インデックス / 過去ログ倉庫
11 ありふれた話
- 1 名前:11 ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時38分40秒
- 11 ありふれた話
- 2 名前:11 ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時39分29秒
- 「じゃあ夜が来たら紺野を攫いに行くよ」
- 3 名前:11 ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時40分32秒
- 安倍さんがニコニコしながら、ぶんぶんと手を大きく振って、バタンと楽屋の扉を閉めました。
「なんか約束?」
里沙ちゃんが眉間に眉を寄せて、あたしを怪訝そうに覗き込んだ。眉毛が濃い人の表情はとても豊かで、脅迫的だ。
「うん。帰りに一緒に本屋さんに行こうって。安倍さん、流行りの推理小説をいくつか読んでみたいんだって」
「えー。なにそれ。紙に書いて渡せば済む話じゃん」
不満そうに言う里沙ちゃんの本音はわかってる。自分も一緒に行きたいのだ。
「安倍さん、すぐそういうの、なくしちゃうし、奇跡的になくさなくってもどこに何の本があるか見つけられないんだって。この前も、何冊か書いて渡したんだけど、一冊も見つけられなかったって、すごいしょんぼりしてたから、それじゃいつか都合が合ったら一緒に買いにいきましょうねって」
- 4 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時41分50秒
- 安倍さんの大ファンを自称する里沙ちゃんの前では、いきおい言い訳がましくなるのも仕方がない。誤解を招かないように。疎外感を与えないように。悪いことしてるわけでもないのに。人間関係は遠慮と優しさで出来ている。
「……それは……安倍さんらしいね……」
里沙ちゃんは納得したように溜息を吐いた。
◇
安倍さんと付き合うのはとても楽です。あたしがどんな言動をとっても、例えばとんでもなく失礼なこととか、有り得ないような善行でもしない限り、安倍さんは大抵のことは忘れてくれます。安倍さんといると、私は頭が良く親切な後輩の役を演じるだけで済みました。それはとても明快で安心なことでした。
◇
雑誌の取材で抜けた安倍さん抜きでの反省会が終わって、控え室にはもう疎らにしか残ってない。私はどちらかというと、さっさと帰るタイプだったから、人が少なくなった控え室というのはもの珍しかった。
- 5 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時43分04秒
- 「それ、まこっちゃんの?」
一面鏡になった壁の前のスツールに腰掛けて文庫本をめくっている愛ちゃんに声を掛けてみる。『Itと呼ばれた子-少年期-ロストボーイ』、麻琴ちゃんの愛読書だ。児童虐待に遭った少年が立ち直っていく話。激しくて深刻な虐待の描写のせいか、愛ちゃんはものすごく深刻な悩みごとがあるのか、それともものすごく体調が悪いのか二つに一つしか有り得ないような真剣な表情で読んでいる。
「ん…、もうちょっとで読み終わりそうやから一気に読んで今日返そうと思って…」
「小川さんならさっき、辻さん加護さんガキさんと仲良く4人で帰ってましたけど?」
ドアのそばでメールチェックしていた亀井ちゃんが、顔も上げずに声を掛ける。
「うそお! あたし今日返すから待っちょってって言うたって!」
愛ちゃんは、有り得ないほど目を剥いて、がばっと立ちあがった。玩具屋の店先に置いてあるシンバルを叩いて歯を剥くモンキー人形に異常に似ている。怖い。
「まこっちゃん、さっき来てたよ。もう帰るしそれ返すのいつでもいいから気にしないでって高橋に声掛けてたし」
- 6 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時43分56秒
- 見かねたように念入りに化粧直ししていた矢口さんが、教えてくれる。愛ちゃんはへなへなとスツールに座り込んだ。
「ほんまですか。うっそ。全然覚えちょらん…」
愛ちゃんはすっかり困惑しきって考え込む。
