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タンポポの家
- 1 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時49分43秒
- お母さんが死んだ。
ひどく晴れた日の朝、私たちに気付かれる事なく、お母さんは真っ青な空に
溶けていった。
海を連想させるほどの碧空。
高くそびえる空から降り注ぐ陽光は、煌びやかに輝いて、晴れた日に零した
涙の色によく似ていると思った。人のいなくなった秋の海にも。
お母さんといっても、本当のお母さんという意味ではない。
とある施設、タンポポの家と呼ばれる孤児院で私たちを養ってくれていたの
が、お母さんだった。
年齢は多分、二十代中頃だったと思う。
そんな彼女が、なぜこの孤児院に一生をささげることになったのか、私は知
らない。
二年前にここに来たとき、既にお母さんはお母さんだったから。
しばらく何も考えないようにして、孤児院の向かいの空き地に腰掛けている
と、飯田さんと矢口さんが神妙な顔で中から出てきた。
彼女達は、この孤児院の先輩ということになる。
そんな彼女達の表情に不安になった私は、無意識にあいぼんを探した。
たった四人しかいないこの孤児院の、最後の一人。
- 2 名前:名無しさん 投稿日:2002年09月22日(日)04時50分13秒
- 「梨華ちゃん、今日はでっかいのがあったよ」
突然降り注いだ声に、慌てて後ろを振り返る。
探していた人物に先に探し当てられ、私は外にまで聞こえてしまいそうなほ
どドキドキしていた。
「あい、ぼん……」
唯一の年下である彼女に対してだけは、お姉さんぶっていたい私から、思わ
ず情けない声が漏れる。
それでも、なんとか気を持ち直した。
「植物殺したら可哀想でしょ?」
真面目な顔で諌める。
あいぼんの右手には、見たこともないような大きなタンポポ。
孤児院の名前がタンポポの家ということもあってか、あいぼんはひどくタン
ポポを気に入っていた。
皮肉なことに、うちの孤児院の周りには、何故かタンポポは咲いていなかっ
たけど。
ごめんなさい、と泣きそうな顔で謝るあいぼんを両腕で優しく包み、先程ま
で向けていた方向に視線を戻した。
飯田さんと矢口さんが、いつのまにか私たちの横に立っていた。
- 3 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時51分27秒
- 「矢口さん……」
心なしか、私の声が細かく震える。
柔らかな風が私たちの周りを包んでいたが、どうやらそのせいではないらし
かった。
「……うん」
それだけを言って俯く。
飯田さんとは目が合わなかった。
なんとなく予想はついていたのに、そっか……という言葉が私の口から漏れ
た。それ以外は、何もでてこない。
「どうしたの?」
あいぼんが不思議そうな顔で、私を下から覗き込む。
もうすぐこの可愛い顔が見れなくなるかと思うとやるせなくて、抱きしめる
両腕に力を込めた。
あいぼんはますます不思議そうな顔をする。
- 4 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時51分57秒
- 「加護、よく聞きなね」
飯田さんが初めて口を開いた。
その顔には穏やかな笑みが広がっていて、何故だか悲しくなった。
その笑顔は、夏休みの終わりのような匂いがした。
「今月一杯で、タンポポの家はなくなっちゃうの」
あいぼんは何も言わなかった。
私には、胸の辺りにいるあいぼんの驚いた表情と、微かな震えだけが伝わっ
てくる。
「やです」
ずいぶんと時間が経った後、あいぼんはそれだけ言った。
いつもの我が侭よりも、シンプルで、明確で、絶対に曲げないという意志が
見て取れた。
私の好きなあいぼんの唇は、言い終わった後もずっと震えている。
「仕方ないの」
「やです!」
あいぼんは、私の腕を振り払って暴れた。
乾ききった地面が土ぼこりをあげ、私は思わず涙を零しそうになった。
- 5 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時52分27秒
- 「いつも飯田さん、威張ってるじゃないですか! うちに言うこと聞かせるじ
ゃないですか! 飯田さんが言えば、なんだって叶います!」
「加護……」
飯田さんはそっと声を漏らすと、先程までと同じように視線を落とした。
「やめな、加護」
