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矢口リターンズ!痛快!子供帝国の逆襲!!

1 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時51分53秒
♪今夜も大好きが止まらない and
♪今夜も涙が止まらない You know
♪Ah 恋の方程式 Oh yeah, how about it (come on)〜

TVからはすっかりメンバーの入れ代わった新生タンポポの新曲が流れてくる。
新しくメロン記念日から加わった柴田、5期メンバーから紺野と新垣が
軽快なベースラインに乗ってラップの台詞を刻む。
知らずと覚え易い節を口ずさんでいた矢口は、正直に思った。

いい歌だ、羨ましい
おいらも唄いたいな…

タンポポ最後のステージとなる横浜アリーナでの公演後、
矢口は虚脱感からなかなか抜け出せずにいた。
あの日、タンポポとして最後の歌だということを嫌が応にも意識せざるを得ない中、
最後の瞬間はあっけなく、やってきた。
ステージに飛び出したとたん目に入ってきた光景…

一面の黄色たち、黄金色に染まる会場…
さしずめそれは野原の風に揺れるタンポポに包まれているかのような錯覚を催させた。
その温かい光につつまれて、矢口は泣いた。
飯田も泣いた。加護も泣いた。
そして石川は…
2 名前: 投稿日:2002年09月23日(月)23時52分49秒
彼女はどうしていただろう?
矢口たちのタンポポ最後のラジオ収録日、彼女は泣いていた。
それを考えればあのときも泣いていておかしくない。
いや、泣いていたはずだ、きっと…

TVの画面上で満面の笑みを浮かべながら新曲を唄う石川に違和感を覚えて、
矢口はチャンネルを変えた。

「どうしたの、タンポポの曲だよ?」
「いや、ほら。もう何回も聞いたから…それより、打ち合わせ早く進めちゃいましょうよ」

これからキッズユニットを率いることになる矢口と事務所幹部による
最初の打ち合わせが今まさに始まろうとしていた。
だが、矢口の心は一向に晴れない。
胸にもやもやしたものが詰まった感覚は重苦しく、
新しい企画を前に感じる、わくわくした気持ちが訪れる気配は微塵もなかった。
ただやっかいなものを押しつけられた、という恨みがましい思いだけが
矢口の胸のうちにくすぶっている。

「さすがに15人全員で何かやるわけじゃないですよね?」
「そうだね。少なくとも二つ以上には別れることになると思う」
「歌…唄うんですか?」

矢口は聞いてからしまった、と後悔した。
これじゃ自分が唄いたいみたいじゃん…
3 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時53分36秒
「そうだね、どんなスタイルがいいかな?その辺のアイデアを矢口には期待しているんだよ」

確かにミニモニのときは、いろいろ提案した…
けど、あれは…
あれは…

「あいつらと何かやったらおもしろいかな、って…そういう考える楽しみがあったんです。
でも今回は…」
「矢口…気持ちはわかるけど、キッズの連中は矢口がどんな楽しいことを考えてくれるかって…
ものすごく期待してるんだぞ」

気持ちはわかる…
そうだろうね、わかるつもりでいるんだろうね…
でも、私がどんなにタンポポやミニモニを愛してたか…
わかるなんて、言わせないよ。

うつむいたまま黙り込んだ矢口の対処に困ったのか、チーフは慌ててがさごそと
書類を取り出すとテーブルの上に広げて前に並べた。

「ほら、これがキッズのメンバーだよ。プロフィールを見れば何かアイデアも湧いてくるかもしれない」
「そんな打出の小槌じゃあるまいし…」

そうつぶやきながらキッズのプロフィールをぼんやりと眺めて矢口は気づいた。

「あれっ?この夏焼って子、まだ4年生なんだ…すごい大人っぽいから6年生くらいかと思ってた」
4 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時54分18秒
「ああ、あの子はませたところがあるね」
「っていうか…6年生っていないんだ?」

どういうことだろう?
偶然にしてはおかしすぎる。
何の意図もなく、こんな偏った選考を行う事務所ではない。
それは矢口が短くないモーニングでの経験から、いやというほど
思い知らされていたことでもあった。

