11 高く、空高く

1 名前:11 高く、空高く 投稿日:2004/04/28(水) 03:57
11 高く、空高く
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:57
目の前を小さな緑色のサカナが泳いでいった。ひらひらと可愛らしい鰭を
揺らせていて、わたしは目を瞬かせた。透明すぎて、骨まで透けて見えそう
なきれいなサカナだった。
周囲はなにもない広い空間。水の中じゃない。アクアリウムはいつの間にか
どこかへ消えてしまっていて、ここにはわたししかいないみたいだ。
セットを組む前のステージだってこんな殺風景じゃない。例えて言うなら、
砂漠。砂もサボテンもない砂漠みたいだ。

足元を見てもなにもない。宙に浮いているような気分だ。でも、地面は
ちゃんとあるみたい。
……なんだろう? 夢?

「夢じゃないよ」
声が聞こえた。低いようでも高いようでもあり、何重にもエフェクトを
かけたような、無個性な声だった。

「誰?」
わたしが声を返すと、再び声が語りかけてきた。どこから聞こえてくるかも
分からない。周囲の全てから発せられてるみたいだ。
「私はこの場所を管轄している。もちろん、あなたが田中れいなである
ことも分かっている。ていうか、ここへ呼んだのも私なんだけど」
「ええ……いや、全然分かんないっす」
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:58
これはなにかのドッキリかなにか? わたしが寝てるあいだにこっそり
こんなスタジオに連れてきて
「疑り深いね」
「あ」
心の中が見えるんだ、あの声には。
だとしたら、ドッキリじゃない。ということは、どういうことだ?

「結論から言うと、あなたは死んだの。それで、ここに来ている」
声がぶっきらぼうに告げた。わたしは即座にその意味が飲み込めず、目を
白黒させた。

どういうことですか。
「やっぱり、覚えていないみたいだね」
覚えていないもなにも……。そんなこと急に言われたって、はいそうですか
なんて言えるわけないじゃん……。

「ここに来るのは、そういう人間なんだよ。自分がどうして死んだか、その
原因が分かっていない人間だね。まあ、いわばあの世とこの世の中間地点
みたいなもんなのかな」

いや……そんなバスガイドみたいに爽やかに紹介されても困るんですけど。
わたしのカラダだって、ほら、ちゃんと残ってるじゃないですか。
「セルフ・イメージが残ってるだけだよ」

難しい言葉はよく分からない。なんだかでも、ここで納得しちゃったら
負けみたいな気がする。……負けたらその場で、本当に地獄に落とされて……

「負けん気の強い性格もまだ残ってるみたいだね」

バカにされてるような気がした。わたしは果てのない白い空間を見回して、
声の主を捜し出して問いつめたい気になった。
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:58
「無駄なことはやめたほうがいいよ。それより、あなたには他に調べない
といけないことがあるんだから」
なにそれ。
「あなたの死の原因。自分がなんで死んだのか、その原因を知っているか
知らないか、それでこっち側の対応も変わってくるしね」

原因? 対応? なんか……やな感じ。
「しょうがないじゃん。あなただって、自分がなんで死んだのか分からない
んじゃ気分が悪いでしょ?」

や、ぶっちゃけ死んでるって時点で気分最悪なんですけど。
確かに、訳分かんないまま死んじゃうってのは嫌だけど……。
「そういうこと。まあ、これは方便みたいなもんだから、深く考えないで」
ホウベンってなに? はあ……。
「というわけで、あなたにはちょっとだけ、生の世界に戻ってもらう」

って、え?
「舞台はそっちに移すって言うルールになってるから。でも終了はその
日が終わるまでの時間」
ええー……。そんな間に、死因を見つけないといけないの?
「一応ね。決まりだから。もう一個言うと、戻れる場所も時間も、ランダム
に選ばれるから注意してね」

