36 指切り
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:53
- 36 指切り
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:53
- 「この町はどうかな」
「お城に近いし、港もあるし」
「じゃあここにしようよ」
「そうしよ、そうしよ」
なかなかの賑わいを見せるこの港町は、もともと漁村だったところである。
今の殿様がこの地に配されてから、九州や四国の特産物を扱い始め、
貿易港として莫大な利益を上げるようになった。
さて、美貴はふらりとこの町にやってきて、みすぼらしい長屋に住み着いていた。
朝方はぼおっと長屋にこもり、昼を過ぎてから街角に立った。
山側には、三層の天守閣がそびえているのが見える。
仕事を終えた職人たちや遊びに飢えた子供たちが集まってくる。
美貴は大きな人形を取り出して、右手で支えた。
「こんにちは」
「やあ。こんにちは。あたしはなっちって言うんだよ……」
美貴は腹話術を操る旅芸人だった。
まったく異なる声色を出してみせたので、見物人は喜んで銅銭を投げ与えた。
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:54
- 美貴の住む長屋には、魚屋の娘である真希と、傘屋の娘である梨華がいた。
同じような年頃だったので、すぐに仲良くなっていた。
その真希が、美貴に相談事を持ちかけてきた。
見ると、真希の左手の小指は第二関節から先がなかった。
「どうしたの、これ?」
「実はね……」
近くにひとみという、大工の娘が住んでいた。
大きな目の玉が印象的な女性で、美貴も何度か話をしたことがある。
(真希や梨華は「よっすぃ」、美貴は「よっちゃんさん」と呼んでいる。
死んだひとみの父親が「吉澤組」という屋号を立てていたからだ)
ひとみの両親はすでに死んでいたのだが、気にするふうもなく明るく振る舞っていて、
長屋では人気者だった。
真希はもちろん女なのだが、このひとみに惚れてしまったのだ。
真希はひとみを町外れの橋に呼び出すと、木箱を渡した。
「小指を渡したのね」
遊女が好いた客に、その証しとして切り落とした小指を渡していた風習が、
町人の娘が真似をして広まっていた。
注意すべきは、小指を切るときに部屋の障子を締め切っておくことで、
そうしないと大事な小指がどこかに飛んでいってしまうからだ。
ひとみは驚いた顔を見せたが、黙ってその木箱を受け取った。
翌朝、真希の長屋に現れたひとみは、同じような木箱を真希に渡してきた。
ふたを開けると、袱紗の上に白く細い小指が乗っていた。
ひとみは左手を目の前に掲げた。小指の先がなかった。
「よっすぃ……」
真希はひとみの胸の中に飛び込んだ。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:55
- ところがである。
その日、真希は長屋で妙な光景を目にした。
梨華が後生大事に木箱を抱きかかえている。
その左手には小指がなかった。
梨華も密かにひとみに好意を寄せていることを、真希は知っていた。
「よっちゃんさんの小指が、本当はどっちなのか知りたいんだね」
真希は小さくうなずいた。
「さてさて、どういうことになるのやら」
美貴の右手にある人形の口が動いた。
「ちょっと困ったことになっちゃったね」
「こうでしょ。梨華ちゃんのが真希ちゃんので、真希ちゃんのが梨華ちゃんの」
美貴は頭をかいた。
「多分そういうことなんだろうね」
つまり、ひとみは梨華の小指を受け取るとそれを真希に渡し、
真希の小指を梨華に渡して、さも自分の指であるかのように振舞ったのだろう。
「確かめてみよ」
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:55
- 美貴はひとみの住む長屋に向かった。もう夜が更けている。
ガラリと戸が開いて、ひとみが姿を現した。
「あ、ミキティじゃない。どうしたの?」
「ちょっと、こっち来て」
美貴は、長屋の外れにある井戸にまで、ひとみを引っぱっていった。
その際、ひとみの左手を握った。小指はついている。
「あのね、よっちゃんさん……」
美貴は言葉の続きを出せなかった。
ひとみが不思議そうな顔をして、美貴をのぞきこんだ。
白い顔が月に映える。
「よっちゃんさん……」
美貴は逃げるように立ち去った。
美貴は障子をしっかり閉めた。
包丁を念入りに研ぐと、まな板の上に左手を乗せる。
