54 竜と鼠のゲーム

1 名前:54 竜と鼠のゲーム 投稿日:2005/02/14(月) 18:48
54 竜と鼠のゲーム
2 名前:Dual World 投稿日:2005/02/14(月) 18:49
まだ記憶に砂が混じっている。

私は暗闇の中を歩いていた。
はじめて通る道。
しかし、裸の足はざらりとした石の感触を思い出しながら、
一歩一歩、確信を持って前に進んでいる。
この先に出口がある。

体が濡れている。
ベッドの横に用意してあった布では、羊水を拭き取りきれなかったのだろうか。
そっと体の表面に手を触れてみると、液体というより濃密な気体のように感じられた。

長い暗闇をただ足に任せて進み、最後の階段を上りきると、
突き当たりの隙間から光が零れていた。

隙間にそっと顔を合わせてみると、目の前の全てが赤に染まった。
バーミリオンの水平線。
私は記憶の中に残る水平線という言葉の意味を視覚で理解した。

一歩、足を外に踏み出す。
強い風に乗って、鮮烈な花の香りが鼻をくすぐる。
首の周りが涼しい。
髪を焦がしそうなほどに赤黒く輝いているのは、太陽……夕焼け、か。
太陽が地平の彼方に沈む時に起きる現象。
幾層にも重なり浮かぶ雲が、自ら発光しているように見える。

やがて目が世界の赤さに慣れてくると、
すぐ近くの岩の上に、人が座っていることに気がついた。
はじめは枯れ木か何かかと思っていた。

近づいてみるとそれは、やっと私の存在に気が付いたらしく、こちらを振り向いた。
「起きたのね。マリ」
3 名前:Real World 投稿日:2005/02/14(月) 18:50
おいらは収録を明後日に控えた深夜バラエティ番組の台本を必死で読み込んでいた。
それはおいらにとってはじめてに近い一人での仕事なんだけど、とにかく時間が無い。

楽屋の隅には何故か、変な……油絵? が立てかけられている。
夕焼けの海岸らしい。赤っぽい深いオレンジに輝いている水平線がキレイ。
その手前の崖の上には二つの小さな影。
ちっちゃくて真っ黒なので、男か女かも分からないけど、どこか寂しそうに見える。
世界にたった二人で取り残されてしまった。そんな感じ。
右の端のほうで今にも沈もうとしている夕陽から伸びる何本もの光が、
トカゲの尻尾みたいににゅるんとしていてちょっと気持ち悪い。
こんな派手な色使いの絵を見たことあるなあ、何だっけ、バッハ? ゴッホ?
圭織っぽい感じもする。圭織の描いた絵なのかな。

「ねえ矢口〜」
いきなりの声に台本から顔を上げると、圭織の顔が目の前にあってちょっと驚く。
「……なに?」
「いそがしい?」
「ごめん、いそがしい」
「ゲームしない?」
「しない」
「しようよ〜」
なんか珍しく食い下がってくる。
ゲームは好きだから暇な時なら付き合わないでもないんだけど、なんだいきなり。
何年も一緒の楽屋である。特に年長同士は互いのことをいい加減理解していて、
楽屋ではろくに話すこともなくなっていた。
「いくよ〜」
「聞く耳もたずかよ」
「じゃあ問題」
「クイズなのかよ」
ゲームと言いつつクイズ。微妙なずれ具合が圭織っぽい。
でもそんなおいらのツッコミを無視して、圭織はやけに楽しそうに続けた。
「圭織には復讐したい人間がいます。さてそれは、誰でしょう?」
4 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 18:51
「あなたは何人目だったかしら」
「あなたは、誰ですか」
「よく出来たわね。本物と区別つかない」
私をマリと呼んだ女の人は、私の声など聞こえなかったかのようにまじまじと体を見つめてる。

不意に、背後の断崖から降りてくる風が体をなぞった。
体にまとわりつく濃い気体のような、ひんやりとした湿り気がまた気になった。
「まだ魂が安定していないのね」
女の人が私の体に触れると、ふっと湿り気が消えた。
「私は探求者。カオリ」
私の名前はマリだと彼女は言った。

彼女の話によると、私の肉体は随分前に死んでしまった。
しかし魂だけは残ったので、彼女は新たに肉体を生成し、その中に私の魂を収めた。

湿り気のように感じていた気配は私の魂そのもので、
まだ肉体に沈着していないために、精霊風を受けると肉体からはみ出てしまうのだという。
魂と精霊はよく似た存在で、物質に固着されていない魂は精霊の影響を受けやすく、
ともすれば精霊に溶け込み同質化してしまうのだと言われた。