「あたしも聞いてたけど、愛ちゃん『んー』って返事してたし」
「してましたよね…」
私の言葉に亀井ちゃんも頷いた。愛ちゃんはへなへなした表情から一転して口をへの字に結んで、一気に鬼のようなスピードで荷物をまとめた。
「ほいじゃね。またねえ」
慌てて携帯を片手の親指だけで操りながら、小走りに帰る愛ちゃん。この間ジャスト10秒。なんとはなしに愛ちゃんを見送ってしまった私と、亀井ちゃんの視線が合ってしまう。思わずてへへと笑いかけると、意外にも亀井ちゃんはアヒルのようにも般若面のようにも見える口元だけの笑顔を浮かべた。激しく鈴木あみさん似だ。
- 7 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時44分37秒
- 「高橋さんって男前ですね」
「ああいうの、男前っていうんだ…?」
思わず突っ込むと、亀井ちゃんはますますにこっとした。
「さゆが、えっと道重のことなんですけど、そのさゆが高橋さんのファンなんですよ」
「ああ…、シゲさんそうなんだってね。こないだのハロモニで言ってたねえ」
「あたしそれ、全然理解できなくて。だって有り得ないですよね。高橋さんなんて」
亀井ちゃんは面白そう笑う。いやそれ言い過ぎだし。怖いし。
「でも最近ちょっとわかってきたかな」
「なにが?」
「高橋さんの…、魅力?っていうか」
「そうなんだ…」
どういう反応を返していいものやら困ってしまって、私はてへへと笑ってごまかした。亀井ちゃんは、私に興味を失ったように携帯電話に視線を戻した。一つ年下で、穏和しいコなんだけれども、私は微妙に彼女が苦手だ。
- 8 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時45分24秒
- 私は6期生が全員苦手だ。特に、田中ちゃんが乙女組で自分とは違うグループになったと知ったときは心の底からホッとした。どちらかというとクラスの中の最大多数グループに属していそうな彼女たちの中で、田中ちゃんは一人異質な色を纏っていた。彼女の、まっすぐに投げられる嫌悪の言葉が私に向けらていなくても、私はいつも怯んでしまう。
私は不快なものが苦手だった。得意な人も、いないだろうけど。
◇
個人の区別を敢えてつけないで、ひとくくりにして考えるのは私の悪い癖です。
◇
矢口さんも、亀井ちゃんも帰ってしまって一人っきりになってしまった。ひとりっきりの控え室はかなり怖い。TV局には怪談が多い。多過ぎる鏡のひとつに映ってはいけないものが映っていたとか、乱雑な衣装棚が血まみれになっていたとか、使われていないロッカーのなかから沢山の鼠の死体が見付かっただとか――怪談は安倍さんも飯田さんも好きだったから、ヴァリエーションには事欠かない。
- 9 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時46分05秒
- でも、それよりも現実的な恐怖としては、扉の向こうで行き交う足音の一つがこちらにやってきて、いつまで残っているんだと叱られることだった。
ほら、またひとつ、軽い足音が近付いてくる。
駆け足で。
扉が開く。
「紺野ぉっ! 攫いに来たよぉっ! 帰ろぉっ!」
安倍さんだった。
「って紺野さぁ、紺ちゃんさぁ、なぁにやってんのそんなとこで…」
「え、や、あの、なんとなく好きなんです…、すみっこ…」
私は扉から死角になるよう、扉と同じ壁の蝶番の側に身を潜めていたのだった。
◇
安倍さんは『頭が良い』人にとても弱いようです。頭が良いにも二つあって、ただ知識があるのと、機転が利くのとでは随分大きな違いがあります。勿論私は前者で、安倍さんが求めているのは後者みたいです。でも、安倍さんは、その二つを区別することができないようでした。
- 10 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時46分50秒
- ◇
東京の本屋さんは、札幌では考えられないほど夜遅くまで開いている。勿論、私たちが帰る時間にも、全然余裕で開いていた。
「どんなのが読みたいんですか?」
「んー…、あんまし人が死なないやつがいいかなぁ」
「え。推理小説で、ですか?」
