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薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク

1 名前:海野コバルト 投稿日:2002年07月31日(水)14時23分47秒
最初は何気ないことから始まった。

モー娘。の新曲“Do it! Nowモは初登場3位と、大ヒットとは言えないがまずまずの位置を占めた。それには娘。達が新曲プロモーションのため、幾つかの歌番組に地道に出演した成果もかなりあったのは間違いないだろう。そんな、ある日の収録のことだった。

安倍なつみが本来なら自分のソロパートであるべき所を、歌詞を忘れて棒立ちしてしまった。この歌はダンスが激しいこともあり、じつは口パクなのだが、口の動きまで忘れてしまっては誤魔化しようがない。みんなの動きが止まる。

ディレクターからもダメの声がかかった。

「ゴメン、ゴメン。なっち。つい、ボーとしてしまったべさ。みんな、もう一度、最初からやり直しをおねがいするよぉ。」
安倍が、とぼけた調子でみんなを見回しながら手をあわせる。

「もー。なっち、しっかりしろよ。時間押してるんだからさ。」
矢口が怒った振りをする。

「今度はちゃんとやるよ。」
みんなに向かい言う。
「すみません。音楽を下さい。」
今度は上手くいった。このミス自体は、そんなに珍しいことではない。みんな、ちょいちょいやることだ。ただし、一度だけならば。
2 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時27分14秒
2002年ハロプロ夏コンサート in 代々木体育館での出来事だった。モー娘。、松浦亜弥、藤本美貴など続々と登場し、モーヲタも親子連れのちびっ子たちも大興奮・絶好調といった感じになってきた。

様々な色のサイリュームが会場一杯に上下に揺れる。

「じゃあ、次はモーニング娘。新曲“Do it! Nowモ聞いて下さい。」
飯田がMCすると、会場がウォーと沸き上がる。Do it! Nowのモー娘。の衣装のコスプレ(たぶん母親手作り)をしたちびっ子が、ぴょんぴょん跳ねる。
熱狂のピークの波が会場を包む。

イントロが流れて、曲が始まる。めまぐるしくメンバーの立ち位置が変わる。
安倍のソロパートが来た。

またしても、安倍は呆然と立ちつくす。とりあえず適当な口パクをして、その場をどうにかするという事さえしなかった。
3 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時27分56秒
後藤と飯田が安倍の異常を察知して、お客の目から隠すように二人で安倍の前に立ちはだかり、壁を作る。矢口が素早く、安倍に近寄り脇腹に軽くげんこつを入れて、
「なっち。本番中だぞ。しっかりしろよ。」
と活を入れた。

「ああ。」
ぼんやりとした目をして安倍が答える。メンバー間の無言のやりとりで、それ以後の安倍ソロパートは、高橋がツインボーカルを勤めてフォローし何とか乗り切った。

会場全体が青いサイリュームの光に塗り染められている中で、メンバー全員が揃って会場のお客に最後の挨拶する時も、安倍はどこか心がここに無いという風だった。

控え室にみんなが戻ってきた。
新垣が感動して叫んでいる。
「見ました?会場。青一色でしたよね。あの背の高いファンの人来てくれたかな。」
みんな浮かない顔をして、新垣の喜びに今一つ乗り切れていないという感じだ。

飯田が決心したかのように、安倍に声をかける。
4 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時29分17秒
「あのさ、リーダーとして言わせてもらうよ。今日のなっちの舞台、あれは自分で納得してる?」

メンバーはしーんとなって二人のやりとりを見守るだけである。

安倍はイスに腰掛けて、紙コップを両手で持って肩を落としたようにイスに座っている。
「・・・覚えてないんだ。なんか霧の中にいるみたいでさ。」

「覚えてない?あれを?後藤と高橋が上手くフォローしなかったら、ライブがメチャメチャに壊れてたよ。」
飯田も感情的になる。

「・・・」
長い沈黙があった。
「・・・あのさ、こんなこと聞くのも何だけどさ。名前なんて言うんだっけ?あなたの。」

「えっ。」
飯田は直感的に、これは異常事態だと感じた。直ぐに、マネージャーに事情を説明して、病院へと安倍を連れて行く。病院では安倍は内科から精神科へ回され、最後に神経内科で診断がついた。

