8 over

1 名前:8 over 投稿日:2004/04/25(日) 22:56
8 over
2 名前:8 over 投稿日:2004/04/25(日) 22:58

 凪いだ海が、波音をそっと潮風に織り込ませている。力の篭らない瞼は半分閉じ、視界の端がぼやけ、その中では淡い青が光を跳ねていた。眼下を臨む海は引力を持ち、岬の高台に腰掛ける私を絶え間なく誘い寄せる。それに反発するように、私は潮風に晒されてごつごつと風化した一枚岩に背を預けている。岩に感情はない。ただ、そこにあるだけだ。
 ぐいと私の顎が持ち上げられ、プラスティックの飲み口が捻り入れられ、どろりとしたがゼリーが流し込まれる。体が拒否して吐き気がしたが、どうにか飲み込む。
「圭織さん・・・」
 首を持ち上げた私の頭を一つ叩き、死ぬよ、いい加減、と言い残すと、圭織さんはさっさとペンションに戻っていった。体は確かに弱っているかもしれない。筋肉のすぐ上は皮膚だ。拳を握っても、震えるばかりで力が思うように入らない。
 太陽が熱い。容赦なく私を突き刺す陽射しは肌を焦がし、水分を奪う。唇を舐めると、ガサガサして固かった。乾ききった頬は、恐らく火傷しているのだろう、顔の筋肉を動かすと、軽く引き攣り、膿が滲んだ。
3 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:00

ある日、いつのことだろう、もう忘れてしまったが、梨華ちゃんが私に言った。ごめん、よっすぃ。そして、足りないの、と。私もそうだった。飢えに近かったのかもしれない。けど、本当に申し訳なさそうに俯く梨華ちゃんには言えなかった。
擦れあう肌の音や、動物的な甘い体臭、快楽が剥き出しの高い掠れた喘ぎが好きだった。ぐちょぐちょのあそこを啜った時の喘ぎは声にならず、絞り上げるように空気を漏らす、その時の梨華ちゃんの仰け反った首筋が、汗ばんで熱を帯びた肌の温もりと感触が、好きだった。けど、満たされはしなかった。

私は梨華ちゃんに言った。これは恋でも愛でもなかったかもしれないけれど、最も本能に近い部分で惹かれあった、というか、利害が一致しただけに近かったのかもしれない。持て余していた性の欲求に、私は梨華ちゃんを求めたし、梨華ちゃんも私を求めた、そうでしょ?で、私は梨華ちゃんを自分よりも大切に感じていた。この感情をどう自分の中で処理するにせよ、私は梨華ちゃんが相手でよかった、と。
 
4 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:01
 梨華ちゃんには一瞬、救われたような表情が浮かんだが、すぐにそれを打ち消すような負の感情の波に襲われ、よっすぃありがとう、と言ったきり手で顔を覆った。
 私は、気にすることじゃないよ、と声を出さずに泣きじゃくる梨華ちゃんの髪を撫でてあげた。気にすることじゃない、自分にも言い聞かせるよう、もう一度言った。
 私は梨華ちゃんをイカせてあげられるかもしれないが、突っ込めるのは指だけだ。絶望的に足りないのだ。

 オレンジに焦げていた海には闇が侵食し、代わりに満天の星空が私の頭上に重く圧し掛かった。風も波音も、思うが侭に力を、猛威を奮っている。月光を青黒く反射する海が、意志を持ったように蠢いている。