はあ? ちょっと待ってそんなんじゃわたしだってどうしようも
「だから決まりなんだって。それじゃ、行ってらっしゃい」

なんて理不尽な。ああええ行きますよ。行けばいいんでしょとっとと送り
出してください。
「あ、それと言い忘れていたけど、……」

声が薄れて、フェードアウトしていった。同時に、わたしの意識は飛んだ。
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:58


 ◇


……そんなわけで、わたしは見知らぬ街の交差点に立っていた。
自分の姿を見下ろしてみる。地味で目立たない服装。あいつが用意したんだ
ろうか。センスなさすぎ。
両手でカラダのあちこちを撫でてみる。我ながら挙動不審。でも、どうやら
死んだときと同じ状態でここに送られたみたいだ。変に若くなったり大人に
なったりはしていない。

風がふいてきた。カラダが一瞬震える。寒い。まだ1月か2月くらいかも
しれない。
なんだかなあ。どうせなら夏場に送ってくれればいいのに。ゼイタクを
言える立場じゃないのは分かってるけど。

改めて街並みを見回してみる。どこだかさっぱりだけど、なんだか生気の
ない風景に見えた。商店街らしく、こぢんまりとした店が向こうまで立ち
ならんでいたけど、人の姿はまばらだった。色褪せた郵便ポストの下に
泥混じりの雪の塊が積み上がっている。となるとやはり一月ごろだろう。

信号が赤に変わった。一台だけ止まっていた車がのろのろと目の前を通り
すぎていく。全然渡る様子のないわたし一人のために赤信号を守り続ける
気持ちってどんなだろう、なんて考えて、ちょっと悲しくなった。

とりあえず、ここがどこで今がどんな時代なのか調べないといけない。リミット
は日が沈むまでなのだから、無駄にしたらもったいない。

わたしは信号が青に変わるのを待って、向かいにある小さな本屋へ入った。
外観に比べると奥行きがあって広く感じたが、やはり人は少ない。
カウンターの上に時計がかかっていた。十二時を少し過ぎたばかり。つまり、
日の短い冬だとすればあと六時間くらいということか。

なんか詐欺っぽいな。一日って言って六時間じゃ、四分の一だし。これじゃ
なにか探して見つけだすなんて、絶対無理に決まってる。
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:58


「あのー」
カウンターで帳簿を付けていた白髪のおばさんに声をかけた。
「はい?」
「ええと、……今年って何年でしたっけ?」
「は?」
訝しげな視線で見つめられて、わたしは冷や汗が出た。確かにこりゃ怪しい
よなあ……。

けど、おばさんはチラッと横のカレンダーを一瞥すると、
「2000年ですよ。今日は4月の5日」
訊いてもいない日付まで教えてくれた。親切な人だ。
それにしても四月とは思えない。こんな寒かったっけ……四年も前のこと
だから、それほどよく覚えてるわけじゃないけど。

「あ、ありがとうございます」
本当はここがどこかも訊きたかったんだけど、さすがに怪しすぎる。
補導されて警察でリミットを迎えるはめになっては最悪だ。わたしはアタマを
さげると小走りに本屋を出ていこうとした。その時、ちょうど入ってきた
人と肩がぶつかった。突然のことに、その人は軽く悲鳴を上げると、鞄を
落としてしまった。

7 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:59
「あっ、ごめんなさい」
わたしは反射的に言うと、振り返った。ブレザーの制服を着ていて、地元の
女子高生のようだった。彼女はすばやい動作で鞄を拾い上げると、ムッと
した表情でわたしを睨み付けた。

「えっ? 藤本さん?」
無意識的に声が出てしまっていた。わたしの知っている藤本さんとは髪型も
違うし、ちょっとふっくらしていたけど、あの目つきは間違えようがない。

