ローズクオーツの掟
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/03/05(水) 21:34
-
宮本さん中心の小説です。
主な登場人物はJ=J 娘。などなど。
- 2 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:36
- 「失恋唄」
最初は「ともかりん」にて
よろしければどうぞ。
- 3 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:38
- 「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」
突然、小野小町の有名な一句が頭に思い浮かんだ。
辺りには霧雨のような細かい水滴が夜の街を静かに濡らしている。
何で百人一首なんて突然思い出したのか自分でも分からない。
金澤朋子は車を降りると従者を車に待たせたまま
急ぎ足で黒い大きな屋敷の前に立った。
建物は数多のかがり火をつけた巨大な石造りで、
どれほどの奥行があるのか朋子にも分からない。
このどこかにあの子がいる。
そう思うとすぐにでも会いたくてたまらなかった。
- 4 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:39
- 「お待ちしておりました。金澤朋子様」
応対の黒い服の執事が門の前に立っている。
朋子の姿を見るなり恭しく頭を下げた。
朋子は目だけで合図する。
朋子が急かしているのを見てとった執事はさっそく
人の三倍は軽くあろうかというそびえるような木製のドアを
ゆっくりと開けた。
建物の内部は照明もなく暗くて、目が慣れないうちは何も見えない。
執事が手にランプを持ってやっと足元が照らされる。
床は板敷になっていて両側に等間隔に蝋燭がそえられている。
板と板のすき間に白い砂が散りばめられていて、
仄かな蝋燭の光に照らされて青白く光っていた。
- 5 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:41
- 「今日もご指名は・・・」
前方を歩きながら軽く頭を下げて、執事が聞く。
「佳林ちゃんをお願い」
「かしこまりました」
まるで合言葉がを受け取ったかのように執事はそれだけ聞くと
さっさと前を歩いていく。
朋子は目立たぬように黒コーデに身を包み、シックなプリーツスカートに
どこぞの伯爵令嬢からプレゼントされたトリミング付きの
レースボレロを着ていた。
ここは上流階層の令嬢しか利用できない女性専用の倶楽部だった。
- 6 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:43
- 金澤の家はこのあたり一帯の土地を所有する有数の富豪で
この地において知らぬ者はいない。
それゆえに金を中心とした欲望と多くの嫉妬や商売敵の
狡猾な視線にさらされる。
とにもかくにも出来るだけプライベートは包み隠して
おくのが無難だ。
地面だけ光に照らされた暗い回廊をひととおり歩いたあとに
小さなかまくらのような構造物の前に行き着いた。
それはこんもりと丸みがかったテントのような部屋で
わざと小さく作ってあるのだろう。
ドアも女の子一人がぎりぎり通れるぐらいの小ささだ。
執事は何も言わずに手で入口を示し軽くお辞儀をする。
- 7 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:45
- 「ありがとう」
朋子はそう言って示されたとおりにドアを自分で開ける。
「とも!」
部屋へ入るなり佳林が抱きついてきた。
肩口までのショートカットの黒髪、丸みを帯びたつややかな面に笑顔が転がる。
「来てくれると思ってたよ」
半分笑って半分泣いたような佳林の顔。
佳林を抱きしめながら、それがここにいる女の子が
自然と身につけるであろう演技なのか、
それともこれが素の佳林の姿なのか分からずにとまどう。
- 8 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:47
- 「とも、座って。何か飲むでしょ?」
佳林は朋子を座らせると古めかしい布に書かれた注文表を見せる。
部屋の中は思ったよりも広かった。
低い天井には暗めのランプがついていて真ん中においてある
木の切り株をあしらったテーブルを朧げに光らせている。
二人並んで座る椅子は一つだけ。
それもすぐ後ろは壁になっているから二人密着しないと座れない。
本当はもっと広い部屋もたくさんあるのだが
今日はあえて狭い部屋を頼んでおいた。
- 9 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:49
- 視線を下に移すと顕になった佳林の太ももが見える。
オレンジ色のランプに照らされてそれは健康そうな
琥珀色をしていたが、華奢な印象は昔から変わらなかった。
「こんな短いスカートはかされて・・・」
朋子が言うと佳林は恥ずかしそうに手で足を隠した。
「大丈夫。寒くないよ」
そう言って佳林は笑う。
「そういうことじゃなくて」
朋子が言うと佳林は分かってるいるようないないような
曖昧な表情で朋子を見つめる。
その距離が近すぎて本能的に朋子は佳林の手を握った。
もう片方の手は佳林の太ももを分かるようにはっきりと触る。
- 10 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:50
- 「こういうことされたりとか・・・さ」
いやらしいと思われただろうか。
口で言ってもこの子には分からないかもしれない。
だからこうした。
それとも自分で口に出すのが嫌だったのか分からなかった。
「大丈夫。だってここにくる人、ともみたいな女の子ばっかりだよ」
あたしみたいな客・・・だから危ないんじゃない。
そんなねばつくような自分への嘲笑を押し殺して
朋子は無邪気に笑う佳林を見る。
元々の朋子と佳林の立場は完全に逆だった。
- 11 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:53
- 「佳林様」
朋子は佳林のことをずっとそう呼んできた。
それは佳林の家、宮本家がまだ古くからの伝統と威勢をまだ維持していた頃。
経済的には零落しつつあったものの宮本家は代々子爵の称号を
受け継ぐ貴族の家系だった。
金澤の家も今は貴族と言ってもそれは父の代からだ。
元は卑しい商家の出で父が外国との貿易で一財産をつくりあげた。
そして金の力で強引に宮本家と同じ子爵の称号を得た。
しかし商売に成功して形ばかりは豪邸に住んで多くの召使を雇っても
庶民の卑しさというものは簡単には消えない。
朋子の父は貴族の「雅」というものを身に付けさせるため、
朋子を宮本家へ奉公に出した。
- 12 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:55
- 表向きは宮本家の一人娘の佳林の遊び相手としてだった。
朋子の父は意地でも金澤の家から商人の卑屈さというものを
消し去りたかったらしい。
朋子は所詮は平民である父の貴族に対する劣等感を敏感に感じ取っていた。
商売で力を得たならそれを徹底して追求すればよいのに
何故そうしないのだろう。
貴族に媚びへつらう時点では最初から負けたも同然だ。
そう思って朋子は父に落胆と失望を感じたが、
それが父の恐ろしさの端緒だということに
この頃の朋子はまだ気づかなかった。
それでもとにかく佳林と遊ぶことは楽しかった。
- 13 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:57
- 朋子と佳林はよく百人一首が書かれた貝殻で歌遊びをした。
「あらざらむ この世の外の 思ひ出に」
「はい!」
朋子が歌を途中まで読んだところで佳林が元気よく
歌が書かれた二枚の白い貝殻を同時に取り上げる。
さっきから佳林が朋子がもっているカードをちらちら見ていたから
事前に読む歌が分かっていたからに違いない。
「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」
中に上の句と下の句が書かれた二つの貝を合わせることで
一つの歌が完成した。
- 14 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 21:58
- 「佳林様、ずるい」
朋子は笑いながらそれでも佳林の頭を撫でてやる。
一つに合わさった貝は真珠色の新鮮な輝きを放つ。
ひとしきり美しい曲線を描く蛤を見た後に佳林が上目遣いで
朋子を見つめる。
黒い髪が赤と白の着物にいっそう映えて佳林の美しさを際立たせる。
貴族の家の子供はこんなに美しくて可愛いんだ。
佳林の愛らしさは単に身分の違い以上のものに感じる。
佳林と自分は元々流れている血脈から異なるのかもしれない。
朋子は自分とのあまりの違いにため息をついた。
- 15 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:02
- 「ねえ、この歌ってどういう意味?」
佳林がまだ何も知らない丸い頬を傾けた。
その顔はあたかもこの世に邪の心など一つもないかのような
確信を持って朋子に迫る。
「この歌はですね。私はもうすぐ死ぬのだからこの世の思い出に
大好きなあの人にもう一度会いたいという意味ですよ」
朋子は模範的な解釈をすらすらと述べたが、果たして佳林に
歌の本当の意味なんて感じることができるのかと訝しんだ。
- 16 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:03
- 「へえ。じゃあこの歌をよんだ人は重い病気か何かだったの?
好きな人にちゃんと会えたのかな」
あからさまに悲しそうな表情をする佳林に朋子は思わず微笑んだ。
「そうとは限りませんよ。佳林様」
とりあえず作者の和泉式部が好色で恋愛遍歴の多い人物だったことは
佳林には言わないでおこうと思った。
「私はもうすぐ死ぬと嘘をついてだから会いに来てほしいって
そう歌ったのかもしれませんよ」
朋子は諭すように言って佳林を優しく見つめる。
- 17 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:04
- 「そっか。本当に死んじゃうんだったら歌なんて読んでる場合じゃないもんね」
佳林はうんうんと深く納得したようにうなずいた。
「でもそんな嘘ならありだなあ」
佳林は夢見るような目つきで視線を上にした。
「え?」
「だってそこまでしても会いたいってことでしょ。
そんなこと言われたら嬉しいもん」
そう言った黒目がちの意味ありげな佳林の表情を朋子は
今でも鮮明に覚えている。
- 18 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:06
- 「佳林ちゃん」
客としての自分ともてなす側の佳林。
立場が入れ替わってやっと朋子はそう呼べるようになった。
遠慮しつつも佳林の体に触れられるようになった。
だから朋子は一度握った佳林の手はまだそのまま離さないでいた。
「ここじゃ元貴族だったって言っても誰も許してはくれない。
家の借金だって佳林ちゃんがここで何年働いても返せるわけないんだよ」
「それは分かってるよ」
佳林は何をいまさらというようにうなずく。
- 19 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:07
- 佳林の家が背負った借金はそれは莫大なものだった。
しかもそれは金澤家に騙されて意図的に作らされたものだ。
朋子の父がまさかそんな狡猾なことを考えているなんて
思いもよらなかった。
佳林の家は朋子の父に騙されて子爵の地位も財産も
金澤家に奪い取られた。
それだけでなく、多額の借金まで抱えこまされ、
肩代わりのために娘を売るように強要された。
だから佳林は最初は朋子の物になるはずだったのだ。
それを佳林がどこまで知っているか朋子は知らない。
- 20 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:09
- ただ寸前のところで佳林のこの店に逃れた。
貴族の娘は高く売れる。
売られて身も心もずたずたにされるよりは、
このお店で奉公したほうがましだという判断があったのだろう。
しかもこの店は良家の令嬢しか客として入ることを許されない。
ただし、こうやって喋っているだけで宮本家が背負った借金など
到底返すことなんてできない。
いずれは誰かに売られることになるだろう。
そうなる前に朋子は今度こそは佳林を何とかしたかった。
「私がすぐにでもこんな生活から抜け出させてあげる」
もう佳林を身請けするぐらいのお金は用意した。
- 21 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:12
- 「佳林ちゃんが私のものになってくれるんだったら」
朋子の気持ちは愛の告白と比類されるぐらい真剣そのものだった。
佳林は静かに首を横にふった。
「私はともの物にはならないよ」
その時の佳林のあまりにも強い目尻に朋子は寒気を感じた。
「でもね。会いに来て。とも。もしともが会いに来てくれなくなったら、
あたし死ぬかもしれない」
言いながら佳林は朋子の体に抱きついてくる。
佳林の体から甘い匂いがして柔らかな感触を胸全体で感じる。
至近距離で朋子は佳林と見つめ合う。
- 22 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:15
- 今度は佳林の方が朋子の腕を離そうとはしなかった。
朋子の脳裏に二人で短歌を読んだあの頃の甘い唄の記憶が蘇った。
きれいに整えられた宮本家の庭ではよくホトトギスが遊びにきて
佳林の透明な歌声に寄り添うように泣いた。
あらーざらむ
佳林が甲高い声で歌っているのはあのときの和泉式部の唄だ。
朋子はあの歌は脅しだと言った。
死ぬなんて気を引くための口実にすぎないと思っていた。
でも案外そうでないのかもしれない。
紅い頬紅を塗った佳林が残酷なほど美しかった。
- 23 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:16
- 「失恋唄」
終わり
- 24 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:16
- ---
- 25 名前:失恋唄 投稿日:2014/03/05(水) 22:16
- ---
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/03/09(日) 00:30
- ともかりんいい!
期待して待ってます!
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/03/09(日) 03:17
- 続きモノですか?
楽しみすぎる組み合わせです。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/03/24(月) 21:53
- >>26
ありがとうございます。私もともかりんに夢中です。
>>27
ありがとうございます。
短編を並べていきますが一応関係していたり、続きみたいに
なっていたりと不確定な感じですが、よろしければ今後も
お付き合いくださいませ。
- 29 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 21:54
- 小田ともかりん的な話です。
佳林様の貴族時代。
- 30 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 21:55
- 夕暮れの陽が遠く山の後ろを真っ赤に燃やしている。
反対に濃くなった緑色の山腹には所々に民家らしきものが見え、
長細い煙を立ち上らせている。
合間には桜の木がまばらにあって著しい緋色と
まったく色合いの違う樹木の翳りとがお互いに
混ざり合って美しい山の調和を奏でていた。
どこか遠くのお寺から夕刻を知らせる鐘が微かに響いてきている。
宮本佳林は縁側に座ってずっとそんな山の景色を眺めていたが、
いつの間にか近くでも香ばしい食欲を誘う匂いがしてくる。
宮本家の厨房でも夕食の準備が始まったのだ。
- 31 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 21:57
- 視線を近くに移すと庭の様子もすっかり夕暮れて庭石が
大きな影をつくっていた。
あれほど燦々と照らされた雲母をあしらった白砂も
くすんで青光りし、棕櫚の木の葉はすでに色を失って黒い輪郭だけを
揺らしていた。
あたりが暗くなる一瞬前の時間帯。
この時刻を「逢魔が時」と言って幽霊や妖怪に出会いやすい
時間帯だと朋子に教えられた。
そんなものに出会いたくはなかったが、
佳林はひょこりと縁側から飛び降りる。
厨房の様子を見に行くためだ。
佳林は忙しく働いている人達のことを見るのが好きだった。
野菜を切ったり釜戸で火を起こしてご飯を炊いたり
みんな脇目もふらず自分がやることに集中している。
一瞬の無駄もなく敏捷に動いている人達を見ていると
働かされてるのではなく、本当に幸せそうにみんな
動いているのがよく分かった。
- 32 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:00
- 自分もいつかはそんなふうに働けるようになってみたい。
ただし自分が高貴な貴族という身分でありながら
そんなことが叶うかどうかは自分でも分からなかった。
厨房の搬入口に近づくにつれ、野菜を運び入れたり洗い物を
外にだしたり多くの使用人の話し声が聞こえて賑やかになる。
時々手伝う子供達のはしゃぐ声までして、
まさしく逢魔が時になっていた静かな縁側とは大違いだ。
佳林はその様子を柱の影に隠れてじっと見ていた。
そのうち人々の話し声や煮炊きの音に混ざって
微かな鼻歌のようなものが聞こえてくるのを感じた。
耳を澄ますとばちばちと燃えるかまどの火の音に
その歌はリズムを刻んでいくようだ。
少しくぐもったような、それでも美しい歌声だった。
他の人達に見つからないように佳林はさっと厨房の横を通り抜けると、
その隣がかまどのある部屋だった。
- 33 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:01
- 開けっ放しになっている戸から中をそっと見ると、
少女が一人しゃがみこんでかまどの火に筒で息を吹きかけている。
息を吹く合間に自然と歌ってしまうものだから
あたかも炎と同調して歌が流れているように聞こえるのだ。
多分使用人の子供なんだろう。
佳林と同じくらいか少し年上ぐらいに見えた。
ただし、身なりは佳林が来ている美しい着物とはだいぶ違って
汚れのついたはっぴを着てひざまでおろした麻の生地は
ほつれたのを何度も直した跡があった。
それでも髪の毛はきちんと結ばれて、それがその子の
凛とした気持ちの強さと生命力を象徴しているように思えた。
佳林は顔が見たくなってそっとその子の後ろにそっと回りこんだ。
そして横から土間にあがって上からも眺めてみる。
少女は佳林に気づかずにまた歌いだした。
- 34 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:02
-
火の鳥は歌う。
暗い空を明るくするまで。
ふーっと少女が竹筒で息を吹きかけた。
炎は呼びかけにこたえるように明るく踊っているように見える。
少女はまた同じフレーズを歌った。
また火が燃え上がる。
佳林はそれを見ていると火の魔術師の仕事を見ているようで
楽しくなった。
- 35 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:03
-
「「火の鳥は歌う」」
思わず佳林はかぶせて歌ってしまった。
二人の声が重なる。
ばちっと合わさるような炎の響きが聞こえるのと同時に
少女が振り返った。
驚いた顔にはところどころすすがついて黒っぽくは見える。
でもそれにも増して佳林の心を捉えたのはくっきりとした目と
すっと整った鼻立ちだった。
着飾っていなくても一見して美少女だということが分かる。
佳林の胸は高鳴った。
少女はそのまま佳林を見つめるとゆっくりと笑った。
顔の作りは佳林よりもずっと大人っぽいのに笑うと
幼さが目立って自分と同じくらいの年かなと佳林は思った。
- 36 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:04
- 少女はすぐに佳林の立っている土間にそのまま駆け上がってきた。
至近距離で少女と見つめ合う。
少女は向き合っただけで何も話しかけてこない。
佳林も貴族同士の社交会での挨拶は心得ていたけど
こんなタイミングで会った人と何と話していいか分からなかった。
そのうち少女はふところをもぞもぞと懐を探すと
赤いものを取り出して佳林の前にさしだした。
小さめの真っ赤ないちごだった。
佳林は何も言わずにそのままいちごをかじった。
甘くておいしかった。
思わず笑顔になる。
「さくら、何してるの?」
そのとき責めるような激しい女の人の声が飛び込んできた。
- 37 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:06
- その人は外から一気に駆け込んでくると佳林が立っている
土間にあがった少女をいきなりひきずりおろした。
そして佳林が持っているいちごを汚いもののように
地面に叩き落とした。
そして悲しそうな表情を浮かべて佳林を見上げて膝を折った。
地面にひれ伏すと隣にいる少女の頭も一緒に地べたにおしつける。
「娘が大変失礼なことを致しましてどうかお許し下さい。
娘はまだ何も知らないのです。どうかどうかお許しください」
一瞬何が起きたのか分からなかった佳林もだいぶ事情がつかめる。
この子はただいちごをくれただけなのに。
自分が何か罰を与えるとでも思っているのだろうか。
佳林は地面に落ちている食べかけのいちごを見て
ひどく落胆した気分になった。
- 38 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:08
- 「さくら、この方はこのお家のおひい様ですよ。
こんな汚いものをお渡ししてはいけません」
少女は驚いたような顔と同時にさきほどにはなかった
寂しげな表情で佳林を見上げた。
そしてすぐに頭を下げて土下座する。
佳林はまたひどく悲しい気持ちにさせられた。
「ほら、みんな働いているのですから邪魔してはいけませんよ。佳林様」
そのとき後ろから朋子がやってきた。
「とも」
佳林は思わず朋子にすがりついた。
「どうしたのです。佳林様」
朋子はそう言って佳林を抱きしめた。
- 39 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:10
- ひとしきり抱擁が終わると朋子はまだ膝まづいている二人を見た。
そしてゆっくりと傍まで行くと着物を優雅に折ってその場にしゃがんだ。
「ごめんなさいね。佳林様も悪気があったわけではないのです」
「いえ、とんでもございません」
その親子はまだ頭をあげようとしない。
「佳林様もこの通り怒ってはいませんよ」
朋子がきょとんと立っている佳林を振り返り軽く目配せして言った。
「ありがとうございます。朋子お嬢様」
ひとしきり朋子にお礼を言うと佳林に丁寧に辞儀して
二人は去って行った。
- 40 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:11
- 「せっかく友達ができたと思ったのに」
佳林は不満そうに言う。
それを見て朋子は吹き出すように笑った。
「何がおかしいの?年も同じくらいだったし」
「確かにあの子は佳林様と同じ年ですよ」
朋子は佳林をなだめるように言う。
「とも、あの子のこと知ってるの?」
佳林が驚いて尋ねた。
「知ってるも何もあの子の家はうちの家の裏にありますからね。
名前はたしか小田さくらと言いましたか」
朋子は言った。「さくら」とてもきれいな響きの名前だと
佳林は思った。
- 41 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:12
- 「そうなんだ。じゃあとももそのさくらって子の友達なの?」
「昔は話したこともありましたが今は全然。
これでも私は宮本家に出入りする人間になりましたから」
朋子は少し得意げに言った。
「そうなんだ。佳林とは友達になれるかな」
佳林はほんの少し淡い期待をこめて言った。
「それは無理です。佳林様」
でも朋子は首を横にふった。
「身分が違いすぎるのですよ。佳林様とあの子では。
佳林様は貴族のお姫様。あの子はただの使用人の娘。
例え友達になっても一緒に遊ぶなんて絶対出来ません」
朋子はきっぱりと言い切った。
朋子がそう言うんだから間違いはないのだろう。
- 42 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:13
- 「そうなんだ」
佳林はため息をついた。
佳林は貴族という自分の立場がとても悲しくなる。
身分なんてなければいいのにと佳林は思った。
「佳林様は私ではご不満ですか?」
朋子の言葉に佳林はすぐに首を横にふった。
「そんなことない。けどともは身分の違いで
悲しい思いをしたことはないの?」
「私は貴族とは言っても元々は庶民の出ですから。
昔はよく近所の子供と遊んでいましたよ」
「そっか。うらやましいなあ」
佳林は羨望の眼差しで朋子を見る。
朋子もそんな佳林の表情を見逃さなかった。
- 43 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:14
- 「でも、強いて言えば」
そう言って朋子は一歩佳林に近づく。
「こうやって貴族のお姫様に触れられなかったことですかね」
朋子は佳林の体に手を回すと強く力でぎゅっと抱きしめた。
「な、何?」
佳林はそう言いながら着物の上からでも朋子に触れられると
体の芯から熱いものが昇ってくるのを感じる。
心臓の鼓動が一気に速くなった。
「佳林様はやっぱりいい匂いがいたしますね」
首のすぐ後ろに朋子の吐息を感じる。
- 44 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:15
- 高まる感情を抑えきれずに佳林の頭は動転した。
華奢な体の佳林は朋子に抑えられるともう身動きがとれない。
「やめて。離して」
佳林は首を横にふって朋子に訴えかける。
「嫌です。佳林様」
いつもは従順な遊び相手の朋子が今だけ言うことを聞いてくれない。
朋子は佳林を抱きしめたまま離そうとしなかった。
朋子の吐息が耳にかかる。
佳林の心臓が激しい音を鳴らしてこのままでは朋子にも
気づかれてしまいそうだ。
「ぶ、無礼者」
普段使わないようなそんな言葉を叫んだ佳林は全身に力をこめて
やっとの思いで朋子から解放された。
朋子は勢いに押されて二、三歩後ろにのけぞった。
- 45 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:17
- 一瞬佳林はやりすぎたと心配になったが朋子が不敵な笑みを
浮かべているのを見てその必要がないことを知る。
「時代がもう少し昔なら打ち首ですね。私も」
朋子はさして反省した様子もなく飄々とそう言った。
その朋子の言い方がおかしくて佳林は思わず笑ってしまった。
そして口には出さなかったが抱きしめられるという感触も
悪くないと思った。
朋子に包まれているという感じがして本当に心地よかった。
ただし心臓にはこれ以上ないほど悪い。
「さ、佳林様。おふざけはこれぐらいにして夕食をいただきましょう」
朋子が佳林の手をひいて歩く。
どちらがおふざけだと佳林は心の中で思う。
朋子はいつも優しいが時々こうやって暴力的になることがある。
- 46 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:18
- 何か朋子をそんなふうにかきたてることを自分はしただろうか。
そう思ったときに佳林はあの歌の少女を思い出した。
少し色黒の凛として整った顔。
そして何色にでも変化しそうな変幻自在の歌声をもつ美少女。
自分と同じ年の「さくら」という名前だった。
もしかしたらあの子が朋子の心に何か沸き起こしたのだろうか。
さくらがあの透き通った声で短歌を歌ったらどんなにか
美しいだろう。
また一緒に歌を歌えたらいいなと佳林は思う。
でもそれは朋子が言うように叶わない夢なのかもしれない。
あの子は自分のように恵まれていないし、自分に比べて
身分もだいぶ低いのだろう。
近づきたくても近づけない相手。
それが上とか下とかではなく、さくらをとても遠い
手の届かない憧れの存在のように感じた。
- 47 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/03/24(月) 22:20
- 佳林が使用人がよく働いている木材などの加工場や
炊事場に頻繁に姿を現すようになったのはそれからだった。
使用人の子供達が仕事に混じっていることが多かったので
さくらもまた来ているのではないかと思ったのだ。
「これは。佳林様」
会う人はその度に地面にひれ伏すか大げさに道をあけて
横で敬礼をしてくるかだったので、佳林がそうとう
仕事の邪魔になっているのは明らかだった。
でもそれから何日かしてもさくらには会えなかった。
母親に怒られたことが原因でもう二度と来てはいけない
ことになっているのかもしれない。
佳林はそう思ったがそれでももう一度あの子に会いたかった。
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/03/24(月) 22:20
- 今回の更新を終わります。
次回でこの話はいったん完結とします。
- 49 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/03/26(水) 23:30
- 数年前のカリン様時代を思い浮かべて読みました
続きを楽しみにしています
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/04/03(木) 17:14
- >>49
レスありがとうございます。
カリン様時代もうしばらく続けたくなってしまいました。
というわけで完結後もカリン様続けますので
よろしくお願いします。
- 51 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:27
- 佳林が美しい女の人を好きになるようになったのはいつからだろう。
最初はその思いは朋子にだけ向けられていた。
でも自分が成長するにつれ自分と同じ年ぐらいの女の子でも
美しいと思うようになった。
だから佳林にとって朋子もさくらも両方とも気になる存在だ。
佳林は自分でもあまりの気の多さに呆れてしまう。
そしていつか罰でもあたりはしないかと空恐ろしくもなった。
「佳林様。何を思い煩っているのですか?」
縁側に座ってぼんやりと外を見ていたら朋子が傍に座って言った。
- 52 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:29
- 今日の朋子は白く薄いお粉を頬につけ唇には
真っ赤な紅を艶やかにのせている。
それが黒い髪に反射して艶めかしてく浮き上がってくるようで
佳林は思わず息を飲んだ。
この頃の朋子は美しすぎて会うたびに胸が痛くなる。
「別に。何でもないよ」
佳林は自分に沸き起こった感情を隠すように言った。
「この間のあの子ですか」
朋子がさも不機嫌そうに言った。
「え?」
朋子はまるで佳林の心の中が透けて見えるみたいだ。
にわかに佳林の心にざわざわと落ち着かなくなる。
- 53 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:31
- 「恋煩いってやつですね」
「とも、何言ってるの?」
突き放すような朋子の言い方にてっきり冗談を言っているのかと
思っていたら案外朋子が真面目な顔をしている。
佳林はますます追い詰められたような気持ちになった。
「私が好きなのはともだけだよ」
朋子は佳林の言葉に今度はにっと笑う。
「佳林様は手の早い殿方のようですね」
そう言って朋子はまるで逃がさないとでも言っているように
佳林の両肩をつかんだ。
- 54 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:32
- 「とも、私本気で」
「はいはい。分かりましたよ。佳林様」
朋子は子供の戯言と言わんばかりだ。
「またそうやって子供扱いして」
佳林はほっぺを膨らませて抗議する。
「でも佳林様は今朝からずっとそうやってあの子がいないか
探してるじゃないですか?」
朋子は佳林の心の中を見透かしたように言う。
「違うよ。あの子は歌が本当に上手なんだ。
またあの歌声が聞きたいなって思っただけで恋とかそういうんじゃなくて」
佳林は子供のように言い訳をする。
- 55 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:34
- 「そういうのを恋と言うのですよ」
朋子の意地悪な言い方に佳林はうつむく。
「どうしたら信じてくれるの。とも」
それを聞いて朋子は佳林に降伏したようにひざを折って
しゃがみ逆に佳林を見上げた。
「私が悪うございました。お許し下さい」
「とも?」
普段はあまり見せないしおらしい朋子の態度に佳林は少し驚いた。
「佳林様をとられるのがいやで。正直に言ってその子に焼き餅を焼きました」
何でこの人は普通の人が言ったら赤くなるようなことを
平気で言えるのだろうと佳林は思う。
- 56 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:36
- 「あ、いや・・・」
佳林が何も答えられないでいると朋子はまるで
今まで何事もなかったように続けた。
「お詫びに佳林様にいいことを教えてあげます。
またあの子がやってくる日があります」
朋子は今度は反対のことを言い出す。
「さくらに会ってもいいの?」
「いいも悪いも佳林様の自由ですから。それに」
「それに?」
「本当にただ歌声が聞きたいだけなのでしょう。
だったら何も問題ないことですし」
「う、うん。それはそうだけど」
佳林もそう返すしかない。
佳林は朋子の言葉にがっかりしてため息をついた。
- 57 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:38
- 本当は佳林はさくらになんて会わないで自分とずっと
一緒にいてほしいと言われるのを期待していた。
だけど朋子から発せられるのは結局そんなことばかりだ。
「ただあの子には気をつけたほうがいいと思いますよ」
朋子は意味深な笑いを浮かべた。
「何で?」
「小田さくらはただものじゃない。
いつか佳林様を追い詰めて奈落の底に落とすかもしれません。
そんな目をしています。不用意に近づくとやけどしますよ」
お互いに好きだと言い合った直後だというのに朋子の言い方は
いかにも素直じゃない。
- 58 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:40
- 佳林は朋子の複雑な性格にため息をついた。
もしかしたらやっぱり自分が言った「好き」の意味も
全くその通りに受け取っていないに違いない。
そうだとしたら無理やりにでも朋子に佳林の気持ちをわかって
もらうしかないのかもしれない。
だったらもっと焼きもちを焼かせてやろう。
そんな危険な気持ちが佳林の中にうずまいた。
「どうやったらあの子にまた会えるの?」
佳林は言った。
- 59 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:41
- 「あの子は歌ばかり歌ってて畑仕事もしない。
家の仕事も手伝わないのに何故か宮本家の炊事にだけは
手伝いにくるんだそうです。それも決まった日に」
朋子はまるでわかりきったことのように飄々と述べた。
「決まった日?」
「はい。私達がお歌遊びをする日ですね。
あの子は私達の歌をずっと聞いていたのです。
だから佳林様にも馴れ馴れしくしてしまったんでしょうね」
「じゃあお歌遊びの日にあの子はうちに来るの?」
朋子は何も言わずにうなずいた。
- 60 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:41
-
--------
- 61 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:42
- 遠くの山々に夕飯をつくるための煙が立ち始めた。
煙の一本一本は針のように細く立ち昇り、
山のいただきで薄い雲と一体化して吸い込まれるように消えている。
桜は今や満開に咲き誇り辺りの緑は霞んで見えなくなるぐらいだ。
日はすでに沈んで太陽は燃えかすになった炭のように
山の後ろでくすぶっていた。
「佳林様、この景色にふさわしい歌は何だと思いますか?」
朋子が不意にそう言って佳林は慌てて目の前の貝殻に書かれた歌に
目を落とした。
朋子の髪飾りから白く梳った耳元の美しさに見とれていたのだ。
山の背中から発せられる橙色の最後の一筋の光が朋子の
紅い髪飾りに柔らかく降り注いでいる。
- 62 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:44
- 「夕方、となるとどうしても秋の歌になってしまいますね」
朋子は桜を仰ぎ見てそんなことをぼやきながら一つ歌を選んだ。
「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ」
そう読んで朋子は佳林に目配せをした。
佳林はさっきからさくらが来ていないかと炊事場から聞こえてくる
音にもじっと耳を傾けている。
それを見透かしたような朋子の合図だった。
- 63 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:45
- 佳林はそっと縁側から降りて履物を履いて炊事場にほうへ
近づいていく。
振り返ると朋子は涼しい顔で歌を眺めている。
今の佳林には朋子の気持ちは全く読めなかった。
佳林は意を決して以前さくらに出会ったかまどのある部屋に
近づいていく。
すると朋子の言うとおり聞き覚えのあるかすかな声が聞こえてきた。
今度は火に合わせて歌っているのではなく
佳林達がやっているような短歌を読んでいる。
入口からそっと顔を出してみると後ろ姿しか見えなかったが
まぎれもなくあの子の声だった。
話をしてみたいと思った。
でもどうしよう。
どうしたらあの子と友達になれるんだろうか。
- 64 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:47
- 「寂しさに 火の鳥起こして 眺むれば」
入口の横で隠れているとそう歌っているのが聞こえた。
かまどの火を前にしてさっき朋子が歌った百人一首の歌を
少し変えて歌ってる。
そのとき一瞬その情景から歌の続きが思い浮かんだ。
「さくらもえ立つ 春の夕暮れ」
佳林が勝手に替え歌を作って続けた。
びくっとしたように少女は振り返った。
佳林は今度は警戒させないようににっこりと微笑む。
愛らしい笑顔の見せ方は貴族の姫の専売特許だ。
ただし、それが身分の低い使用人の娘に通用するかは分からない。
- 65 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:48
- さくらは少し首をかしげた。
何で自分の名前を知っているのかと思っているのかもしれない。
それとも話せばまた母親に叱られるからどうしようと
迷っているのか、一瞬の間ではあったが佳林には長く感じられた。
さくらはばっと横に移動すると傍の桶の前で身をかがめた。
そこには洗ったばかりの苺が山積みされている。
さくらはその中の大きな一つをつまむと、
へたの部分をとって佳林に差し出した。
まるでおいしいから食べてみてと言わんばかりだ。
佳林の口の中にこの前と同じ甘い味が広がる。
前のように途中で捨てられたらかなわないので
今度は一口に食べ干した。
「美味しい。ありがと」
佳林がそういうとさくらは少しだけ笑みを浮かべて
さっと踵を返した。
小走りに戸口のところまで離れると振り返って
素早くお辞儀をして出て行ってしまった。
- 66 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:49
- 「あ、待って」
佳林は外まで追いかけた。
しかし見えたのは走りゆく少女の後ろ姿が見えただけだった。
それを見て佳林は悔しそうに唇をかむ。
どうやらあの歌姫を口説き落とすのは簡単ではなさそうだ。
「逃げられてしまいましたね。佳林様」
また奥から現れて満足げに笑うのは朋子だ。
「いいもん。あたし諦めないから」
まるで朋子へのあてつけのように言った。
そのときゴウと音をたててかまどの火が燃え上がった。
そのうち朋子は何人かの使用人を呼んできて火の管理をさせ、
佳林の手をひいて戻った。
- 67 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:51
- それからさくらが宮本家に姿を現すことはなくなった。
佳林は寂しい気持ちも募ったがまた朋子といつもの
二人の生活に戻ると徐々にさくらの記憶も薄れていった。
次第に温かくなる外の空気に二人はよく縁側に座った。
時折、穏やかな風に乗って鶯の鳴き声が聞こえる。
佳林は朋子に膝枕をしてもらって横になる。
そうするのが一番気持ちいいことに佳林もようやく気づいたようだった。
佳林はさくらのことがあってからまるで幼子ように
朋子に甘えるようになった。
「ねえとも、ともはいなくならないでね」
朋子は佳林の普通より大きなつぶらな瞳の中に
自分が映っているのを見つけた。
- 68 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:52
- 「佳林様は甘えん坊さんですね」
佳林の言葉をはぐらかすように朋子は言う。
「いなくなっちゃやだよ」
佳林は朋子の腰の部分に抱きつく。
「はいはい。私はいなくなったりしませんよ」
あやすように朋子は言った。
「絶対に」
それは確信でもあり、誓いでもあった。
朋子は佳林を絶対に手放さないだろう。
例えそれが佳林の自由を奪うことになっても。
朋子は恐る恐る佳林の髪の毛に触れた。
それは水のようにさらさらと指の間を流れていった。
- 69 名前:すっぴん歌姫 投稿日:2014/04/03(木) 17:53
-
「すっぴん歌姫」
終わり。
また同じような設定で続きの短編を書こうと思います。
- 70 名前:レス流し 投稿日:2014/04/03(木) 17:54
-
---
- 71 名前:レス流し 投稿日:2014/04/03(木) 17:54
-
---
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/04/06(日) 15:44
- 一気に読みました。
繊細で素敵な作品ですね続き待っています。
- 73 名前:名無し飼育さん 投稿日:2014/04/26(土) 15:44
- 失恋さんもすっぴんさんも素晴らしい
次作も期待しております
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/04/26(土) 20:51
- >>72
レスありがとうございます。
今回は舞台設定もあったので少し細く描写するようにしてみました。
うれしいです!
