30 ナルキッソスの少女
- 1 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:04
- 30 ナルキッソスの少女
- 2 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:05
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空は、泥水をかき混ぜたような重苦しい黒雲に覆われていた。
わたしの心も空と同様に、暗く沈んでいた。
この場所に来るといつだってそうだ。
どんなに空が青く晴れ渡っていても、どんなに風が薫っていても、目の前の
門柱を潜り抜けると全てが一変してしまう。
景色は色を失い、音は止み、まるでコールタールの海を泳いでいるような感
触が皮膚に伝わる。
そんなに嫌なら来なければいい。彼女はいつもわたしにそう言う。
その通りだと思う。
それが、わたしにとっての学校と言う場所だった。
- 3 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:06
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教室のドアを開ける。
研ぎ澄まされたナイフのような視線が、どしゃ降りの雨のように襲いかかった。
いつものことだ、そう思いながら自分の席へと向かう。しかし、わたしの席だ
ったそれは、どこからか持ち込まれた生ゴミや何やらに塗れて得体の知れない
何かに変わっていた。
頭にかっと熱いものが昇ってきて、それを抑えるために強く下唇を噛んだ。そ
うだ、ここでわたしが声を張り上げて怒ってみたところで何も変わらないのだ。
熱が体の下方へと下がるのを確認してから、生ゴミを手で払いのけようとした。
- 4 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:07
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「何やってんだよ、ミチシゲ」
低く、冷たい声がした。
それをきっかけに、複数の罵倒が聞こえてくる。
条件反射とは恐ろしいもので、その声を聞いただけでわたしの心は縮みあ
がってしまった。
- 5 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:08
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「え、だってこれじゃ座れないから…」
声は震えていたけれど、ごく当たり前のことを言ったつもりだった。それで
も彼女たちの前では、わたしの中の常識は何の意味すら持たなくて。
「うっせえなあ、いいから座れよ。ばーか」
「ゴミにはゴミがお似合いなんだよ」
「キャハハ、それ言えてる」
- 6 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:09
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一人が立ちあがり、わたしに近づいて来た。
「いいから座れよ!」
腕を強引に掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。
もう一人がやはり汚物塗れの椅子を引き、そこにわたしを座らせようとした。
「ちょっと、やめ…」
必死に抵抗したけれど、足の部分を思いきり蹴られて、身を屈めた隙に一気
に体を抑えつけられた。
お尻の部分が汚物を押し潰し、ぐちゃっ、という嫌な音が聞こえた。
机から、椅子から爛れた、酸っぱい、不快な臭いが漂い鼻をつく。机の上に
塗された生ゴミに埋もれた、頭だけになった魚と目が合い、思わず吐きそう
になった。
- 7 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:10
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「ははは、よく似合ってるよ!」
一人が腹を抱えて笑い出す。別の誰かが、近所のどぶ川から掬ってきたのだろう、
バケツに入った汚水をわたしにぶち撒けた。
視界は一瞬黒に変わり、それを懸命に手で拭うと濡れた前髪の先から汚れた雫が
ぽたぽたと落ちてきた。
それをピークに、場がどっと湧きあがる。周りから、ありとあらゆるものが投げ
つけられた。小石、どこかから拾ってきた空き缶、中には使用済みの生理用品な
んてものもあった。彼女たちは、自分たちの嬌声や行為に興奮し、さらなる狂乱
を齎していた。
- 8 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:11
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教室のドアが、勢い良く開かれる。
それまではしゃいでいた彼女たちは嘘の様に大人しくなり、教師の前で
大人しい生徒を演じていた。
せんせーい、道重さんが教室を汚しますー。誰かが挙手して、そんなこ
とを言った。
教師はまるで汚らしいものを見るような視線を投げかけ、言った。
「何をやってるんだお前は、さっさと片付けろ。臭くてかなわんよ」
わたしは、無言で教室の外に出た。
- 9 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:12
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ありがたいことに外はどしゃ降りの雨で、体に付着していた泥水やら生ゴミ
やらを洗い流してくれた。
ほーら、だから言わんこっちゃない。彼女はきっと呆れた顔をして笑うだろう。
そうだ、今日は久しぶりに彼女に会いに行こう。
弾けたように、走り始めた。
ぱしゃぱしゃと、水溜りが跳ねる音が聞こえた。
- 10 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:13
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多分、きっかけはつまらないことだったんだと思う。
いつの間にか、わたしはクラスの最底辺の地位に落とされた。
まずは無視から始まり、靴に画鋲を仕込まれる、教科書を黒く塗り潰され
るなどのお決まりの過程を経て現在に至っている。
抜け出す術など、どこにもなかった。
そんな時に、わたしは彼女にはじめて会ったのだった。
- 11 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:14
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家に帰ると、母親が待ち構える様にして立っていた。
「さゆみ、先生から聞いたわよ。今日もまた授業を途中で抜けだしてきたのね」
この人に本当のことを話さなくなったのは、いつからだろうか。彼女もまた、
あの子たちや教師と一緒だということに気付いた時からだろうか。
この人は、わたしが学校に行ってくれさえいれば、それでいいのだ。学校で何
が起きていようと、一向に構わない。
この子が全部悪いことにすればいい。そうすれば、何もかもが上手くいく。
わたしを見る目がそう語っているような気がして、何も言わずに二階に上がった。
下のほうで兄の声がした。今日は大学が休講だったのだろうか。
わたしと違って優秀な兄。優秀じゃないわたしは、この家では不要な存在に過ぎ
なかった。
それでも構わない。今なら、はっきりとそう言える。
- 12 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:15
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彼女と最初に出会ったのは、ほんの三ヶ月前。
わたしが思いの丈をぶちまけているのにも関わらず、彼女は微笑みながら
話を聞き続けていた。
そして、愚痴が嗚咽に変わってしばらくして、こう言ってくれた。
「大丈夫。わたしは、さゆみの味方だから」