矢口さんが、加護の肩にそっと手を置く。
その肩は小ぎざみに震えていて、そこでやっとあいぼんが泣いているんだと
気付いた。
いつのまにか、風が強くなってきていて、砂ぼこりが激しく舞っている。
私の頬を雫が伝った。
視界が悪くなって、上手く前が見えなかったけど、きっと飯田さんも矢口さ
んも泣いているとのだろう思った。
だって、視界をさえぎってしまうほど強く、砂ぼこりが舞っているのだから。
- 6 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時54分38秒
- 翌日の朝、目覚めはさほどよくはなかった。
いつも誰かの布団に入っているあいぼんが、昨晩に限っては部屋の隅に一人
で丸くなっている様子を、いつまでも眺めていたから。
それを見たとき、少しだけ胸がズキリとした。
この痛みが一つ増えるごとに、きっと現実は近づいてくるのだ。
布団に包まっているのが私だけだと気付いて、仕方なく布団をたたむ。
片付けている最中、窓から漏れた明かりが私の視界を侵した。
どうやら、今日も外は晴れ渡っているらしい。
朝食を取ろうとホールに足を運べば、部屋の中には先輩方二人。
矢口さんは小さな体に似合わず、ものすごい勢いでスプーンを動かしている。
「石川、おはよう」
「おはようございます」
飯田さんの目元にいつも以上の隈が出ていることに戸惑いながら、私は頭を
下げた。
矢口さんは食べることに忙しいのか、軽く笑顔を私に向けて見せる。
- 7 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時55分17秒
- 「もう食事できてるから、よそって食べな。あ、手はちゃんと洗いなよ」
「はい」
私は石鹸をつけて手を入念に洗い、キッチンに行く。
視界を覆うほどの湯気が、食欲をそそる匂いを運んでくる。
「今日の当番って飯田さんでしたっけ?」
「そーだよ」
私はそれに、ニコリと微笑み返す。
飯田さんの料理は絶品だ。特にあいぼんなんか、私のときはおかずを残すく
せに、飯田さんのときになるとおかわりまでしてしまう。
そこで、今更ながらに気付いた。
「あれ、あいぼんは……?」
あいぼんがいない。飯田さんの料理を愛して止まないあいぼんが。
「加護はいらないって。外に行った」
そう言って、矢口さんは扉の向こうを指差す。
無関心を装ってはいるが、矢口さんの食事をする手は止まっていた。
「ちょっと私行ってきます」
「うん、悪いね……」
飯田さんが申し訳なさそうに笑みを浮かべる。
昨日のことをまだ気にしているらしかった。
- 8 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時55分51秒
- 外に出ると、予想以上の陽射しに迎えられ、思わず目を細めてしまう。
真っ白な世界のその先に、小さく丸まる影が見えた。
「あいぼん」
遠くから呼びかける。
振り返るのが微かに見えた。
まるで缶ケリでもしているときのようにゆっくりと近づき、あいぼんの姿を
はっきりと捉える。
予想外にも、あいぼんは屈託のない笑みを浮かべていた。
「見て!」
あいぼんの第一声。
指差す先に見えるものは、小さな小さなタンポポ。
また性懲りもなくとってきたのかと思い、一瞬表情を険しくするが、そのタ
ンポポに違和感を感じる。
「え、これって……」
にこ〜っと笑い、あいぼんは大きく頷く。
「生えてた」
さも当然のこと、といった風にあいぼんは言ってのけた。
- 9 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時56分39秒
- その後、飯田さんと矢口さんを連れてくると、二人とも驚いた顔でたった一
本のタンポポに見入っていた。
それにつられて、私ももう一度吸い込まれるようにタンポポを見る。
昨日までは生えたことすらなかったのに、今日になって急に生えているなん
て、まるで――
「タンポポ……だよね」
「うん……」
信じられない、といった風に顔を見合わせる。
「今日生えるなんて、まるであやっぺが……」
そこまで言って、飯田さんはゴクリとつばを飲み込む。
四人の中でも比較的年の近い飯田さんと矢口さんは、お母さんの事をあやっ
ぺと呼んでいた。
私とあいぼんが来るずっと前から、ここで暮らしていたらしい。
- 10 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時57分24秒