>>73
ありがとうございます。
また次作も頑張りますのでよろしくです。
- 75 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 20:53
- 「あ、春の雪」
朋子が馬車の窓を見てそう言った。
もう桜が咲く季節だというのに今日は朝から冷え込んだ。
そういえば先程からちらりちらりと白いうぶ毛のようなものが
風に舞っている。
それはまるで桜の花びらのように優雅にまるで冬の名残を
楽しむかのようにあたりを踊っていた。
「雪遊びできるかな」
隣に座っている佳林が目を輝かせて言う。
「まさか。そこまでは積もりませんよ」
そう言ってにっこりと微笑む朋子の目は佳林の麗しい着物姿に
吸い寄せられた。
- 76 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 20:54
- くっきりとした赤と白の細かい刺繍からはまるで
天使のような神々しさが浮かび出ているようだ。
そして黒髪から着物までの首元の白い肌はお粉を
つけているわけでもないのに色白で匂いたつような
若い色気に見ているだけで罪悪感を感じてしまう。
「とも、どうかした?」
「あ、いえ。寒くはありませんか?佳林様」
朋子は我に返って佳林を見た。
「大丈夫」
佳林はそう言って朋子に体を寄せた。
- 77 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 20:56
- 「帝劇も久しぶりだな。いつ以来だっけ」
上目遣いで朋子を見る佳林の距離が近い。
二人乗りの馬車の密室がこんなに艶かしく感じるなんて
思ってもみなかった。
「えと。あの時以来ではございませんか。
シェイクスピアの劇にご一緒させていただいたとき」
朋子はひと呼吸おいてから応えた。
「ちょっと。とも何でそんなに他人行儀なの?」
「そんなことはないですよ」
思わず朋子は佳林の左手を握った。
うまくはぐらかしたつもりだったが熱をもつ手が伝わって
ますます怪しまれたかもしれなかった。
- 78 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 20:58
- 朋子は佳林とともに帝国劇場にて行われるモーニング娘。の公演を
観覧しにでかけてきていた。
帝劇の切符をとれるなんて一部の大金持ちか貴族に限られる。
その帝劇の公演の中でもモーニング娘。は世界的にも
有名な歌劇団でその切符となるとさらに希少となる。
代金も他の劇団に比べて遥かに高くモーニング娘。は
一般庶民には全くと言っていいほど手の届かない存在だ。
それを朋子の父が方々へ手を回してやっと手に入れて、
朋子はこうやって宮本家のご令嬢を招待することができている。
でもそれは奉公する娘のためというより宮本家への
賄賂みたいなものではないかと朋子は思う。
ただ、帝劇で行われるモーニング娘。の公演なら
宮本家の令嬢をお誘いしても恥ずかしくはない。
その点だけは末端の貴族としても朋子は誇らしかった。
- 79 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 20:59
- それに佳林とは宮本家ではいつも一緒だったが、
たまにはこうやってお出かけもしてみたかった。
ただし、佳林のような上級貴族の令嬢は他の貴族の目もあって
さすがに二人きりというわけにはいかない。
今日も佳林は朋子の他に従者二人を連れていた。
下級の貴族仲間では自身が貴族なのにも関わらず
上級貴族に従者扱いされて不満に思っている者も多い。
朋子もその例にもれず宮本家では佳林のすぐ傍に仕える
付き添いとして何かと利用されてきたが、
逆に朋子はその点には満足していた。
- 80 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:01
- 馬車を降りると帝劇の前にある広大な停車場に二人は降りた。
外はすでに雪はやんでいた。
曇天の空の下、まばらに植樹されたばかりの背の低い木が
あるものの、あたりは広陵とした石畳を敷いて
巨大な帝国劇場の建物がそびえ立っている。
その威容は初めて見る異国の巨大な遺跡のように
見るものを圧倒するようだった。
見ると何台かの馬車が泊まりそれぞれ高貴な衣装に身を包んだ
貴婦人らが降りてくるのが見える。
- 81 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:03
- 「佳林様。ご挨拶なされたほうがよい方はおられますか?」
朋子は言った。
佳林と一緒にいる以上自分も宮本家の一員として見られる。
貴族同士の争いは表向きの雅さとは違って
狡猾で嫉妬と怨念の塊だ。
いらぬ敵は作らないほうがいい。
「知らない。特にお父様もお母様も今日のことについては
何もおっしゃられないし」
佳林はそう応えた。
ただし佳林はそんな意識は皆無のようだ。
「朋子お嬢様。今日は佳林様自らが挨拶に行かねばならぬような
家はございませぬ」
先を歩く女の従者の一人がそう応えた。
「お席も姫様の席が最上席でございます」
「やったあ」
佳林が無邪気に喜ぶ。
- 82 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:04
- 改めて朋子は宮本家の家柄が自分よりも遥かに格上であることを
思い知らされる。
帝劇に来ている何百人の貴族の中で宮本家というのは
きっと最上位に位置するのだろう。
父は死ぬような思いでやっと下級の貴族にたどり着いた
というのにこれから宮本家と同じ位置になるには
後どれだけ時間がかかるだろう。
というよりそれまでに人間の寿命のほうが先に来てしまいそうだ。
しかし朋子の父ならそんなことを一瞬にして何とかする方法を
編み出しているのかもしれない。
父が宮本家を見つめる視線は朋子が佳林を見る狼のように
ぎらついた目にどこか似ていた。
- 83 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:06
- 劇場の中に入るとすでに多くの人が入り始め人々の
小さく上品な挨拶や笑い声がかすかに時間差をおいて聞こえてくる。
それは巨大な劇場に木霊してこの空間の静謐さをかえって
際立たせていた。
見上げるとドーム型の天井には淡い金箔を背景に
吉祥天が羽衣をまといあたかも天使の遺物を残すように
昇天していく様子が描かれている。
壁や柱はギリシャ神話に出てくる神殿のように
白亜の生まれたばかりのようなみずみずしい光沢を放っていた。
周囲は物々しさというよりまるで現実から別世界に入り込んだ
ような高揚した空気に包まれていた。
- 84 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:08
- 最上席とは二階の最前列で少し出っ張りになっているような
場所だった。
朋子は佳林の隣に腰掛ける。
佳林は目を輝かせていたが、貴族らしく上品にじっと
前を見つめていた。
「何か緊張する」
佳林は朋子を見て笑った。
佳林が自分以外のことに夢中になっている。
自分が用意して自分が誘ったモーニング娘。の公演に
佳林が来てくれているのにもかかわらず朋子は激しく嫉妬した。
自分が恐ろしく理不尽な思いを抱いているに
違いないのはわかりきっていた。
- 85 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:10
- 朋子は舞台が始まってもずっと佳林の横顔を見ていた。
しかし佳林はそんなことお構いなく前方に釘付けになっている。
朋子はそんな佳林に仕えるしかない。
身分や立場の違いはあるし、今の佳林を朋子が
どうこうすることなんてできない。
朋子は自分の欲望を押さえ込もうとした。
しかし欲望は暴力的な危険水域にまで高まっていた。
佳林が言うことを聞かないなら聞くような状況に
追い込んでしまえば良い。
「宮本佳林」を自分の力で奈落の底へ堕としてみたい。
朋子の心の中にたった一つできた真っ黒な悪魔の点が
次第に墨汁のように広がっていくようだった。
- 86 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:11
- もし貴族の姫が遊女のように弄ばれたとしたら。
欲望が堰を切ったように止めどなく朋子の心を覆い尽くしてくる。
そしてその姫君が自分の目の前であどけない無防備な
笑顔をさらしている。
もしかしたらそれは現実に出来るのかもしれない。
考えただけで身震いするような罪の意識と危険な快楽に
ぞっとするほど寒気がした。
「とも、どうしたの?」
気づくと佳林が心配そうに朋子を見ている。
気がつくとすでに公演は終わっているようだった。
二人の従者も迎えに来て傍でひざまづいている。
- 87 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:12
- 「あ、佳林様。大丈夫です」
朋子は我に返って言った。
「何かぼーっとしてるみたいだけど?」
「大丈夫です。ちょっと引き込まれてました」
朋子は自分の感情が悟られないように必死に応えた。
「確かにすごかったよね」
佳林はまだ夢見るような目つきで言った。
佳林の少し大きめの特徴ある目が朋子を虜にして離さない。
「はい。感動して言葉もないくらい」
朋子は再び佳林の美しさに目眩がする。
- 88 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:14
- 自分の物にしたい。
さきほどの欲望がにわかに首をもたげてきて
表面的には佳林を直視する余裕が全くなくなった。
「だけどオペラグラスでないと見えないくらい遠かったし
今度はもっと近くで見てみたいな」
「はい。じゃあ次は最前列の席を用意しておきますよ」
今の朋子には佳林の言いなりの言葉しか出てこなかった。
「んー。最前列もいいけど」
「はい?」
「次は会ってみたい」
佳林の言葉に朋子は意表を突かれたようにぽかんとした。
- 89 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/04/26(土) 21:16
- 「佳林様。さすがにそこまでは無理です」
モーニング娘。のメンバーに会うことは演出家や警備の
人間くらいで普通の人間が会うことなんて出来なかった。
それは朋子がどう手を回したって不可能に違いない。
「いいよ。別にともにそんなことさせようっていうんじゃないし」
佳林は笑って言った。
「佳林が会いたいって言ってるって伝えてきて」
佳林が従者の一人に言った。
「かしこまりました。全員には都合がつかないかもしれませんが。
どなたにお会いになられますか?」
「そうだなあ。あの真ん中で歌ってた子に会いたい。
鞘師里保っていう子」
佳林はさらりと応えた。
- 90 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/04/26(土) 21:16
-
今回の更新を終わります。
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/04/28(月) 04:02
- 素晴らし過ぎる・・・
- 92 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/04/30(水) 22:04
- 更新お疲れさまです。
雰囲気が堪らなく好きです。
- 93 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/01(木) 21:28
- >>91
お褒めの言葉ありがとうございます。
更新頑張ります。
>>92
ありがとうございます。なかなか語彙力がなくて
四苦八苦してますけど頑張ります!
- 94 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:30
- 「佳林様。そんな無理なことを言っては」
「いえ朋子お嬢様。お気遣いはご無用でございます」
佳林を制止しようとした朋子を従者がさっと手をあげる。
「宮本家のご令嬢が会いたいと言っている以上、
先方もきっと悪い気は起こしません。
私が交渉してまいります。ここでお待ちください」
そう言って従者はさっと赤い絨毯が敷き詰められている階段を上って行った。
- 95 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:31
- まさかそんな無茶なことが通用するはずがない。
最初から何の段取りもなしに急に会いたいなどと言って、
しかも鞘師里保はモーニング娘。の中でも人気も実力も
頂点に位置する歌い手だ。
朋子には佳林が一体何を考えているのか分からなかった。
当の佳林はまるで楽しみがもう一つ増えたように
微笑みながら緞帳の降りた舞台を見つめていた。
「鞘師里保に会ってどうするのですか?佳林様」
「あの子って私と同じ年なの。別に何かしようってわけじゃない。
けど会って話してみたいな」
輝くような佳林の黒目を見ていると朋子はいつか佳林が言っていた
自分は歌手になりたいと言っていたことを思い出した。
今は自分の佳林への気持ちが強すぎて
佳林が何を望んでいるのかわからなくなっているのかもしれない。
- 96 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:32
- 「ともも行くでしょ?会えるなら」
「それは佳林様が行くなら私はお傍について参ります」
そう答えると佳林は満足そうに笑った。
ただ朋子の心の中ではモーニング娘。側が聴衆が会いたいなどと
そんな無茶な要求にこたえるはずがないという
半信半疑な気持ちもある。
ただし、それは意外にも早い時間に結論は出た。
「鞘師里保が佳林様にお会いになるそうです」
従者は舞い戻ってきてそれが当然だと言わんばかりにそう伝えた。
- 97 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:34
- 「分かった。じゃあさっそく」
佳林は今度は朋子と付きの従者を先導するように
帝劇の赤い絨毯の上を歩き出した。
その姿は美しくも宮本家の令嬢にふさわしく堂々としていて
高貴な家の雅というのに溢れていた。
周囲にはたくさんの貴族の子息、令嬢に中にあっても
特別に若い佳林の姿は帝劇の中にあってもよく目立った。
- 98 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:35
- 朋子はいつもは佳林の世話役をしている手前、
佳林に主導権を握られて少し悔しい気持ちもあった。
しかし朋子には「鞘師里保」と「宮本佳林」の対面を
どこか見ものだと思う気持ちもあった。
鞘師里保は平民出身ではあったが若くして歌と踊りに優れ
モーニング娘。の頂点に立った。
一般民衆にとっては希望の星のような存在だ。
一方「宮本佳林」は生まれながらにしてやんごとなき存在で
あるばかりではなく、類まれなる美しさと気品に満ちている。
鞘師里保は本来なら公演後に聴衆に会うなどと無茶なことを
要求されて内心は面白くないに違いなかった。
それに貴族という身分にも相当な穿った見方をしていそうだ。
ただ宮本家の令嬢の要請なら断るわけにはいかなかったのだろう。
- 99 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:36
- 朋子達の一行は関係者にしか入れない出演者用の扉を開けてもらい
中へ入った。
途端に巨大なゼンマイじかけのような機械やレバーが
むき出しとなった通路を通る。
緞帳の上げ下げや舞台装置の調整をここでしているのだろう。
帝劇の職人は佳林と朋子の姿を見ただけで通路をあける。
恐らくは自分達の着物姿と付きの従者を見ただけで
上級貴族ということが分かるのだろう。
こういう芸能の世界ではそれこそ身分ではなく実力が
ものを言う世界だと信じてきたが、
現実にはそうではないことを朋子は大人達の様子から感じ取った。
鞘師里保は他のメンバーはすでに劇場を去ったというのに
わざわざ佳林のために待っていてくれているらしかった。
- 100 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:38
- 従者が部屋を教えられているらしく帝劇の案内係と一緒に
控え室のような部屋を指し示した。
「佳林様こちらです」
朋子は佳林の後に続いて部屋へ入った。
部屋の中には鞘師里保が一人でいた。
洋装ではあったが薄茶の色の薄いセーターとスカートを履いている。
鞘師里保は美しくはあったが大スターというより
さっぱりしていて純朴な少女の香りがした。
「あなたが宮本佳林ちゃん、さん?」
最初に話しかけてきたのは里保の方だった。
里保はまるで珍しいものでも見るようにこちらを凝視している。
「そうだけど?」
一瞬どちらがスターとファンなのか分からなくなる。
- 101 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:40
- 「良かった。一度会ってみたかった」
里保の方がそう言った。
「私のこと、知ってるの?」
「知ってるも何も」
そう言って里保はテーブルの上に置いてある分厚い
百科事典のような雑誌を見せてきた。
「全世界貴族令嬢名鑑」とある。
里保はしおりを挟んである頁を開くと大きく「宮本佳林」と
書かれていて大きく見開きの写真付きで佳林の紹介がされていた。
「これ佳林様」
朋子は驚いて記事をしげしげと読む。
写真は意外と新しく今年の新年の祝賀会のときに
国王妃殿下と撮られた新聞用の公的なものだった。
朋子は自分は載っていやしないかと探そうと思ったがやめた。
たとえ掲載されていたとしても自分のような下級貴族は
佳林よりもずっと小さい扱いであることに違いないのだ。
- 102 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:41
- 「へえ。貴族のお姫様。写真より綺麗だ」
里保はそう言って佳林を周囲をぐるぐると回って眺め回す。
こうなるともう完全に立場は逆転だ。
佳林の方がまるで見世物みたいになっている。
朋子は平民のくせに里保を生意気をだと思ったが
佳林のいる手前何も言えない。
里保は徐々に佳林との距離を縮めていく。
朋子にはそれが気が気じゃない。
そして里保が手を伸ばして佳林の着物に触れようとした瞬間だった。
「鞘師さん」
佳林がそう言って里保はまるで子供のようにびくっと
手を引っ込めた。
「鞘師さんに触れてもいい?」
唐突に佳林がそう言った。
- 103 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:42
- 「いいよ」
里保は改めて佳林と向かいあった。
二人の間に緊張感が走る。
どう考えても楽屋まで追いかけてきたファンとスターの関係には
思えない。
平民のスターと貴族の姫君。二つの力がぶつかり合う。
明確な対立が露骨に現出し、両者から放たれる
激しいオーラが重なり合うように拮抗した。
里保が右手を差し出して佳林が両手でしっかりと握った。
二人とも微笑を浮かべていたが朋子は里保も佳林も
心の中では笑っていないと感じた。
その不敵な笑いに朋子が初めて二人のことを怖いと感じた。
- 104 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:43
-
------
- 105 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:44
- 「鞘師里保ちゃんと握手させてもらえた。
やっぱり頼んでみるもんだなあ」
佳林は帰りの馬車で夢見心地でそう言った。
さっきまでの殺気だった佳林はもうどこにもいない。
「佳林様、本当に鞘師里保と握手したかったのですか?」
「当たり前でしょう。モーニング娘。だよ。とも何言ってるの?」
逆に朋子のほうが質される。
「あ、もしかして朋子も鞘師さんと握手したかったんでしょ。
させてもらえばよかったのに」
「私は別に鞘師さんのファンじゃありませんから」
朋子はすました顔で言った。
- 106 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:46
- 「ふーん。無理しちゃって」
馬車はそのまま朋子の家に向かった。
佳林がそう希望したのだ。
すでに伝えてはあるものの「宮本佳林」を迎える
朋子の家はその準備にてんてこ舞いだろう。
「ともの家、久しぶりだなあ」
佳林はさきほどから変わらないきらめくような大きな瞳を
涼しげに見せている。
佳林は帝劇でモーニング娘。を見れた上に鞘師里保にも
直接面会が叶いとても上機嫌だ。
しかし朋子は佳林のその無邪気な笑顔の裏に
計算されたものを感じるようになった。
人は佳林の姿の眩しさに憧れ、そしてその高貴な身分に恐れを抱く。
だからこそこの世界にいる人間はみんな佳林のことを無視できない。
他の上級貴族のように佳林は権威をたてに横柄な態度をとったり
未熟なわがままで周囲を悩ませることもない。
十代の半ばを迎えたばかりというのに宮本佳林は
全てを計算しつくしているように見えた。
- 107 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:48
- 馬車は白い搭のそびえる朋子の家の門前に到着した。
朋子の家は元々あった平屋を西洋式に作り替えたもので、
突貫工事であったため西洋の古城の模造品のような感じがして
朋子はあまり好きではなかった。
ただ自分にも絨毯のひかれた床にベッドと机のある
西洋式の部屋をもつことができた。
そこには白人の女の子の人形や動物を象ったものをたくさん置いて
いると今より幼かった佳林がとても喜んで一生ここに住みたいと言ってくれた。
そのことだけには満足している。
「ともの家はいつ見ても広いなあ」
佳林が庭園で手を広げてくるくると回転しながら言う。
佳林の赤い飾りかんざしから垂れ下がる金のビラカンが
ゆらゆらと揺れて朋子にはそれがやけに艶かしく映った。
- 108 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:50
- 宮本家ではいつもすましたお姫様である佳林のそんな
天真爛漫な姿を見せられると動物的な欲動を呼び覚ます。
自覚はしていても朋子はそれを押さえつける術を知らない。
「この先はどうなってるの?」
佳林はさらに朋子の家の庭の外れのところまで勝手に歩いていく。
「あ、そっちはもう隣の家です」
周囲には召使の官舎やら貧しい農家の家々が連なっている。
いわばここは貴族が住まう場所でなくバラックに突然現れた
成り上がりの城なのだ。
- 109 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:51
- 「佳林様」
朋子が呼んでも佳林はそのまま進んでいく。
「佳林様。これ以上行っては。
このあたりは貧しいものがたくさん住んでいて
あたりの雰囲気もあまりよくありません」
朋子は佳林の両肩をぐいとつかんで言った。
「だって歌声が聞こえたから」
佳林がそう言って朋子ははっとなった。
そういえばこの先にはさくらの家がある。
「とにかく戻って私の家で休みましょう。
美味しいものを用意してあります」
朋子がそう言うと佳林はやっと笑みをほころばせた。
- 110 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/01(木) 21:52
- 佳林はまた両手を水平に広げて緑の芝生の上を
気持ちようさそうに踊った。
それは天から突然舞い降りた天使が初めて地上に降り立った
喜びを見ているようだった。
その純粋なあどけなさは返って朋子に劣等感さえ抱かせる。
この頃の自分の心は自身の欲動との対決ばかりだ。
もう自分にはそんな無垢な気持ちはなくなってしまったのかもしれない。
「ねえ、とも。ともの家には人を閉じ込めておく部屋があるの?」
佳林が入口のドアに向かいながら突然そう言った。
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/01(木) 21:53
-
今回の更新を終わります。
次回で「奈落の因縁」は完結する予定ですが、話自体は
まだまだ続きます。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/11(日) 02:33
- ハラハラするのです
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/15(木) 21:11
- >>112
レスありがとうございます。では更新させていただきます!
- 114 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:14
- 「だ、誰がそんなことを言ったのです?」
「ただの噂。金澤家は女中に厳しい家だから失敗した人は
罰として閉じ込められちゃうんだって」
佳林はそう言って笑う。
「ありませんよ。そんなもの。誰がそんなこと言いましたか?佳林様」
朋子はらしくなく語気を荒げた。
監禁室など確かにない。
でも佳林は自分の中の不気味な欲望をそのまま見抜いているようで
朋子は恐ろしくなった。
「だからただの噂だって」
佳林は呆れたように言った。
- 115 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:15
- 二人は真っ白な神殿風のつくりになっている玄関の正面まで
たどり着いた。
朋子が玄関を開けて佳林を招き入れようとした。
「でもさ」
そう言って後佳林は突然立ち止まってしまった。
「もしそんな部屋があったらともは私を閉じ込めたいって思う?」
びくっとして朋子が振り返ると佳林は再び両手を開いて
朋子を誘うように言った。
あたりには誰もいない。
その姿がやけに扇情的で艶かしく映る。
「何を馬鹿な。私は佳林様に仕えている身。
そんなことするはずが・・・」
「ともこそ何言ってんの。ともは私の家来じゃないでしょ?」
朋子の激しい返答にも身じろぎ一つせず佳林は応えた。
- 116 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:17
- 「家来じゃなくてもそんなことはしません。さ、早く中へ」
朋子はドアを開けた。
中では黒のワンピースにエプロンつけたメイドが
数人待機していて、二人の姿を見ると恭しく頭を下げた。
佳林は自分の中の「何か」を知っている。
そうとしか思えなかった。
でもその「何か」は朋子は自分の心の中でさえ口に出すことは
できない禁忌のものだ。
佳林と朋子は靴を脱いで中へ上がる。
朋子はさっさとリビングに向かっていったが、
佳林は朋子の家の使用人にも丁寧に挨拶した。
例え西洋式の部屋に通されても貴族として洗練された
気品とマナーを備えた佳林は時おり微笑を浮かべながら
悠々とテーブルについた。
- 117 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:18
- 「佳林様。しばらくお待ちください。
私も少し準備がありますので」
朋子がそう言うと行儀よく小さく座っている
佳林が今度は従順にうなずいた。
「きれいな庭」
不意に視線を横に移すとつぶやくように佳林が言った。
朋子の家のリビングには先ほどの雪とはうってかわって
暖かな日差しが入り込んできていた。
庭には背の高い五色椿がこちらを見下ろすように
赤と白の入り混じった花をいくつもつけていた。
「良ければ庭でもご覧になりませんか。
宮本のお家とは比べ物にはなりませんが、
うちの庭もだいぶ春の花が咲き始めております」
急に一人にするのが可哀想になった朋子は思わず
そう言ってしまった。
- 118 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:20
- 「じゃあ見てみようかな」
佳林は快活にそう言うと着物をなびかせてそそくさと
庭へ降りていった。
その様子に朋子は何とはなしに胸騒ぎのようなものを覚えた。
しかし佳林は年下とはいえもう子供ではない。
朋子の家の庭を見て回るぐらい別段危なくはないだろう。
そう思って朋子は厨房に走った。
金澤家は佳林が訪れるというだけでまるで国賓クラスの
訪問がなされるような騒がれぶりだ。
厨房には使用人のほとんどが集まり、
佳林に出す紅茶とケーキに入念な精査をしている。
形上は佳林は朋子の友人としての立場ではあったが、
とても常人としての扱いではない。
- 119 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:21
- 金澤家がいかに宮本家という破格の貴族に羨望とコンプレックスを
抱いているのが分かる。
ただしそう思う朋子も完全にその金澤家の一人にすぎない。
朋子はなまじ佳林と一緒の時間が多いだけに佳林に対する
気持ちは単に身分や家柄だけの感情にとどまらない。
佳林を募る気持ちも決して自分の思い通りにはならない
佳林を見ていても全ては自分より遥かに高い位置にいる
「宮本佳林」を見上げているのと同じことだった。
- 120 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:22
- 準備は勿論メイド達が中心になってやってくれたが、
佳林に出すものとなると自分の目でしっかり確認
しなくては気がすまなかった。
特に今日は隣国から特注で輸入した佳林の好きな
ジャスミン茶を用意している。
熱した急須にジャスミンの葉を小さじで入れると
香ばしい匂いがふっと流れた。
それに朝から洋菓子の職人に作らせた苺のケーキを切り分ける。
佳林に出すものをしっかり準備しなくてはという意識と
外で待っている佳林が気になって意識があちこちに飛ぶ。
自分としてはて早く準備したと思っていたが、
結構待たせてしまったかもしれない。
メイド達が運んでくるより前に朋子は佳林を探そうと
庭に駆け下りた。
ところが、リビングの前の花壇には佳林の姿はない。
- 121 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:24
- もしかしたら待ちくたびれてどこかへ行ってしまったのかもしれない。
さきほどの胸騒ぎがよみがえってくる。
不安になった朋子はその奥にある北欧の湿地帯をあしらった
水式庭園のところまで行ってみた。
それでも佳林の姿はどこにもなかった。
湿地の中に人工の木道が敷かれており、途中に休憩小屋がある。
「佳林様!」
そう呼びながら朋子は着物を濡らさないように裾をあげながら
小屋の中まで入った。
中には誰もいない。
小屋から先は湿地はなくなっていて、
そこからは芝生の斜面を登るともう隣の家だ。
- 122 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:25
- 朋子の頬に冷たい風があたった。
それは朋子の中に冷たい感情を呼び覚ました。
斜面には小道があってそこを登るとさくらの家がある。
さきほどの佳林の行動はもしかしたらさくらの家を
探していたのかもしれない。
朋子はすでに確信をもって斜面を登り始めた。
もう着物が地につくことすら気にならなかった。
さくらの家は古い木造家屋だ。
庭といった洒落たものはなく、鶏小屋と小さく区割りされた
畑が広がっているだけだ。
農家の家に入ることに躊躇なんていらない。
ここ一帯に住む人間にとって金澤家は領主様も同然だった。
- 123 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:27
- 引き戸を開けると一階には人の気配はしない。
中は真っ暗だったが柱や屋根の切れ目、いたるところから
太陽の鋭い光線が容赦なく突っ切るように入ってくる。
闇と光の極端なコントラストがしんとした室内を
いっそう静かにさせていた。
多分さくらの両親はどこかへ出かけているのだろう。
静まり返った室内からそう感じた。
朋子は室内にそっと入って下を見る。
地面は砂地になっているのがかすかに見える。
よく見ると自分が通る前に歩幅の小さい袴の跡がついていた。
進んでいくと二階へ登る木製の階段にさしかかかったところで
それは終わっている。
「佳林様、やめてください」
突然泣き声のような叫びが上から聞こえてきた。
- 124 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:28
- さくらの声だ。
間違いない。
朋子はそのまま耳をそばだてる。
「私に逆らっていいと思ってるの?」
今度は佳林の声が聞こえる。
いつもの無邪気な佳林の声とは全く違った。
何かに取り憑かれたように残酷で冷静な声だった。
「触らないで。佳林様が汚れます」
さくらの声と今度はガタゴトと音が聞こえた。
朋子の体に一気に緊張が走った。
階段を途中まで登ったところで立ち止まる。
朋子はそこで金縛りにあったように動けなくなった。
- 125 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:29
- 動かないほうがいいと自分がそう念じたのか体が
勝手にそうなったのかはわからない。
とにかくじっとしたまま耳だけに神経を集中させて
聞こえくる音全てに注意を払った。
その後、二階は静寂そのものだった。
でも朋子はずっと何かが聞こえているような気がしてならない。
あの二人が二階で何をしているのか。
じっとしていると二階の部屋から二人の息遣いが
聞こえてくるような気がする。
でもそれは風の音の幻かもしれなかった。
- 126 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:31
- 突然二階の引き戸が開かれた。
立っているのはさくらだ。
少し乱れた服を胸のところでおさえるようにして駆け下りてくる。
そして朋子と至近距離で目があった。
さくらは驚いた顔を見せたがそのまま何も言わずに
朋子の横を通り過ぎていく。
「佳林様」
その名前を叫んで朋子は階段を駆け上がる。
今更何故自分がこんなところでじっとしていたのか分からなくなる。
「佳林様、大丈夫ですか」
強い調子で言いながら朋子は自分で自分に自答する。
何故自分はすぐに佳林を助けにいかなかったのだろう。
それとも自分は何かを期待していたのだろうか。
- 127 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:32
- 佳林がさくらに対してある一線を超えるという。
朋子はあまりに邪悪な思念にとりつかれていることに
自分で身震いした。
急いで二階の部屋に入ると仰向けに倒れている佳林が
目に飛び込んでくる。
着物は乱れ白い足があらわになっていた。
「佳林様、一体何があったのです」
朋子は佳林を助け起こした。
佳林の真っ白な顔が何でもないように軽く笑みを見せる。
その顔が美しすぎて一瞬悪魔のように見えた。
「別に何でもない」
飄々と佳林は答える。
その唇はもみ合った跡なのか赤く少し切れている。
「さくらにやられたの?」
「分かってないな。私から逃げられると思ったら大間違い」
朋子の質問には答えずに佳林はそう言ってふっと笑った。
- 128 名前:奈落の因縁 投稿日:2014/05/15(木) 21:34
- 今まで見たことがないような冷酷な表情をしていた。
この子はついに因縁をつかんでしまったのだと思った。
きっちりと合わさった歯車が軋むように動き始める。
因縁をつかんだことは朋子も同じだった。
ずっと父から背負わされてきた残酷な運命。
それがにわかに光を帯びてあたかも正当性をもった
偉大な事業のように起動し始める。
「宮本家」を破滅させる。
そして「宮本佳林」を我が物にしてしまう。
朋子が宮本家に入り込んだ目的が今、おごり高ぶった
宮本佳林を救うという一点の「正義」をもって遂行の途に着く。
外へ出ると、さきほどから曇天はあたかもその事実が
なかったように、まっさらに晴れ渡り
朋子も佳林も今日、雪が降ったことなどとうに忘れていた。
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/15(木) 21:35
-
-------------
- 130 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/15(木) 21:35
-
-------------
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/05/15(木) 21:38
- 今回で「奈落の因縁」は完結です。
ローズクオーツ自体はまだ続きますが、次作まで少し時間を
いただきたいと思います。
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/06/21(土) 00:18
- なんともいいところで・・・
続きをお待ちしています
- 133 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/10(木) 14:17
-
>>132
ありがとうございます。大変遅くなりましたが更新します。
- 134 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:19
- 朋子がドアを開けると案の定、出迎えのボーイも誰もおらず
閑散としている。
確かに真昼間からこんなお店にくる客もいないのだろう。
朋子は構わず店の奥に進んでいった。
ある程度進んだところで土間から一段上がったところに
勘定用の台が置いてあって、中年の女がキセルをくゆらしていた。
足を投げ出して見るからに横着な態度だ。
客のいない時間帯だからか朋子が来たことに気付く様子もない。
朋子は近くの柱をコンコンと鳴らした。
「あ、これは金澤様」
女は急に姿勢をかえると板に書いて並べてある女郎の表を見た。
「今からでもお相手の出来る子はおります」
今度はにたにたと不愉快な笑みを浮かべて言った。
- 135 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:21
- 「いえ、そうではなくて」
朋子は佳林以外を指名したことは一度もない。
この女は客の名前を覚えてはいてもそういうことは
からっきし頭に入ってこないようだ。
「今日はこのお店の主人に会いに来たの」
朋子がそう言うと女はようやく合点がいったようにうなずいた。
「あ、そうでございやしたか。お嬢様に御用で。
二階にいらっしゃいます。どうぞあがってくださいまし」
言葉だけなら丁寧だが金にならぬと分かれば一気に顔をしかめる。
朋子は何度会ってもどうもこの女には不愉快以外の
感情をもつことができない。
- 136 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:24
- 二階に上がると絨毯が敷いてある廊下になっていて
一番奥に部屋が一つだけあった。
朋子がノックすると「どうぞ」と先ほどとはうってかわって
澄んだ声が返ってきた。
朋子が中に入ると西洋式の机に腰掛けた和服姿の少女が立ち上がった。
朋子と年齢も背格好も同じくらいだろうか。
真っ黒な髪をきちんと結わえて赤と白の椿の模様の入った
優雅な着物を着ていた。
「由加、働き始めたって聞いたから大丈夫かなって思ってたけど。
案外さまになってるね」
朋子が近づいていくと、机の上には何かの計算書やら
契約書みたいな書類が並んでいる。
「全くやっと女学校出たと思ったら、女郎屋の女主人なんて
うちの父親もどうかしてるよ」
由加は苦笑いして言った。
- 137 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:28
- 宮崎由加は朋子の女学校時代の同期生だ。
由加の父は貿易商をしていていくつか会社や店をもっている。
この女郎屋も由加の父が始めたものだ。
「でも普通やらせる?こんな仕事」
由加は全く納得できないようでぶつぶつと文句を言っている。
「まあまあそれだけ期待されてるってことで」
朋子は慰めるように言った。
「それにさ。常連客の前でこんな仕事はないでしょ」
「あ、ごめん」
由加はバツが悪そうに口を押さえた。
「いいって。それより私に話したいことって何?