左手を軽く握り、小指だけを伸ばした。
一度包丁の刃を小指に当て、それから思い切り振り下ろした。
小指がポーンと弾み、障子に赤い斑点を残して跳ね返った。
「おーい、美貴……」
美貴は左手に軽く布を巻きつけると、小指を絹に包んで長屋を飛び出した。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:56
- 翌日、美貴は木箱を神棚の上に置いた。中にはひとみの小指が入っている。
「よっちゃんさん……」
美貴は胸が潰れる思いだった。
昨晩、美貴がひとみに絹の包みを渡すと、ひとみは大きくうなずいた。
父親の遺品である脇差しを持ってきて、自分の小指を斬り落とした。
美貴はひとみの背中から抱きついた。
「……やれやれ」
美貴は、午前中ひとみに長屋に行き、午後は街角に立ち芸で稼ぐ生活を続けた。
ひとみの長屋を出るとき、真希や梨華とすれ違うことが度々あった。
「そろそろ稼ぎも悪くなってきたよ」
「関係ないじゃない、そんなこと」
深いため息が漏れた。
そこに真希が飛び込んできた。
「たいへん! 梨華ちゃんが……」
真希の話では、梨華がこの国を治める三家老の一つに盗みに入り、
見つかって斬られてしまったというのである。
「どうしてそんな……とりあえず行ってみよう!」
家老の屋敷近くには、侍たちがものものしく警護していて、近寄れなかった。
遠目で様子を探ると、門前に血の池が見てとれた。
「あそこで斬られちゃったんだ……」
どこかで、かすかに鈴の音がリンと響いた。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:56
- 翌日には、真希の姿が見えなくなってしまった。
真希の親族が商売を投げ捨てて探しまわったが、行方は杳として知れなかった。
「おーい、そろそろ……」
「うるさいなあ」
美貴は神棚から木箱を下ろした。生気のない白い小指をそっとつまんだ。
「ちょっと……」
じっと見つめ、彼女はそれを軽く唇に当てた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:57
- 陽はまだ高かった。
「出会え、出会え! 曲者だ!」
「屋根だ、屋根にいるぞ!」
美貴は屋根を蹴ると、塀を越えて誰もいない道を走っていった。
肩の辺りから血が流れている。
追っ手を振り切ると、廃寺の境内で腰を下ろした。
右手に握られた、少し大きめの鈴がチリンと鳴った。
「持ってきたんだね。それを渡して」
美貴が振り向くと、ひとみが微笑して立っていた。
言われるがままに鈴を渡すと、ひとみはもう二つの鈴を取り出した。
「それって……」
「この鈴は三つ揃わないと意味がないんだ」
ひとみは全ての鈴を金鎚で砕いた。中から折りたたまれた三枚の紙が出てきた。
「この紙は割符。ここの藩が抜け荷をやるときのね」
抜け荷とは、密貿易のことである。幕府に黙って西洋の商人と貿易をしているのだ。
「そんなもの手に入れて、どうするつもり?」
「お父さんは密貿易の様子を偶然見ちゃって、家老たちに殺されたんだ。
これを江戸に持っていって直訴すれば、この藩は潰れる。仇を討つんだ」
「直訴だなんて、直訴したほうも捕まって殺されちゃうんだよ」
「覚悟してる」
美貴には気になることがあった。
彼女は、あの小指を唇に当ててからこの境内にやって来るまでの記憶がなかった。
「それは傀儡の術」
「傀儡……」
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:57
- ひとみの使った傀儡の術とは、後催眠による暗示のことだろう。
催眠状態がもっとも深い状態で、後催眠暗示をかけることができる。
催眠中に「家老宅から鈴を盗め」と暗示をかけられると、意識せずそれを行ってしまう。
ただし、暗示された内容が実行されるには、何らかの合図が必要だった。
「もしかして、あの小指が……」
「わたしの小指を唇に当てた時に鈴を盗むよう、暗示をかけたんだ」
真希たちは暗示に従って鈴を盗み、ひとみに渡した後、侍たちに殺されてしまったのだろう。
「そんなことを、真希ちゃんや梨華ちゃんに!」
美貴はここで気づいた。ひとみの左手の小指があることに。
「これ? わたしの小指はね、トカゲの尻尾のように、しばらくするとまた生えてくるんだ」
ひとみに恋心を抱く真希たちは、必ず切り取られた小指に接吻するだろう。
それを利用して後催眠をかけたのだった。
「許せない。よっちゃんさんはみんなの心を踏みにじったんだよ!