5 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:04

 梨華ちゃんが去った少し後、ごっちんが私のすぐ側にいた。ごっちんは私を家に招き、一緒にごはんを作って家族に振る舞い、私が打ち解けて話せるくらいになると、ごっちんの部屋に行った。
「まあ、なにもないとこですが」
 そう通された部屋の壁には、ごっちんが書いたであろう絵具を重ねただけの絵があった。適当に塗りたくったような暖色ばかりのそれは、中心に近付くほど赤味が強くなる。思い出したように乗せた白や青が、取り留めのない色の群れに形を持たせていた。私が絵に見入っていると、ごっちんは、えへへ、と気恥ずかしそうに笑い、小さく息を吐いた。
「最近、よっすぃ、元気ないよ?梨華ちゃんとのこと・・・」
 心配そうに私を見つめるごっちんの目は垂れていて、それがかわいいと思ったけど、元気ないと思われていたのは意外だった。私と梨華ちゃんとの仲は公然の秘密のようなものだったし、それに所謂男女間の恋愛とは少し違う。梨華ちゃんがどう思っているか、わからないし、あえて知ろうとは思わない。些細な相違は数多くあるかもしれないけれど、お互いに後腐れないといった点では一致していた。関係のあった前も後も変わらず普通に話すし、堂々としたものではあったが同じ秘密を共有していた妙な連帯感もあり、仲がいい。
6 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:05
 私はごっちんの肩を抱き、ぽすんとベッドに倒れ込んだ。私に引きずられるような形で、ごっちんは、ふぎゃ、とか言いながら、私の腕の中で横たわっている。スプリングの軋みが静まり、それからしばらく私達は黙って天井を見上げていた。私の家よりも高い所にある天井の距離が珍しく、ずっと見ていても飽きなかった。
「なんかさー、ごっちんとはこんな感じだよね」
「なにそれ」
「無言がデフォ、って感じでしょ?そういうの、いいな、と思って」
 そう、梨華ちゃんとは肉体的な結びつきが強かったのだとしたら、ごっちんとは精神的な繋がりが強い。ごっちんが頬杖ついて、私を見ている。私は視線に気付かないフリで、天井を見ていた。
 ごっちんは私を振り向かせ、唇を合わせてきた。けど、唇と唇はぴったり重ならず、口の端にごっちんの唇がぶつかった。この微妙なズレが、私とごっちんの距離かもしれない。そのおかげで、心と心はぴったり重なる。
「一線、越えてみる?」
7 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:06
 ごっちんは私に乗るような体勢で抱きつき、だらしないくらいに顔を綻ばせて笑った。そして、私達は唇を貪りあった。あれほど焼けそうになるくらい唇を擦りつけあったことはなかったし、これからもないだろう。精神的な安定に、そのまま肉体的な官能が上乗せられるようで、私はかつてない昂ぶりに夢中だった。ぐねぐねと鋭くクネるごっちんの体は美しく、熱は高まるばかりだった。が、その熱の燃え上がりはギリギリにまで高まっても、後は引いていくだけだった。
 ごっちんと絡まりあった時、初めて膜の存在を知った。私を覆うぐにゃぐにゃした膜は張り付き、薄いようで、破れない。どれだけ熱が燃え盛っても、それが膜を飛び越えることはなかった。それは、何度ごっちんをイカせても、逆に私がどんなにごっちんにイカされたところで、同じことだった。
 三ヶ月ほどで、私もごっちんも飽きてしまい、あの頃のはなんだったんだろうね、今でも二人、そう笑い合う。

 普段は姿を隠している星々が、あらん限りに輝いている。彗星が光の粉を振り払いながら落ちていった。青白い残像が、闇夜に弾けた。夜になり、力を増した風は柔らかい刃のようで、焼けた肌を切り刻むが、不思議と寒さは感じない。熱が私の中で暴威を振るっているからだ。

