金時計の下で
1 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 22:34
前スレ
夢板「豆柴と飼い猫2」
ttp://m-seek.on.arena.ne.jp/cgi-bin/test/read.cgi/dream/1156544480/
の中の「金時計の下で」の続きです。
2 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:38



待ち合わせの駅に着いたのは、10時ちょうど。
この辺りで一番大きな駅だから人が多いのはいつものこと。
だけど、今日は日曜日ということもあり、いつもの倍以上の人で駅構内はごった返していた。
いくつもあるホームから雪崩のように流れ込んでくる人々の合間を縫って東口の金時計へ向かう。

小さなドームのような形の屋根がある東口。そのドームの中央に金時計は立っていた。
金時計の足元には花壇が時計を囲むようにして作られていて、四季折々の花を咲かせる。

時計の周りにはすでにさくさんの人たちの姿。
ケータイ片手に花壇の淵に腰掛けてる人。きょろきょろと辺りを見回してる人。
きっと皆私と同じように誰かを待ってるんだろう。駅の中で一際目立つ金の時計は待ち合わせ場所には最適なのだ。

私は辺りを見回した。
金時計の正面には先生らしい人影は見えない。
ぐるりと花壇の周りを歩いてみたけど、どこにも先生の姿は見つけられなかった。

金時計の正面に戻ってきて腕時計を確認すると10時10分。
10分遅刻だ。先生もう来てると思ったんだけど。

まあ、いいか。そのうち来るだろうし。
先生を待たせるより、自分が待っている方が気が楽だ。




3 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:38

+++




腕時計を見ると、もう11時になろうとしていた。
あれから1時間。


先生は、未だに姿を見せない。


この1時間にメールと電話を一本ずつ先生のケータイに入れてみたけれど、応答はなかった。
何度も連絡をするのはうざいかなと思って、それからは何もしてない。

でも、少し心配になってきた。
事故にでも遭ったのかなとか、熱が出て家で倒れてるんじゃないかとか、
悪い方へ悪い方へ思考が向かう。寝坊なら寝坊でいいから連絡が欲しかった。安心できるから。

バッグからケータイを出す。もう一回だけ連絡をしてみよう。
とりあえず今は、先生の無事を確認できればそれで良かった。
アドレス帳から先生の番号を呼び出して、通話ボタンを押す。

3コール、4コール……。
何回目かの呼び出し音がぶつりと切れて、先生が出てくれた、そう思った。
直後、留守を報せる無機質な声がケータイ越しに聞こえてきて、一気に落胆する。
仕方なく、留守電にメッセージを入れることにした。

「えと、梨華です。今、時計の所にいます。
 事故とか、体調が悪いとか、あの、えと、何もなければ全然いいんですけど…。
 金時計の下で待ってるので、何かあれば連絡ください」

ぷつりと通話を切って、ぱたりとケータイを閉じる。
何もないのが一番いいけど、これで、何かあればまた連絡をくれるだろう。

ケータイをバッグに仕舞って、天井を見上げた。
ドーム型の天井はガラス張りになっていて、空の様子がまるで外にいる時のようによく見える。

さっきまでは薄く雲が張っているだけだったのに、
今では、どんより厚い雲が空を覆ってしまって、いつもの青が少しも見えない。




雨が降りそうだ、なんて、ぼんやり思った。




4 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:39

+++





は、と小さく息を吐き出したつもりが、予想以上に大きくなってしまって、
それはもう溜め息とさほど変わらない物になっていた。

ドーム型の天井からオレンジ色の照明が金時計を照らし出す。
天井から見える空は、もう真っ暗。少し肌寒くなってきてた。
自分を抱きしめるように腕を擦りながら、花壇の淵に腰掛ける。
バッグの中からケータイを取り出して、ぼんやり眺めた。

腕時計はもうすぐ午後の7時を指そうとしてた。

先生からの連絡は、ない。

12時と3時に電話をかけてみたけど、聞こえたのは留守電に対応する声だけ。

金時計の周りで私と同じように人待ちをしていた人たちは、
待ち合わせにやって来た人と連れ立って消えて、そこにまた別の人が立つ。
私一人だけがぽつんとその流れから取り残されてた。

先生、どうしたんだろう。やっぱり何かあったのかな。
連絡のない先生。頭の中は先生がここに来れない理由でいっぱいだった。

だけど、そのもっと奥に、もっと怖くて絶対に考えたくない、
先生が来れない理由を私は想像していた。



先生は、来れないんじゃない、―――― 来ないんじゃないか。



先生は、元々私なんかと遊園地に行くのが嫌で。
だから、今、ここに、いない。

ぐるぐる不安が渦巻いて、胃の辺りがちくちくと痛くなる。

違う。違うよ。先生はそんな人じゃない。
きっと、もっと大事な用事ができてしまって。急用が、できて。

じゃあ、どうして先生は連絡をくれないんだろう。
メール一つでいい。それだけ、いいのに。

(先生、せんせい)

もう、遊園地に行くことはできない。
今から行ったって、向こうに着く頃には閉園時間ぎりぎりで、遊ぶ事なんてできない。
だから私がここで待ち続ける意味なんてない。それは、分かってる。
分かってるくせに、それでも待ち続けてる私は本当に馬鹿なんじゃないかって思う。

けれど、でも。

待って、いたかった。

先生はきっと来てくれるって思いたかった。
来るって信じたかった。

鳴らないケータイを握り締めて、固く目を閉じる。

いつものあの笑顔で、ふにゃりと「遅れちゃった」って言ってくれるだけで、もう何にもいらないのに。
一日中待ちぼうけだったけれど、それでも。




5 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:39




「あれ?」


突然、聞き覚えのある声が耳に届いた。
一瞬、その声が誰の物であるかを考えて、すぐに思い当たる。

そろりと顔を上げると、2メートルぐらい離れた場所に視線がとまった。
人が行き交う中、私の前で足を止めてたその人は「あ、やっぱり」とにこりと微笑んで、
明るい色の短い髪をふわふわ揺らしながら近づいてきた。


「やっぱり、梨華ちゃんだ」


吉澤さん、だった。

左手に茶色の紙袋をぶら提げた吉澤さんは、
相変わらず優しそうな笑顔で「久しぶり」なんて言う。

「なにしてんの?こんな所で」

その質問に、言葉がつまる。
何と答えればいいのか分からなかった。

本当の事を言うべきだろうか。

吉澤さんは先生の友達だ。先生がここに来れない理由を何か知っているかもしれない。
けれど、“来ない”理由を、知っているかもしれない。

逡巡して、私は、言葉を濁すことにした。

「吉澤さんこそ……」
「ん?よしざーはね、ちょっとそこパン屋さんでベーグルを」

にかって悪戯っ子みたいに笑って、左手の紙袋を掲げた吉澤さん。
ふわふわ温かい雰囲気に、屈託のない笑顔に、胸の奥にじわりと温かい何かが沁みこんできた。

「あれ?そういえば今日って、ごっちんと遊園地じゃなかった?」

また、言葉につまる。

私が美貴ちゃんに遊園地の事を話したように、吉澤さんも先生から今日の事を聞いていもおかしくはない。

どんな風に、聞いていたんだろう。
そこに、今ここに先生がいない理由はあるのだろうか。

一番嫌な想像をして、奥歯を噛んで、ケータイを握り締めた。
顔の筋肉が段々と強張っていくのが自分でも分かる。

吉澤さんは黙った私を特に気にする素振りも見せず言葉を続けた。

「あ、分かった!今帰りでしょ?」

嬉しそうにはしゃいだ調子のその言葉が、胸に刺さる。
息をするのが辛くなって、ケータイを握り締めて俯いた。

「楽しかった?楽しかったでしょ?初デートだもんね」

吉澤さんの顔を、まともに見ることができない。

「にしてもさ、ごっちんは?もう帰ったの?
 あんにゃろう、ちゃんと家まで送ってけよなー、まったく」

先生の名前が出る度に、ずくりずくり、と少しだけ温くなった心が鈍く痛む。
6 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:40

「あ、よしざーの愛車で送ろうか?梨華ちゃ……、」

吉澤さんの声が途切れた。
がさりと音がして私の隣に置かれたのは茶色い紙袋。

俯いてた私の両頬に、温かい何かが触れる。
そっと、優しく、顔を持ち上げられて。


「梨華ちゃん、どうした?」


私の前にしゃがみ込んだ吉澤さんの心配そうな瞳とぶつかった。
痛みを孕んだ心が、酷く熱い。

鼻の奥がつんとした。
やばいって思った時には、もう遅い。


「……っ、よしざ、さん…っ……」


ぱたぱた、ぱたぱた、零れる涙。

だって、吉澤さんの目が優しいから。
だって、吉澤さんの手が温かかったから。

先生を待っていた間中ずっと張り詰めていたものが、
いとも簡単にぷつりと切れて、涙が、止まらなかった。

「どした、梨華ちゃん」

吉澤さんは突然泣き出した私に驚くでもなく困惑するでもなく、ただ優しく目元を拭ってくれた。

前に先生に涙を拭いてもらった事があったけれど、こんなに丁寧じゃなかった。
そんな場違いな事を思って、その時の先生を思い出して、また涙が溢れてくる。

「大丈夫、大丈夫だよ」

囁いて、まるで壊れ物を扱うように、
そっと頭や頬を撫でてくれるその手が、温かくて、優しくて、気持ち良くて。
このまま全部忘れて、吉澤さんに寄りかかってしまいたかった。
母親とはぐれてしまった子供が、初めて掛けられた優しい大人の言葉に、
安心して泣いてしまうように、私は泣いた。

7 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:40


急に吉澤さんの手の動きが止まった。


「梨華ちゃん」

名前を呼ばれた。
その静かなのに強い声音に、私は思わず顔を上げてしまう。

吉澤さんはちょうど私の後ろの出入り口をじっと見ていた。
それを追いかけて。


一瞬、呼吸が止まった。


金時計の向こう側。
人の波間から見えた、一日中待ち焦がれた姿に。


「ごっちん来たよ、梨華ちゃん」


吉澤さんが私に視線を戻して、嬉しそうに言ったけれど、私はそれに答えられなかった。

金時計に近づいてくる先生から視線を離すことができない。

だって、

栗色の髪を鬱陶しそうにかきあげながらこっちへ来る先生は、一人じゃなかった。

その隣に、小さな金髪。



真里ちゃんが、先生の隣に、いた。



ずくりと心臓が震えて、熱が引いていく。

どうして真里ちゃんといるんだろう。
なんで真里ちゃんとここに来ようとしてるんだろう。
先生は今まで、―――― 真里ちゃんと一緒にいたの?

きりきりと胃が痛む。
心から熱が引いたのと入れ替わるように、今度は頭が熱くなってくる。

馬鹿みたいだ。
一日中ずっと待って、待って。最後がこれ?

全身から力が抜けていくのに、心臓だけは、いやに大きな音を鳴らしながら動いてた。

しゃがんでた吉澤さんが立ち上がって、先生たちに向かって手を振ろうとした。
それよりも早くその手を掴む。

もう嫌だった。全部、全部、嫌だった。
馬鹿みたいに待ってたた自分も、先生も、真里ちゃんも。

「梨華ちゃん?」

不思議そうに呟いて、私を見る吉澤さん。
吉澤さんの手を握り締めて、顔を上げる。
きっと私の顔は涙でぐちゃぐちゃで、だけど、そんな事どうでもよかった。
8 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:41

「送って、ください」

嗚咽を抑えて、それだけ言う。
ただただ、早くここから離れたい一心で。

「お願いします……っ」

逃げたい。逃げたい。先生に見られないうちに。

吉澤さんは真っ直ぐ私を見つめて、一度先生たちがいる辺りに視線をやった。
それからそっと私の手を取って、先生たちが来る方とは反対側に歩き出す。

手を引かれながら、私は、金時計を振り返ることはしなかった。できなかった。

だって、―――― 怖かった。










外に出ると、分厚い雲が空を覆っていた。
今は何とか持ちこたえているけれど、すぐにでも雨が降り出しそうで。
私の手を引く吉澤さんは、そんな空を見て顔を顰めて「急いで帰ろう」と、ヘルメットをよこした。

吉澤さんに渡されたヘルメットをすっぽり被って、バイクの後ろに跨り、
「しっかり掴まって」吉澤さんの言葉に素直に従う。
吉澤さんのお腹の前で手を組んだところで、バイクは走り出した。

流れていく景色をぼんやりと目で追いながら私は全ての思考を遮断して、
ただ、吉澤さんの背中の熱を感じてた。








ぱたり、ぱたり、と雨が振り出したのは、
私が家に帰りついた、すぐあとの事だった。






9 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/25(水) 22:41

□■□


10 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 22:42

このスレ内では終われると思うので、
もう暫くお付き合い頂ければ幸いです(平伏)

11 名前: 投稿日:2007/04/25(水) 22:43

>>616さん
うん……がんばるッ!!

>>617さん
出てきました(笑)
この人にもこれからお仕事してもらいますよー。

>>618さん
川*V-V)<…べ、別に嬉しくなんてないからな!
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/25(水) 23:54
梨華ちゃん、かわいそうに…。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/26(木) 00:50
んなーっ!あああ…なんか…なんか…。
もどかしくてツライです。
とにかく続き待ってます…。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/26(木) 03:16
大量更新お疲れ様です!

梨華ちゃ〜〜〜〜ん(泣
どうなってしまうんだろう
続きが気になる〜〜〜〜
15 名前:名無し読者 投稿日:2007/04/26(木) 16:19
大量更新&連日更新お疲れ様です!!
太さ〜ん!ドキドキが止まりませーん!!!
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/28(土) 22:09
せんせぇ…
17 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:15

***







放課後、私は図書室にいた。

今日は図書整理の日だったけど、相方の美貴ちゃんはまだ来ていなくて。
出入り口にあるカウンターの中に座って、本棚の合間の窓からぼんやり空を見てた。

昨日、家の前まで送ってくれた吉澤さんは、帰り際にそっと私の頭を撫でただけで、
泣いた理由も、先生から逃げた理由も、何も尋ねてはこなくて。
その気遣いに心の中で小さくお礼を言った。

一瞬、昨日の先生の姿を思い出して、心がずくりと疼く。

今日は瞼がちょっとだけ腫れぼったい。
自分の部屋に戻ったあと、涙が、止まらなくなったから。

布団を被って、声を押し殺して、ずっと泣いてた。
最後の方には、もう何に対して泣いているのかも分からなくなってて。

先生が約束の時間に来なかったから?
メールにも電話にも返答してくれなかったから?
真里ちゃんと一緒だったから?

