Two DestiniesU
1 名前:あおてん 投稿日:2012/05/21(月) 00:02
Two Destinies二スレ目です。
やすみよメインで、99年後藤加入時の話から始まります。

Two Destinies
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/dream/1328419074/
98年4月〜99年7月の話です。
2 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:07
1999年7の月…
世界の終わりはやって来なかった。

まだ、終われない。
そんな想いと共に、私達は7月を駆け抜けた。
明日香のいない8人のモーニング娘。として。

そして8月を迎え、8人体制だった娘。は9人となり、新しく生まれ変わる。

3 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:08
8月5日。

この日、一陣の風が吹いたんだ。
娘。の未来さえも左右させてしまうほどの、黎明の風。
4 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:09
目の前で軽やかに揺れる金の髪。
光沢のある派手なシルバーの衣装さえも、
彼女のみずみずしい肌の輝きや内から滲み出るオーラを前にすれば、
ただの飾りと化してしまう。

圧倒的な存在感。
皆言葉を発する事も忘れ、ただ彼女に魅入られていた。
さすが、つんくさんに10年に1人の逸材と言わしめただけの事はある。

固唾をのんで見守っていると、緊張した面持ちで後藤さんが口を開く。
「後藤真希、13歳です」
5 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:12
「はっ?13!?」
「マジで!」

後藤さんの一声で、止まっていた皆の時が動き出す。

信じられないとでも言いたげに、誰しもが目を大きく見開いて彼女を凝視していた。
その気持ちはよく分かる。
私だって当時、ASAYANの放送で後藤さんが13歳と知った時、驚きを隠せなかった。
こんな13歳は、きっとどこを探したっていないと思う。
彼女は、確かに私達にはない何かを持っていた。
その事実は、初対面であるはずの皆も理解しているようだった。

結局最後まで、皆の開いた口は塞がる事はなかった。
6 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:14
...
衝撃的な出会いの後…
メイク中、皆は思い思いの感想を述べていた。
「やばい、かわいすぎでしょ」
「13歳のくせにあの色気だよ!」

「それにしても金髪って…最近の中学生はすごいね」
例に漏れず、圭さんも素直な思いを口にする。
強い余韻が残っているのか、その目はどこか遠いところを見ている。
「13歳って…絶対私と同じくらいだと思ってたのに、5個も下だったんだ」
「後藤さんと私が1つしか違わないって事も信じられませんよ」
本当に、次元が違うというのはこういう事を言うんだろう。
7 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:15
後藤さんは類稀な容姿と一風違ったオーラを持っている。
そう、私が隣に立つのも気後れしてしまうほどに。
でも、彼女はまぎれもなく私と同じ人間で、同じグループに在籍する仲間になるんだ。

どういう風に後藤さんに声をかけようか。
そんな事をメイク中もずっと考えていた。
きっと、他の皆も同じだっただろう。
8 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:16
...
ゆっくりと深呼吸して、私は後藤さんが控えている部屋の前に立つ。

これからは、一緒に活動していくんだ。
先輩である私が固くなってちゃダメだ。
まずは、元の世界の“クールな後藤さん”というイメージを拭い去らないと。

「よしっ」

気合いを入れ、一気にドアノブを回して扉を開ける。
9 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:17
「…あれ?」

目に入って来たのは予想外の光景。

「ほら、見て見てハイビスカス柄!かわいいでしょ」
「いいじゃん、超イメージぴったりって感じで似合ってるよ〜」

真里さんが、後藤さんと早くも打ち解けていた。
それこそ、まるで気の合う長年の親友同士のように仲睦まじい雰囲気。
どうやら、二人はお互いの私物で盛り上がっているらしい。
とても今日初めて顔を合わせた間柄には見えない。
10 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:18
「さすがウチの矢口やなあ」
耳に届いた穏やかな声。
「持ち前の明るさで知らんうちに相手の心を開く…
矢口のええところやな」

思った通り、それは裕ちゃんの声で彼女は優しい瞳をして二人を見守っていた。
相変わらず、真里さんが大好きなんだな。
そんな事をしみじみ思っていると、裕ちゃんが不可解な事を言った。

「絵梨香、これからはメンバーに敬語使わんでええ」
11 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:18
「え?」
その言葉を完全に噛み砕くのに時間がかかった。
そしてようやく理解した時、頭が軽く混乱した。

「ええっそんないきなり!なんでですか」
「あの子がタメ口やっちゅーのに絵梨香だけ敬語なんて不自然やろ」

それはそうだけど…
一年以上敬語で接して来たのに、そんなに臨機応変に対応できるわけない。
いや、元の世界にいた頃もカウントに入れると、一年どころじゃない。

困惑していたところに、安倍さん達までもが便乗して来た。

「裕ちゃん、ついでに呼び方も変えさせようよ、
真希にはもうなっちって呼ばせてるよ。
この際統一させた方がいいっしょ」
「じゃ、これから圭織の事はカオリンね。はい、呼んでみて」
12 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:19
「そんな、ご、強引な…」
まごついている私に向かって、今度は裕ちゃんが鋭い視線を送って来る。

「これからあんたも先輩になるんやから、堂々としい。
今まで通りにやりよったら下に見られるで」

裕ちゃんのその言葉にはっとする。
先輩…
そうだ、私、あの後藤さんの先輩になるんだ…。
この世界では、そういう未来がやって来るんだって
頭では分かってたはずなのに、実感が湧かなかった。
だって、本来の世界の価値観で考えると、
天と地がひっくり返ってもありえない事だから。

でも、これで動揺していたら先が思いやられる。
来年には、あの石川さんや吉澤さん達が後輩になってしまうんだから。
13 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:21
「…分かりました」
私は唇を舐めて湿らせ、気持ちを落ち着ける。

ひとまず、今目が合った彩さんからいってみようか。

「彩っぺ」
勇気を出して彩さんをそう呼んでみた瞬間、彼女の眉毛がぴくっと動いた。

「…かゆい」
「は?」

「あんたが呼んだら痒い。私の事は今まで通りに呼んで」
ぶっきらぼうにそう言い残し、彩っぺ…ではなく、彩さんは立ち去ってしまう。

「あーあ、行っちゃった。照れてるんじゃないの。
まあ、私も紗耶ちゃんって呼ばれるの結構好きだし、別に変えなくてもいいよ」
14 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:22
「紗耶香まで水差すなや。
どっちにしろ、ウチらは気持ち入れ替えなあかん。
あんな強烈な個性を持った子が入って来たんや。
もう今までの娘。には戻れへん。
心機一転して、些細な事からでも変えていった方がええ」

こういう時の裕ちゃんには本当に敵わない。
根っからのリーダー気質っていうか。
ちょっと強引で、向上心の高い人。
そんな裕ちゃんだから娘。はここまで続いた。
多分、裕ちゃんがいなかったら
娘。はこれほど結束力のあるグループにはならなかっただろう。

だから、私は素直に笑って、こう答える事ができた。
15 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:22
「うん、分かった。頑張る」
「よっしゃ、それでええ」

裕ちゃんは気持ちのいい笑顔で、ぱしっと背中を叩いて来る。

この人は、私をメンバーだと認めてくれているんだ。
今更な事だけど、それを実感して、私は心が温かくなるのを感じた。
16 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:25
...
とは言っても、長年染みついた習慣を、すぐに変えるのは無理な話だった。

「圭さ…あ、えっと、圭…ちゃん…紅茶入りました」

私は二人分の淹れ立ての紅茶をぎくしゃくとした動作で
テーブルの上に置く。

「ふふっやっぱりまだ慣れない?
そりゃ、いきなり呼び方変えろ敬語やめろって言われても困るよね」

未だに混乱している私に、目の前の彼女はさもおかしそうに笑う。
なんだかこの人、楽しんでる気がする。

「やっぱり、染みついちゃってて」

私達の関係は、部屋に遊びに来てくれる程度には進展したのだけど、
やっぱり躊躇いというものがまだ残っている。
17 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:26
そもそも、保田さん呼びを変える事ですら抵抗があったのに、
ハードルが高過ぎる。
私は友達相手でさえも呼び捨てするケースは稀なのだ。
なのに、そんな私に対して彼女は更にハードな要求をする。

「二人きりの時は圭でいいよ」
「えっ!?」
そりゃ、この人は人見知りなんて言葉とは無縁だろうし、
呼び捨ても抵抗ないだろうけど。

「えっ、って…この間は呼んでくれたじゃない」
18 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:27
この間って…
あの時、だよね。

バリ島での出来事が頭の中を過る。

あの時は、雰囲気に上手く溶け込めてすんなり呼べたけど、
今真顔で呼ぶにはあまりにも照れ臭い。

でも、期待を込めた彼女の表情を見たら、抗えるはずがなかった。
19 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:28
「圭…」

名前を呼ぶだけで、こんなにドキドキするだなんて。
そして、目の前の彼女も、ただ名前を呼ばれただけなのに、
嬉しそうに目を細める。

「娘。で絵梨香だけだよ、私をそう呼ぶのは…。
絵梨香が私を圭って呼ぶ事も、誰も知らない」
「私達だけの秘密なんですね」
「あ、また敬語…」

そう指摘しながらも、圭さん…いや、圭ははっとしたように口を噤んだ。

「圭…?」
20 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:29
「…でも、やっぱ無理はさせられないよね。
二人きりでいる時だけは、絵梨香に肩の力を抜いて欲しいし。
娘。はノンストップで先へ先へと進んで行ってるけど…
プライベートだと話は別でしょ?
私達は、私達のペースで、ゆっくりやっていこう?」

本当に、あなたは優しい。

それは“保田さん”にも言える事だった。
いつも私を気遣って、温かい言葉をかけてくれた人。

だけど、今、私の心を動かしているのは、他の誰でもない“あなた”だ。

「ありがとう、圭。今すぐに変わる事は無理かもしれません、けど…
私は、圭と一歩ずつ進んで行きたい」
「うん」
21 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:30
私を見る瞳が甘く潤んでいる。
大きなその瞳は、深い色をした宝石みたい。
いつまでも見ていたくなる。

「ねえ、好きだよ。
絵梨香が考えているよりもずっと、私は絵梨香を想ってる」
「圭…」

圭を大切にしよう。
私は、この世界の理からはみ出した存在。
だけど、胸を占める気持ちだけは本当だから。
私も、信じられないほどに、この人を愛しているから。
22 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:32
...

「おはようございまっす」
いつも通りに楽屋のドアを開けると、見慣れない後ろ姿があった。

あれ?
もしかして私部屋間違えた?
咄嗟にドアを閉めようとするけれど、寸前で思いとどまる。

そんなわけないか。
モーニング娘。様ってちゃんと貼り紙に書いてあるし。
23 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:32
「絵梨香ちゃん?」
その時、ショートカットの人が私の方にくるりと向き直った。

一瞬、思考が止まった。
まさか…紗耶ちゃん?

「…紗耶ちゃ…その髪!?」

一瞬、市井さんと呼びそうになるのを、慌てて抑えた。
肩口で切り揃えられていた綺麗な髪は
更に短くなっていて、首周りがすっきりしている。

髪型を変えるだけで、これほどに見違えるなんて。
24 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:35
「うん、切っちった」
へへっと笑いながら、紗耶ちゃんは短くなった髪を
一房つまんで見せる。

「随分思い切ったね」
「新しく入った子…あの子って相当垢抜けてるじゃん?
教育係の私が野暮ったい髪してるのもアレだしさ」

そう。
元の世界と同じように、後藤さんの教育係は紗耶ちゃんに決まった。
私を彼女の教育係にすればどうかという案もあったらしいけれど、
結局は紗耶ちゃんが適任とみなされたようだ。

私もそう思う。
後藤さんの教育係は、紗耶ちゃん以外に考えられない。
25 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:35
「短くしたらすっきりしたよ。もう二度と伸ばせないってくらい楽」

とは言っても、伸ばしていた髪をここまで短くするのは相当の勇気がいると思う。
やっぱり、後藤さんの教育係に就いたのは、彼女にとって大きな転機だったらしい。

紗耶ちゃんの決意というものが垣間見えた気がした。
26 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:37
「うわっ紗耶香男前になったじゃーん!爽やか系?」
「イメチェン大成功じゃん。いいな、矢口も金髪とかにしよっかなー…」

突然の紗耶ちゃんの変貌ぶりに、きゃいきゃい騒ぎ立てる皆。
私はそんな彼女達に囲まれる紗耶ちゃんを、
少し離れたところでじっと見つめていた。

元の世界で“市井紗耶香”と聞いて、真っ先に結びつくイメージは、
まさしく今の彼女の姿だった。
紗耶ちゃんのこの姿こそ、本当の彼女の姿だったのかもしれない。

“市井さん”の姿と、紗耶ちゃんの姿…
既視と重なる。

全てにおいて彼女に負けたくないと思っていた。
だけど、直感的に感じた。
私が負ける事は避けられないだろうと。
27 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:38
...
8月も後半にさしかかった頃には、皆モーニング娘。は
9人なんだという意識を持つようになっていた。
私達2期メンバーが加入して間もない頃の娘。とは、明らかに違う。

二度目の増員で、皆この体制を受け入れられる余裕ができたという事だろうか。
28 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:39
私は親しみを込めて後藤さんを“ごまちゃん”と呼ぶ事にした。
彼女は、響きが可愛い!と言ってとても喜んでくれたから。

ごまちゃんが最年少という事もあって、
皆は何かと彼女を気遣い、可愛がるようになっていた。

その中でも、やっぱりごまちゃんにとって紗耶ちゃんは別格なようだ。
いつでもどこでも、ごまちゃんが真っ先に視線を追うのは紗耶ちゃんの姿。
年も近いし、一緒にいる事が一番多いから、自然な流れだとは言える。
29 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:40
「市井ちゃーん!」
「もうっあっちいよ、後藤」

「ほんと、後藤はカルガモみたいだよね」
じゃれ合う二人を、圭が微笑ましそうに見ている。
「そうだね…」

羨ましいなって思う。
こんな風に人目をはばからず全身で愛情表現できる素直さ、
私はどこかに置いて来てしまった気がする。
30 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:41
だけどその反面、一種の恐れを感じた。
まるでごまちゃんは、紗耶ちゃんが全てだというように、
決して彼女の側を離れようとしない。

依存していると言っても間違いじゃない。
もしも紗耶ちゃんが娘。からいなくなれば、
壊れてしまうんじゃないだろうか。

ごまちゃんは、この時が有限だなんて、きっと考えもしていない。
この世界の紗耶ちゃんが、まだ早々に娘。を抜けると決まったわけじゃない。
だけど、私は心のどこかでその可能性に怯えていた。
31 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:42
...

廊下を歩いていると、ロビーの長椅子に
紗耶ちゃんとごまちゃんの姿があった。
楽屋にいないと思ったら、こんなところにいたんだ。
しかも、ごまちゃんは紗耶ちゃんの膝にもたれ、ぐっすりと熟睡している。

「あ、絵梨香ちゃん」
私の視線に気付いたのか、紗耶ちゃんは爽やかな笑顔を向けてくれた。

「ごめん、邪魔したよね」
「ううん、こいつグースカ寝ちゃって退屈だからさ、話相手になってよ」

紗耶ちゃんにそう言われても、一瞬躊躇してしまった。
だって、この二人の間に流れる空気が、とても濃密なものに感じたから。
私が入ったら、二人の空間を壊してしまうんじゃないかって
錯覚しそうなほどに。
32 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:43
それでも、私はおずおずと紗耶ちゃんの隣に腰かけた。

彼女の膝の上には幼い寝顔。
まるで、母親に全てを委ねて眠っている無垢な子供みたい。

「よく寝てるね。紗耶ちゃんといるとよっぽど安心できるんだよ」
「そうかな。結構後藤にはきつい事言っちゃってるんだけどね。
この間も涙目にさせちゃったし」
33 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:44
「本当に、紗耶ちゃん最近楽しそうだね」
「そう?うん…そう、かも。
やっとこの世界で生きる意味が見つかったからかな」

どこか儚い雰囲気を漂わせていた紗耶ちゃんは、もういなかった。
相変わらず線の細い体をしているけれど、その瞳には強い意志が宿っていた。

「生きる意味…」

「白状すると、デビューしてからも、私はコンプレックスのカタマリだったんだよね。
目立たない存在だし、なんで私ここにいるんだろうって。
ずっと絵梨香ちゃん達が羨ましいって思ってた。
絵梨香ちゃんは何でも器用にこなせるし、矢口は底抜けの明るさで誰とでもすぐ打ち解けられるし、
圭ちゃんは努力家で歌上手いし、私には何も誇れるものがないって。
でも、何だか最近変われた気がするんだ。
後藤の教育係になれた今が、きっと一番幸せだと思う。
やっと、私の居場所を見つけた。こればっかりは誰にも譲れない」
34 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:47
「紗耶ちゃんは自分を過小評価し過ぎ。
ごまちゃんの教育係は、紗耶ちゃんにしか務まらないってのは間違ってないけど」

紗耶ちゃんが側にいたからこそ、ごまちゃんは
短期間でダンスをマスターするという過酷な課題もやり遂げる事ができた。
プレッシャーに耐え切れずに泣き出したごまちゃんを
救ってあげられたのは、他でもない紗耶ちゃんなんだ。
35 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:47
今が一番幸せ…
紗耶ちゃんのその言葉に偽りなんてものはない。

まるで全てが満たされているかのようなやわらかな表情で、
紗耶ちゃんは優しくごまちゃんの髪を撫でているから。

「んぅ…」
私達の話し声が眠りの妨げになってしまったんだろう。
ごまちゃんは顔をしかめながら、もぞもぞと体を動かす。

紗耶ちゃんはそれを見て頃合いだと判断したのか、
会話を切り上げ、ごまちゃんの肩を揺する。
36 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:48
「後藤、もうしっかり睡眠摂ったでしょ。いい加減起きな」
「うう…まだ眠い」

あと少し寝かせてあげたら?と私が口を挟む隙も与えずに、
紗耶ちゃんはごまちゃんを自分の膝の上から強引にどかした。

「んもー…市井ちゃんのけち」

ごまちゃんは頬をふくらませ、分かりやすいほどにむくれる。

元の世界にいた頃は分からなかったけれど、
ごまちゃんは意外に幼くて、くるくると表情が変わる子だった。

明日香の時もそうだったけど、やっぱりテレビで
一方的に見ていた頃のイメージと混同してはダメだな。
37 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:49
「あれっみよっちゃん?なんでここにいるの?」
「うわ、やっと気付いたの?
ごまちゃんから寝てる時からずっといたよ」

私は苦笑いしつつ、ごまちゃんの頭にぽんと手を乗せた。

本当にごまちゃんにとっては、紗耶ちゃんが全てなんだろう。
だけど、早々に別れが来る可能性は極めて高い。

歴史をなぞるなら、紗耶ちゃんは来年…

私はその時どうするんだろう。

どちらにせよ、二人の事も、見守って行きたいと思った。
そして苦難に遭遇した時には、私ができる範囲で助けられたらいいと。
38 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:50
...

9月9日に、とうとう「LOVEマシーン」が発売される。

だけど、オリジナルの「LOVEマシーン」とは少しだけ毛色が違う。
ところどころ、曲のアレンジが異なっている気がする。

そして何よりも、ダンスが元の世界のものとはかけ離れているのだ。
今回のダンスを一言で表すならば、スタイリッシュ。
元の世界のように、誰もがすぐに覚えられるような振りはない。

ただ、これはこれでインパクトがあると言える。
本来の「LOVEマシーン」ほどのロングヒットを記録する事はなくても、
この曲は娘。にとって最大のヒット曲になる事は間違いない。
39 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:51
一度大ヒットを飛ばせば、今後もずっとそのイメージがついて回る。
元の世界のものとは違う「LOVEマシーン」という曲を
背負い続けていかなくてはならないんだ。

これから先娘。がどういう方向へ進んで行くのか予測がつかない。
だけど、娘。の行く先を、この目で確かめたいと思った。

私はもう一人じゃないんだと、そう信じられるようになっていたから。
40 名前:第29話 黎明の風 投稿日:2012/05/21(月) 00:52
第29話 黎明の風
41 名前:あおてん 投稿日:2012/05/21(月) 00:54
やっとごっちん加入です。
元の世界と大きく干渉するようになるのは終盤になると思います。
42 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/05/21(月) 01:04
新スレおめです
物語が動きそうな予感…
43 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:18

第二の『LOVEマシーン』は大ヒットを記録した。
手ごたえは感じていたし、予想通りと言えば予想通りだった。
老若男女問わず口ずさめる曲というのが高ポイントだったようだ。
やっぱり、歌いやすい曲調というのは、ヒットしやすい傾向にあると思う。
もちろん、例外もあるけれど。

そして、洗練された振り付けのアンバランスさが逆に新鮮だと受け止められたらしい。
予想通り紗耶ちゃんも、あの後藤真希の教育係という事で一躍有名となった。

この流れに乗るように、ごまちゃんを加えた4人の新生プッチモニが生まれる事となった。
44 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:19
ここまではトントン拍子で話が進んだ。
でも、ひとつの問題が発生した。

つんくさんが曲作りに煮詰まっているようなのだ。
その曲とは、ごまちゃんを入れたプッチモニのセカンドシングル。
この世界のプッチモニは『乙女の心理学』でデビューをした。
次曲はおそらく『ちょこっとLOVE』になるだろう。

元の世界のつんくさんは、すんなり曲を書き上げていたように思うけど…
やはり此処は元の世界とは違うのか、
つんくさんは生みの苦しみを味わっているようだ。
ピリピリしたオーラを放っている事が増えた気がする。
メンバー達はそれを敏感に察知して、遠巻きにつんくさんを眺めるほかなかった。

けれど今日、私はあえてそんなつんくさんに接触してみる事にした。
未来を知っている分、何かのきっかけで
つんくさんにインスピレーションを与えられたらと思ったから。
45 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:20
...

「はあ。どないしたらええんや」
つんくさんは椅子に座り、前髪をぐしゃぐしゃと掻きながら唸っていた。
やっぱり軽いスランプ状態から脱却できていないようだ。

「つんくさん!」
思い切ってその背中に声を掛けてはみたけれど、反応がない。

「『メモ青』と『忘れらんない』は似たりよったりって言われてもうたし…」
どうやら私の存在に気づいてもいないみたいだ。
私に聞かれているとも知らず、ずっと独り言を言っている。

「あの、つんくさん?」
「このままR&B続けてもどうしたって宇多田とかには太刀打ちでけへんもんなぁ」
46 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:20
仕方がないので私はつんくさんの耳元で囁いてみた。

「いっその事コミカル路線にいくのはどうですか?」
その瞬間、つんくさんは耳元を押さえて飛び上がった。

「なっ!三好!おどかすなや」
「つんくさんがいつまで経っても返事してくれないんですもん」

よほど気がかりな事があるんだろう。
それが何なのかは、私も理解していた。
47 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:21
「コミカル言うてもなあ」
「ちょっと待ってて下さい」

私はスタッフさんからギターを借りて来て、
ちょこっとLOVEを即興で演奏して見せた。

いや、演奏にもなっていない。
たどたどしく、耳に残っていたメロディーラインをなぞっているだけだ。
それでもつんくさんは目を丸くして、私の指の動き
一つ一つさえ食い入るように見ていた。

「三好…お前、ギターうまなったな」
「そ、そっちじゃなくて!
次のシングルはこういった可愛らしいポップな感じがいいんじゃないかって
私は思うんですけど」
「うーん…」

しかし、つんくさんの反応はいまひとつだ。
つんくさんなら、目をキラキラ輝かせて
“よっしゃ、それでいくか!”って言ってくれるかと思ったのに。
48 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:22
ダメか…。

「用はそれだけです。すみません、作業の邪魔して」
「いや、ええ気分転換になったで」
そう言ってくれるけれど、これ以上他者の介入を許さないという、
つんくさんの有無を言わさないオーラを感じた。
だから、私は素直にこの場から立ち去った。

つんくさんにとって、会心の出来の楽曲が生まれる事を信じて。
49 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:22
...

そして、数日後に出来上がった曲…
それを耳にした時、思わず「違う!」と叫んでしまいそうになった。

曲のタイトルは『ちょこっとLOVE』。
しかしそれは私の知っている『ちょこっとLOVE』ではなかった。
アレンジも、歌詞も違う。
50 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:23
元の世界の『ちょこっとLOVE』は、今でも私の記憶に残っている。

だけど、今頭の中で響いている音を
私が完全な形で表現する事はできない。
元の世界からそのまま音源を持ってくる事もできない。

それが歯がゆくてたまらない。

この曲は、『ちょこっとLOVE』であって『ちょこっとLOVE』ではない。
51 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:24
『忘れらんない』の頃から、娘。が劇的に変わって来ている。

元々、三人だったはずの二期メンバーの枠に、私が無理に入り込んだ…
確かに、その時点で歪みを生じさせてしまったのは否定のしようがない。
でも、最初はこの世界に及ぼした影響は微々たるものだったはずだ。

これほどまで歴史が変わってしまった原因。それは。
私が…私が明確な意志を持って運命を変えたから。
『ふるさと』を『忘れらんない』に無理やり差し替えさせたから。

私の判断が後の娘。の音楽路線にさえ影響を及ぼしてしまった。
私一人の力じゃもう軌道修正できないところまで来てしまったんだ。
52 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:25
「いい感じの曲だね、市井ちゃん!」
「せやろせやろ、なかなかの自信作や」

無邪気に喜ぶごまちゃんに、つんくさんが気を良くしたのか目尻を下げる。
紗耶ちゃんも、圭も、曲を耳にして
よりいっそうやる気を見せているのが分かった。

こんな状況で、本心を伝えられるわけないじゃないか。
53 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:25
直後にASAYANのカメラが回っている事に気づく。
スタッフさんが、『ちょこっとLOVE』の感想を
メンバーに聞いて回っている。
私は慌てて気持ちを切り替えた。

「『ちょこっとLOVE』を聴いてみて…
そうですね、あんまりかっこいい曲だったから驚いちゃいました。
私達が新たなスタートを切るのにぴったりな曲だと思います」

瞬時に仕事用のスマイルを作る事も、もうすっかり慣れてしまった。
それでも、やっぱりどうしようもないほどの違和感は拭えなかった。
54 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:26
...

そうこうしているうちに、11月に入った。
この世界で二度目の誕生日を迎え、私は戸籍上15歳となる。
またひとつ、年を重ねる。
何食わぬ顔で、この世界の住人に溶け込んで。
55 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:28
...

そして直後のプッチモニ合宿。
ウィークリーマンションを借りて、4人で強化合宿が行われる。

遂にこの時がやって来た。
この時、“市井さん”は高熱を出してしまった。

今回、紗耶ちゃんも彼女と同じ道を辿るのだろうか。
事故やケガはまだ防ぎようがあるけれど、病気だと話は別だ。
私ができる事は限られている。

それでも。
なんにせよ、注意はしなければならない。
56 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:29
...
「紗耶ちゃん、具合悪いんじゃない?無理しない方がいいよ」

「大丈夫だって。それに具合が悪かろうが、
この合宿は何があっても絶対に中止できないから」

カメラの回っていないところで、私は小声で紗耶ちゃんに話しかける。
できる限り紗耶ちゃんのコンディションに気を配ってはいたけれど、
彼女の決意は固かった。
早めに合宿を切り上げる事を勧めてみるだけ無駄だろう。

それでも、紗耶ちゃんの体が本調子じゃない事は皆薄々気付いていた。
スタッフさんの気遣いで、消灯時間は比較的早かった。
57 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:30
...

「ん…」
瞼を透かす淡い光。
どこからか灯りが漏れている。

私はうっすらと瞳を開けた。
…まだ、誰かが起きてるんだろうか。

睡眠を妨げられたにもかかわらず、頭がすっきりとしている。

そもそも、あんなに早く就寝する事なんてめったにないからなあ。
途中で目が覚めてしまう予感はしていた。
58 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:31
「今何時だ」

枕元に置いた腕時計を確認すると、まさに深夜だった。
しかし、このまま二度寝する気にもなれない。
私はむくりと起き上がり、周囲を見回した。
59 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:32
こちらに差し込む光は、扉の隙間から漏れたものだった。
それを頼りに、膝歩きでそろそろ扉へと近付く。

扉の向こうには、紗耶ちゃんとごまちゃんがいた。
ぼんやりと眺めていると、彼女達は振り付けの確認をしていた。
その事実に純粋に驚く。

特に、紗耶ちゃんは体調が悪いのに…。
だけど、割って入る事はできなかった。
紗耶ちゃんの情熱を、止められるわけがない。

息を詰めて様子を見守っていると、二人の話し声も聞こえて来る。

「後藤はさ、すごいよね。
華があるから、ちょっとした振りもサマになる。
なんか、市井自信なくしそう。私が教えられる事なんて限られてるし」
60 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:34
「絵梨香?何してんの」
「ぅひゃ」

肩にぽんと手を置かれて、私は心臓が跳ねあがった。
叫びそうになったのを必死で抑え込む。

「け、けぃい…」
一瞬寿命が縮んだ。
思わず恨みごとを言いたくなったけれど、私は視線を元に戻した。
今は二人を見守りたかった。

私が見つめている先に何があるのか圭も理解したのか、
彼女もその光景に釘付けになっている。
61 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:35
「市井ちゃんはごとーの力を引き出してくれる人だよ。
別にごとーがすごいんじゃないよ。
市井ちゃんと一緒にいるから、人目を引くんだよ。
市井ちゃん、かっこいいもん」
「なっ…」

ごまちゃんの言葉に、紗耶ちゃんは面喰っていた。
無理もない。
けれどそんな紗耶ちゃんの様子も物ともせず、
無邪気な笑顔を浮かべて言葉を続けるごまちゃん。

「ごとーはね、周りにどれだけ人がいても、
すぐに市井ちゃんを見つけられる自信あるよ。
なんか、こんな事言うのもおかしいかもしんないけど、
市井ちゃんの周りの空気が澄んで見えるの。
市井ちゃんはいっつも真っ直ぐで、優しくて、一生懸命だからかな」

ごまちゃんは相変わらず彼女に追い打ちをかけるように、
真っ直ぐな視線をぶつけていた。

「な、何言ってんだよ後藤。市井より後藤の方がよっぽどっ…」
62 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:35
「…聞いてるこっちが恥ずかしくなって来ちゃったんだけど」
「うん、まったく同意見」
「なんかこれ以上盗み聞きするのも悪いし、寝なおそっか」
「だね」

退散するにはいいタイミングかもしれない。
ほのかに顔が赤い圭の肩を抱き、私は布団へ導く。

紗耶ちゃんとごまちゃんのやり取りは見ていて気恥ずかしかったけれど、
ほっとしていた。

紗耶ちゃんの熱い想いは、ちゃんとごまちゃんに受け継がれていた。
その事が分かったから。
63 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:36
そう言えば…
“保田さん”も、梨華ちゃんの教育係だったんだよね。
梨華ちゃんは、“保田さん”を大好きな先輩だと言っていた。
梨華ちゃんの前で、教育係として“保田さん”はどんな顔を見せていたんだろう。

正直、羨ましいという気持ちがある。
私に教育係が就くなんて未来永劫ありえない事だから。

「いいよね。教育係って。
素敵な先輩に1対1で指導されるって、一体どんな感じが…」

最後まで言い終える事ができないまま、思わず私は口を噤んでしまう。
今私を見つめる圭の、形の良いアーモンド型の瞳は、
深みを増しているように感じた。
その引力はこちらの目が眩みそうなほどで…
だけど、顔を背ける隙もない。
目の前の茶色の瞳に、魅入られていた。
64 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:37
「どうしたの?じっと見て」
まるで心まで見透かされているような気がして、
私はごまかすように笑った。

「何でもない」

「絵梨香…もしかして今、寂しいって思ってる?」
「へ?え、いや、…」

私が何か言うより早く彼女の腕が伸びる。
そして、しなやかな動きで私を自分の布団の中に招き入れた。

「圭…」

さっきよりも圭との距離が縮まり、心がきゅっと締め付けられる。
“保田さん”とは違う。
だけど、私の愛してやまない人の腕の中。
65 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:38
「絵梨香って甘えるの下手くそだよね」
「そう、なのかな」

自分では自覚はないけれど。

「後藤を見て思ったんだけどさ、どれだけ外見が大人びてて、
クールなイメージがあっても、まだ13歳じゃん。
どうしても甘えたい時ってあるはずなんだ。
…絵梨香にも、同じ事が言えると思うの。
絵梨香はいつも私を引っ張ってってくれるけど、私も、絵梨香に何かしたいから」

ふわりと優しい肌の匂いがする。

「甘えたい時には、私に甘えたいって言っていいんだよ。
ううん、本当は…私が絵梨香に甘えて欲しいって思ってるのかな」
66 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:38
昔の私なら、きっと強がっていた。
だけど、圭の声があまりに優しいから、素直になる事を許されてるんだと思える。

「…じゃあ、5分だけ腕枕して欲しい」
「みじかっ、そんなんでいいの?」
「だって、いつカメラが来るか分かんないし」
「それもそっか」

圭は小さく笑って、私の頭の下にそっと腕を滑り込ませる。

トレーナー越しだけど、確かな腕の感触がある。
やわらかくて、しなやかな腕。
その感触だけで、私は今日の疲れ全てが癒える気がした。
67 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:40
...

5分きっかりに私は身を起こし、自分の布団へと戻っていった。
そこで再び訪れる静寂。

明日には、紗耶ちゃんの熱が39度まで上がる。
でも、“自分の体に鞭打ってでも、プッチモニの一員として、
後藤の教育係として責務を全うしようとした”という美談に扱われる。
そうすれば、紗耶ちゃんの株は上がり、世間の注目を更に集める事となる。
68 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:41
「っ!」

私…今、何を…

さっきまでの思考が、自分でも信じられなかった。

私は、大切な仲間を、数字稼ぎの道具にしようとしていた?
そこまではいかないとしても…

私は彼女達を、何かの物語の登場人物のようにしか
見ていない節があるのかもしれない。

そんな自分認めたくない。

だけど、実際問題、彼女達の存在にリアルを感じられない時がある。
まるで、虚像のように脆く儚い存在に感じてしまうのだ。
いつか、一瞬にして私の前から消えてしまうんじゃないかって。
むしろ、この世界では私自身がフェイクなのに。
69 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:41
圭はこうして実在するのに。
息をしていて、心臓だって動いてるのに。


汚い。
こんな自分許せない。
70 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:42

私がれっきとしたこの世界の住人だったら。
未来なんて知らなかったら。

正真正銘の15歳の少女だったら、きっとこんな風に考えなくて済んだ。

ただ仲間と共に前に進み、夢を追い求め続ける事だけに必死になれた。
71 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:43
「どうしたの?」

私の様子が違う事に気付いたのか、隣の圭が私の手にそっと触れて来た。

「圭…」
言葉がすぐそこまで出かかっているのに、
今になってそれを伝えるべきか逡巡する。
こんな私でも、皆と同じ仲間だと名乗れる資格はあるんだろうかと。

結局、それを口に出す事はできなかった。
そのかわりに、親指で圭の手の甲を撫でながらそっと囁く。

「圭は、圭のままでいて」
72 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:43
さっぱり分からないと言いたげに、小首をかしげる圭。
そんな圭が愛おしい。

圭には知られたくない。
こんな薄汚い自分を。
キスをしたくなる衝動を閉じ込め、やわらかく微笑んだ。

「分からなくてもいいよ。…おやすみ、圭」
私がそう言うと、圭は素直にすっと目を閉じた。

そして数分と待たず、穏やかな寝息が聞こえて来る。
73 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:43
様々な感情が通り過ぎるのを一人布団の中で待った。

私は愚かだ。
私は薄情だ。
私はまがい物だ。

それでも、確かに保田圭という人を愛している。
苦楽を共にする仲間が、娘。という居場所が、宝物だった。
私を受け入れてくれたこの世界が大切だった。

失いたくない。
私は決して離さないと言うように圭の手をぎゅっと握りながら目を閉じた。

74 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:44
...

翌朝。
元の世界と同様に、紗耶ちゃんの熱は39度に上昇していた。

合宿を切り上げようよと涙ながらに訴えるごまちゃんに、
紗耶ちゃんは絆されなかった。
自分の体を気遣っての事と理解していても、彼女は決して首を縦に振らなかった。

「いい?後藤。うちらはアーティストなんだよ。
アーティストは常に進化し続けないといけないんだ。
留まってちゃダメなんだよ。
一瞬でも気を抜いたら、他のヤツに追い越される。
この業界は椅子取りゲームみたいなものなんだから」
75 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:46
合宿を止めようと騒いでいたごまちゃんも、
とうとう最後は涙を呑んで納得して見せていた。

私達も、紗耶ちゃんの気迫に圧倒され何も言えなかった。

紗耶ちゃんがこれほど熱いものを内に秘めていただなんて、
想像もしてなかった。
今回の合宿への力の入れようは尋常じゃなかった。
そう、まさしく鬼神のような。

彼女をそこまでさせているのは何なのだろう。

元々、紗耶ちゃんは負けん気の強い子だ。
でも、きっと、ごまちゃんの存在も大きいのだと思う。
ごまちゃんを真剣な眼差しで見つめている紗耶ちゃんを見ると、
そう思わずにはいられなかった。

結局、合宿は紗耶ちゃんの熱が39度6分に上がるまで続けられた。
76 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:47
...

合宿を無事乗り切ってからも、
私達プッチモニは慌ただしい日々を送っていた。
『乙女の心理学』をリリースした頃とは
比べ物にならないほどの過密スケジュール。

「後藤何やってんの!アーティストにそんなミス許されないよっ」
今日も紗耶ちゃんの怒声が響き渡った。

「また市井ちゃんに怒られちゃった」

私と目が合うと、ごまちゃんはきまり悪そうに笑う。
この頃から、紗耶ちゃんは口癖のように“アーティスト”と
いう言葉を使いだした。

アーティストという言葉に未だ違和感を感じてしまう私がおかしいんだろうか。
77 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:48
それでも、紗耶ちゃんが自分をアーティストだと自負し、
使命に燃えている事は間違いない。

この間のうたばん収録の時も、紗耶ちゃんだけが
「グループよりもソロ活動をしたい」と言っていた。

紗耶ちゃんは、きっと娘。という場所から飛び立って自由になりたいんだ。
現状に満足できなくなってしまったんだ。

その事実に、私は危機感を感じずにはいられなかった。

78 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:50
...