- 「お母さんの生まれ変わりだよ……」
二人が言い淀んでいることを、あいぼんが口に出す。
私はタンポポに視線を落とす。黄色い花びらが春風に吹かれ、ゆらゆらと揺
れていた。
「……そうかもね」
矢口さんが、先程の表情のままに言う。自然と零れ出た、という表現がぴっ
たりだった。
「どうしよっか、これ」
飯田さんの言葉にみんなの視線が再びタンポポに集中する。
あいぼんがずいっと前に出て、儚げに揺れるタンポポをそっと撫でた。
「育てるに決まってるじゃないですか」
「だね」
矢口さんがニヤリと笑う。
私たちに、家族が一人増えた瞬間だった。
- 11 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時57分57秒
- タンポポが生えて以来、先日のいざこざは嘘のように明るい毎日を過ごして
いた。
飯田さんの笑顔、矢口さんの笑顔、あいぼんの笑顔。どれもこれも私にとっ
て大切な栄養素みたいなものだ。摂らなければ枯れてしまう。
それでも、現実はしっかりと足音を立てて近づいてくる。
また一つ、胸がズキリとした。
「梨華ちゃん見て見て」
「なあに?」
あいぼんに呼ばれ、仕方ないなあという笑みを浮かべながら、あいぼんの元
まで駆けて行く。
大切な時間。残り少ない、愛しい日々。
「何で花びら閉じてるのかなぁ」
宵のタンポポを月明かりが照らす。
心細げにしぼんだタンポポ。
「枯れたのかなぁ……」
不安になりながら聞いた言葉に、あいぼんはフルフルと首を振る。
「昨日の夜もこうなってた。でも、今日の昼はちゃんと咲いてたよ?」
そんなあいぼんの言葉に、私は腕を組んでうーんと唸った。つられてあいぼ
んも、うーんと声をあげる。
「飯田さんに聞いてみよっか」
「うん!」
- 12 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時58分49秒
- よーいどんで二人が駆け出す。
タッチの差で私が早く着き、飯田さんにさっきのことを話した。
「なにしてんの?」
返ってきた答えはそれだった。
隣であいぼんも大きな呼吸を繰り返している。
「教えて……ください」
何とか、催促した。
「タンポポは夜になるとしぼむって知らなかった?」
笑いながら応える。
ナニナニ、とすぐに矢口さんも参加してきて、四人であーでもないこーでも
ないと議論が始まった。
この時間が永遠に続くような気がして、チラリと壁の時計に視線を這わせる。
秒針は、瞬きをするくらいの自然さで、しかし確実に時を刻んでいて、一瞬
にして永遠なんてないのだと思い知らされた。
それでも。
開けっ放しのドアから外を眺める。
お母さんの生まれ変わりのようなタンポポ。
たった一本で、しっかりと根を張り息づいている。
強い強い花。この花が私たちと共にある限り、いつまでも笑い合えるような
気がした。
- 13 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)04時59分23秒
- 「え……?」
あの日と同じような、晴れた日の午後。
私たちはあいぼんに外まで連れ出された。
毎日のように輝きつづける太陽に手をかざし、あいぼんの言うままに歩いて
いく。
あいぼんが立ち止まった。
そして、そっと地面を指差す。
その指のとおりに視線をずらすと、黄色い花をつけるタンポポ。
景色の移り変わりがひどく遅く感じた。
え、という呟きを漏らすのがやっとだった。
昨日まで天を貫くように、強く咲き誇っていたタンポポは、見る影もなくし
おれてしまっている。
茎が力なく地面に寝そべっている様は、一つの物語の終わりを感じさせた。
隣であいぼんが肩を震わせている。
飯田さんと矢口さんは視線を下ろしたまま。
まるで全てのことが、あの日に帰ってしまったかのような錯覚に襲われた。
- 14 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時00分33秒
- 「実は、もう一つ言わなきゃ駄目なことがあるんだ」
飯田さんが、震える声で、しかしはっきりとした口調で言う。
私とあいぼんが、同じタイミングで飯田さんに視線を向けた。きっと、二人
の顔は悲しみの色で染まっていたと思う。
矢口さんは、ずっと私たちの顔を見ないようにしていた。
「石川と加護の引き取り手が決まったんだ。明日にはもう、ここを出て行かな
きゃいけない」
