32 いたいのいたいのとんでいけ
- 1 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:09
- 32 いたいのいたいのとんでいけ
- 2 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:10
- 田中が異変に気付いたのは学校がない日の遅い朝だった。
腹部にチクチクと痛みを感じた。
昨日親戚から霜降り和牛のステーキが届きあまりの嬉しさと美味しさに食べすぎてしまったせいだろう、田中は思った。
それじゃ胃もたれか、とも思ったが胃がもたれたことのない田中にとって胃もたれとはどんな状態を指すのかわからなかった。
いずれにしても今日の仕事には影響ないと判断し親には言わず家を出た。
本日の収録、ハロモニ一本目終了。
ずっと椅子に座っているだけの本番が終わり、皆早々に立ち上がると腰を伸ばしはじめる。
各スタッフが次の収録の準備に忙しく動きまわっている。
瞬目のストレッチを終えた面々はいつも通り楽屋に戻ろうとしていた。
「れいな、行こ」
「あっうん」
「さゆみも行くぅ」
「さゆ気持ち悪いよ」
亀井になじられ頬を膨らませる道重。
普段見ているとはいえ二人の子供じみたやり取りを面白そうに見る田中。
楽屋前まで二人の児戯は続いた。
ジャンケンをしながら出てきた吉澤と小川と入れ替わるようにして楽屋に入った。
- 3 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:11
- 不意に今朝の腹痛が蘇ってきた。
針が複数本、一箇所に集中して刺さっているような痛み。
田中は部屋の隅にあった椅子を急いで引っ張り出し、うずくまるようにして座った。
結局元の公式、さゆみはかわいい、に落ち着いた亀井と道重が田中に近寄る。
「どうしたのれいな?」
「ん、いや、なんでもなかとね」
「お腹痛いの?」
自身の腹を抱えるようにして座る田中から腹痛を察した亀井は田中の正面にしゃがみ、首を傾げ眉間で心配を表わしている。
道重は小動物を包み込むような優しさを纏った手を田中の背中に当てた。
「れいな大丈夫?」
「ん〜ちょっと痛い……」
「薬もらってこようか?」
全てが善意の道重の言葉が田中は嬉しかったものの、それでも腹痛は治まらない。
オロオロする道重とは対照的に亀井は冷静に田中を見ていた。
すると突然、亀井は屈んだ田中のお腹めがけて少し強引に手を突っ込んできた。
抵抗する間もなく田中はお腹に手を添えられた。
- 4 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:12
- 「絵里」
「ちょっと動かないで」
憑りつかれたような真剣な表情をする亀井。
亀井は目を閉じて深く息を吸い込む。
痛みも忘れ亀井に釘付けになった田中。
閃く速さで瞼を上げた亀井はうってかわってだらしない笑顔になり、言った。
「痛いの痛いの飛んでいけ〜」
言葉に合わせて腹部をまさぐられ、器用に動いた亀井の手は引き抜かれると空をゆっくりと切った。
呆気に取られる田中と道重。
そんな二人を二回ずつ見てから、ウヘヘヘヘ、と亀井は笑った。
「どう? 私の魔法は」
「えっ、あっ……」
痛みはいつのまにか消えていた。
針一本さえ残っていない。
「痛くない」
「でしょ?」
「え〜絵里スゴーイ」
不思議がる田中と目を輝かせる道重、ウヘヘヘと亀井。
その日、腹痛が起こることはなかった。
- 5 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:12
- 次の日も次の日も腹痛は起こった。
日に日に針が増えているようにも感じた。
しかし、その度に亀井が魔法と称したおまじないをかける。
すると痛みはきれいサッパリ消えてしまう。
「絵里、お腹痛い。助けて……」
「大丈夫だよれいな、痛いの痛いの飛んでいけ〜」
はじめは不思議がっていた田中だが次第に亀井のおまじないに頼るようになっていった。
亀井も面倒くさがる所為を見せず、毎回毎回おまじないをかけてくれる。
「絵里、また……」
「痛いの痛いの飛んでいけ〜」
「痛ぃよ絵里ぃ……」
「痛いの痛いの飛んでいけ〜」
「絵里ぃ……」
「痛いの痛いの飛んでいけ〜」
腹痛もおまじないも原因は不明だったが田中はどちらも気にすることはなかった。
- 6 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:12
- 夏、コンサート。
リハーサルを終わらせ楽屋に戻る。
本日はまだ痛みが来ていない。
「れいな大丈夫? 痛くない?」
「大丈夫っちゃね。これも絵里のおかげやね」
「いやぁそんな〜」
亀井が照れ笑いを浮かべた刹那、今までにない鋭痛が田中を襲った。
今までの比ではない。
針がナイフに変わり、腹部全体を縦横無尽に切り刻んだような激痛。
