25 無重力の心
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:33
- 25 無重力の心
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:35
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「ねぇねぇあいぼん、上と北ってなにが違うんだろうね」唐突に飛び出た希美の疑問に、亜依は目をぱちくりさせた。希美は以前、どうして地球から海がこぼれたりしないのか、人が落ちたりしないのか、なんてことを必死に考えていた。そんな希美の疑問に亜依は、実際に海はこぼれてないし、人も落ちてないからどうだっていい、と答えた。そして、今度は上と北の違いだ。「だからね、なんか北は上って感じするでしょ? でも上は北じゃないでしょ? だから、上と北ってなにが違うのかな、って」「ふーん」こんなとき、亜依は冷めてあげる。「だからさー、自転から考えると地球の上が北なわけでしょ? のんは知んないけど。太陽から見た上が北ってことはさ、のんから見た上はどこなんだよ、って話でしょ? 上と北ってなんかおんなじ感じがするのに、別々っておかしくない?」「うん、で?」「はいはい、そうですよね〜、わけわかんないですよねぇ、ってちっげーよ!!」希美のへたくそなのりつっこみに、亜依は鼻をくしゃくしゃさせてナハハと笑う。亜依は希美とのこんなやりとりが大好きだ。希美も、亜依の「で?」に何故だか安心したりする。亜依はひとしきり笑った後、希美に言う。「のんの疑問はわからないでもないけどさ、あいぼんたちにとって上は上だし、北はなんか北って感じだから、それでよくない?」「まあ、そうだけど」「でしょ?」「うん、そうだわ」
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:35
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香ばしそうな焦げ色のついた肉の表面で脂が泡だっている。希美はそれを箸でつまみ、乱暴にタレにつけると、恐る恐る熱さを確認しながら口の中に入れる。目の前にいる麻琴は肉を食いながら、亀井絵里はバカさ加減について熱弁を奮っている。「絵里ってさー」「亀井ちゃんね」希美が訂正する。「ああ、亀井ちゃんね」「うん、亀井ちゃんが?」「あの女はさー、マジで意味わかんないよ。今日さ、変な仏像持ってきて」「仏像?」「そう、手に乗るくらいの大きさなんだけど、色が入ってて、それなのに妙に貧相でムカツク顔してんの」「なんで仏像持ってくんのさ」「やぐっつぁんがそう聞いたの。そしたら絵里、家にあった、って」「だから、なんで仏像なんか持ってくんのさ」「家にあったから?」「のんに聞かれてもわかんねーよ」「あたしだってわかんないよ」そう言って麻琴は、今日一日の絵里の奇行を話し出した。絵里が仏像に話しかけながら化粧をしていた、とか、楽屋から出る時と戻ってきた時に絵里は必ず拝んでいた、とか、そのくせ仏像の頭で背中を書いていた、とか、そういうのを全部ひっくるめてバカらしい。
でも、希美は麻琴のほうがバカだと思っている。バカというよりも、珍獣。言おうと思ったけど、言わないほうがいいと思ってやめといた。でもやっぱ言いたくなったから言った。「麻琴もバカじゃん。つーか、珍獣?」麻琴はギョロリと希美を睨み、鼻の穴を膨らませた。「あー、そうかい、おまえはそーゆーことをゆーのかい、ああそうかい、わかったよ、あーそうかい」ばく、ばく、ばく。麻琴は網にのった肉を喰らってスペースを作り、希美のユッケをぶちまけた。「ばっかまことおめー、のんのユッケ焼いてんじゃねーよ!」「ユッケ焼いたくらいで怒るなんて、ケツの穴のちっちゃな女だねぇ、おまいさんも」「ユッケじゃなくてソボロになっちゃうじゃんかよぉ」「注文しなおせばいいじゃないの」「お前が頼めよ」「なに、まだ自分で注文できないの?」「さっさとユッケ注文しろよ、バカまことぉ〜っ!!」麻琴はふんっ、と鼻から息を吐く。「言わせて貰うけどねー、のんちゃんだってバカなんだからね」「ゆっけ!」「夢の世界で生きてるようなおばかさんなんだからね」「うっせーよバカ! ユッケどうしてくれんだよ」「ユッケユッケって、そんなにユッケが好きならユッケと結婚すればいいじゃないの!」「うっせーよバカまこと!!」「バカって言うほうがバカなんですぅー」「のんはバカでもかわいいからいんだよっ!」「違うって、のんちゃんは頭パッカーンって割ったら三途の川とお花畑が出てくるような、かわいそうなおばかさんなんだって」意味のわからない、けど辛辣な雑言にぐっと詰まり、言葉に窮する希美。さらに追い討ちをかける麻琴。「ほらほら、どうしたぁ? 言っとくけどねぇ、泣いたって慰めてあげないよ?」「……う、うるっせぇよ。のんは自分がバカだってわかってるからいいんだよ、それに、こんなことくらいじゃぜってぇ泣かねーかんなっ!!」……涙は肉が熱いせい。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:36