お店の経営なんて私にはさっぱり分かんないよ」
朋子が難しそうな書類を眺めて言う。
- 138 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:29
- 「そうじゃなくて。佳林ちゃんのことなんだけど」
由加にそう言われて朋子ははっとなった。
今一番出されたくない名前だった。
「ごめん。何も言ってなくて。私実は佳林ちゃんには」
そう言いかけてとどまる。
元々身請けの話を裏で進めてくれたのは由加だった。
ただ当の本人に拒否されてしまっては元も子もない。
由加にはそれをまだ伝えてなかった。
「そうだったんだ」
由加の落ち込んだ表情がさらに朋子をへこませる。
「だから当面は身請けの話はなかったことに」
朋子がそう言うと由加はあからさまに眉を曲げて
さらに悲しそうな表情をする。
「いや、別に私だってまだあきらめたわけじゃないよ。
由加にだってこれだけ協力してもらったんだもん。
佳林ちゃんのことはちょっと持久戦でいこうかなってそれだけ」
- 139 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:31
- 朋子は気まずい空気を振り払うように言った。
佳林だって今の立場のままじゃいつ誰に買われて
どんな目に合わされるか分かったもんじゃないはずだ。
今は強情に断っていてもいずれ朋子に口説き落とされても
おかしくはない。
「でもそうもゆっくりもしていられないみたいなの」
由加が深刻そうに言った。
「え?」
「実はね。今度モーニング娘。さんがこのお店を貸し切ってくれることになったんだけど」
「へえ。すごいじゃん」
かの有名なモーニング娘。が貸し切るってことは
相当な収入になるろうし、店の大きな宣伝材料にもなる。
- 140 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:38
- 「リーダーの道重さゆみさんから直接お手紙をもらったの」
そう言って由加は一枚の便箋を朋子に渡した。
手紙の内容は宮本佳林をモーニング娘。の専属として相手を務める
ようにということだった。
文字や文章の間に絵や記号まで混ぜてやけに崩した文体だったが、
相手が相手だけにその要求を断ることはできないのだろう。
「佳林ちゃんがモーニング娘。の専属って?」
朋子が由加を見つめる。
「一日中、モーニング娘。の誰かの傍でいろんな接待や
おもてなしをしろってことだと思うけど」
「接待?おもてなし?って」
朋子が詰め寄る。
- 141 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:40
- 「さあ。そりゃ要求されたらどこまでもって・・・
苦しい。やめて」
気がついたら朋子は由加の首をしめあげていた。
「はあ・・はあ・・。だって仕方ないでしょ。
そういう仕事なんだから。それにさ」
朋子が手を話すと由加はやっとのことで言う。
「手紙が来てるの道重さんだけじゃないの。
これは鞘師さんの代理人からなんだけど」
そう言って別の一枚を朋子に見せた。
これは道重さゆみが書いた口語体の書き下ろしではなく正式な依頼書だ。
とにかく鞘師里保が店に着いたらすぐに一体一で
佳林に会わせるように命令している。
「佳林ちゃんって一体モーニング娘。に何したの?」
「それは・・・」
- 142 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:42
- 思い当たることがあって今度は朋子のほうが言葉につまる。
きっとモーニング娘。の公演に二人で見に行った時に
佳林が里保に無理やり会いに行ったことだろう。
いくら貴族でも客が会いにいくなんてどう考えても無謀なのだ。
きっとそのことにモーニング娘。は怒っているのかもしれない。
もしかして佳林に復讐を?悪い方に考えるときりがない。
「やっぱ佳林ちゃんに言って私、身請けさせてもらうよ。
もう時間がない」
朋子が言った。
「それが」
由加がまだ渋い顔をしている。
「何?」
「朋子に伝えてた身請けの金額ね。あれ本当は桁が一つ多いの」
- 143 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:44
- 「え?だって由加、あの値段だって言ったじゃん。
それにうちの家だってそこまで借金を佳林ちゃんに背負わせたわけじゃないし」
元々、宮本家の没落は朋子の家である金澤家が仕組んだものだった。
しかし破産させた後にさらに借金をさせたわけではない。
「佳林ちゃんね。朋子の家から借金だけじゃなくて
あれからいろんな人に騙されて売られてきたみたいなの。
朋にはとてもそんな金額用意できないだろうからって思って
私が勝手に安くしたの。それが父にばれてうちの店潰す気かって」
由加が頭をかかえて言う。
まさかそんなことになっているとは思いもよらなかった。
元貴族の遊女なんて鬱憤のたまった大衆の格好の餌食だ。
しかもモーニング娘。の各メンバーはその力を行使するだけの
十分な財力を持っている。
このままでは佳林がひどい目に合わされることは確実だ。
- 144 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:46
- 「由加の事情は分かった。で私、どうしたらいい?
どうしたら佳林ちゃん助けられる?」
「佳林ちゃん連れて逃げて」
由加が朋子をまじまじと見つめて言った。
その時点で由加が本気だということが分かった。
「逃げるってどこへ?」
「どこか遠いところまで。それしか佳林ちゃんが
モーニング娘。から逃げられる方法はないと思うの」
由加が言った。
遊女が体を弄ばれる毎日に絶望して脱走を図ったなんて事件は
巷にあふれている。
ただしほとんどが数日のうちに官憲に捕まってしまっていた。
どこの世界でも一度落ちてしまったものがそこから這い上がるのは
そう簡単ではない。
とすればもう逃げるというのが一番確実な方法かもしれない。
「しばらくの間、かくまってくれるところを探してある」
由加が声を潜めて言った。
- 145 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:47
-
-----
- 146 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:49
- 外はまだ薄闇がさしていて、生ぬるい小雨がずっと降り続いていた。
先ほどから馬の嘶きだけが孤独に響いている。
遊女屋の屋敷の門柱のかがり火が馬車の荷台に敷き詰められている
わらを明々と照らす。
由加が店を出入りする藁の運送業者にそっと朋子と佳林を
町外れの隠れ場所まで乗せていってくれるように頼んでくれた。
「いい?町外れのこの洋館まで行ってくれるように頼んであるから」
由加が地図を渡してくれた。
「分かった。ありがとう」
荷台から顔を出して朋子が言う。
これから当分の間由加には会えないかもしれない。
もっとちゃんとお別れをしたかったが、気づかれるとまずい。
- 147 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:50
- 「佳林ちゃんも気をつけて」
由加の言葉に佳林が小さな顔をすっと出して弱々しく笑った。
馬車がぱかぱかと歩き始める。
ゆっくりと遊女屋が離れていく。
佳林に会うために通いつめた店だったが佳林も朋子も、
もうここにくることはないのかもしれない。
佳林のいない店に愛着は感じなかったが、由加の優しい顔が
思い返されて由加にだけはまた会いに来たいと朋子は思った。
小雨だった雨は次第に勢いを失い、雲の切れ間から月が覗いた。
しばらくは木造の貧しい長屋の続く寂しい町を馬車は歩いていた。
そのうち、そんな家々もなくなり欝蒼と背の高い雑草の生い茂る
原っぱを淡々と馬車は進んでいく。
- 148 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:52
- 月明かりに照らされて時折佳林の顔が白く照らされる。
狭い藁の間ということもあって朋子と佳林は
ほぼ抱き合うようにして荷車に乗っている。
佳林は黒目をぱっちりとあけて体を朋子に預けている。
朋子の身請けを断った佳林のことだ。
最初はこんな逃避行に佳林は抵抗するとばかりに思っていた。
だけど佳林はあっさりと朋子についてきた。
「朋にお金のことで迷惑がかからないなら」
佳林はそう言った。
藁の間から垂れてきた水滴で佳林の髪はぐっしょりと濡れていた。
睫毛にかかっている前髪を朋子はゆっくりとかきわけてやる。
- 149 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:53
- 「佳林ちゃん、大丈夫だからね」
朋子の声に佳林はわずかにうなずく。
「朋、誰かがついてきてる気がする」
佳林が瞬きもせずに不安そうに朋子を見つめている。
「大丈夫。誰にも気づかれてない」
朋子はそう答えるが朋子にも何か確信があったわけではない。
そのうち荷馬車は大きな湖の近くを通りかかった。
道の周囲は林に囲まれて真っ暗闇なのにも関わらず、
湖の水面だけがおぼろげに白くもやがかかったように見える。
そのとき人がすっと息を吸い込むような音が朋子の耳元で聞こえた。
朋子は思わずは息を潜めたが、よく耳を澄ましてみても
規則正しい馬と車輪の音が聞こえてくるだけだ。
- 150 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:55
- 確かに人の気配が湖がからしたのだ。
息を殺して朋子は湖を見てみた。
先ほどの白いもやは相変わらずだったが
今度はそのもやが紫色に不気味な色に染まってきている。
目の錯覚でそうなっているのかどこからか色のついた光に
照らされているのかは分からない。
そのとき湖から叫び声のような異様な音が鳴り響いた。
「怖い。人の鳴き声がするよ」
佳林が急に朋子にしがみついた。
「佳林ちゃん、大丈夫だって。こんなところに人なんていやしないんだから」
獣とも人とも区別もつかない悲しげな声の震えだった。
「きっと風が岩か何かにあたって共鳴しているだけ」
朋子は青い顔をした佳林を必死に安心させようとする。
- 151 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:56
- だが横の林を吹き抜ける風までも人の泣き声のように響きわたる。
朋子はこんな場所を抜け出したいと少し顔を出した。
湖の中心にはまだ紫のもやがある。
でもそれは単なる月光の悪戯ではなく、
今度ははっきりと形が分かるようになってきている。
それはみるみる四隅が伸びてきて人の形になった。
朋子はそれを見てすぐに首をひっこめた。
何か得体の知れないものがこの湖にいるのだと思った。
いくら落ち着こうとしても手足ががくがくと震えた。
「とも、どうかした?何か見たの」
「なんにもない。佳林ちゃん、もうすぐ着くから」
佳林を落ち着かせるのに朋子も必死だった。
- 152 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/10(木) 14:59
- 荷馬車はしばらく走ると湖のほとりにある古い洋館の前で止まった。
由加に教えてもらったのと同じ場所だ。
「では由加様のお言いつけ通り、この館へご案内させていただきました」
御者はそれだけ言うとすぐに寂しい道を引き返して行った。
「こんなとこ、人住んでるの?」
佳林が不安そうに建物を眺める。
洋館は相当年月の経っているものらしく、漆喰は禿げて土埃が
年月をかけてこびりついて、とても人が住んでいるようには思えない。
辺りは湿気がひどく空気がまといついてくるようだ。
ただでさえ藁の中でぐっしょりと濡れてしまった服を
一刻も早く乾かしたい。
朋子は錆び付いている呼び鈴を鳴らした。
木製のドアは叩いてもグッグッと吸い込まれるような音しかしない。
朋子はため息をついた。
その時、金属の鍵を解除する大きな音が響いた。
ドアがいかめしい音を響かせながらゆっくり開いていく。
中には腰を折り曲げた老婆が一人立っていた。
- 153 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/10(木) 14:59
-
今回の更新を終わります。
- 154 名前:名無し読者 投稿日:2014/07/14(月) 17:27
- 続ききたっ
お待ちしてました
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/17(木) 21:19
- >>154
ありがとうございます。続き頑張ります!
- 156 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:21
- 「ようこそ。おいでくださいました。
お話は由加様より聞いております」
しわがれた声なのに空気にうまくのるというか、
声がよく通っていて不思議なほど聞き取れた。
老婆は灰色の頭巾をかぶり、うつむいているせいで
どんな表情をしているかはわからない。
そのせいで老人と言ってもはたしてどれほどの年なのか、
朋子にもさっぱり見当もつかない。
ただ強烈に印象に残るのが、鼻が何かの病気にでもなったのか
赤く異常に膨れ上がっていることだ。
それはまるで頭巾の中から醜い肉の塊が覗いているように見えた。
この人は老いて縮んだのではなく、老いて不気味さを
増幅させたのかもしれないと朋子は思った。
- 157 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:22
- 「どうぞ中にお入りなさい」
老婆は手招きをして二人を中に入れた。
内部は電気がきているせいかきれいで明るい。
大広間には何十人も一緒に会食できるような
長方形の広いテーブルが置いてあった。
「この建物は一体なんなんですか?」
朋子は勇気を出して聞いてみる。
「元々はさる貴族の別荘であったものですが、今ではその方も
お亡くなりになり、こうして私が住んでいるだけに
なってしまいました」
老婆は黒いローブから出ている頭巾をことさらかぶって
顔を隠すようにする。
- 158 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:24
- 「何だか気持ち悪い人だね」
佳林の小声に朋子も無言でうなずく。
老婆の異常に隆起した鼻だけがランプに照らされて
怪しく光っている。
腰の曲がり方からしても相当な年齢になっているに違いない。
しかし動きも動作も何かぎこちない。
「お二人とも、あちらで暖炉で服を乾かしてください。
着替えも用意してあります」
隣室には暖炉の火が煌々と燃えていた。
老婆は二人を案内すると食事の準備をすると言って
大広間の隣にある厨房へと入っていった。
「あの人信用できるの?」
部屋へ入ると佳林がぐっしょりと濡れたワンピースを
脱ぎながら言った。
艶かしい白い肌が露になる。
- 159 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:26
- 「多分。由加のことだから大丈夫だと思うけど」
朋子は佳林の姿を横目で見ながら言った。
「でもあんまり長居はできないかもしれない」
「そうだよね」
あの老婆はどうも胡散臭すぎると朋子は感じていた。
それは佳林も同じようだった。
「行くあてあるの?」
「大丈夫。近くに知り合いの家がある。少し歩かなきゃだけど」
朋子は言った。
少しといってもここから数時間は歩かなければならないだろう。
もう馬車は使えないし、出来ればここには出来るだけ長く
潜伏しておきたい。
でも佳林の安全のほうがもっと大事だ。
- 160 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:27
- 「私なら大丈夫。お店で掃除したりいろんな物運んだりして
結構体力ついたんだから」
佳林は力こぶを作って笑う。
佳林には遊女屋へ堕とされたことへの悲壮感も屈辱も
あまりないようだ。
朋子はそのことに安堵しつつも佳林の本当の胸の内というのも
はかりかねた。
佳林は用意された緋色の長襦袢を羽織った。
鮮やかな色彩に朋子は貴族と呼ばれていた時代の佳林を
一瞬思い出す。
遊女屋では暗い明かりの下で佳林に会うことが多かった
せいかもしれない。
- 161 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:28
- 「大きさもちょうどいいんだけど。何だか逆に気持ち悪いな」
佳林は帯を締めながら言った。
そういえば朋子に用意された着物もそうだ。
由加が用意しておいてくれたのだろうか。
でも清純な由加の印象からしてあの醜い老婆が
由加とどう関係するのか理解しがたい。
「お嬢様方、お食事の準備が出来ました。
用意が整いましたらこちらへお越し下さい」
ドアの向こうから老婆の声が聞こえる。
そういえば二人とも食事ともとらずに荷馬車に揺られっぱなしだった。
緊張感も少しほどけてお腹もすいている。
- 162 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:30
- 部屋を出るとだだっ広い大広間には、晩餐会で使うような
木製の長細いテーブルが置かれていた。
二人の食事は隅にだけぽつんと置かれている。
パンとバターに漬物にしたような肉片と茹でた馬鈴薯とスープ。
朋子は最初警戒していたが、佳林がいただきますと言って
もぐもぐと食べ始めたので朋子も仕方なく口に入れてみる。
おいしい。
意外といける。
老婆が近くにいたため、警戒して口には出さなかったが、
どれも塩味がほどほどにきいていて、さっぱりしたシンプルな味付けだった。
「お口にあえばよいのですが」
老婆は二人を一瞥するとまた厨房に下がっていった。
お腹がすいていた二人は危ないものではないとわかると
無心に食事を始めた。
- 163 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:32
- 「ところでお二人は湖のあの鳴き声は聞かれましたか?」
厨房は二人からは離れたところにあるのに声がはっきりと聞こえた。
朋子は馬車から見た奇妙な紫色の物体と岩に共鳴するような
音を思い出した。
「ええ。私達も来る途中で聞きました」
「そうですか。やはり」
厨房からは刃物を研ぐような音が聞こえる。
「言い伝えがありましてな。昔、貴族に悪戯された若い娘が
この世をはかなんで湖に身をなげたのです。
それ以来その娘の泣き声がこのあたりで聞こえるのですよ」
食事をしていた佳林の動きが止まった。
フォークを宙に浮かせたまま考え込むようにしてうつむいている。
- 164 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:33
- 「質の悪い貴族で、その娘の家から無理にさらっていこうとしたみたいで」
老婆の声が厨房から響いた。
「佳林ちゃん、どうかした?」
「ううん。何でもない」
佳林はそう言ったが、朋子の頭にあるのは一人の少女の面影だった。
きっと佳林も今同じ人のことを思い出している。
- 165 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:34
- 「小田さくら」
佳林がさくらの家に忍び込んだあの事件以来、
さくらは忽然とどこかへと消え去った。
家も庭も宮本家の持ち物だったため、宮本家の没落とともに
さくらの家も人出に渡った。
さくらの親は宮本家での仕事もなくなり、娘を売ったという
話もあったがよくわからないままだった。
「このあたりでは貴族が金に物を言わせて村の娘を無理やり
連れ去ったりそれはひどいことがありました。
ここら一帯にはその娘の無念の気持ちが漂っているのですよ」
老婆はそう言ってくつくつと笑った。
- 166 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:36
- 食事の後、二人は四階にある客間に通された。
窓は年代物らしくすりガラスのように不鮮明だった。
おぼろげに建物の明かりに照らされた雨が針のように降っている。
外は木々に墨でもかけたように真っ暗で雨以外のものは
何も見えなかった。
佳林はベッドに腰掛けると沈み込んだように下を向いている。
小刻みに震えてる手が痛々しい。
「佳林ちゃん」
そう言って朋子は佳林の隣に腰掛けた。
「とも、さくらのこと覚えてる?」
佳林が言った。上目遣いで見る佳林の表情は明らかに怯えてる。
- 167 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:38
- 「あんまり覚えてないけど」
言いながらも朋子の脳裏にさくらの顔が浮かんだ。
佳林が勝手に忍び込んださくらの部屋から必死な形相で
さくらは飛び出してきた。
あのとき、佳林がさくらに何をしたのかはよく分からない。
ただそのときのさくらの表情は今の佳林の青ざめた顔に
不気味なほどよく似ていた。
「さくらは今どうしてる?」
「分からない。さくらの家は今売りに出されてるし」
朋子がそう言うと佳林は急に頭を抱えた。
「あの湖の鳴き声はさくらの幽霊だ。
きっと私に復讐しようとしてるんだ」
佳林の声は上ずって途切れがちになる。
- 168 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:39
- 「考えすぎだよ。湖の声は風が鳴らしてるだけだよ。
それにそもそも幽霊なんて」
「とも」
佳林が朋子の声を遮った。
「こんな手紙が届いたの」
佳林が懐から一枚の紙を取り出した。
二つ折にされた古びた藁半紙を朋子は受け取る。
開くと紙の中央に一言だけ書かれている。
−復讐の始まり
- 169 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:41
- 毛筆で書かれたらしきその文字だけが、
小さく紙の中央にのっている。
ただし、丁寧にしたためられたその言葉からは、
何か強烈な意志を感じずにはいられない。
見ているだけで鋭利なナイフを突きつけられているようだった。
「佳林ちゃん、これ?」
「誰が出してきたのか分からない。
ただ宛先も宮本佳林様とだけあって。
何で私があのお店にいるのを知っているのかも何の復讐かも分からない」
佳林は怯えているのか泣いているのか分からないような表情をしていた。
「でも」
佳林は恐怖に歪んだ顔を朋子に向けた。
「私を恨んでるとしたらさくらしかいない」
- 170 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:44
- 佳林の悲痛な声を聞いて、朋子は佳林がさくらに何をしたのか
もう尋ねる気持ちにはなれなかった。
たとえさくらが佳林のことを恨んでいても、
さくらも誰も知らないところに逃げてしまえばいい。
自分が佳林を守れればそれでいいと強く自分に言い聞かせる。
でも、目の前の佳林は朋子が思っている以上に追い詰められていた。
「ねえとも、さくらはもうこの世にはいないの?」
白い顔でそういう佳林に朋子のほうが戦慄した。
さくらは近所の家だ。生きていれば何かの噂は入ってくるものだ。
それが何も聞かないのもさくらがもうこの世の人ではないから
かもしれない。
でも、この手紙は所在不明のさくらの存在をはっきりと示している
ようにも感じる。
朋子は底知れない怖さに顔がひきつる。
- 171 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/17(木) 21:46
- 「分からない。でも生きてるんだったら逃げちゃえばいいし。
亡くなってるならもう姿なんて現さないよ」
朋子はわざと顔に笑みを浮かべて言う。
きっとこの洋館が自分達を恐怖に陥れているのだ。
明日、朝日を浴びてここから出ればそんな怖いことを考えなくなる。
「佳林ちゃん、もう今日は寝よう。
明日になったらもう全部忘れてるよ」
佳林はうつむいたままこぶしを握りしめている。
「でもこの手紙は消えない」
「そんなのただの悪戯でしょ。さっさと燃やしちゃえばいいのに」
朋子はそう言った。
ただし朋子自身も単なる悪戯とは思っていない。
佳林は諦めたようにその手紙を元通りに折ると、
ゆっくりと懐の中にしまいこんだ。
「もし燃やしてしまったら、さくらに何されるか分からない」
佳林が虚ろな目でそう言った。
- 172 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/17(木) 21:47
-
今回の更新を終わります。
次回でこの話は完結です。
ローズクオーツはまだ続きます。
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/17(木) 21:47
-
レス流し
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/17(木) 21:47
-
レス流し
- 175 名前:名無し読者 投稿日:2014/07/30(水) 23:01
- 今後を見守っています……
二人は幸せになれるのでしょうか……
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/31(木) 19:24
- >>175
う。長い目で見守っていただけるとそのへんは。。
レスありがとうございます。
- 177 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:34
- 一体貴族の時のあの自信満々な宮本佳林はどこへいってしまったのだろう。
女相手の仕事だからそこまでひどいことはされていないにしても、
お金で買われる存在に違いはない。
あの時のさくらは佳林にどんな要求をされても言うことを
聞かざるを得なかった。
お金次第でどうにでもされてしまう今の佳林の状況と驚く程似ている。
さくらが自分と同じような境遇におきたければ、
すでにその復讐は果たされていた。
ただしそうしたのはほかならぬ朋子の手によってだった。
- 178 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:35
- 雨がさらさらと降り続いていた。
部屋の明かりを消してランプだけになると、
真っ暗だった外の様子がうっすらと見える。
朋子がベッドに入ると佳林は見計らっていたかのように
同じ布団に潜り込んできた。
そのまま朋子の腰に手を回して絡みつくようにしてくる。
強すぎるくらいの力だったが朋子にとっては
そのぐらいのほうが心地よかった。
窓の外には建物の明かりがあるだけで、すぐ向こうは
欝蒼とした森林が広がっている。
外にいるのは動物以外にはありえないが、
何かが森の向こうからやってくる気がして
思わず朋子は窓の外を睨みつけていた。
- 179 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:37
- 「とも、どうかした?」
上半身だけ起こしている朋子の腰に佳林は抱きつくようにしている。
上目遣いで朋子を見る佳林の顔をランプの色が紅く染めた。
「何でもないよ。佳林ちゃん」
朋子は佳林の黒髪をゆっくりと撫でた。
美しさだけは貴族のときも今も全く遜色がない。
佳林を追い詰めて自分の物にする。
欲望の権化のような自分の行動が
まんまとこの世界ではまかり通っている。
朋子には、罪悪感を感じるというよりも
神にも悪魔にも見過ごされているこの状況が不思議だった。
そのとき青白い炎のようなものが窓の外を通り過ぎた。
- 180 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:38
- −私のことを忘れないで−
念のような言葉が聞こえてきた。
その言葉を拒否するように朋子は何も言わず布団に潜り込む。
佳林がするする体を上らせて朋子と至近距離で顔をあわせた。
佳林は真っ黒な瞳をこちらに向けていた。
気がつくと外も室内も静寂に包まれている。
そう思ったのは柱時計の音だけが定期的に聞こえてきたからだ。
佳林はすっかり寝入っている。
外はまだ暗い。夜明けまではまだ相当時間があるだろう。
もう一度寝ようとしたときにコツンという音がどこからか聞こえた。
- 181 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:40
- 最初は気にならないくらいの小さな音だった。
気にせずに眠ろうと目をつむったときに
もう一度コツンと音がする。
怖くなった朋子は今度は逆に佳林の体に身を寄せる。
「とも、起きてる?」
朋子は佳林の体に伸ばそうとしていた手を急いで引っ込めた。
「明かり、点けて」
佳林に従って急いでランプの火をつけた。
そしてベッドを出て蛍光灯のレバーを上に押しあげた。
ジッ。
鈍い音がして蛍光灯の光がついた。
部屋の様子に特に変わったことはなさそうだった。
「佳林ちゃん」
朋子が佳林を呼ぶと、佳林は怯えた顔でしっと言うと
床に視線を落とした。
- 182 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:41
- コツン。
今度は佳林の立っている真下で音がした。
佳林が泣きそうな表情で朋子に飛びついてくる。
しばらくしてまたコツン。
今度は対角線上の離れた場所だ。
どうやらこの音は一箇所で鳴っているのではなく、
次々に床下を移動しているみたいだ。
「とも、どうしよう」
佳林が小さな体を必死に朋子にくっつけてくる。
「さくらの復讐が始まった」
佳林が虚ろな目をしてそう言った。
「佳林ちゃん、大丈夫だから」
朋子は言った。
- 183 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:42
- 確かにこの音は何か変だ。
こんなに定期的に響いてくる音はねずみや動物の仕業ではない。
もちろんたたりや亡霊でもない。
きっと誰かが階下の部屋で長い棒で天井を突いているのだ。
ただし何の目的かは分からない。
「迷惑な人だな。下に言って文句言ってこよう」
朋子は言った。
この洋館には朋子達とあの老婆の三人しかいない。
そう考えれば犯人は明らかだ。
「行くの?」
佳林は体を硬直させて言う。
「あのお婆さんが怖がらせようとしてるだけだって。
あの湖の話もきっと嘘だ」
朋子は言った。
- 184 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:49
- 「二人で行けば絶対大丈夫。さくらの幽霊なんていないんだから」
朋子は佳林の手を優しく握った。
もう一つの手で天窓を開けるために置いてある長い棒を手に取る。どうせあの老婆が自分たちを怖がらせようとやっていることに違いないとは思う。
廊下は天井の明かりに電気が通っているようで
薄く橙色に照らされている。
朋子達は足音を響かせないように小走りに進む。
廊下の突き当たりは階段になっていて下の階に通じていた。
佳林はまだ不安な顔をしていたが血色はだいぶ戻ってきている。
「とも、あそこ」
佳林が階下の廊下を指差した。
そこには青白い光が廊下の奥からはみ出している。
何だろう。
朋子が階段を降りようとするとぐいと強い力で引き戻される。
- 185 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:50
- 「佳林ちゃん、大丈夫だって」
「何か嫌な予感がする」
佳林が階下の光を見つめて言った。
「とにかくあの変な音の原因だけは突き止めないと」
佳林を説得しようと言った言葉だが、
朋子の言葉に佳林は反応しない。
そのままぼうっとしたように下を見つめたままだ。
朋子は佳林の手を引っ張った。
佳林は諦めたのかそのまま朋子についてきた。
朋子は階段の壁に張り付くように降りると
恐る恐る階下の廊下を覗く。
すると奥のほうにドアが半開きになっていて、
そこから青白い光が漏れ出してきていた。
ちょうど朋子達の真下の部屋だ。
廊下の天井の電気は故障したのか消えてしまっている。
- 186 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:52
- 朋子は意を決して踏み出した。
中で老婆が天井をついていたらその現場を
取り押さえてしまおうと思った。
朋子と佳林はいよいよ足音さえ立てないように進む。
すると光の漏れたその部屋から何かが聞こえてきている。
人の声だ。リズムを刻んで歌っているように思える。
佳林がぎゅっと朋子の腕をつかんだ。
火の鳥は歌う。
暗い空を明るくするまで。
朋子は思わずぎょっとなった。
「いやあ」
佳林はそう叫ぶと朋子の手を放した。
そして元きた廊下をすごい勢い走っていく。
「佳林ちゃん、離れたらだめ」
朋子は走って追いかける。
廊下の逆側にある薄暗い階段の踊り場のところで
ようやく佳林を捕まえた。
- 187 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:53
- 「さくらの幽霊だ。仕返しに来たんだ」
佳林は髪を振り乱して半狂乱になって言う。
いきり立っているわりには佳林の目は虚ろでどこを見ているのか
よく分からない。
すでに佳林の精神状態が限界にきていた。
「佳林ちゃん、落ち着いて。
さくらの幽霊なんてそんなのあるはずない」
「ともはあの歌、聞こえなかった?覚えてるでしょ。私の家で」
「覚えてる」
確かにあの歌はさくらが歌っていた歌に間違いない。
それに歌声もさくらの透き通った声質によく似ている。
ただし、今はそんなことを考えている場合じゃない。
- 188 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:55
- 「佳林ちゃん、逃げよう。とにかくこんなところから出なきゃ」
朋子は建物から脱出しようと階段を降りかけた。
そのとき、鈴の音のようなものが下から聞こえた。
続いてまるで呪文を唱えているような
獣か人間か分からないような唸り声が近づいてくる。
そして朋子は階下から白い着物を着た黒い髪の少女が
ゆっくりと階段を上がってくるのを見てしまった。
少女が顔をあげる一瞬前に朋子は目をそらした。
二人同時に階段を駆け上った。
とにかく逃げるしかない。
朋子の中にはそのことしかない。
もう今自分たちが何階にいて屋敷のどのへんにいるのかも
わからなかった。
- 189 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:56
- 二人で廊下を走る。
そして行き止まりになって壁に行きあたった。
「どこか隠れる部屋はない?」
朋子は言いながらあたりにあるドアノブを回す。
どの部屋も鍵がかけられていて開かない。
ぐずぐずしている間にあの低く不気味な声が
近づいてくるような気がしてならない。
鈴の音とお経のような唸り声がリズムを刻んて耳鳴りのように
頭に残る。
そこから恐怖の感情が沸き起こる。
「開いた。ここなら隠れられる」
佳林がドアを開けた部屋に急いで駆け込む。
そこは何体もの石像や彫刻などが置かれている。
気味の悪い部屋だったがとにかく隠れるところはここ以外にはない。
近くに古びた洋ダンスがあったので二人はその中に入って
扉を閉めた。
- 190 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 20:57
- 佳林の体が可哀想なくらい震えている。
「佳林ちゃん、大丈夫だから」
朋子がそう言っても佳林は首を横にふってがたがたと体を震わせた。
朋子が暗闇の中で佳林をしっかりと抱きしめた。
佳林の髪油の甘い匂いがふっと立ち込める。
小さな佳林の体が夢中でしがみついてきた。
「とも」
泣きそうな声を出した佳林を朋子はしっと止めた。
耳を澄ますと歌声が聞こえてくる。
か細くて今にも消えてなくなりそうな声なのに
徐々に大きくはっきりと聞こえ出した。
- 191 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:01
- 歌姫は一人孤独に歌いだす
北の果ての大地から
誰も知られずやってきた
復讐のためにやってきた
佳林が小さく叫び声をあげると再び朋子のすそをつかむ。
ひきちぎるぐらいの強い力だった。
歌声は確実に近づいてくる。
歌姫はいつも一人
いつも一人で歌ってる
いつも孤独に歌ってる
- 192 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:02
- 女の断末魔の叫びのような甲高い音をたててドアが開いた。
歌声がやんで足音だけが聞こえる。
袴を履いているような足音がからんと響く。
朋子と佳林は洋ダンスの中で必死に息を潜めた。
やがて足音は、朋子達の前を一度通り過ぎると
再びドアを開けて出て行った。
歌声も呪文も消えて静寂だけが残った。
しばらく時がたった。
もう何も聞こえないがどこで待ち伏せしているかは分からない。
二人はいつまでも身動きがとれない状況だった。
「佳林ちゃん、ここを出よう」
朋子は小声で言う。
- 193 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:04
- 「でも、まだ」
「大丈夫。例えさくらがいても佳林ちゃんのことは私が守るから」
朋子はそう言って扉を一気に開けた。
二人は目の前にいる真っ白な着物を着た少女に顔がひきつった。
「お久しぶり。二人ともそんな顔しないでよ」
目の前にいるのは幽霊ではない。
間違いなく人間の小田さくらだった。
「さくら・・・ちゃん?」
佳林は泣きはらした顔から不思議そうな表情に変わった。
「やっぱりね。うまく変装したと思ったかもしれないけど。
まさかあんな老婆に化けてるなんてね」
朋子がさくらを睨みつけて言った。
- 194 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:06
- 「当たり。うまく変装したつもりだったんだけど」
さくらは舌を出してばつの悪い顔をする。
さくらは白装束に身を包んで赤い髪留めをつけていた。
まるで神社の巫女のようだった。
「残念だったね。二人とも」
さくらは二人の前に胸を張って立ちはだかった。
「それでうちらのことをどうするつもり?」
朋子はさくらにゆっくり近づくと背の低いさくらを
見下ろすようにした。
「復讐の始まり」
さくらはそう言って笑った。
「どうやって復讐するつもり?
