干天の慈雨
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:34
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── 干天の慈雨 ──
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:36
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第一章 残照
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:37
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「あーもう、何でこんなにカップルばっかりなの…」
独り言をこぼしながら、私は薄暮の海辺を歩いていた。
水族館やレストラン、ショッピングモールが立ち並ぶベイエリア。
恰好のデートコースを、図録を小脇にひとり歩いているのなんて、私くらいのものじゃないだろうか。
さっさと帰ろう、ため息をつきながら駅へと急ぎかけたとき、同じようにひとりで歩いてくる人影に目が留まった。
遠くからでも人目を引く華やかな顔立ちに、見覚えがある。
視線を感じたのか、その大きな目も、私を認めたよう。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:38
- 「あっ…」
「やっぱり、そうだよね。久しぶり。大人になったね」
近所の中学への転入生で、元の学校との学習進度の差を埋めるために、私がアルバイトしていた塾へ来ていた子が、その人影の正体。おととし中学二年生だったから、今は高校生になったばかりだろうか。
「いやー、お久しぶりです。先生なんでこんなとこに?」
打ち解けようとあだ名を聞いたら、名字の工藤を崩して「くどぅー」って呼ばれてたって、教えてくれたっけ。
「そこの美術館に、絵を見に来たの」
「へえ、誰の?」
「んと、モディリアーニ」
くどぅーが一瞬、頭の中の本のページを繰るような表情になる。
「あの、顔のながーい…」
「すごい。さすがだね」
美術なんて受験に関係ないし、中高生が知っている画家なんて、普通はピカソくらいなんじゃないだろうか。
「でも、教科書に載ってることぐらいしかわかんないですけど」
「みんな、テストが終わったらそれさえ忘れちゃうのに」
あの頃よりずいぶん、背が伸びたのではないかと思う。一緒に勉強したのは短い間だったから、はっきりはわからないけれど。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:40
- 「くどぅーは、どこに行くの?」
「ちょっと、あれに乗りたくて」
見上げる先にあるのは、大きな観覧車。日本最大級とかで、一周十五分ほどかかるはず。
「ひとりで?」
ほんの少しの立ち話の間にも、多くの恋人たちが連れ立って行き交う。
「そっすよ」
こともなげに返されて、私は、さっき卑屈に足を早めたことを、なんとなく恥じた。
「高いとこ好きで、ときどき来るんです。ほら、バカと何とかはって言うじゃないすか」
「バカなんて、そんな。くどぅーは、すごく勉強できるじゃない」
当時くどぅーは家庭の事情で、ひとり暮らしをしていた。学校から帰っても家にいるのは、日中家事をしてくれる通いの家政婦さんだけ。
ご両親の離婚後父親が親権を取り、母親と別れたのが三歳で、それっきり。表立っては父と二人家族なのだけれど、父親は仕事で海外に赴任している、と本人に聞いた記憶がある。
「いや。時間かけてるから、それなりの成績なだけで」
だから夜には話す相手もいないし、暇つぶしに勉強していると、自慢でも自虐でもなく言っていた。
実際に転校によるタイムラグを埋めると、あとは授業を聞けばわかるからと、もう塾へは来なかった。
それでも地区一番の進学校に楽々合格したと、音に聞いている。
「ううん。元々の頭、すごくいいと思うよ。なんか上からだけど」
「どうも。ありがとうございます」
冗談めかして仰々しく頭を下げると、くどぅーは、私を見ながら頭上の大輪を指差した。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:42
- 「一緒、乗りません?結構遠くまで見えますよ」
「邪魔じゃないの?」
「いや、先生がよければ、全然」
「ホント?一回乗ってみたかったんだ」
じゃあはい、とごく自然に、くどぅーは回数券を一枚くれた。自然すぎて、代金という概念を、一瞬喪失したぐらいに。
財布が鞄の中なのであとで清算することにして、歩き出したくどぅーについて行く。
建物の2階に、観覧車への乗り口がある。そこへ昇るエスカレーターの左側に、前後で並ぶ。
「降りてから、お金払うね」
「あーそれ、もう使わないと期限切れちゃうところだったし、もらって下さい」
半年の有効期限が、来週に迫っていた。十枚つづりだから月に一度か二度、こうして来ているということだろうか。
「うん。ありがとう」
固辞しても押し切られる気がして、素直に甘えることにする。
「すぐ乗れますね。まあ平日はいつもそうですけど」
乗るべきゴンドラが来ると、くどぅーは私を先に通してくれた。なんとなく、円周の外側の席を選ぶ。向かい合わせに座り、扉が閉ざされる。
本当に不思議な気分だった。久しぶりに会ったいくつも歳下の子と、こんな密室に二人きりでいる。
けれどくどぅーの醸しだす空気のおかげだろうか、ぎこちなさや息苦しさは感じない。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:44
- 「今も、まだひとり暮らし?」
「はい」
「そっか。じゃあ、帰ったら、お手伝いさんのご飯あるんだね」
朝は、適当にパン焼いたり残り物で済ませます。昼は給食です。幼い独居を案じて、根掘り葉掘り日常を聞く私を鬱陶しがらず、丁寧に答えてくれた中学生のくどぅー。
かつて交わした会話を蘇生させながら、少し大きくなった、高校生のくどぅーと話す。
「いえ。今月だけ、ちょっと夕食断ってるんです」
「えー、どうして?」
「なんだろ、端的に言うと、飽きちゃったからですかね」
家政婦さんは交代で何人かいるのだが、誰が作るものも栄養をガチガチに計算してあるのだそうだ。
「だから、毎日同じ店でご飯食べる感覚なんですよ。味は美味しいんですけど、もうなんか胃に入っていかなくて」
「じゃあ今は、夕飯どうしてるの?」
「ファストフード行ったり、弁当買ってきたり、ままごとみたいに作ってみたり」
あとピザ取ったり、惣菜屋も行きます、それからカップメンとか、と、指を折る。
「そっか、そしたらちゃんとしたの、だんだん恋しくなってきそうだね」
「そう、そういう作戦なんですけど。でも、同じものでも、ホントのお母さんが作ったんだったら飽きなかったのかな、とか考えたりして」
「確かに、家にいたときは、飽きるとか、考えたこともなかったな」
大学進学にあたってひとりで暮らしはじめるまで、家の食事に飽きるという感覚を持ったことはなかった。
きっとそれは母親が作ったからというわけではなく、計算しつくされていなくて、今日の献立は冷蔵庫整理がコンセプトだな、というような日や、肉なし焼きそばだけの日なんかも、あったからだと思う。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:45
- 「ねえ私、今度おうち行って作ってあげようか」
「おっ、先生料理得意なんですか?」
「ううん、すっごい下手。だからきっと新鮮なんじゃないかなと思って」
「あはは、ありがとうございます、楽しみにしてます」
一見、とても明るく屈託ないけれどその実、内面は、すごく屈折しているんじゃないか。
この子の心を照らす光はあちこちぶつかって折れ曲がり、その奥深くまで届くには、足りないのではないだろうか。
「それは遠い未来のいつかにして、今日は今日で、一緒に食べて帰らない?」
「おおーいいっすね、どこ行きます?」
「チケットのお礼にご馳走するから、お店選んでよ」
景色を見ながら頬杖をついて、一生懸命考えるくどぅー。
「あおい軒がいいです。あおい軒行きたい」
「わかった。そこなら一番高いの頼んでもいいからね」
「やった。あっ先生、そろそろこっち来れば?その方が夕陽きれいなんですよ」
言われたとおりにするとなるほど、水面を赤く滲ませて、沈みゆく太陽が見える。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:46
-
「ねえ、くどぅー」
「はい?」
「遥って、せっかくいい名前だから、私これからハルちゃんって呼ぶね」
「名前、覚えててくれたんですね」
ハルちゃんの横顔が、真っ赤だったのは。
きっと、ただの、夕陽の照り返し。
ただ、それだけ。
< 第一章 「残照」 了 >
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/18(水) 20:47
- 第二章へ続く
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/20(金) 07:31
- どぅーちょ!どぅーちょ!!!
リリウムとは違う2人のアンリアルが読めて幸せです。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/22(日) 20:19
- 素敵な雰囲気ですね。
ずっと読んでいたくなります。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:37
-
第二章 饗宴
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:38
- あおい軒は、よくあるチェーンの定食屋さん。
少し時分を外れたからか、そんなに混んではいなかった。
案内されたテーブルに、向かい合って座る。
「決まった?」
「ロースカツとハンバーグで、迷ってるんです」
「私ハンバーグにするから、半分こしようよ。両方食べられるよ」
「えーでもんなの悪いっすよ、先生食べたいやつないの?」
「どっちも好きだから、だいじょうぶ」
「ホントですかよーし、すいませーん」
二つの注文を終えると、ハルちゃんはセルフサービスのお水を入れてきてくれた。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:39
- 「先生もひとり暮らしなんでしょ?いつもご飯どうしてるの?」
「うんとねえ、学食がなかったら、ちょっと生きていけない感じかな」
「お昼だけじゃなくて?」
「夜までやってて、結構食べて帰っちゃう。講義がなくても、そのためだけに行ったり」
そういえば学食には、何度か飽きた。その時やっぱり、他へ気をそらして乗り切ったから、ハルちゃんの気持ちも、少しわかる。
「楽しいですか、大学」
「うん。ハルちゃんも行くんでしょう?」
「そうですね、たぶん。けど、本音は働きたい」
「どうして?」
「そうすれば、親と、関係なくなれるから」
三角柱のデザートメニューをいじりながら、あえて何でもないふうに言ったのだと思う。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:40
- 「あの人、もう、別の家庭持ってるんですよ」
「お父さん、のこと?」
「そうです。でもなんか、ハルが成人するまでは内縁で、とか言ってるらしくて」
ナイエン、なんていう言葉が高校生の口から出てくることに驚く。
「別の、家庭なの?いつか一緒に暮らすんじゃなくて?」
「もう子どももいるから、ハルが入る余地なくて」
「そっか。そうなんだね」
「早く籍入れるようあなたから言ってくれない、とか相手の人に言われちゃって」
面倒くせえな知らねっつの、って、最後は、独り言みたいに。
「ごめんなさい、なんか、こんな話」
「ううん。ハルちゃん」
「はい」
「20歳になったら、たくさんお金もらいなね」
「えっ」
「だって、お父さんハルちゃんのこと放り出す気満々じゃない」
ハルちゃんは、大きな目をさらに見開いて私に向けた。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:42
- 「先生さ、穏健派に見えるのに、意外に武闘派ですね」
「えーだって成人さえすれば大人だからもういいだろってことでしょ、つまり」
「今までにこの話した人には、やっぱり親子だから愛情があるんだねとか言ってぼかされてきたんですよ」
愛情があったなら、現時点でのハルちゃんの状態は避けられているべきだと思う。
「ないですよね、愛情」
「ハルちゃんがないと思うなら、ないことでいいんじゃないかな」
受け手に伝わらない愛ならば、あったとしてもないと同じなのだ。
「いやー、初めてはっきり言ってくれる人に会えました」
「ごめんね、私なんかが出すぎたこと言って」
「ううん、嬉しいから。手切れ金ふっかけてやりますよ」
ハルちゃんは、悪そうな顔を作って微笑む。
「学費も、搾り取らないと。せっかく、成績すごくいいんだから」
「はい、大学行きます。ちゃんと行きます」
運ばれてきたハンバーグを半分に分けて、ハルちゃんのカツの三分の一と交換した。
「ちゃんと野菜も残さないでね。私も人のこと言えないけど」
「はーい」
ハルちゃんの食欲は、旺盛だった。それは、何かを吹っ切ったからなのか。
それとも、単に若さによるものだったのだろうか。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:44
- 店を出て、家まで送ってくれるというハルちゃんに甘えて、並んで歩く。
最後の曲がり角を、過ぎる。もうすぐ、お別れ。
「ねえハルちゃん。これからもときどき、ごはん一緒に食べよう」
「あー、そんな、いいんすよ。同情してくれなくても」
まったくトゲなくこのセリフを言えるハルちゃんに、私は妙に感心した。
慣れていて、投げている。諦めている。きっと全部を。
「違うよ」
「じゃあ、何ですか?」
何なんだろうか。確かなのは今日、私は楽しかったっていうことだけ。
「友情。ハルちゃんと、友だちになりたい」
この気持ちの名前は、よくわからない。でも私は、もう一度あなたに会いたい。
ハルちゃんは、笑顔だけれどきっと、私を固く拒んでいる。
「ごちそう様でした。帰ります」
軽く頭を下げるとゆっくりと踵を返し、歩き出した。一歩、二歩…。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:46
-
「待って」
律儀に止まってくれた背中をじっと見ながら、私はカバンからペンとメモを取り出した。
電話番号とメールアドレスを、走り書きする。振り向いてはくれない後姿に、少しずつ近づく。
「連絡先。ポケットに、入れるね」
ジーンズの後ろポケットに、折りたたんだメモを、そっと差し入れる。
「送ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」
「おやすみなさい」
ぼんやりと突っ立って、うつむいて歩く背中を見つめる。
遠くで角を曲がるとき、少しだけこっちを見てくれた。
だいじょうぶ。細い細い糸が、まだちゃんとつながっている。そう思った。
< 第二章 「饗宴」 了 >
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:47
- 第三章へ続く
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/23(月) 20:49
- レスをいただける喜びを、噛み締めています
>>11
ありがとうございます
繭期をこじらせてしまいました
>>12
ありがとうございます
自分も、ずっと書いていたい気持ちです
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/24(火) 00:31
- おお、続きが気になります…!
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/24(火) 06:53
- とても綺麗な世界で、引き込まれています。
どぅーちょの良さを広めてください!
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/24(火) 23:56
-
第三章 烏夜(うや)
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/24(火) 23:58
- ハルちゃんからの連絡をなんとなく待ち続けて、どれぐらい経っただろう。
日に日に細くなるように思える糸は、いったいまだつながっているのだろうか。
ぼんやりしていたせいではないけれど、私は職場の塾に携帯電話を忘れてしまった。
「遅くなっちゃった」
こんなときに限って、シフトがゆるくて、どうしても取りに戻らなければならず。
終電に近い時間の駅に降りるのは、初めてに近いような気がするけれど、致し方ない。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/24(火) 23:59
- 急ぎ足で改札を出たところで、ニヤけた男が、進路にかぶるように付きまとって来た。
「この間はどうも。今日もまた一緒にカラオケ行かない?」
「人違いです」
「冷たいなあー、こないだあんなに楽しんだじゃん」
「急いでるし、人違いです」
足早に階段を降りるころには、もうひとり仲間が増えていて、完全に行く手を阻まれた。
「いいじゃん、行こうよ」
右手を、掴まれる。嫌悪感が背中を走って、大声で助けを呼ぼうとしたときだった。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:00
- 「あや!」
こんなところで、こんな時間に私を呼ぶはずのない声がして、反射的にそっちを見た。
「触んな離せ!おまわりさんこっちです!早く!」
コンビニの袋をその場に放って、ハルちゃんが全速で駆け寄ってくる。
男たちは、跡形もなく逃げ、振り払われてよろめいた私は、ハルちゃんに抱きとめられた。
「だいじょうぶですか?」
ハルちゃんは手近なロータリーのベンチに私を座らせて、ゆっくりはっきりと言った。
「あの自販機で、何か飲み物買ってきますから。待ってて下さいね」
そうしてどこへも消えないことを示してくれなかったら、私はとても混乱したかもしれない。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:02
- ついでに、さっき捨て置いた荷物を拾って、ハルちゃんは戻ってきた。
私の左手に、冷たいお茶の缶を握らせてくれる。
「触られたの、ここだけ?」
「うん」
ハルちゃんは隣に座ると、着ているパーカーの袖を伸ばして、私の右手を一生懸命拭いてくれた。
「よかった、たまたま、買い物に来て。トイレットペーパー切らしちゃったんですよ」
「ねえ、おまわりさんって…」
「あー、でまかせです、ウソウソ。まともにやり合っても、勝てないし」
「さすが、頭いいよね」
「悪知恵は誰にも負けませんよ」
話をするうちに、鼓動が平常に近づいていくのがわかった。
きっと敢えて、なんでもないふうに話してくれたんだと思う。
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:03
- 「ありがとう、きれいになった」
ハルちゃんはそっと手を離すと、さっき買ってきたお茶の自分のを開けて、私のと交換してくれた。
「先生いつも、こんなに帰り遅いの?」
「ううん。今日は、ちょっと忘れ物を取りに戻った分遅くなっちゃって…」
交換して開けた缶に、ハルちゃんが口をつける。ゴクン、と大きく喉が動く。
ハルちゃんも、緊張したはず。なのに私を気づかって、平静でいてくれている。
「普段は、何時ごろ?」
「一時間以上は早いかな。いつもは、まだ人通りも結構あるの」
無言のハルちゃんの手の中、硬いスチール缶から、握られて潰れる音がする。
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
「迷惑とかじゃないんですよ。この辺、店全部閉まっちゃったら、もっと真っ暗だから」
「うん。でも、こんなに遅くなったの、本当に初めてなの」
「また忘れ物するかもしれないでしょ。そしたら、やっぱり危ないし」
「ごめん。気をつけるね」
気をつけるといっても、どうしたらいだろう。護身用の何かを買って、携行すればいいだろうか。
ハルちゃんの求める答えがわからず、どうすればいいのかわからない。
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:05
-
「今度から遅くなるときは、ハルに電話下さい」
思わぬ、模範解答。私の口からは、素朴な疑問がこぼれ落ちる。
「電話、したらどうなるの?」
「駅まで迎えに来ますから」
「何で?」
「自転車で」
「そうじゃなくって」
「友だち、だからです。だから、心配なんです」
もう絶対に、こんな時間にひとりで帰らせないという意志が、強く現れる口調。
「嫌われちゃったんだと、思ってた」
「ごめんなさい、連絡しなくて」
「謝らないでよ、ハルちゃんが決めていいことなんだから」
現金な私はそれだけで、もう直前の忌まわしい出来事を八割方忘れ去った。
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:06
- 「先生と食べたご飯、すごく美味しかった」
「私も、すごく楽しかったな」
「だから、怖くなったんです」
「怖い?」
少しだけ、ほんの少しだけ、わかるような気がした。
「誰かと一緒するのに慣れたら、ひとりが辛くなるんじゃないかなって」
いっそずっと独りなら、きっと孤独とは無縁に暮らしてゆける。
失うから、淋しいのだ。得なければ、失わずに済む。淋しくない。
「誰かに頼ったら、そのいっときはいいけど、あとが辛くなるんですよね」
「今までは、みんな、離れて行っちゃったの?」
「分からない。ハルが、頼るのをやめただけかもしれないです」
「ハルちゃんの、そういう人のせいにしない素直なところ、大好きだよ」
私も素直に、嘘でも誇張でもない『好き』を口にする。
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:06
- 「突っ張って、ひとりで生きなくていいじゃない」
「そうですよね」
「私も今度遅くなるときは、ちゃんとハルちゃんに頼るから」
「はい。約束ですよ」
「うん、ありがとう」
ハルちゃんが差し出してくれた小指と、小指をつなぐ。指切り。
「もうだいじょうぶ?歩けますか?」
「うん」
「送りますね」
先に立ち上がったハルちゃんが差し出してくれた左手と、右手をつないだ。
さっきの記憶を上書きするために、わざとそうしてくれたんだろう。
- 33 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:07
-
「話せて、よかった」
「ハルも。あと、どさくさ紛れに呼び捨てにして、ごめんなさい」
「ううん、嬉しかった。ずっとそう呼んでくれたらいいのに」
「がんばってみます」
切れそうに頼りなかった糸を、少しだけ太く紡げた気がした。
< 第三章 「烏夜」 了 >
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:09
- 第四章へ続く
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/25(水) 00:11
- ご心配をおかけしないために、ここまではどうにか早めにお届けしたく。
次はもうちょっとお時間をいただきます。
それから、どうぞご遠慮なさらずに、どんな一言でもお言葉をお待ちしています
>>22
ありがとうございます
がんばってみました
>>23
ありがとうございます
美しい二人は誰がどう描いても美しいですね
たとえ場面が定食屋であっても
- 36 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 06:59
- 少しずつ進展してく2人。
次の展開がまた更に楽しみです。
あやちょのか弱さ儚さが、この雰囲気にとてもマッチして楽しんでます。
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:44
-
第四章 暁光
- 38 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:46
- 「ねえ、ハルちゃん。もうすぐ誕生日でしょう?当日空いてる?」
「あー、うん。だいじょうぶ」
十月の終わり頃が、ハルちゃんの誕生日。再来週だから、きっと、次に会うのがその日になる。
「いつもさ、私に合わせてもらってばかりだから、その日はハルちゃんの行きたいところに行こうよ」
月に一度か二度、外で会う。日付を相談するときにいつも、見たい絵来てないの?って聞いてくれるのに甘えて、展覧会にばかり出かけてしまっている。
「先生、ハルさ、美術館を楽しんでないわけじゃないから、気を使わなくてもいいよ」
「えーでも、見た絵のこと全然覚えてないじゃない」
「だって、絵を見てる先生かわいいから、先生しか見てないもん」
「もー、そうやってからかわないの。何かあるでしょ、ちゃんと考えて」
時おり喉まで出かかって、押し戻す言葉がある。ねえハルちゃん、これってデートなんだよね。
何言ってんの違うよ、そう否定されるのが怖くて、口にはしない。できない。
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:47
- 「行きたい、ところ。ある」
「なになに?どこ?」
「観覧車。観覧車、久しぶりに一緒に乗りたいです」
私は、私を見つめるその大きな目をじっとじっと見返してしまった。
「うん、わかった。ねえなんでそんなに見るの?」
「だから、先生がかわいいからって」
「もう、からかわないでってば。じゃあ近くなったら、ちゃんと決めようね」
光陰は矢の如く過ぎて、私は今、観覧車の下でひとつ大人に近づいたハルちゃんを待っている。
「すいません、遅れちゃって」
「ううん、早く着いちゃっただけだから。お誕生日おめでとう」
「ありがとう。これでひとつ差が縮まりましたね」
「ぐんぐん詰めて、追い抜いてくれていいのに」
歳の差が、もしも今より小さかったら。ふたりの形は、どんなふうに違ったのだろう。
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:48
- 「先生、さ」
向かい合わせでまた、ゴンドラに揺られる。
しばらく無言で外を見ていたハルちゃんが、おもむろに口を開いた。
「ん?」
「このごろ全然元気ないの、なんで?」
射抜かれるような視線を浴びて、思わず景色へ目をそらす。
「そう?別にそんなことないよ」
「そんなことなくない。言ったでしょハル先生ばっかり見てるって」
珍しく、ハルちゃんの語気が荒くなる。珍しいというか、初めてのことかもしれない。
「悩みは、もちろんいろいろあるよ。もう就職とか考えなきゃいけないし、一生の問題かもしれないんだし」
「ちょっとは、話してほしいな。そりゃハルに話しても何もならないかもしれないけど」
拗ねたような早口。いや、ようなではなく、明らかに不満を言葉に乗せている。
場違いなようだけれど、素直に気持ちをぶつけてくれていることが、少し嬉しかった。
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:50
- 「そんな、そうじゃなくって。ハルちゃんだって、いろいろ忙しいでしょ、だから…」
「今は、先生の話をしてるんだよ。ごまかさないで」
さっきの口調のまま、激しく問い詰めてほしかった。そうしたら勢いで違うよって言えたのに。
「地元に、帰りたいんでしょう?」
静かに図星をつかれたら、何も言い返せない。
「ねえ、そうでしょ?そのくらいわかるよ。先生の話、たくさん聞いてきたんだから」
山や川。おじいちゃん、おばあちゃん。神社、お寺。おとうさん、おかあさん。田んぼ、畑。飼っている犬。
自発的にも請われるままにも、私はハルちゃんに地元の話をしてきた。
でも、一度も、帰りたいって言ったことはない、だって。
「いやだ。ハルちゃんを置いて帰りたくない。どこへも行きたくない」
心が決壊して、気持ちがあふれ出した。綻びすぎて、どこから繕えばいいかわからない。
「嬉しいけど、一時の感情で決めたらダメだよ。一生の問題だって言ったの先生でしょ」
「うん。そうだけど」
頭では、わかっている。けれど、私とハルちゃんとの間に、確かなものは何もない。
私なんて、親でも兄弟でもなければ、親戚でもなくて。友だちではあると、信じているけれど。
でもきっと、遠く離れてしまったら、全部離れてしまう。
- 42 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:51
- 何も言えない私の隣に、ハルちゃんは移ってきた。
無理に言葉を発すれば、きっとあふれた心に溺れて、息が出来なくなる。
だから黙って、傍らの手すりを掴む。白く血の気を失くしゆく自らの手を、私はじっと見つめた。
伸びてきたハルちゃんの手が、その上に重なる。魔法にかかったように、私は身じろぐことさえできない。
「先生。ハルと、ちゃんと付き合ってほしい。そうしたら離れても、メールする理由も電話する理由も会いに行く理由も、できるから」
ハルちゃんもきっと、ギリギリだ。今にも泣きそうにゆがむ、きれいな顔。私は、溺れる覚悟で唇を開く。
「私で、いいの?だって…」
「こっちが…」
常よりなお掠れる声が、絞り出すように紡がれる。
「こんなクソガキでいいのかって聞いてんですよ」
ごめんね、ハルちゃん。私、大事なことから逃げ続けて、核心をあなたに言わせてしまった。
- 43 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:53
-
「私も、ずっと、好きだったよ」
観覧車の回転のように、ゆっくり近づいて、触れ合った唇。
震えていたのは、私だけだったのだろうか。
抱き寄せられ、抱き締められて初めて、私の目から涙がこぼれた。
< 第四章 「暁光」 了 >
- 44 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:53
- 最終章へ続く
- 45 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/26(木) 20:55
- >>36
ありがとうございます
正直和田さんを掴みきれず手探りで進行しているので
お褒めいただいて安心しました
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/27(金) 00:25
- ふわぁぁぁぁ綺麗な文章ですね。
最終章正座して待ってます
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/27(金) 02:28
- あやちょというよりは我らジャンヌのジジのような感じで脳内再生されます
最終章楽しみにしてます
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/27(金) 02:30
- ageてしまいました…すみません
- 49 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/27(金) 07:53
- もう最終章ですか…!