どれも悲しくて、切なくて、すごく惨めだった。




18 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:16




それまで静かだった図書室に、からからと扉が開く乾いた音が響く。
ゆっくり扉に視線を向けると、バッグを肩に引っ掛けた美貴ちゃんが後ろ手に扉を閉めているところで。

「遅いよ、美貴ちゃん」

美貴ちゃんは私を一瞥し、バッグをカウンターの脇に置いて、
カウンターの外側から貸し出しノートを手に取った。

「当たり前でしょ。今日ミキが早く来るわけないじゃん」
「なんでよぉー」

美貴ちゃんはひょいと片眉を上げる。

「梨華ちゃんにぶちぶち惚気られるからに決まってるでしょ」
「……、…何言って、」

「昨日のコト」

私の言葉尻を奪うように言った美貴ちゃんは、
手にしたノートで、とん、とカウンターを叩いた。


「楽しかったんでしょ?遊園地」


そう言って、ノートをぱらぱらと捲る。

息が詰まった。

何を言えばいいのか、どう言えばいいのか、考えたけど、
上手い答えなんて見つけられなくて。

「……行けなかった」

それだけ言ったら、美貴ちゃんはノートから私へ視線を戻して顔を顰めた。

「なんで?」
「……、なんでだろ」

美貴ちゃんの眉間の皺を少しでも減らそうと笑んでみせたけど、
眉間の皺は減るどころか、また一本増えてしまった。

「なんでよ?梨華ちゃん、あんなに楽しみにしてたじゃん」

楽しみに、してた。うん。すっごく楽しみだったよ。

先生と二人で遊園地行くことなんて、きっともうなくて。
ちょっとだけ恥ずかしかったけど、その何倍も嬉しかった。

「ねえ、なんで、梨華ちゃん」

分からないよ。

詰め寄る美貴ちゃんに、へらり、と笑ってみせる。
19 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:16

昨日、自分の部屋に戻ってから泣きながら、私もずっと考えてた。
先生の来なかった理由を。連絡してくれなかった理由を。真里ちゃんと一緒にいた理由を。
考えたけど、でも、本当の答えなんか、先生にしか分からなくて。

私は金時計の下で一日中待ってて、先生は真里ちゃんと一緒にあそこにいた。

それだけが私にとっての事実で。

それを都合の良い様に解釈できる材料なんて、私は何一つ持っていなかった。

だんだんと険しくなる美貴ちゃんの表情に、笑うのを止める。
俯いて、カウンターの上に乗せた自分の掌を見つめた。


「……あんた、待ち合わせに行かなかったの?」


訝しげな声に、開いていた手を握りしめる。

違う、違う、違う。

だって、先生が来なかったんだもん。
先生、真里ちゃんと一緒にいたんだもん。

昨日の、すべて投げ出してどこかへ逃げてしまいたい気持ちが、
お腹の奥からせり上がってきた。目頭がじんと熱くなる。

昨日、一年分は泣いたと思ってたのに。
もう、枯れたと思ってたのに。


また、涙が溢れてきた。


「せんせ、が、……っ…」


溢れた涙が睫で止まる。零れ落ちる前に顔を両手で覆った。

「せんせい、…来な、かったんだもん…」

喉が引き攣っているのに、止まらない言葉。


「私、待って、っ…のに、来ない、んだもん…っ」


ずっと、ずっと、待ってたのに。
金時計の前で馬鹿みたいに。
不安だった。だけど、待ってたのに。

先生が真里ちゃんのこと好きなのは知ってるよ。
それはどうにもならない事だって分かってる。

けれど。

約束したのに。一緒に行こうって言ってくれたのに。
楽しみにしてるからって、先生、言ってたのに。

酷いよ、嫌だったなら、最初からそんな風に言わないで。

20 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:17

美貴ちゃんは黙ったままだった。
目元を覆う両手で美貴ちゃんの顔を見ることはできないけれど、
きっと困惑顔で私を見下ろしてるんだろうな。
だって困るよ。いきなり泣き出して、訳分かんないこと口走って。
そうは思うけれど、涙は、止まらない。

図書室の中に響く、私の嗚咽。



不意に、何かが頬に触れた。



温かいそれが、手だということに気づくのに時間はかからなった。
美貴ちゃんの手だということもすぐに想像がつく。

頬を撫で、美貴ちゃん手はするりと頭の後ろに回って。
私の肩をぎゅうと抱いて引き寄せる。

次の瞬間、酷く温かいものに全身が包みこまれた。


「……梨華ちゃん」


耳元で美貴ちゃんの声がして、私はやっと、自分が美貴ちゃんに抱きしめられていることに気が付いた。

驚いた、けれど、ゆっくりゆっくり背中を撫でる手があまりにも優しくて、温かくて。
顔を隠していた手を外して、美貴ちゃんの背中に回して、美貴ちゃんにしがみつく。

「梨華ちゃんは悪くない、悪くないよ」

美貴ちゃんの声が私の中に流れ込んでくる。それは、とても心地よかった。
胸の中が熱くなって、また涙が溢れる。
美貴ちゃんの肩口に顔を伏せ、ぎゅう、ときつく抱きついた。

「大丈夫だから」

そう繰り返して、美貴ちゃんは私の背中を撫で続けてくれてた。
子供をあやすようにゆっくり優しく。私は、その温かさに縋りついて、甘えた。


5分、10分、もしかしたら20分かもしれない。
私たちは暫くの間、ただ、そうしてた。




21 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:17




だんだんと嗚咽も収まって、涙も気持ちも落ち着いてきた。
そうしたら、今度は恥ずかしくなってきて。

こんなにぐしゃぐしゃに泣いて、子供みたいに抱きしめられて宥められてる。
高2の姿じゃないよ、これ。

でも、恥ずかしかったけど、美貴ちゃんから離れる気にはならなかった。
この温かさに、もう少しだけ寄りかかっていたかったから。

深く息を吐いて、身を捩る。
そしたら「落ち着いた?」って美貴ちゃんが聞いてきて、「だいぶ」と答えた。
声はもう途切れない。

「ごめんね、何か、こんなところ見せちゃって」
「べーつに」
「制服も、濡れちゃった…」
「いいよ、こんなの」

私の涙で濡れた制服の肩口辺りを抱きついたまま撫でて、するりとそこに頬を寄せる。
ああ、あったかいな、なんてしみじみと美貴ちゃんの熱を味わった。

「ねえ、美貴ちゃん」
「ん?」
「私、先生に嫌われてるのかな」

ぼんやりと思ったことを口にしたら、
美貴ちゃんは少し黙って、それから少し身じろいだ。

「ミキには、分かんない」

あっさりと返されて、思わず頬が緩んだ。
それもそうだ、なんて納得してしまう。

美貴ちゃんのこういうところ、時々傷つくこともあるけど、私は結構好きなんだ。

「せんせーに聞きなよ、会うじゃん?明日」

私は小さく身を捩り、美貴ちゃんの肩口に額を乗せた。
明日は火曜日、カテキョの日だ。――― いつもならば。

「……会わないよ」
「へ?なんで」
「当分、カテキョはお休みさせてもらった」

今朝、キッチンでお弁当を作ってたお母さんに、先生に電話してもらうようにお願いした。
中間テストも終わって当分大きなテストはないし中間の点数も前回よりも良かったから、勉強は少し休みたい。
そう説得したら、お母さんは、期末の前までカテキョをお休みする事を承諾してくれた。

また暫くしたらカテキョは始まるだろうけど、
とりあえず今は、先生の顔を見ないで済む事が最優先だから。

今はまだ、先生の顔を見るのは辛い。

家に帰ったあと、ケータイに先生から何件か着信があったけれど、
メールすら開くことができなかった。
22 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:18

美貴ちゃんは「そっか」ってぽつりと呟いた。

「でもさ、」

背中を撫でる美貴ちゃんの手。
ゆっくりゆっくり、行ったり来たり。


「好きなんでしょ?」


心の奥が小さく反応して、美貴ちゃんの背中の制服をきゅうと握る。




「まだ、せんせーのこと、好きなんでしょ?」




好きだよ。

まだ、先生が、大好き。

昨日のことで嫌いになれればよかったのに。
きっとその方が自分のためにも先生のためにも良かったのに。
だけど、やっぱり、そう上手くはいかないみたい。
こんなに切なくて苦しいのに、なんでだろうね。

私は今でも先生が好きで、好きで。

自分の事なのに、よく分かんないよ。

反応した心を誤魔化すように、美貴ちゃんの肩口に擦り寄った。

「……でも、美貴ちゃんのことも、好きだけどね」

ゆっくりゆっくり背中を撫でていた美貴ちゃんの手が一瞬止まって。
すぐに元通り動き始める。

「………。知ってるし」
「ふふ」
「つーか、これで嫌いとか言ったらホント殴るよ」

毒づいた美貴ちゃんの腕が、するりと背中を包み込む。
さっきよりも少しだけ美貴ちゃんとの距離が近づいた。

「ミキも、」
「ん?」

美貴ちゃんの肩に顎を乗っけて、続きを待つ。



「ミキも好き、だし。梨華ちゃんのこと、……わりと」



聞こえた言葉に頬が緩む。
温かくて柔らかい掌で心をそっと包み込まれたように、ふわりと胸の中が温かくなった。
それはきっと美貴ちゃんの掌で、それはきっと美貴ちゃんの温度で。

さっきまでぐしゃぐしゃに泣いてたくせに、私って単純だ。
23 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:18

「わりとって何よぅ」
「わりとは、わりとじゃん」
「好きなら好きって素直に言っちゃいなさいよーもう」
「そっくりそのまま梨華ちゃんに返すし、それ」
「私のことはいいの。ほら、私の事好きでしょ?」
「あーはいはい、もうほら」

美貴ちゃんは呆れたような調子で、私を引き剥がす。

「仕事するよ、まだ整理終わってないんでしょ」

そう言って、とことこ本棚に向かって行っちゃった美貴ちゃんを慌てて追いかける。
緩む頬、気づいたら、さっきまでの沈んだ気持ちが大分軽くなってた。
優しい言葉とか、慰めの言葉とか、そんなのなかったのに。






まだ先生に会える状態ではないけれど。

ねえ、美貴ちゃん。



私、いつか、笑って先生と話せるようになれるかな。







24 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:19

***








軽快なメロディが鳴り響く。

その着信音を設定している人物は一人しかいない。
けれど私は、必死に着信を報せているケータイを、手に取ることすらしなかった。
―――― できなかった。

だって、そのメロディは先生専用だから。

あの遊園地の日から毎日のように先生から着信があったけれど、
どれひとつ出ていない。メールも未読のまま放ってある。
何と言われるのか、何と書かれているのか、私は知るのが怖かった。

それに今、先生の声を聞いてしまったら、私は、先生に酷い事を言ってしまいそうで。
お門違いの怒りをぶつけてしまいそうで。

いつかは先生と話さなければならないだろうけど、
もう少し自分の気持ちが落ち着いてからにしたかった。――― だけど、

メロディがぶつりと切れる。
ベッドに寝転がりながら枕元に置いてあるケータイをちらりと一瞥して、
勉強机の上に視線を投げた。


その上にある、黄色い手帳に。


――― だけど、先生のこの手帳、どうしよう。

先生から逃げてきたから『遊園地の日に返す』と約束したのにそれを果たす事ができなかった。
先生、困ってるかもしれないし、できれば早く返したいと思うけど、
あれから声すら聞いていないのに返すタイミングも何もない。

美貴ちゃんに相談したら呆れ顔で「あんた、お人好しにもほどがあるよ」なんて言われてしまった。
お人好しとかそんなんじゃないけど、他人の物があると落ち着かないと言うか。
正直なところ、あまり見たくなかった。
だって、この中には、先生の気持ちが詰まってて。

そこまで思って頭を振る。
やめよう。これ以上考えたって苦しくなるだけだ。
25 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:19

机から視線を逸らして、布団の中に潜り込んだ。
そしたら突然、ドアをノックする音が聞こえてきて、布団の中から顔を出す。
またノック音が響く。けれどドアは一向に開かない。
おかしい、家族なら返事も待たずに入ってくるのに。

ベッドから降りてドアに向かった。
ドアノブに手を掛けて、ゆっくりドアを開く。

ドアの外にいた姿を見つけて、私は目を見開いた。



「やっほ、梨華ちゃん」



にこりと笑った小さな金髪。


そこにいたのは、真理ちゃんだった。


あの日から、先生には会っていない。
真理ちゃんにも、もちろん。

突然の訪問に言葉を失う。
どんな顔をすればいいのか分からない。
何を言えばいいのかも分からない。

真理ちゃんの事は好きだ。
ずっと面倒みてくれて、明るくておもしろくて頼りになる大好きなお姉さんだった。
けれど、真理ちゃんは、先生の、好きな人で。

あの日のことが脳裏に過ぎる。
先生と一緒にいた真里ちゃん。
先生にあんなにも優しい眼差しをさせた真里ちゃん。

思わず、視線を逸らしてしまった。

「梨華ちゃんに会いに来たって言ったら、
 おばさんがさ部屋にいるからって言ってさ」

真理ちゃんとは子供の頃からの付き合い。
姉妹の中でも特別仲の良かった私を訪ねてきた真理ちゃんに、
お母さんがそう言うのは当然のこと。子供の頃からそうだったから。
そこに問題は無い。

ただ、今は、ものすごくタイミングが悪いだけの話であって。

「……なんか、用だった?」

視線を真理ちゃんの胸元あたりに向けて放った自分の声のあまりの酷さに慌てて笑顔を作る。
真理ちゃんは何も悪くない。
自分の感情だけでこんな風に接するなんておかしい。

無理やり視線を上げて、真理ちゃんの顔を見た。
真理ちゃんは特に気にした様子も見せずに頷いて「入ってもいい?」って聞いてきて。
ドアを大きく開き、真理ちゃんを招きいれる。
26 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:22

真里ちゃんはすたすた部屋の中に入ってきて、ベッドの上にぽすっと座った。
そこは子供の頃から私の部屋に来た時の真里ちゃんの定位置。
彼女がそこに座ったら私は必ず勉強机の椅子に腰掛けていた。だから今もそうする。

「久しぶりに来たけど、あいかーらずピンクが多いねー」
「……いいでしょ、好きなんだもん」
「うんまあ梨華ちゃんらしーけど」

笑いながら部屋を見渡して、真里ちゃんは私に視線を戻す。
目を逸らしたいのを必死に堪えながらそれを受け止めた。

真里ちゃんは私の部屋の感想を言いにきたわけじゃないはずだ。
何かあるんだ。話したい事が。そして、それは多分きっと。
私の想像通りであるなら、真里ちゃんが私に告げたい事は、今一番彼女から聞きたくない話。

