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48 笑う紺野
- 1 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時29分33秒
- 48 笑う紺野
- 2 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時30分26秒
- 「じゃあ夜が来たら紺野を攫いに行くよ」
- 3 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時30分50秒
- 言い終えると鳩の形をした怪盗の言葉は黄金色に光って虚空に散った。
秋の日差しを受けて煌きながら、やがてゆっくりと床の上に降り積もった。
怪盗は妖(あや)しの術を使う。
麻琴おばあさまは荒々しい手つきで開いた窓をバタンと閉じた。
忌々しげにその残滓を睨みつけると、くぐもった声で「片付けて」とさゆみに告げた。
帚を取りにいこうとすると「荒神帚でないと残るからね」と追いかけてきた。
あいにく荒神帚というものがわからない。
「荒神帚というと?」
「竃(へっつい)を掃除する帚じゃないの」
さらに「へっつい」の意味を聞いたら怒られるだろうから黙って普通の帚を取りにいった。
麻琴おばあさまは物にこだわらない質だ。
少し見た目が違うことくらいは大目に見てくれるだろう。
だが…
「ああ、言わんこっちゃない」
塵取りに集めたはずの言葉の滓(おり)はまだ言い足りないことがあるのか、うう、とか、ああ、とか掃く度に反応するので気になって仕方がない。
掃いても掃いても集まらない塵芥と悪戦苦闘するさゆみの様子に業を煮やした麻琴おばあさまは細長い箒を持ってきて、さゆみを押し退けた。
- 4 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時31分07秒
- 「口述金鳩の残滓は荒神帚で掃かないとだめだと言ったでしょ」
そう言いながら持ってきた帚で掃き出すと柄の悪い言葉の残骸はあっと言う間に微かな粒となって溶けるようにして空中に消えて行った。
「見事なものですね」
「バカを言わないで。最初から厨房の帚を持ってくれば余計な手間をかけることもなかったのに」
不機嫌そうに言う麻琴おばあさまは近ごろ癇性持ちだ。
「それにしても困ったもんだ」
「紺野…ですか?」
「紺野さ…」
賓客よろしく座椅子の上に鎮座した紺野は、わかったのかわからないのか表情を変えずひたすら目の前の空間を見つめている。
いつも驚いたように見開かれている瞳の底が青白くぼおっと光った…ように見えた。
「困ったねえ…」
バカのひとつ覚えのように繰り返す麻琴おばあさまが少しだけ哀れに思えた。
無理もない。
紺野なしでは生きられないのではないかと思えるほどおばあさまは紺野に執着していた。
さゆみがメイドとして仕え始めてから半年以上を数えるが、一日足りと紺野に話しかけない日はない。
よっぽど、紺野が好きなのだろう。
それを盗むというのだからたまらない。
- 5 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時31分23秒
- だが…
とさゆみは思う。
怪盗は心を盗む。だが、紺野には盗まれる心がない。
「今になってこんな人形を盗まなくたってよさそうなものだけど…」
「麻琴おばあさま…」
傀儡(くぐつ)…と使用人の間で呼んでいるそれは浄瑠璃という芝居のための人形だったらしい。
瑠璃色に光る紺野の深く青い瞳はさぞ舞台で映えただろう。
残念ながら戦火の激しくなる一方の御時世とあっては、酔狂な芸能事は廃れる一方だけれども。
「攫う…というからには何か荒っぽい手を使うのでしょうか?」
「どうだかねえ、怪盗は術を使うと言うから」
麻琴おばあさまの表情は心痛のためか勝れない。
紺野を守るための助けが必要だろう。
さゆみはハッと思い立って告げた。
「探偵をお雇いになれば!」
「探偵かい?」
