50 あやみきカレー出店計画
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/02(土) 23:54
- 50 あやみきカレー出店計画
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/02(土) 23:57
- 夜空にスウと軌跡を残す流れ星は宇宙の塵に過ぎない。
なんて言われて、あたしは理科の授業が嫌いになった。
南の空にそれを見つける度、あたしは心が弾むのを抑えられないでいる。
あたしは祈る。
亜弥ちゃんが、いつまでも夜空に輝いていますようにと。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 00:00
- 2007年10月
世界各国の協力の下に建設が進められていた国際宇宙ステーションが、晴れて完成の時を迎えた。それを記念して、宇宙で盛大な式典が行われることになった。
資金面と技術面で多くの貢献を見せた日本。将来の利権を皮算用して多額の出資をした企業の一つに、とりわけスペースプレーンの開発に力を注いだ航空会社があった。
スペースプレーンは次世代の航空宇宙機だ。NASAが長年にわたり開発を行っていたが、予算縮小の煽りを受けて計画が中断していた。それを受け継いだのが先の会社。アメリカの企業と提携して、スペースプレーンの実用化に漕ぎつけた。
ステーションの完成と時同じくして、本格的な運行が始まろうとしていた。
その航空会社のゲストとして、式典に出席することになった一人のアイドルがいる。
あややこと、松浦亜弥。
彼女は数年前からその会社のCMに起用されていた。国内便のジャンボジェットの胴体には、彼女の顔が大きく描かれている。
式典のゲストには誰が相応しいか?
議論の末、すぐに決まったのが松浦亜弥だった。
彼女はスペースプレーンの乗客第一号として宇宙に行くことになった。
XR−78。
太陽の光をやたらと反射する白銀の巨体を目の当たりにして、彼女はその名が味気ないと、勝手に「ジャンヌ」と名づけた。それが正式名称として採用されてしまうところが、松浦亜弥が松浦亜弥たる所以である。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 00:04
- 「ジャンヌって……。
きっと、映画を観たばかりだっだんだろうなぁ……」
荒涼とした大地を走る一台のバス。その最後尾で揺られながら、あたしはアイツの単純な思考を嘆いた。
事務所に暫くのお休みを貰ったあたしは、プライベートでアメリカの田舎くんだりにまで来ていた。目的は只一つ。宇宙へと旅立つ親友に、ひと目逢うためだ。
テキサス州エンドバーグ。
南部に位置するこの町は、その大部分を広大な砂漠に占められている。ダラスの空港からここまで来るのに、既に4時間を要していた。辺ぴなこの場所に、スペースプレーンの発射施設はあった。
宇宙へと行ける最先端の乗り物がある施設までの交通の便が悪いというのは皮肉なことだと思う。
窓の外、どこまでも広がる赤茶けた大地は、景色はまったく違うが、それでもあたしの故郷を思い起こさせた。
……はっきりいって気分が悪い。あたしは田舎が嫌いだ。
施設に近づくにつれ、その大きさに圧倒された。
有刺鉄線付きのフェンスが周囲を囲んでいる。左右の端が小さく見えない。
フェンスの前にはマスコミの車がズラリと並んでいた。アメリカは元より、日本、イギリス、フランスなど。彼らの目的は、ジャンヌと、それに搭乗する自国の代表達だった。
ジャンヌの発射予定日は二日後だったが、搭乗者のほとんどが素人のため、必要最低限の訓練が一週間前から行われていた。
入り口は厳重に閉ざされていて、その脇に黒人の警備員が威圧感を放ちながら直立していた。
近づくとギロリと睨んでくる。あたしはそれに怯むことなく、片言の英語で話しかけた。
「アイウォントトゥミートゥアヤマツウラ」
「ハブユーアポイントメント?」
「ノー。プリーズコールハー。アヤヤイズマイベストフレンド」
あたしに胡散臭いものを感じるのか、警備員は中々連絡を取ろうとはしてくれなかった。
あたしは痺れを切らし、切り札を突きつけた。
