5 SOUNDLESS SEA

1 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:29
5 SOUNDLESS SEA
2 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:30
ザブンという音と、体に感じる少しの衝撃。
非日常的な空間に入るには、たったそれだけでよかった。
日の光が照らす青色の世界。
視界を遮る水泡がなくなり、私はその世界の住人となる。
背中に背負ったボンベの重みと、体にまとわる水の感覚。
そして、つながれた右手の先にいる、美貴たん。
それら全てが、私を日常から解き放ってくれるものだった。

ゴーグル越しに目が合う。
私は右方向へ人差し指を差した。
手はつないだまま。
私たち二人は、そっちの方向へと泳いでいった。
3 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:30
水の中。
音の無い世界。
唯一聞こえる音は、自分の呼吸音。

その世界を私たちは二人で泳ぎ。
二人で同じ魚を見ては喜んで。
変な形の岩を見て笑って。
いかにも触ると危険と書いてそうな生物を見れば、ビクビクし。

音の無い世界。
それは私たちが同じものを、同じように感じ取れる世界。
決して、空気のある、陸の世界では成しえないことだった。
4 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:31
時計を見ると、すでに潜ってから十分な時間が経っていた。
ボンベの残圧は、まだ余裕があったが、美貴たんの肩を叩いて、人差し指を上に向けた。
シュノーケルを加えてなかったら、美貴たんはきっと口を尖らせていただろう。
代わりにゴーグルの奥の目が、如実に残念さを表していた。
もう一度、私は指を上に向けると、しぶしぶといった具合で、指でオッケー印を作る美貴たん。

だけど、こればっかりはどうしようもない。
少なくとも、私も美貴たんも、こんなところで溺れて死ぬつもりは無いから。

フィンをつけた足を下に、思い切りバタつかせる。
ぐんぐん上に上がっていくと共に、周囲の世界はどんどん明るくなっていく。

そこで、私は足を止め、美貴たんとつないだ手に力をいれ、一度握る。
その合図で美貴たんの足も止まる。
5 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:31
安全停止というものだった。
体の中に溶け込んだ窒素を出すために、浮上前にこうして5分くらい浅い水深でとまること。
それほど深く潜っているわけでもなく、減圧症の心配はまず無かったが、やっておくに越したことは無かった。

美貴たんとつないでいた手が離れる。
その手はすぐに私の肩にまわる。
それから2回、肩を揉むように美貴たんの手が動く。
そして、ウェットスーツ越しに密着する、私と美貴たんの体。
いつものことなので、驚きも抵抗もしない。
加えていたシュノーケルを外し、私たちはキスをした。
漏れ出る口内の空気と置換するように、海水混じりに入ってくる、美貴たんの体温を宿した空気。
むさぼるように唇に覆いかぶさる美貴たんの口。
その隙間から入ってくる海水と共に、私の口内を激しく侵食していく。
不意に吸い込んだ鼻に、勢いよく水が入る。
ツンとした痛みが鼻腔に広がる。
6 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:32
思わず美貴たんの体を離し、シュノーケルを手に取った。
美貴たんは、さっきとは違って、全く残念そうな顔をしない。
逆に、口の端を少しあげ、サディスティックな笑みを浮かべていた。

外にいるときと大違い。
いつもどこか怯えてて。
自信なさげな美貴たんとは大違い。
海中という空間は、人さえ変えてしまう魔法の空間だと、いつも思う。

ゆっくりとぶらりと垂れ下がったシュノーケルを手に取り、口にくわえる。
水抜きを行い、まるで何事も無かったかのように美貴たんは、私の手を握った。

まだ、鼻の奥が痛かった。
5分という時間は、妙に中途半端で。
会話のできないこの空間では、たったの5分がそれなりに退屈なものであった。
だから、あんなことをするようになったのかと聞かれれば、私はノーと答えるだろう。

最初は、ほんのなんでもないことが始まりだった。
どちらが言い出したんだろうか。
仮に「言い出した」のなら、私の方が先であることは間違いないんだけど。
7 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:32
時刻を見ると、5分が経っていた。
私は考えるのを一旦やめ、美貴たんの手をぎゅっと握る。
それを合図に、私たちは再度浮上を開始する。
すぐに波を感じるようになり、それから程なくして私たちは海面にでた。
久々に肌に感じる空気は、心地よく。
だけど、照り付ける日差しはとてもきつくて。
海岸に上がるころには、喉がカラカラだった。

「ジュース買って来るね」

着替えが終わったとき、私は言った。
だけど、それを言う相手には聞こえているわけはない。
美貴たんの肩を叩いてから、ジュースを飲む仕草と、自分が行くというジェスチャーを行う。
美貴たんはオッケーサイン。
「何がいい?」なんて聞くことはしなかった。
好みは頭に入っているつもりだし、仮に聞いたとしたら、意思の疎通が手間なだけだから。
8 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:32
美貴たんは、耳が聞こえない。
それは生まれてからのもので。
そして、それは美貴たんから声をも奪って。
音の無い空間に、美貴たんは生きている。
海から出ても、美貴たんは海の中で生きている。