なんという残念……ですけど、2人の関係がどうなるのか楽しみです。
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:55
- 蛇足とは存じますが念のため、クリムトの『接吻』
ttp://www.salvastyle.com/menu_symbolism/klimt_der.html
あるいは『乙女の絵画案内』の128ページをご参照下さい。
- 51 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:55
-
最終章 慈雨
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:56
- 冬休みに、なった。私とハルちゃんは今、年末年始の大計画の、真っ最中。
「クリスマスは、先生うちにおいでよ。頼めばちゃんとしたチキンの料理してくれるから」
「キチンとしたチキンね。じゃあ、ケーキ買って行くね」
「暮れは、田舎帰るんでしょ?いつから?」
完全に、無視された。けれど、このぐらいで、私の心は折れない。
「うんとね、30日。ハルちゃんも一緒に帰ろう」
「えっ、ハルも行っていいの?」
「行くんじゃないの。帰るんだよ」
「帰るって口に出すの、なんか恥ずかしいよ」
小さな声で言うと、ハルちゃんは、一瞬でトマトみたいになった顔を伏せる。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:57
- 「自分の家だと、思っていいんだからね」
「嬉しい。ありがと」
ハルちゃんがすごく時間をかけて選んだ両親へのお土産を携えて、生家への帰途を辿り。
「おかえりー。ハルちゃん、おかえり」
ハルちゃんはただいまを口ごもって、会釈を返すのが精一杯。
父母とハルちゃんは初対面だったような気がするけれど、面倒だから触れないことにする。
話は飽きるほど聞かせているから、きっとお互い、すぐになじむだろう。
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:58
- 忙しい年の瀬だからこき使われることは覚悟していたけれど、着いて早々に買い物係を命じられた。
長大なメモを持って、ハルちゃんと商店街へ。行きつ戻りつしながら、懐かしい風景を、ハルちゃんに解説して歩く。
「ねえ、もう荷物これ以上持てないよね」
「一回戻りますか?」
「うん。ついでに福引、やって帰ろう」
空き店舗で、抽選会をやっていた。いわゆる、ガラガラ抽選というもの。
取っ手を持って、回す。コロン、と玉が出る。カランカランカラン、と鐘がなる。
「おめでとうございます!」
うっかり、一等の温泉旅行を、引いてしまったらしい。
「先生すげえ」
「どうしよう、当たっちゃった」
「どうしようもないでしょ。おとうさんとおかあさんにあげればいいじゃん」
手続きをして景品を受け取り、大荷物を持って、家路に着く。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:59
- 「おかえり。ありがとねハルちゃん」
「いえ。まだ全部終わってないから、もう一回行ってきますね」
「おかあさんこれ、福引で一等当てちゃったの。あやたちお正月留守番してるから、おとうさんと行ってきて?」
「せっかくこんなにがんばって作ったおせちを、じゃあおかあさんいつ食べるの?」
「今でしょ」
「違うわよ、古い。年明けよ。だから温泉なんて行ってる場合じゃないから、あんたたちが行きなさい」
どうして孝行を、こんなにひどく断られるのかわからないまま、旅館に電話してみる。元日の一泊が、結構奇跡的に空いているというので、お願いしてしまった。
「車で行きなさいよ。使っていいわよ」
「えっ、先生車乗れるの?」
「免許は、持ってるよ」
「じゃあ運転できるじゃん」
「ハルちゃん。免許を持ってるのと運転できるのとは、別の話だよ」
「何でよおかしいでしょ。今だって車で行けば買い物一回で済んだんじゃん」
「バスで行こう。そんなに遠くないし」
すぐに、年は明けて。小さな列車が進む線路を、辿るように走るバスに揺られて、旅館に着いた。
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 20:59
- お風呂は入ったし、ごはんも食べた。あとは、ゆっくり過ごすだけ、なんだけど。
するべきことがなくなると不意に、何を話したらいいか、わからなくなって。
膝を抱えて、並んでテレビを見る。お正月に不可欠な、とてもどうでもいい番組。
なのにハルちゃんはなぜ、真剣に、食い入るように画面を見ているのだろう。
硬い表情のまま、ハルちゃんが、リモコンに手を伸ばす。刹那プツン、と画面が暗くなる。
どうしたの、と最後まで言わないうちに、抱きすくめられていた。
いつもと違う唇を、懸命に受け止める。呼吸が、出来ない。胸が、苦しい。
きっともうクリムトの『接吻』を、今までと同じ気持ちでは見られない。
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 21:00
- 「寒く、ないですか?」
「うん、だいじょうぶ」
この歳になるまで、何も知らなくて。
だから、他は全部、わからないけれど。
すごく優しくしてくれていることだけは、わかった。
「あやちゃん」
上手く返事ができなくて、短い髪を撫でて応える。
ゆっくり、とてもゆっくり、時間が進んでいる気がした。
まぶたを、閉じる。砂漠に、雨が降っていた。旅人たちを癒す、恵みの雨が。
熱い砂地に、雨滴が沁み入る。ポツリポツリと、雨滴が沁みる。
降り止まぬ雨は、やがてこの地に緑を繁らせるのだろうか。
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 21:01
- 手をつないだまま、疲れて眠ってしまったハルちゃんの寝顔を見つめた。
赤ちゃんみたいに、あどけない。さっきは、あんなに大人びていたのに。
鼻先を、髪にうずめてみる。シャンプーの匂いに少し混じる、汗の匂い。
私の吐息が耳にかかって、ハルちゃんはくすぐったそうに身をよじった。
「ごめん、起こしちゃったね」
「もう、朝?」
「ううん、夜だよ」
「よかった。まだいっぱい一緒にいられる」
愛しさが、こみ上げる。ハルちゃんを、抱きしめたくてたまらない。
衝動のままに、ハルちゃんを胸に押し付けて、髪に頬を寄せる。
「どうしたの、先生」
「わかんない。急に、もっと好きになっちゃったの」
ハルちゃんはしばらく、私の背中に腕を回して、されるがままに身を任せてくれた。
胸に、ハルちゃんの声が響く。
「やだな、離ればなれ」
「でも、まだ、あと一年あるよ。ねえハルちゃん」
腕をゆるめると、ハルちゃんは私を見上げた。
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 21:02
-
「ふたりで、暮らそうか」
「え?」
「だって毎日会いたいし、一緒にいたいよ。ダメ?」
「なし崩しにじゃなくてちゃんと、おとうさんとおかあさんに許してもらってだったら、そうしたい」
「もちろん。もう全世界にでも、堂々と発表しちゃうから」
ハルちゃんが、身体を起こした。私を抱いて、口づけをくれる。
やがて私に、再び、雨が降った。
< 最終章 「慈雨」 了 >
- 60 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 21:02
-
< 「干天の慈雨」 完 >
- 61 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 21:03
- 完結にあたって上げます
特に上げさげを気になさらずに書き込んでくださってかまいませんので
>>46
ありがとうございます
綺麗なものを写しているので綺麗なのかなと
なんて、ドヤ顔で謙遜する振りをしております
>>47
ありがとうございます
ジジちょいいですよね、ジジちょから花を買いたい人生でした
>>49
ありがとうございます
不幸には、させられません
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 21:04
- 私事ですが、曲折を経て、2012年の5月18日、ハロー!プロジェクトと再会を致しました。
その再会が運んでくれた数多の新しい出会い、そして、いまだかつてないようなキラキラした毎日は、わたしの乾いた日常に潤いをもたらす、慈しみの雨でありました。
享受したその恵みを、拙文を通して少しでも皆様にお返しすることが出来ておりましたらば、幸いに存じます。
最後までおつきあい下さり、ありがとうございました。
どうぞお気軽に、何かひと言書き残していただければ、無上の喜びです。
- 63 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 22:27
- おかえりなさい。
いろんな意味でおかえりなさい。
素敵な物語ありがとうごさいました。
またよろしくお願いします。
- 64 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 22:50
- 更新のたびに胸が躍り、読んだ後にはほうっと息をつく。
そんな風に、このお話は私にとって恵みの雨でした。
このスレに出会えたことを、一読者として、とても嬉しく思います。
- 65 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 22:52
- お疲れ様です。
とても綺麗な物語でキュンキュンしてしまいました。
終わるのがさみしいとすら感じてしまいます。
またこんなお話に出会えるのを楽しみにしてます。
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/28(土) 22:52
- こりもせずまたあげてしまいました…申し訳ありません
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/29(日) 00:46
- 綺麗な物語をありがとうございます。
舞台上でのどぅーちょの美しい関係性と、重ね合わせるように読んでいました。
年の差カップル、いいですね。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/29(日) 12:09
- お疲れ様でした。
もうどぅーちょを読めなくなってしまうのでしょうか…
ハルちゃんにささやくようなあやちょが目に浮かび、
最終章は2人がとても幸せそうで、読んでるこちらも幸せでした。
願わくば、この2人が今後も幸せである姿を見たいと、ささやかな想いがあります。
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/29(日) 13:13
- 完結お疲れ様でした。
今一番ホットなカップリングなのにあんまり小説がないので
見つけたとき嬉しかったです。
歳の差があるっていうのが萌ポイントになってますね。
- 70 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/04(金) 20:05
- ご感想ありがとうございます、本当に嬉しいです
お礼の前に自分のものではない、拝借した語彙を列記しておきます。
レス番18「もう一度あなたに会いたい」モーニング娘。で「AS FOR ONE DAY」より
同38「これってデートなんだよね」モーニング娘。で「恋ING」より
同52「年末年始の大計画」タンポポの曲名より
同55「小さな列車が進む線路を、辿るように走るバス」ピーベリーの「キャベツ白書」より
同62「いまだかつてないようなキラキラした毎日」スマイレージ「有頂天LOVE」より
また「武闘派」と「親戚」は織り込みたくて織り込んだのですが、無理には目をつぶってください。
>>63さま
ありがとうございます
恥ずかしながら戻ってまいりました
>>64
ありがとうございます
洪水でご迷惑をおかけせずにすみましたこと、安堵しております
- 71 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/04(金) 20:07
- >>65
ありがとうございます
わたしも淋しくて、再会を模索しています
あと、これからもホントに上がってもそのままで気になさらなくてだいじょうぶなのでw
>>67
ありがとうございます
あれは、あやちょはしょうがないですよね
>>68
ありがとうございます
ご期待にそえるものになるかわかりませんが
もう少しやるつもりではいます
>>69
ありがとうございます
終わる前に和田さんの目が覚めてしまうんじゃないかとドキドキしました
確かに歳の差のおかげで妄想が捗っているのは否めません
お待たせすると思いますし、ご評価いただけるものが書ける保証もないのですが、せっかくお借りしたスレッドなので、もう少し使わせていただくつもりでおります。
今月中に動かせれば、と現時点では考えていますので、忘れたころにでも、またお訪ねいただければ幸いです。
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/06(日) 18:01
- 楽しみ!
- 73 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/07/07(月) 08:50
- 今初めて全部読ませて頂きました。
文章の丁寧さと作品の雰囲気がとても素敵で大好きです。
「こんなクソガキでいいのかって聞いてんですよ」
この台詞がぐっときました。
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/24(木) 22:00
- >>72
ありがとうございます
>>73
ありがとうございます
探り探りやっておりますので、具体的にご感想いただけると本当にありがたいです
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/24(木) 22:22
- 実は今、ちょっと思うところあって最終章を書き直しています
ですが、諸事情でお届けが9月15日以降となってしまいます
生きていれば、お届けそのものはお約束できる状態です
先の話で、ただお待ちいただくのも心苦しいので、少ない手持ちですが、過去に書いたものを順に公開していくことで、なにとぞお許しいただきたいと存じます
遠い昔に、消えものとして書いたもので当時でしか理解しがたいネタも多々入っておりますし、登場人物もお好みに合うかわからないですが、お楽しみいただければ幸いです
いくつか友人が表紙をつけてまとめてくれたファイルがあるので、まずはそれを斧をお借りしてあげる形をとらせていただきます
全部で5作を新しいものから(といってもゆうに数年前のものですが)何日かごとに更新していきますので、よければまた、思い出した頃にでもお立ち寄りください
過去のもののご感想もありましたら、このスレに書き込んでいただければ、頂戴して今後への糧とさせていただきますのでよろしくお願いします
ttp://www1.axfc.net/u/3283390.pdf
なお公開期限は本日より1ヶ月としておりますが、それ以降もし必要がございましたら再公開しますので、その旨お申し出下さい
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/01(金) 00:17
- 和田さん、記念すべき20歳のお誕生日おめでとうございます
続きまして、新しいものからと言っておきながらいきなり時系列がずれるのですが
ttp://www1.axfc.net/u/3288310.pdf
これは皆さまにインタビューをご協力いただいておりますので、元スレを明記いたします
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/2264/1057924010/
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/2264/1057924179/
1の日付がゆうにひと昔前ですが当時、十年経ってもモーニング娘。が存在するとは、本当に思いもよりませんでした。
そして自分が、相も変わらずこのようなウソ話を綴っていようとは、もっと思いもよりませんでした。
今生きているその一寸先さえも、誰にもわかりません。
数年前の自分には、数年後の未来がこんなにも目映い光に満ちていようことなど、かけらの想像もつかなかった。
その先には、闇もあるでしょう。それもよくわかる年齢にさしかかり、だからこそ今あふれる光を大切に噛み締めようと、強く思っています。
なお、どなたにもひとことも頂けなくとも、ひざを抱えて壁とか見つめてませんので、ご心配はご無用です。笑
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/01(金) 00:32
- なおうっかり期限の設定を忘れてしまいましたw
覚えて入れば、同じく一ヶ月くらいで削除したいと思います
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/01(金) 00:37
- 覚えていれば、の誤字です、たびたび申し訳ございません
- 79 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/17(日) 02:33
- だいじょうぶだ何も言っていただけなくともダウンロード数はある程度あるしだいじょうぶだ
などとうわごとのように日々呟きながら次行きます
なんて、賛否いずれにせよレスだけが報酬ですので乞食もお許しいただきたく
新しいものから順にと申しましたのを反故にして一番最初に書きなぐったものを
本当に干支が一周するほど昔のもので恥ずかしくてやめようと思ったのですが勢いで行きます
ttp://www1.axfc.net/u/3298670.pdf
後半はひとつ違うタイトルを挟んで書いたもので、次々回にその挟んだタイトルを上げます
次回はこの続きにあたる連作短編を上げます。なおたったそれだけで十数年やってきた手持ちすべて申し訳ないです。
どなたにも見ていただいてなくとも上げますよ!
- 80 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/23(土) 21:18
- 大昔にいただいた「内容がすごすぎて気軽にレスできません」っていう過剰なお褒めのレスをずっと励みにしていますのでひとりでも辛くありません。泣いていません。
ttp://www1.axfc.net/u/3303526.pdf
これで最後
ttp://m-seek.net/kako/wood/1041054293.html
では9月15日に
- 81 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/23(土) 22:39
- >>80
落として題名(タイトル)を見たら、昔読んだことあるような記憶が。。。
すみません、内容はすっかり忘れてしまってますが
なんかタイトル名が断片的に蘇りましたのでじっくり読んでみます
感想でなくて申し訳ありません
9/15も楽しみに待ってます
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:43
- >>81
ありがとうございます
いてくださって安心しましたひとりぼっちかと思ってましたグスン
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:45
-
最終章 慈雨(前)
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:45
- 冬休みに、なった。私とハルちゃんは、年末年始の大計画の、真っ最中。
「クリスマスは、先生うちにおいでよ。頼めばちゃんとしたチキンの料理してくれるから」
「キチンとしたチキンね。じゃあ、ケーキ買って行くね」
「暮れは、田舎帰るんでしょ?いつから?」
完全に、無視された。けれど、このぐらいで、私の心は折れない。
「うんとね、30日。ハルちゃんも一緒に帰ろう」
「えっ、ハルも行っていいの?」
「行くんじゃないの。帰るんだよ」
「だって…帰るって口に出すの、なんか恥ずかしいよ」
小さな声で言うと、ハルちゃんは、一瞬でトマトみたいになった顔を伏せる。
「自分の家だと、思っていいんだからね」
「嬉しい。ありがと」
照れて笑う顔が、どうしようもなく可愛い。ほかも全部、可愛い過ぎるけれど。
イブの日に、街に出かけた。私そっちのけで帰省のお土産を選ぶハルちゃんだって、ちゃんと可愛かった。
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:46
- 師走も押し詰まった30日の早くから、どんどん小さくなる列車を乗り継いで、生家に向かう。
やっと最後の乗り換えが終わって、クロスシートに並んで座った。眠いハルちゃんがゆらゆら揺れて頭をあちこちにぶつけるので、肩を貸す。
ハルちゃんは去年まで、どんなふうに、どんな気持ちでこの時期を過ごしていたのだろう。
起こさないように加減して、つないだ手に力をこめた。少し想像するだけで、心が痛い。
駅まで、両親が車で迎えに来てくれた。
「おかえりー。ハルちゃん、おかえり」
ハルちゃんは、言い慣れないただいまを口ごもって、会釈を返すのが精一杯。
父母とハルちゃんは初対面だったような気がするけれど、面倒だから触れないことにする。
「遠かったでしょう?おつかれさま」
「寝てたんで、すぐでした」
話は飽きるほど聞かせているから、きっとすぐに仲良くなると思う。
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:46
- 忙しい年の瀬だからこき使われることは覚悟していたけれど、着いて早々、買い物係を命じられた。
長大なメモを持って、ハルちゃんと商店街へ。駄菓子屋さん、公園、本屋さん。行きつ戻りつしながら、懐かしい風景を、ハルちゃんに解説して歩く。当たり前だけれど店に寄るたびに、荷物が増えていく。
「ねえ、もうこれ以上持てないよね」
「一回家戻りますか?」
「うん。ついでに福引、やって帰ろう」
空き店舗で、抽選会をやっていた。いわゆる、ガラガラ抽選というもの。
取っ手を持って、回す。コロン、と玉が出る。カランカランカラン、と鐘がなる。
「おめでとうございます!」
うっかり、一等の温泉旅行を、引いてしまったらしい。
「先生すげえ」
「どうしよう、ね、どうしよう当たっちゃった」
「どうしようもないでしょ。おとうさんとおかあさんにあげればいいじゃん」
手続きをして景品を受け取り、大荷物も抱えて、一旦家路に着く。
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:49
- 「おかえり。ありがとねハルちゃん」
「いえ。まだ全部終わってないから、もう一回行ってきますね」
ハルちゃんは玄関から何度も往復して、台所へ荷物を運んでくれた。
「おかあさんこれ見て、福引で一等当てちゃったの。あやたちお正月留守番してるから、おとうさんと行ってきて?」
「せっかくこんなにがんばって作ったおせちを、じゃあおかあさんいつ食べるの?」
「今でしょ」
「違うわよ、古い。年明けよ。だから温泉なんて行ってる場合じゃないから、あんたたちが行きなさい」
せっかくの孝行を、どうしてこんなにひどく断られるのかわからないまま、旅館に電話してみる。
元日の一泊が、結構奇跡的に空いているというので、ついついお願いしてしまった。
「車で行きなさいよ。使っていいわよ」
「えっ、先生車乗れるの?」
「免許は、持ってるよ」
「じゃあ運転できるじゃん」
「ハルちゃん。免許を持ってるのと運転できるのとは、別の話だよ」
「何でよおかしいでしょ。今だって車で行けば買い物一回で済んだじゃん」
「バスで行こう。そんなに遠くないし」
強引に話をまとめて、もう一度徒歩で買い物に出る。帰って、夕餉の支度を手伝う。
ハルちゃんは、私の古いアルバムを、おとうさんと一緒に楽しそうに見ている。
「ハルちゃん、出来たの運んで」
「はーい」
「熱いから気をつけて」
「はーい」
みんなで、食卓を囲む。ずっと昔から、そうしていたような気がする。
勧められるままにおかわりを繰り返すハルちゃんを、浮き立つ気持ちを抑えて見守った。
- 88 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:50
- 「ハルちゃん、どっちで寝る?」
「こっち」
ハルちゃんは少し動くだけでも辛そうだけれど、でもお布団を敷くのを手伝ってくれる。
「おなか苦しいでしょ?胃薬持ってきてあげようか?」
「んーいいよ、ありがと」
「あんなにいっぱい食べてるの、初めて見たよ」
「だっておいしかったんだもん」
このごろハルちゃんは、無邪気に拗ねる。それが嬉しくて、私はわざとからかう。
先にハルちゃんの寝床を整えて、続けて私の方。終わって振り向くと、ハルちゃんはもう夢の中にいた。
きっと、本当は、今日一日、すごく張り詰めた気持ちでいたんだろうな。
私はハルちゃんの寝顔を、眠くなるまで、飽きずに見つめた。
< 最終章 「慈雨(前)」 了 >
- 89 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 21:52
- たいした差もないのですが、家族でご飯を食べさせてやれたので自己満足です
明日、同じくたいした差もない後編を上げます
- 90 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/15(月) 23:27
- めちゃくちゃはしゃいじゃってるハル坊が可愛いです
「ただいま」ってすごい幸せな言葉なんだなって気付かされました
ありがとうございます
続きがまた楽しみです
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/16(火) 20:03
- 待ってました!
加筆部分、とても心が温かくほっこりしました
- 92 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:47
-
最終章 慈雨(後)
- 93 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:47
- まもなく、年は明けて。
小さな列車が進む線路を、辿るように走るバスに揺られ。
降りて、少し歩く。つないだ手を、ハルちゃんが上着のポケットに入れる。
ずっとこのまま歩いていたいけれど、すぐに旅館が見えてきてしまった。
「あとで、散歩しましょうか。寒いけど」
「うん」
寒いから、いいんじゃない。くっついて歩いても、おかしくないよね。
- 94 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:48
- お散歩して、もちろんお風呂は入ったし、ごはんも食べた。
だからあとはもう、ゆっくり過ごすだけ、なんだけど。
いざするべきことがなくなるとなぜか、何を話したらいいか、わからなくなった。
いつもは、沈黙だって平気なのに。今日は、何か話さなきゃいけない気がしてしまう。
膝を抱えて、並んでテレビを見る。お正月に不可欠な、とてもどうでもいい番組。
なのにハルちゃんはなぜ、真剣に、食い入るように画面を見ているのだろう。
硬い表情のまま、ハルちゃんが、リモコンに手を伸ばす。刹那プツン、と画面が暗くなる。
どうしたの、と最後まで言わないうちに強く、抱きすくめられていた。
いつもと違う唇を、懸命に受け止める。呼吸が、出来ない。胸が、苦しい。
きっともうクリムトの『接吻』を、今までと同じ気持ちでは見られない。
唇が離れて、腕がゆるんだ。ハルちゃんがひとつ、大きく息をつく。
「待ってねえ、やめないで」
「やめませんよ、やめないけど。でも、ごめんなさい、なんか焦りすぎたかも」
ハルちゃんが立ち上がって、部屋の灯りを落とした。
手を引かれるまま、延べてある床(とこ)のひとつに、ふたりで横になる。
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:49
- 「初めてですよね、なんか、こんな感じ」
「そうだね」
泊まっていいよと言っても、ハルちゃんはいつも頑なに帰った。
家に着くと、おやすみのメールが来る。私が、夜ごと携帯電話を抱きしめて眠っていたことを、ハルちゃんはきっと知らない。
「照れますね」
「暗くてよかった。だって顔真っ赤だもん」
ハルちゃんが、私の頬に触れた。腕に抱かれて、全身が心臓になる。
「ホントだ。先生熱い」
ハルちゃんの手のひらが、私の髪を滑る。その動きに呼吸を合わせて、全部を預ける。
「だいじょうぶですか?」
「うん。…ううん」
「怖い?」
「怖くない」
髪に額に触れる唇から、ハルちゃんの温もりが伝わってくる。
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:50
- 「だいじょうぶ」
「ホントに?無理しなくていいですよ、もう今日はこのままでも」
「そんなのやだ」
見つめられて、大きい瞳に吸い込まれそう。
「キスしていい?」
頷くと、そっと唇がふさがれた。だいじょうぶ。怖くない。
少しずつ、生まれたままの姿に、近づいていく。何も、怖くない。
「寒く、ないですか?」
「うん」
この歳になるまで、何も知らなくて。
だから、ほかは全部、わからないけれど。
すごく優しくしてくれていることだけは、わかった。
「彩花」
こんなときだけ名前で呼ぶなんて、ずるい。
上手く返事ができなくて、短い髪を撫でて応える。
ゆっくり、とてもゆっくり、時間が進んでいる気がした。
身体中に口づけを受けながら、まぶたを、閉じる。砂漠に、雨が降っていた。旅人たちを癒す、恵みの雨が。
熱い砂地に、雨滴が沁み入る。ポツリポツリと、雨滴が沁みる。
降り止まぬ雨は、やがてこの地に緑を繁らせるのだろうか。
- 97 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:51
- 手をつないだまま、疲れて眠ってしまったハルちゃんの寝顔を、また見つめた。
赤ちゃんみたいに、あどけない。さっきは、あんなに大人びていたのに。
鼻先を、髪にうずめてみる。シャンプーの匂いに混じる、汗かきの汗の匂い。
私の吐息が耳にかかって、ハルちゃんはくすぐったそうに身をよじった。
「ごめん、起こしちゃったね」
「もう、朝?」
寝ぼけた顔で、キョロキョロと時計を探す。
「ううん、夜だよ」
そう答えるとハルちゃんは、心底安堵の表情を見せた。
「よかった。まだいっぱい一緒にいられる」
不意に、抗いきれないほどの愛しさが、心にこみ上げる。ハルちゃんを、抱きしめたくてたまらない。
衝動のままに、ハルちゃんを胸に押し付けて、髪に頬を寄せる。
「どうしたの、先生」
「わかんない。急に、もっと好きになっちゃったの」
ハルちゃんはしばらく、私の背中に腕を回して、されるがままに身を任せてくれた。
- 98 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:52
- 「やだな、離ればなれ」
胸に、ハルちゃんの声が響く。
「でも、まだ、あと一年あるよ。ねえハルちゃん」
腕をゆるめると、ハルちゃんは私を見上げた。
「ふたりで、暮らそうか」
「え?」
「だって毎日会いたいし、一緒にいたいよ。ダメかな?」
「なし崩しにじゃなくてちゃんと、おとうさんとおかあさんに許してもらってだったら、そうしたい」
「もちろん。もう全世界にでも、堂々と発表しちゃう」
ハルちゃんが、身体を起こした。私を抱いて、口移しに愛をくれる。
やがて私に、再び、雨が降った。
< 最終章 「慈雨(後)」 了 >
- 99 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:54
-
< 干天の慈雨・改訂 完 >
- 100 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 00:58
- たいした差もないのですが、少し夜を長くしてやれたので自己満足です
お付き合いいただきありがとうございました
>>90
ありがとうございます
「ただいま」と言いたいときには家族なし
もし今言える環境におられるならば、お大事になさってください
>>91
ありがとうございます
引っ張った割りにわずかな加筆で申し訳ありませんでした
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/17(水) 01:38
- 明日と言っておきながら日付が変わって明後日になってしまい申し訳ありませんでした。
さて、今後の、このスレですが。
逆から、工藤の側からの話を、今はまだ数十行ですが書いてはおりまして。
谷間に上げさせてもらった昔の話には、あとで見ればたいした長さでもないのに数ヵ月ごとの更新で三年以上かけて完結したものもあり、同じように長くお待たせするかもしれませんし、その間に需要もなくなるかもしれない。
ですが、今はそれでも最後までやる気ではいます。
そしてその後は、まだ一文字も手をつけていませんがどうにか一緒に暮らさせてやりたいと、ぼんやり思ってもいます。
最後までなるべく多くの皆さまにお付き合いいただけること、それだけを励みに進めていく所存でございます。
お褒めでもお叱りでもたくさんのご意見をいただければいただけるほどがんばれますので、何か一言是非に書き残していってくだされば幸いです。
- 102 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/18(木) 12:01
- このお話の大ファンだったので、よりほっこりな内容になって私まで嬉しい気持ちです。
ハルちゃん側はどういう風に考えていたのかすごく気になっていたので、続編があると聞いて嬉しい限りです。
ハルちゃん目線編も、二人暮らし編も、楽しみにしています。
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/09/18(木) 22:41
- >101
おぉ!楽しみにしています
- 104 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/09/21(日) 11:43
- 工藤の側から見たお話を書かれてると知って、小躍りしています。
本当にこちらのお話が大好きで、かなりの頻度で読み返してしまいます。
ハルちゃんも先生もとても良い距離感と空気で素晴らしいです!
需要無くなりませんよ!
私はずっとお待ちしておりますので、焦らずゆっくり書き上げて下さいませ。
楽しみにしております。
- 105 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:36
-
── 向日葵 ──
- 106 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:37
-
第一章 眩耀
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:38
- 飲めるなら、酒に飲まれて、眠ってしまいたいような日に。ハルは、高いところにのぼりたくなる。
落ちて、トマトみたいに潰れる自分を想像して。まあ、それは今日じゃなくてもいいかって、思うために。
世に高い建物はたくさんあるけれど、家から一番近いのは、観覧車。疲れ果てた日は、それに乗りに行く。
その観覧車は、再開発されて生まれ変わった、海辺の観光スポットに立っている。
足元には、レストランや水族館、ミュージアムなんかが並んでいて。
行きかうのは、手をつなぎ、腕を組む、笑顔の二人連ればかり。
何が面白くて、そんなに笑っているんだろう。楽しいんだろうか。誰かといるのは、そんなにも。
ぼんやりと歩を進めるさなか、人波を足早に縫って、こっちへ向かってくる人に、目が留まった。
ひとりなのは、ハルとその人ぐらいだろうか。でも、待ち合わせがあるから急いでいるのかもしれない。
すれ違う手前で、なんとなく顔を見る。その人も、ハルを見ていた。どこかで、会ったような気がする。
- 108 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:40
- 「あっ」
「やっぱり。そうだよね」
最後に転校したときだったから、2年前か。教科書が違いすぎて少しだけ個別指導の塾に行ったときの、先生だった。
「転校って、大変じゃないの?したことないからわからないけど」
「まあ。でも慣れてるんで」
通ったのは、進度が追いつくまでのわずかな期間だった。だから先生はそんなやりとり、覚えていないだろうけど。
ハルが生まれて何年も経たずに、両親が離婚した。原因は、知らない。
父親に引き取られて過ごしたそれからの数年。記憶にあるのは、保育園でのことばかり。
小学校に入学して間もなく、施設に預けられて。血相変えて迎えに来てくれたばあちゃんと、ふたりで暮らした。
ばあちゃんが死んで、父親にまた形だけ引き取られて。そのたび、やっと出来た友だちと、別れて。
黙ってじっとしていれば、いつか嵐は去る。少なくとも、今まではそうだった。だから、なんてことない。
だいじょうぶだというのにいろいろ心配してくれて、ちょっと嬉しかったことを思い出す。
ばあちゃん以外で初めて、親身になってくれた大人だった。もっとも先生は当時、まだ未成年だったんだけど。
- 109 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:41
- 「久しぶり。大人になったね」
満面に笑みを浮かべて、手を振りながら駆け寄ってくる先生に、つられて笑う。
「いやー、お久しぶりです。先生なんでこんなとこに?」
あのときのままなら、家はハルの近所のはず。用がなければ、こんなところを通るはずもない。
「そこの美術館に、絵を見に来たの」
だから、ひとりなのか。ゆっくり絵を見るのが趣味だって、そういえば話してくれた気がする。
「へえ、誰の?」
「んと、モディリアーニ」
それくらい有名な画家なら、なんとなくわかる。
「あの、顔のながーい…」
「すごい。さすがだね」
「でも、教科書に載ってることぐらいしかわかんないですけど」
写真を見ても、ヘタクソな絵だなあとしか、思わなかった。
「みんな、テストが終わったらそれさえ忘れちゃうのに」
先生は、少し残念そうで。どう絵を見れば面白いのか、いつか教えてもらえばいいかもしれない。
- 110 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:43
- 「くどぅーは、どこに行くの?」
びっくりした。あだ名を、覚えてくれている。本当に短い付き合いだったのに。
「ちょっと、あれに乗りたくて」
観覧車を、指差す。薄暮の中で、ライトアップされ始めたばかりの大輪。
「ひとりで?」
「そっすよ」
そうか。こっちがこんなところをひとり歩いていることも、珍しいことなんだ。
「高いとこ好きで、ときどき来るんです。ほら、バカと何とかはって言うじゃないすか」
「バカなんて、そんな。くどぅーは、すごく勉強できるじゃない」
「いや。時間かけてるから、それなりの成績なだけで」
お金やものは、いつかなくなる。頭の中のものは、誰にも盗めないしなくならない。
だから勉強しろ、知識にひとつも無駄はない。それがばあちゃんの口癖だった。
言いつけ通りに家で過ごす時間をなんとなく予習に当てていたら、悪くない成績が残せただけ。
ハルの父親だとかいう人は、もう中学生だし家政婦を雇えばひとりで暮らせるな?一方的にそう確認して、海外へ行った。
それからずっと、よく知らない女の人とその人との子どもと、どこだかの国で住んでいる。
親の印鑑が必要な書類は、弁護士さんのところへ持っていく。生活費も、毎月その人から振り込まれる。
一括でくれないか聞いてみたけど、ダメだと言われた。どうせなら使い切ってから、トマトになりたいのに。
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:44
- 先生が、興味深そうに観覧車を見上げている。いつか買った回数券が、まだ少し残っている。
声を、かけてみようか。共に来るべき人がいるなら、ハルの誘いなんて断るだろうし。
「一緒、乗りません?結構遠くまで見えますよ」
「邪魔じゃないの?」
「いや、先生がよければ、全然」
「ホント?一回乗ってみたかったんだ」
さっき、顔に書いてあった通りだった。輝いた目に、内心があふれ出ている。
「じゃあ、はい」
券を渡して、並ぶ。列というほどのものはなく、すぐに乗れた。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:46
- ガチャンと、外から扉が閉ざされる。ゆっくりゆっくり、視界が上昇していく。
「ね、なんかすごいワクワクするね」
「そですね」
教え子だったハルが言うのもなんだけれど、先生はときどき、子どもみたいになる。
だから、久しぶりに会ったちょっとしか知らない人なのに、気楽に構えず話せるのかもしれない。
「今も、まだひとり暮らし?」
「はい」
「そっか。じゃあ、帰ったら、お手伝いさんのご飯あるんだね」
嘘でも肯定してしまえば、楽なのに。もう少し話したくて、心の扉を薄く開ける。
そんなことまで覚えていてくれて、やっぱり嬉しかったのかもしれない。
「いえ。今月だけ、ちょっと夕食断ってるんです」
「えー、どうして?」
「なんだろ、端的に言うと、飽きちゃったからですかね」
余って捨てるのが心苦しくて、とりあえず一ヶ月だけ、食事の支度をやめてもらっている。
砂を噛むような、味気ない食事。心ある振りをした大人に、聞かれる。
ひとりで、淋しいでしょう、と。淋しいって、何だ?そんなもん知るか。
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:50
- 「じゃあ今は、夕飯どうしてるの?」
「ファストフード行ったり、弁当買ってきたり、ままごとみたいに作ってみたり」
実際は面倒で食べない日も多いけれど、適当にごまかした。無駄な心配をかけたくない。
「そっか、そしたらちゃんとしたの、だんだん恋しくなってきそうだね」
声が、雨音のように心地いい。世界の終わりには、きっと雨が降っている。
雨音の中で滅ぶことができるのなら、それが今でも、別に構わない。
「そう、そういう作戦なんですけど。でも、同じものでも、ホントのお母さんが作ったんだったら飽きなかったのかな、とか考えたりして」
なんでこんな話を、してしまっているんだろう。誰にも知られたくないこんな思いを、なぜこぼしているのだろう。
記憶の中に、母の存在はなかった。それを求めたことがないと言ったら、強がりになる。助けて、何度も思った。とっくに、諦めたけど。
「ねえ私、今度おうち行って作ってあげようか」
急に、何を言い出すんだろう。全然、出来そうに見えない。
「料理得意なんですか?」
「ううん、すっごい下手。だからきっと新鮮なんじゃないかなと思って」
「あはは、ありがとうございます、楽しみにしてます」
久しぶりに、義務じゃなく話をしていることに気がついた。
クラスメイトと、無駄な話をしないわけじゃない。だけど初めて、すれ違う人たちがなぜ笑っていたか、わかった気がした。
- 114 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:51
- 真下を見る。ここから落ちれば一瞬で、自分の存在なんてなかったことになる。
ハルがいることを喜ぶ人はもういないんだから、悲しむ人もいないだろう。
「ねえ、それは遠い未来のいつかにして、今日は今日で、一緒に食べて帰らない?」
「おおーいいっすね、どこ行きます?」
断れなかった。人の誘いなんてずっと、断り続けてきたのに。
「チケットのお礼にご馳走するから、お店選んでよ」
なんて名前だったっけ。ばあちゃんが施設に迎えに来てくれたとき、寄った店。
「あおい軒がいいです。あおい軒行きたい」
「わかった。そこなら一番高いの頼んでもいいからね」
「やった」
夕陽がきれいで、眩しかった。眩しくて、まっすぐ見られない。
- 115 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:52
- 「先生、そろそろこっち来れば?その方が夕陽きれいなんですよ」
先生が立ち上がって、移動する。ゴンドラが、少し揺れる。
「ホントだ。海も空も真っ赤」
「もう少し遅いと、反対側に乗ったほうが景色いいんですけど」
太陽が、海に溶けゆく。振り向くと、街に灯りがともりはじめている。
「嬉しいな、また会えて。すぐいなくなっちゃって、淋しかったから」
社交辞令だよ。いないんだ。この世に、ハルの存在を、喜ぶ人は。だからいつでも死んでいい。
「ねえ、くどぅー」
「はい?」
「遥って、せっかくいい名前だから、私これからハルちゃんって呼ぶね」
もう誰も呼ばないから、忘れないために自分で呼んでいた名前なのに。
ほんの少しの時間をすごしただけの人の記憶に、残っていたなんて。
- 116 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 11:54
-
「名前、覚えててくれたんですね」
あだ名でしか呼ばれていなかったのに、なぜだろう。
「忘れるわけないでしょー」
こともなげに言いながら、先生はニコニコ笑っていた。
眩しかったのは、夕陽じゃなかったのかもしれない。
< 第一章 「眩耀」 了 >
- 117 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 12:01
- お待たせして申し訳ありませんでした
現時点で3章までは出来ています
>>102
ありがとうございます
ご期待に添えているかわからないですが、細々とでも続けて行きたいのでお付き合いよろしくお願いします
>>103
ありがとうございます
>>104
ありがとうございます
少なくともおひとりはいて下さると思うと心強いです
最後まで見放されることのないように努めたいと思います
- 118 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/12(日) 16:44
- 新章キター!!ヤター!!