あたしと亜弥ちゃんが一緒に写っている写真。ふたり手と手を取り合い、だぶるゆーのピースサイン。写真の中の亜弥ちゃんは、まさにアイドルって顔で微笑んでいる。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 00:15
- 建物の入り口から小っちゃい影が出てきた。
手を振りながら、満面の笑顔で駆け寄ってくる。
「みきた〜ん!!」
こっちが恥ずかしくなるくらいの大声。
あたしは誇らしげに警備員を見やり、
「どうだ見てみろ。あたしは亜弥ちゃんの親友なんだぞ」
日本語で言うと、「あっそ」みたいな顔をされてムカついた。
「みきたん、どうしたの?」
「どうしたのって、亜弥ちゃんに逢いに来たに決まってるじゃん」
「ありがとう、すごーく嬉しい。
まわり外人さんばかりだし、英語ばかりだし、日本人に会いたかったんだ」
「日本人なら誰でもいいのかよ」
「あはは、冗談だって。みきたんに逢えるのが一番嬉しい」
あたしの腕に抱きついてくる亜弥ちゃん。腕に感じる柔らかな感触も久しぶりだった。
久々の再会だった。
亜弥ちゃんは多忙な日々を送っていて、ずっと会えずにいた。
NHKのニュースで、無重力空間に於ける正しい作法と姿勢を習っている親友の姿を見て、無性に逢いたくなった。逢って、無重力空間では顔がむくむから気をつけろよと忠告したくなった。
本当に、ひと目逢いさえすればよかったのだけど、暇じゃないだろうに、亜弥ちゃんはわざわざ時間を作ってくれた。とはいっても所詮田舎町。どこに行く当てもなく、仕方なしに場末のカフェでお茶を飲んだ。天気が良くて、表に出されたテーブルに並んで座った。日本のマスコミだろうか、カメラがこちらを捉えているのに気づいていたが、どうでもよかったので無視をした。
「まったく、どうしてこんな田舎にあるの? バスにずっと乗っていたから体中が痛いよ」
「田舎者のみきたんが言うこと?」
「うっさいなぁ」
田舎者いうなとガンを飛ばす。
「あっ、そっか。うるさいからだね。街中で打ち上げなんかやってたら迷惑だもんね」
あろうことか、亜弥ちゃんに笑われてしまった。
「ちがうよみきたん。赤道に近い所の方がね、宇宙に行きやすいんだよ」
したり顔で言う。
「どうして?」と訊ねると、
「……………」沈黙してしまった。
やっぱり。さすが亜弥ちゃんだ。
くたびれた顔のおばさんが、これでもかってくらいにオレンジ色の飲み物を運んできた。お互いストローに口をつけ、黙って飲む。結構美味しい。そのまま暫く沈黙が続いた。
上目遣いに亜弥ちゃんを見る。暫く会わないうちに、また一段と大人っぽくなった気がする。メニューを広げ、英語の解読に挑戦している亜弥ちゃん、でもすぐにgive upして、メニューから顔を上げた。目が合う。思わず逸らしてしまった。
本当は、亜弥ちゃんに言いたいことがあったのだけど、喉の所まで出かかって、やっぱりやめた。わざわざアメリカまでやって来たのは、実はその為ではなかったのかと、今更のように思う。
「あたしが辞めるって言ったらどうする?」
それが、あたしが亜弥ちゃんに言えなかった言葉。
それは、亜弥ちゃんが昔あたしに言った言葉。
「あたしが辞めるって言ったらどうする?」
あのとき亜弥ちゃんは、満天の星空を見上げながら言ったのだ。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 00:24
- あたしがまだモーニング娘にいて、カメラの前では自分の事を「美貴」と呼んでいた頃。
ウチに遊びに来ていた亜弥ちゃんと、ひょんなことからカレーを作ることになった。
ラジオなんかで話したのとはまた別の話。レトルトではなく本格的なカレーだ。
「アチッ」
亜弥ちゃんの短い悲鳴。鍋のふたが大きな音を立てて床に落ちた。
ビックリして振り返ると、亜弥ちゃんは右手におたまを持ったまま、左の指先をフーフーしていた。
「大丈夫?」
「うん。―――あれ? こんなとき、どうするんだっけ?」
「耳たぶを触るんじゃないの?」
「そっか」
亜弥ちゃんは左手をスッと伸ばし、あたしの耳たぶをプニッとつまんだ。
「美貴のをつまんでどうするのっ!」
反射ツッコミ。
「そっか」
そう言って亜弥ちゃんは自分の耳たぶをプニッ。
なんというか、なんていうか……