話を聞いている間に、私は近くの岩に腰を落とした。
立っているだけで息が苦しくなった。
生成されたばかりの肉体もまた物質として不安定なので、
魂が沈着しないままだといずれ崩れてしまうと彼女は言った。
そのせいで今まで何度もうまくいかなかった、とも。

恐いかと聞かれたので、よくわからないと首を振ると、
マリも昔よくそういう顔をした。と彼女は目を細めた。
そして最後に、記憶の再生が不完全なために、
しばらくは周辺に残された記憶が混じることもあるかもしれないと付け加えた。
肉体に魂が沈着するには時間がかかる。沈着した頃には、記憶も戻るだろうと。
5 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 18:52
「は……? ふくしゅう?」
圭織のでっかい目にもんのすごく睨まれている。
ちょっと体を避けてみても目が追ってくる。いたいけな小動物を大蛇が狙ってるような感じ。
心当たりは全然無いんだけどこの雰囲気はやっぱり……。おそるおそる自分を指さしてみる。
「も、もしかして……おいら?」
「ヒントいち〜」
「聞いてないし」
「いつも一緒にお仕事してま〜す」
「……おいら?」
「ヒントに〜。ハタチより上〜」
「お、おいら?」
「ヒントさ〜ん。髪はショ〜ト〜」
「圭織、酔ってる?」
「NGワ〜ド〜」
「そんなのあるのかよ」
圭織は、にまっと嬉しそうにおいらを指さした。
「矢口真里」
「え?」
どういうこと? という顔のおいらをよそに、圭織は勝手に話を続ける。
「正解者には〜。素敵な魔法をプレゼント〜」
「別にいらないけど。もし外れたら?」
「すっごい呪う」
「目が恐いって」
「十年でも二十万年でも異世界に行っても呪う」
「十年からいきなり飛んだね」
「異世界は本当にあるんだって」
「有るとか無いとかじゃないでしょ」
「制限時間は〜」
「聞けよ」
「明日まで」
プレゼントって、まさかあの変テコな絵のことじゃないよなあ、
と、大蛇に襲われる寸前の小動物なおいらは、異世界みたいなそれを見ながら思った。
6 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 18:53
私がこの世界に新たな生を受けてから、何度目かの夜が明けた。
いつも風は強く吹いているのに嫌な感じがしないのは、
そのほとんどが精霊風を魂が感じてしまっているからで、
実際に肉体に吹きつける風はそう強くないからだということを最近知った。

魂がいくらか落ち着いてきたので、近頃はもう少し広い範囲を歩くことが許されていた。
足元に生えている草くらいの精霊になら、もう引き込まれてしまうようなことはない。
互いの距離がわかっていれば、精霊はむしろ魂にいい影響を与えてくれる。
精霊は世界に満ちていて、魂はその果実なのだとカオリは言う。
だから距離感こそが世界の本質なのだと。
カオリの言うことは難しくてよくわからないことのほうが多かったが、嫌いではなかった。

最初の日には気がつかなかったが、バーミリオンの断崖の上に、
骨のように白い建物群がいくつもあった。壁から屋根まで、建物の全てが白い。
建物はそれぞれに固まって、いくつかの集落を作っている。ただ、人がいない。

あれから色々と思い出したことがある。
この島にはじめて出てきたとき、鼻をくすぐったのはトゥーリパの鮮烈な香り。
きっとこの島で数日のみ生活し、消えていった幾人ものマリの記憶なんだろう。
私の中の何人ものマリが、この島の風景の一つ一つを懐かしんでいるのが分かる。
もしかしたら最初のマリも、この島で生まれたのかもしれない。
他にも微かに懐かしい香りが混じっていたが、それはまだ思い出せない。

私が彼女とはじめて出会った南の岩壁に比べると、北の丘には緑がある。
でも、動く物はどこにもいない。草花だけがただ、風に吹かれて揺れていた。

気がつくと、集落の端まで歩いてきてしまっていた。
道の先には花畑が見える。色とりどりの花をつけるビピンナタスの群生。
「あ……」
すると、子供が目の前に立っていた。小さくて可愛い女の子。
細目で口の両端が釣り上がっているが、笑顔にどこか愛嬌がある。
女の子は、黙ってこちらを見つめていた。
7 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 18:54
おいらたち娘。のメンバーやらキッズの子達やら、ハロプロのメンバーを背景に、
たくさんの声援を受けて、ステージのセンターで微笑む圭織。
今日のお客さんは、モーニング娘。の圭織にとって最後のお客さんではないけれど、
お客さんたちにとっては今日が最後のモーニング娘。の圭織になる。