「だって怖くない? なっちひとり暮らしだしさ、あんま怖いやつダメなんだよね。眠れなくなるしさ」
「えっと…、じゃ、人が死んでも怖くなかったらいいですか? 意外とそういうのは多いんですよ。金田一くんとか名探偵コナンくんみたいな感じの」
「や…、それもなんかちょっと怖くない? 別の意味で」
「それはそうかも…」
我侭な安倍さんのオーダーに答えて、推理小説コーナーで、癒し系とされる作品を中心に数冊見繕った。安倍さんは更に表紙や粗筋を確認して、読めなさそうなものを棚に戻している。結果的に安倍さんの手元に残ったのは『RPG』『暗いところで待ち合わせ』『スプートニクの恋人』の3冊だった。
- 11 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時47分34秒
- 最初の1冊はともかくあとの2冊が推理小説なのかどうか悩むところだ。
「…本当にこれでいいんですか? 舞城王太郎とか西尾維新とか北村薫とか、もうちょっと流行りの推理小説っぽいのが良くないですか?」
「いいっていいって、あ、紺ちゃん今日これから時間ある? ちょっといいお店見つけたんだぁ。圭ちゃんに教えてもらったんだけど、こっからすっごい近いんだけど?」
安倍さんはまるで、本はただの口実で、そちらが目的だったかのようにニッコリ微笑んだ。
◇
安倍さんは時折、ほんの時折、あたしの向こうに誰か、誰か、ここにはいない人を見ています。あたしではない誰かの姿を探しています。
◇
- 12 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時48分10秒
- 美味しいという噂のイタリア料理店は残念ながらとっくに閉まっていた。安倍さんはともかく私が居酒屋に入るのには問題があるし、結局、私たちは美味しいと評判のラーメン屋さんがあるあたりで、なんだかよくわからない薄暗い店を見つけて、不味くはなかったけど美味しくもない味噌ラーメンを並んで食べた。
安倍さんは「紺ちゃんはさぁ」をやたら連発した。そして質問。さっきまで受けていたインタビュアーの質問を、そのまま私にしているみたいだった。私は深く考えずに答えた。その答えに安倍さんは一々頷いたり、考え込んだりした。そして、なっちもさぁ、と自分の考えを教えてくれた。私たちの考え方は微妙に噛み合ってなくて、自分の答えが安倍さんの参考になっているような気は、まるでしなかった。でも、安倍さんは質問をやめなかった。私の答えを聞くたびに満足そうに頷くのも止めなかった。
「紺野はさぁ、今16歳だったっけ?」
最後に安倍さんはそう聞いた。
「そうですけど」
- 13 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時48分58秒
- 「紺野は明日香のこと知ってるかなぁ…福ちゃん。福田明日香」
「いえ…。一番最初にやめた人ですよね」
彼女が辞めたのも、もう5年近くも前の話だ。この頃の私の興味はもっぱらアニメーションで、男性芸能人にも女性芸能人にも、殆ど興味はなかった。
「どんな人だったんですか?」
「福ちゃん? そうだねぇ、頭が良かったかなぁ…、なんかね、勉強もよく出来たんだけど、そういうんじゃなくて…」
「機転が利く?」
「ああ、うんそう。そんな感じ。会話の切り返しとかすごく…ねぇ…」
安倍さんはラーメンをずずっとすすった。最後の一口だった。それから、伝票を持って席を立って、さっさと支払いを済ませた。
◇
- 14 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時49分39秒
- ――この胸の痛みは安倍さんのものです。私のものではありません。
- 15 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時50分19秒
- ◇
- 16 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時50分52秒
- ◇
- 17 名前:11ありふれた話 投稿日:2003年09月14日(日)10時51分24秒
- ◇
Converted by dat2html.pl 1.0