55 We wish you a happy new year
- 1 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:40
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55 We wish you a happy new year
- 2 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:42
- 後藤は思わず手を伸ばした。ふわっと降りてきて手のひらに納まったかに見えた瞬間、雪の一片はじわりと溶けてただの水滴になった。
「消えちゃった」
さほど残念そうな素振りも見せない後藤に対して石川が「ごっちんは体温高いんだよ、ほら、あたしなんか――」と得意げに手を伸ばす。しかし、同じように手のひらを広げた石川の上にもやはり雪片はとどまらない。後藤は特に何か言うでもなく、先頭に立って坂を下りていく。その先に地下鉄乗り場がある。このメンバーで地下鉄を利用するのも久しぶりだ。おそらく保田がまだ娘。を卒業する以前のこと。だが、後藤以外、まだらにぬれそぼるアスファルトの歩道を踏みしめていながら、そんな感傷めいた思いにことさらとらわれる様子もない。肩を落とす石川の後ろでは、雪などにこれっぽっちの関心も示さない保田がなにやら真剣な顔つきで矢口と話し込んでいる。
「でもさあ、わざわざあんなとこまで借りにいく必要あるのかなあ。こんこんが通販で買えるって言ってたよ?」
「ダメダメ、だから梨華ちゃんは甘いんだって。卒業したら個人事業主なんだからさ、娘。みたいに全部会社が出してくれるわけじゃないんだよ。経費はなるべく抑えなきゃ」
そういう後藤はすでソロで活動してから今年で3年になる。こうして石川を連れて歩くのも後藤なりの優しさなのかもしれない。伝票ひとつ切れない石川がおもしろくて後藤はついからかってしまう。
「それにさ。紺ちゃん、言ってなかった?うさぎはともかく、マーズとマーキュリーは高いんだよ?」
「へえーっ、そうなの?今の100へえくらいでいい?」
後藤のトリビアにさほど関心を示すでもなく軽く受け流すと、石川はそれにしてもさと、先ほどのやり取りを蒸し返す。
「なんであんなにマーキュリーにこだわるの?普通はうさぎちゃん、やりたがるんじゃない?」
有無を言わさぬ満場一致の意見により真っ先にマーズをあてがわれた石川はその衣装が気に入らないというよりは、気が強いという一点だけでその役を割り当てられたことが気に入らないらしい。さりげなく後ろを振り向くが、相変わらず深刻そうな顔つきでくるかな?いや、くるよと意味不明の会話に集中する保田と矢口の二人は気づく様子もない。
「消去法だよ。うさぎは圭ちゃんがやりたいって言ってたし、矢口さんは裕ちゃんのたっての希望でマジカルタルルートくんに決定済だし。せっかくセラムンやるのに三役揃い踏みしなきゃ意味ないじゃん」
「それにしたって――」
「あ、ついたよ」
後藤が示す先に地下鉄の券売機が見えた。ごっちん聞いてないしとむくれる石川の視線をかわして、いや、やっぱりそれじゃ本人のためにならないよと保田の前で力説する矢口に「やぐっつぁん、切符」と告げて振り返りざま、後藤は何か信じられぬ光景を目にしたように思った。
「あ、ごっつぁん、ごめん。聞いてな――」
しゃべりかける矢口を手で制して通りの向こう側を一心不乱に見つめる後藤の視線を保田が追うと「ねえ、保田さんもなんとか言って下さいよ」と石川が抗議の矛先を変える。あんたはどう考えたってマーズだよと背を向けて諭す保田に同調して矢口が梨華ちゃんむちゃくちゃ似合ってるってと、投げやりに言い捨て券売機へと向かう。
一人、券売機の手前で立ちすくむ後藤を見かねて保田が肩を叩くとようやく我に返ったようだった。尚も後ろ髪を引かれるような素振りを見せる後藤の手を引いて保田が切符を渡すとありがとうと素直に受け取り後に従った。
地下鉄の客車の薄明るい車内に背を向けて車窓に映る自分の姿を睨みつつ、後藤は今さっき見た光景について考えた。
