6 塀の上レール

1 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/25(土) 14:49
6 塀の上レール
2 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:49
「おばけ屋敷なんて無理!」

次の仕事が決まったその日の夜、桃子から電話がかかってきた。
佐紀は風呂上りの濡れた髪を無造作に拭きながら、
うんうんそうだねでも仕事だからね、と宥めるが、何となく無駄な抵抗
のような気がしている。
そしてそれはその通りだった。

「やだやだ怖いよ!私絶対行かないから!」
「そうも行かないです」
「やーだーよーぉ」

…受話器の向こうはしなを作って半泣き状態なんだろうな、
なんてことをぼんやり考えた。

「佐紀ちゃん怖くないの?」
「…怖いに決まってるよ」

何を隠そう私だっておばけは怖いし苦手なものの一つなんだ。

「怖いよね!しかもさ、あの建物の中からして怖くて駄目なんだもん。
 お墓とか」
「暗くて不気味なのが嫌だよね」
「そうそうそうなんだよー」
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/25(土) 14:50
普段から高い声が一層高くなったあたり本気でそう思っているらしい。
佐紀は、ここはキャプテンらしく何か一計を案じた方が良いかと
考えを巡らす。
…と言えば聞こえは良いが実際は、自分も怖いから
どうにかしたいという思いが強かったのは言うまでもない。
そこで暗くて不気味、というキーワードを頭の中で数回繰り返したら、
ある古い記憶に行き当たった。

「桃ちゃん、うちの近所にそれっぽい洋館があるんだけど」
「そこおばけ出る?」

唐突な言葉にもかかわらず、桃子はすぐ返事をしてきた。
自分は時々言葉が足りないと指摘されることがあるのだが、
おしゃべり好きな桃子とは余りそう言ったもどかしさを感じたことがない。

「昔探検に行った時は出なかったよ。でも暗くて不気味だった」
「それって不法侵入?って言うんじゃないの」
「そうだけど…」

そんな当たり前だが重要なところを突っ込まれると
根が真面目な佐紀は口篭もってしまうのだが

「でも感じを掴むのにはいいかもしれない。佐紀ちゃん連れてって?」

桃子はあっさりと答えを出して、また佐紀の中に生まれそうだった
もどかしさを打ち消してくれた。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/25(土) 14:50
その洋館は佐紀が生まれるずっと前から人が住んでいなかったそうだ。
外観は二人の先輩たちがドラマで本物の幽霊に出逢った、あの屋敷
そっくりで、違いと言えば庭先の雑草たちが佐紀の腰あたりまで
伸び放題になっていたり、洋館の周囲を囲む木々の深緑具合が黒に近いほど
の密度で、手前に門が無ければちょっとした森の中に入り込んでしまった
のではと錯覚してしまいそうだった。

施錠された門の黒い柵はすっかり錆付いていて、握るとチクチクした。
佐紀は躊躇せずにそれを両手に握り、前後左右に揺さぶってみる。
当然びくともしない。

その手を離したら掌には柵の太さ分くっきり赤い痕と、胡麻粒みたいな
剥げ落ちたペンキがまばらに散っている。

「あー汚れちゃったね、待っててハンカチ出す…」
「いや、いいよ」

桃子が鞄のファスナーに手をかける前に佐紀はそれを制して、
服の裾にその手を擦りつけて汚れを落とす。
そのあたりは頓着しない性格だった。
そうしてから、柵の奥の洋館を改めて眺め、少し落胆した。

ほんの数年前なら、この柵と柵の間の隙間をやすやすと
通って奥へと行けたのだ。
周りを見たら自分は明らかに発育が遅いのに、こういうところで、
それでも自分は確実に年を重ねて体だって大きくなっているのだ
ということに気付かされて。
時間を止めた洋館を前に。
5 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:51
「これじゃ入れそうも無いね。流石に堂々と柵を乗り越えて
 入るわけにもいかないし…」
「昔はこのぼっことぼっこの隙間を通って中に入れたんだけどね」
「今は無理だよ。でも、やっぱりちょっとほっとした〜…」

隣で桃子が胸を撫で下ろした。
…いつのまにか少し見上げないと表情を伺えなくなっていた彼女。
同時にキッズに選ばれてZYXでも一緒で今もまた同じユニットで学年も一緒。
同条件はこれだけ揃っているのに、持っているものの違いと
言ったらどうしたものだろう。
Berryzのスタメンに選ばれてからは怒涛の日々で必死になっていたから
(勿論今だってそうだけれど)気付くのに遅れてしまったのだが、
『キッズの嗣永桃子』であった彼女は、早くも『Berryz工房の嗣永桃子』を
作り上げつつあった。
でも佐紀の隣に居る時の桃子は、いつもどおりすぎて。
自分が見上げないと表情が伺えなくなったと知った時、同時に
彼女の目線も目標も高くなっていたことにすぐ気付かなかった。