その暖かい言葉は、わたしにどれだけの勇気をくれたことか。
そして彼女は、わたしの唯一の友達になった。
- 13 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:16
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お気に入りの服を着て、大好きなピンクの傘を差して家を出た。彼女に
会いにいくためだ。
空は相変わらず鉛色に潰されていたけれど、気持ちは高揚していた。
雨靴が水を弾く音。
規則正しく刻み続ける心臓の音。
傘の上で雨粒が、跳ねる音。
彼女がいるから、わたしがいる。
この考えは、もう揺るぎ無いものになっていた。
- 14 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:17
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人も滅多に寄りつかない、雑木林。
聞こえてくるのは、ぽそぽそと葉を叩く雨音、それと土を踏み鳴らす音だけ。
奥に向かって先に進む。
時折強くなったり、弱くなったりする雨足。
不意に頬を打つ雨粒、だけどそんなものがすぐに乾いてしまうんじゃないか
と思うほど、頬が紅潮していた。
そして辿りついた、林の一番奥。
そこに、彼女はいた。
雨に濡れないように、傘を斜めに立てかけてからその下へと潜り込む。目と
鼻の先は小さな池になっていて、ちょうどしゃがみながら水面を覗き込むよ
うな格好だ。
「遅かったね、さゆみ」
彼女がわたしに、話しかける。
「うん、ちょっと着替えるのに時間がかかったから」
そう言うと、彼女は柔らかく微笑んだ。
- 15 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:18
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わたしたちはいつも、色んな話をした。
その日あったこと、好きな食べ物、かわいいなって思ってるもの。話は尽き
なかった。
驚くことに、わたしたちはとてもよく似ていた。
ただ一つだけ違っていたのは、彼女が今幸せであるということだけだった。
楽しい学校での生活、優しいお母さん。
その話を聞くたびに、わたしは羨望の眼差しを彼女に向けた。
- 16 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:22
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そして今日も、わたしは思ったこと、感じたことを彼女に洗いざらい話
していた。
学校にも家にも、居場所のないわたし。
何てかわいそうなんだろう、そう思いながら。
彼女は黙ってわたしの話を聞いていた。そして、話が止むのを見計らっ
て、こんなことを言い出した。
- 17 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:24
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「ねえ、そんなにそっちが嫌なら…こっちに、来ない?」
「えっ、いいの?」
驚くわたしを他所に、彼女は無言のまま、頷く。
「こっちは、さゆみが悩むことなんてなにもない。さゆみを苦しめるもの
なんて、何ひとつないんだよ」
学校での酷いいじめに耐え続けたり、母親の目を気にする必要のない世界。
そのことだけで、彼女のいる世界は魅力的なように思えた。
澄んだ池の水は、輝かしい未来をそのまま映しているようにさえ感じられた。
彼女が、笑顔で手を差し伸べる。
ゆっくりと、彼女の手を取ろうとした。
- 18 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:26
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腕を中心として、水面にいくつもの輪が描かれた。
そして。
冷たい感触が、腕を覆う。
その冷たさが、わたしを我に帰した。
本当に、馬鹿げたことだと思う。
彼女、なんて本当は存在しないんだ。
目の前にいるのは、水面に映るわたし自身。
水面が風に揺れて、微笑んだりしている様に見えただけ。
全ては、わたしの想像の産物に過ぎないのだった。
- 19 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:26
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彼女はわたしが作り出した、理想のわたし。
かわいくて、みんなに人気があって、誰からも可愛がられる存在。
でも、そんなものはこの世には存在しない。
今この腕を振りまわせば、あっという間に散ってしまう、儚いもの。
- 20 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:28
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「勝手なこと、言わないでよ」
そんな声が聞こえて来たのと、水に浸けた腕が何かに掴まれるのは、ほぼ
同時だった。
ぐいぐいとわたしを、水の中に引き摺り込もうとする何か。
何で? どうして?
そんな問いかけをしたところで、強い力は収まりそうにもなかった。
「あんたはこの世界じゃやってけない。でも、わたしなら上手くやれる」
「そんな…わたし、まだ、死」
- 21 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:29
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踏ん張っていた足の力が、抜けた。折りからの雨でぬかるんでいた地面に、
足を滑らせたみたいだった。
わたしの体は宙を舞い、眼前に迫る水面。
数え切れないくらいの泡とともに、水面を突き抜けた。
水の中は外から覗いていた時と違い、濁っていて視界が悪かった。
僅かな光が、水面の上の人物を映す。彼女は、わたしの置いたピンク色の傘
を拾い上げ、こう言った。
「じゃあね。あんたにはそっちの世界の方が、お似合いかもね」
- 22 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:29
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ゆっくりと体が沈んでゆくのを感じながら、わたしは瞳を閉じる。
彼女の言う通りなのかもしれない。
ならば、受け入れよう。
光の届かない、闇の世界を。
そこはきっと、彼女の言う通りわたしのことを悩ませるものなど、何一つ
ないのだろうから。
- 23 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:30
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こぽこぽと昇ってゆく泡の音。
水を掻き分けるような音。
それらが、徐々に聞こえなくなってくる。
今までに感じたどんな孤独よりも昏く、どんな静寂より深かった。
そして規則正しい心臓の音が完全に止まると、わたしの視界は混じり気の無い闇に覆われた。
- 24 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:31
- 从*・ 。.・从
- 25 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:31
- 从*・ 。.・从
- 26 名前:30 ナルキッソスの少女 投稿日:2004/09/30(木) 18:32
- 从*・ 。.・从
- 27 名前:Max 投稿日:Over Max Thread
- このスレッドは最大記事数を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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