「ちょっと聞きたいんだけどさ。
圭の考えるアーティストって何だと思う?」
「アーティスト、ねえ…」

圭はクッションを抱えながらも、考え込むように瞳を伏せた。

私は今、圭の部屋に遊びに来ている。
圭は都内で一人暮らしを始めたのだ。
ちなみにこの部屋は以前、なっちが住んでいた。
照明が落ちて来た記憶はトラウマだけど、それでも
隣に圭がいてくれるなら何も怖くなんてない。
79 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:50
「定義がよく分かんないよね。
自分で作詞作曲も歌も演奏も全部やって初めてアーティストだって言う人もいるし、
そのどれか一つしかできなくても、人を魅了させられたら
一人前のアーティストだって意見も聞くし」
「圭も、できれば早くソロでやりたいって思ってる?」

私の問いに、圭は即座に首を横に振る。
「私は今のままじゃダメだって事くらいは分かってる。
まだまだ勉強不足だし、自分が納得できるまでは娘。を辞めるつもりなんてないよ。
ソロなんて考えられない」
80 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:52
そんな圭に、少しほっとしている私がいた。

元の世界に比べ、この世界の娘。はアーティスト色が強くなっている。
その中でも、紗耶ちゃんは自分を表現したいという欲求を持て余している。

元々娘。の皆はアイドルになりたいと思い芸能界に入ったわけじゃない。
皆それぞれ憧れのアーティストがいて、
その目標に少しでも近付きたいという想いを抱えて生きている。

だから、不安になる。
もしもこの人まで、明日香のようにアイドルとして振舞う事に耐えられなくなったら。
娘。に在籍する事に違和感を感じてしまったとしたら。
アーティストとしての自我が目覚めてしまったら、って。
81 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:53
「じゃあ、これは?」

私はさっき見つけたDTMマガジンを目の前に差し出して見せた。

「ど、どこで見つけたの!?」
「いや、今圭が引き寄せたクッションの下にあったんだけど…」

直後に、しまったというような顔をする彼女。
…自滅?

「も、もしかして隠してたつもりだった?」
図星だったのか、ますますその顔が紅潮していく。

「ダメダメ、返してっ」
なんだか必死な姿が可愛くて、イジワルしたくなる。

眼前に迫って来た圭の手をかわし、私は彼女が届かないであろう高さまで
マガジンを掲げ上げた。
82 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:54
「こらっ返しなさい!」

「そこまでムキにになる理由が知りたいもん。
正直に教えてくれたら返す」

最初こそ圭は雑誌を取り返そうと奮闘していたものの、観念してくれたようだ。

「分かったよ。言うけど、笑わないでよ?」

圭はそう言って一度ふうっと息を吐いた。
そして、意を決したように告げる。

「いつか…絵梨香と私、二人だけの曲を作りたいって思ったの」
「え?」
83 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:54
「『Never Forget』を明日香と弾き語りしてたじゃない。
それに触発されたっていうか…。
つんくさんでも、他の誰でもない自分の手で曲を作って…
その曲を絵梨香と演奏したり歌ったりしてみたかったの。
全く日の目を見なくてもいい。
秘密の曲を絵梨香と二人きりで共有したかったから」

そう言って真っ直ぐ私を見る圭の瞳は、ため息が出るほどに綺麗だった。

「作品を生みたいとか、自分を表現したいとか、そういう欲求よりも…
ただ私は絵梨香の事を考えて曲を作りたいって思ったの。
本当は、絵梨香の誕生日に贈りたかったんだけど…なかなか作曲するのってむずかしくて」
84 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:56
「圭っっ!」

抑えられなかった。
こんこんと湧き上がって来る愛しさ。
私はそれに抗わず、彼女をきつくこの腕に抱いた。

ううん、きっと止めようと思っても止められなかった。

「どうしよう、嬉しい…すっごく嬉しい」
本当は優しく包みたいのに、
私の腕は隙間さえないくらい圭を抱きしめてしまっている。
圭はそんな私の背中を優しく撫でてくれる。

「出来上がるの、いつになるか分かんないよ?」
「いつまででも待つよ」

さっきまで私を支配していた恐れが和らいでいく。
圭の気持ちが嬉しかった。
あまりに幸せで。
これが現実か夢かわからなくなるほど。
85 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:56
「圭は…これ以上私を夢中にさせてどうするつもり?」

驚いたような、でも何かを期待するような瞳。
私はそのまま唇を強く重ねる。
そして、柔らかなふくらみに手を滑らせた。

「絵梨香ってすぐこうやって触って来るけど…胸が好きなの?」
「うん、好きだけど」

素直に認めると、圭は恥ずかしそうに目を伏せる。

「でも、それだけじゃないよ」
「え?」
86 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:57
そう、それだけが理由じゃない。

「確認して、安心したいから」
「?何を?」

圭の問いに私は笑顔だけを返した。

目の前にいるあなたは確かに生きていて、
世界も同じように鼓動を刻んでるんだって、確かめたくて。
87 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:58
...

お茶を飲んでお菓子を食べて、人心地ついてから、
圭はキーボードで演奏を聴かせてくれた。

今弾いている曲は、幼少の頃から好きな曲らしい。

綺麗な圭。
その愛らしい手で、美しい音を響かせている。
それに比べて、私の手は偽りにまみれていて、何も生み出せない。

薄汚れた手で圭に触れる事に罪悪感を感じないと言えばウソになる。
それでも、触れたいという想いを止められない。
だって…圭は優しいから。
圭がこんな私を許してくれるから。
歯止めがきかない。
88 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:58
私は気づけば圭を背後から抱きしめていた。

「…絵梨香?」
「お願い、私の前からいなくなったりしないでね」

「何言ってるの。
私は娘。を抜けるつもりもないのに、いなくなったりなんかしないよ。
いつでも、絵梨香のそばにいる」
「…うん、そばにいて」

私は圭の声に、温もりに酔いしれるように、ただ永い間彼女を抱きしめていた。

89 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 02:59
...

『ちょこっとLOVE』の売れ行きは好調だった。
当初のR&B路線で売り出す事は諦めたようだけど、
つんくさんや会社はアーティスト路線にこだわり続けていた。

今なら、その考えが理解できる気がする。
『忘れらんない』のリリースが
アーティスト路線へ転向したきっかけのひとつではあるのだろう。

だけど、きっとそれだけじゃない。
おそらく、当時のある出来事がつんくさんに多大な影響を与えたんだ。
10月の頭に、音楽業界を…
いや、世間をも揺るがせた衝撃的なニュース。
90 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 03:00
そう、SPEEDの解散。
現にSPEEDが解散を発表した頃から、
娘。人気が更に加速している気がする。

SPEEDはアイドルというよりも、アーティストだった。
強烈な個性と有り余る才能を最大限に発揮していた彼女達に
取って代わる存在に、私達はならなくてはいけない。

きっと世間もそれを求めている。

だからこそ、『忘れらんない』も、
アーティスティックな『LOVEマシーン』も受け入れられたんだ。

そのニーズを、つんくさんは既に察知していたんだろう。
だからあの時、コミカルな路線に難色を示した。
そして、ごまちゃんを含めた4人の新生プッチモニに、SPEEDの面影を求めたのだ。

新生プッチモニが4人だった。
その偶然さえ、つんくさんはチャンスに変えた。
91 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 03:01
第二の『LOVEマシーン』が大ヒットしてしまった今、
4人のプッチモニが認められた今、覚悟を決めないとダメなんだ。

もうこの世界は、私の知っている世界じゃない。
元いた世界と限りなく似ているけれど、全くの別物だ。
92 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 03:01
手に届かないはずの、憧れの存在すらも私は踏み台にしようとしている。

この業界は椅子取りゲームのようなものだと言っていた
紗耶ちゃんの言葉が頭をよぎる。

娘。の方向性が定まってしまった今、もう引き返せないのだ。
今この瞬間、私に残された選択肢は、ただひとつ。
祈る事だけだった。
私達は、私達が後悔しない道を歩けますようにと。

93 名前:第30話 綻び 投稿日:2012/05/26(土) 03:01
第30話 綻び
94 名前:あおてん 投稿日:2012/05/26(土) 03:03
>>42
ありがとうございます!
実は物語が動くのはラストなんですよね〜。
95 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/05/28(月) 23:00
比較的新参なんですが楽しく読ませてもらってます
96 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:47

いつかはこの時が来ると分かっていた。
だけど、頭では理解していても…
取り巻く周りの環境の変化の目まぐるしさに、考える事を先延ばしにしてしまっていたんだ。

明日香の時のように事前に打ち明けられたわけではなかったから、
受けた衝撃は余計に大きかった。
それでも、他の皆の受けた衝撃はきっと私以上で、はかり知れないものだっただろう。
97 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:49
「なあ、どうしても辞めるつもりなん?
明日香の時みたいな思いすんのはもうたくさんや」
「なんでなの…彩っぺ」
「そんなのってないよ、タンポポはどうなるの?」

メンバーの反応は多種多様。
だけど皆彩さんを引き止めようとしている事には変わりなかった。

そう、この日、彩さんは娘。から脱退する旨を皆に告げたのだ。

98 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:53
じっとりとした陰鬱な空気に、こっちまで息苦しくなる。

「ごめんね。でも、私もう決めたから。
私はこの情熱を新しい事に注ぎたいんだ」

凛とした声で、自分の目標を語る彩さん。
彼女は服飾の道に歩みたいと言うのだけど、それがどれほどの熱意なのか、
私には推し量る事ができなかった。

どうして、このタイミングなんだろう。
歴史を知ってはいるのに、正直私も彼女の選択に納得しきれていない。

今一番波に乗っている時なのに、って。

他の皆にとっても、現時点では悲しいというより、
わけがわからないという感情の方が強いと思う。

ただ、その中で一番、悲しいという感情を露わにしていたのは、
意外にもごまちゃんだった。

ううん。別に意外でもないのかもしれない。
彼女にとって、仲間との別れを経験するのは初めてなのだから。
99 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:55
見かねたように、紗耶ちゃんがごまちゃんの元へ行く。
だけど紗耶ちゃんが取った行動は私の予想とは異なるものだった。

紗耶ちゃんは軽くごまちゃんの頬を叩いたのだ。
それは本当に軽いもので、正確には叩いたとまではいかなかったけれど。

「いい加減泣きやみな。彩っぺが困ってる」
「でもぉっ」

相も変わらずしゃくりあげているごまちゃんに、紗耶ちゃんはため息を一つ吐いた。
そして両手で彼女の頬を包み、真正面から向かい合う。

「私だっていつまでもいるって保証できるわけじゃないんだから」
100 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:55
「え…」

次の瞬間、ごまちゃんの動きが止まった。
今の彼女がその言葉の真意を理解しているとは思えない。

でも、そこから不穏なものを感じ取ったのは確かなんだろう。
眉をひそめ、何かに怯えたような顔で紗耶ちゃんを見つめる。
その瞳は不安に揺れ動いていた。

「いっいちーちゃ…それってどういう」
101 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:56
「他人任せじゃダメって事。後藤も大人になんきゃね。
雛鳥みたいに口あけてピーピー鳴いてりゃ、
餌が運ばれて来ると思ったら大間違いだよ」

その言葉を残し、紗耶ちゃんは部屋の外へと出て行ってしまう。

そんな彼女の背中を、ごまちゃんは呆然と見送っていた。
頬を濡らす涙を拭う事さえも忘れて。
102 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:56
「紗耶香、最近なんか変じゃない?」
「ねえ、どうしちゃったの、あの子…」

二人のやり取りを見ていたメンバーがヒソヒソと言葉を交わす。
紗耶ちゃんに違和感を感じているのは私だけじゃないらしい。

私はいてもたってもいられず、ごまちゃんに近付いた。

「ごまちゃん、大丈夫?」

私の姿に気付くと、ごまちゃんは泣き笑いのような表情を浮かべる。

「ごとー、きっと市井ちゃんに甘えすぎちゃったんだよね。
だから市井ちゃん、疲れちゃったんだよね」
そう言って思い出したかのように、手の甲でぐしぐしと涙をぬぐう彼女。
103 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:57
もう少し、この子に優しくしてあげてもいいのに…
教育係でもない私がこんな事を言うのはお門違いだろう。
だけど、そう思わずにはいられなかった。

「市井ちゃんが優しいから、ごとー、調子のっちゃってた」
「ごまちゃん…」

私はそれ以上何も言えず、彼女の頭を撫でる事しかできなかった。
104 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/05/31(木) 23:58
間違いない。
紗耶ちゃんの心には、ある変化が生まれている。

教育係としての自分に誇りを持っていた紗耶ちゃん。
だけど、彼女は彩さんのように、新しい目標を見つけてしまった。

アーティストとして、ソロとして活動したい彼女にとって、
娘。もごまちゃんも足枷でしかないんだろう。

それでも、本人に確認を取るわけにも、
メンバーに相談するわけにもいかず、
私はもやもやとした気持ちを抱えるしかなかった。
105 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:00
...

仕事が終わった後、私は彩さんの誘いで、彼女の家にお邪魔していた。

“あんたじゃないと意味がないから”と言う彩さんの気迫に圧倒されて、
大人しくここまでついて来たはいいけれど、一体どうしたんだろう。

じっと身構えていると、彩さんは何か大きい物体を目の前に差し出した。
106 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:01
「これ」

どこからどう見てもギターだ。

つきつけられたそれは年季の入ったもの。
だけど、私の持っている物よりずっと上等な物だった。

「私にはもう必要ないもんだから」

聞けばそのギターとは、デビュー前のバンド時代の頃からの付き合いで、
上京してからも落ち込んだ時に弾いていたらしい。
それを、どうしてか私に託したいのだと言う。
107 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:02
「そ、そんな大切なものいただけません!」

勢いでそう突っぱねてしまった私に、彩さんは大げさなため息を吐いた。

「わかってねえなぁ…
遠慮深い子供なんて逆に可愛げがないんだけど。
まあ、ちょっとボロいし私のお下がりなんて嬉しくないか」
「違います!だって、服飾やってても楽器に触る時間はあるじゃないですか。
思い入れのある物を、そんな簡単に私に渡しちゃっていいんですか?」

彩さんの音楽に対する愛情は並のものじゃなかった。
そんな彼女が、音楽とは全く違う道を選ぶ。
そしてこれまで彼女を支えて来た思い出の品を、私に託すという行為…
それは完全に音楽と決別するという意味を示す。

彼女にこれほどの決心をさせるものは一体何だったんだろう。
108 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:03
私は、ずっと聞くべきか躊躇っていた疑問を口にした。
聞くのなら今しかないと思ったから。

「本当に、服飾だけが理由ですか?
服飾の夢の他にも、何か大切なものができたんじゃないんですか?」
「は?たとえば?」

「その…今大切な人…ええと、お付き合いしてる人がいる、とか」
「はあ?」

その声色は、私を小馬鹿にすると言うよりは、心底呆れたようなものだった。
109 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:05
「クソ忙しいのに、んな暇ないっての。
まさか、あんた…私が男の口車に乗せられて
娘。辞めようとしてるとか思ってるわけ?」
「そ、そういうわけじゃなくて!ただ…」

私はただ、てっきり彩さんが元の世界の“石黒さん”と
同じ選択をすると思っていたのだ。
私の知っている“石黒さん”は、
娘。としての自分に早々に見切りをつけて、
大切な人と第二の人生を歩む事を選んだ。
だから、この世界の彼女にも、新たにそういう人ができたんだろうと
信じて疑ってなかった。

でも…そうか…違うんだ…。
110 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:06
「…私ね、短大では服飾美術を専攻してたの。
デビューの話が決まった時に中退して、
大した技術も習得できないまま終わっちゃったのがずっと心残りだったんだよね。
娘。では私は100パーセントの力を出し切ったって誇る事ができる。
でも、服飾に関しては全く逆なの。
実を言うと、私はデビューの話が出る前も、バンドやオーディションの事とか、
彼女の事で手一杯でさ。当時留年しそうだったんだよね。
だから、今度こそ服飾一本で頑張ってみたいの。
大好きな音楽からも離れてね」
「…そう、だったんですか」

「もう、くっらいなー。何、私がいなくなるの寂しい?」
「そりゃそうですよっ!あ…当たり前じゃないですか」

声を荒げてしまう自分に気づき、私は慌ててトーンを抑える。
そんな私を彩さんは可笑しそうな、でもどこか寂しそうな目で見ていた。
111 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:08
「ちゃんと私を仲間だって思ってくれてたんだ」
「それも当たり前です。
入ったばかりのごまちゃんだって例外じゃなく彩さんの事、
大事な仲間って思ってますよ」
「…ああ、さすがに私も、真希があそこまで泣いてくれるとは思わなかった」

私の言葉でその時のごまちゃんの姿が蘇ったのか、
彩さんの瞳が切なげに一瞬揺れた。
彼女は今何を思っているんだろう。
そんな事を考えていた時、すっと空気が動く。

「え?」
気づいた時には、彩さんが私の指先を掴んでいた。
そしてごく自然に、私の指の腹を撫でる。
私はそれを素直に受け入れた。
112 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:09
「それよりさ、皮膚、前に比べて硬くなってるね」

彼女の言う通り、私の指の腹は以前のような柔らかさを失っていた。
最初は弦を弾く度痛みが走ったけれど、今はそれを感じる事はない。

「女らしくないですよね。綺麗なネイルもできないし」
「んな事ないって。
それに、これは練習の賜物なんだから、誇っていいと思う」

その言葉と共に、彩さんの指がするっと離れる。
113 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:10
「私にギター教えてくれって言って来た時、嬉しかった。
私は人の上に立ったりとか、物を教えられるような大したヤツじゃないけど、
でも…絵梨香がどんどん私の教える事を吸収してくのを見るのは楽しかったな。
絵梨香が素直だから、瞬く間に上達したんだろうね」

彩さんは昔を懐かしむように目を細める。
あれから1年も断っていないはずなのに、随分遠い昔の事に感じる。

「まあ、これは持ってって。
私は当分楽器にも触らないだろうし。
部屋の隅で埃被ってるよりは絵梨香の物になった方がこいつも喜ぶよ」
114 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:11
どうしてこの人は私なんかの為にここまで良くしてくれるんだろう。
二期メンバーとして加入したばかりの頃は、
むしろ私は彼女に煙たがられていた。
だけど、ひょんな事から彩さんの素顔に触れて、わだかまりは解けていった。

私に親身になって接してくれる理由を詳しく聞きたかったけれど、
きっとそれを口にするのはルール違反だ。
そして、彼女の厚意を無下にするわけにもいかない。
だから、私は笑顔でギターを受け取った。

「ありがとうございます。大切にしますね」
「うん、上出来。それでいいんだよ」

彩さんはほっとしたように私の頭に手を置く。

見る人の心を明るくさせる華やかな笑顔。
もうすぐ、この笑顔ともお別れなんだ。
115 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:12
「絵梨香がその手で必死で音を鳴らそうと頑張ってたのを見たら、
私も自分の手で何かを生み出してみたいって想いが強くなった。
最終的に私が選んだものは、音楽とは離れてるけどね」
「え…」

彩さんのその言葉に一瞬耳を疑った。

私の手は薄汚れているのに。
何も生み出さないと思っていたのに。
そんな私でも、誰かに希望や目標を与えられた?

同時に、私なんかが人の人生に影響を与えてしまったのだと思うと、
一種の恐れさえ感じてしまう。
116 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:12
「そんな顔しないでよ。
勝手な事言ってるって分かってるけど、できれば応援してくれると嬉しい。
私は後悔なんてしてないから」

優柔不断な私とは違って、本当に彩さんは強い。
私はこの世界に来てから、自分の選択に自信を持てないままなのに。

「…本音を言えば寂しいですけど、
彩さんを心から応援できるよう、努力しますね」
117 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:13

私はギターを手に彩さんのマンションを後にした。
手にしたギターはずっしりと重い。
新しい物ではないけれど、よく手入れされていたんだろう。
本当に大切な物だったんだ。
触れているだけで、私にこれを託してくれた
彩さんの覚悟が伝わって来る気がした。

彼女の気持ちを無駄にしない。
彩さんの分まで、これからも音楽に携わっていくんだと、私は強く決意した。
118 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:15
...

「誕生日おめでとう、圭」
「ありがとう」

今日は圭の19歳の誕生日。

こうして圭と過ごせる今日この日をずっと待っていた。
どうしても、プライベートな時間を圭と過ごしたかった。
大切な人が生まれた日を、二人で心から祝いたかった。
去年はそれができなかったからこそ、この時間が余計に幸せだと思える。
119 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:16
「遂に19歳かぁ。
私がハタチになったら、裕ちゃんと彩っぺが
バーに連れてってくれるって言ってたんだけど…」

圭の表情が少しだけ曇る。
数時間前の事を思い出してしまったんだろう。

仕事の休憩時間にメンバーやスタッフが集い、
圭の誕生日をお祝いした。
けれど、皆が皆弾けるという事はできなかったみたいだ。
彩さんの脱退宣言から1週間ほど経っても、未だにメンバーは塞ぎ込んでいたから。

いつも彩さんと共に行動していた裕ちゃんは、
その約束を口にした時、思わず涙ぐんでいた。
それが実現する日は来ないかもしれないから。
120 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:18
「裕ちゃん、大丈夫かな…
裕ちゃんは彩っぺが大好きだったから、つらいだろうね」

こんな時も、メンバーの気持ちを思いやる圭。

どこまでも圭は優しい。

「本当に…圭って心も綺麗だよね」

私が返した言葉を、圭は首を振って否定した。

「私はさ、絵梨香が考えてるよりもずっとドロドロしたもの抱えてるよ。
表に出そうとしないだけ」
121 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:19
「彩っぺが辞めるって聞いて、私もショックだったよ。
でも、それと同時に…内心ちょっとほっとしたの。
これで絵梨香を取られなくて済むって」

「…」

絶句した。
圭の言っている事は、本音なんだと分かったから。

「嫌な女でしょ。こうして今絵梨香といられるのは彩っぺのおかげなのに…
私は絵梨香と彩っぺの仲に嫉妬してた。
私だって一度は紗耶香に傾こうとしてたくせにすっごく自分勝手だよね」

私は確かに自由奔放な彩さんに惹かれていたんだと思う。
そして、新たな目標を見つけ、古巣を旅立つ決意をした彼女の強さに憧れた。
だけどそれは恋心じゃない。
彩さんに抱いていた感情は、全く別のものだった。
圭が嫉妬する必要なんてどこにもないのに。
122 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:19
「私が怖くなった?」

私の服をぎゅっと握り締め、上目づかいで私を見つめる圭。

その瞳は、ぞっとするほど妖艶だった。

思わず生唾を飲み込む。

圭に恐れをなしたわけじゃない。
完全に魅了されていたんだ。

私はゆっくりと圭の問いに否定する。
123 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:21
「むしろ、圭にもそういう生々しい感情があるんだって知って、ある意味安心してる。
圭が女のジメジメした部分をさらけ出してくれるのってすごく新鮮。
女の子な圭を見られるのは嬉しいよ」
「私は絵梨香といたら、良い意味でも悪い意味でも女になれる…
正直、私もこんな自分が嫌いじゃない」

愛おしげに囁く圭の声が心地いい。
そんな事を思っていると、圭が新たな言葉を継いだ。
124 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:21
「ねえ。もうひとつだけプレゼントおねだりしていい?」
「えっ何?」

もしかしてさっきあげたプレゼントが気に入らなかったんだろうか…
そんな不安が胸中を渦巻いた時、左肩に温かいものが触れた。

「私…絵梨香が欲しい」
125 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:23
圭が、私の温もりを求めるように、強く頬を私の肩口にすり寄せて来る。
その瞬間、全身の血液が沸騰したように熱くなった。

「…っ圭?え、だって」
「嫌なら、私から逃げて。
絵梨香に不快な思いはさせたくないから」

ずるい。
そんな風に求められて、拒む選択肢なんてあるわけがない。

「…」
喉の渇きを無視して、私は返事の代わりに圭の肩を強く抱き寄せた。
本当にいいの?とは聞かなかった。
126 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:23
...

「傷、やっぱり完全には消えないんだね」

圭は痛々しそうに少し眉を寄せながら、
指先でそっと私の白い傷跡を撫でる。

圭の事だから、まるで自分が傷を負ったように感じているのかもしれない。
圭は相手の立場になって物事を考えられる人だから。
そんな圭が愛しい。

圭の唇がいたわるようにそこに押し当てられる。
ただそれだけで、静電気のような痺れが走る。
127 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:24
「…別に消えなくてもいいよ。
むしろこうして残ってくれてるのが、今は嬉しいんだ」
「ど、どうして?」

確かに傷跡が残る事を喜ぶなんて普通では考えられない。
でも、私にとってこの傷跡は、勲章にも近いものだった。

「だって、私がこの世界で生きたって証だから」
「…よく分かんないけど…ほんと、絵梨香って変わってるよね」
128 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:25
曖昧に彼女が笑っていたのはほんの一瞬だった。
次の瞬間には、真剣に私を見つめて来る。

「ねえ、絵梨香は一体何を抱えてるの?
15歳で何をそんなに恐れてるの?」

圭の大きな瞳がこちらに向くと、
まるで金縛りにあったような錯覚に陥る。
ごまかす気にも、ウソをつく気にもなれない。
あなたが、あまりに真っ直ぐに私を映すから。

何か言葉を発しようとする私の唇に、圭の指が触れた。
「ごめん…無理に答えなくていいよ。
今だけは、何もかも忘れてもいいんだよ…
ううん、それが難しいならせめて、私にも一緒に背負わせて」
129 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:25
凛とした空気の震えを感じた。
圭は、私の頬にキスをし、耳元で囁く。

「体温だけじゃなくて、何もかも全部私に分けて欲しい」

理性なんてもう、形も残っていなかった。

「…圭」
「絵梨香はひとりぼっちじゃないよ。
大丈夫。私は仲間としても、一人の女としても絵梨香を支えたい」
130 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:26
ああ。
もう、ダメだ。
圭には勝てない。

遠ざけようとしても、抑えようとしても、無駄だったんだ。
最初からこの圭の引力に、抗えるわけない。

「圭っ」

私は無意識のうちに、圭の上にまたがる形をとっていた。

「絵梨香?」

圭は、自分がどういう状況に置かれているのかすぐには理解できないみたいだ。
きょとんと私を見つめる彼女の髪に指を滑り込ませながら、
はっきりと告げる。

「私がしたいの。圭を愛したい」
131 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:27
そう告げた瞬間、かあっと圭の顔が赤くなる。

自分から望んだ事とは言え、言葉にされると
やっぱり恥ずかしいんだろう。
リラックスさせたくて鼻の頭、頬へと唇を落としていくと、
くすぐったい、と圭は優しく笑った。

強張っていた圭の体から、徐々に力が抜けていく。

私を受け入れてくれている…
その事実は私の緊張も少しだけ和らげてくれた。
132 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:28
お互いゆっくりと衣服を脱がせてしまうと、そのまま身を寄せ合った。

異国の地で素肌を晒した時と変わらず、
生まれたままの姿の圭は綺麗だった。

ただ、あの時とは違う。
こんなにも近くで視線を交わす事ができる。

本当は、自分の指先が微かに震えている事だって自覚してる。
私なんかが圭に触れてもいいのかという躊躇いだって未だにある。

でも、想いを止められない。
私も圭が欲しかった。
133 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:31
圭の肌の上へ無数にキスを落としていくと、次第に圭の肌が汗ばむ。
香水に混じる圭自身の匂いに、くらくらした。

本当に、圭は肌も唇も甘く感じる。

もっと、味わいたい。
134 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:31
「圭…」
私は膝を割り、躊躇する事なくそこへ口づけた。

「絵梨香っ何すっ…!」
圭の腰が大きく跳ねる。
それでも、やめるつもりはなかった。

「だって、ちゃんとほぐしておかないと…
圭を傷付けちゃうかもしれないから」

私の顔を濡らす熱い雫。
それは媚薬のように私の気分を高揚させる。

「な…っそんな事、どこで覚えて…ひっ」

力を入れて閉じようとするその足を、私は強引に広げようとする。
そして隠された狭間に、舌をねじ入れていく。
135 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:32
「やっ絵梨香待ってぇっ」
「ごめん、もう待てないよ。
圭が魅力的だから、もっと可愛い圭が見たくなる」

バリ島での甘美な記憶が鮮やかに蘇る。

目に眩しい素肌。
ためらいがちに触れた指。

あの時は、圭を直視する事さえできなかったのに。

タガが外れてしまった。

圭は、きっとどんな私も受け入れてくれる。
それが痛いほどに分かってしまったから。
136 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:33
「…こうされるの、いや?」

一度口を離し、上目で圭を見上げる。

舌を使わなくても、息がかかるだけで圭は感じているようだった。

「ちがっ、いやじゃないよ…!
いやじゃないから困ってるんだってば」

「何が困るの?」

そう尋ねつつも、私は再び愛撫を続ける。
「んんっだって…っみっともない声出ちゃうっ」

圭の反応や仕草の一つ一つが私を酔わせる。
抑えられない。

「私は圭の声聞きたいよ」

それでも圭は意外に強情で、唇を噛んで耐え忍んでいる。
137 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:33
「絵梨香ぁっそれはもういいからっ」

とうとう堪え切れなくなったのか、
私の頭を両手で押さえ、引き離そうとした。

「もう少しほぐした方がいいんじゃ…?」
「いいの。これ以上されたら…っ何も考えられなくなる…」

そう言って、潤んだ瞳が私を捕える。

「こっちきて、キスして欲しい。絵梨香の顔、近くで見てたい」

本当は意地でも声を上げさせたいという欲望が
くすぶってはいたけれど、私は圭の望む通りにした。
可愛らしいそのお願いを拒むなんてできるわけない。
138 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:34
私がベッドに手をついて圭に覆い被さろうとすると、
彼女は上半身を起こし、私の首にしがみつく形になる。
そして、待ち焦がれていたかのように自ら唇を重ねた。

「んっ」

圭が息を切らせながらも、懸命に私の唇に吸いつく。
私はそれに応えながらも、右手を熱を持った圭のそこに添えた。

圭の体に緊張が走ったのは一瞬で、
やがて片手を動かせられるだけの隙間を作ってくれる。
139 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:34
「熱い…」

こんなになるほど、私を求めてくれていた。
私を愛してくれていた。
それを実感し、胸が熱くなる。

思っていた以上に、圭の体は私を受け入れる準備ができていた。
押し入れる事もしなかったのに、指を添えただけで呑みこまれてしまう。
140 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:35
「圭…分かる?私の指が中にあるの」

唇を合わせながらも、圭はこくこくと必死に何度も頷く。
私は圭の内側の感触を味わうように、
私はゆっくりと出し入れを始めた。
私の指の動きに合わせるように圭の中が収縮を繰り返す。

これほどまで愛しいと思える人を抱いた事はなかったから、勝手なんて分からない。
でも、私は夢中で圭の感触を求めた。
141 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:36
「んうっ」

ある一点を刺激すると、圭の反応が変わった。

唇の隙間から一瞬漏れたその甘い声を、私は聞き逃しはしなかった。

「ここ?圭はここが好きなんだ」

そこを集中的に責め立てると、ゆるやかだった中低音の声が、
徐々に細く高くなっていく。
そんな圭を見ているだけで、痺れるような感覚が断続的に昇って来る。

もっとよくなって欲しくて、私は彼女の内奥を強く押し上げた。
142 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:36
「っダメっ絵梨香っ」

遂に圭は耐えられなくなったのか、唇を離して背中を反らせた。
直後に私の指をぎゅうっと強い力で圧迫する。

声にならない声を上げて昇りつめた圭。
そんな彼女を見届けた瞬間、ぞくんと体が震えた。

「っ!」

知らなかった。
直接的な刺激を受けなくても、こんなに深い快感を味わえるんだ。
143 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:37
「圭…」

そっと指を引き抜くと、圭は小さく声を漏らし、
うっすらと瞳を開けた。

「…恥ずかしかったんだから」
「どうして?可愛かったのに。
…ああ、訂正、いつだって圭は可愛いもんね」
「もうっからかわないで」

圭は私にしなだれかかり、胸に赤い顔を埋める。

「本気で言ってるんだけど…。
圭から求めて来たのに、こうしてすぐに赤くなるところも可愛い」
「バカッ」

そう言いつつも圭は私から離れようとしない。
確かな圭の重みを感じ、私は余韻に浸るようにそっと彼女を抱きしめた。
144 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:38
燃えそうなほどに熱かった圭の体が、優しい温度に戻った頃には…

「絵梨香ってさ」
私を呼ぶその声も、いつもの心地良い穏やかなものに戻っていた。

「絶対初めてじゃないでしょ」
「…っ」

不意を突かれた言葉に、一瞬心臓が止まりかける。
答えを期待しているわけでも、責めているわけでもない。
分かってはいるけれど、どういう反応をしていいのか分からなかった。
145 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:38
「そんな困った顔しないで。
私は欲張りだし、絵梨香の過去も独占したいって思うのも本音だけど…
今は絵梨香が隣にいてくれる幸せ、噛み締めたいから」

そう言って彼女は私を胸の中に引き寄せる。

「私の絵梨香…」
圭の声が涙混じりなのは気のせいだろうか。

「絵梨香は、どこにも行かないよね」
「…うん」

私がしっかりと頷いて見せると、圭は心底ほっとしたような表情をした。

「愛してる。
絵梨香が何を内に秘めてたって、それが絵梨香なら私は受け入れるよ」
「…ありがとう…圭。私も、圭と同じ気持ちだよ」
146 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:39

たとえ私の存在がフェイクでも、
もしもこの世界が虚像のようなものでも、
こうして触れ合えた事実は消えない。

この奇跡のような幸福に、私は心から感謝した。
そう、これは奇跡なんだ。
147 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:40
私は、この世界に転移するという本来ありえない事象に遭遇している。
そして、既にいくつもの歴史を変えて来た。
だから、その気にさえなれば、変えられない歴史なんてないんだって
心のどこかで思ってた。
でも、どれほど抗ったってどうにもならない事だってある。

ううん、良い方へと向くはずだと信じて変えて来た運命さえ…
本当は私が干渉したせいで、破滅へと向かっているのかもしれない。
その可能性がゼロだとは言えない。
148 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:40
私の存在は本来ちっぽけなものだ。
なのに分不相応に運命に抗ったせいで、
余計な歪みを生じさせている可能性だってある。

今までしてきた選択が、正しいのかは分からない。
私の存在が、私の何気ない選択が、この世界を不幸にしているのかもしれない。

それでも、今は圭と一緒にいたい。
圭を幸せにできるという保証さえどこにもない。
だけど、圭と離れる事なんて考えられなかった。

私達は、もうそれ以上何も言わずに触れるだけのキスを交わした。
149 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:42
...

1999年は、まさに激動の1年だった。

娘。の核だと思っていた明日香の脱退、ごまちゃんの加入…

それまで、世間の人にとっての娘。は、
方向性が見えにくい部分があったように思う。
当事者である私達がそうだったのだから、尚更だろう。

だけど、『忘れらんない』で完全に音楽の方向性が定まってしまった。
そして『LOVEマシーン』のヒット、新生プッチモニの誕生で9
9年後半は、殺人的なスケジュールをこなす事となった。

それでも、大きく変化した環境に戸惑いながらも、皆で前に突き進んだ。

そして迎えた2000年。
新しい節目の年が始まる。
その新春コンサートで、彩さんは娘。を卒業する。
新たな世界で、自分の可能性に賭ける為に。
150 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:42
...

打ち上げの時に、彩さんと1対1で話す機会があった。
今までの感謝の気持ちを伝えたかったのに、
結局口から出て来たのは思い出話ばかりだった。

それでも、彩さんは嬉しそうに笑ってくれた。
151 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:43
初めてこの人と対面した時は、絶対に合わないと思った。
容赦なくきつい言葉を浴びせつっかかって来る彼女に、
反発を覚えた事もあった。

だけど、今の私にとって、それらは全てかけがえのない記憶。
彩さんの何気ない優しさに、私は何度も助けられた。
152 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:44
「あの時の彩さん、本当怖かったんですよ。
最初の頃はいつもピリピリしてるイメージしかなかったです」

「だって、あんた達が最初入って来た時は、マジで鬱陶しいって思ってたもん。
それに絵梨香はガキのくせに言う事がいちいち可愛げなかったし」

「ふふ。否定できないです。
やっぱり、私の第一印象最悪だったんですね」

「最悪っていうか…あんたの存在感が強烈過ぎた。
別に嫌ってたわけじゃないよ。
気持ちの整理がつけられなかっただけ。
どうやって接していいか分からなくて、素直になれなかっただけだから」

分かってます。
彩さんが不器用な事も。
でも本当は気を遣う人で優しいって事も。
153 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:45
「なんか、気になってたんだよね。
見ててイライラさせられる事も多かったのに、目が離せなかった。
なんで、私はこんなに…。
ごめん、上手く説明できないや。何言ってるんだろうね私」

そう言って彩さんは苦笑いする。
「…でもね、私が絵梨香っていう子を意識してる事に気付いたのは…
やっぱり“あの時”だったんだと思う」

“あの時”が、いつの事なのか。聞かなくても分かった。

当時の情景がすぐに浮かび上がる。

東京から離れた南の地。
昏い海。
そこで、彼女と電話で別れ話をしていた彩さん。
154 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:46
「…あの時、私は彼女にフラれて、絶望の淵に立たされてた。
一瞬、このまま海の底に沈んじゃおうかって考えたくらい。
そんな時に、あんたが私を見てた。
屈辱的な状況のはずなのに、その瞬間、すごく救われた気がしたんだよね。
ひとりぼっちだった私を見つけてくれたのは、まぎれもないあんただったから。
それだけじゃない。
女の子と本気の恋愛をしてた私を、普通に受け入れてくれたから」

そして次の瞬間、彼女は真正面から私を見据えた。

「…絵梨香。私はあの時、確かに絵梨香に救われたの」

そっと顎を持ち上げられ、私の唇に柔らかいものが触れた。
それが彩さんの唇だと分かった瞬間、目頭が熱くなった。
閉じられた瞳から流れる一筋の涙を認識した時、彩さんの唇が離れた。

限りなく優しいキス。
彩さんとのキスは、汗と涙、どちらのものか分からない味がした。
155 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:48
「…あんたが圭ちゃんとの事で悩んでるの見る度に、
私にしとけばいいのにって言いそうになった。
でも、私にはその資格ないよね。
本気で愛してたはずの彼女さえも不幸にしたのに、
どの口でそれを言えるんだろうね」
「そんな…」

そんな事ない、と返そうとする私を遮るように…
彩さんは私の頬を撫でた。

「ばいばい…絵梨香」

遂に、私は言葉を継ぐ事ができなくなる。

「私が女をそういう目で見るのは、あんたが最後かも。…犯罪だっての」

彩さんは自嘲的に笑いながら、皆の輪の中へ戻って行った。
何事もなかったかのように、振り返らず、真っ直ぐに前を向いて。
156 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:48
“私、もう後ろ振り向かないから”

唐突に、いつかの彩さんの言葉を思い出した。
それは、彩さんが“彼女”との関係に終止符を打った時の言葉。

彩さん…
あなたはもう、別の道へと歩き出したんですね。
157 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:49
私はそこから一歩も動けなかった。
私を取り巻く静寂を意識した瞬間。
今更自分の足が震えていた事に気付いた。

「っ…彩さん」

そのままうずくまり、堰を切ったように泣いた。
まるで迷子の子供みたいに。

自分が本当に15歳の子供に戻ったような錯覚に陥る。

恋心じゃない。
でも、大好きだった人。
もっと話したかった。
もっと一緒にいて欲しかった。
そんな事、今更伝えられない。
伝えても、何にもならない。
158 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:50
...