雪の中短いスカートを翻らせて走る月の戦士――セーラームーンのコスチュームに身を包んだ小柄な女性はすぐに雪のカーテンの向こう側に消えていった。あれは一体、なんだったのだろう。あるいは、ここ数日、セーラームーンにばかりかまけていたせいで白昼夢でも見たものか。だが、アスファルトに沁みた雪の匂いとともにはっきりと後藤の脳裏にあの白いセーラー服の後ろ姿は鮮明に焼きついていた。後藤は保田に聞こうとして迷ったが、結局、尋ねることはなかった。
次に後藤が保田に肩を叩かれたとき、電車はすでに降車駅のホームに滑り込んでいた。暗いトンネルの闇が途切れるといきなり車窓から自分の姿が消え、まばゆい光が差し込んで目にまぶしかった。
- 3 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:42
- ◇
「うわっ、りさ子ちゃんカワィー!あれさくらゃんでしょっ?カワィー!」
「村田さんのおじゃ魔女もに、似合ってるね……き、きっと似合ってるよ」
先ほどからやたらカワイーを連発する小川と紺野。彼女らもやはり、そのままアニメで魔法少女を演じて違和感のない衣装に身を包んでいる。何のキャラクターか特定できない汎用型魔女っ子仕様の小川に対して、隣の紺野もまた先のとんがったつばの広い黒帽子、裏地に赤いフェルトの生地を織り込んだ黒いマント、そして右手には箒をという出で立ち。つまり仮装行列などでよく見る魔法使いの装束そのもので、なにやら場にはお祭りらしい雰囲気が漂っていた。
「おおっ壮観やなあ」
「あっ、中澤さん。お疲れ様です」
ペコリと頭を下げてから顔を上げてまず目に入った中澤の様子に二人はギョッとした。
「な、中澤さん!な、何すか、それ?」
腰に手を当てて自慢げに胸を逸らす中澤は胸元の大きく開いたぴったりとしたレザースーツに身を包み、30歳を超えてやや崩れかけた体のラインを時間を惜しむかのようにこれでもかと誇示していた。
「そんないやらし…いや、せ、せくすぃーな魔女っ子っていましたっけ?」
「中澤さん、趣旨わかってます?今日のテーマは『魔法少女』なんですよ?イースターですよ?」
「あーうっさい!」
いぶかしむ二人に向けて「これはマージョ!」と一蹴すると「だいたいな」とすでに説教モード。
「自分らこそわかってんのかいな?えらい普通の格好しよってからに」
そう言われてみればたしかにセーラームーンのコスプレで惜しげもなく大腿部を露出させている後藤やおじゃ魔女の可愛らしい衣装に身を包んだキッズの華やかな雰囲気に比べ小川の仮装はどこか野暮ったささえ感じさせる。本人もうっすらと自覚はしていたのか自信無さげに尋ねた。
「ええーっ、やっぱ普通ですかねえ」
「大体何やのん、それ?」
「えっ、魔法のマコちゃん」
「知らんがな!ちゅうかそのままやんか!紺野!あんたは?!」
急に振られた紺野は「へっ?」と一瞬戸惑うしぐさを見せたもののすぐに喜色満面の笑顔を浮かべ滔々と「これはですね」とそのコスチュームの由来を説明し始める。
「これは知る人ぞ知る伝説のオリジナル・ビデオ向けアニメ『魔法使いTAI!』の紗絵ちゃんなんですよ、えっへん」
「ほ、ほう…」と中澤はとやや引き気味にそのいでたちを眺め「マニアックやなあ…」と感嘆。
「い、いや、しかし、たあげっとのせぐめんてえしょんはま、まーけってぃんぐの基本やからな…」
苦し紛れにつぶやかれた言葉は、しかしながら紺野の熱心なファン層が30代以上のコアなアニメファンによって形成されている事実に裏打ちされていた。中澤の理解を知ってか知らずか。一転して絶賛する態度に小川は不満顔。そんな相棒の様子に頓着することなく紺野は「ハイ」とにこやかに微笑んで素直に嬉しさを表現しつつ「やみくもにアピールしても無駄だと気づきました」とマーケティング理論に関する持論を展開する。
「ほう。それでOVAのコスプレかい」
「はい。そもそも佐藤順一と伊藤郁子のセーラームーン制作組が手がけたこの作品の真骨頂は――」
「っていうか自分がアニヲタかい!」
豪快に突っ込む中澤に対し紺野はやはりハロプロ眼鏡っ子の座をかけて村田めぐみと激しく争いあうお茶目キャラだけに「てへっ」と可愛く舌を出して余計に小川の怒りを増幅させるのだった。