麻琴おばあさまは胡散くさい、とでも言うようにフンッ、と鼻を鳴らした。
おもしろくない、という表情は故意につくっているようにも思える。
「頼りにならないけどね」と強がっては見せるが、憎からず思っていることは言葉の端々から窺える。
- 6 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時31分41秒
- この界隈に探偵はひとりしかいない。
普段から出入りしているわけではないが、近所のこと。
何かと話題にはのぼる。
探偵の話をするときだけ、なんとなく生気を取り戻すような。
そんな様子が麻琴おばあさまの口調には感じられた。
紺野を相手にしているときには感じられない生の脈動が感じられた。
普段、ひっそりと息を潜めて生きている麻琴おばあさまが、そのときだけ生き返った。
だから、さゆみも探偵が嫌いではない。
「では、探偵を呼びに使いを出します」
「急に呼びたてて探偵は来られるだろうか?」
なんのかのと言いつつも既に宛てにしているらしいところが素直でない。
そんな麻琴おばあさまがさゆみにはときとして可愛らしく思えることもある。
普段は小うるさいことこの上ない主人ではあるのだが。
「大事ないでしょう。昨今は戦争のおかげで探偵も商売あがったりだとか」
嘘ではなかった。
辺境から遠く隔たったこの地に敵が今日にでも攻めてくる、という状態でこそないものの、戦況は日増しに悪化しており、いつ、ここも砲火を浴びることにならないとも限らないのだから。
そんなご時世に探偵を雇えるような余裕のある家は多くはなかった。
- 7 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時31分58秒
- さゆみが使いを出すとしばらくして探偵はやってきた。
少し白いものが髪に混じってはいるが、その威丈夫は健在である。
「やあ、僕を呼んだのは君かい?」
「不本意ながら」
「ほう、不本意!」
探偵は嬉しそうに叫んだ。
久しぶりの仕事とあって気持ちが昂ぶっているのかもしれない。
しかも、相手はあの怪盗だ。
「それにしてもご無沙汰じゃあないか。君はそうやって家にこもっているから」
「それが私の生き方ですから」
「かれこれ一年になる。後藤公が突然、暴徒の凶弾に倒れて以来だ」
探偵は、次期皇帝の最右翼と目されていた後藤大公が突然、暴漢の銃弾に倒れた事件を指している。
爾来、世の中がおかしくなってきたというのは衆目の一致したところだ。
今年に入って急遽、戴冠された美貴帝にも最早、群雄割拠する諸侯を束ねる力はない。
実質、各国の利害をうまく調整していた宰相保田公が逝去されて以来、帝国の求心力は衰えるばかりである。
まさに瓦解寸前のところまできている、と言っても過言ではない。
もっとも帝国の衰退はさゆみが帝国領内に入る以前から喧伝されている。
今になって囁かれた話ではなかったのではあるが。
- 8 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時32分13秒
- 「噂でちらっと聞いたんだが、後藤公には思いを寄せられていた女性がおられたそうだ」
さゆみがお茶の用意をして戻ってくると探偵は座椅子に深々と腰を落ち着けて話し掛けているところだった。
麻琴おばあさまは探偵の言葉を聞いているのかいないのか。
窓の外を眺めてはしきりにそわそわしている。
やはり、怪盗の言葉が気になっているようだ。
「これは真実かどうかわからないのだが…」
探偵も視線を窓の外に向け、遠い目をして語り続ける。
幾何学的な模様に刈り取られたはずの木立の一部がやや鋭角的な形を失いつつある。
さゆみは庭師に剪定を催促しなければと思った。
「後藤公はその女性を連れて帝国から離反するおつもりだったそうだ。あの不幸な事故は先帝の指示による誅殺だったのではないかと噂されている」
「今になって、なんでそんなことが…」
麻琴おばあさまの声は震えている…
「石川公に対する牽制だろう。美貴帝と石川公の確執は領内で知らぬ者のない事実だ」
「保田公が生きておられれば…」