「は? あんた誰?」
鋭い声で言い返される。そうだ。さっき教えてもらった通り、今は2000年だ。
当然藤本さんがわたしのことなんて知っているはずもない。

「あ、いや、その」
冷静でいるつもりなのに、しどろもどろで言葉がうまく出てこない。見る間に
藤本さんの表情が警戒を強めていくのが分かる。

分かる、というよりも、なんとなく懐かしい感じ。

「えっと、……すいません。失礼します!」
カウンターからおばさんが顔を出すのが見えて、わたしは咄嗟に駆けだして
しまっていた。
まったくなにやってるんだろう。
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:59
登り勾配の通りをしばらく駆け抜けていくと、いつの間にか高台にある
公園が見えていた。周囲はさらに殺風景になって、所々に雪の積もった
林があちこちに広がっていた。

荒い息が白い煙になって舞い上がっていた。わたしはとぼとぼと公園へ
足を踏み入れると、冷え切ったベンチに腰を下ろした。

死んだからって飛んだり消えたり出来ないんだな、と冗談めかして考えて
見て、改めてわたしは自分のおかれている状況を思い出した。

公園といっても遊具と呼べるようなものはほとんど無かった。屋付きの
砂場とブランコがあるだけだ。あとは、高台から見下ろせる風景だけ。
見渡す限りの自然。そこにポツポツと建物が点在している。

藤本さんから、自然の多い街で育ったとは聞いたことがあったけど……
こりゃ多すぎだ。

手を擦り合わせながら、砂場の横に立っている時計を見た。クエスチョン
マークのような銀のシャフトに支えられて、妙にぴかぴかと光っている。
あいつは、藤本さんと会わせるためにここへわたしを送ったのだろうか。
戻る日付も場所もランダムといっていたから、そういうわけでもなさそうだ。
もしそうだとしたって、向こうがなにも知らない状態じゃどうしようもない。

時計を見る。さっきから大して時間は経っていなかった。あと六時間弱。
日が落ちれば、わたしは死ぬんだ。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:59
寒気がした。考えてみればひどく残酷な話だと思う。何も気付かないまま
死んでいけば、こんな恐怖なんて味わうことなんてなかったのに。
十五歳なんて、そんなこと考えることなんてないんだから。しかも、漠然と
した恐怖じゃなくて、はっきりと時間が近付いてくるのを意識しないと
いけないんだ。

両手を目の前で組み合わせてみる。やたら地味な腕時計がくっついている。
静かな中で、秒針の進む音がコチコチと聞こえる。カウントダウンだ。
それも、こんな誰も知り合いのいない街で、なにをどうしろっていうんだろう。

考えればそれだけ、怒りの感情が強くなっていった。そして、どうしようも
ない自分の状況に、口惜しさも沸き上がってくる。

唇を強く噛んだ。痛かった。もうちょっと力を入れれば、血が出るかもしれない。
でもそんな痛みだって、あと少しすれば全部消えてなくなるんだ。

涙が出てきた。いっそのこと、どこかのビルにでも上って飛び降りてしまった
ほうが楽なんじゃないかと思えた。そんなことできっこないって分かって
いたけど。

淡々と、時間が過ぎていく音を一人で聞いていた。ここには誰も来る気配も
感じられなかった。このままここで日が落ちるまで、一人で泣き続けて
いないといけないんだろうか。かといって、また街へ戻ろうという気にも
ならなかった。人に出会ったって、逆に孤独だということを思い知らされる
ことにしかならないんだから。
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 03:59
手の甲で目を拭った。涙はとめどなく流れてくる。納得できない口惜しさ
だけが、抑えようもなく広がっていっている。でも、声を出して泣きつける
ような相手だって、ここには誰一人いないんだ。誰も。……

「よっ」

不意に肩を叩かれて、わたしはビックリして咳き込んでしまった。視界に、
風でゆらゆら揺れるスカートから伸びた二本の脚が見えていた。
「藤本さん……?」
なんだか泣いているのを見られるのが気恥ずかしくて、乱暴に目を擦り
ながら鼻を啜った。

「だから、なんで美貴の名前知ってるのって」
その声には、さっき聞いたような警戒は感じられなかった。
真っ赤になった目で見上げると、黒髪を肩まで伸ばしている藤本さんが
ちょっと複雑そうな表情で見下ろしている。