後ろから見た白いドレス姿の彼女は自然に涙がこぼれてしまうほどにキレイで、
キレイって言葉がこれほど似合う子は、
この世界でもそんなにいないだろうと真面目に思った。

しかし柔らかくなったよなあ圭織。
昔は頑なで、口にする事ひとつひとつがそのまま本音で、決意で。
変な事を言い出したときには周りのみんなで説得するのが大変だった。
けど、不器用だけど何に対しても真剣な年上の彼女を、ちょっと可愛いとも思ってた。

たぶん年下の子が増えたからっていうのもあるんだろう。
昔まだ、おいらがモーニング娘。になっていなかった頃、
テレビの向こうの圭織は学校のテストを受けなければならなくて、
そのせいか分からないけど、不在のままデビュー曲のセンターの座を奪われた。
そのとき圭織が「昨日に帰りたい」と言って泣いていたのを覚えている。
いつからだったろう。圭織がセンターの事を口にしなくなったのは。

とりあえず。クイズに乗るかどうかはまだ決めてないけど、
ちょっと考えてみようと白いキレイな背中を見ながら思った。
圭織の口から出た復讐っていう、穏やかじゃない言葉も引っ掛かっていた。

それにあんな目で二十万年も呪われたらたまらないし。
本当に夜中に何かやってそうだし。
8 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 18:54
「近寄らないで」
カオリの叫びが背後に聞こえた瞬間、
女の子の口が開き、Aの音が発せられた。

目の前で精霊が裂けていくのが見えた。
ほぼ同時にカオリの伸びやかな発声が丘に広がった。
ハイトーンの澄んだ声。細いけれど鋭い。
歌だった。

カオリの黒い瞳が澄んだ空の色になっている。
周辺の精霊が騒ぐ。
精霊の風がカオリを中心にして輝きを放ちながら渦を巻いていくのが見える。
一緒に魂が持っていかれそうになった。
私は肉体から離れようとする魂を必死で繋ぎとめるように自分を抱きしめた。
しかし、海と、土と、花と、あらゆる精霊がカオリの歌声に乗って私の意識に流れ込んでくる。
そしてやがて。魂が肉体から引き剥がされる苦痛より、
精霊の風に溶け込んでいく心地よさのほうが私を中を支配していった。
世界の全てが、カオリの歌声を中心に踊っていた。

「……マリ……マリ……」
カオリの声に目を開けると、私は草の上に横たわっていた。
まだ肉体の感触がある。
「ごめんなさい。まだ、あなたの近くで魔法を使うのは良くなかったのだけれど」
覗き込むカオリのそばに、鼠のような生き物が、小さく縮こまっていた。
「竜の子よ。こんな小さな子でも、あれだけの魔力を持っている」

カオリは、その小さな生き物を海に捨ててくるから先に帰るように言った。
抵抗力の無くなった竜の子は、海に入れるだけで溶けて消えてしまうのだという。
海は精霊の源であり、万物の母。
作られたばかりのマリの体にも良くないから、海には近寄ってはならないと言われた。
カオリの歌に魂が持っていかれそうになったのも、まだ魂が安定していないためだと。
それと、竜の子の巣があるから、西の入り江にも近寄ってはならないとも言われた。
9 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 18:55
今日の公演が終わった後、おいらはとりあえず梨華ちゃんに聞いてみることにした。
一緒に仕事をしているってことは、つまりウチらの中の誰かってことだ。
「飯田さんが恨んでるような人ですか?」
「例えばだよ。例えば」
口の前に人差し指を立てて小声になる。
聞けば梨華ちゃんは真剣に考えてくれる。
こんな子は普通恨まれないだろうなあと思った。まあ髪もショートじゃないしね。

「もしかして美貴じゃないですか?」
と横から入ってきたのは、それまでだるそうに一人で壁に寄りかかってメールしてた藤本。
「聞いてたの?」
「はい」
なんでか顔が嬉しそう。
「でも、まだハタチじゃないよねえ」
「何ですかそれ? でも来月にはハタチですよ」
藤本の頭を見る。ショートだ。
「うーん。……なんか圭織に恨まれるようなことあったっけ?」
「ん〜。なんか入った時からずっと反抗してたし」
「うーん……」
でも圭織が復讐って言うには、この二人じゃやっぱり薄い気がする。

「梨華ちゃんは圭織に恨まれるようなタイプじゃないよなあ。髪もショートじゃないし」
うわごとのように呟きながら立ち上がり、ドアのノブに手をかける。
「あれ? 美貴は? ねえ矢口さん、美貴のほうは否定しないんですか?」
そんな藤本の声を背中に、おいらは楽屋を出た。