佳林ちゃんに何かしたら私、許さない」
朋子は語気を荒げた。
「遊女屋に連れ戻す。復讐はそれから」
「そんなことさせない」
二人は一歩も引かずに向かい合った。
- 195 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:08
- 「とにかくここからは出て行く」
朋子はそう言って佳林の手を引いて部屋を出ようとした。
突然まばゆい光が二人を襲った。
「宮本佳林だな」
大勢の男達が部屋へ入ってきた。
「店の主人から被害届けが出ている」
「だって由加は?」
朋子の顔は青ざめた。
「由加ちゃんの名誉のため言っておくと。
由加ちゃんのお父様と憲兵隊にはあたしが通報した」
さくらがにこやかに笑って言った。
「何の権利があって」
朋子は怒りに震えた。
- 196 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:09
- 「あたし、あのお店で働き始めたの。花魁の監視役として」
さくらがそう言った瞬間、朋子がさくらに掴みかかろうとした。
「ともっ」
佳林が朋子を押しとどめた。
「窃盗罪で逮捕する」
男が朋子の手をつかんだ。
同時に佳林も誰かに腕をつかまれた。
振り返るとさくらが佳林の手を握ってにっこりと微笑んだ。
男達が朋子をそのまま部屋から連れ出そうとする。
「ともに触らないで」
さくらの手を無理やりふりほどくと、
佳林が必死に男の手に噛み付いた。
- 197 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:10
- 「いてっ。何するんだ」
憲兵が思わず佳林を振り払ったのと同時に朋子をつかんだ手を放す。
「ともっ。逃げて」
佳林の叫び声に朋子は一瞬躊躇した。
「逃げて。私を助けに来て」
「佳林ちゃん」
佳林の必死の形相が朋子に冷静を与えた。
どうせもう二人では逃げられない。
朋子が花魁を窃盗した罪で捕まってしまえば、
佳林を永久にあの遊女屋から救い出すことは出来ないだろう。
朋子は一気に駆け出した。
- 198 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:12
- 「待て」
部屋の前に集まっていた憲兵達の不意をついて
朋子は廊下をかけていく。
階段を駆け下りて洋館の玄関まで一気にたどり着いた。
何人かが追いかけてくる声は聞こえたけど、
待ち構えている者は誰もいない。
朋子は暗闇に向かって走りながら平和だった
宮本家での奉公のことを思い出した。
自分の愚かさと悔しさに涙が溢れ出す。
全ては自分が招いたことだった。
近くの湖は今日の夜の出来事など何もなかったように
暗く静まりかえっている。
闇は漆黒であたり包み、
金澤朋子の姿も行方も全てを覆い隠していた。
- 199 名前:復讐の始まり 投稿日:2014/07/31(木) 21:12
-
「復讐の始まり」
終わり
- 200 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/31(木) 21:13
-
レス流し
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/07/31(木) 21:13
-
レス流し
- 202 名前:名無し読者 投稿日:2014/08/05(火) 21:27
- あぁぁぁぁぁぁ
続きをお待ちしています
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/08/10(日) 04:11
- タイトルが意味深で・・・
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 17:44
- >>202 203
ありがとうござます。大変お待たせしましたが再開します。
- 205 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:46
- 馬車の蹄の音が地獄の始まりを告げるように絶望的に響いた。
佳林は着物の上から縄でぐるぐる巻きに縛られている。
口には布を詰め込まれて目隠しまでされた。
きつく結ばれた縄は遠慮なしに手首に強く食い込む。
まるで罪人のようなひどい連行のされ方だ。
自分はそれほど悪いことをしたのだろうか。
誰かを傷つけたわけでも物を盗んだわけでもない。
あまりの理不尽さに思わず目隠しの布に涙がにじんだ。
「佳林ちゃん、金澤さん。まだ捕まってないみたいだよ」
横からさくらの声が聞こえた。
- 206 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:48
- その内容にほっとするのと同時に隣に座る得体の知れない存在に
背筋が凍る。
「無視?つれないなあ」
黙っているとさくらが佳林の耳に息をふっと吹きかけた。
「これから佳林ちゃんがどうなるか。あたし次第なんだけど」
さくらの脅しだ。
佳林は黙ってさくらがどんな人間なのかずっと探っていた。
佳林の脳裏にはあの従順な召使だったときのさくらの記憶しかない。
でも佳林にはさくらの冷たい言葉とは裏腹に
「小田さくら」から感じる空気はそれほど凶暴ではない。
話しかけても大丈夫な気がした。
- 207 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:52
- 「本当に小田さくらちゃんなの?」
一瞬沈黙が続く。
「そうだよ」
さくらはそう応えた。
きっと自分の名前を呼ばれたことに面食らってる。
佳林はそう感じた。
「今までどこにいたの?さくらのこと、
ずっと探してたけど全然見つからなかった」
宮本家が借金で没落する寸前まで佳林はさくらのことを探していた。
しかしあらゆる手を尽くしてもさくらの消息はどうしてもつかめなかった。
後ろ頭を触られる感触があって佳林は目隠しを外された。
さくらは黒い髪を後ろに束ねて、白いぶかぶかの着物を羽織っている。
ランプに照らされた血色の良い肌つやがさくらが
生身の人間であることをはっきり示していた。
顔立ちは以前会ったときよりも大人びて巫女のような姿のせいか
前より俄然美しくなったように見えた。
- 208 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:54
- 「北の国」
さくらは佳林を見つめてそれだけ言った。
北の国の話は佳林も聞いたことはある。
汽車で丸一日以上かかる遠い国だが国交がないため
佳林も行ったことはない。
王政府は認めたがらないが、文明がこの国よりずっと進んでいると
聞いたことがあった。
「あたしは戻ってきたの。佳林ちゃんに復讐するために」
さくらの顔は自分の言ったことに逆に驚いているようだった。
怒りを募らせているようには全く見えない。
「もう私には何も残ってないよ。家も身分もなくなったし。
だからもう復讐なんて」
ちゃんと話し合えば復讐をやめてくれるかもしれない。
佳林はそんな淡い希望を持った。
それぐらいさくらの表情はまだ穏やかだった。
でもそれは次の一言でかき消された。
「佳林ちゃんがまだ残ってる」
そう言ってさくらは佳林を抱き寄せた。
- 209 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:56
- 何を考えているのか分からないさくらの目に怯える
自分の姿が映っている。
馬車は雨の中を走り続け、縛られている佳林はここから
逃げ出すことなんて到底できない。
「私をどうするつもりなの?」
「どうしようかな」
さくらは爛々と輝く瞳を近づけた。
「言っておくけど。佳林ちゃんには宮本の家もない。
金澤さんもいない。もう佳林ちゃんをあたしから
守るものは何もないんだよ」
さくらは自分を怖がらせようとしているんだと佳林は思った。
そう感じたのは佳林にも少しの余裕が出来たからかもしれなかった。
「小田さくら」は幽霊みたいに存在するかどうかも分からなかった
相手だから怖かった。
でもきちんと目の前に存在してしまえばあまり恐れる必要もない。
- 210 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:57
- 「私だって店にとっては大事な商品。商売道具、
傷つけたらまずいんじゃない?
さくらだってあのお店に雇われてるんでしょ?」
佳林がそう言うとやっとさくらは佳林を解放した。
佳林とさくらの距離が元に戻る。
「そんなこと言ってられるのも今のうち」
さくらは拗ねたようにそう言って窓のほうを向いた。
- 211 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 17:57
-
-------------------------------------------------------
- 212 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:00
- 遊女屋に連れ戻された佳林は、さくらに後ろに縛られた腕を押されて
無理やり歩かされる。
いくら痛いと思ってももさくらには従うしかない。
「面白いところがあるんだ。多分佳林ちゃんも知らないところだよ」
さくらは少し得意気に言うと店の奥まで佳林を連れて行く。
一番奥には古ぼけた洋箪笥が置かれていた。
扉にはいかめしい鳳凰の姿を木彫りしてあって
いかにも豪奢な風情を漂わせている。
しかしその箪笥が何に使われているのか全く分からない。
佳林もその存在の意味も分からずにいつもその横を通っていた。
さくらがその扉を開けると、薄っぺらいはずの奥が意外と広い。
そこは箪笥に見せかけた隠し扉になっていた。
- 213 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:02
- 「入って」
さくらが佳林の体を押す。
中に木製の螺旋階段が見える。
この店は二階しかないはずなのに、階段を上っていくと
三階、四階と永遠に上までつながっているようだった。
さくらは佳林をひったてるように押しながら後ろをついてくる。
この店にこんな上の階があるなんて知らなかった。
手が使えず手すりをもつこともできないので
足元がおぼつかなくなる。
やっと最上階らしき部屋までたどり着く。
雨染みがついた襖をあけると、畳の部屋の奥に
十文字に板が張り巡らされた牢屋みたいな部屋があった。
「何ここ?」
佳林が驚きと恐怖にのけぞる。
「女郎屋に監禁牢があるなんて当たり前でしょ。
ここに逃げ出した女郎を閉じ込めておくの」
さくらはそう言って佳林を無理やり部屋の中へ押し入れる。
- 214 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:05
- 「ほら。中に入って」
牢屋に佳林を無理やり促す。
「い、いやだ」
佳林は抵抗して逃げようとする。
ここに入ってしまったら二度と出られなくなりそうだった。
それにこんなにわびしい最上階に誰も来てくれそうにない。
「ここって昔は監禁以外にも拷問とかやってたみたいだよ」
「拷問・・・」
畳の部屋をよく見てみると、壁に紐のついた棍棒みたいなものから
先の尖った刃物のようなものがたくさんかけられている。
何に使うのかは全く分からなかったが、
佳林はそれを見ただけで血の気がひいた。
- 215 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:06
- 「電気、使ったりするんだって」
さくらがその棍棒を一つとってゆっくりと佳林に近づいてくる。
佳林は泣きそうになって首をふる。
「大人しく牢屋に入るんなら何もしない」
さくらが冷静にそう言った。
佳林は絶望的な気分になりながらも観念して牢の中へ入った。
「痛かったでしょ。縄ほどいてあげる」
さくらが縄をといてくれたので手は自由になった。
それでもこれから自分がどうなってしまうのか
不安でいっぱいになる。
さくらは縄をほどいた後もしばらく佳林から離れない。
- 216 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:08
- 「この着物、あたしが選んだんだ。ちょうど大きさもぴったり」
そう言って肩から腰をゆっくりと撫でる。
佳林はうなだれたまま何も反応しない。
さくらは佳林が無抵抗なのを確認するように
今度は佳林の黒髪を触ってきた。
「きれい。佳林様って呼ばれてたときと同じ」
さくらはさらさらと指の間に髪を通す。
至近距離でさくらと佳林は向かい合った。
さくらの目は思ったより大きく深緑色に光を放っている。
佳林は何を考えているのか分からないさくらの目尻の奥を見つめた。
「私をどうするつもりなの?」
佳林はもう一度尋ねた。
「それはこれからのお楽しみ・・・かな」
さくらは祈るように両手を組んで可愛らしく笑った。
- 217 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:09
- さくらなんて貴族のときには自分の意志でどうにでも出来る存在だった。
それが今では佳林の全てを握られているようで憎たらしい。
「ともが・・・ともが絶対に助けに来てくれる」
佳林は抵抗するように必死に言う。
「さあ。それはどうだろ。金澤さんお尋ね者になっちゃったしね。
佳林ちゃんを助けに来る余裕なんてきっとないよ」
さくらはあざ笑うように言う。
金属の軋む音がして目の前で牢屋の鍵をしめられた。
さくらがちゃんと閉まっているか何度も確認している。
罪人になったような屈辱感が佳林を惨めにした。
「あたし、隣の部屋で寝るから。逃げようとしたって無駄だよ」
さくらが格子から佳林を見つめて言う。
- 218 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:11
- 佳林は諦めたようにそのまま床に突っ伏した。
横目でさくらを見ると淡々と布団をしいて寝る準備にかかっている。
さくらにはもうどうやって抵抗したって無駄な気がした。
さくらは自分に復讐しようとしている。
さくらの気持ちを変えさせるためにはどうしたらいいんだろう。
泣いて謝ったら許してくれるだろうか。
謝って仲良くなろうと言えば少しは復讐心を捨ててくれたりは
しないかと佳林は必死に考え始める。
「眠れないんなら一緒に寝てあげようか?」
さくらが突然こっちを向いて言った。
薄暗闇でも爛々と光る目がはっきり見えた。
「いい。何されるか分かんないし」
色気。というものがもっと自分にあればと思う。
こんなとききっと遊女は女の武器を使って切り抜ける。
でも貴族として生まれてきた佳林にはそんなものを
意識したことも使ったこともなかった。
- 219 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:12
- 「そう。じゃあまた明日。佳林ちゃん」
さくらのまるで学校帰りに友達とお別れを言うような普通さが、
返って不気味さを増幅させる。
不安な夜は孤独が地を這うように襲ってくる。
隣でさくらのわずかな吐息が聞こえてくる。
生きている人がいるだけましだと思うようにした。
- 220 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:12
-
------------------------------------------------------------
- 221 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:15
- 朝日が降り注ぐと艶めかしい女郎屋の廊下も何だかお寺のように
新鮮で清い光を放っている。
佳林は朝から雑巾を絞っては長廊下を隅々まで拭いている。
今朝、佳林が起きると女郎を取り仕切っている遣手婆がやってきた。
「佳林は罰として雑巾がけ。今度逃げたら承知しないよ」
ドスのきいた声だったが、その平穏な罰の内容に佳林は安堵した。
「拷問でもされると思った?」
廊下の横の部屋からひょっこりとさくらが顔を出した。
「別に」
佳林はそう言って雑巾がけをしながらさくらの横を通り過ぎる。
「商売道具に傷なんてつけられないしね。
つまり単なる使用人のさくらには私に復讐なんて出来ない。
雇われてるだけなんでしょ。このお店に」
拷問の恐怖がなくなって佳林は勝ち誇ったように言う。
- 222 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:16
- 「そうかなあ。体に傷、つけられなくても心に傷はつけられるかも」
さくらは不敵な笑みを浮かべた。
「どうやって?」
「あ、こんなところにゴミが」
さくらが廊下の上に何かを落とす仕草をした。
佳林はそれを怪訝な表情で見ている。
「なーんてね」
さくらは意外にも自然な笑みを浮かべた。
さくらは怖い存在ではあったが自分と同じ年の
普通の女の子に感じる瞬間もある。
でもそうかと思えばすぐに脅しの言葉をかけてくる。
「あたしの復讐はこんな嫌がらせじゃないから」
そう言ってさくらはゆっくりと佳林に近づいてきた。
- 223 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:18
- 「な、何?喧嘩だったら負けないよ」
佳林は取っ組み合いをするように腕を突き出して構える。
「佳林ちゃんて本当に純粋で何も知らないんだね」
さくらは佳林の警戒する範囲を悠々と乗り越えてくる。
佳林の腕をたたませて、さくらは佳林の黒髪に触れた。
「何?」
佳林が後ずさりしようとする。
「動かないで」
さくらの声に佳林の足が止まる。
さくらはそのまま腕を下げて佳林の首筋をゆっくりと撫でた。
「ひゃ」
佳林は思わず後ろに飛び退いた。
- 224 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:20
- 「そ、そういうことするならお金払って。
お金もないくせにそんなことしないで」
佳林は明らかに動揺していた。
今までに客相手でさえそんなことをされたことはなかった。
「じゃあお金払ったらいいの?」
佳林は、はっとなって何も言い返せず押し黙る。
お金さえ払えばどんなことをされても文句は言えない
世界に自分はいる。
言葉ではわかっていたけどさくらを前にしてそれが一気に
現実味を帯びてくる。
「お金払ったらあたしと寝てくれる?」
さくらは不敵な笑みを浮かべた。
考えてみれば誰だって自分を買うことができるのだ。
自分と同い年の、あどけないこの子がお金を出せば簡単に自分は
さくらの物になってしまう。
さくらを客としてもてなして、もしかしたら自分の全てを
さらけ出さなくてはならないかもしれない。
それは元貴族の令嬢の佳林にとって罪人よりもっと
屈辱的なことかもしれなかった。
- 225 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/13(月) 18:21
- 「ごめん。今の言い方傷ついたよね」
さくらはにやにやと笑っていた。
「お、金なんてないくせに」
さくらはこの店の使用人にすぎない。
花魁を買うなんて上流社会のようなことが出来るはずがない。
「今はね。でもあたしは絶対に這い上がってみせるんだ。絶対に」
さくらの一層大きくなった目尻の強さに佳林は背筋が寒くなった。
もしかしたら自分はとんでもない人と関わりを
もってしまったのかもしれないと佳林は思った。
「じゃああたしは、由加ちゃんに頼まれてることがあるから」
さくらはそう言って顔を出した部屋へ戻っていく。
「じゃあまたね。佳林ちゃん」
さくらはまるで友達のようにひらひらと手をふった。
- 226 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 18:22
-
今回の更新を終わります。
- 227 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 18:22
-
レス流し
- 228 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/13(月) 18:23
-
レス流し
- 229 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:10
- 昼近くになり、表では神輿が通るときのような壮麗な横笛の音と
鈴の音が聞こえ始めた。
使用人が忙しく駆け回っている。
どうやらモーニング娘。の一行の到着らしい。
遊女はお呼びがかかるまで待機している他はなく、
佳林は右へ左へ慌ただしく動く人をただ眺めていた。
その中にお盆を持って走る由加の姿があった。
由加はこの店の女主人だったが、まだ若く優しい
お姉さんみたいで佳林も嫌いではない。
- 230 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:13
- 「あ、佳林ちゃん。ちょっといいかな」
佳林を見ると由加は佳林のいる部屋へやってきて言った。
「何?」
佳林がうなずくと由加が一際深刻そうな表情をする。
「これからモーニング娘。さんが来られるんだけど、
佳林ちゃんは道重さんのお相手をして欲しいの」
道重さゆみはモーニング娘。のリーダーであるとともに
歌劇団を取り仕切る実力者だ。
店にとっても最も重要なお客様に違いない。
「うん。分かった」
佳林は素直にそう言った。
- 231 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:14
- どうもこの人の言うことには逆らえない。
ほっとけない何かがあるのだ。
「ごめんね。本当は佳林ちゃんのこと助けてあげようと
思ってたんだけど」
由加の言葉に佳林は首を横にふった。
由加がこの店の主人ということはたいていのことは由加に
頼めば何とかしてもらえるのかもしれない。
でも結局はこの店も由加の父の店であって、性格の悪い遣手婆も
さくらも由加の手に負えない存在に違いない。
だから佳林もあまり我侭を言う気にもなれなかった。
それ以前に自分は大借金を背負って遊女屋に堕とされた
身分なのだ。
- 232 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:15
- 「ううん。このお店には迷惑かけないように頑張るから」
今の佳林にはそれしか言えない。
「本当にごめん」
由加は申し訳なさそうに眉を八の字に曲げると
佳林の部屋を出て行った。
佳林はさゆみの相手をするために化粧や着物の着付けに入った。
そのうちに階下が何やら騒々しくなっている。
モーニング娘。の先遣隊である「鞘師里保」の一行が
先に店に入ったという話を聞いた。
- 233 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:16
- 里保は佳林がモーニング娘。でも一番好きなメンバーだ。
佳林が貴族のままなら一目散に会いにいっただろう。
でもこんな遊女に落された自分の姿を見られたくはない。
佳林はモーニング娘。を帝国劇場に見に行ったときのことを
思い出した。
あのときは朋子と一緒に里保に強引に会いに行ったりして
すごく楽しかった。
あの幸せな時代は二度と戻ってこない。
里保はきっとあのとき会った自分のことなんて
きっと覚えていないだろう。
それに貴族の令嬢や遊女屋にいること自体ありえないことだ。
佳林は気まずさもあって里保には会いたくなかった。
里保には凛々しい貴族の姿の佳林だけを
記憶にとどめていて欲しかった。
- 234 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:17
- 「佳林ちゃん、佳林ちゃん」
由加が再び佳林の部屋に駆け込んできた。
「どうしたの?」
「鞘師さんが佳林ちゃんを指名したの」
「え?」
聞いた瞬間に佳林はあのときのことを思い出した。
佳林の手をとった里保のほっそりとした腕。
同時に何か企むように笑った里保の細い目が鮮やかに蘇ってくる。
- 235 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:19
- 「佳林ちゃんて鞘師さんと知り合いだったの?」
「うん。会ったことはあるけど」
佳林は曖昧に応えた。
それでもただの観客と歌い手の関係にすぎない。
「じゃあそれでだ。お願い。モーニング娘。さんは
一番大事なお客さんなの」
由加は申し訳なさそうに手を合わせる。
それが自分の仕事なのだから行くしかないとは思う。
ただ佳林には自分が一体どうなってしまうのか
まだ自分でも量りかねていた。
- 236 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:20
- 「もうここに戻ってこれないってこともあるのかな」
佳林はつぶやくようにそう言った。
「そう・・なるかもしれない」
言いにくそうな由加の言葉に佳林は現実を思い知らされる。
里保が自分のことを気に入って自分を買ってくれるなんて
本当はとても名誉なことなのかもしれない。
けど今の佳林にはお金の力で貴族だった自分が買われてしまう
なんて絶望でしかない。
- 237 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:21
- 「そうなったら従うしかないんだよね」
佳林の言葉に由加はうつむいたままだ。
その由加の様子を見て覚悟を決めざるを得なかった。
「いるのにいないなんて嘘を言って後でばれたら大変なことになるし」
「分かった。行くよ。私」
佳林は素直にそう応えるしかなかった。
- 238 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:23
- 朋子のことは極力思い出さないようにしていた。
これ以上自分に関わっては朋子まで危ないことになる。
官憲にはさくらが手を回しているに違いないし、
そうなるとこの店に近づくことは恐らく不可能だと思う。
もう頼るのは自分の力だけだ。
とは言っても所詮は売り物の花魁だけに為すすべもない。
里保達の一行が通されたのは白石が敷き詰められた
庭園が見渡せる大広間だった。
身分の高い方々をお迎えするときに使われる部屋だ。
よく手入れされた松の緑が新鮮で思わず目に
飛び込むように入ってくる。
佳林は自分の家のお庭を思い出して涙が出た。
- 239 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:24
- 佳林は上座にいる里保を前にして畳にひれ伏した。
「そんな他人行儀な。もっと近くに来て」
里保の声はまるで透き通ったように混じりっけがない。
歌をやってきた佳林は改めて里保の声質には感動する。
「はい」
佳林は言われた通りに少し前に進み出る。
「もっと近くに」
里保は声を大きくする。
- 240 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:25
- 着物を着ているせいか里保は以前の素朴な印象とは少し変わった。
前は年式の古い洋服を着ていたからいかにも平民出身者の
成り上がりに見えた。
今の里保は赤い友禅染の着物に髪をくくっってやんちゃで
我侭なお姫様のようにも見える。
佳林は里保の言う通りもう少しで手が届くほどの至近距離で座った。
「それからほかの人たちはもういいよ。
佳林ちゃんと私の二人きりにして」
里保は突然そう言った。
周囲の従者は手馴れた感じで下がっていく。
佳林は緊張で動けなくなる。
- 241 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:27
- 「そんなに固くならないでよ」
里保は薄い目をたゆませてにこやかに笑った。
佳林はその表情を見ても硬直したままだった。
里保はひざの上に置いている佳林の右手に
自分の手をゆっくりと重ねる。
佳林は思わずびくっと手をひいた。
「それとも私のことが怖い?」
里保は佳林に迫って言った。
「怖くはありません」
「佳林ちゃんさんって言ったことは謝るからさ」
そう言って里保はくすっと笑った。
- 242 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:28
- どうしてそんな細かいことまで覚えているんだろう。
里保にとって自分はファンの一人にすぎないと思っていた。
佳林は里保のことが不気味に空恐ろしくなる。
「昨日、ここから逃げようとしたの?それで捕まって
連れ戻されったって聞いたよ」
「はい。申し訳ありません」
何て答えたらよいのか分からない。
でもきっと里保やモーニング娘。から逃げようとしたことは
失礼にも罪にもあたるのだろう。
「可哀想に」
里保が再び佳林に右手を握った。
今度は逃げられないぐらい強い力だ。
- 243 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:30
- 「でもね。きっと花魁の人ってこんな狭い箱の中だから
綺麗なんだよ。外の広い世界に飛び出しちゃったら
その輝きはなくなってしまうかもしれない」
佳林にはあまり慰めにも聞こえなかった。
この人には絶対に何か言ってやらなくてはいけないと思った。
例え今は落とされたとしても自分は元上級貴族の宮本佳林なんだ。
そのプライドが佳林を突き動かしていた。
「それは・・・」
佳林は思い切って口を開こうとしたところで言いよどんだ。
「何?」
「鞘師さんだって同じじゃないですか」
- 244 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:33
- 「え?」
「自由に歌っているように見えるけど、結局はモーニング娘。の箱の中」
佳林の言葉に里保はさっと表情を変える。
「箱の中じゃなけりゃ輝けない」
佳林は恐れずに言い切った。
これぐらい言っておかないと言いように遊ばれてしまう。
里保はどんなふうに怒るのだろう。
実際に佳林は怒った里保が想像できない。
「それはそうかもね」
里保はそう言うと佳林の手を放した。
「だからこういう息抜きも必要なの」
里保はそう言ってじっと佳林を見つめた。
今度は笑っていなかった。
- 245 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:33
-
今回の更新を終わります。
- 246 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:34
-
レス流し
- 247 名前:最後の希望 投稿日:2014/10/26(日) 21:34
-
レス流し
- 248 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/10/30(木) 00:40
- 魔の手…?というか何というか…
次々に襲い掛かりますね。
ハラハラするけど続きが知りた過ぎます。
- 249 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/09(日) 20:56
- >>248
レスありがとうございます。
魔の手、今後も続くわけですがよろしければお付き合いください!