- 9 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時32分27秒
- 「それ以前に後藤公が生きておられれば、と願う声が強いからね、民衆の間では。そんな声を封じる狙いもあるのだろう。つい先日も、後藤公の墓所が不届き者によって暴かれたばかりだ。そろそろ一周忌だからね。遺品が高く売れると見込んだ悪党の仕業さ。いずれにしても――」
探偵は注がれたお茶を一口啜ってから続けた。
「――もう長くはないだろう。怪盗が跋扈するのは帝国崩壊の予兆だ」
そう言い切ると探偵もまた遠い目をして窓の外を見つめた。
その目に映るものは遠い異国の風景か、あるいは近くて遠い過去への憧憬か。
さゆみも付き合いで窓の外に目を向けると、一羽の鳩が庭園の中心にある噴水へと降り立つ姿が目に入った。
「あれ、あれはまた怪盗が…?」
「違うだろう」
探偵は立ち上がり、窓際に立って厳しい目つきで鳩を眺めている。
「怪盗は言葉を翻しはしない。そして――」
視線は相変わらず鳩に向けられたままだが、その表情は幾分和らいだ。
「――怪盗は、予告した言葉は必ず実行する、ということだ」
- 10 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時32分42秒
- 麻琴おばあさまの肩が震えている。
いつのまにか、紺野を膝に置いて両腕でしっかりと抱え込んでいた。
人形の顔に頬を寄せる姿はどこか倒錯した異世界を彷彿とさせるようで、さゆみには見ていてつらいものがあった。
「その人形ともそろそろ一年の付き合いになるのか…早いもんだね」
「あさ美は…紺野は、渡しません」
強い口調で言うものの、説得力は感じられない。
怪盗が「盗む」と言ったものは必ず盗むのだ。
それがわかっているからこその強がりでもあるのだろう。
麻琴おばあさまは必死の形相で紺野を抱きかかえて、梃子でも動かないという強い意志を体中から発散していた。
その形振り構わぬ姿には、事情をよく理解していないさゆみでさえ打たれるものがあった。
だが、探偵はそんな様子にも頓着せず、やや冷たいとも思える言い方で突き放した。
「いい機会ではないのかい?人形に紺野の代わりは務まらない」
「何を仰るの?!あなただって私にとって紺野がどれだけ大切な存在か知らないはずはないでしょう?!」
「ああ…だが、それは…」
麻琴おばあさまの強い剣幕に押されたのか、探偵は言葉に詰まった。
- 11 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時32分57秒
- さゆみはどうなることかと固唾を飲んで見守っている。
「紺野も辛いのではないかな?」
「そんな…」
麻琴おばあさまは、まさか、というような表情で紺野の顔を正面から見据えた。
目の下の涙堂という膨らんだ部分の陰影は艶かしく紺野の顔相を特徴付けている。
不思議な気を発する人形の存在感から、さぞかし名のある匠の手によるものと思われた。
紺野は麻琴おばあさまが可愛がっていた娘の名前だ。
二人に血縁関係があったのかどうか知らない。
さゆみが人伝に聞いた話では、それはもう目の中に入れても痛くないというほどの可愛がり様だったという。
だが、紺野はある夜、突然、首を括って死んでしまった。
理由はわからない。
麻琴おばあさまは黙して語らないし、誰も聞こうともしない。
紺野を失って悲嘆に暮れている麻琴おばあさまのところに、ある日、傀儡(くぐつ)の紺野が贈られてきたという。
贈り主はわからない。
だが、さゆみにはなんとなくわかるような気がする。
麻琴おばあさまは当たり前のように紺野の傀儡(くぐつ)を慈しんでいる。
その姿がさゆみには哀れに映る。
- 12 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時33分13秒
- 「怪盗が紺野を攫っていく。これは何を意味するのだろう?」
「紺野は私が護りますよ」
「だが怪盗がしくじった事はない。麻琴くん、これは運命、必然だよ」
