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タンポポウォーズ
- 1 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時08分58秒
- わたしと石川さんが控え室からトイレに向かう廊下を歩いている時で
した。左右にドアが並ぶ一直線の廊下を歩きながら、新タンポポの一員に
なると言うことに緊張していたわたしは、石川さんにこれから始まる記者
会見が不安だという事を説明していたんです。
十メートル先でしょうか、並ぶドアの一つが乱暴に開かれました。そこ
からはまるで飛び出すように言い争う声が聞こえました。
「おい! 落ち着けってカオリ! 灰皿掴むな! 目覚し時計もダメ!
って言うか物を掴むな!」
わたしたちは驚いて足を止めました。
「こら! この手は何だ? ちょっ、ちょっと待って! あたしを掴む事
もダメだって!」
ぽーん、とまるで人形が捨てられるように、そのドアから人が飛び出し
ました。その人はコロコロとまるでオムスビのように転がって向かい側の
壁に激突します。その勢いで設置していた消火器を倒してしまいました。
「紺野……あれ矢口さんじゃない?」
石川さんがわたしに向かって言いました。そう見えますね、と言うとあ
からさまに驚いた声が廊下に響きます。
- 2 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時10分18秒
- 「やぐちさぁん!」
わたしたちは矢口さんの元に駆け寄ります。その瞬間、開けられていた
ドアが乱暴に閉じられました。矢口さんはすぐに立ち上がって、まるで昼
ドラの男に捨てられた女の人みたいにドアに駆け寄りドンドン、とそれを
叩きながら声を上げます。
「カオリ! ちょっと! ここ開けなよ!」
ドアの向こう側にいるのは飯田さんのようです。それでも今の状況がわ
からないわたしと石川さんは呆然と矢口さんの背中を見ているとしか出
来ませんでした。
カオリ、と声を上げている矢口さんをしばらく見ていると、隣にいた石
川さんが恐る恐る、と言った様子で声を掛けます。
「矢口さん……あの……何かあったんですか?」
その言葉に矢口さんは動きを止めました。それからゆっくりと振り返る
とわたしたちの存在に気がついたようです。助けを呼ぶように言いました。
「カオリが会見に出たくないって閉じこもっちゃったの!」
それは重大な記者会見がある、三十分前の出来事でした。
- 3 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時11分04秒
- 〜
詳しい事情を聞くと、どうやら飯田さんはボイコットをしようとしてい
るようです。動機はタンポポをやめたくないという事らしく、それを聞い
たわたしは酷く傷ついてしまいました。
「いい? 誰か呼んで来たらぶっ殺すからね。こんな事、他のメンバーに
知られたら、今でさえ信頼の無いリーダーが、もっとそれを無くしちゃう
んだから。カオリの事を考えるなら、誰にも知らせちゃダメだからね」
矢口さんの毒舌は快調でした。多分、本人は気が付いていません。
「でも、矢口さぁん。もう会見始まっちゃいますよ。どうするんですか?」
「だからそれを考えてるんでしょう。ムカツクからあんた喋らないで」
「そんなぁ」
わたしたち三人は、飯田さんがいるという部屋の前で立ち尽くしていま
した。ドアはさすがに高級ホテルです、蹴っても叩いてもびくともしませ
ん(ちなみに矢口さんが確認しました)。フロントに頼んで合鍵を持って
きてもらう事も考えましたが、それはやはりこの状況を第三者に知らせて
しまうということで矢口さんがNGを出しました。
- 4 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時12分28秒
- では残るは説得のみです。
先ほど矢口さんが『二十一世紀のリーダーとは?』と言う題でそれを始
めてくれましたが、あえなく撃沈しました。飯田さんは強敵です。矢口さ
んの後ろでその演説を聞いていたわたしは甚く感動したのですが、ドアの
向こうの飯田さんは頑なに黙り込み、何の反応も見せてくれませんでした。
