怪盗ピーチッチ対名探偵アイリーン 3
1 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:44
「お、もーいっ!」

傘の柄を首に挟んで、道の真ん中で大声でわめく。
その両手には華奢な身体の半分はありそうな大きな買い物袋。
いったん休憩したいのはやまやまだけど、袋の中身は食料品。しかも雨。
地べたに下ろすわけにもいかない。
せめて楽な体勢を見つけようと一生懸命身をよじっていると、傘をひょいと抜き取られた。

「やっほー、なにくねくねしてんの?」

振り向いた先には傘を二刀流に持った屈託ない笑顔の矢島舞美。
やっほー、救世主。鈴木愛理は心から神さまに感謝した。
2 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:45

怪盗ピーチッチ対名探偵アイリーン


第三話 「呪われたピーチッチ? 真夏の夜の胸さわぎ」
3 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:47
「それにしてもすっごい荷物だねコレ」

右手に傘、左手に買い物袋の半分を持った舞美がその中身を覗き込む。
左手に傘、右手に買い物袋の半分を持った愛理がふてくされたように呟く。

「桃だよ」

夏休みの宿題を図書館で片付けていた帰り、愛理は商店街で嗣永桃子に出会った。
雨の降りしきる中、巨大な買い物袋を担いだまま道のど真ん中で往生している。
聞くと、居候しているカフェ「しすたぁ」のおつかいを頼まれたらしい。
宿題がはかどって気分がよかった。何よりほかならぬ友達の頼みだ。
「手伝って」というお願いを断る理由はなかった。愛理はそう語る。

ちなみに当の桃子は「他にも買うものがあるから先に行ってて」と
愛理に荷物を預けたっきり、今現在も行方不明だ。
簡単に言えば、逃げた、のだ。

「軽い気持ちで『いいよ』って言った私がバカだったわ」

桃はそういう子なのだ。長い付き合いの中でしっかりわかっていた筈なのに。
怒りを通り越してすっかり諦めモードの愛理に、舞美がケラケラと笑う。
震える肩に合わせて制服のスカーフがふわふわと揺れている。
4 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:49
「てか舞美ちゃん、何で制服なの? 雨なのに部活?」
「ううん、追試。こないだの期末、英語ボロボロでさ」
「えっ、みんなで答え合わせした時、結構よくなかったっけ?」
「それがねえ、わかんない問題飛ばしたの忘れててさ、
 ガーッて書いちゃったら解答欄全部ずれてんの。あははー」

残念な様子を微塵も見せず、声高らかに笑う舞美。
空元気? 気丈を装う? 顔で笑って心で泣いて? 否。何も考えていないのだ。
愛理は深いため息をついた。

「ん? どした?」
「……いや、私の周りってなんでこう変な子が多いのかなあって」
「えー、今どき怪盗と争う探偵なんかやってる愛理がいちばん変だよー」

舞美の言葉に愛理は複雑な表情をする。
――そう言われちゃうと身も蓋もないんだけど。
5 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:50
桃子が居候しているカフェ「しすたぁ」は街いちばんの商店街の
路地裏の裏の裏にある小さな小さなお店だ。
ピンクを基調とした、というよりは外観もピンク、内装もピンク、
あっちもピンク、こっちもピンクのある意味アグレッシブなカフェで
その前向きさが功を奏してか、地味な立地の割に噂を聞きつけた客で
そこそこやっていけているらしい。

「きゃー、アイリーンちゃんに舞美ちゃんじゃない。いらっしゃーい」

ドアの隙間から顔を覗かせた二人に気づいてせわしげにかけてきたのは
年下の桃子を差し置き「さゆみこそここの看板娘なの」と言い張る「しすたぁ」の
店長、道重さゆみ。譲り受けたカフェを全面桃色に染めた張本人である。
さゆみは買い物袋を受け取ると、桃ちゃんまたやったのねと訳知り顔で笑ってみせた。
二人もつられて苦笑する。