「そんなことは私が許しません!」
悲痛な叫びを上げて抵抗する麻琴おばあさま。
だが、その言い分には随分、無理があるように思われた。
探偵は構わずに持論を展開する。
「怪盗は民衆の心を掴んでいる。やつはそろそろ動き出すつもりだ」
「動き出すとは…?」
麻琴おばあさまは不安そうな表情で探偵を見つめている。
「怪盗は義賊として民衆の心を掴んでいる。今まで盗んだ高価な宝石やら金品はみな、貧しいものに分け与えられた。だが今回は、さして金銭的な価値があるとは思えない紺野の傀儡(くぐつ)だ」
「だから心配しているんじゃないですか」
「うむ。だが、怪盗が新しい時代の幕を開けるために紺野を必要としているとしたらどうだい?」
「新しい…時代?」
麻琴おばあさまは怪訝そうに探偵の言葉を繰り返した。
- 13 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時33分28秒
- 「そう。民衆を駆り立てるためには、奇跡が必要だ。キリストが布教のために奇蹟を行ったようにね。恐らく、怪盗は人間のように精巧に出来た紺野の傀儡(くぐつ)を使って妖(あや)しの術を行うつもりだ」
「それでどうしようと?」
「民衆の扇動だ。皇帝の求心力低下をいいことに諸侯による民衆の搾取が常態化している。怪盗は義賊だ。疲弊した民衆の惨状を見かねて立ち上がるに違いない。これは壮挙だ!」
興奮を隠さない探偵とその様子を冷ややかに見つめる麻琴おばあさまの温度差は明らかだった。
おもしろい話ではないに違いない。
麻琴おばあさまはどちらと言われれば搾取する側であり、搾取される側ではないからだ。
先帝の代には中央の政界に親しい知人もいたという。
だが、探偵は違う。
さゆみは民衆の蜂起が本当なら、またしても奉公先を見つけねばならず面倒だと思った。
できれば、怪盗にはしくじってほしい。
だが怪盗は妖(あや)しの術を使う。
しくじったことはないという話だ。
さゆみには探偵の上気した表情が少しだけ疎ましく感じられた。
麻琴おばあさまは紺野に話し掛けていた。
囁くようなひそひそ声はしかし、さゆみの耳には届かなかった。
- 14 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時34分12秒
- 夜が更けた。
月は煌々と輝いて中庭を照らしている。
じっと紺野を抱いたまま座椅子に深々と腰掛けた麻琴おばあさまがうつらうつらする度に探偵が、コホンと咳をして起こす。
探偵がこくりこくりと舟を漕げば麻琴おばあさまが突付いて起こす。
二人の間にある種の信頼関係が成立していることに気付き、さゆみは少しだけ羨ましくなった。
月明かりに照らされた紺野の青白い顔がぼぅ、と虚空に浮かんで見えた。
薄気味悪く感じてしまうのはさゆみのせいではあるまい。
もうすぐ12時が近づくというのに怪盗が姿を現す気配はなかった。
よくある探偵小説のようにいつのまにか紺野が偽物と摩り替わっている、というようなこともなさそうだった。
紺野は相変わらず艶々とした頬を月光に晒している。
「さしもの怪盗もしくじったかね」
麻琴おばあさまがほっとしたように言うと探偵が首を振った。
「安心するのはまだ早い。怪盗は『今夜』と言ったのであって夜が明けるまでは油断できない」
「でも今夜はもう――」
ほわっ、と口に手を当てて眠気を堪える仕種はもう何度目になるだろうか。
最初のうち、暇つぶしに数を数えていたさゆみもすでに飽きて止めてしまっていた。
- 15 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時34分26秒
- ぼぉーん、というくぐもった音が響いて時計が12時を打ったのだと気付いた。
何度目かのうたた寝から起こされて寝惚け眼を擦る麻琴おばあさまの手が離れた隙に紺野が立ち上がった。
「えっ?」
「麻琴くん!きみ!」
三人が呆然と見送る中、紺野はふわりと浮いて窓の傍に降り立った。
脚は地に付いているのか見えない。
「そうか、君はやはり…」