- 250 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:16
- 里保は漆塗りの重箱を佳林の前に差し出した。
里保はそれを開けた。
佳林は恐る恐るそれを覗き込んだが、
中に入っているのはなんてことのないものだった。
佳林が貴族時代によく遊んだ貝殻合わせの貝殻だ。
「これで遊ぼう。佳林ちゃん貴族の遊び、分かるんでしょ?」
里保は目を輝かせて言った。
「懐かしいな」
佳林はほっと一息つくとおもむろに貝殻を手に取る。
朋子と一緒によく遊んだことを思い出す。
もう二度と触ることはないと思っていたものだ。
- 251 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:17
- 「これね。こうやって歌の上の句と下の句が合ってると
ぴったりと合うの」
佳林は手馴れた手つきで中からひと組の貝殻を取り出した。
「貝ってね。ぴったり合う貝殻って二枚だったときの貝殻しかないの」
佳林は貴族だった時代を思い出すように少し自慢げに説明した。
「うーん。微妙に合わない」
里保は中の適当な貝を無理に合わせてみる。
でも貝殻はほとんど同じ大きさでも形が微妙に違ったりして
合わなくなっている。
「歌も上の句と下の句は一つの組み合わせしかないでしょ。
だからこうやって貝殻に歌を書いているんだ」
佳林は貝殻の裏に書かれた百人一首の歌を見せた。
- 252 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:19
- 「じゃあ佳林ちゃん、一句読んでみてよ」
里保に言われて佳林は箱の中の貝殻を一枚一枚探す。
ちょうど西行法師の歌が目にとまった。
少し渋いかと思ったが佳林も好きな歌だったのでそのまま詠んだ。
「なげけとて 月やはものを 思はする」
佳林は緋色に光る一枚の貝殻の歌う。
そしてもう一枚の貝殻を素早く見つけて続けた。
「かこち顔なる わが涙かな」
そして二枚の貝殻を合せた。
「ほら。ぴったり合うでしょ」
佳林は得意げに里保に見せる。
「ほんとだ」
里保は感心してそれを見つめた。
- 253 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:21
- 「ね。その歌、どんな意味?」
「まあ。恋の歌かな。ありがちな」
佳林は会うことのできない朋子のことを一瞬思って曖昧に応えた。
この歌のように月を見て朋子のことを思う日も来るのだろうか。
でもその前にもう一度だけでもいいから会いたいと思う。
里保はぴったりと合う貝殻を必死で探し始めた。
佳林もそれを手伝ってやる。
次々にきらきらと光る貝殻を手にとった。
「佳林ちゃん、やっと普通にしゃべってくれるようになったね」
里保が笑って言う。
「あ、」
佳林が恐縮して頭を下げようとする。
- 254 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:22
- 「もういいよ。お願いだから今みたいに普通にしゃべって。
そのために佳林ちゃん呼んだんだからね」
里保はそう言った。
佳林はまるで貴族時代に戻ったように貝遊びに興じた。
まさか里保とこんな遊びが出来るなんて思ってなかった。
貴族だった佳林にとってもモーニング娘。の鞘師里保は
遠い存在で、歌っている里保を遠くから眺めるしかなかった。
上級貴族の特権をもってしても会いにいくのが精一杯だ。
なのにまさか一緒に遊べるなんて思ってもみなかった。
しかも鞘師里保は平民出身で佳林とは共通点はほとんどなかった。
- 255 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:23
- 遠くで鐘が八回鳴る。お八つの刻限だ。
ちょうど昼の真ん中のこの時間にはお菓子が出されるのが決まりだ。
出されたのは御萩を小さくしたような餅にあんこをまぶした
和菓子だった。
勿論、お客の相手をしているときにしか食べることはできない。
「これを食べたらもう帰らないと」
里保は名残おしそうにそう言った。
「そっか。残念」
佳林も悲しそうに眉をひそめる。
「佳林ちゃん、まさか私を一人で帰す気じゃないよね?」
里保が目を細めて笑った。
- 256 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:25
- まるで有無を言わさない言い方だ。
これが普通の友達同士だったら家に遊びに行くなんて
どうってことはないはずだ。
でも今の二人の関係はそうではない。
勿論、花魁を自分の家に連れて帰るのは特別な場合を除いて
できないはずだし、料金も別だ。
佳林自身この店から連れて帰られたことは一度もない。
きっと破格の値段だけに朋子にもそんなことはできなかったのだろう。
ただしモーニング娘。のメンバーになるとそんなことは関係ないらしい。
でも一緒に帰るということは何らかの目的があるのだろう。
想像はできたがあまり考えたくなかった。
「私も行っていいの?」
佳林の問いに里保は大きくうなずく。
「じゃあ食べ終わったところで帰ろうか」
里保はそそくさと立ち上がる。
- 257 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:26
- 「里保ってこの近くに家があるの?」
鞘師里保の家がこのへんにあるなんて聞いたことがない。
それに里保達モーニング娘。は全国を回っているから
ひとつのところにとどまっておくことはできないはずだ。
「今は貴族の別邸を貸し切っているんだ。
他のみんなそうしてるみたい。
佳林ちゃんの元の家に比べたら敵わないかもだけどね」
「そんなことは」
佳林は立ち上がって恐縮する。
「佳林ちゃん」
里保が突然佳林の名前を呼ぶ
「何?」
「今、誰かに助けてって言うような顔してたよ」
里保が意地悪そうに笑う。
- 258 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:27
- この人の笑い方は純粋なのか奥に秘めている何かがあるのかよく分からない。
「誰か助けてもらいたい人がいるのかな」
佳林はぎくりとしたまま顔をこわばらせる。
「でも駄目。今日は私が佳林ちゃんを独占したいんだから」
里保はそう言って先を歩いた。
佳林はもう里保についていくしかなかった。
表に出ると佳林が昔使っていたような羊の毛皮が敷き詰められた
豪華な馬車が待っていた。
モーニング娘。のセンター歌手だけあってたくさんの従者が
横に控えている。
「乗って」
里保は佳林を促す。
佳林はおずおずと乗り込む。
馬車に乗るのは慣れていたが自分が強奪されるように
馬車に乗らされるのは初めてだ。
- 259 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:28
- 里保が乗り込んできてドアを閉める。
再び二人だけの空間になった。
「お店出るなら由加ちゃんに許可もらわないと」
最後の抵抗のように佳林は言った。
「勿論、言ってあるよ」
里保はそう言って笑う。
「お金だってかかるんでしょ」
「知ってるよ。もう払ってあるから佳林ちゃんはそんなこと心配しないで」
里保の自信満々な笑顔にもう抵抗の術がないことを佳林は思い知らされる。
「出して」
里保の声とともに馬車がゆっくりと動き始めた。
- 260 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:30
- 「本当は道重さんが佳林ちゃんを指名するはずだったの」
里保は涼しい顔をして言った。
「でも私が佳林ちゃん指名したいって言ったら譲ってくれて。
本当に優しい先輩なんだ。道重さんは」
佳林は由加から道重さゆみは逆らってはいけない絶対的な権力者だと聞いていた。
それも前々から佳林はさゆみの相手をするように言われていたのだ。
それをいとも簡単に覆してしまうなんて里保のモーニング娘。
での立場はどれほど強いのだろう。
帝劇での公演の時、安易な気持ちで佳林は里保に会いに行った。
それがこんな因縁を導いてくるとは佳林は思いもよらなかった。
- 261 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:31
- −あんな目立つことしなければよかった。
佳林は里保に会いに行ったことを心底後悔した。
すでに馬車は走り初め今さら何を思っても時すでに遅しだ。
買う側と買われる側、その立場は完全に逆転していた。
やがて馬車は白い土塀に立派な門のついた武家屋敷の前に止まった。
「しばらくこの家を借りてるんだ」
里保は馬車から勢いよく飛び降りた。
その姿を見ていると里保はまだまだ子供っぽいあどけなさを
多分に残している。
きっとこういう出会い方でなかったら、普通に女学校で
同じクラスになって知り合っていたなら里保とは
普通の友達だったかもしれないと佳林は思う。
そしたらもっと駆け引きのない気持ちで
里保と話すこともできたはずだ。
佳林は初めて自分の運命を歯がゆく思った。
- 262 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:33
- 「佳林ちゃん、お風呂入ってきたら」
里保が屋敷に入るなりそう言った。お風呂に入れというのも、
命令なのだろう。
里保の屋敷まで来てしまったものはもう抵抗のしようがない。
佳林は案内されるままに湯殿に向かった。
着物を脱いで何も着ていない状態になると急に心細くなる。
久しぶりに入る檜のお風呂はとても心地よかったが、
これから自分がどうなるかを考えると先が全く見えない。
戸からわずかに入る光が湯を夜の海面のように
生ぬるく光らせている。
薄暗闇の湯地場は、幻想的で自分が現実の世界にいるのか
夢の中なのか分からなくなる。
水面の上を光が伸びたり縮んだりする様を佳林はずっと眺めていた。
今、自分はあまりにも大きな力に取り囲まれている気がする。
- 263 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:35
- 里保をあまり待たせてはいけないと佳林は躊躇する気持ちを
振り払うように湯から上がった。
最後に自分の両手をまじまじと見る。
いつか今のこの体に戻れる時がくるだろうか。
そして朋子のことを思い出す。
今は会いたい。
でもきっとこれからは朋子に会いたくなくなってしまうのかもしれない。
「朋、もうどうしようもないんだ」
佳林は心の中でそうつぶやいた。
浴衣に着替えた佳林は、縁側に座っている里保を見つけた。
里保も着替えて紅葉の柄の入った浴衣を着ている。
淡い橙色や黄色の多彩な混色が里保の黒い髪によく映えた。
よく見ると里保は目をつむって廊下の柱によりかかっている。
- 264 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:37
- 「里保」
呼びかけても返事はない。
耳を澄ますと軽い吐息が聞こえてきた。
その無防備な姿に先ほどから自分の被虐感は一気に消え去った。
そのまま里保の横に座った。
軒先から遥かに広がる夕空を眺めていると遠くに
刻限を知らせる鐘がなる。
空気に染み渡るように伝わってくる音は近くにいる虫の泣声と
和音のように心地よく響いた。
佳林は恐る恐る里保の体に触れた。
肩にかかった長い髪をゆっくりとかきわけて後ろにやる。
それでも里保は動こうともしない。
里保のこんな姿を見ることができるのは
連れてこられた遊女の特権なのかもしれないと佳林は思った。
佳林は里保の寝顔をもっとよく見ようと里保の額に触れた。
- 265 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:38
- 「佳林ちゃん」
里保が初めて声を発して佳林がびくっと震える。
「私、佳林ちゃんに何かするつもりなんてないよ」
里保は目をつむったまま言う。
「ただ、嬉しかったんだ」
里保の顔はまるでいい夢を見ているみたいに幸福そうだ。
「いつもは大勢の観客に囲まれて、舞台で歌ってそれで終わり。
でもあの日は佳林ちゃんがわざわざ会いに来てくれた。
それも私にだけ特別に」
そう言った後、里保はやっと目を開けた。
「いつか恩返ししたいってずっと思ってた」
「恩返しなんてそんなこと」
佳林はびっくりして首をふる。
- 266 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:39
- 「何か力になれないかなってずっと思ってたんだ。
だから私は佳林ちゃんを身請けしたいって思ってる。
勿論それで何か要求するわけじゃないよ。
佳林ちゃんはもう自由になれるんだ」
里保が本気でそう言っているのは目を見ればすぐ分かった。
もしかしたらこれで助かったのかもしれない。
借金がなくなって自由になったら朋子にだってまた会える。
だけど佳林は里保の話を聞いた時に何かそれで済ませてはいけない
という強い思いを抱いた。
これは自分への強い因縁から始まったことなのだ。
例え借金はなくなってもその因果はなくならない。
「私は自分の力で何とかしたいって思ってる」
里保が真剣な眼差しで見つめる。
佳林も正直に自分の気持ちを言った。
「やっぱり人を頼ってばかりじゃ駄目なんだ。
自分の力で解決しないと私の人生始まらないって思う。
たとえ体を売ることになってもね」
- 267 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:40
- 「佳林ちゃんはそれでいいの?」
里保が心配げに佳林を見る。
「よくはないけど。でもきっとなんとかなる。
神様がなんとかしてくれる」
そう言って佳林は笑った。
もう朋子にも頼ることは出来ないのだし自分の力と
天運にまかせるしか他にない。
「そうだ」
突然、里保が天井を仰いだ。
「いい方法があるよ。佳林ちゃん」
何を思いついたのか里保が佳林の両肩を強く揺する。
佳林はきょとんとしたまま何が何だか分からずにされるがままだ。
「佳林ちゃん、私達と一緒に歌、歌わない?」
里保は胸の前に握りこぶしをつくって立ち上がった。
- 268 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:41
- 「え?」
佳林は一瞬どういうことか飲み込めずに里保を見つめたままだ。
「佳林ちゃんも私達と一緒にモーニング娘。をやるの」
里保はきらきらと輝く目を佳林に向けた。
モーニング娘。になんて簡単になれないことは
佳林もよく分っている。
厳しい審査をくぐり抜けたきたからこそ、
平民出身の里保がここまでの財力をもつことができたのだ。
「え、でも」
私には無理、佳林はそう言おうとした。
「私、道重さんに頼まれてるんだ。モーニング娘。に
そろそろ新人を入れたいって」
それでも里保はたたみかけるように言う。
- 269 名前:最後の希望 投稿日:2014/11/09(日) 21:43
- 「私が推薦したらきっと佳林ちゃんをモーニング娘。にいれてくれる。
ね、私達と一緒にやろうよ」
里保の迫るような勢いに次第に佳林は押されていった。
自分が歌手になるなんて考えたこともなかった。
「佳林ちゃんの歌なら絶対モーニング娘。になれる。
そしたら借金なんてすぐ返せる。
佳林ちゃんは自分の力で自由になれるんだよ」
自分の力で。里保のその言葉に惹かれた。
今まで貴族という立場であったり、朋子の助けを借りてばかりで
何も自分の力で自分の問題を解決出来なかった。
もし自分がモーニング娘。になれば自分の力で立って歩いていくことができる。
「なれるかな。私が」
佳林がぽつりと言った一言で、新たな道が再び開こうとしていた。
- 270 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/09(日) 21:44
-
「最後の希望」
以上で終わりです。
ローズクオーツ自体はまだまだ続きます。
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/09(日) 21:44
-
レス流し
- 272 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/09(日) 21:44
-
レス流し
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/20(木) 00:47
- 味方が居たんだね良かった…って思っていいのかな
他方にとっては如何に。
続きを楽しみにしています。
- 274 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/21(金) 19:41
- >>273
レスありがとうございます。堕とされて四面楚歌ではあまりにも。
ということで時々味方も登場させていただきました。
今後ともよろしくおつきあいくださいませ。
- 275 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:42
- 「モーニング娘。新生歌手選抜歌実験」
大きな墨の字で書いた横断幕が吊り下げられている。
遊女屋の大広間にある遣手婆の座るちゃぶ台や遊女の似顔絵表など
邪魔なものは全て片付けられた。今やここは女を売り買いする
場所ではなく、宮本佳林をモーニング娘。にするための
審査会場に変わっていた。
会場には本格的な審査員席が並べられていて、
審査員の中央の壇上に道重さゆみが立った。
- 276 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:44
- 佳林も間近でさゆみの姿を見るのは初めてだった。
黒光りする長い髪は美しい黒髪を持つ里保のそれとはまた違う。
髪から顔からまるで女王のような常人離れして近づきがたい
オーラを放つ。
光る目尻はどこか遠い国の人を思わせた。
佳林は緊張も相まってさゆみの美しさを見ているだけで
頭がくらくらした。
自分もこのモーニング娘。の一員にこれからなるのだ。
- 277 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:45
- 「今日はここでモーニング娘。の新メンバーを発表したいと思います。
でもその前に新しいメンバーに歌っていただきたいと思います」
道重さゆみが壇上に立って高らかにそう宣言した。
盛大な拍手が鳴る。
まるで全てがすでに決まっているかのような言い方だ。
さゆみは里保のいる方を向いて笑った。
まるで自分に全て任せなさいと言っているみたいだ。
道重さゆみはモーニング娘。でも絶対的な存在だ。
そのさゆみからこれだけ厚い信任を受けている
鞘師里保もまたモーニング娘。の権力者に違いなかった。
- 278 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:46
- 「私、大丈夫かな」
佳林が歌ってきたのは和歌や短歌ばかりで
里保達が歌っているような歌謡曲の経験は佳林にはない。
「道重さんにも審査委員にも全て話は通してあるから。
佳林ちゃんはいつもどおりに歌ってくれれば大丈夫」
里保は自信ありげに笑う。
「佳林ちゃん」
忙しく会場作りをしていた由加が、暇を見て佳林の傍に来て言った。
由加はさゆみの命令で歌実験のために遊女屋の使用人を取り仕切っていた。
「まさかこんなことになるとは思わなかったけど。
でもこれで佳林ちゃんが救われるならあたしはそれでいいと思う」
由加は笑顔でそう言ってくれた。
- 279 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:48
- 自分はモーニング娘。になる。
でも借金を返して真の自由になるのはそれからの話だ。
そう考えたら出発点のまだまだ手前だ。
佳林は自ら進んで前に出た。
壇上横の審査員席には道重さゆみと、
モーニング娘。の運営会社の重役らしき審査員が何人か並んでいる。
視線が一気に集まってくるのを感じた。
それは幼い頃から佳林が感じてきたぎらつくような
世間の目に似ていた。
生まれながらにして宮本家というやんごとなき貴族の家に生まれ、
そこで類まれなる美少女として注目を集めてきた。
今は、その高貴な貴族が遊女に落とされ平民からも辱められ、
虐げられているという噂を流されている。
でも自分は、生まれた時から今の瞬間まで、何も変わってはいない。
変わったのは世間の見方や嫉妬や人の不幸を喜ぶ好奇心だけだ。
- 280 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:49
- 佳林は里保から教えられた通り、何遍かの口語短歌を組み合わせて歌った。
佳林の置かれたはかない遊女のもの悲しさをか細い繊細な音に乗せていく。
そして元貴族であった高貴で美しい声を体現していく。
そうかと思えば急に佳林は曲調を変えた。
失恋の歌を女郎のように色っぽくじらすように歌う。
佳林の歌はまるで宮殿で花魁が歌を披露しているような
タブーをおかしていように見えた。
- 281 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:50
- 誰も何も言えない。
佳林に向けられた好奇な視線が、今度は張り付くような視線に変わる。
誰も自分を止められないのだと佳林は思った。
佳林にはこの遊女屋の大広間が自分のための舞台になったように感じた。
ここにいる人たちの全ての視線が自分に注がれている。
佳林が今まで感じたことのない快感だった。
−お姫様は一人ぼっち。
そのとき、佳林の歌声に呼応するように上の階から
何者かの歌声が響いた。
全員ぎょっとして上を向く。
佳林一点に向けられていた視線は歌声の主を探そうと
あちらこちらに霧散していく。
- 282 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:51
- 佳林は平常心を取り戻そうと狂おしい恋の歌を続ける。
それでも謎の歌声は佳林の歌におかまいなしに響いてくる。
−孤独なお姫様は罰を与える。
−それは寂しくて仕方ないから。
−だから罰をあたえる。
気味の悪い歌詞にぞっとなる。
それでもその旋律は佳林の歌に絶妙なリズムを加えて
溶け込んでいく。
佳林の短歌に対する返歌のように完璧に佳林の歌に対応し、
佳林の歌に対応している。
その不気味なハーモニーは調和というより佳林の歌を犯すように
侵食してきた。
- 283 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:51
- −風の姫は人を切り
−水の姫は人を沈め
−火の姫は人を燃やし
−土の姫は人を深き底に埋める
- 284 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:53
- 上階から降り注ぐように歌われる声に、
もはや佳林は歌どころではなくなった。
最初は風の音の聞き違いのように聞こえた歌声は次第に野太く、
抑揚をつけて人間らしさを増した。
もう隠す必要がなくなったからだ。
吹き抜けになっている二階の廊下に人の姿が現れた。
佳林はもう気づいていた。
佳林を邪魔する者はここに一人しか存在しない。
そしてこの歌声は何度も聞いたことがあった。
「巫女の姿をまとったあの者こそ新しきモーニング娘。にふさわしい」
審査員の一人が二階の廊下に立つ少女を指差した。
「あれこそ新しきモーニング娘。の救世主となろう」
しわがれた声が大広間に響く。
さゆみの横に座っていた審査員達が一斉に立ち上がる。
今度は会場にいる全員の視線が廊下に立った一人の少女に注がれた。
そして盛大な拍手が鳴り響く。
佳林は気がつくと拳をぎゅっと握りしめていた。
- 285 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:54
- 「小田さくら」は佳林を見下すように上から見下ろすと、
ゆっくりと階段を降りてくる。
佳林を一瞥すると佳林の横を通り過ぎてさゆみの前にひざまづいた。
さゆみはあっけにとられて何も言えないみたいだった。
「道重さん、覚えていますか。研修生だった小田さくらです」
さくらはそう言ってにこりと笑う。
「あなたは確か」
さゆみがあごに手をあててさくらを見ている。
「ハロプロ研修生の小田ちゃん?」
「そうです。小田さくらです」
もう一度盛大な拍手が鳴る。
- 286 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:55
- 「道重さゆみ様、この者こそ新しきモーニング娘。にふさわしい
歌声の持ち主です」
さゆみの横にいる審査員が恭しくそう言った。
もはや会場全体は「小田さくら」を新しいモーニング娘。として認めていた。
佳林はたださくらによる簒奪劇を為すすべもなく見守っていた。
「こんなの茶番よ」
里保が前に進み出て大声で叫んだ。
「道重さん、騙されてはいけません。
この子は北の国でのモーニング女学院の研修を途中でやめてしまった。
まだモーニング娘。になる資格を得ていません」
佳林はそこで初めてさくらが北の国で何をしていたか知った。
「それでも旅をする中で民衆を惹きつける歌の技術を得ました。
今の歌がその証明です」
さくらは今度は必死に訴えた。
- 287 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:57
- 「ふうむ。そうね」
さゆみは腕組みをして考えている。
「これからももっともっと精進します。
だからあたしをモーニング娘。に入れてください」
さくらはさゆみにすがりついてそう言った。
いつの間にか佳林は蚊帳の外に置かれてしまっている。
元貴族の佳林にはそうやって人に頼み込むことも到底できないし、
遊女に落とされた引け目もあって、積極的に言葉を発することも出来ない。
「うーん。そうだな」
さゆみは腕組みして考えている。
「いいよ。さゆみが小田ちゃんをモーニング娘。にしてあげる」
あっけなくさゆみはそう言った。
- 288 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:58
- 「そのかわり、モーニング娘。を代表する歌姫になって。
りほりほのライバルになれるようにね」
さくらは何も言わず無邪気に笑う。
そして今度ははっきりと佳林を見た。
やってやったというその笑顔で佳林は自分が敗れ去ったことを知る。
「そんな」
里保がその場に崩れ落ちる。
佳林は悔しいというより、あまりにも強引にさくらが
自分の幸運を奪っていったことに諦めの境地だった。
さくらは元々、道重さゆみと顔見知りみたいだったし
歌手という世界から考えると貴族の佳林には縁遠い世界だった。
- 289 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 19:59
- さくらは自分への復讐をずっと計画してきたみたいだったし
そう考えたら自分の邪魔をしてくることは最初からわかりきっていたことだ。
それを里保に見初められたからモーニング娘。になれると
浮かれきっていた自分が滑稽で仕方ない。
今はただ何もかもがさくらの手のひらで転がされてるような
出来事としか考えられなかった。
歌実験に敗れてそれで全てが終わりになるわけじゃない。
むしろこれは始まりなのかもしれない。
どの道、さくらには何らかの勝負で決着をつけないかぎり
永久に自分につきまとってくるような予感がする。
- 290 名前:歌姫凱旋 投稿日:2014/11/21(金) 20:00
- 歌の勝負ではさくらに負けた。
次にさくらとは何で勝負すれば勝てるのだろう。
さくらは審査員やさゆみの前で幼い笑顔を満開にしている。
あの笑顔に隠された強烈な意志を佳林は遊女の立場で
受けきらなければならない。
佳林には朋子もいない。
絶体絶命な状況の中、佳林はただ喜ぶさくらを
唖然と見つめることぐらいしか出来なかった。
そして小田さくらがモーニング娘。になる。
そのことは、単に自分が機会を逸するだけでなく、
さくらによって自分自身が恐ろしく危険な立場に
置かれることになることを佳林はまだ理解していなかった。
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/21(金) 20:01
-
「歌姫凱旋」
終わり
- 292 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/21(金) 20:01
-
------------
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/21(金) 20:01
-
----------------
- 294 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/11/29(土) 07:04
- ドロドロの昼ドラを見ている様です・・・
辛い展開が待っているのかもしれませんが、
それでも続きを楽しみにしてしまいます・・・
- 295 名前:名無飼育さん 投稿日:2014/12/07(日) 20:31
- >>294
レスありがとうございます。
はい。辛い展開もありますが、懲りずにつきあっていただけると
幸いです。。
- 296 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:33
- 「さくらの軛(くびき)1」
大広間の古時計が低い音をたてる。
佳林は誰もすることのなくなった、
花瓶や広間の飾りについた埃をはたいたり、
床の拭き掃除ばかりしていた。
歌実験が終わり、店の遊女達はモーニング娘。一行に
洗いざらい買われてしまい、にぎやかだった遊女屋から
活気が消えた。
小田さくらもモーニング娘。になることが決まり店を出て行った。
朋子の消息は依然としてつかめないままだ。
由加がしばらく身を隠しておいたほうがいいと言っていたし、
そのほうがむしろいいのかもしれないと佳林も思う。
- 297 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:35
- お客さんも来なくなり閑散とした空気だけがあたりに漂う。
佳林は黙々と掃除に精を出している。
由加だけが朝から新しい人が来ると言って元気に騒いでいた。
「佳林ちゃん、佳林ちゃん」
佳林が花瓶の水を入れ替えていると、由加が手招きして
佳林を呼んだ。
「新しい花魁の子が入ることになったよ。
さくらちゃんが探してきてくれたの」
由加がそう言った。
- 298 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:36
- 「さくらちゃんにとってこれが最後の仕事になっちゃったんだな」
由加がさも名残惜しそうに言う。
花魁をスカウトしてくるなんて、あのさくらが普通に
そんな仕事をするなんて佳林にはどうも信じられなかった。
それにさくらがいなくなって佳林はほっとしているというのに、
由加にはそれが寂しくて仕方ないみたいだ。
どうもさくらは二重人格なのか、それとも人によって
態度をころころと変えているのかよく分からない。
ただしいなくなればなったで歯がゆい気持ちが残る。
さくらにやりたい放題にされてそのまま黙ってる佳林ではなかった。
- 299 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:39
- 由加に促されて店の玄関までいくと、二人の少女が立っていた。
佳林を見ると二人ともぺこりとお辞儀をする。
「植村あかりちゃんと高木さゆきちゃん。よろしくね」
由加が佳林に紹介した。
あかりは長く黒い髪をした見とれるぐらいの美少女だ。
こんな子をよく連れてこれたものだと思う。
「佳林て珍しい名前やね。よろしくなー」
佳林が名乗るとあかりがそう言って笑った。
見たときはとっつきにくい印象があったが笑顔は気さくで
何だか話しやすそうだ。
- 300 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:40
- 「あたしは高木さゆき、よろしくね。佳林」
もう一人は黒目の大きい人懐こそうな笑顔を見せた。
「うちらは単に女学校に行くお金を貯めたいだけだから。
別に佳林の邪魔をするつもりはないから仲良くしようよ」
さゆきがそう言った。
「私の邪魔?」
「佳林は何か借金で大変って聞いた。
うちらは別に大変な事情抱えてるわけじゃないからさ。
佳林の稼ぎの邪魔はしない」
さゆきははっきりとそう言った。
「それはそうだけど。別にいいよ。お得意様っていうのが
別にいるわけじゃないし。
借金はすぐにどうでもなるような金額でもないから」
佳林はそう言った。
- 301 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:42
- 「そうそう。ムキになって客の取り合いしてもしょうがないから
仲良くしような。りんか」
「りんか?」
「佳林って言いにくいからりんか。いいでしょ?」
あかりがそう言って笑った。
今まで佳林に会う人間は、朋子の親友でもある由加をのぞいて
佳林を色眼鏡でしか見ない。
佳林のことを元高名な貴族だったとか、今は落とされて
遊女になっているとかそんな好奇な目でばかり佳林を見つめてくる。
でもこの二人はそうでないことに佳林は好感を持った。
さくらもいなくなったことだし、しばらくこの平和なひとときを
過ごしたいと佳林は思った。
そのうち状況も変わって朋子も姿を見せてくれるかもしれない。
今は無理でもいつかは。
思い焦がれる佳林の脳裏には朋子の美しい着物姿が
ありありと思い出された。
- 302 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:42
-
------------------
- 303 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:44
- その日は薄曇りの何となく胸騒ぎのする日だった。
窓から外を見るといつもと変わりばえのしない空が広がっている。
これが永遠に続くという絶望感より、むしろ何か得体の知れない
大きな力が自分に覆いかぶさってくるように佳林は感じた。
「あの、佳林ちゃんちょっといいかな」
襖の向こうから由加の声がする。
お客というわけでもないらしい。
それでも由加の暗い表情からいい話ではないことはすぐに分かった。
「佳林ちゃんのお父様とお母様のことなんだけど」
そう言われてはっとなる。
借金で破産して佳林が売られてしまった後は
行方不明になってしまっている。
- 304 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:55
- 「今、警察に捕まっているみたいなの」
「警察に!?」
佳林は動揺を隠せなかった。
優雅に生活を楽しんでいた父と母が何でこんなことになったのだろう。
これも自分が余計な因果を引き込んでしまったせいかもしれないと
佳林は思った。
「別に何かしたわけじゃなくて。
やっぱり借金が払えなくて訴えられたみたいなの」
それを聞いて佳林はただ肩を落とした。
「うちの父も佳林ちゃんを預かっている以上なんとかしたいんだけどね。
金額がすごく大きくてどうにもならなくて」
由加が眉をハの字に曲げて言う。
- 305 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:57
- お金さえあればなんとかなるのに。
貴族の時、佳林はお金なんて簡単に手に入るものだと思っていた。
貴族と取引するというだけで一般庶民は高い手数料を払っていたし、
宮本家一族というだけでこの国の高い役職にも簡単につけた。
それが今は自分が体を売らなきゃどうにもならないらしい。
勿論由加も無理強いはしてこないし、
佳林も自分のその最後の一線だけは守っていた。
「もっといい客をつかせなきゃいけないってことだよね?」
佳林にメロメロになって、佳林に貢いでくれる客。
佳林のためにどんな大金でも出してくれる客を
何としてもつかまえなきゃいけない。
それがどんなに難しいことでも佳林にはもうそれしか
残っていなかった。
「由加様、お客様がみえております」
ちょうどそのとき門前に立たせているボーイが
二階までやってきて頭を下げた。
- 306 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 20:58
- 「あ、はーい」
由加が元気よく返事する。
佳林にとっても久しぶりのお客だった。
今は落ち込んでる場合ではない。
警察に捕まっているということは逆に言えば
それ以上の危険はないということだ。
例え大口の客じゃなくても通ってくれればそれだけお金になる。
両親の保釈金にはなるかもしれない。
佳林は気合を入れて由加とともに1階に降りた。
見ると後ろにはつばの広い帽子を被り、
うつむき加減に顔を隠した小柄な女性が立っている。
白いレースのブラウスに空色スカートをまとい、
いかにも貴婦人という出で立ちだ。
「いらっしゃいませ」
由加がすぐに傍によってひざをおる。
すると女性は帽子の角を折り曲げてさらに顔を隠した。
そして何かを言った後また押し黙ってしまった。
- 307 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:00
- 「あの・・」
由加が話しかけようとするとその人は小さな声で応える。
呪文のようにごにょごにょと言っていてよく聞き取れない。
「えっと」
由加も困ってさらに耳だけを近づける。
佳林が耳をすますともう一度言ったその言葉が
今度ははっきりと聞こえた。
「宮本佳林さんをお願いします」
一瞬戸惑っている由加の表情が次第に変わる。
女は帽子のつばを少しあげた。
口元が歪んで笑ったのが分かった。
「さくらちゃん?」
今度はさくらはゆっくりと帽子をとった。
落胆と恐怖が佳林を襲う。
- 308 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:01
- 「戻ってきてくれたんだ」
由加だけが舞い上がって喜んでいた。
「久しぶりだね。佳林ちゃん」
そう言ってさくらはにんまりと笑った。
さくらは決して使用人として戻ってきたのではない。
客として現れたのだ。
それも佳林を指名している。
前は遊女屋で働くもの同士だったのに今は違う。
佳林はますます不利な立場に追いやられていた。
さくらは佳林がモーニング娘。になるという唯一の機会を
奪い去ったあげくにさらに追い討ちをかけるようにやってきたのだ。
「別にからかいに来たんじゃないよ。
お金だってちゃんと払うんだし」
さくらは当然のようにそう要求した。
お客であれば由加も佳林も従うしかない。
- 309 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:04
- 佳林の部屋に通されたさくらは部屋を舐めるように見回した。
「へえ。ちゃんと綺麗にしてあるんだ。あの佳林様からしたら
信じられないけど」
さくらは一段と美しくなっていた。
モーニング娘。になれたことへの自信だろうか。
顔貌は変わらないのに何か魔力でも増したように輝きを放っている。
「一応、お客様をお通しする部屋だから」
佳林はさくらの力に圧倒されておずおずと言う。
「そうだよね。お客の言うこと聞かなきゃいけないんだもんね」
さくらがそう言ってにじり寄ってくる。
年端のいかないうら若き美少女のくせにさくらは女衒のように
執拗につきまとってくる。
佳林は立ち向かうことも逃げ出すこともできない。
今、この瞬間を逃げたところでどうしようもないのだ。
- 310 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:06
- かつて、さくらが佳林の使用人だったという絶対的な条件は
そのまま今の客と花魁という立場にそっくり入れ替わってる。
でも泣いてさくらに許しを請うかというと佳林はそうはしない。
さくらにだけはそんなことはしたくなかった。
無表情のさくらはさらに距離を詰める。
もう少しでさくらの唇と繋がるというところで、佳林は目を瞑った。
「きれい。佳林ちゃんの唇」
目を開けるとさくらが下から佳林を見上げていた。
それでも十分近い距離だ。
「口も鼻筋も目も眉も全部綺麗」
褒められてるのか責められてるのか分からなかった。
でも薄化粧のさくらの方が実際はもっときれいだと佳林は思った。
- 311 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:08
- −それが勝者と敗者の違い。
佳林の脳裏にそんな言葉が思い浮かんだ。
さくらは人に卑屈に媚びる必要がなくなった分、
輝きを増して自分は無駄に人に気に入られるようになっていく。
そんな視線をたくさん浴びることで手垢がつく。
まるで安物の宝石みたいだ。
「でも最初から佳林ちゃんの全部、奪わない。
時期を見てゆっくりとね」
佳林の背中が壁にどんとぶつかった。
知らず知らずのうちに佳林は後ろに追い詰められてたみたいだ。
「さくら、そんなにお金あるの。
ここに通いつめて破産した人もいるって聞いたよ」
佳林は神妙に伺う。モーニング娘。とはいえ
なりたてのさくらがそんなにお金をもっているはずはない。
それに私に復讐するよりもっと自分のためにお金を使えばいい。
正気に戻れば誰だってそう思うはずだ。
- 312 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:09
- 佳林はかつて自分がしたことを棚にあげてそう思う。
あの時は貴族の力で何でも出来ると思っていた。
自分のことよりも朋子の気持ちが欲しかった。
貴族の特権を活かして里保に会ったり、
さくらをどうにでも出来ることを望んだ。
「佳林ちゃんていくらなの?」
さくらは口元をにやりと緩ませて言った。
「あきれた。そんなことも知らないで指名したの?表にちゃんと・・・」
「いや、そうじゃなくて佳林ちゃん自体の値段」
さくらが佳林を遮って言った。
「え?」
「あれは1回分の値段でしょ?