「よし! お礼にさゆみ、おいしい紅茶入れてあげちゃう! 座って座って」

そう言いながら半そでワンピースを無理やり腕まくりするさゆみに促され、
舞美と愛理はいつもの窓際の席に腰を下ろした。
やっとひと息。愛理は糸が切れたみたいにテーブルにクネクネと崩れ落ち、
舞美は薄っぺらの通学鞄を足元にどかっと下ろして「あー」と声を漏らす。
6 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:51
「そういや愛理、宿題してたんでしょ? カバンは?」
「んー、桃が持ってる。『手伝ってもらって悪いからぁ、持ってあげるぅ』って」
「なるほど。まず逃げられなくしたわけね、さすが」

そう呟いてしばらく人差し指で唇をなでていた舞美だったが、いきなり目をキラキラさせたかと思うと
「いいこと思いついた!」とくたびれきって突っ伏していた愛理をたたき起こした。

「桃をさ、アイリーンの助手にするってどう?」
「ええええ? なによ急に」
「ほらあの子機転が利くし、部活もやってないし」
「ちょっとー、部活感覚? 私は真剣なんだから――」
「なぁに勝手なこと言ってん、の」

独特の声色と「の」のタイミングで二人の間にどさっと置かれた愛理のカバン。
カバンに添えられた白い腕をたどった先には、噂の主、嗣永桃子が立っていた。
気づいた愛理がビシッと指を差す。

「ちょっと桃! いままで――」
「あっ! ありがとね愛理。ほーんと助かっちゃったぁ。はぁい、お礼の紅茶」

目の前に突き出された愛理の手を両手でガシッとつかんでブンブン振り回したあと
有無を言わさずかぐわしい香り漂うカップを二人の前に差し出す桃子。
すっかり勢いをそがれた。
しばらく何か言いたげに口をもごもごさせていた愛理だったが、
もはや観念したのかおとなしく淹れたて紅茶に口をつけた。桃子がうふふと笑う。
7 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:52
「てかさ桃、本気でどう? アイリーンの助手」

自分の名案が諦めきれないらしく舞美が今度は桃子に話を振る。
桃子はちゃっかり自分用にも淹れてもらった紅茶を一口すすった後、
面倒くさそうに口を開いた。

「やぁよ。ももは誰かさんみたいに泥棒さんのおしりばっかり追っかけるほど暇じゃないんですー」
「なんですってぇ? 悪いやつを捕まえるのは当然のことでしょ。それに泥棒に『さん』は無し!」
「まあまあまあ、二人とも。それよりさ、それよりさ」

自分が話を振ったのも忘れて、舞美がにらみ合う二人の間に割り込むように身を乗り出す。

「来るんでしょ? ピーチッチ」
8 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:53


次の日曜、夜12時
『胸さわぎスカーレット』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
9 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:54
胸さわぎスカーレット展示予定の美術館に予告状が届いたのは今から1週間ほど前のこと。
前回の『21時までのシンデレラ』の時とは違い、犯行日時までに余裕があったせいか
予告状のことがマスコミにかぎつけられてしまったようだ。
タブロイド紙をはじめ、テレビや全国紙でまで毎日のようにアイリーンのことが
取り上げられるのに愛理はいい加減辟易していた。
ある雑誌で「希代の困り顔」なんて称されていた顔が最近よりいっそう困っている。

「もう。私じゃなくてピーチッチを追いかけなさいってのに」
「ははは。いいじゃないか、平和で」

ため息交じりの愛理の肩を舞美がバシバシたたく。
桃子はまったくそ知らぬ顔で、窓を流れる雨を眺めながらのんびりと紅茶を飲んでいる。

「日曜日ってことは…金、土、あー、あさってか。もうすぐじゃん」
「そ、だから宿題早めに終わらせとこうと思って。明日も夜には実物見せてもらいに行く予定だし」
「美術館に?」