復讐って、なんだろう。
滅多に聞くことのなかったそんな言葉は、
心の奥底にしまった嫌な感情を引きずり出そうとする。

そしておいらは、なっちに会いに行った。
10 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 18:56
カオリの魔法を近くで浴びて以来、私は調子を落としていた。
「この辺りは精霊が濃いから、むき出しの魂には辛いかもしれない」
そう言ってカオリは、生命の少ない断崖の中腹辺りの空家に寝る場所を作ってくれた。
しかしそこに行くまででも私は疲れてしまって、
辿り着いた途端にカオリの膝を借りる事になってしまった。

遺跡と言ってもいいくらいに人のいた痕跡が無い家の窓の外には、コバルト色の海が見える。
潮の音と月の光は、魂を癒す効果があるとカオリは言う。
魂を落ち着かせるのに効くと出してくれたハーブ茶は、懐かしい香りがした。
魔法とは、この広い世界に一本一本、線を引いていくような作業なんだとカオリは言った。
その媒介として、月や、ハーブや、歌がはたらくのだと。

しばらくして会話が途切れると、気分が良かったのか、
カオリは普段あまり語ることのなかったこの世界のことを、少しずつ語りはじめた。

かつてこの星は、虚無という名の脅威にさらされたのだという。
目的すら謎だったそれは、突然この星に降り、
繁栄の極みに達していた人類の数を二十分の一ほどまでに減少させると、
飽きてしまったかのように竜をこの星に産み落とし、姿を消した。

竜はさらに子を産み、分裂し、際限なく数を増やして残された人々を襲っていった。
長い戦いの末に人類は疲弊し、文明は衰退し、教団に保護された魔法だけが残った。
そんな中、カオリはあることで教団の禁を犯し、
呪いをかけられてこの島に幽閉されたのだという。
この星にどれだけの人が生き残っているのか、もうカオリにもわからない。

何も思い出せない。と私が寂しくなって言うと、
ゆっくりと思い出せばいい、と彼女は母親のように微笑んだ。
もし私が何も思い出せず体が崩れてしまったら、また私を作るのかと聞くと、
カオリは窓の外を見たまま、何も答えなかった。
やがて日が傾き、白い壁がバーミリオンに染まっていくと、小さな呟きだけが聞こえた。
「私たちは鼠のようにこそこそと、怯えながら生きていくだけ」
11 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 18:57
リハーサルの合い間を縫って、おいらは事務所にやって来た。
なっちは、事務所の奥の小さな一室にあつらえられた小さな机の前に座り、
大して意味も無いように思える仕事を延々とこなしていた。
深い森の奥に追いやられた魔女のように。

実は圭織の復讐したい相手っていうのは、なっちじゃないかと最初から感じていた。
昔から一緒で、ショートで、ハタチより上。
この条件ですぐに思い浮かぶ人間は、今はおいらとなっちくらいしかいない。
それに、なっちと圭織のことを考えると、復讐という言葉が妙にリアルに感じられた。
だからあまり考えないようにしてた。

圭織が自ら運命の相手と言うなっち。
圭織が旅立つその瞬間に、その場所に立ち会うことのできない彼女。
圭織が憧れたセンターを最初に奪い、その後もずっとそこに居続けた子。

彼女はずっと長い間、嘘をついていた。圭織が愛するものに。
きっと彼女は、自分が好きになった宝石は自分のものにしてしまうけれど、
それを形が変わるほどに壊してしまえるほど、邪な人間ではなかったのだろうと思う。
けれど圭織はもう、許せなくなったのかもしれない。
そんな、自らの罪を罪としない彼女の心を。

なっちは予想通り痩せ細ってはいなかったけれど、
おどおどして絶え間なく動く目は、
仲の良いおいらの事すらどこか恐れているように見えた。

元気? なんて聞けなかった。
どうやって切り出したらいいのか分からなかった。
そもそも、そんな理由で訪ねて来たりするんじゃなかったという後悔が先に立った。

けど、それでもなんとか相談という形で尋ねてみると、
「きっと、そんな相手いないよ」
と、彼女は弱々しく笑った。
12 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 18:58
数日が過ぎ、私の調子は回復しても、記憶は一向に戻らなかった。
海に近寄るのも未だ禁じられていた。
しかしカオリはそれでいいと優しく言った。ゆっくり戻っていけばいいと。

カオリは海のかわりに島の色々な場所へ私を連れて行ってくれる。
カオリは私の伸びた髪を丁寧に切ってくれる。
私には短い髪が似合うと彼女は言った。
魂は形に宿るから、魂の沈着には形を守る事も大切だと。
カオリの長い黒髪もきれいで好きだと言ったら、彼女は幸せそうに歌いはじめた。
魂に心地よく響く、優しい歌だった。