「梨華ちゃん」

真里ちゃんの声が少しだけ硬くなった気がした。

「カテキョ、休むんだって?」

先生を紹介してくれたのは真里ちゃんだもん。伝わってるとは思ってた。
真里ちゃんがこうして直接訪ねてくるのは予想外だったけれど。

「うん。ちょうど中間も終わったし、ちょっと勉強はお休みしようかなって思って」

お母さんにしたような言い訳を真里ちゃんにもすると、彼女は「そっか」って呟いた。
それから、少し視線を宙に泳がせて、ぽりぽりと項をかく。

「あのさ、こういうの、お節介かなとは思うんだけど」

真里ちゃんの視線が戻ってくる。
真剣さを増した眼差し、その顔にはもう笑みはない。


「梨華ちゃん、ごっつぁんからのメールと電話、とってないよね」


真里ちゃんの目に会わせていた視線を少しだけ下げた。

真里ちゃん、そんなことまで知ってるんだ。
先生、そんなことまで真里ちゃんに言ったんだ。
同じ大学の先輩後輩で、“特別”仲の良い二人にとって、
それは自然な流れなんだろうけど、胸の奥の方で、嫌な何かが渦巻いた。
頭では分かるのに、心が納得しない。

「ごっつぁん困ってたから。
 こういうの、あたしが言うことじゃないかもだけど、
 やっぱ可愛い後輩が困ってたら放っとけないっていうか」

可愛い、後輩。そっか。

すぐに自嘲する。何を考えてるんだろう、私は。
卑屈になってる。揚げ足取りみたいに真里ちゃんの言葉の端々に反応して、何になるの。
だけど、コントロールができない。

「ねえ梨華ちゃん、どうして?」

“どうして?”
なんでそんな事、真里ちゃんに言わなきゃいけないの。
27 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:22

頭の前の方がふつふつと嫌な熱に侵されていくのが自分でも分かるけど、止められない。
膝の上の手をぎゅうと握りこむ。

だめだ。
だめだ、だめだ。

これ以上一緒にいたら、私は酷い事を言っていまいそう。
真里ちゃんは何も悪くないのに。

視界の中に黄色い手帳が入った。
これ渡そう。真里ちゃんに渡して、適当に何か言って帰ってもらおう。

手帳に手を伸ばした。
触れる直前、一瞬手が止まってしまったけれど、すぐに手帳を取る。

「真里ちゃん」
「なに?」
「これ」

ベッドの上の真里ちゃんに手を伸ばして手帳を差し出す。
真里ちゃんは素直に受け取った。

「なにこれ?」

手帳の裏と表を交互に眺めて、真里ちゃんは不思議そうに私を見た。

「先生の忘れ物。きっと困ってるだろうから、返しておいてほしいの」
「え……?」
「それでね、私、今から用事があって、」

「やだ」

私の言葉を遮って、真里ちゃんはきっぱりと言い放った。
視線を上げる。真っ直ぐに私を見つめる瞳とぶつかった。

「梨華ちゃんが渡しなよ」

そんな目で見ないで。

「無理だよ。だって、会えない」
「梨華ちゃんが会おうとしないんでしょ」

強い調子でそう言って眉尻を下げる真里ちゃん。
黄色い手帳を膝の上に置いて、私の方へ身を乗り出した。

「ねえ。この前の、遊園地のこと、聞いた」

さっきとは一転した静かな口調で、真里ちゃんが私に話しかける。
子供に言い聞かせるような感じだった。

その言葉に熱くなった頭が、じん、と痛む。

―――“聞いた”?

脳裏に蘇るのは、あの時の金時計の光景。
たくさんの人の合間から見えた先生と、真里ちゃん。
28 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:23

「……聞いたんじゃ、ないでしょ」
「え?」

不思議そうな声に、また頭の端が、じん、と痛む。
それ以上は言ってはいけない、と何かが叫んだ。

でも、もう遅い。



「真里ちゃんは、全部知ってるんでしょ」



だって、あの時、あの場所にいたのだから。

飛び出した言葉に、唇を噛んだ。
こんな事、言ってどうするの。真里ちゃんに言う事じゃないのに。

真里ちゃんの黒目がちな瞳が僅かに見開かれて。

「ねえ…もしかして梨華ちゃん、あそこにいたの……?」

あの日、あの金時計の下に。

口元を手で覆う。そんなことしたって、もう遅いけど。
俯いたら、真里ちゃんの立ち上がる気配がした。
ばたりと音がして、見ると、真里ちゃんの膝の上に乗ってた黄色の手帳が床の上に落ちていた。
中身は出ていなかった。

「じゃあ、知ってるでしょ?ごっつぁん行ったんだよ、あそこに」

真里ちゃんの声が聞こえて、両腕を真里ちゃんに掴まれる。
顔を上げると、真理ちゃんの必死な表情が目に入って、視線を逸らす。

「梨華ちゃんが怒るのも分かるよ。だけど、」

分かるはずない。真里ちゃんに分かるはずない。

先生と一緒にいた真里ちゃんには。

寂しくて悲しくて、切なくて、惨めな気持ち、分からないよ。

「ごっつぁんの話も聞いてあげてほしいんだ。
 一回、一回だけでいい。ねえ、梨華ちゃん!」

体を揺さぶられた。
必死な声、悲痛な訴え、だけど、私にはもう、それを気遣う余裕はなくて。

なんで真里ちゃんがそんなこと言ってるわけ。
なんでそんなこと言われなきゃいけないの。

そんなことばかり考えてしまって。
29 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:25

「だめ、だよ…っ……!」
「梨華ちゃん……」

だめだよ。できない、そんなこと。
声を聞くのも怖いんだ。

感情が理性よりも先に動く。

「だめだよ、だめなの」
「でも、梨華ちゃん、ごっつぁん……っ、」

いち早く反応したのは頭じゃなくて、ココロで。
真里ちゃんの言葉を正確に聞き取る余裕なんてとうに消えていた。

「できない、だめなの、今は、今は無理だよ……」

搾り出した言葉に、私の腕を掴んでいた真里ちゃんの手の力が抜けていく。

「無理だよ………」

真里ちゃんの手が完全に離れていった。
同時に、理性を蝕んでいた熱も引いていく。

「そか…」

頭が冷静さを取り戻す。逸らしてた視線をそろりと真里ちゃんへ向ける。
真里ちゃんは意気消沈したようにしょんぼりと肩を落としてた。

真里ちゃんの溜息と共に、気まずい沈黙が部屋に落ちる。

真里ちゃんは、私たちの揉め事を放ってはおけないんだ。
その理由は、身内の私が絡んでいるからなのか、
あの時あの場にいたからなのか、分からないけれど。

ごめん、真里ちゃん、ごめん。
でも、今はまだ、できない。

真里ちゃんが自嘲気味に笑った。

「ごめんね」

謝罪の言葉に頭を左右に振る。

真里ちゃんは何も悪くない。悪くないのに。
私はその言葉を突っ撥ねてしまった。受け入れられない、と子供のように。
事実を知るのが、怖いから。

謝らなければならないのは、私の方だ。

「お節介って分かってるんだけど、やっぱ、見てらんなくて」

真里ちゃんは視線を下げて、すぐに上げた。
その顔にはさっきまでの笑みは浮かんでいない。
痛ましそうに、ただ私を見てた。

「ごっつぁんね、梨華ちゃんと連絡とれなくて、すごく落ち込んでるんだ」

真里ちゃんは痛みに耐えるように顔を歪めて。

「見て、られないんだよ……」

独り言のようにぽつりと呟いた。
私は、何も応えることができなかった。



それから真里ちゃんはもう一度「ごめんね」って呟いて帰っていった。
帰り際、お母さんが渡したお菓子もみかんも真里ちゃんはにこにこ笑って受け取ってたけど、
ただ、黄色の手帳だけは、時間がかかってもいいから自分で返せ、と言って、受け取ってもらえなかった。





30 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:25






静寂を取り戻した部屋の中。
机の上でぽつんと寂しそうに黄色の手帳が私を見てた。

真里ちゃんの言葉が、冷静になった頭の中にじわりじわりと沁みこんでいく。

(ごっつぁん行ったんだよ、あそこに)

片手で額を覆う。

(見て、られないんだよ……)

唇を噛んで、目を閉じた。



―――― ごっつぁんの話も聞いてあげてほしいんだ。



は、と息を吐き出して、ベッドの上に投げ出されたケータイを見た。
ピンク色のそれを手に取って、ぱかりと開く。
着信履歴から先生の名前を探し出すのは難しくなかった。
通話ボタンに親指を乗せて、だけど。







やっぱり、押すことはできなかった。











31 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:25

□■□


32 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:26

□■□


33 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:26

( ´ Д `)<……ごとーの出番は?


34 名前:金時計の下で 投稿日:2007/04/29(日) 02:27

>>12さん
ええ、かわいそう…(自分で書いたくせに)
でも、石川さんってこういう役回りが妙に似合うんだよなぁ…。

>>13さん
お待たせを。
と言っても、まだもどかしいままかもですが……(汗)

>>14さん
こんな感じになりましたー。

>>15さん
最後までドキドキして頂けるように頑張ります(笑)

>>16さん
( ´ Д `)<呼んだ?
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 09:23
うぅ〜・・切ないねぇ〜。
今一番大好きな小説です。
36 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 11:11
更新ありがとうございます!

先生にいったい何があったの〜〜
気になります
けど美貴ちゃんも気になるー!
37 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 14:07
切ないよぉ…
しかしミキティ、、惚れる
38 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 18:32
美貴ぃ〜…
美貴は偉い!!!
39 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 18:58
どんな理由があるにせよ、先生が梨華ちゃんを傷つけた事に変わりないよなぁ。
ミキティの不器用な想いも気になるし、先生の言い訳もね。
続き楽しみにしてます。
40 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 20:50
ミキティ派が増えて嬉しいw
41 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 21:16
ごっちん先生、梨華ちゃんに会いに来て!
42 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/30(月) 00:10
回を増す事に美貴様の株が上がりますねw
次回更新にも期待しています。
43 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/30(月) 01:17
从‘ 。‘从ノ<みきたん派!
44 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/30(月) 11:21
美貴様の勇気に応えて梨華ちゃんも勇気を出すんだ〜
45 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/30(月) 12:58
先生・・・わけありなんだろうけど・・・
美貴ちゃんの優しさにめっちゃ惹かれます
46 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/30(月) 17:00
美貴ちゃん株急騰中
後藤先生頑張って〜
47 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/01(火) 00:29
ごっちんも辛かったに違いない
48 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:07

***







HRが終わり、部活に所属している子たちはバッグを掴んで我先にと教室を出て行く。
それに比べて帰宅部の子たちはのんびりしたもので、
友達とお喋りに花を咲かせていたり、ゆっくり帰り支度をしていたり。
私もその中の一人で、課題に必要な教材をのんびりとバッグに詰め込んでいた。

あれから、真里ちゃんがうちに来てから、彼女から先生の話を聞くことはなくなった。
たまにメールをしても関係のない世間話程度。
多分、これからも真里ちゃんからその話を振ってくることはないだろうな、なんてぼんやりと思ってた。
根拠はないけれど、自信はある。あの従姉妹のお姉さんはそういう人だ。

先生からのメールと着信は、続いてた。

日に日に未読メールが増えていく先生専用の受信フォルダ。
頑なに連絡を取ろうとしない私に呆れて、すぐ連絡はなくなると思ってたけれど、予想は外れた。

ケータイから先生専用のメロディが流れる度にびくりとしてしまう。
けれど、その着信を受け入れられないくせに、先生のそんな行動が嬉しいと感じてしまった私は、最低で最悪で、本当の馬鹿で。
まだ、先生の事が好きなんだって再確認してしまって、泣きたくなった。


49 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:07



「梨華ちゃん!」

現国の教科書をバッグに入れてたら、後ろから声をかけられた。
振り向くと、バッグを両手で持った柴ちゃんがこっちに近づいてくるところで。

「あれ、柴ちゃん、今日カラオケ行くんじゃなかったの?」
「うん、行く!けどまあ、それは置いといて」

確かまいちゃん達とカラオケで、今日は早く帰るって言ってたはず。
私の前まで来た柴ちゃんは、とん、と机に手を突いて、私の方に身を乗り出してきた。

「今ね、まいちゃんから聞いたんだけど、また来てるって!」
「へ……?」

何故だかいやに力強く言い切った柴ちゃんの言葉に首を捻る。
一番大事な部分が抜けてないかな。来てるって、一体、何が?

「……なんのこと?」

少し考えて、やっぱり分からなかったから聞き返したら柴ちゃんが眉を顰めた。
その顔には何で分からないのって書いてある。けど、だって、分かんないんだもん。

「だから、バイク!」
「バイク?」
「そう、黒くてごつくてバカでかいバイク!」

そこまで聞いて、頭に思い浮かぶのは、金髪の柔らかい笑顔。―――― 吉澤さんだ。
ようやく柴ちゃんの言葉が、あの日、私を家まで連れ帰ってくれた吉澤さんのバイクを指してるのだと気付く。

「どこに、あるの?」
「校門だって」

どうしたんだろう。なんで吉澤さんが、うちの学校なんかに来てるの。
疑問がぐるぐる頭の中を回って、はたと気付く。

吉澤さんは、―――― 一人で来たのだろうか。

少し前、一度、学校に来た時は、先生も一緒だったはずだ。

ずくり、と鼓動が跳ねた。



ねえ、もしかして、先生も、来てる?



「ほら、梨華ちゃん」
「え?」

柴ちゃんが私のバッグのファスナーを締めて、それを私に、はい、と押し付ける。
戸惑いながらそれを受け取ると、彼女は私の手を取って、そのまま出入り口に向かって歩き出した。
50 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:08

「な、なに?柴ちゃん」

ぐいぐい引っ張られながら前を行く背中に問いかけると、彼女がこっちを向いて。

「行くでしょ?バイクの所」

柴ちゃんのそれが当然だというような物言いに一瞬気圧されて、自分に問いかける。

行く。行くの?
そこには、吉澤さんがいるだけじゃない。


先生も、いるかもしれないのに?


