28 ディスタンス

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:52
28 ディスタンス
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:54

ライブが終わった。

新幹線に乗り込む。
二時間と少しの、鬱陶しい移動。
風音が無遠慮に圧迫してくるから、新幹線は好きじゃない。

売店で買ったばかりの雑誌を開く。
リクライニングを倒し、前の座席に足をつっかけて、緩く脱力した。

「ここ、座っていい?」
石川梨華の声だ。
私は何も反応を示さず、ただ雑誌に視線を落としている。
何を言おうと言わまいと、彼女はここに座る。
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:54
いつ以来だろう、石川が私の隣に座るのは。
私と石川がいつも一緒にいた頃は、先輩が六人いて、後輩はいなかった。
今は同期が二人減り、先輩が二人、後輩が八人いる。

「座っちゃったよ?」
私は、次に来るだろう、いいでしょ? が来る前に声を出して頷いた。
甘い声から繰り出される二言目は、彼女の強気がそのまま出てくるから、あまり聞きたくなかった。
いつの間にか、新幹線は発車していた。

何も言わずに隣り合って座っている。
私は淡々と雑誌をめくり、石川は目を閉じ腕を組んでMDを聞いていた。
イヤホンから洩れた音が微かに聞こえてきそうな気もするが、
それは車内に反響するメンバーの潜めた声にかき消される。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:55

不意に石川が私の左腕を掴み、冗談めかして、言った。
「ねぇ、よっすぃ、この左腕はまだわたしのもの?」

ヒダリウデハワタシノモノ──

言葉が像を結ぶ前に、回想のようなイメージが閃光となって世界を真白く覆った。
現実が遠くなり、いくつもの映像が瞼の裏を突き刺しては消えていく。
細胞という細胞がざわめき、鼓動が握りつぶされたように狭く高鳴る。

目を閉じて唾を飲み、ゆっくり息を吐いて、どうにか均衡を保とうとする。
石川梨華は首を傾げて私を見つめている。
「よっすぃ? 私、眠いの。寄りかかっちゃうかもしれないけど、いい?」
三年位前まで時間が瞬間的に遡った気がした。
それくらい、あの頃のままの口調、声色だった。

「いいよ、私は大丈夫だから」

石川は少しやつれて色味のない頬を綻ばせた。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:57

新幹線は風を引っ掻きながら、夜を切り裂いていく。
黒く潰された車窓には、痩せて顎のラインがはっきりした私。
その向こうには、窮屈そうに身を縮めた石川が見える。

私は雑誌を放り投げ、強張った背筋の力を抜く。
目を閉じ、足早に流れては消えていくひとつを掴まえた。

6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:57
 
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:57

娘。に入って半年にも満たない頃だ。
梨華ちゃんが酷く滅入っていた時期があった。
それは私も同じことだったけど、梨華ちゃんのそれは比にならないほどだった。

思い返してみると、今なら気にも留めないような些細なミスばかりだった。
でも、あの頃の私たちにとっては大事だった。

夏の初めだったか、終わりだったか、とにかく異様に暑い日の野外ライブだった。
強烈な陽射しが視界を撓ませ、ライトの熱と観客の声が世界が歪ませているようだった。
私たち新メンバーだけではなく、みんな精彩を欠いていた。
そして、私たちはそれ以上にミスが多かった。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:58

その日の夜、梨華ちゃんはどうしようもなく落ち込んでいた。
背中を丸め、ベッドの隅に腰掛けていた。
膝に置いた拳を握り締め、涙をためて下を向いていた。

私は梨華ちゃんの視界の端に入る位置に座り、小さく頷いた。
梨華ちゃんはそれを待っていたように、ぽつりぽつりと声を搾り出した。
「わたし、最近ね、死をイメージするの」
弱く笑い、言葉をぼやかした。
「死をイメージできないと、今、こうやって生きていることが曖昧になっちゃうのよ」
そっと私を窺い、意識が自分に向いていることを確認すると、話を続けた。
「自分を殺してみるの」
右手で銃を形作ると目を閉じ、大きく息を吸いこむ。
そして、人差し指をこめかみに当てた。
「こうやってね、指の感覚をしっかり焼きつけるの。銃口だと思って」
ゆっくりと人差し指を外し、緩く曲げる。
「今、引き金に指が掛かって……」
吸う息が、凍えてしまいそうだった。

 ばん!──

ぞっとするくらい、暗く響いた。

9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:58

梨華ちゃんは怯えたように華奢な肩を震わせ、私の言葉を待った。
「死にたいの?」
梨華ちゃんは首を振った。
「生きたいのよ」

「ねぇ、ひとみちゃん、もう逃げ場所はないんだよ、わたしたち」
「そんなことないよ」
「日本にいる人の多くは、わたしたちのことを知ってる。ここで辞めたら、話題になって、また知名度が上がる」
沈鬱の上に絶望を重ねたような表情で、そう言った。
「生きていくには、モーニング娘。でやっていくしかない、もう、元には戻れない」
もう一度銃を作り、撃った。
「ばーん」
天井を向いて倒れ、ベッドに体を弾ませた。
顔だけ私を向き、壊れたような笑顔を見せた。
「それで死ねたの?」
「うん」
「生きてるって、わかった?」
「わかった」
「すっきりした?」
「した」
「本当に?」
「うそ」
笑うしかなかったから、笑った。
梨華ちゃんは、そんなような顔をしていた。
「おいで」
私は小さく手を広げた。

梨華ちゃんは跳ねるようにして私のところまで来て、左腕にしがみついた。
「ひとみちゃんの体温のほうが、生きてることを感じられる」
そして、ねだるように、上目使いで言った。
「ちょうだい? ひとみちゃんの、左腕」
「いいよ、この左腕、梨華ちゃんにあげる」
梨華ちゃんは本当に嬉しそうに、手に入れたばかりの左腕に頬ずりし、大事そうに抱きしめた──


10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:58
 
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 03:59

雨が降っている。
濡れた感触が車内に透き通る。
石川がもぞもぞと体勢を変えた。
静寂と、耳鳴りのように篭る風音。

「ねぇ」
「なに?」
石川は目を閉じたまま、口だけを動かす。
「この左腕、まだ梨華ちゃんのものだよ」
「なにそれ」
「言ってみただけ」
左腕に、石川の腕が巻きついてきた。
私はその手を取り、つよく強く握り締めた。


12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/30(木) 04:02







 

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