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走れ!タンポポ

1 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時10分35秒
ここは茨城県にある美浦トレーニングセンター。
2000頭もの競走馬や、競馬に携わる人が住む施設。

おいらは、そこで「ハロプロスポーツ」(通称ハロスポ)の競馬記者として働いていた。
後輩記者の石川と騎手をしている圭織と、いつものように3人で食堂で話していたんだけど
圭織の様子がいつもと違った。
「矢口…」
「圭織、どうしたの?」
「……タンポポ、降ろされちゃったの…」
「マジで!?」

「タンポポ」とは寺田光男厩舎に所属する栗毛の4歳牝馬だ。
デビュー以来ずっと、圭織が騎乗し好成績を挙げてきた。
寺田厩舎担当のおいらも毎日のように見続けてきた馬で
結構儲けさせてもらった馬だ。
そんなタンポポと圭織は本当に名コンビと呼ぶにふさわしく
ほかの騎手が乗るなんておいらには想像できなかった。
2 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時12分55秒
「だって、どうして?」
おいらは、まったく理由が思いつかなかった。
「圭織もわかんない…。でも寺田先生は山崎さんが決めた事だって…」
「山崎…、あぁ馬主の山崎さんか…」

競馬の世界では馬主の発言力は大きい。
だって、何千万もするサラブレットを提供する、スポンサーなのだから。

圭織は蚊が鳴くような、か細い声で続けた。
「あいぼんも圭織を替えないように、寺田先生に頼んでくれたんだけど…」

あいぼんとはタンポポの世話をしている厩務員の加護のことだ。
確かに加護のような若い厩務員では、発言力もないだろうな…。

この世界で、騎手が馬から降ろされ、別の騎手に乗り代わることは別に珍しくはない。
だけど、圭織は大きいミスらしいミスをしたわけではないのに…。
おいらもこのときは疑問だった。でも、後々取材をしてわかったんだ。
どうやら馬主の山崎さんは、柴田あゆみっていう騎手をかなり買っているらしく
彼女にタンポポの手綱を任せたいらしいんだ。
3 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時13分52秒
「じゃあ、飯田さんは、もうタンポポに乗れないんですかぁ?」
おいらの隣の石川が、悲しそうな顔で圭織に話しかけた。
「ううん、次の毎日王冠で最後になるって…」
もう圭織は、何とか言葉を搾り出すので精一杯だった。
圭織の言う毎日王冠とは、10月に東京競馬場で行われるGUの重賞レースだ。
「でも、きっとそこで勝てば、山崎さんも考え直すよ!
 寺田先生も説得してくれるよ!」
「うん…」
おいらは励ますつもりで言ったんだけど、圭織はそれ以来黙ってしまった。
4 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時14分41秒
それから1ヶ月後、毎日王冠の日を迎えた。
タンポポは加護や寺田先生が頑張って仕上げたらしく
おいらにもピークの出来に見えた。

パドックを加護と一緒に周回するタンポポ。
「おい、タンポポ、お前今日は元気やなぁ」
引っ張っているはずの加護を、逆にタンポポが引っ張って歩くぐらい元気だ。
気合乗りはいいし、馬体もよく見える。
ただ、今回は強い相手が出走してきた。
タンポポのライバル「プッチモニ」号だ。

プッチモニは、タンポポがまだ勝っていないGTも勝っているし、実力も相当ある。
単勝人気もプッチモニが堂々の1番人気だ。

だが、気になる点もある。今日の馬体重がプラス22キロと明らかに太め残しだった。
黒光りする眩い馬体だが、下っ腹の出具合は隠せない。
これは、タンポポ、いや圭織にチャンスありだな。
おいらは「Dタンポポ」と書かれた1万円の単勝馬券を握り締めた。
5 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時15分30秒
ファンファーレが鳴り、15頭のゲート入りが始まった。
タンポポもプッチモニもおとなしく入っていた…
だけど、タンポポの隣の枠の馬、ナカザーミソジが急に暴れた。
それを見たタンポポもびっくりして立ち上がってしまった。
『ガッシャン!』
運が悪いことに、そのときゲートが開いてしまった。
タンポポは他の馬よりも3馬身ぐらい出遅れてスタートした。