しかし、オイラこの歌も好き。と言ったら、
カオリは歌を止め、一瞬だけ恐い顔になった。
喜ぶかと思って、記憶の隅に残るマリの口癖を試しに口にしてみただけだった。

「そんなこと言わないで……マリ」
泣きそうなカオリの顔が、子供のように見えた。
ごめんなさい。と言ったら、彼女は酷く傷ついた顔をした。
理由も分からない事が、とても申し訳なく思った。

その夜、ふと目が覚め、
近くにカオリの姿がないので探して家の外に出ると、
建物の裏側から声が聞こえてきた。
「大丈夫だから。カオリ。……大丈夫だから」
月を見上げてカオリが自分の名を繰り返し呟いていた。
その背中は、泣いているように見えた。
13 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 18:59
なんだろう。
とっさに自分を庇ってしまうなっちの性格かとも思ったけれど、そうじゃない気もした。
それに、おいらの知っている彼女ならむしろ、
自分じゃないことをこちらが困るくらいに主張するか、
ただひたすら自分を責めるかじゃないだろうか。

どちらでもなく素直に言い切った彼女の語り口が、
むしろ真実を物語っているような気もした。

なっちに別れを告げ、部屋を出てからしばらく、
おいらはせっかく事務所にきたのだからと、なるべく事情を悟られないようにして、
あちこちのスタッフに心当たりがないか聞いて回った。
「ちょっと、今朝から何ネズミみたいにチョロチョロしてんのよあんた」
「裕ちゃん」
何故か一緒に公演中のはずの裕ちゃんがいた。
頭を見上げる。そういえば裕ちゃんもショートだ。
「裕ちゃんは今年で何歳だっけ?」
「あんた喧嘩売ってんの?」

「そりゃあ、あの事はみんな、いい気分はしなかったと思うよ」
事情を話すと、裕ちゃんは腰に両手を当てて小さくため息をついた。
「……でもねえ。私たちにとって、あの子のやっちゃったことって、
 恨みとか、復讐とか、そういう次元じゃなくて」
そこで一旦、裕ちゃんは言葉を止めた。
「ただ、悲しかったんじゃないの。
 あたしや圭織はそうだと思うよ。矢口だって、そうなんじゃないの?」

おいらもそうだった。
なっちのしてしまったことは、裏切りとか、怒りとか、失望とかじゃなくて、
その周辺にあるすべての事が、ただ悲しかった。

そんなことは、おいらたちにとって今さらすぎることだった。
14 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 19:00
ある日、また竜の子がいた。
赤い髪の、大人びた顔立ちの女の子。
すぐにカオリを呼んで事なきを得たが、その夜、カオリは熱を出した。

熱は何日も続いた。
竜の子の魔法を受けてしまったのか、カオリの魂が弱っているのが見えた。
「なぜそうっとしておいてくれないの。もういい。もう十分」
うわごとでカオリが叫ぶ。
「復讐、復讐なのか」

看病の途中で私は寝てしまっていた。
朝日の眩しさに目が覚めると、
ふと、風に乗ってきた懐かしい香りに記憶が呼び覚まされた。
微かなタクラクサクムの香り。以前、カオリが飲ませてくれたハーブ茶と同じ香りだった。
風は西から吹いていた。

夕焼けをそのまま写し取ったようなバーミリオンの断崖を越えると、
まったく違う景色が目の前に広がった。

島の西は、南の死んだような岩と砂の世界と違い、緑があふれていた。
眼下では半円状に広がる砂浜に、穏やかな波が打ち寄せている。
美しい入り江だった。
柔らかい光の差し込む岬の先に、黄色いタクラクサクムの群生が見える。

しかし。その手前にいくつもの小さな影が立っていた。
竜の子。西の入り江には竜の巣があると言われていた事を思い出した。
子供たちは私の姿を見つけると、無邪気そうな笑顔でこちらに向かって動き出した。

まだ距離はあった。
でも迷っている暇は無かった。
彼女たちが陸を迂回してくる前に、私は息を止め、断崖の上から飛んだ。
目の前の、コバルト色の海に向かって。
15 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 19:01
「でもじゃあ、圭織の言う相手って、一体誰なんだろう」
「ああ、そういうのねえ……」
裕ちゃんはなんでか、天井を思い切り見上げた。表情が見えない。
しばらくそのポーズを続けたまま、裕ちゃんは答えた。
「……あたし、かもねえ」
「裕ちゃん? 何で?」
「だってあたし、リーダーの仕事全部投げ出すみたいにして、出て行っちゃったから」