それからどのくらいの時間が経ったのか。
ふと顔を上げると、圭がじっと目の前に佇んでいた。
きっと、随分前から私を見守ってくれてたんだろう。
時間の感覚はマヒしていたけれど、直感的に分かった。

「け…ぃ」

「いいよ、好きなだけ泣いて。
言ったでしょ、私には全部分けて…悲しみも全部」

圭の優しい声が引き金となった。
私はその瞬間、自分の感情を爆発させた。

私の、たったひとりの愛する女性の胸の中。
彼女の前でなら、何もかも曝け出せると思った。
159 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:52
「圭っ圭ぃっ」

言い尽せない想いが涙となって溢れ出てくるようだった。

仲間をこうして送り出すのは二度目。
それでもやっぱりこの体制を受け入れる事なんてできない。
未だにみっともなく取りすがってしまいたくなる。
きっとこれからも慣れる事なんてないと思う。

別れは決して避けられない。
胸を引き裂くような痛みからは逃れられない。
分かっていたからこそ、私は痛みを真正面から受け止めた。

肌に残る白い傷跡のように、
いずれこの悲しみも思い出と変わって…
痛みを乗り越えた勲章になると信じて。
160 名前:第31話 たったひとりへの恋心 投稿日:2012/06/01(金) 00:53
第31話 たったひとりへの恋心
161 名前:あおてん 投稿日:2012/06/01(金) 00:55
>>65は13歳じゃなくて14歳でした…orz

>>95
ありがとうございます!私も新参なんですが、
新参の人にも古参の人にも楽しんでもらえるよう頑張りたいです。
162 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/02(土) 09:14
>彼女の言う通り、私の指の腹は以前のような柔らかさを失っていた。

まさかこれがその後の展開の複線になるとはw
163 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/03(日) 06:54
上でも下でもみーよのギターテクが炸裂ですね(謎)
164 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:34
「きっつー」
「シャレにならんわ、これ」

私を含めた娘。達は、
新曲『恋のダンスサイト』のダンスレッスンの真っ最中だった。
165 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:35
元の世界の『恋のダンスサイト』はアラビアン調の楽曲だったのに対し、
この世界の『恋のダンスサイト』は全くの別物と化していた。

つんくさんがテクノやらデジロックやらと、なんだか小難しい事を言っていたけど、
とにかく一言で言えばこの曲のジャンルはダンスミュージックの部類に入るらしい。

振り付けもその曲調に見合った難易度の高いもの。
曲を出す度、フォーメーションが複雑になっていってる気がする。
ここ数日、あまりの多忙さに寝る時間もろくに確保できていない上に、
今まで以上に厳しいダンスレッスン。
私達の体力の消耗は激しかった。
166 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:36
裕ちゃんは床に両膝をついてゼーゼー言っている。

「キャハハハ、裕ちゃん老化現象」
「うっさいわ矢口!」

「やー、でもほんときっついよね。
圭ちゃんなんてケメコ汁ドバドバ出してるよ」と、なっち。

いじられている当の本人である圭は、あえてそれに取り合わなかった。
普段ならば「なによー!」とおなじみの反応を返すのだろう。
だけど、今の圭はダンス習得の事で頭がいっぱいみたいだ。
167 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:36
「私の事はどうでもいいからさ、そろそろ練習再開しようよ」

目の前にいる彼女はタオルで大量の汗を拭い、すっと立ち上がる。
圭だって疲労困憊しているはずなのに、その瞳の強さは揺らいでいなかった。

「はいはい、わかりましたよーだ。圭ちゃんってほんと熱いんだから」
そう言ってなっち達も渋々元の立ち位置へと戻っていく。
168 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:37
ただでさえ私は物覚えが悪いからと、
圭が振り付けのビデオを借り、それを見て何度も自主練していた事は知っている。
皆に遅れを取らないよう、見えないところでも努力している彼女。

169 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:37
圭はかっこいいと思う。
歌はもちろんの事だけど、ダンスに関しても圭は一切の妥協を許さない。
ストイックで、向上心があって…
頑張っている圭の姿はいつ見ても綺麗だ。

そんな圭が、私の腕の中では甘えたところを見せてくれる。
そして私を甘えさせてくれる。
170 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:38
圭がいるから、私は前に進めるんだ。

今になって、その事を強く実感した。

私と圭の関係は、他の誰も知らない。
秘密の関係。
誰にも打ち明けられない恋。
それでも、私は幸せだった。
171 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:38
...

遂に『恋のダンスサイト』が発売された。

当分はこの娘。旋風は続くんだろう。
それと同様に、私達も息をつく暇がない。

更なる娘。増員の発表。
赤、青、黄の三色をイメージしたシャッフルユニット企画。

おおまかな歴史を知ってはいても、やっぱり無茶苦茶だと思う。
よく皆ついていけるものだ。
172 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:39
圭と私は別々のユニットになった。
分かってはいた事だったけれど。

ちなみに私は青色8になった。
圭のいる黄色5はなっちや平家さん達がいる。
あか組4はごまちゃんや裕ちゃん達が。

青色以外のグループのメンバー構成は史実通り。
同時に、今回は元の世界の曲と大きな差異はなかった。
おかげで、レコーディングは思ったよりも手こずったりはしなかった。
173 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:40
空き時間ができた私は、紗耶ちゃん達と
他のユニットのレコーディングの偵察に行った。

ちょうど、圭がブースに入ったところだった。
彼女の歌を聴いた瞬間、優しい電流に撫でられているような不思議な感覚に襲われた。

…やっぱり、圭は凄い。
『忘れらんない』の頃から圭のパートは格段に増えて、
歌唱力要員として、確固たる地位を確立させていた。 

負けてられない。
本当は圭の足元にも及ばないけれど、それでも。
圭と並んでも恥ずかしくない自分になりたい…
常にそう願っている私がいるから。

いつか、“絵梨香には負けたくない”と言っていた
圭の気持ちが痛いほどに分かった。
174 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:40
だけど、同じくらい私が負けたくないと思う娘。が、まだ他にもいた。

それは…紗耶ちゃんだ。

かつて圭と“保田さん”の心を奪った人。
元の世界にいた頃は、決して手が届かないと思っていた人。
でも、今はこうして私の隣にいる。

だからこそ、追いつきたいと思った。
たとえ何年かかったって。
175 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:42
...

青色8のセンターは私に決まった。
つんくさんに理由を尋ねると、
「ギターをまともに弾けるのはお前しかおらんかったから」だそうだ。

他のメンバーはエアギターなのだけど、
曲の間奏部分で私のギターソロを取り入れるらしい。

趣味の範囲でしかなかったはずなのに、
私の演奏を必要としてくれた事は純粋に嬉しかった。
だけど、手放しで喜ぶ事はできなかった。

センターとしての素質は、実際紗耶ちゃんの方が上だ。
私には至らない部分がたくさんある。
今の紗耶ちゃんは、間違いなく娘。のトップ3に入る子だ。
現時点では私はまだ、彼女に勝てたとは言えない。

それを紗耶ちゃん自身も自覚していたのか…
彼女が歯がゆそうに、何か言いたげに私を見ていた事だけは分かった。
176 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:42
...

今日も私は青色8のソロパートを練習していた。
今私が手にしているのは、青色8のトレードマークである青いエレキギター…
ではなく、おなじみのアコースティックギターだ。
エレキもアコースティックもコードは同じだから、これで充分事足りる。
177 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:43
「のりちゃん…どうしてるのかな。会いたいな」

ふと、私は親友ののりちゃんの事を思い出した。
ギターに触れるていると、時々、懐かしい顔が脳裏に浮かび上がる。
一緒に弾き語りをした明日香、このギターを託してくれた彩さん、
そして…のりちゃんの顔。

のりちゃんは、芸能人での初めての友達だった。
彼女とも、“保田さん”の時と同じように、舞台がきっかけで仲良くなった。
もちろん、元の世界での話だ。
この世界の“のりちゃん”とは出会えてもいない。
178 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:44
彼女はギター演奏がとても上手くて、作曲の才能にも恵まれていた。
のりちゃんが曲を作り、一緒に詞をつけて、
それを二人でファンの人達の前で披露した事だってある。

アコースティックギターを抱え、クリアな歌声を響かせていたのりちゃん。
そんな彼女の才能を羨み、憧れていた。

あの頃は、まさか私もこうしてギターを手にし、
曲を奏でられるようになるとは思いもしなかった。

まだ、彼女と同列に並べるような段階にまで達していない。
でも、いつかは追いつきたいと思う。
二度と、二人で歌う事は叶わないけれど。
それでも、私の目標の一人だった。
179 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:45
「のりちゃんって誰?」

と、その時、いつもより少しだけ低い声が降って来た。

「え…わあっ?」
気付いた時には圭がいて、私にぴったりと寄り添っていた。

今日は、圭が私の部屋に泊まりに来ていたのだ。
お風呂上がりの薔薇色の肌が色っぽくて、
今更ながらの関係でもドキドキしてしまう。
180 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:46
「絵梨香の友達?」
どうしよう…この世界では、私とのりちゃんは赤の他人だし。
でも、私の中にある、のりちゃんと過ごした日々の記憶は、まぎれもない真実。
だから、私は正直に告げる事にした。

「…うん、大事な大事な友達。
可愛くて、歌とギターがすっごく上手だったんだよね。
私が心から尊敬してる人でもあるんだ」
181 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:46
「ふうん…」
その声に潜んだ影を察して、私は顔を上げる。

案の定、圭は複雑そうな表情をしていた。
そんな彼女を見ると、寂しさが和らぐ。

「…ふふっ」
私は少しだけ尖った圭の唇にそっと舌を這わせた。
182 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:48
「っな!何!?」
驚いた圭が反射的に後ろへ飛び退く。

「さっきまで、なんか面白くないって顔してたよ」
「…だって、絵梨香がのりちゃんって子を想って…
彼女のギター演奏を思い出しながら、
その綺麗な指でギターを弾いてるのかなって想像したら…
なんか、妬けちゃって」

そう言って、再び圭は距離を詰めながら、私の指をそっと撫でた。
まるで、この指さえ、私のものだと言っているみたい。
183 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:49
「圭はそんなに私の指を独占したいの?」

私は圭の手をするりとすり抜け…
いやらしさを兼ねた動きで、自分の指先を圭の下腹部へ滑らせる。
もちろん、服の上からだけど。
そして意味深に笑いかけてみせる。

「いつも、圭はなかなか私の指離そうとしてくれないもんね」
「!バカッそういう意味じゃ…っ」

途端に圭の顔が紅潮しブンブンと勢い良く首を横に振る。

冗談だったのにな。
でも、冗談も真に受けちゃう素直な圭が可愛い。
ずっと、ずっとこんな圭でいて欲しいと思う。
184 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:50
「違うの。私がいるのに、絵梨香が一人であんな表情して、ギター弾いてるから…
絵梨香にあんな表情をさせる子って、一体どんな子なんだろうって思って」
「え…私、どういう表情してたの?」

「寂しそうで、でも、愛おしそうな顔」
ぽつりと呟くと同時に、圭が私の頭を温かな腕で包む。

「想いを抑えるのって、難しいよね。
絵梨香の親友にも嫉妬しちゃうなんて。
最近、前にも増して誰にも渡したくない気持ちが強くなってる。
裸で抱き合う仲になっちゃったからかな…。
なんか、自分がこれまでの自分じゃなくなっちゃう感じがするの」
185 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:52
「だったら私って、すっごく責任重大なんだ…」

「そうだよ。私がこんな風になったの、絵梨香のせいなんだから。
絵梨香は初めて会った時から、一生懸命支えてくれてた。
離れてた時期だって、ずっと見守ってくれてた。
こんな可愛い子にそんな事されて、好きにならずにいられると思う?」

私のせい。
その響きがとても優しくて、胸が切なくなる。
優しく責められるのが、こんなにも心地良い事だったなんて知らなかった。
186 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:53
「絵梨香を深く知ってから、余計に離れられなくなっちゃった。
責任、取ってよね?」

圭は私に覆い被さり、唇を押し付ける。

その可愛らしい唇を味わいたくて、
私は夢中でついばむようなキスを繰り返した。

「んっ…絵梨香みたいな凶悪な子には、有罪判決。
罪が消えるまで、私はずっと絵梨香から離れるつもりなんてないから」
「そんな罪なら、喜んで背負い続けるよ」

私は圭の頭をぐっと引き寄せ、その髪の匂いを肺に取り込んだ。
圭の紡ぎ出す言葉も、何もかも愛しい。
187 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:53
私はそのまま服の中に片手を入れ、圭のブラのホックをパチンと外す。

「あっ…こら、もう」
「圭が可愛い事言うから悪い」
「…明日早いのに」

それでも、圭はしょうがないなといった風に、熱いキスをくれた。

188 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:54
のりちゃん…。

この世界ののりちゃんに聞いてみたい事があった。
のりちゃんは今幸せ?って。

私と出会って、人生が変わったとまで言ってくれたのりちゃん。
私も同じ気持ちだった。

できる事ならば、もう一度出会いたい。
でも、それが困難な事だって分かってる。
この世界ののりちゃんが、私を必要としてくれるとは限らない。
189 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:57
のりちゃんは確かにこの世界でも実在している…
その事実だけで、もう充分だ。
今まで私はのりちゃんにたくさん支えられた。
この世界に来ても、周りの人に助けられてばかりだった。

だから、今度は私が誰かの力になりたいと思った。
そしてまだ見ぬ未来より、今を大切にしたいと思った。
圭だけじゃなくて、できる範囲で、周りの皆に恩返しをしたいと。

この時の私は、本気でそう願っていたんだ。
190 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:57
...

某歌番組の収録。
この日、『恋のダンスサイト』の録りが行われた。

191 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:58
「みーよー!かわいいーっ」

ファンの声援に、私は笑顔を向けて手を振る。

「紗耶香ーっ」
「市井!こっち向いてぇ」

観覧席から黄色い歓声を上げる女子高生らしき集団。
彼女達は間違いなく紗耶ちゃんのファンなのだろう。

「?紗耶ちゃん?」
だけど、紗耶ちゃんはその声援に応じようともしない。
192 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:58
「呼んでるよ?」

見かねた私は紗耶ちゃんを促してみたけれど、
紗耶ちゃんは終始かったるそうにしていた。

体調がすぐれないだとか、そういった理由ではない。
彼女が自分のファンを拒絶している事は明白だった。

結局、最後まで紗耶ちゃんは観覧席に目を向ける事はなかった。

193 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 02:59
...

「さっきのあれはないと思う」

収録後、気付けば私は廊下で紗耶ちゃんだけを呼び止め、意見していた。

相手によってコロコロ態度を変える人なんて、いくらでもこの目で見て来た。
同時に、売れた途端に天狗になる人も少なくない事は知っている。
でも、仲間である紗耶ちゃんが、娘。を好きでいてくれるファンに対して
あのような仕打ちをする事を、見過ごすなんてできなかった。
194 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:00
そんな私を紗耶ちゃんは一瞥し、面倒そうに口を開く。

「わざわざこっちが相手にしなくたって、ファンはいくらでも湧いて来るんだから」

「っ!?」

その物言いは、あまりに傲慢で。
俯きがちで、いつも自信なさげにしていた
デビュー当時の紗耶ちゃんとはかけ離れていて。
目の前に居る彼女は別人なんじゃないかと一瞬錯覚してしまうほどだった。
195 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:01
「…本気で言ってるの?
紗耶ちゃん、いつの間にそんな偉くなったの?
応援してくれるファンの人に感謝の気持ちはないの?」

「所詮今のファンなんて、本当の私を見てくれてない。
モーニング娘。の市井…後藤の教育係の市井としてしか認識してない。
私の求めているファンは、アーティストとしての市井を認めてくれているファンなんだよ」

それ以上言わないで。
聞きたくない。
たとえ彼女達が紗耶ちゃんの意に添う類のファンではなかったとしても、
大切なファンである事に変わりないのに。
196 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:02
「紗耶ちゃん、目を覚ましてよ…。
仮に娘。がアーティストだったとして…
あの子達が私達をアーティストとして見てなかったとしても、
今までついて来てくれてるファンをないがしろにしてもいい理由になんてならないよ。
芸能人だろうと一般人だろうと、本来そこに格差なんてないはずなの。
同じ人間同士なんだよ。驕ったらそこでおしまいだよ」

「絵梨香ちゃんは、私が驕ってるって言うの?」

本当は、否定したい。
でも、私にはそれができなかった。

「…今の紗耶ちゃんは、現実を見てない」
197 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:03
「そう言う絵梨香ちゃんはどうなの?
本当に現状に満足してるの?これからの事考えてるの?」

畳み掛けるように鋭い問いを投げて来る紗耶ちゃん。
私は彼女の気迫に一瞬たじろいだ。

「シャッフルの青色だって黄色や赤の曲に比べたら明らかに質落ちてるじゃん。
つんくさんや大人の気まぐれに左右されて、正直うんざりし始めてるんだ。
他人の曲でうちらのイメージが勝手に植え付けられるんだよ?
曲の出来不出来によって、いちいちうちらにも責任が問われるんだよ?
たまったもんじゃないよ」
198 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:04
「…だから、ソロになりたいの?」

私は声のトーンを落とし、静かに尋ねる。
紗耶ちゃんは、迷う事なくその問いに頷いて見せた。

「つんくさんの曲じゃ…他人の歌詞じゃ私は自分を表現しきれない」

そして、彼女は更に聞き捨てならない事を口にした。

「正直、私はつんくさんに期待してない。
もしもつんくさんがスランプに陥った時、うちらはどうすればいいの?
つんくさんと共倒れなんてごめんだよ」
199 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:04
腹の底でふつふつと煮えたぎる黒い感情。
それが今にも爆発しそうなのが自分でも分かる。

忙しいスケジュールの合間を縫って、曲作りに勤しんでいる圭。
そして、私とのライブの為に、限られた時間で
最高の曲をプレゼントしてくれたのりちゃん。

両者とも試行錯誤を重ね、苦しみながら音楽と向き合っていた。
200 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:05
ただ曲を作りたいという情熱だけで、歌が好きだという愛情だけで、
やすやすと音楽を生み出せるわけじゃない。
たとえメロディーが降りて来ても、頭の中で響いているその音を、
完璧に再現できるわけじゃない。

そのもどかしさを、苦しみを紗耶ちゃんは知っているっていうの?
201 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:06
「言うに事欠いてつんくさんを批判するの?
曲を作るって事がどれだけ大変な事か分かって言ってるの?」

無意識のうちに、声音に棘が含まれていた。

それが伝わったのか、紗耶ちゃんも苛立ちの感情を露わにする。

「絵梨香ちゃん…
ちょっと楽器が弾けるようになったからって、音楽家気取り?」
「そんなんじゃない!」

言葉が鋭い凶器となって、目の前の紗耶ちゃんに刃の矛先を向ける。
ダメだ、止まれない。

「紗耶ちゃんの言ってる事はただの机上の空論でしか…っ」
202 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:07
刃先が、彼女を切りつけようとするその時だった。

「市井ちゃんをいじめないで!」

「えっ?」

ごまちゃんが勢い良く私と紗耶ちゃんの間に立ちはだかった。

「後藤、何勘違いしてんの。
今大事な話してるんだから向こう行ってな」
「やだ!」

紗耶ちゃんがそう言ってもごまちゃんは頑として動かない。
気丈にも、紗耶ちゃんを守ろうとしているのだろう。

だけど…
「お願いだから、やめてよぉ…
そんな市井ちゃんとみよっちゃんなんて、見たくないよ」
その瞳は次第に潤み、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
203 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:08
「ご、後藤泣くな…泣くなってば」

ごまちゃんの涙を見た途端、紗耶ちゃんはオロオロと取り乱してしまう。
同時に、私もすっと頭が冷える。

私は、我を忘れて、16歳の子相手に、何を…。
ファンへの対応を改善して欲しくて、それを伝えたかっただけのはずなのに。
私は、頭に血が上って、紗耶ちゃんを傷付けた。
204 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:09
どうしてこうなってしまったんだろう。
つんくさんを批判した事は褒められた事じゃない。
でも、何も紗耶ちゃんの夢まで否定するような発言を
する必要なんてどこにもなかった。

この年頃の子が、大きな夢を持つなんてなんらおかしい事じゃない。
私は、感情に任せて、その純粋な思いを踏みにじるような事を言ったんだ。
当時の青かった頃の自分の気持ちを忘れて。

「ごめん、ごめん…紗耶ちゃん。私、どうかしてた」
「ううん…私も酷い事言った」
205 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:11
...

ごまちゃんを先に楽屋に帰した後、長い沈黙が流れた。
気まずいなんてものじゃない。
周りの淀んだ空気が重圧となって私にのしかかるようだ。

沈黙が永遠に続くかと思われた時、紗耶ちゃんが重い口を開いた。

「ねえ、私はアーティストとは違うの?
娘。は結局はどこへ向かおうとしてるの?
私…わけがわからないんだよ。
このままここにいたら、私おかしくなりそう。
ううん…もう、とっくにおかしくなってるのかもね…」

「…っ」

細い背中が、いつにもまして弱々しく見える。
紗耶ちゃんの問いに、私は最後まで答えを返す事はできなかった。
答えを見つけられるのは、きっと紗耶ちゃんしかいないのだから。
206 名前:第32話 罪深く愛して 投稿日:2012/06/07(木) 03:12
第32話 罪深く愛して
207 名前:あおてん 投稿日:2012/06/07(木) 03:18
うちの書く市井ちゃんは痛い子ですみません。

>>162
ちょっw実はそこまで深く考えてませんでしたw

>>163
+解体部仕込みのテクで…w
208 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:43
あれから数日が経過した。

ごまちゃんは最初こそ私を警戒するような目で見ていたけれど、
今は“みよっちゃん”と無邪気に寄って来てくれる。
紗耶ちゃんも、何事もなかったかのように私に対して普通に接してくれている。

だけど、私には分かっていた。
紗耶ちゃんは相変わらず満たされていないんだと。
209 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:43

娘。は今、間違いなく飛ぶ鳥を落とす勢いのグループの一つだった。

歌が好きで、好きな事を仕事にできて…世間に好意的に受け入れられて。
私達は、この上なく恵まれている立場にいるはずなのだ。

だけど、紗耶ちゃんはそんな現状に満足できていない。
それどころか、虚しさを感じているのかもしれない。
ろくに学校にも通えず、与えられた膨大な仕事を懸命にこなしていく日々に。

その思いは、きっと誰にも打ち明けられなかったんだろう。

メンバーは仲間であっても、友達とは違うから。
自分の道を決めるのは、結局は自分だから。

それを理解していたからこそ、私はただ見守るしかできなかった。
210 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:45
...
ちょうどそんな頃だ、私達娘。に映画出演の話が来たのは。

「映画…ですか」
「そうだ、2月の半ば頃にクランクインして、5月に上映される」

これも、史実通りの展開。
だけど、映画のテーマは史実とは全く異なっていた。

女子高生が集まってバンドを組む青春物語だったのだ。
211 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:47
映画のタイトルは“ピンチランナー”ではなく、“ピンチプレイヤー”
路上ライブをやっている男子高校生に出会った女子高生が、
その姿に啓発されて、ゼロからバンドを作り上げていく…
かいつまんで説明すれば、ピンチプレイヤーはそういう話だ。

どこかで聞いた事がありそうな、ありふれたストーリー。

バンドに詳しい彩さんや明日香がいれば、この作品がもっと映えたかもしれないなと、どうでもいい事を思った。
212 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:48
ただし、映画の設定が変わっても、
メインキャストの配役に影響が出たわけではないようだった。

そして、当然、例の男の存在も…

213 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:48
...

「…」

私は微妙な表情で目の前の粗野な男を見つめていた。

下心が透けて見える顔。
外見は整ってはいるけれど、そのガラの悪さは隠せない。
決して好みじゃない。

214 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:49
やっぱり、こいつとのブッキングは避けられなかったか…。

最悪だ、と心の中でぼやいた。

確かにこの男は楽器も扱えるみたいだし、
適任といえばそうなのかもしれないけど。
でも、もっとマシな人選をして欲しかった。
215 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:50
...

そう、今日からピンチプレイヤーの撮影がクランクインする事になった。
つまり、この男とも顔を合わせる事になるのだ。

「…じゃ、これからよろしく」

一通り挨拶を終え、男は大股で立ち去って行った。

いちいち気取ってるなあ…。
気に入らない。
216 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:51
「ちょっとー、何なの、マジかっこいいんですけど!」

部屋に残ったのが娘。だけになった途端、
なっちと真里っぺがきゃいきゃい騒ぎ始めた。

現時点ではあの男は無名俳優なのに、
まるで有名人に熱を上げているファンの女の子みたいだ。

「…矢口、あんたしょーもない男に騙されるタイプやな」

さりげに毒を吐く裕ちゃん。
その言葉に私は少しだけ安心する。
さすがに彼女の目は曇ってはいないみたいだ。
ついさっき、裕ちゃんは値踏みするような眼差しで
あの男を威嚇していたっけ。

裕ちゃんと同様に、嫌悪感は決して拭い切れない。
私はこの映画の撮影が前途多難なものになる事を確信した。
217 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:54
...
撮影がひと段落してから、私はずっと抱えていたものを圭に打ち明けた。
これを確認しないと、眠れそうにない。

「…圭はあの俳優見て、どう感じた?」

「え?どうって?」
「ほら、イケメンとか、背高いとか、色々あるじゃん」
「?いけめん?
客観的に見れば、かっこいい部類に入るのかもしれないね。
矢口とかキャーキャー言ってたし。
でも私はそういった意味ではどうでもいいや。
共演者である以上、一緒にいい作品作っていきたいなとは思うけど、」

よ…良かった。
その言葉を聞くまで、生きた心地がしなかった。

私は思わずへなへなと床にへたりこんでいた。
218 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:55
「ちょっどうしたの!?」
「安心しただけ。
圭がもしあの男にときめいたらって思ったら、気が気じゃなくて」

安堵のあまり、体に力が入らない。
そんな私を圭は呆れたように、だけど優しく包んでくれた。

「ほんっとに…バカなんだから」 
圭も同じようにしゃがみ、私と同じ目線になってくれる。
219 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 01:56
「いくら美男、美女が周りをうろついてても関係ない。
私は絵梨香以外求めない。絵梨香じゃないと意味がないんだもん」
そう言って、可愛らしく私の目を覗き込む。

「だから、4期ですっごく可愛い子が入って来て、
その子になびいたりしたら許さないからね」
「安心して、私年上の方が好きだから。
娘。に圭より上の年齢の人が入って来る事はまずないと思うし」
「うわ、感じ悪ーい」

ふくれっ面でそっぽを向いてみせる圭。
それが拗ねているフリだと分かっているから、私は唇をその頬に押し付けた。
220 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:00
「私はいつだって圭一筋だよ。
私がこんなに誰かを好きになる事なんて、もうないよ」

幸せな時間。
恋愛禁止令が敷かれている環境の下…
私達だけがこんな甘いシロップ漬けのような日々を送って、愛を交わす。

なのに、私はそれを棚に上げて、
他のメンバーの恋路を邪魔しようとしている。

身勝手だって自覚してる。
でも、あの男の存在が娘。にとって害となるなら、致し方ないんだ。

あの男がタチの悪い男で逆に救われたかもしれない。
もしも相手が真面目で優しい好青年だったとしたら。
私はその人とメンバーの関係が進展するのを防ぐ行為に、
強い罪悪感を抱いていたはず。

いや、どちらにしろ、娘。の顔であるなっちは守らなくちゃいけない。
娘。である以上、生々しいスキャンダルは未然に防がなければいけないんだ。
221 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:01
不謹慎だって分かってるけれど、私と圭が同性同士で良かったと心から思えた。
女として生まれなかったら、こうして圭とも出会えていない。

同性同士だからこそ…
私達の関係を本気で怪しんだりする大人はいない。
私達を引き裂こうとするものは何もないのだから。

その環境に、私は安心しきっていた。
油断していた。
一瞬の油断が命取りになる事も忘れて。
222 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:02
...
この日は、コンサートツアー2000の関係で地方に来ていた。

私達娘。の疲労は限界に近かった。
元々ツアーの合間を縫っての映画撮影だったのだ。
決して気を抜けない重大な仕事を二つも抱えている状態。

けれど、私はこのハードスケジュールに感謝していた。
地方に出向いている今この時は、あの男から離れていられる。
ここまで来れば、あの男の魔の手がメンバーに伸びる事はない。

やっと、解放される…
その考えが甘かった事を、私は早々に知る事となる。
223 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:05
「レッチリいいよ、後藤も聴いてみな。勉強になるから」

「ぶっ!」
紗耶ちゃんの口から飛び出したとある単語に、私は飲み物を噴出した。

「うわっきったねえ!絵梨香何やってんの」
周りの抗議の声も、今の私の耳には入らなかった。

レッチリというのは固有名詞。
確かあの男が好きだと言っていたバンド名の略称だ。

凶悪な置き土産を残してくれたものだな…。

レッチリに罪はない…それは分かってるけど。
嫌な予感が止まらない。

現時点で、これほどまであの男という存在が、娘。へ浸食している。
知らず知らずのうちに。
それも、凄まじい勢いで。
このままだと、娘。が今までの娘。じゃなくなってしまうかもしれない。
私は寒気を感じて、自分の体を両腕で抱きしめた。
224 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:06
...

「で、俺がロスにいた頃は…」
「…」
「昔は米軍基地に乗り込んで米兵相手にライブやった事もあるんだぜ」
「…」

相変わらず口を開けば自慢話ばかり。
本人にしてみれば立派な武勇伝なのかもしれないけれど、
聞かされているこっちはたまったもんじゃない。
いや、その話もどこまで本当か分からない。
こいつに虚言癖がある事は薄々理解していたから。
それでも、純粋な皆はその話の内容を鵜呑みにしているのか、
感嘆の声を漏らしていた。
中には目をハートにしているメンバーもいる。

私は気付かれないように席を外した。
できれば、同じ空気を吸っていたくなかったから。
225 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:08
...

自動販売機でミネラルウォーターを買い、一口喉に流し込む。

「…はぁ」

疲れた。
あと一ヶ月近くあの男と一緒なんだと思うと気が重い。
クランクアップの頃には娘。達があいつの色に染まり切っていたらどうしよう。
これは汚染だ。
ある意味テロだ。

どうするべきかぐるぐると考えを巡らせていた時、誰かに呼ばれた気がした。
226 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:09
「絵梨!」

やっぱり、空耳じゃない。
おそるおそる振り返る。

呼ばれたのが私ではない事を、
私を呼んだのがあいつではない事を祈って。

しかし、その願いは無残にも砕け散った。

男がニヤニヤと卑下た笑いを湛え私を見おろしていた。

「どうしたんだよ絵梨、まさか俺の話つまんなかったとか?」
227 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:10
「絵梨って…私の事ですか?」
「そうだけど?」

馴れ馴れしい。
この男にそんな風に呼ばれるいわれはないのに。

私はあからさまに顔をしかめつつ、はっきりと告げた。

「普通に呼んで下さい。正直虫唾が走るんで」
228 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:11
「へえ…」

男は私の険のある言い方に気を悪くしたようでもなく、
ひゅう、っと口笛を吹いた。

「おもしれえじゃん。“なつ”みたいな純朴な子もいいけど、
こういう斜に構えた女の方がオトし甲斐あるよな」

“なつ”はなっちの事か。

「…あの、思わせぶりな事言って皆を惑わすのはやめていただけませんか」
「ハハハ、俺のフェロモンに惑わされてるのか。かわいーなぁ」

ダメだ。
この男の病気はきっと一生治らない。

こっちが説得しても徒労に終わるだろう。

なるべく関わらないようにしよう。
私はこの時強く決心した。
229 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:11
そう思っていた、のに。
...

「ちっす、絵梨」
「だからその呼び方はやめて下さい」
「なんならエリーの方がいいか?」
「それも却下です」

私が拒絶している事は伝わっているはずなのに、
男は懲りずに私に接触して来る。
いい加減放っておいて欲しい。
230 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:13
「絵梨の持ってるギターってどこの?見せてみろって」
「触らないで下さい」

私は男の手から逃れるように、自分のギターを抱え込む。
自分でも酷い振舞いをしていると思うけれど、
どうしてもこの男だけは受けつけない。
しかし男は傷付いた様子もなく、自分語りを始めた。

「俺結構いいギター使ってんだぜ、
プレミア物だから手に入れるのに苦労してさ」
「知ってるか?ジミヘンは歯でギター弾いたり燃やしたりしてたって。
まあ俺の方がよっぽどホットなパフォーマンスできるけどな」

「…」
ああ、また始まった。
私は頭を抱えたくなった。
231 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:14
こんな事なら、駅伝の方がよっぽど良かったかもしれない。
この男は音楽に造詣が深いと自負しているらしく、
ここぞとばかりにそのうさんくさい知識を披露している。

誰かこいつをどうにかしてくれ、と一瞬祈った。
だけど、他のメンバーに任せたら危険極まりない。

「なあ、そろそろ絵梨のナンバー教えてくれたっていいだろ、焦らすなよ」

私は盛大にため息をついて、回れ右をした。

「お、おい」
「私もう行きますので」

私は男の制止を振り切り、私は砂埃を立てる勢いでこの場から立ち去った。
232 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:15
...

「あんたも厄介な男に目付けられたなぁ、同情するわ」
「単に私がなびかないから物珍しいだけだよ。
あの男にとってはゲーム感覚だろうし。
どうせ、娘。の誰々を何日でオトせるかって、賭けでもしてるんじゃないかな」
「ありうるなあ…」

裕ちゃんは否定する事もなく苦笑いしていた。

「なっちらが、絵梨香みたいに物事の本質を見極められる子なら
裕ちゃんも安心できたんやけど…まあ、今それを求めるのは酷やな」
233 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:16
ただでさえ、15やそこらの女の子は不安定な存在だ。
少しでもバランスを崩せば、簡単に奈落へ堕ちてしまう。
そんな年頃の子に、何が正しいか、何が間違っているのか
自分で判断させるのは無理な話だろう。
ましてや娘。という閉鎖された枠の中で過ごしていた彼女達は
審美眼を養える余裕なんてなかったはず。
そんな中、ある日颯爽と若い男が現れれば、盲目的に
のぼせ上がる子がいてもおかしくない。

だけど、相手が悪過ぎるのだ。
スキャンダル云々以前に、あの男と関わっても、どう考えても悪影響しかない。
234 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:18
「とにかく適当にあしらっとくよ。裕ちゃんは心配しなくていいから」
「ウチも一応気を配っとく。間違いが起こらん事を祈るわ…」

どっちにしろ面倒な事に変わりないんだから、
あの男の意識を私に引き付けた方がいいのかもしれない。
幸か不幸か、少なくともあの男は私に興味を持っているようだから。
235 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:19
...

『色々とややこしい事になってるんだね…』
「そうなんだよね、しかも相手がタチの悪い男でさあ」

夜、私は明日香と電話で話していた。

脱退以降、明日香は普通の女の子に戻り、
同年代の子と変わらず受験勉強に勤しんでいた。

その明日香から、先日無事高校に合格したという連絡をもらったばかり。
今まで勉強の邪魔になるかもしれないと思い、
こちらから連絡する事はひかえていたのだけど、
合格の知らせを受けてから、私は明日香が娘。に在籍していた頃と同じように
頻繁に電話するようになっていた。

最初はブランクがあいているせいで探り探りだったけれど、
今はあの頃のように何でも話せている。
236 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:20
さすがに会う時間まではなかなか作れない。
でも、明日香の声を聞いているだけでも安心する。
顔が見られなくても、今明日香がゆとりある環境に身を置いている事が分かる。
明日香の声には、あの頃のような影は感じられないから。

明日香は今幸せなんだ。
これからの高校生活の事を思い、期待に胸を膨らませているんだろうな。

そんな時に、このような愚痴を聞かせてしまっている。
申し訳ないと思いつつも、それでも明日香に聞いて欲しかった。
237 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:22
「会社も恋愛禁止とか言ってるくせに、
ああいう男を送り込んで来るって矛盾してるよ…」
『私も今までなっち放置してたのもまずかったかなあ…
なっちが寂しいってメール寄こして来ても、
あえて突き放してたところあったから』

そうだったんだ…。
でも、明日香も考えての事だったんだろうな。
ここ一年、明日香も色々と己を律していたんだろう。

「なっちは人一倍寂しがりだからね。
そこにあの男が付け込みそうで心配なんだよね」
『分かった、私もなっちにそれとなく言っておくよ。
私の友達で悪い男に引っかかって悲惨な目に遭った子いるからさ、放っとけない』
…明日香の友達って、一体…。
238 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:22
『やー、でも映画で全国ロードショーって
娘。もビッグになったねえ。
モーニング刑事の続編じゃなくて安心したよ。
あれよりは名作になりそうじゃん』
「は、ははは」

私は苦笑いしつつ明日香との通話を終えた。

さすがにまだ紗耶ちゃんの件は伏せておこうと思った。
私達がとやかく言おうとも、紗耶ちゃんを引き止められない事は
薄々分かっていたから。
239 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:24
...

「えーっと、頭痛薬だったっけ」

私は忘れ物をしたという紗耶ちゃんに頼まれて、楽屋の荷物を取りに来ていた。

紗耶ちゃんのバッグを見つけると、私は言われた物を探し始めた。

「ん?」
その時、ふと目についた大きな茶封筒。
書類か何かが大量に収まっているのか、ずっしり重い。
あんまり人の物を物色するのも悪いと思い、
私はすぐにそれを元に戻そうとした。
240 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:25
「うわっ!」

しかし次の瞬間、手元が狂い、茶封筒から
バサバサと書類の束が滑り落ちて来た。
無残に床に散らばってしまった紙を、慌てて一枚一枚かき集める。

「あーあ、やっちゃった…あれ?」

その中で、目を引いたものがあった。
どうやら雑誌の切り抜きみたいだ。
興味を引かれ、私は記載された文面を追う。

それはある音楽プロデューサーのコラムだった。
彼には、最近までプロデュースしていた歌手がいたという。
しかし、音楽の方向性の違いにより、
その女性ボーカルが自分の元から離れて行ったらしい。
241 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:26
...

“結成された当時の彼女は、音楽的にも真っ白な状態でした。
活動歴を重ねるごとに彼女の中で「自分のあるべき姿」が
見えてきたのだろうと私も察していました。
そして自分で曲を書き、サウンド全般を構築したいという願望が
高まったのだろうと思います。
音楽人に起こるべき必然的な欲求です。

といえど、実際には実力はもとより非常に高いレベルの勇気と努力、
前向きさが必要とされる行為なことはいうまでもありません。
しかし彼女はそこに活路を見い出したのでしょう。
もし私がこの欲求を遮ったとしたら良い結果を
産み出す事は何一つあり得ないと思います。

いずれにせよ人間はいつかは自分の為にも一人立ちをするだけの力を
備えなければいけないと私は思います。
誰もが背負う理想と現実との葛藤に息を切らせながら活路を探しているのです。
いうまでもなく私も同様です。
きっとこれを読んでいるあなたも同様でしょう。
そして運命があるのであれば長い歳月を経て再び巡りあうこともあるでしょう。”
...
242 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:28
...