8 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:08

 美貴の気が滅入っていた頃があった。以前と変わることなく、元気に笑って喋ったりしてたけど、どこか抜け落ちるような瞬間も多かった。別に弱気になったわけではなく、新しい環境に戸惑っていただけ、美貴はそう言ってたけど。その些細な揺れに気付いたのは、私だけだった。他の誰かも気付いていたのかもしれないが、そのことを美貴本人に話したのは、私だけだった。
 それから少しして、二人で夕食を食べに行き、次の日も早いということで、美貴の家に泊めてもらった。美貴はずっと笑っていたけど、ぎこちなかった。美貴の部屋で映画を見た。アイルランドの若者が枯れた稜線の下、酒や薬に溺れてグチるばかりの映画で、つまらなかった。そろそろ寝ようかという時になり、布団、一つしかないから、と美貴は言ったけど、お母さんが来たとき用に、もう一組布団があるのを知っていた。
9 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:09
 同じ布団で横になり、豆球だけを点けていた。そのせいで、部屋はうっすらと青く染まっている。それは幼い頃に想像していた宇宙のようで、私をぼわぼわとした浮遊感が襲い、意味なく体が揺れた。目を固く閉じ、背中を強く意識するが、浮き上がるような落ち着かなさは取り除けない。何故だか、膝が震えた。
「よっちゃんさ〜ん」
 美貴はおどけて身を寄せてきたが、その口調は静かだった。そして、馬乗りになり、私の頭に噛みついた。ざりっと私の髪が軋んだ。美貴は私の頭に噛みついたまま、様子を窺っている。美貴の唾液がじんわりと染み、やがて垂れてきた。私は美貴の暖かく湿った呼気を感じながら、一つボタンを掛け忘れたパジャマの隙間から覗く腹を見ていた。翳って見え難いが、滑らかそうな皮膚が、ゆっくりと上下していた。私は美貴を抱きすくめた。美貴の顔がすぐ近くにあった。私はその距離が怖くて、意味のないことを言ってしまう。
「なんか、色々と面倒くさいっしょ」
10 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:11
 一瞬、美貴の唇が、私の唇に触れた。美貴は私の首に顔を埋めている。肩が震えていた。美貴のくぐもった声がした。
「これまでとかこれからとか意味わかんなくて、力が抜けていくっていうか、なんかもうバラバラに崩れちゃいそう。こういう自分、すっごく嫌なんだけど、それを受け入れるのも跳ねつけるのも怖いの。・・・なんか無理。誰にも言わないで。絶対によっすぃの中にだけ留めといて。・・・ホント意味わかんない。あー、カッコわる」
 私は美貴を強く抱きしめた。美貴の体は細くて小さくて、折れてしまうのではないかと本気で心配したほどだ。けど、美貴は、もっと強く強く、と繰り返す。私は殺してしまってもいいくらいの気持ちで、ありったけの力を込めたが、美貴の体は壊れず、呼吸が少し窮屈そうになっただけだった。

 私は、あの時ほど自分が女であることを呪ったことはない。美貴の逃避の対象になれこそすれ、救えるわけではないのだ。その後、美貴は自分で乗り越えたのだが、それがとてもとても悲しかった。
 女の柔らかな肌で交わり、あそこを擦り合わせ、生々しさなく果てたとしても、それは快楽を求めるばかりで、何を埋められるわけではない。肉体は精神と連動しているからだ。
11 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:13