そっぽを向いていた桃子が不意に尋ねる。
10 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:56
「ううん、明日はまだ鉱物研究所の方」
「研究所って、あの、学校の近くの? なんでまた」
「もともと美術品として日本に持ち込んだんじゃないの。いわくつきらしいから。
 展示はあくまでついで」
「えっ。なになに、いわくって」

紅茶を飲み干した舞美が興味津々に愛理の顔を覗き込む。
愛理もカップをちびりとやってから、顔を近づけて少しだけ声を落とす。

「なんかあれ、呪いの宝石なんだって」

その瞬間、桃子のすっとんきょうな声が「しすたぁ」に響いた。

「ええっ!? 呪い!?」
11 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:58
「そう。これが呪いの宝石『胸さわぎスカーレット』正式には――え、と」

――なんか無理やり着せられてるみたい。
視線の先では大きな白衣をまとった後ろ姿が、資料を必死でめくっている。

「あった。ええと、ヘッ、トズ、ピ…」
「レッドスピネルですね」
「あっ、せいかーい。さすが名探偵、頭いいねえ。なっちびっくりだよ」

そう言ってなつみは幾分背の高い愛理にこぼれるような笑顔を向けた。
かわいい。確かにかわいい。
かわいいんだけど、ほんとにこの人を博士って呼んで大丈夫なんだろうか。
自らを「なっち」と呼ぶ愛くるしい鉱物博士は愛理の心配をよそに
呪いの宝石の説明を続ける。
12 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 06:59

『胸さわぎスカーレット』正式名はレッドスピネル。
血のような赤色が印象的な、ルビーによく似た宝石で、
これだけの大きさのものはむしろルビーよりも希少価値が高く
時価数億円とも言われている。
古くはある王朝の皇帝の王冠に掲げられていたらしいが
滅亡と略奪を繰り返した挙句に流れ流れて、現在も持ち主を転々としている、とのこと。

「あ、やっぱりほんとなんですか? 呪い」
「うーん。いろいろ噂はあるみたいね。持ち主が死んじゃったとか頭がナナメとか
 背伸びをしてるわけじゃないのに胸が痛いとかこんなに苦しいのが初恋ですかとか」

なつみは資料をパタンと閉じると、強化ガラスに守られた
『胸さわぎスカーレット』を慎重に取り出し愛理の前に差し出した。
キラキラ輝く赤色に愛理は目を奪われる。「うわぁ」と思わずため息。
ハート型に整えられた可愛らしいカットはそのままハートシェイプカットと呼ぶらしい。
光の筋が表面で散らされて波打つさまは、まるで本物の心臓みたいだ。
きれいだけど、なんとなく苦しい感じ。確かにちょっと、胸さわぎ、かもしれない。
13 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:01
「……ほんとだった」

イヤホンから流れる会話に、ピーチッチはいっきに顔色を失う。
情けない呟きに、さゆみはすっかり呆れ顔だ。

「ちゃんとよく調べてから予告状出せばよかったのに」
「だってぇ、夏休みの計画は早めに立てろって。それに」
「それに?」
「ハートかわいかったんだもん。つい、勢いで」
「あーわかる。かわいいのはね、しょうがないよね」

明かりの落とされた閉店後の「しすたぁ」に残された二つの影。
カウンター席にちょこんと腰掛けたピーチッチは文字通り頭を抱え、
カウンターの向こうではさゆみがお皿を拭きながらその様子を眺めている。
昨日散々降り続いた雨も今朝にはすっかり鳴りを潜め、夏らしい1日が戻ってきた。
エコにご執心の店長の方針で閉店後は冷房を切っているため
店内は決して寒いはずはないのだけど、世間を騒がす少女怪盗の顔はみごとに青白い。
14 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:02
「で、どうするの? アイリーンちゃん、はりきって待ってるよ」
「むぅ、逃げたって思われるのも悔しいし、でも呪われるのもやだし……
 だいたいなんか調子悪いんですよ、ほら」

ピーチッチは自分の耳からイヤホンを抜き取り、さゆみの耳に押し込む。
雑音の隙間からかろうじて聞こえていた愛理の会話はもうすっかり聞こえない。
流れるのはザラザラしたノイズ音だけ。