飯田さんの言葉が、衛星中継のような時間差を伴ってゆっくりと染み渡って
いく。
照りつける陽射しのせいか、視界が少しだけ霞んだ。
「明日……?」
あいぼんが、信じられないとでも言ったように呟く。
「でも、飯田さんと矢口さんは……?」
私の声も、きっとあいぼんと変わらない意味を伝えただろう。
「私たちはもうどうにでもなる。アパートを借りてもらってるから、すぐにで
も仕事を探すつもり」
不自然なほどに冷静な声。感情も何もない声が、私たちに事実のみを告げる。
- 15 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時03分03秒
- 「や…だ」
あいぼんがしゃくりあげながら声を漏らす。
でも、あの日のように暴れだしたりはしない。
もうどうしようもない所まで来てしまったことを、あいぼんも薄々感じ取っ
ているのだ。
「大丈夫。仕事探さなきゃっていったでしょ? あたしと圭織がお金一杯稼ぐ
から、そしたらまた四人で一緒に暮らそ?」
矢口さんの言葉に、加護はますます雫の量を増やす。それでも必死に頷いて
いた。
多分そんな日は来ない。
私も、矢口さんたちも、きっとあいぼんだって気付いてる。
それでも、私たちはその約束に必死ですがるしかなかった。
そこで、頭の悪い私はようやく気付いた。
あの日に帰るどころか、時間は確かに進んでいるんだってこと。
視界がぼやけてきて、私は慌てて空を仰いだ。
二年間の間に見慣れてしまった空。
私は、いつまでもそこにあると、安心しきっていたのだ。
- 16 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時03分46秒
- 「二人とも準備できた?」
はい、と返事を返し、私はゆっくりと立ち上がる。
見慣れた壁、見慣れた畳、見慣れた布団。
いつまでも座ったままのあいぼんに手を差し出すと、そっと手を握った。
あれから私たちは、泣くこともなく家に引き返した。
泣き虫のあいぼんでさえも何かを必死に耐えるように、こぶしを握り締めて
我慢していた。
そして、全員でホールに集まり、笑いながら未来のことを語り合った。
また四人で暮らすときは洋室がいいね、とか、ベッドを置こう、とか他愛も
ないこと。
腕を強くひき、あいぼんを立ち上がらせる。
勢いをつけすぎて、私は二三歩後ずさった。
「行こっか」
「うん」
忘れ物がないことを確認して、寝室から抜け出すと、飯田さんと矢口さんが
二人並んで待っていた。
そのままみな無言で家を出る。
視界は真っ白な光で包まれ、夢物語の終わりを感じた。
今からは現実。四人がもう交わることはないという、悲しい現実。
- 17 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時04分20秒
- 家の前には迎えの車が二台止まっていた。
私たちを確認すると、どちらともなく人が降りてきて、私たちに自己紹介を
始める。
養子、ということになるのだろうか。
どちらも感じのよさそうな人たちで、こういう人たちと暮らせる私とあいぼ
んは幸せなのかもしれない。
「やだ!」
突然、私の右隣から大きな叫び声が聞こえた。
叫び声の主は、やだ、という言葉を何度も叫びながら、私の手を離れ家とは
逆方向に駆け出す。
「あいぼん、待って!」
何が起こったのかわからない、という表情を浮かべている大人を一瞥した後、
私もあいぼんを追いかけた。
後ろからは飯田さんと矢口さんも追ってきているのが感覚でわかる。
持久戦になるぞ、と覚悟をした私の思惑とは裏腹に、あいぼんは車の陰のと
ころに佇んでいた。
「あいぼん?」
予想外の出来事に私は素っ頓狂な声を出す。
遅れてきた二人も同様に戸惑った表情を見せた。
いつかと同じようにあいぼんが指をさし、私たちはその方向を同時に向く。
- 18 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時04分53秒
- 一瞬、雪が舞っているのかと思った。
「あ……」
誰ともなく、声を漏らす。
空に運ばれていく春の雪。
視界一面を覆うほどのわたげが、思い思いの方向に飛び回っていた。
まるで風を無視したかのように、一つは北へ、一つは南へ、新たな命を運ん
でいく。
言葉は要らなかった。
私たちは、今この瞬間、確かに見えない絆でつながれていた。
例えどんなに離れたって、私たちの行く先にはこのわたげがあって、それぞ
れの未来を照らしてくれる。