- 4 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:47
- 集まったハロプロメンバーみなが魔法少女に扮した異様な光景。天王州のスタジオは明らかにいつものハロプロ収録とは違う熱気に包まれていた。FC限定DVDの撮影という普段ならややモチベーションの維持さえ難しい単発仕事ながらも今日だけはどうも様子が違う。それもそのはず。春先のイースターにあわせて発売予定のDVD収録に際し、メンバーそれぞれが自分の好きなアニメの魔女っ子キャラに扮してよいというのだから。
人気のセーラームーンやおじゃ魔女といった定番の変身キャラで世代が見事に分岐しているのも壮観だった。紺野や小川のように特殊なキャラクタを選択したメンバーはまれで、大方は登場人物が多いこともあってそのどちらかのキャラに扮しているようだった。
人気アニメとあってセーラームーンでは何人か同じキャラに扮装してしまうケースもあり、本人同士で急遽微調整という一幕も見られた。スタジオの端っこでは後藤と美優伝の三好がなにやら真剣に顔をつき合わせてどちらがセーラーマーキュリーを取るか話し合っている。後藤さんはマーズですよと三好が主張すれば確かにあんたはショートヘアだけどマーキュリーをやるには知性が足りない10年早いとけんか腰だ。先輩格の後藤相手だけに遠慮がちだった三好もさすがに色をなしてバカっぽいのはお互い様じゃないですかと抗議する。険悪な雰囲気を見かねてセーラーマーズに扮した石川がまあまあと仲裁に入ろうとしたところ、後藤に梨華ちゃんはすっこんでろよとけんもほろろに扱われ、挙句の果てに同じ美勇伝のメンバーである三好にさえ石川さんは得意のアニメ声でちびうさでもやってればいいんですと散々な扱い。大体梨華ちゃんがセーラーマーズなんて100年早いと後藤が意味不明な罵倒を始めれば三好も調子に乗ってマーズはもっと明るい性格でないと勤まらないんですよ石川さんは暗いんですよと同調する。石川攻撃ですっかり意気投合した二人とは対照的に意気消沈した石川はフォローを求めて立ち寄った吉澤にも「やっぱキモいって」と一蹴され、しまいには「石川さん元気出してくださいよ」と嗣永桃子に慰められる始末。当の桃子はミンキーモモに扮して、あんたそれ名前だけやんと突っ込まれるのを今や遅しと待ち構えているのだが、生憎この場でその事実に気づいている唯一の人間である紺野は海モモは認めないから空モモしか認めないからとヲタ丸出しの理由からあえてだんまりを決め込んでいた。どうやら嗣永の扮装は90年代に入ってからリメイクされた新しいバージョンらしかった。
お気に入りのアニメキャラを巡って争うメンバーがいるかと思えば新垣などは昔のテレビ番組で使用した衣装をそのまま持ち込んでいた。資源の有効活用といえば聞こえはいいが、自身の成長を考慮していなかったものだから体にぴったりと張り付いてなにやら名のあるセクシー系のコスプレイヤーといった妖しい貫禄を漂わせている。その新垣と楽しそうに歓談する高橋はといえば何を勘違いしたのかミニモニ+高橋愛で着用した猫の衣装に身を包んでいた。勘違いも行き過ぎるとそれなりに絵になるもので、普段なら周りとの距離を隔絶させるだけの特異な存在感がこの日ばかりは場の雰囲気にすっかりなじんでいた。
- 5 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:49
- 明るい雰囲気に沸き立つスタジオではあるが、しかし比較的冷静というよりはむしろ冷やかな視線を周囲に投げかける者も皆無ではなかった。
「卒業して初めての仕事がコスプレだとは思わなかったよ……」
「カオリなんかまだいいべ!なっちなんかこれ大体魔女じゃないっしょ!嫌味っしょ!」
中澤に無理やり付き合わされてムージョとドロンジョに扮した古参の二人が浮かぬ顔でぼやく横、やはり古株の保田はひとり10年ぶりのセーラー服にはしゃいでいる。
「いやーこの年になって着れるとは思わなかったわー。どう、これ?」