「どうしてここに……?」
「美貴、ここにずっと住んでるんだよ」
そう言うと、笑いながら言葉を継いだ。
「あの通りはここで行き止まり。こっから先行ってもなにもないからさ。
仕方なしに公園に隠れてると思ったら、やっぱりみたいな」
「隠れてるって……」
「だってさ、あんた家出してきたんでしょ? 最初万引きかと思ったんだけど、
お店のおばさんが追っかけてく様子とかなかったし」

藤本さんが言うのに、わたしは目を瞬かせながら顔を上げた。藤本さんは
プッと吹き出すと、
「で、はるばる家出して来たけど、心細くなって泣いてたんだ?」
「な、泣いてないですよ」
「ウソつけよー」
そう言いながら笑っている藤本さんの顔は、記憶しているのよりもずっと
子供っぽく見えた。
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:00
そうだ、ここの藤本さんはまだ15歳なんだ……。わたしと同じ歳だ。
「で、どこから来たの?」
「ええと……福岡……」
「福岡ぁ!?」

上擦り気味の声で大袈裟にリアクションする藤本さんは、記憶の中と変わらない。
「……じゃないです」
「なんだそれっ」
手に持っていた、袋に入った雑誌で軽くはたかれる。ツッコミも変わって
ない。同じだ。

なぜかまた涙が溢れそうになって、慌てて抑え込んだ。
「でさあ、なんで美貴の名前知ってるの? どっかで会ったっけ?」
「いや、えっと……」
じっと顔を覗き込んでくる藤本さんから目を逸らす。鼻を啜ると、冷たい
空気が頭の奥まで染み込んでいった。
「あの、だって、藤本さんって有名じゃないですか」
咄嗟に、言い訳にもならないそんな言葉が勝手に口をついて出て来ていた。
「なんていうか、すっごい美少女がいるって、うちの中学で有名で」

自分でもわけの分からないことを言ってるなと思ってしまう。が、藤本さんは
意外に満更でもなさそうな表情で頷いた。
「へえー。そうなんだ……」
「そ、そうなんですよ」
藤本さんが思ったより単純な性格なことは知っている。わたしが畳みかける
ように言うと、藤本さんはふっと疑問が浮かんだような表情になった。

「で、あんたどこの中学?」
「あー……」

やっぱりわたしはアタマが悪い。ウソを付く才能がない。……

口を半開きにしたまま途方に暮れているわたしに呆れたのか、藤本さんは
肩を竦めると、手に持っていた雑誌を振りながら言った。

「えっと、……うち来る?」

12 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:00



 ◇


藤本さんの部屋は、考えていたのよりずっと地味だった。女の子っぽい要素
はほとんどなくて、畳敷きの部屋には大きな窓がついていたが、部屋は
昼過ぎなのに薄暗かった。

「散らかってるけど、気にしないで」
藤本さんはそういうと、ベッドの上に散らばっていた雑誌類を乱暴に片すと、
二人分の座れるスペースを作った。

「すいません」
わたしは殊勝に頭を下げると、スカイブルーの色褪せた布団の上に腰掛けた。
部屋の隅に小学校のころから使ってるような無駄に大きな机があり、その
上にプリントやらルーズリーフやらと、文房具がデタラメに放り出されて
いた。床の上も似たような状況で、カラフルなグラビア印刷の雑誌が折り
重なって、不思議な彩りを成していた。机の隅に、オイルの切れかけた
ライターの転がっていたのが印象的だった。

「ちょっと待っててね」
鞄と脇に抱えていた雑誌の袋を放り出すと、部屋を出て台所へ行ってしまった。
部屋にはわたし一人が残される。溜息をついて冷たい布団を撫でると、突然
天井の隅から機械の唸り声が聞こえ、頬を生ぬるい風が撫でていった。ビクッと
カラダを痙攣させて見上げると、やたらとピカピカとした新品のエアコンが
ゆっくりと空気を吐き出していた。全体的にくすんで見えていた室内で、
それだけが別の空間から浮かび上がっているように見えた。
と、軋んだ音を立てて扉が開いた。