………。

紗耶ちゃんはこれを読んで何を思ったのだろう。
コラムに書かれたボーカルの女性と自分自身の姿を、
重ね合わせていたんだろうか。

「音楽人に起こる必然的な欲求…」

確かに、紗耶ちゃんの欲求を無理に遮って
娘。にとどまらせようとしても、何も生み出さないだろう。
そして紗耶ちゃんを止めたところで、彼女が聞き入れてくれると思えない。
それくらいは理解できる。
でも…

時にその欲求が自分自身を破滅の道へと落としめる事だってある。
紗耶ちゃんの欲求が音楽に携わる人間として至極当然のものだったとしても…
何も今すぐに娘。を脱退する事の理由に値するとは思えない。
それに、もしも今紗耶ちゃんを素直に送り出してしまったら、
きっと紗耶ちゃんは、元の世界の“市井さん”と同じように…
243 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:29
「絵梨香ちゃん!?」

その時、鋭い声が鼓膜を貫いた。
次の瞬間、誰かが私から素早く書類の束を取り上げる。
それは、他でもない紗耶ちゃんだった。

「紗耶ちゃん…?いっ痛い」
気付けば、紗耶ちゃんが空いた方の手で私の手首を掴んでいた。
固い表情で私を見つめ、普段より低い声で問い掛けてくる。

「中、見たの?」
「っ…」
ぎりぎりと私の手首を締め上げる紗耶ちゃん。
骨が軋んで鈍い痛みが広がる。
その細い腕のどこにそんな力があるんだろう。
244 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:31
「いっ…
雑誌の切り抜きをちょっと眺めただけで…
ご、ごめん、紗耶ちゃんのプライバシー侵害する気じゃ…
謝るから離してっ」
「…なら、いいよ。切り抜き以外は見てないんでしょ」

紗耶ちゃんの力が弱まったのが分かると、私はそこから手首を抜いた。
そして慌てて掴まれた箇所を撫でさする。

…まだ痺れてる。
そんなにまずい事をしただろうか。

いや、切り抜きを見た事は問題ではなかった。
何か見られたくないものがあの中に混ざってたんだ。
一体、あの書類の中に何が隠されていたんだろう。
だけど有無を言わさない紗耶ちゃんの気迫に、私は二の句を継げなかった。
245 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:32
その時、二人の緊迫した空気を打ち破る声があった。

「見られたくないんは、留学関係の資料なんやろ」
「!?」

静かな声に反射的に振り返ると、裕ちゃんが入口に立っていた。

「ゆっ裕ちゃん!!」

紗耶ちゃんの目が驚愕に見開かれる。

「仮にもリーダーやからな…和田さんにそれとなく聞いたわ。
まあ、どっちみち隠してもメンバーの考えとる事くらいなんとなく分かるけどな。
紗耶香、娘。辞めるつもりなんやな」

「…」

紗耶ちゃんは黙って唇を噛んでいた。
否定しないという事は、裕ちゃんの予測は外れていなかったようだ。
246 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:33
「そんなに、娘。から離れたいんか?」

相変わらず、紗耶ちゃんは答えない。
叱られた子供のように口をへの字に曲げ、俯いている。

そんな彼女に、裕ちゃんは更に言葉を掛ける。
優しく、噛んで含めるように言い聞かせる。
それこそ、母性に満ちた母親みたいに。

「なあ、紗耶香。
ウチは正直、今の娘。はアーティストとかそんな大層なモンとは違うと考えとる。
SPEEDとかみたいに小さい頃からエンターテイメントが何たるかを叩き込まれて、
英才教育を受けて来た子らと同列やと思う事はできへん。
不完全なままや。
それは、紗耶香も本当は薄々分かってたんやろ?
だから、もっと上目指したくて娘。から出たいんやろ?」
247 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:34
裕ちゃんはもはや紗耶ちゃんに答えを期待しているわけではないようだった。
静かに、そっと訴えかけるように言葉を紡ぐ。

「…でもな、その代わり、娘。には別の良さがある。
娘。は最初は歌が好きな素人の寄せ集めやった。
それが、ここまで来れたんや。
娘。は、娘。を見守ってくれとるたくさんの人と一緒に
成長していけるグループなんや。
人間ってのは成長していくのを楽しむ生き物やと思うてる。
その楽しみを皆と共有できる、貴重なグループなんや」

裕ちゃんがどれほど娘。を愛しているのか伝わって来る。
その思いは果たして、紗耶ちゃんに届いているんだろうか。

「紗耶香。もう少しだけ、時間くれへんか?
確かに娘。は紗耶香の理想とするもんとは違うかもしれへん。
でも、娘。でしか学べへん事もあるはずなんや。
焦らんでもええやん。一緒に、ウチらのペースで成長して行かんか?」
248 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:35
紗耶ちゃんはすっと息を吸い…何か言葉を吐き出そうとした。
でも、遂に口にする事はなかった。
まるで大きな塊を飲み下すように、それを奥深くに封じ込め、
かぶりを振った。

「…もう、決めた事だから」

ただその一言だけを、ぽつんと呟いて、紗耶ちゃんは部屋を出て行ってしまった。

取り残された私達は、呆然とそれを見送る。

「やっぱ、ダメやったかぁ」

弱々しい声にはっとして裕ちゃんの方へ視線を向ける。

目に飛び込んで来たのは寂しげな横顔。
一瞬泣いているようにも見えて、胸が詰まった。

「この事、他のメンバーにはまだ言うたらあかんで」
「…うん」

本当は、その細い肩を抱いてあげたかったけれど、私はあえてそうしなかった。
それをすれば、裕ちゃんが懸命に抑えている悲しみが
一気に溢れだしてしまう事が分かっていたから。
249 名前:第33話 浸食汚染 投稿日:2012/06/14(木) 02:35
第33話 浸食汚染
250 名前:あおてん 投稿日:2012/06/14(木) 02:37
コラムの内容は、実在するプロデューサーの発言をそのまま引用してます。
251 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/18(月) 00:53
今後の展開のキーマンになりそうな人が来ましたね
252 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:38
アルバムのレコーディング、全国ツアー、CM撮影、ピンチプレイヤーの撮影…
仕事は順調だった。

鬱陶しい例の男の件を除いて。

あの男は懲りる事なく未だに私にしつこく接触しようとする。
そして娘。の中にも、むしろ自分からあの男に積極的に関わろうとするメンバーもいた。

だけど、まだ…かろうじて娘。とあの男との間に間違いは起こっていない。
裕ちゃんと私が目を皿のようにして監視していた甲斐があった。

気を配っていれば、元の世界のような惨劇は起こらない。
このまま、安心して4期メンバーを迎え入れる事ができる。
きっと娘。の未来は明るい。

そう、信じていた。
253 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:39
...
4期メンバーと対面の日。
私は、絶望を知った。

「彼女達が、4期メンバーの二人です」

「石川梨華です」「吉澤ひとみです」
254 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:40
「ウソ…」

「絵梨香?どうしたの、顔青いよ」

私を気遣う声も耳に入らない。

アーティスト路線に方向性が定まった時から、覚悟はしていた。
していたはずだった。
だけど、いざ現実を突きつけられると、それまでの覚悟なんて吹き飛んでしまう。
255 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:40
私が…娘。の方向性を変えたから。

あの時。
『ふるさと』じゃなくて『忘れらんない』に無理やり変更させたから。
私があの時にした選択は、娘。にとってプラスに働くと思っていた。

だけど、結果的に私は2人の人間の夢を壊した。

取り返しのつかない事をしてしまったんだ。

私のせいだ…
私の…
私が、あの子達の人生をねじ曲げた。
可能性を潰した。
私にそんな権利なんてないのに。
256 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:41
「っ気持ち、悪…」

視界がぶれる。
闇が押し寄せ、目の前で黒いとぐろを巻く。

「絵梨香!絵梨香!?」

私は口元を手で覆いうずくまった。
胃の中はからっぽのはずなのに、吐きそうだ。
獣みたいに手足を床につけ、背中を震えさせる。

「う、ぐ」
もう呻くような声しか出ない。
257 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:41
「絵梨香っ!誰か!誰か来て下さい!!」

圭が声の限り叫んで大人を呼ぶ。
その声が直接頭に響き、目眩さえ感じる。

ダメだ…もう…

私は周囲の人達のざわめきを聞きながら、意識を手放した。
258 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:42
...

幾つもの黒い物体がざわざわ蠢いている。
あれは、人だ。
男女の区別もつけられない人影が私を取り囲んでいる。
259 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:43
顔のない黒い人間が、じっと見ている。
そしてこちらを指差し、呪文のように呟いている言葉。

「――」
え?

「――、――」
やめて、聞きたくない。

「まがいもの」
うるさい。

「疫病神」
違う、私はそんなんじゃない。

「人の夢を潰えさせた疫病神」
そんなつもりなんてなかったんだ。

私はただ…
私はただ、皆を救いたかっただけなのに!
260 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:44
...
「ちがうっ!!」
「っ!?」


「…あ、れ?」
周囲を取り巻いていた無数の黒い影は消え去っていた。

目の前には、白い輪郭。
猫のような瞳が。
ああ、この瞳は…
261 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:45
「け…い?」

だんだん不鮮明だった視覚が生き返って来る。
側には、愛しい彼女の顔があった。
圭が、驚いたように目を見開いて固まっていた。
262 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:46
「絵梨香、気が付いたんだね」

ここは…見慣れた建物の中。

私は、長椅子の上に寝かされていた。

どうしてこんなところにいるのだろうという疑問が一瞬浮かんだ。
だけどそれはすぐに覚醒した意識にかき消される。
263 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:47
そうか、夢だったんだ。
私はさっき、4期メンバーと対面して、それから…

「…ふ」

バカみたいだ。
たかが夢にここまで動揺して。
でも。私が疫病神な事、まがいものである事は、事実なんだ。
264 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:47
喉がひりついている。
どうやら私はかなりの大声を張り上げてしまったみたいだ。

「いきなり声出したからびっくりしたよ。大丈夫なの?」

やわらかい手が、そっと私の額に触れる。

「…けい…」
「…気分はどう?」

温もりが流し込まれた瞬間、再び体が小刻みに震えた。
265 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:48
そう、これは、これだけは夢じゃない。
夢だったらどんなに良かっただろう。
でも、まぎれもない現実なんだ。

この世界の4期メンバーは、たった二人だけ…。

私がこの世界に存在するだけで、誰かを傷付けてる。
自分が知らないだけで、これまでもきっと何人もの人間を蹴落として来た。
今私がここにいるという事は、そういう事だ。

でも…認めたくなかった。気付きたくなかった。
266 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:49
「私は…っ疫病神なんかじゃない」
「絵梨香?ど、どうしたの?」

怖いよ。
自分がたまらなく怖い。
でもその叫びは声にならない。
かわりに、私は傷の入ったCDのように何度も同じ言葉を繰り返していた。

「私はまがいものじゃないよ…っ」

「誰が…一体誰がそんな事言ったの?」

圭の問いに答える余裕は残されてなかった。
ただひたすらに、脳裏に響く声をかき消すように頭を振った。
いくら拒んでも、私が自分のこの手で…
世界を歪めた事実は消えはしないのに。
267 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:49
「…悪い夢でも見たんだね。大丈夫、私が一緒にいるから」

そんな私を、圭はずっと抱きしめてくれていた。
それ以上何も聞かずに。
子供をあやす母親みたいに。
268 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:49
...

体の震えが落ち着くと、私は自分から体を離した。
本当は柔らかいこの温もりに浸っていたいけど、
いつまでもこうしてはいられない。
269 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:50
「大丈夫…もう平気だから。ごめんなさい、取り乱して。
変な夢見て、気が動転してた」

私は圭の手優しくほどいて笑って見せた。
しかし彼女は私がまだ不安定な事を察しているのか
訝しげな視線を投げかける。
それでも、私はあえてその視線を受け流した。

「ねえ、新メンバーの二人はどうしてるの?」
「別室に待機させてるみたいだけど…
まだ無理しない方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だって、私も挨拶しないと」

圭はまだ私を休ませたかったみたいだけど、結局最後は折れてくれた。
圭に支えられながら、私は二人の元へ向った。
270 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:51
...
「三好さん、もう大丈夫なんですか!?」
私の姿を認めるやいなや、吉澤さんと梨華ちゃんは一斉に立ち上がり、
しゃんと背筋を伸ばした。

こっちが戸惑ってしまいそうなほど、真剣な表情。
本当に私を心配してくれているんだ。
271 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:52
びくびくするな。
二人が見てる。

私は自分に喝を入れて、ゆっくりと足を前に進める。

「ごめんね。記念すべき大事な日にこんな醜態さらしちゃって」

あと二歩、あと一歩。
限りなく近い距離になると、真正面から視線がぶつかる。

二人は、これからの日々に思いを馳せているのだろう。
期待と不安が入り混じった瞳。
でも一切の不純物の存在を感じさせない澄んだ瞳をしていた。

薄汚れた私でも、入ったばかりの時はこんな感じだったのかな。
272 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:52
「言うのが遅くなっちゃったけど、これからよろしくね。
私は、あなた達二人を歓迎します」

その言葉と共に私は自分から右手を差し出す。

梨華ちゃん…そして吉澤さんがこわごわと握り返してくれる。
273 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:53
ああ、やっと会えた。

ここまで来るのに、どれだけかかっただろう。
出会いと別れを繰り返して、時には人を傷付けて。

そう、私は人の夢を壊した。
梨華ちゃんと、吉澤さんでない二人の人間の夢を。

許されない最大の罪悪。

それでも、この二人だけも入って来てくれた。
その事に、心から感謝したかった。
274 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:53
受け入れるんだ。
全てを。
誰にも言えない罪を増やしてしまっても、笑っていなくちゃ。
そうしないと、周りに心配をかけてしまう。

「こっこちらこそ、よろしくお願いします」

やっぱり、まだ緊張しているんだ。
でもそれは私も同じ。

私は今、ちゃんと笑えているだろうか。
手が震えている事に気付かれていないだろうか。

言い表せない様々な感情を押し隠しながら、私と二人は初めて挨拶を交わした。
275 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:55
...

その夜、心配してくれた圭が私の部屋に泊まる事になった。

「絵梨香が倒れちゃった後、実は色々皆で話してた事があるの。
裕ちゃんが、あの二人にも教育係をつけるべきだって言ってたんだよね」

教育係。
その単語に靄がかかった思考がクリアになる。
そうか、後輩が入って来る以上、その問題は避けられない。

「でさ、絵梨香にどっちかの教育係をやらせてみたらどうかって…
いや、むしろ石川って子の教育係は絵梨香がいいんじゃないかって話が進んでる」
276 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:56
「わ、私?」

思わず素っ頓狂な声を出して、まじまじと圭の顔を見つめてしまう。
梨華ちゃんと私だなんて、一番ありえない組み合わせじゃないか。

元の世界では、梨華ちゃんの教育係は“保田さん”だった。
この世界でも同じ事が言えるはずだ。
どう考えても、圭の方が適任だと思う。
それがどうして。
277 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:57
「面接の時に、新メンバーの二人に聞いたんだって。
娘。で誰に憧れてるかって…。
それで、石川って子は絵梨香の名前を出したみたい」
「はあ!?」

今度こそ、口から心臓が飛び出そうなほどに驚いた。

何を。そんな。ありえない。

体中の血液が沸騰しそうだ。
言葉がバラバラに千切れ、頭の中でぐるぐると駆け巡る。
278 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:58
「な…なん、なんで私を!?」

まだバクバクと心臓が暴れている。
私は胸を押さえながら必死で声を絞り出した。

「そりゃ、惹かれるものがあったからでしょ。
あの子と絵梨香は同い年だけど、二年の開きがあるし、教育係をやる資格はあると思う。
教える側の人間も、本人の希望に添った方がいろいろ吸収しやすいだろうしね」
「…」

信じられない。
梨華ちゃんも皆も、一体何を考えてるんだ。
279 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:58
私は、今更誰かに干渉する事に恐れをなしている。

本当なら拒む事だってできる。
今なら間に合う。

でも。
あの梨華ちゃんが私に憧れていると言うのだ。

奇跡みたいな出来事。
それでも夢じゃない。

まだ、誰かが私を必要としてくれるんだ。
目の前に差し出された手をはねのけるなんて事、できるはずない。
280 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 02:59
「やるよ、教育係」

梨華ちゃんが私を選んでくれた事実。
それが迷いや恐れを甘く溶かしてしまった。

「私…やりたい。やってみたい」
「うん。絵梨香ならそう言うと思った」

そう言って圭はふわりと笑ってくれる。

「あの子、めっちゃ可愛いし、スタイルもいいよね。
鼻の下伸ばしたりしないでよ?」
「し、しないって」

「ウソウソ、私は応援するよ」
281 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:00
圭の声が近付いたと思った瞬間、圭は背後から私を包んでいた。

「だから、せめて今は私だけの絵梨香でいてね。
教育係になったら、絵梨香を一人占めできなくなっちゃうから」
「ふふっ二人っきりでいる時は、気の済むまで独占してよ」

私は圭の腕に頬を擦り寄せた。

私の罪は消えない。
それでも、誰かが必要としてくれるなら、
できる範囲で人の為に尽くしたいと思っていた。
282 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:01
...

「ちょっと音止めて!」

私達は、音に合わせて発声のレッスンをしていた。
カオリンの一声で、ブツリと音が途切れる。

「石川、ぜんっぜん声出てないじゃん。
そんなんじゃ聴いてる人に届かないよ」
「う…うぅ、す、すみません」
283 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:01
まただ。

この世界で、梨華ちゃんの先輩となって分かった事。
梨華ちゃんは超がつく泣き虫だ。
今でこそ爽やかで男前なイメージで通っている紗耶ちゃんも、
デビュー当時は泣き虫だったんだから、さほど驚く事でもないのかもしれない。

それでも、虫も殺せないお姫様のような梨華ちゃんを見ると調子が狂ってしまう。
284 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:02
梨華ちゃんは少女漫画の大人しいヒロインのような外見とは裏腹に、
実は勝気で男勝りな人だった。

かつて、美勇伝のリーダーとして私と唯ちゃんを引っ張っていた梨華ちゃん。
そんな彼女は、自分が類稀な容姿の持ち主である事も自覚していて、自
信に満ち溢れた人だった。

ところが、この世界の梨華ちゃんはどうだろう。
少し先輩に何か言われただけで委縮し、
ぽろぽろとガラス玉のような涙を流してしまう。

弱々しい肩。
儚い泣き声。

守ってあげたいと言っていたファンの人達の気持ちも分かる。
285 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:03
もしかしたら元の世界の梨華ちゃんも、
娘。に入った当初はこんな感じだったのかもしれない。

経験を積み活動歴を重ねる毎に、メンタル面でも鍛えられていったのだろうか。
きっと、“保田さん”の存在も大きかったんだろうな。
286 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:04
「カオリン、もうそのへんでいいんじゃないかな」

私は梨華ちゃんとカオリンの間にすっと立ちはだかる。

「えー?そうやって甘やかしちゃダメだよ絵梨香。
本当は教育係のあんたがガツンと言わなきゃダメなんだよ?」

「まさか。甘やかしてなんかないよ。
だから、この子を注意する役目、そろそろ私に譲ってくれない?」

そうは言っても、梨華ちゃんを叱り飛ばすつもりなんてさらさらなかったのだけど。
ただ、見ていられなかった。
287 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:04
カオリンは私と梨華ちゃんを交互に見比べ、深いため息をついた。

「はぁ、分かったってば。今度は絵梨香がしっかり指導しなよ」

そう言ってすごすごと退散するカオリン。

メンバーから聞くところによると、彼女は教育係というものを
やりたくてうずうずしていたらしい。
だけど、吉澤さんは教育係に真里っぺを希望し、
カオリンは選考から漏れてしまった。

先輩として後輩を導きたいというカオリンの気持ちは理解できる。
でも、このまましおれている梨華ちゃんの姿を傍観するのもしのびなかった。
288 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:05
本当は、彼女は辻さんの教育係だった。
だけどその辻さんは、ここにはいない。

教育係の枠を、私が潰してしまった。

ごめん…ごめん、カオリン。

一瞬苦いものがこみ上げそうになって、慌ててそれを振り払う。
289 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:05
「ほら石川、もう泣かないで。立って」

未だに、彼女を“石川”と呼ぶ事に罪悪感と違和感を覚える。
それと同時に、一種の優越感のようなものを感じてしまう自分にも気付いていた。
果たしてこんな私が、彼女の教育係を名乗ってもいいのか。

「すみません三好さん。
迷惑かけないように、石川、もっと頑張りますから」
「そこまで肩肘張らなくていいよ、焦れば焦るほど空回りしちゃうもんだから。
こういう時こそ心にゆとり持たないとダメだよ」

私は梨華ちゃんの背中を軽く叩き、必死に励ます。
290 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:06
本当は梨華ちゃんが何を望んでいるのか。
梨華ちゃんにとっての最善の指導とはどういったものなのか。

分からない。
何も分からない。

私の指導が正しいのか、間違っているのかさえ。

梨華ちゃんと同じで、手さぐり状態だ。
291 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:06
このままでいいんだろうか。
いまいち自分の指導に自信が持てない。

血となり肉となるような指導をしなければいけない。
でも、それがどのようなものなのか分からない。

“保田さん”は梨華ちゃんにどういう風に接していたんだろう。
梨華ちゃんがつまづく度、どうやって力になってあげていたんだろう。

問題は山積みだった。

ほんの一瞬だけ、私は“保田さん”に会いたいと思ってしまっていた。
それが、現実逃避であり甘えだと分かっていても。
292 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:07
...

「最近、紗耶香元気がないと思わない?」
「っ!」

圭の何気ない言葉に、私の頬の筋肉が強張るのが分かった。

「話しかけても上の空な事がよくあるし、絶対何か大きな悩み抱えてると思う。
ちゃんと息抜きできてるのかなあ。
紗耶香って自分を追い詰めちゃう時があるから、心配。
プライベートではよく後藤が遊びに誘ったりしてるみたいなんだけどね」
293 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:08
どうしよう。
圭に、打ち明けてしまおうか。
紗耶ちゃんの事。

だけど…
“まだ他のメンバーに言うたらあかんで”と、
裕ちゃんにも口止めされていた。

その時の記憶が蘇り、慌てて口を噤んだ。
294 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:09
「このくらいの年頃の女の子は、いろいろ悩んだりするもんだよ」
「でも、放っとけないよ」と、圭が言い募る。
そりゃそうだよね。

「あ、あのさ…絵梨香には申し訳ないんだけど、
約束の曲、後回しになっちゃってもいい?」
「え?」
唐突な圭の問いに私は首をかしげる。

「本格的に曲を作るなら、最初に絵梨香に贈りたいって思ってた。
でも…今はどうしても、紗耶香に曲を作ってあげたいの」
圭が忙しい中、私への曲を作る為に貴重な時間を割いていたのは知っていた。
完成の日が訪れるのを、私は誰よりも楽しみにしていた。
なのに…。
一瞬だけ、複雑な感情が生じる。
295 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:10
「悩んでる紗耶香の為に、何かしてあげたいの…
紗耶香に余裕がない事が、嫌でも分かっちゃうから。
私にできる事って、これしか思いつかなかった」
こんなの自己満足だって分かってるけど、と圭は苦笑いする。

「ダメかな?」
そして申し訳なさそうに眉尻を下げて私を見つめて来る圭。

本当に、反則だ。
可愛い顔をされて、ダメだなんて言えるわけない。
何より…
人の喜ぶ顔を見る事が大好きな優しい圭。
私はそんな圭が好きなんだから。
296 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:10
「ひとつくらいは紗耶ちゃんに圭の初めて、譲ってもいいよ」
「変な言い方しないの、もう」

そう言って圭は軽く私の腕をはたく。

どの道、紗耶ちゃんがアーティストになる為に
卒業するという選択は変えられない。
だったら、圭が曲を贈る事は、
紗耶ちゃんにとってもいい刺激になるかもしれない。

その時の私は、そんな楽観的な事を考えていた。
297 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:11
...

「紗耶香にプレゼントがあるの」

そう言って、映画の撮影の休憩時間、圭はピアノが備え付けられた一室に
紗耶ちゃんを呼び出した。

その部屋には、楽器が一通りそろえられていた。

アップライトのピアノの前に腰を下ろし、圭が髪を耳にかける。
そしてゆっくりと深呼吸し、鍵盤の上に両手を置く。

私はその様子を固唾をのんで見守っていた。
298 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:11
直後に、輝く音の奔流が溢れ出した。


すごい…
これ、圭が作ったんだ…
299 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:12
私の為でも、圭の為でもない。
これは、紗耶ちゃんの為だけに書かれた曲。
圭が、紗耶ちゃんを想って作った曲。
だけど嫉妬なんて感情は生まれなかった。
そんなものはどうだって良くなるほど、美しいメロディーだった。

誰かが自分を想って曲を贈ってくれる…
それはどんなに幸せな事だろう。

私は澄んだ音色に包まれながら、
いつか圭が私の為に曲を書いてくれる時を夢想した。

これを聴いた紗耶ちゃんがどう感じたのだろうという考えには、行きつかなかった。
300 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:13
演奏を終えると、圭は鍵盤から手を下ろし、小さく息を吐いた。

「この曲、紗耶香の事考えて作ったんだ。
私って口下手だから、今の自分の気持ちを代わりにこの曲に託したの」

「つくった、って…圭ちゃんが?」

こころなしか紗耶ちゃんの声が震えている気がする。
そんな紗耶ちゃんに、圭が真っ直ぐに向き直った。

「紗耶香。紗耶香に私の気持ち、届いたかな。
少しでも、紗耶香の心を和らげる事、できたかな?」
301 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:14
「…っ」

その時、紗耶ちゃんの瞳から透明な雫が流れた。

「紗耶香?」

それは、感動から生まれた温かい涙なのだと思った。
でも…現実はそうならなかった。
302 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:14
「ずるいよ、圭ちゃん」
「え?」

紗耶ちゃんの声はどんよりと暗かった。
そして、その表情は苦しそうに歪んでいて…

「…圭ちゃんって時々、すっごく残酷な事するよね」

紗耶ちゃんの方へ伸ばしかけていた圭の手が止まった。
そして…

「紗耶香!?」

次の瞬間、紗耶ちゃんはくるりと背を向けると、
凄い勢いで部屋から飛び出して行ってしまった。
303 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:15
「っ紗耶ちゃん!」

反射的に私は紗耶ちゃんの後を追う。
たとえ拒絶されても、放っておけなかった。

304 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:15
...

彼女は、薄暗い空き部屋の一室にいた。
表情までは分からない。
ただ、見えない影が彼女の存在全てを覆っている気がした。
声を発するのも躊躇われるほどの深い闇。

それでも、私は足を踏み入れた。
305 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:15
「…絵梨香ちゃん」

私がどこまでも追って来ると分かっていたのだろう。
紗耶ちゃんは振り返らずとも、敏感に気配を察知し、私の名前を呼んだ。

「私、自分が恥ずかしいよ」
「紗耶ちゃん…?」
306 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:16
「結局、分かってた。私はアーティストになんてなれない。
でも、もしかしたら、いつか私もそうなれるかもしれないって信じてた。
信じたかった」

でも、と紗耶ちゃんは言葉を継ぎ足す。
「圭ちゃんの曲聴いて、思い知らされた。
私の作曲する能力なんてたかが知れてる。
圭ちゃんの足元にも及ばない。私にはあんな曲作れない」

「…紗耶ちゃん」

誰にだって未知数の可能性はある。
だけど、それと同時に人には向き不向きというものだってある。

全てには限界なんてないと誰かは言う。
だけど、そんな事を無責任に言えるほど、私は純粋でも若くもなかった。
307 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:17
「楽器を弾けるようになって、たくさんの音楽に触れれば、
音楽の才能だって降りて来てくれるって思ってた。
でも、無理なんだ。
圭ちゃんを超えられる自信がないのに、プロの作曲家になれるわけない。
その事、悟っちゃったんだ」

はぁ、と長いため息を吐く紗耶ちゃん。

「圭ちゃんに打ち負かされて、心がぽっきり折れちゃう…
結局その程度の気持ちだったんだよ、私は」

そして壁に右手を付き、ずるずると紗耶ちゃんが床にしゃがみ込む。
指には尋常ではない力が入っているのか、爪の先が真っ白になっていた。
308 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:18
「情けない話だけど、ずっと迷ってた。
娘。にずっと居続けたいとも思わない。
でも本当は外に出るのも怖い。
結局私は中途半端なままだ。何ひとつ、本気になれない」

ここまで打ちひしがれている紗耶ちゃんに、私は何をしてあげられるだろう。

…何も、できない。
私なんかじゃ、何も。

「さやちゃ」
「…ごめん、そっとしておいてくれる?
私、まだ気持ちの整理つけられそうにないから。
一人で、考えたい事があるんだ」

もう、言葉が出て来なかった。

名前を呼ぶ事さえ、躊躇われた。
だから…私は小さく頷いて、音を立てずに部屋から立ち去った。
309 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:18
...

「みよっちゃん…」

通路の突き当たりに、ごまちゃんがいた。

不安そうに両手を握り、行き場のない子供みたいに私を見上げている。

「私、この先に行っていいのかな?市井ちゃんの側にいてもいいのかな?」
「…むしろ、ごまちゃんじゃないとダメだと思うよ」

私はすっと体を退かせ、ごまちゃんが通れるスペースを作る。
「行ってあげて。きっと紗耶ちゃんはごまちゃんを待ってる」

ごまちゃんはしっかりと頷き、勢い良く駆け出した。
310 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:19
そういえば、前にも似たような事あったような。

ああ、そうだ。
昔…上海のホテルで圭が熱を出して…
私はあの時、意地を張って。紗耶ちゃんに圭を託したんだ。

懐かしいな…もう、全てが懐かしい。

そんな事を思い出しながら、私はうわごとのように圭の名前を呟く。

「圭…圭のところに…行かなきゃ」

私は震える足にどうにか力を込め、圭の元へと向かった。
きっと圭は、一人で心細い思いをしている。
311 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:19
...

「圭…」
「ねえ…絵梨香…私は、紗耶香を傷付けちゃったの?」

私は肯定する事も否定する事もできず、圭を抱きしめた。

きっと、圭の気持ちは紗耶ちゃんに届いていたと思う。

ただ、運悪く、ちょっとだけタイミングがずれてしまっただけだ。
それだけなんだ。
本当に、ただ、それだけ。
312 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:20
圭は悪くない。
なのに、こんなにも苦しんでいる。
仲間を傷付けたという罪悪感に潰れそうになっている。

圭の罪なんて、私と比べるのもおこがましいほど小さなものなのに。

ねえ、圭。
圭は知らないけど、私はもっと罪深い人間なんだよ。
圭が限りなく真っ白な天使に見えちゃうくらい。

それを打ち明ける事は、かなわないけれど。
心の中で何度懺悔しながら、私と圭は長い間抱き合っていた。
313 名前:第34話 悪意なき罪 投稿日:2012/06/20(水) 03:21
第34話 悪意なき罪
314 名前:あおてん 投稿日:2012/06/20(水) 03:22
>>251
確かに彼はある意味活躍しますよw
315 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/22(金) 02:08
あの二人は娘。入りしないほうが幸せだったのかも
316 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/25(月) 00:17
すごい展開ですね…
でももしこの通りの歴史になったら今のモベキマスの体制はありえないですよね
ちょっとしたことで歴史が大きく変わるというのは感慨深いです
317 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:03
私達娘。は10人と大人数となっても
相変わらず多忙なスケジュールをこなしていた。

そんな中、これだけの人数がいれば、自分の進む道に不安を抱いたり、
方向性を見失ったりする子がいても当然なんだ。
ましてやこの年頃なら、ちょっとした事で思い悩んでも珍しくない。

悩みを抱えているのは、彼女も例外ではないようだった。
318 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:04
...
『あの、三好さん、石川です。
ちょっと相談に乗ってもらってもいいですか』
「今日はどうしたの?」

教育係に就任してからというもの、梨華ちゃんは事あるごとに私に頼って来る。
元の世界では、こんな状況想像もつかなかった。
私の知っている梨華ちゃんは、決して私に弱みを見せない人だったから。

『なんか部屋に帰ってからも、外から誰かの視線を感じるような気がするんです。
マネージャーに電話しても繋がらないし…どうしたらいいんでしょうか』
「え…」

加入して早々にストーカー?
元の世界ではそんな話聞いた事ないけど。
いや、この世界は元の世界とはまた違うんだ。
それに、一人心細い思いをしている梨華ちゃんを放っておけるはずもなく…
「分かった、今から行くから。しっかり戸締りして待ってて」

私は、慌ただしく支度をして梨華ちゃんの待つマンションへ向かったのだった。
319 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:05
...
「す、すみません三好さん…やっぱり私の気のせいだったみたいで。
外覗いてみたら誰もいませんでした」
「…そ、そう」

タクシーを使いダッシュでここまで来たはいいけれど、
結局は梨華ちゃんの勘違いだったらしい。

そんな事だろうと思った。
でも、何事もなくて良かった。

15歳にして親元から離れ一人暮らし。
何もかも不慣れな事だらけで、常に不安でいっぱいなはずだ。
色々と過敏になっているのかもしれない。
320 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:06
「でもまあ、警戒しておくに越した事ないよね。
今晩泊まっていってもいい?二人なら怖くないでしょ」

「よ、良かったあ…
実は今日は一人じゃ眠れないと思ってたところだったんですよ。
三好さんがいてくれたら心強いです」

相手に完全に心を許し切った笑顔。
元の世界の梨華ちゃんは、こんな顔見せてくれた事なかったなあ。
何もかもが新鮮で、私は思わず頬が緩んだ。
321 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:06
...
梨華ちゃんの出してくれたお茶を飲んで、とりとめのない話をしていた時、
ふと気になった事があり、思い切って尋ねてみる事にした。

「あのさ…聞いてもいい?石川の教育係を決める時にさ、
石川に希望を聞いたって話小耳に挟んだんだけど」
「え?三好さんにその話伝わってたんですか?恥ずかしい」

梨華ちゃんは手を両頬に当てて照れた様子を見せる。
そんな仕草も似合っているから凄い。

「その、どうして私なんかを選んでくれたの?」

こんな事を本人に聞くのもどうかとは思う。
それでも、好奇心を抑えられなかった。
他に魅力的なメンバーはいるのに、どうして私なんだろうって。
ましてや、元の世界の梨華ちゃんなら、
天と地がひっくり返っても私を選んだりしないだろう。
322 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:07
返答がどうしても気になって、穴が開くほど梨華ちゃんの顔を凝視してしまう。
そんな私に、梨華ちゃんは息をするように自然に、知りたかった答えをくれる。

「だって、優しそうだし、真面目そうだし、
何かあった時は守ってくれそうだなあって」

梨華ちゃんはテレビの中の私をそういう風に見ていたんだ。
…私はそんなのじゃないのにな。

「現に三好さんはこうして一緒についていてくれてるじゃないですか。
同い年だけど、石川にとっては頼もしい先輩です」
「…ありがと」
323 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:08
私はそんな大層な人間なんかじゃない。
臆病で、自分本位なくせにすぐ他人の意見に左右されて、
包容力なんて言葉とは程遠い。
何より私は二人もの人間の可能性を潰した存在。

だけど梨華ちゃんのその期待を裏切りたくないという思いもあった。
だからこそ、無難な言葉しか返せず、
梨華ちゃんの発言を否定する事も、肯定する事もできなかった。
324 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:08
「でも他にもっとしっかりしてて、責任感のある先輩はいるよ?
圭、ちゃん…とか」

「え…保田さん、怖くないですか?」
「へ?」

「だって、目つき鋭いし、石川から見たら
喧嘩っ早くてすぐ怒鳴りそうなイメージなんですけど」

…保田さんが怖い?喧嘩っ早い?
325 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:09
「ぷっ…あははは!」

とうとう堪え切れずに、私は盛大に噴き出してしまった。

「よりによって圭ちゃんが怖いって言うんだ」

さっきまでのもやもやとした感情が霧散されていく。
そんな私を梨華ちゃんはきょとんとした表情で見つめている。
どうして私が笑っているかも全く想像がついていないんだろうな。

「圭ちゃんはすっごく優しいよ?
よっぽどの事情がない限り、本気でキレたりする事なんてないと思う」
「ええー?本当ですか?」

未だに疑わしげな視線を投げかけてくる梨華ちゃん。
本当に梨華ちゃんは、まだ圭の事を何も知らないんだ。
むしろそんなところが微笑ましくて、心が温かくなる。
326 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:10
「圭ちゃんが怖いなら、ある意味私の方がよっぽど怖いと思うな。
石川に悪い事だって教えちゃうかもしれないよ?」

私は梨華ちゃんの頬に手を当てていたずらっぽく笑って見せる。
「わ、悪い事って?お酒とかタバコとかですか?」

「…」
そうか。
こんな冗談も梨華ちゃんには通用しないんだ。
本当にこの梨華ちゃんは、打算や建前といった言葉からも
程遠い存在なんだろう。
むしろ安心した。

「ハズレ」
「じゃあ悪い事って何なんですか?」
「さっきのはさらっと流してくれていいから。寝よう」
「教えて下さいよー」

興味津々の梨華ちゃんを適度にあしらいながら、
私は彼女が敷いてくれた布団に潜り込んだ。
何事もなかったという安心感からか、
私はすぐに眠りの世界に入る事ができた。
327 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:11
...

「…て、…てくださいー」

…?
女の子の声?
誰かいる?

「朝ですよー起きて下さーい」

どんどん近付いて来る。
誰かの手が私の肩を優しく揺すっている。
328 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:11
「…圭?」
「え?きゃっ」

細い手首を掴み、ぐっと引き寄せる。
鼻の先と先がぶつかりそうなほどの距離になって、
やっと私は彼女が圭でない事に気付いた。

「あ…い、石川…!ごめんっ」

いけない、完全に寝ぼけてた。

私は梨華ちゃんの部屋に泊まったのに、圭がいるわけないじゃないか。
道理で、圭にしては随分と可愛らしい悲鳴だと思った。
圭の声も可愛いんだけどね。
329 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:12
「ごめんごめん、さっきのは寝言!そう、寝言だから!」
私が圭を呼び捨てしている事が知られたら色々と勘繰られそうだ。
そんな思いから、慌てて弁解する私を訝しげに見ている梨華ちゃん。
さすがにこれは苦しかったかな。

「朝ご飯私がつくるよ、キッチン借りるよ」
どうにか梨華ちゃんの視線を振り切って、私は朝ご飯の支度にとりかかった。
330 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:13
...
「あはは、よしこ、それおっかしいよ」
「えー?だってごっちんがさぁ」

梨華ちゃんと二人で楽屋に入ると、じゃれあう吉澤さんとごまちゃんの姿。
加入して間もないにもかかわらず、同い年かつ
ファッションの好みも似ている二人は早くも意気投合していた。
331 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:14
「あ、みよっちゃん、梨華ちゃんおはよー」
「おはようございます三好さん。梨華ちゃんもおはよう」

「おはよう二人とも」

「ぉ…おはよ、ぅ」

梨華ちゃんは私の背に隠れて、蚊のなくような声をしぼり出した。
二人の姿を前にすると、梨華ちゃんはいつもこんな感じだ。

挨拶程度でどうしてここまで委縮するんだろう。
ごまちゃんは先輩だからまだしも、吉澤さんは年下で同期なのに。

だけど、私がそこに干渉するまでには至れなかった。
いつまでもこのままじゃいけないだろうなと分かっているのに、
私はそこに触れられずにいた。
332 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:15
...