「ぅ……絵里……」
「れ、れいな!」
廊下にうずくまる田中にうろたえる亀井。
行き交うスタッフも異変に気付く。
「絵里……おまじない……」
「れいな大丈夫! 痛いの痛いの飛んでけ!」
しかし、当然のように痛みは退かない。
「痛いの痛いの飛んでけ! れいな! れいなぁ!」
涙さえ出ない激痛に田中の意識は遠のいていった。
- 7 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:13
- 病院、一つのベッドに対して広すぎる部屋。
白いベッド、白い壁、白い天井、赤い目の両親。
癌だった。
胃がんが転移に転移を繰り返し内臓全体に広がり、それらが大きくなっていた。
手遅れよりも手遅れ、余命さえ出せないほど手遅れだった。
ここまで悪化していて普通に生活していたのが奇跡だった。
田中にはわけがわからなすぎた。
医者がすぐにさじを投げてしまうほど進行した病気と亀井のおまじない。
メンバーも見舞いに来た。
全員で一度に押しかけるわけには行かず、さらに大人メンバーに限定させられていた。
つまり、もうみんな知っているという事だった。
亀井に会いたくて仕方がなかった。
彼女のおまじないが何よりも欲しかった。
彼女のおまじないなら治せるような気がしていた。
- 8 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:13
- 鎮痛剤もあまり効かなくなってきた日の夜。
昼間の睡眠と痛みから眠れない田中。
誰もいない個室。
ドアがゆっくりと開く音がした。
医者や看護婦が来る時間でもなければ、両親も帰ったはずである。
無論、面会できる時間ではない。
ベッドスタンドをつけた。
ドアを丁寧に閉めている後ろ姿が確認できた。
亀井だった。
「絵里」
「れいな」
浮かび上がるようにして灯された亀井の顔に笑みはない。
田中は改めて現実を知らされたような気がした。
「絵里……どうして」
「ちょっとね」
やっぱりいつもの笑顔はない。
常備に近い状態の椅子には座らず、亀井は田中の隣に立った。
二人は言葉を交わさず、互いの目を見て沈黙を共有しあった。
- 9 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:14
- 「ねぇ絵里」
沈黙を破ったのは田中からだった。
「おまじないやってよ」
生気を振り絞って無理矢理作った笑顔で田中は言った。
亀井は子細らしさの一切無い薄い笑みを浮かべた。
「おまじないじゃなくて魔法だよ」
「ん、じゃあ魔法かけて」
「いいよ」
亀井は布団の上から手を当てると田中は邪魔にならないように布団を下げた。
パジャマの上に手が乗る。
優しく、柔らかく、静かに、不思議に。
- 10 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:14
- 「いたいのいたいのとんでいけ」
囁かれた言葉に安堵を感じる田中。
居座っていた痛みが遠くへと去っていく。
「いたいのいたいのとんでいけ」
亀井はいつものようなだらしない笑顔でつぶやく。
痛みが闇にフェイドアウトしていく。
魔法の言葉も遠くに聞こえる。
「いたいのいたいのとんでいけ」
痛みは既に消えていた。
そして、それが意識が遠のくことでなくなったのであることを田中は悟った。
「いたいのいたいのとんでいけ」
すぐ隣にいるのに遠くからつぶやきかけてきているように聞こえる言葉。
周りはもう見えないのに何故か亀井の顔だけがはっきりと見えていた。
怖いほど優しい笑顔だった。
「いたいのいたいのとんでいけ」
一粒の砂のように聞こえる言葉。
田中が魔法の言葉のイントネーションの変化に気がついた時には既に亀井の顔さえ見えなくなっていた。
瞑目する寸前、言葉の本当の意味に気付いた。
- 11 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:15
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「イタイのイタイのとんで逝け」
- 12 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:15
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- 13 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:15
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- 14 名前:32 いたいのいたいのとんでいけ 投稿日:2005/02/08(火) 21:15
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