「うち、行きます」
最初に口を開いたのは、あいぼんだった。
「うちが行く所に、きっとお母さんがわたげになって向かってると思うんです」
私も、そんな気がした。
私の行く所にもお母さんはいる。もちろん、飯田さんが行く所にも、矢口さ
んが行く所にも。
- 19 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時05分30秒
- 「じゃあ、そこまで、一緒に行こう?」
私はもう一度あいぼんと手をつなぐ。
ギュッと力を込めたこの手が離れなければいい、なんて今はもう思わない。
ただ、この手の温もりを、いつまでも覚えていて欲しかった。
「サヨナラ」
つないだ手は離れ、私はその手で、あいぼんの背中をそっと押した。
数歩歩いて、あいぼんが振り返る。
頬を伝う涙にコントラストされた笑顔。
私たちが愛して止まないあいぼんの笑顔。
「うん、またなぁ」
車に乗り込んだあいぼんに、私たちは必死に手を振る。
低いエンジンの音がして車は走り出した。
掲げられた私たちの手を残して、はるか遠く、見えない明日へ消えていった。
- 20 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時06分40秒
- ◇ ◇ ◇
- 21 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時07分13秒
- 空が青い。
見慣れた景色を、無数の黄色が彩る。
風に揺れるその花びらに、私はそっと口付けた。
「梨華ちゃん?」
そんな私の行為を、柴ちゃんが不思議そうに見る。
柴ちゃんは、新しい家に移った私に出来た、最初の友達。
出会ってから、もうかれこれ一年になる。
「なんでもない」
私は、タンポポから唇を離し、眼前に映る海の先を見た。
あの場所からは、もうずいぶんと離れてしまった。
わたげはきっとこの海を越えることは出来ないだろう。
この街には多くのタンポポが咲くけれど、きっとあの日のタンポポは何処に
もない。
私たち四人を結びつけたタンポポは、あの日の、あの場所にしかなかったの
だ。
- 22 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時08分11秒
- 「何でもないことないでしょ?」
コツン、と額をぶつけられ、優しく抱きしめられる。いつか私が、あいぼん
にやったみたいに。
「お姉さんには言えないの?」
少し茶化した物言いの柴ちゃんに、私の瞳から雫が零れた。
「ちょ…梨華ちゃん?」
一年越しの涙が、優しく頬を伝う。
気付くと、私は全てのことを、柴ちゃんに話していた。
一年分の思いを聞いた後で、柴ちゃんは優しく微笑んだ。
「ここにあるタンポポは嫌い?」
私はブンブンと首を振る。
この街は好き。一つ年上の柴ちゃんに出会えたことも、すごく大切な出来事
だ。
「だったら――」
柴ちゃんが何かを言いかけたとき、一際大きな風が私たちを包んだ。
海から吹き上げてくる風に、思わず目を覆う。
微かに開かれた瞳から、白い光が見えた。
「あ……」
わたげ。
海を渡って、わたげが私たちの元へ舞い落ちる。
そして、黄色いじゅうたんの上に静かに着地をした。
- 23 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時09分04秒
- 「海を渡って……」
柴ちゃんの方を向くと、先程と変わらぬ笑みで私を迎えた。
「だったら、新しいタンポポも昔のタンポポも、どっちも好きになればいいの」
風は止まない。
「梨華ちゃんの愛したタンポポの中に、きっと昔のタンポポはあるから」
私は、野原に広がるタンポポを見た。
数え切れないほどのタンポポは、きっとそれぞれが私の大切な思い出だ。
そして、これから作る、大切な未来。
「ありがと」
「どーいたしまして」
私は、柴ちゃんに向けて笑顔を見せた。
柴ちゃんも、私に向けて微笑み返す。
野原のどこかで、わたげが舞った。
永遠に続いていくサークル。
あの日の思い出に、一つずつ未来を乗せながら、いつまでも続いていく。
いつまでも、続いていく。
- 24 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月22日(日)05時09分38秒
- おわり
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