9枚目のシングルのレコーディング。
しかし、その曲は「ハッピーサマーウェディング」ではなかった。
タイトルさえも全くの別物。

9thシングルは「ピンチプレイヤー」の劇中歌の為に生まれた物だった。

もはやわけがわからない。
もう一人の絵梨香が以前私の為に、元の世界の年表を作ってくれていたけれど、
正直それもあまり意味を成さないものとなってしまった。

この時期にUFAを離れたという和田さんも、この世界では
変わらずに娘。のマネージャーを務めている。

どれが史実で、どれがそうでないのかも曖昧になってしまう。
333 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:15
色々と考え込んでいると、つんくさんの声が飛んで来た。

「石川ぁ、お前が喉弱いんは承知の上なんやけどな…
頼むでホンマ。三好、教えたり」

どうやら初めてのレコーディングで随分と手こずっているようだ。

私は沈んだ顔でブースから出て来た彼女を迎え、アドバイスをする事にした。
しかし一度下がってしまったテンションはなかなか元には戻らず、
梨華ちゃんは何度もつんくさんにストップを掛けられた。
334 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:16
「どうせ石川なんてダメなんです。
歌も上手くないし、怒られてばかりだし、皆と仲良くできないし」
「いや、初めてなんだからそこまで気に病む事はないよ。
むしろこの失敗を次に生かすようにって考えた方がいいよ」

梨華ちゃんの口からは次から次へとネガティブな言葉ばかり飛び出して来る。

本当に、元の世界の梨華ちゃんとは別人だ。
いや、あの梨華ちゃんも元々はこういう性格だったのだろうか。
内向的で、いつもびくびくしていて。

梨華ちゃんはなんだかいじけた子犬みたいで、可愛いとも思う。
でも、陰鬱な空気がこちらにまで伝染しそうで、正直息苦しかった。
335 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:16
そんな私に構わずに梨華ちゃんが言葉を続ける。

「そもそも私なんかがモーニング娘。に入ったのが間違いだったんです」

「え?」

今…何て?

「だってそうじゃないですか。
入ってから私は人の足を引っ張ってばっかり。
私が受かったのは何かの間違いだったんですよ。
私なんかが皆と同じ空間にいちゃいけないんです」

間違いだった…?

言わせない。
そんな事。
それ以上は絶対言わせない。
336 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:17
「だったら辞めるの?」

「え…」

「この際だからはっきり言うよ。梨華ちゃんは何も分かってない」

普段とは違う私の様子に何かを感じ取ったのか、梨華ちゃんが困惑の表情を浮かべた。

「つんくさんはね、梨華ちゃんに光る何かを見つけたから4期メンバーに選んだんだよ。
今の言葉を、つんくさんが聞いたらどんな気持ちになると思う?」

その瞬間、梨華ちゃんははっとしたように口を噤んだ。

「それにね、さっきの発言は、オーディションに落ちた子達にも失礼だと思う」
337 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:18
私の脳裏には、夢を掴むはずだった二人の姿が浮かんだ。

4期メンバーとして、梨華ちゃんと吉澤さんと共に活動するはずだった彼女達。
私が、あの二人の夢を、幸せを奪い去った。
どれほど詫びても事実は変えられないし、罪も消せない。
全ては私が招いた事で、悪いのは私だ。
私が梨華ちゃんにこんな事を言う資格なんてない。

でも…
私は元の世界で…何度もふるいにかけられ、
娘。という枠から除外された悔しさを誰より理解していた。
あの時の屈辱的な思いを、私はまだ幼い“二人”に味わわせてしまったんだ。
だからこそ、あの二人の気持ちを考えると、黙っていられなかったんだ。
338 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:19
「石川は、先輩からの優しい言葉を期待してたの?
辛いね、可哀想にって言って欲しかったの?
もしそうだとしたら…そんな甘い考えは今すぐに捨てて」

言葉が止まらない。
私は、何を言ってるんだろう。
弱っている梨華ちゃんに対して、一体何を。

元の世界の梨華ちゃんと一悶着あったから…
含むところがあるから、私は梨華ちゃんに
こんな無慈悲な言葉をつきつけているの?

「後ろ向きな事を言えば、いつか必ず誰かが助けてくれるなんて思ったらダメ。
自分から動こうとしなかったら何も始まらない」

梨華ちゃんの目にじわりと涙が溜まり始める。
どうしよう、止まれないよ。
339 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:20
「今のままじゃ石川は…」

言いかけて、はっと息をのむ。
ふと、元の世界での記憶が蘇って来たのだ。

“もっと絵梨香はオープンにならないと、何も伝わらないよ”
“絵梨香はすぐ内に閉じこもるんだから。そんなんじゃダメ”

あの言葉は、まさに今、目の前の彼女にも当てはまる言葉。

そうだ…。

あの時、元の世界で梨華ちゃんが本当に伝えたかった事。
それが今、痛いほどに理解できた。
彼女が言いたかった事は、こういう事だったんだ。
340 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:21
きっと元の世界の梨華ちゃんも、加入当初は
先輩達にそう言われて来たんだろう。

美勇伝の頃は、私は何かにつけて梨華ちゃんに叱られてばかりだった。
正直当時の私は梨華ちゃんの事を、
その日の気分次第で怒鳴り散らす人だと思っていた。
そんな梨華ちゃんを見て面倒だとか、横柄だとか、反発を覚えたものだけど…

でも、梨華ちゃんはちゃんと私の事を考えてくれてたんだ。
教育係になって、それにやっと気付いた。

私は、どんな形であれ梨華ちゃんに感謝しているんだ。
決して、梨華ちゃんが憎くて言ってるんじゃない。
彼女には、前を向いて欲しいと願うから。
341 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:22
「自分を全否定する事は、応援してくれる人や
石川を売り出そうと全力を尽くしてる人への否定にも繋がる。
石川がどんなに自分を嫌いになっても、石川の事を好きだと思う人が
必ずどこかにいるの」
私は梨華ちゃんの頭に手を乗せ、そっと撫でる。

「つらい時は素直に助けを求めたっていい。泣いてもいいんだよ。
でも、自分を否定する事だけは言わないで」

梨華ちゃんは目を潤ませたまま、首を縦に振ってくれる。
こんな私の言葉に真剣に耳を傾けてくれる事が嬉しかった。

「最後にあとひとつだけ。石川…ごめん、本当に言い過ぎた」
342 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:22
「…謝らないで下さい」
直後に、はっきりとした声音が返って来た。
そして、ゆっくりと梨華ちゃんが顔を上げて私の瞳を見つめる。

「!」

その瞳の強さに、息を忘れそうになった。

「三好さん、ありがとうございます。石川、吹っ切れた気がします。
ちょっとずつでも、自分の事好きになっていけるよう頑張ってみます」

彼女を見て、直感的に思った。
梨華ちゃんはもう、私の力なんて必要ないんだと。
真っ直ぐに自分の力で歩き出したんだと。
343 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:23
...

その日から、徐々に梨華ちゃんは積極的になっていった。
元々私に対しては積極的な子だったけれど、
その情熱を外にも向けるようになっていた。

「ひとみちゃーん!誕生日プレゼント何がいい?」
「えーそういうの聞かれるのが一番困るんだけど」
「いいじゃん、教えてよお」

吉澤さんは一見煩わしそうにしているけれど、
実はまんざらでもないと思っている事を私は知っていた。
だから、仕事の休憩時間に、私はさりげなさを装って
梨華ちゃんに助言をしてみたのだった。
344 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:23
「…そういえばさ、吉澤ってディズニーが好きなんだって。意外だよね」
「え?」

「ディズニーのグッズを誕生日プレゼントにしたら、絶対喜ぶと思うよ」
「三好さん…」

梨華ちゃんが目を丸くして私を凝視している。

「疑ってる?言っとくけどマジ情報だよ」
本来は元の世界で仕入れた情報だったけれど、
きちんとこの世界の吉澤さんにもそれとなく確認してみたのだから間違いない。
345 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:25
「ふふ、三好さんの言う事ですもん、信じます。
早速参考にさせていただきますねっ」

そう言って華やかに笑ってくれる梨華ちゃん。
ずっと私はあの日の事が禍根となってしまうのではないかと不安だった。
だけど、梨華ちゃんはこんなにも前向きに、光の下と向かおうとしている。

梨華ちゃんが、私の選択は“間違ってなんかない”と
言ってくれているような気がした。
それがただの私の願望に過ぎないと分かってはいても。
346 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:27
...
吉澤さんの15歳の誕生日。
この日も相変わらず仕事だ。

梨華ちゃんは朝一で現場に入り、ずっと彼女を待っていたらしい。
そして吉澤さんが到着するやいなや、用意していたプレゼントを
オーバーアクション気味に彼女の前に突き出したのだった。
347 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:27
そして吉澤さんの反応は私の予想以上だった。

「梨華ちゃんありがとう!ありがとう」

吉澤さんは梨華ちゃんの頬とこすれ合うほど密着し、力いっぱい抱きしめている。

ものすごい喜びようだ。
無邪気にはしゃぐ吉澤さんを見ると、
本当に愛らしい女の子なんだなと再確認する。

「いやー、嬉しい。梨華ちゃんの事だから絶対変なの選んで来るかと思ってた」

…。
なんだか微妙に普段の梨華ちゃんのセンスを貶してもいたような気もする。
だけど、どうやらそれも、吉澤さんなりの褒め言葉らしい。
吉澤さんに抱きしめられながら、梨華ちゃんも満面の笑みを浮かべていた。
348 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:28
...

「三好さん!三好さん!」
ただでさえ声が高い梨華ちゃんは更に甲高い声を上げ、私の名前を連呼している。
何事かと振り返ると、廊下の向こうから梨華ちゃんが
手を振りながら真っ直ぐに駆けて来る。

大声出さなくても聞こえてるって。
そう伝えようとした直後、梨華ちゃんの両手がばっと伸びた。

「え!?」
逃げる隙もなかった。
「三好さーーーんっ!」
「うぐっ」

甲高い声を上げ、いきなりタックルをかまして来る梨華ちゃん。
そして呻いている私に構わず、梨華ちゃんが私の両手を握りブンブンと上下に振る。
349 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:29
「大成功です!三好さんの教えてくれた通りでした!
ひとみちゃんすっごく喜んでくれました!」

…うん、そこは見てたよ。

梨華ちゃんのハイテンションに圧倒され、
私は返事をする代わりにこくこくと頷く。

「今度お休みもらったら一緒にディズニーランド行く約束したんですよ!」

…それは、随分と先の話になりそうだなあ。

だけど今は、約束をもらえた事による喜びが大きいようだ。
心底嬉しそうに身振り手振りを交えて報告してくれる梨華ちゃん。
そんな梨華ちゃんを見ると、少しだけ心が軽くなる。

幸せそうな彼女達の姿を見ると、私の罪も微かに清められる気がした。
許されない大罪だって分かってるけれど。
350 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:29
「石川が吉澤と仲良くしてるのを見ると私も嬉しくなるよ。
たったひとりの同期なんだから、大切にしないとね」

そう、たった“ひとり”の同期。
二人だけの4期メンバー。

せめてこの二人には幸せでいて欲しい。
娘。に入って良かったと思って欲しい。
心からそう願った。
351 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:30
私は、梨華ちゃん達に誇りを持って欲しいんだ。
4期メンバーに選ばれた事に。
そして娘。の一員である自分自身に。
胸を張って「私はモーニング娘。です」って言って欲しいんだ。

そうすれば、梨華ちゃんと吉澤さんが間接的に
“この世界は間違いなんかじゃない”って
私に言ってくれているような気になれるから。

それが何の免罪符になるんだろう。
だけど、私は救いを求めずにはいられなかったんだろう。
私を教育係として選んでくれた梨華ちゃんに。
そして対である吉澤さんに。

私は、ずるい。
偉そうな事を言って、結局は保身に走っている。
それでも、願わずにはいられない。
352 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:31
些細なズレをきっかけに、大きな歪みを生じさせてしまった。
そしてそれはもう軌道修正する事さえできない。
もはや、何が正しいのかも、何が間違っているのかも分からない。

だけど、私のした選択が、もう誰かを傷付ける事がないようにと、ひたすらに祈りたかった。
353 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:32
...

今日はピンチプレイヤーの撮影。
ピンチプレイヤーの主要メンバーがライブハウスを貸し切って、
合同ライブを行う日だった。
これも映画撮影の一環だ。
あくまでも役になり切って、の話だから、
娘。として参加するわけじゃない。

シークレットライブという名目だったけれど、
既にその情報はネット上でも出回ってしまっていたらしく、
観客が殺到し、半ばパニック状態に陥っていた。

けれどもスタッフの人達が迅速に対応してくれたおかげで、
ライブは大盛況に終わった。
354 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:32
そして慌ただしかった時間も終わり、現場からパラパラと人が散り始めた頃、
あの男がまたちょっかいを出して来た。

せっかく心地良い汗をかいて気分も高揚していたのに台無しだ。
そう思い私はどうにか理由をつけて早々に退散しようとした。
それでも男はしつこく追って来たのだ。
355 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:33
「あー…うっざい、勘弁してよもう」

これだけ拒絶しているのにまだ分からないのだろうか。
さすがに息が切れ始めて来た。

「…」
ちらりと後ろを見ても、誰もいない。
上手くまけたのだろうか。
とにかく、逃げるのは今のうちだ。
356 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:33
「!?うわ」

更に一歩足を前に踏み出した瞬間、眼前が柔らかい何かに覆われた。

「っぶは!」

そこから慌てて顔を離し、目線を上に向けると、
吉澤さんが私の体を受け止めてくれていた。

「三好さん、大丈夫ですか」
「よ、吉澤…」

背丈はさほど変わらないのに、支えてくれる腕は
私のものよりもずっと長くて、力強くて、正直安心する。
だけどそれは束の間の安堵だった。
357 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:34
「あの、私三好さんを探してたんです。
これから市井さんが皆に話したい事があるって言うから」
「…!」

遂に来たか。
映画のクランクアップ直前、“市井さん”は
メンバーの皆に娘。を抜ける事を伝えたと聞く。
多分、それはこの世界では今日にあたるんだろう。

分かったありがとう、と返事をしようとしたまさにその時だった。
あの男の不快な声が鼓膜を汚した。
358 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:37
「おい絵梨!」

「…はー、しつっこいな」
あの男がどれほどの危険人物か、前もって吉澤さんと梨華ちゃんに
言い聞かせていたおかげで、二人は撮影が終わるやいなや、
即座にあの男から距離をとっていた。

あまりのしつこさに、吉澤さんも不快そうに眉をひそめている。

「ごめん、吉澤、先に行ってて。あいつどうにかして来るから」
「わ、分かりました…なるべく早く帰って来て下さいね」

吉澤さんは一度だけ振り返り、不安げに私を一瞥した。
しかしすぐに前を向いて足早に立ち去り、あっという間に
廊下の向こうへと姿を消してしまった。
359 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:37
彼女の足音が完全に聞こえなくなったところで、
私は男の方へ向き直った。

「…で、何か用ですか」

毎度毎度、よく懲りないものだ。
この情熱を他の事に使えばいいのに。
いや、この男の興味が他のメンバーに移る事は防がなきゃいけないんだけど。
間違いが起こってからじゃ遅い。
360 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:38
「絵梨、おまえレズなのか?」

「…は?」

突拍子もない男の発言に、私は耳を疑った。

「そういう話小耳にはさんだんだよ。
確かに考えてみたらそれしか考えられねーんだよな。
他の女だったらもうとっくにオトせてるって」

本当に、一体どこからその自信が来るんだろう。
前々からこいつには呆れてたけど、更に呆れた。
私が同性愛者であろうがそうでなかろうが、
こんなくだらない男にだけは何があっても引っかからない事は確かだ。
私がこの男のものになる事は決してありえない。
361 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:39
「いちいち答える義理はありません。もういいですか?」

「なっ待てよおい!話はまだ…」
「私もこれからメンバーと大事な話があるんですよ。失礼します」

一秒でもここにいたくない。
私は話を続けようとする男の声を遮り、正反対の方向へ駆けだした。

「…ここまで頑なに拒まれたら、何が何でも欲しくなって来たな」

男の呟きがここまで届いて来たのが分かったけれど、
私はその意味を解釈する事を放棄した。
362 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:39
...

「来たね、絵梨香ちゃん」

紗耶ちゃんは最後にやって来た私を迎え、優しく笑いかけてくれた。
そんな彼女に、私はそっと耳打ちする。

「紗耶ちゃんの決めた事なら、私は受け入れるよ」

紗耶ちゃんは一瞬驚いた表情をしたけれど、口元をほころばせ、
小さく頷いて見せた。

それを確認し、私も圭の隣に移動する。
363 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:39
「皆、これから私が話す事聞いてくれる?」

紗耶ちゃんの声は落ち着いていた。
彼女の中ではもう、答えが出ているんだ。

紗耶ちゃんは、娘。を離れる。
どちらにしろその運命は変えられない。
分かっているからこそ、私も穏やかな気持ちで耳を傾ける事ができた。

ただ…。
364 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:40
私は圭の方に目線をやる。

…圭。

私とは対照的に、圭の表情は影が差し、どこか硬かった。
きっと薄々圭も気が付いているんだ。
紗耶ちゃんとはずっと一緒にいられない事に。

圭の手をそっと取る。
思った通り、彼女の手のひらは強張り、汗ばんでいた。
365 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:40
まるでそのタイミングを見計らったかのように、
紗耶ちゃんの声が真っ直ぐと届いて来た。

「私は5月に娘。を抜ける」

「…!」

圭の手に力が籠っていく。
痛みを感じるほどに。
だけど私はその痛みをあえて受け入れる。

これは圭の心の痛みだから。
366 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:41

「私は…芝居の勉強をしたいんだ。
留学して、見た事もないものをたくさん見て、
知らないものに触れて色んな事を吸収したい」

「え…」

芝居?

想像もしていなかった紗耶ちゃんの言葉に、私は驚きを隠せなかった。

紗耶ちゃんが留学の資料を取り寄せていた事も、
アーティストになる事を夢見ていたのも知っていた。
裕ちゃんだって和田さんからそう聞かされていたはずだ。

でも、たった今紗耶ちゃんははっきりと告げた。
芝居の勉強をしたいと。

さすがに私もこの展開は予想できなかった。
裕ちゃんも目を丸くしている。
367 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:41
「詳しい事はちゃんと全員に話すよ。
まずは…圭ちゃんと絵梨香ちゃん、来てくれる?」

「「え?」」

いきなり名前を呼ばれ、私と圭はほぼ同時に声を上げた。

「どうしても三人で話したい事があるから」

他のメンバーは?
そう問うつもりだったけれど、あまりに真剣な紗耶ちゃんの表情に
結局は何も言えなかった。

それは圭も同じだったようだ。

そして、私達三人は別室に移動した。
368 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:42
...

紗耶ちゃんは丁寧に話をしてくれた。

元々はシンガーソングライターになりたくて、娘。を抜けようと思っていた事…
だけど、圭の曲を聴いて、その考えを改め直した事…
そして映画の撮影をしていくうちに、
自分ではない誰かを演じる事に喜びを感じるようになっていった事…
包み隠さず全てを話してくれた。

その間も、私はずっと圭の手を握っていた。
369 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:43
「今日みたいな最高の日だからこそ、皆に伝えたかったんだ。
私は芝居の道を目指すつもりだけど…
ずっとバンドみたいな事をやりたいって思ってたのも本当だし、未だに憧れてるのも本当。
だから最後に疑似体験できて、心底幸せだと思えた。
これで、完全に思い残す事はないよ。
彩っぺがLOVEマシーンで自分のベストを尽くせたから、
娘。としての自分に未練はないって言ってたよね。
私も今同じ気持ちなんだ。
そりゃ後藤や、メンバー皆の事は気になるけどね」
370 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:44
「自分で曲を作って、楽器を弾いて、
たくさんの人に聴いてもらいたいって思ってた。
その夢もウソじゃない。
でも、所詮は圭ちゃんの曲ひとつで挫折を味わう程度の覚悟だったんだ。
私の気持ちが本物だったら、自分の限界を思い知っても、
超えられないって分かってても、そこで逆に奮起しようと努力するはずだもん」
でもね、と紗耶ちゃんは言葉を付け足す。

「そのアーティストになるって夢以上に自分の可能性を信じられる夢に出会った。
賭けてみたいんだ。安心して、今度は逃げたりしない」

そう力強く宣言する紗耶ちゃんの瞳は、言葉通り輝いていた。

「いや、むしろ、逃げられないような環境を作ってもらったんだけどね」と言って、
紗耶ちゃんは恥ずかしそうに笑い始める。
371 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:45
紗耶ちゃんが言う事に、国内に留まっていれば、
仲間に、娘。というネームバリューに甘えてしまうから、
一度日本から離れたいらしい。

留学の手筈は会社が既に整えてくれているようだ。

卒業コンサートを終えた後、
あとはただ、紗耶ちゃんはNY行きの飛行機に乗るだけでいい。
生活に必要なものは向こうで揃えるのだと言う。
372 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:45
「実を言うと飛行機大の苦手なんだけどさ、
最初の試練だと思って乗り越えなくちゃ。
逆に考えたら、向こうで大きな壁にぶち当たっても、
飛行機に乗るのが怖いなら簡単に日本に逃げ帰れないしね。
なんか最近は自分を追い込む事が嫌いじゃなくなって来たんだよね」
「うっわ、紗耶ちゃんてマゾ?」

「はい?そういう意味じゃないから」
「冗談だって」

まさか、こんな軽口を叩ける関係になるとは思っていなかった。
私も、紗耶ちゃんもコンプレックスに囚われて、
つまらないプライドを捨て切れなくて、完全には歩み寄れなかった。
もっと早く素直になっていればよかったと思う。

そうすれば、紗耶ちゃんを傷付ける事もなかったはずなのに。
373 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:46
「…ごまちゃん、落ち着いてたね。
もうごまちゃんには先に話してたの?」

「うん、話した。眠る時間も削って、いっぱい、いっぱい話したよ。
同時にいっぱい泣かせもしちゃったけど、後藤は最後には笑ってくれた」

そう言って紗耶ちゃんは愛しそうに目を細める。

私の知らない間に、きっと紗耶ちゃんとごまちゃんは
たくさん大切な言葉を交わしたんだろう。
374 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:46
「最初は後藤の教育係をやっている時の自分が一番好きだった。
でもね…それも満足できなくなってしまったんだ。
明日香や彩っぺが娘。を離れてでも、自分が本当の望む道を見つけた姿を見て…
不安になったの。今の私は、本当に自分の望んだ姿なのかなって」

この言葉を聞けば、人は皆贅沢だと言うだろう。
彼女は娘。の中でも異彩の輝きを放っていたのにと。

だけど、紗耶ちゃんの求めている道は、娘。に残る事じゃないんだ。

中途半端に教育係を投げ出す事になるのに、後藤は許してくれた。
必ず連絡を入れる事と、絶対に戻って来るって条件付きでね」

いかにも寂しがりなごまちゃんらしい。
だけどこの分なら、紗耶ちゃんは“市井さん”と違い
きっと孤立する事はないだろう。
375 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:47
「圭ちゃん…ごめんね、あの時、圭ちゃんに当たっちゃって」
「紗耶香は何も悪くない!私が無神経な事…っ」

圭は勢い良く何度もかぶりを振った。

「圭ちゃん、私、あんな事言ったけど、すっごく嬉しかったんだよ。
私にとっては一生忘れられない最高のプレゼントだよ」

紗耶ちゃんは優しい目で私達を見つめ、新たに言葉を継いだ。
376 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:48
「絵梨香ちゃんは私の永遠のライバルだよ。
もちろん、圭ちゃんもね。同期で同じプッチモニだし」

震える圭の手をきつく握り直し、私は精一杯の笑顔を紗耶ちゃんに向けた。
圭が懸命に涙を堪えているのに、私が泣くわけにはいかないから。
紗耶ちゃんもそんな私達を静かに、慈しむように見守ってくれていた。
377 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:48
...

皆の前では気丈に振舞っていた圭だったけれど、
彼女はショックのあまり真っ直ぐ歩く事もままならない状態だった。
一人にしておけるわけがなく、私は圭を自分の部屋に泊まらせる事にした。
378 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:49
「圭…大丈夫?」

部屋に戻り、扉の施錠をした直後、圭が私の胸にすがって来た。

「絵梨香!」
「圭…」

「うっ…う、ぐす…」

肩を震わせて、大粒の涙を零す圭。

今まで、ずっと我慢していたんだろう。
感情のままに涙を流したら、紗耶ちゃんに辛い思いをさせるから。
紗耶ちゃんの覚悟に水を差してしまうから。

「怖いよ、どんどん娘。から仲間がいなくなっちゃうんだもん!
絵梨香はいなくならないよね?私より先に抜けたりしないよね?」

答えようとした直後に、唇に熱い衝撃が走った。
379 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:50
「んっ!」

口の中で鉄の味がじんわりと広がる。
圭の歯が当たって切れたんだ。
それにも気付かず、圭は夢中で私の唇を貪る。

「ん、んんっちょっと…!け、圭…っ」

思わず背中を反ると、圭の唇が離れる。
私と圭を繋ぐ糸は淡い朱色が混じっていた。
380 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:50
「私をひとりにしないで」

圭の瞳は今にも涙が零れ落ちそうなほど潤みをたたえている。

「圭…」
これほど取り乱した圭を見るのは久し振りだった。

きっと“保田さん”も、“市井さん”が脱退するという事を知った時…
見えないところで一人泣いていたんだと思う。

“保田さん”は強い人だから、笑顔で
“市井さん”の決断を受け入れて見せたんだろう。

本当の気持ちは誰にも打ち明けられずに。
たった一人でその悲しみを乗り越えたんだ。
381 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:51
でも、この世界の圭には私がいる。

圭の痛みを二人で分け合う為に“私”がいるんだ。

圭が私を必要としてくれているからこそ、
心の中に吹きすさぶ嵐みたいな激しい感情を、隠さずにぶつけてくれているんだ。

だから全部受け止めてあげたい。
圭の痛みを、恐れを取り除く為に私がいるんだから。
382 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:51
「圭?」

圭は私の頬を指先でつっと撫でた。

「…どうしてっ絵梨香まで泣くのよ?」

圭の言葉によって初めて気が付いた。

どうやら私は泣いていたらしい。
圭は私の涙の筋をなぞっていたんだ。

そうか、私は悲しいんだ。
胸が詰まるようなこの痛みは、圭が泣いているから。

「圭が泣くから。圭が悲しいと、私も悲しいよ」

彩さんのラストコンサートの後。
あの時、子供のように泣き続ける私を抱きしめてくれた。
圭は悲しみを分けて欲しいと言ってくれた。
だからきっと私も…圭と同じ悲しみを味わいたいと思ったんだろう。
383 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:52
私はそっと圭の首筋に唇を押し当てながら、優しく押し倒した。
圭は拒まなかった。
むしろ、こうされる事を望んでいたんだと思う。
自ら、服のボタンを外して肌を晒していった。

下着姿になると、待ち切れないと言った風に、
圭が私の手を掴んで熱い部位へ誘った。

薄手の生地は汗だけでない分泌液を吸って濡れていた。
早く触れて欲しいと言っているみたいに。
384 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:53
「もうこんなになってる…」

最後の下着を取り去り、しっとりとした太ももを焦らすように撫でる。
徐々に、圭の呼吸が荒くなる。

それでも、圭の涙の跡は乾く事がなかった。
385 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:54
「んんっ絵梨香ぁ…紗耶香が、紗耶香がいなくなっちゃうよ。会えなくなっちゃうよお」
「圭…」

明日香や彩さんが抜けると分かった時は、どこか達観し、
冷めた表情すら見せていた圭。

そんな圭の心が、紗耶ちゃんがもうすぐいなくなるという事実によって、
均衡を失っている。

同期だから、という理由だけでは片づけられない深い何かがある…
そのくらいは私にも理解できた。
だからこそ、我慢ならない嫉妬を覚えてしまう。

圭は私を選んでくれたって分かっているのに、いつだって不安がつきまとう。
386 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:55
「私がいるから。私が圭をひとりにしないから」

それでも、ひっきりなしに泣き続ける圭。

本当は、そんな圭を見たいわけじゃないのに。

「圭…」
私は圭の狭間へ自分の指をゆっくり埋めていく。
自分の存在を主張するように。

「んっあっ絵梨香…っ」

涙に濡れた圭の表情が歪む。
それが苦痛から来るものか、快楽から来るものなのか、
今の私には知りようがない。

「今、圭の中に入ってるのは誰の指?教えて」
「絵梨香…絵梨香の指…」

「そうだよ。今圭に触れてるのは紗耶ちゃんでも他の誰でもない、絵梨香だよ。
誰よりも私が圭の一番近くにいてあげる。
圭が寂しいと思う暇がないくらい、私が愛してあげる」
387 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:55
一番近くにいたいと、愛したいと願うのも私の方なのに。

なんて傲慢な言葉なんだろう。

こんなのただの見苦しい嫉妬だ。

それでも、圭はより強く私を抱きしめて、求めてくれた。

「うっうぅっ絵梨香…愛してるのぉ…っ
お願いだよ、ずっと側にいてよお」
「…うん、ずっと一緒にいる」

私の名前を呼ぶ圭の唇。
その唇にキスをしたい衝動を抑え、私は左手で圭の髪を撫でつつ
頬を伝う涙を舌で拭った。

唇を塞いでしまったら、圭が私を呼ぶ声が、愛の囁きがかき消されてしまうから。
今は少しでも長く、私を求める圭の言葉を聞いていたい。
388 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:56
「好きなだけ泣いていいから。
だから、悲しい時も辛い時も、私を頼って。私を必要としてよ。
私が一緒に泣いてあげるから」
「絵梨香ぁあっ」

いつしか圭は抑えていた感情を爆発させていた。

これが、圭の心の声。
私が、全部受け止めてあげる。
私が守るから。

額と額を重ね、頬を擦り寄せながら、
私と圭は、涙が枯れるまで泣き明かした。
389 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:57

朝を迎え、鏡を見るやいなや、圭は顔面蒼白になり、
保冷剤で懸命に腫れた瞼を冷やし始めた。

「どーしよー、私の顔、やばい事になってるでしょ?」
「そりゃあ、ちょっと目は腫れてるけど…」

私の目元も腫れてるわけだし、お互い様だ。
私も早く冷やさないと。

今日は撮影の仕事も入ってたし、
二人して和田さんに怒鳴られてしまう。

「本当の事くらいはっきり言ってくれたっていいのに」

「他の人はどう思うか知らないけど、私にとっては圭はいつも可愛いよ」
390 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:58
「絵梨香は…どんな私も受け入れてくれるんだね」

圭は、私の胸にしなだれかかって来る。
腕の中に感じる圭の温もりと重み。

「ありがとう。絵梨香がいてくれるから、私は“保田圭”でいられる。
絵梨香がいなかったら、きっと私は笑うなんて事もできなかったよ」

その言葉を聞けるだけで、私は救われた気持ちになる。
私なんかのような存在でも、圭の役に立てたって。
391 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 03:59
「ねえ、圭…今度は、私の為に曲書いてくれる?」
「え?」

圭は紗耶ちゃんに曲をプレゼントした事をずっと後悔していた。

彼女を傷付けてしまったという自責の念に駆られ、
仕事以外では楽器に触れる事もしなくなっていた。
でも…本当は圭が音楽を愛している事は誰より知っている。

だからこそ、もう一度自分自身の音楽と向き合って欲しかった。
392 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:00
「紗耶ちゃんも嬉しかったって言ってたでしょ。
私も、あの曲大好きなんだよ。
一度聴いただけで、忘れられなくなっちゃった」

本当に、美しいメロディーだった。
このメロディーを生み出す心の源を探りたいと思うほど。

「もっと、圭の色んな曲を聴きたいんだ」

圭は黙ってじっと私の顔を見つめていたけれど…
何かが吹っ切れたように、ふわりと笑ってくれた。

「うん…作るよ。今度こそ、絵梨香の為だけに」
「…ありがとう」

いつまででも、待つから。
だから、いつか、圭の音色を教えて欲しい。

私達は朝の光を浴びながら、束の間の抱擁を交わした。
393 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:00
...

2000年5月、武道館…

割れるような歓声の中、紗耶ちゃんは笑顔を浮かべていた。

観客に向かって、必ず戻って来ると誓う彼女は、
勝利宣言を行う覇者のようだった。

最後まで涙を見せずにステージを後にする彼女に、私はただ見とれた。
394 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:01
コンサート最終日の恒例行事である打ち上げで、
紗耶ちゃんはあの時聞けなかった話をしてくれた。

「実はさ、監督にも色々と相談に乗ってもらったんだ。
監督は、私は女優の方が向いてるって太鼓判押してくれてさ…。
私だって音楽を完全に捨てられるわけじゃない。
でも、芝居は今しかできない役だってあると思うから」

そうだったんだ。
まさかあの監督も背中を押していただなんて。
395 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:01
「自分を表現する最高の手段が、私にとっては芝居なんだと思う。
絵梨香ちゃんや圭ちゃんにとってはそれが音楽だった。
ただそれだけの違いなの。だから、寂しくなんてない。
私の選択は、皆と歩いていた道から大きく逸れたものとは思わないよ」

「そうだよね。私達と紗耶ちゃんはいつでも繋がってるよ」
396 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:02
元の世界の“市井さん”は、金輪際娘。の皆と関わる事はなくなった。
だけど完全には娘。の皆を切り捨てる事はできなかったんだろうと思う。
脱退前後の時期はどうだったか分からない…
でも、“市井さん”だってきっと現役当時の自分を、
仲間を懐かしく、恋しく思う事があったはずなんだ。

それでも、再会する事も叶わなくて…
“市井さん”の気持ちを考えると、複雑な気持ちになる。

だから、せめてこの世界の紗耶ちゃんは孤独にさせてはいけない。
紗耶ちゃんと皆を繋ぐ糸は、絶対に途切れさせたらダメなんだ。

だから何年かかっても、紗耶ちゃんの帰りを待とうと思った。
397 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:03
「私は厚顔無恥な発言いっぱいしたし、余裕がない時は
ファンやメンバーもないがしろにしちゃってたと思う。
たくさんの人達が手を伸ばして私を求めてくれてたのに、
私はその手を払いのけるような事しかしてなかった。
…その事にやっと気付けたの。
だから絵梨香ちゃんがあの時叱ってくれた事、感謝してる」

既に私の目の奥は熱を持っていて、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
それを悟られたくなくて、俯いて首を横に振る。

だけど紗耶ちゃんはそんな事もお見通しなのか、
小さく笑いながら私の髪を撫でてくれた。

「泣くのはもうおしまいだよ。
やっぱり絵梨香ちゃんは、いつもの凛々しくて明るい絵梨香ちゃんじゃないと」
「紗耶ちゃん…」
398 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:03
「さて、これから師弟水入らずで語り合ってくるよ。
しばらく後藤とも会えなくなっちゃうしね」

「ふふっそうだね」

やっと私は笑顔になる事ができた。

そうだ、いつまでもグジグジ泣いて紗耶ちゃんを引き止めちゃダメだ。

ただでさえ紗耶ちゃんは人気者なんだから。
399 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:04
紗耶ちゃんが立ち去り、静寂が訪れた頃、
私は喉の渇きを癒そうと思い自動販売機に向かった。

その時、うわーん!と叫び泣きするごまちゃんの泣き声がここまで響いて来た。

ステージ上でもあれだけ泣いたのに、まだパワーが有り余ってるみたいだ。
紗耶ちゃんが苦笑いしながらごまちゃんを宥めすかしている姿が目に浮かぶ。

こりゃ、当分の間紗耶ちゃんは離してもらえないだろうな。
400 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:04
「…ホント、ずっるいよなあ。完全に勝ち逃げじゃん」

ぽつりと、そんな言葉が口から漏れる。

ずっと紗耶ちゃんに…“市井さん”に追いつきたいと思っていた。
だけど、もうすぐ彼女は遠くへと行ってしまう。

私は紗耶ちゃんを…本当の意味で超えられる日が来るのかな。
そもそも、そんな機会が来るのだろうか。

来るとしても…数年後だろうなあ。
401 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:05
数年後のこの世界は、どうなっているんだろう。

想像するのが、少しだけ怖いと思う自分がいた。

様々な思考を巡らせながら、私はコーヒーを一口すすった。
コーヒーは、何故だかいつもよりほろ苦い味がした。
402 名前:第35話 贅沢な悩み 投稿日:2012/06/26(火) 04:06
第35話 贅沢な悩み
403 名前:あおてん 投稿日:2012/06/26(火) 04:07
>>336の「」内の梨華ちゃん→石川に変えて下さい
404 名前:あおてん 投稿日:2012/06/26(火) 04:11
>>315
そうですね、私もそう思います。
今の910期は真っ直ぐ育ってくれる事を願います。

>>316
あややがアイドルとして売り出される事もないでしょうね…
えらい世界にしてしまった。
405 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:23
今でもあの時の選択を悔やんでしまう。

『ふるさと』を『忘れらんない』に差し替えさせたあの時から、何かが狂い始めた。
CDセールスの不振に比例し下降する人気…
それに応じ態度を変える人間を目の当たりにした事で、
数字を取らなければという強迫観念に支配された。
目に見える結果が出せないと、どうしようもない焦燥感に駆られた。

あの頃の私は、既に業界の商業主義に染まり始めていたんだろう。

堕ちた娘。を見たくない…
それだけの感情に左右されて、私は娘。を戻れない道へと引き込んでしまった。
私の目は間違いなく曇っていたんだと思う。
ただ、それは安っぽい正義感を振りかざしていたに過ぎなかったんだ。

そして私は新たな罪を重ねてしまう事になる。
それは、大切なものさえ壊してしまう、取り返しのつかない過ち。
406 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:24
...

「うわ…また来てる」

帰路につくやいなや、私はマンションの集合ポストを確認する。

思った通り、中には大量の手紙が詰め込まれていた。

その手紙は、現在の私の悩みの種だった。
ある日突然、私の元へと届けられるようになった手紙。
自宅にまでファンレターが送られて来る事はそれほど珍しくはない。
だけど、これは他のものとは全く毛色が違っていたのだ。
407 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:25
手紙の束は全て同一人物によるものだった。
差出人の名前はなかったけれど、封筒には必ず花を模ったシールが貼ってあったから。
そして何より、手紙には切手が貼られてなかった。
それは、差出人が直接ポストに投函した事を意味する。
408 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:25
“映画の舞台挨拶で地方に行ってるんですね
今日は顔が見られなくてさみしかったです”

“どうしてこっちを見てくれないんですか
私はずっと三好さんを見ていたのに”

“昨日三好さんが保田の部屋に行ったのを見ました
ずっと待っていたのに、結局朝まで戻って来ませんでしたね”

“好きです
スキスキスキスキスキスキスキスキスキ
こんなに好きなのに近付けないのが苦しい
あなたが誰かと笑っているところを見てまた苦しくなる
もう限界です
どうかこの苦しい胸の内を分かって下さい”

“こんなにも私はあなたを愛しているのに
あなたは私を知らない
この気持ちは誰にも負けないのに”
409 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:26
差出人はおそらく女性なのだろう。
だけど、どこの誰かも分からない上に、
私に対する異常な執着が文面からも見て取れる。

きっと私の知らないところで監視しているのだ。
ファンレターが宝物だと考えている私でも、さすがに気味が悪い。

和田さんや誰かに相談した方がいいのかもしれない…
そう考えていた矢先に、私の精神のバランスを崩す出来事が起こった。
そんなものよりも、遙かに信じられない事態が私を待ち受けていたんだ。
410 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:27
...
ある日、私はいきなり呼び出しを受けた。
思い当たる事はないはずなのに、尋常ではない空気を肌で感じ取った。
きっと単なる説教ではないのだ。

嫌な予感ほどよく的中するものだ。
411 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:29
扉を開けると、重々しい空気が立ち込めていた。
社長は黙ってある週刊誌の記事を私に見せる。

【モー娘 三好&保田 秘密のグループ内恋愛】
「!?」
一瞬、心臓が止まりかけた。
それでもどうにか気持ちを落ち着けさせ、
ゆっくりと霞む文字をたどっていく。

書かれている内容は…
映画撮影の休憩時間に、人目を忍ぶように二人で姿を消し、
見えないところで抱き合っていたとか…
お互いの家に頻繁に泊まり合って半同棲状態だとか…
ただ面白おかしく煽っているだけの記事。

だけど時折真実が入り混じっているせいで、笑い飛ばす事もできない。
412 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:30
「こんなくだらない記事に踊らされているわけじゃないが、まあ、一応確認しておく。
どうなんだ、三好。この記事に書いてある事は本当なのか?」
「…っ」

簡単だ。
全くのでまかせだって否定すればいい。
テレビで見せるような笑顔を作って、
ふざけていただけに決まってるじゃないですかって明るく言い放ったらいい。

分かってる。分かってるのに。

「…」

言葉が出て来ない。
そう言ってしまったら、圭自身も否定してしまうような気がしたから。
いや、ここでその場しのぎに否定しようとしても、
ボロが出てしまう事くらい、私にも理解していた。
413 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:31
「…どうして何も言わない?」
いつまでも無言でいる私を見て、社長は大きくため息を吐いた。

「さすがにお前と保田が男と女のような関係だとは信じてない。
ただこうして記事になった以上、おとなしくするに越した事はない。
こんな記事ごときでプロモーションに影響が出るとは思わないが、
プラスになるわけでもないからな。念の為お前は保田と距離を置け」

「え…」

その時になって、私は初めて声を漏らした。

圭と…距離を置く?
お互い、もう離れる事なんて考えられないのに?