「ほい、お腹空いたでしょ」
トレイに二つ、カップラーメンが載っていた。香ばしい匂いが妙に花についた。

13 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:00
時間はただ淡々と流れていった。
冷たかった部屋の空気は生暖かくなっていたが、入ったときよりどんどん
部屋が広く感じられるような気がしていた。
わたしは時折部屋を見渡したりしながら、なにもすることもなくボーっと
していた。
藤本さんは椅子に脚を組んで座り、携帯をいじったり買ってきた雑誌を
つまらなそうに捲ったりしていた。

「でさ」顔も上げずに、藤本さんは唐突に言った。
「あんたこれからどうすんの?」

「これから……」
窓の向こうから、シンプルなチャイムのメロディーが聞こえてきた。晩冬
の日は落ちかけていて、空がうっすらとオレンジ色に染まっている。

「帰る?」
「どこにですか」
簡単に藤本さんが言うのに、わたしはつい語気を強めてしまう。
帰る場所なんてないんだ。わたしは……死ぬんだから。

わたしの声に、藤本さんは一瞬表情を強張らせたが、すぐに困惑したように
髪を弄りながら、
「どこにっていうか……家?」
「家なんてないです」
「そうなんだ」
なんだかからかわれてるような気分になってくる。実際そうなんだろう。
もうあとちょっとしたらわたしは死ぬんだ。なにも出来ずに、だ。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:01

「ていうか、わたしもう死んでるんです」
思わず、そんなことを口にしていた。なんとなく、このままなにもしないで
終わってしまうのはバカバカしいというような思いもあったからだろうか。
「へえ」
藤本さんの表情は変わらない。机に肘をついて、頬に手を当てた格好で
この状況を楽しんでるように見える。

「幽霊なんだ?」
「そう……なんですかね」
「全然そんな感じじゃないけど」
わたしはわたしのカラダを見下ろす。藤本さんの言うとおり、これでそんな
ことを信じろなんて言ったって、無理な相談だ。わたしだって信じない。

「バッチリ脚もついてて、本屋からダッシュで逃げたあと公園で泣いてて、
そのあとラーメン食べてベッドに座ってボーっとしてる幽霊なんて、聞いた
ことないよ」
藤本さんはおかしそうに言った。わたしはムッと口を尖らせると、勢い
に任せて、これまでの経緯を全て喋ってしまった。

どうせこのままここで腐っていたってしょうがないんだ。藤本さんがどう
思おうと、何もしないで消えてしまうよりはマシだ。

気付いたら不思議な空間にいたこと。自分が死んでいると知らされたこと。
その死因を突き止めないと行けない。それが出来なかったらあまりいい
結果にはならないだろうということ。しかし出来れば、ひょっとしたら
死なないで済むかもしれないということ、云々。

15 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:01
藤本さんは机に肘をついた姿勢のまま、じっと黙ってわたしの話を聞いて
くれていた。その後、本屋の近くの交差点に立っていたくだりまで話が
進むと、ようやく手を挙げて、わたしを制した。

「まあなんとなく分かったよ」
「ホントですか……?」
そうだとすれば、実に物分かりのいい人だ。別に皮肉でもなんでもなく。
藤本さんはちょっと考えるように首を傾げると、わたしをじっと見つめて
口を開いた。
「その賭けは、インチキだね」
「賭け?」
「死因を見つけられるかどうか。それが賭けになってるわけ。でも、あんた
はそれに絶対勝てない仕組みになってる」
「どういうことですか?」

確かに、これが賭けだとしたら相手に都合のよすぎる展開ではあるけど、
もともと対等な関係じゃないから仕方がないと思ってた?