ハルちゃんの幼少時代が切なすぎる;・(つД`);・
続きも楽しみです
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 15:56
-
第二章 逡巡
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 15:57
- 「あおい軒ってこの辺だと、どこにあるの?知ってる?」
観覧車を降りて、駅まで。こんなにゆっくり歩くのは、久しぶりな気がする。
「先生の最寄駅って、ハルと同じですよね?そしたら裏手に一軒、あるんだけど」
「じゃあ戻ってそこ行こう」
改札を抜けて、ホームへ。乗るべき列車を、少し待つ。
「あおい軒、よく行くの?」
「いえ、今まで一回しか。しかもそこじゃない店ですけど」
「ねえホントに行きたいお店選んでくれた?遠慮しなくていいんだよ」
「してないしてない。ずっと、もう一回行きたかったから」
希望を問われても、ハルには選択肢が少なすぎた。外食の記憶が、それ以外にほとんどない。
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 15:58
- 列車に、乗り込む。並んで座る。降りるまで、数駅。
「先生、まだあの塾いるんですか?」
「うん。あと一年ちょっとだから、最後まで続けるつもり」
「そっか。ハルのときって、先生まだ一年生?」
「うん。ごめんね、だからあんまりいい先生じゃなかったよね。まあ今も変わってないけど」
確かに教え方そのものは、ときどき散らかってハルが修正したりした。でも決して、悪い先生じゃなかった。
「そんなことないですよ。先生、人気あったよ」
「ホントに?」
「うん。だって担当聞かれて答えたら、いいなーって何回か言われたし」
ちょっと不思議で、すごく気さくで、面倒見がよくて。端麗な容姿と相まって、先生は本当に人気があった。
「ねえ、なのになんでモテないんだろうね」
「モテないの?」
「うん。全然」
それはきっと、先生が鈍いだけで。
「先生美人だし、高嶺の花なんじゃないですか」
「えー…」
「喋らなければの話ですけど」
「もー、それじゃ一生モテないじゃない!」
ペチン、と軽く叩かれた腕の一部が、そこだけ違う温度を持つ。
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 15:59
- 駅を出て、家とは反対のほうへ。たった一度の記憶と同じ看板が、行く手に見えてくる。
「よかった、そんなに混んでないね」
テーブルに案内されてメニューを見ると、それもほとんど変わっていなかった。
「決まった?」
「ロースカツとハンバーグで、迷ってるんです」
あのとき頼んだのは、確かそのふたつ。
「私ハンバーグにするから、半分こしようよ。両方食べられるよ」
昔も同じように、ばあちゃんが、ハンバーグをちょっとくれたっけ。
「えーでもんなの悪いっすよ、先生食べたいやつないの?」
「どっちも好きだから、だいじょうぶ」
それ以上抗わず、そうさせてもらうことにする。
店員さんに注文を済ませて、水を取りに立った。二つ入れて、戻る。
- 123 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:01
- 「ありがと」
「いえ。先生もひとり暮らしなんでしょ?いつもご飯どうしてるの?」
「うんとねえ、学食がなかったら、ちょっと生きていけない感じかな」
学生食堂、か。先生の姿しか知らないけれど、本業は大学生なんだもんな。
「お昼だけじゃなくて?」
「夜までやってて、結構食べて帰っちゃう。講義がなくても、そのためだけに行ったり」
大学、やっぱ、行かなきゃだめなのかな。
「楽しいですか、大学」
「うん。ハルちゃんも行くんでしょう?」
「そうですね、たぶん。けど、本音は働きたい」
担任に言うと、懇々と諭された。こんな成績なんだから、絶対に進学するべきだと。
問題が学費なら、いろんな手段があるからと。違う、そうじゃない。
「どうして?」
「そうすれば、親と、関係なくなれるから」
なんでだろう。なんでこんな話を、してしまうんだろう。
「あの人、もう、別の家庭持ってるんですよ」
「お父さん、のこと?」
「そうです。でもなんか、ハルが成人するまでは内縁で、とか言ってるらしくて」
そんなの言い訳で、どうせまた逃げているだけ。
相手の人から、早く籍を入れるようにあなたから言ってくれと、幾度か電話があった。
そのたび、観覧車に乗った。何もかも、心底どうでもよかった。
- 124 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:02
- 「ごめんなさい、なんか、こんな話」
「ううん。ハルちゃん」
「はい」
「20歳になったら、たくさんお金もらいなね」
「えっ」
「だって、お父さんハルちゃんのこと放り出す気満々じゃない」
初めてだった。ハルの味方をしてくれる人に、初めて出会った。
「先生さ、穏健派に見えるのに、意外に武闘派ですね」
「えーだって成人さえすれば大人だからもういいだろってことでしょ、つまり」
我が子に愛情を抱かない親なんていない、そんな一般論に、今までずっと押さえつけられてきた。
「ないですよね、愛情」
「ハルちゃんがないと思うなら、ないことでいいんじゃないかな」
ホッとした。それを感じられない自分が悪いんだと、思っていたから。
腹減ったなーって、久しぶりに感じた。もう苦しまなくていいんだ。
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:03
- 運ばれてきた食事が、色彩を伴って見えた。緑は緑に、赤は赤に。
先生が、ハンバーグを半分、ハルの皿に乗せてくれる。
「ねえ私カツ半分もいらないから、2つだけもらうね」
「んじゃ真ん中取ってください」
「いいよ、端で」
食べ物に、食べ物の味がした。誰かと何かを分け合ったのは、いつ以来だろうか。
「ごちそう様でした。美味しかったです」
「ううん。チケットありがとね」
店を出て、家まで送る。近くに住んでいても、今まで一度も会わなかった。
偶然は、そうそう起こらない。だからきっとこんなこと、もう二度とない。
最後だという曲がり角に、差し掛かる。もうすぐ、今日という日も終わり。
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:05
- 「ねえハルちゃん。これからもときどき、ごはん一緒に食べよう」
そう言ってくれた先生の気持ちを、ねじれた心で踏みにじる。
「あー、そんな、いいんすよ。同情してくれなくても」
だって、ダメなんだ。こんなのダメなんだ。今日一日だけで、もう十分なんですよ先生。
慣れたら、戻れなくなる。ひとりが、淋しくなる。
「違うよ」
「じゃあ、何ですか?」
素朴な疑問だった。恋情や愛情じゃない。じゃあ、何なんだ。人情?恩情?
「友情。ハルちゃんと、友だちになりたい」
こんなに年下の自分に、友情をくれるという。信じないわけじゃないけれど、これ以上進みたくない。
もう二度と、取り残されたくない。どうせひとりに戻るなら、ずっとひとりでいい。
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:06
- 「ごちそう様でした、帰ります」
上を向けば、涙はこぼれないだろうか。そんな歌が、教科書に載っていた気がする。
うつむく方を選んで、歯を食いしばって歩を進める。
「待って」
切実な声に、思わず足を止めた。振り返らない。こんな顔見せられないから。
「連絡先」
いらない。そんなのいらないいらないいらない。
「ポケットに、入れるね」
噛み締めすぎて、奥歯が割れそうだった。
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:07
-
「送ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」
「おやすみなさい」
やっと、それだけは、言えたけれど。
どこをどう歩いて、家にたどり着いたのか。
何も、覚えていない。
< 第二章 「逡巡」 了 >
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:12
- 次まで出来ていますので、明日にでも
>>118
ありがとうございます
滑稽ですが自分で書いていても辛いものがあるので
その分精一杯幸せにしてやろうと思います
- 130 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 16:18
- いつもいつも綺麗で心に突き刺さる文章に圧倒されます
続き待ってます
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 22:28
- ハルちゃん・・・
おばあちゃんのくだりで涙腺が・・・グスン
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 00:28
- 素敵なお話いつもありがとうございます!
心がグッとなる場面が多いですね
切ないけどすごく素敵です
- 133 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:12
-
第三章 邂逅
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:13
- 会いたい。声が聞きたい。でも、きっと、もう、忘れたほうが。
だって、ハルのことは、ただの教え子として、気にかけてくれている、だけだから。
一瞬しか、一緒じゃなかったのに、覚えていてくれて。それだけで、喜ばなきゃ。
二つに折られたまま開いていないメモを、あれから毎日見つめ続けている。
どんな嵐も、去る。紙切れ一枚に荒波立つ心も、きっとすぐに凪ぐ。
今まではずっと、そうだった。だから、この嵐も同じに決まってる。
落ちて、トマトになったあとって。生まれ変われるんだろうか。
ひまわりの種になって、先生に植えてもらいたいんだけど。
栄養を全部、先生からもらう。太陽を向かずに、先生の方ばかり見る。
先生ならきっと、花壇の隅のハルにも、慈愛を注いで育ててくれる。
ひと夏かまってもらうくらいなら、そんなに負担にならないよね。
- 135 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:15
- 学校には、何とか通った。休日には、何もする気になれなかった。
飲まず食わずで、ただぼんやりと寝転がる。いつの間に外は暗く、日付が変わろうとしている。
のろのろ起き上がると、立ちくらみを起こした。何か、食べなきゃ。
家の中を探したけれど、体が受け付けそうなものは何ひとつなかった。
這うように、外に出る。自販機で缶コーヒーを買って糖分補給すると、なんとか歩けた。
一番近いのは、駅前のコンビニ。なるべく何も考えず、足だけを交互に出す。
何も考えないように考え続けることは、何も考えていないことになるのだろうか。
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:17
- 胃に入りそうなものを探して、代金を払う。袋を提げて、外へ。
何気なく、駅の方を見る。終電近くになるといつもいる、片っ端から女性に声をかけまくる男たち。
ひときわ逃げるのが下手な人が、目に映った。それが先生だと分かるのに、一秒かかった。
先生って呼ぶと、ガキだと思って舐められる。
「あや!触んな、離せ!」
袋を置いて、走る。先生は右手を掴まれて引かれ、全身で抵抗していた。
向こうからは死角になる道へ向かって、警察を呼ぶふりをする。
まともに対峙したらかなわないけれど、幸いそれで男たちは逃げてくれた。
「だいじょうぶですか?」
見た限りたいした絡まれ方じゃなかったけれど、免疫がないんだろう。
蒼白な顔の先生を、ベンチに座らせる。めちゃくちゃに、喉が渇いていた。
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:18
- 周囲を見回す。すぐ近くに、自販機がある。見える範囲へなら、少し離れても構わないだろう。
「あの自販機で、何か飲み物買ってきますから。待ってて下さいね」
力なく頷いた先生から目を離さず、ついでにさっき置いた荷物も拾って、戻った。
「もうだいじょうぶですよ」
根拠なんてないけど言い切って、冷たい缶を渡す。
「ありがとう」
隣に座り、行き場のなさそうな先生の右手を、伸ばした袖で拭く。
「触られたの、ここだけ?」
「うん」
適当な話をするうちに、先生の声音も顔色も、少しずつ元に戻る。
「ありがとう、きれいになった」
そっと手を離して、買ってきた缶を開ける。渡して握られたままの先生のと、交換。
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:21
- 先生はいつも、こんなに帰り、遅いんだろうか。
こんなふうに絡まれたこと、今までにないんだろうか。
いずれにせよハルには、何の関係もないことだ。
大人なんだから、これからは自分で注意すればいいことだし。
「先生…」
聞くな、聞かなくていいよ。
「いつもこんなに帰り、遅いの」
そんなこと知ったって、どうしようもないじゃないか。
缶に口をつけて傾けると、冷たさがダイレクトに胃に沁みた。
こんなに空腹でも、火事場だと走れるもんなんだな。
「ううん。今日は、ちょっと忘れ物を取りに戻った分遅くなっちゃって…」
安心なんて、別にしてない。でももしまた忘れ物をしたら、そのときはどうなる。
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
「迷惑とかじゃないんですよ。この辺、店全部閉まっちゃったら、もっと真っ暗だから」
「うん。でも、こんなに遅くなったの、本当に初めてなの」
「また忘れ物するかもしれないでしょ。そしたら、やっぱり危ないし」
「ごめん。気をつけるね」
どう気をつけるんだろう。そしてなぜ、先生が困るほど問い詰めてしまうんだろう。
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:22
- 「今度から遅くなるときは、ハルに電話下さい」
自分でも何を言っているのか、よくわからなかった。
「電話、したらどうなるの?」
「駅まで迎えに来ますから」
「何で?」
「自転車で」
「そうじゃなくって」
「友だち、だからです。だから、心配なんです」
答えは、簡単だった。そう、心配なんだ。
「嫌われちゃったんだと、思ってた」
「ごめんなさい、連絡しなくて」
「謝らないでよ、ハルちゃんが決めていいことなんだから」
「毎日メモ見て、迷ってました」
正直に、全部話した。ひとりが怖くて、ひとりのままでいようとしたこと。
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:23
- 「今までは、みんな、離れて行っちゃったの?」
ばあちゃんのところで暮らしていた頃には、友だちがいた。
今そう呼べる存在がいないのは、ただハルが、疲れて心を閉ざしたせいだ。
「分からない。ハルが、頼るのをやめただけかもしれないです」
「ハルちゃんの、そういう人のせいにしない素直なところ、大好きだよ」
素直か。素直って初めて言われた気がする。大好きも。
「突っ張って、ひとりで生きなくていいじゃない」
「そうですよね」
素直って言われたから、素直になれたのか。それとも、元は本当に素直だから、素直って言われたのか。
よくわからないけれど、濃い霧が少しだけ、晴れた気がした。
「私も今度遅くなるときは、ちゃんとハルちゃんに頼るから」
「はい。約束ですよ」
「うん、ありがとう」
来た道もこれから進む先も、きっと全然違う。
だからこれからずっと同じ時を過ごすのは、難しいかもしれない。
でも今、一緒にいる時間を大切にすることなら、出来る。
「もうだいじょうぶ?歩けますか?」
「うん」
「送りますね」
手を、つなぎたかった。今日の最後に、先生の右手に触れる人間になりたい。
友だち。と、手をつなぐだろうか。わからないけれど、左手を差し出す。
先生は、その手を取ってくれた。
- 141 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:24
-
「先生、携帯見せて」
「いいよ、でもなんで?」
「買いに行かなきゃと思って。同じにすれば使い方教わりやすいでしょ」
「持ってなかったんだね」
「要らなかったから。一番に連絡しますね」
結局、一緒に買いに行く約束をしながら、先生を家まで送った。
いつもと同じ道が、いつもと違って見えた。
< 第三章 「邂逅」 了 >
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/14(火) 21:29
- 次回は少々お待たせするかと思いますが、生きていればお届けそのものはお約束します
>>130
ありがとうございます
長く長くお見守りいただいていること、心より感謝いたします
>>131
ありがとうございます
本当に滑稽ですが、自分でも辛かったです
>>132
ありがとうございます
滑稽ですが自分でも切ないので早く幸せにしてやりたいです
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/15(水) 05:41
- 工藤視点、とっても切ないです。
続きが読めるのを楽しみにしております。
- 144 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/15(水) 19:19
- 両方の視点で読むのも面白いです
こう思ってたのかーって
何回も読み返してしまいます
タイトルも素敵ですね
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/15(水) 22:55
- くぅ〜〜
大好きです。こういう展開。
ゾクゾクする文章ですね。
- 146 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:02
-
第四章 天恵
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:03
- あれからもう一度、家政婦さんに夕食をお願いするようになった。週に何度かは、二人分。
味のある食事をする。笑ってばかり。こんな日が、ずっと続けばいい。
でも、明らかに見えている転機が、すぐそばにあって。
ときどき食事の後、同じテーブルで、それぞれ勉強したり本を読んだりする。
そんなときの先生はこのごろ、上の空で何かを考え込んでいることが多い。
何を悩んでいるか、わかっている。だから横目で見るだけで、何も聞かない。
月に何度か、絵を見に行く。街を歩く。
駅のポスターや、本屋のガイドブック。故郷を示す文字列に、先生は必ず足を止める。
昔を尋ねると、ハルに足りない思い出を埋めるように、いろんな話を聞かせてくれる。
顔に、書いてある。郷里が好きだと。帰りたいんだと。一緒には行けない。
- 148 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:04
- 先生が帰郷してしまっても、メールや電話、していいのだろうか。
きっと先生は、今よりずっと忙しくなるだろう。ハルの相手してる時間なんか、もうないかもしれない。
モテないって本人は言ってたけど、そんなわけなくて。
環境が変われば、新しい出会いだって、きっとたくさんあって。
細い細い糸にだって、ずっとずっと、ぶら下がり続けるつもりだけど。
- 149 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:05
- 「ねえ、ハルちゃん。もうすぐ誕生日でしょう?当日空いてる?」
「あー、うん。だいじょうぶ」
誕生日が楽しみなんて、ばあちゃんがいなくなって以来初めてだった。
いったい何のために生まれたんだろう。いつもより余計にそう考えるだけの日だったから。
「いつもさ、私に合わせてもらってばかりだから、その日はハルちゃんの行きたいところに行こうよ」
「先生、ハルさ、美術館を楽しんでないわけじゃないから、気を使わなくてもいいよ」
「えーでも、見た絵のこと全然覚えてないじゃない」
それは、小さな声で、絵の説明をしてくれる先生のせいで。
「だからね、このモーヴの奥さんのいとこが、ゴッホでね」
雨音に、まどろむ。しとしと。うとうと。
「ちょっとハルちゃん聞いてるの?」
「聞いてますよ」
「じゃあ今私がなんて言ったか答えて」
「いとこは…大体同じ」
「全然聞いてないじゃない!」
昔の絵より、今の先生の方が、ハルにとっては芸術で。
- 150 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:06
- 「だって、絵を見てる先生かわいいから、先生しか見てないもん」
「もー、そうやってからかわないの」
大真面目に言っているのに、いつもかわされてしまう。
「何かあるでしょ、ちゃんと考えて」
希望は、ないわけじゃなかった。
「行きたい、ところ。ある」
「なになに?どこ?」
「観覧車。観覧車、久しぶりに一緒に乗りたいです」
ひとりでは、もう乗らないと決めていた。何かあったら頼るって、約束したから。
だからちゃんと、あの場所で話をしたい。
- 151 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:07
- なんて、切り出そうか。
「先生、ハルのこと、気にしなくていいよ」
気にしてほしい。
「ハルのこと、置いてっていいよ」
置いていかないでほしい。嘘はつきたくない。
ぼんやり考えていたら、一駅乗り過ごしてしまった。
折り返して、走る。なんとか五分前に着くと、先生はもう待っていてくれた。
「すいません、遅れちゃって」
「ううん、早く着いちゃっただけだから。お誕生日おめでとう」
「ありがとう。これでひとつ差が縮まりましたね」
「ぐんぐん詰めて、追い抜いてくれていいのに」
本当に、追いつけたらいいのに。早く大人になる方法って、ないんだろうか。
上手く話そうと考えるのは、やめた。本当の気持ちを、正直に伝えるしかない。
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:09
- 向かい合って座る。ガチャン、と扉が閉まる。久しぶりに耳にする、馴染みの音。
どうすればいい。何から伝えれば。何から聞けばいい。
「先生、さ」
「ん?」
「このごろ全然元気ないの、なんで?」
自分でも、険しい顔をしているのがわかった。そのせいか、先生が目を逸らす。
じっと見つめたままでいると、先生の視線が戻ってきた。
「そう?別にそんなことないよ」
「そんなことなくない。言ったでしょハル先生ばっかり見てるって」
思わず、言葉が強くなる。だって絶対に、そんなことなくなんてない。
「悩みは、もちろんいろいろあるよ。もう就職とか考えなきゃいけないし、一生の問題かもしれないんだし」
「ちょっとは、話してほしいな。そりゃハルに話しても何もならないかもしれないけど」
めちゃくちゃに、早口になってしまった。先生を、追い詰めて困らせたいわけじゃない。落ち着こう。
- 153 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:11
- 「そんな、そうじゃなくって。ハルちゃんだって、いろいろ忙しいでしょ、だから…」
「今は、先生の話をしてるんだよ。ごまかさないで」
笑うと可愛いし、真顔だときれいだな。場違いにそう思った。これからもずっとそんな先生を見ていたい。だけど。
「地元に、帰りたいんでしょう?」
進む道が違ってくるのは、わかっていたことで。誰が悪いわけでもない。
「ねえ、そうでしょ?そのくらいわかるよ。先生の話、たくさん聞いてきたんだから」
沈黙を乗せたゴンドラが、上昇してゆく。
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:12
- 不意に、だだをこねる子どもみたいに首を振りながら、先生が唇を開いた。
「いやだ。ハルちゃんを置いて帰りたくない。どこへも行きたくない」
嫌われてはいないと、思っていた。でもそこまで好かれているとは、思っていなかった。
帰りたいことを、離れてしまうことを、ハルに言えなくて悩んでいるんじゃなかったのか。
「嬉しいけど」
素直に嬉しかった。でも、足を引っ張るのは嫌だ。
「一時の感情で決めたらダメだよ。一生の問題だって言ったの先生でしょ」
「うん。そうだけど」
黙ってしまった先生の隣に、移る。ゴンドラが、少し揺れる。
ずっと考えていた。離れても離れない方法が、ひとつだけあることを。
折れそうなほど手すりを握り締める先生の手に、そっと手を重ねる。
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:13
- 「先生。ハルと、ちゃんと付き合ってほしい。そうしたら離れても、メールする理由も電話する理由も会いに行く理由も、できるから」
先生を失いたくない。先生に故郷を失わせたくない。それには、この一手しかない。
もしかしたら先生は、友だち以上を望んでいないかもしれない。だけど今日フラれたら、また明日告白する。何度でも当たって砕ける。
目を逸らしたままの先生を、見つめ続ける。血の気が引いて冷たい手を、手すりごと握り締めた。
「私で、いいの?だって…」
だって、何?こんなに何もかも違う年上の?そうじゃないよ、先生。
「こっちが、こんなクソガキでいいのかって聞いてんですよ」
逃げても、いいよ。追いかけるから。きっと捕まえてみせる。
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:14
-
「私も、ずっと、好きだったよ」
はかなく弱い雨音が、耳に届いた。震える唇に、唇でそっと触れる。
いいんだよね。抱きしめて、いいんだよね。
背中に腕を回して、髪に頬を寄せる。小さな、嗚咽が聞こえる。
「泣かないでくださいよ」
真珠のように膨らんでこぼれる涙を、親指で拭った。
- 157 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:16
-
「このままでいいんだって、ずっと言い聞かせてたの」
「ハルも、同じ。でももう先生が悩んでるの見たくなかった」
もう一度口づけて、もう一度、強く抱きしめた。
生まれた意味を、やっと神様がくれたと思った。
< 第四章 「天恵」 了 >
- 158 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/16(木) 21:27
- 次回更新は来週以降になります
たくさんのレスありがとうございます
それだけが報酬なのでとても嬉しいです
>>143
ありがとうございます
やっとやっと幸せにしてやれました
>>144
ありがとうございます
はっきり両方を形にしていくと我ながら発見があったりして
内容による辛さはともかく楽しい作業ではありました
ここからは幸せしかないのでもっと楽しんでいきたいです
>>145
ありがとうございます
同じ展開の同じ話を書いているだけなので不安だらけですので
お褒めいただいてちょっと安堵しました
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/17(金) 01:40
- 2人を出会わせてくれてありがとうございます
全然同じじゃない、深まったお話になってると思います
読ませていただけて、本当に幸せですから
- 160 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/17(金) 20:58
- ニヤニヤが止まりません(*´Д`*)
ハルちゃんも先生も可愛いわ
幸せしかないって言うので続きが楽しみ過ぎます
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/18(土) 03:17
- 胸がキュンキュンします
年の差でさらにもどかしくなるのがいいですね
いつも楽しく読ませていただいています!
次回も楽しみです
- 162 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:25
-
第五章 再生
- 163 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:25
- 「お疲れさま、どうだった?」
「ちゃんと出来た」
「すごい、一回そんなふうに言ってみたい」
会わないと決めたテスト期間が、やっと終わって。
待ち合わせて、あおい軒で昼食。気が抜けて、テーブルに伏せる。
「でもホントに疲れた。会えてちょっと元気出たけど」
「おなかすいたでしょ?何食べる?」
「甘いの欲しい」
「それは、ご飯食べてから」
「じゃあ、ロースカツかハンバーグ」
「わかった、また分けようね」
注文した料理が来るまで、先生は伏せっぱなしのハルの頭をなでてくれて。
先生がいてくれたから、がんばれた。本気出すのも、悪くない。
- 164 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:26
- ひと心地ついて、店を出る。手をつないで、歩く。
「すいませんごちそう様でした」
「ううん。よかった、顔色戻って」
「そんなひどい感じでした?」
「会った瞬間すごく心配した。ちゃんと食べてた?」
「…つもりだったんですけど」
ハルの成績が落ちたら、先生は自分を責めるだろう。だから必死だった。
その分体重は、ちょっと落ちてしまったかもしれない。
「だいじょうぶ?」
「若いからだいじょうぶです」
先生が、わかりやすくむくれる。
「子どもは帰って寝なさい」
「やだデートする。また観覧車でキスする」
今度は、わかりやすく真っ赤になる。
「どうしましょっか?ホントに観覧車行きます?」
「行かない」
覗き込むと、目を逸らされた。意地悪はこれぐらいにしておこうかな。
- 165 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:28
- 「ハル一回先生んち行きたいな」
何度も送ってはいるけれど、実はまだ訪ねたことがない。
「今から?」
「いや、別にいつでもいいけど。先生行きたいとこある?」
「ない。それより少しでも休んでほしいから、帰ろう」
真剣な先生に何も言えず、手を引かれるままついていく。
「晩ごはんは?お願いしてるの?」
「今日は断った。先生作って」
「ダメ、それはまた元気なときじゃないと」
「余計弱っちゃう?」
「可能性は、否定できない」
ハルが、ばあちゃん仕込みの料理なら少しは出来るって、まだ言わない方がいいかもしれない。
- 166 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:29
- 家に着くと、まずはコタツに入るよう案内された。
「お茶入れてくるね」
「うん」
あまりに先生そのままの部屋で、初めて来た気がしない。
だから重力と疲れに負けて、くの字になって寝転がってしまって。
「ホントにだいじょうぶ?お布団敷こうか?」
「だいじょうぶ」
「ハルちゃん、頭ちょっとだけ上げて」
ぼんやり言われるままにすると、先生が膝枕をしてくれた。
「ついでに耳かきしてあげる。少しだけ下向いて」
「これぐらい?」
「うん。動かないでね」
あまりに心地よくて、動こうにも動けなかった。
- 167 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:30
- 「はい反対。そのまま起きて向こうに倒れて」
ダウジングロッドみたいに、くるんと反転。
移動してきた先生が、また膝枕に迎えてくれる。
「痛くない?」
「うん」
「こっちの方がきれいだね。利き手側だからだね」
ひとりで出来ることだって、誰かの手を借りても構わないんだな。
- 168 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:32
- 「先生。ハル、先生と会ってさ」
「ん?」
「なんかさ。生まれ変わったみたいな気がする」
「本来の姿に戻っただけでしょ。長い雨があがっただけ」
「傘、貸してくれてありがとう。いらないって拒んじゃったのに」
まっすぐ顔を見られない分、恥ずかしいことも言えた。
「ハルちゃんは、変わってないよ。元々素直ないい子なんだから」
「でも、やっぱり先生のおかげだから」
恵みも災いも同じ雨がもたらすんだと、改めて思う。
「はい、終わり。このまま寝ちゃっていいよ。適当に起こしてあげる」
「やだ話す。一緒にいられる時間もったいないもん」
だけど繰り返し髪を梳かれると、魔法のようにまぶたを閉じてしまって。
夢うつつの中で、ちょっと肩口が寒いな、と思ったら、ふわっと布がかけられた。
安心して、睡魔に身を任せる。ときどき現実の方が、本当は夢なんじゃないかと思う。
目覚めたら、やっぱりひとりなんじゃないかと怖くなる。
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:34
-
目を閉じたまま先生の手を探して、手をつなぐ。
強く握り返してくれる指が、どっちが夢かを教えてくれる。
「おやすみ」
ふいに聞こえた雨音に、全部をゆだねた。
くだらない夢が見られればいいな、そう思った。
< 第五章 「再生」 了 >
- 170 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 11:45
- お付き合いいただいてありがとうございます
次回更新は未定ですが
生きていればお届けはお約束します
>>159
ありがとうございます
少々同じじゃなくはなりましたが、ご飯食べて寝るだけの話でしたがだいじょうぶでしたでしょうか?