男だったらイチコロだろうなってくらいに可愛い仕草で、あたしは思わず鍋のカレーを頭からかけてやろうかと。
(その時からです。あたしが亜弥ちゃんを殺すことを夢想するようになったのは。だけど、いくら首を絞めたっていくらナイフで刺したって、亜弥ちゃんの幻影が笑顔を崩すことはないのです。いつもの笑顔であたしを見つめてくるのです)
そんなこんなで、今では亜弥ちゃん殺害数はゆうに100を超えている。
ちなみにつんくはその倍の数。
ふたりで一生懸命に作ったカレーは正直言って不味かった。
「マズイね」ってお互い顔を見合わせて笑い、でもどちらもお腹が空いていたからおかわりをして全部平らげた。
こうしてあたし達の間には、空のお皿と満腹のお腹と秘密の合図が生まれた。
耳たぶをつまんだら「今夜はカレーね」
転じて「今夜逢いに行くよ」
コンサートのリハで久しぶりに顔をあわせた時、ステージ上からこっそり合図を送ってきた亜弥ちゃんにあたしは言った。
「やっぱさぁ、こういうのって彼氏とかじゃない? サインを送るのって」
そしたら亜弥ちゃんは、
「いいじゃん。あたしとみきたんは恋人同士みたいなものだから」
「な゛っ!?」
「ちがうの?」
小首をかしげるその顔に思わずドキッとした。 (グサッ―――108人目)
「そ、そうだよ。そうだとも。亜弥ちゃんは美貴の恋人だよ」
隣で聞き耳を立てていた矢口さんがニヤニヤしている。
「いいなミキティ。師匠、おいらも恋人にして下さい!」
「じゃあ、やぐっつぁんは愛人ね」
「うわっ、体だけの関係ですか!?」
コイツら馬鹿だと、呆れたあたしはその場をあとにした。
本当は赤くなった顔を悟られないように逃げ出したのだけど、バレバレだった。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 00:35
- 月日は流れ、そしてあの日。
亜弥ちゃんからメールが届いた。
『今日はこれからMSです。あたしの勇姿を見ててネ(はーと)』
「モビルスーツ?―――あぁ、えむすてか。でも珍しいな。亜弥ちゃんがこんなの送ってくるなんて」
その日は新曲の振り付け練習があった。8時前には終わるしその後の予定も無かったけど、念の為にビデオをセットして家を出た。
練習のあと、よっちゃんさんが珍しくカラオケに誘ってくれて、あたしはウキウキ気分でついていった。余計なのも2、3匹、ゾロゾロついてきたけど。あたし達は日頃の鬱憤を晴らすかのように、ヤバイくらいに盛り上がった。そのときには、亜弥ちゃんの事もえむすての事もすっかり忘れていた。
ウチに帰ると、玄関前に、見覚えのある物体が三角座りしていた。
「亜弥ちゃん!? どうしたの突然?」
「…………観ててくれなかったんだ」
「あ……」
亜弥ちゃんは三角座りのまま、じいっと恨みがましい視線を送ってくる。
あたしは耐え切れず、
「あ、あたしだっていろいろ忙しいんだよ」
言い訳をした。
「……そう。じゃあ帰るね」
「帰れなんて言ってないっしょ! 帰んなよっ!!」
あたしの大声がマンションの廊下に響き渡った。
「みきたん、近所迷惑だよ」
立ち上がりかけていた亜弥ちゃんは、また腰を下ろし、ちょっとだけ勝ち誇った顔で笑った。
「ビデオは一応セットしておいたんだよ」
「生で観ててくれなきゃ意味ないよ」
亜弥ちゃんは勝手にビデオを巻き戻した。
「ほらここ」
サングラスの司会者と濃い顔の男がトークしているその後ろで、カメラ目線の亜弥ちゃんがずっと耳たぶをつまんでいた。その姿はどう見ても不自然だった。司会者に話を振られ、「えっ? なんですか?」と聞き返していた。
「………亜弥ちゃん、これ、やりすぎじゃない? バレちゃうよ?」
「いいじゃんバレても。どうせ相手はみきたんなんだから」
「そうだけどさぁ……」
冷蔵庫を開けて中を覗いた。
「材料が何もないよ」
「みきたんに会いたかっただけだから、別にカレーはいいよ」
「あたしが食べたいの。お腹ペコペコなんだ」
季節はすっかり冬で、コンビニまでの道のりは凍えるほど寒かった。
「ごめんね。こんな寒いのに外で待たせちゃって」
「ううん」
亜弥ちゃんは首を横に振る。
「ていうか、電話しなよ。すぐ帰ったのに」
「それじゃあ合図を送った意味がないじゃない」