「もしあんたがこの世界で自分の死因を見つけたとする。そして、それを
相手に報告する。けど、それが正しいってことはありえないわけ。なんで
か分かる?」
「分かりません」
「死因は、死なないと死因にはならないから。もしあんたが発見した死因
が正しくて、それで死なないで済んだとしたらそれは死因じゃない。用は、
担保と掛け金がいっしょくたにされちゃってるんだね」

そうなのだろうか? なんだか変な説明のような気がする。
「でも、あんたにもまだ勝つチャンスはあるよ」
「えっ……そうなんですか?」
わたしは身を乗り出した。藤本さんは含みのある笑みを見せると、指を
二本、ピースマークのように立てて見せた。
「その相手は、二つミスを犯してる。一つは、あんたを、生の世界に戻す、
ってはっきり言っちゃったこと。つまり今は生か死か曖昧な状態じゃなく
て、確実に生きてるってこと。もう一つは、最後に言った言葉」
「はあ……」

16 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:01
なんだかよく分からない。というか、そもそも。
「そんな細かいところまで、わたし話しましたっけ……?」
わたしの疑問に構わず、藤本さんは続けた。
「だから、あんたが勝つ方法は一つ。それは、この世界で確実に、もう一度
死ぬこと。分かる?」
そういうと、いつの間にか背中に回していた手をわたしに向かって突き
だした。藤本さんの手には、安っぽくて軽そうな拳銃が握られていた。透明
な緑色のプラスチックに塩化ビニールの可動部のついた、熱帯魚みたいな
ピストルだった。

「ち、ちょっと待って……」
「つまり、美貴が死因になれば確実なわけ」

藤本さんはそう、確かに言った。そんな理屈はおかしい。なんて抗弁する
ヒマすらなかった。
引き金が引かれて、空気の抜けるようなマヌケな音が響いた。その瞬間、
ベッドの上であぐらをかいていたわたしのカラダは、シャボン玉みたいに
ぱちんとはじけて、そのまま消えた。

17 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:02


 ◇


「……」
透明なサカナは泳いでいなかった。アクアリウムも見当たらない。辺りは
暗く、薬品の鼻につく匂いが、周囲に漂っている。

なんて夢だ。わたしは溜息をつくと、額に浮いた脂汗を拭おうとした。

刺すような痛み。右手は固定されていて、動かない。カラダを起こそうと
して、再び痛みが全身に走った。

「ここって……」
小声で言ってみた。左手は普通に動かせるようで、カラダの上にかかって
いる薄いシーツからゆっくりと引き抜くと、手の甲で額を拭った。
ごわっとした感触が残る。ここにも包帯。多分、全身のあちこちに同じ
ように包帯が巻かれているに違いない。

「病院か……」
声に出して、それを自分で聞くことで、ようやく自身を確認することが
出来たような気分だった。声は驚くほど掠れていて、声帯が久しぶりに
震わされたので当惑しているようだ。

ひどく喉が渇いている。わたしは左腕を伸ばして、なんとか上体を起こ
そうとしたが、痛みで力が入らない。手探りで周囲をデタラメにあさって
みる。キャビネットの上に置かれていたなにかがぶつかり、乾いた音を
立てて床に落ちた。慌てて、落ちかけていた何かを掴んだ。硬くて冷たい、
プラスチックの感触。

ナースコール。そういうものが確かあったはずだ。暗闇にようやく目が
慣れたようで、周囲の光景もぼんやりと見渡すことが出来る。わたしは
痛みに呻きながら、なんとか身を捩る。と、隣のベッドに、わたしと同じ
ようにアタマに包帯を巻かれて横になっている人の横顔が見えた。

藤本さんだった。わたしは大声をあげそうになって、それからここが夜の
病院だというのに気付いて口を左手で押さえた。手に持っていたなにかが
鼻にぶつかって驚いた。薄暗いなかに見たそれは、夢で見たのと同じ水鉄砲
だった。

18 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:02

翌日、わたしの意識が戻ったという知らせを聞いて、メンバーのみんなが
病院へ駆けつけてきてくれた。
医者の話によると、わたしは事故に遭ってから四日近く眠ったままだった
そうだ。また、わたしが事故の前後のことを思い出せないのは、軽い記憶
喪失によるものだと説明していた。