よっちゃんさんが真希ちゃんたちを殺したみたいなもんだ!」
「それで? どうするつもり?」
美貴は隠し持っていた短刀を抜いた。斬った追っ手の血のりがまだ付いている。
「わたしは、くのいちだったお母さんから傀儡の術とこの体質を受け継いだ」
ひとみは忍者刀を美貴に向けた。美貴も身構えるが、肩の痛みが激しくなった。
「そんな体じゃ無理だよ。傀儡の術が解けた直後は、頭がもうろうとして
体がいうこときかないし。でも、いっそのこと、一思いに……」
美貴の視界からひとみの姿が消えた。
ひとみはやすやすと美貴の背後に回り、忍者刀を突き出そうとした。
「な……に?」
ひとみは、美貴の後頭部の髪の向こうに、怪しく光る物を見つけてぎょっとした。
それはぎょろぎょろと瞬き、ひとみを見つめた。
ひとみはほんのわずかな間、気勢をそがれた。
「やっ!」
美貴はこの隙を見逃さなかった。乱暴に自分の体を横に倒し、
半回転して短刀を投げつけた。刀はひとみのわき腹に突き刺さった。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:57
- 「よっちゃんさん……」
「よっちゃんは私の顔に気づいて驚いたみたいだね」
美貴が体を倒したとき、美貴のカツラはするりと落ちていた。
つるつるの後頭部に、にこやかに微笑んでいるもう一つの顔があった。
美貴は腹話術を操っていたのではなかった。
美貴の頭についているもう一つの顔が声を出していたのだ。
「用心して、なっちが小指に接吻しといてよかった」
暗示は美貴ではなく、もう一つの顔──なつみがかかったのだった。
なつみは体がないのであるから、暗示されたことを行いようもない。
なつみが「鈴を盗まねば」とうわ言のようにくり返すのを聞いて、美貴はすべてを悟った。
美貴は暗示にかかっていないのだから、油断しているひとみに殺されずにすんだ。
「美貴ちゃん。さあ、早く鈴──割り符を」
美貴はひとみの死体から、言われるがままに三つの鈴と割り符を取った。
「大目付様が待ってるから、早く江戸に戻ろ」
暗示にかかっていない美貴が、なぜ家老宅から鈴を盗んだのか。
美貴(となつみ)は、大目付に命じられて抜け荷の証拠を探りにきた隠密だった。
最初から鈴の中味が目的で、この地にやってきたのだ。
「労せずして割り符が手に入ったのだからついてるよ。この藩は改易だね」
美貴はなつみを無視して、カツラをかぶると、ひとみの忍者刀を握った。
その刀で、ひとみの左手の小指を斬り落とした。
「さよなら、よっちゃんさん」
美貴は小指を布に包んで懐に入れると、東に向けて駆け出した。
体が揺れるたびに、鈴がチリンと鳴った。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:58
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- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:58
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- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/10/01(金) 22:59
- ノノノ从ヽ
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