「なんで…」
「なんでって、だってバイクの人、梨華ちゃんのこと待ってるんじゃないの?」

柴ちゃんは、当たり前じゃない、とばかりにそう言って。

脳裏を過ぎる、先生の顔
心臓が今までと比べ物にならないほどの速さで鼓動する。

頭の中で真里ちゃんの言葉が、響いた。



―――― ごっつぁんの話も聞いてあげてほしいんだ。



「……っ、ごめん」

言葉と共に柴ちゃんの手をやんわりと振り払うと、彼女はきょとんと私を見た。

「どうしたの?」

訝しげな声。
バッグを抱え直して、視線を逸らす。

「今から委員会の仕事があって、図書室行かなきゃいけないんだ」

嘘だ。
今日は委員会の仕事なんて何も無い。

会いたくない。今はまだ会えない。
だから、嘘を吐いた。だから、逃げた。

「え、でも、梨華ちゃん、どうするの?バイクの人」
「こないだの人じゃないかもしれないし、
 私に会いにきたわけじゃないかもしれないじゃない」
「でも、」

尚も言い募ろうとする柴ちゃんを遮るように「もう図書室行くから」と強く言い放つ。
柴ちゃんは納得していない表情をしながらも、渋々と頷いて「わかった」と言った。

心の中で嘘を吐いてしまった事を詫びながら、私は教室をあとにした。







私は逃げてる。あの日から、ずっと。
逃げて逃げて、逃げて。

それでいつか、本当に、


先生の前に笑顔で立てる日が、来るのかな。







51 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:08

++++









図書室は誰もいないのに鍵が掛かっていなかった。
多分、今日の昼休みの当番の人が鍵を掛け忘れたんだ。
無用心だな、そんなんだから、こんなにも簡単に私みたいなヤツに侵入されちゃうんだよ。

中に入り、出入り口のカウンターの正面にある8人掛けの大きな机にバッグを置いて、
その周りの椅子の一つに腰掛けた。

はふ、と息を吐くと、静寂が部屋を包み込んだ。
いつも図書整理の時に聞こえる野球部の掛け声も、陸上部のホイッスルの音も、
HRが終わってすぐだからなのか、聞こえなかった。

美貴ちゃんが好んでここでお弁当を食べる気持ちが分かる気がする。
柔らかく降り注ぐ陽射しと、物静かな本棚。ここは、すごく落ち着くんだ。
椅子に深く座り直して、目を閉じる。

また、逃げてきてしまった。

先生から逃げて、真里ちゃんから逃げて、
先生を罵ってしまうかもしれない自分の気持ちから逃げて。

こんなにも必死に逃げる必要が本当にあるのかな。
本当に、先生の前に立てるようになるのかな。

答えなんて、出るわけなかった。




52 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:08




静まり返った部屋の中に扉を開く乾いた音が響いて、
耳に馴染んだ声が、聞こえた。

「梨華ちゃん」

瞼をゆっくり持ち上げて、声がした方へ顔を向ける。
扉の前で、美貴ちゃんが私を見てた。

「………遅いよぉー」

とことこ近づいてくる美貴ちゃんに冗談交じりに言ってみる。
当番じゃない今日、美貴ちゃんとここでこうして会ったのはただの偶然なんだけど。

美貴ちゃんは冷ややかに私を一瞥すると、私から席を一人分空けて椅子に座った。

「梨華ちゃんと待ち合わせした覚えはないんだけど」
「私もない」

ちょっと笑いながら答えると、美貴ちゃんは溜息を吐いて私を見た。

「梨華ちゃん、なんでこんな所にいるの?今日は仕事の日じゃなくない?」
「それを言うなら美貴ちゃんもじゃん」
「ミキは野暮用」
「えー?」
「が、今終わって、ちょっと息抜きにきたの」

どうして美貴ちゃんがここに来たのかは気にならなかった。
だから、それ以上聞くのはやめた。
重要なのは、美貴ちゃんが今隣にいるということ。

美貴ちゃんの側は落ち着く。図書室の静寂よりももっともっと効果的だ。
それまでのもやもやした気分が少しだけ軽くなった感じがするのは、きっと気のせいなんかじゃない。

だから私は、美貴ちゃんにすべてを打ち明けてしまいたくなる。


「逃げてきちゃった」


ぽつりと呟いたら、正面の本棚を眺めてた美貴ちゃんが怪訝そうにこっちを見た。
それに笑みを返して、続ける。

「今、先生から、逃げてきたとこなの」

逃げて逃げて、逃げて。
あまりにもがむしゃらに走ったものだから、もう自分でも帰り道が分からない。
目印を付けている余裕なんてなかった。
53 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:09

「そか」

美貴ちゃんは呟いて視線を本棚に戻した。
その横顔を見つめる。そこから美貴ちゃんが何を考えているのか読み取ることはできない。

「……私、怖いんだ。
 先生に関係のない嫉妬で、先生に変なこと言っちゃいそうで」

あの遊園地の日、先生が何の連絡もなしに遅れて来た事が問題なはずなのに、
私は、真里ちゃんと一緒にいたことの方が苦しくて痛くて、悲しかった。

けれど、そんなことを怒ったって、先生は困るだけだ。

「でもね、」

視線を下げる。机の上に無造作に投げられた美貴ちゃんの手が見えた。



「先生の来なかった理由の方が、もっと、怖い」



多分、それが一番聞きたくなくて、一番、聞きたい事。

微動だにしない美貴ちゃんの手は、先生と同じくらい白かった。

「怖いんだ。先生に本当は行きたくなかったって言われるのが、
 二人きりで行くなんて嫌だったって言われるのが、……怖い」

嫌われてるかもしれない。
そう思ったら、もう前には進めなくなった。
差し出された手を、素直に取ることができなくなった。

あとはただ、振り返らずに逃げるしかなくて。

先生から最後の一言を聞くのが、ただ怖かったんだ。

静かに聞いていた白い手が、ゆっくりと動き出す。
そろりそろりと伸びてきて、そっと私の手首を掴んだ。

「せんせーはさ、」

美貴ちゃんの手は、変わらず温かかった。


「梨華ちゃんのせんせーは、そんな事、言う人?」


唇を噛む。
そんなこと言う人じゃない。
そんなの分かってる。分かってるんだ。

「3ヶ月、ずっと梨華ちゃんが見てきたせんせーは、そんな風に約束を破る人?」

美貴ちゃんの言葉が、するりと耳に入って、じわりとココロに溶ける。

―――― ごっつぁんの話も聞いてあげてほしいんだ。

真里ちゃんの声が頭の中に木霊した。



―――― ごっつぁん行ったんだよ、あそこに。



手が置かれた部分から美貴ちゃんの熱が広がっていく。
それは泣きたくなるほど温かくて、優しかった。



「梨華ちゃんが好きなせんせーは、そんな人なの?」



首を左右に振る。


「……、違う、よ」


先生はそんな人じゃない。ずっと見てた。
3ヶ月間だけど、先生を見てきた私が、一番分かってたんだ。
54 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:09

だけど、怖かった。だから、逃げた。

最初から分かってたんだ。
全部、全部、分かってたんだ。

人から言われなくちゃ、そんなことも確信できない私は、
やっぱり意気地なしで最高に馬鹿だけど。


―――― けれど。


美貴ちゃんの熱はすでに足の先までに広がっていて。
手首を掴んでた美貴ちゃんの手の力がぎゅうと一度強くなって、ゆっくりと離れていく。
顔を上げて美貴ちゃんを見ると、呆れたような笑顔とぶつかった。

「だと思った」

美貴ちゃんは椅子から立ち上がって、私を見下ろすと「一緒に帰ろう」と笑う。


―――― けれど、やっと、立ち止まれた。
逃げて逃げて、がむしゃらに走ったこの足を、やっと。

やっと、自分の後ろを振り返ることができそう。


美貴ちゃんの言葉に笑みを返して、私も立ち上がる。

「自転車、今日は特別にミキが前でいいよ」
「ええ!?ほんとに?」

にかり、と笑った美貴ちゃん。

連れ立って、図書室を出た。
扉をくぐる寸前、ちらりと一瞬後ろを振り返ると、本棚がただ静かに私たちを眺めてた。




55 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:10





自転車置き場で美貴ちゃんは宣言通りサドルに跨って、
「ほら早く」と、まだ少し半信半疑だった私を促すから、お言葉に甘えて荷台に乗る。

風を切りながら、自転車は進む。
初めて後ろに乗せてもらったけど、美貴ちゃんは意外と二人乗りの運転に慣れてるみたい。
走り出した直後ぐらりと車体が揺れて、慌てて美貴ちゃんの腰にしがみついた。
ひやり、としたのはそれぐらいで、あとは快調な走りだった。

校門には、吉澤さんの黒のバイクはもうなかった。
初めからそんな物は停まっていなかったのか、どこかへ行ってしまったのか、
私には分からなかったけれど、先生と鉢合わせしなかった事に少しだけ安心して。

少しだけ、残念だ、なんて思ってしまった。

さっきまで、会いたくないと思ってたくせに。

「ねえ、美貴ちゃん」
「んー?」
「私って馬鹿だよね」

美貴ちゃんの答えは早かった。

「うん」

まあ、予想はしてたけどさ。
そんなことないよ、なんて天地がひっくり返ったって美貴ちゃんの口からは出ないだろうけど。
でもいいの。そんな答えは望んでない。美貴ちゃんの返事が欲しかったんだから。

美貴ちゃんの背中に、こてん、と額を寄せた。

「……でもさ」

ペダルを漕ぐ振動と、喋る時の振動が一緒になってやってくる。


「でも、ミキ、梨華ちゃんのそういうトコ嫌いじゃないよ」


一呼吸置いて聞こえてきた言葉に、ふ、と頬が緩んだ。
美貴ちゃんの腰に回していた腕の力を強めて、上半身を美貴ちゃんの背中に寄せる。

美貴ちゃんの背中は予想外に小さくて、予想以上に温かかった。
離れ難くなってしまうくらいに。

「素直じゃないなぁ」
「……うっさい」
「私もそういう素直じゃない美貴ちゃん、嫌いじゃないよ」
「うっさい、ばーか!」

途端に自転車の速度が上がる。
車体の揺れが激しくなって、美貴ちゃんにしがみついた。
56 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:10









がむしゃらに逃げ回った。
どこをどう走ったか分からなくなって、帰り道を見失った。

真里ちゃんの制止を振り切った私を後ろから乱暴に引っ張って、
帰るべき方角を教えてくれたのは、美貴ちゃんだったんだ。












温かい美貴ちゃんの背中に頬を寄せて。
その熱を感じながら、私は、そっと、心の中でお礼を言った。










57 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:11

***










家に帰って、自分の部屋のベッドの上でケータイを開いた。

ぴこぴこ操作。先生専用の受信フォルダを呼び出す。
ここ数日、開かなかったそれ。
一瞬、手を止めて、だけど、すぐに開く。

並んだ未読メールを少しの間見つめて。
上から順に開いていった。


―――― 話がしたい。

―――― 連絡がほしい。


文面は違うものの、内容はほぼ同じだった。

そして、一番下の一番古い未読のメールに辿りつく。

日付は、あの遊園地の日。

それだけは、他とは少しだけ違ってた。



from:後藤先生
title:無題
---------------
ごめんね。
謝らなきゃいけな
いことがたくさん
ある。自分の言葉
で伝えたいんだ。

---------------



それを見て、やっと他のメールがほぼあの二つの事しか書かれていない理由が分かった。

だから、先生はメールで用件を書かずに電話で連絡を取ろうとしてたんだ。
ちゃんと、自分の口から伝えたいから。

ざわざわと胸が騒ぐ。心が揺れる。

不意に、美貴ちゃんの言葉が頭の中に響いた。



『梨華ちゃんが好きなせんせーは、そんな人なの?』



ねえ、美貴ちゃん。
先生は、やっぱり、先生だったよ。

小さく息を吐き出すと、じわりじわりと胸の中が熱くなるのが分かった。

電話をしよう、先生に。
それで、ちゃんと会って、話をしなければいけない。
私も謝らなきゃ、連絡を取らずに勝手にカテキョをお休みして。

先生、私もあなたに伝えたい事があるんだ。
58 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:11

先生のメールを見つめて、ケータイをぎゅうと握りしめた。
そしたら突然、ケータイが震えて、メロディが流れ出す。


ディスプレイには“後藤先生”。


どくり、と鼓動が跳ねた。

通話ボタンに親指を乗せて、止まる。
今連絡をすると決心したばかりなのに、いざその時になってみると、
やっぱり少しだけ躊躇してしまう。でも、だけど。

脳裏に美貴ちゃんと真里ちゃんの顔が浮かんだ。

教えられた方角を、もう私は絶対に忘れちゃいけない。
そうだよ、もう、逃げない。

深呼吸をして、私は、通話ボタンを押した。

ケータイを耳に押し当てると、その向こうから息を呑む気配。

「……もしもし」

どくりどくり、と大きな音をたてて動く心臓。
上擦らないように慎重に声を出した。



『……梨華ちゃん…?』



ずくり、と心が震えた。

先生の声。
何日ぶりだろう。
そんなに経っていないはずなのに、懐かしくて、切なくて、泣きそうになる。

「はい…」
『よ、よかったぁぁ』

深く深く息を吐き出すように先生は声を吐き出した。
語尾が少しだけ震えているように聞こえたのは、私の欲目かな。

『あのね、話したいことが、あるんだ』
「はい」

私にも、あります。
たくさん、先生に話さなければいけないこと。

「先生、明日の夕方は忙しい?」

先生は、少しだけ間を置いて、
戸惑ったように『ないけど』と言った。

目を閉じる。
瞼の裏に映るのは、呆れたように笑った美貴ちゃんの姿。


さあ、行こう。
進むべき方角は、もう決まってる。



「明日の夕方7時、金時計の下で、待ってますから」



『え……?』

「待ってますから」

今度はきっと来てくださいね、という言葉は飲み込んだ。
だって、先生は来てくれると思ったから。



『……うん。絶対、行く』



ケータイ越しに聞こえた先生の声。
聞いたことのないような静かな声音に高鳴った鼓動を意識しながら、通話を切った。
59 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:11

ケータイを枕元に投げて、ベッドに倒れこむ。
今さっきの会話を思い出す。先生の声が、耳から離れない。
どくどくとまだ心臓がうるさくて、心臓の上辺りに手を置いて服を、ぎゅう、と掴んだ。

もう戻れない。
明日の夕方7時、いやでも先生と話すことになる。

止めようと必死に声をかけてくれる小さな金髪の従姉妹も、
帰り道を教えてくれた目つきの悪い図書委員も、もういない。

でも大丈夫。大丈夫だよ。

鼓動が少しずつ収まっていく。











きっと大丈夫。










60 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:11

□■□


61 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:12

あと1、2回で終われそうです。
もう暫くお付き合い下さると嬉しいです(平伏)
62 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/01(火) 21:13

>>35さん
レスありがとうございます。
そう言って頂けると嬉しいです(照)

>>36さん
がんがん気にしちゃってくださいませ(笑)

>>37さん
川*V-V)<…う、うるせー!!