「6年生だと中学進学までに時間がないからね」
「芸能活動に理解ある中学を探すのに時間がかかるってこと?」
「小川や紺野はそれで苦労しているからね。それに来年、モーニングに昇格してしまうと、
また人数が増えてしまうし…」
「今んとこ、減るのは圭ちゃんだけだしね…11人でも多いくらいか…」

そう…
11人でもまだ多いんだ。
それは、後が詰まっていることを意味するのだろうか。
矢口はともかく、タンポポを外された飯田などはさらにプレッシャーを感じているはずだ。
リーダーとは名ばかりで、唄う機会を剥奪された古参メンバー。
その待遇に不満を抱えて自主的に脱退することを望んででもいるのか?

「これは会長の構想なんだけどね…」
5 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時54分39秒
チーフは極秘事項でも語るような物々しさで声を顰めた。
また、ろくでもないこと考えてるのか、あいつは…
矢口は心の中で毒づきながらも神妙な顔つきで先を促す。

「どうもジャニーズJr.の手法をキッズに適用したいらしくてさ…」
「TVで一定期間、露出させておいて、顔と名前を視聴者に馴染せまる。
そして頃合を見てデビュー…っていう、あれ?」
「そう。さすが矢口だ。5期メンの知名度上げるのに苦労したからね。
今はそれが一番効率がいいと思ってるみたいだ」

ふぅん…
何も考えずに趣味に走っただけじゃないんだ…
いやいや、趣味は多分に入っている思うけど
ま、松浦や藤本もその手で成功したようなもんだし

「じゃ、来春のキッズユニットはデビューなしですか?」
「そこを悩んでるんだよ。矢口も知ってるようにモーニングのCD売上は激減している。
かといって、キッズが売れるかは未知数だ…」
「悩みどころですね」

ひとごとのように言い放つ矢口の口調はまるっきりビジネスライクで、
温かみのかけらも感じられなかった。
6 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時55分45秒
無論、この先に待っている教育−調教とさえ言えるかもしれない−の難しさを
知り尽くしているからに他ならないからなのだが。

辻加護で子供の難しさには慣れているはずの矢口も、
本当の子供を前にしては怯まざるを得ない。
辻加護のようにあいつらの気持ちが伝わってこないんだよな…キッズは
ともかく…

「今の時点では何ともいえないですね…」
「そうか…」
「とりあえず全員の特徴というか、把握してからですね」
「わかった。それじゃ、また来週、その件について話そう。お疲れ様」
「お疲れ様です」

タンポポとミニモニを外れて、あれだけ過密だったスケジュールが
エアポケットのように一時的にぽこっと空いている。
キッズの件が本格的に動き出せばまた忙しくなるのだろうが、
今は久しぶりに遊びにいける程度の余裕さえあった。
だが、とてもそんな気にはなれない。

矢口は自分の代わりにユニットに入って忙しそうにしている高橋や紺野を見るにつれ、
その充実した表情が妬ましくさえ感じられた。
その度に自分の内なる醜さを思い知らされるようで、最近では、
メンバーとはなるべく顔をあわせないよう、避けている節さえあった。
7 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時56分20秒
おいら、大丈夫かな…
こんなんでキッズとうまくやってけんのかな…

芸能界入りして初めて味わうタイプの不安感だった。
そして、初めて思った。
仕事が楽しくない…

事務所から出るとまだ初秋の日はまだ沈んでおらず、
角度の無いところから延びる日差しが矢口にはまぶしかった。
秋晴れの空にはうろこ雲が浮かび、斑な白い模様を背景の深い青に映している。

あれは…
泣いている
タンポポが泣いてるんだ…

ごめんな。あんないい歌もらったのに
あれだけ、みんなに愛してもらったのに
今のおいら、タンホポみたいに強くなれないよ…

タンポポの種が高い空に向かって飛翔する力強いイメージ。
そんなイメージそのままに夢を希望を、歌に乗せて伝えようとした気高い志さえ、
今は失われてしまったように思えて無性に悲しかった。
翼を失い飛べなくなった鳥のように、失意に打たれ、
青山通りをとぼとぼと歩く小さな姿を誰も気にするものはなかった。
矢口自身の後ろに伸びる長い影が壁に映り、心配そうに見つめる以外は。
8 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時57分03秒
***