>>160
ありがとうございます
不幸は現実だけで十分なので、出来るだけ幸せを書いていきたいです
>>161
ありがとうございます
歳の差いいですよね、出会うはずの同い年だったら捗らなかったかもしれません
- 171 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/10/25(土) 22:42
- 更新ありがとうございます!!
本当に…素敵なお話で。
本当に本当に…読んでいてなんだか感情が溢れます。
本当に楽しみにしていたので、更新されていて小躍りでした。
これからも、もちろん楽しみにさせて頂きます。
わたしも生きている限りは読みにくることをお約束させて下さい!
ふんわりとした二人の幸せが、なんだかわたしにも穏やかな気持ちをくれます。
素敵なお話だー。幸せしかない未来は輝かしいですね。
- 172 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/26(日) 17:19
- 更新乙です!待ってました。
ただ単にラブラブになってキャー(*´Д`*) って言うんじゃなくて
切なさも入っているように思えるし、温かさも感じます。
なんて感想を書いていいんでしょうか、とにかく二人を見守りたい気持ちになりました。
読んでいる方も幸せになりますので作者さんも末永く長生きしてください><
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/27(月) 23:59
- 切なくて悲しくてでもすごく温かくて涙が溢れました
素敵なお話に出会えて感謝です!
分かってるはずなのに次の展開をドキドキしながら待っています
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:32
-
第六章 帰郷
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:33
- 「ハルちゃん眠い?もたれていいよ」
「ん、ありがと」
今年もひとりかな、と思っていた年越しを、先生の家で過ごせることになって。
嬉しいけど、改まって誰かの家に行くなんて初めてだし、ましてや特別な人の家だし。
ちゃんと話してあるから、何も心配しなくていいと、先生は言ってくれるけど。
昨夜いろいろ考えてしまって、気がつくともう外が明るかった。
朝早く家を出て列車に揺られるうちに、なんだか眠気が差してきて。
先生のおとうさんとおかあさんは、こんなハルのこと、歓迎してくれるんだろうか。
だいじょうぶだと言う先生のことは、信じてるけど。そんなに自分を信じることは、出来なくて。
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:34
- うとうとしながら考えるうちに、駅に着いてしまった。
最寄とはいえ歩くと遠いらしく、おとうさんとおかあさんが、車で迎えに来てくれている。
「おかえりー。ハルちゃん、おかえり」
手を振ってくれるおかあさんに何も言えず、ただ頭を下げる。
「遠かったでしょう?おつかれさま」
「寝てたんで、すぐでした」
「ハルちゃんお土産選んでくれたの。あとで渡すね」
「すみませんお世話になります」
後部座席に乗せてもらう。車が走り出す。繰り返し聞いたままの風景が、車窓を流れる。
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:36
- 「ねえ、先生言ってた神社ってあれ?」
「うんそうそう。初詣行こうね」
まだ不安は塊のまま心にあるけれど、緊張は少しずつほぐれた。
あっという間に写真でなら見たことがある家が近づいて、車が減速する。
「ねえあや、早速で悪いんだけど、買い物頼まれてほしいんだけど」
「はーい。ハルちゃん一緒に行こうね」
「ついでにお昼、好きなの食べてきて」
家には荷物だけ置いて、そのまま外に出る。
- 178 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:37
- 買い物ぐらいと軽く考えてメモを覗き込んだら、大変なことになっていた。
そういえばばあちゃんがいた頃の年末は、ハルでさえ手伝いに忙しかった。
「街中と違ってお店閉まっちゃうもんね」
「そうなの。親戚とかお客さんも何人来るかわからないし」
「ハルのこと、誰だこいつってならない?」
「ならないよ。心配ないって言ってるでしょ」
先生が立ち止まって、ハルに向き直る。まっすぐ、見られない。
「うん。ごめん」
「誰にも、何も言わせないから」
「ごめんなさい。ありがと」
「買い物、行こう」
先生はときどき、ものすごく頼れる。
「じ、こ、しゅうとめ?ねえハルちゃんこれなんて読むの?」
「クワイ」
「あー知ってるこんな字書くんだね慈姑。どこに売ってるのかな?」
「八百屋でしょ」
「田作りって、あの小さい魚だよね。これは魚屋さん?」
「乾物屋。先生、おかあさんそのメモ店ごとに分けて書いてくれてるよ」
いつもは、こんなに頼りないのに。
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:38
- 家族でよく行くという店でご飯を食べてから、商店街へ繰り出した。
軽いものから順に買おうと、通りを行ったり来たりする。
メモを半分と少しクリアしたところで、ふたりとも両手に荷物がいっぱいになった。
「一回家戻りますか?」
「うん。ついでに福引、やって帰ろう」
一角の空きスペースで、結構派手な抽選会をやっていて。
荷物の番をしながら、はり出された景品リストを見るともなく見る。
一等、温泉旅館一泊二人分。二等、自転車。三等、米5キロ。いろいろ続いて、外れがポケットティッシュ。
当たるなら、二等がいいな。このじりじり指に食い込む袋を載せて、すいすい帰りたい。
このうえ荷物が増えたら困るから、三等ならいっそ外れがいいけど、まあ当たるわけ、ないか。
ぼんやり待っていたら、鐘が鳴った。先生が一等を当てたらしい。
「どうしよう、ね、どうしよう当たっちゃった」
「どうしようもないでしょ。おとうさんとおかあさんにあげればいいじゃん」
もうこの際ハルは、米じゃなきゃなんでもよかった。
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:40
- 一旦帰って、荷物を玄関先に下ろす。台所へ運ぶ。
往復を繰り返す間、先生とおかあさんが、なにやら小競り合いをしている。
「ハルちゃんごめんね、全部運ばせちゃって」
「ううん。何もめてたの?」
「おかあさんたちが温泉行かないって言うから」
「えーもったいない。確か期限短かったですよね」
「そうだから、ふたりで行こう。予約しちゃった」
話す先生とハルのそばで、おかあさんが不思議なことを言った。
「車で行きなさいよ。使っていいわよ」
「えっ、先生車乗れるの?」
そんな姿見たこともなければ聞いたこともなくて。
「免許は、持ってるよ」
「じゃあ運転できるじゃん」
「ハルちゃん。免許を持ってるのと運転できるのとは、別の話だよ」
「何でよおかしいでしょ。今だって車で行けば買い物一回で済んだじゃん」
そうすればお米だっていくら当たっても、平気だったのに。
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:40
- 「バスで行こう。そんなに遠くないし」
「ハル免許の話知らなかったよ」
「聞かれてないから言ってないもん。さ、もっかい買い物行かなきゃ、徒歩で」
急かされて、納得いかないまま、もう一度商店街へ。
「ごめんね、ペーパードライバーで」
「いいよその方が安心だし。おかげでこうやって手つないで歩けるし」
「がんばって免許取ってね」
「うん。でもあと何年か待ってね」
追いつけなくていい。歳の差があったから、出会えたんだから。
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:41
- ようやく役目を全部終えて、もう一度家に戻る。
先生はそのまま、夕飯の支度の手伝いに行った。
何か出来ることがあるかなと台所を気にしていたら、おとうさんに声をかけられた。
「ハルちゃん、これ見る?」
手には数冊のアルバム。隣に座らせてもらって、先生の今日までを教わる。
産まれた日、誕生日。家族旅行や、学校行事。大事な記念日、特に何もない日。
鮮やかに切り取られた、さまざまな瞬間。たくさんの、笑顔や泣き顔。
「先生昔からかわいいですね」
「いやー、ごぼうみたいだろ?」
肯定していいものかどうかわからず、顔を見合わせて曖昧に笑う。
「なあハルちゃん」
「はい」
「正月とかお盆とかは、家族で過ごすもんだからさ」
あーやっぱり。先生は自分の家だと思っていいって言ってくれたけど、そりゃそうだよね。
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:42
- 大きい手が、ハルの方へ伸びてきた。優しく、頭が撫でられる。
「お盆にはまた一緒に帰っておいで。その前に春休みもあるけど」
ひざを抱えて、その間に頬を埋めた。
「ありがとうございます」
「あとで写真撮ろうな」
教科書の歌みたいに上を向かなきゃいけないところで、先生に呼ばれる。
「ハルちゃん、出来たの運んで」
「はーい」
鍋だ。ばあちゃんと暮らしてたとき以来だ。
「熱いから、気をつけて」
「はーい」
出してあった卓上コンロに乗せる。おとうさんが、火をつける。
ふたの穴から、蒸気が吹き出す。あとはお任せして、食器を運ぶ。
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:43
- 「先生なに手伝ったの?」
「お豆腐切った」
「他には?」
「たまねぎの皮むいて、レタスちぎった」
気のせいか、声がとても小さい。
「先生、ハル先生ががんばったやつ心して食べたいから聞いてるだけだよ」
「ちゃんと手伝ったもん」
「わかってるから、ハルにいじめられてるみたいな顔するのやめて」
先生は唇をへの字に曲げた。無言で突き出されるサラダを受け取る。
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:44
-
「ありがと」
「はいハルちゃん、豆腐入れといたよ」
「ありがとうございます。いただきまーす」
おかあさんによそわれるまま、いつしか満腹を通り越した。
今までで一番楽しくて、一番美味しい食事だった。
< 第六章 「帰郷」 了 >
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 20:54
- 次回更新は未定ですが、おそらく最終章かと
話としてはふたつでひとつなので一旦区切るだけで
もう少し続けるつもりではいます
たくさんの丁寧なご感想をありがとうございます
ひとつひとつとても嬉しいです
>>171
こちらこそありがとうございます
事件のない日々を書くのはわたし程度の力では難しいのですが、
それでも生きている限りなにがしか綴りたいと思っています
末永いお付き合いをよろしくお願いします
>>172
ありがとうございます
滑稽ですが、自分でも末永く見守りたいのでがんばって生きます
>>173
ありがとうございます
ネタばれですが、たぶん次回旅館で結ばれるかと
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/31(金) 21:56
- 〉186 知ってるwww
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/01(土) 00:26
- 更新ありがとうございます
運転免許の会話がこうなっているのかと
視点が変わって感心しました
(先生視点の時は???となっていました)
ちょくちょくハルちゃんのおばあちゃんっ子ぶりが出てくるのが泣けます
先生とハルちゃんの会話も雰囲気があっていいな
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/22(土) 12:53
- 展開を知っていても続きが早く読みたいですし、
この2人のお話をずっと読めたらなと思います。
待ってます!
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:27
-
最終章 永遠
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:27
- 「クワイ、剥けました」
「えっ、もう?じゃあレンコン頼んでいい?」
大晦日は先生と一緒に、本格的に台所を手伝った。
「花にすればいいですか?」
「うん。助かる」
先生は大根をおろしながら、ハルとおかあさんのやりとりをじっと見ていて。
「ねえハルちゃん」
「ん?」
「ひょっとして、めちゃくちゃ料理上手なの?」
「いつもばあちゃん手伝ってたから、ちょっとは出来るよ」
「そんなの知らなかったんだけど」
「聞かれなかったので、言いませんでした」
つい最近どこかでしたような話に、むくれかける先生。
「あや、大根おろすの半分だけって言ったでしょ」
「あっそうだった。残りどうするんだっけ」
一心に前後させていた手を、先生は止める。
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:29
- 「千切りにして」
「えっどうやって?」
「細切りのスライサーあるじゃん、先生の目の前に」
「あっこれでやればいいの?通販の番組で見た」
くるくる変わる表情を、ずっと見ていたい。
「にんじんも千切りなんじゃない?ですよね?」
「そう」
「なんでハルちゃん知ってるの?」
「あー、心が通じ合ってるんです、おかあさんとは」
「ふぅん。おかあさんとは。ふぅん」
「なますにするのが分からないあやが悪いんでしょ」
おかあさんの前でおかあさんって言ったのは初めてだったけど、流れて行って安心する。
「先生、千切りそっち方向じゃないよ」
「そうよ、長さをそろえないとダメだから」
「何よまたふたりして同じこと言って」
「ハル切ってあげるから、貸して」
大根とにんじんを、適当な長さに揃えて切って渡す。
にんじんは煮しめの分、ちゃんととっておく。
「最後、結構危ないから。気をつけてね」
続きで花レンコンを切りながら、穏やかな時間を、噛み締めるように過ごした。
- 193 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:30
- 日暮れて夜も更け、歌番組を見ながら、年越しそばを食べる。
「あさって戻って来たとき、おせちまだありますかね?」
「ちゃんと残しとくよ。ハルちゃんの分は」
おかあさんが、後半をわざとらしく先生に向けて言う。
「またそうやってあやのことのけ者にする」
「してないよ。先生がおろした大根美味しいよ」
「そんなの誰でも出来るもん」
「そうだけど。でも拗ねてもこんなに可愛い人って滅多にいないじゃん?」
おとうさんとおかあさんの視線をものともしない、ハルの攻撃。
先生は頬を真っ赤にしてうつむく。勝ち負けで言うと、勝ったと思う。
そのまま年が明けて、近くの神社へ初詣。こんなに正月らしい正月は、久しぶりだった。
- 194 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:32
- 翌朝、駅まで車で送ってもらって、バスに乗る。並んで、座る。
「おばあちゃん亡くなってから今までって、こういうときどうしてたの?」
「こういうときもどういうときも、普段通り過ごしてた」
「そっか。ごめんね、もっと早く出会えなくて」
黙ったまま、千切れるぐらいに首を横に振った。
「ううん。ありがと先生」
懸命に、声を絞り出す。
「来年も、再来年も。一緒に新しい年迎えようね」
「うん」
「旅行、初めてだね」
「うん」
「これから、きっと初めてがいっぱいだね」
もう掠れ声さえ出せずに、頷くのが精一杯。
「いろいろ気をつかって、疲れたでしょ」
これにはまた全力で首を振って否定した。
たくさん笑って、たくさん食べて、ひたすら楽しかった。
「着くまで、少し休めば?」
滲む涙を、先生の肩に押し付ける。
「ハルちゃん、次で降りるよ」
いつのまにか眠り、結局起こされるまで、一度も目を覚まさなかった。
- 195 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:34
- バスを、降りる。
「ごめんね、ずっと寝ちゃって」
「ううん、寝顔可愛かった」
少し、歩く。宿に荷物を置いて、散歩に出かける。
あてもなくぶらぶら。小さい神社に寄って、公園で休憩。
先生が買ってくれた缶コーヒーを、ベンチに座って飲む。
「先生くじ運、昔からいいの?」
「ううん、全然。初めて何か当たった」
「ハルもまだ、一回も当たったことない。正月早々凶だったし」
さっきの神社のおみくじで、凶を引き当てた。先生は、大吉で。
「凶が出たら、利き手じゃない方の手だけで結ぶといいって聞いたことあるよ」
「なんで今言うの遅いよ。思いっきり両手で結んじゃったじゃん」
「ごめん。さっき思い出せばよかったね」
「別に。気にしてないもん」
「めちゃくちゃへこんでるじゃない」
「へこんでないし」
少しなら、拗ねたりわがままを口にしたりできるようになった。
先生はいつも、我慢しないで全部ぶつけていいよって言ってくれる。
「これからたくさん、いいことあるよ」
「もういいです。先生っていう大当たりひいたから」
「ダメ。そんなくらいじゃ、絶対に済まさない」
運が、よかったんだ。恨んでいた神様に、感謝しないといけない。
- 196 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:35
- 小さな寺にも寄り道して、宿に戻った。
食事する。風呂に入る。土産を買う。ここまでは、いつもと同じだったはず。
部屋で何気なく過ごしはじめたあたりからだろうか。突然、先生と目が合うのが怖くなった。
どうでもいいテレビを、真剣に見る。話しかけてくれる先生に、生返事。
テレビを消す。ひざ立ちで、強く抱きしめる。戸惑う唇に、唇を強く押し付ける。
ふつふつと何かが湧き上がり、心と体が、別々に動いてしまっていた。
先生の体が強張る。違う、こんなことがしたかったんじゃない。我に返って、腕を緩める。
「待ってねえ、やめないで」
よかった、嫌われなかった。だけど、このままはダメだ。
「やめませんよ、やめないけど。でも、ごめんなさい、なんか焦りすぎたかも」
もう一度、腕に力を込める。先生が、自分を責めないように。
「電気消してくるから、待っててください」
湧き上がる何かを抑えないと、きっと先生を傷つけてしまう。落ち着こう。
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:37
- 灯りを、落とした。先生の手を引いて、敷いてある布団へ。
枕をひとつの布団へ並べて、先生を隣へいざなう。
「初めてですよね、なんか、こんな感じ」
「そうだね」
この帰省まで一度も、ふたりで朝を迎えたことはなかった。
高校生だから、万が一にも大人の先生に迷惑をかけないように。
遅くなっても、ちゃんと家に帰る。ちゃんと送っていく。
またすぐ会えても、別れは辛くて。帰り際、必ず抱きしめた。ときどき口づけた。
ずっと一緒にいたい気持ちを抑えてきたのは、先生も同じだったと思う。
くわえて今日は、先生の生家で過ごした二日間とも、やっぱり少し違う。
「照れますね」
「暗くてよかった。きっと顔真っ赤だもん」
そっと先生の頭を持ち上げて、その下に腕を差し入れる。
頬に触れて抱きしめると、高い体温が伝わってきた。
「ホントだ、先生熱い。だいじょうぶですか?」
「うん。…ううん」
「怖い?」
「怖くない」
髪を、撫でる。髪に、口づける。
このまま夜が終わっても、もういいような気がした。
- 198 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:38
- 「おみくじって、左手だけで結べますかね?」
「出来るから伝わってるんじゃないかな。でも、また凶引くのが前提なの?」
「そっか。そですね。てかもうハルおみくじやんない」
「やっぱり気にしてるんじゃない」
「いや全然別に何も」
腕の中でクスクス笑う先生に、つられて笑う。
「ねえハルちゃん」
「ん?」
「だいじょうぶ」
「ホントに?無理しなくていいですよ、もう今日はこのままでも」
「そんなのやだ」
そんなのやだ、か。一方的な気持ちじゃないってわかって、嬉しい。
- 199 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:38
- 「キスしていい?」
こくんと頷いた先生の唇を、ふさぐ。唇が、深く結びつく。
胸元に、そっと手のひらを滑らせる。
「手、冷たい?」
「ううん」
素肌に触れる。触れて、口づける。口づけて、触れる。
名前を、呼ぶ。小さな反応を頼りに、少しずつ、少しずつ進む。
全部終わるとどっと疲れて、知らないうちに眠ってしまった。
- 200 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:39
- 耳元に気配がして、目を覚ます。
「ごめん、起こしちゃったね」
夜は、明けてしまったのだろうか。
「もう、朝?」
そんなに寝たつもり、ないんだけど、何時だろ。
「ううん、夜だよ」
「よかった。まだいっぱい一緒にいられる」
もっとずっと一緒にいたかった。それが叶うと知って安心する。
見つめあう。ガシッと頭を掴まれて、ギュッと胸に抱かれる。
「どうしたの、先生」
「わかんない。急に、もっと好きになっちゃったの」
わかる気がして、先生に身体を預けた。
胸に押し付ける耳に、先生の鼓動がこだまする。
この音を、ずっと聞き続けたい。いつか、死が二人を分かつまで。
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:40
- 「やだな、離ればなれ」
本音の弱音が、口をついて出た。
淋しい。出会って初めて、淋しさを知ったから。
「でも、まだ、あと一年あるよ」
そうだけど、そんなのあっという間じゃん。何回会えるんだよ。
大学卒業して近くに行けるまで、何年かかるんだよ。
「ねえハルちゃん。ふたりで、暮らそうか」
「え?」
「だって、毎日会いたいし、一緒にいたいよ。ダメ?」
ダメなわけない。けど、せっかくつけてきたけじめは守りたい。
「なし崩しにじゃなくてちゃんと、おとうさんとおかあさんに許してもらってだったら、そうしたい」
「もちろん。もう全世界にでも、堂々と発表しちゃうから」
武闘派。だからきっと、本当にやるだろう。この先のどんな障害も、蹴散らして進んでいくだろう。
- 202 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:41
-
「ハルも毎日、先生と一緒にいたい」
体を起こして、抱きしめる。抱きしめて、口づける。
夏になったら、ふたりで向日葵を育てよう。なんとなくそう思った。
< 最終章 「永遠」 了 >
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:43
-
< 「向日葵」 完 >
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 18:53
- ありがとうございます
一応完結しましたのであげておきます
>>187
なんでそんなことまで知ってるんですカー(タラ子)
>>188
ありがとうございます
ペーパードライバーわかり辛かったですか申し訳ありませんでした
ばあちゃんとしかいい思い出がまだないので、これから作ってやりたいと思っています
>>189
ありがとうございます
ともすればこれ同じ話じゃん!と自問してしまいまして
そう言っていただけるのが本当に励みでした
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 19:00
- 拝借した語彙がいくつかあるので明記しておきます
レス番179「どうしよう、ね、どうしよう」
スマイレージ『どうしよう』より
同200「もっとずっと一緒にいたかった」
ベリーズ工房の同名曲より
同じく200の「いつか、死が二人を分かつまで。」
過去に自分が書いた物より、自己模倣です
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 19:02
- 長らくのお付き合いありがとうございました
また、単なる同じ話なのに長期間お待たせしてしまい申し訳ありませんでした
もうしばらく続けるつもりでおりますので、忘れた頃にでもまた遊びに来てください
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/23(日) 21:00
- >>205
もうひとつ忘れてました
レス番194「(たくさん)笑って、たくさん食べて」
モーニング娘。『涙ッチ』より
- 208 名前:名無ししいく 投稿日:2014/11/24(月) 01:48
- 2人がより仲良くなってるようで、続きのお話が嬉しいです
幸せなお話をありがとうございます!