「いいか。プライベートでも一切保田と会うな」
「そんな…」
「お前に拒否権なんてない。何もずっとと言うわけじゃないんだ。
ほとぼりが冷めるまでの話だ。どうした、返事は?」
「わかり…ました」
414 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:32
...

それから、圭と接触する事をできるだけ避けるようにと
何度もきつく言われ、私はやっと解放された。

けれども、肺を圧迫されるような息苦しさは消えない。

そんな時に、ちょうど見知った顔が近付いて来ているのが分かった。
真里っぺだ。

「絵梨香大丈夫だった?」

私を心配してくれているのが分かる。
だけど今の私に表情を作る余裕はなかった。
415 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:33
「絵梨香、そんな顔しなくてもいいって!」

真里っぺが明るく笑って、重苦しい空気を無理に変えようとする。

「あんなのデマだもんね!失礼しちゃうよねー、
んな事あるわけないって私はちゃんと信じてるからさっキャハハ!」

彼女に悪気がない事は分かる。
だけど今は、その慰めが癇に障る。
無邪気な笑い声が、私に対する嘲笑にも受け取れてしまう。

あなたは…どこまで。
どこまで私の傷を抉れば気が済むんですか。
416 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:34
「キャハハ…ハ」

一言も発さない私に、さすがに彼女も何かを感じ取ったのか、
永遠に続くかと思われた笑い声が途切れた。

「え…まさか」

そしてその顔からもすっと笑みが消える。

「ちょっ、ちょっと待って絵梨香…マジ…マジで?」

小さな手で私の二の腕を掴み、信じられないものを見るかのように顔を覗き込んで来る。
私は彼女の視線を真正面から受け止める事はできなかった。
417 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:35
その後、誰一人として記事の件について触れてくる事はなかった。

圭の顔は怖くて一度も見る事はできなかった。
それは圭もきっと同じだっただろう。
腫れものに触るような皆の態度が、優しさが何より辛かった。
418 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:35
...

どうしてこんな事になってしまったんだろう。
私は一人自分のベッドで大の字になり、天井を見つめていた。

右手の薬指の指輪も外さざるをえなかった。
昔、圭とお揃いで買った露店の安物。
だけど、体の一部のようにずっと一緒だった物。

また指輪を身に着けられる日が来るのは一体いつになるだろう。
もしかしたら、もうそんな日は来ないかもしれない。
419 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:38
こんな事態になっても、相変わらず、例の手紙は私への熱烈な想いを綴っていた。
だけど、今はその手紙へ意識を移す事すらできない。

心身共に疲弊していて、体を起こすのも億劫だ。
ただ視覚と聴覚だけは異様に研ぎ澄まされていた。
時を刻む秒針の音、風の音や車の騒音、微かな物音も拾ってしまう。
そんな時、携帯が鳴った。

「っ!?」

反射的に携帯を掴み、画面を確認する。

非通知…
普段は出ないようにしているのに、私は何かに操られたように通話ボタンを押していた。
420 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:39
「…もしもし」

次の瞬間耳に届いて来た声は、私のよく知った声だった。

『うわ、マジで出た。絵梨だよな?』
そう、この声は…
「ど、どうして私の番号を!?」
『真里に聞いたんだよ』

…真里っぺ…余計な事を。
そういえば真里っぺは嬉々としてこいつに電話番号を教えていた。
裕ちゃんがあれだけ忠告していたのに。
421 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:39
映画の仕事さえ無事に終えれば、この男との縁も断ち切れると思っていた。
だけどそれは甘かったみたいだ。

ただでさえ疲れ切ってるのに、勘弁して欲しいよ。
いちいち構うのもバカバカしい。

「もう切りますよ」
『おい待てよ』

私は携帯を耳から離し、電源ボタンを押そうとした時だった。
男が聞き捨てならない事を言った。

『知りたくないか?どうしていきなりお前のレズ記事が出たのか』
422 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:40
携帯を握る手から汗が滲み出るのが分かる。
落ち着け。
いちいちこの男の言う事に動揺してどうするんだ。
反応したらこいつの思う壺だ。
なのに私は頭の中に次々と浮かんでくる疑問を口にせずにはいられなかった。

「なんでそれをっ…あなたは何か知ってるって言うんですか!?」

私の狼狽っぷりが電話越しでも充分に伝わるのか、男の忍び笑いが聞こえた。
423 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:40
『そりゃ知ってるって…
あの記事を書かせたのは俺と関わりのある人間だからな』

ガーンと鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
一体何の為に…何の為にそんな事を。

「どうして…」
『詳しい事は会ってから話してやるよ。二人っきりの時にじっくりな』

二人っきり…

「そ、そんなの…」

『言う事を聞けばこの状況を切り抜けられる方法も教えてやるのに。
あんまり楽観視しない方がいいぜ。
場合によっちゃ、第二段も考えてるらしいからな』
「待って!待って下さい!分かりました、会いますから」
424 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:41
私は何を口走っているんだろう。
罠だったらどうするの?
冷静さを欠いたってロクな事にならない。
だけど、もう自分を抑える方法が分からない。

もしも圭との幸せな日常が壊されたら…
好奇の目や心無い言葉が一斉に向けられるようになったら。

そんな未来を考えるだけで、体に震えが走る。
怖い。
私にとって何より恐ろしいのは、圭と一緒にいられなくなる事なんだ。

このまま圭と引き離されるくらいならいっそ…
この時、私の中の何かが壊れた。

425 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:42
...

待ち合わせに指定された場所は会員制クラブだった。

話は事前に通しておくと言っていたけれど、果たして信用できるのだろうか。
そもそも、本当にここにあの男がいるのかも分からない。

罠かもしれない…
それでも、あの男から聞いた言葉を
なかった事にするなんて、どうしてもできなかった。
426 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:43
迷っている暇はない。
このまま何もしなくても、事態は悪化していく。
だったら男の話を聞いて、裏で何が起こっているのか確かめないと。
そう自分を奮い立たせ、おそるおそる店内に足を踏み入れた時だった。

「三好様ですね。お待ちしておりました」
「!?」

驚いて辺りを見回すと、スーツ姿の無表情な男性がすぐ近くに控えていた。
帽子を被っていたにもかかわらず、一瞬にして私を三好絵梨香だと認識し、
音も立てずに近付いていたのだ。
427 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:43
「お部屋までご案内いたします」
「ど…どうも」

もう後には引けない。
私は男性に案内されるまま、長い通路を渡り、
奥にある個室へと進んでいく。
そこがVIPルームである事は簡単に推測できた。

きっとこの人は専属スタッフなんだろう。
高級クラブであるにもかからず、どうやらあの男は常連客のようだ。

何故しがない無名俳優のはずのあの男が、ここまで好き勝手できるんだろうか。
私は薄ら寒いものを感じながらも、黙ってスタッフの後をついて行った。
428 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:44
...

スタッフの人に通されVIPルームへと足を踏み入れる。
「よお」
あの男はテーブルの上に足を投げ出し、ふてぶてしい笑顔で私を迎えた。

「よく来たな。もう少し遅かったら他の女でも呼ぶところだったぜ」

男は既に半分酔っているようだった。
お酒とタバコの匂いが混ざってクラクラする。
429 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:45
「…約束ですよ。あの記事の件について教えてくれるんですよね。
一体誰が何の為にあんな…」

私が最後まで言葉を言い終える事はできなかった。
「ちょっ!?」

男が私の手首を掴み、強引に自分の座るソファへと誘導する。
そして、キスをしそうなほどの距離まで顔を近付け、
ニヤリと邪悪な笑みを向けた。

「まーだ気付かなかったのかよ。…あれはお前らを潰す罠だ」
430 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:46
「…罠?」

「この分だと、お前んとこの事務所と、うちのお偉いさんの関係が
冷え込んでる事も知らないんだろうな。
モー娘。を食い散らかして、スキャンダルで潰せって上からお達しが来たんだよ。
俺の知名度も上がるし一石二鳥だってな」

背筋が凍った。
そうだ、圭との記事が出たのも、ちょうど映画の上映が始まった頃だ。
まるでその時期に合わせるように。

偶然じゃない。
どう考えても、意図的に誰かが仕組んだ事だったんだ。

私は…自ら、こんな恐ろしい陰謀が渦巻く世界に飛び込んでしまったんだ。
でも今更後悔したってもう遅い。
遅すぎるんだ。
431 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:48
「最初から、そのつもりで私にも近付いたんですか?」
今すぐ逃げ出したくなる衝動を堪え、私は静かに男に尋ねる。

「別に。俺は気に入った女とヤれればそれでいいんだよ。
せっかくだから、真っ先に絵梨を手に入れたかったんだけどな…
お前はオチなかっただろ。
お前にこだわってるうちに、時間だけがどんどん過ぎていった。
だから、あのレズ記事も上の人間がしびれを切らして書かせたんだよ」

たまらずに私は睨み返した。
こんな事じゃこの男は動じないと知っていても。

「お…いいな、その目…最高だ。
でもな、あんまり反抗しない方が得策だと思うぜ。
モー娘。の決定的なスキャンダルが出て、
お前んとこの事務所が屈服するまでは逃げられないんだよ。
諦めろよ、お前がスキャンダル要員になるのはもう避けようがない。
店の周囲には記者が張り込んでるからな。
こうしてお前がノコノコやって来た時点で、もう未来は決まったんだよ。
アンラッキーだったなあ、俺に気に入られたばっかりに」
432 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:50
男のごつごつとした指が私の頬を撫で、顎のラインをたどる。

「な、絵梨、これで分かったろ。素直に俺のものになれよ」

そして唇は私の耳に付いたピアスを含んだ。

「お前がマジでレズなのかはこの際どうでもいい。
どっちにしろ、俺の熱愛相手はお前に決まったんだからな。
お前だって本当は保田なんかと噂になって迷惑してるんだろ?
同じスキャンダルなら、あんな女より俺と噂になった方がよっぽどいいだろ?」

…汚らしい。

「俺の女になったらいい思いさせてやる…
いや、なんだったら、後腐れのない関係の方がいいか?
お前の望む形に応えてやるよ」

明らかに女をモノとしか考えていない。

「何もかもお前次第だ。俺は絵梨の喜ぶ事は何だってしてやれるつもりだぜ?」

歯の浮くようなセリフを用い、必死に口説いて来る男の姿は
ひどく滑稽だった。
433 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:51
「そこまで悪い話じゃないだろ?
絵梨が俺のモノになる代わりに、あのレズ記事はなかった事にできるはずだ。
ピンチを切り抜けられたってわけだ。俺はウソは言ってないよな?」

どの口がそれを言うんだろう。
だけど、こんな話を聞いてしまった以上、今は不快感を露わにするわけにいかない。

「心配すんなよ、俺の言う通りにすれば、
これ以上お前も、モー娘の連中も悪いようにはしない」

「本当に?私を…娘。を助けてくれるんですか?」

私はいかにも切羽詰まった素振りで瞳を潤ませる。

「…やっとその気になってくれたか。
お前がそうやって素直になるなら考えてやるよ」

男の表情に愉悦が混じった時だった。
434 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:52
「失礼いたします」

その時、例の専属スタッフがドリンクを運んで来た。

「ちょうど良かった、サンキュ」

男は空いた手でグラスを受け取り、それを私の手に持たせた。
スタッフの人は密着している私達を目にしても顔色一つ変えなかった。
そのまますっと一礼し、静かに下がる。

再び二人きりになると、男は妙な手つきでドリンクを勧めて来た。

「まあ、ひとまずそれでも飲めよ、楽しい夜にしようぜ」

軽薄さが透けて見える視線。
鳥肌が立つ。
435 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:53
こみ上げる嫌悪感を堪えながら、私は上目で男を見つめる。

「…そうですね」

男は私が完全に陥落したと信じたのだろう。
ヤニに汚れた歯を見せて笑った。
あれだけ強情を張っていた女が武装を解除し、自分にすがっているんだ。
さぞかし快感だろうな。

そんな事を思いながら、そっとグラスの縁に口を付ける。

ちらりと男に視線をやると、相変わらず締まりのない顔をしていた。

男が油断しているその隙を、私は見逃さなかった。

436 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:54
「そんなもんあんたが飲め!」

私は男の顎を掴み、手にしたドリンクを
開いた男の口の中へ一気に注ぎ込んだ。

「ぐっ!?」

不意を突かれたせいか、男は満足に抵抗もできなかったらしい。
半分近くは床に零れ落ちてしまったけれど、
少量でも確かに男は中に入った液体を飲み干した。

「がっ!ゲホッ…!て、め、何す」
「毒見ですよ。何が入ってるか分からないじゃないですか」

気管にも入ってしまったのか、激しく咳き込み、
エビのように体を縮込めている男。
その無様な姿を私は酷く冷めた目で見ていた。
437 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:55
...

「どうしたんですか?立てないんですか?」

「クソ…」

忌々しげに舌打ちしながら、男が地面に這いつくばっている。
どうにかして立ち上がろうとしているようだったけれど、
無駄なあがきというものだ。
きっと手足にも力が入らないんだろう。
明らかに男の様子は普段と違っていた。

「やっぱり何か変なものでも盛ったんですね。手口が古臭いんですよ」

思った通り、ドリンクには即効性の薬が混入されていたようだ。
スタッフが部屋に入って来た時、
あの男が意味深に目配せしていた事に私は気付いていた。

ドリンクに入っていた薬の正体が何であるのかは、知りたくもない。
438 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:56
「あんたみたいな危険極まりない男の誘いに、私が素直に応じるとでも?」

男に触れられた感触を消すように、
私はあらゆる箇所を手で払いながら言葉を続ける。

「弱みに付け込んだり、寒い口説き文句を並べ立てたり、
薬に頼れば女をどうこうできるって思ってるんですか?
可哀想な人ですね」

もはやこの様子じゃ私の声も届いていないだろう。
それでもあえて私ははっきりと告げた。

「私の全ては、たった一人のものなんです」

一番言いたかった事を吐き出すと、私は男を置いて勢い良く部屋を飛び出した。
439 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:57
...

「いかがなさいましたか?」

異変に勘付いたのか、例の専属スタッフが飛んで来た。

「あの男が変な薬をあおってグラグラになってるんです。
介抱してあげて下さい」

さすがにあのまま放置しておくほど私も鬼じゃない。
万が一取り返しのつかない事態になってしまっても困る。

「で、私は帰りますけど…引き留めないんですか?」
おそらく、あの男の指示でこのスタッフはドリンクに薬を混ぜたのだろう。
しかし結果的に私に一服盛って手篭めにする作戦は失敗してしまった。
にもかかわらず、このまま立ち去ろうとする私の前に立ちはだかって、
退路を塞ぐような事はしなかった。

「…私は三好様を捕まえて連れ戻せとまでは言われておりませんので」
そう言って、彼は初めて人間らしい笑みを見せた。

「…ありがとう」
この人は意外にも融通の利く人だったみたいだ。
それだけは、不幸中の幸いだった。

私はお言葉に甘えて、そそくさと店を後にした。
440 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 03:59
...

やっと外の空気が吸えた。
私は肩を何度も上下させ、必死に酸素を貪る。
肺の中に溜まっていた淀んだ空気を押し出したかった。

今になって全身がガタガタと震えてくる。
怖かった…本当に。

だけど自分の身を危険にさらした分、得るものもあったと思う。
あの男について行く事は、危険な賭けでもあった。
そして私はその賭けに見事勝ったんだ。

あの男の言う事が本当ならば、今日私があの男とクラブで密会した事は
高確率で記事になるだろう。
心のどこかで、世間やマスコミの関心が
私とあの男の関係に移ってくれる事を祈っていた。
だからあの時、いっそ撮られてしまえばいいとも思っていた。
娘。のスキャンダルを防ごうとしていたはずの私が。

だけど、何かを守る為なら、代償がつきものだ。
たとえ全てを敵に回しても、この時の私は
圭との平穏な日々を守りたいと願っていた。
441 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:01
...

そして後日週刊誌の誌面を飾ったのは、私とあの男の密会記事だった。
ただ、ドラッグとあの男との関わりは、
当然のように触れられる事はなかった。
やはり教えられた通り、情報をリークしたのは
あの男側に立つ人間なんだろう。

「どういう事だ!三好!お前はどれだけ泥を塗れば気が済むんだ!」
社長が顔を真っ赤にして週刊誌を机に叩き付ける。

「大事な話があったので、その為に向こうが指定した店に行きました。
でも、それだけです。
飲酒も喫煙もしてませんし、私と彼の間には何もありません」

「そんな事を世間が信じるとでも思ってるのか!?
そもそも記事にされる事自体が問題なんだぞ!
未成年でクラブに出入りした事だけでもマイナスイメージだというのに…っ
それをお前は!」

怒り心頭の社長とは対照的に、和田さんは苦虫を噛み潰したような顔をして、
じっと佇んでいた。
442 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:02
「三好。
さすがにこうも立て続けに問題を起こされると、擁護するわけにいかない」

和田さんの感情を押し殺したような声。
正直、さすがの私も耳が痛かった。
そんな和田さんを見て冷静さがわずかに戻って来たのか、
社長が一度咳払いをした。

「本来なら脱退を勧告したいところだが…
正直今お前に抜けられると困る。
今回の不祥事を差し引いても、お前はあの中では功労者のうちに入るからな」
そして、社長は静かに私に現実を突き付けた。

「お前は2週間の謹慎だ。
故郷の綺麗な空気でも吸って頭を冷やせ。
これが俺の許せるぎりぎりの情けだ」
443 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:02
…謹慎…

この処遇はきっと甘い部類に入るんだろう。
だけど、“不祥事”、“謹慎”という言葉を付きけられた事で、
ようやく事の重大さに気付いた。

自分はとんでもない事をしてしまったのだと。

私は娘。の名前を汚した。
そして社長の言葉通り、多くの人の顔に泥を塗った。

私は…娘。の汚点だ。
でも、他にどうすれば良かったんだろう。
あのまま拒み続けていれば、いずれ娘。という船は沈んでしまっていた。

圭を守るにはこうするしかなかった。
大切な圭を守る為に、圭を…皆を裏切る事しか思いつかなかった。
444 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:03
「三好」

俯くしかできない私に、和田さんの静かな声が降って来る。

「顔を上げろ」

その言葉に、私は小さく深呼吸してからゆっくりと顔を上げる。
きっと完全に和田さんも私の事を見離しただろう。
仕方ない…自分が蒔いた種なんだから。

だけど和田さんは予想に反して、相変わらず静かな瞳をしていた。

「…映画の撮影の時の話は中澤から聞いていたぞ。
お前はあの男の本性を真っ先に見抜いていたそうじゃないか。
そんなお前が何故あいつの誘いにホイホイ乗ったんだ」

一瞬、和田さんに打ち明けるべきか悩んだ。
でも、既にもう私なんかの力ではどうにもならない事態になっている。

私は覚悟を決め、罪を懺悔するように洗いざらい話した。
445 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:05
...

「…どうして俺にまず相談しなかったんだ」

和田さんが深い溜め息を吐きながら、こめかみを押さえる。

「あの男自体は小者だ。
だがバックについているのはとてつもなく強大なものだ。
お前みたいな小娘がどうこうできる問題なんかじゃない」

そうだ、私みたいなちっぽけな存在に一体何ができた?
これまでだって、運命に抗おうとして、
結果的には目指していたものとは全く別の方向へと向かってしまったじゃないか。
私がもがけばもがくほど、深みに嵌ってしまう。
その事が分かっていたのに…どうして冷静になれなかったんだろう。
446 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:05
「この件は俺がどうにかする。いや、絶対に何とかしてみせる。
だからお前は余計な事に目を向けるな。
今後の身の振り方についてしっかり考えるんだ」

「…はい」

もう言葉もなかった。
和田さんの言う事があまりに正し過ぎて。
自分が情けなくて。
今にもこぼれそうな涙を堪える為、目に力を込めた時、
和田さんの鋭い視線が突き刺さった。

「いいか。今度勝手な事をしたら、もうこの業界で生きていけないと思え」
「…っ」

さっきまでの静かな瞳とは違う。
和田さんの目を見た時、一瞬息が止まった。

この人は本気だ。
娘。や会社にとって害をなす存在となれば、
全力で潰しにかかろうとするだろう。
たとえそれが私自身であったとしても。

はい、と返事をしたつもりだった…
だけど実際は、自分の喉から掠れた空気が漏れただけだった。
だから、私は、必死に何度も首を縦に振って見せた。
447 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:06
...

部屋を後にした直後、通路で圭と遭遇した。

そういえば、圭との関係が記事にされて以来、まともに彼女と話もできていない。
だけど、もう周囲の目に怯える必要はないんだ。

多くの人は、私があの男のものだと思っている。
私が圭の近くに居ても、誰も咎めたりしない。

そうだ。
これで、これで良かったんだ。
448 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:07
「圭っ」

名前を呼んだ瞬間、圭の体がビクッと震えた。
そして反射的に後ずさりし、私と距離を取ろうとする。

「圭、そんな事しなくても大丈夫だよ。
今世間の目は私とあの男の関係に向いてる。
私と圭の仲を本気で疑ってる人なんていないから」

だから安心していいんだよ、と言葉を続けようとした時…
圭は、いつもよりも低い声でぼそっと呟いた。

「絵梨香はさ…」
「え?何?」
449 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:08
「…私との関係が記事にされたから…
だから絵梨香は、あいつとの熱愛記事に差し替えさせたかったの?」

最初、その言葉を聞いた時…私は心底安堵していた。
圭はちゃんと分かってくれていたんだって。
私の真意を理解した上で、私を信じて待ってくれていたんだって。
だけど、それは大きな間違いだという事に、
この時の私は気が付いていなかった。

「そう…そうだよ!だってそうすれば私達を邪魔するものはなくなる。
私はただ誰の目も気にする事なく圭と一緒にいたかった!
守りたかっただけなんだよ」

相変わらず圭は私と一定の距離を保ったままだ。
いや、違う。
むしろ徐々に距離が開いているような気がする。
450 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:09
「圭…?言っておくけど、あんな男なんかとは何もないよ。
私が信じられない?
ううん、圭ならちゃんと分かってくれてるよね」

そう、私にとって圭はどれだけかけがえのない存在か、
圭自身もちゃんと理解しているはずなんだ。
だからこそ、圭はあんなにも幸せそうに私に寄り添ってくれた。

なのに、目の前の圭は、私の望むものとは全く別の言葉を口にした。

「絵梨香を信じられないわけじゃない…
でも、絵梨香のした事は間違ってるよ」

間違ってる…?

「何でそんな事言うの?
大切なものを守る為には、何かを犠牲にしなくちゃいけなかったんだよ」

「だからって…そんなの、違うと思う。
私は、こんな形で守られたくなんてなかった!」

まるで叫ぶような悲痛な声。
どうして?
もう私達を引き裂こうとするものは何もないのに。
どうして圭はそんな泣きそうな顔をしているの?
451 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:10
「圭、聞いて」
「っ触らないで!」

圭の肩に手を伸ばした瞬間、ビシッと強い衝撃が指先に走った。
まるで、何かに弾かれたような。

「…え…」

何?
何が起こった?

まだ指先に痛みが残っている。
まさか私は圭に振り払われたの?

「圭…」
452 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:10
ウソだ…
圭が…圭が私にこんな事言うわけない。

圭が私を拒むわけない。
圭は私がいないとダメなんでしょう?
なのに、どうしてそんな目で私を見るの?

圭は、まるで敵対心をむき出しにし、
毛を逆立てた猫のようにピリピリとした空気を放っている。

明らかに私を拒絶しているんだ。

だけど、信じられなかった。
信じたくなかった。

どうして…
どうして!!
453 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:12
「…ごめん。
これ以上一緒にいたら、絵梨香にもっと嫌な思いさせちゃう。
お願い…私にも時間をくれる?
落ち着いて、絵梨香のいないところで、これからの事をゆっくり考えたいの」

私から視線を外し、淡々と言葉を紡ぐ圭。

ああ、圭の心の中にはもう…私はいないんだ。

私はその事実を、どこか他人事のように受け止めていた。
454 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:14
...

気が付けば私は手紙の束を手に、一人部屋で膝を抱えていた。

どのような挨拶をメンバーと交わして、
どうやって帰って来たのかも覚えていない。

結局、あの後、一度も圭と言葉を交わす事はなかった。

まだ、何が起こったのかきちんと把握できていない。
これが現実だなんて、信じられない。
何か悪い夢でも見ているような気分だ。

本当にショックな事が起こると、涙すら出ないんだな…
そんな事を思いながら、私は再び一通の手紙に目を落とした。
455 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:14
今の私を悩ますもうひとつの存在。
帰宅した際、ポストに入っていたものだ。
あんな事があった後でも、今回の手紙は見過ごす事ができなかった。

“ブランコのある近くの公園にいます
来てくれるまでずっと待ってます
ずっとずっとずっと…
一度だけでいい
あなたに本当の私を見て欲しいから”
456 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:15
私はどうすればいいんだろう。

無視するべきなんだ。
いや、このまま無視してエスカレートしたらどうする?
そもそも、和田さんに相談するべきだったんじゃないのか。

様々な思いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

正しい答えを見つけられたわけじゃない。
だけど、私の足は自然と公園へと向かっていた。

どちらにしろ、これ以上じっとして悩み続ける事に耐えられなかった。

今の私は誰にも頼る事はできない。
だったら、どんな事になろうと、自分自身で決着をつけなくちゃいけない。
457 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:15
...

静まり返った夜の公園は、透き通った空気が流れていた。

都会の喧騒から離れたこの場所は、
耳に痛いほどの静寂に支配されている。

その中で、高校生くらいの女の子が、
たった一人ブランコに腰掛けていた。

直感的に分かった。
この子が、私に無数の手紙を送り続けていた子なんだと。
458 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:17
私はごくりと唾を飲み、ゆっくりと前に進んでいく。

足音を敏感に拾ったのか、彼女ははっとしたように顔を上げた。

「ウソ…三好…さん?」

ゆっくりと頷くと、彼女は堰を切ったように泣き出してしまった。

「ど、どうしたの?泣かないで、私がついてるから、ね?」

私が咄嗟に背中をさすってあげると、
彼女はしゃくりあげながらも全てを話してくれた。
459 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:18
...

偶然にも彼女は二期オーディションから、
今までずっと娘。のオーディションに参加し続けていたらしい。

当初は落選したという屈辱から、二期メンバーとして活動する私の事を、
最初は複雑な思いで見ていたと言う。
だけどいつしか、テレビの中の私に好意を持つようになっていたらしい。

そして今度は、私に近付きたいが為に
娘。のオーディションを受け始めるようになった。
ただのファンとしてでなく、同じ娘。として、私と同じ場所に行きたくて。
けれど、娘。の一員になるという夢は実現しなかった。
460 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:19
決して満たされない日々を送っていた彼女に、ある時奇跡が起こった。
偶然、街で私の姿を見かけたのだ。

そして彼女は、尾行の末その日のうちに私の部屋を突き止めた。
更に私の行動を毎日のように監視する事で、
私が頻繁に行き来していた圭や梨華ちゃんの家まで知ってしまった。

歯止めがきかなくなってしまっていたんだろう。
私への想いが、執着が強過ぎるあまり。

監視の目は、私に深く関わる人間にも向けられた。
私に繋がる情報ならば、どんなものであろうと仕入れておかないと気が済まなかったのだ。
その衝動から、圭や梨華ちゃん達の家の周辺をうろついたりもしたと言う。

梨華ちゃんが以前“視線を感じる”と言っていたのは、
気のせいじゃなかったわけだ。
461 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:19
...

「どうしようもないくらい三好さんが好きなんです…
モーニング娘。になれなくても、諦められなかった。
一瞬でも、三好さんに私だけを見て欲しかった。
私の事を知って欲しかったんです」

この子は…私だ。
モーニング娘。になりたくて。
憧れの存在に近付きたくて。
でもその夢は決して叶わなくて。
届かなくて。

現実を見なくちゃいけないって分かっていたのに、
未練をどうしても断ち切る事ができなかった。
1パーセントの望みにさえすがりたかった。

そんな彼女をどうして責められる?
462 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:20
確かに常軌を逸しているとは思う。

だけどそんな風にさせたのは私。
私さえいなければ、娘。の一員となるこの世界に来なければ、
彼女だってきっと選択を誤ったりしなかった。

私はなんて業の深い居場所を選んでしまったんだろう。
何度、人の人生を狂わせようとすれば気が済むんだろう。
463 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:20
“絵梨香がいなかったら、私はきっと笑えなかった”

幸せそうにそう言ってくれた圭は、もうどこにもいない。
全ては過去の事だった。
私は…圭に嫌われてしまったんだ。

“私は、こんな形で守られたくなんてなかった!”

あの時の事を思い出す度、胸の奥に痛みが走る。
悲しそうな、それでいて憎むような…
失望したような、軽蔑するような、あらゆる感情が混在した目。

まさか私があんな顔をさせてしまうだなんて思いもしなかった。

きっともう、あの温かな時間には戻れない。
私が、全てを壊してしまったんだから。
464 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:21
...

「ねえ。よかったら、名前、教えてもらってもいい?」

できる限り優しく尋ねると、女の子は素直に名前を明かしてくれた。

「…ゆい…唯一の唯で、唯っていいます」
「いい名前だね。ふふっ…どうも私唯って子に縁があるみたい」

「え?」
「なんでもない。こっちの話だから」

きっと何回謝っても罪は浄化されない。
それでも、伝えずにはいられなかった。
謝罪の言葉を口にしないと、耐えられなかった。

「唯ちゃん…苦しませてごめんね」
465 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:23
その瞬間、唯と名乗る少女は更に激しく泣き出し始めてしまった。

「三好さん…
私が三好さんにあんな手紙を送り付けたのは、他にも理由があるんです。
私は、三好さんを苦しめたいって気持ちもあったのかもしれません」
「え…」
「だってそうしたら、三好さんは一生私を忘れないから。
三好さんの心に消えない痕を残せるから…
たとえ恨まれても嫌われても、三好さんにとっての私が、
一生関わる事のない赤の他人で終わってしまうよりずっといいと思ったから…」
「唯ちゃん…」

そこまで想っていてくれるのに、私はこの子の気持ちに応えられない。
友達にもなれない。
モーニング娘。の三好絵梨香と、そのファンとして出会ってしまった以上、
それ以外の何者にもなれないんだ。
466 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:23
「…唯ちゃんの事、恨んだりも、嫌ったりもしない。
だけど、私は唯ちゃんを絶対忘れない」

「ごめんなさい…三好さん。
間違った事をしたって分かってるのに、今嬉しいんです。
三好さんが私の名前を呼んでくれて。私を私と認識してくれて」

彼女はルールを破り、超えてはいけない一線を越えようとした。
だけど、ここまで追い詰めたのはこの私なんだ。

知らなかった。
自分のファンが勝手に暴走しただけ。
私には関係ない…そんな事がどうして言えるだろう。

こんなにも傷付けて、苦しめて。
なのに私は圭との日常を守る事を第一に考えていた。
467 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:24
自分と大切な人との、平穏な幸せを追求する事はごく自然な事。
それが、“普通の世界にいる人”ならば。

でも私達は表舞台に出る特殊な職に就いてるんだ。
ファンだけでなく、多くの人達が私達の動向を見守っている。
ちょっとした言動が、メディアを通じて
大きな影響を与えてしまう事だってある。

それだけ責任のある立場に置かれている事を、私は忘れていた。
その事を、理解しきれてなかった。
468 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:24
「ごめん…ごめんね唯ちゃん」
「謝らないで下さい…三好さんは何も悪くないのに」
「違うよ、悪いのは私だから」
「そんな事ありません!私が悪いんです」
「…ふふ、埒があかないね」

私が思わず苦笑いした瞬間、彼女は再び勢い良く頭を下げた。

「三好さん、本当にすみませんでした!」
「ちょっ、ちょっと、唯ちゃん」

「約束します、もう二度とこんな事しません。
でも…最後にひとつだけ、お願いがあるんです」
「何?何でも言って」
469 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:25
彼女がゆっくりと顔を上げ、唇を開く。

たとえどんな無謀な事だろうと、叶えたいと思った。
それが、私が深く傷付けてしまった彼女への、せめてもの償いだった。
だけど、実際に彼女が口にした願いは、拍子抜けするほど小さなものだった。

「これからも三好さんのファンでいさせてもらってもいいですか…?
この気持ちだけは、どうしたって消せそうにないんです」
「…もちろんだよ」

この子は、どこまで健気なんだろう。

私は、こんな事を言える立場じゃない。
この子にここまで想われるような資格なんてない。
だけど拒む勇気もない。

もはやどうしていいのか分からなかった。
ただ、申し訳なさとやるせなさ、そして激しい自己嫌悪でいっぱいだった。
470 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:27
...
あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。
時計を見ていなかったから分からない。
いや、今の私には時間なんて概念さえも無意味だ。

「送って行かなくても大丈夫?」
「そこまでしていただくわけにいきませんから」

唯ちゃんは儚い笑顔を残し、足早に走り去って行った。
一度もこちらを振り返る事もせずに。
471 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:27
私は深夜の公園で、一人ベンチに座り込んだ。
正直、立っているのもやっとだった。

背もたれに深く体を委ね大きく息を吐いた時、
ふと、ある事を思い出した。

この世界に降り立ち、娘。の追加オーディションを受けた際、
つんくさんと和田さんに訊かれた事があった。

何故、君は歌手を目指すのかと。

あの頃の私は、恥ずかしげもなくこう言った。
人の心を揺さぶる歌を歌う事で、誰かに夢や勇気を与えられたらいいと。
472 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:28
…夢を与える?
吐き気がする。

押し付けがましいにもほどがある。
私はなんて傲慢な事を言ってしまったんだろう。

結局は、そんなのただの自己満足じゃないか。

夢は夢でも、私はあの子に決して叶わない夢を見させてしまった。
そんなものは、ただの悪夢でしかない。
473 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:28
私が娘。の功労者だなんて笑わせる。
一体私が何の貢献をしたって言うんだろう。
結局は私はこの世界を引っかき回して、
たくさんの人を傷付け、混乱させただけ。

守りたい存在を、結局は守り切れなかった。

所詮はフェイクでしかなかった私が本物になんてなれるわけなかったんだ。
さしずめ、宝石箱の中に紛れ込んだ
おもちゃのアクセサリーのようなものだろう。

いや、今の私はガラクタそのものだ。
何の価値もない。
474 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:29
あの男との熱愛記事が出た時も、内心ほっとした自分がいた。
これで圭と私の関係を疑う人はいなくなる。
圭が好奇の目に晒される事はなくなる、って。

結果、娘。の名前に傷をつけたのに。
メンバーだけじゃなく、娘。の仕事に携わる人達が
多大な迷惑を被ったのに。
ファンの人達を裏切ったのに。

なんて愚かなんだろう。
私はどこまで卑しい人間なんだろう。
475 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:30
果てしない自己嫌悪と後悔の念で、こんなにも胸が苦しくてたまらない。
なのに涙さえ出て来ない。

壊れてしまった。
私の心も、この世界で築き上げて来たものも、圭との絆も、何もかも。
私は何よりも大切なものを失ったんだ。

「これが…たくさんの人を苦しめた罰なの?」
私の消え入りそうな声は、誰の耳にも届く事はなかった。
476 名前:第36話 心壊れる時 投稿日:2012/07/02(月) 04:30
第36話 心壊れる時
477 名前:あおてん 投稿日:2012/07/02(月) 04:31
やっとゴールが見えてきました
478 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:48
ここは、すぐにでも消えてしまいそうな儚さを感じさせる異世界。
だけど私の存在によって皆が受けた痛みも、私が犯した罪も…
全ては現実なんだ。

札幌に帰省し、謹慎の姿勢を取っても、家族は何も聞かなかった。
その優しさが逆に私の精神を蝕んでいった。

私は、携帯の電源もオフにして、TVをつける事もせず…
外の世界からの情報を一切遮断した。
その上で、私は一人部屋に閉じこもり、膝を抱え、ただ時間が過ぎるのを待った。
479 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:48
しかし、限界はすぐにやって来た。
何日か過ぎた早朝、私は無意識のうちに家を飛び出し、あの場所へと向かっていた。

いざないの桜。
ここから、全てが始まった。
480 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:49
この世界に初めて転移した時は、こんな苦しみが待っているだなんて
想像もしていなかった。
ただ、夢を叶える事…圭と再会する事で頭がいっぱいで。
望むままに生きたら誰かを傷付ける場合がある事さえ知らなかった。

こんな私が、娘。としてこの世界で生きていく資格なんて…。
浮かび上がる思念は淀んだものばかり。

これ以上無為な時間を過ごしていたら、心の闇に飲まれそうで怖かった。
一刻でも早く澄んだ空気を吸いたかった。
481 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:49
...

私は息を切らせながら、いざないの桜の元へやって来た。

ここへ来たのはどれくらいぶりだろう。
神秘的なようで、どこか不気味な空間。
なのに落ち着く。
いざないの桜は、若々しい緑に包まれていた。
482 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:50
この世界は今2000年の7月…だとすれば、
元の世界は、2014年の5月のはずだ。

2012年の2月10日の世界から、私は1998年4月10日へと転移した。
この世界へ移って、2年以上の月日が流れたのだ。

元の世界は、2012年のあの頃とは全くの別物と化しているかもしれない。
確かめるのは怖い。
でも…ここじゃないどこかに行きたかった。
この世界とは全く異なる場所へ逃げたかった。
そうじゃないと、気が狂いそうだった。

いや、もう既に狂っているのかもしれない。
483 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:50
もう一人の絵梨香はこんな私をどういう風に思っているんだろう。
多分、ほとほと愛想がつきているだろうな。

だとすれば、2014年の世界に転移できない可能性が高い。
もう一人の絵梨香の協力があって、私は初めて転移する事ができるのだから。

もしも、もう一人の絵梨香に拒絶されていたとしたら…
それならそれで、諦めがつく。
ただ、今はこれ以上じっとしていられなかった。
もう一人の絵梨香は今どういう状況にいるのか、確かめたかった。

そろそろ定められた時刻になる。
私はゆっくりと息を吐いて、桜の木にしっかりと手を添えた…
484 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:51
...