短いスカートをひらひらとさせて後輩に「どう、これどう?」と聞きまくる保田に対しいつもならおばちゃんおばちゃんと気軽に返す石川や辻加護でさえその鬼気迫るビジュアルの前には沈黙せざるをえなかった。いわんや普段は声もかけられないキッズの面々は恐怖で顔面をひきつらせている。拷問に近い所業を見かねてこの場で唯一保田に対し物申せる人物がようやく声をかけた。
「圭ちゃん、その格好で歌舞伎町とか行ったらすぐ指名取れそうだねー」
「やだ後藤、それを言うなら銀座でしょ。っていうかこうやって並んでるとあたしら姉妹みたいだよねー」
たしかにその装束だけはセーラームーン公式ミュージカルの衣装部から調達してきただけあってコミケなどで見られるちゃちな出来ではなかった。が、しかし。後藤と並んで「姉妹」を名乗らせるほどお天道様も甘くはなかったのだ。
「いってー!何よ!何なのよ!」
突然、両手で頭を押さえながら振り向いた保田の瞳はギラギラと邪悪な光を放っていた。何者かに後頭部をしこたましばかれてその怒りは頂点に達しようとしていた。
「保田っ!うちのタレントに妙な真似するんじゃない!」
振り向くとモーニングのチーフマネージャがハリセンをパシッパシッと手のひらに収めながら鋭い目つきで保田を睨んでいる。一瞬、たじろぐ素振りを見せたものの保田とておとなしく引き下がる玉ではない。
「うちのタレントって…あたしがよそ者みたいなこと言わないでくださいよ!」
「十分よそ者だろうが!この地球外生命体は黙っとれ!そんなことより――」
ち、ちきゅうがいせいめいたい…そりゃあたしはつきからのししゃせーらーむーんですけどね…と惚けたように繰り返す保田を無視してチーフはその場にいる全員を呼び寄せた。メンバーがその真剣な顔つきを不安げに眺めながら前に集まってくるとハリセンを手のひらにバシッと叩きつけて注意を引き付ける。表情を引き締めておもむろに口を開いた。
- 6 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:49
- 「警察から連絡が入った。どうやら凶悪犯がスタジオ近辺に紛れ込んだらしい。至急撮影を中断して非難するようにという勧告だ」
いっせいに場がどよめいた。年長メンバーの間では中断できんの、とかスケジュールないよねえなどと囁かれる一方で、何やったんだろ、殺人犯かな?と野次馬根性丸出しで興味をあらわにするものもいた。
「何やったんですか?」
「犯人の特徴は?」
比較的冷静な松浦と藤本が矢継ぎ早に質問を繰り出す。チーフはうん、とうなずいて手帳を繰りながら犯人の特徴を読み上げた。
「容疑は詐欺。7期募集オーディションで金を出せば合格させると持ちかけたそうだ。犯人はハロプロ関係者を名乗っており、逃走時は美少女アニメのコスプレをしていたらしい」
「コ、コスプレですか…」
「その情報からどんな人物像を描いたらよいかまったくイメージが…」
戸惑う小川と紺野をよそに保田が不適な笑みを浮かべた。
「わかったわよ……月に代わってあたしがおしおきするわ」
ビシッと指差したその先、仏頂面で自分を睨みつけるその人物に保田が勝ち誇ったように告げた。
「今度は何が素敵だなと思ったの?えっ、なっち!」
「ええーっ、なっちまた――」
「またって何さ!なっちは何も悪いことしてないっしょ!」
安倍の声が空しく響く。哀れみの視線が寄せられる中、中澤は黙ってうなずきながら優しく安倍の肩を抱いた。メンバーの間からは同情的な声が上がる。
「なっち、そんなに示談金が必要ならおいらが貸したのに」
「そうだよ…うちらみんなカメラの前で頭下げた一蓮托生の仲だもん。毒食わば皿まで…借金取りにだってなんだって頭下げたのに…」
安倍を毒扱いするあたり、元リーダー飯田の面目躍如である。
「ああ゛―っ!むかつくぅっ!!だからなっちは何もしてないし大体最初からいたっしょ!」
いきり立つ安倍を横目に飯田は「最初から?」と天井を見上げ考え込む。場がざわめいて安倍さんいたっけ?いやたしか遅刻したんじゃと不利な内容がひそひそ声で囁かれるのを耳にしてさしもの安倍も追い込まれた。
「ま、まさかあんたたち、本気でなっちを疑ってるんじゃないよね……」
静まり返ったスタジオに悲しげな声が響いた。いまや安倍には隣にいたはずの飯田さえはるか遠くに見えた。メンバーとの距離は迂遠なほどに拡がっていた。