まだ続きを読ませていただけるのですね、楽しみです
- 209 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/11/24(月) 11:05
- 幸せなお話、本当にありがとうございました
向日葵を思わせる二人の笑顔がずっとずっと続きますように、と願ってやみません。
もうしばらくこの世界にひたらせていただけること、楽しみにしています。
- 210 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/11/30(日) 16:30
- 完結しちゃったー
毎回更新が楽しみでした
ってまだ続くって嬉しすぎる
歌詞の一部が入っているのも読んでて楽しいです(^^)
- 211 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:11
-
命脈
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:12
- 「あのね。これから、ハルちゃんと一緒に暮らしたいの。いい?」
帰ってすぐに、すごく改まって両親と対峙した。
「いいけど。今はそうじゃないの?」
なのにあっけらかんと、おかあさんは言った。
「今はそうじゃないのって、どういう意味ですか?」
ハルちゃんが、素朴な疑問を口にする。
「実質、一緒にいるもんだって思ってたから。大学生のひとり暮らしなんて、そんなもんでしょ?」
確かに周りにはそういう友達も多かったし、それが悪いことだとは思わない。
「そうなの?」
ハルちゃんの疑問が、私へ向かってくる。
「みんながみんなじゃないけど、結構聞くかも」
「そうなんだ」
ハルちゃんはそれをわかっていて、風潮に流されまいとしているのかなと思っていた。
そうじゃなく、ただ自分を律して私を大切にしてくれていたんだなと、今さら気づく。
- 213 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:13
- 「ここに帰ってきた日が初めてだったね、夜ずっと一緒にいたの」
「そうですね」
「正確にはあやは何回も泊まって行けばって言ったけど、ハルちゃんは絶対に帰ったの」
不満だったわけじゃないけれど、淋しかった。
「迷惑、かけちゃいけないと思って。まだ高校生だから」
淋しかったのは私だけじゃないと、もちろんわかっている。
一緒にいたい気持ちを強く抑えてきたのは、むしろハルちゃんのほうだっただろう。
「ハルちゃん、真面目なんだね」
「真面目じゃないです、普通ですから」
おっとりと言うおとうさんに、ハルちゃんは苦笑いで答える。
- 214 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:14
- 「そうだ、おせち食べる?」
「はい」
身構えて話すつもりだったハルちゃんの、気が抜けるのがわかる。
一段に詰めなおした重箱を、おかあさんが運んできた。
「ねえホントにハルちゃんの分しかなくない?」
「ハルそんなにたくさん食べないから、先生の分もあるよ」
「そうじゃなくって、あやの分とってくれてないことが問題なんだけど」
「あやいつもおせちそんなに食べないでしょうに」
それは、確かにそうだったけれど。他のものだってあるから、いいけれど。
「今年は結構手伝ったから、食べたかったのに」
「手伝ってくれたのはハルちゃんでしょ」
「ちゃんと二人分あるんだから、喧嘩しないで」
ハルちゃんが小皿に紅白なますを取ってくれた。
「先生が千切りしたやつ」
「うん。ありがとう」
我ながら単純で呆れるけれど、いつもよりおいしく感じた。
そうして四人で、しばらくは楽しげにいたのだけれど。
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:15
- 「ハルちゃん。どうしたの?」
「ん?」
「さっきからずっと喋ってないし、顔色もよくない」
食事が進むにつれ、ハルちゃんの様子がおかしくなった。
「あー、だいじょうぶです、時差、考えてたんです。電話しようと思って」
「時差…お父さんに?」
「そうです。あの人の家だし言っておかないと」
「ひとりの方がいい?」
「居てほしい。だから今しようって」
確かに、ひとりの方がいいなら、帰ってからすればいい話で。
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:16
- 「お父さんと、どれぐらいぶりなの?」
「会ったのは、ばあちゃん亡くなったときが最後なんだけど…」
ハルちゃんは、腕を組んでじっとうつむいた。
「ちゃんと話すのは、初めてな気がします。何も記憶にない」
思いつめないと、血縁の父と話せない。そのことを、絶対に自分と同じものさしで測ってはいけない。
「代わりに、私が話そうか?」
「自分で、やります」
見るともなしに、操作される電話を見た。ハルちゃんは、名前が空欄の番号に発信する。
おとうさん、おかあさん、パパ、ママ。何も考えずそう登録できることについて、改めて考える。
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:18
- 「あ…ハルです。今、いい?」
繰り返される瞬き。手をつなぐと、びっしょり汗をかいていて。
「あのー、今、付き合ってる人がいて。その人とうちで暮らしたいから、許可もらおうと思って」
単刀直入だな、と思った。でも、置きたくても置ける前置きがないことも、わかる。
「ばあちゃんとこから移ったときに、教科書違うからちょっとの間だけ塾行ったんだけど、そこの先生」
淡々と、ありのままを話すハルちゃん。かすかに、ハルちゃんのお父さんの声が漏れ聞こえてくる。
「五歳上。そのときからじゃないよ、ちょっと前にまた会って、ハルがまだひとりだから気にかけてもらって」
せわしなく動くまつげ。すごく長いなって、無関係に思う。
「来年大学卒業したら、先生地元戻るから、それまでの間。うん、いつか追いかけるつもり」
あと一年しかない。ううん、一年もある。
「別れたら?考えたことないけど元のひとりに戻るだけで、今までと同じじゃないかな」
お父さんも黙ってしまったようで、数秒沈黙が流れる。
「いい?ダメだって言われても、先生の方に住むだけだけど。黙ってるのやだったからちゃんと言っただけ」
ハルちゃんがぎゅっと私の手を握った。唇が震えている。
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:19
- 「父さん」
簡単な文字列の発音が、ハルちゃんにはこんなに難しい。
「ありがと。ずっとハルにお金出してくれて、感謝してる。もうちょっとだけ、学費とかお世話になるけど」
遠く異国にまで、この懸命な声は届いているだろうか。
「ハルのことはもうそれ以外いいから。でも、今度は逃げないで、ちゃんと親になりなよ」
おとうさんの心にまで、ちゃんと伝わっているだろうか。
「籍入れるよう言ってって、奥さんから何回か連絡あったよ。ちゃんとって、まずはそういう意味だから」
ハルちゃんはいつもの早口を抑えて、ゆっくり、静かに話し続ける。
「ばあちゃんにさ。あの子を恨まないで、ばあちゃんの育て方が悪かったせいだから、ばあちゃんが悪いんだって」
初めて、聞く話。心が、痛い。
「そう何回も何回も言われたの。だから恨んでないから。元々何もされてないし恨んでなかったけど」
あの人を嫌いじゃない、とは聞いたことがある。嫌うほどの関わりもなかったからと。
「でもそっちの子を、もうハルと一緒のほったらかしにはしないで。お願い」
限界を超えて絞り出される声。私は、私のおとうさんが泣くのを、初めて見たと思う。
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:20
- 「うん、ありがと。元気でね」
ハルちゃんが、電話を切る。大きく、ため息をひとつ。
「だいじょうぶ?」
「うん。でも、疲れた」
両親の前だったけれど、私はためらわずハルちゃんを抱きしめた。
必要なら、私はハルちゃんの母にもなる。今はきっとそのとき。
「がんばったね」
ハルちゃんは放心状態で、どこにも力が入らない体を預けてくる。
「少し早いけど、もう休もうか」
「先生一緒にいてくれるの?」
「うん。そばにいるよ」
おとうさんとおかあさんが、リビングにお布団を敷いてくれた。
- 220 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:21
-
「あの人ちゃんと籍入れるって。よかった」
「うん。よかった」
「ハルみたいなの、ハルだけでいいよ」
うつろに、うわごとのように言うハルちゃんの頭を撫でた。
ハルちゃんをひとり置いて帰郷する私は、ハルちゃんのお父さんと同じじゃないのだろうか。
気を失うように眠ったハルちゃんを見つめながら、終わらぬ自問を、ずっと続けた。
< 「命脈」 了 >
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:26
- 引用語彙につきまして
レス番214「しばらくは楽しげにいた」
山口百恵さんの『秋桜』より
高橋愛さんがカバーしていたかと思います
- 222 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/14(日) 17:34
- たくさんのレスをありがとうございます
とてもとても励みになりますので
お気軽に書き込みをお願いいたします
>>208
ありがとうございます
出来る限り続けていきたいと思っていますので
これからもお見守りください
>>209
ありがとうございます
向日葵を育てるところまで生きたいと思っていますので
これからもお付き合いいただければ
>>210
ありがとうございます
歌詞は今後もがんばってこっそり忍ばせていきます
- 223 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/12/15(月) 21:22
- 更新ありがとうございます
ハルちゃんがんばった ;・(つД`);・
- 224 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:04
-
星彩
- 225 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:05
- 「ハルちゃん、自転車借りていい?」
生家から戻って数日のうちに、必要な荷物をハルちゃんの家に運んだ。
「いいけど、どこ行くの?」
そうしてふたりで暮らし始めて、またたく間に半月ほどが過ぎた。
「コンビニ。食器の洗剤切らしちゃったの」
「あーごめん。昨日残り少ないから買ってこなきゃって思ってたのに忘れてた」
一日交代で、夕食の後片付けをする。今日は、私の当番。
そのほかの家事は、ハルちゃんのお父さんの強い希望もあって、家政婦さんにお願いしている。
あれから私も、ハルちゃんのお父さんと直接話した。
お父さんにも、ハルちゃんへの思いはある。その表現は不器用で、あまり伝わってないけれど。
- 226 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:05
- 「ハルも行く。一緒に歩いて行きましょ」
「忙しくないの?」
「うん。これはべつに今やんなくていいことだから」
分厚い参考書を閉じて、ハルちゃんが立ち上がる。
「あやなんて、やらなきゃいけないことにも追いつけてないのに」
「なんなら、片付け毎日やりますよ」
「ありがとう。でもそれも、ちゃんとやらなきゃいけないことのひとつだから」
「んじゃ、もし切羽詰まったら言ってください」
「うん」
家を出て、手をつないで歩く。
このまま、時間が止まればいいのに。ときどき、心からそう思う。
- 227 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:07
- 「駅前じゃなくて、もういっこ向こうのコンビニまで行きません?」
「うんいいよ。そこなら何かあるの?」
「わかんないけど、歩きたいから」
少しずつ、小さなわがままなら言ってくれるようになった。
「ローマまで歩いて行こっか」
「ん、いや、いっこ向こうで十分ですけど」
「ローマにコンビニってあるのかな?」
「どうだろ?ヨーロッパって、休日にちゃんと休むイメージだけど」
くだらない話が、とても楽しい。もちろん沈黙だって、ちっとも怖くない。
- 228 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:07
- 「洗濯の方の洗剤も、もうあんまりなかった気がするんですよ」
「んじゃついでに買っちゃおう」
店に着いて、なんとなく通路を行ったり来たりする。
冬限定のチョコレートや、まだ間に合うイルミネーションの特集雑誌。
買うわけじゃなく行くわけじゃないのに、いつもよりキラキラと目に映る。
「いるものあった?」
「んー、なんもなかった」
「もうレジ行っていい?」
「うん」
必要な費用は、半分ずつにすることに決めていた。
自分のとは別のその財布で、会計を済ませる。
- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:09
- 「ねえ、ハルちゃん」
「はい」
ゆっくりゆっくり、帰り道を歩く。
「一緒にいるようになって、少し経つじゃない?」
「そうですね」
「何か我慢したり、不満に思ってることとか、ない?」
「ないよ。何で?」
「何でっていうか、一般的な話。ないならいいんだけど」
「全然ない」
ハルちゃんの言葉に、嘘やごまかしは感じられなかった。
ならば、初めての夜以来求められていないことも、気にしなくていいのかもしれない。
- 230 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:10
- 「ねえ先生、覚えてます?」
「何を?」
「初めて、手、つないだときのこと」
覚えている。ハルちゃんとのことは、まだ全部。
「うん。駅で、助けてくれたとき」
そのうち記憶の容量がいっぱいになったとしても、そのことは忘れない。
「あのとき、なんであんなこと言ったんだろうって、ときどき思うんですよ」
「あんな、って?」
「迎えに行くから電話しろとか、そういう」
嫌われたと思っていたのに、思わぬ声をかけてくれてびっくりした。
「嬉しかったよ、心配してくれて」
「そう。心配だったから、なんですけど。でもそんなの、ハルの役目じゃないのに」
どう返せばいいのかわからず、私は黙ってハルちゃんの問わず語りを聞く。
「ハルには関係ない、先生はもういい大人なんだから放っておけばいいんだって、思おうとして」
でも口が先に、勝手なこと言っちゃってて。小さな早口を聞き逃さないように、静かに歩く。
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:11
- 「ありがとう、助けてくれて」
「いや、何もしてないし。たまたま買い物行ってよかった」
「ハルちゃん声かけてくれなかったら、どうなってたんだろうね?」
「あの調子で嫌がって逃げたら、すぐ諦めたはずですけど」
「そっか」
「そっかじゃないですよ」
突然の大声に、驚いて立ちすくむ。
「今度から絶対目を合わせたり口きいたりしちゃダメですからね!」
思い出し笑いならぬ、思い出し怒りというのがあるのだと思う。
「わかった。ごめん」
「ごめんとかじゃなくて。ちゃんと、電話してくださいね」
「うん。ありがとう」
「すいません。もう終わったことなのに」
「ううん。これからのことでもあるもん」
「ごめんなさい。怒鳴ったりして」
自分でも予定外の声だったのだろう、ハルちゃんは本当に困った顔をしている。
- 232 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:11
- 「ありがとう」
重ねて言うと、手を強く握りなおしてくれた。
家に向かって、再び歩を進める。
「その答えが、ね」
うつむいて歩きながら、ハルちゃんが言う。
「答え?」
「なんで、あんなこと言っちゃったかっていう理由。それが、やっとわかった気がして」
ハルちゃんは足を止めて、私に向き直った。
「先生」
「ん?」
まっすぐな目に、私はどんなふうに映っているのだろう。
- 233 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:13
- 「好きです」
突然の告白に、息が止まる。
腕の中に、滑り込む。抱きとめて、抱きしめてくれる。
「初めて、言ってくれた」
「ごめんなさい。好きだからだって、やっとわかったんです」
「謝らないで。ちゃんと伝わってたから」
好きだから守りたい。だってそれは私も、同じ気持ち。
「好きです」
小さな声で繰り返すハルちゃんの頭をなでる。
耳へと降り注ぐ、愛する人の、愛の言葉。
「私も、ハルちゃんのこと大好きだよ」
「言いたかったんです、ずっと」
「全部、伝わってたから。でも、言ってくれて嬉しい」
ハルちゃんが、私を包む。この腕の中でなら、折れて砕けても構わない。
- 234 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:14
- 「先生」
至近距離で、見つめられる。恥ずかしさに、目を伏せる。
コツンと、額がぶつかる。
「なに?」
心を決めて、まぶたを開く。
「したい」
数秒考えて、意味を理解する。
「うん。急いで、帰ろう」
陸上部だった私は、ハルちゃんの手を引いて全力で駆けた。
- 235 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:15
-
「待ってよ、ハル荷物持ってるんだから」
「待たない」
玄関で、靴を脱ぎ捨てる。互いを隔てる服がもどかしいほど、固く抱き合う。
そしてまた私は、雨に濡れた。
< 「星彩」 了 >
- 236 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:21
- 引用語彙につきまして
レス番227
>沈黙だって、ちっとも怖くない。
タンポポの「BE HAPPY 恋のやじろべえ」
「沈黙なんて怖くない恋人になりたい」という部分より
また同じレス番の「ローマまで歩く」という部分は
過去に書いたものより自己模倣です
- 237 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/19(金) 21:22
- >>223
ありがとうございます
ちゃんと親に話してから、一緒に暮らさせてやりたかったんです
- 238 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/12/21(日) 19:22
- あまーい(*´Д`*)
なんかいいなこの二人
本章はあやちょ視点なんですね
- 239 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:07
-
葛藤
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:09
- 今日の夕食の片付けは、ハルちゃんが当番だった。
片付けといっても、使った食器を洗えば終わり、というわけじゃなくて。
残りがあれば鍋から器に移したり、その鍋を洗ったり朝の献立を決めたり、思うより忙しい。
家政婦さんが作ってくれている常備菜が少なければ、次の日の朝は冷凍してあるパン。
まだたくさんあれば、朝のためのお米を洗う。そんな判断も仕事の一部で、早くとも十数分はかかる。
ハルちゃんの家は広い。それは、いつかお父さんが日本に戻るとき、家族で住むつもりだからで。
キッチンもファミリー向けに、一部がリビングと対面になっている。
当番じゃない方は、そこから見えるテーブルで、自分のことをしながら待つのが、習慣になっていて。
自分のことといっても、レポートや読書や予習などさまざまなのだけれど。
私はその日、なんとなく毎月買っている雑誌を、ふんわり広げて見ていた。
しばらくして、ことん、と目の前に湯飲みが置かれる。
「ありがとう」
「明日パンね」
「うん」
ここまでは、ルーティン通り。
その後いつもならハルちゃんも、隣でノートや参考書を、広げるのだけれど。
今日は、ただ黙って、お茶を飲んでいて。
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:09
- 「先生」
「ん?」
「さっきからずっと同じページ見てるよね」
「え…そう?」
「あっちから、見てたもん。何か大事なこと書いてあるの?」
よく見ると開いているのは、広告のページだった。
「あ…うん」
「見せて。いい?」
雑誌を自分の前にずらして、ハルちゃんはそれを見つめる。
「ほとんど、写真じゃん?」
「そう、だね」
ハルちゃんは椅子を寄せて、頑なに目を逸らす私の顔を覗き込む。
「どうしたの?ハルでいいなら、話して」
一緒にいるようになって、膨らむ思いがはじけそうになっていた。
- 242 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:10
- 「こっちで、就職考えようかなって」
「なんで?」
「ハルちゃんを、ひとりにして帰りたくないから」
「物理的に離れちゃうくらいでひとりにされたなんて、ハル思わないよ」
ただのわがままだって、わかっている。でももう、黙って心に蓋は出来ない。
「イヤなの」
「ダメだよ、帰らなきゃ」
「イヤだ」
ハルちゃんが、私の手に手を重ねた。
「先生。こっち、向いて」
言われた通りにすると、ハルちゃんがみるみる滲んだ。たまらずに、目を伏せる。
「ハルに会わなかったら、帰るはずだったんでしょう」
「…うん」
「それは、なんで?家族とか町とか、好きだからでしょ?」
「そうだけど。でも今はそんな全部よりハルちゃんが大事なの」
けれどそんな理由で残れば、ハルちゃんに重い荷物を背負わせてしまうことになる。
「先生。いつか絶対追いかけるから、信じて」
「そうじゃなくて。私が離れたくないの」
ハルちゃんのためじゃない。ただの利己的な気持ち。
「そこまで遠くないでしょ。ちゃんと会いに行くから」
「イヤだ。何年も何年もハルちゃんと離れたくない」
それ以上、言葉が出てこなかった。代わりに涙があふれてくる。
ハルちゃんは私を抱き寄せて、泣き止むまで黙って髪を撫でて、涙を拭ってくれた。
- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:12
- 「だいじょうぶ?」
「ごめんね。困らせて」
「落ち着いた?」
「うん。頭の中は、ぐちゃぐちゃだけど」
正解は、どこにもない。間違いもない。
「ゆっくり、一緒に考えましょう。今日は保留でいい?」
「うん」
だからふたりの答えまで、たどり着くしかない。
「もう一回、お茶いれて来ますね」
立ち上がったハルちゃんを目で追いながら、深呼吸をした。
私は家族のいるところへ帰るのに、ひとりになるハルちゃんを困らせて、いったい何をしているのだろう。
再びことん、と湯飲みが置かれる。
「ポットのお湯じゃないから、ちょっと熱いかも」
「ありがとう」
「あっちぃ、やべっ」
自分で言った端から、やけどしそうになるハルちゃん。きっと、わざとだ。
ほかにもいくつか冗談を言って、ハルちゃんは私を笑わせてくれた。
- 244 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:13
- 「先生、もう、だいじょうぶ?」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、ちょっと先に、寝てて。少し、散歩してきます」
「待って、ひとりになりたいなら、あや今日は自分のところで寝るから」
空いていた部屋に、私の荷物を入れさせてもらっている。
だからそこにベッドもあるのだけれど、今は毎日、和室に床を並べて寝ていた。
「そうじゃないんです、一緒には寝たいから、いつも通りにしてほしい」
「でも、もう遅いし寒いのに…」
「すぐ戻ります。探しに出たりしないでね」
「絶対、帰ってきてね」
「先生以外に、帰るところないですから」
口づけをひとつ残して、ハルちゃんはふらりと出て行った。
私はふたつお布団を敷いて、少し迷って、家の明かりを最小限に落とした。
きっと外から見て暗いほうが、ハルちゃんは帰って来やすい。
- 245 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:14
- 全身を耳にして、寝間に横たわる。暗闇を見つめて、どのくらい時間が経っただろう。
静かに、玄関が開く音が聞こえた。いつもの場所に、鍵を置く音。上着を脱いで、ハンガーに掛ける音。
ハルちゃんの部屋のドアが、軋む。そのまま、部屋でひとり寝てしまうのかもしれない。
飛び出したい衝動を抑えて、じっと待つ。だいじょうぶ、きっと来てくれる。
もう一度、ドアの音。続く静かな足音が止んで、ハルちゃんがそっと和室のふすまを開けた。
「おかえり」
「…ただいま」
「こっち、おいで。お布団あったかいから」
「いや、でも」
「いいから早く」
半ば強引に、隣に引き込んだ。
ハルちゃんの体は芯から冷えている。
「どこ行ってたの?言いたくないならいいけど」
「駅と反対の方の公園、わかりますか?」
「象の滑り台の?」
「そうです。ミルクティー買って、そこの、ベンチで飲みました」
「寒かったでしょう」
「うん。先生。…ごめんなさい」
「どして謝るの?」
「ハルのせいで、また布団冷たくなっちゃって」
まだ凍える頬を、両手で挟んだ。抱きしめて背中を撫で、体温をハルちゃんに移す。
- 246 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:15
- 「あやの方こそごめんね。ただのわがままだってわかってるのに」
「ハルも、また先生の好意を踏みにじっちゃって」
「そんなこと、ないよ」
「せっかくハルのこと考えて、言ってくれたのに」
「ううん。自分のことしか、考えてなかった」
取り返しなんてつかなくて、ただ謝るしかない。
「前に、時々一緒にご飯食べようって言ってくれたのに、拒んじゃったでしょ」
「そうだったね」
「さっきも、同じことしちゃって。全然成長してなくて、自分で自分に腹が立って」
「でもあのときは、自分が傷つかないためだったんでしょう?今日は違うよね」
「わからない。違わないかもしれない」
ハルちゃんは私の胸に、強く頬をうずめた。
「正直に言えば、ハルも離れたくないです」
「ごめん。あんなこと言ったって困らせちゃうだけなのに」
「今までハルばっかわがまま言ってたから、ちょっと嬉しかった」
ハルちゃんのわがままなんて、全部些細なことだった。
大きいことは黙って我慢ばかりしているのではと、改めて思い至る。
- 247 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:16
-
「ごめんね。本当にごめん」
「ううん、先生。何も聞かないで、一ヶ月だけ、結論出すの待ってもらえますか」
「うん。わかった」
「こんな時期に一ヶ月って、だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶだよ」
どうにでもなる。何とかする。一緒に進むためなら。
「このまま、寝てもいい?」
「うん」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
ほんの数分で、ハルちゃんは寝息を立て始めた。
眠れそうにない私は、羊の代わりに、その寝息を数え続けた。
< 「葛藤」 了 >
- 248 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/25(木) 20:20
- メリークリスマス&よいお年をお迎えください
>>238
ありがとうございます
何かわからないですが、なんかいいですよね
自分は工藤のヲタなので、工藤を見る視点の方が書きやすいんです
- 249 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/12/26(金) 23:03
- 更新ありがとうございます
二人の気持ち・・・切ない。。。
>書きやすい
ということは、本章もハルちゃん視点でも今回も楽しめるって事ですかね?
だったらなお楽しみ!ですが(^^;
- 250 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/12/27(土) 10:01
- 更新ありがとうございます。
ハルちゃんにしても、和田さんにしても。一歩踏み出し、またそこで迷う。
馬齢を重ねてしまった身からすると、いくらでも勝手なことを言えてしまうのかも、ですが。
でも、その迷いと足踏みが、どうぞ明るい先へとつながりますようにと、心の底から願って
やみません。
私事ながら、うち担当のサンタが年末に風邪という手荒いプレゼントを置いていったので、
こちらの更新がありがたいプレゼントとなりました。ありがとうございました。
どうぞ、作中のみなさんにも、その世界をつむがれる方にも、よいお年を。
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:45
-
心礎
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:47
- 「明日から、ちょっとの間予備校に行くことにしたんです」
「そうなんだ」
ハルちゃんがそう言い出したのは、私がハルちゃんを困らせた日の、すぐ後のこと。
「帰るの遅くなるから、待たないでごはん食べちゃってください」
「うん。いつまで?」
「えっと、二週間ぐらい」
何も聞かないで。あの夜の言葉と関係あるような気がしたから、何も聞かない。
「うちで食べるの?済ませてくる?」
「まっすぐ帰って来ます」
「じゃあ、連絡くれたら、ちょうどいい時間に温めて待ってるから」
「うん。ありがと」
ハルちゃんを待つ、いつもより長く感じる日々も、半分の一週間が過ぎた。
- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:48
- 「ただいまー」
「おかえり」
「お腹すいたー」
玄関まで迎えに出て、真っ赤な頬を両手で挟む。
「今日寒かったね」
「うん。ねえごはんコタツで食べたい」
「わかった。手洗っておいで」
温めたおかずとご飯を盛り付けて、ハルちゃんのところへ運ぶ。
「いただきまーす」
ハルちゃんは、最近本当によく食べるようになった。
「この肉じゃがって、もうない?」
「あるよ、入れてくる。ごはんおかわりは?」
「ちょっとだけお願いします」
隣に座って見ているだけで、少し幸せな気持ちになれるぐらい。
- 254 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:49
- 「肉じゃが、美味しい?」
「うん。美味しい」
「ちょっと時間あったから、教わりながら、あやが作ったの」
「マジで?すごいじゃん。今日誰来てくれたの?」
「須藤さん。この頃たくさん食べてくれて嬉しいって」
「献立は前とそんなに変わってないのに、全然飽きなくて」
聞けば以前には、まったく手つかずのまま翌日に残っていることもあったという。
成長期だから心配だった、本当によかったと、須藤さんはしみじみ言っていた。
「何か食べたいものがあれば、いつでも対応しますからって」
「あー、前もそれ言ってくれてた気がする。でもそんときは何も浮かばなかった」
「一食で栄養を計算すると、丼とかカレーとかはどうしても難しいんだって」
「偏らないようにしなきゃいけないもんね」
一日の中での調整が出来ないために、単品ものはメニューに載りにくい。
「それから熱くないとダメなものも避けてたけど、食べる前に手間かけてもらえるなら出来ますって」
「どんなの?」
「麺類とか、グラタンとかかな」
「グラタンて、熱いの?給食のやつ別に普通だったけど」
不意に胸が詰まって、何も言えなくなる。
- 255 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:53
- 「どしたの?」
「なんでもない」
涙が、流れていた。ハルちゃんが慌てて箸を置いて、私の頬を拭ってくれる。
「ごめん。ハルなんか変なこと言った?ごめん」
「違うの。違う…」
子どもの頃、そんなに頻繁じゃなかったけれど、グラタンが食卓に上がった。
その日はオーブンを覗き込んで、少しずつ焦げ目がついていく様子を飽きずに眺めて。
お鍋をつかむ大きな手袋をしてオーブンから出すのを、危ないからとさせてもらえなくて。
それを任されたとき、大人に近づけた気がして、とても誇らしかった。
火傷をしないように息を吹いて冷ましながら、少しずつ口に運んで。
そんなの当たり前の思い出だと、今まで気に留めたこともなかった。
「グラタンは、すごく熱いの」
「そっかじゃあ、今度おかあさんに教えてもらって、一緒に作ろ」
「うん」
「泣かないで」
「うん」
ハルちゃんは私を抱き寄せて、子どもにするように、私の頭を撫でてくれた。
「続き、食べて。ごめん」
「ホントにだいじょうぶ?びっくりした」
「ごめん。だいじょうぶ。ごめん」
「また作ってね。美味しかった」
「うん。ほかにも教えてもらって、覚えるね」
そうして残り半分の日々も、なんとか過ぎて行った。
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:53
- 「明日の夕方で、予備校終わりなんです」
「そう。お疲れさま」
ハルちゃんの遅い帰りを迎えるのも、今日で最後。
「待ち合わせて、外でご飯食べませんか」
「うん。食べたいもの、ある?」
「あー。ごめんなさい、何も店知らなくて…」
「とりあえず迎えに行くね。どこかでグラタン食べよっか」
「初めては、おかあさんのやつがいいな」
結局、いつものあおい軒で食事をして、家に帰る。
- 257 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:54
- お茶を入れてコタツに落ち着くと、ハルちゃんがカバンから何かを取り出した。
「昨日と今日、模擬試験、受けたんです。センター試験の」
「終わったばかりのこんな時期にも、やってるの?」
「結構探したんですよ。そしたらあったけど、在籍しないと受けられなかったから通って」
「そっか。そうだったんだね」
「せっかくだから真面目に授業も受けたんですけど」
ハルちゃんはこのところずっと、夜中に寝床を抜け出して、明け方に戻って来ていた。
気づいていないふりを続けたけれど、無理をして倒れはしないかと、気が気じゃなかった。
「見てください」
差し出されたのは、自己採点の用紙。
「満点って800点、だっけ。ということは8割…」
「には、ちょっと足りなかったですけど」
「まだ一年生なのに、すごいね」
「普通にあと二年やれば、満点近く取れると思うんです」
「ねえ。よくうちの塾なんかに来たよね」
「出会う運命だったんですよ」
神様が、微調整してくれたとしか思えなかった。
私がアルバイトしているのは、進学塾じゃなく補習塾。
だから本来なら、ハルちゃんが来る必要などないはずのところで。
それにしても、ハルちゃんの意図はどこにあるのだろう。
- 258 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:55
- 「先生の家の近くにも、大学あるでしょ」
「うん。でもあそこは医学部以外あんまり行く意味ないって…」
「医学部には、行く意味あるんですよね?」
全部、わかった。
「裏を返せば、そういうことになるね」
「それなら、離れるの一年だけでいいですよね?」
これだけの成績を私に見せて、安心させようとしてくれていたこと。
「それで、本当にいいの?」
「これしかないですから」
「仕事も、決まっちゃうことになるよ」
「考えてはいたんですよ。先生のおかげで、覚悟が出来ました」
腕を伸ばして、ハルちゃんを抱きしめる。
「ハルちゃん、カッコいいね」
「初めて言われた」
「いつも思ってたよ」
ハルちゃんの体重が、私にかかる。押し倒されるのかと、少し身構える。
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 09:57
-
「眠い」
それだけ呟くと、ハルちゃんは私の輪郭に沿って崩れ落ちた。
「こんなところで寝ちゃダメ、ちょっと待って」
急いでお布団を敷いて、ハルちゃんをそこに押し込める。
「カッコ良すぎるでしょー」
幼さの残る寝顔を見つめて、短い髪をそっと撫でた。
私も、負けずにきちんと足元を固めよう、そう強く決意をした。
< 「心礎」 了>
- 260 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 10:01
- 本年もよろしくお願いいたします
>>249
ありがとうございます
この先は時系列を戻さずに続けていくつもりなのですが、
工藤側から書くこともおそらくあるかと思います。
でも先のことはあまり考えておらず、そして今回で本当にわからなくなりました(笑
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 10:10
- >>250
ありがとうございます
お風邪はよくなられたのでしょうか、ご自愛ください
今もまっすぐ歩けてはいませんが、若い頃の迷走を果たして描けるのか。
頭を抱えて悩む日々ですので、また励ましていただければと
- 262 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 20:42
- 更新ありがとうございます。
何度もなんども読み返しては涙したり温かい気持ちになったりしています。
これから先どうなっていくのか分からないけど、どうか幸せであって欲しいと胸を痛めていますw
次回更新も楽しみにしてます!グラタンが食べたくなりました
- 263 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/01/04(日) 17:55
- あけおめです
更新ありがとうごございます
私も何度も読んで物語に浸っちゃいます
なんででしょうね なんか引き込まれちゃうんですよね
ハルちゃんの「ねえごはんコタツで食べたい」って所が自分的にグッときました
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:14
-
干天
- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:14
- 「予備校、ホントにもう行かなくていいの?」
「はい。三年生になって、必要だなと思ったら行きます」
「そっか。まだあと二年あるんだもんね」
「今は、先生とちょっとでも長く居たいし」
その日、私とハルちゃんは、コタツでなんとなく、一冊の情報誌を見ていた。
寒さのあまり家にばかりいるから、どこかに出かける相談をしながら。
- 266 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:16
- 「何か見たい絵、来てます?」
「んとねえ…。あの観覧車の下の美術館で、ミレー展やってるみたい」
ハルちゃんがモディリアーニのときと同じ、頭の中のページを繰る表情になった。
「落穂拾い、とかの」
「そう。ホントにハルちゃんの頭の中って、何でも入ってるんだね」
「違いますって、たまたま、教科書に載ってるぐらい有名だからですよ」
「落穂拾いがどこの所蔵かも、教科書に書いてある?」
「えっと、オルセー?」
テストのためなら、そこまで覚える必要はないはずなのに。
「そんなに知ってて、どうして見た絵のことは忘れちゃうの?」
「しょうがないでしょ。先生が可愛いのが悪いんですよ」
「またそうやってからかって」
「今度はちゃんと見ますから。ミレー展行って、観覧車乗りましょ。久しぶりですよね」
そう。観覧車に乗るのはあのとき、付き合ってほしいって打ち明けられたとき以来になる。
回数券を買うほど頻繁に乗っていたらしいのに、あれからハルちゃんに、そんな様子はまったくない。
- 267 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:17
- 「ねえ、観覧車の券、くれたじゃない」
「あー、一番最初のときですか」
「うん。あれは、誰かと使ってたの?」
「いえ。全部、ひとりでした」
ハルちゃんの顔が、少し険しくなった。
「なんで、誘ってくれたの?やっぱり、邪魔しちゃったんじゃない?」
「先生ハルのあだ名、覚えててくれたでしょ?」
「くどぅー?」
「そう。それで、びっくりして。思わずちょっと心を開いちゃったんです」
思わず、ちょっと。本当にそうだったんだろうなと、今さら感じる。
私は、開けてくれた扉の細い細い隙間から、運よく中を見せてもらえただけ。
「でも、驚くようなこと、何もないじゃない」
「だってほんのちょっとしか、通わなかったのに」
「忘れないよ。ハルちゃんとは、特にいろいろお話したし」
「ハルが家にひとりなこととかも覚えててくれて、嬉しかった」
気づかずにすれ違ってしまっても、おかしくはなかった。
出会えたのは、神様の気まぐれのおかげだったのだと思う。
- 268 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:18
- 「観覧車が好きだから、しょっちゅう乗ってたんだよね?」
「んーいや。今は、思い出の場所になったけど、そのときは、別に」
ハルちゃんの表情が険しさを増す。この話は、続けてもいいのだろうか。
「高いとこに行きたくて探したら、あそこが一番近かったから」
「そっか。そういえば高いところ好きだからって、言ってたね」
「いつ?」
「観覧車の下で、会ったとき」
「言いましたっけ?」
「聞いたよ。このごろ行ってないのは、たまたま?」
「本当は、好きっていうのとは、ちょっと違うんです。もうあそこには、行く必要が、なくなって」
ハルちゃんの顔色から、血の気が引いていく。
「必要?」
ハルちゃんが口元を抑えて、お手洗いに走って行った。
追いかけて、繰り返し嘔吐するハルちゃんの背中をさする。
「お水、持って来ようか」
「おさまったんで、だいじょうぶです」
「ごめん。何か悪いこと聞いちゃったのかな」
「そういうわけじゃ、ないんですけど。こっちこそすみません」
ハルちゃんは洗面所で口をゆすいで、少し落ち着いたみたい。
- 269 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:19
- 胃を抑えてふらつくハルちゃんを支えて、コタツに戻る。
隣に座って、ぐったりと突っ伏する背中を、そっと撫でる。
「だいじょうぶ?ごめんね」
「先生が悪いんじゃないですよ」
「あやのせいで、好きな時に好きな場所へ行けなくなったんじゃないかなって、気になっただけなの」
「そんなことないです」
ハルちゃんはころんと横になり、私の膝に頭を預けた。
「大切な場所だから今は好きだし、一緒になら行きたいけど」
「私にも、すごく大事な場所だよ」
「ひとりで、行ってた頃のこと、思い出しちゃって」
「楽しくないことなんだね」
髪を撫でる。血の気が引いたまま冷たい手を、そっと握って温める。
- 270 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:20
- 「やなことが、あったときに。高いところに、上って、下を見て…」
「無理に話さなくて、いいよ」
「ここから落ちれば、いつでも死ねるって思ったら、安心できたから」
ゆっくりと瞬きを繰り返す、大きな目。
「あの日はどんな、いやなことがあったの?」
「わかんない。ありすぎて忘れました」
あんなに屈託なく笑って、私を誘ってくれたのに。
「何かあったかいの、いれて来ようか」
ハルちゃんは起き上がり、激しくかぶりを振って、私にしがみついた。
「行かないで下さい」
「わかった。ここにいる」
震える体を、抱きしめる。頬に、強く頬を寄せる。
「人前では、取り繕っていられたけど」
「うん」
「ずっと、辛かった」
「うん」
「ハルのことなんて、誰も必要としてなくて。いなくなっても、誰も気づかない」
「そんなこと…」
そんなこと、なかったのだろうか。あの日、もし、出会わなかったとしたら。
誰が一番に、ハルちゃんが消えたことを知ったろう。私は、いつ知っただろう。
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:21
- 「生まれ変われば、今度は、誰か愛してくれるかなって」
「ちゃんと生きていてくれて、よかった」
足りない。何もかも、まだ足りない。
「向日葵の、種に、なりたかったんです」
「種?どうして?」
「ひと夏育ててもらうくらいだったら、先生の負担にならないんじゃないかなって」
ハルちゃんの心は、今も、冷たい夜の砂漠だ。
干上がった心をどれほど絞って、私に雨をくれたのだろう。
乾いた心をどれほど絞って、好きだと言ってくれたのだろう。
どうすればその心が、潤いに満ちるだろう。
どうすればその心の奥にまで、光が届くのだろう。
- 272 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:22
- 「ずっと一緒にいる。だからひと夏とか負担とか、もう言わないで」
「はい」
「何かあったら、必ず話してね」
「うん。そうしてるつもり」
「もしも嫌われても、あやは離れないから」
ハルちゃんの唇を、指でなぞる。唇に、唇を押し当てる。
「初めてだ。先生がキスしてくれたの」
「すっごい緊張した」
「可愛い。顔真っ赤」
少し笑顔を戻したハルちゃんを、再び強く抱きしめる。
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:23
-
「ハルちゃん」
「あのとき名前、覚えててくれたのも、すごく嬉しかったんです」
「ハルちゃん」
「もう誰も、ハルって呼んでくれないと思ってた」
「ハルちゃん」
私に降った慈雨を返せるのなら、何万回でもその名を呼ぶ。
「大好きだよ」
「ハルも。好きです」
言葉は、なんてもどかしいのだろう。
心を伝える術がわからぬまま、私はもう一度、ハルちゃんに口づけた。
< 「干天」 了 >
- 274 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:30
- レス番267
「神様の気まぐれ」はステーシーズの劇中歌『キマグレ絶望アリガトウ』より拝借しました
>>262
ありがとうございます
本当に、本当にこの先どう進むのかわからないのですが(笑
幸せでいてほしいのは自分も同じなので、おそらくだいじょうぶかと
自分も冷凍のものですがグラタンを食べましたw
- 275 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 16:36
- >>263
ありがとうございます
本年もよろしくお願いします
親に電話したりコンビニ行ったりご飯食べたりしてるだけの話ばかりで
こんなので面白いのか自問を繰り返す日々ですので、お褒めいただいて嬉しいです
書いているとき寒かったので、自分がコタツに入りたい気持ちがあふれ出ましたw
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 21:40
- 更新有難うございます。
ハルちゃんが先生にこういう話出来るようになったのか!と思ったり思わなかったり。
とりあえず、泣けました(笑)
皆さん仰ってますが、本当に何度読み返しても心にきます。全部。
どんどんハルちゃんが先生に甘えられるようになりますように。
毎日覗きに来てます。これからも楽しみにしています!