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「あいぼん?」「ん?」「のん、前にさー、新曲なんか聞いたことあるって言ってたでしょ? あれ思い出したよ」「そうなん?」「うん、歌うよ? ちょっと待ってね、ん、ん゙〜……いくよ? ♪粉かけぇて かきまぜぇて スープパスタなの〜♪ ね?」「いや、ね? って言われても……」「なにさ、のんの歌った曲、まちがいなく新曲だべさ」「いいんだけどさ、なんで粉かけて掻き混ぜるとスープパスタになんねん」「あいぼんのその出そうかどうか迷ったときの関西弁って、なんかムカツク」「なによ、それぇ」「どっちかにしろよ、って感じなんだよね」「そんなこ、そんなことあらへん」「ほら、またそうやって迷う」「つーか、今はのんのスープパスタがどうなん、って話やろ?」「あ、今のは自然でよかった」「そう?」「うん、あいぼんっぽかった」「えへへ……どもども」「いえいえ、どうしたしまして」「あれ?」「ん?」「いや、なんでもない」
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:37
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「ねぇねぇー、やっぱのんちゃんってさー、せーしんねんれー低いよね〜」ここは都心のオアシス、ファミリーレストラン。看板がピンクと白のかわいいお店。数時間前、希美は溜めに溜め込んだ領収書の精算のため、事務所にいた。膨大な量の領収書のせいで高かった陽はとうに暮れ、夜の帳が降りていた。希美が涙ぐんで唇を尖らせているとマネージャーがやってきて「泣くぐらいならマメに精算しなさいって、いつも言ってるでしょ!」と怒りながらも手伝い始めた頃、梨沙子と雅と茉麻とそのお母様方も精算にやってきた。精算が終わったのはほぼ同時で、梨沙子が「のんちゃんも一緒にご飯行こー」と言い、誰かの母親が「それじゃあ辻ちゃ……辻さんもご一緒に如何です?」と言った。
で、いま。頬杖ついて都会色に沈んだ窓ガラスに流れる赤いテールランプを見つめる希美の隣には、のんちゃんって精神年齢ひくいよねー、とぶっこいた新小学五年生、梨沙子。希美の目の前には雅、黒ごまココアを飲んでいる。雅の隣には茉麻、サーモンのカルパッチョをもさもさ喰ってる。希美たちの後ろの席にはお母様方。なにを話しているのかはわからないが、相槌が大きいのと自分の話すタイミングを虎視眈々と狙っているのだけはわかる。「ねーねー、のんちゃんのせーしんねんれーが低いって言ってんのー」梨沙子がストローをくわえ、オレンジジュースをボコボコさせながら希美の頬をつついた。梨沙子の傍若無人を前に、雅と茉麻は気まずそうに顔を伏せている。希美は梨沙子を無視して「みやちゃんとまぁちゃん、来年から中学生なんだよね」と聞いた。二人はそれぞれ、曖昧な笑顔で礼儀正しく答えた。「だから、のんちゃんはせーしんねんれーが低いって言ってんだよ!」梨沙子は、あまり使う機会のない乱暴な言葉遣いにドキドキしている。
希美は目の前の二人に、モーニング娘。に加入した当時の自分を重ねてみた。別の生き物のような気すらしてくる。片方は黙ってりゃ大人びているし、片方は黙ってなくてもでかいし。希美がちょうど二人くらいの時期はオーディションの最中。もうしばらくしたら、裕子にサイン貰ったり、なつみになぞなぞしよー、とか、圭織にナイスバディバディやって、とか言ったりするのだ。そう考えると恥ずかしくなってきた。雅と茉麻が二人で話し始めた。「まぁちゃん、制服買った?」「いや、まだ。みやは?」「来週の日曜日に家族で行くんだ」「そっか、わたしはたぶん来月だな。それよりさ、教科書どんなのか気にならない?」「気になるー!」「だよね! シミちゃんとか桃ちゃんとか、すっごい難しくなるって言ってたよね」「英語もあるしね、難しそうだもんね」「外国語だもんね」
希美は遊んでほしそうな顔をしている梨沙子とはしゃいでみた。楽しかった。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:38
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冬のハローで友情復活。希美は一緒にご飯に行きたいと言うれいなに、じゃあ飯食いに行こうぜ、のんがおごってやるよ、と先日麻琴と行った焼肉屋、注文も前回と同じ。「れいな失礼だと思うんですけど、のんちゃんって、昔歌もダンスも下手だったじゃないですかー」「なら言うな」「あ、ごめんなさい」それきり肩を下げて俯き黙ってしまったれいな。希美は笑う。「嘘だって。言ってよ」パッと顔をあげたれいなは、希美に顔を近づけて話す。「のんちゃんって、すごい成長したと思うんですよー、どうやったんですか?」「でも、れいな急成長って話じゃん」れいなは目を伏せてはにかみ、そして自分を戒めるように首を振る。「違うんです。れーな、もっともっと上手にならなきゃいけんから」「れいなは頑張り屋さんだねぇ」「どうやったんですか?」「普通だよ。朝起きてご飯食べて、仕事行って遊んでご飯食べて、家に帰ってご飯食べて寝る」「そういうのじゃなくて! もっとこう、ガーって感じのはないんですか?」れいなは熱い視線で見つめてくるが、希美は困ってしまう。希美にとっての努力とは当たり前のことで、特別なことでも何でもないからだ。それが人とどう違うのかということは、あまり意識した事がない。困った挙句、こう答えた。「いっぱい練習すること?」「自分で言うのもなんですけど、今のれいな、すっごい練習してます」「なら、それでいいんじゃないの?」無理して頑張れ、なんて希美には言えない。無理をしてしまうことの恐ろしさを誰よりも知っているからだ。