>>38さん
川*V-V)<知ってるし

>>39さん
不器用で素直じゃない藤本さんが大好物なのでこんな感じになりました(笑)
先生にはこれから目一杯いいわけをして頂きますよー。

>>40さん
ミキティ派、予想以上にたくさんいらっしゃって驚いてます。
愛されてるな藤本さん…。

>>41さん
( ´ Д `)<!!!
( ´ Д `)<今すぐに!!

>>42さん
こんなにうちの藤本さんを応援して頂けるとは思ってませんでした(汗)
ありがたいことです。

>>43さん
川VvV)<!!
川*VvV)ノシ <あやちゃーん!!

>>44さん
がんばれ梨華ちゃん!!
行け行け梨華ちゃん!!

>>45さん
カッケーくて優しい藤本さん目指していたので、
そう言って頂けると嬉しいです。

>>46さん
ホント頑張れ先生(涙)

>>47さん
ええ、きっと。
先生にも色々と事情が……事情が……(汗)
63 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/01(火) 23:45
み、みきさまーっ!!!!!!
64 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/02(水) 00:28
更新お疲れ様です!
梨華ちゃんがんばれー!
あードキドキするなぁ
次回の更新も楽しみにしてます!
65 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/02(水) 01:26
後藤先生、応援してます。
66 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/02(水) 11:32
从‘ 。‘从<みきたん・・・妬けるけどかっこいーよ
67 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/03(木) 14:14
あー続きがほんと気になります!!!
あとちょっとで完結ですか〜寂しいですが、最後どうなるか楽しみ!!!
これが終わったらまた豆柴のように短編かいてくださるのでしょうか?
作者さんの小説好きなのでまた書いてほしいです。
密かに本当の『初めての×××。』を期待してるのですがw
68 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/03(木) 23:33
美貴ちゃんがホントにいいね
でも後藤せんせーにも頑張って欲しいかなぁ
69 名前: 投稿日:2007/05/04(金) 01:25

水板の気になるあの作品が更新きててテンション上がりまくりです。
うひょひょーい!!ではでは、金時計、ラスト更新いきます。
70 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:26

***











朝起きて窓の外を見ると、気持ち良いくらいの快晴だった。

歯を磨いて、朝ごはんを食べて、学校へ向かう。
学校からそのまま金時計に行くつもりだったから、バッグの中にはしっかり黄色い手帳を入れて。

昨日はなかなか寝付けなかった。
先生と約束してしまったのはいいけれど、時間が経つにつれて、
どうしよう、どうしよう、なんて情けないくらいに動揺してしまって。

後悔はしてない。してないけれど、不安はどうしようもなく募ってく。

授業中も上の空で、中澤先生に教科書で頭を叩かれてしまった。
お昼休みでは、一緒にお弁当を食べてた柴ちゃんに何度も「大丈夫?」って聞かれたし。
放課後の図書委員の仕事は、いつもはしないような失敗をたくさんして、
美貴ちゃんに「邪魔」と図書室を追い出されてしまった。

美貴ちゃんと一緒に学校を出たのが6時30分。
荷台に美貴ちゃんを乗せて、ゆっくり走る。
家よりも学校からの方が、待ち合わせの駅に近い。
この時間なら余裕を持って金時計の下に着けそうだ。

ゆっくりゆっくりペダルを漕ぎながら、背中に感じる温もりに話しかけた。

「美貴ちゃん」
「ん?」

美貴ちゃんが身じろぐ気配したけど、振り返らない。
視線は、真っ直ぐ前に。


「今日、先生に会ってくる」


アスファルトとタイヤが擦れる音がする。
背中側に沈む太陽が、私たちの影を昼間よりも長く長く造ってく。

暫く続いた沈黙を破ったのは、美貴ちゃん。

「そっか」
「うん」

美貴ちゃんがぽつりと呟いたから、私もぽつりと返す。
それ以上、美貴ちゃんは何も言わなかった。だから、私も何も言わない。

一日中、どうしよう、どうしようって思ってた。今だって不安で仕方がないけど。
それを美貴ちゃんに話そうとは思わなかった。
お腹に回ってる美貴ちゃんの腕に少しだけ力が込められた気がして。

もうそれだけで、いいと思ったから。











駅の改札口で美貴ちゃんと別れた。
美貴ちゃんの地元の駅と待ち合わせの駅では、方向が正反対だから。

「ばいばい」と言って改札を抜けた美貴ちゃんは一度私を振り返って、すぐに背を向けた。
人の波にのまれていく小さな背中が完全に消えるまで、私は改札口の前でじっとそれを見てた。
後ろ姿が消えたホームに向かって、ありがとう、と心の中で呟く。

心配かけたよね。情けない姿もさくさん見せて、たくさん困らせた。
ごめんね。ありがとう。行ってくるよ。

もう、逃げないから。




私は、待ち合わせの駅へ行く電車へ向かって歩き出した。








71 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:26


++++










人の間を縫うようにして前に進む。
待ち合わせの駅は数日前に来た時ほどではないにしろ、相変わらず人がごった返してた。

肩にかけたバッグの位置をを時々直しなながら、東口にある金時計を目指す。
あの日と同じように、どきどきと早まる心臓。
だけど、それは、あの日とは少し意味合いが違う。

緊張と、不安。

先生に会うのに不安になるなんて、数日前までは考えられなかったのに。



金時計が見えてきた。
あと数十メートルの位置まで来て、一度止まる。
大きな金時計は、6時45分を指してた。

約束の時間まで、あと15分。

先生来てるかな。
それとも、私の方が早く着いたかな。

もう一つの可能性は、考えないようにした。

深呼吸を一つして、歩き出す。

金時計に近づくにつれ、忙しなく歩いている人は少なくなってきた。
その代わりに、あの日と同じように、誰かを待って立ち止まっている人が多くなって。


足を止めた。


金時計の真下、あの日とは違う光景。
どくり、と鼓動が跳ねる。一瞬、息が詰まった。
その部分だけに目がいって、視界には他の場所も写ってるはずなのに認識できない。



先生が、いた。



花壇の淵に腰掛けて、手にしたケータイをじっと見つめる先生が、いた。
あの日、待ち望んだ姿がそこにある。

鼓動が早まって、手が震えた。

あの日と、何も変わらない先生の姿。
酷く甘い痛みがココロに走って、制服の上から、そっと、その部分を押さえた。

一度目を瞑って、歩き出す。
少しずつ、少しずつ。大きくなる心臓の音を意識しないようにして。

2メートルの距離で止まる。

先生はまだ私には気づいてないようで、ケータイに視線を落としてた。
栗色の髪、白い肌、長い睫が作る影すらも変わっていなくて、何故だか、泣きそうになる。

あの日、あの遊園地の日、先生に少しでも近づきたいと思ってた。
先生が真里ちゃんを好きでも、私の事を生徒以上に見ていなくても、まだ諦めたくないと思ってた。

あの後、私は先生から逃げてしまったけど、やっと戻ってこれた。

静かに息を吐き出す。

もう、逃げない。



「先生」




思ったよりも大きくなってしまった声は、けれど、震えはしなかった。
72 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:26

2メートル前の先生の肩が、小さく揺れて。
先生が、ゆっくりと顔を上げる。

交差する視線。

長い睫に縁取られた黒目がちな瞳が一瞬見開かれ、すぐにふにゃりと崩れた。
小さく小さく笑った先生。その笑顔はいつものようにも見えたし、
何故だか泣いてるようにも見えて。

不思議な感覚になった。

さっきまで騒がしかった心臓は、静かに平常運転に戻っていて。
あんなにも不安だった気持ちも今は落ち着いている。

(どうしてかな)

多分、きっと、先生のそんな目を見ちゃったからだ。

「梨華ちゃん」

そんな風に目を見て先生に名前を呼ばれるの何日ぶりかな、
なんて思いながら唇の端を持ち上げて、笑顔を作ってみた。
先生と同じような顔をしてるんだろうな。

先生は立ち上がったけれど、近づいては来なかった。
ただ、ふにゃりと笑んだまま「久しぶり」と言った。

頷いて、バッグを探る。
黄色い手帳を取り出して、先生に少しだけ近づく。
先生が縮めたがらなかった距離。だけど私はそうしたかったから。


「忘れ物です」


先生の目の前に来て、手帳を差し出す。

先生はまた少しだけ目を見開いて、

「ありがとう」

手帳を受け取った。

あの日、果たせなかった約束をやっと果たせた。
ほっとして、次の言葉を探したけど、なかなか見つからない。

どうしてかな。
聞きたいことも、話したいことも、たくさんあったはずなのに。

もう、いい気がした。

先生がそこにいて、私の名前を読んでくれる、それだけで、いい気がした。

私は俯いて、思わず笑ってしまう。
ねえ、私、満足してる?

先生の顔を見れただけで、もう満足してしまってる私は、なんて単純。

ああ。そうか。
私は先生のことが、そんなにも、好きなのか。

落ちた沈黙を破ったのは、先生だった。


「ごめんね」


ぽつりと呟く。小さな声、だけど、私にはちゃんと届く声。
73 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:27

視線を上げた。
先生の申し訳なさそうな視線とぶつかる。

「ごめん。約束の時間に来なくて、ごめん」

頭を下げる先生に、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。
もういいです、と言えばいいのか、どうして来なかったんですか、と尋ねればいいのか。
どっちも違う気がした。だって、私は。

「……怒ってる、よね…?」

下げてた頭を上げて、上目遣いで私を覗き見た先生の言葉に首を横に振る。

怒ってはいない。

最初は確かに怒ってた。先生が来ないことに腹を立ててた。
だけど、少なくとも今はそんなそんなことない。

先生は、不安そうに私を見つめて、口を開いた。

「言い訳しても、いい?」

小さな声だった。
今、怒ってないと示したばかりなのに、先生はまるでお母さんにに叱られた小学生みたい。
普段の姿とは似つかわしくない態度に頬が緩む。「どうぞ」と促すと、先生はがばっと顔を上げた。
そんな仕草が、なんだか可愛いな、なんて場違いな事を思ってしまった。

「あのね、あの日の朝、実家から電話があって、弟が事故ったって」
「!…事故っ?」

事故って、事故って、え?
弟さんは大丈夫なの?

混乱する。疑問が顔に出てたのか、先生は首を縦に振ると、
すぐに「弟は無事だったんだけど」と付け足した。

「でも一応様子を見に行ったの。
 実家まで電車で1時間ぐらいだし、約束の時間までは結構あったし。
 帰りはお姉ちゃんにでも車出してもらって直接ここ来ようと思って」

先生は身振り手振りを交えながら一生懸命説明する。

「実家行ったら、弟が搬送された病院、ちょっと遠い所で。
 でも、まだ時間に余裕あったしそこまで行ったの。
 で、帰ろうと思ったら、お姉ちゃんの車がエンストしちゃってて。
 その時点で、間に合わないのは確実だったから、梨華ちゃんにね、連絡しようと思ったんだ」

一度言葉を切って、先生は、上目遣いに私を見る。

「………ケータイ、忘れてたことに、気づいたの」

先生は項垂れて、「ごめんね」と呟いた。

「電車より、絶対車の方が早いと思ったから、
 鞄の中漁ってメモってあった番号と覚えてる番号にかたっぱしから電話してさ。
 やっとやぐっつぁん捕まえたのが、もう待ち合わせの時間過ぎてて。
 それで、やぐっつぁんの車で高速乗ったんだ。絶対、そっちの方が早く着けると思ったから」

先生の頭がどんどん、どんどん下がってく。
声もどんどん小さくなって。
74 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:28

「そしたら、渋滞に、引っかかっちゃって……」

小さな声で呟いた先生は、完全に俯いてしまって。
そのまま倒れちゃうんじゃないかって思った。

胸の前で黄色の手帳をぎゅうと握り締めて、一生懸命に説明してくれる先生の姿。

私は、もう、それで十分だった。

先生がちらりと視線を上げて、私を見る。
相変わらず不安そうに。

「嘘じゃないよ…!証人もいる、……けど、……ごめん。
 こんなこと言っても何にもなんないよね。
 時間に行けなかったのは変わんないもんね。ごめんね」

項垂れて、ごめん、を繰り返す先生。
その言葉に胸の中が少しだけ痛くなった。

先生を責めるためにここに来たんじゃない。あの時、電話に出たんじゃない。
ただ、知りたかった、先生があの日来なかった理由を。もう、逃げないって決めたから。

嫌われてるんじゃないかっていう不安も、
ずっと感じてた寂しさも悲しさも、全て綺麗に消えたわけじゃないけど。

今目の前にいる先生が、必死な先生の姿が、私にとってのたった一つの理由。

それだけで、もう、十分なんだ。

「先生」

恐る恐る顔を上げる先生に笑ってみせた。

「そんなに謝らないで。私、怒ってないよ」
「でも、」

頭を左右に振って、言い募ろうとする先生を止める。
今度は私が謝る番だよ。

「私も、先生に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「え……?」

きょとんとした先生の目を見る。

「連絡いっぱいしてくれたのに、ずっと無視してて、ごめんなさい」

先生きっと困ってた。
謝ろうとしてくれてたのに、ちゃんと話し合おうとしてくれてたのに、
電話もメールもずっとしてくれてたのに。

「そんなの、ごとーの自業自得じゃん……!
 梨華ちゃんが謝ることじゃないよ!」

首を左右に振る。違うの先生。
私、それでも先生が諦めないで連絡をし続けてくれる事が嬉しい、なんて思ってたんだよ。
最低だよね。
75 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:28