 鴎が赤い朝焼けに挑みかかるよう、壊れたように甲高い鳴き声を響かせている。私はその狂気に慄き、まだ夜が明けていない空を探した。水平線の向こうだけが、青白く澄んでいた。
 しばらくして静かな光に溢れた穏やかな朝に、空も海も一時の調和を取り戻すと、燃えたぎるような昼に向けて助走を始める。しなやかな光沢のある麻のシャツを着た飯田さんが例のようにやってきて、私にカロリーを捩じり入れる。そして、今日は私が飲み込んだのを確認すると、隣に座った。
「ねぇ、よっすぃ、いっつも誰と話してるの?」
「話?」
「うん。なんかブツブツと。独り言とは違う感じなのよね。明らかに相手がいて、話しかけてる」
 わからないのでじっと圭織さんを見ていた。すると、圭織さんは続ける。
「独り言ってさ、声が下向くっていうか、言葉が内に響いていく感じじゃない。よっすぃの場合はちょっと違って、言葉が跳ね返ってきてるような気がするの。だからよっすぃの声色はまっすぐなままだし、口調も落ちていかないの」
「そんなの、見てたんだ、でも、私、ここ来てから圭織さん以外と喋ってないよ」
12 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:16
 私が思っていたことは言葉として漏れ、それが圭織さんの耳に入ったのだろう。そんなことは、さして重要ではない。が、一応、咎めるように圭織さんを睨むが、それは虚勢にすらならず、無表情に解けた。
「ねえ、なんでこんな、私に良くしてくれるの?」
「はぁ?ここは私の別荘。よっすぃが来たい、って言ったんじゃない」
 どこかはぐらかすように、圭織さんは首を振った。
「じゃあ、よっすぃはここで何してるの?」
「別に何も。他にすること思いつかなかったし、でも何かしてなきゃいけないだろうし、やっぱり何もすることがないから、ここでじっとしてる。・・・やっぱそうなのかな。いや、ちょっと待って。・・・ここはさ、きっと一番空に近い場所なんだよ。で、海も目の前にあるし。海ってさ、生命の母と呼ばれるくらいだから。ここにいたら奇跡が起きるような気がするんだ」
 圭織さんは、何を畏れているのか、怪訝そうに眉を顰める。
「どしたの?よっすぃ。口調が変わってきてるけど」
「別に変になったわけでも、気を狂わせようと自分を追い詰めているわけじゃない。ただ、変わろうとしてるんだよ。変わりたいだけなんだ。女の肉体と精神は、私にとっては少し重いのかもしれない・・・」
13 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:21

「圭織さんはなんで私によくしてくれるの?」
 もう一度聞いた。そして、圭織さんを見つめた。圭織さんは窮屈そうに私の視線を受けている。
「・・・別に、純粋な興味から。石川、真希、美貴。私のお気に入りのコ、みんなよっすぃに惹き寄せられて、蹂躙されて。で、よっすぃは今、私の手の中にあって、壊れかけてる。こんな面白いことないよ」
 圭織さんは、そう笑った。顔の筋肉を緩めるのではなく、どこかこわばらせるような、圭織さん独特の笑み。私もつられるように笑った。けど、そのどちらも寒々しく、太陽に手が届きそうなここでは、笑いはすぐに融けてしまう。圭織さんは大仰に鼻から息を吐いた。

「退屈なのよ。それは絶無に近い寂しさと言ってもいいくらいに。どこかに欠落があるの。自分に何が欠けてるのか、なんてあまり考えたくないけど、たぶん、よっすぃと同じ。絶対的に足りないからこそ、非情にだってなれる。何より自分が大事なの。よっすぃがやってるのはただの自傷行為にしか映らない。私にはできない。だから、よっすぃから何か見出して、自分も救われたいのかもしれない。そのためなら、よっすぃの不幸も厭わない」
 真面目に、寂しそうに、圭織さんは一息に言う。私は笑った。圭織さんも、当たり前のように頷くと、どこか開き直ったように、偶然、聞いちゃったんだけどさ、そう前置きして、素っ気なく聞いた。
「藤本、どうだった?」
 単なる照れ隠しだろう。話している内に思い出してしまった何かを忘れようとしているのかもしれない。圭織さんは笑おうとしているが、表情が歪んだだけだ。
14 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:25
 それでも、私は何か返さなきゃいけないような気がした。
「ミキティ?」
「うん、ミキティ」
「なんか切なかった」
「切ない?」
「うん、なんか、今までで一番頼りない、っていうのかな。すっげー守りたいって思った。けど、私じゃ絶対に無理だとも思った」
「無理?なんで?そんなことないと思うけど」
「・・・私が女だから。物理的な強さとかなら、ある程度は何とかなるかもしれないけど、私じゃミキティに子供を産ませてあげられない。守る、っていうのは、ただ側にいて、何か危険があればそれを排除してあげる、危険から遠ざけてあげることじゃないと思うんだ。守る力を身に付けさせてあげなきゃならない。いつも側にいてあげるなんて無理だし。たぶんだけど、子供が生まれたら、そういう強さをミキティに身に付けさせてあげられるんじゃないか、って」
「でも、藤本は強いと思うけど」
「そうかもしれないけど、やっぱりどっか違う」
「でも、精子バンクだってあるんだし。子供なんてどうとでも・・・」
「子供っていうのは例えの話で、感情の問題。そうなるのは、もっとずっと先のことだろうけど。ぶっちゃけ、突っ込めんの指だけだし。そういうのが嫌。圭織さんだって、高橋とヤる時と、男に入れさせるのとは訳が違うでしょ?」
15 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:27
 圭織さんは息を飲んで、深く思いを巡らせている。強い後悔の色が窺えた。私は言った。
「別に責めてるわけじゃない。圭織さんは高橋を手離さざるを得なかっただけで、どうしようもない所まで事態は拗れてたんだよ。当人同士じゃ見え難かっただろうけど。だから、気に病むことじゃない。・・・高橋と男のどっちがどうか、って話じゃなくて、私はただそこにある違いの、私の持ち得ないものが──」
「やめて!いいから、ホントにいいから。お願いだから。もう、いいから・・・」
 耳を押さえた圭織さんがヒステリックに遮り、縋るように言った。