それにしても、と希美は、はっきりと大人びてきたれいなを前に、モーニング娘。を離れていた時間の長さを思う。「のんさ、まだ娘。にいるような気がしてるんだけどねぇ」「それ、れいなも思いますー!」「だべ?」「はい、なんかこうやってのんちゃんと二人でいても違和感ない」「そういうことじゃないんだよね」「じゃあ、どういうことなんですかー?」「たとえばさー、あした娘。の現場に行っておはようございまーす、って言うとするよ?」「うん」「そしたらね、そのまま娘。として仕事する、って感じ」「それじゃあ、のんちゃんはまだモーニング娘。ってことじゃないですか」「まあ、そうかな、……あれ? でも違うぞ」「ははっ」「まあ、いいや。肉焼けてる。食べよ」「はい!」
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:39
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希美の膝の上に圭織。希美は圭織を抱きしめている。「かおりん、なんでここにいるの?」そんな問いに、うーん、圭織は首を傾げ眉間に皺寄せ唇をきつく結び、右手を口元に当てて考え始めた。しばし思案の後、「いちゃ悪いっ?」そうかわいこぶりっこで答え、短くなった圭織の髪を珍しそうに触っている希美の手を握った。「べつに悪くない」圭織は満足気に頷くと、窓枠の景色を眺めた。やや重めの空色、雲の切れ目から黄金色のきしめんがびろろんと地上を目指している。希美は訂正した。「やっぱ悪い。かおりん、娘。の楽屋に行きなよ」圭織はすかさず答えた。「それはできないよ。だって圭織、もう娘。じゃないんだもん」「そうなの?」「そうだよ……」「でも、のんは行きたかったら行くよ、みんな喜んでくれるよ」「のんちゃんはそれでよかったし、かわいかったけど、圭織がそうすると美しくないのよ」希美の膝に座った圭織が少しだけ重くなった。「そっか。じゃあ、いていいよ」「ありがと」「ずっといていいよ」「ありがと。ずっといる」「これからずっといていいよ」「ありがとう。これからずっといる」柔らかく沈黙。
希美は1月30日のことを思い出していた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:41
- どうしてステージ裏のモニタで圭織の卒業を見ていたのだろう。隣に亜依がいた。号泣している私服のなつみがいた。優しい笑顔のまま涙を流す圭がいた。真希は苦しいくらいに真剣な顔で、瞬きもせずにモニタを見つめていた。裕子が涙を隠さずにいた。希美と亜依が娘。を抜けて、初めての卒業。どうして自分はステージにいないのだろう。希美にはそれが不思議で、信じられなかった。どうしていいのかわからずに、薄く笑んだ。
圭織が出て行って、希美はその思いを亜依に話してみた。亜依は真面目に希美の聞き、そして寂しそうに笑って首を振った。「あいぼんたちはもう、娘。じゃないからだよ」「だけどさ、もしね、のんかあいぼんのどっちかがさ、つんくさんとかにお願いしてさ、娘。としてかおりんの最後をステージで見守ることができたら? 梨華ちゃんの卒業だって……」やはり亜依は寂しそうに首を振った。そして、今にも崩れてしまいそうな笑顔で言う。
「あいぼんたちはもう、娘。じゃないんだよ」
知ってることだけど、わかってたことだけど、なんか違う。絶対に違う。そんなことない。希美はそんな思いでいっぱいだった。知ることと、認めることや実感することは違う。希美はこれまで、そういうことは考えてこなかった。12歳で夢を叶えた希美は、そのまま夢の中で生きてきた。思い通りにいかないことや過酷な現実だって、希美には夢の中のひとつの出来事に過ぎなかった。甘い甘い魔法にかけられたような夢の世界で、希美は生きてきた。
「あいぼんたちはもう娘。じゃなくて、ダブルユーなんだよ」
亜依の凍えてしまいそうに震えた声を聞いて、希美は初めて自分の立っている場所を認めた。もう、娘。には戻れない。希美の瞳は静かに涙を落とした。亜依に抱きしめられると、涙が溢れて止まらなかった。初めて流す種類の涙だ。重くて重くて仕方がなかった。涙を流すたび、感情を吐き出すたびに沈み落ちていくような気がした。そして、だからかもしれない、希美は産声をあげたばかりの赤子が母親の胸に抱かれたような安らぎを感じていた。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:41
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- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:41
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- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2005/02/06(日) 22:41
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