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/07(水) 21:46
- すみません、あげてしまいました…
- 278 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/01/08(木) 21:55
- 更新ありがとうございます
この物語に惹きつけられるものは
二人が幼いながらに一生懸命直向きに想いあっているところなんじゃないかと思います
すいません偉そうに(汗
毎回更新が楽しみです^^
- 279 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 21:55
-
献身
- 280 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 21:56
- 「ただいまー」
帰ってきたら一回は、玄関のチャイムを押すことに決めている。
今日はハルちゃんの方が先に帰っているはずなのに、反応がなく。
鍵を開けて家に入ると、靴も荷物もあるのに、リビングには気配がなかった。
珍しいけれど、自分の部屋にいるのだろう。
「ハルちゃん、入るよ」
ノックして扉を開けると、ハルちゃんはベッドに横たわっていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。なんか眠くて」
「いいよ、起き上がんなくて。ただいま」
目にかかる前髪を指で分けて、何気なく額に触れる。
- 281 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 21:57
- 「先生の手、冷たくて気持ちいい」
私の手が、とりわけ冷たいわけじゃない。
「ハルちゃん、少しおでこ、熱い気がするんだけど」
「あーそっか。なんか変に寒いな、と思ったんですよ」
「ちょっと、待っててね」
体温計を探して戻り、横になったままのハルちゃんのわきに挟んだ。
計測終了の音を待つ。電子音とともに、体温計を引き抜く。
「やっぱり、ちょっと熱あるね」
「8度5分、超えてました?」
「…そこに線引くのは、どうして?」
「それ以上だったら、弁護士さんに電話しなきゃいけないから」
「お医者さんじゃなくて?」
「弁護士さんが、タクシーとか手配してくれて、そのまま入院するんです」
食事は家政婦さんでまかなえても、こういうときはひとりじゃどうにもならない。
かといって、救急車を呼ぶほどでもない、微妙なライン。
「いつも具合が悪いとき、そうしてたんだね」
「はい。よっぽどのときだけだから、何回もないですけど」
「8度だったら、どうしてたの?」
「一晩寝ても下がらなかったら、自分で病院に行ってました」
もし神様が叶えてくれるなら、そのときのハルちゃんと替わらせてと願うだろう。
- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 21:59
- 「ちょっと超えてたけど、電話する?今夜一晩あやが様子見るんじゃ、頼りない?」
「あ…そうか…。でもそんなの…」
言葉を続けかけてやめると、ハルちゃんは私をじっと見た。
「そんなの、なに?」
「迷惑じゃないのって言おうとして、言ったら叱られると思ってやめました」
「ものすごく怒ったかも。ホントは思うだけでもダメなんだからね」
「ごめんなさい」
もう一度額に触れると、ハルちゃんはゆっくりと目を閉じた。
きっと本当に、私の手の温度が心地いいのだと思う。
「どこか痛いとか、ある?」
「ない。ちょっとぼんやりしてるだけ」
「ずっと寝不足だったでしょう?疲れが出たのかな」
「寝不足って、なんで?」
閉じた目を、重そうに開けるハルちゃん。
そういえば、まだ気づいていないふりを続けていたことを、思い出す。
「夜中にも、勉強してたでしょ、予備校行ってる間」
「あー、起こしてないつもりだった。ごめんなさい」
「別に悪くないのに、すぐに謝らないの」
「ごめ…えっと」
言葉に詰まるハルちゃんの頭を、そっと撫でた。
- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:00
- 「少しだけ、ひとりで待てる?」
「うん」
「今のうちにコンビニ行って来る。おうどんとおかゆどっちがいい?」
「おかゆ」
「わかった」
「やっぱうどん」
「食欲は、ないわけじゃないんだね。両方買って来るね」
「気をつけてね」
自転車を借りて出かけ、必要なものを揃えて戻ると、ハルちゃんは眠っていた。
枕を氷枕に替えて、額を冷やす。苦しそうな様子のない、静かな寝息に安堵する。
出来るだけそばを離れまいと、スタンドの灯りを頼りに、ハルちゃんの机で食事をする。
片付けて、素早く寝る支度をすませ、隣にお布団を運ぼうとしたところで、ハルちゃんが目を覚ました。
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:02
- 「具合、どう?」
「ちょっとスッキリした」
「そう、よかった」
体を起こしたハルちゃんに、薄めたスポーツドリンクを差し出す。
「すっごい喉渇いてた。ありがと」
手を伸ばして背中に触れると、じっとりと湿っていた。
「とりあえず、着替えようか。汗びっしょりだね」
「ホントだ。気持ち悪い」
お湯で絞ったタオルと、新しいパジャマを用意して、戻る。
「体拭くから、脱いで」
「いやだ、恥ずかしいから自分でやる」
「じゃああっち向いて。背中だけ拭いてあげる」
ためらうハルちゃんの背中をたくし上げて、タオルで拭う。
「少しでも、何か食べたほうがいいと思うけど、どうしよう?」
「んー、うどん食べる」
「卵入れるくらいしか出来ないけど、いい?」
「うん。ありがと」
「あと自分で拭いてね。ごはん用意してくる」
「着替えたら行く」
リビングの暖房とコタツのスイッチを入れてから、キッチンに立つ。
- 285 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:03
- 鍋に、出来合いの出汁を沸騰させて、冷凍のうどんを入れる。
ほぐれたら、家政婦さんが刻んで保存してくれているおねぎを入れて、卵を割って入れる。
ふたをして、少し煮込む。このぐらいのことなら、何とか、失敗なく出来るようになった。
「無理しないで残していいから」
「はい。いただきまーす」
「味、わかる?」
「おいしいよ。卵ちょうど半熟なってるし」
「そう。よかった」
おかあさんが、食事を始める私やおとうさんを見つめていたことを思い出す。
いつもこんな気持ち、だったんだな。
「全部食べらんないから、先生手伝って」
「うん。器とってくる」
小さな鉢と箸を持って、隣に戻った。
ハルちゃんが丼ごと差し出してくれたので、少しだけ分けてもらう。
「全然、普通に食べられるね」
「普通とかじゃない、おいしいって」
「だってお鍋におつゆとうどん入れただけだもん」
すぐに空になった私の器を取って、ハルちゃんが小さなうどんを盛り付けてくれた。
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:04
- 「ねえ先生。ハル小学生のとき、4年生だったかな、水ぼうそうになったんですよ」
「あやももっと小さいときになったよ。結構かかるよね、治るまで」
子ども心に、このたくさんのかさぶたがずっと消えなかったらどうしようと、不安で仕方なかった。
「そう、一週間くらい学校行けなくて。ばあちゃん仕事、そんなに続けて休むわけにいかなくて」
「じゃあおうちに、ひとり?」
「近所の人が様子を見に来てくれたり、ばあちゃん休んでくれた日もあったんだけど」
だけど、どうしても自分でお昼用意しなきゃいけない日もあって。訥々とそう続けるハルちゃん。
「そのとき初めてひとりで作ったのが、うどんで」
「そうだったんだ。上手くできたの?」
ハルちゃんは答えず、私の器に卵を半分、れんげですくい入れる。
「作り方、書いてもらって。火を使うのは危ないから、卓上の電気のコンロあったの出してもらって」
はい、と差し出された器を受け取って、お礼を言う。ハルちゃんは、食べながら話を続けた。
- 287 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:07
- 「だし沸騰させて、冷凍うどん入れて、煮て。もういいかなって食べたら、麺がまだ冷たくて」
幼いハルちゃんを想像しないよう、心に結界を張って、分けてもらったうどんをすすった。
思い浮かべてしまったらまた泣いて、またハルちゃんと長幼が逆転してしまう。
「鍋に戻してもっかい沸かしたら、今度は煮詰まってしょっぱくなって」
おかあさんは、私の水疱ひとつひとつに、丁寧に薬を塗ってくれた。
「水足して煮たら、膨らんで伸びちゃって。まあ失敗ですよね、食べたけど」
同じ状況を、ハルちゃんは、ときにひとりで乗り切っていたという。
「こんなんじゃダメだ、自分の面倒はちゃんと自分で見られなきゃって思って」
「そんなに、小さいときから…」
「治ってから、台所をちゃんと手伝うようになったんです」
私が下手なりに料理をしようと思うのは、ハルちゃんにおいしいって言ってほしいから。
それは、なんて恵まれた動機なのだろう。
- 288 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:08
- 「ちなみにそんときのは、全然具がない素うどんでした」
「そっか。卵入れた分、あや子どもの頃のハルちゃんには勝ったね」
「負けちゃいましたね。別に悔しくないけど」
笑いをこらえて言うハルちゃんを、肘でつついた。
「おいしかった。ごちそうさまでした」
「ねえ、だいじょうぶなの?」
「うん。ちょっとだるいくらい」
「明日もっとひどくなってたら、お医者さんに来てもらえるか聞いてみるね」
「でもなんか、よくなりそうな気がします」
「若いもんね」
ときどき、そうからかわれる。
だから先回りして拗ねると、ハルちゃんは真顔で答えた。
「違いますよ。先生の看病のおかげ」
「そばにいるしか、できないのに」
「今まで誰も、そんなことしてくれなかった」
言葉が見つからずに抱きしめると、ハルちゃんは、私を押し返した。
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:08
-
「逃がさない」
「ダメだよ、うつっちゃう」
「そしたら、面倒見てね」
「それはもちろんいいけど、離して」
「やだ。ねえ今日一緒に寝ようよ」
「ダメだって」
渋るハルちゃんを、強引に説き伏せた。
その夜私は、ハルちゃんを抱いて眠った。
< 「献身」 了 >
- 290 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/16(金) 22:14
- 自己模倣が、実は多々あるのですが
お気づきの皆さまにおかれましては、ネタ切れとご理解いただければ(笑
>>276
ありがとうございます
たくさん話をして、お互い無二の存在たらんことをと願っています
ご期待に添えるように努力したいです
>>278
ありがとうございます
どうして自分にはない真っ直ぐさが顕れるのか不思議で(笑
もともとのふたりのキャラクターの成せる技なのでしょうね
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/17(土) 01:40
- 更新ありがとうございます。
なんて優しいお話でなんて優しい文章なのでしょう…
毎回毎回涙してあたたかい気持ちになってます
なんでもない日常がこんなに幸せだったなんて、と
自分の生活を見直して反省しています(笑)
次回更新も楽しみにしています!
- 292 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/01/18(日) 17:17
- 更新ありがとうございます
あやちょの料理が上達しつつでなにより^^
甘えたり恥ずかしがるハルちゃん可愛い
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:45
-
帰心
- 294 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:47
- 「あっ、きた」
私の方が早く家にいる日、ハルちゃんはいつも、最寄り駅からメールをくれる。
その着信を確認して、予熱ボタンを押してから、短く返信。
冷やしておいたサラダを出して、テーブルを万端に。
最後の仕上げを残すのみになったところで、チャイムが鳴った。
「ただいまー」
急いで迎えに出ると、冷たい外気と共に、ハルちゃんが家に滑り込んでくる。
「おかえり。ねえハルちゃん。手を洗ったら、キッチンに来てね」
「何かあるの?」
「いいから、待ってるからね」
荷物と上着を預かって、ハルちゃんを洗面所に送り込む。
それぞれを所定の位置に置いてから、キッチンでハルちゃんを待つ。
今日の夕食は、オーブン用の鉄板に二つ並べて、ふきんをかけて隠してある。
ハルちゃんが、やっと来た。無言で、布を取り去る。
- 295 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:49
- 「グラタンだ!グラタンだよね?」
「うん。おかあさんに聞いたとおりに、あやが作ったの」
「先生が?ひとりで?いつの間に?」
「びっくりさせたかったから、内緒にしてた。ごめんね」
「びっくりした。ホントびっくりした」
「あやのが初めてでもいい?」
「うんめっちゃ嬉しい。すげえ嬉しい」
きっと食べてみたいはずなのに、頑なにおかあさんのを最初にすると我慢していた。
でも、寒い時期に食べるのが一番おいしいから、どうにかしてあげたかった。
「ね、焼こう。オーブン開けて。行くよ、せーのっ」
温度が下がらないよう、出来るだけ短い時間で扉を閉める。
時間をセットして、加熱。ほの明るい庫内を、並んでじっと見つめる。
「なんでだか飽きないですね」
「でしょ?小さいときもいつも、ひとりでずっと覗いてたの」
オーブンの真ん前を譲って、ハルちゃんを背中から抱く。
肩の上に軽く顎を乗せて、同じ場所を見つめる。
「ハルちゃん背、伸びたね」
「そっかな?一緒くらいになった?」
「うん。最初に会ったとき、小さかった気がするのに」
「中学生のときのこと?そりゃ伸びますよ」
ハルちゃんは焼きあがっていくグラタンと、残り時間を交互に見ている。
私はそんなハルちゃんの横顔を、ほとんど見ていた。
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:50
- 「あと30秒」
「ハルちゃん、これ持って待機ね。あやが出してそこに置くから」
10秒前から、カウントダウンする。加熱終了の合図とともに、扉を開ける。
ハルちゃんが持つ丸いお皿に、オーブンから出したてのグラタンを乗せる。
「すげーまだ動いてる。火山みたい」
白いマグマが、膨らんではへこみを繰り返している。
「早く運ばないとおさまっちゃう。熱いうちに食べよ」
お互いに自分の分を、急いでテーブルに運ぶ。
「いただきまーす」
「上のお皿触ったらダメだよ、熱いから」
「あそっか、そうですよね」
「って、いつも言われてたの」
「やっぱり。何かおかあさんみたいだなって思った」
ハルちゃんは笑いながら、すくったマカロニに息を吹きかけて覚ましている。
私はフォークで運ばれるひと口目の行方を、じっと見守った。
「あっちぃ」
感想を聞く必要は、ない気がした。早送りのように、お皿の中身が消えていく。
「あやのもいる?食べかけだけど」
「えっいいの?」
「うん。もうおなかいっぱい」
半分足らず残った私の分も、加速度をつけてハルちゃん胃の中におさまった。
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:52
- 「おいしかったー。先生ありがと、ごちそうさまでした」
「よかった。今度ちゃんと一緒に作ろうね」
グラタン皿は少し水に漬けてから洗うほうがいいかもと、先にお茶をいれて休憩することにした。
「うん。ねえ、作り方聞いただけで出来たの?」
「ううん。最初のメールはね、たまねぎと鶏肉とマッシュルームを切って炒めてとか書いてあるだけで」
「あー、すごい上級者向けだ」
勉強にも同じことが言えるけれど、わかる人がわからない人に伝えるのは、本当に難しいことなのだ。
「そう、だからもっと細かく細かく聞いて。それをもとにして、須藤さんに習って」
「習って?やってみたんだ」
「一回で作れるわけないもん。何回か練習したよ」
薄切りの薄ささえわからない私に、須藤さんは根気強く指導してくれた。
「そんとき出来たやつは、どうしたの?」
「須藤さんが持って帰って、おうちの晩ごはんにしてくれたの」
「あっ。それであの日あんな時間までいてくれてたんだ」
学校行事で遅くなるハルちゃんに合わせて、須藤さんに無理を聞いてもらった日があった。
「玄関で鉢合わせした日ね。あのときちょっと焦った」
「言ってた時間よりだいぶ早く帰ってきちゃったんですよね。なんか、ごめんね」
予定が変わったからと、学校を出るときにメールをくれて命拾いした。
大慌てで格闘の痕跡を隠して、なんとか取り繕えたけれど、危なかった。
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:53
- 「あのときね、須藤さん、ハルちゃんにおかえりなさいって言ったでしょ」
「うん。会ったときはいつも言ってくれる」
「ただいまって返してくれたの初めてで、すごく嬉しかったんだって」
「ずっと、そう言ってなかったっけ?」
心に壁はまだあるけれど、少し透明になった気がする。須藤さんはそう表現した。
「それまでは、こんにちは、だったって」
「そっか。気づかないで悪いことしちゃってたのかな」
「悪くないけど。でもこれからは須藤さん以外の人にも、ただいまって言ってね」
「うん。絶対そうする」
ハルちゃんはいつも、待つ方だった。おとうさんや、おばあちゃんの帰りを。
だから慣れていなかっただけで、意思を持って口にしなかったわけではないのだろう。
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:55
- 「ねえ先生。ハル母さんいないと思ってたけど、たくさんいたんだね」
「うん。家政婦さん以外の人もきっと、気にかけてくれてたと思うよ」
「もうだいじょうぶですって、みんなにお礼言いたい」
「心配ないのは見てればわかるし、感謝は、これから伝えていこうね」
ハルちゃんが湯呑みを置いて、私を見つめた。
「先生が、ハルのこと変えてくれたから。ありがとう」
「ハルちゃんが、自分で気づいたんだよ」
「でも先生と会えなかったら、ハル今居たかどうかさえわかんないもん」
私も、出会えたことで、きっともっとちゃんと生きられていると思う。
「ハルちゃん」
いつも恥ずかしくて目を伏せてしまうけれど、今日は見つめ返した。
「キスしていい?」
大きい瞳に吸い込まれそうになって、直前で踏みとどまる。
「…ダメ。いつもそうやって聞くからあや固まっちゃうんじゃない」
「だって真っ赤になる先生可愛いんだもん」
私の頭をぐりぐり撫でて、ハルちゃんは私を抱きしめた。
「今日は一緒に片付けましょうか」
「うん」
「あとで、続きしましょ」
何も尋ねる余地を与えられないままキッチンに連れられ、ふきんを渡された。
一緒に何かをするとき、ハルちゃんは必ず楽な方を私にくれる。
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:57
- 「まだまだありますよね、ハルが食べたことない料理って」
「思いつくのって、どんなの?」
漬けてあったお皿を洗いながら、ハルちゃんは考える。
「ばあちゃんが作れるカタカナの料理は、カレーとハンバーグぐらいだったから…」
「そっか。でも、うちで食べた洋食も、そんなにたくさんないよ」
「グラタンとあと、何?」
「オムライスとか、シチューとか、ロールキャベツとか」
洗いあがったお皿を拭いて仕舞いながら、思い出す。長らく、食べていない気がする。
「給食とは、きっとやっぱり違うよね」
「今度おかあさんに、リクエストしよっか」
「楽しみ。いつ帰れるかな?」
帰る、と自然に口にしてくれたことが、とても嬉しかった。
「春休みかな。就職のことで、あやひとりで出かけちゃうかもしれないけど」
「んじゃ、おかあさん手伝いながら待ってる」
「時間あったら、またどこか泊まりに行こうか」
「うん。でも家にもいっぱい居たい」
「ハルちゃん先に帰る?」
「なんでよ、みんないるから居たいんじゃん」
無機物の家にも、命がある。だから、一緒に暮らしてよかった。
「あとハルやるから、先生お風呂入ってくれば?」
ほとんど片付いたところで、ハルちゃんがそう言ってくれたので甘える。
交代でハルちゃんをお風呂へ送って、寝る準備をして、お布団を敷く。
ふたつ目の敷布団にシーツをかけようとしたところで、灯りが消えた。
- 301 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 21:58
-
「待って、まだひとつしか終わっ…」
強く抱きしめられる。雨の予感。
「さっきの、続き。キスしていい?」
「うん」
ゆっくり、唇が重なる。ゆっくり、背中が傾いていく。
「布団、ひとつでいいでしょ」
「うん」
抱き合うのは、幾度目になるのだろう。
その夜、私に、いつもより激しい雨が降った。
< 「帰心」 了 >
- 302 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/22(木) 22:01
- 変わらず自己模倣だらけですが、見逃してください
>>291
ありがとうございます
自分も、書くことで救われているような気がします
家から一歩も出ない話ばかりですが
よければこれからもお付き合いください
>>292
ありがとうございます
また料理上達したみたいですね
今後を楽しみにしたいとひと事のように思っています(笑
- 303 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/23(金) 12:03
- 言い忘れましたが、多分少し休みますので
また忘れたころにでも覗いていただければ幸いです
- 304 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/01/23(金) 17:46
- 更新ありがとうございます
個人的ですが、今シーズン(冬)、グラタンを食べる回数が多かったです
この作品の影響で(ノ∀`)
熱々グラタンにも負けないくらいの熱々な二人で
ただ読んでるだけなのにポカポカあつくなっちゃいました(^^;
少しお休みですか・・・ちょっと残念ですが
まったり復活を待っています^-^
- 305 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:07
-
黄昏
- 306 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:09
- 「ハルちゃん、あや明日大学に、書類出しに行かなきゃいけなくて」
「そうなんだ、いつ?午前中?」
「うん。ごめんね」
「なんで謝るの?予定あったっけ?」
だってせっかくの休日なのに、目覚ましをかけなければいけなくなってしまった。
「寝坊できる日なのに、バタバタしちゃうから。気にしないで寝てていいからね」
「やだ。一緒に朝ごはん食べる」
「わかった。でもあや起こさないよ」
「自分で起きるよ」
ハルちゃんは、よく眠る。起きなくていいのなら、ずっと寝続けるんじゃないかと思うぐらい。
だから、ぐんぐん背が伸びるのかもしれない。
「駅まで行きたかったけど、ごめんね」
「いいよ、すぐ帰ってくるから」
翌朝ハルちゃんは、髪に寝癖をつけたまま、私を見送ってくれた。
- 307 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:12
- 不備を直した書類が無事に受理されて、私は家にとんぼ返りする。
寝ているかもとチャイムは鳴らさず、そっと鍵を開けて、中に入る。
「ただいまー」
出来るだけ、小さな声で言う。荷物を置いて、コートをかける。
ハルちゃんは、リビングの窓辺のラグに、横たわっていた。
クッションを枕代わりに、いつも使っている毛布に包まれている。
無防備な寝顔を、しばし眺めた。長いまつげ。ほんの少し、朱が差した頬。
なだらかな鼻のカーブ。世界でたったひとつ、私の唇に、触れた唇。
「ただいま」
ひとりで起きているのが少し淋しくなって、耳元に話しかける。
大きな目が、半分ずつ二段階で開いて、私を見つけてくれた。
- 308 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:14
- 「ん、あ、おかえりなさい」
「どしてこんなところで寝てるの?具合悪い?」
「ううん。すごい青かったから、空見ながら二度寝してた」
窓枠をフレームに、絵のような青い空が見える。
ところどころに、薄く白い雲のハイライト。
「ホントだ。すごくきれい」
「でしょ。先生も一緒に昼寝しようよ」
ハルちゃんが毛布をめくって、楽園に誘ってくれる。
私は無言で腕の中に滑り込んで、横向きに寝るハルちゃんのおなかに、背中をくっつけた。
やわらかな陽射しが眩しくて、おだやかに睡魔が襲ってくる。
「そっち毛布足りてます?寒くない?」
「ありがと、だいじょうぶ」
「お昼、炊飯器のタイマー仕掛けておいたから、あと適当になんか作りましょ」
「うん。でも、起きられるかな?」
「気持ちいいですもんね。起きらんなかったら、そのまんま夜にスライドで」
少し前から土曜日と日曜日は、全部自分たちで食事の支度をしている。
私は相変わらず簡単なことしかできなくて、ハルちゃんを手伝うだけだけれど。
「何食べよっか。ハルちゃんまた野菜炒め作って」
「うん。いいよ」
ゆっくりな返事のあとで、つないでいた手から力が抜けた。
小さな寝息を聞きながら、私も夢の世界へ、ハルちゃんの後を追う。
- 309 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:15
- どのくらい眠っただろう。背後で静かにハルちゃんが動いて、ちょっとだけ起きた。
目を閉じていても眩しいから、きっとまだ、お昼なんだと思う。
半分寝たまま寝返って、ハルちゃんに体を向ける。
ハルちゃんは起きているのか、毛布をかけ直してくれた。
もう少し、眠りたい。でもハルちゃんが、おなかを空かせて私の寝覚めを待っているかもしれない。
重いまぶたと格闘していると、唇に触れる何かを感じた。数秒かかって、それが唇だと気づく。
目を見開いて、反射的にのけぞる。ハルちゃんはクスクス笑いながら、私を抱き寄せた。
「ごめん。びっくりした?」
「いっぺんに目が覚めちゃった」
「そろそろ、慣れませんか?」
「…無理」
さすがに平気なふりをするけれど、手をつなぐだけでまだ緊張するときがあるくらいなのに。
「それ以上のことだって、もうしてるじゃないですか」
「だって、それとこれとは…別の話だもん」
「そうなんだ。まあ、可愛いからいいですけど」
頬が赤くなるのが自分でわかって、額をハルちゃんの鎖骨に押し付ける。
ハルちゃんは腕に力をこめて、私の髪に口づけをくれた。
- 310 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:17
- 「お昼、どうします?もうだいぶ過ぎてるけど」
「野菜炒め」
「ホントにそれでいいの?」
「うん。この間作ってくれたの、すごくおいしかった」
ハルちゃんの野菜炒めは、野菜がシャキシャキして、お肉が柔らかくて、とてもいい香りがした。
「でも適当だから、前と同じになるかわかんないですよ」
「ハルちゃんがやればどう作っても、きっとおいしいと思う」
「いやいや、数々失敗してますから。だから今、そこそこ出来るんですからね」
年季が違うことはわかっているけれど、追いつける気がしない。
「あやね、ちょっと前お昼ひとりのとき、真似して作ったの」
「へー、初耳。上手くいった?」
「水っぽくてぐじゅぐじゅになった。失敗だから言わなかった」
「火が弱かったんですかね?」
「わかんない。全体的にひどかった」
同じ手順で、調味料だってちゃんと量ったのに、本当においしくなかった。
「そういうときは、水と中華だしを足してとろみつければ、八宝菜もどきみたいになるかもですね」
「中華だしって、あの何か粉のやつ?とろみってどうやってつけるの?」
「あー、片栗粉をちょっと水で溶いて、沸いてるところに入れるんです」
「片栗粉って、溶けるの?ちょっとってどのくらい?」
「厳密には、溶けないけど。説明するの難しいから、今度やって見せますね」
きっとすごく簡単なことを聞いてしまったんだ、ということぐらいは、わかるようになった。
でもハルちゃんも須藤さんも、どんな小さなことにも丁寧に答えてくれる。
「炒め物って実は難しいから、もうちょっと先にまた挑戦してみましょ」
「うん。がんばる」
「肉じゃがもグラタンも、おいしかったよ」
「うん。ありがと」
思い出して落ち込む私の心を、きっと察してくれたんだろう。
- 311 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:18
-
「ね、先生、見て」
「ん?」
窓枠を抜けて空へと向かう視線を追って、またハルちゃんに背を向ける。
「色、変わったでしょ?」
「ホントだ。水色になった」
「ごはん食べたら、外、出ませんか?」
「うん。どこ行こう?」
「このまま空がオレンジになって、赤くなって、暗くなるまで歩きましょ」
「うん、いいね」
今日の、この空のことだけじゃなく。
これから続く長い道も、暗くなるまで、ずっと一緒に歩きたい。そう思った。
< 「黄昏」 了 >
- 312 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/02(月) 23:23
- 引用語彙につきまして
レス番310
「私の心」スマイレージの同名曲より拝借しました
>>304
ありがとうございます
自分も、しばらくいらないと思うぐらいにグラタンを食べました
ストックがなくなったので休むといいましたが、結果そんなに空白日数変わらなかったですねw
ですが今もストックはありませんので、やはり忘れた頃に覗いていただければと思います
- 313 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/02/07(土) 00:21
- お休み期間だと思ってたら更新きてた(・∀・)!!ヤター
更新ありがとうございます
仲良しすぎていいなー(*´Д`*)
ハルちゃんが「慣れませんか」なんて言えるようになったなんて(感涙
照れちゃうあやちょがホント可愛いわぁ
- 314 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:29
-
逆夢
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:30
- ガサッ、バサッ。激しい衣擦れの音がして、真夜中に目が覚めた。
隣の寝床で、ハルちゃんが寝たまま暴れている。
きっと、夢を見ているのだろう。
「ハルちゃん」
汗で額に張り付いた前髪。荒い呼吸。うめき声。
「ハルちゃん」
声をかけて揺すっても揺すっても、全然夢から醒めてくれない。
- 316 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:34