 現実的な話ではない。私は幻想の中にリアルを求め、途方もない理想の前に平伏し、挫け、訳もなく自分を痛めつけるようにして、その時を待つのだ。背中でごつごつしている無感情も、目の前の大いなる母も、麻のシャツを着ている生命提供者も、幅を利かせる恒星の発光も、暖められて不快でしかない空気も風も、何もかもが同列で、きっと私に何も残さない。何も与えてはくれない。
快楽を吐き出す術を持たない私は、高まる熱を持て余している。いつも熱に魘されるようにのたうっている。だから、頭も壊れてくんだ。

16 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:31


 太陽が天頂近くまで昇り、その力は一層非情になる。私のなけなしの水分を絞り、干からびさせ、煤けてボロボロの肌から、さらに水を奪おうとする。気温の上昇は、意志を持ったように人間を追い詰める。それが、どんな精神状態であろうと。圭織さんがシャツの胸元を掴み、パタパタ扇ぐ。なだらかに盛り上がる乳房が覗け、そこはしっとりと汗ばみ、谷間には汗が溜まっている。その透き通るような白くて薄い肌には、紫色の血管の浮かんでいた。圭織さんは、いつもならあけっぴろげなのに、私の視線に異質な物を感じ取ったのだろう、開いた胸元を掴んだ──

 気が付いた時には、強引に圭織さんの口腔に舌を捻じ込んでいた。圭織さんは激しく抵抗していたが、私が強く押さえつけていた。どこにこんな力が残っていたんだろう、というくらい、私は未知のエネルギーに溢れていた。圭織さんには瞬発的な力はあっても、持続はしない。やがて抵抗を諦めると、動かなくなった。そして目を閉じ、ゆっくりと私を包み込むように腕を回した。この腕の中でなら、私の熱は突き抜けられるかもしれない。
17 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:35
 日焼けで膨れて破れた唇からはひっきりなしに血が流れ、痛かったが、それもすぐに痺れて消えた。皮膚の内側で眠る感覚が覚醒し、ぼこぼこと沸き立つ。ぎゅるぎゅる昇っていく熱は私の頭の中で暴走し、絶え絶えの呼吸では酸素が足りない。そのせいで、煌く光のせいで、頭はガンガン唸り痛かったが、私はそれでも圭織さんの中に潜り込むよう、体をぶつけるよう、弄り、引っ掻き、噛み付いた。鎖骨を吸い、胸の谷間に溜まる汗を舐めあげ、恥毛を千切った。破綻しかけた精神は、圭織さんに逃げ場を求めた。肺はガサガサとざらつき、口が渇いてネバネバする。頭の中で膨張し続ける熱は限界を超した重さで、後頭部が地中に引き寄せられていくかのようだ。私は圭織さんに、目の前の女に貪りつく。世界がぐるっと上を向き、あれだけぎらついていた太陽が霞み、やがて訪れた暗闇の中で白い光の円がいくつも明滅していた。
18 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:36