「じゃあそういうことで。これからよろしくお願いしまぁす」
「お願いします!」
「はい、じゃ今日はここまで。お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたぁ!」

大きな声で挨拶すると子供たちは三々五々、きゃっきゃと奇声を上げて
保護者のもとへ駆け寄っていった。
キッズたちとの顔合わせも三回目ともなれば大分慣れてくる。
名前と顔も一致して、既に性格や生活環境を把握する段階に入りつつあった。

はぁ…元気はいいんだけど…

気づくと保護者が見つからず泣きそうな顔できょろきょろと
辺りを見回しているものがいた。菅谷梨沙子だ。

「梨沙ちゃんどうしたの?」
「ママがいないの…」

普段から泣きそうな顔がさらにくしゃくしゃにゆがめられて
今にも大泣きしそうな勢いである。

やべっ…おいら苦手なんだよ、こういうの…

「大丈夫、ちょっとおトイレに行っただけだと思うよ。ね、泣かないで」

優しく言い聞かせると少女はこくり、とうなずき矢口の腰にしがみついた。

「あぁっ梨沙ちゃんだけずるいっ!」
「わたしもっ!」
「おやびぃぃん!」

それを見つけたほかの子供達も矢口のもとへ突進してくる。
9 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時57分45秒
お、おいっ…こらっ、来るな…

内心の独白は子供達に通じるはずもなく、後ろから前から
散々にタックルされて矢口はかろうじて立っているのが精一杯。
さすがに本物の小学生相手に大声をあげて叱ることもできず、
「こらぁ」とか「おやびんびぃ〜む」などとふざけた調子でいなしている間に
菅谷の母が現れて、ようやく矢口は解放された。

「お母さん、梨沙ちゃん、探してたんですよ」
「あ、ごめんなさい。TV局って珍しいからいろいろ覗いてたら遅くなっちゃって」
「お母さんいないと不安ですから、できるだけ側を離れないように…」
「うちの子、大丈夫ですから。ね、梨沙子?」

子供は親の顔色をうかがいながら、うん、と小さくうなずいた。
そういう問題じゃねぇだろ…
矢口は内心、湧きあがる怒りを抑えつつ、
しかしそれ以上、強く言うこともできず曖昧に微笑んで
「気をつけてくださいね」
といい返すのが精一杯だった。

ようやくすべての子供達を返すと矢口はぐったりとして、
事務所の机につっ伏した。
まったく、こっちの方が泣きたいよ…
プロフェッショナルな仕事への取り組みなど、到底期待できそうにもない、
本物の子供たちと脳天気な親達。
10 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時58分23秒
「矢口…疲れてるなぁ」
「ん?あぁ、圭ちゃん…」

矢口はだるそうに顔を上げると、保田の姿を確認した。
保田もやはり、プッチモニを卒業し、
手の空いているときはこうして事務所にいることが増えた。
まるで内勤のサラリーマンみたいだ、と自らを揶揄しては笑う姿は儚げで、
矢口同様、やはり唄う機会を奪われたことへの喪失感が垣間見られた。

「キッズ…大変そうだね…」
「あぁ…辻加護みたいに本気で怒れないし…」
「慣れねまでが大変だね」
「慣れる…のかなぁ。おいら、慣れる前に潰れそうだよ…」
「矢口…」

肩に置かれた保田の手がやけに軽く感じられる。
本当に…事務所の意図を矢口は測りかねた。
歌が大好きで、唄うことへの情熱では誰にも負けない、と自他ともに認める二人。
その二人から唄う機会を奪い、一方は卒業という体のいいリストラ。
そして一方は子供のお守りとして精神的な負担を強いられている。

これがボロボロになった体に鞭打ち、夏場の野外昼夜二回公演や24時間TV、
年末の殺人的なスケジュールを戦い抜いてきた老兵への仕打ちだろうか。
11 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月23日(月)23時59分16秒
「キッズは将来への布石…っていうか先行投資だから…」
「頭のなかでは解ってるんだけど、心までは…ね?」
「あんたがそんなんじゃキッズも浮かばれないよ」
「うん、わかってる…でも」