自動販売機に小銭を入れる。
自分用に紅茶。美貴たん用にコーヒー。
両手に持って小走りで帰る。
戻ったときには、美貴たんはボーっと座っていた。
近づく私に気づかないまま。
私は首筋にコーヒーを押し当てた。

ビクッとして私を見る美貴たん。
だけど、決して怒らずに。
私が帰ってきたのを喜ぶように笑ってくれた。
差し出したコーヒーを受け取る前に、差し出した手には硬貨が握られていた。
私が手を振って「いいよ」とジェスチャーするが、美貴たんは首を振る。

(あなたは、ジュース、買って来た。だから、お金は、私が、払う)

次々に成される手話を解読していく。
自分で使うのはまだまだ難しいが、解読はほぼできるようになっていた。
だけど、これ以上言い争いをするのも不便なので、私は硬貨を受け取る。
美貴たんはどこか満足げに、コーヒーを受け取り、プルタブをあけた。

なんとなく、コーヒーを飲む美貴たんの唇に目がいき、さっきのことをもう一度考える。
9 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:33
好きっていうの、もっとちゃんと伝えたいね。

その言葉が出たのは、どっちからだかわからないが、二人で筆談をしているときだった。
「愛してる」っていう意味の手話はもちろんある。
でも、誰かの決めたそれはなんだか物足りなくて。
自分たちだけの、合図が欲しかった。
自分たち二人で共有できる合図があるってことが、これだけ好きだって思えるようで。

そうして決まった合図。
相手の両肩を二回握ること。
それを決めてから、程なくしてからかな。
安全停止の間に、美貴たんがそれを含めた一連の行為をやり始めたのは。
普段は、そんなことはしない。
海から出れば、やるのは専ら私の方。
10 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:33
それは、たぶん美貴たんが遠慮してるんだと思う。
どうしても、自分に負い目を持っちゃってるから。
さっきもそう。私の分までお金出してくれて。
自分が、私と対等になれるのは海の中だけって思ってるのかな?
そんなこと無いのにね。

いつも、いつも、私は美貴たんのことが大好きで、大好きで。
迷惑なんて思ったこと無い。
美貴たんが音の無い世界に生きていることを嫌ったことなんて無い。
だから、私はこれでもかってくらい、美貴たんに合図を送る。

会ったときはもちろん、さよならするときも欠かさない。
でも、美貴たんが私にしてくれるのは、海の中だけ。
そのギャップを気にしていることが、余計に美貴たんに「音が無い」ということを意識しているように思えて、私は考えるのをやめた。

美貴たんが私を好きでいてくれるなら。
私が美貴たんを好きでいられるなら、そんなことは些細なことだった。

日が西に傾くまで、私たちは他愛も無い世間話をする。
手話がわからないときは、砂の上で筆談をし。
波の音だけが響くこの砂浜。
私の世界にいるのは美貴たんだけで。
美貴たんの世界にいるのは私だけ。

だけど、そんな関係は、ある日突然崩れることとなる。
11 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:34
それは突然のことだった。
私の元にそれは飛び込んできた。

美貴たんが死んだ。

たったそれだけの事実。
そして、それだけで私の世界を崩壊させてしまえる事実。

事故だった。
雨の日、後ろから来る車に美貴たんは気づかなかったらしい。
そりゃそうだ。
クラクションを鳴らしたって美貴たんは聞こえないんだから。

病室で眠る美貴たんは、外傷らしいものは一つも無くて。
眠っているように、死んでいた。
12 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:34
私はそれからの記憶が数日間抜けている。
泣いていたことは間違いないと思う。

ただ、気づけば私は海に来ていて。
美貴たんとの思い出を一つ一つ、砂浜に書いていった。
だけど、夕方になって潮が満ちてくると、それは次々と波にさらわれていって。
私はもう一度泣いた。
たった一人、波の音だけが響く砂浜で、声を殺して泣いた。

それから、私はスキューバダイビングをすることを止めていた。
美貴たんと同じ世界を共有していたくて始めたスキューバ。
美貴たんがいないのなら、もう続ける意味が無いと思っていたから。
13 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:35
だけど、明らかに元気の無い私を見るに耐えかねたのか、友達の真希が私をスキューバに誘った。
彼女は美貴のことを知ってはいたが、直接会ったわけでもなく。
もちろん、美貴たんが音の無い世界に生きていたことなんて知らない。
だから、なぜ私がスキューバをやっていないか、事情は全く知らないわけで。
ただ、彼女なりに、私がよく行っていたスキューバを一緒にいくことで元気付けようとしてくれた。
わざわざそのために、彼女は道具を借りてきて、講習まで受けてきてくれた。
もちろん、そんなことをイチイチ言うような子じゃないけど。
そういうのがわかったから、私は行くことにした。