「ね、昨日の夜つけたばっかりですよ。それにこっちも」

ピーチッチはそう言ってイヤホンに繋がった小さな機械のダイヤルを回した。
一瞬だけプツッと音が途切れたが、結局はさっきよりもひどいノイズが聞こえるだけだ。

「これは美術館。ずっと前からつけてたやつなんですけど、最近急にダメになって。
 昨日愛理に荷物預けてる間に取り替えてきたばかりなのに、またおかしいし」

イヤホンを再度自分の耳につけてピーチッチは首をかしげる。
手元の機械をいろいろいじってはみるが、やっぱり結果は一緒だった。

「もう呪われてたりして」
「やぁめてくださいよぅ」

さゆみの冷やかしに、ピーチッチの顔がすっかりそこらの中学生のそれに戻る。
桃子はなにやら泣き言を呟きながら、カウンターにぐったりと突っ伏した。
15 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:03


「いよいよね、愛理ちゃん」
「いよいよですね、石川さん」

ついに迎えた決戦の日。
美術館の特別室、石川警視と愛理が同じように腕を組んで
運び込まれてきた『胸さわぎスカーレット』を見下ろしていた。
展示用のライトに照らされたその姿は昨日見た時よりも一層輝きを増している。
毒気に当てられたような雰囲気に、搬入を終えたなつみが自慢げに声を上げた。

「すごいでしょー。これだけのヘットズピカル、珍しいんだから」
「レッドスピネルですね」

愛理はつっこみもそこそこに、特別室を事細かに調べ始めた。
絨毯をめくり、壁をたたき、通気口を覗き込む。
目をらんらんとさせて動き回る愛理に、石川がポツリと呟いた。

「愛理ちゃん、なんか生き生きしてるね」
「石川さんはなんか顔色変ですよ」
16 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:05
神出鬼没のピーチッチを捕まえるのは彼女が犯行を行うときしかない。
つまりこれはチャンスなのだ。それは石川警視もわかっているはず。
なのに、微笑みさえ浮かべそうな愛理に対し、石川の表情は沈痛そのものだ。
様子のおかしい石川の背中を、なつみがぽんぽんとたたく。

「そりゃそうだよねー。梨華ちゃん、今度下手したら、びゆうで――」
「安倍さん! 搬入終わったなら後はあたし達に任せて! ほら、危ないですから!」

禁句を口にしようとするなつみを石川が慌ててさえぎった。
部屋から追い出そうとする石川になつみも「わかったわかった」と言いながら
しぶしぶ関係者通用口に続く強化ガラス製の扉へ向かう。
来館者の目を気にしての処置だろう。奥まった扉には薄手のロールカーテンが
目隠しとしてかけられていて、なつみは暖簾みたいにそれをくぐって扉の向こうへ消えた。
が、すぐにまた扉の開く音がしてカーテンの陰から顔を覗かせると、

「アイリーンちゃん、がんばってねー」

ひらひら手を振るなつみに愛理も軽く会釈を返した。
なつみが内情に詳しいのは、石川の上司がなつみと腐れ縁の付き合いだかららしい。
カーテン越しにぼんやりと映るなつみの後姿がスキップでもしそうな勢いで
去っていくのを石川はしばらく泣きそうな顔で見つめていた。
17 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:06
――今回、いつもより人数多い気がするなぁ。

闇の中そびえ立つビルの屋上で、ピーチッチは隣の美術館を見下ろしていた。
美術館の前にはマスコミを追い返す警官や美術館の警備スタッフが入り乱れている。
数が増えると、逆に警備体制は危なくなる。赤の他人が入り込みやすくなるからだ。
アイリーンがわかってないはずはない。どうせあせった石川警視の提案だろう。

――石川さんったら、ほんっと憎めない人。

ピーチッチはクスクス笑いながら、騒がしい美術館へと移動を始めた。
18 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:09
突然音もなく、特別室が闇に包まれる。

――きた!