おいらは頭を抱えた。
いつもはスタートのいい馬なのに、こんな日に限って…。
一方のプッチモニは抜群のスタートを切って、先頭を走っている。
まずいなぁ、マイペースで逃げさせちゃダメだぞ、圭織。
6 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時16分23秒
レースは平均ペースで流れた。
プッチモニがマイペースで逃げる中、タンポポはまだ後ろから3頭目だった。
4コーナーを回っても、まだタンポポはずいぶん後ろだ。
圭織は最後の直線に全てを賭けたんだ、おいらは思った。

いよいよ、最後の直線500mにかかった。
何万人もの大歓声が響き渡る。
まだ先頭のプッチモニの手応えはいい。

しかし大外を通ってタンポポが物凄い勢いで上がってきた。
1頭、2頭と前の馬を交わしていく。
圭織も必死に手綱をしごき、タンポポを追っていた。

でも先頭を走るプッチモニもまだ余力はありそうだ。
圭織、早く!早く!
7 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時17分00秒
残り200mを切った。
ようやくタンポポとプッチモニの差が5馬身くらいまで縮まってきた。
プッチモニの騎手、吉澤もムチを連打する。
「くっ、やっぱり今日の馬体は太いから、反応が今ひとつだ!
 でも、負けない、負けたくない!!」

残り100m。
ついに2頭が並んだ!
圭織もまた、ムチを連打していた。
「お願い!タンポポ!勝たせて!」
しかし、プッチモニも譲らず、2頭のマッチレースが続いた。
必死で前へ出ようとするタンポポ。
決して前へは出させないとするプッチモニ。
大歓声がさらにヒートアップする。

あと50m…

でもその時、急に圭織がタンポポを追うのを止めてしまった!
するとタンポポは減速し、そのままプッチモニが1着でゴールしてしまった。
おいらはボー然としてしまった。
どうして圭織、最後の最後で馬を追うのを止めたの?!
8 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時17分48秒
でもおいらはすぐに我に返った。それはタンポポがゴールしたあと、
圭織がタンポポから下馬し、膝まづいて、前脚を触っていたからだ。
まさか…。

すると圭織は、大声で泣き始めた。
いや、正確には歓声で声は聞こえなかったんだけど、圭織の泣いている姿が
ターフビジョンに大映しにされるのを見たら、おいらには大声で泣いているようにしか見えなかった。

おいらはこの時、タンポポは脚を折っちまったんだと思った。
競走馬にとって脚を折ることは、最悪、命を落とすということだから。
9 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時18分24秒
でもそうじゃなかったんだ。タンポポは無事だった。

圭織は大泣きしながら、タンポポに謝っていたんだ。
「…タンポポ、ごめんねっ、ごめんね!!
 圭織が…、圭織が、どうしても勝ちたかったから、タンポポの脚がおかしいと思ってたけど
 無理に走らせちゃった…。
 …脚は大丈夫?
 圭織は勝つことしか考えていなかった…。勝てば自分も降ろされずに済むだろうって…。
 自分のことしか考えていなかったよ…。
 でもタンポポはこれからも一生懸命走って、ファンの人たちや、寺田先生、山崎さんを
 喜ばせなくちゃいけないんだものね…。
 ごめんね、ごめんね…」

圭織は残り100mで、タンポポの脚の様子がおかしいことに気づいていたけど
勝ちたかった一心で、タンポポを追うのを止めなかったんだ。
でも、やっぱり圭織はタンポポを愛していた。
だから、タンポポを走らせるのを止めた…。
たとえ自分がもうタンポポに二度と乗れなかったとしても…。
10 名前:第九回短編バトル 投稿日:2002年09月17日(火)10時19分36秒
レースが終わって1ヵ月後。
タンポポ号を取り巻く環境は大きく変わった。
予定通り、騎手は圭織から柴田あゆみに乗り代わったし、
厩務員の加護も、騎手になる夢をかなえるためオーストラリアに修行へ旅立ってしまった。
そして、おいらもハロスポの競馬担当から競艇担当へと異動し、タンポポの走る姿も
テレビでしか見ることはできなかった。
今は後輩の石川がおいらの後を継ぎ、寺田厩舎の担当をしていて
時々、タンポポの様子をメールで教えてくれる。

お、石川からメールがきてるぞ…

『矢口さ〜ん、石川は元気ですよ〜♪
 え、石川よりもタンポポの報告をしろって?
 わかってますよ〜。
 タンポポも元気いっぱいで、年末の有馬記念にはいい状態で
 出走できそうですよ〜!』

そうか、タンポポのやつ元気いっぱいか。
またおいらもタンポポに会いに競馬場に行こうかな。
この前の負け分をきっちり取り返さないといけないからな。


おしまい

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