その次にわたしが『モーニング娘になって』と言う題で説得を試みよう
としましたが、今の状況とまったく関係ない話で、無駄に時間を消費した
だけの結果になってしまいました。
「任せてください!」
石川さんが言います。先ほどから矢口さんに邪険にされながら、それを
どこか心地いい表情を浮かべていた彼女は、今、この時、ジャンヌダルク
並に凛々しい顔つきになっています(見たことはありませんが)。
石川さんは一歩前に出ると、堅く閉ざされているドアに向かって口を開
きました。
「飯田さん……飯田さんにとってタンポポって何ですか?」
その口調にはいつの間にか落ち着きが出ていました。
- 5 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時13分29秒
- 「わたしはタンポポがモーニング娘になる前から好きで……石黒さんと
か……みんな大人っぽく歌う姿に憧れていたんです。だから、わたしがタ
ンポポに入るって聞かされたとき、凄く恐くて……」
石川、と隣で矢口さんが呟いたのに気が付きました。横目で表情を伺っ
てみると、それは目の前に居る石川さんの背中を通して、昔のことを思い
出しているのか、遠い視線をしていました。
「初めは恐かったんですよ。あいぼんとふたりでいつも泣いてました。で
も飯田さんも矢口さんも優しくて、だからまだ慣れていない娘自体も、タ
ンポポも何とか頑張って来れたんだと思います」
少しの間を空けると、石川さんは顔を上げました。
「何か突然こんな事になって……好きだったタンポポが無くなるのが凄
く嫌だって言う気持ち、わたしにもわかります。……わたしも本当は今ま
でのように、四人で歌っていたかった」
「……石川」
隣でまた矢口さんが呟きました。
石川さんの気持ちが少しだけわかった瞬間だったのかもしれません。
- 6 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時14分28秒
- 「だから飯田さん」
わたしは思わず顔を下げます。後ろめたい気持ちが溢れてきます。
「だから頑張ってください!」
そうです。だから頑張らなきゃいけないんです。
「飯田さん! 頑張ってタンポポを変えないようにしましょう!」
そうです。だからタンポポを――。
っておい。
説得になっていません。
「石川! おまえの気持ちわかったよ!」
突然そんな事を叫んで矢口さんが石川さんに走りより抱きつきました。
矢口さん、と声を上げて石川さんの腕がその背中に回ります。まるで甲子
園で優勝した球児です。
感動的な場面ですが、なぜかわたしの眼からは涙が出ません。
って言うか、あほです。
「あの……もう時間が……」
わたしは恐る恐る声を掛けます。でもしばらく、そのコントは続けられ、
結局矢口さんが我を取り戻したのは会見の十分前になった時でした。
- 7 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時15分23秒
- 「あほかおまえは!」
矢口さんの声が廊下に響きます。石川さんが手をすり合わせて膝をつき
ながらすいません、と情けなく謝っていました。
「説得になってないだろうがっ! まったく無駄な時間を過ごしちゃっ
たじゃんか!」
「でも矢口さんだって『石川愛してるって』言ってくれたじゃないですか」
「言ってねーよ!」
やんや、と二人の言い争いを聞きながら、わたしはふと突き当たりにあ
るエレベーターに視線を向けました。その扉が開いて事務所の人間が降り
てきます。大事な記者会見のため、マネージャーだけではなく、このホテ
ルには事務所の偉い達が来ていました。
「矢口さん」
わたしは声を掛けます。それに矢口さんは向こう側から歩いてくる事務
所の人間に気が付いたようです。やばい、と石川さんから離れると、さっ
きまでのカリカリとした表情を消して、まるで天使のような愛らしい笑顔
を作りました。
- 8 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時17分03秒
- 「お疲れ様でぇす」
事務所の人が手を上げてわたしたちの横を通り過ぎて行きます。どうや
らメンバーが居る控え室に向かったようです。そこでマネージャーと話で