「早く! 予備電源を!」

石川の鋭い声が響く。
今回はやたら警備の人数が多い。
暗闇の中立ちすくむ愛理のまわりでも数人がバタバタと駆け回る。

――ああ、もう! やっぱり、他の気配がわからないじゃない!

だから単純に警備を増やすのは反対だって言ったのに。
愛理は全神経を集中させて、周囲をうかがう。ふと目の端に明かりが映る。
予備電源? いや、違う。通用口の方は電気が落ちてないんだ。
そのとき、ほんの一瞬だけ明かりがはっきりしたかと思うと、
扉の動く音が愛理の耳に届いた。

――誰か外に出た? ……まさか!

「石川さん! 『胸さわぎスカーレット』お願いします!」

石川にそう言い残した愛理は、右往左往する人波をかき分けて
どうにかこうにか件の扉の前に立った。うっすらと抜ける明かりの下には
確かに人の気配がある。
観念なさい、ピーチッチ!
愛理はカーテンを勢いよく持ち上げるとガラス戸から飛び出す。
走るのは正直苦手。でも、追いかけるしかない。
しかし地面を蹴りながら眺めた廊下の先には、想像していたような走り去る後姿はなく
その代わりに美術館の警備スタッフがダストシュートに背中を預けてうなだれていた。
19 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:10
「ど、どうしました?」

愛理が慌てて駆け寄る。と、ふと地味な制服に似つかわしくない
鮮やかな色が愛理の目を奪った。一瞬動きが止まる。

血だ。こめかみ辺りから赤く細い筋が頬まで流れている。

「ひゃあっ!」「ひゃあっ!」

愛理の叫び声にかぶさって、甲高い声が背後から上がった。
振り向くと、血相を変えた石川が転びそうになりながら
絨毯敷きの廊下をかけて来るのが見える。
ぶつかりそうな勢いで愛理の元に駆け寄ると、同じように血相を変えている
名探偵の肩を掴んでぐらぐらと揺らした。

「愛理ちゃん! ない! む、胸スカが、ない!」
「石川さん! さ、さつ、殺人! 殺人事件!」

頭をがんがん揺らされながら、愛理も負けじと叫ぶ。
しばらくパニックに陥っていた二人だったが、2、3度の深呼吸ののち
一足先に落ち着いた石川がぐったりした警備員の様子を窺った。
石川が肩に触れたとたん、苦しそうな声が喉元から漏れゆっくりとその目が開かれた。
よかった生きてる。
だが安心感もつかの間、石川が厳しい顔で警備員に詰め寄った。

「誰にやられたんです!?」

警備員は青ざめた顔のまま、外への扉をすっと指差した。
それを見た愛理が石川のスーツの袖をしっかりとつかむ。
まさか、まさか。

「ピーチッチに……」
「ええええ!?」
20 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:11
「とうとう実力行使に出たわねピーチッチ! 絶対許さないんだから!」

医務室へ連れて行かれる警備員を見送りながら、石川がこぶしを振り上げた。
マイプリンの恨みがなんとかかんとかと、小さな声で呟いている。
その隣で愛理は複雑な顔で押し黙ったままだ。

ピーチッチが? ピーチッチに? 
正直実感がわかない。何かが違う。
何度もピーチッチと対峙してきた名探偵の勘がそう訴える。
でもいくら甘い石川警視でも、単なる勘で動いてくれるとは
愛理も思っていない。なにか、とっかかりを。

「石川さんお願い。あの警備員さんの話、詳しく聞かせて」
21 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:12
警備員のケガはそれほどひどくはなかったようだ。
今は医務室で安静にしているらしい。あまり急に押しかけるのはよくないということで
部下が取ってきてくれた証言を石川に読んでもらうことにした。
美術館の警備員待機室を借りて、机を挟んで愛理と石川が差し向かいに座る。
こほんと咳払いをした後、石川が調書を読み上げ始めた。