空を覆うほどの大きな桜の木。
それはいつの時代も変わる事なくどっしりと根を構え、立派に佇んでいた。

だけど周囲の光景はさっきまでのものとは全く異なっていた。

一瞬、雪が降っていると思った。
だけどそれは錯覚なのだと分かっていた。

ああ、今は5月なんだ、と心の中で呟く。
札幌の桜は、通常の気候ならば5月が見頃だ。
舞い落ちるのは雪ではなく、桜の花びら。
淡いピンクの花びらが、私の頬をひっきりなしに撫でている。
485 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:52
「帰って…きたんだ…」

もう一人の絵梨香は、私を受け入れてくれた。
この地に立つ事を許してくれたんだ。
私は、最低の人間なのに。
絵梨香の優しさと懐の深さに、目頭が熱くなる。
でも、感傷に浸っている場合じゃない。

もしかしたら彼女は、何か伝えたい事があるのかもしれない。
確証はないけれど、そんな気がした。
だから、私は涙をこらえ、舗装のされていない細道を一気に駆け抜けた。
486 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:52
...

上着のポケットから鍵を取り出して、初めて気付いた。
扉の鍵が掛けられていない事に。
それだけじゃなくて、人の気配がする。

誰か…いる?

「た…ただいま」

おそるおそる扉を開けると、懐かしい匂いが鼻をかすめた気がした。
487 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:53

「おかえり」

そして、次の瞬間には、優しい、女性の声が耳に届いて来た。

「え…!?」

一瞬、空耳かと思った。
この家に、私におかえりと言ってくれる女の人はいないはずだから。

祖母は、ここから少し離れた場所で暮らしている。

じゃあ、一体誰?
488 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:53
目の前にいるその人は、こちらに背を向けたままだ。

私よりも小柄な、大人の女性。

この後ろ姿は…

迫り来る既視感。

彼女は、まさか!

一歩前へ進んだ直後、彼女がこちらに振り返った。
489 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:54
「…や、保田さ…」

最後に保田さんと顔を合わせてから、1年以上の年月が経っていた。
メイクも、髪型も、あの頃とは若干違う。
だけど、本来の面影はしっかりと残っていた。

どうして。
そう問うよりも先に、私の足は更なる一歩を踏み出していた。
まるで、保田さんに引き寄せられるように。

保田さんはゆっくりと私の方へと手を伸ばし、頬を撫でる。
柔らかく、優しい、いたわるような触り方。
以前転移した時と変わらず、保田さんの
“絵梨香”に対する愛情は、少しも薄れていない事を知った。

月日の流れが、二人の関係に亀裂を生じさせるんじゃないかと、内心怯えていた。
だけど、それは杞憂だったみたいだ。
490 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:55
「みーよ…」

名前を呼ばれたと思った直後、私の唇は保田さんの唇に塞がれていた。

「…!?」
何かを言おうとしても、くぐもった声しか出ない。

保田さんはそのまま、するっと舌を挿し込む。

「ん!んっ」

圭と同じ形をした唇が、私の唇を貪っている。
ねっとりとした舌の動き。
なのに熱っぽさは感じない。
何かを探るような動きで、私の頬の粘膜を愛撫する。

「…ぅ…ん、んん」

背中を冷たい汗が伝う。
思い出してしまう。
圭の唇の温度を、柔らかさを。
初々しい圭のキスとはかけ離れているのに。
491 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:56
保田さんの指が服のボタンにかかる。
頭がクラクラする。

私は、もう一人の絵梨香じゃない。
保田さんが求めているのは私じゃなくて、もう一人の絵梨香なんだ。
だから、私にはこうして保田さんに触れられる資格はない。

流されちゃダメだ。

じゃないと、このままじゃ私…!
492 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:56
「いっ嫌っ…」

次の瞬間、私は保田さんを押しのけていた。

唇が離れても、まだ全身が熱い。
下着が湿ってきているのが分かる。
どうかしてる。

おそるおそる保田さんの顔を見る。
こんな風に拒んでしまった私は、さぞかし保田さんの目には不自然に映っているだろう。
だけど彼女は、意外にも落ち着き払った、納得したような表情をしていた。
493 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:57
「やっぱり…そうなんだ」
「え?」

虚を突かれて目を見開く私に、保田さんがはっきりと告げた。

「あんたは…さっきまで私といたみーよじゃないよね?」
「っ!?」

目の前が真っ暗になった。
保田さんは疑問符で尋ねてはいるけれど、断定的な響きに近かった。

どうして保田さんがそれを…
もう一人の絵梨香が、私がここへ来ると前もって伝えていたのだろうか?
そしてそれを、保田さんは信じているというのだろうか。
真相は分からない。

だけど確かな事がある。
保田さんは見抜いているんだ、私がフェイクである事を。
494 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:57
「や、保田さん…」

真っ直ぐな視線が突き刺さる。
大好きな保田さんの目が私を映してる。
なのに、今はその目が怖い。

保田さんも、私を蔑むんですか?

自分がまがいものだという自覚はあるのに、勝手に指先が震えだす。

そんな目で見ないで下さい。
保田さんにまで拒絶されてしまったら、私は…どうすればいいんですか?
495 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 02:58
「ごめ、ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさい!
許して下さいっ許して…」

わけの分からない言葉を繰り返す私の肩に、そっと温かい手が添えられる。

「みーよ、落ち着いて。確かに、さっきまで一緒にいたみーよと
あんたは別物だけど…私はあんたの事も、ちゃんとみーよだと思ってる」

久し振りに耳にする響き。
保田さんにそう呼ばれるのはどれくらいぶりなんだろう。

「大丈夫だから。いい子だから…ね?私を信用して」

小さい子をなだめるように、背中を優しくとんとんと叩いてくれる。
それだけで、強張りが解けていく。

保田さんは私が落ち着いたのを確認すると、二階の部屋へ誘導した。
そう、私の部屋へと。
496 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:04
...

ベッドに並んで腰かけると、そのまま保田さんは頭を撫でてくれる。

今度は、抗おうという気は起こらなかった。
抗いたくなかった。
保田さんは、私という存在を受け入れてくれている事が肌で感じられたから。
497 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:05
どのくらいそうしていたのだろう。

保田さんの手がゆっくりと私の頭から離れた…
その直後の事だった。
今度は、両手で私の肩をがっしりと掴んできた。

「保田さん?」

「大事な話があるの」

私を見る目があまりにも真剣で、こっちにも緊張が伝わってくる。

「あの子から話はひと通り聞いてる。
転移の事も、異世界の事も、そこであんたがどういう風に過ごしていたのかも…
そして、あんたともう一人の私の間に何が起こったのかも」

そっか…やっぱり、保田さんは知っていたんだ。
私ともう一人の絵梨香、そして異世界の皆に何が起こっているのか。
498 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:06
「その上で伝えたい事があるの。
今日この日まで、私とあの子がずっと抱えていたもの。
これから話す事は、みーよにも知っておいて欲しい…。
みーよや、みーよが過ごした世界にも関係のある事だから」

彼女は、何を言い出そうとしているんだろう。
全く予測がつかない。
聞かない方がいい、と頭の中で何かが警告している。
聞くのは怖いと心のどこかで怯えている私がいる。
でも、聞かないといけない。
じゃないと、何も始まらない。
何の為に私は元の世界に戻って来たのか、思い出さなきゃ。

「全部を聞く覚悟、ある?」

だから、その保田さんの言葉に、私はゆっくりと頷いた。
499 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:07
...

そして、保田さんは長い、長い話をしてくれた。

「あの子…もう一人のみーよと一緒に、お祖母さんや、付近の年配の人から話を聞いたり、
図書館の文献を片っ端から読みあさって、色々と調べたの。
2012年の2月10日以降、あの子とあんたには何が起こっているんだろうって。
それで、たくさん分かった事がある」

何から話したらいいのかな、と保田さんは苦笑いしつつも、
ひとつひとつ噛み砕くように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「…今私といるみーよ…つまりあんたは、
2012年の2月10日までこの世界で過ごしてきた。
それまでの記憶はちゃんと持ってるんだよね?」

保田さんの問いに、私は肯定の言葉を返す。
そう、私は2月10日まで、ずっとこの場所で生きてきた。
ここではない、別の世界が存在する事も知らず。
500 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:09
「なら…これは覚えてる?」

そう言って保田さんが私に見せたのは、一冊の日記帳。

「それは…私の」

見覚えがある。
それは、1998年の日記帳だった。
以前、こっちの世界へ転移した時、見つけた物。
過去の…13歳の三好絵梨香が当時の事を綴った日記。

保田さんはゆっくりと頷いて、日記を開く。

「ここ、読んでみて。
これを読めば、転移したきっかけがなんとなく分かると思う」

言われた通り、彼女の指がさし示した箇所に、私は目を走らせた。
501 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:10
“4月9日
明日最後にもう一度だけあの桜を見に行こう。
そして思い出の品をそこへ隠そう。
こんなものがあるからいけないんだ。
すぐそばに置いてあるから思い出して悲しくなるんだ。
でも、ゴミとして捨てるなんて勇気はない。
だから、埋めてしまおう。
これさえなくなれば、寂しい思いをまぎらわせる。
あの人の事を考えないで済む。”
502 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:10
知らない人が、この文面だけを目にしても、何の事だか分からないだろう。
だけど、保田さんは全てを知っている口ぶりだった。
そして私も、それだけで全てを理解した。

「あんたは翌日の4月10日に、いざないの桜へ行って、ある物を埋めた。
それが何なのか思い出せる?」

あの日…
私が正真正銘の13歳だったあの日。
私は…何を埋めた?

そう、それは…
503 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:11
...

記憶を遡ってみる。
私は、自分の部屋の荷物整理をしていた時、“手鏡”を見つけた。
幼少の頃に…“もういない”母親から貰った物。
いわば形見のような物だった。

私はそれを手に取り、失った温もりを思い出して、
ひっそりと涙を流していた。

そんな時に、祖母に見つかって、こう言われたんだ。

それほどつらいなら、見えないところに仕舞っておきなさいと。
いちいち思い出して、悲しみに暮れるのは体に毒だと。

そして私は、その手鏡を土へと還す事にした。
そう、いざないの桜の下に埋める事に決めたんだ。
504 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:12
「多分…多分の話なんだけどね。
その鏡が、二人のみーよを…二つの世界を生みだしたんだと思う」
「え?」

もう一つの世界を生み出したきっかけが、あの鏡?
想像もしてなかった言葉に、私は目を丸くした。

過去の…13歳の三好絵梨香は、1998年の4月10日、いざないの桜へと赴いた。
だから私はいざないの桜の導きによって、
その時代を再現した異世界へ移る事ができたのだと思っていた。

だけど、それだけじゃなかったのだ。
505 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:13
「いざないの桜…あの場所には大昔祠があったみたいでね。
その祠の御神体は鏡だったらしいの。
言い伝えによると、あそこは神官の家系をはじめとした、
選ばれた人しか入れなかった禁足地だったみたい。
で、鏡を祀って吉報を占ったり、この地の繁栄を願って様々な儀式とかしてたみたい。
昭和に入ってからは、その祠は取り壊されちゃって、
儀式の話も聞かなくなったみたいだけど。
…でも、本当は豊作祈願や魔除けの儀式は表向きの話だった。
もっと別の方法によって、この地に確かな繁栄がもたらされた」

「別の方法って…?」
ごくりと自分の唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた気がした。
506 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:15
「かつて、強大な権力と特殊な能力を持ったある一族がいたの。
その一族は女系の家系で、代々双子の女の子ばかり生まれたみたい。
そしてどちらか一方には必ず夢見能力が備わっていた。
夢見能力を持った子は異世界へは行けなかったけれど、夢見能力がない子は、
その代わりに御神体の生み出した世界へ行く事ができたんだって。
それも、少し先の未来の世界へ。
現実世界でその“未来”にあたる日が来るまで、
いつでも、何度でも繰り返し転移できたらしいの。
ううん…正確に言えば未来じゃない。
ここで言う世界は…未来が忠実に再現された異世界の事。
彼女は時間が許す限り、その世界の住人のフリをして何度も何度もパターンを考えて、
運命を変えようとしたみたい。どれが最善の道なのかを、常に探してたの。
自分達の村が、より良いものになるように、皆が幸せに暮らせるようにって。
同時に夢見能力のある子は、異世界で過ごす双子の片割れの様子を…
その子の選択によって訪れる結末を、夢を通じて知る事ができた。
夢を見る事で、現実世界で起こり得る事象を追体験できた。
だからこそ、その中で最善の道を選択する事ができたの。
そしてそれを一族は神の宣託として人々に伝えた。
そうする事で、現実世界においては村に降りかかる災いは大抵未然に防ぐ事ができたし、
成功のきっかけを掴むチャンスも格段に増えた。
結果的に、その一族を中心にどんどん村は栄えていったの。
そういったシステムが随分永い間続いていたみたい。
双子は昔は不吉の象徴で、忌み嫌われてたらしいんだけど、
その能力のおかげで迫害される事はなかったんだって。
一部では神の子とも言われてたみたい」
507 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:16
「双子…神の子…」

確かに、今まで私が遭遇した出来事と重なる部分がある。
保田さんの言う双子の逸話と全く同じというわけではないけれど…
どう考えても、私と、もう一人の絵梨香の状況に似ている。
それは認めざるを得ない。

もう一人の絵梨香は、夢を通じて私が過ごしていた向こう側の世界を見ていた。
そして彼女は懸命に迫り来るピンチの回避策を教えてくれたりもした。
508 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:17
「選ばれた血筋である事、そして双子である事、
それに加え、いざないの桜と御神体の存在…
これがあれば、双子の一方は簡単に時空を超えられた。
ただ、あんたとあの子の場合は、双子でも特別な血を引いてるわけでもないし、
さすがに転移するには条件が複雑なものになったみたいだけどね。
あんたが転移する際、同時にあの子の精神も異世界に飛ばされちゃうんだし。
そもそも、14年のタイムラグがあるんだし、ややこしさに拍車がかかってるよね。
それぞれの世界でお互いが同時刻にいざないの桜の近くに控えている事…
もちろん、御神体がある事前提でね。
そして向こう側へ行きたいという強い願いを持つ事…
全部の条件が揃って、初めて転移できるんだと思う。
薄々気付いてると思うけど…
あんたが過ごした向こうの世界は、
過去じゃなくて御神体である鏡が映し出した世界なんだよ」
509 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:18
「かが…み」

あの世界が過去ではない事はとっくに分かっていた。
世界も、そこに存在する人々も虚像のようなものだという事だって、
なんとなく察していた。
それでも、いざ現実を突きつけられると、どうしてもショックを隠し切れない。

皆と交わした約束も、圭の温もりも、全てはまやかし…?

軽い眩暈に襲われながらも、私はどうにか平静さを装って保田さんに問う。

「そう、それなんですよ。
保田さんの言う通り、私は神の子とかでも何でもないし、
別に特別な家系の血を引いてるわけでもない。
私ともう一人の絵梨香だって双子というわけじゃないですし…
なのにどうして転移できたんでしょう…」
510 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:19
「…いざないの桜は、ずっと御神体を探し求めてた。
きっと、鏡を還してくれるのを、ずっと待ってたんだよ。
だから、新たな御神体を与えてくれたみーよに執着したんだと思う。
戻りたいっていうみーよの願いを特別に叶えようとしてくれたのかもしれないね。
ちょっとばかり、ベクトルが違っちゃったみたいだけど」

いざないの桜が、私の願いを聞き届けてくれた…
仮にそうだとしても、今の私は、その奇跡のような出来事に
感謝する事はできなかった。
だって、私が転移さえしなければ、皆は幸せだったはずなのだから。

「16年前の4月10日、みーよはいざないの桜の木の下に鏡を埋めた。
いざないの桜には本当に衝撃的な出来事だったんだろうね。
だから、御神体も影響を受けて、1998年4月10日の世界の像が
はっきり刻み込まれたんだと思う。
もちろん、13歳だったみーよの事もね。
だから、みーよが初めて向こうへ転移した時、
世界は1998年の4月10日だった。
そしてあんたは13歳の肉体を持つ事になった」

そういう事ならば辻褄が合う。

だからあの世界は、完璧なまでにこちらの世界を再現できたんだろう。
511 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:20
「特に樹齢を重ねた木は不思議な霊力が宿るらしいし、
あそこはいわくつきの神域でしょ。
そんな場所に御神体となる鏡を埋めた…
そう考えたら、何の変哲のない鏡に不思議な力が備わっても驚かないよ。
1998年4月10日以降の世界の像を焼き付けて忠実に再現する事なんて、
あの鏡には朝飯前なはずだよ」

随分と突飛な話だと思う。
だけど、現に私自身、何度も異世界へ転移しているのだ。
そしてもう一人の絵梨香もそれを認めている。
実際に体験しなければ、私だってまず信じなかっただろう。
なのに、異世界へ転移するという怪奇現象とは縁遠いはずの保田さんは、
まるで自分がこの目で見て来たかのような口ぶりで仮説を立てている。
512 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:21
「もしかして保田さんって霊感とかあったんですか?」

「霊感?ないよ、これっぽっちも。
民俗学とか郷土史とか、神道だとか、とにかく色んな文献に
片っ端から手をつけたから、やたら怪しげな単語ばっか
口から飛び出すようになっちゃった。
今は後輩達からも変人扱いされちゃってる」

そう言って保田さんはげらげらと大声で笑った。
正直、どこが笑うところなのか分からない。
もしかしたら保田さんの笑いのツボは普通の人とは少し違うんだろうか。

そんな事を思った時、ふと、保田さんの笑い声が途切れた。
513 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:22
「保田さん?」

視線を向けると、先ほどとは打って変わり、
保田さんは顔に手を当ててうなだれていた。

そんな彼女の言動が気になって、私は思わず凝視してしまう。

急に笑い出したり、かと思ったら途端に静かになったり。
どう考えても、保田さんはどこか様子が変だ。

「みーよ…」

私の視線に気付いたのか、保田さんもゆっくりと私を見つめ返す。
彼女の瞳は悲しみをはらんでいるような気がした。
どうして、保田さんは泣きそうな顔をしているんだろう。

「…あの子は伝えるべきか凄く悩んでたみたいだけど、私がはっきり言うよ。
もしあんたが、向こうの世界で生きて行くつもりなら…
あんたの寿命が縮まる可能性が高い」
514 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:23

…。
……。

一瞬、保田さんが何を言ったのかがよく分からなかった。

「…どういう、事ですか?」
「そういう記録が残ってるの。
あの一族の双子は代々、一方が必ずと言っていいほど早くに亡くなってる。
それも、全員原因不明の突然死だったって。
偶然じゃないと思う。
だって、亡くなるのは決まって夢見の能力を持ってない子…
異世界の住人となって運命を変え続けていた子の方だったみたいだから」

「…そん…な」
515 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:25
「異世界の住人として生きていく事、その世界の運命を変える事…
何の代償もなく、それができるほど甘くはないって事なんだろうね。
たとえ、神の子と崇められるほどの素質があったとしても。
それに、ただでさえあんたは不安定な存在でしょう。
魂の本体はあの子が持っていて、あんたは
あの子と同じ質量の魂で形成されてるわけじゃない。
…あんたは分け御霊のような状態なの。
分け御霊は、クローンとも双子のようなものとも違うでしょう?
あの子はあんたの記憶も全部受け取っているけど、あんたは違う。
あの子とあんたじゃ、個体を形成する記憶、魂の質量も決定的に違うの。
あんたには、相当の負担がかかってるはずなんだ。
事実だって確定してるわけじゃない…
でも、私とあの子の推測が間違ってないなら…
あんたは、もう一人のみーよほどには生きられないかもしれない」
516 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:26
心臓を押し潰されたような衝撃が走った。

決して叶うはずのない夢を、私は異世界で実現する事ができた。
そう、多くの人を踏み台にして。

これが、摂理に反し続けた代償…
当然の末路だと思う。
ことごとく他人の人生を狂わせてきた私にはお似合いだ。

なのに、どうして私の顔は強張っているんだろう。
なんでこんなにも胸が苦しいんだろう。
517 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:28
「あんたを救う方法がない事はないの。あのね…
昭和に入って、ある代の双子が一族の悪習に嫌気がさして
御神体の鏡を割って、二人でどこか遠くへ逃げたらしいんだ。
事情を知った一部の村の人々はパニックになった。
そのごたごたで祠は取り壊されて、例の一族も飛び火を恐れて他所へ移ったんだって。
同時にその頃から、神隠しだとか不気味な噂が流れ始めた。
多分、これまでの悪習やあの一族の存在を余所者に知られる事を恐れたんだろうね。
時代も昭和に入って、そういった田舎の風習を
よしとしない人達だって増え始めた頃だったし。
だから誰もあの場所へ近付かせないように、あえてそんな噂を流した。
いざないの桜の存在ごと、全てなかった事にしたかったんだよ。
そうしてその悪習について知る人がほとんどいなくなった頃、
一度は逃げた双子が戻って来たんだって。
村が変わらずに存続しているのか確かめる為に。
あの双子は長い歳月が流れても、ちゃんと生きていたんだよ。
どちらか欠ける事はないままで」

無意識のうちに、私は保田さんの手を強く握りしめていた。
その白い手が赤くなるほど。
痛みを感じているはずなのに、それでも保田さんはあえて受け入れてくれている。
518 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:29
「確証があるわけじゃないけど…
でも、あの鏡さえ壊せば…あんたの魂はきっとあの子の元へ還る。
ここじゃない、もう一つの世界の存在はなかった事になる。
だから、二度と転移する事もなくなる」

じゃあ、鏡を割れば私は生きながらえる事ができるの?
でも、でもそうしたら圭のいる世界は…

「私は…私は…一体、どうしたら」

うわごとのように同じ言葉を繰り返す私を、保田さんが強く抱き寄せる。

「みーよ…本音を言えば、私はみーよを…あんたを失いたくない。
これ以上傷付いて欲しくない。
こうして直接話をして分かったの。
あんたは、みーよだ。
2012年以降は、あんたは別の世界にいて私とほとんど関わる事は
なかったけど、それでも、確かに私が好きだったみーよなの。
一緒に立て続けに舞台にも出て、稽古が終わった後はお酒を飲みながら
たくさん話したよね?しまむらでデートだってしたよね?」
519 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:31
この世界の保田さんと過ごした幸せな日々の記憶が蘇る。

たとえ今の私はフェイクでも、あの時、確かに私は
一人の人間として実在し、保田さんに惹かれていた。

「私にとっては、あんたもれっきとした“大切な子”だから。
本音を言えば、鏡の世界の“圭”じゃなくて、私のそばにいて欲しい。
だって、あの世界で、あんたが幸せに暮らせるとは限らないじゃない。
“圭”はあんたを突き放したんでしょう?
命を削ってでも生きていく価値のある世界なの?」

「…」
520 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:33
答えられなかった。
言葉が出なかった。
だって、あの世界に戻っても、
明日が見えないまま生きなければならない事は、簡単に想像できたから。

「答えられないんでしょう?迷ってるんだよね?
だったら、私の側にいて。私の目の届くところで、少しでも長く生きて欲しいの」
「保田、さん」

彼女の温かな背中に腕を回そうとした時だった。
保田さんははっとしたように私から体を離し、首を左右に振った。

「違う…違うの。
こんなの、ただの私のわがままじゃない。
ごめん、今のは忘れて…結局は、あんた自身が決める事だよ。
私達の考えを、あんたに押し付ける事はできないから。
まだ、時間は残されてる。
だから、みーよはゆっくり考えて、納得のいく答えを見つけ出せばいいの」
521 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:33
感情を押し殺すように、保田さんが言葉を絞り出す。
保田さんも言葉にするのは辛いんだろう。
だけど、偽らずに真実を伝えようとしてくれている。

「…帰って来たばかりで、こんな事話すのは酷だったよね。
向こうの世界でも、みーよは辛い思いをしたのに。
ごめん…ごめんね。みーよ」

やっぱり、保田さんは優しい。
このまま現代の保田さんに溺れていたくなる。
望むままに触れられる。
想いをいくら伝えても、彼女を苦しめる事はない。
そうする事を、保田さんは許してくれる。
522 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:34
こうして家を行き来しても、私達の関係を怪しむ人はいない。
外を歩いたって、指さして好奇の目で見る人はいない。
もう一人の絵梨香がたまらなく羨ましかった。

自ら望んで突き進んだ道なのに。
私は、そこから目を背けようとしていた。
見えているのは、目の前にいる保田さんの姿だけ。

「保田さんっ!」
私は衝動を抑えられず、そのまま彼女を押し倒していた。

「みーよ…」

私を真っ直ぐ見つめるこの世界の“保田さん”。
彼女は知っている。
私の本当の想いも、苦悩も。
だからこそ、すがりたかった。

「みーよ、おいで。抱いてあげる。嫌な事は、忘れさせてあげる」

保田さんは切ない微笑を見せ、両手を広げた。

523 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:35
...

抗えるはずはなかった。
恥じらいを感じる暇もなかった。
戸惑いさえ振り切って、私は餌に飛び付く動物のように、
保田さんの唇を塞いだ。

「ん、んんっみーよ…っ」

保田さんは苦しそうに顔をしかめながらも、私の頭に手を回し、髪を撫でてくれた。

524 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:35
気付いた時には、既に私も保田さんも生まれたままの姿になって、
獣みたいにお互いを貪っていた。

圭の舌使いは、こんな巧みじゃない。
おっかなびっくり私に触れ、慣れないながらも
懸命に愛撫してくれた圭とは違う。

触れる度、触れられる度生じる違和感。
それでも、今の私には、目の前のこの人しかいなかった。

「助けて…助けて下さいっ怖いんです…保田さん助けて!」
「うん…つらいよね、苦しいよね…
みーよの気持ち、伝わる…みーよの悲しみ、わかっちゃうの」
525 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:36
顔が見えないこの体勢で良かったと思った。
だって、今私は泣いている。
そんな事、聡い保田さんには気付かれているはずだ。
だけど、情けない泣き顔を見せたくなかった。
わずかばかりのプライドがそれを許さなかった。

涙を隠すように、更に私は自分の顔を保田さんの熱いそこに埋めた。
しょっぱい自分の涙の味じゃなくて、保田さんの味を味わいたかった。

むせ返りそうなほどの女の匂い。
今は、彼女の事だけ感じたくて、私は夢中で保田さんを愛撫した。

「はあ、みーよぉ」

圭はこれほどまで艶っぽい声を上げたりしない。
こんな風に積極的に肌を押しつけたりしない。

違う。
何かが違う。

それでも、私は圭の残像を頭の隅に押しやって、
無我夢中で保田さんと肌を重ね続けていた。
526 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:37
...

ありったけの熱を放出した後、保田さんは私に泣く場所を作ってくれた。
細い腕で私を包み込んで、柔らかな胸を貸してくれた。

「みーよ…泣かないで。みーよは悪くないから。
私はみーよを責めるなんてできない。
もしも私があんたの立場だったら…
皆が苦しんでても、自分の事でいっぱいいっぱいで、
運命に抗う努力すらできなかったと思う」
「保田さん…保田さんっ」

ずっと誰かに悪くないって言って欲しかった。
自分が諸悪の根源だっていう事くらい、誰より私自身が理解してる。
それでも、ウソでもいいから、言葉にして、一瞬でも安心させて欲しかった。
527 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:37
...

ひとしきり泣いた後、私はのろのろとベッドから立ち上がった。

鏡を見ると、もう一人の私がいた。
かつては、私の所有物だった肉体。
以前この世界に転移した時よりも、雰囲気が変わったように見える。
それもそうか。
最後に転移した時、この世界は2012年の8月だった。
あれからゆうに1年以上経ってるんだから。

右腕を持ち上げ、鏡越しにしげしげと眺める。
白い傷跡は当然の事ながら、どこにも見当たらない。
あの傷は、向こうの世界で付いたものだ。
傷ひとつないまっさらな腕…
傷なんてない方がいいに決まってる。
なのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろう。
528 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:37
右手を、そのまま自分の頬へと持っていく。
これは誰?
本当にこれが私?
ふと、そんな疑問がわき起こる。

29歳の三好絵梨香。
本来はこれが私に相応しい容れ物なんだ。
向こうの世界の三好絵梨香の肉体の方が、元々は借り物なのだから。
なのに、どうして私は素直に受け入れられないの?
529 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:38
今鏡に映る自分の姿は、どこからどう見ても大人の女だった。
そう、ぞっとするくらい、“女”だった。

15歳の三好絵梨香にはない妖艶さも、
落ち着いた雰囲気も兼ね備えている。

決して容姿に不満があるわけじゃない。

ただ…この器に、私という魂は違和感を訴えている。
530 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:38
こんなの…私じゃない!

頭を掻きむしる度、長い髪がまとわりつく。
髪の重みで、心まで重くなりそうだ。

29歳の絵梨香が、鏡の中からこっちを見ている。
どんな時も、こんな私を受け入れてくれて、励ましてくれたもう一人の私の顔。

でも今は、その顔を見るのが怖かった。

まだ生きているのと責められているような気がして。

…そんなわけがないのに。

だけど、否が応にも思い知らされる。
私は所詮は彼女の分け御霊で…劣った存在なんだって。

531 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:40
...

「みーよ」
「!」

背後から掛けられた声に、私は反射的に振り返った。

「お茶淹れたからさ、一緒に飲も?ほら、服着て」

保田さんが優しい笑みを浮かべ、
二つのティーカップと焼き菓子が乗ったトレイを持っている。

「…は、はい…わざわざありがとうございます」

私は慌てて床に落ちていた服を拾い、手早くそれを身に着ける。

本当はとてもお茶を飲む気にはなれなかった。
確かに喉は渇きを訴えていたけれど、胃はしくしくと痛んでいる。
それでもせっかくの保田さんの厚意を無にする事はできない。
532 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:41
私は保田さんに勧められるまま、おそるおそるティーカップに口をつけた。
乾いた舌を潤し、少しずつハーブティーを飲み下していくと、
徐々に気持ちが落ち着いて来る。
ハーブティーには精神安定作用があるとよく聞いたけど、本当みたいだ。

「おいしい?みーよはここのハーブティー大好きだったでしょ」

保田さんの言葉を聞いて、小さな違和感が胸を掠める。
確かにハーブティーに凝っていた記憶はあるけれど、
この銘柄のは初めて飲む。

きっともう一人の絵梨香が好んでいた物なんだろう。

だけど、私はその違和感を無視して、口角を上げて笑顔を作る。

「保田さんの淹れてくれたお茶、本当においしくて…
今すっごくリラックスできてます」

そう言うと、保田さんは心底安堵したような顔を見せた。
533 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:42
本当は、味を楽しむ余裕なんてなかった。

ハーブティーの温もりより…保田さんの温もりが欲しかった。
ただ、今はこうして保田さんに優しくされるのが心地良くて…
たとえそれが同情でも、救われる気がした。

そう。
保田さんはただ私に同情しているだけなんだと思う。

それでも、そばに居て欲しかった。
私にとって、保田さんは今誰よりも一緒にいたい人だった。

だって、今は圭を想う事さえ怖かったから。
534 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:42
...
保田さんが仕事の為に東京に戻った後、私は真っ直ぐにあの場所へ向った。
そう、いざないの桜の元へ。
535 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:43
「あった…」

爪の間に土が入り込むのも構わず、
私は夢中で穴から目当ての物を取り出す。

それは、ブリキでできた四角い缶。
思ったよりも深く埋まっていたわけではないので、
簡単に見つけ出す事ができた。
しかし、問題はそれからだった。

「う、かたい…」

錆ついて変色した缶を開けるのは至難の業だった。

「ん!や、やっと、外れたっ」

悪戦苦闘の末、ようやく蓋を外す事ができた。

中から出てきたのは、何の変哲のない手鏡。
けれど見覚えはあった。
おそるおそる手鏡を手に取り、輪郭をなぞる。
間違いない。
これは、幼い頃に母からもらった物。

16年前の4月10日、私は…三好絵梨香は、
いざないの桜の下に、この手鏡を埋めた。
536 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:43
保田さんの言う事が真実なら、これこそが全ての元凶なんだ。

私がこれを埋めなければ。
こんなものがあったから、悲劇を生んだ。
たくさんの人を傷付けた。

私に出会わなければ…私さえいなければ、
圭を、唯ちゃんを、皆を泣かせる事なんてなかったのに。
自分の中にある私利私欲の為に、私は皆を利用したんだ。
537 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:44
傍らにあった石を拾い、ぐっと握り締めた。

「こんなもの…っ」
そうだ、こんなもの壊してしまえばいい。
そのまま、腕を振り上げて、この石を力いっぱい叩きつければいい。
そうすれば、全てが終わる。
全部、全部終わっちゃえばいいんだ。
何もかも消えてしまえばいいんだ。

538 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:44
...

「…っ…あ、れ…?」
手が震えてうまく力が入らない。
自分の意思で震えを止めようとしても、どうにもならない。

「なんで…っ」

どうしたの?
一体何を恐れてるの?
別に私自体は無に還るわけじゃない。
ただ、もう一人の絵梨香と同化するだけ。
分かれていたものが、ひとつになるだけ。

向こうの世界だって、所詮は鏡が作りだした幻。
偽物は、消えなきゃ。
私がいちゃいけないんだ。

私はただ、世界を本来あるべき姿に正そうとしているだけ。
間違った事をしてるわけじゃない。
なのに…最後の砦を壊せない。
539 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:45
できない。
できるわけない。

怖い。
消えるのが怖い。

もう一人の絵梨香と混ざり合ったら、私は私ではなくなってしまう。
あの世界で、モーニング娘。の一員として激動の日々を駆け抜けた
三好絵梨香はいなくなってしまう。

結局、自分の消滅を受け入れられるほど、私はできた人間じゃない。

このまま鏡を壊せば、圭は…彼女達は
もう明日を思い煩う事も、苦しみを感じる事もないのに。
540 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:46
永遠の停止状態…それは一種の幸福なのかもしれない。

消滅という名の救済。
全てからの解放。
なんて甘美な言葉なんだろう。

だけど、そんな結末を選べない。
結局は私は弱いから。
そんな覚悟さえ持てない。

私を受け入れてくれた世界を、否定したくない。
こんなのただのエゴだと分かっていても。

「どうすれば…私はどうすればいいの…?」
答えは返って来ない。
私は、この場から動く事もできず、たった一人忍び泣いていた。
541 名前:第37話 鏡映しの迷宮 投稿日:2012/07/11(水) 03:47
第37話 鏡映しの迷宮
542 名前:あおてん 投稿日:2012/07/11(水) 03:47
ペースが落ち気味ですみません
543 名前:あおてん 投稿日:2012/07/18(水) 23:51
>>500の「以前、こっちの世界へ転移した時、見つけた物」を
「以前、自分の部屋で見つけた物」

>>506の「ここで言う世界は…未来が忠実に再現された異世界の事」を
「ここで言う未来の世界は…未来が忠実に再現された異世界の事」に訂正させて下さい。
544 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/18(水) 23:54
あれから更に数日が経った。

結局、私は手鏡を破壊する事はできなかった。
そのまま缶に手鏡を忍ばせて、以前と同じように暗い土の中へと戻した。
そして何事もなかったかのように私は自分の家へと逃げ帰った。

…あの日以来、いざないの桜の元へは寄りついていない。

私は家に閉じこもり、塔のごとく積まれていた文献にひとつずつ手をつけながら、
ひたすらに時間を消費していた。
545 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/18(水) 23:54
...

この世界に来て判明した数々の事実は、想像の斜め上をいく事ばかり。
しかも、そのどれもが突飛な話ばかりで頭が追いつかない。
状況を整理するのに精いっぱいだ。

私は、とりあえず一つずつ入手した情報を箇条書きにして紙に書き出す事にした。
546 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/18(水) 23:57
・いざないの桜には今も霊的な力が宿っている。
・いざないの桜には昔祠があって、御神体は鏡だった。
・いざないの桜付近は昔は禁足地だった。
・かつてこの地には、絶大な権力を持った一族がいた。
・その一族は女系で双子の女の子ばかり生まれた。
・彼女達には代々特殊な能力が備わっていた。
・彼女達は選ばれし者、神の子と呼ばれ、村のあらゆる祭儀を司っていた。
・表向きの儀式は加持祈祷、厄除け、地鎮祭、除霊、諸祈願というものだった。
しかし村の中でも限られた者しか知らない裏儀式が存在した。
・その裏儀式とは…双子の片割れが、御神体が生み出した異世界へ繰り返し趣き運命を変え、
現実世界で起こり得る危機を事前に知り、回避する方法を模索する事だった。
547 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/18(水) 23:58
・片割れが異世界で過ごしている間、
もう一方の夢見の能力を持った者は、
夢を介して片割れの言動を把握する事ができ、
彼女や異世界の村人達の行いにより生じる事象を、
神の宣託として現実世界の村人に伝えた。
・双子達の功績により村は繁栄を極めた。
・異世界に赴き運命を変え続けた者はその代償に寿命が削られた。
(夢見の能力を持った方は不審な死を遂げる事はなかった)
548 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/18(水) 23:59
・昭和初期に、○代目の双子が裏儀式の存続を拒み、
御神体を破壊し遠くへ逃げた。(その双子は両者とも長生きしたらしい)
・長年培ってきたシステムが崩壊した事、そして身内の不祥事により、
双子の一族は居場所を失い余所へ移った。
・祠は取り壊され、裏儀式や一族の存在もろともひた隠しにする為に、
関係者によって、村人がいざないの桜に寄りつきたがらないような
不気味な噂が流された。(神隠しや精神異常をきたす噂など)
・以降、いざないの桜は御神体を失った不完全なままの状態で樹齢を重ねていった。
・裏儀式が廃れても、何故かこの地が没落する事はなかった。
549 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:00
・1998年の4月10日…過去の私が、御神体を求めるいざないの桜の下に
手鏡を埋めた事により、異世界へ転移する条件の一部が整った。
・向こうの世界は過去ではなく、鏡が映し出した異世界。
・双子の片割れが異世界へ転移する為には
いざないの桜と御神体の鏡がある事が絶対条件だった。
(ただし私ともう一人の絵梨香が転移する条件はより複雑化している。
そして14年のタイムラグがある)
・2012年の2月10日、異世界へ転移する為に三好絵梨香の魂は二つに分かれた。
今の私の魂は分け御霊(魂の一部分)。
本体の魂はもう一人の絵梨香が持っているとされる。
・いざないの桜にとって、私の埋めた手鏡が今は御神体がわりとなっている。
(ただし元々霊験あらたかな代物ではなかったので、完全ではないらしい)
・鏡を割れば異世界の干渉を受ける事は一切なくなる。
つまりは異世界自体が消滅する。
(同時に私の魂はもう一人の絵梨香の元へ還るらしい)
550 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:01
...