もあるのでしょう。
「もうヤバイ! マジでヤバイ!」
その事務所の人間が見えなくなると矢口さんは声を上げました。確かに
もう時間がありません。そろそろわたしたちが控え室に居ないことに気が
付いて、メンバーが探しに来てもおかしくはありません。そうなったらき
っと飯田さんの事も説明しなければいけないわけで……そうなると矢口
さんに殺されかねません。
「矢口さん、どうするんですか?」
石川さんが言いました。
説得もダメ、このまま待っていたとしても会見の時間まで飯田さんは出
てきてくれそうにありません。
ここはもう、大人を呼ぶしかないとわたしは思いました。結局、わたし
たちだけではどうする事も出来ないのです。
- 9 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時17分38秒
- 「……仕方が無いか」
矢口さんが呟きました。
わたしはてっきり大人を呼ぶことに覚悟がついたのだと思いました。
しかしその考えは浅はかでした。
矢口さんは天井を見ます。そこには蛍光灯がはめ込まれ、それは遠近法
で細くなりながら向こう側まで続いていました。しかし矢口さんの目的は
そんなものではなかったようです。
「そこに排気口があるっしょ。こう言うのは大体どの部屋にも続いている
ものなのよ。あたし、映画好きだから詳しいの」
映画と現実を一緒にされても困りますが、確かに矢口さんが言うように
蛍光灯の横にそれらしきものがありました。それは白い淵の中に網状のカ
バーをはめ込んでいるだけのようで、工具など無くても外せそうです。
- 10 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時18分57秒
- 「でも矢口さん、危険ですよ」
「もうこれしか方法が無いんだよ。この排気口を伝って、カオリが閉じこ
もっている部屋に向かう。そして後は実力行使でボコボコにして、連れ出
してくる」
「ボコボコですか?」
「そうだよ。ボコボコだよ」
わかりました、と石川さんが声を上げます。
それから左手を額に当てるように敬礼をしました。
「頑張ってください! 矢口さん!」
「ってオイラかよ!」
他にこんな適役、誰が居ると言うのでしょう。矢口さんはそれに気がつ
くと重いため息をつきました。
「あたししか居ないよなぁ」
「頑張ってください! 矢口さん!」
「その敬礼、今すぐ止めないとあたしのカエル飛びアッパーでその顎を砕
いてやる」
「アンダコノヤロー!」
スコーンッと、昇竜拳が炸裂しました。
「よし! じゃあ行くか!」
- 11 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時19分42秒
- 顎を抑えている石川さんを余所に、矢口さんは覚悟を決めたようです。
テキパキとわたしたちに指示を出します。どうやら騎馬戦の要領で、矢口
さんを天井まで持ちあげようということになりました。
「真里ッペかるーい!」
矢口さんをわたしたちで持ち上げると、石川さんがふざけたように声を
出します。
「小さいからね」
矢口さんは排気口のカバーを外しながら答えます。
「真里ッペ刺激的な下着ぃ」
「おまえ戻ってきたら殺すからな!」
カポッと簡単にそれは外れました。それからそのカバーを適当に投げ捨
てた矢口さんはわたしたちを見下ろすと言いました。
「じゃ、行ってくるわ」
「頑張ってください」
「真里ッペ愛してるっ」
- 12 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時20分42秒
- 石川さんの言葉を無視して矢口さんは排気口の中にするすると入って
いきます。さすがにロッカーの中に入れるだけの事はあります。まるで蛇
のように体をクネクネとさせながら、あっという間に矢口さんの姿は見え
なくなりました。
二人だけ廊下に取り残されます。わたしはため息を吐くと、腕時計に視
線を落としました。もうそろそろメンバーがわたしたちを探しに来てもお
かしくは無い時間になっています。矢口さんが早く飯田さんを連れ戻して
くれる事を願いました。
「矢口さん……」
ふと気が付くと隣にいる石川さんがまだ排気口を見上げながらそう呟