「えーまずは、通用口付近の見回りしてるときに特別室が騒がしいことに気づいて、
 あ、電気が切られたときね。それで、慌ててあの現場の廊下へ行ってみると
 ピーチッチに出くわした、と」
「えっ? ピーチッチの顔見たんですか?」

愛理が目を丸くする。

「ああ、いや。顔を見る前にガツンとやられちゃったみたい。えーと、ちょっと戻るけど
 あの廊下に着いたら特別室の電気が消えていて、こりゃおかしいと思った警備員さんが
 中を窺うと、逃げ出そうと向かってくるピーチッチの影が見えて」
「影?」
「そう。あそこガラス張りの扉だったでしょ、カーテンのかかった。だから見えたみたい」
「でもそれがピーチッチだなんてわからなくないですか? 影だけなんだし」
「あ、それはその後になるんだけど。で、飛び出してきた影にいきなりガツンとやられて
 あの場に倒れて、そのとき走り去る後姿を見ると、小さな女の子で、しかも手に
 胸スカを持っていた」
「ああ、なるほど。それで『ピーチッチだ』と」
「そ。でそのまま気を失って、愛理ちゃんに発見された、だって」
22 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:14
石川が調書をパタンと閉じて愛理の顔を窺った。
沈思黙考。愛理は頬杖をついたまま眉間に皺をきざんている。 
警備員が見たのはピーチッチの影と後姿だけ。別人という可能性がないこともない。
実際にあの少女怪盗を間近で見たことがある人なんていないのだ。とはいえ
状況や届いていた予告状から考えてピーチッチと考えるのがいちばん妥当だろう。

――やっぱりピーチッチが犯人……?
愛理は机に身体を預けて、窓の方を覗き見た。
外の様子は見えないが、おそらくピーチッチ包囲網が張り巡らされている最中なんだろう。
すでに次の日になって数時間経っている。すっかりくたびれた感じの愛理の顔が黒い鏡になった
窓ガラスに映りこんでいる。クマがひどい。正直、夏休みでよかった。



あ。

愛理がふと弾かれたように身体を起こす。
沈んでいた表情が一転、生き生きとした明るいものに変貌する。

「石川さん! やっぱり犯人はピーチッチじゃない!」

勢いよく立ち上がった愛理は石川の腕をつかむと、まっしぐらにかけていった。
23 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:15
「ちょ、ちょっと待って愛理ちゃん。犯人じゃないってどういうこと?」
「どういうことって、そういうことです。あの警備員さん、嘘ついてるんです」

やって来たのは警備員がピーチッチに殴られたという現場。
このあたりの現場検証はほとんど終わったのか、もう捜査員は特別室の中に数えるほどしかいない。
状況が把握できない石川はなにやら自信満々な愛理を不思議そうに眺めるばかりだ。

「嘘って?」
「もう、石川さん質問ばっかり。今から説明しますから」

愛理はそう言って石川の視線を特別室へと促した。

「あの警備員さんは見回り中に特別室の異変に気づき、ガラス越しに
 室内から逃げ出そうとするピーチッチの影を見た、と言ってました」

石川の頭にここを去るなつみの後姿が思い出される。
薄らぼんやりではあるが、扉を挟んで向こう側の様子はわからないことはない。
実際、今も特別室の中の捜査員の動きは見える。

「確かにここから中の様子はカーテン越しでおぼろげではありますがわかります。でも」

愛理が頭上を仰ぎ、蛍光灯を指差す。
24 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:16
「事件があったとき、こちらの電気はついていましたが、室内は真っ暗でした。
 ええと、夜に自分の部屋の窓から外を眺めたときを想像して下さい」

愛理はそう言って特別室の電気を消してもらう。
ガラス戸には鏡に映したように愛理と石川警視の姿がきれいに浮かび上がった。

「さらにあのカーテンにこっちの明かりが反射しちゃって、中なんて見えるはずないんです。
 警備員さん、いったい何を見たんでしょうか」

しばしの沈黙。
腕組みをして愛理の上で目線を泳がせていた石川だったが、突然ぽんと膝を打つと
あの警備員が眠っているはずの医務室へと走り去って行った。
25 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:17
よし、あっちは石川さんに任せておけば大丈夫だろう。
あとは肝心の『胸さわぎスカーレット』の場所だけ。
いま胸スカはそれこそ持ってけドロボー状態だ。ピーチッチが狙わないはずがない。
考えろアイリーン。自分ならどこに隠す?