事務所から会場に戻ると、タイミング悪く圭織と出くわしてしまった。
「なにユリカモメみたいにボーっとしてるの矢口」
「言いたいことは分かるけど例えがすごく微妙だよ圭織」
「なっちに会ったんだって?」
「……うん」
圭織のゲームに乗ってしまっていることと、そのことで、
なっちに会いに行ってしまったことを悟られるのがなんとなく気まずくて、
視線を合わせられなかった。

「どうだった?」
「……元気そうだったよ」
「ふうん……」
圭織はいつもの交信しているときのような無表情で黙った。
そしてしばらくして、
「もうすぐ期限だから」
とだけ言うと、すっとその場から消えていった。

「台本読まなくていいの?」
通りすがりの誰かに声をかけられた。
「ごめん、もうちょっと大事なことがある」
おいらは上の空で答えた。

しかしなんでこんなに真剣に悩んじゃってるんだろう。
悩みすぎて熱が出そうだった。
16 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 19:02
眩むような衝撃の後に、目の前が青と光の世界に満たされる。
周囲で大小の銀色の気泡が先を争って上にのぼっていく。
私は息も忘れ、海の中の世界の美しさに見入っていた。

私の体は気泡とは逆の方向へと沈んでいく。
不思議と心は静寂に包まれていた。
カオリが言っていたように体が少しずつ海に溶けていくのは感じていたが、
魂はむしろ、海に優しく迎え入れられた。

海の中で、意識が覚醒していく。
記憶の中の砂が浄化されていく。
やがて、大きな気泡に包まれた奇妙な建造物を海底に見つけた。
それが何か、今の私にはすぐに分かった。
そこは、私の生まれた場所だった。

気泡の内側で、珊瑚が網目状に絡み合って人一人の大きさに形を整えている。
自然の棺。中に人の姿があるのが外側からでも見える。
螺旋状に海底に並べられたそれには、文字を刻まれた銀のプレートが打ち込んであった。
中心から順番に『ASUKA FUKUDA』『AYA ISHIGURO』『SAYAKA ICHII』『YUUKO NAKAZAWA』、
『MAKI GOTO』『KEI YASUDA』『NATSUMI ABE』『AI KAGO』『NOZOMI TSUJI』そして、
「KAORI IIDA』。

海面から顔を出し、タクラクサクムの群生する岬の先に上がっていくと、
そこにカオリが待っていた。

真っ青な顔でよろよろと近づいて来るカオリを、竜の子達が心配そうに取り巻いていた。
その中には、カオリが海に捨てたはずの子も混じっていた。
「あれほど、西に行ってはいけないと言ったのに」
「ごめんなさい……」
倒れそうになる彼女を受け止めながら私は呟いた。
「あなただったのね。マリ」
私はもう、全てを思い出していた。
17 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 19:02
明日の公演に備えてベッドに入ったはいいけど、案の定寝つけない。

確かに裕ちゃんは立派なリーダーだった。
裕ちゃんが卒業してから圭織が大変だったのは、ずっと見てきたから知っている。
でも、裕ちゃんが仕事を投げ出して出て行ったなんて誰も思っていないし、
圭織が裕ちゃんを恨むわけ無いのは、一緒にいたおいらが良く分かっている。
それよりも、なっちと裕ちゃんと会って思ったのは、もっと別の事だった。

かつて、圭織とおいらの二人は大切な同じものを一緒に失った。
その時だけじゃなく、おいらたちは一緒にいくつもの悲しい経験をしてきた。
圭織の不器用なハートは洗練された形ではなかったけれど、
それでも真剣にできていて、何度も、何度も傷つけられて、
形を変えてしまいそうになったけれど、
そのたびになんとか乗り越えて、ここまでやって来た。

大人ぶってすぐに人を子供扱いするけれど、本当は誰よりも子供だった圭織。
色々なものを諦めていく事を大人になると言うのなら、
おいらと圭織は少しずつ大人になっていった。

そしていつからか少しずつ、おいらたちはお互いの事にも触れなくなっていった。
インタビューで相手のことを聞かれても、当り障りの無い言葉を並べるようになった。
それは、二人が全く違う人間だということが互いに分かっていたからだと思う。

たまに、体を入れ替えたいなんて冗談で言い合っていた事もあったけど、
心の中は複雑だった。
だっておいらは圭織が羨ましかった。背の高くて、キレイで、純粋な圭織が。

デビューのために五万枚の手売りをしていないおいら。
寺合宿をしていないおいら。
裕ちゃんが卒業する時、一緒に愛の種を歌う場所に立っていなかったおいら。

おいらは圭織への昏い感情を、母親のように彼女を慈しむ事で晴らしていた。
18 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 19:03
かつてこの星は、虚無という名の脅威にさらされた。
正体不明の超次元的な存在。
それまで文明の陰に隠れ、魔の業を人知れず伝承し続けていた探求者たちは、
人類文明の衰退を目の当たりにし、虚無に対抗しうる最後の手段として、
神にも等しい力を持ちうる魔法器を編んだ。