いていました。その表情にはさっきまでのふざけた様子はありません。真
剣に、矢口さんのことを心配しているようでした。
その時、わたしは気が付きました。
石川さんは業とふざけたような態度を取っていたんだということに。
- 13 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時21分35秒
- それはタンポポでの石川さんの役目だったのかもしれません。何事にで
も突っ込む矢口さんがいて、リーダーの立場の飯田さんが居る。末っ子の
加護さんはのびのびとして、その中間にいる石川さんはムードメーカー的
存在だったのかもしれません。それはバラバラの個性だったとしても、結
果的にはバランスを取ることになっていたように思えます。
それがタンポポ、と言うグループなんだ、とわたしは思いました。
そんな場所にわたしは入ることになります。誰に望まれたわけでもなく、
そのグループの名前を貰うのです。
今更ながらに飯田さんがボイコットをしたという事実に、胸の奥が鉛を
飲み込んだように重くなりました。
ガコンッ、と音がしたのはそれからすぐにしてでした。どうやら排気口
を伝っていた矢口さんが部屋の中に進入をしたようです。
「矢口さん!」
石川さんが声を上げます。わたしも思わずドアに向かって駆け寄ります。
ドタバタ、と争うような物音が聞こえました。わたしは中で何が起こっ
ているのか不安になります。それは横にいた石川さんも同様だったようで
す。眉間に皺を寄せながらドアを見ていました。
- 14 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時22分17秒
- 「カオリ! 今日こそ決着を付けてやる――ってウソウソ! 椅子持ち
上げるな! それを振り回すなー! 待った! ちょっと待った! タ
イム! っていうかギブ! カオリーっ! ギブだってば!」
その次の瞬間、ドアの向こう側からは物音がしなくなりました。
ゾクゾク、と嫌な感覚が走り抜けてきます。わたしは思わず隣の石川さ
んに視線を向けると、彼女の方も不安そうにわたしを見ていました。
「矢口……さん?」
石川さんが呟きます。
「矢口さん!」
そして次の瞬間にはドアを叩いていました。
それは取り乱すという言葉があっていたでしょう。髪を振り乱して、今
にも泣きそうな声を上げながらドアを叩いています。あまりにもその声が
大きすぎると思い、わたしは石川さんの背中から腕を回して落ち着かせよ
うとさせました。
- 15 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時23分07秒
- 「石川さん! 落ち着いてください!」
「紺野! 離して! 離せってば!」
「石川さん!」
わたしも必死だったのだと思います。たまたま通りかかったと言うだけ
でこんな事件に巻き込まれ、会見の時間が迫っているというプレッシャー。
そして何より飯田さんからタンポポとして認めてもらっていないと言う
事。それらは重く心に圧し掛かっていました。
「二人とも、そこに居るの?」
その時、飯田さんの声がしてわたしたちは動きを止めました。視線をド
アに向けます。そこには変わらず重厚な壁がありました。
石川さんがわたしの腕から離れます。すぐにドアに向かって声を上げま
した。
「矢口さん! 矢口さんは無事なんですか!」
「大丈夫よ……ちょっと寝てもらってるだけ」
「怪我とかしていませんか? 寝てるだけって気絶って事ですか?」
「さぁ、それはどうかしら」
「飯田さん!」
- 16 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時24分01秒
- 石川さんの背中を見ることしか出来ませんでした。わたしは下唇を噛ん
で床に視線を落とします。飯田さんの声を聞いて、また気が重くなっていました。
「どうしてこんな事を――」
「タンポポが好きだから」
石川さんの言葉を遮るように飯田さんは言いました。
「石川がさっき言っていたように、好きなタンポポをやめたくないの。ず
っと愛してきたユニットなのに、こんな形でやめたくない」
「わたしだってそうですよ! いつまでも楽しい四人で続けていたい!