そうじゃなくてあたしが言ってるのは宮本佳林の値段だよ。
いくら出せば佳林ちゃんをまるごと買えるの?」
さくらの凄むような表情に佳林は圧倒される。
- 313 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:11
- 「そ、そんなの分かんないよ。
稼いで返せるような値段じゃないから聞かないようにしてる」
それではぐらかしたつもりだった。
それに自分にどれだけの借金があるのかさくらには関係のないことだ。
「じゃあそんな先の見えない生活してるんだ」
佳林は弱みを突かれてうなだれる。
「確かにこの先どうなるか分からないけど。
このお店で一生懸命働いたらいつかは」
「金澤さんが助けてくれる?」
「別にそういうわけじゃ」
佳林の顔が赤らんだ。
さくらは佳林の一番痛いところを容赦なく責め立てる。
朋子のことを想像して佳林の視線が泳いだ。
- 314 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:13
- 「ふうん。まだそういの。期待してるんだ。
じゃああたしがそういう希望も全部なくしてあげる」
さくらは冷酷にそう言った。
「ともは絶対に助けてくれるよ」
佳林は声をあげて抵抗する。
「あたしがしようかな」
さくらが少し首を傾けて言った。
「え?」
「あたしが佳林ちゃんを身請けしようか?」
さくらの言葉にはっとなる。
「そしたら、金澤さんは手も足も出ないよね」
「そんなこと。出来るわけないし」
佳林の身請けは富豪の朋子でも出来なかった。
それを自分と同い年の、それも平民のさくらに出来るはずがない。
- 315 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:16
- 「出来るかもしれないよ。
何たってあたしはモーニング娘。なんだからね」
さくらが鋭い視線を佳林に向けた。
佳林はそれが単なる脅しではないことを悟った。
「身請けしたら佳林ちゃんに何したって構わないんだよね?」
さくらが佳林の両肩に手をかけた。
佳林の背中が壁にあたる。
思わず顔をそむけようとしたら目の前にさくらの右腕が壁をついた。
さくらの顔立ちは悔しいけど美しい。
モーニング娘。になるということは体の中も外もそれほど
自信をもたせて変えていくものなのか。
逆に佳林の顔からすっかり熱が消え失せた。
やめても頼んでも聞いてくれる様子はない。
ただ唇を噛み締めてその悔しさに耐えるしかない。
「どうする?あたしが身請けしちゃったらもう誰も助けにこないね」
さくらはそう言ってにやりと笑う。
- 316 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:19
- 「私は誰かの物になんてならない」
佳林は目尻だけをあげてきっとさくらを睨みつける。
「強がり言ってられるのも今のうちだよ。
あたしは佳林ちゃんをずっと遠いところへ連れて行くつもりだからさ。
誰もついてこれないずっと遠い場所だよ」
さくらは遠いところでも見るようにそう言って立ち上がった。
「あんまり苛めちゃ可哀想だから今日はこれでおしまい」
それを聞いて佳林はほっとした。
安堵して体から力が抜ける。
「近いうちにまた来るから。
服もお化粧も髪型も全部あたし好みの佳林ちゃんにしたいんだ」
- 317 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:20
- 通常は佳林はさくらをお見送りをしなければならない。
でも佳林は全身にぐっしょりと汗をかいて立ち上がることすら
できなかった。
さくらの復讐は単なる感情の激高ではない。
もっと深淵でふつふつと心の奥底から湧き上がってくるようなものだと
佳林は感じた。
さくらから逃れるためにはどちらかが死ぬしか方法がないのかもしれない。
それを想像した自分に佳林はぞっとした。
「ああ。そうだ」
部屋を出ていこうとしたところでさくらは立ち止まった。
「早く来るといいね」
振り返って唐突にさくらは言った。
その言い方は友達に向けるような何気ないものに思えた。
「白馬の王子様」
さくらの発した意味がやっと伝わる。
佳林はその言葉に絶望しか見いだせなかった。
- 318 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:20
-
-------------------------------
- 319 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:22
- 歌実験のときは自分がモーニング娘。になる唯一の機会を
さくらは奪っていった。
自分の将来とかもっているお金や財産を取られるならまだいい。
今度は自分自身がさくらに奪われる。
朋子にもう会えない。
そして、誰も知らないところへ連れて行かれる。
佳林は自分の手のひらをじっと見つめた。
もし身請けされたらこの体も手も指の一本一本まで
全部さくらのものだ。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
佳林の頬に涙がぽろぽろと流れてきた。
佳林はそこに座り込んだまま嗚咽して泣いた。
- 320 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:25
- 「佳林、どうしたの?」
そのとき、さゆきが部屋へ入ってきた。
きっと佳林がなかなか出てこないから様子を見に来てくれたのだろう。
「大丈夫?あの子に何かされた?」
それでも佳林は泣き続ける。
優しい言葉をかけられると尚更、涙がこぼれてくる。
そのうち異変に気づいたのか、由加やあかりもやってきた。
「佳林、泣いてちゃ分かんないよ」
さゆきがそう言って背中をさすってくれる。
こみ上げてくる感情の渦が少しずつおさまる。
ひっくと涙をふいて佳林はさくらに身請けされそうになっていることを
三人に話した。
由加はさくらから佳林のことは何も聞いてないらしい。
- 321 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:27
- 「おっかしいな。佳林ちゃんを身請けするなんてあの子、
そんなことを一言も言ってなかったけど」
由加はそう言って首をかしげた。
「小田さくらってどんな子やったん?
由加は北の国の学校で一緒だったんやろ?」
あかりがそう言った。
佳林もさくらと由加がそんなに親しいとは知らなかった。
でも簡単にこの店にも入り込めたってことは仲がいいと考えて
当たり前なのかもしれない。
「さくらちゃんて性格も優しいしとてもいい子だよ。
佳林ちゃんに復讐なんてするような子にはとても思えないけど」
由加はますます首をかしげている。
「そうやな。最初に会ったとき悪い子には見えんかった」
あかりまでそう言い出す。
- 322 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:28
- そうだ。元々はきっと普通の子だった。
佳林がさくらにひどいことをするまではだ。
使用人の娘として宮本家に出入りしているさくらは、まともだったに違いない。
佳林は自分のしたことの後ろめたさを初めて感じる。
「佳林はさくらに復讐されるようなことしたの?」
さゆきが不思議そうに尋ねる。
「別に。私は何もしてない。たださくらは、私の家の使用人として
出入りしてただけで。
きっと復讐っていうよりも嫉妬なんだと思う」
「嫉妬?」
「そう。嫉妬。私が貴族であの子はただの召使だったから」
「じゃあやっぱさくらって嫌なやつじゃん。
自分がお金持ちじゃかったからって、佳林に復讐するなんて」
やっとさゆきだけが佳林に同調してくれた。
- 323 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:29
- 佳林はさくらに部屋に無理やり押し入ったことも
自分がしたことを何一つ言わなかった。
小田さくらの本性がみんなにわかってない以上、
全てを懺悔して楽になろうとは佳林は思わない。
そうするぐらいなら自分だけの力で「小田さくら」を
ねじ伏せてみせる。
生身のさくらは怖くない。
そんなさくらに屈するぐらいなら死んだほうがましだ。
さくらの化けの皮は自分がはがしてやる。
涙を流しながらまだ佳林はまだそんなことを思っていた。
- 324 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:30
-
「さくらの軛1」
終わり
- 325 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:30
-
---------------
- 326 名前:さくらの軛1 投稿日:2014/12/07(日) 21:31
-
-------------------------
- 327 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:44
- 「さくらの軛2」
「佳林ちゃん、佳林ちゃん」
由加が息せき切って佳林のところへやってきた。
さくらが店にやってきてから数日が経過していた。
てっきり毎日のようにさくらが来ると思って佳林は戦々恐々としていたが、
平和な日が何日か続いて佳林も落ち着きを取り戻していた。
「いい知らせだよ」
由加が笑顔を見せて言う。
- 328 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:46
- 「佳林ちゃんのご両親が釈放されたの」
「え?牢屋から出られたってこと?」
佳林の目が輝く。優雅な生活をしていたお父様とお母様が
牢屋に入れられているなんて気が気じゃなかった。
「今はうちに父のところに身を寄せてるみたいなの」
由加の父は仕事のためあちこちを飛び回っているらしく
佳林も一度もその姿を見たことはない。
でもとりあえずはそれだけでも安心だ。
「二人とも元気みたいだって」
由加のその言葉を聞いて佳林は嬉しくて泣きそうになった。
「良かった」
佳林は安心のあまり床に座り込んでしまった。
- 329 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:48
- 「きっともう大丈夫だよ」
由加も佳林を見て嬉しそうに笑ってくれる。
時々こんな優しい人が何で女郎屋なんてお店を
やらされているんだろうと不思議に思う。
「でも何で?急にお金が出来るわけないし」
佳林は両親にお金を送金したわけでもない。
そもそも売られた身でそんなことが出来るはずもなかった。
すると由加が少し複雑そうな顔を見せる。
「そうなの。あのね。さくらちゃんが保釈金を払ってくれたの。
それと佳林ちゃんの半年分の指名料がうちの店に支払われてる」
舞い上がっていた佳林の気持ちはただ喜んでいいことばかりではないことを
思い知らされる。
さくらの何かを企んでいるような怪しい笑顔が思い浮かぶ。
- 330 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:49
- この数日間、さくらが姿を見せなかったのは警察と
取引をしていたからに違いない。
「だからさくらちゃんのこと。そんなに邪険にしないであげたら」
邪険になんてしていない。
言い返そうと思ったら由加が困った顔をしているので出来なかった。
莫大な借金を抱えてこのお店まで巻き込んでいるのは自分自身だ。
それをさくらが助けてくれていると思ったら
少しは感謝もしないといけないのかもしれない。
でも佳林はお金にひれ伏したくはない。
そしてなりよりそのことでさくらに助けてもらおうなんて
微塵も思っていない。
それが佳林の貴族としての最後のプライドかもしれなかった。
- 331 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:52
- 佳林が予想したとおり、さくらはまだ陽の高いうちにやってきた。
さくらはやってくる度に服装が変わる。
今度は赤い振袖姿を着こなして、紅葉の柄が
さくらのさえざえとした美しく冷静な顔によく映えた。
さくらの来ることは分かっていた佳林の方も遊女だって
滅多に着ないような格式高い桔梗紋の大振袖を着こなしている。
頭には幾重にも折りたたまれた花かんざしをつけていた。
貴族時代に劣らないほどの豪奢な格好だった。
「美しいのは相変わらずだね。佳林ちゃん」
さくらは出迎えた佳林を一瞥するとそう言った。
指名も何もさくらの目的が自分にあることは間違いない。
佳林は丁寧にお辞儀をしてさくらを部屋に通そうとする。
するとさくらがおもむろに佳林の手を握った。
そして店の玄関に引っ張っていこうとする。
- 332 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:53
- 「何するの?」
さくらの予想外の行動に佳林が抗議の声をあげる。
それでもさくらは手を放そうとはしない。
「ちょっと痛いよ」
「いいからついてきて」
さくらは佳林の言うことを聞こうともしない。
「どこ連れてくつもり?」
「楽しいところ」
さくらは笑って言う。
「いやだ」
危険を感じた佳林は必死におしとどまった。
- 333 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:54
- 「言うこと聞かないんだったらお金引き上げるよ」
さくらはそれでも強引に佳林の腕を引っ張る。
「私をお金で好きに出来ると思ったら大間違いなんだから」
佳林はさくらを睨みつけて言う。
「じゃあご両親の保釈金も取り下げるよ」
さくらはあっけからんとした顔でそう言った。
佳林の顔色がさっと変わる。
「いいの?」
代わりにさくらの方が自信ありげに笑みを浮かべた。
まるで急所を串刺しにされたように佳林の体からあきらかに
力が抜けていった。
さくらは低く笑って抵抗のなくなった佳林の手をひいていく。
「悪く思わないでよ。こうでもしないと佳林ちゃんが
言うこと聞いてくれないでしょ」
さくらは悪気もなく涼しい顔でそう言った。
- 334 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 21:57
- 「あ、二人でお出かけ?行ってらっしゃい」
玄関先で由加が笑顔で言う。
由加はさくらがどんな人間で自分に何をしようとしているか
分かっていないんだと佳林は思った。
店の外には金色の模様のついた豪華な馬車が用意されていた。
従者も何人か連れてきて道の脇にひざまづいている。
里保のときとはそれほど変わらない。
まだモーニング娘。になったばかりだというのに
さくらはどれだけ出世が早いのだろう。
「馬車から飛び降りて逃げようとかしないでね。
大怪我するんだから」
まるで小さい子に言って聞かせるようなさくらの口調だ。
佳林は悔しさに唇をかんだが、馬車に乗るより他にない。
- 335 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:01
- 佳林が躊躇しながらも乗り込むと後ろからさくらが勢いよく乗ってきた。
さくらと至近距離で二人きりになる。
一番追い詰められている状況なのに、佳林はさくらの横顔を
近くでみてきれいだと改めて思う。
もしさくらが友達だったら振袖も含めて可愛いとか
似合ってるとさかんに言っただろう。
「どうしたの?」
佳林が見つめすぎたのかさくらがそう言った。
勿論、そんなお世辞にも取られかねないことは言わないでおこう。
今は少しでも自分を守らなきゃいけない。
ここは上辺だけでも下手に出てさくらを刺激しないほうが得策だ。
「あの、私はまた帰ってこられるのかな?
最後になるなら由加ちゃんにも他のみんなにも最後のお別れ言ってない」
佳林はわざと泣きそうになりながら言った。
「ああ。そういうこと心配してたんだ。
今日はちゃんと帰してあげるよ。次からは分かんないけどね」
それを聞いて佳林はほっとした。
今日はとりあえず我慢していればまたみんなのいるところへ帰れる。
まだ朋子に会える可能性は残されている。
- 336 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:03
- 馬車が走り始めた。
さくらはまた何か仕掛けてくると思ったが考え事をしてるみたいで
何も言っては来なかった。
こうして眺めていると「小田さくら」って一体どんな人間なんだろう
と改めて思う。
化けの皮を剥いでやると息巻いたもののまだ佳林にだって
さくらがどういう人物か分かっていない。
ただし不用意に刺激して由加の店に帰れなくなっては元も子もない。
佳林はずっと流れる外の景色を見ていた。
馬車が土埃をあげてトコトコと進んでいき、
周囲は商店の看板や行き交う人々で溢れていた。
そのうち地面に打ち付けられた深紅の巨大な暖簾を
屋根までつなげている派手なお店の前で馬車は止まった。
「着いたかな」
さくらは佳林の座っている窓を覗いて言う。
- 337 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:05
- 「ついてきて。着物の帯買ったげる」
さくらはそう言うと子供みたいに馬車を飛び降りた。
佳林はさくらに続いておずおずと馬車を降りた。
完全にさくらの流れに乗せられている。
しかも使用人だったさくらに着物を買ってもらうなんて。
こんなこと一つでも佳林のプライドは傷つけられた。
でもそんな感傷は店の中に入って吹き飛ばされた。
「すごい」
あまりの雅な光景に思わず口について出た。
中には、純白の帯に極彩色の鳳凰を描かれたもの。
数々の花が描かれた藤色の帯が所狭しと並んでいる。
原色に近い鮮やかな色彩に包まれて佳林の気持ちは
華やいだ気持ちになる。
以前は染屋が直々に佳林の屋敷まで出向いて着物を仕立ててくれた。
だから振袖の染屋に来るのは初めてだったこともあって
佳林の目が輝く。
着物を買うなんて贅沢はもう永遠に許されないと思っていた。
- 338 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:07
- 「この子にあう着物の帯を選びたいんだけど」
さくらは全く物怖じせずに店の主人にそう言った。
「誰も持ってないようなのがいいの」
若いくせにさくらは度胸があるというか肝が座っている。
本当に敵に回したくない存在だ。
佳林だってさくらと対立したいわけではない。
しかし今は立場が逆転してる上に敵の領域に完全に
引き込まれてしまっていた。
「こちらのお嬢様の」
佳林を見て主人は不思議そうな顔をした。
佳林ははっと下を向いて顔を隠した。
高価な着物屋は当然上流社会と親交がある。
貴族の姫君が遊女屋に売られたことはあまりにも有名な話だ。
「宮本佳林」が来ていると気づかれたくなかった。
「そう。あまり地味すぎないほうがいいかな。
明るい色でも似合うと思う」
さくらは傍にあった橙色の帯を佳林に近づける。
「へえ。そういうことでしたら」
主人は奥に入っていった。
- 339 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:11
- 「佳林ちゃん、お店には話は通してあるから大丈夫だよ。
ここはモーニング娘。御用達の店なの。
誰も宮本佳林がここに来てたなんて話は外にはもらさない」
さくらはそう言って笑った。
あまりにも自然な笑みに佳林はかえって不気味に思った。
「こういうのもございまして」
主人の持ってきた帯はあまりにもこれまで見たのとはかけ離れていた。
貴族時代は夥しい数の帯を所有していた佳林だったが
こんな模様の帯はかつて見たことがない。
これまでは風景や花をあしらったものがほとんだった。
しかし二人の前に置かれた帯には花の景色もない。
夥しい数の幾何学的な四角形で区切られていて
その一つ一つが赤や黄色の原色で縫い込まれている。
佳林も洋装の服で似たようなものは見たことはあったが、
和式の帯にしてはかなり奇抜だった。
佳林は一目見ただけで欲しいと思ってしまったが、
さくらのいる手前口に出しては言わない。
- 340 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:14
- 「最近は欧羅巴の画家の絵を使った大変珍しいのものでして」
主人はこれはスイスのパウル・クレーという画家の書いた模様だと
少々自慢げに説明した。
洋服用の意匠を特別に和装の帯に作り替えたものだと言う。
「これはまだ出回ってない試作品みたいなものでして、
お値段もその分しっかりと勉強させていただきます」
この店としてはこの帯を売りたいのだろう。
こんな珍しい帯を巻いていると店の宣伝にもなる。
何でも新しいものや斬新なものが好きな佳林は
すぐにそういうものに飛びつくたくなる。
「佳林ちゃんに似合うかな」
さくらはしきりにその帯を佳林の腰にあてて
佳林の全身を舐めまわすように見ている。
ただし身につけるのは自分でも買うのはさくらだ。
佳林は固く口を閉じたまま何も話さなかった。
- 341 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:16
- 「こんなきれいなお嬢様やったら勿論、桔梗やら桜やら
花の模様のものも十分似合うと思いますけど」
主人は佳林を見て言う。
「ただし、いいものはその分値段も高いです」
主人は値段の書いた紙切れをさくらに見せる。
「うーん。値段のことは別にいいんだけど」
さくらの言い草にずいぶんと太っ腹だと佳林は思う。
ここにある帯はそれこそ品質では最上位の高級品しか置いてない。
それを値段気にせずに花魁に買い与えるなんてさくらは
本当にどうかしている。
そのうちさくらは、他に置いてある桜や紅葉の柄の帯も
もってきては佳林の腰にあてさせた。
立った姿勢、座った姿勢あらゆる角度から佳林を見つめる。
新しい帯を比較するたびさくらの迷いの度は増していくようだった。
さくらは案外優柔不断で決められない性格なのかもしれない。
それが小さい子が食べたいお菓子を決められないのに似ていて
何となくさくらのことを可愛いとさえ思った。
- 342 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/03(土) 22:17
- 「佳林ちゃんは?」
突然さくらがそう聞いてきた。
「え?」
びっくりして佳林はさくらの顔を伺う。
「佳林ちゃんはどれが欲しい?」
さくらは真剣な表情で佳林に聞いた。
「私は・・・」
思わず佳林は先ほどのパウル・クレーの帯を眺めみる。
まさかさくらは自分が欲しい言った着物を
買ってくれるつもりなんだろうか。
そして何で自分は無理やりさくらに連れ出された状況で
さくらに着物をねだっているんだろう。
佳林はそんな不思議な気持ちになった。
それにさくらは佳林を「自分好み」にするという
あの宣言は一体どうなったのだろう。
佳林は虹色に輝くクレーの帯をとった。
「私はこの帯つけてみたい」
心の中にわだかまる様々な逡巡は別にして
佳林は素直にそう答えていた。
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 22:19
-
「続く」
今回の更新を終わります。
- 344 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 22:20
-
レス流し
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/03(土) 22:20
-
レス流し
- 346 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:22
- 「ねえ、一体どういうつもり?」
馬車の中で佳林は先程から押し黙っているさくらを問い詰めるように言う。
最初は怯えていた佳林とさくらの関係は完全に逆転している。
さくらは窓から風景を見ているばかりで、佳林のほうがしきりに
さくらに話しかけていた。
「あんなに高い振袖まで買っちゃって」
あの後、主人に勧められるままにさくらは佳林の振袖まで購入してしまった。
しかも佳林が調子づいて着てみたいと言ってしまったものだ。
まさかさくらが本気で買うなんて思ってなかった。
- 347 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:23
- 佳林にもプライドがある。
いくら相手がモーニング娘。でも自分と同い年の幼い少女に
高い着物をねだろうなんて気持ちはさらさらない。
「別に。帯を買うんだったら振袖もあったほうがいいと思っただけ」
さくらは短くそう応えた。
「でも」
「あ、そうだ。佳林ちゃん甘いものでも食べようよ」
さくらが佳林が言うのを押しとどめるようにそう言った。
佳林が応える間もなく馬車はさくらの声に呼応して勢いよく止まる。
目の前にあるその店には「甘」と一文字、
大きく書かれた看板が仁王立ちのように立っていた。
- 348 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:24
- さくらは颯爽と馬車を飛び降りた。
さくらはあらかじめ未来でも分っているみたいに
次々と先に進んでいく。
その様子はまるで天女がそのまま人間になったかと思えるぐらい
輝いて見える。
でも一方でさくらは人間の煩悩そのままに恐ろしいほど
佳林に執着している。
「小田さくら」は悪魔が天使に姿を変えているのかもしれないし、
その逆なのかもしれないと佳林は思った。
- 349 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:25
- 佳林の目の前にずっしりとして甘そうなこし餡に
華やかな桜桃と新鮮な白玉団子が添えらえた餡蜜が運ばれてきた。
さくらの促すままに口に入れると濃縮された甘さが舌全体に広がる。
貴族時代には思いっきり悪戯して遊んだ後に朋子と一緒に
よく餡蜜を食べた。
でも大借金を抱えた状態でこんな贅沢をしていいものかと思う。
「さくら、いつもこんな豪華なもの食べてるの?」
幸せそうな顔で餡蜜をほおばるさくらに尋ねた。
「まさか。あたしも道重さんに連れてきてもらって一度だけ」
モーニング娘。が一体どんな生活をしているのか佳林には
知るよしもない。
そして目の前にいるさくらのことさえ佳林には分からなかった。
- 350 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:26
- 「さくらって北の国から戻ってきたんでしょ?」
佳林は試しにさくらの身の上を聞いてみた。
「そうだよ」
さくらは意外にも素直に応えた。
「北の国ってどんなところ?」
「うーん。こことは違ってもっと文明が進んでる。
それと春と夏と秋と冬がいつも同時にある」
「季節が同時に?」
佳林は首をかしげた。
佳林も貴族時代に北の国の進んだ文明については聞いたことがある。
向こうでは馬車ではなく機械で走る車らしいし、
空飛ぶ乗り物だってあるらしい。
でも同じ地球上なのに季節が同時に来るなんて信じられない。
- 351 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:28
- 「まあ簡単に言うと住んでる土地に高低差があるだけなんだけど。
山の上は冬でもふもとに降りると夏だってこともある。
きまぐれな風の向きによって変わることもあるけどね」
さくらは少し自慢げに話した。
佳林は未だ見たこともない北の国を想像した。
佳林は北の国について陰鬱で寒くて孤独なところだと
ずっと聞かされてきた。
国交もなく、両国の交流もない状態では貴族の上層部から
伝わってくるのはそんな情報ばかりに偏っているのかもしれない。
「面白いところだよ。夏に樹氷を見に行ける」
さくらはそのまま息せき切ったように話し続ける。
「ジュヒョウ?」
「木が雪をかぶってね。恐竜が歩いてるみたいに見えるの」
楽しそうにさくらが言った。
- 352 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:31
- 「木が?」
佳林も木に雪が降り積もっているところは何度も見たことはある。
それを恐竜みたいに思ったことはない。
でもそれよりもさくらがまるで友達にでも話してるような口調で
朗らかに話し続けてるのが新鮮だった。
ずっと昔から知ってて何度も会った相手だけど
こうしてさくらとは普通に会話することがなかった。
もしかしたら最初の出会い時以来かもしれない。
「さくらって私に苺くれたよね?」
佳林はあんみつにのっかっているまばゆい桜桃を見ながら
昔のことを思い出した。
「何?急に突然」
さくらは一瞬だけ驚いた表情をした。
「私が家の厨房を覗いたとき、さくらが歌を歌ってた。
そのとき私に苺をくれたでしょ」
あのときのさくらと今のさくらは本当に同一人物なんだろうか。
顔貌からしたら間違いはないけど佳林はそれが急に
疑問に思えてきた。
- 353 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:34
- 「そうだよ。あの後こっぴどく叱られちゃったけどね。
それがどうかした?」
否定するかと思ったらさくらはあっさりと肯定した。
「何で?」
佳林は身を乗り出してさくらに尋ねた。
「何でって?」
さくらに初めて動揺が見て取れた。
「何で私に苺くれたの?」
「大した意味はないよ。ただ自分も食べて美味しかったから。
別に貴族のお姫様、苺なんかで釣ろうと思ったわけじゃないし」
つんとした顔でさくらは言う。
「懐かしいね」
同意を求めた佳林の言葉だったがさくらは首を横にふった。
- 354 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:36
- 「佳林ちゃんはお金持ちだったあの頃が恋しいだろうけど」
さくらがぎょろりと鋭い目を佳林に向けた。
懐柔策なんかにはのらない。
さくらのそんな気持ちも読み取れる。
ただし佳林がさくらを懐柔しようにも妥協点なんて
見いだせるものでもなかった。
さくらが欲しいものはただ一つ佳林自身なのだ。
自分自身を譲り渡してしまっては自分に残るものなど何もない。
佳林もさくらに対しては一歩も退くことは出来なかった。
さくらもそれをわかっていて佳林を追い詰めてきているに違いない。
「佳林ちゃん、そろそろ行く?」
さくらの問に佳林は軽くうなずく。
佳林とさくらは同時に立ち上がった。
ありふれた会話の奥底で佳林は二人の間に火花が散るのを感じた。
傍から見たらとても花魁と客には見えないに違いない。
きっとお金持ちの令嬢が二人、仲良く餡蜜を食べている
のどかな風景に見えただろう。
- 355 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:38
- 由加の店に戻る馬車の中、さくらは再び押し黙った。
それは佳林の会話の調子に流されないためだろうと佳林は思う。
要は佳林に対して攻撃的になろうとしているのだ。
そのことを佳林はあからさまに感じ取った。
「今日は佳林ちゃんが素直に言うことを聞いてくれたから
お店に帰してあげる。でも次からは分かんないから」
「分かんないって?」
「外泊になるかもしれないし、
もしかしたらもう帰って来れないかもしれない」
さくらの勝手な言い草に佳林も少し腹が立った。
「勘違いしてるみたいだけど私はさくらの召使じゃないよ」
佳林が言い返すとさくらはにやりと笑ってきた。
「召使なんてとんでもない。佳林ちゃんは私のモノになるんだよ」
まずい。そう思ったときにはもう遅かった。
- 356 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:39
- さくらはまず佳林の右手を握りしめてきた。
佳林が後ろに逃げようとしても狭い馬車の中でその余地などない。
獲物を狙うようにさくらはゆっくりと佳林に近づいてきた。
「この手も顔も鼻も目も口も全部私の物。ずっと欲しかった」
さくらは怯える佳林の顔を一瞥するとゆっくりと佳林の背中に
手を回した。
二人の体が交差する。
さくらに抱きしめられている。
佳林は反射的に「無礼者」と突き放そうとするのを思いとどまった。
自分にはもうそんなことをする身分も権利もない。
全部分かっていてのさくらの挑発だった。
さくらは抱きしめた感触で佳林が無抵抗なのを一瞬で
感じ取ったに違いない。
「佳林ちゃんだってただお買い物して終わりじゃつまんないでしょ」
さくらは少しだけ顔をふせて佳林の体を抱き寄せる。
鼻腔にさくらの髪油の甘い香りが一気になだれ込んできた。
首筋にくすぐったいような滑りとした感触がした。
さくらが口づけをしたのだ。
- 357 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:41
- それがキスというものだと気付くのに佳林は少し時間がかかった。
花魁という体を売る仕事をしている割には佳林はこれまで
一度だってキスをされたことがなかった。
単にお金持ちの令嬢の話し相手ばかりをしていたせいも
あるかもしれない。
覚悟だけはしていた。
でも迫られたり危ない目にあったりしたこともない。
それにキスは唇同士か頬っぺたにするものだとばかり思っていた。
さくらは満足そうに笑いかけるとそのまま
窓のほうをむいてしまった。
会話は途切れ馬車の蹄の音だけが一定のリズムを打って鳴り続ける。
首筋の感触は軽く触れられただけだと思っていたのに
未だに残っている。
唇同士は愛情の意味。頬にするのは親愛の情。
佳林はキスについてそれぐらいの認識しかない。
さくらのそれはどういう意味なんだろうと佳林は考えた。
少なくとも愛情でも親愛でもなさそうだ。
- 358 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:42
- 「じゃあまた明日」
佳林を下ろすとさくらは馬車の中から手をふった。
「あ、うん」
さくらのあまりに自然な笑顔に佳林も手をふりかえしてしまう。
明日、ということはきっとまた明日も来るのだろう。
今度はどこに連れて行くつもりなのか。
このままではどんどん自分がさくらの物にされていきそうで
怖いという反面、さくらとは普通に会話も出来るようになった
という安心感もあった。
さくらは決して佳林が言ったことを無視しない。
特に佳林が北の国のことを聞けば丁寧に詳しく説明してくれる。
その律儀さと挑発してくる態度が同時に存在するか
あるいは一瞬にして切り替わってしまう。
化けの皮を剥いでやると息巻いたものの佳林はまだ
さくらにどう接していいのか分からなかった。
- 359 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:43
-
----------
- 360 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:44
- 店に戻ると由加が洗濯物をいそいそと運んでいる。
「おかえり。楽しかった?」
佳林をみとめると由加が振り返って言った。
「あ、うん」
何と答えていいか分からない。
佳林は先程さくらにしたようなぎこちない返事をする。
さくらのことは由加にもあまり詮索されたくなかった。
「そう。良かった」
そのまま通り過ぎると思った由加がそのまま立ち止まって
佳林を見つめている。
佳林も変に思った。
「どうしたの?」
「楽しかったのはいいけど、それ他のお客さんに見られたら
大変だよ」
由加がそう言って笑った。
- 361 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:46
- 「え?」
「首のキスの痕」
由加が自分の首の部分を指差す。
そこはまさしくさくらにキスされた場所だ。
急に顔がかあっと熱くなる。
「まあ佳林ちゃんにはさくらちゃんが一番のお客様だから
それでいいのかもね」
由加はにこやかに笑うとそのまま通り過ぎていく。
違うと否定しようにもあまりにも全てが事実なのでどうしようもない。
佳林は火が出るみたいに恥ずかしくて階段を駆け上がる。
「あ、佳林」
まずいことに途中にさゆきがいた。
「大丈夫だった?何かされなかった?」
さゆきの心配はありがたかったけどキスの痕だけは絶対に見られたくない。
「だ、大丈夫」
佳林はわざとらしく首を隠して自分の部屋にかけ戻った。
- 362 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:48
- 大急ぎで鏡を見ると首筋には確かに赤い痕が残っている。
「こんな目立つところに」
佳林は泣きそうになって鏡の前で右往左往する。
どうしようと恥ずかしい気持ちの次に悔しさが一気に押し寄せてくる。
キスくらいなんともないと思っていた。
元々遊女は体を売らないと生きてはいけない。
だから少しくらい体を触られたり、キスされたりなんて
当たり前のことだと思ってきた。
心と体は別。
体のことは借金とか事情で売ってしまうことは仕方ない。
心だけでも保っていれば大丈夫だ。
でもそれは実際にされてみて全然違うことに気づいた。
キスの痕は自分がさくらの物になりかけている証拠だった。
そのことは佳林の心に迫ってその事実を自他ともに
認めさせようとする。
これからさらにさくらとの関係が進展したらますますそれは
強くなっていくだろう。
そのとき佳林の心はそのままでいられるだろうか。
- 363 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:49
- キス一つでこんなに動揺している自分が歯がゆくて情けなかった。
「何でもない。キスくらい」
鏡に向かって自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
でも言った瞬間思い出したのは薄い口紅が濡れるさくらの唇だった。
そして木ノ実のように大きく開かれて輝く瞳。
近い将来、さくらと自分は唇にキスをするんだろうか。
考えただけで再び顔がかあっと熱くなる。
仕事なんだから仕方ない。
今度は心の中で言った。
今度の言葉は朋子に向けられたものだ。
朋子は自分がどんなになってもまた元のように
接してくれるだろうか。
自分から許されようなんてだめだと思っていても、
それ以上の状況の過酷さが佳林の身にしみた。
- 364 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:50
-
今回の更新を終わります。
- 365 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:50
-
レス流し
- 366 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/12(月) 20:50
-
レス流し
- 367 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/21(水) 15:59
- さくらの真意がわからない・・・
続きが待ち遠しいです。
- 368 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/25(日) 16:17
-
>>367
レスありがとうございます。ここからも小田ちゃん中心に展開していきますが、
どうぞよろしくお願いします。