矢口は声を詰まらせた。

「でも、やっぱり愛せないんだよ…」

ガタッ、という物音に二人は振り返った。
誰? 聞かれた…?
急いでドアを開けて確認するが、既に遠ざかった後ろ姿からは
それがキッズの一人であることしか保田にはわからなかった。
忘れ物でも取りに来たのだろうか。
矢口は状況の悪さに苦り切った。

「髪の毛が茶色くて、小柄な子だったけど…」
「キッズはほとんど茶髪で小柄だから…」
「まずいんじゃない?後でちゃんと説明して誤解を解かないと」
「うん…でも誰かな?みんなに聞いて周るわけにもいかないし」
「探さなきゃ」
「うん…」

不用意なことを言ったものだと思う。
だが、もうこれ以上、矢口は余計なことで神経を使いたくなかった。
どうでもいいや、もう…と自棄におちいりそうな矢口を保田が諭す。
12 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時00分13秒
「いい? ちゃんと探してあれは真意じゃないって伝えるんだよ。でないと」
「でないと?」
「一生、あの子の心に刺さった刺は抜けないよ」
「圭ちゃん…」

矢口は保田のそういう優しさは心底ありがたいと思った。
たしかにさっきの言い方は矢口の心の一面を吐露しているとはいえ、
そのすべてではないこともまた事実だったのだから。
自分が望んで引き受けた訳ではないものの、プロである以上、
人間関係にしこりを残したままプロジェクトが成功した試しのないことを
矢口は嫌になるほどよく理解していた。

一体誰だったのだろう…
矢口はしばらく様子を見ることにした。
小学生のことだ、よく観察していれば、よそよそしい態度でわかるだろう。
13 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時01分03秒
***

「愛理ちゃん、映画の方はどう?順調に進んでる?」
「はいっ、紺野さん。ところで映画と言えば、あれ、もう見ましたか?」

鈴木愛理は映画『仔犬のダン』撮影中、現場を訪れた紺野と雑談していた。
どうも二人は趣味が合うらしい。

「『ビューティフル・マインド』のこと?まだ見てないけど、ナッシュの映画だから、
絶対見るよ!」
「ナッシュ均衡といえば、ゲーム理論の説明にはかかせませんからね」

傍で見ていた小川が見かねて口を出した。

「おいっ!ナッシュと言えばクロスビー・ナッシュ&ヤングだろ!」
「…」

鈴木と紺野は顔を見合わせる。

「均衡理論ってプレーヤの利得が合致するっていう点で夢のある理論だわ」
「その辺が映画の主眼なのかもしれませんね」
「こらっ!無視すんな!」

三人が仲良く談笑していると、保田がやってきた。
今日は客が多くて賑やかでいい、などと紺野が呑気に構えていると
保田が真剣そうな顔つきで、三人に尋ねる。

「ねぇ、矢口見なかった?」
「さっきまで監督と何か相談してましたけど…そういえばいませんね」
14 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時01分42秒
鈴木が怖がって紺野の後ろに隠れてしまったため、
喋りにくい紺野に代わってプッチモニを引き継いだばかりで、
最近、保田との距離を縮めつつある小川が応えた。

「どこ行ったのかなぁ…」
「あ、あたし、探してきましょうか?」
「いいよ、大丈夫。邪魔したね」

そう言い捨てて、その場を去ろうとした保田が
急に振り返って、小川に告げた。

「小川、クロスビー・ス テ ィ ル ス・ナッシュ&ヤングな。CD早く返せよ」
「…」

そう言って、今度こそ保田が去って姿が見えなくなると紺野が口を開いた。

「麻琴が英語の曲なんか聞くわけないから、おかしいと思ったら…」
「なんだよ、あたしが英語の歌聞いたら悪いかよ!」
「麻琴、それより、矢口さん、何か元気ないと思わない?」
「はぐらかそうったって、そうは問屋が…」