でももう決まってしまった事なんだからしょうがないじゃないですか!」
「あんたは続けられるからそういうことが言えるのよ」
- 17 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時24分43秒
- 石川さんはその言葉にショックを受けてしまったようです。一歩だけド
アから後退りしました。
「私がどれだけタンポポを愛してきたのかわからないんだよ、石川にはさ。
素敵な歌を唄えるって事で、それは私のプライドにもなってた。プッチ
モニやミニモニよりも古いグループだって、誇りに思えてた。それなのに
どうしてこんな形で止めなくちゃいけないの? どうして歌うことが許
されないの?」
石川さんは黙り込んだまま顔を下げました。わたしは飯田さんの気持ち
を聞かされて、この場から逃げ出したくなりました。こんなに反対してい
る人が居るのに、わたしはタンポポになんかなれない。
「石川や加護が入る時だって葛藤があったの。でもそれでもあんたたちが
頑張っている姿見てて、一緒のメンバーだって思えた。いい歌だって唄え
た。それなのに今回の事は納得できない」
わたしは何のためにモーニング娘に入ったのだろう? 何のためにダ
ンスや歌をがんばり続けてきたのだろう?
- 18 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時25分34秒
- 「それに何なの? 今度のタンポポは? みんな歌を大事にしてるの?
タンポポの歌をあなたたちが唄えるの?」
その一言一言が胸に突き刺さりました。わたしは何も言い返すことが出
来ません。
「大事にしてきたタンポポをあなたたちに引き継ぐ事なんてできない。ず
っと大切にしてきたものなのに、あなたたちなんかにタンポポなんて勤ま
るわけない。ずっとずっと私や矢口が大切にしてきた――」
「ぷっちーん」
ふらふら、と石川さんがわたしの横を通り過ぎていきました。顔は下げ
られたまま、壁際に移動すると、倒れている消火器に手を伸ばします。
「石川さん……?」
不可解な行動にわたしは呼びかけてみましたが、石川さんからの返事は
ありません。気が付くとドアの向こうから飯田さんの言葉は止んでいて、
その空間には石川さんが動く音だけが響いていました。
石川さんは消火器を片手に再びドアの前に来ます。一体何をする気なの
だろうかと思っていると、彼女はいきなりそれを振りかざしました。
- 19 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時26分30秒
- 「ウソ!」
わたしは思わず声を上げます。石川さんは消火器をドアに叩き付けまし
た。鈍い音が廊下に響きます。
「い、石川さん?」
石川さんは何度も消火器を振り下ろします。その内丈夫そうなドアに凹
みが現れました。
「大事大事って……そんなに大事なものならわたしが全部壊します!」
わたしは唖然としたままその背中を見ることしか出来ませんでした。
「わたしが好きなタンポポはそんな心の狭いグループじゃなかった!