連れて行かれたのは、私と美貴たんがよく行っていた場所。
偶然か、必然か。
それは真希にしかわからない。
少なくとも、写真を見せたことはあったので、それで見つけてきたのかもしれない。
どちらにしろ、そんなことを聞くことはできず。
少々後ろめたい気持ちで、私は準備を始めた。
14 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:36
真希はやっぱり初心者ということで、ぎこちなく。
水に入るときも、潜っているときも、私はしっかりと真希の手を握っていた。
何度も潜ったその場所。
至る所に、美貴たんとの思い出がある。
あの岩は、美貴たんが座ろうとして滑ったとか。
あっちの穴に手を突っ込んだら、中からいっぱい魚が出てきて驚いたとか。
あの種類の魚は美貴たんがいつも捕まえようとして、失敗してたとか。
あそこの海草は私たちが初めてきたときから、ずっとあって、もう私よりも長くなっているとか。
時間も忘れ、美貴たんとの思い出を一個一個なぞりながら、私はゆっくりと泳いだ。
真希が残圧が少ないことを伝えるまで、私は美貴たんのこと以外何も考えていなかった。

指を上に向ける。
真希は、美貴たんのように残念な顔はしなかった。
上に上がろうとする私にすんなりとついてくる。

どんどんどんどん上がっていって。
視界がまぶしいくらいに明るくなって。
真希の手を一度ぎゅっと握る。
潜る前に言っておいた合図。
私と美貴たんがやっていたのと同じ合図だった。
15 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:37
安全停止は5分間。
今日は何事も無い5分間。
だって、前にいるのは美貴たんじゃなくて、真希だから。

そう、何も無いはずの5分間。
なのに、私は肩を触れられるのを感じた。
それは、ギュッギュッと私の肩を握る。
美貴たんと同じように。
だけど、真希の手は私の肩にはもちろん触っていなくて。

水の動きでそう感じただけなのかと思った。
でも、それはあまりにリアルで。懐かしくて。
とても気のせいとは思えなかった。

―――それが、気のせいなんかではないとわかるのは、砂浜に上がってからのことだった。
16 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:38
「亜弥ちゃん……肩……」

そう言った真希の顔色は見るからに悪く。
私はウェットスーツを脱ぎ、それを確かめる。

手形だった。
真っ赤な。血の様に真っ赤な。二つの手形。
丁度肩の部分。
私が握られたと感じた部分に、くっきりと。

水に入っていたはずなのに、それは滲むことすらなく。
まるでペンキでも塗られたかのように、べっとりとついていた。

「み、美貴たん……」

それだけ言うのがやっとで。
私はウェットスーツを脱ぎ捨て、真希と二人逃げるように海を後にした。
17 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:38
うれしいなんて思えなかった。
気味が悪い。怖い。
それだけ。

美貴たんが、死んでもまだ私のことを好きだと合図をくれる。
それをロマンティックと思ったり、うれしいと思えるなんて、そんなのドラマだけの出来事だった。
恐怖心が完全に私を支配している。
私の世界の全てだった美貴たんを、私は恐れている。
理屈じゃない。
恐怖が勝った。

肩に残った感触が嫌で、なんども肩を払う。
ずっと美貴たんの手がのっているようで、落ち着けなかった。
家に帰るなり、私は写真立てに飾っている美貴たんの写真をはずし、机にしまう。
それから、電気をつけたまま、ベッドに飛び乗り布団を頭からかぶった。
18 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:39
だけど、だけど…

私の肩を誰かが握る。
ぎゅっと2回力強く。

「こないで!もう、死んじゃってよ!」

力いっぱい叫ぶ。
肩の感触はもう一回繰り返される。

肩を両手で押さえる。
それでも、その上から2回。

「やだ!もう、誰か!助けて!誰か!」

私は部屋を飛び出そうとした。
そのとき、肩に加わっていた力が、一瞬消え、今度は首に力が移る
19 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:39
「どうして、そんなこと言うの?私は好きなのに……」

薄れ行く意識の中、私はそんな声を聞いた気がした。
聞いたことの無い声。
だけど、私にはそれが美貴たんの声であることがわかった。
一度聞いてみたかったけど、決して聞くことの無かった声。

だけど、私の中には1ミリグラムも感慨は無かった。
そして、視界は暗転する。
私の意識は途絶えた。
20 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:40
―――

私の遺体は、翌日に真希によって発見されることになる。
発見した時、私は海水でびしょびしょになっていたという。
死因は窒息死。
気管が声帯もろとも完全に潰されていた。

もちろん、犯人は見つかるわけが無かった。
21 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:40
FIN
22 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:40
川VvV从
23 名前:5 SOUNDLESS SEA 投稿日:2004/09/25(土) 14:41
川つvT从

Converted by dat2html.pl v0.2