「なっちはやってないよ」
スタジオの奥から聞こえた声は凛として暗雲の垂れ込めたスタジオに一条の光を差し込んだ。メンバーが振り向くと後藤が立ち上がり「なっちに人騙すほどの知恵があるわけないじゃん」と、さも当たり前のように言ってのけた。
「そんな危ない犯人じゃなさそうだし外出てもいいですか?」
問われたチーフマネージャは一瞬目を瞬かせ「あ、ああ」とかすれた声ですでにその言葉を待たずにドアへと向かう後藤の背中に向けて追認した。
「どっちが真のマーキュリーか決着つけてきますんで」
セーラーマーキュリーに扮した後藤に続いてもう一人、同じコスチュームの背中がスタジオを去っていくのを残りのメンバーはただ呆然と見送っていた。
- 7 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:50
- スタジオ取り巻く廊下をぐるりと渡って反対側のドアから機材の搬入出口に出るといきなり厳しい冬の風に晒された。露出した肌に寒さが錐のように突き刺さる。縮こまる相手を横目に後藤はまるで寒さなど感じていないかのようにさえ見える鷹揚な態度で腕を組みおもむろに尋ねた。
「で、何でそんな格好してるのかな?偽マーキュリーさん」
「ごっちんさ――」
「やだ、くすぐったい」
相手の言葉をさえぎって後藤は続けた。
「もう、三好ちゃんの真似しなくていいんだってば。ねえ、市井ちゃん」
「……」
「いや、吉澤さん――だっけ?ま、いっか。市井ちゃんは市井ちゃんだもんね」
市井、と呼ばれた女はその問いには答えずにキッと上目遣いで後藤を睨みつけ「いつからわかってた?」と低い声で唸った。
「わかるって。そもそも三好ちゃんとは胸が――」
「言うな!これでも子供生んでおっきくなったんだ」
「でも全体的に丸くなってるからわかんないよ」
その評価に対してはあえて返答せず、紗耶香は後藤から視線をはずし「で、どうするんだ?」と投げかけた。
「通報しなくていいのか?」
「市井ちゃん、何やったの?」
「何にも……って言っても信じないよな」
紗耶香は自嘲気味に乾いた笑みを浮かべ、後藤の表情に何の変化も窺えないと見るや「この格好さ」とスカートを広げて見せた。
「キャバクラの衣装なんだ」
後藤は何の言葉も発しない。その表情を見るだけではどのような感情をその胸に抱いているのか、まったくわからない。紗耶香は困惑した様子でひとり続ける。
「ちょっと客とトラブっちゃってさ……」
「市井ちゃん、口悪いから」
ようやく発した言葉の短さにも関わらず、紗耶香は満面の笑みを浮かべ「そうなんだよ」とひどく安堵した様子で後藤の後を引き継いだ。
「そっか……大変なんだね、市井ちゃんも」
「ああ、夫婦揃って失業者だからね。当面は失業保険で生活できるけど、子供もいるし」
「あ、そういえば市井ちゃん、赤ちゃん産んだんだっけ?可愛い?今、写真持ってる?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に紗耶香はそれでも子供のことを尋ねられて悪い気はしないのか、口元をほころばせながら「ごめん」と手を合わせて謝った。
「この格好だから……写真は置いてきた。また、今度な」
「うん、絶対だよ」
「ま、今度があれば、って話だが…」
紗耶香はきょろきょろと辺りを窺うと「行かなくていいのか?」と切り出した。追っ手を気にしているのか、足元の落ち着かない様子に後藤は「あ、そうだね」と気を利かせる。「じゃ」と出入り口のドアに手をかけて、それでも名残惜しそうに「市井ちゃんさあ、今度変なやつに絡まれたらあたしに言うんだよ」と振り向いた後藤はドアの前でポーズを取った。
「水星にかわってあたしがおしおきするからさ!」
紗耶香は何か言いたそうにしながらも口の中で噛み殺してうなずくと、無言のまま手のひらをひらひらと返して去るように告げた。
- 8 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:52
- 後藤が去ってなお、数分間その場に佇んでいた紗耶香は頃合よしと見るや、裏口のドアをそうっと開けて中を覗き見た。誰も廊下にいないことを確認すると、ひらりと身を翻して後ろ手にドアをすばやく閉める。音を立てぬよう忍び足で廊下を進むと迷うことなく、女子トイレに向かった。