そんなに昔に囚われていたグループじゃなかった!」
廊下にはドアを叩く音と石川さんの声が鳴り響きます。
「みんなにいい歌を聞かせるために、みんな優しい気持ちで唄っているっ
て思ってた! じゃないと誰も感動してくれない、誰もわたしたちの歌を
聞いてくれない! だからみんな優しい心を持っているんだって思って
た!」
- 20 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時27分56秒
- 「石川さん……」
気が付くと石川さんの目に涙が光っていました。
「それなのに新垣や柴ちゃん、それに紺野の頑張りに今でも気が付かない
なんて信じられない! みんな一生懸命頑張ってきて! タンポポにな
ることに不安を抱いているはずなのに、その人たちのことを否定するなん
てわたしは許せません! わたしが大好きなタンポポは人を拒む事なん
てしなかった!」
- 21 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時28分53秒
- 胸が痛くなりました。石川さんの言葉に涙が出そうになりました。
ドアはボコボコに凹んでいました。石川さんは息を荒上げながら消火器
を床に置くと、疲れているのか僅かな間を開けます。
「そんな……そんなタンポポなら……わたしが壊してやる……そんなタ
ンポポなんて要らない……」
次に取った石川さんの行動は、明らかに手順良く、消火器のストッパー
を外し、説明書きの順序でホースをドアに向けます。一瞬、何をしようと
しているのかわかりませんでしたが、どうやら彼女は無意識の行動だった
ようで、躊躇い無くレバーを引いていました。
「い、石川さん!」
ぷしゅー。
白い粉が舞い上がります。まるで濃い霧の中に居るようです。きゃー、
と乙女チックな悲鳴を上げたのは、レバーを引いた本人、石川さんだった
ようです。
あっと言う間に、その空間は白い粉の煙に包まれました。
- 22 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時29分50秒
- 〜
「あんたたち、バカじゃないの」
粉まみれのわたしたちを見下ろしながら、飯田さんと矢口さんが口を揃
えて言いました。
「ドアもこんなにボコボコにして……誰が怒られると思ってるのさ」
矢口さんはあからさまに表情を歪めて石川さんを見下ろしていました。
やっとで自分のした行動の大きさに気が付いたのか、石川さんはしゅん、
とうな垂れていました。
消火器の煙が止むとあっさりと部屋のドアが開きました。そこからは呆
然としている矢口さんと、呆れている飯田さんの姿があって、座り込んで
いるわたしたちに向かってあほ、と言う言葉を掛けました。あまりにもあ
っさりとした展開に、すぐにわたしは嵌められていたんだと言う事に気が
付きました。これは矢口さんと飯田さんが仕組んだお芝居だったんだと。
それが何のためにやられたのか、わたしは聞くことが出来ません。多分、
聞く必要も無かったと思います。飯田さんと矢口さんが部屋から現れてく
れたのは、そのお芝居に二人が満足したという事でしょうから。
- 23 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時30分40秒
- 「真里ッペぇえ」
石川さんは泣きながら矢口さんに抱きつこうとしました。しかしすぐに
それを右で交わすと矢口さんは言います。
「汚れるから近づくな、あほ」
「無事でよかったよぉ」
石川さんは子供のように涙を流します。それを見ていた矢口さんが飯田
さんと顔を合わせると、呆れたように苦笑いしました。どうやら石川さん
はまだ今回の出来事が二人のお芝居だった事に気が付いていないようで
す。
というか、二人は教える気もないようです。
「ほら、カオリも出てきたんだから、会見に向かわなくちゃいけないよ。
……ああ、でもその前にこれ、なんとかしなきゃね」
「ごめんなさぁい、真里ッペぇ」
「石川がやったんだからさ、これ、あんたから説明して、あんたが怒られ
なさいよ」
「飯田さぁん、酷いです」
「さぁ、紺野、こんな先輩は置いて、早く着替えに行こう。……あんた本
当に真っ白だね」
- 24 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時31分21秒
- 矢口さんはそう言いながらわたしの手を握りました。それはとても暖か
くて、力強く感じました。
わたしは立ち上がると、はい、と返事をしました。
矢口さんはそんなわたしを不思議な表情でしばらく見ていました。それ
から何かを悟ったように飯田さんを見ると、二人はしばらくの間視線を合
わせていました。口元に微笑を浮かんでいます。
矢口さんの微笑がわたしに向けられます。
「紺野、行くよ」
わたしは再び頷きました。
「はい!」
- 25 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月23日(月)11時32分16秒
- わたしはその日の会見でモーニング娘は色んな人の思いに包まれてい
る事を知りました。それは今回の矢口さんと飯田さんの行動からもいえた
事なのかも知れません。少しだけですが、会見前に感じていた不安が小さ
くなっていたように思います。
胸を張ろう。
数々のフラッシュに包まれている石川さんの横顔を見ていて思いまし
た。……胸を張らなくちゃ。
会見の後、四人で怒られたのは説明する事でもありませんね。
おわり。
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