「それとね、カテキョ、勝手に休んで、ごめんなさい」
「それも…っ…!」
「ううん。謝らせてよ」

先生は言おうとした言葉を飲み込んだみたいに口を引き結んだ。

「ごめんなさい」

頭を下げて先生を見やると、先生は眉尻を下げて困ってるみたいだった。
口元を引き締めて頭をぽりぽりかくと、先生は、はああ、って溜息を吐いて。

「ごとーすっごい情けなくない?」

額に手を置いて項垂れる先生は、言葉通り情けない声だった。
思わず、ふは、と笑ってしまったら、先生は上目遣いで弱々しく私を睨む。

情けなくないよ。だって私はもう十分なんだもん。
一生懸命説明してくれて、必死に謝る先生の姿だけで、もう十分なんだもん。

先生が来なかったのには理由があった。真里ちゃんと一緒だったのにも。
それだけで、もう、十分。

「先生、私ね、先生に嫌われちゃったんじゃないかなって思ってたんだ」
「……!そんなわけないじゃん!!」
「…うん」

先生の姿見てたら、そうじゃないって分かったから、もういいんだ。

「ごとーが梨華ちゃんを嫌いになるなんて絶対ないから!
 絶対絶対ないから!」

必死に否定してくれる先生。
嬉しかった。その姿が、ずっと感じてた不安が全部消えちゃうくらい、嬉しかった。
やばいな、涙が出そう。

熱い何かが胸の中に広がって、私は慌てて俯いた。
先生が持ってる手帳が視界に入る。
先生の手がその手帳を持ち直して。

「梨華ちゃん」

名前を呼ばれた。それまでとは違う静かな声で。
そろりと顔を上げると、先生の瞳とぶつかる。
先生は見たことないくらい真剣な表情をしてた。
思いつめたような、何かを決心したような、そんな顔。

「これの中、見た?」

そう言って先生は、手帳を掲げた。

言葉につまる。
中に書いてあることは読んでない。けれど。
手帳の間に挟んであった、写真を見た。

先生の気持ちを、見た。

一瞬逡巡して、こくりと頷き「ごめんなさい」と頭を下げる。

「いや、うん、別にいいんだけど」

先生は俯いて、一呼吸置き、私を見た。


「ごとー、梨華ちゃんに隠してることがあるんだ」


その言葉を受け止めて、じくじく胸の中が疼き出す。
真里ちゃんの事だ、そう思った。

誰にも言わないでほしいとか言われるのかな。
それとも、応援してほしいって言われるのかな。

そう言われて、泣かずにいられる自信は、なかった。

「梨華ちゃん、ごとーが初めてカテキョに来た日のこと覚えてる?」
「え……?」

予想と違う言葉に、きょとんと先生を見返してしまった。
先生は、私の視線を受けて小さく微笑み言葉を続ける。

「あの日、ごとー、梨華ちゃんに初めましてって言ったんだけど、
 あれ、嘘なんだ」

嘘?嘘って?

先生と初めて会った日の事は覚えてる。
綺麗な人だって、圧倒されて、勉強どころじゃなかった。
今考えれば、あの時から私は先生に惹かれてたんだ。

玄関先でお母さんと先生を出迎えて、確かにあの時先生は、
ふにゃりと笑って『初めまして』って言ったけど。

それの何が“嘘”?



「本当はね、梨華ちゃんのこと、ずっと前から知ってた」



苦笑しながらそう言った先生は、なんだか少し申し訳なさそうに肩を竦めた。

ずっと前からって、あの日よりも前に会ったことがあるってこと?
でも、そんなはずない。先生に会うの、あの時が初めてだ。
前に会ってたとしたら、絶対、絶対、忘れるわけないもん。
76 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:29

「一方的に、ごとーが知ってただけなんだけど」
「えと……?」

よく分からなくて首を傾げた私を見て、先生はまた小さく笑うと、
黄色の手帳からゆっくりと何かを引き抜く。
それが何かは、すぐに分かった。

写真。

太陽みたいな笑顔の真里ちゃんが写ってる、あの写真だ。

先生は、引き抜いたその写真を眺めてた。
真里ちゃんの話をしていた時に見せた、あの優しくて柔らかくて、温かい眼差しで。

ずくり、と心臓が疼いた。
ココロが痛いと叫ぶ。

先生が真里ちゃんのこと好きなのは、私にはどうしようもないって思ってたけど。
それでも、私は先生のこと諦められないって思ってたけど。

やっぱり、これは、ちょっとキツイなぁ。

ねえ、先生は、真里ちゃんのことそんなにも好きなんだ。
私も大好きだよ、真里ちゃんのこと。頼りになって面白くて優しい従姉妹のお姉さん。
大好きだけど、今はちょっとキライだ。
そんなことを考えてる自分は、もっともっと、嫌い。

足元に目を落とす。
先生のあんな眼差し、見ていられなかった。

「梨華ちゃんさ、一目惚れってあると思う?」

その問いに何の意味があるのだろう。
真里ちゃんとの出会いの話でも聞かされるのかな。
考えるのも嫌で、少しだけ頷いておいた。

「ごとーね、一目惚れしちゃったんだ」

ああ、イヤだ。本気で泣きそうだ。




「この写真の梨華ちゃんに」




目を見開く。
たった今聞こえた先生の言葉を、3回頭の中で反芻して。


先生は、今 ――――、


顔を上げた。視線が混ざる。
先生は、ふにゃり、と照れたように笑った。

どくり、と跳ねる鼓動。



―――― なんて、言った?



「せん、せい……?」

どくどく、どくどく心臓の音が大きくなって。
みっともないくらい早くなって。
全身の熱が、上がった気がした。

先生は、ふにゃりとしてた口元を少し引き締めて、真剣な顔になる。
さっきの、思いつめたような、何かを決心したような、そんな顔に。



「ごとーは、梨華ちゃんのことが好きなんだ」



耳に届いた言葉は、先生から貰えると思っていなかったもので。
望んでも、聞けるわけないと思ってた言葉で。

だって、先生、真里ちゃんのことが好きだと思ってた。
その写真だって、真里ちゃんが写ってるから。

早まる鼓動。
じんと熱くなるココロ。

先生がふにゃりと笑った。
77 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:30

「この写真ね、やぐっつぁんに見せてもらったんだ。
 その時に、梨華ちゃんに一目惚れしたの。
 やぐっつぁんに梨華ちゃんの話いっぱい聞いて、会いたくなった」

ねえ、本当に?
こんなこと本当にあるの?

恋焦がれてるのは私一人だと思ってた。
この関係を望んでも仕方ないことだと思ってた。

ねえ、私、信じてもいいの?

「カテキョの話聞いた時はチャンスだと思ってさ。
 やぐっつぁんに紹介してもらって、梨華ちゃんに会って」

先生の声が、心の中に沁みこんで、熱を持つ。



「………もっと、梨華ちゃんのことが好きになった」



照れくさそうにそう言って、先生は、私を見つめた。
その目は優しくて温かくて、少しだけ熱っぽくて。
真里ちゃんに向けられてると思っていた、それで。

ねえ、先生。

思い出す度に胸が締め付けられたその視線は、私に向けられたものなの?

私の目を覗き込むように少しだけ身を屈めて、先生はあの眼差しを私に向ける。




「梨華ちゃんが好きだよ」




心臓が壊れてしまいそうなほど大きく鳴った。
胸の中に広がる熱と痛み。それは酷く酷く甘くて。

「……っ…」

声が出ない。



「梨華ちゃんは?」



そう聞く先生は微笑んでた。静かに柔らかく。
いつもと少しだけ違うその笑みに、私は、ようやく気づく。

先生は、知ってるんだ。
私の気持ち、知ってるんだ。

目頭が熱くなる。
先生の顔がくにゃりと歪んだ。


「ずるい、よぉ……」


知ってるくせに、私の気持ち、知ってるくせに。
そんな風に聞くのは、卑怯だ。

いつから気づかれてたんだろう。

確かに私は、すぐに思ってる事が顔に出るってよく友達に注意されるし。
美貴ちゃんにさえ、この気持ちはバレてたから、
一緒にいた先生には、すぐに分かってしまったのかもしれない。

「そんなこと、聞くの、ずるいよぉ……」

先生の姿が目に溜まった涙で揺れて、情けなく声が震えた。
なんとか睫の手前で堪えてた涙が零れ落ちそうになって、両手で押さえる。
その手も少しだけ震えてた。
78 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:30

「だって、聞きたい」

柔らかいくせに熱に浮かされたみたいな声で先生がそんな風に言うから。
涙が零れて、手の間から頬へ伝って。堰を切ったように後から後から零れ落ちる。

知ってるくせに。

私の気持ちは、最初から、たった一つ。




「好き、だよぅ……」




大好きで、大好きで。

先生が真里ちゃんのこと好きかもしれないと気づいてからも、諦められなくて。
あんなに苦しかったのに、あんなに悲しかったのに。

やっぱり、まだ好きで。
先生が、好きで。

ここが駅じゃなければ、叫び出してしまいたいくらいに。


「せんせ、が、好き」


頬に何かが触れた。
すぐに先生の手だと分かって、触れられた場所が熱を持つ。

「梨華ちゃん、顔見せて?」
「やっ……」

優しく響く先生の声に頭を左右に振る。
涙で顔はぐしゃぐしゃだ。見せられない。

頬を包んでた先生の手がするりと滑って、目元を覆う私の手に重なった。

「顔、見たい」

それは独り言のようにも、懇願するようにも聞こえた。
先生の手がゆっくりと私の手を包み込んで、顔から引き離していく。

どうして私は抵抗しないんだろう。
どうしてその言葉に逆らえないんだろう。

暗かった視界に光が差して、先生の姿が映る。

「梨華ちゃん」

鼓動が跳ねた。

先生は、笑ってるのに、泣きそうだった。

先生の顔が近づいてきて、耳の辺りで止まる。
先生の香りがして、心臓の動きが早まって、頬に熱が集まって。


「ごとーの彼女になってくれる?」


内緒話をするように、小さく囁かれた言葉。

騒がしい駅の中、たくさんの人が集まる金時計の下で、
誰にも聞かれていない、私だけに向けられた言葉。

嬉しくて、胸の奥がきゅうとなる。

苦しいのに酷く甘いこれを先生に伝えたかったけれど、
涙と嗚咽で声が出なくて、私はただ頷いた。

先生は少し笑みを深めて、服の袖口で、いつかのように涙を拭ってくれた。
先生の香りが強くなる。胸がまたきゅうとなって、心臓が壊れてしまうんじゃないかって思った。



私が落ち着くまで、先生はそうしてて。
涙が止まるのを見計らって「帰ろうか、送るよ」って言ってくれた。
ふにゃりと笑って差し出された手に、そっと自分のそれを重ねる。

初めて繋いだ先生の手はやっぱり温かくて、柔らかくて、優しかった。









79 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:31

++++








地元の駅を出ると外はもう真っ暗だった。
ホームまででいいって言ったのに、先生は家まで送ると聞かなくて、
二人並んで、家に向かって歩いた。手はずっと繋がったままで。
街灯がぽつりぽつりと立っているだけの薄暗い夜道。
肌寒かったけど、先生に触れられてる部分は熱かった。

並んで歩きながら、私は先生の言葉に耳を傾ける。

真里ちゃんのこと、先輩の市井さんのこと。
あの写真をもらった時のこと。カテキョになった経緯。

先生は、いつもよりも饒舌だった。

泣いてしまった私の気持ちを和ませようと気遣ってくれたのか、
それとも、ただ沈黙が嫌だったのか分からないけど、先生の話し声は心地良くて、
私の心の奥の方を温かくしてくれた。

家に着いて「お嬢さんをこんな時間までお借りしてすみません」と、
妙に畏まってお母さんに頭を下げた先生を、帰り際、玄関の外で捕まえる。

「あの…!」
「なに?梨華ちゃん」

首だけ回してこっちを見た先生に近づいて、その袖をそっと持った。

「カテキョ、来週から、再開してもいい?」

一方的に休んだくせに、すごく虫のいい話だけど。
でも、先生と会いたいから。

先生はふにゃりと笑って頷いてくれた。
それから、袖を掴んでた私の手をそっと持ってくるりと振り返る。

「梨華ちゃん、次の日曜ってヒマ?」
「……?うん」

私の目を下から覗きこむようにした先生は、にかり、と笑みを広げた。

「遊園地行こう。この間のお詫びさせて」

一瞬、言葉が出なかった。

お詫びと言うなら、先生はもうそれを果たしてる。
だって先生は今日、それよりも、もっと素晴らしいものを私にくれた。

じわりじわりと温かい何かが胸に広がっていく。

また涙が出そうになって、慌てて頷いて先生に見られないように俯いた。
そしたら、先生の小さな笑い声が聞こえてきて。
そろりと顔を上げると、困ったように笑んだ先生が「惜しいなぁ」としみじみと呟いた。

「ここが梨華ちゃんちの前じゃなきゃ抱きしめてるのに」
「な……っ」

頬が熱くなる。耳まで熱い。
何を言ってるの、と言おうとして、にっと悪戯っ子のような先生の笑顔に毒気を抜かれた。
赤くなってるであろう顔を先生から少しだけ逸らすと、ぽん、と頭の上に手が置かれた感触。

視線を戻すと、先生はいつものようにふにゃり笑う。

「あとで電話するから」
「……うん」

さよなら、と言おうとして止まる。
先生が何かに気づいたように、「あ!」と叫んだから。

驚いて先生を見やると、先生は「そういえば」と口を開いて。

「梨華ちゃんの友達にすっごい目付きの悪い子いるでしょ」

そんな風に聞いてきた。
目付きが悪い、で連想される友達は一人しかいない。

美貴ちゃんしか、いない。

だけど、どうして、先生が?
80 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:31

「その子にさ、お礼言っといてほしいんだ」

美貴ちゃんのこと知ってるんだ。
でも、いつ、どこで。どうして?