いきり立つ小川を紺野が制した。
見ると、鈴木が泣きそうな顔で俯いている。

「愛理ちゃん?どうしたの?」
「矢口さん…私たちのこと、好きじゃないんでしょうか…」
「…何で、そう思うの?」

しっかりしているようで、まだ子供なんだな…
15 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時02分21秒
微笑ましく思うとともに、思い悩む鈴木の心を解放してあげようと
優しく尋ねる様子は、紺野もお姉さんになったことを示していた。

「矢口さん…タンポポやミニモニの時と違って、私たちと居ても楽しくなさそう」
「…」
「矢口さん、可愛そう…歌が好きなのに、私たちのせいで歌わせてもらえない…」
「愛理ちゃん…」

紺野は上を向いてしばらく考え込んだあと、目を見開いて真直ぐに視線を捉えた。
本人は思い切り真剣味を出しているつもりらしいが、
小川にはまるで普段と変わらないように見える。

「ナッシュの理論によればゲームには必ず均衡点が存在する…」
「?」

再びナッシュ均衡の話を持ち出したのか。
鈴木は不思議そうに紺野の顔を見つめる。

「非ゼロサムの繰り返しゲームにおいて均衡点を見つけ出すためには
プレーヤ間の協力が不可欠…」
「でも矢口さんは…」
「それを探せるかどうかは、愛理ちゃん、あなた達の努力次第よ」
「私たちの努力…ですか?」
「そうよ…まずはキッズのみんなが協力しないとね。ちゃんと仲良くしてる?」

鈴木の表情は一瞬明るさを取り戻した後、すぐにまた曇る。
16 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時03分02秒
「雅ちゃんがちょっと…」
「みやびちゃんって…?」
「あの茶髪の大人っぽい子だろ?なんか孤立してる感じだな」

小川が口を出した。
自身が娘。内部での人間関係に苦労したためか、
のほほんとした外見の割りに意外とその心配りは細やかである。

「はい。雅ちゃん、ミニモニがすごく好きで踊りとか完璧なんです」
「それのどこが問題なの?」
「雅ちゃんがすごく上手なのはいいんですけど…」

言いにくそうに口篭る鈴木の代わりに小川が後を継いだ。

「他の子をバカにしたような態度を取るんだろ?」
「…ハイ…それで…」
「ちょっと仲間はずれモードだな。困ったもんだ」

紺野は不思議そうに小川を見つめる。

「麻琴がそんなに観察眼鋭いとは思わなかった」
「あさ美がとろいだけだろ?」
「麻琴、その鋭い観察眼をもっと勉強に活かそうとは思わない?」
「ぜぇ〜んぜん」

紺野の瞳がきらり、と光った。

「じゃ、しばらく宿題教えてあげるの止めようかな。
麻琴のためにもよくないし…」
「お、おい…それとこれとは話が…」
「愛理ちゃんにでも教えてもらいなさい。麻琴よりよっぽど頭いいから」
「あさ美ぃ…」
17 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時03分58秒
鈴木は二人のじゃれ合いを見て考えた。
この場合の均衡点はどこに存在するのだろう
ゲームのプレーヤ間における均衡点を極大化するためには、
やはりプレーヤ相互の信頼関係が強固でないといけないのだろうか?
だが、鈴木はやがて首を横に振り否定した。

小川さんと紺野さんみたいに仲良くなれたらいいな…
雅ちゃんも…
そしたら、矢口さんも…

鈴木は矢口がまた元気を出しさえすれば、自分たちキッズを率いて
大活躍してくれることはを確信していた。
なにしろ矢口はゲームの達人なのだから。
そのためにもキッズの結束を固めなくては。
鈴木は孤立しつつある夏焼との関係をまずは修復すべきだと思った。
18 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時04分48秒
***

夏焼雅は学校から帰る途中、
携帯のイルミネーションが光るのを確認した。
メールが入ったらしい。
折り畳まれたN504iを開いて中身を見ると、
送信者は今、一番会いたくない奴だった。

ちっ…そろそろ蹴りをつけるか…

下校の途中でもあり、キッズの番組収録に遅れると
また心象を悪くしてしまう。
ただでさえ、矢口には嫌われているのだ。
これ以上問題を起こすとキッズを追われることも有り得ないことではない。
15人もいれば自分が辞めたところで一般の人には
気づいてさえもらえるかさえも怪しい
そんなちっぽけな存在である自分がなぜ、
こんな目に会いながらもキッズにしがみついているのか…