メンバーからその時の状況を聞かされて、おぼろげながら事故の時のこと
が記憶に蘇ってきた。わたしは藤本さんと一緒にマネージャーの運転する
クルマに乗っていたんだ。わたしが後部座席に一人で座り、藤本さんは
助手席に座っていた。バックミラーで前髪を弄っていたら、挙動の怪しい
一台のクルマが目に留まった。……

「いちたすいちは?」
さゆが真顔で訊いてくる。からかってるんじゃなくて、大真面目なんだから
困ってしまう。
「に」
「よかったー。アタマ壊れてないみたいだね」
そういって包帯越しに撫でられる。わたしは突っ込む気にもなれず、隣の
ベッドで横になったままの藤本さんを見た。
いまだに意識が戻っていない。その見通しも分からないという。

タチの悪いファンの乗ったクルマに追い回されて、若いマネージャーの
下手なカーチェイスごっこの果てに二台共に大破した。突っ込んだ場所は、
熱帯魚などを扱っているペットショップで、破壊されたアクアリウムから
色とりどりのサカナたちが流れ出して、多くの命が奪われたらしい。

マネージャーは死んだ。追い回していたファンたちはみな軽傷だったそう
だが全員逮捕されたらしい。が、そんなことはどうでもいい。
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:03
わたしと藤本さんは、二人ともアタマの同じような場所──だけではないが
──に傷を負って、折り重なるようにして倒れていた。現場の状況に関して、
詳しい説明は聞かせてもらえなかった。それはやっぱり、いろいろと配慮
した結果なんだろうか。しかし、一時的に記憶が封印されていたからなのか、
その瞬間の光景は、切り離されて保存されていたように、徐々に鮮明に
蘇ってきていた。ただ、肝心な一点が、どうしても曖昧なままだった。

藤本さんがわたしを庇って重傷を負ったのか、その逆だったのか。咄嗟の
行動だから、どっちの可能性もありえることなのだ。

日が落ち、消灯時間が過ぎ、普段だったらまだ遊んでいたり、MDでも
聴きながら自主練したりしているような時間帯にすでに暗闇に包まれていた。
今日一日、ひどく疲れたような気がしていたのに、眠れなかった。

「藤本さーん」
小声で呼びかけてみるが、全く反応はない。マネキンみたいな横顔を見せた
まま、安らかに、悪い夢なんかも見ないで、眠りについているようだった。
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:03
「ばーん」
何も入っていない水鉄砲を向けてトリガーを引いてみる。そういえば、熱帯魚
の中にテッポウウオというサカナがいるって聞いたことがある。

自分の額に銃口を当てて、トリガーを引く。当然、なにも起きない。
なんだか不思議な気分だ。藤本さんは今どんな夢を見ているのだろうか?
いや、あれは夢じゃなかった。わたしは確かに、藤本さんにあの場で、銃で
撃たれて死んだのだ。そして、ここへ戻ってきた。生と死の、境界の世界
から……。

となると、わたしは藤本さんに救われたのだろうか? 藤本さんがわたしの
死の原因になることによって? あるいは……。

あの場では、お互いがお互いの死因になることが出来たんだ。と、わたしは
思う。確証はないが、わたしと藤本さんとの、駆け引きがあったんだ。ただ、
わたしはそれに気付けないまま、現実に放り出されたんだろう。
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:04
先に相手にトリガーを引かせた方が、こちらへ戻れる。これが、わたしの
見抜けなかった、あのゲームのルールだったんだ。

わたしは藤本さんを見た。事故の時、どちらがどちらを庇ったのか、それは
多分、神様にだって分からなかったんだ。
けど、いずれにしても、二人の関係は、多分変わらない。

ごめんなさい。ありがとう。そう呟くと、目を閉じた。
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:04
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:04
24 名前:名無飼育さん 投稿日:2004/04/28(水) 04:04

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