“クロイツフェルト・ヤコブ病 (CJD)”
これが安倍の病名だった。
5 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時30分45秒
クロイツフェルト・ヤコブ病 (CJD)とは、ウシ海綿状脳症(狂牛病)と病原体を同じくする病気で、脳に異常プリオンという特殊なタンパク質が蓄積されることによって起こる。異常プリオンを口から食べることによっても伝染することが知られている。記憶障害、行動異常などを初期症状とし、発症から一年ほどで痴呆、昏睡状態となり死亡する。治療法はまったくない。

日本では脳外科手術に使われたドイツ製の乾燥脳硬膜がプリオンで汚染されていたためにクロイツフェルト・ヤコブ病に感染した薬害ヤコブ病患者が80名ほどいる。

6 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時32分06秒
安倍は病室のベットの上で、手を布団の外に組んで、目をあけたまま天井を見つめていた。その姿は、まるで何かに祈っているようだった。

飯田は部屋に入ったはいいが、声を掛けれずに、その場に立ちすくんでいた。

「かおりん。来たの?」
その声には何の感情もこもっていなかった。

「ああ、どう、具合は?まあさ、しばらく休めば治るって。」
努力して明るく振る舞う。

「もう知っているんでしょう。私の病気。」
安倍は天井に視線を固定したまま言う。

「ああ。でも、よく分かんないよ。難しいことは。クロ・・クロクロ病だっけ。」

「私ね。小学校に入る前に交通事故で頭を強く打ったの。それで頭蓋骨に穴を開けて、頭蓋骨の下にたまった血を抜くっていう手術をしたの。その時だって。たぶん。」
感情がこみ上げてきたのか、いったん息を継いだ。
「たぶん、その時にプリオンに汚染された乾燥硬膜を頭蓋骨の穴にフタとして使われたんだって。」
7 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時33分13秒
「治るって。気をしっかり持とうよ。顔色はいいじゃん。これ、みんなからの差し入れ。」

「何も分からないくせに、いい加減なこと言わないで。この病気は、だんだん脳がやられていって、自分のことも周りのことも何も分からなくなっていって、植物状態になって死んでいくんだよ。」
安倍は嗚咽を漏らし始めた。
「モー娘。になって、みんなになっちのことを知ってもらって、歌も演技もこれからって時なのに。これから、まだまだやりたいことは一杯あったのに。」

飯田は何も言えなかった。安倍の独白は続く。
安倍の声は、もう半分泣いていた。

「いい気味だって思っているでしょう?なっちはセンターばっかりやってるし、ドラマも出てるし、ざまみろって思っているでしょう。わたしなんて死んだ方がいいって思っているでしょう。」
この病気は性格変換を引き起こすことがある。そのせいなのか、それとも病気のために神経が高ぶっているのか、こんな事まで言いだした。
8 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時34分26秒
「そんなこと思っているわけないじゃん。いい加減にしなよ。」
飯田はきっぱりと言い切った。

これは本心だった。たった二日違いで同じ病院で生まれた二人が、再び巡り会い一緒に歌を歌っている。その運命の不思議さ。

昔は慣れない共同生活でけんかしたり、ライバル心をむき出しにしたこともあったが、飯田も自分のポジションを見つけた今となっては、センターとかドラマの出演回数とかは、どうでもいいことだった。それより、安倍という人間に巡り会えたほうが何倍も大切な宝物だ。

「うそ!!かおりんは嘘を言っている。」
「嘘じゃないよ。」
「じゃあ、それを証明して見せて。」
「どうやって証明するの?」
不毛な会話。

ついに安倍が言う。
「もし、かおりんが私の事を大事に思うなら、真っ青な薔薇の花を持ってきて。真っ青よ。薄い青とか紫がかった青とかじゃ駄目。分かった?」
安倍の目が暗く輝く。
「ああいいよ。今度来るときに真っ青な薔薇の花束を持ってくるよ。」
安倍の言葉に隠された悪意のトゲに気づかずに飯田は気安く請け負う。
9 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時36分05秒
飯田から話を聞いた中澤は大きくため息をついた。
「無理や。圭織は知らんのかもしれんが、英語で“Blue Roseモって言ったら不可能。この世に存在しないもの。って意味になるのや。昔から、全世界の薔薇愛好家の人達が、王様、貴族、大商人なんかが金と権力に物をいわせて青い薔薇を作ろうとした。誰も成功しとらん。不可能や。普通に薔薇同士を掛け合わせても青い薔薇はできないんや。それは歴史が証明しとる。」