用具室の扉を開けて何かを取り出すと周囲をはばかることなくトイレから出ようとしたそのとき、「紗耶香」と呼ばれ思わずその場に立ち尽くした。恐る恐る背後を振り返ると、用具室の隣の個室から人影が現れた。見覚えのある顔に紗耶香は警戒心を強めた。相手もそれを察してか打ち解けた様子はない。
「それ」
相手は紗耶香の手にした荷物を指差して「返してくれる」と厳しさと親しさの入り混じった複雑な声音で告げた。
「ハロプロのコスプレ盗撮ビデオなんていまどき高値で買うバカがいるのかわかんないけど、あなたの行為はタレントの肖像権とプライバシーを著しく侵害しています」
「圭ちゃん……」
保田はつかつかと歩み寄りぼうっと突っ立っている紗耶香の手からビデオカメラらしき機材を取り上げると電源を入れてカセットを取り出した。
「まさかトイレの映像まであんたの仕業だとは言わないけど、叩いたらまだ出てきそうね」
「きったねえ……尾けてたのかよ」
紗耶香はそれこそ噛み付きそうな表情で保田を睨みつけた。当の保田はカセットを取り出したはいいものカメラの液晶パネルをうまく畳めずに苦労している。二人のセーラー戦士が一触即発の緊迫感を孕んで対峙する姿は壮観と言えないこともなかったが、場所が場所だけに滑稽を通り越してむしろ安っぽいペシミズムに場の雰囲気は支配されているようだった。唯一、保田の意識して乾いた声音を貫く態度がこの場のじめっとした湿気を孕んだ重苦しい空気の中では異質だった。
「娘。の7期オーディションの頃からかな。しきりに嫌な噂を聞くようになったの」
紗耶香は口を閉じたまま、それでも威嚇するような鋭い視線を保田に向けている。注意深くその様子を観察すればぎりぎりと歯軋りする音さえ聞こえたかもしれない。そこにはセーラーマーキュリーらしい知性も品性のかけらも感じられなかった。保田の声だけががらんとしたトイレに響く。
「オーディョン応募者に接触する怪しげな詐欺が横行してるらしいって……それだけならいいんだけど」
「……」
「『ハロプロ関係者』を名乗る人物がどうやら背後にいるらしい」
沈黙する紗耶香を見る保田の瞳は乾ききった海の底を思わせた。紗耶香は急に昔、月の表面になんとかの海という地名が付けられていることを知り、不思議に感じたことを思い出した。そうだ。あれは、月の海はきっとこんな乾いた冷たい場所なのだ。そして今、紗耶香が対峙する保田はセーラームーン――月の戦士だ。
「ハロプロ関係者、なんて名乗る怪しげな人間の言葉を信ずる方もどうかしてるけど――」
保田が紗耶香に与える視線は相変わらず一部の隙もなく、茫漠とした闇の中で感情の襞を探す行為は徒労に帰した。紗耶香はこの期に及んでまだかつての仲間という甘美なレトリックに一縷の望みを繋ぐ自分が随分と滑稽な存在に思えた。自然に笑みが漏れる。
- 9 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:53
- 「――藁にも縋りたい若い応募者の弱みに付け込んでなけなしの金を掠め取ろうとする下衆野郎だけは許すわけにはいかない」
「あんたに何がわかるんだよ!」
つかみかからんばかりに激昂して抗弁する紗耶香を保田はただ静かに眺めていた。その瞳は慈悲を湛えた聖母のようでもあり、また異端者を容赦なく断罪する宗教審問官のようでもあった。おそらく保田自身のありようは限りなく中庸だった。それは見るものの心情を映す鏡。心に疚しさを抱くものにとって保田の相貌がひどく恐ろしいものに感じられるのは道理だった。そして紗耶香は今、保田の前でかつてないほどの恐怖に打ち震えていた。
「日の当たる場所でぬくぬくと暮らすあんたに何がわかるんだよ……才能もないたいせーの踏み台として利用された挙句、人気が出なきゃポイだ。おまけに契約期間中の不祥事による損失の補償とかわけわかんない理由でうちらは会社に違約金を支払わなきゃなんないんだ。金のあるあんたにはわかんないだろうよ。金だよ金!世の中金なんだよ!」
保田は哀れみとも蔑みともつかぬ微妙表情を口元に浮かべ、紗耶香に答えた。