探偵のつぶやきにうなずくと紺野はそのガラス玉で出来ているはずの目を麻琴おばあさまに向けて声を発した。
「ま、こと…」
「あさ美…行かないで、あさ美…」
驚きのあまり声も出ないさゆみの前で麻琴おばあさまは必死の形相で紺野に取りすがろうとしていた。
探偵は訳知り顔でしきりにうなずいては、ふむ、とか、やはり、とかつぶやいている。
さゆみはこの場の異様な雰囲気に磁場のようなものを感じて動けずにいた。
「ま、こと…」
紺野はその瑠璃色の瞳を潤ませて何事か麻琴おばあさまに伝えようとしている。
瞳に映る悲しげな光は朧に霞んでゆらゆらと揺れていた。
釘で打ちつけていたはずの窓はいつのまにか開いている。
紺野の顔はじかに差し込む月の光に映えて白く今にも崩れ落ちそうな儚さを感じさせた。
- 16 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時34分42秒
- 「…あっ…あっ…」
麻琴おばあさまの手はいたずらに虚空を泳ぐばかりだ。
さゆみはその仕種が滑稽に思えて仕方がない自分に罪悪感を覚えた。
探偵はしたり顔をつくつて麻琴おばあさまの肩に手を乗せている。
紺野の影がぐらりと揺らいだ。
わずかに燐光のような淡い光を放って幽かに留めていたその輪郭は今や月光の中に溶けようとしていた。
「あさ美、ゆるして!」
ふわっ、と麻琴おばあさまが掴んだはずの空間にはもはや紺野の姿はなく、金色の塵がキラキラと舞うばかりだった。
麻琴おばあさまはガクリ、と膝をついて砂塵のように舞い上がる金色の粒子を呆然と見送っていた。
さゆみはその輪郭が消えてしまう最後の一瞬、目にしたものが信じられなった。
あるいは何も見ていないのかもしれない。
後には何も残っていなかった。
今度は荒神箒の必要もなさそうだ。
「麻琴くん」
探偵が泣き崩れる麻琴おばあさまに声をかけた。
紺野を守れなかったいいわけでもするつもりだろうか。
「もう、充分罪は贖ったんだ。顔をあげたまえ」
「な、なにを…?」
- 17 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時34分56秒
- 麻琴おばあさまの顔は驚きのあまり蒼白になっていた。
涙で泣き濡れた顔は太り肉(じし)でむくんだ上に汚らしい。
さゆみはわが主人ながらその様は醜いと思ったことを恥じる気にはなれなかった。
だが探偵の態度はあくまでも優しかった。
憐憫の情、あるいは友愛の印。
探偵は言った、「罪は贖った」と。
知っているのだ、探偵は。
だが、何を?
さゆみは紺野が光の中に溶ける直前に見たものが気になり始めた。
「あの晩、僕は見ていたんだ」
月を輪背にした探偵の表情は翳っていてよくわからない。
「紺野は後藤公の死に絶望して首を縊(くく)ろうとしていた」
さゆみは耳を疑った。
ということは。
「そう。後藤公が駆け落ちしようとしていた女性は紺野だったのだ。だが、後藤公は紺野を迎えに来ることはなかった。なぜなら…」
「もう止めて!」
麻琴おばあさまの甲高い声が夜空を切り裂いた。
だが探偵は止まらない。
- 18 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時35分11秒
- 「それは君が先帝の間諜に密告したからだ!後藤は帝国から離反するつもりだと!」
耳を塞いだままぶるぶると首を振る麻琴おばあさまの頬が揺れた。
探偵は構わずに淡々と続ける。
「君には後藤公が帝国に造反しようがどうしようが構わなかったのだ。だが紺野を連れて行くことだけは許せなかった。なぜなら――」
探偵の声が悲痛の色を帯びた。
「紺野は後藤公と君との間にできた一粒胤だったのだからね」
さゆみの頭の中で何かがカラカラと回っている音が聞こえた。
「腹を痛めた実の娘とその父親の愛の逃避行…そんなことが許せるはずはなかったんだ、君には」
その様子に麻琴おばあさまを糾弾するような調子は感じられない。
「君はうまく隠し切ったと思っただろう。なぜなら、後藤公が最後に放った口述金鳩が真実を告げたのは紺野でなく、君の前だったのだからね。そう、怪盗は――」