私の知る限り、美貴ちゃんが先生の事を、
個人的に知っているというような話は聞いたことがない。

「……会ったことあるの?」

先生が笑みを浮かべた。
さっきの悪戯っ子みたいな笑顔だった。


「ちょっと野暮用で」


そう言って先生は、私の頭を撫でて、少しだけ手を握ると、
「日曜日にね」と帰っていった。

先生の背中が見えなくなるまで私はそこで見てた。
それから先生に握られた手を眺める。そこから浸透する温かい、何か。










お母さんに、風邪引くよ、と呼ばれるまで、私はずっとそこでそうしてた。









81 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:32

***











学校の昇降口。夕日が玄関のタイルに反射して、眩しくて少し目を細める。
下校する生徒たちが込み合う中、下駄箱からローファーを出してる美貴ちゃんをやっと見つけた。

「美貴ちゃん!」

手にしたローファーをぱたんとタイルの上に落として、美貴ちゃんがこっちを向いた。
けれどそれは一瞬のことで、美貴ちゃんは視線を戻すと藍色の上履きを靴箱に入れて、
ローファーを穿いて、玄関の外へ。

私は慌ててその後を追う。

「ちょっと!待ってよ美貴ちゃん」

校門へ続く道を歩いてる美貴ちゃんに声をかけても一向に止まる気配を見せない。
もう!どうして止まってくれないのよ!
小走りに近づいて、その腕を取って、ぐいと後ろに引っ張ったら、
美貴ちゃんはやっとその足を止めて。

「つかまえた」

はふ、と息を吐いてそう言うと、美貴ちゃんはちらりと私を一瞥して、
すぐにまた視線を正面に向けてしまった。

美貴ちゃんの態度がどこかおかしい。
彼女を怒らせるような事をした覚えはないし、第一、今日初めて会ったのだから。
昨日の帰り道はいつも通りの彼女だったのに、どうしたんだろう。

そんな事を美貴ちゃんの横顔を見つめながら考えてた。
そしたら、美貴ちゃんが唐突に口を開いて。

「どうしたの?」

なんて聞いてきた。
その言葉をそっくりそのまま美貴ちゃんに返したかったけど、とりあえず今は止めておく。
その前に言わなければならない事があるから。

「あのね、昨日のことなんだけど」

美貴ちゃんは正面を向いたままだ。
私たちの周りを下校する生徒たちが通り過ぎていく。

「先生との事、聞きたいでしょ?」

少しでも美貴ちゃんの態度が変わればいいと思い、笑顔で、冗談めかして言ってみる。
そうすれば、美貴ちゃんはきっといつもみたいに憮然としながら、聞きたくない、と言うと思ったから。
けれど、美貴ちゃんは、憮然とした表情を見せることもなければ、
私に視線を投げることもせず、やっぱり黙って前を見てた。

その態度を不思議に思いながらも、私はその意味を深く考えようとはしなかった。

「……えっと、先生と付き合うことになった」

きっと喜んでくれる。一緒になってはしゃいで、
やったじゃん!って頭をぐりぐり撫でられるだろうなって予想してた。
けれど、そのどれも美貴ちゃんはしなくて、ただ、「そっか」と呟いただけだった。

それから、美貴ちゃんの腕を捕まえてた私の手を静かに払って、すたすた歩き出してしまう。
美貴ちゃんのそっけない態度に拍子抜けしてた私は、慌ててその後を追った。

美貴ちゃんに追いついて隣に並び、そっと美貴ちゃんの顔色を窺う。
その顔には何の表情も浮かんでいなくて、私は首を傾げる。

昨日までの彼女と大違いだ。
やっぱり何か怒らせるような事をしちゃったのかな。

「美貴ちゃん……怒ってる?」
「別に」

恐る恐る尋ねると、またそっけなく返されて。
やっぱり。何か怒ってるじゃない。
82 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:32

「怒ってるー」
「怒ってないし」

憶測は確信へ。

「じゃあ、どうして私の顔見ないのよ」

美貴ちゃんの歩みが止まった。
私も足を止める。

美貴ちゃんは溜息を吐いて、こっちを見た。
その顔には、困ったような、呆れたような、そんな表情が浮かんでて。

「見たよ?」

首をちょこんと傾けてそう言った美貴ちゃんは、苦笑して、
これで満足?とでも言うかのように肩を竦めてみせた。

何よその態度。しょうがないなって感じ。人のことバカにしてるでしょ。
むっとして唇を尖らせる。

「なんでそんなに機嫌悪いの」
「別に。悪くないし」
「ほら、そういう風に言うところが、そうだって言ってるの」

へらりと笑ってそんな風に否定するところが。

美貴ちゃんとは半年近く一緒にいるんだから、
さすがに機嫌が悪いかそうじゃないかぐらいの見分けはつく。

美貴ちゃんは俯いて、少し笑ったみたいだった。


「ごめん」


聞こえてきたのは、そんな謝罪の言葉。

「ただ……、ちょっと、嫌なことあって。本当に怒ってるとかじゃないの」

そう言って美貴ちゃんは、ぽりぽりと頭をかいた。
それから、ゆっくり顔を上げて。


「……上手く、いったんだ?」


美貴ちゃんは笑顔だった。
けれど、何故か、今にも泣き出しそうに見えて。

胸の奥の方が、ざわりとした。

こんな彼女の表情は、どこかで見たことがある。

なんだろう、この感じ。
私は、いつ、どこで、これを感じた?


「良かったじゃん」


夕日のオレンジ色が美貴ちゃんを包み込む。優しく柔らかく、ちょっとだけ、切なく。

美貴ちゃんは笑う。
泣いてるような、困ってるような、からかってるような、そんな顔で。

その表情の理由を探してはいけない。
その理由に、気づいてはいけない。

ざわりざわりと騒ぐ心。息を詰める。
頭で考えるというよりも、本能に近い部分が、私に告げる。

目を逸らせ。見てはいけない。
(一体、何から?)


―――― 美貴ちゃんの、友達でいたいのなら。


小さく息を吐き出して、笑顔を作る。
多分、この場に一番相応しい笑顔を。

「うん。……ありがとね」

美貴ちゃんは少しだけ目を伏せてから、視線をグラウンドに投げた。
でも、その目は何も写していないみたいに見えた。
口元は緩く弧を描いたままだったけれど、笑っているようにも見えなかった。

けれど、私は、そこから視線を逸らす。
83 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:32

「そういえばね、」

美貴ちゃんが口を開く前に私は、素早く次の言葉を発する。
誤魔化すために、何も知らない私でいるために。

「先生が美貴ちゃんにお礼を言っておいってって言ってた」

グラウンドに視線を投げてた美貴ちゃんの表情が途端に変わる。
嫌な物を見るように顔を顰めて、私へ視線を戻した。

その顔からは、さっきの複雑な笑顔は消えていて。
私は心の中でほっと息を吐いた。

「美貴ちゃん、先生と会ったことあるの?」

できるだけ軽く聞こえるように慎重に声を出すと、
美貴ちゃんは「別に」と憮然とした表情で答えた。

美貴ちゃんに対してこんな風に構えて喋るのは、
図書貸し出し係の美貴ちゃんの相手を押し付けられたあの時以来だ。
あの頃の美貴ちゃんを思い出そうとすると、
必ず、もの凄い顔で睨まれたっていう印象でいっぱいになる。
美貴ちゃんの目付きの悪さは、今もあの頃も少しも変わってないはずなのに。

変わったのは私だ。

美貴ちゃんに対する私の気持ち。

目付きの悪い同じ委員会の藤本さんは、
いつの間にか優しいくせに素直じゃない美貴ちゃんへ。

柴ちゃんとはまた違うけど、大切な、かけがえのない、友達になった。

「別にって何よー。会ったことあるってこと?」
「……べっつにー」

苦々しい表情で言い放って、美貴ちゃんは歩みを再開した。
私もそれに続く。

「否定しないってことは、やっぱり会ったことあるんでしょ」
「……知んない」
「いつ、どこで、どうして会ったの?」
「てか、会ったってのは、もう決定なのかよ」
「え、違うの?」
「さぁねぇ」

飄々と答える美貴ちゃん。私は問い続けるものの、
もう、それに対しての答えを求めてはいなかった。
美貴ちゃんがいつものようにしてくれれば、それで良かったから。

私がくだらない事を言って、美貴ちゃんが呆れて、笑い合って、時々怒られて。


それが、私たちの、正しい距離。

84 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:33

意味の無い押し問答を続けていたら、いつの間にか自転車置き場と校門への分かれ道まで来てた。

「駅まで乗る?」

またきっと美貴ちゃんは、自転車の後ろに乗せろって言い出すと思ったから、そう尋ねた。
そしたら、彼女はゆっくりと首を振って。

「亜弥ちゃんと一緒に帰る約束してるから」

なんて言った。
その答えに拍子抜けして、少しだけ寂しい、なんて感じてしまったのは内緒だ。

私は頷き、美貴ちゃんに「ばいばい」と手を振って背を向けた。
自転車置き場へ歩いていくと、「ばいばい」と後ろから聞こえる美貴ちゃんの声。

その声が何だか心細そうに聞こえたのは、多分私の気のせいで。
振り返らずに歩き続けた。


「梨華ちゃん」


その声は「ばいばい」よりも力強く響いたから、呼び止められたのだとすぐに気づく。
私は足を止めて、ゆっくりと、振り向いた。

美貴ちゃんは私を見ていた。
体ごと私の方を向いて、その目も真っ直ぐに私を捉えてた。
唇の端は僅かに上を向いていたけど、その顔に浮かぶのは笑みじゃない。
かと言って、さっきのような複雑な表情でもなかった。

「あのさ、」

美貴ちゃんは私の返答を待たずに喋り出す。



「今、幸せ?」



風が吹いた。
右から左に、私の髪の毛を揺らして、消えた。

私は一瞬逡巡して、笑顔を作る。



「幸せだよ」



先生から好きだと言われて。
付き合えることになって。

美貴ちゃんみたいな子と友達になれて。

私は今、すごく幸せなんだ。

美貴ちゃんが眩しそうに目を細める。
やがて、それは完全に閉じて、彼女はくすぐったそうに笑った。


「そう」


短いその言葉の中に詰め込められたモノから、私は静かに目を逸らす。

それは私が感じていいモノじゃない。
その中のモノに気づいてはいけない。


だって、私は、美貴ちゃんの友達だから。


美貴ちゃんは片手を上げ「ばいばい」を言って、今度こそ本当に私に背を向けて歩き出した。
85 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:33

小さくなるその背中を眺めながら、
私は、昨日の自転車の荷台で感じた美貴ちゃんの背中の温もりを思い出してた。
小さくて、だけど、とても優しくて温かいそれを、きっと私は一生忘れない。

美貴ちゃんの背中が完全に見えなくなってから、私は踵を返し自転車置き場へ向かった。












一人きりの自転車のペダルはとても軽くて、すいすい進む。

だけど、背中に感じる重みも、腰に回される腕の感触も、
憎まれ口も、何もない自転車は、何だかとても、寂しかった。









86 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:34

***









がたがたと揺れる電車の中で、腕時計を見た。
待ち合わせの時間まであと15分。電車はもうすぐホームに着く。

ちょっと早かったかな。
でも、ゆっくりのんびり、ちょっとどきどきしながら待つのもいいかもしれない。

車内アナウンスと共に扉が開く。
私は後ろの人に押し出されるように電車を降りた。

相変わらず人でごった返すホームを抜けて、向かうは金時計。
ちょっと小走りに、わくわくと子供みたいに弾む胸を押さえながら。

東口のガラス張りのドーム型の天井から降り注ぐ眩しいくらいの陽射しの真ん中で、
金時計はあの日と変わらずそこに佇む。

くるりと辺りを見回すと、金時計の下に、先生の姿を見つけた。

先生も私を見つけたようで、小さく手を振ってくる。
その姿に頬が緩んで、私は、歩みを速めた。



もう迷わない。目的地までは一直線。

ただ、真っ直ぐに。










目指すは、先生の、となり。
















87 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:34

>>>金時計の下で


88 名前:金時計の下で 投稿日:2007/05/04(金) 01:35

これで「金時計の下で」終わりです。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました(平伏)
いしごまヲタのくせに藤本さん出しすぎだし、後藤さん出なさすぎだし、
どうなのよって感じですが、りかみき友情?は書いてて楽しかったです(笑)
機会があればまた書きたいなぁ……。

スレ容量がまだあるので、これからは短編をちまちま載せられればな、と思っております。
気が向いたら読んでやってくださいませm(_ _)m

では、お目汚し失礼しました。
89 名前: 投稿日:2007/05/04(金) 01:35

>>63さん
川VvV)<なんだよ

>>64さん
石川さんには今回頑張ってもらいましたよー。

>>65さん
(*´ Д `)<応援されたちゃった…

>>66さん
川*VvV)<えへへ、ありがと亜弥ちゃん

>>67さん
このスレで短いの何個か書ければと思ってます。
無計画に書いてるので次どうなるかはお約束できませんが、
期待せずにお待ちをm(_ _)m

>>68さん
藤本さんはすげえ使い易くて、
いつの間にやらこんな登場回数が増えてたという…(汗)
今回は先生にも頑張ってもらいましたよ。
90 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 02:12
更新お疲れ様です。
感動しました。
やっぱ藤本さんはこうくるのね・・・みたいな(笑)
本編の主人公より気になってしまった。(コラ)
91 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 02:36
良いお話でした。

つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
でも・・・何だかココロが痛いです。
92 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 08:25
黒いバイクの吉澤さんは何処にいったんでしょう?
何はともあれ梨華ちゃんハッピィになってよかった。
みきてィの切なさは後を曳くねぇ。
作者様本当にお疲れさまでした。次の作品も楽しみに待ってます。
93 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 09:40
連日の更新お疲れ様でした!

オトナ(大学生)の後藤さんとコドモ(高校生)の梨華ちゃん。
最高に萌えるお話でとても楽しませて頂きました。ありがとうございます。
次回作も楽しみにしています!
94 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 09:48
なんかこの続きを読んでみたいようなそんな気持ちになる作品でした。
ごっちん梨華ちゃんミキティ実はこの3人どの組み合わせも好きなもので。
ミキティの存在が大きすぎてどうなるんだろうと思ってたらこう来ましたかと(笑
すごく面白かったです!次の作品も楽しみにしています。
95 名前:cow 投稿日:2007/05/04(金) 17:59

いしごまくっついて良かったです(*^^*)

りかみきの友情にも感動!!
でも・・・、
最後の美貴ちゃんが切なく感じました・・・

それは、なぜ???

いしごまくっ付いて嬉しい、美貴ちゃん切ない!