 目を覚ますと、乱れた服をそのままに、圭織さんが空を見ていた。
「陽に焼けちゃいますよ」
「いいよ、もう。よっすぃに犯されたし。途中で気絶されたし」
「すみません」
「すいませんじゃなくて、ありがとう、って言いなさい」
「・・・ありがとう」

 生温い風が吹く。思うように息が吸えない。熱が私の中で燻り、喉が絞まっている。僅かに入ってくる空気も、太陽に焼かれていて、どうしようもなく熱い。肺が悲鳴をあげている。
19 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:48
「私さ、よっすぃに抱かれ、いや、抱きながら?どっちでもいいけど、ずっと考えてたの」
 圭織さんが私を見る。厳しい目をしているが、それは私に向けられているものではなく、圭織さん自身に向いているものだろう。私は頷いた。
「気付かないフリして、小旅行の気分で一緒に帰ろうと思ってたけど。笑って、よっすぃがまたでっかいバカやらかしました、みたいな感じで。でも、もう・・・無理、だと思う、の。よっすぃ、限界でしょう?体や心云々じゃなくて、何もかも。どうにかしてあげたいけど、私じゃ何をしても無駄だよね、きっと。よっすぃのためとかじゃなくて、自分がそうしたいから、そうするよ。これ、置いておくから。ゆっくり考えなさい」
 どこにでも売ってそうな安っぽい新品の登山ナイフだった。深い緑のゴム柄で、大き目の刃には、無駄にしか思えない凹凸がいくつも刻まれている。その刃は鋭く砥がれているが脆そうで、一度で使い物にならなくなりそうだ。
 ここで絶望して死ぬか、諦めて何もなかったかのように生きていくか、二択なのだろうか。その選択肢も含めて、考えなさい、なのだろうか。恐らく、圭織さんは私と死を直面させ、決着をつけさせようとしてくれている。その動機が何にせよ、圭織さんにそこまでさせてしまった事を申し訳なく思った。
20 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:49

圭織さんが去ると、波と風が儚げに響く以外は、異常な静寂が溜まっている。太陽が真上に到達し、ただただ暑い。陽射しと共に降り注ぐ熱が、大気と体の輪郭を壊し、どうしようもない絶望と喪失が際立つ。目を閉じ、項垂れ、肺の空気を搾り出し、空を見上げた。圧倒的な光量が瞼を焼いた。私は目を開けた。途方もないくらいに強大な光が私を射抜き、視界に隅で霞んでいた青空が一瞬にして黄色く発光して消えた。ぐらんと脳が泡立つくらい私は息を吸えるだけ吸い、何もかもを吹き飛ばすように吐き出した。ナイフの切っ先は簡単に股間にめり込んだが、浅い。手で支えていないとぐらつき、抜けてしまいそうだ。じんわり滲む血が愛しかった。息を止め、警鐘のような血流の荒ぶりを抑え、今度は意志を持って力を込めた。ナイフは嫌な音を立てて突き刺さり、子宮に達した。熱が傷口に集まり、心臓の鼓動から少し遅れて血が溢れる。


21 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:50

 血が流れていく。指先が恐ろしく冷たい。意識が白濁し、ゆっくりと遠のき、暗転する。感覚だけが突き出たようにクリアーだ。血は肉体という膜を打ち破り、熱を放出している。体験したことはないけど、きっとこういうことなんだろう。
 見て、今、私、射精してるよ。

 凪いだ海に、ヨットが小さく軌跡を残していく。海の青は遠く、水平線にゆっくりと白に溶け、それは上昇してまた青い空になる。この空はどこまでも続くのだろう。そしてまた、どこかで海に辿り着く。
 流れ落ちる赤い血は、海の青と溶け合い、透明な薄紫になる。白く揺らめく視界の中、私にはそう見えた。


22 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:50
 
23 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:51
 
24 名前:8.over 投稿日:2004/04/25(日) 23:51
 

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