ちくしょう…
矢口のやつ…

『でも、やっぱり愛せないんだよ…』

頭の中では、もう何回も繰り返したというのに、
今もその情景が色鮮やかに甦る。
保田に向かって矢口が懇願するような表情で告げる瞬間…

ミニモニが好きで、キッズのオーディションを受けたのも
ミニモニに入りたかったから。
おやびんなら相談できると思っていたのに。
おやびんならなんとかしてくれる…
19 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時05分23秒
すがるような思いでキッズのみんなが帰ってから、
誰もいないのを見計らって、勇気を出して行ったのに。
それなのに…

それなのに、おやびんの声は冷たかった。
もう誰も頼ることはできなかった。
キッズの中では既に浮いている。
どういうわけか鈴木愛理だけがしつこいくらいに
声をかけてくるほかは、話す者もない。

自分は一人だ…
そして、今日だって一人でけりをつけてやる。

指定された場所には、案の定、クラスの女子の大半が集まっていた。
ご丁寧なことだ。
ある程度覚悟はしていたが、そこまで嫌われているとは。
怒りよりも悲しみよりも、寂しさがじわじわと心に侵食してくる感じだ。
だが…

今日、これから何をされるとしても、自分は一人で来た。
多少、痛い目には会うかもしれないが、恥じるところはない。
だが、心の痛みは…

今は考えないことにした。
ゆっくりと一歩一歩、足を前に踏み出す。
敵はもう目の前だ。

「よく来たな。怖くなって逃げるかと思ったぜ」
「あんたごときにブルって逃げ出すわけないだろ」
「フン…強がってられけるのも今のうちさ。おい!やるぞ!」
20 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時05分59秒
ぱらぱらと後ろから取り巻きの連中が夏焼に駆け寄って
両腕を掴んだ。

「離せよ!」

渾身の力を振り絞って、腕を振り回し、
なんとか振り払おうとするが、さすがに力の差は歴然。
4人がかりで抑えられては逃れる術もない。

「お前…どんなにこのクラスで嫌われてるか知らねぇだろ?」
「…」
「キッズに受かった次の日だ。なんて言ったか覚えてるか?」
「…」
「『あんたたち有名人の知り合いだからって変なこと言いふらさないでね』
だと…すげえ有名人だよな、お前…」

夏焼は顔が赤らむのを感じた。
確かに自分はそんなことを言ったような気がする。
あのときは、どうかしてた…
事務所の人にいろんな話を聞いて、すっかり芸能人気取りだった。
そして、身辺の情報管理はしっかりして下さい、と念を押されて、
そればかりに気を取られて他に頭が回らなかった。
その結果、クラスメイトとして単純にキッズ合格を喜んでくれているはずの
友達まですべて敵に回してしまった…

「どうせ、こいつの茶髪、評判悪いんだから、丸刈りにしてあげようぜ」
「賛成!TV出られなくしてやろうよ」
「それで出たら見直してやるけどな」
「ないない、こいつ格好だけだもん」
21 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時06分46秒
悪意のこもった罵倒を浴びせ掛けられ、夏焼は戦意を喪失しかけていた。

仕方がないか…
自業自得だ
誰も助けてはくれない

自分を押さえつける連中の奥で無表情にその様子を眺める
クラスメイト達に対し不思議と怒りは感じなかった。

同じだ…
学校でもキッズでもおんなじだ…
自分は嫌われている

諦めて目を閉じようとした瞬間、思わぬ声を聞いた。

「ちょっと待って!その子に何をする気?」

えっ…その声は…
まさか…?