単位手は勿体をつけて間を空けると、一気に言い放った。
「――後藤公だったのさ」
麻琴おばあさまは蹲って頭を抱えている。
だが、聞かないわけにはいかないだろう。
さゆみは思った。
それが贖罪というものだ。
- 19 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時35分27秒
- 「だが、紺野は知ってしまった。なぜか?それは君が口述金鳩の残滓を普通の箒で掃いてしまったせいだ」
「えっ?」
さゆみは驚いた。
「荒神箒で掃いて捨てないと残り滓(かす)がいらぬ口を聞いてしまうのを知らなかったのだろう君は?」
やけに荒神箒にこだわるのにはそんな理由があったのだ。
一年経った後では遅きに失するこだわりではあるが。
「紺野は首を縊(くく)る間際に聞いてしまったのだ。その残滓が後藤公を先帝に売ったのは君だと囁くのを」
「あ、あさ美…」
麻琴おばあさまは再び泣き崩れた。
「偶然、吸い込んだ怪盗の術の残り滓(かす)、そして湧き上がった麻琴くん、君への憎悪により、紺野は死ねなくなった……いや正確ではないな」
うぅっ…うぅっ…
麻琴おばあさまの苦しそうに呻き苦しむ声が闇の底を這う。
探偵は言葉を選びながら、正確を期した。
「――君が毎日、その顔を見て暮らさねばならぬよう、傀儡(くぐつ)として腐らぬ体に自らを封じ込めたのだ。君が決して、その人形を捨てられぬと知った上でね」
- 20 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時35分45秒
- あさ美…許して…
さゆみの脳裏にさきほど紺野が消え去る前に麻琴おばあさまの口から漏れた言葉が甦った。
ひょっとすると、その言葉を唱えることは麻琴おばあさまの日課と化していたのかもしれない。
その一年は麻琴おばあさまにとって長かったのか、短かったのか。
だが、探偵は告げた、「罪は贖われた」と。
「たまたま、どこかの悪党が後藤公の墓を暴き立てなければ、口述金鳩があの言葉を甦らせることはなかったのかもしれない。そして、紺野が憎しみから解放されることも」
探偵の前で、麻琴おばあさまは、今まさに赦しを請う神の子羊のごとくうな垂れて、淡々と紡がれるその言葉に耳を傾けていた。
「だが、今となってはわからない。紺野が憎しみのために傀儡(くぐつ)となって君と暮らすことを選んだのか、それとも――」
さゆみは、最後に見た紺野の表情を思い出した。
それは……、その顔は……
- 21 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時36分00秒
- 「死ぬ間際にやはり、君のことを放っては置けないと思ったのか…」
その顔は笑っていた。
悪意とも善意とも取れる表情。
紺野はただ笑っていた。
探偵は紡ぐべき言葉を失ってただ立ち尽くし、麻琴おばあさまとともに窓の外を見つめている。
室内に差し込んで二人を照らし出す月の光が宗教画のように静謐な印象を与えた。
さゆみは、思い出した。
怪盗は妖(あや)しの術を使う。
そして、未だしくじったことはない。
秋の風がひゅぅっと吹きこんでカーテンを揺らした。
さゆみは窓を閉めようと思った。
- 22 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時37分17秒
笑う紺野 − おわり −
- 23 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時37分51秒
- 川o゚∀゚)アヒャ
- 24 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時38分06秒
- 川o・∀・)アヒャ
- 25 名前:48 笑う紺野 投稿日:2003年09月22日(月)22時38分46秒
- 川o`∀´)アヒャ
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