山に行ってあのお姉さんに会いに行こうと思った。
そして、アヤという子に彼女の伝言を伝えよう。
れいなも、きっとそう思ってるはずだから。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:10
- お
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:10
- わ
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/04/25(月) 01:10
- り
Converted by dat2html.pl v0.2