そこまで合図にこだわる理由があたしにはわからなかったけど、そんなところが亜弥ちゃんらしいと思った。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 01:07
- 千恵子が無いと言った東京の空は相変わらずの灰色で、そこに満天の星を観る事は滅多に叶わない。あたし達は日頃の行いが善かったから、その"滅多"にありつくことができた。
コンビニからの帰り道、両手にビニール袋を提げ、近道しようと足を踏み入れた公園で、何気なく見上げたら、驚くほど綺麗な星空があった。
「「うわぁー」」ってふたり、子供みたいに歓声を上げた。
「滝川の空もこんな感じ?」
「滝川の空はもっと綺麗だよ」
シンと静まり返った、どこまでも澄んだ夜の空気だったり、時折息を呑むくらいに大人びた表情を見せる亜弥ちゃんだったり。その日は何故だか不思議な気分だった。だから、「滝川」なんて言葉が素直に口から出た。多分一年ぶりくらい。
ずっと感じていたことだけど、その日の亜弥ちゃんはいつもの亜弥ちゃんと違って、どこか様子がおかしかった。どこが?と訊かれても、はっきりと答えることはできないけど。メールまでしてテレビの生放送で合図を送ったり、寒空の下、何時間もあたしが帰るのを待っていたり。考えれば考えるほどおかしい。
その答えを亜弥ちゃん自身の口から聞くことになった。
「ねえ、みきたん」
「ん?」
「あたしがさぁ、辞めるって言ったらどうする?」
亜弥ちゃんはあたしの方を見ないで、顔を空に向けたままで言った。
街灯の光もまばらに散っていて、そのとき亜弥ちゃんがどんな顔をしていたのかよくわからなかった。
あたしは驚いてしまって、亜弥ちゃんがそういうことを言うとは思わなかったから、だからすぐに言葉が出なかった。
「仕事、あたしが全部もらってあげる」
とっさに出たのはそんなのだった。亜弥ちゃんが冗談ぽくないから、あたしが冗談で返す。
亜弥ちゃんが顔をこちらに向けた。だけど、相変わらずはっきりしない。
「どうしようかな」
否定でも肯定でもない。はっきり言ってよ、駄目だって。
「紅茶のCMちょうだいよ」
「あれはダメ。気に入ってるから」
そう言って、亜弥ちゃんは少しだけ笑った。それを見てあたしは少しだけホッとした。
そのとき。視界の端をスッと何かが走った。
あたし達は顔を見合わせた。
「見た?」
「見た」
「流れ星?」
「うん、流れ星」
亜弥ちゃんはおもむろに、空に向かって柏手を二回。目を閉じ、深くこうべを垂れて合掌した。
「願い事は流れ星が流れている間に言わなきゃいけないんじゃないの?」
そんなツッコミが喉まで出かかったが、亜弥ちゃんの表情が真剣そのもので、水を差すのが躊躇われた。
「何をお願いしたの?」
「…………たんの胸が大きくなりますようにって」
「そうだね。最低でもCは欲しい。―――ってオイッ!」
乗りツッコミまでマスターしてしまったあたし。
「流れ星って、星じゃなくて宇宙に漂っている塵なんだって。それが地球に落っこちてきて、空気との摩擦で燃え上がるんだって」
「えっ、そうなの?」
亜弥ちゃんは本気で驚いている。中二の時のあたしと一緒の反応だ。
「理科の授業で先生に教えてもらったんだ。だけどさぁ、なんかロマンがないと思わない?只のゴミなんて、夢がないよね」
亜弥ちゃんはうんうん頷いた。
木枯らしが吹いて、ふたりの体ををブルッと震わせた。
「寒いから早く帰ろう」
「うん」
どっちからともなく手を繋いだ。亜弥ちゃんの手は妙に暖かかった。
結局、亜弥ちゃんの話はうやむやになってしまった。あたしはそれで良かった。
並んで歩く亜弥ちゃんの横顔に深刻なものは感じられなかったから、たまの気まぐれだろうと自分を納得させた。そのあとウチに帰ってからも、亜弥ちゃんがその話をすることはなかった。
時計を見たらもう日付が変わっていた。あたし達はそれからじっくり二時間かけてカレーを作った。あたし達のカレー作りの腕は随分上達していた。
「これなら神保町でもお店が出せるね」
「あやみきカレーかぁ。繁盛しそうだね」
「ま、あたし達のカレーだったら不味くても売れるだろうけど」
「そうだね」
せっかく作ったカレーだけど、明日も早かったし、何より夜食は厳禁だから、ふたりともおかわりもせず残してしまった。
そういえば、あのとき亜弥ちゃんは、本当は何をお願いしたんだろう?