その最初の材料として選ばれた偉大なる五人の魔女。オリジナル・ナンバー。
しかし、魔法器の持つあまりにも強大な魔力は彼女たちの心と体を徐々に蝕み、
一人、また一人と力尽きていく中で、材料となる魔女の増員を余儀なくされた。
だがそれも虚しく、やがて最後のオリジナル・ナンバーを失った時、
魔法器は機能を停止した。

戦いが始まってから七千二百五十年の時が流れていた。
最後のオリジナル・ナンバーが有していた因子が、
中核の魔法炉より完全に消失したことが確認された。
「そう、そうやってあなたは私に復讐した」
「かわいそうなマリ。あなたはそうやって今までずっと、自分を責めていたのね」

教団からの糾弾を一身に受けた残された魔女マリは、
一人孤島に篭り、カオリの体を再生し続けた。
最後のオリジナル・ナンバーの因子を取り出すために。

「違うのマリ。それは復讐じゃないの」
私は倒れそうな小さな彼女の体を抱きしめた。
「あなたを残して死んでしまってごめんなさい」

カオリ――残された魔女マリは、カオリの体を何度も、何度も再生して、
私――最後のオリジナル・ナンバー、カオリの記憶が戻るのを待っていた。
たった一人で。この島に。

私の体が砂のように崩れていくのを感じた。また同じ過ちを繰り返してはならない。
時間が無かった。
19 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 19:05
一夜が明け、公演の最終日になった。
圭織に言われた、期限の日でもあった。

おいらは、なんでか不敵な表情を浮かべる圭織の前に立っていた。
「それでは答えを、どうぞ〜」
圭織がやけに楽しそうに言う。
色々考えたけど、やっぱり答えは一つしか浮かばなかった。
「……おいら。だよね?」
自分を指さした。

正直言うと、圭織がなんでおいらに復讐したいのかは、まだよくわからない。
けどおいら自身は、圭織に復讐されるべきだと一晩考えて思った。
おいらをNGワードにしたのはきっと、それを自分から分かって欲しかったからだ。

上目使いで圭織の返事を待った。
でも。意外なことに圭織は、とても嬉しそうに、
本当に嬉しそうな顔で、唇を尖らせてみせた。
「ぶっぶー、はっずれ〜」
「……え?」
「NGワードだって言ったじゃん」
「で、でも、じゃあ正解は?」
「はい、じゃあ罰ゲーム〜」
嬉しそうな圭織はおいらの言葉を無視して、ぽんとおいらの手の上に手を重ねる。
「あげる」

でも。
思わず受け止める格好をとってしまったおいらの手のひらの上には、
何も乗っていなかった。

「……なに?」
そう聞くと、圭織はにっこり微笑んだ。
「モーニング娘。」
20 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 19:06
それは本当に不慮の事故だった。
けれど、オリジナルの五人から連綿と繋がれてきた魔力の鎖は、二人の間で断ち切られた。
突然取り残された彼女の心は酷く傷つけられ、
それをただの事故として飲み込むことは出来なかった。

マリはカオリの因子を受け継ぐためだけに、カオリを何度も再生させられた。
これまで一体、彼女はどれだけの別れに耐えてきたのだろう。

私の記憶が戻るということは、永遠の別れが来るということでもある。
記憶が戻って欲しかったマリと、記憶が戻って欲しくなかったマリ。
そうしてマリは、私とマリの名前を入れ替えたのだろうか。
私の短い髪は、彼女の葛藤そのものだった。

「私を甦らせてくれてありがとう。マリ。おかげでこうしてあなたと最後の時を過ごせた。
 あなたは優しくて、ちょっぴり可愛かった。あなたは私の憧れの人よ」
「カオリ、ひとりにしないで」
「海の底にある私を知っているでしょ。私はもう死んでいるの。
 だからもう、甦ることはない。
 私はあなたに魔法を託す。それが私たちの選んだ運命だから」
小さなマリを優しく抱きしめ、小さな手の上に手を重ねる。