- 369 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:19
- 「実はあの後心配してたんだけど」
さくらは、会うなり神妙な顔をする。
「大丈夫だった?キスの痕」
そして急ににやにやしだしたさくらの顔にすでに確信犯
と書いてある。
さくらは翌朝、早朝に間髪いれずにやってきた。
「そっちこそ、こんなに毎日来てお金は大丈夫なの?」
佳林はそう返すので精一杯だった。
「全然平気。何たって佳林ちゃんの指名料はもう半年分も
払ってあるんだから」
そう言われるとさすがの佳林も一言も返せない。
どうやら佳林の指名料の高さを盾にさくらを寄せ付けないように
するのは完全に不可能みたいだ。
- 370 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:23
- さくらは佳林の部屋に堂々と入ってきた。
お互いににらみ合いをしていても仕方ない。
勝負は完全に見えている。
佳林は座布団の上にさくらを促す。
二人は卓を前に並んで座った。
「ねえ、佳林ちゃんさ」
さくらは卓に頬杖をついて佳林をまじまじと見つめる。
「何?」
佳林はさくらを一瞥してすぐに視線をそらす。
昨日のキスを思い出した。吸い付くような欲情的な接吻。
今さくらと見つめ合っていたら思い出しておかしくなりそうだ。
「いい加減、あたしのモノのなっちゃえば」
はっとして佳林はさくらの顔を見る。
さくらの桃色の唇が濡れて光っていた。
- 371 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:24
- 「そんな泣きそうな顔で見ないでよ」
「泣いてなんか」
言いかけたところで朋子のことを思い出して切なくなる。
いや、切ないんじゃない。罪悪感だ。
「もしかして金澤さんのこと忘れられない?」
「朋の話はしないで」
佳林は請うようにさくらを見つめた。
「いいよ。じゃ、何の話する?」
さくらは意外なことにあっさりと引き下がった。
しかも何の話をするって言われてもこの状況で
何を話したらいいのか分からない。
でもさくらとはきっとたくさん話すべきことがあるような気がした。
- 372 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:27
- 「さくらは、私を身請けしたらどうするつもりなの?」
「そうだなあ。あたしだって佳林ちゃんを許したい気持ちが
ないわけじゃない」
もしかして復讐をやめてくれる。
そんな希望が湧き上がって佳林ははっとさくらを見た。
「あたしが身請けしてこの店を出られてたら佳林ちゃんは
もう自由だよ」
さくらが確かにそう言った。
佳林は信じられないという目でさくらを見つめた。
「佳林ちゃんはこれからは自由に生きて。金澤さんに会いに行って」
さくらは両手をいっぱいに広げる。
「本当に?」
佳林は息を飲んだ。
今までのさくらに対して抱いてきた思いは誤解だったかもしれない
と思った。
しかしそれは次の一言で見事にかき消された。
「っていうわけにはいかないけどね」
さくらは冗談を言ったみたいに笑った。
優しい女神みたいに見えたのが一瞬にして崩れ去り
さくらが悪魔みたいに見えた。
- 373 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:28
- 「佳林ちゃんを身請けしたら北の国に連れて行くつもり。
北の国は寒くて寂しいところだよ。
そこで佳林ちゃんは永遠にあたしと二人っきりで暮らすの。
残念だったね」
さくらは再び意地悪そうな笑いを見せた。
「永遠にってずっとってこと?」
「そうだよ。死ぬまでずっとだよ」
さくらはじろりと佳林を見つめる。
佳林も無表情でさくらを見つめ返した。
さくらはあくまで佳林の全ての希望を打ち砕くつもりらしい。
「それもいいかもね」
しばらくして佳林は言った。
「え?」
今度は驚いたのはさくらのほうだった。
- 374 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:30
- 「さくらみたいな綺麗な子と暮らせるならそれも悪くない」
佳林の言葉に急にさくらはもじもじと赤面して何も返せずにいる。
半分降参のつもりだったが意外と反撃の効果はあったみたいだ。
佳林はこの機を見逃さなかった。
動かずにいるさくらにゆっくりと近づくと首筋に噛み付いた。
「痛っ」
さくらは悲鳴をあげてのけぞる。
動揺した顔で噛まれた場所を押さえた。
「何するの?」
さくらが驚いた顔で佳林を見た。
見るとちょうどいいぐらいにさくらの首筋に佳林の
歯型だけが残っている。
「昨日の仕返し」
佳林はしてやったりという顔をさくらに見せつけた。
- 375 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:31
- これまではずっとさくらの方が佳林に対して攻勢に出ていた。
だからさくらの本性もわかりづらかった。
これからさくらがどう反応するかが見ものだと思った。
「佳林ちゃんがさ」
さくらは無表情のままだった。
「本当に心から謝ってくれたら許してあげようと思ってたけど」
低い声とは裏腹にさくらの顔からは笑みさえこぼれている。
「もうやめた。佳林ちゃんを北の国に無理やり連れて行く。
金澤さんにも永遠に会えないようにしてやる」
口調だけは低くドスのきいた声だったが、
結局さくらが言っているのはさっきとは同じだった。
- 376 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:32
- 「残念だけどそれは無理だね」
「何で?」
「だってさくらは私の身請けに必要なお金までは払えてないもん。
そんなことしたら人さらいだよ」
半分は憶測、半分は根拠はあった。
もしさくらに佳林を身請けするお金をそろえれるなら
とっくに身請けしてしまっているだろう。
「人さらいだろうと何だろうと」
さくらはふつふつと湧き上がってくる力を抑えるように言った。
「あたしは佳林ちゃんが欲しい」
佳林はさくらがずっと昔から佳林をぎらつく目で見ていたことを
知っていた。
- 377 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:34
- さくらのことが気になったのは遥かに身分の違う自分のことを
憧れるでもなくただ吸い付くように見つめていたからだ。
それを知っていてさくらに関わったのは佳林にとって
火遊びみたいなものだったかもしれない。
自分を焼き尽くす可能性のある火を弄ぶことが面白い。
でも今佳林は火に焼かれようとしている。
さくらの力で自分を焼き尽くすことが出来るならやってみればいい。
遊女まで堕とされても佳林には未だにそんな不遜さが残っていた。
「そんなに欲しいならさ。無理やり奪えばいいのに」
佳林の挑発するような言い方は自虐というより、
もって生まれた気高さだった。
自分に今にも飛びかかろうとしている獣を目の前に
無防備にも手をいっぱいに広げて待っている。
さくらから逃げることは遊女になることより
遥かに品位を落とすのように思えた。
- 378 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:35
- 「ひっ」
いきなりさくらに胸ぐらを掴まれて壁にうちつけられた。
さくらの顔が獰猛なけもののように見えた。
「やめて」
佳林が悲痛な声を漏らしたのと同時に着物の襟首を
鷲掴みにされた。
強い力で引っ張られて胸元が大きく開かれる。
佳林の着物がはだけてぐしゃぐしゃになった。
さくらの力は思った以上に強い。
佳林はさくらから逃げようともがいたが、
あっという間に押さえつけられた。
畳に押し付けられて佳林は観念したように力を抜いた。
さくらは獲物をたぐり寄せるように佳林の体を抱き寄せた。
- 379 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:36
- 「ひぃ・・ひっく」
佳林が嗚咽を漏らすとさくらの力が急に緩んだ。
「ひどい。ひどいよう」
佳林はその勢いで大声で泣き始める。
そのうちドタドタとさゆきが階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
「佳林、大丈夫?」
さゆきが襖を勢いよく開けた。
佳林は白い襦袢で必死に胸元を隠している。
その姿ですでに何が起こったか明白だった。
「さゆき、助けて」
佳林はさゆきの顔を見るなり叫んだ。
「佳林に乱暴するのはやめて」
さゆきが佳林とさくらの間に割って入る。
- 380 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:37
- 「この人でなし」
さゆきはさくらをあっという間に押しのけてくれた。
佳林は助かったと胸をなでおろした。
さくらはため息をつくと静かにに立ち上がった。
まるで勝負があったことを悟ったみたいだ。
「こんなんじゃ終わらせない」
さくらはそれだけ言った。
悔し紛れの悪態でもつくかと思っていたが
さくらは意外とさばさばしていた。
「今日はこれで帰るけど。次は覚悟しといてよね」
そう言い残すとさくらはさっさと部屋を出て行った。
顔を覆って泣きながら、うまいこと悪人の役に
さくらがはまりこんでくれたと思った。
こうでもしなきゃ客と遊女の関係では佳林に勝目はない。
- 381 名前:さくらの軛2 投稿日:2015/01/25(日) 16:38
- 「佳林、大丈夫?」
さゆきが背中をさすってくれた。
「ありがと」
泣きはらした佳林がむせるように呼吸していた。
この場はさくらは去って佳林は危機を乗り越えた。
しかし、佳林の抱えた大きな借金の一部をさくらが
立て替えているという事実は変わらない。
両親への保釈金も引き上げると言われたら
佳林は何でも言うことを聞かなければならないだろう。
いや、それ以上にさくらは次はもっと意地悪な復讐を
実行するかもしれない。
借金という佳林の急所をさくらから短期間に取り戻すには
さくらに匹敵する財力の持ち主を頼るしかない。
佳林の脳裏に里保の顔が浮かんだ。
お金に困って人の顔を思い浮かべるなんて佳林自身
そんな自分は嫌だ。
でも佳林にはあまりにも時間が残されていなかった。
- 382 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/25(日) 19:44
-
今回の更新を終わります。
- 383 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/25(日) 19:44
-
レス流し
- 384 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/25(日) 19:44
-
レス流し
- 385 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/01/27(火) 00:30
- 一気に読んでしまった・・・。
ヒールな感じの小田ちゃんいいですね!
なんかハマってるw
続き待ってます!
- 386 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/17(火) 03:56
- おもしろい!
- 387 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:27
- 「りんか、出かけるの?」
佳林が草履の紐を合わせているとあかりが言った。
「うん。由加ちゃんに買い物頼まれたから」
「いいの?さくらちゃん来るかもしれんのに」
あかりが不思議そうな顔をする。
どうやってもあかりと由加の二人はさくらの味方だ。
佳林がさくらによってどんなひどい目にあっているか理解してくれない。
昨日の一件にしてもさゆきだけはさくらなんて出入り禁止にしたほうが
よいと由加に掛け合ってくれた。
でも由加は困った顔でそんなことしたら可哀想だと言っただけだった。
- 388 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:28
- 「あんな奴来たって知らない」
佳林は頬を膨らませた。
「まだ仲直りしてないん?」
「仲直りっていうか。元々仲良くないし」
さくらが佳林を頻繁に訪問するのは嫌がらせに決まっている。
身請けして北の国に連れて行くのも、佳林を絶望的な状況を
味あわせた上で、思う存分痛みつけたいからだ。
佳林にお金をつぎ込むのも脅しの材料に使えるからに違いない。
「でもさくらちゃん、絶対りんかのこと好きだと思うよ」
あかりが真面目な顔をして言った。
「そんなわけないし」
「そんなわけあるよ。さくらは佳林ちゃんと話してるとき
とっても真剣だもん」
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:29
- あかりの勢いに押されてつい応じる佳林声も頼りなくなる。
「それは・・・」
復讐という目的があるからだ。言いかけて口をつぐむ。
あかりにまで自分が貴族時代に何をしたかを知られたくなかった。
「うらやましいな。あんな可愛い子に好かれて」
あかりは、うってかわってはしゃぐような明るい顔になる。
「代わってあげてもいいぐらいだけど」
困惑する佳林にあかりは続けた。
「いいの。そんなこと言って。つきまとわれてるうちが花だよ。
さくらちゃんがいなくなったらりんかだってきっと寂しくなる」
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:30
- どうやってさくらから逃げきるかを考えてるっていうのに
あかりは佳林がさくらの奴隷になってもいいというのだろうか。
今はあかりを相手にしてる場合じゃない。
早く自分で何とかなければいけない。
佳林は草履の紐を結び終わると立ち上がった。
「ねえ、りんか」
後ろから呼び止めるようにあかりの声が届いた。
「時々りんかは友達みたいにさくらと話してる時があるでしょ。
それがとても自然だなって思うんだ」
あかりの言葉が何度も胸の内に反芻するように響いた。
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:30
-
-----------------------
- 392 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:31
- 佳林は店の買い物を口実に鞘師里保の屋敷に一人向かった。
里保に指名された日案内された武家屋敷だ。
モーニング娘。の公演が続いていたため里保はまだこの屋敷に
住んでいるはずだった。
佳林は門の前を二三往復しただけで、入ることができない。
結局さくらに追い詰められている原因はお金のことだ。
でもそんなことを今さら里保に頼ることなんてできない。
同い年の女の子に借金の申し込みなんて恥ずかしすぎる。
佳林はあきらめてそのまま踵を返した。
「佳林ちゃん?」
声は間違いなく里保の声。
気づかれるのをわざわざ待っていたみたいで恥ずかしい。
佳林は思わず顔をふせた。
里保が屋敷の前に行き来する佳林に気づいて
わざわざ出てきてくれたのだ。
- 393 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:32
- 「佳林ちゃん、どうしたの?」
里保はそれでも前に回り込んで佳林を見た。
「里保、いやちょっと近くを通りかかっただけだから」
佳林はわざと作り笑いを見せて言う。
「とにかく入りなよ。何か話があったんでしょ」
里保は心配げに佳林を見て言った。
「いい。本当に通りかかっただけだから」
佳林はそう言って首を横にふった。
「本当?」
「本当だよ。里保だって忙しいんでしょ?
練習の邪魔しちゃ悪いし」
佳林はそのまま手を振って帰ろうとする。
佳林のその手をつかんで里保が引き止めた。
里保の深刻な表情にはっとなる。
- 394 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:33
- 「もしかして小田ちゃんにしつこくつきまとわれてる?」
里保に言われて佳林の足が止まった。
「やっぱり」
見透かしたような里保の声だ。
「べ、別に。さくらなんて何ともないし」
いくらモーニング娘。とはいえさくらは自分と同い年のただの小娘だ。
そんなのにつきまとわれて困っているなんて宮本佳林のプライドが許さない。
「小田ちゃん、佳林ちゃんのことずっと狙ってる。
会社からの給料も全部佳林ちゃんにつぎ込んでるみたいだし」
予想はしていたことだがさくらの佳林に対する執念は相当強いみたいだ。
「私にとってはいいお客さんが出来たと思ってるよ」
- 395 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:34
- 「絶対それだけじゃすまないよ」
里保は急に表情を変えた。
「え?」
「小田ちゃんは欲しいものは何でも手に入れる。
佳林ちゃんもモーニング娘。の主役の座も
全部手に入れようと思ってる」
里保は切羽詰った表情をしている。
「そんな全部さくらの思い通りになるかな。
さくらが里保に勝てるわけないし」
佳林はおどけて笑ってみせた。
しかし里保はそんなことどうでもいいというふうに首をふる。
「私は負けたっていいよ。一度負けたってまた次のときに
勝てばいいことだし。でも佳林ちゃんは違う。
一度さくらの物になったらもう二度と逃げられないよ。
早めに何とかしないと取り返しのつかないことになる」
里保は珍しく厳しい顔をして言った。
- 396 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:36
- 「さくらがそんなに怖いとは思えないけど」
佳林はさくらとのやり取りを思い浮かべる。
佳林に意地悪なことを言ったり、少し手荒なことをしてくるかと
思えば佳林の気をひこうと高価な着物を買ってくれたり、
急に真面目に話を合わせてきたり、やっていることはちぐはぐだ。
年相応と言えばそうなのかもしれない。
同い年ではあっても精神的には里保のほうがよっぽど上のように感じる。
「大丈夫。私はさくらなんかには絶対に負けない」
店まで送っていくとしきりに言う里保を佳林は丁寧に断った。
店に歩いて戻る道すがら、佳林はさくらのことを考えた。
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:37
- さくらは次は覚悟しておけとばかり繰り返している。
それは単なる脅しだけで本当の意味で佳林に対して
ひどいことは出来ないように思えた。
事実、行方不明で生きているかも分からなかったさくらの存在は
恐怖でしかなかったが、さくらがこうして佳林の前に
現れるようになってからは怖さも次第に薄らいでいる。
昨日も佳林がわざと泣き出しただけで掴みかかった手を止めた。
さくらはとは話し合いによる解決の道がないとも思えない。
佳林は薄曇りの空を眺めた。
外出するのは久しぶりだった。
辺りは閑散としていて前から馬車が1台向かっているだけだ。
外に出ているだけで何となく気分も晴れる。
貴族と召使。客と花魁。
さくらとはいつもそんな極端な関係ばかりだ。
もし対等な立場で出会っていたらと考える。
例えばさくらと女学校の同級生だったら自分達の関係はもっと違うものだっただろう。
- 398 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:38
- −友達になれてたかもしれないな。
佳林の脳裏にある光景が思い浮かぶ。
学校の課題を教え合ったり忘れ物を貸し借りしたり、
さくらと毎日たわいないことで喧嘩して笑って。
そんな毎日があったかもしれない。
佳林が借金漬けになってしまった以上女学校に戻りたくても
もうそんなことは叶わなかった。
そのときだった。
いきなり、布のようなもので口を塞がれた。
- 399 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:39
- 「うぅ」
苦しくて佳林が呻くと耳元でドスの効いた聞きなれた声が聞こえる。
「静かにして。大人しくしたら何もしない」
さくらの声だ。あたりには人はいない。
助けて。
叫ぼうとしても声が出て行かない。
腕も押さえ込まれて身動きがとれない。
少し先に由加の店が見える。
店まであともう少しだ。あそこまで行けたら逃げられる。
佳林のそんな希望はむなしく佳林は口を塞がれたまま
無理やり後ろへ引きずられていく。
さくらは従者とともに馬車を用意していた。
「乗って」
抗う余裕もなく、佳林は強引に馬車に押し込まれた。
「悪いけど今日は帰らなくちゃいけないの」
さくらのやり方はあんまりだと思ったがここで感情的になってもいけない。
- 400 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:40
- 佳林はそう言って馬車を降りようとした。
すると強い力で腕をつかまれる。
佳林の体はそのまま馬車の反対側の壁に強く押し付けられた。
「痛っ」
思い切り体をぶつけられて佳林は顔をしかめる。
「逃がさないよ」
さくらは怖い顔をして佳林を制止した。
「さくら、一体なんのつもり?」
佳林が顔をひきつらせて言う。
「女の子がこんな暗い道を一人で歩いてちゃ危ないよ。
もう遅いけどね」
紅潮した佳林とは裏腹にさくらはもう自分のものだとばかりに笑みを見せた。
- 401 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:43
- 「だから言ったのに。次は覚悟しといてって」
さくらはくすっと笑った。
このままどこかへ連れていかれるのではないか。
ひやりと汗が背中を流れる。
でもここで引き下がってはいけない。
「こんな、人さらいみたいなことしてどういうつもり?」
佳林はさくらを睨みつけて言う。
いくら遊女だって人間だ。
こんな理不尽なことが許されるはずがない。
「だーかーら。人さらいなんだって」
さくらはふふっと笑った。
自分はもう取り返しのつかない目にあおうとしている。
佳林の心に恐怖の気持ちが一気に押し寄せてくる。
- 402 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:44
- 「私は。いつ帰してもらえるの?」
佳林はしどろもどろに尋ねる。
「帰すわけないじゃん。永遠に」
さくらの言葉に佳林は絶句した。
「待って。こんなことしたらいくらモーニング娘。だって警察に捕まるよ。
さくら、冷静になろうよ」
佳林はさくらにすがるように言った。
「捕まらないよ。佳林ちゃんはあたしの家に閉じ込めておけばいいし。
そのうち北の国に連れて行くから。
そこまで連れて行ったらもう関係ない」
さくらは平然と言ってのけた。
「そんな。無理やり連れて行くなんてひどいよ」
佳林の目に涙が滲んできた。
- 403 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:46
- 「それは佳林ちゃんに言われたくないな。だってこれは復讐なんだから。
復讐は徹底的にやらないとね」
「どうする?また嘘泣きして許しを請う?」
さくらはもう完全に佳林に勝利したと言わんばかりだ。
どうしよう。佳林は自分が助かる手立てが何も思う浮かばなかった。
このままさくらの家に連れこまれたらもうそのまま北の国へ
行かされて自分は行方不明になってしまうのだろう。
由加が警察に訴えても南の国の警察はあてにならないし、
ましてや遊女探しでさくらの家を家宅捜索なんて
してくれるわけがない。
「誰か。助けて」
ドアの外へ叫ぼうとした瞬間、さくらに抱き寄せられて
引き戻される。
- 404 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:47
- 「静かにしてて。今度大声だしたら猿轡するよ」
耳元で強い声でさくらに言われた。
もう朋子に会うことができなくなる。
佳林は涙目でさくらを見つめる。
「泣いてるふりしたって無駄だよ。もう騙されないもん」
さくらの低い声が聞こえた。
今のさくらには泣き落としは通用しない。
冷静にならなきゃ。
逃げようとしてこれ以上さくらを刺激してはいけない。
佳林は泣き出したくなる胸の内をなんとかこらえた。
一度大きく深呼吸をした後にさくらに話しかけた。
「ねえ、さくら」
「何?」
「わかったよ。私、さくらと一緒に北の国に行こうと思う」
「本当に?」
さくらは疑うような目で佳林を見つめた。
- 405 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:51
- この平然とした顔の奥に隠されているのが果たして
歪んだ性格なのか。
至って普通の女の子が復讐にかこつけて脅しているだけなのかが
分からない。
「そしたらもう復讐はやめて。
だってさくらとはずっと二人きりなんでしょ?
いつまでもいがみ合ってても仕方ないし」
佳林は言いながらさくらの表情の変化をじっと伺う。
「佳林ちゃんが素直にあたしのモノになるんならやめてあげてもいいよ」
さくらはそう言った。
でも顔は緊張して再び佳林に騙されまいというしているのが明らかだった。
何か別の話題にしてさくらの警戒を解かなきゃいけない。
「ねえ、もし二人で北の国へ行ったとして私は何をすればいいの」
佳林は真面目に尋ねる。
- 406 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:53
- 「何って?」
「だって二人きりじゃすることもなさそうだし」
「佳林ちゃんはあたしの近くにいてくれればそれでいいよ」
さくらの表情が少しだけ柔らかくなった。
「さくらと二人で過ごすだけ?それじゃちょっと退屈かな」
佳林がそう言うとさくらは普通の思案顔をする。
「そうだなあ。えーと。じゃあ二人で樹氷を見に行こう」
さくらが思いついたように言った。
何でも恐竜が歩いてるみたいに見えるとかで佳林も
さくらが言った北の国の樹氷の話ならよく覚えていた。
さくらは普通に話してると意地悪さや怖さが嘘のように消え去るから不思議だ。
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:54
- 「樹氷の次は?」
佳林は調子に乗って尋ねる。
「ハイキング」
「ハイ・・・?」
「こっちで言う山登りのことかな。
北の国は自然に出来たお花畑や湿原がいっぱいあるの。
高いところで咲く花って赤とか青とか本物の色に近くて
本当にきれい。
お弁当作って自然がいっぱいの中でお昼ご飯を食べるんだ。
最高だよ」
さくらがきらきらとした目を見せた。
こんな表情のさくらを見るのは初めてだ。
「そうなんだ。こっちとはきっと別世界なんだろうな」
そこではくだらない身分の壁もないし人々はみんな自由だと聞いた。
朋子に会えなくなるのは嫌だけど北の国へ行ってみたい気もする。
でもこのまま連れ去られてしまうなんてそんな理不尽な扱い
絶対に認めるべきじゃない。
いくら絶望的な状況でも佳林だってまだ自分の人生をあきらめたくはなかった。
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:55
- そのとき馬車の窓を黒い影が一瞬よぎったのが見えた。
はっとして息を飲む。
「佳林ちゃん、どうかした?」
「ううん。何でもない」
さくらにそう応じながら佳林には分かった。
あの黒い影は朋子だ。
にわかに緊張の度合いが増してくる。
朋子の存在は真っ暗な絶体絶命の中に現れた一筋の光だった。
朋子が助けに来てくれているとしたら、一体どういう状況で
行動に出るだろう。
すぐ隣にはさくらが座っているし御者はさくらの従者だ。
簡単に逃げ出せるわけではない。
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:56
- 「さあ、着いた。鞘師さんの家ほど立派じゃないけどね」
さくらが窓を見て言う。
窓の外にヨーロッパの古い建築にあるような赤煉瓦の建物が見えた。
さすがはモーニング娘。だけあって輪郭がくっきりとした
いかにも重厚な建物だった。
「部屋には鍵かけるけど。でも大丈夫。
北の国に行くまでの辛抱だから」
さくらは佳林を安心させるように言った。
まるで自分がひどいことをしているという自覚がないみたいだ。
「もし逃げたら?」
佳林が試しに聞いてみる。
「そのときは容赦しない」
さくらは脅すように言った。
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:57
-
今回の更新を終わります。
- 411 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/21(土) 20:59
- >>385
レスありがとうございます。実際の小田さんはヒールな感じはあまりありませんが、
実力通りにこんな感じの小田さんが現れてくれることも期待しつつ書いております。
>>386
ありがとうございます。頑張ります!
- 412 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/22(日) 14:47
- 更新キテタ!
白馬の王子様もキター!?
さくらちゃん一途で憎めなくなってきたなぁ…
- 413 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:03
- 馬車を降りるとさくらは佳林の手を握った。
そのまま手をひいて玄関に向かった。
周囲にはさくらの従者達が取り囲む。
とても逃げられるような状況ではない。
佳林は素直にさくらに引っ張られていく。
でも視線はあたりをさまよって朋子の姿を探した。
「ねえ佳林ちゃん、何で何も言ってこないの?」
「え?」
「今から自分が何されるか分かってる?」
さくらが嘲笑うように言う。
玄関のドアが開かれる。
「とも」
佳林は振り返って小さくつぶやいた。
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:04
- 北の国に行くまでにもう一度朋子に会いたかった。
一瞬だけでもいい。お別れの時間が欲しいと思った。
「この子は地下の監禁牢に連れて行くわ。
鍵は厳重に締めて誰も近づかせないで」
「分かりました」
さくら達がやり取りをしている間、一瞬の隙ができたのを
佳林は見逃さなかった。
着物の端を手に持つと佳林は一目散に駆け出した。
「待て」
数人の男達が追いかけてくる。
さくらの家来の者達だろう。
佳林の足ではすぐに追いつかれてしまう。
「誰か。助けてください」
佳林は力いっぱい叫びながら小道から脇の林の中に入っていく。
ただしあたりには人どころか民家さえもなかった。
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:05
- 「そっちに逃げたぞ」
「捕まえろ」
男達の荒々しい声が聞こえる。
佳林は道もない林の中に入って木々をかきわけて必死に逃げる。
「とも。助けて」
心の中で何度も叫んだ。
山の斜面を降りると湿地帯になっていて佳林の草履は地面に深くめりこんでしまう。
周囲にざっざっと何人もの足音が聞こえる。
もう逃げられないかもしれない。
そう思っても佳林は走り続けた。
そのうち木の切り株に足をとられて佳林は倒れてしまった。
「いった」
足を強打して顔を歪ませながらも再び立ち上がろうとしたときだった。
「大丈夫?佳林ちゃん」
目の前に絶望的なほどにこやかな笑顔でさくらがしゃがんでいた。
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:06
-
---------------------
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:07
- 佳林は地下室の座敷牢に連れて行かれた。
天井から縄がぶら下がっており佳林の両手はそこにつながれて
吊るされた。
引っ張っても揺らしても天井に固定された縄はびくともしない。
目の前の格子戸の鍵はさくらによって閉められた。
「結局来なかったね。白馬の王子様」
わざとらしいさくらの声に佳林は悔しさに唇を噛んだ。
まるで罪人のような屈辱的な態勢だ。
「こんなことして。絶対許さない」
佳林の強い口調もどこ吹く風でさくらには全く届かない。
「何だかいい眺め。縛られて吊るされてる貴族のお姫様」
さくらは格子の外から不敵な笑いを浮かべている。
「この変態」
「佳林ちゃんには言われたくないけどね」
さくらは動じずににこやかに返してきた。
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:08
- 「明日、北の国行きの汽車が出るから。
今晩はここに泊まっていってよ」
まるで旅行の計画を伝えるみたいにさくらは飄々と言った。
国交のない北の国に一度行けばもう二度と帰ることはできない。
それは佳林もよく知っていた。
「お店に帰して。誰か助けて」
佳林は両手を固く縛られた縄を揺らして精一杯に叫ぶ。
でも天井に固定された縄はびくともせず絶望的なほど
頑丈そうな太い木の格子が目の前に広がる。
「無駄だって。地下室の声は外には聞こえないようにしてあるし。
それに行方不明の花魁を探しに警察も動くわけないでしょ」
さくらのいちいち律儀な説明が癪に障る。
「私にこんなひどいことして。さくらには良心の呵責ってのがないの?」
「リョウシンノカシャク?それはないよ。だってこれは復讐なんだから。
佳林ちゃんにされたことをそのまま返してるだけ」
さくらはそう言い切った。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:10
- 「あ、でも北の国行ったらもう閉じ込めたりはしないから。
二人でいっぱい遊んでたくさん楽しい思い出作ろうよ」
さくらは目をくりっとさせて笑った。
その表情の明るさに佳林は絶句する。
「さあ。どうするのかな。佳林ちゃん。この最悪の状況、
どう切り抜ける?」
さくらは格子戸を開いて牢の中に入ってきた。
佳林はひっと後ずさりしたが吊るされているため体は
少しも動かない。
佳林の顔にゆっくりと手が伸ばされてきて思わず目をつむる。
さくらは佳林の頬を軽く撫でた。
「この体、ぼろぼろにしてあげようか」
ふっと笑みを浮かべてさくらは言った。
「す、好きにしたら」
佳林はさくらを睨みつけた。
- 420 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:13
- 「体をどう弄んだって私の心まで奪うことなんて絶対に出来ないんだから」
「なるほど。心と体は別ってわけ?」
全然別じゃない。
さくらにされたキスを思い出して佳林は思う。
あのときのキスの感触、さくらの息遣いが頭にこびりついて
離れなくなる。
「だったら何したって構わないよね」
さくらは佳林の着物の端に手をかけた。
左右に強い力で胸元が開かれて白い羅がはだける。
体の後ろに手を回されて同時に着物の帯も解かれていった。
やめて。
思わず佳林は心の中で叫んだ。
最初はどうにでもなればいいと思っていた。
どうせお金で売り買いされる遊女の身だ。
最初からこうなるのが当たり前だと思っていた。
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:14
- 「泣いてるの?佳林ちゃん」
確かに目尻が熱い。
気がついたら目の前にさくらの顔がある。
「あたしが慰めてあげる」
さくらはそう言うと佳林をじっと見つめながら顔を近づけてきた。
そのまま唇同士がつながった。
さくらが顔を傾けて目を閉じた。
無理やり奪われたという感覚は不思議な程なかった。
佳林の中から逃げようとする気持ちが消え失せて、
さくらのきれいな顔を見ていると怨みや憎しみよりも
別の気持ちが沸き起こる。
自分に復讐しようとしているさくらが何だか可哀想に思えた。
でもそれは決して憐れみなんかじゃない。
今のさくらの姿は自分だと思った。
何でも自分の好きなものは全て手に入ると思っていた
貴族時代の自分だ。
- 422 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:15
- 「待って。さくらはそれでいいの?」
「え?」
「体は奪っても心は奪えない。
でもさくらに体をぼろぼろにされたらきっと佳林の心もぼろぼろになるよ」
「どうしたの?さっきと言ってることが違うじゃん。
急に怖くなったわけ?」
「違う。私はさくらを失いたくないだけ」
「あたしを失う?言ってる意味がよく分からないけど」
「今更だけど私はさくらとは友達になれると思ってたから」
「は?友達?」
さくらの冷えた表情が佳林の胸に突き刺さる。
それでも今言わないわけにはいかなかった。
「こんなこと言えた義理じゃないけど。
私に仕返しをするのはもうやめて。
私はまださくらには傷つけられてない。だからまだ間に合う」
- 423 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:17
- 「間に合う?佳林ちゃんは本当に勝手なことばかり言うよね。
あたしは佳林ちゃんに傷つけられたよ」
「それはそうだと思う。けど私にそれを返したらきっとさくらは後悔する」
「なんのつもり?それで助かると思ってるの?」
さくらは途中まで残っていた帯を床に落とした。
そして厳しい目つきで頬から首筋を撫でていった。
「お願いだよ。さくら。私を助けて」
佳林の目から涙がこぼれ落ちた。
今度は嘘泣きなんかじゃなかった。
さくらの手が急に止まった。
無表情でじっと見つめるさくらの顔は怖かったが
悲しげな目をしていた。
さくらの目はこんなに大きかったっけ。
佳林は泣きながら切なげなさくらの顔に見とれてしまっていた。
- 424 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:18
- そのとき扉を叩く音が聞こえた。
「さくら様。表に鞘師様が見えております」
さくらの従者らしき声が聞こえる。
「鞘師さん?」
「あたしはいないって言って」
強い声でさくらは返す。
「それが屋敷をあらためると無理やり入ってこられまして」
従者の報告を聞いてさくらの顔が真っ青になるのが分かった。
モーニング娘。での、里保の権力は絶対みたいだ。
きっと里保は私を助けに来てくれたんだ。
佳林はほっとする。反対に動揺し始めたのはさくらだ。
「どうしよう。こんなことしてるのがばれたら鞘師さんにお仕置きされる」
おろおろとしてさくらは言った。
- 425 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:19
- 「佳林ちゃんをどっかに隠しておかないと」
すでに遠くのほうからドタドタと足音が聞こえ始めた。
「隠すってどこに?そんな時間あるわけないでしょ」
佳林が冷静に言う。
里保が屋敷を改めると言っている以上ここが見つかるのも
時間の問題だ。
「さくら、もうあきらめて私を解放して」
佳林はもう降参するようにさくらを促す。
「そうだ。いくら鞘師さんだって佳林ちゃんを人質にとれば
あたしに何も出来ないよね」
さくらがそう言って佳林を見つめた。
再び獰猛なさくらの表情が戻って佳林がぎくりとなる。
「馬鹿なこと考えないで。鞘師さんはモーニング娘。の先輩でしょ?