『成長』っていう名前の上り坂があるとして
きっと桃子のそれは自分のより角度が急なんだ。

それじゃあ
桃ちゃんが今見てる世界は自分に比べてどのくらい広いんだろうか。

佐紀は突然思い立って、体は洋館の方を向いたまま後ろに数歩、歩いた。
6 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:52
「佐紀ちゃん?」

当然不思議がって柵の前で振り返る桃子。無視する佐紀。

三歩くらいで立ち止まって、改めて洋館を見た。
洋館は視界にすっぽりと収まっていた。

そうか、全部見えるんだね。
何だか悔しいなあ。

「ねえ桃ちゃん」

背後から声をかけた。

「帰る?」

すぐ尋ねられる。

「高いところ好き?」
「たかいところ?あんまり高いのは駄目かな。なんで?」

数歩下がって改めて視界に入った、柵の両脇から始まっている
コンクリートの塀。
柵の高さより少し低い位置にあるが、それでも高さは一メートルくらいある。
佐紀は
今より少しでも高いところへ行きたいと思った。

「あの塀の上、歩いてみない?」
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/09/25(土) 14:52


雅や梨沙子あたりならはしゃぎまくって危険を顧みず
この上を駆け足で進もうとするんだろうな。

塀の上は幅が割と広めで、それは自分が小さいからかも
しれないが、塀に沿って両足を揃えてみてもまだ両端の間隔に
一センチずつくらいの余裕があった。
歩いてみないかと提案しつつ、佐紀は桃子の返事を待たずに
塀の隙間に足をかけて昇り、その上に立っていた。
一瞬でもいいから彼女より上の目線をすぐに知りたくて
衝動的に取った行動だった。

「えーちょっと、佐紀ちゃん?!」
「はじっこまで行くよ!」

腕を真っ直ぐ伸ばして塀でできた道の向こう側を指差す。
生い茂った木々の枝と葉に覆われていて奥まで
見通すことが出来ないが。

桃子が見えていない場所を先に見た。
塀の上と言うレールが自分の足元に敷かれている。

奥に伸びるそれは、さあ進んでみろ、と促しているようで。
枝葉が風によって揺れて向こう側にざざあ、と揺れているのは、
ほらこっちだよ、と合図を送っているようで。
そう感じたら、好奇心を刺激された。
8 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:53
「佐紀ちゃん待ってってば!」

斜め下で桃子が叫んでいるがもうとっくに歩き出していた。
流石に足元を見ながらでないと危なっかしくて、それでも、
大きくバランスを崩すことなく順調に仮想レールの
上を進む。

数メートル進んだところで枝葉が眼前に現れた。
しかし遠めに見て密と感じたそれはこうして傍で見ると
至るところから光が漏れている。通れる、と思った。
手近な枝を掴んで手前に引いてみる。
半身が通れるくらいの隙間が出来た。

と、反対側から手が伸びてきて別の枝を掴んだ。
それは上向きに枝を曲げようとしていて、そうすると
全身が通れそうな隙間になりそうだった。

「これなら余裕でしょ」

案の定その手の正体は追いついた桃子だ。
背後からでも自分より高い位置の枝に伸びている腕。
何だか腹立たしい。

「そこまでしなくてもこれだけで充分…」

折角自分だけがこの先の世界を切り拓くことができたのに、
佐紀は意地になって自分が作った隙間に沿ってそこを通ろうと
試みる、が、
9 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:54
「わわっ…」

隙間にあわせて半身をねじった拍子にバランスを崩した。
ねじる時踏み出した足に勢いがつきすぎてそのまま
踏み出した方向へ上半身が流れる。

「佐紀ちゃんっ…!」

枝を掴んでいない方の腕が上空を切った時、間一髪桃子が
その腕を取った。
次の瞬間強く引っ張られる。流れた上半身は反動で
反り返った。
今度は背中から塀のレールを脱線しそうになるが、桃子は
即座に佐紀の腰より少し上の位置に両腕を回し、ガッチリ抱き寄せて
それを止めた。