「あんただけが不幸だから娘。オーディションなんか受けるちょっと浮かれた子供からは少しばかり掠め取っても構わない、ってか?……甘ったれんのも大概にしなよ。後藤があんたを見逃したのはなぜだかちっともわかってないらしいわね」
紗耶香はきょとんとした表情で保田を見つめ返した。後藤が――見逃した?紗耶香にはわからなかった。後藤は、後藤は――わかっていた?紗耶香は顔が赤らむのを感じた。保田に知られるのは構わない。だが、後藤には……紗耶香は今すぐにこの場から駆け出したい衝動に駆られた。
「後藤の記憶の中では美しいままの自分でいたいとか都合のいいこと考えるなよ」
保田の瞳の奥に初めて何かが揺らぐのが見えた。それは、あるいは紗耶香が求めていたもの、そのためにわざわざ恥ずかしい姿を晒してまで渇望したものの存在を予感させた。それは……それは――
「紗耶香……後藤は――後藤がなぜマーキュリーにこだわってるかわかる?」
紗耶香は首を振った。わかるはずもない。それに……知りたくもなかった。
「マーキュリーは折檻はしても敵を殺しはしない……わかる?殺さないんだよ」
「だから……だから何なんだよ!ふざけんなよ!知らねーよ!ガキのままごとじゃねーんだよ!こっちは生活かかってんだよ、ガキの世話だってしなきゃなんねーんだよ!セーラームーンだかなんだか知らねーけど必死で生きてる人間相手にふざけたまねすんじゃねーよ!」
紗耶香は一気呵成にまくし立てるとぜえぜえと苦しげに乱れた呼吸を整えようとした。保田の瞳には今やはっきりと感情という名の水を湛えた豊饒な海が押し寄せようとしていた。
「紗耶香……言うことはそれだけ?」
紗耶香は言葉を失った。保田は――保田は一体、何を言おうとしているのか。紗耶香はその真意を量りかねて一瞬、呆けたように薄笑いを浮かべ、次いで図らずも泣きそうな表情で保田の顔を伺い、それでもまだ強気の姿勢を崩そうとはしなかった。
「バーカ」
保田の顔が苦痛に歪んだ。
「二度とあたしたちの前に現れないで。でなきゃあたしが月にかわって――」
「へっ、おしおきかよ。おめでてーな、まったく。いつまでもふざけた友情ごっこで世間を舐めてりゃ――」
「うっさい!このバカ!二度と戻ってくんな!あんたなんか、あんたなんか……」
ぷるぷると震える保田の手からビデオを奪い取ると、紗耶香は「じゃあな」と捨て台詞を残して背中を向けた。
「紗耶香!」
最後の言葉を聞く前にすでに紗耶香は走り出していた。ひらりとスカートを翻して去るそのシルエットのふくよかさに保田は歳月を感じた。その後を追うでもなく、保田はひとり女子トイレの洗面所で鏡に向かってつぶやいた。
「月にかわって――」
眼を血走らせた鏡の中の女は正義の戦士というよりはむしろ適役にぴったりだと思ったが、保田は口にすることなく、そのまま残りの言葉を噛み殺した。
- 10 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:53
- 紗耶香は先ほど後藤と一緒にくぐった搬入出口を出ると、守衛にお疲れ様でーすと声をかけて堂々と裏門を通り抜けた。それから一目散に坂を駆け下りるとあらかじめ想定していた逃走経路に従って路地に入り、追手のいないことを確かめた。「ちっ」と舌打ちしながら手にしたビデオカメラを月明かりに掲げてみる。結局、撮影などできなかったのだから、テープなど取らなくてもよかったのに……今頃、紗耶香の小さな赤ん坊がようやくハイハイで狭いアパートの床を這い回るようになった姿を延々と見せられてみな辟易しているかもしれない。それを思うと少し愉快でないこともなかったが、自分が後藤にどう思われているか考えると再び目の前が暗くなった。