自分のポケットに入れておく。
これはない。医務室行きも計画のうちだろう。検査なんかでうっかり見つかったら水の泡だ。
外に投げ捨てる。
これもない。愛理が向かうまで多少の時間はあったが、あの廊下を往復するのは無理だ。
通用口から仲間に渡す。
これも同じ理由で無理。走り去る人影もなかった。
と、なると。

「すいません! このダストシュート、どこに繋がってます!?」
26 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:18
――ああ、もう。ひっどい目にあった。

美術館裏手のごみ集積場。
そのそばの使われていないダストシュートの出口の前で、ピーチッチは
ぶつぶつと文句をこぼしていた。

今回は「別に盗ろうと思えば盗れるんだけど、今日はあんまり乗り気じゃないの」
みたいな手紙をアイリーンの目の前にでも落として手を引くつもりだった。
それなのに、天井裏に忍び込んで手紙を落とすタイミングをうかがってたら、
急に特別室の電気が落ちて、警備員の一人が胸スカを持って部屋から逃げて、
で、ダストシュートに胸スカを放り込んだと思ったらいきなり自分で頭殴って倒れて、
そしたらアイリーンが飛び出してきて石川さんもやって来て誰にやられたって聞いて、
なんて答えるのかと思ったら、なんとまあ。

――だいたいピーチッチを出し抜こうなんて百億万年早いわよ!
27 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:19
万能バッグから開錠セットを取り出して、ダストシュートの鍵を開ける。
金属製のふたを持ち上げて中を覗くと確かに『胸さわぎスカーレット』が
ハート型の怪しい輝きを放っている。
あー、やっぱりかわいいかも。
しばらくぼんやりと見とれていたピーチッチだったが、慌ててふるふると首を振ると
用意していた手紙を胸スカの隣に置こうとした。
が、ふと思い直すと万能バッグから小さな機械を取り出して、ちょこちょことキーを押す。

――まぁ、今回はアイリーンに感謝、ね。

機械の背後からピンク色の紙に書かれた新たな手紙が吐き出される。
ピーチッチはそれをダストシュートに放り込むともう一度ふたを閉めてようやく一息ついた。
よし、とりあえずこれで面目は保てた。
28 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:20
美術館の盗聴器はこの使われていないダストシュートの入り口に仕掛けてあった。
おそらくあの警備員に扮した泥棒は何度も練習をしていたんだろう。
そのたびに仕掛けた盗聴器は入り口の重いふたに押しつぶされて使えなくなっていた。
そういうことだ、うん。

そう自分に言い聞かせる。
おかしいのはわかってる。回収した盗聴器はそういう壊れ方はしていなかったし、
なにより鉱物研究所の方に仕掛けた盗聴器が使えなくなった理由は?

今までなんともなかった機械がこんなに一斉におかしくなることなんてあるんだろうか。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
どっちとも言えないけれど、深くは考えないことにした。もう忘れよう。
だって怖いから。

――早く帰って、道重さんに塩まいてもらおう。

ピーチッチはブルブルと身体を震わせると、そそくさと夜の闇へ消えていった。
29 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:22
「あったあ!」

そのほんの数分後。愛理はごみ集積場のそばで『胸スカ』を高々と掲げていた。
推理は見事的中。どさくさでピーチッチは捕まえられなかったけど、
真犯人は見つけたし、宝石も盗られなかったし、これなら及第点だ。
と、少し浮かれ調子の名探偵の足元にひらひらと一枚の紙片が舞い落ちる。
かわいらしい桃色の紙を拾い上げ、目を通す。
とたんに愛理の薄い肩がわなわなと震え出した。