今だったら私が何もなかったって証言してあげるから」
佳林は必死に訴えた。
- 426 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:21
- さくらにだって人の良心は残っているはずだ。
ただしこんな吊るし上げにあってる状態じゃ拷問を受けてるようにしか見えないだろう。
「早くこの縄をほどいて」
さくらもそれは分かってる。
ただ佳林を自由にすることには一瞬躊躇した。
さくらとは最初から信頼関係なんて何もない。
でも一つずつ積み重ねていくしかない。
佳林は目に一杯の涙を浮かべてさくらはまっすぐに見据えた。
「お願い。私を信じて」
懇願するように佳林は言った。
「分かったよ」
さくらはそれだけ言うと佳林を吊るしている縄に手をかけた。
どうやらさくらの意思は動いたみたいだ。
縄を外してくれるみたいで佳林はほっとする。
- 427 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:22
- 「痛っ」
急に両腕が上にひっ張られて縄が手首に食い込んできた。
「あれ、これどうするんだっけ?」
さくらが首をかしげる。
「外し方をわからないの!?」
佳林はまた別の恐怖に襲われる。
扉の向こうからガヤガヤとした声が聞こえる。
里保がもう近くまできてるようだ。
「さくら、急いで」
佳林が促すとさすがに焦りの表情を見せたさくらは
わたわたと吊り下げられている縄のもう一方を引っ張る。
今度は佳林はさっきより遥かに上方に引き上げられて宙ぶらりんの姿勢になった。
縄が一気に手首に食い込んで血が滲む。
「痛い!痛いよ」
佳林が叫び声を上げた。
- 428 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:25
- 「あ、ごめん」
さくらが普通に謝ってきたけど佳林が何か言うとさらに焦りそうで
佳林は仕方なく吊るされた状態で我慢してさくらを見守る。
帯も外されてるせいで着物がずり落ちて半裸状態の悲惨な格好だ。
さくらが試行錯誤してる間にも佳林の両腕には縄がぐいぐいと食い込んでくる。
もはや拷問と言ってもいいくらいだ。
「さくら、お願い。早く外してよ」
「ごめん。すぐに外すから。ええと。ええと」
焦っているのかさくらの手が震えている。
「ちょさくら、何やってんの?」
滅多なことでいらつかない佳林がついにそう言ったときだった。
「えと、分かった。これだ」
さくらがそう言うと釣り下がった縄が一気に緩んだ。
「きゃあああ」
佳林は自分の身長ぐらいの高さから床に崩れ落ちた。
着物がはだけて白い肌が露出する。
- 429 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:27
- 「ごめん、痛かった?」
さくらがそう言ったとき牢獄部屋の扉が開いた。
「そこまでだ」
里保が勇敢な騎士のように押し入ってきた。
そのままさくらを通り越して佳林を助け起こす。
「佳林ちゃん、大丈夫?」
里保はめくれ上がった着物をさっと整えてくれる。
ただ、佳林の手首は薄く血が滲んで足にはさっき転んだときに
負った擦り傷がそのままになっている。
両手を縛っていた縄はそのままになっていた。
「あの、これは」
おどおどしながら言うさくらを里保はきっと睨みつけた。
「こんなの人のすることじゃないよ」
里保が静かに言った。
- 430 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:28
- 「佳林ちゃんは私の大切な友達なんだよ。
こんなひどいことするなんて絶対に許せない」
里保の目に涙が浮かんでいる。
「里保、でもさくらはね」
佳林がさくらの弁解をしようとした。
「佳林ちゃんは黙ってて」
再び激しい口調で里保は言った。
「小田さくら、こんなことをした以上モーニング娘。からは除名する」
里保は厳しい目つきでそう言った。
「鞘師さん、それだけは勘弁してください。
もう佳林ちゃんには近づきません」
さくらは泣きそうになって言う。
「あたしがモーニングじゃなくなったら何もかも失ってしまう」
「何もかも失うようなことをしたんじゃないの?」
里保は優しくも冷静にそう言った。
- 431 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:29
-
今回の更新を終わります。
- 432 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/28(土) 21:31
- >>412
一途が度を過ぎてるかもしれないここの小田ちゃん
ですが、優しく見守っていただけると幸いです!
レスありがとうございます。
- 433 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/03/29(日) 01:47
- 王子じゃなくて騎士が来たw
全部手に入れるのか、全部失うのか、気になるぅ!
出てくる度に主役を食う存在感の小田ちゃん大好きです。
- 434 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:02
- 着物を整えて里保の従者に守られながら佳林はやっとさくらの
屋敷を出ることが出来た。
里保の乗ってきた馬車に乗るとようやく自分が生きているという
感触が戻ってきた。
さくらに監禁されている間中生きた心地がしなかった。
「だから送っていくって言ったのに」
里保が心配そうな目をして言った。
「ごめん」
佳林は里保に謝りながら何て自分は頼りない存在になってしまったのだろうと思う。
自分と同じ年の瀬の少女に付け狙われて結局は同じ年の
里保に助けられている。
昔は大人顔負けの機敏さとたくましさを持っていたのにと
佳林は自分でも思う。
- 435 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:03
- 「佳林ちゃんてすごく優しいというかお人好し。
普通あんなことされて小田ちゃんをかばうかな」
里保はそう言った。
さくらは佳林がとりなしたおかげで結局モーニング娘。の除名は
まぬがれた。
その代わり、北の国での研修を命じられ南の国からは
出ていくことになった。
「でも最後は私の言うことをちゃんと聞いてくれたんだ」
佳林はさくらが最後に見せてくれた優しさを思い出す。
除名が許されてもさくらは佳林を見てすごく寂しそうな
目をしていた。
これが佳林と会う最後になることを訴えかけていたのかもしれない。
「それにしたってさ。無理やり連れ去られて、
縛られてこんな怪我までさせられて」
佳林の両手足には包帯がまかれている。
里保は佳林を助けた後怪我の介抱までしてくれた。
- 436 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:04
- 「里保、本当にありがとう。
でもどうして私がさくらに連れて行かれたことが分かったの?」
「あ、佳林ちゃんを助けるのに必死で忘れるところだった」
思い出したように里保は言う。
「この子が教えてくれたの」
里保は便箋に入った封筒を佳林に見せる。
差出人の名前を見てさくらは喜びと寂しさと悲しさ、
恋焦がれるような吹き荒れる感情を同時に感じた。
「とも」
金澤朋子と書かれている封筒に里保はこの手紙は
佳林ちゃん宛だと言った。
やっぱり馬車から見たあの人影は朋子のものだったのだ。
- 437 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:06
- 何故手紙なんかではなく、ここに佳林に会いに来てくれなかったんだろう。
そのことだけでも佳林は暗い気持ちになった。
佳林はすぐに便箋を広げて朋子の手紙を読んだ。
最初の文面には自分には佳林ちゃんを助けに行く資格がないと
書かれていた。
朋子が佳林を自分の物にするために佳林を遊女に追い落としたと
いうことが淡々と書かれている。
佳林にとっては今更そんなことはどうでも良かった。
自分の物にしたいなら今ここに一緒にいて欲しかった。
佳林の目に自然と涙が溜まる。
「佳林ちゃんがさくらに捕まってるから助けてあげてって。
その子に頼まれたんだ」
里保の問にも下を向いてうなずくので精一杯だ。
「金澤さん、絶対に佳林ちゃんを迎えに来てくれるよ」
里保は明るくそう言ってくれたが佳林には耐えていける自信がなかった。
- 438 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:07
- 小田さくらが佳林の前から消えたとしても第二、第三の
さくらが現れないとも限らない。
体を売って心をなくして元々あった「宮本佳林」はなくなっていく。
そして佳林に客がつかなければ借金の返済もままならない。
どっちの道も地獄しかない。
里保は佳林を店まで送ると最後のお別れだと手を振って
去って行った。
里保も道重さんの命令で明日にはこの国を発つと言っていた。
どんどん自分から人が去っていってしまう。
朋子も里保も、そして結局のところはさくらもだ。
「寂しい」
佳林の心は今まで感じたことのなかった人恋しさに襲われるようになった。
- 439 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:08
-
--------------------------
- 440 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:10
- 「佳林ちゃん、ダメだよ。ちゃんと食べなきゃ」
由加の心配する声にも力なく笑って返すのがやっとだった。
里保に助け出されてから一週間たっても佳林はふさぎこんだままだった。
その間に誰も佳林を訪ねてくる人はいない。
勿論お客も一人として来なかった。
雨がしとしとと降っていた。
まだ昼下がりだと言うのに外はもう真っ暗で今が夜明け
だと言ってもなんにも違和感がない。
外は雨の音以外何も聞こえてこない。
それほど静けさに包まれた日だった。
「りんか」
部屋の外からあかりの声がする。
何も応えないでいるとあかりが襖をたたいて入ってきた。
- 441 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:10
- 「今、さくらちゃんが最後のお別れだって」
その名前を聞いただけで懐かしい気持ちにさえなる。
「来てるの?」
佳林はうなずいて玄関に降りていこうとした。
「あ、ううん。さゆきが今更何しに来たって追い返したみたい」
佳林はそう聞いてもう一度座りなおす。
「いつ?」
「今、さっきだよ」
「じゃあちょっと出てくる」
さくらを追いかけるなんて自分でもちょっと信じられなかった。
- 442 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:12
- 急いで玄関に駆け下りて表へ出る。
左右を見渡してもさくらの馬車は見当たらない。
一瞬遅かったと思ったが、はるか遠くにさくらの後ろ姿が見えた。
「さくら」
さくらがゆっくりと歩いてるせいで佳林は簡単に追いつくことができた。
佳林が声をかけるとさくらは振り向いて弱々しく笑った。
「わざわざ追いかけてきてくれたの?うれしいな」
その顔はいつもの勝気なさくらの表情とは違った。
「北の国に行くの?」
「うん。明日ね」
応えるさくらの顔はとても幼くて、自分を無理やり連れ去った人物だとは
とても思えない。
「良かった。佳林ちゃんの顔が最後に見れて。じゃあね」
さくらはそう言って踵を返した。
- 443 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:13
- 「待って」
佳林はさくらを追いかけて言った。
「佳林ちゃんて不思議な人だね。あたしといて怖くないの?
あたしが佳林ちゃんに何したか分かってる?」
「そうだけど。私はさくらとの関係、このまま終わりにしたくないって思ってる」
「馬鹿なこと言わないでよね。佳林ちゃんあたしのことなんて
信用できないでしょ?何されるか分からない人だと思ってるでしょ」
さくらの言葉に佳林は首をふった。
「そんなことないよ。
さくらは私の目を見てちゃんと言うことを聞いてくれた。
由加ちゃんはさくらは優しい人だって言ってた。
本当はそうなんでしょ?」
「あたしが優しい?どっちにしたってもう遅いよ。
あたしは本当に佳林ちゃんにひどいことしちゃったから」
さくらはそのまま立ち去ろうとした。
- 444 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:14
- 「私達このままいがみ合ったまま終わるの?」
佳林はさくらの後ろ姿に向かって訴えた。
「私は友達になれると思ってた」
「無理だよ。今更友達なんて」
さくらは立ち止まって自嘲的に笑った。
「でもそこまで言ってくれるなら」
さくらは胸元に手をやった。
「今日は北の国に旅立つメンバーのパーティーがあるんだ。
これでお詫びになんかはならないけど」
そう言ってさくらは招待券を佳林に差し出した。
「分かった。必ず行くよ」
佳林は落ち込んださくらを元気づけるように言う。
- 445 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:16
- さくらはわずかに笑うとまた歩き始めた。
もうさくらには馬車の用意はしてもらえないのかもしれない。
「ねえ、さくら」
佳林はさくらの後ろ姿に話しかける。
「パーティーが終わったらもうお別れなの?」
「きっと。そうだね。佳林ちゃんにはもう会うことはないと思う」
さくらは再び歩き出す。
もう引き止めることはしなかった。
寂しげなさくらの様子を見ているとこれまで自分を追い詰めてきた
天敵には到底思えなかった。
復讐、とは言ってもさくらには強い口調で非難されたことも
なじられたこともない。
確かに逃げようとする佳林にはいつも執拗に追いかけてきた。
けどそれは自分を本気で相手にしてくれたということもでもある。
- 446 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:17
- 朋子にも半分見放されてしまった今、まともに相手をしてくれたのは
さくらだけだったことに気付く。
追いかけられてるうちが花だよと言ったあかりの言葉を
今やっと実感した。
脱走の前科がある佳林には本来私用の外出は許されなかったが、
今回は上客の送迎会ということでさくらのお別れパーティーに
出席することが特別に認められた。
店の管理をまかされている遣手婆もモーニング娘。の名前には
ひれ伏すしかなかったのだろう。
- 447 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:17
-
-----------------------------------------
- 448 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:18
- さくらときっちり仲直り出来たら何かが変わるかもしれない。
さくらとは貴族時代から追いかけたり逆に追われたりで
ずっと噛み合わないままだ。
朋子についてもそれは同じことなのかもしれない。
佳林は至極自然に生きてきたつもりだったが
結局のところ一番素直になれていないのは自分なのかもしれない。
さくらが最後に渡してくれた招待券を佳林は見つめる。
さくらに会ってきちんとお互いのわだかまりをとったら、
また店に戻って辛抱強く朋子を待とう。
ずっとふさぎこんでいた佳林だったが、
初めて自分からさくらに会いにいくことで
自分の中の悪い因縁を断つことができるように思えた。
- 449 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:20
- 夕刻になって佳林は店を出た。
薄暗い雲間に弱い褐色の太陽が埋まり日差しは
今にも消えかかっている。
いつもは美しい夕焼けと感じるのにその日は何故だか
生々しく恐ろしいものに見えてしまう。
さくらに会うのも今日が最後になるかもしれない。
今まで冷たくせざるを得なかった分さくらには少しでも
優しくしてあげたかった。
洋服は店のものを借りた。
欧州のゴシック風のもので白いブラウスに黒のレースが入った
袖口とスカートには豪華なフリルが入っていた。
さくらに会いにいくなんてこれが初めてだった。
そしてこれが最初で最後になるかもしれない。
さくらは反省してくれているみたいだったが、
さくらの佳林に対する怒りはもう収まったのだろうか。
それは長い年月をかけて溶かさなければいけないもののような気がする。
これでさくらからは逃げることが出来たとしても佳林には
おかしな罪悪感は残っている。
このまま全てが消化不良のままで果たして全てが霧が晴れるように
解決してくれるのだろうか。
佳林には確信が持てなかった。
- 450 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:23
-
今回の更新を終わります。
- 451 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/05(日) 21:24
- >>433
レスありがとうございます。ここの小田ちゃん好きなんて書いてて
本当に嬉しいお言葉!ありがとうございます。頑張ります(>_<)
- 452 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/06(月) 22:06
- ともこ早く来てくれ・・・
かりんちゃんが流されそうだよ・・・w
- 453 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 08:52
- パーティーは昔より貴族達の社交場として使われた古めかしい六角形の建物で行われていた。
すでに電気が明々とつき、案内係が会場に入る貴婦人が紳士に恭しく頭を下げている。
佳林は社交場への出席は慣れていたが遊女に堕とされてからは
このようなところへ来るのは初めてだ。
招待券を見せてようこそいらっしゃいましたと言われて
ほっとして中に入った。
さくらを探そうと左右を見渡した瞬間、緊張が走った。
目の前に立っていたのは「道重さゆみ」だった。
「ようこそ。モーニング娘。のパーティーへ」
さゆみは佳林を出迎えるように足を軽く折り曲げた。
- 454 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 08:54
- 純白のドレスに身を包んださゆみはまるで天使のような風貌と
どこかしら妖艶な雰囲気が漂っている。
さゆみの目をまっすぐに見つめているとそのまま
吸い込まれていきそうになる。
慌てて下を向くとドレスの切れ目からのぞく細くて
真っ白な太ももが見えてさらに目のやり場に困った。
「鞘師はもういないよ。昨日、もう旅立ったから」
佳林が人を探すように目をそらすとさゆみが言った。
里保はもういない。
そのことは里保からすでに聞いていたが、
そうなるとさゆみに自分がここにいることを怪しまれているかもしれない。
「あ、あの。私はさくらに招待されて」
咄嗟に言い訳するように言った。
「小田ちゃんから聞いてるよ。楽しんでいってね」
さゆみは佳林を安心させるようにそう言って手をふると背を向けた。
- 455 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 08:57
- 「あ、そうだ」
さゆみが途中でくるりと向き直る。
「小田ちゃんのこと。よろしくね」
今日で最後のお別れだというのにさゆみはそんなことを言う。
「小田さくらは何度も佳林ちゃんが進む道を邪魔してきたと思う。
でも許してあげてね。
本人も悪気があってそうしたわけじゃないから」
「分かってます。でも今日が最後ですから」
佳林がそう言うとさゆみは何も言わずにこりと笑うと
流れるように歩いていく。
その一連の動作の流麗さに佳林は見とれてしまっていた。
会場に来ている人間は誰も知らない人ばかりだった。
佳林が奥に進んでいくと少し薄暗くなった「競売会場」
という張り紙が貼ってある円形のドーム型の部屋にさくらはいた。
- 456 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 08:57
- 髪を後ろで結えてペルシャ絨毯のような赤と白と黒の
細かい模様の入った麻の服を着ていた。
少しつり上がった大きな目は異国の人を思わせる。
さくらは会うたびに印象ががらりと変わる。
それが恐怖を感じながらも抗いがたいほどさくらから感じる
強い魅力だった。
「さくら」
思い切って話しかけてみた。
「佳林ちゃん」
さくらは店の前で出会った時ほど悲壮感はなく、
何かをあきらめたようなさばさばとした表情だった。
「本当に来てくれたんだ」
「約束したからね」
佳林も薄く笑う。
まださくらと話すことに慣れていないと感じる。
- 457 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 08:58
- 「服、似合ってるよ」
さくらが小声で言った。
「え?」
「佳林ちゃんのその服とても可愛い。佳林ちゃんも可愛いけど」
「そうかな」
素直にありがとうとは言えなかった。
そうさせたのはさくらが悪いと思う。
でもさくらが褒めてくれるのは嬉しい。
「明日には旅立つの?」
「そうだよ。南の国もこれで見納め」
「もう帰ってこないの?」
「多分。モーニング娘。の南の国への遠征自体もう最後みたいだから」
またいつか会えるという言葉を期待したが、
さくらは佳林とはもう会わないと言い切ってしまってるみたいだった。
「寂しくなる」
佳林はつぶやくように言った。
- 458 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 08:59
- 「そんなことあるわけないよ。
明日にはあたしのことなんて忘れてきっと楽しくやってるよ。
佳林ちゃんは」
さくらは言った。
「だってそういう人だもん。佳林ちゃんは」
まるで責めるようにまっすぐにさくらは佳林を見つめてきた。
「そんなことないよ。私だって」
自分なりにさくらを許そうと努力してきた。
同時にそれはさくらに許されようとする努力でもある。
でもいつもさくらの執拗な復讐心に邪魔されてきた。
「冗談だよ。今更」
今度はさくらははにかんで笑った。
- 459 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:01
- さくらに従ってテーブルの上の食事をとった。
パーティーは立食形式で多くの老若男女が入り乱れて談笑している。
「佳林ちゃんは何が好きなの?」
さくらとテーブルに盛られた料理をとろうとしたときさくらが尋ねてきた。
「ます寿司が一番好きなんだけど。洋食にはないよね」
目の前にはローストビーフや生野菜や鳥の丸焼きなどが
所狭しの並べられている。
「いつか佳林ちゃんに料理作ってあげたいと思ってたけど
ます寿司じゃ難しいな」
一瞬冗談かと思ったがさくらがそのまま真面目な表情を変えなかった。
さくらはもう二度と南の国にはもどってこないはずだ。
- 460 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:03
- 「佳林ちゃん、変わった飲み物があるよ」
さくらが指差したワイングラスには泡を吹いている
紅色のいかにも甘そうな飲み物があった。
「大人の飲み物かな。あたし達には無理かも」
「さくら、知らないの?私は何度も飲んだことあるけど?」
さくらが怖がっている様子を見て逆に佳林は強気になった。
これは南の国ではあまり知られていないぶどうジュースというものに違いない。
「まあお子様にはまだ早いかもね」
佳林は自慢げに言うとグラスの液体を一気に飲み干した。
「げ」
佳林は顔をしかめてテーブルの上に手をついた。
予想していた甘い味では全くなく苦味と強烈な酸っぱさが
口に広がる。
- 461 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:04
- 「佳林ちゃん大丈夫?」
佳林は手をあげて触れてこようとするさくらを制止した。
「平気だって。私はこれでも高名な貴族だったんだからね。
西洋の嗜みぐらいは」
驚くさくらを横目に佳林はわざと余裕ありげに話す。。
もしかしてお酒が入っていたのではないかと佳林は思ったが
さくらに助けてもらおうとは思わない。
「それより、さくらは?何が好きなの?」
何事もなかったかのように佳林が問いただす。
「あたしは何といっても小龍包だよ」
さくらは明るい顔で即答した。
- 462 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:06
- 「ショウロンポウ?」
「これだよ」
さくらはステンレスの大きな皿を指差す。
そこには白い小さなお饅頭が所狭しの並べられている。
豪奢なシャンデリアの光に照らされてそれは真珠のように
輝いていた。
「本当はスープに浸してあるのが好きなんだけどね。
これは北の国でも食べられるんだ」
さくらは小龍包を一つとるとほおばりながら楽しそうに言った。
「佳林ちゃんも一つ食べてみてよ」
さくらに勧められるままに佳林も一つとる。
白い衣の柔らかさと中に詰まったぷりっとした肉の食感に驚いた。
こんなものは貴族時代にも食べたことがない。
「おいしい」
佳林が思わず言うとさくらもにっこりと笑ってくれた。
- 463 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:08
- こうやって見てみるとさくらは本当に友達のように見える。
佳林につきまとって邪魔ばかりしてきた存在にはとても見えなかった。
これで本当に仲直りが出来たのかもしれないと佳林は思う。
それから中央に広がる大きなホールに行くと軽快な音楽に合わせて
たくさんの人が入り乱れてワルツを踊っている。
自然とさくらと目が合って二人でダンスを踊った。
社交界の場でダンスなんていつぶりだろう。
佳林は貴族時代が懐かしくなった。
そしてさくらと一緒に踊っていることがすごく新鮮だった。
でも体を動かしたせいか先ほどの飲み物のせいか
頭がぼうっとしてくる。
「佳林ちゃん、眠いの?」
「そんなことないけど」
「少し休んだほうがいいよ」
さくらに促されるまま佳林はメインホールから離れて
先程さくらがいた競売場に近づいていった。
- 464 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:10
- 「さくら、大丈夫だから」
そう言ってもさくらは佳林の両肩をつかんで無理やり引っ張っていく。
その強引さに佳林は少しずつ恐怖を感じ始めた。
さくらは競売場の隣にある小部屋のドアを開いた。
部屋の中には動物が入るような小さな檻のようなものが置かれている。
佳林は急に檻の前に突き飛ばされた。
「痛っ。さくら、何するの?」
床に手をついてさくらを振り返る。
でもさくらはいっこうに悪びれる様子もなく佳林を見つめている。
周りには数人の男達が待機していた。
「この子、オークションに出品する商品だから。
傷がつかないように閉じ込めといて」
さくらが怪しく笑う。
- 465 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:12
- 「オークション?何のこと?」
動揺する佳林をよそに男達が佳林につかみかかった。
「さくら、助けて」
佳林は叫んだがさくらは止めようともしない。
にやりと笑って男達によって佳林が取り押さえられるのをただ見ていた。
佳林の手足を無理やりつかむと檻の中に強引に押し込む。
「さくら、私を騙したの?」
佳林は信じられなかった。
今日こそは本当にさくらと分かり合えると思っていた。
「お人好しな佳林ちゃん。こんなとこまでのこのこついてくるなんてさ」
さくらは佳林をあざ笑うように言った。
「信じてたのに」
佳林は檻の中から恨めしそうに言った。
「だから言ったでしょ。
地の果てまで追いかけて復讐してやるって」
悪魔のようなさくらの表情は完全に元に戻っていた。
- 466 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:13
- 「でも安心して。このオークションで佳林ちゃんの借金は完全に返済出来るよ。
何たって貴族の令嬢がそのまま売りに出されてるんだからね」
売りに出される。
その言葉を聞いて恐怖のあまり身が縮こまった。
「出して。ここから出して!」
檻の中から佳林は限界いっぱいまで叫んだ。
「ちゃんと買い手がついたら出してあげるよ。佳林様」
ふんと笑うとさくらは檻に黒い布がかけた。
もう泣いても叫んでも絶望に変わりなかった。
「楽しみだね。誰が佳林ちゃんの次の持ち主になるか」
さくらがいたずらっ子のように笑った。
最初からさくらの罠だったのだ。
少しでもさくらを信じようとした自分が馬鹿だった。
そう思っても全ては時すでに遅しだった。
もう里保もいない。朋子もいない。
佳林を助けてくれる人は誰もいなかった。
- 467 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:14
-
---------------------------------
- 468 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:15
- 虹の光を模造したような七色の人工的な光が佳林を包む。
佳林は檻の中に入れられたまままるで動物の競りにでも
かけられるようにステージの上にさらされた。
ステージは見世物のように部屋の真ん中に置かれていて、
真っ暗な場内を怪しいアイマスクをかけた無数の男女が蠢いている。
人々の関心の先は勿論囚われのあわれな少女だった。
好奇な視線が佳林をじっくりととらえる。
あちこちから聞こえる感嘆の声は佳林にとって
屈辱以外の何物でもなかった。
−競り落せば貴族の令嬢がそのまま買える。
−まだうら若き乙女をご堪能あれ。
場内を流れる卑猥な言葉が佳林を包む。
- 469 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:17
- 由加の店で恵まれて何とか保ってきた佳林の貴族としてのプライドが
再びずたずたに切り裂かれるのを感じた。
佳林はあふれてこようとする涙を必死に押さえた。
さくらの狙いは佳林の誇り高き貴族としての矜持を
完全に打ち砕くことだ。
ここで負けたらそれこそ完全にさくらの思う壺になってしまう。
−さあいくらで張る。こんな機会はめったにないぞ。
客の間から次々に手が上がって佳林の値段が告げられていく。
「うう。誰か助けて」
佳林は息も絶え絶えに周囲を見渡す。
あたりには顔を隠した素性のしれない男女が今にも佳林を
我が物にしようと手を伸ばしてきた。
- 470 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:19
-
さくらは、次々に上がっていく佳林の値段を表情一つ変えずに
じっと見ていた。
その様子は草むらの間から獲物を見据える阿弗利加の肉食動物に似ていた。
そのとき、さくらの手はず通り道重さゆみがモーニング娘。専用の
競売場の特別室に入ってきた。
続いてモーニング娘。の先輩である譜久村聖、飯窪春菜が入ってきて
さくらは慌ててお辞儀をする。
聖と春菜までさゆみについて来たことはさくらにとって計算外だった。
「どう?小田ちゃん、私の出品した物は売れてるかな」
さゆみは自身が出品したモーニング娘。のポラロイドの写真や
レコードの売れ行きを見に来ていた。
しかし値がつけられているのは中央のステージで回されてる宮本佳林だった。
「人が。人間が売りに出されてる」
春菜が悲痛な声をもらした。
- 471 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:20
- 「こんなこと、すぐにやめさせます」
聖もそう言ってすぐにその場を立ち去ろうとする。
「譜久村さん、待ってください。
南の国では人が売られるのは当たり前のことなんです」
さくらが聖を引き止める。
「この国では借金で娘を売ることはよくあること。
それは貴族だって例外じゃありません。
南の国の人間はそうやって生きてきたんです」
南の国出身であるさくらは身振り手振りを加えて
わざと真実味をあふれるように語った。
「でも」
春菜はまだ心配そうに佳林を見ていた。
宮本佳林を直接知っているわけではなく、人が売られていること
自体に痛みを感じるのだろうとさくらは思った。
- 472 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:22
- 「道重さん、お願いがあるんです」
さくらはあえて必死な形相を作って言った。
さゆみだけが先程から表情一つ変えずにステージの様子を見ている。
「このままじゃ、あの子、佳林ちゃんは誰かに買われてしまうんです」
さくらは沈痛な気持ちを表すように言った。
「あたし、どうしてもあの子が欲しい」
さくらは躊躇せずに舞台上の佳林を指差した。
- 473 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:22
-
今回の更新を終わります。
- 474 名前:名無飼育さん 投稿日:2015/04/12(日) 09:24
-
>>452
レスありがとうございます。流されやすい佳林ちゃんかもしれませんが
もうしばらくは踏ん張ってもらいたいと思ってます!
ログ一覧へ
Converted by dat2html.pl v0.2