- 「ねえハルちゃん。…ハルちゃんってば」
パチン。少し迷って叩いた頬から、思った以上に大きな音がして怯む。
刹那、ハルちゃんが大きい瞳を最大限に開いて、私を見た。
「いた」
「ごめん、だいじょうぶ?ごめんね」
「先生、いた」
ハルちゃんは、強い力で私をお布団の中に引き込んで、抱きついてくる。
「揺すっても起きないから、叩いたの。ごめんね」
「いた。よかった。いた」
ハルちゃんが繰り返す言葉は痛い、ではないのかなと、やっと少し気がついた。
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:35
- 「何か夢、見てたの?」
「うん」
「どんな?」
ハルちゃんは答えず、私の胸に強く頬を押し付けた。汗で湿る背中を、撫でる。
「何かあったかいの飲んで、着替えようか、ね?」
黙ったままのハルちゃんを連れ出して、コタツに入らせる。
ヤカンをコンロにかけてから、洗いたてのパジャマを取りに行く。
「バンザイして」
このあいだ熱を出したときは脱がせてくれなかったのに、今日は素直に手を挙げた。
濡れたパジャマを剥ぎ取って汗を拭いてから、新しいのを着せ掛ける。
「あと自分でやってね」
蒸気が噴き出す音がしはじめて、キッチンに戻った。
呆然とするハルちゃんからなるべく目を離さないようにしながら、お茶をいれる。
「はい。熱いよ」
「すいません、ありがとうございます」
ハルちゃんはゆっくりとひとくち飲んで、大きく息をついた。
いつもより小さく、幼く見えるハルちゃんの頭を、そっと撫でる。
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:37
- 「だいじょうぶ?」
「はい。ごめんなさい、夜中に起こしちゃって」
「そんなの気にしないでいいよ。怖かったの?」
「怖いっていうか…ある意味怖かったですけど」
あちこちに視線を泳がせながら、ハルちゃんは小さな声で答えた。
「どんな夢だった?」
「あー、えっと…」
「覚えてない?」
「いや…先生…ごめんなさい。ハルがこんなんじゃ、安心して帰れないですよね」
ねえハルちゃん、何を、言っているの。
「え?」
「もっと、しっかりしないと」
「何言ってるの」
めちゃくちゃに、ハルちゃんを抱きしめた。
- 319 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:38
- 「これ以上しっかりしてどうするの」
「だって…」
途方もない無力感に襲われて、我慢しても涙があふれてくる。
「ちゃんと、話して。もっと甘えて」
「ごめんなさい。泣かないでください」
「あやじゃやっぱり頼りないのかなって思ったら、悲しくなっちゃうの」
「違うんです、そうじゃなくて。先生に先生がいなくなる夢の話しても、困ると思ったから」
「どうして困らせてくれないの?どうして遠慮するの?」
むちゃくちゃなことを言っている。だけどもう、心から出てゆく言葉を止められない。
ハルちゃんは両腕をつかんで訴える私をなだめながら、伸ばした袖で頬を拭ってくれた。
「遠慮とか我慢とか、全然してないです。前にも言ったけど」
「本当?」
「ホントです。急に幸せになったから心がびっくりして、変な夢見たんだと思う」
私が落ち着くのを少し待ってから、ハルちゃんはゆっくりと言葉を紡いだ。
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:40
- 「外から、帰ってきたら。先生いなくて、荷物もなんもなくて。必死に、家の中探しまわって」
寝覚めに繰り返していた言葉の意味を、合点する。
「きっとハルに怒って地元に帰っちゃったんだ、追いかけて謝らなきゃって駅に行こうとするんですけど」
漕いでも漕いでも進まぬ自転車を降りて走ると、足は鉛のように重く。
「最後の、パン屋の角を曲がると家に戻っちゃって、たどり着けないんです」
何度も同じ道程を繰り返して絶望していたところで、私に起こされたのだという。
「なんか、嫌な感じのやつ久しぶりに見た。前はしょっちゅうだったのに」
「なかなか起きてくれないから叩いちゃった。ごめんね」
「ううん。先生は何があったって黙っていなくなるはずなんかないのに、ごめんなさい」
たとえ夢の中でも、ひとりぼっちになんかさせたくない。
「電話してくれたらよかったのに。考えなかった?」
「思いつかなかったな。とにかく会いたかったから」
「今度はかけてね。あや必ず出るから」
「はい。そうします」
これで、だいじょうぶ。絶対に、もうだいじょうぶ。
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:41
-
「今日は、一緒に寝ようか。あやの方においで」
「はい。ありがと」
「やな夢は見るわあやに怒られるわで、ハルちゃんさんざんだね。ごめんね」
「ホントですよね」
同じお布団に入って、ハルちゃんを抱きしめる。
広い額と、長いまつげと唇に、順番に口づけた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
聞こえ始めた寝息を子守唄に、私も静かに目を閉じた。
< 「逆夢」 了 >
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/21(土) 17:47
- レス番316
「大きい瞳」は娘。の同名曲より
318
「何を、言っているの」はリリウムのセリフより
それぞれ拝借しております
>>313
ありがとうございます
滑稽ですが書いていても仲の良さが羨ましいレベルになってきましたw
- 323 名前:名無ししいく 投稿日:2015/02/24(火) 03:11
- ずっと一緒にいられるよ
大丈夫、きっと、二人で幸せです
- 324 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/02/26(木) 22:07
- 悪い夢は現実が逆さまになるもの。迷い路なのはどうぞ夢のなかだけで、
二人にはずっとずっと手を取って一緒に歩いていってほしい、と切に願う更新、ありがとう
ございます。
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:00
-
迎賓
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:09
- 「ハルちゃん、地元の友だちが泊まりに来たいって言ってるんだけど、いい?」
「うん、もちろん」
「来週の、平日のどこかでって。どこがいいかな?」
「ハル普通に学校だから、先生の塾の都合で決めれば?」
「そっか、そうだよね。今までもね、年に何回かあやの家に泊まって、お買い物しに来てたの」
最先端の服、靴。場所、店。料理、スイーツ。映画、言葉、本。
街に住んでいるのは私なのに、私はその幼なじみに、いつも流行を教わってきた。
「家替わったこととか、知らせてあるの?」
「まだ。だけど、いつも迎えに行くし、だいじょうぶだよね」
「そうじゃなくて、いきなりハルに会ったら、びっくりするでしょって」
「するかな?」
「するでしょ」
「するよね。んじゃ内緒にしとこう」
「ちょっと!」
「顔合わせるまでに、ちゃんと説明しとくから」
約束した日に、駅で落ち合う。道すがら、少しずつ話す。
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:11
- 「あのね、あや引っ越したの」
「そうなの?でも駅同じだよね?すごくいい部屋でもあったの?」
「ううん。実は、付き合ってる人と、一緒に住んでて」
「えーっ!どんな人?いつから??」
「んとね、一緒は今年になってからで、5歳違うんだけど」
「えーーっ!すっごい大人じゃん!」
「ううん、逆。まだ高校生」
「えーーーーっ!!何で何で何で家族は?」
花音ちゃんは見かけるたびに連れ立つ人が違ったけれど、私には初めての人。
だから何もかもに驚くのも、ただでさえ当たり前のことで。
「家の事情で、出会ったときから、ひとりで暮らしてて」
「出会ったときって?」
「んーと、3年くらい前」
「…中学生じゃん!ひょっとして塾の子なの?」
「うん。でもそのときは短い間一緒に勉強しただけだったんだけど、最近偶然、街で会って」
「問題ないの?」
「なくはないかもだけど。でもお互いの親にも、塾長にも、高校の先生にも言ってあるし」
「私には黙ってたのに?」
「…ごめん、だって、恥ずかしかったんだもん」
「まあ、メールでするのももどかしい話だから、いいけどね」
何からどう打ち明けようか迷っているうちに、こんな形になってしまった。
「てことは今日会えるんだ?」
「うん。夕方に帰って来るから、紹介する」
「楽しみ。ホントに」
「ハルちゃんは…あの、ハルちゃんっていうんだけど、すごく緊張してたから、お手柔らかに」
「ダメ。厳しく評価する」
謎の使命感に燃える花音ちゃんとハルちゃんの対面はその夜、食卓で無事に行われた。
- 328 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:12
- 「初めまして、工藤、です」
「福田花音です。お世話になります」
「あ、えっと工藤遥、です」
無言で長い時間見つめられて、ハルちゃんが一瞬助けを求めるような視線を送って来た。
「花音ちゃん。とりあえずごはん食べようよ」
「うん。そうだね。いただきまーす」
いくつ?いつどこで出会ったの?食事をしながら、花音ちゃんが矢継ぎ早に質問する。
知っているはずのことばかりを聞いているのは、答え方を見たいからだろう。
ひとつひとつ丁寧に返すハルちゃんの食は、再会したばかりの頃みたいに細かった。
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:17
- 「今日、片付け当番代わるね」
私の日だったのだけれど、そう言ってくれたので素直に甘える。
花音ちゃんがたくさん雑誌を広げて明日の予定を立て始めたので、ちょこんと横に座った。
「ここのチョコレートを家のお土産に頼まれたんだけど、買えるかな?人気なんだよね?」
「こないだ前を通ったときは、結構並んでたかも。ねえハルちゃん」
「ん?」
ページを向けると、ハルちゃんはキッチンから目を凝らした。
「この店だよね、すごい行列だったの」
「あーそうですね。並んでも買えないかもとかなんとか」
「そっかじゃあ却下。適当になんか駅で買うわ」
続けてページをめくる花音ちゃんを見ているうちに、お風呂の準備ができた。
「花音ちゃん、一番に入って」
案内と説明をして戻ると、ちょうどハルちゃんも一段落したところだった。
「この本、見せてもらってもいいですかね?」
テーブルいっぱいに広がる、さまざまな情報誌。
「うんいいよ。いつも全部置いて帰るもん。重いからって」
限界まで買い物の荷物を持つために、綿密に予定を書き出したメモだけを持って出かける。
家で行程をまとめてから来ればいいのにと思うけれど、私と違って就職しているから、忙しいのだろう。
- 330 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:18
- 「ハルって合格だったんですかね?先生にもまだわかんないか」
ページをめくりながら、ハルちゃんが呟いた。
「ごめん。やっぱり、値踏みされてるみたいに感じたよね」
「仕方ないですよ。立場逆だったら、このクソガキお前誰だってなりますもん」
「絶対そこまでは思ってないだろうけど、ごめん。本当にごめんね」
「全然いいですって。あっそうだ今日は、自分の部屋で寝ますから」
「えー何で?淋しいよ」
「だって、いろいろ積もる話あるでしょ?先生になくても福田さんにはあると思うし」
「もう結構質問攻めにあったのに」
「いやー、まだまだ聞き足りないと思うよ」
確かに、ハルちゃんと会った後で生まれた疑問もあるかもしれない。
「明日何時に出るんですか?」
「たぶんハルちゃんよりちょっと遅いくらいだから、朝ごはんみんなで食べよ」
「わかった。朝の準備もやるから、ゆっくりしてね」
「ありがとう、ごめんね」
聞こえてくる水音を気にしながら、少しだけ口づける。いつもより、ドキドキした。
- 331 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:19
- 花音ちゃんに私が続いて、最後にハルちゃんを浴室へ送り出す。
髪を乾かしながら、まだ続く明日の計画に付き合う。
「ハルちゃんと、どんな話してたの?」
「新しい店にも行きたいから、回る順番とか移動とか考えてもらってた」
「優しくて可愛くてカッコいいでしょ?」
「ストレートにのろけすぎ。よしこれで完璧!」
「だって大好きなんだもん。ねえ終わったんだったらお布団敷くの手伝って」
和室へ移動して、ふたり分の床を延べる。
「なんでよりにもよって高校生なのよ?」
「好きになった人が、ちょっと年下だっただけだもん」
「まあそりゃそうなんだろうけどさ」
「5年経てば、別におかしくなくなるし誰も何も言わないでしょ?」
「そんなに先まで見てるんだ」
「だって、ずっと一緒にいたいから。応援、してくれる?」
「当たり前でしょ。最初から反対なんかしてない、心配してるだけ」
お風呂からあがったハルちゃんが、おやすみを言いに来た。
- 332 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:20
- 「なんか、ごめんね。お邪魔虫だよね?」
「いえいえとんでもないですごゆっくり。おやすみなさい」
「おやすみ、また明日ね」
目覚ましをセットして、横になる。
「いつもはどう寝てるの?」
「今花音ちゃんが寝てるのがあやのお布団で、あやが寝てるのがハルちゃんのお布団」
「別々なんだ。じゃあ、まだ?」
「何が?」
「だから、プラトニックなの?」
「…ご想像にお任せします」
「想像つかないから聞いてるの!」
「何言ってるかわかんないおやすみ〜」
不意にハルちゃんが恋しくなって、顔を半分掛け布団にうずめた。
シーツは洗いたてだけれど、残り香に包まれるような気がして、安心する。
「ちょっとまだ話終わってない!」
「花音ちゃんは?まだあの会社の人と続いてるの?」
「私のことはいいから」
夜更けまで根掘り葉掘り聞かれて、翌朝寝坊をしてしまった。
- 333 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:22
- 「先生。ごはん出来てるよ」
ふすま越しの声に、飛び起きる。
「ごめん、手伝うつもりだったのに」
「いいって。ハル先に食べるね」
花音ちゃんを起こして、遅れてテーブルにつく。
「帰りって、何時ごろですか?」
「うんとねこれ、今日の予定」
昨日作った、分刻みの計画表を見せる花音ちゃん。
「学校終わったら、見送りに行きます」
「ごめんね、なんか振り回しちゃって」
「いえ全然そんなことないですから。またいつでも来てください」
ハルちゃんは登校して行き、私たちも出かけた。
- 334 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:23
- 花音ちゃんの計画は、とても順調に運んで。
でも、予定が最終に差しかかったころ、ハルちゃんからメールが届いた。
「間に合わないかもしれない。ごめんなさい、って」
「無理しないでって伝えて」
そのまま、返信。すぐに、返信の返信。
「向かってはいるみたい。ギリギリまで待ってあげてね」
今日はホームまで送ることにして、番線を伝える。
リミットまで、あと十数分。入場券を買って、改札を通る。
待機する列車の近くまで、歩く。あと、数分。
「来られない、のかな…」
「よろしく伝えてね。ありがとういつも」
「うん。また来てね」
発車がいよいよ近づいたとき、遠くに、愛しい声が響いた。
「待って!」
人波を縫って、ハルちゃんが懸命に駆けてくる。
「よかった、セーフ」
息を切らしながら、ハルちゃんは花音ちゃんに紙袋を差し出した。
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:24
- 「あーっ!」
「ちょっと並んだら買えたんで、ご家族のみなさんに」
昨日話していた行列店のロゴマークが、側面に見える。
「ありがとう」
「また、遊びに来てください」
「うん、ホントにありがとう。そりゃベタぼれなはずだわ」
「そんなんじゃなくて、今日は空いてたみたいで、たまたま買えただけですから」
「こっちにも来るでしょ?そしたら連絡してね」
「はい、必ず」
列車が見えなくなるまで手を振ってから、家路をたどった。
「先生は、何か買ったの?」
「ううん。だって花音ちゃんの買い物に集中する方が、勉強になるし」
「そっか。楽しかった?」
「うん。通りすがりだけどハルちゃんに似合いそうなのが何個かあったから、今度ちゃんと見に行きたい」
「土曜か日曜に、行きますか。そんとき先生のも、いろいろ見ようね」
そんな話をしながら駅のホームや道を歩くとき、ハルちゃんはさりげなく、私と危ないほうを入れ替わる。
小さな思いやりに気づくたび、私は、どんどんハルちゃんを好きになる。
- 336 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:25
- 夕飯のあと、ついでに買ってきてくれたマカロンを、一緒に食べた。
「んー美味しい!」
「チョコレートもうちの分買えばよかったかな。値段見て怯んじゃって」
「今度一緒に並んでみよ。今日、本当はどのくらい時間かかったの?」
「わりと、結構、すぐに買えましたよ」
きっとこれ以上のことを、教えてはくれないだろう。
「ホントに、ありがとね。ねえ、ハルちゃん」
「ん?」
「あのね」
「なに?どしたの?」
目を伏せて黙る私の顔を、ハルちゃんが覗き込む。
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:25
- 「あのね」
「何か、あった?」
「ううん、あのね。えっと…抱きしめてほしい」
いつもそうしてほしいとき、口に出したりしないで、黙って寄り添う。
だからハルちゃんは戸惑いながら腕を回して、頼んだとおりにしてくれた。
「これでいい?」
「うん。そうなんだけど、そうじゃなくって」
「違うの?」
「違わない。ごめん、変なこと言って。忘れて」
聞こえてしまうんじゃないかと思うぐらい、鼓動が大きく響いていた。
白い首筋に鼻先をうずめて、しばらく呼吸を我慢する。
- 338 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:26
-
「あっ」
私の髪を撫でる手を止めて、ハルちゃんが小さく叫んだ。
「もしかして、したいってこと?」
「…忘れてって言ってるでしょ」
「こんな嬉しいこと、一生覚えてますよ」
「恥ずかしいからなかったことにして」
立ち上がったハルちゃんが差し出す手を、そっと握る。
「ハルのベッド行きましょ。布団敷く時間もったいない」
否も応もなく、部屋に連れて行かれた。
バタンと、ドアが閉まる。強く、抱きしめられる。
激しく、口づけられる。優しく、押し倒される。
そして私にまた、雨が降った。
< 「迎賓」 了 >
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/02/28(土) 20:35
- レス番336
「私の顔」はタンポポの曲名より拝借しました
>>323
ありがとうございます
離れさせたくないのでだいじょうぶのはずです
>>324
ありがとうございます
永遠はあると思います
- 340 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/01(日) 18:14
- ハルちゃんカッコいい
- 341 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/03/01(日) 21:27
- チョコより甘い二人ですね(*´Д`*)
花音ちゃんも安心ですね
- 342 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:12
-
虚実
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:13
- 「おかあさーん、ただいまー!」
ハルちゃんが改札の向こうにおかあさんを見つけて、大声で言った。
おかあさんが手を振って、応えてくれる。
「おかえり。遠かったでしょう?」
「全然!もうめっちゃ楽しみにしてました!」
平静を装っているけれど、おかあさんはかなり驚いている。
「ただいま」
「…おかえり」
こんなに底抜けに屈託のないハルちゃんを、きっと初めて見るからだろう。
いつも、3月の末に、帰省のために少し長い休みをもらっていた。
夏休みや冬休みには学校の宿題があって、それを授業で一緒にこなすから、ちょっと忙しい。
春休みにはそれがないから、事務の方は忙しいかもしれないけれど、指導の手は足りていて。
- 344 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:15
- ロータリーに停めた車の中で、おとうさんも待っていてくれた。
今まではタクシーで帰って来いって言われることもあったから、破格の待遇だと思う。
「おとうさんただいまです!お忙しいのにすみません」
「おーうん、おかえり。あーあやもおかえり」
おとうさんも、びっくりしているだろう。
だっておとうさん、って呼ばれたの、これが初めてのはずだから。
「ただいま。ありがとう迎えに来てくれて」
おとうさんは照れたように笑って、すぐに前を向いてしまった。
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:16
- 「ねえこの間、花音ちゃんが、チョコレート持ってきてくれたでしょ?」
走り出した車の後部座席から、助手席のおかあさんに話しかける。
「うん、おすそ分けにって。すごく美味しかった。ハルちゃんが並んでくれたんだってね」
「そうなの。それで今回も同じのを、また苦労して買って来てくれたの、お土産にって」
「そんなに言うほど時間かかってないですって」
「ありがとね。ねえハルちゃん、ごはん何か食べたいのある?」
それはこのところハルちゃんが、ずっと悩んでいたことで。
「考えたんですけど、リクエストありすぎて渋滞して、一周回っておまかせってなっちゃって」
「わかった。手伝ってね」
「はい」
「今日はあんまり時間がないから、また鍋でいい?これから買い物して帰るから、ほかのがいいなら出来るけど」
「お鍋!嬉しいです」
いい意味で遠慮がなくなって、素直に感情を表現するハルちゃんが、可愛くて仕方ない。
車がスーパーに着くと、ハルちゃんは真っ先に降りて、カートに買い物かごをセットした。
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:17
- 白菜、ねぎ、しいたけ。にんじん、小松菜、おとうふ。
ハルちゃんが押すカートに、おかあさんが必要なものを入れる。
私はおとうさんとふたり、その後ろをついて行く。
「先生、どっちがいい?」
「こっち」
「んじゃこっちで」
そんなふうにときどき私を向いてはくれる、けれど。
ハルちゃんの背中を見るのは久しぶりだなと、ふと思う。
初めて見たのは、偶然再会した、あの日の別れのとき。
うつむいて立ち止まる頑なな後姿を見つめながら、連絡先をポケットに差し入れた。
こんな日が来るなんて、あのときは、ひとかけらの想像もできなかった。
仲良くなってからは、家まで送ってくれて、帰って行く背中を、たくさん見てきた。
曲がり角で止まって、大きく手を振って、おやすみ、って口の形で伝えてくれて。
手を振り返すそのたび、次に会えるときまで、ちゃんとがんばろうって思えた。
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:19
- お買い物を終えて、家に帰る。夕餉の支度を、一緒に手伝う。
「あや、包丁すごく上手になったね」
「ホント?うふふふふ」
おかあさんにほめられて、変な笑いが漏れる。
このごろ週に何度かは使っているから、自分でも上達を感じていた。
すぐ横で教えてもらいながらだったら、野菜炒めもちゃんと出来た。
「あっおかあさん、グラタンの作り方ありがとうございました、おいしかったです」
「あー、あやあれホントに出来たんだ?」
「家政婦さんに何回も教わって、やっと成功したって報告したのに」
「信じてなかった」
「めっちゃおいしくて、先生の分も食べました」
話しながら、しいたけに切れ目を入れたり、にんじんを型抜きで抜いたり。
おかあさんの指示通りに、手伝いをこなす。
「ありがとう。助かった」
初めて役に立てた気がして嬉しくて、おいしさも何割か増したと思う。
ハルちゃんはまた、おかあさんがすすめるままに食べてしまって、苦しんでいる。
- 348 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:20
- 「あとはいいから。シャワーの使い方覚えてるよね?」
「はい。すいませんありがとうございます」
おなかをさすりながら一緒に手伝うハルちゃんを、お風呂に送る。
私は後片づけに続いて、朝食の下ごしらえと、洗濯物をたたむのも手伝う。
「あやそんなに働き者だったっけ?」
「自分でも、今そう思ってた」
気づかないうちに、私も変わったのかもしれない。
「お先でした」
上がってきたハルちゃんと交代で、おとうさんが席を立つ。
ハルちゃんは頭をタオルで拭きながら、見るともなしにニュースを見ている。
何度も繰り返される、ゆっくりとした瞬き。
「眠いんでしょう?」
「んー、うん」
「お布団もう敷いてあるから、休んだら?あやもこれ終わってお風呂入ったら行くから」
「そうします。おやすみなさい」
口々におやすみを返して、ハルちゃんを見送った。
- 349 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:21
- 「明日の朝きっと、すごい寝癖見られるよ」
「あー。あのまま乾かさないで寝ちゃうんだね」
「もう今の今で、バタンって寝てると思う。ワクワクしすぎて、昨日ほとんど寝てないの」
「特別なこと全然用意してないけど、考えたほうがいい?」
「ううん。きっと、むしろ、何もない方がいいんじゃないかな」
物心ついてからずっと家族は、自分ひとりか、誰かとふたり。
ハルちゃんがどんな時間を過ごしたいのか、少しはわかる気がする
「ハルちゃんなんだかものすごく、明るくなったね」
「うん。きっと、本来はああいう感じだったんだと思うの」
それを取り戻す手助けを、少しは出来ているのだろうか。
「明日のお昼、あそこの角のパスタ行こうか。久しぶりでしょう?」
「あっ、うん!」
うんと小さな頃から、ずっと大好きなお店。私はハルちゃんに、そんな全部を見せたい。
おじいちゃんやおばあちゃんや、花音ちゃん以外の友だちに、ハルちゃんを紹介して。
一緒にたくさん町を歩いて、思い出を、訪ねて回って。
グラタンを、シチューを、ロールキャベツを一緒に作って、ときどき外食もして。
一週間と少しの間、ごくごく普通の日々を過ごした。
まるで、昔からずっと、家族だったみたいに。
- 350 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:22
- あっという間に、3月も終わりの日が来た。駅まで、車で送ってもらう。
私だけのときはそんなことしてくれないのに、おとうさんとおかあさんはホームまで来てくれた。
「次は5月の連休ね。庭でバーベキューしようね」
「…はい…」
やっとそれだけ返事をすると、ハルちゃんはおかあさんに背中を向けてうつむいた。
「泣かない泣かない、それまで一ヶ月ちょっとでしょ」
おかあさんはそんなハルちゃんをためらわず抱きしめて、頭をよしよしと撫でる。
潤んだ目のおとうさんと目が合って、逸らす。もらい泣き寸前で、何とか我慢する。
「あや置いて、いつでも帰って来ていいからね」
「はい、ありがとうございます」
ギリギリに、乗車する。窓に張り付いて、ずっとふたりに手を振るハルちゃん。
両親が見えなくなって、やっと私を向いてくれたハルちゃんに、少し、拗ねた。
「あやとふたりじゃ、淋しい?」
「なーんでよ。先生もおとうさんもおかあさんも、全部大事なだけですよ」
「わかってる。ちょっとしか妬いてない」
「ちょっとも妬かないでって。なんで先生が地元好きなのか、すごくよくわかった」
同級生の、私と同じように生家を離れてひとり暮らしている子たちは、みな帰りたくないという。
このまま便利で、気楽で、自由な大きい街で、ずっと暮らしたい。それも、わからないわけではないけれど。
「座りましょうよ。席決めてください」
いつも、空いてはいる。だけど場所によって景色が違うから、ちょっと吟味する。
「ここにしよ、ハルちゃん向こうね」
網棚に荷物を置いて、ハルちゃんを窓際に座らせる。
「わーすごい!夕陽でっけえ!」
ハルちゃんの頬が、朱色に染まる。
初めて観覧車に乗ったあの日の夕暮れを、私は鮮明に思い出していた。
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:23
- 家について、ごはんを食べたり、お風呂に入ったり、荷物を解いたり。
いろいろ済ませて寝床につく頃には、結構、夜も更けていた。
ハルちゃんはちょっとだけ、私より先に、お布団に入っていて。
「まだ起きてる?」
もし寝ていても起こさないように、小さな声で聞く。
「うん」
「一緒に寝たい」
無言で空けてくれた隣に滑り込むと、ハルちゃんは私をあったかい腕で包んでくれた。
「布団足りてます?寒くない?」
「だいじょうぶ。ありがと。ねえ」
「ん?」
ハルちゃんの背中に手を回して、パジャマを握りしめた。
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:24
- 「あやハルちゃんのことそんなに好きじゃない」
「…なんでこんな体勢でそんなこと言う?あーわかった、日付変わったからか」
「うん。エイプリルフール」
好きすぎてちょっと悔しいから、この日が来たら心の反対を口に出そうと決めていた。
「それなら、嫌いって言えばいいのに」
「本気じゃなくても、それはイヤ」
「好きじゃないってだけでも、ちょっとショックでしたもんね」
「…ごめん」
「謝らないでください、冗談ですよ」
ハルちゃんは私を抱きしめて、いつものように髪に口づけて、髪を撫でてくれた。
「少し前だったら、ウソでもこんなこと言えなかったね」
「そうですね。ハルたぶん、本気で不安になって落ち込んでた」
互いをつなぐ見えない糸は、日に日に、強く太くなっている。
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:25
-
「ハルちゃんなんか好きじゃない」
「先生なんかあっち行ってよ」
腕に力をこめて、胸に頬を寄せる。
「明日、ってか今日か。別に朝早くないですよね?」
「うん。午後に入塾テストの打ち合わせがあるだけ」
「これは、ホントのこと?」
「うん」
何も考えず、正直に答えてしまった。
「ハル、したくない。先生は?」
「うん。あやも」
ウソに戻る。唇が近づく。唇が触れる。唇が求めあう。
そして私はまた、そぼ降る雨に濡れた。
< 「虚実」 了>
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:27
- レス番351
「あったかい腕で包んで」は℃-uteの同名曲より
>>340
カッキーン!