「や、矢口だ!」
「お、おい、本物だぞ!すげぇ!」
「え、まじ…」

本物の矢口を目の当たりにしてうろたえている連中を尻目に、
矢口は両腕を高速されている夏焼の前にまっすぐ歩み寄った。

「その子を離しなさい。うちの大事な後輩なんだから」
「う、嘘だろ…なんで本物の矢口が…」
「こらっ!矢口『さん』だろっ!ったく近頃のガキは…」

たじろいでいたリーダー格の女子が、その言葉でようやく我に帰り、
むきになって命令を飛ばした。

「構うな!どうせこいつ一人じゃ止められないんだ。やっちゃえ!」
「そうだ!お前ら、矢口を抑えろ!大丈夫、おれらよりちっちゃいぞ!」
22 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時07分27秒
「ちっちゃい」という言葉に反応したせいか、
それまで後ろで成り行きを見守っていた女子がワァッと矢口を取り囲んだ。

「わっ、ホントにちっちゃぁ」
「145cmって嘘じゃなかったんだね」
「サインもらえるかなぁ?」

自分とほぼ同じか、あるいはそれより大きい女の子達に囲まれながら、
それでも矢口はひるまなかった。

「おおぃ!出番だぞ!」
「はぁーい!」

掛け声とともに、同じ年頃の少女たちがタタッと駆け寄って
矢口の包囲をあっという間に解いてしまった。

「ああっ!こいつらキッズの連中じゃん!」

その言葉に一番驚いたのは、夏焼自身だった。

そんな…なんで…
私、嫌われてたんじゃ…

「よぅーし!お前ら、やれ!」
「がってんだぁ!」

形勢は逆転した。
矢口率いるキッズ軍団が攻勢に出る。
23 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時08分04秒
「えいっ、えいっ!みやびちゃんをいじめたら、ゆるちませんよ!」
「まいちゃん!そんなもの振り回したら危ないよ!」

驚いたことに一年生の萩原舞までが駆けつけていた。
一生懸命、傘を振り回して彼女なりに戦おうとしている。
体が急に軽くなった、と感じたところ、
横で梅田えりかが白い歯をにっと覗かせて微笑んでいた。

「みずくさいよ。うちらだってお悩み相談くらいできるのに」
「えりかちゃん…」
「さ、早く逃げよ!」
「う、うん…」

風のようにキッズ軍団が去ると後には、
ぼんやりと立ち竦む少女達の姿だけが残った。
24 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時08分39秒
***

「雅がキッズの中でいじめられてんのかと思ってさ」
「それで様子を見てくれてたんですか?」
「ああ。愛理がなんかおかしい、って言ってくれなかったら
今ごろ雅のスキンヘッドが見られたかもな」

無事に夏焼を救い出し、その足で番組の収録に向かう車の中で、
矢口は彼女と話していた。

「実は…覚悟していました。誰も助けてくれるとは思わなかったから…」
「仲間だろ?おれらは…特においらには何でも相談してほしいな」
「でも…矢口さんは…」
「?」

夏焼はあの言葉を思い出して胸が詰まった。

「私たちは愛せないって…」
「…雅だったのか…聞いてたの…」
「矢口さん…」

矢口はしまった、という表情を顔に浮かべた後、
真剣な表情で謝り、さらに告げた。

「ごめんよ。タンポポのことで頭がいっぱいになり過ぎて…でも、もう大丈夫。
こんな結束固いチームが出来たんだからな。タンポポなんか、負かす勢いで頑張ろうぜ!」
「やぐちさん…」

夏焼は涙を拭うと気丈に言い放った。
25 名前:第9回短編集 投稿日:2002年09月24日(火)00時10分00秒
「石川さんは怖いけど新垣さんと紺野さんのタンポポなんか目じゃないっすよ!」
「こらっ!だからお前はいじめられんだぞ…」

だが、そうは言いつつも、矢口は夏焼と視線を合わせていたずらっぽく微笑み、
「やっぱ、そう思うか?」
と言い捨て大声で笑った。

車内に響く笑い声は、ここ2ヶ月ほど
その口から洩れることのなかった明るさを帯び、
矢口の完全復活をここに告げた。
その声は夏焼の笑い声をともない、
さらに高らかに響いてキッズ軍団の前途を祝す。

矢口はもう惑わないだろう。
夏の終わりとともに旧い愛着あるユニットとは決別した。
そして、今、また矢口の新たなる戦いは始まる。
キッズを率いて新たな伝説を歴史に刻むために。



終わり

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