なんか複雑な心境・・・(゜Д゜;)
96 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 19:59
完結おめでとうございます!
胸がジ〜ンと熱くなりました…
また次回作を期待しています!
ところでミキティとごっちんの間に何があったんですか?
ひょっとして読み落としてるのかなぁ?(爆
97 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/04(金) 22:59
いしごまやっぱ最高!!!!
98 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/05(土) 08:04
美貴!!!!私は美貴が大好きだよ!!!!!!
99 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/05(土) 14:10
完結おめでとうございます。
短期間の更新でたくさん読めて嬉しかったです。
先生と美貴ちゃんの間に何があったんでしょう。
そのお話も読みたいなぁと思いました。
100 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/05(土) 17:11
面白かったです。ドキドキしながら読みました。
次の作品も楽しみに待っていますよ。

101 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/03(日) 20:44
続き待ってます保全です
102 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/03(日) 22:27
またラブラブないしごま待ってます!
103 名前:名無し読者 投稿日:2007/06/12(火) 22:39
作者さんのいしごま大好きです!!
104 名前: 投稿日:2007/06/16(土) 23:12

ばかっぷる注意報。
リアルいしごま後藤視点。
105 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:13






じっとマネージャーさんを見つめる眼差し。
どんなに小さな言葉も聞き逃さないように、耳をそばだてて。

その後ろ姿がふと何かに重なった気がしたけれど、その輪郭は酷く不明瞭で、
中途半端に姿を見せたと思ったら、すぐに消えてしまう。


なんだっけ?何なんだろう。

この、首んとこまで出掛かってはいるんだけど。





私は、今日もあの子の後ろ姿を見つめて考える。









106 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:14


***









ベッドの上でテレビに向かって微動だに一つしない後ろ姿。

それは、ピンクのジャージと白のTシャツで、今後の勉強のためと言って、
自分の参加したライブを真剣にチェックする見慣れた梨華ちゃんの後ろ姿なんだけど。

お風呂上りの濡れた髪の毛をタオルでがしがし拭きながら、私はうーんと胸の中で唸った。



数日前から、“それ”が頭の中から離れない。



と言っても、四六時中そればかりを考えてるわけじゃないんだけど、
エレベーターを待ってる時とか、お風呂上りにソファに座り込んだ時とか(まさに今!)、
そんなふとした瞬間に頭を過ぎる疑問。

なんだろうな、梨華ちゃんのこの後ろ姿が何かに重なる気がして、気になってしまう。
何かこう、思い出せそうな、そうじゃないような、もやもやした感じが頭を過ぎる。

タオルを首に引っ掛けて、ベッドに近づく。
あと一歩の距離まで来ても、梨華ちゃんは私の気配に気づいてないみたい。
それだけ真剣にチェックしてるってことなんだろうけど、なーんか、ちょっと寂しーんですけど。

だから、ちょっとだけ乱暴にベッドの上に座ってみた。
そしたら、予想以上に大きな音と共にベッドが揺れて。

梨華ちゃんが振り向いた。

「ごっちん、お風呂上がってたんだ」

その、今やっと気づいたみたいな反応にむっとする。
結構前に出ましたけど。ずっと梨華ちゃんのこと見てましたけど。

梨華ちゃんが勉強熱心で、仕事に手を抜かない人なのも、
真剣になったら、回りが見えなくなっちゃうの知ってるけど。
そんな梨華ちゃんも好きだけれど、なんか、忘れられてたみたいで、やだ。
107 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:15

「上がりましたよぉー」

不機嫌なのが声に表れて、いつもよりも随分低くなってしまった。
けれど、そんな私の態度に慣れてしまったのか、只単に気づかなかっただけなのか、
(たぶん後者だ)梨華ちゃんは気にした様子も見せずに視線をテレビに戻してしまう。

益々むっとして、どうにかその視線を奪う方法を思案しながら、
ぽすり、と梨華ちゃんの肩に顎を乗っけた。

ちょっと前の梨華ちゃんなら、こんな事をしたらびくりと体を揺らして、
『やめてよ』なんて真っ赤な顔で私を煽ってるとしか思えない抗議をしただろうけど、
今の梨華ちゃんは気にするでもなく、自然に私の行動を受け入れる。
あの頃の梨華ちゃんも可愛かったけど、今の彼女の態度は私達が一緒に過ごした時間の証明みたいで、何だかちょっと嬉しかったりして。
……ああ。何か、梨華ちゃんに嵌りすぎだよなぁ、ごとーってば。

「いつのライブ?」と尋ねると、梨華ちゃんはテレビから視線を外さずに淡々と答えた。
それを聞きながら、ついでのようにお腹に両腕を回して、ぴたり、とくっつく。
柔らかくて温かい梨華ちゃんを感じて、ちょっとだけ機嫌が浮上する私は我ながら単純だ。

でもやっぱり視線をはテレビに向けられたまま。

くそう。こっち向け。
そんな思いを込めてぐりぐりと頬を梨華ちゃんの肩口に擦り付けると、
梨華ちゃんが小さく笑いながら「くすぐったいよ」なんて抗議した。
ようし、このまま、こっち向くまで続けてやる。

そう思って、もう一度梨華ちゃんの肩口に頬を擦り付けようとしたら、
突然、彼女がこっちを向いた。

「もう、ごっちん!髪の毛まだ濡れてるじゃない!」

語気を強めてそう言った梨華ちゃんは「はやく拭きなさい。風邪ひいちゃうでしょ」と続けた。
よっしゃ!こっち見た!なんて喜ぶ暇もなく梨華ちゃんはまた視線をテレビに戻そうとしたから、
私は彼女のお腹に回る腕の力を少しだけ強めて。

「……拭いて?」

なんて強請ってみる。
普段こんなこと(あんまり)言わないから、恥ずかしくて逸らしちゃった視線も小さくなった声もご愛嬌だ。
彼女にさえ聞こえてればいい。
108 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:15

梨華ちゃんはちょっと黙って、それから、小さな笑い声。

「なに甘えてるのよー」
「……甘えてるとかじゃないし」

これは甘えじゃないもん。
梨華ちゃんがそっけないから、ただちょっとこっちに注意を向けるために言っただけだし。
普段は(あんまり)言わないんだから。

しょうがないなって感じの言葉に梨華ちゃんの目を見て即座に言い返したけど、
彼女は私を見つめて含み笑い。
当初の目的は達成できたけれど、今度はその視線にちょっと居心地の悪さを感じてふいと逸らす。

また梨華ちゃんの笑った気配がしたと思ったら、体を引き剥がされた。
苦笑した梨華ちゃんの顔が真正面に来て、彼女の両手が伸びてくる。

そこまで認識して、そしたら、突然視界が暗くなった。

混乱は一瞬で、すぐに頭に被せられたタオルのせいで視界が暗くなったと気づく。
頭の上に感じる重みに、梨華ちゃんが私の願いを聞き入れてくれたという事も。

ゆっくり優しく髪を拭う梨華ちゃんの手がとても心地良い。思わず目を細めて、そのまま閉じた。
きもちいいなぁ、もう少し強く拭いてくれても大丈夫だけど、
優しい手の感触だけで何だかもう幸せで。胸の奥の方がぬくぬくする。

そのまま暫くされるがままに梨華ちゃんに身を委ねてじっとしてた。

そしたら突然、頭の上からふふって彼女の笑い声が聞こえてきて。


「ごっちんって、猫に似てるよね」


どうしたんだろうと不思議に思ってた矢先に聞こえたのは彼女のそんな言葉。
その言葉に、うちで飼ってる子たちの事を思い浮かべて、頭の中で首を捻った。
どこらへんが似てるのかさっぱり分からない。

「……そー?」
「うん」

含み笑いして、梨華ちゃんは何だかとても楽しそうだ。
109 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:16

「飼い猫みたいだよ。ほら、猫って犬と違って飼い主にしか甘えないでしょ?
 ごっちんも特定の人にしか甘えたりしないし」

タオルがするりと頭から滑り落ちた。
視線を阻むものがなくなって、梨華ちゃんの顔が視界に入る。
柔らかく微笑む彼女の右手が、まだ少し湿ってる私の髪をそっと耳にかけた。


「あと、飼い主に撫でられると大人しくなっちゃうのとか」


離れていく梨華ちゃんの右手。
同時に聞こえたその言葉が、今さっきの私の事を指しているのだと気づく。

ということは、私の飼い主は梨華ちゃんってこと?
ていうか、私別に大人しくなっちゃったわけじゃないし。
あんまり動いても拭きにくいからじっとしてただけだし。

そう言おうとして、梨華ちゃんの嬉しそうな表情とぶつかった。
勝ち誇ったような、なんだか、余裕綽々なその笑顔。
そんな彼女に、ふつふつと心の奥の方から湧き上がる気持ちに私は気づく。



―――― その余裕な表情を、崩してみたい。




離れた右手をするりと取って、素早く彼女に触れるだけのキスをする。
驚いたような表情を視界の隅に見とめて。

「にゃあ」

鳴きまねをしながら、首筋に噛み付いてやった。
柔らかく、跡をつけない程度に力を入れて。
110 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:16

焦ったように私の名前を呼ぶ声がしたけれど、当然答えずに少しだけ強く噛む。
口を離し、薄く歯形のついた部分を舌先で舐めて、梨華ちゃんを押し倒す。
そのまま彼女の首元から顔を上げずに、ちゅ、と、わざと音をたてながら何度もキスしてたら、
捕まえたはずの彼女の右手が、私の肩を押し返してた。
それに気づいてもう一度その右手を捕まえると、指を絡ませてシーツに縫い止める。

最後に歯形をぺろりと舐めて、梨華ちゃんの首元から顔を離した。
左手は梨華ちゃんの右手に絡めて、右手は梨華ちゃんの顔の横に置く。
見下ろした彼女は、信じられないと言うように私を非難がましい目で見つめてた。
でも、真っ赤な顔でそんな目されたって、全然怖くない。

「……いきなり、」

「猫はさ」

梨華ちゃんの言葉を遮るように言う。


「飼い主に、こんなことする?」


キスして、押し倒して、首元をぺろりと舐めて。
梨華ちゃんの知ってる猫は飼い主にそんなコトするの?

私の言っている事の意味が分からないのか不思議そうな表情をする梨華ちゃん。
余裕綽々の笑顔を崩せた事に小さな満足感を感じながら、彼女の耳に唇を近づけた。


「梨華ちゃんは、ごとーの飼い主なの?」


そっと囁くように呟くと、繋がった梨華ちゃんの右手に小さく力が入ったのが分かった。
111 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:17

「……違う」

ぽそりと聞こえた声に頬が緩むのを自覚する。

ゆっくり顔を上げると、眉根を寄せて私を見つめる梨華ちゃんと視線が絡んで。
そのじっと見つめる瞳や結ばれた口元を見てたら、ここ数日の疑問の答えにはたと気づく。

「違うよ。私はごっちんの飼い主じゃない」

やっと分かった。梨華ちゃんはわんこに似てる。
じっと私を見つめて、一生懸命に応えようとしてくれるその感じが、ご主人様の命令を待ってる犬っぽい。
その中でも、あれに似てる。豆柴!
マネージャーさんの話を聞いてる姿も、エレベーターの表示を見つめてる横顔も、
ライブのDVDを真剣にチェックしてる後ろ姿も、健気で一生懸命なその姿が豆柴にそっくりだ。

やっと解消した疑問と、彼女がこれから口にしようとしてくれてる言葉を想像して、私の口元は自然と弧を描く。



「……恋人、だもん」



恥ずかしそうに、でも真っ直ぐ私を見つめてそう言う梨華ちゃんに、顔がふにゃりと崩れてく。

自分から振っておいて何だけど、何だか恥ずかしくなってきた。
だけど、その何倍も嬉しくて、梨華ちゃんの首元に顔を伏せた。

「ふへへ」
「な、何笑ってるのよ」
「嬉しいからー」

ぐりぐりと頬を擦り付けると、梨華ちゃんの左手が頭を撫でた。
その感触が気持ち良くて、目を細める。

「……もう」
「んん?」
「髪乾かさないと、明日大変なことになるんだからね」
「んー」

ぶつぶつ文句を言う梨華ちゃん、だけど、髪の上を滑る彼女の手は止まらなくて。
もう一度彼女の首元に頬ずりして、目を閉じた。
112 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:17



ねえ、梨華ちゃん。

もし、私が本当に猫でも、私が抱きしめるのもキスするのも梨華ちゃんにだけ。
ご主人様にだって絶対しないよ。

だって、あなたは私のコイビト。







―――― 世界で一番、大好きな人だから。












113 名前:豆柴と飼い猫 投稿日:2007/06/16(土) 23:18

>>>豆柴と飼い猫



114 名前: 投稿日:2007/06/16(土) 23:18

久々にいしごまのいちゃいちゃを書いたので、
何だか読み返して一人で恥ずかしくなってしまいました(阿呆)
二人の相変わらずのバカップルぶりを生暖かい目で眺めて頂ければ幸いです。

容量が微妙になってきたので、このスレではもう更新しないかもです。
またどこかで見かけたら相手してやってくださいませ。

では、お目汚し失礼しました。
115 名前: 投稿日:2007/06/16(土) 23:18
>>90さん
石川さんが完全に藤本さんに食われてしまいました……。
嬉しいような悲しいような(笑)

>>91さん
(´;ω;`)ヽ(´Д` )ナデナデ

>>92さん
吉澤さんは後藤さん側で色々動いてたんですが、
思いの外長くなってしまったので本編では切りました。
機会があればどっかで載せられればいいなぁと思ってます。

>>93さん
レスありがとうございます。
楽しんで頂けたようで、なによりです。

>>94さん
この3人いいですよねー。
自分も大好きなんで、3人言の続きとか未だに見たかったりします(笑)

>>95さん
今回は藤本さんが予想外に頑張ってくれました。
うちの藤本さんを応援してくださる方もたくさんいらしゃって…嬉しい限りです。

>>96さん
ええと、藤本さん、裏で色々動いてた予定なんですが、長くなったので本編では切りました。
どっかで載せられればいいなぁと思ってます。

>>97さん
最高!!

>>98さん
川*V-V)<う、うるせーよ!

>>99さん
先生と藤本さんの間には色々とあった予定なんですが切りました。
機会があればどっかに載せるのかもなので、その時はどうぞよろしくです。

>>100さん
レスありがとうございます。
そう言って頂けて嬉しいです。

>>101さん
>>102さん
お待たせを。

>>103さん
ありがとうございます。
116 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/17(日) 09:56
ごちそうさまでした。
次の場所でのお話も楽しみにしています。
甘いの最高!
117 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/17(日) 13:21
太様
>92です。
有難うございます。吉澤さんの話も是非いつかお願いしますね。
作者様の視点での他カップリングも読んでみたいです。
                 お疲れ様でした。
118 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/17(日) 17:41
待ってました〜!!
めっちゃ嬉しいです
しかもラブラブないしごまで!
またこんなの待ってます
119 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/17(日) 23:45
更新ありがとうございます!
やっぱり作者さんのいしごまは天下一品ですねw
バカップル万歳!!!
120 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/20(水) 20:46
更新おつかれさまです!
もうハァーンとしか言いようがない。いしごま最高ですわ。
121 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/17(火) 20:07
新作待ってます
122 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 04:55
待ってます
123 名前:名無し読者 投稿日:2007/07/28(土) 20:51
新スレ立ってたりしますか??
124 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/10(金) 22:39
立ってるの?
125 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/22(水) 16:23
もう更新ないのかな
126 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/07(金) 22:33
作者さま
お待ちしてます
127 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/02(火) 21:59
作者さんの小説好きです。
リアルネタが少ない今日この頃ですが
お待ちしております。

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