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 01:19
- デビューしたばかりのあたしは独りだったけど、ただがむしゃらに突っ走っていればなんとかやっていけた。今、再び独りになったあたしは、あの時の様に走ることができなくなっていた。すぐ傍にずっとソロでやってきた格好のお手本がいたけど、そのお手本を見ていると、もっと走れなくなった。
気づいたら、いつのまにか謎のジュースを全部飲み干していた。
亜弥ちゃんとまた目が合った。
「あやみきカレー、やってみない?」
冗談でもそんなこと、口が裂けても言えない。
地元の気のいいおじいさんのトラクターで、施設の入り口まで送ってもらった。
「じゃあ、またね」
「うん」
「ミュージックステーション、忘れずに観てよ」
「うん」
バイバイして、入り口に歩いていく亜弥ちゃん。
「あっ、そうだ」
何かを思い出したようにクルッと振り返り、
「みきたん、お土産は何がいい?」
ニヤニヤ笑っている。ギャグのつもりなんだろう。
「饅頭とかクッキーとか…。『宇宙すていしょん』て書かれたペナントも欲しいな」
「わかった。あったら買ってくるね」
「うん、楽しみにしてる」
フェンスの内側に入ったところで、外国のテレビクルーに周りを囲まれた。
最初は困惑気味だった亜弥ちゃん。でもすぐに笑顔になり、インタビューに応じていた。
フェンスの外。一人ポツンと残されたあたし。そのときの寂しさが分かる?
一緒に帰ろうって約束していた友達が彼氏を優先させてしまい、独りっきりで帰る帰り道の様な。
(あたしは亜弥ちゃんの親友で恋人なんだぞ。亜弥ちゃんの唇の感触を知ってるし、亜弥ちゃんのおっぱいの形や、お尻にホクロがあることだって知ってるんだぞ)
フェンスの向こう、亜弥ちゃんの後ろ姿が次第に遠ざかっていく。
(BANG! BANG! BANG!―――132人、133人、134人。アメリカの銃は性能が良いらしい)
あたしの中で、寂しさやら嫉妬やらのグチャグチャした諸々の感情が頂点に達した。
「あややの乳首はキレイなピンク色なんだぞーーー!!!」
あたしの叫び声は、アメリカの荒野に(虚しく)響き渡った。
「ホワット? ワッチューセイ?」
黒人の警備員が「ナンダ、コイツ?」みたいな顔で見てる。ムカついたから、すねを思いっきり蹴飛ばしてやった。警備員は本気で怒り、顔を真っ赤にさせて追いかけてきた。
「ふん、フットサルで鍛えたこの足に敵うと思うてか」
それは数年前の話で、結局警備員に捕まって、イングリッシュでこっぴどく怒られた。
ぎゃふん。
その日の夕方。イギリスのBNNで放送されたニュースのひとコマ。式典に参加する日本のアイドルを取材したVTRが流れた。金髪のリポーターにインタビューを受けるアイドル。イギリス人のスタッフは誰一人気づかなかったが、遠くから微かに日本語の叫び声が聞こえてきて、その瞬間、アイドルが顔をしかめた。
あたしは二日後の打ち上げを待たずに日本に帰った。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/03(日) 01:28
- 亜弥ちゃんを乗せたジャンヌは無事宇宙空間に到達し、地上から400km離れた場所で、国際宇宙ステーションと大っぴらな逢引きをした。
その後行われた式典は、全世界に同時中継された。
ある歌番組の企画で、あややのライブを宇宙ステーションから生中継することになっていた。ミュージックステーションを宇宙ステーションから……くだならい。
衛星中継のため、サングラスの司会者と亜弥ちゃんが文字通りズレた会話を交わした。亜弥ちゃんの映像と音声にタイムラグが生じる。遥か昔、田舎娘という不愉快な名前のグループに強制参加させられた時のこと、そのグループの一人が得意気にやっていた芸を思い出した。日常の会話もそれと大して変わらなかったのを憶えている。
年甲斐もなく、ピンク色の派手な衣装に身を包んだ亜弥ちゃん。ヒット曲の数々をメドレーで歌った。
気圧なのか電波なのか、それとも重力なのか。理由は分からないけどすごく音痴に聞こえた。やはり宇宙からの中継なんて無理があったのでは、と番組関係者は頭を抱えたが、その日の視聴率は驚くほど高かった。
日本中の人々が目にした。遥か彼方、無重力の世界でハジける亜弥ちゃんの勇姿を。
松浦亜弥は松浦亜弥で、やっぱり松浦亜弥だなぁと、一人、自宅のテレビを前にして思った。亜弥ちゃんが指定席にしていたソファーの端っこに座って。
ソファーに身を投げ出し、顔を突っ伏す。亜弥ちゃんが最後にここに座ったのは……いつだったかな? 思い出せない。
―――くんくん。
匂いを嗅いでも、亜弥ちゃんの残り香なんて無かった。鼻がつまってたわけじゃない。
亜弥ちゃんは安定しない足場で数曲を歌いきった。思ったよりも疲れるようで、ハァハァと肩で息をしていた。
―――放送はそのまま、何事も無く終わる筈だった。
Converted by dat2html.pl v0.2