「でも、Angel Faceだっけ?青いって、さっき花屋に寄った時聞いたよ。」

「それは、薄青もしくは青紫色といえるような花や。無理に言えば青と言えないこともない。しかし、なっちの言う真っ青じゃあらへん。なっちは、その辺も当然知ってて無理難題を言うとるんやな。いやらしいな。」
また、ため息。

「かおり、頑張ってみるよ。なっちの願いを叶えてあげたいから。」

「そうか。うちらも出来るだけ協力するわ。」

保田、紺野辺りも協力して、インターネットを広く当たってもらったり、出演番組で知り合った園芸に詳しい専門家に連絡を取ったりしたが、はかばかしい反応は無かった。

この世の中に“真っ青な薔薇”は存在しない。それは厳然たる事実だった。
10 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時37分41秒
(無ければ、私が作ればいいじゃん。)

飯田は、青い薔薇の絵を描き始めた。エアーブラシを買ったり、技法や画材にも工夫してスーパーリアル(自称)な青い薔薇の絵を描こうとした。忙しい仕事の合間を縫っての作業だったので、睡眠時間を削らざる得なくて、目の下に黒々とした隈ができて、メンバーから
「かおりん。無理しない方がいいよ。」
「根を詰めすぎると、今度はかおりんが倒れるよ。」
などの助言をもらったが、自分の絵で安倍の固くなった心が少しでも開けたらと思うと張り合いも出てきた。

ついに、苦闘一ヶ月ほどして、誰もが“リアル”だと絶賛する自信作が出来た。

飯田は完成した絵を持って、安倍の病室を訪ねた。
病室の安倍は、ベットの上に半身を起こして窓の外を見ていたが、その顔はゾッとするほど頬が落ちていた。手も細く、がさがさで油気が無く、まるで生きた骸骨だった。たぶん、病気のせいだけだはなく、精神的にもかなり追いつめられているのだろう。

11 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時39分32秒
「なっち。約束の物。持ってきたよ。」
ゆっくりと安倍がこちらを向く。目に精気が感じられない。

「はい。真っ青な薔薇。の絵だけど、我慢してね。真っ青な薔薇って、どこにもないんだってさ。かおりん、だから心を込めて描いたよ。」

ゆっくりと安倍が口を開く。
「なにこれ!!私は、本物の真っ青な薔薇が欲しいの。絵じゃなくて本物!!」
そして、飯田の絵を二つに引き裂いた。

「なにするの!!もう、なっちなんて知らない。」
飯田は安倍の病室を思わず駆けだしていた。

冷静になって考えてみても、安倍のしたことは許せなかった。でも、一方で本当の“真っ青な薔薇”を安倍の元へ持って行きたいという使命感が(むしろ義務感と言った方が適切かも知れないが)芽生えてきていたのも事実だった。

12 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時40分33秒
安倍はたぶん死ぬだろう。その前に、一度でも安倍の笑顔を見たい。それには“真っ青な薔薇”が必要だ。飯田は、そう決心していた。

そんな折り飯田は、ある有名酒造メーカーが青いカーネーションを開発するのに成功したというニュースを知った。つてを頼りに研究所に話を聞きに行った。青い薔薇探しに何かヒントがもらえないかと思ったからだ。

40代位の白衣を着た研究者が親切に対応してくれた。しかし、その話は飯田を落胆させる物だった。

まず、遺伝子工学によって“青い花の色の色素”を人工的に作らせるせることは可能である。しかし、青い花の色の色素は実は、青紫に近いもので(ナスの色だ)、真っ青に見える花は、その色素を含んでいる細胞の空気や水分の含量が多くて、真っ青に見えるのだそうだ。水分や空気量までは、現在の遺伝子工学では調節できない。青いカーネーションもどちらかというと深い青紫と言ったほうが適切な花色であった。