ありがとうございます
>>341
ありがとうございます
少しずつ幸せにしてやりたいなと
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/11(水) 19:28
- 一身上の都合で2ヶ月ほど休ませていただくことになるかと思います
忘れた頃にでも覗いてみてください
- 356 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/03/18(水) 22:20
- はしゃぐハルちゃん可愛い(´ー`)ヨカッタ ヨカッタ
続きはまったり待ってます
- 357 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/03/29(日) 17:51
- いつも幸せな気分になれます。
何度も読み返しながら次回更新を楽しみにしています。
- 358 名前:名無し飼育さん 投稿日:2015/05/13(水) 21:02
- 覗きにきました
また来ます
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 20:55
-
真情
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 20:55
- 「ハルちゃんのお休みは、カレンダー通りだよね」
「そうですね。だから長いところで、1、2…5連休かな」
本日の議題は、五月の予定について。
「そこにはあやも休み合わせたんだけど、どうしよっか。帰る?」
「おとうさんとおかあさんの都合がいいんなら、そうしたい」
「用があれば置いていかれるだけだから、気にしなくていいけど。でも、あや、帰りたくないな」
「え…何で?」
「だって、ハルちゃんあやの相手全然してくれなくなるもん」
おとうさんもおかあさんも、あやよりもハルちゃんを可愛がる。
それは嬉しいし、無論、本気で拗ねたわけではなかった。
「…ごめん」
だったんだけれど、ハルちゃんを少し慌てさせてしまって。
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 20:56
- 「冗談だよ」
「ごめん」
「謝らないで、こっちこそごめん。でも、最初の日の半分だけでいいから、二人で出かけたい」
ハルちゃんは明らかにホッとした顔で、私の髪に手を伸ばす。
「わかった。どこ行きます?」
「あんまり人の多そうなところは避けたいよね」
髪を撫でる手を握って、頬に押し当てる。一緒に行きたいところは、たくさんあったけれど。
「昔よく行ってた小さい遊園地が、まだあるの。あそこならそんなに混んでないと思う」
「へえ。何てとこ?」
「ずっと『山の遊園地』って呼んでたから…正式にはなんていうんだろ?」
「行き方、わかります?家の近く?」
「わかんない。帰ること言うついでに、今聞いてみるね」
家に電話をかけて、おとうさんに道順を教わる。
「駅の5番乗り場からバスに乗って終点だって。30分くらい」
「そんな遠くないですね」
「そだね。おとうさんその日、おじいちゃんとおばあちゃんと車で温泉行くんだって」
「おかあさんは行かないの?」
「うん。だけど車がないから迎えに行ったり出来なくてごめんって言ってた」
「ハルたち帰っていい?」
「そんな遠慮、一切いらないよ。家なんだから」
ほかにも、食事をお願いする日や少し街に出かける日なんかの相談をする。
荷物は事前に送って無事に当日を迎えて、無事にバスに、乗り込んだのだけれど。
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 20:59
- 目的地に近づくにつれて、ハルちゃんの様子が少しおかしくなった。
つないでいる手が、汗で湿る。額にも、髪が薄く張り付いている。
「だいじょうぶ?酔った?」
「ううん。酔ってない」
流れる車窓を見つめながら、ハルちゃんが即答する。
けれど終点で降りる頃には、ハルちゃんの顔色は紙のように真っ白で。
「ねえ、だいじょうぶじゃないよね?」
「…ここって奥に川があって、キャンプ場ありますか?」
「うん。ある」
「そこのトイレの屋根、亀の形してますか?」
「うん…なんで知ってるの?」
「施設の、行事で、来たことが、あって…」
ハルちゃんの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。はらはら、はらはらとこぼれ落ちる。
「あそこの裏に休憩所があるから行こう?行ける?」
ゆっくり手を引いて、人目につかないところに座る。
泣き続けるハルちゃんを、抱きしめることさえできない。
それが求められていないような、そんな気がしたから。
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:02
- 渡したハンカチが、涙に染まってゆく。
泣かないで、とは言えなかった。どうしたの?とも聞けなかった。
だからただ手を握って、ただ隣にいることしか出来ずに、時が流れていく。
「バス、最後のやつ出ちゃいますね」
「まだ休みたいなら、他にも帰る方法あるよ」
閉園を知らせる音楽が届く頃、ハルちゃんの涙が、やっと渇きかける。
「ううん帰れる。ごめんなさい、ハルのせいで何も出来なかった」
「いいよそんなの。…だいじょうぶ?」
「うん。だいじょうぶ」
向けられる笑顔が、胸に刺さる。どう応えればいいか、わからない。
「このままおうちに戻ってもいいよ。ハルちゃんどうしたい?」
「帰りたいです。おかあさんとおとうさんに会いたい」
「わかった」
手をつないだまま立ち上がると、ハルちゃんは袖で涙を拭った。
最終の、バスに乗る。窓際に、ハルちゃんが座る。
外を見つめたまま、ハルちゃんがときどき私の手をぎゅっと握る。
きっと、行き帰りの景色にも、強い思い出があるのだろう。
- 364 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:03
- 「おかあさん、ただいまー」
「おかえり。遊園地楽しかった?」
「はい。おなかすきました」
「おとうさんから、何かおいしいもの食べておいでって、お金預かってるから」
「嬉しい。ありがとうございます」
家に着く頃には、ハルちゃんは平静を取り戻していた。
とりあえず商店街に向かうことにして、そのまま出かける。
「どこ行こうか。お肉好き?」
「はい。すごく」
「じゃあ、焼肉屋さんは?」
おかあさんの問いに、ハルちゃんはなぜか黙ってしまった。
「ステーキの方がいい?」
私が続けると、困った顔で、小さな声で言う。
「…わかんないんです。行ったことないから」
「あーそっか。焼肉屋さんは、テーブルの真ん中に炭火置いて、そこでお肉焼くの」
「炭火?外?」
「ううん中だよ。ちゃんと煙吸うところがあるから」
「ステーキは?」
「大きい鉄板に沿って席があって、目の前でコックさんが焼いてくれる」
「何か緊張しそうだから、テーブルの方がいい」
「その方がいろんなお肉食べられるし、いいかもね」
歩きながら店を決めて、小上がりの席に落ち着く。
- 365 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:05
- 「すごい。ホントに炭火だ」
「この穴に煙が吸い込まれていくの」
注文した品が運ばれてきて、ハルちゃんがトングを持つ。
「乗っけていい?」
「うん。ひっくり返すのも任せるから」
「えーせっかく焼肉選んだのにそれも緊張する」
笑ったり、話したり。いつも通りのハルちゃんに、私も合わせる。
昼食をとりはぐれたのもあって、ハルちゃんはちゃんとたくさん食べていた。
ゆっくり歩いて、来た道を戻る。
「ハルちゃん、明日のごはん何作ろっか」
「今食べたばっかでしょ」
「だって、夕方まで車ないし、買い物少し考えておかないと」
私の抗議には構わず、ハルちゃんは素直に、リクエストを考える。
家まで戻って、お風呂を沸かす。ハルちゃんは、促されるままお風呂に向かう。
- 366 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:06
- 「先生見て、ほら。ハルがやった」
私がハルちゃんに続いて上がると、ハルちゃんはおかあさんと一緒に、りんごをうさぎに切っていた。
「かわいい。食べるのもったいないね」
隣に座る。ハルちゃんは小さいお皿に自分で切ったうさぎを入れて、私にくれた。
ハルちゃんの前には、おかあさんの作品らしい、食べかけのうさぎがある。
「いただきまーす」
「スカスカじゃなかった?当たり?」
「うん。美味しい」
お尻の方をかじっておかあさんに答えていると、ハルちゃんがゆっくり倒れてきて、私の膝に頭を預けた。
「寝るの?」
「…うん」
数秒後、吐息が寝息になる。
- 367 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:07
- 「疲れて、電池、切れちゃったみたい」
「あとでお布団持って来るね」
「ありがと。だっこして寝てあげたいから、ひとつでいいよ」
「じゃあ、おとうさんのベッド使う?」
「あーうん。そうする」
ぐったり、昏々と眠るハルちゃんの髪を、そっと撫でる。
「けんか、したわけじゃないんだね」
「うん。どして?」
「何かちょっと、様子おかしかったから」
ハルちゃんの残したりんごを口に入れながら、おかあさんが言う。
「ハルちゃん一生懸命普通にしてたのに、わかっちゃうんだね」
「違う。ハルちゃんもそうだけど、あやのこと。あなたわかりやすいから」
打ち明けようかずっと迷っていたけれど、話してしまうことにした。
「ハルちゃん、山の遊園地に、施設の行事で来たんだって」
「へえ。あったんだね、同じ思い出」
「うん。でも、着いたとたん泣いちゃって、閉まるまでずっと泣いてたの」
「そのときに何か、嫌なことでもあったのかしらね」
「それ以上は、話せなかった」
完全に寝入ったハルちゃんをふたりで抱えて、おとうさんのベッドに運んだ。
寄り添って、抱き寄せる。穏やかな寝息に、少し安堵する。
- 368 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:08
- 「いつもそうやって寝てるの?」
「ううん。ときどきだけ」
「上手く行ってる?」
「うん。大好き」
髪に頬を寄せる。普段と、違うシャンプーの匂い。
「あやね、必要なら、ハルちゃんの母にも姉にもなるって決めたの」
「ダメよ。ハルちゃんの母は私だもの」
「いいじゃないたくさんいても」
「そうね。きっと、何人いても足りないね」
おかあさんは少しだけハルちゃんの後頭部を見つめてから、灯りを全部落とした。
「おやすみ」
「おやすみなさい。…ねえおかあさん」
「ん?」
「いつもありがとう、あやのわがまま聞いてくれて」
大学に合格して家を出たいと言って、おとうさんに反対されたとき。
うんと年下のハルちゃんを好きになって、それを打ち明けたとき。
おかあさんは、黙ってただ私の味方をしてくれた。
「それが、親の仕事だから」
その夜私は、起こさないぐらいに強くハルちゃんを抱いて眠った。
- 369 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:09
- 翌朝、なかなか起きないハルちゃんのそばで、寝顔を見つめる。
どれぐらいの時間が過ぎたのか、やっとハルちゃんが重いまぶたを上げてくれた。
「おはようございます」
「おはよう。顔洗って、リビングおいで。寝癖直してあげる」
「うん」
ハルちゃんは適当に髪を湿らせて戻ってきて、私のそばに座った。
「先生」
「ん?」
ハルちゃんは、まっすぐ前を向いたまま。
だから私も、ハルちゃんの髪を見て、ブラシを通し続ける。
今日はたいして絡まっていなくて、すぐにいつものさらさらな髪になった。
「昨日は、ありがとう。何も聞かないでくれて」
「…だいじょうぶ?」
「はい」
振り向いた表情は、本当にだいじょうぶなように見える。
ハルちゃんは水音をくぐって、朝ごはんの支度をするおかあさんに話しかけた。
- 370 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:10
- 「おかあさんごめんなさい。ハル昨日ウソつきました」
「どんな?」
おかあさんが手を止めて、ハルちゃんの向かいに移動する。
「楽しかったって聞かれて、はいって言ったけど、ホントは何もしてないんです」
「そうだったの」
「施設のみんなで、奥のキャンプ場に行ったことがあって…」
ハルちゃんの声が、また涙で滲んだ。
「あやがわがまま言ったから、辛いこと思い出させちゃったんだね。ごめんね」
「違うんです。カレー作って、花火して、テントに泊まって、それ自体はすごく楽しかったんです」
激しくかぶりを振るハルちゃんの頬を両手で包み込んで、零れ落ちる涙を親指で拭う。
「どうして泣くの?」
「ハルだけ幸せになってないかな、みんな元気かなって思ったら、涙が止まんなくなって」
「きっと、だいじょうぶだよ」
ほかに、言葉が見つからない。無力感を押しのけて、懸命にハルちゃんの頭を撫でる。
- 371 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:12
-
「もっかい行きたい。いい思い出に戻したい」
「うん。おとうさん帰ってきたら、一緒に行こう。お休みまだあるし」
みんなのことは、今はわからない。
だけどハルちゃんのことは、私が必ず幸せにする。
声を殺して泣くハルちゃんを、決意の胸にかき抱いた。
< 「真情」 了 >
- 372 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:19
- お待たせして申し訳ありませんでした
>>356
ありがとうございます
また無邪気なところを書きたいです
>>357
ありがとうございます
いい加減飽きられるほどに間が開いてしまい申し訳ありません
>>358
ありがとうございます
次も忘れた頃にでもお越しください
- 373 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/20(土) 21:44
- おかえりなさい
更新ありがとう
繊細なはるちゃんに揺すぶられました
- 374 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/21(日) 21:11
- 待ってました ;・(つД`);・
やっぱ好きです この物語
読んでて切なくなるところもあるけど優しく心が温かくなります
- 375 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/06/29(月) 18:40
- おかえりなさい。またこの物語の続きを読むことが出来て、本当に嬉しいです。
ハルちゃんの思い出が、次は新しく幸せな色のものとして描かれますように。
雨が少しずつ遠ざかり、恋しくなる季節が近づいていますが。またこの先も楽しみに
しています。
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:45
-
日車(ひぐるま)
- 377 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:46
- 「何がいるかな?種と、土と、植木鉢?プランター?」
ハルちゃんが、向日葵を育てたい、って言い出して。
「水やるジョウロも要りますよね」
「あーそうだね」
必要なものを、揃えに行くことになった。
「それと、霧吹きも」
「霧吹き?なにするの?」
「虫がついたときに牛乳をシュッってやるといいんですって」
きっとこのごろいつも見ている、図書館で借りてきた本に書いてあるのだろう。
「へえー。虫も牛乳嫌いなんだね」
「先生と同じですね」
自転車を荷台代わりにすることにして、それを押すハルちゃんと並んで進む。
目指すホームセンターは、駅の向こうの国道沿い。
- 378 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:46
- 「何かちょっと、懐かしいね」
まだ別に住んでいた頃、ハルちゃんの家から送ってくれるときには、いつもこうして歩いた。
次に会えるまでしばしのお別れをしたあと、ハルちゃんはひとり自転車で戻る。
「そうですね」
「つかまっていい?」
「うん」
ハンドルを握る腕に、そっと手をかける。
「送ってくの、すごい辛かったです」
「あやも、帰りたくなかったな」
でも会えないときがあったから、一緒にいる時間をすごく大事に過ごせた。
今をうんと幸せに思えるのも、あの頃の気持ちを忘れていないから。
「でももう、少しの間離れて暮らすくらいなら、ハルはだいじょうぶですから」
「うん、あやも。ちゃんと考えるね」
どうしても一年は離れなければならない。
平気じゃないけれど、それがお互いのためだからがんばらなきゃって思う。
- 379 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:47
- 「あーあと、小さい折りたためるイスも欲しいです」
「何に使うの?」
「ベランダで観察するときに、必要かなって」
「あーじゃああやのも買いたい。売り場どこだろね?」
「んー、何か釣りとかで使うイメージ」
「釣具売り場ってある?」
「わかんない。見つかんなかったら聞きましょ」
とりとめのない話のうちに、お店に着いた。
「まずはガーデニング用品。外ですね」
スーパーよりも大きいカートを押しながら、必要なものを探して歩く。
広い広いお店を、ぐるぐるぐるぐる。
とりあえずメモしていたものは、すべて揃ったはず。
「もうこれでいい?」
「あっ、蚊取り線香あったほうがよくないですか?」
「そっか。外で観察するんだもんね」
会計に向かううちにも、少しずつカートの中身が増えていく。
「ハルが言い出したし、ハルの小遣いで払いますね」
「なんで?生活費から出そうよ」
「だって、必要経費じゃないでしょ?」
「じゃあ、あやもお小遣いから半分出す。一緒に育てるんだし」
合意が成立して、帰路に着いた。
- 380 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:48
- 「おうちに荷物置いたら、もう一回出てあおい軒行こうか」
重い土やかさばるものをカゴに積んで、ハルちゃんが自転車を押す。
「あー、うん。なんだかんだもう夕方ですもんね」
私はこまごましたものを入れた袋を提げて、その隣を歩く。
「ごはん食べて帰ってから、作業しよう。遅くまで明るいしだいじょぶだよね」
玄関に荷物を置いて、今度はふたり歩きでまた外へ。
ゆっくりゆっくり食事をして、薄暮の中、手をつないで家に帰る。
- 381 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:49
- ベランダで最初に出番が来たのは、蚊取り線香。続いて小さなイス。
三番手のプランターに、しかるべき土を入れる。
指で穴を開けて、種を入れて土をかぶせて。
買ってきた象のジョウロで土に水をかけながら、不安そうにハルちゃんが言った。
「これでよし。ですよね?」
「うん。だと思う」
本や、種の袋にある説明、店員さんに聞いたことを総合して、今のところは完璧だった。
「いつ芽が出るかなあ」
「一週間後ぐらい、って書いてあるね」
「じゃあ来週の土日徹夜すれば、芽が出るとこ見られますかね?」
冗談かと思ってハルちゃんの方を向くと、いたって真面目に土を見つめている。
「ハルちゃんかわいい。子どもみたい」
「だってまだ子どもだもん」
なぜそう言われたのか腑に落ちない様子の表情。久しぶりに垣間見る幼さ。
- 382 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:50
- 「でもいつも、すごく大人っぽいじゃない」
「そんなことないですよ」
「そんなことあるよ。だって歳の差全然感じないもん」
「先生がこっち寄りなんでしょ?」
「まあそれはそうだけど。ホントに寝ないで観察する?」
抱えた膝に顎を乗せて、ハルちゃんはしばらく無言だった。
「無理か。一週間ってもその日に芽が出るとは限らないですもんね」
「うん。だから寝る前と、朝少し早く起きて見るようにしよっか」
ハルちゃんは、また黙り込む。
「それで金曜の夜にまだ芽が出てなかったら、一緒に徹夜しよ?ね?」
「うん」
折り合いがついたようで、やっと返事をしてくれた。
- 383 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:51
- 「部屋入って、お茶、飲もう」
名残惜しそうにプランターを見つめるハルちゃんを促して、立ち上がる。
麦茶をいれたグラスが、ほどなく汗をかく。
とっくにお布団を片付けたコタツは、ハルちゃんの希望で、そのままテーブル代わりに。
季節が、進んでいく。同じ時を刻めるのは嬉しくて、でも少し淋しい。
「どしたの?」
「へっ?何で?」
ほんの一瞬の感傷を、ハルちゃんは見逃してくれなかった。
「唇とがってたから、考え事かなって」
「夏になったら、またひとつ多く歳上になっちゃうなって思っただけ」
今日植えた向日葵が花を咲かせるころ、私はハルちゃんと付き合って初めての誕生日を迎える。
「すぐひとつ追いつくよ。そんな顔しないでよ」
秋のその日が来たら、同時に一年の記念日。冬も春も、あっという間に来るだろう。
ちゃんと就職しなきゃ、でも離れたくない、でもふたりで決めたことだから…。
お互いのために頑張ろうって思っていても、心は、ふとした瞬間に入り組んでもつれる。
- 384 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:52
- 「一年や二年、すぐに過ぎますって」
「うん」
「十年経てば、歳の差だって普通でしょ?」
「…うん」
ハルちゃんの方が、私よりもっと辛いはずなのに。
「ごめん。だいじょうぶ。ありがと」
白く長い指ハルちゃんの指が、私の頬に触れる。
抱き寄せられる。強く抱きしめられる。
抱き合ったまま私の背中が、床にくっついた。
ハルちゃんの肩越しの天井。艶々と灯りを反射する、短い髪。
- 385 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:53
- 「彩花」
「…呼ばないでって頼んだでしょ」
まだ冬だった頃に、先生って呼ぶのを止めようとしてくれたことがあった。
けれどそのたびに鼓動が跳ね上がって寿命が縮むから、普段はそのままにしてもらった。
「こういうときはいいって言ったじゃん。そのつもりだもん」
名前を呼ぶのは、抱きしめてくれるときだけにしてほしい。確かに、そう言った。
言葉に詰まる私に、ハルちゃんは畳み掛ける。
「ここでじゃ、だめですか?」
「…電気、消してくれたら」
言い終わらないうちに、ハルちゃんがリモコンに手を伸ばす。
- 386 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 19:54
-
「彩花。あやかあやかあやか」
額に、まぶたに、頬に、耳元に、首筋に。
暗闇から、ハルちゃんの唇が流星のように舞い降りて来る。
最後の星が、ゆっくり唇に落ちた。
そして私は、雨に濡れた。
< 「日車」 了 >
- 387 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 20:06
- >>373
ありがとうございます、ただいま戻りました
みんなも幸せだといいなと思っています
>>374
ありがとうございます、お待たせしました
書いていて救われているところがあるので、同じ何かを感じていただけているなら嬉しいです
>>375
ありがとうございます、ただいま戻りました
自分も続きを書けることを幸せに思っています
- 388 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/24(金) 21:06
- >>384
空行の下二行目の最初の「指」は削って読んでいただければ
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/07/25(土) 21:56
- 更新ありがとうございます
ハルちゃんかわいい 発芽の瞬間見れるといいな
影響されてなにか植物育てたくなりました(ノ∀`)
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/09/13(日) 20:51
- 待ってます
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/11/09(月) 18:18
- 毎日読みに来ています。
何度読み返しても、胸にくるものがある素敵なお話です。
負担になったら…とも思うのですが…、ゆっくりお待ちしております。
- 392 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:19
- >>389
ありがとうございます
真冬になってしまいましたが、何か咲きましたでしょうか?
>>390
ありがとうございます
お待たせいたしました
>>391
ありがとうございます
いただくレスは、励み以外にはなりません
一旦終わりますがまだやるつもりでいるので、末永くお付き合いください
- 393 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:19
-
最終話 心音
- 394 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:20
- 「ハルちゃん。あやが見に行ったら、やっぱり嫌だよね?」
「ん、何で?全然いいけど」
夏休みに入ってから、ハルちゃんは市営プールで短期のアルバイトを始めた。
七月末までの間、小学生と中学生を対象に泳力指導教室が開かれて、その補助を、水泳部員が担う。
今年はその人数が足りなくて、転校前はそうだったハルちゃんにも声がかかったらしく。
今日は、その最終日。ダメだって言われたら、こっそり行くつもりだったのだけれど。
「いいの?」
「うん。観覧席みたいなのもあるよ、屋根ないけど」
「わかった、完全武装で行くね」
「午後から日陰になるから、その方がいいと思う」
初夏から日焼け対策をする私と、無防備なハルちゃん。なのに、肌色の差は開く一方で。
だから私は長袖を着て日傘を差して、ひと駅向こうのプールに出かけた。
- 395 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:21
- 夏の盛りにだけ営業するそのプールは、駅から少し歩いた緑地公園の中にある。
敷地へ木立の切れ間を通って、木漏れ日の中、その入り口を目指す。
近づくにつれ、歓声や水音が高く響いて、夏の色が濃くなっていく。
プールへのゲートを一歩入ると、明らかに湿度が高くなった。
大勢の子たちが、一方通行で泳いでいる。ところどころに立っている、補助の部員。
照り返す水面に目を細めてハルちゃんを探しながら、保護者の人たちが座る席へ足を向けた。
「あと5メートル!3メートル!行ける!よし!」
ハスキーな大声が響く方を見る。ハルちゃんが小さな小学生とハイタッチしている。
「25メートル行けたじゃん!」
ときどき私にしてくれるように、ぐりぐりと水泳帽の頭を撫でるハルちゃん。
あとからあとから、次々泳いでくる子どもたち。
「あと二回腕回したら壁まで行けるから。たった二回だから」
もう少しのところで、もがいて立ってしまった子。
「息継ぎ出来るんだから、どこまでだって泳げるよ、次は最後まで行こうね」
一人ひとりの習熟にあわせて、声をかけている。
照りつける太陽。降り注ぐ蝉時雨。教室はお昼を挟んで、一日続く。
このところハルちゃんは気を失うように眠ってしまっていたけれど、それもよく分かる。
- 396 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:22
- 飽きずに眺め続けていると、ときどき場面が変わった。
一時間に一回は、全員がプールサイドに上がる。先生がマイクで指示をして、そのたび水に沈めた石を探したり、水球もどきの遊びをしたり。
ふざけて子どもたちと水を掛け合ったり、何かと競い合ったりするハルちゃんが、とっても可愛い。
やがて長い長い笛が鳴り、整理体操が始まった。
いちにっさんし、ごーろくしちはち。先生の動きと掛け声にあわせて、屈伸したり、伸脚したり。
最後の深呼吸が終わって、教えた側と教わった側がクロスしてハイタッチしたあと、順に更衣室へ捌けていく。
私を見つけたハルちゃんが、手を振って出口の方を繰り返し指差してくれたので、外でしばらく待つ。
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:24
- 「暑かったでしょ。わざわざありがと」
タオルで拭いただけの濡れ髪のまま、私服のハルちゃんが出てきてくれた。
「ううん。お疲れさま。髪、ちゃんと乾かさなくていいの?」
「うん。だって更衣室、ドライヤーもコンセントもないし」
「へぇそうなんだ」
とりとめのない話をしていると、ハルちゃんの背後に高校生らしき子が出てきた。
あたりを見回しハルちゃんの姿をみとめて、声をかける。
「くどぅー」
呼びかけられたハルちゃんが、振り返る。
「打ち上げ、どうする?」
「あー…ごめん」
参加を断ろうとする空気に、とっさに割って入った。
「ハルちゃん」
「ん?」
私に向き直るハルちゃん。
「行っておいで」
「…でも…」
きっと私がひとりになってしまうことを、気にしてくれている。
「だいじょうぶだから、行っておいで。それも、すごく大事なことだから」
黙って頷くと、ハルちゃんはまた振り向いた。
「あとで追いかける」
「多分あの角のファミレスだから」
「わかった。予定変わったら知らせて」
了解、と手をあげて、ハルちゃんの友だちは去っていった。
- 398 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:24
- 「一緒に行かなくていいの?」
「うん。駅まで送ってく」
「ごめんね。ありがとう」
少しの距離を一緒に歩きながら、忙しかった日々をねぎらった。
「毎日大変だったね。疲れたでしょう?」
「うん。でも、楽しかった」
「今日、あやに気を使って早く帰ってこなくていいからね」
「分かった。ちゃんと最後まで行く」
「楽しんできてね」
バイバイ、と小さく手を振って改札をくぐり、家へ戻った。
- 399 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:25
- 適当に晩ごはんを食べて、課題のレポートに取り掛かる。
きっとハルちゃんもそうだと思うけれど、ひとりでいる時間には、自分のことをがんばるって決めている。
ひとつ仕上げる。ふたつ目に取り掛かる。半分くらいのところで、玄関のチャイムが鳴った。
モニターにハルちゃんが映っていたから、応対を飛ばして直接鍵を開ける。
「おかえりー」
「ただいま。ごめんね遅くなって」
ドアを開けると、ボサボサ頭のハルちゃんが滑り込んできた。
ものすごく急いで、自転車を漕いでくれたのだろう。そっと、髪に手櫛を差し入れる。
「ううん。ごはんの後どこか行ったの?」
洗面台に向かいながら荷物を受け取って、手を洗う後姿と話す。
「何か、カラオケって話になって。ついてった」
「歌った?」
「あんま歌知らないし…恥ずかしいし」
「今度一緒に、練習行こうか」
「…うん」
真っ赤な顔でうつむくハルちゃんの頬を、両手で包む。
- 400 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:27
- 「お風呂、沸かしてあるから」
「先生は、もう入ったの」
「うん、シャワーだけだけど」
「一緒に入りたかったな」
いたずらな声音に、軽く両耳を引っ張って対抗した。
「大人をからかわないの」
「痛いって。からかってない、本心だもん」
「またいつかね。このまま入って。着替え持って来てあげるから」
洗面所と隣り合う浴室にハルちゃんを送ってしばらく、またレポートを続けた。
上がってくる気配と同時に、手を止めて切り上げる。
「あー気持ちよかったー」
タオルを巻いたクッションを枕に、リビングのラグに寝そべる、お風呂上りのハルちゃん。
扇風機の風に吹かれながら、目を閉じて大の字になっている。
何も言わず、そっと和室に移動した。布団を敷くと伝えたら、手伝ってくれるだろうから。
終わって戻ると、ハルちゃんは、さっきの体勢で眠ってしまっていた。
肩から真横に伸びる腕に、そっと頭を乗せてみる。
夢うつつのまま、ハルちゃんがカクンと肘を折って私を抱き寄せた。
これ幸いと、もう少しくっつく。静かに上下するおなかに、手のひらを乗せる。
呼吸を合わせているうちに、つられて私も眠ってしまった。
- 401 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:29
- どのくらい時間が経っただろう。鼻をつままれて、目を覚ます。
「もー、ちゃんとお布団で寝ないとダメでしょー」
ハルちゃんが真似るのは、いつも私が、うたた寝するハルちゃんを諭す口調。
「あまりにも気持ちよさそうだったから、一緒に寝たくなったの」
「でも、そこをいっつも起こすじゃん」
「ごめん」
「謝るんだ」
「素直だもん」
「そですね」
クスクス笑うハルちゃんの胸に、頬をうずめる。
ハルちゃんは私を抱き寄せて、黙って繰り返し髪を撫でてくれる。
それ以上、特に何を話すでもなく。静かに、時が流れていく。
「ねえ、ハルちゃん。あや、こういう時間大好き」
「ん?」
「二人でいて何もしない時間、大好き」
「あー、ハルも。幸せだなーって思いますよね」
「うん」
だからこの時間を、ずっとずっと守り続けたい。
- 402 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:30
- 「ひまわり、見に行きましょっか?」
「うん」
勢いをつけて、一緒に起き上がる。
夜も深いので、静かに引き戸を開けて、外に出た。
二人の胸や肩のあたりにまで届きそうな、太い茎。
その先に息づく、今にも開きそうに大きなつぼみ。
「育ったね」
「いつ咲いてもおかしくないですよね」
「うん。また夜通し観察する?」
「しません」
種を植えたときは結局徹夜した次の日に芽が出て、もう懲りたみたい。
「水、あげた?」
「うん、夕方に」
「雨降りそうだから、軒下入れときましょうか」
プランターを引きずって少し移動させてから、小さいイスを片付けた。
- 403 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:30
- 室内に戻ると、何も言わずにハルちゃんがリビングを出て行った。
お手洗いかなと気にも留めず、麦茶をふたついれて、テーブルに運ぶ。
戻ってきたハルちゃんが隣に座り、グラスに口をつけた。
「ありがと、お茶」
いつになく、じっと私を見つめるハルちゃん。
「うん…何?」
恥ずかしいけれど、目を逸らせない。
- 404 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:31
- 「誕生日、おめでとう」
「…ありがとう」
ハルちゃんが、私の左手を取った。唇が薬指に近づいて、そっと触れる。
手のひらが返されて、上を向く。小さくな包みを、ハルちゃんがそっと乗せる。
高鳴る鼓動が、ずっとおさまってくれない。
「プレゼント。今回のバイト代で買いました」
「…ありがとう」
「小遣いじゃない、自分のお金で買いたかったんです」
「…うん。ありがとう」
いつの間に、何を用意してくれたのだろう。
- 405 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:32
- 「開けていい?」
「うん」
リボンをほどいて、袋を開く。中身を、そっと手の上に出す。
銀のプレートに、日付と名前の刻印があった。その先に、鍵が付いている。
「自転車?」
「先生さ、ときどきハルのやつ乗ってくじゃん」
「うん」
「似合わないなって、いつも思ってて」
「自分でもちょっと思ってた」
「やっぱり。だから、安くて丈夫で可愛いの、探したんです」
「ありがと」
声が、かすんだ。いつもハルちゃんを見ていたつもりなのに、何も、気づかなかった。
- 406 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:32
- 「まだお店に預かってもらってるから、現物見せられないけど」
「うん。ありがと」
「明日取りに行って調整してもらって、そのままどっか出かけませんか」
「うん、行く。ありがと。嬉しい」
鍵を握り締めたまま腕の中に滑り込むと、強く抱いてくれた。
「どうしても、自分で何とかしたお金で、プレゼントしたくて」
「うん」
「でも来年とかもうバイト出来るかわかんないし、何年分かまとめてますから」
「ありがと。一生大事にする」
「一生は、ダメですよ。古くなったら危ないから、また贈りますから」
「うん」
「何台も何台も乗り換えるぐらい、ずっと、一緒にいましょうね」
「うん」
嬉しくて。ただ嬉しくて、何も言えず。
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:33
- 「サイクリング、どこ行きましょうか?」
「ローマ」
「あー。川沿いに下って行くと、公園あるんですよ。そこじゃダメですかね?」
「お弁当、作る」
「ハルも、手伝っていいですか?」
「不安?」
「違いますよー」
胸に頬をうずめて、本心と違うことを言うしかない。
「さっき布団、敷いてくれたんでしょ?一緒に寝ましょ?」
しがみついたまま頷くと、手を引いて和室に連れて行ってくれた。
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:34
- 枕元、目覚まし時計の横に、もらった鍵を置く。
ハルちゃんのお布団に入ってくっついて、一枚のタオルケットを分け合う。
前後して、ポツ、ポツ、ポツ、ザザザザッ、と雨が降り始めた。
「ハルね、ちっちゃいとき、雨の音、大好きだった」
「なんで?」
「保育園の頃、雨が降ると、ほかの子を迎えに来る音が、聞こえづらかったから」
「そっか」
泣かないように、いつもの結界を張る。ハルちゃんに、それは来ない。
昼の保育園から夜の保育園へ、先生に送ってもらう日々だったから。
「先生の声、雨音みたいでずっと聞いてたいって最初から思ってた。今でもよく思う」
「ずーっと、絵の話聞かせてあげようか」
「うん。…あーでも、ほかの話もときどきでいいからしてほしい」
「無理しなくていいよ。いつも美術館つき合わせてごめんね」
「そんなんじゃないって。ちゃんと…ちゃんとかわからないけどハルも絵見てるし、楽しいよ」
私が長い時間一枚の絵を見続けてしまっても、ハルちゃんは黙って待ってくれる。
「雨の絵も、たくさんあるよ。もし展覧会があったら、見に行こう」
「うん」
私に雨が降ることも、いつか、打ち明けよう。
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:36
-
トクン、トクン。胸に頬を押し当てると、ハルちゃんの鼓動が耳にこだました。
この音を、ずっと聞き続けたい。いつか、死が二人を分かつまで。
明日はきっと、ひまわりが咲く。だから、早く起きよう。
そう思いながら、ハルちゃんの腕の中で、いつの間にか眠った。
< 最終話 「心音」 了 >
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 13:39
- レス番407はスマイレージの「ぁまのじゃく」への敬意をこめて
最終レスの一文は自己模倣を含みます
長らくお待たせして申し訳ありませんでした
スレッド容量との兼ね合いでいったん了としますが、やめるつもりはありません
だから、いつか、またお会いしましょう
- 411 名前:名無ししいく 投稿日:2016/01/10(日) 14:05
- 更新案内を見てとんできました
次の夏のハルちゃんをプールで見かけた気になれました
少しおやすみの宣言がありましたが、
次の約束もあり幸せな気持ちでいっぱいです
ありがとうございました
- 412 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/10(日) 23:13
- 更新ありがとうございます。そしてお疲れさまでした!
穏やかな雨が上がる朝にどうか日車が目を覚ましていますように。
またお会いできる日を楽しみにしています!
- 413 名前:名無飼育さん 投稿日:2016/01/31(日) 21:55
- 楽しみに読んでました。ありがとうございました。
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2017/05/05(金) 23:09
- >>411
ありがとうございます
一年以上かかってしまいましたが、これで約束を守れたといえるのかどうか
よければまたお付き合いください
>>412
ありがとうございます
ひまわりは、大きく咲いて、次世代に種を残します。
よければまたお付き合いください
>>413
ありがとうございます
よければまたお付き合いください
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2017/05/05(金) 23:10
- Loving you forever
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/wood/1493992229/
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