「オリジナル・ナンバーに連なる全ての者から引き継いだカオリ・イイダの魂と魔力の全てを、
 今、マリ・ヤグチのこの手のひらに託す」
歌うように囁くと、風が吹いた。

タクラクサクムの白い綿毛のように、精霊の風に乗って私は消えていく。
「ねえ笑って、マリ。あなたの笑顔はそのまま奪ってしまいたくなるくらいに素敵よ」
自分が消えるその瞬間まで、笑ってマリを見ていようと決めていた。
特別なものは何もいらなかった。
この数日間、マリが私にのためにしてきてくれたことだけでも、私には十分だった。
「十年でも二十万年でも、たとえこの魂が異世界に行ってしまったとしても、
 私はあなたたちのことを思っている」
21 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 19:07
圭織の口からその言葉を聞いて、
おいらの胸の奥からは、どうしようもなく熱いものが込み上げてきていた。
ぬくもりに一瞬だけ触れた手を動かすことができない。
「最初っから、圭織のじゃ、ないでしょ」
カタカタと震えているおいらをよそに、圭織は子供みたいに口を尖らす。
「ん〜。じゃあ圭織の分のモーニング娘。だけ矢口に渡す。じゃない、与える」

「これ……正解でも不正解でも同じだったんじゃないの」
声の震えを隠せない。
「……さあ?」
圭織は勝手に満足げに微笑むと、背を向けて楽屋のドアを開ける。
「楽勝だったなあ〜。ま、しょうがないっか。鼠が竜に戦い挑むようなもんだったよね」
「自分で竜かよ、ドラゴンかよ」
鼠は認めちゃうんだな、おいら。でも挑んでないよ。おいら。

「約束どおり、十年でも二十万年でも呪ってあげるからね」
「異世界はどこ行ったんだよ」
なんでかおいらは、必死に難癖つけようとした。
この場から立ち去ろうとする圭織を必死に繋ぎとめようとしていた。

でも圭織は呑気な顔で、唇に人差し指を当てて、うーんと天井を見つめた後、
からかうように歌いはじめた。

小さなおいらの声とは違う、大きくて張りのあるキレイな声。
今回の公演で、圭織が最後に歌うことになっている曲。
昔とはちょっと違う、大人の圭織の歌声。
22 名前:World-D 投稿日:2005/02/14(月) 19:07
カオリは精霊の風に消えていく。

死した魂は精霊に溶け、次の生を得るときまで夢の中にある。
魂は、生命のゆりかごに揺られながら夢を見る。

地鳴りがした。
風が吹く。
一人残されたマリに向かって、遠く赤々と燃え盛っていた炎の固まりが、
バーミリオンの水平線の彼方から徐々に大きさを増していく。

探求者マリの呼びかけに応じ、一億五千万の距離をわずか数秒で無にする。
タクラクサクムの群生が一瞬にして消え、数本の綿毛が風にあおられ吹き飛んでいく。
波がうねり、島の岬は砂塵と化し、岩が崩れていく。
マリの作り出した世界が溶けていく。

炎に灼け、短くなったマリの髪が金色に輝く。
マリは笑顔を絶やさなかった。カオリに言われたとおりに。

そして笑顔の下で決意を固めた。
目の前で真っ赤に燃え盛る、人類が作り出した最大の魔法――
十一の尻尾を持つ輝ける竜を駆り、再び虚無との戦いをはじめるために。

歌が聞こえた。
23 名前:World-R 投稿日:2005/02/14(月) 19:08
「さー、今日もがんばるぞー」
圭織の背中から、珍しくハイテンションな声が廊下に響く。
会場のほうから早くも聞こえてきているお客さんたちの声援が、風のように感じられた。

そのせいでは無いのだろうけど、圭織の綺麗な長い黒髪がふわりとなびく。
「あーあ、卒業したら髪でも切ってすっきりしよっかな〜」
ひとりで呟きながら、圭織が最後の公演に向かっていく。

何にも乗ってない手をそのままに、しばらくぼうっと圭織の歌を聞いていたおいらは、
慌てて圭織を追った。
「ちょっと、これ」
なんでか大事そうに両手をお椀の形にして、圭織のでっかい後ろ姿を追いかける。
はたして固体なのか液体なのか気体なのかモーニング娘。は。
「これ、重いよ、圭織」
「でしょー。罰ゲーム」

もう一度楽しそうに、いたずらっ子みたいに笑う圭織の笑顔は、
くやしいけど抱きしめたくなるくらい、最高に可愛かった。
24 名前:54 竜と鼠のゲーム 投稿日:2005/02/14(月) 19:09


The Game

25 名前:54 竜と鼠のゲーム 投稿日:2005/02/14(月) 19:10


of

26 名前:54 竜と鼠のゲーム 投稿日:2005/02/14(月) 19:10


DRAGON and RAT


Converted by dat2html.pl v0.2