(もう、駄目なのかな・・・。)
何の手掛かりもなく、季節は移り変わっていく。
13 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時42分20秒
ある日のこと、ぼんやりと飯田は楽屋で付けっぱなしのテレビを見るともなく見ていた。某番組の待ち時間だった。

しかし、段々とテレビに引きつけられていく。
「これだよ。これ。」

紺野が不思議そうに訊く。
「あのー、飯田さん。NHKの3チャンネルがそんなに面白いですか?しかも、高校生物?ですよ。」

「いいんだよ。明日、札幌へ行くぞう。紺野も行くかぁ。父ちゃんに会えるぞ。」
急に元気になった飯田を見て、紺野は戸惑う。

飯田は次のオフの日に、札幌へと飛行機で飛んでいってしまった。

そして、飯田が目的の品物を手に入れた、ちょうどその時に、彼女の携帯が鳴った。
“安倍危篤。すぐ病院に来い。”
矢口からの伝言だった。

(待ってよ。なっち。やっと“真っ青な薔薇”を手に入れたよ。)
14 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時44分13秒
飛行機とタクシーを乗り継いで飯田が安倍の病室に飛び込むと、一応は個室だが、さして広くもない病室はモー娘。メンバーで一杯だった。

みんな、黙り込んでいる。

酸素マスクをして、点滴の針を刺された安倍は、びっくりするほど縮んで見えた。脈拍は微弱で、意識が無く昏睡状態だ。でも、まだ生きている。

(間に合った。)

「なっち。見える?“真っ青な薔薇”だよ。」
と飯田が話しかけて、薔薇の鉢植えを安倍の目の前に差し出す。しかし、安倍はまったく反応しない。

「かおり。こんな時に、こんな事いうのも何だけど。それ、だだの白い薔薇とちゃうか?冗談も時と場合をわきまえんと、いかんで。」
中澤が詰問口調で言う。

「明かりを消して。カーテンも閉めて。まっくらにして。お願い。」
飯田に必死に言われて、皆が訳が分からないながらも協力する。

15 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時45分32秒
病室から一切の光が消えた。
その瞬間。誰もが言葉を失った。

白いと思っていた薔薇が真っ青な燐光を放っていた。まさしく、闇に咲く真っ青な薔薇。

「真っ青な薔薇の花だ。きれい・・・。」
辻が感極まったかのように、つぶやく。

「なっち。見える?約束を果たしたよ。真っ青な薔薇だよ。なっち。」
飯田は語りかける。

みんなに見取られる中で、真っ青な薔薇の光に包まれて安倍は逝ってしまった。

最期の瞬間に、安倍がほほ笑んだ様に見えたが、それは気のせいかもしれない。
16 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時46分34秒
安倍が逝った直後は飯田は自分も死ぬかというほど泣いた。
でも、もう大丈夫だ。安倍の思い出も笑って話せる。
今日は安倍の出棺の日だ。

「これはね、北大の先生が作ったんだ。ウミホタルってあるでしょう。夏になると夜の防波堤の下の海とかでキラキラ青く光っている奴。あの青い発光色素の遺伝子を薔薇に組み込んだ物なんだ。最新の遺伝子工学の成果さ。もともとは、違う目的で作られたものだけど、お願いして借りてきたんだよ。ともかくも、最期になっちに見せられてよかったよ。」
飯田は空に還っていく安倍を見送りながら、誰とも無く“真っ青な薔薇”の秘密を公開した。

安倍を送るに相応しい、秋晴れの日だった。
17 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時48分35秒
「あのう、飯田さんですよね。」
突然、声を掛けられる。安倍の母親だ。
「なつみの、最期の手紙を飯田さんにお渡ししたくて。」

安倍の手紙を見て、飯田は再びその場で号泣した。

“かおりへ。えを、やぶちゃってごめんね。かおりはなっちのいちばんのともだちです。 あべなつみ”

全部ひらがなだった。字も幼稚園児が書いたみたいに不揃いで稚拙だった。でも、脳が病に冒されて、意識すらはっきりしていない状態で必死に書いたのだろう。

(いいんだよ。なっち。もういいんだよ。)
安倍を喪った悲しみがまたやってきた。

18 名前:薔薇ノ木ニ、青イ薔薇ノ花咲ク 投稿日:2002年07月31日(水)14時49分41秒
《おわり》

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