「……ふー、セーフ…あっぶないな〜…」
「……ご、ごめん……なさい」
「……もー、前しか見てないんだから、キャプテンは」

グサリ、と鈍い音が胸元で。

「……って、
 ……だってしょうがないじゃん!」
「え?」
10 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:55
背が小さくて目線が低いんだから
前ばっかり見ちゃうのはしょうがないじゃん。
君より広い視野が無いんだから見えるところをじっくり見て
そこから自分だけに見えること
そこから自分のできること
そういうものを必死になって見つけ出して
足りないものを補おうと頑張っているのに。

「がんばってるのに!桃ちゃんズルイよ、気付いたら違うもの発見して
 伸ばしていって…っ」
「……佐紀ちゃん……泣いてるの?」

……違う、断じて違う。
佐紀は頬を流れている水分が吹き飛ぶくらい懸命に首を横に振った。
泣いてるんじゃない、涙が出るだけだ。

「わたし、は、今持ってるもの…っだけでしか、がんばれないのに…」
「…あるもので頑張れるだけいいんじゃん」

抱きしめられた両腕は暖かかったが、
桃子の声は冷たく感じた。

「歌しかないんだ、一個しかないんだ…それだけなんだもん…!」

…中学生になったばかりのある日
英語の授業で出てきた単語。



【only】

『ただそれだけ』


11 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:55
ますます涙が止まらなくなった。
相変わらず自分は抱きしめられたままで身動きができないが、
それ以前に感情の揺さぶりが大きすぎて体が硬直している。
握り締めたままの枝が折れそうだ。

しばらくして
そんな佐紀の頭を、桃子が優しく撫でた。

「佐紀ちゃん?」
「っ、……ぅ………ふぇ………」

佐紀の口から嗚咽しか出てこないのを理解した桃子は
静かに語りかける。

「ねえ、私はそういう佐紀ちゃんが羨ましいんだけどな」

羨ましい?何を言っているんだろう。
しかし言葉にはならない。

「だってほら、もともとは私達歌手でしょ?そのはずなのに、
 歌以外で自分を見せなきゃいけないって思っちゃうんだよ」

「そりゃ歌だけじゃなくてダンスだって重要だけど、私は
 それも駄目な方だから。それ以外のなにかで自分を表現しなきゃ
 いけないんだよ」

「佐紀ちゃんは最初から歌で勝負してて、ずっとそれを通してる。
 …すごく羨ましい」
12 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:56
私はそういうまっすぐな佐紀ちゃんが好きだな。
自分にはできないよ。
できればずっと
そのままで居て欲しいと思う。

「まっすぐで居続けるってきっとすごく大変なことなんだから」

今自分たちが居るこの塀の上も
まっすぐに見えてよくよく見ればところどころ欠けているし、
ところどころ歪んでいる。

「………」

佐紀の中ではずっと、一つのことしか続けられない自分は
不器用だという思い込みがあったが。
それはそれですごいことなのだと桃子は笑った。

密着した桃子から発せられる明るい笑い声を感じて、
固くなった体が弛緩する。

佐紀はやがて、泣き止んだ。
そうしてやっと桃子は佐紀を解放したが、今度は佐紀の方が
桃子の手を握ったまま離そうとしなかった。

「……桃ちゃんごめんね、ありがとう」
「ううん?…進む?戻る?」
「………桃ちゃんはどうしたい?」

そうだね、桃子は少し考える素振りを見せた。
13 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:56
「枝で隠れて見えないけど、きっとこの塀の先ってそんなに
 長くはないよ…」
「それはわたしもそう思ってた」

なぁんだ、桃子は苦笑してから

「じゃあ戻ろっか、結局お化け屋敷の練習にならなかったけど」

手を繋いだままで歩いてきた仮想レールを引き返そうとする。

「待って」
「ん?やっぱり行くの?」
「そうじゃなくて、わざわざ引き返すの面倒だよ。ここから
 飛び降りちゃおう」
「…えー、大丈夫かなあ」

背中を向けていた桃子が横を向いて足元を覗き込んだ。
いつのまにか地面のアスファルトが土に変わっていた。
これなら着地のショックはそれほどないかもしれない。

「大丈夫だよ、せーので行くよ」
「…ちょ、待って!絶対手離さないでね?!」

桃子は急に臆病になっていた。
繋がった手にかなりの力が入ったのがわかり、それが
妙に可笑しくて、思わず笑みがこぼれる。

「何で笑うのー」
「ごめんごめん、うん絶対離さないよ。
 …じゃあ行くよー」

『せーのっ』
14 名前:  投稿日:2004/09/25(土) 14:56
 
15 名前:      投稿日:2004/09/25(土) 14:57
 
16 名前:      投稿日:2004/09/25(土) 14:57
 

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