違和感を覚えたのはムービーの液晶画面を閉じようとしたときだった。うまくパネルが納まらない。開いてみると何かが挟まっている。紙切れのようだ。月明かりに目を凝らすと小さな袋に「お年玉」と書かれている。少し愉快になって、ふざけんなよとつぶやきながら中身をあらためた。出てきたものは期待していたものとは違って折りたたまれたやや厚手の紙だった。ちくしょう、と今度はやや投げやりになって紙を広げ月明かりに透かしてみた。\のあとに数字が一つ。その後には0が6つ並んでいる。すぐには何か分からなかったが、やがてそれが小切手であることに気づき思わずカメラを落としそうになった。叫ばずにはいられなかったが声にならなかった。めちゃくちゃに自分の頭を叩いてばかばかと連呼したかった。今度こそ本当に自分の存在を今すぐにでも消したくなった。だが、それでいて、心の底からホッとしている自分がいるのもまた事実だった。紗耶香はスタジオに手を合わせると小切手を丁寧に畳んで袋に入れなおしビデオと反対側の手にしっかりと握り締めた。それからまた走り出した紗耶香の足取りはだが、決して軽いものではなかった。
- 11 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:55
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保田はトイレから出ると閑散とした廊下に響くコツコツと自分のヒールが立てる音を寂しく聞きながら、本当に紗耶香を逃してよかったのだろうかと考えた。一瞬、立ち止まって保田は目を瞑り、首を振るとすぐに顔を上げ、早足にスタジオへと向かった。今日だけは月の戦士もお休みだ。ルナ・ニューイヤー、月灯りを頼りに生きねばならない者だとて正月は来る。そのつかの間の安息を、明るい太陽の下に生きる保田らがどうして妨げることなどできよう。
スタジオでは矢口が一瞬、意味ありげな視線を投げてよこしたがすぐに姿を消した。マジカルタルルートくんは小さすぎてすぐにどこかに隠れてしまう。後藤が何事もなかったように石川のセーラーマーズを指差して「梨華ちゃん、黒い、黒い!」と笑いながら叫んでいた。そして保田もまた、辻加護に「おばちゃんピンサロムーンキター!」といじられ「コラッ!」とすごんで追いかけるうちに自分が何かに気を取られていたことがひどく昔のことのように思えた。辻と加護の首根っこをひっ捕まえて頭をぐりぐりと撫でて「鬼ぃーっ!」「糞ババァーッ!」と詰る声を聞いているうちにふと、幸せをかみ締める自分に気づき、なんだか申し訳ないような気がした。だが、何に対して申し訳ないと思ったのか、判然とせず、しばらく考えてやはりわからないと気分を切り替えて「石川、黒っ!」とさんざんメンバーにいじられて落ち込んでいた石川に最後通牒をつきつけて気を晴らした。「もーぅっ!保田さんまでもう、もうもうもう!」と暴れる石川のいじらしさになんだかまたわれもわからず幸せを感じてしまう自分に保田はいたたまれなくなって叫んだ。
「いしかわーっ!月にかわって――」
その後の言葉を継げずその場にへたり込み、うずくまった保田を周囲のメンバーはただ呆然と眺めるだけだった。やがてすすり泣くような声が聞こえると後藤が進み出て黙って保田の肩に手を置いた。
「――月にかわって……」
やはりそれ以上続けられず、嗚咽を漏らす保田を見つめる後藤の瞳は限りなく優しかった。その周りをさらに人垣が包み込み、保田と後藤を中心に幾重もの人垣ができた。保田の悲しみを仲間の輪は優しく包み込んだ。
- 12 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:55
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終
- 13 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:56
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All for One
- 14 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:57
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&
- 15 名前:55 We wish you a happy new year 投稿日:2005/02/14(月) 21:57
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