シンアイナル アイリーン ヘ
ハンニンタイホ ゴクロウサマ コンカイハ ヒキワケッテコトニ シテアゲル
ナノデ 『ムナサワギスカーレット』ハ オカエシイタシマスネ

                  カイトウ ピーチッチ


「なんとなーく……悔しいいいいいいいいいいいい!」
30 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:23


「つまり、ピーチッチに便乗しようとした泥棒が失敗したって訳ね」

あの警備員に扮した泥棒は、医務室の窓から逃げようとしているところを
駆けつけた石川警視に取り押さえられたらしい。
また追試でもあったのか、今日も制服姿の舞美が持参の新聞に顔を突っ込んで
そう説明する。桃子がテーブルを拭く手を休め、その新聞を横から覗き込んだ。

「まぁ、よかったんじゃないの? ほらぁ、盗られはしなかったんだし」
「よくないわよ、まったく」

愛理はさゆみおすすめの新作「スペシャルブリリアントプリティパフェ」を待ちながら、
ふてくされた顔で目の前の新聞をにらみつけた。
新聞の見出しには『ピーチッチ対アイリーン、今回は引き分け』と書かれているのが見える。
けど愛理は知っている。舞美の手に隠れているが、その後に?マークがついていることを。
あのピーチッチの手紙がマスコミに漏れたのだ。
31 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:24
「結局さ」

舞美が突然新聞から顔を離した。

「愛理は最初からピーチッチを疑ってなかったってことでしょ? なんで?」
「……うーん、ピーチッチは、なんていうか、確かに人のものを盗む悪いやつだけど」

愛理はいったん言葉を切って、指先で前髪を分ける。
舞美が、そして桃子が気のないふりで続きを待つ。

「人を殴ってケガさせたりさ、ああいうひどいことはしないよ」
「おおおお! なんかいいね! 認め合うライバルって感じ!」
「そういうんじゃなーい! ピーチッチが泥棒なのに変わりはないんだから!」

そんなやり取りを背中で聞きながら桃子が出来上がったパフェを取りに向かうと、
カウンター向こうでさゆみがニヤニヤした顔で見つめているのに気づいた。
桃子は慌ててほころんでいた口元をへの字に返す。

「い、いい加減諦めりゃいいのに。ほんっとアイリーンって変な子!」
「ふふふ。今どき探偵と争う怪盗なんかやってる桃ちゃんがいちばん変なの」

さゆみの言葉に桃子は複雑な表情をする。
――そう言われちゃうと身も蓋もないんだけど。

ピーチッチはお礼代わりにアイリーンのパフェにパイナップルを一切れおまけすると、
いつもの桃子の顔に戻って二人の親友の元へときびすを返した。
32 名前:_ 投稿日:2007/09/17(月) 07:25

おわり
33 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/17(月) 08:28
ついにこの日がきましたか
ずっと待っていました
次回予告をアイリーンよりも楽しみに待っています
34 名前:ノリo´ゥ`リ 投稿日:ノリo´ゥ`リ
ノリo´ゥ`リ
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/19(水) 19:30
面白かったので、1と2がどこにあるのか教えてもらえませんか?
是非読んでみたいです。
36 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/19(水) 21:09
梨華ちゃんの扱いが結構ひでぇな。
37 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/06(火) 23:56

今回は思うところあり、お先にレス返しさせてもらいます


レス、ありがとうございます

158名無飼育様
知りたいですか?…って、いう時点でバレバレかw

159名無飼育様
おもしろい?!…良かった、もうそれが気がかりでw

160名無飼育様
さぁ、どうなんでしょ?w
38 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/15(土) 02:19
どこの作者さんが誤爆したんだろう
同一作者さんか?

それはそうとめっちゃおもろかったです!
39 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:32
夢板にまとめ新スレを立てました。よろしければどうぞ

ttp://m-seek.on.arena.ne.jp/cgi-bin/test/read.cgi/dream/1199718009/

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