「…はぁ、頭…痛くなってきた」

頭が割れそうだ。
紙に書き出してみても、やはり全てを完全に把握できるわけじゃない。
こんな事をしても、答えは見つかりそうもないのに。

だけど、新たに得た情報も確かにあった。
いざないの桜には、一つのものを二つに分ける力があったという話。
だから、いざないの桜に深く携わったあの一族には、
双子しか生まれなかったのではないだろうか。
そして、私が二人に分離したのではないか。

ただし私ともう一人の絵梨香は別者なはずだ。

もう一人の絵梨香はまがいものなんかじゃない。
完全な記憶を持ち、29年間しっかりとこの世界で生きてきた。
551 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:02
一方で、向こうの世界の三好絵梨香の肉体は、
御神体が焼き付けた残像でしかなかった。
そしてその残像には、元々精神なんてものは宿っていなかった。
2012年の2月10日、私が分け御霊となり初めて異世界に転移した事により、
当時13歳の三好絵梨香の肉体に血が通い魂が宿った。

1998年4月10日のまま停止状態だった異世界は、
それによってようやく動き出したのだ。
552 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:03
ただ不思議な事に、向こうの世界の人々は圭を含め、
皆1998年4月10日以前の記憶もちゃんとあるようだった。
いや、不思議な事でもないか。
向こうの世界は、この世界の過去の像を鏡が焼き付け、
そっくりそのまま映し出したもの…
だからこそ肉体も、魂も、記憶も、何もかも忠実に再現できた。
質の良いコピーのようなものだ。
だから彼女達の記憶に欠陥はないはずなのだ。
異世界は異世界でも、彼女達はまぎれもないその世界の住人なのだから、
フェイクの存在とは言えないだろう。
553 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:04
だけど、私は違う。
元々は私はあの世界の住人じゃない。
そして初めて転移するまで、あの世界の三好絵梨香は空っぽの存在だった。
魂や記憶さえもない、ただの幻のようなものでしかなかった。

つまり、この世界から異世界へ中途半端に魂だけ転移した私は、
ウソで塗り固めたような存在なのだ。
この世界での1998年4月10日以前の記憶を持っていても、
それは異世界では偽りのものとなる。

自分がどれほど不完全な存在なのかを思い知らされる。
554 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:06
…そこまで考えて、私はかぶりを振った。

今考えるのはそんなんじゃない。
話を元に戻さなければ。

そうだ、いざないの桜は一つのものを分裂させられる力を持っている。
そして長年祀られていた御神体の鏡には守り神が宿り、
いざないの桜よりも強力な霊力を蓄えていたという説もある。
けれど、その鏡は何十代目かの双子によって壊されてしまった。
裏儀式を知る当時の人々は、祟り、咎、穢れ、災いが
降りかかるのではと恐れおののいた。
しかし、結果的には彼らが危惧していた事にはならなかった。

それは…守り神が分裂し、依り代を移動していたから。
555 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:07
その点を考えると、いくつかの仮説が立てられる。

いざないの桜は保険をかける為に、御神体に宿っていた守り神を分裂させ、
力の一部を吸収し、木に取り込んだのではないかと。
よって、御神体や祠が壊され裏儀式の存在ごと封印されても、
この地は寂れる事がなかった。
一時に極めた繁栄という言葉には届かなくても。

そして、私が手鏡を埋めたあの時も、いざないの桜は蓄えていた力を
二つに分け、一方を手鏡に分け与えたのではないか。
だからこそ、普通の手鏡が異世界を生み出す事ができた。

異世界へ転移する為には、いざないの桜だけでなく、
御神体の鏡の存在が必要不可欠であるという事実がほぼ確定している。
あの異世界は、鏡映しの世界だから。
556 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:08
この仮説が正しいなら、幾度か分裂を繰り返して来た
いざないの桜や、御神体に宿る力はかなり微弱なものになっているだろう。

鏡を破壊すれば、私はあるべき場所へ還り、偽りの世界は消える。
だけどそうする事で…私は後悔しないだろうか。
いや、後悔しないわけがない。
そして、またいざないの桜の力が弱まる事で、
万が一この地に悪影響が出ないとも限らない。
557 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:08
私は、どうすべきなんだろう。
私には…何ができるんだろう。
私という存在は、何の為に在るんだろう…

そんな思いを巡らせながら、いつしか私の意識は闇に落ちていた。

558 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:11
...

「ん…あれ…今、何時?」
気が付けば、私はテーブルの上に突っ伏して眠り込んでいた。
ここ数日、ベッドで睡眠を摂る事はなかった気がする。
今の私には時間という概念はなかった。
この世界では仕事に追われる事がなかったから。

一体何があったのか…もう一人の絵梨香は、私がこの世界に
やって来る少し前から一時的にタレント活動を休止していたらしい。
気がかりな事があったのか、近頃はあまり
仕事に身が入っていない様子だったと聞く。
保田さんは言葉を濁しはっきりとは教えてくれなかったけど、
それは十中八九私のせいだと分かっていた。

おそらく夢を介して私の現状を把握し、精神が乱されていたんだろう。
559 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:11
…早く、こんな事は終わらせなければいけない。
もう一人の絵梨香の為にも。

だけど、決着をつける勇気がまだ私には足りなかった。
仕事がないのをいい事に…この数日間、私は何かに憑かれたように、
もう一人の絵梨香や保田さんが集めてくれた資料文献を読みあさっていた。

こんな事をしても、絵梨香の体を痛めつけるだけだって分かっていたのに。
560 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:12
ぼやける視界の中、壁時計が指し示す時刻を確認する。

「6時…?」

朝の6時なのか、それとも夜の6時なのか。
今の私は、時間の感覚すらも麻痺していた。
窓の外を見ても、曇った天気のせいで判別が難しい。

「まあいいか、どっちでも」
いちいち正確な時刻を確認するのも面倒だ。
561 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:14
目を擦ろうとして、何か硬い物が当たる感触に
ピタリと動きが止まる。
“これ”を意識する度、息が止まりそうになる。

私の…正確には、もう一人の絵梨香の右手の薬指には、
私が向こうの世界にいた頃大切にしていた物と同じデザインの指輪がはめられていた。

いや、全く同じというわけじゃない。
デザインはほぼ同じでも、材質や色は異なっている。
私と圭がしていた指輪はシルバーだったけれど、
これはピンクゴールドで出来ていた。
そしてこのピンクゴールドのリングを、保田さんも右手に着けていた。

保田さんの言う事に、私と圭がペアリングをしているのを、
もう一人の絵梨香が夢を通じて知り、わざわざデザインを書き起こして
ジュエリーショップでペアリングを特注し、片方を保田さんにプレゼントしたらしい。
562 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:15
“あの子は…あんたと圭の関係に憧れていたから”

保田さんが申し訳なさそうな、複雑そうな表情でそう教えてくれたのと同様に、私もあの時どういう反応をしていいのか分からなかった。
私と圭は、もう一人の絵梨香に憧れられるようなほどの関係性を
築けていたわけじゃないのにって…ただ、胸が苦しくて。
563 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:15
私は、圭に拒絶された。
今思えば当然かもしれない。

“圭を守りたかったから”とどれだけ綺麗事を言っても、
娘。を汚したのは他でもない私自身なんだから。

所詮私はその程度でしかない人間だった。
結果的に私は、あの世界の人々だけでなく、
もう一人の絵梨香の純粋な想いさえ裏切ってしまったんだ。
圭に愛される価値もない。
564 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:16
保田さんも私と圭に何があったのかを熟知しているのか、
気を使って“目にするのが嫌なら私が預かっておこうか?”
と言ってくれた。

そんな保田さんに対して、私は首を横に振った。

向こうの世界では、私と圭の関係が面白おかしく低俗な記事にされ、
騒ぎがこれ以上広まらない為に指輪を外す他なかった。
なのに、この世界でも指輪を外してしまったら、
私と彼女との繋がりが今度こそ完全に断たれてしまうような気がして。
565 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:17
だけど、そうは言っても、やっぱり穏やかな気持ちで
この指輪を眺められるほどの余裕はなかった。

どうしても、圭の顔がちらついてしまう。
指輪を見る度嫌でも思い出してしまう。
幸せだった頃を。
そして最後に私に向けられた、あの、全てを拒絶するような目を。

圭は今どうしているだろう。
彼女にとって、私と愛を囁き合った記憶は忘れてしまいたい過去なんだろうか。

圭だけじゃない。
皆、私の事を軽蔑しただろうな。
明日香にも、彩さんにも、紗耶ちゃんにも…合わせる顔がない。
あの世界へ戻って、どの面下げて皆に会えばいいんだろう。
566 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:18
もう一人の絵梨香は、2000年の世界で…
実家でじっと来るべき時を待っているんだろうか。

私のせいで彼女達を厄介事に巻き込んでしまった。
申し訳ないという気持ちは当然ある。
だけど、それ以上に心の整理をつける時間が欲しかった。

…どれだけ時間が過ぎても、答えを見つけられないかもしれないのに。
567 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:18
弱い自分。
私は絵梨香のような人間にはなれない。

いつまでも逃げ続けるわけにいかない。
頭でそれが分かっているのに、一歩も動けない。

だけど、刻一刻と期限は迫っている。
…そろそろ、決めなければいけない。
私はどちらの世界を選ぶのかを。
568 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:19
...

私は今日も文献に記された情報を吸収していた。
前向きに事態を解決しようと意気込んでるわけじゃない。
半分はただの現実逃避だ。
活字の海に身を浸していると、何もせずに無為な時間を過ごすよりも
落ち着いていられた。

勉強は苦手だったのにな…と一人で苦笑いする。
答えは、未だ見つからない。
569 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:20
そんな時、保田さんから連絡が入った。

これからあんたの家に行くからいい子で待っててと。
…完全に子供扱いだ。
もう一人の絵梨香と保田さんもこんなに頻繁に会っていたんだろうか。

いや、違う。
きっと今の状況が異常事態だからだろう。

保田さんにだって仕事があるはずなのに…
私はもしかして、保田さんにまで無理をさせてしまっているんだろうか。

だけど来なくてもいいと言うわけにもいかず、
私は慌ててシャワーを浴びて部屋の掃除する事にした。
570 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:21
...
「みーよ、また何も食べてないんでしょ。
少しは何かお腹に入れた方がいいよ」

保田さんはここに来る前に寄り道でもしたのか、コンビニ袋を提げていた。
その袋からは、栄養機能食品のパックが覗いている。
わざわざ、私の為に買って来てくれたのだ。
もう一人の絵梨香の事を考えればきちんと食べるべきなのに、
どうしても食欲がわかない。

「ありがとうございます保田さん…でも…」

言い淀む私に、保田さんがため息を吐く。
そんな彼女に、思わず私は俯いてしまう。

保田さんの厚意をはねつけるような事なんてしたくないのに。
どうして私はこうなんだろう。
571 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:22
その時、ふっと床に影が差した。
保田さんが私に近付いた事によってできた影だった。

気付いた時には、保田さんの指が私の顎を掴み、すっと持ち上げていた。
そして、間髪入れずに彼女の唇が私の唇を塞いだ。

「ん!?」

私の口の中に一気に何かが流れ込む。

甘い。
人工甘味料の味だ。
そういえば、しばらく糖分なんて摂取してなかったかもしれない。

「ん、んっ」
突然の事に驚き、喉が震える。
だけど保田さんに唇で蓋をされ、吐き出す事もできない。
行き場の無い流動食は、そのまま私の喉へと流れ落ちる。
572 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:22
「!んぐ」
私が嚥下したのを確認すると、やっとの事で保田さんの唇が離れた。

「…っん、保田さん…」

私は口元を拭う事も忘れ、保田さんの表情に釘付けになってしまう。
彼女の瞳は悲しみを湛えていた。
けれど、それでいて全てを受け入れるような深い色をしていた。

「…ダメだよ、投げやりになっちゃ」
573 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:23
どうしてここまで保田さんは親身になってくれるのか。
それは…この容れ物が、保田さんの愛した
もう一人の絵梨香のものだから。

この体は、もう私のものじゃない。
私は、ただの分け御霊。

保田さんは優しいから、私に同情しているんだけなんだ。
分かってる。分かってるよ。

これ以上甘えるわけにいかない。
けれど、その優しさに甘える事が、何より心地良かった。

574 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:24
...

「ね、みーよ。たまには外に出て太陽の光を浴びた方がいいよ。
散歩しよ?」

今日も保田さんは私の様子を見に来てくれた。
私を放っておいたら、何をしでかすか分からないと
思っているのかもしれない。
確かにその通りだ。

私は保田さんに誘われるがままに、近所を散策する事にした。
当然、いざないの桜へ続くルートは避けて。
575 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:24
「みーよ、飲み物買って来るから、ちょっと待ってて」

保田さんはそう言って私をベンチに残し、
自動販売機へと駆けて行った。

「…」

保田さんがいなくなると、途端に世界が色を失うような気がする。
今の私にとっては保田さんだけが、鮮やかな存在だった。

保田さんは…もう一人の絵梨香のものなのに。
576 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:26
相変わらず、時間の流れは鈍く不確かだ。
私は肺の中に溜め込んでいた濁った空気を吐き出す。

「…なんか…疲れたな」

どちらの世界に行こうとも、生きている限り誰かを傷付け、裏切る。
今の私は、ただ存在しているだけで周りを不幸にしている。

これ以上罪を重ね続ける事なんて…
577 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:26
「あっ!?」

薬指からするりと何かが抜け落ちる感覚。
その違和感に気付いた時には、甲高い金属音が鼓膜を貫いた。

薬指にはめていた指輪が、くるくると回転しながら、
滑るように軌道を描き地面を転がっていく。

「ま、待って!」
そうか、最近あまり食べてないから、サイズが合わなくなったんだ。
漠然とそんな事を思いながらも、私は慌てて指輪を追う。
あれはもう一人の絵梨香と保田さんの大切な物なんだ。
私の不注意で失くすわけにいかない。
578 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:27
「つかまえたっ」

指輪をこの手にしっかりと掴み、ひやりとした金属の感触を
確かめた、その時だった。
派手なクラクションが鳴り響いたのは。

そこでようやく自分が置かれている状況を把握する事ができた。
指輪を追う事ばかりに気を取られて、全く気付かなかった。

私は車道に飛び出していたのだという事に。
579 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:27
「あ…」

視界を占領するのは、目の前の大きな車。
その車の進行先には他でもない私がいる。
私、死ぬの?

脳が逃げろと赤く警告している。
なのに体が動かない。
猛スピードで突進して来ているはずの車は、どこか動きが緩慢に見える。

全てはスローモーションのようだった。
目前に迫る車体は、まるで牙を剥いた四つ足の怪物のように見えた。

ダメだ、避けられない。

私はもうすぐ目の前の車体に巻き込まれる。
580 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:28
「みーよぉおおおお!!!」

保田さんの絶叫が私の鼓膜を貫いた。

ああ、最後に彼女が私を呼んでくれた。
それだけで私は幸せに逝ける。

ごめんね…絵梨香。
あなたはこんなところで終わっていいはずの人じゃなかったのに。
私がこの世界に戻らなければこんな事にならなかったのに。
やっぱり、私は最低の疫病神だ。

ごめん…
ごめんね…
ご め ん な さ い

581 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:29
...

よ…
ーよ…!
みーよ!

誰かが私を呼んでいる気がする。
天使が迎えに来たのかな…なんて。

…そもそも、私なんかが天国に行けるのかな。
582 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:29
死は、あらゆる苦痛からの解放。
死んだ人間に、一切の感覚も感情も存在しない。

なのに。
…なんでだろう。
…なんだか、痛い。
頬を何度も叩かれているような。
どうして…?
583 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:30
「え…あ、あれ…?」

うっすらと目を開けると、私の上に保田さんが覆い被さっていた。
彼女の背後から太陽の光が差し込んで眩しい。

「やすだ、さん…?」

私…一体…。
意識を集中させて、こわごわと腕を動かしてみる。

折れてはない。
手も、足も動く。
どこか捻った様子もなさそうだ。

私、まだ生きてる…?

眼球も動かし、今一度現状確認する。

どうやら私と保田さんは車道の脇に倒れこんでいる事が分かった。
保田さんが私を脇に引っ張り込んでくれたんだろう。
584 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:32
「ケガ、ないね…みーよ…」
そう言って、保田さんが細く息を吐く。

保田さんの体は震えていた。
きっと怖かったんだろう。
なのに、身を挺して私を助けてくれたんだ。

保田さんが来てくれなかったら、私は今頃…。

その時、ある事に気付いた。
保田さんの足の一点が、赤に染まっている事に。

「保田さん!?」

衝撃で裂けてしまったレギンスの切れ間から、
剥き出しになった膝が覗く。
そこからは真っ赤な血が滲んでいた。
だけど保田さんは気にも留めていないようだった。
いや、気付いてないだけなんだろう。
585 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:32
「す、すぐに帰って手当てしましょう!」

保田さんを抱き起こそうとした直後…
頬めがけて凄まじい衝撃が襲って来た。
それこそ、さっき軽く叩かれていた時のものとは比べ物にならないほどの。

私の鼓膜を揺るがせたのは、バシッとくぐもった鈍い音。
遅れてやって来た痛み。

おそるおそる痛む場所に触れてみる。
頬がじんと熱を持って、痺れている。
あまりの熱さと痛みに、頭が真っ白になりそうだ。
586 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:33
「何やってるの!?バカぁっ!!」

顔を真っ赤にして、保田さんは肩を震わせている。
そんな彼女を見て、頭がすっと冷える。

そうだ、この体は私のものじゃない。
もう一人の絵梨香のもの。
保田さんの最愛の人の命を、私は奪おうとしたんだ。
そして保田さんにケガを負わせてしまったんだ。

その事実に、私の全身から一気に血の気が引いた。

「すみません…っすみません保田さん!!
もう一人の絵梨香を…保田さんを危険な目に遭わせてしまって…っ」

謝る事しかできない自分に嫌気がさす。
謝って済む問題じゃないって分かってる。
だけど今の自分ができる贖罪の行為はそれしかなかった。
587 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:33
「そういう事を言ってるんじゃないの!!」

容赦のない二発目が飛んで来た。

「っ…!」
脳が揺さぶられるかと思った。

おさまりかけていたはずの熱さと痛みが、更に顔全体に広がるようだった。

「や、保田さ…」
保田さんはぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。
588 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:34
「許さない!また…また私を置いて行くつもりなの?
黙って私の前から消えるなんて絶対に許さないから!」
「え…“また”って…」
「“また”でしょう!?
みーよから東京から離れる事を告げられて、
何の音沙汰もなくなっちゃった時、私がどれだけつらかったか分かる?」

そうだ…
私は、札幌行きを会社から告げられた時、
保田さんにろくな挨拶もせずに故郷へ逃げ帰った。
元々私には手の届かなかった人なんだと自分に言い聞かせて、
連絡する事もしなかった。

私がそんな日々をつらいと感じていたのと同じように、
保田さんも不安を抱えて生きていたのだ。
もう一人の絵梨香が、勇気を出して保田さんにメールを送るまで。
589 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:34
「みーよは誰よりも幸せじゃないとダメなの!
少しでも長く生きなきゃダメなの!」

息が。
息ができなくなる。

私は、まがいものなのに。
疫病神なのに。
どうして、そんな私に真剣になってくれるんだろう。

…やっと…わかった。

…同情なんかじゃない。

この人は、心から私を想ってくれている。
魂の本体だとか、分け御霊だとか、そういった括りで区別してるわけじゃない。
私を三好絵梨香として愛してくれている。
590 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:35
「お願いだから、自分を大事にして…っ
みーよが死んじゃったら、私、生きていけない」

「保田さん…」

保田さんに腕を伸ばそうとして、
ずっと自分の右手が固く握りしめられていた事に気付く。
右手は強張っていて、動かすのに苦労したけれど、
徐々に、ゆっくりと指を開いていく。

手のひらには、あの指輪があった。

「…まさか、それを拾う為に、車道に飛び出したの?」

保田さんの問いかけに、私は頷くしかない。
「だって、保田さんと、もう一人の絵梨香を繋ぐ物だから」

「バカ、ほんとに…っバカなんだからっ!」
その言葉を耳にした瞬間、保田さんは更に激しく泣き出してしまった。
591 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:36
「本当にごめんなさい、保田さん…
でも、そろそろ移動しないと…立てますか?」

保田さんのありとあらゆる感情の全てを受け止めるつもりだったけれど、
いつまでもここに居座るわけにはいかない。

「立てるわけないじゃないっ腰が抜けたんだって…うっひっく」

保田さんの手足を曲げて反応を見てみたけれど、
どうやら膝の擦り傷以外にケガは見当たらない。

良かった…保田さんに大きなケガがなくて。

「…分かりました、じゃあ責任を持って私が家まで運びますね」

私は子供のように泣きじゃくる保田さんを背負い、この場を後にする事にした。
592 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:38
...

家に戻り、私が保田さんの膝の手当てを終える頃には、
彼女の表情は憑きものがおちたようにどこかすっきりとしていた。

私の体にしなだれかかり、どこまでも静かな声で、
自分の気持ちを伝えてくれる。

「本当に、みーよが死んじゃうかと思ったんだよ。
あの時、自分が死ぬのよりも怖かった。
私にとってみーよは誰よりも失いたくない子だから」

体温を、匂いを確かめるように、保田さんは首筋に鼻を押し当てる。

「…私は死んでませんよ。確かめてみてもらえますか?
私の心臓は、保田さんと同じように動いてますよね?」

私は保田さんの手を取り、そっと自分の左胸へ導く。

「うん…ちゃんと、みーよは生きてる。この世界に実在してる」

保田さんはそのまま顔を近付け、胸に頬を擦り寄せた。
593 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:38
「や、保田さ…」
「…ちょっと鼓動が速いね。緊張してるの?」

「そりゃ、緊張しますよ。
だって、ずっと届かない存在だと思ってた保田さんが
こんなに近くにいるなんて…未だに信じられないですもん」
「私はここにいるよ。いつだってみーよを見つめてる。
何より大切に思ってる」

そう言って私を見る保田さんの瞳はどこまでも澄んでいた。
一点の曇りのない瞳。
どうして、私をそんな風に見つめてくれるんだろう。
594 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:40
「…どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?
私は、もう一人の絵梨香とは違うのに。
私は絵梨香と違って、勇気を出せないまま逃げる事ばかり考えていた臆病者なのに。
私と正反対の選択をした絵梨香こそが、保田さんに相応しいはずなんです。
なのに、どうして保田さんは見捨てずに私の側にいてくれるんですか?」

「そんな悲しい事言わないで。
限られてても、私と共有できる思い出だってちゃんとあるでしょう?
分け御霊だろうが何だろうが…
みーよがみーよなら、私はどちらかを切り捨てるなんて絶対にしない」
保田さんの手がすっと左胸から離れ、その指先が私の唇に触れる。

「今は、今だけは…自分をあの子と比べる事はしないで。
他の事は考えないでおこう?
今この部屋には二人きり…私とみーよがいる…それが全てでしょ?」
「そう、ですね」

おそるおそる、私は保田さんの背中に腕を回す。

「みーよは私の事…好き?」
私を見る保田さんの瞳は潤んでゆらゆら揺らいでいる。
その瞳に吸い込まれそうになる。
595 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:41
訊かれずとも、私の答えは決まっていた。

「当たり前ですよ」
耳元で囁き、保田さんを胸に抱く。

「私は前からあなたに憧れていて…その、
ずっと…ずっと好きでした」

やっと言えた…やっと伝えられた。
もう一人の絵梨香は、きっと数えきれないほど
彼女に伝えたであろう愛の言葉。
だけど、私にとっては初めての、保田さんへの告白。
596 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:42
こうして想いを伝えるのは罪でしょうか?
だけど、それでも。
今私の心は満たされていた。

「ありがとう。私も好き。
こんなに誰かを好きになった事なんてない…
みーよがみーよである限り、私はずっとみーよを想い続ける」

それは、今の私の気持ちと全く同じだった。

私は保田圭という人が好きなんだ。
私を呼ぶ声も、まとう空気も、その目も、
私の髪を優しく撫でてくれるその温かい手も、
保田圭である限り、私はきっと想いを止められない。

でも…私はどちらかを選ばなければならなかった。
そして、やっと答えを見つけたんだ。
597 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:42
これが最後なんだって分かっていた。
だからこそ、真実を、今のありのままの気持ちを
打ち明けようと思った。

「保田さん…私、向こうの世界へ戻ろうと思います」
「…、うん…あんたなら、きっと…そう言うと思った」

彼女の顔に浮かんだのは失望の色ではなかった。
全てを受け入れる、深い海のような眼差しをしていた。
だから、言葉を続ける事ができた。
598 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:43
「初めていざないの桜から、あの世界へ転移した時…
確かに、私の心は保田さんのものでした。
保田圭という人が存在してくれる世界なら、私にはそれで良かった。
ただ、保田さんにもう一度会いたくて…。
同じ夢を見たくて、それだけだったんです。
だけど、私はやっぱり圭から離れる事は考えられない。
圭を一人にはできない。圭を一人にしないって約束したから。
たとえ圭に嫌われても、圭の事を見つめていたい。
私はあの世界の人達の行く末を見届ける。
今はそれが、私の義務だと思うんです」

「そう…もう決めたんだね」

「きっと他の人が聞いたら馬鹿げてるって言うと思います。
所詮は鏡に映る虚像のような世界なのにって。
あの世界へ戻ったら、また私は圭を…誰かを傷付ける。
それでも、あの世界を消す事なんてできません。
圭の声が頭から離れないんです。
圭が、ずっと一人で泣いているような気がして」
「そうだね…」

保田さんは一切私の選択を否定するような事言わなかった。
ただ、一つ一つ私の言葉を受け止め、静かに、柔らかく全てを包んでくれる。
599 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:46
「鏡を破壊すれば、向こうの世界は消え、私の分け御霊はあるべき場所に還る。
魂の本体を持った、もう一人の私の元に。
…保田さんはそう教えてくれましたよね」

「うん…」

「あの世界が無となって、二期メンバーとして活動した私もなかった事になる…
その事を知った時、強く願った事があるんです。
“忘れたくない”って。
あの世界を消し去っても、私の罪は決して消えるわけじゃない。
だったら、私が歪めてしまった世界を、私は覚えていないといけない。
あの世界に中途半端に置き去りにしてしまったものがたくさんあるんです。
どれだけ生きられるか分からないけど…
でも、私は生涯かけてあの世界の全てを見守っていきたい」
保田さんは私の胸に頬を預けながら、真剣に何度も頷いてくれた。

「今まで分け御霊でフェイクの私なんかが、
あの世界にいる資格なんてないって思ってました。
だけど、保田さんが私を分け御霊じゃなく
一人の人間として見てくれたから、決心がついたんです。
不完全な存在でも、私はあの世界の住人として生きたいって」
保田さんが背中を押してくれたんだ。
だから、もう迷わない。
この選択に後悔はない。
600 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:48
「みーよは、自分のせいであの世界のたくさんの人の人生を
歪めてしまったって言うけどさ。
救われた人だっているはずなんだ。
…少なくとも紗耶香を助けてくれた。
私は紗耶香を助ける事ができなかった。
紗耶香の孤独や痛みに気付いてあげられなかった。
でも、あの世界の紗耶香は違うよね。
周りに流されながらも、迷いながらも、最後には自分の意思で自分の道を選んだから」

卒業コンサートの時の、紗耶ちゃんの幸せそうな笑顔を思い出す。
私なんかのようなちっぽけな存在が、彼女を救えたのだろうか。

「みーよは罪人なんかじゃないんだよ。
万が一神様が許さなくても、私が許すから。
だから、自分に誇りを持って」

彼女の声が直接体に響いて来る。
私はたくさんの人を傷付けた…
これまでしでかした事を簡単に償えるとは思えない。

だけど、今はその声が、懺悔に耳を傾け、優しく癒す天使のように聞こえた。

601 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:49
「みーよ…ひとつお願いがあるの」

甘い声で私を誘う保田さん。
私なんかが保田さんの為に何ができるというのだろう。
だけど彼女は私に何かを期待し、求めてくれている。
それがとても嬉しい。

どんな事をしても保田さんの願いを叶えてあげたいと思える。

「私…オフもらったんだ。
だから、デートしてくれない?
まだ期限まで時間はあるでしょう?」

「…そんな事でいいんですか?」

保田さんとデートするのは何年ぶりだろう。
そんな嬉しいお願いを聞き入れないわけがない。
私はゆっくりと首を縦に振った。

あと少しだけ、保田さんの側にいる事を許してと、
もう一人の絵梨香に詫びながら。

これが、保田さんとの最後のデートになるだろうから。
602 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:50
...

「みーよ、もうちょっと左寄って。うん、そこ。ほら笑って!」

保田さんはカメラを手に、ベストな立ち位置に誘導する。

私はムスカリの花壇をバックにし、笑顔を向ける。
作り笑いなんかじゃない。
自然と口元がほころんでしまう。
きっと今の私は最高の笑顔を保田さんに届けられていると思う。

私はその写真の出来上がりを確認する事も、手元に残す事もできないけれど。
それでも、構わない。

私は消えるわけじゃないから。
ちゃんとあの世界でも覚えているから。

そして、もう一人の絵梨香が、私のこの瞬間の記憶を紡いでくれる。

最後の転移を終えた後、私の目となり、耳となり、手足となり、
保田さんを全身全霊で愛してくれるはずだ。
だから、寂しくなんかない。


603 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:51
...

数えきれないほどの写真を撮り終えた頃、
保田さんがこんな提案をした。

「みーよ。最後に寄りたいところがあるんだけど、いい?」
「はい、じゃあ早速行きましょう」

私は、保田さんがどこへ連れて行ってくれるんだろうという期待に
胸を弾ませながら、勢いよく頷いた。
604 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:52
...

目的地は、繁華街の中にひっそりと紛れ込んでいるかのような、
小さなピアノバーだった。
店内の中央に、上品な黒い光沢を放つグランドピアノが据え置かれている。

知らなかった、こんな店あったんだ…。

内装はどちらかと言えば地味。
それに決して広くはなかったけれど、淡いオレンジ色をした照明が
柔らかく店内を照らしていて、なんだか心がほっとする。

だけど、私と保田さん以外には誰もいない。
その理由を、すぐに保田さんの口から聞く事ができた。

「知り合いが最近このお店オープンしてね、
まだ開店前なんだけど無理言って入らせてもらっちゃった。
1時間程度なら好きに使っていいって」

噂には聞いていたけど、本当に保田さんって顔が広いんだなあ。
605 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:53
保田さんは迷う事なく、真っ直ぐに
グランドピアノの元へ向かって行った。

そして確かめるように、白い指が鍵盤に触れる。

静まり返った空間に、寸分の狂いのない音色が零れる。

「…あんたは、覚えてるかな。
ずっと前にさ、稽古場でデモ音源聴いてもらった事があったでしょ?
その完成形を今日みーよに聴いて欲しかったの。
あんたには直接聴いてもらう事なく、もうひとつの世界へ行っちゃったからさ」
保田さんの言葉が呼び水となって、この世界での思い出が次々と脳裏に蘇る。

あれはもう何年前の事になるんだろうか。
保田さんと同じ舞台で共演する事になって、
稽古の日々に追われていたあの頃。
当時、保田さんは自分のバースデーライブも間近に控えていた。
彼女はそのバースデーライブで自作の曲を発表したいと意気込んでいて、睡眠時間を削って曲作りに勤しんでいた。
そして、気に入ったメロディーが思い浮かぶと、
稽古場で私にだけこっそり聴かせてくれた。

なんだか、保田さんが私に心を許し切って
秘密を打ち明けてくれたような気がして、
凄く嬉しかったのを覚えてる。

どう?って照れくさそうに、だけど少し誇らしげに
私に感想を求める保田さんが愛しくてたまらなかった。
606 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:53
確か、向こうの世界の圭は私の為に曲を作ると約束してくれた。
その約束は、もう果たされる事はないのかもしれない。

一瞬、苦い思いが広がる。
だけどそんな感情をあえて受け止め、私はしっかりと頷いた。

「もちろん、覚えてますよ。
保田さんとの思い出は、全部覚えてます」

「よかった…じゃあ、しっかりこの歌を刻みつけて。
“君への歌〜Always Love〜”を。
私があんたの前で歌えるのは、きっとこれが最初で最後だから」

よく通る声でそう言って、圭は奏でるピアノの音色に、温かな歌声を乗せた。
607 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:54
雪が舞う空を
見上げてみた
悲しい色に滲んで
涙あふれた

そんな時そっと
僕の頬を
ぬぐってくれたのは
隣にいる君
608 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:54
会えない時にも
君のそばにいるから
どんなに 離れてても
何が起こっても

ありがとう大好きな君へ
僕がいること忘れないで
もしも立ち止まりたくなった時には
この歌を届けるから
609 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:55
「…っ」

それは、救いの音楽だった。
自然と涙があふれたのは、音楽に託した彼女の想いが美しかったから。
まるで音楽の神様が祝福しているかのように、
音色のひとつひとつが輝きを放っているように感じた。


このまま、保田さんの音色に浸っていたい。
私は、息をするのも忘れて、彼女が奏でる音を追いかけ続けた。
610 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:55
...

歌が終わっても、保田さんは昔のように感想を求める事はしなかった。
私の流す涙から、想いの丈がありありと伝わったからだろう。


「実を言うとね…
この曲は応援してくれる皆へ贈るつもりで作った曲だったの。
でもね…曲を作り始めるうちに、いつの間にか、
みーよを思い浮かべている自分がいて…
ああ、私みーよの事が好きなんだってその時気付いた。
ファンの人への感謝の気持ちを込めて作った曲だっていうのはウソじゃない。
だけど、この曲には確かに、みーよへの想いも宿ってるの。
だから、どうしてもあんたにもこの曲を届けたかった。
あっちの世界へ、帰ってしまう前に」

「保田さん…」
611 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:56
今まで、全てにおいて疲れていた。
生きる事に。
愛する事に。
運命に抗う事に。

だけど、もうそんな私はどこにもいない。
保田さんからの贈り物を受け取って、
この胸を占める強い想いを再確認した。

やっぱり、私は音楽から離れるなんてできない。

かつては、歌手になる事を目指していたはずだった。
けれどいつしか女優業に重きを置くようになり、
ただ与えられる仕事をこなす事に精一杯で、そんな夢も忘れかけていた。

ちょうどその頃だった。
信じられないような奇跡が起こったのは。
私は向こうの世界へ転移するという
本来では考えられない事態に遭遇し、
そしてモーニング娘。の二期メンバーとなって、
同期として圭と出会い、皆と切磋琢磨しながら、様々な事を学んだ。
612 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:57
歌を歌うという行為だけが、全てではない事を知った。
音を奏でる喜びを知った。
私にも、ここまで誰か一人を愛し抜けるんだと知った。
苦楽を共有できる仲間の存在の大きさを知った。
夢を叶える事が、誰かの犠牲によって成り立っている事を知った。

全部、あの世界で知ったんだ。
前を向いて生きるという意味も、
がむしゃらに愛するという事も、
運命に抗い戦う事も。

一度は世界ごと棄てようとした。
何度も逃げようとした。

でも、分かったんだ。
私にとっての生きがいが何かを。

私は、私の生き方を見つけてしまった。

もう、大切なものを見失わない。
圭や、仲間の存在を消す事なんてできない。
保田さんのように、神様から音楽の祝福を授けられたわけじゃない。
それでも、私はもう別の生き方なんてできない。
613 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:58
「私の事は忘れてしまっても、この曲は、覚えていて。
この曲が、きっと辛い時にみーよを守ってくれると思うから」

「絶対に忘れませんよ。この曲も、保田さんの事も。
忘れるわけがない…」

私は背後から保田さんを抱きすくめた。
鍵盤に置かれたままの白い手に、ぽつぽつと雫が滴り落ちる。
それに気付かないふりをして、ただ彼女の温もりを感じていた。

私は、あなたを好きになって良かった…

胸が詰まって、それを言葉にする事はできなかった。

だから、私は想いを込めて保田さんを抱きしめ続けた。

614 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 00:59
...
家へと帰り着き、夜が明けるまで、
私と保田さんはベッドで肩を寄せ合って眠った。


そして朝日が差し込むベッドの中、私は目覚めた。

目を開けると、隣には保田さんの優しい寝顔があった。

このまま鏡を壊せば、私はあるべき場所へ還り、安穏の日々を送れる。
向こうの世界のように、茨の道を歩く必要はなくなる。
こうして、温かく柔らかなブランケットに包まれるような
幸せな日々が待っている。

だけど、それはできない。

あなたは私を分け御霊ではなく、一人の人間として見てくれた。
命ある者として接してくれた。

あなたが助けてくれた命を、みすみす誰かに明け渡すような事はしない。
たとえ、もう一人の絵梨香であっても。
二度と自分を棄てるような事なんてしません。
615 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:00
私は保田さんの髪を梳き、小さく囁く。

「ありがとう」

私の為に叱ってくれて。
私の為に泣いてくれて。
こんな私を私と認め、真っ直ぐに向き合ってくれて。

さよならは言わない。
私が向こうの世界に戻ったら、私はきっとまた歪みを生むだろう。
それでも…この決意は翻さない。
616 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:01
私は音を立てないように起き上がり、
ベッドサイドの小物入れに保管してあった
ピンクゴールドの指輪を取り出す。

そして、朝日にそっと透かしてみる。
華奢な指輪の内側に、刻印が施されていた。
なんとなく目について、その文字を読み上げてみる。

「two of destiny…」

直訳すれば運命の二人。

運命の相手と巡り合う…
それは夢物語だとどこかで思っている自分がいた。

でも、今ははっきりと言える。
私にとっての運命の人は…たったひとりだけ。

そう、それは…
617 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:02
「ん、…みーよ?」

保田さんは眉を寄せながら、手さぐりで私を探そうとしている。

「ここにいますよ」

私は彼女の手を取り、そっと頬にキスをした。
その瞬間、保田さんの目がぱっちり開いた。

「起きて、たんだ」

そう言って私をじっと見つめる保田さん。
そこからは何の感情も読み取れない。
新たな言葉を継ぐ事ができない私に、
保田さんがただ一言、こう尋ねた。
618 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:03
「…行くんでしょう?」

穏やかな声。
短い問いかけ。
保田さんは全てを悟っていた。

私は保田さんの瞳を真っ直ぐに見つめ返し、頷いた。
彼女の瞳は、まるで鋼のようだと思った。
私の保田さんに対する未練や、今にも露呈しそうな弱さ、
あらゆる淀んだ感情を弾き返してしまうほどの強い意志を持った瞳。

私は握っていた指輪を、導くように保田さんの手のひらに乗せた。
619 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:04
「この指輪は保田さんがはめてあげて下さい。
もう一人の…私じゃない絵梨香が、ここに戻って来た時に」
「うん…そうする」

保田さんは、その言葉だけで私の意を汲んでくれたのか、
しっかりと受け取ってくれた。

「…白状するとね、私は“圭”に嫉妬してたんだ。
どんなに辛い事があっても、結局最後には、
自分一人でどうにかするしかない時だってあったから。
だけど“圭”には、全部をさらけ出しても、
変わらずに想い続けてくれるあんたがいた…
隣を見れば、どんな時も、精一杯守ろうとしてくれているあんたが側いた。
たとえその守り方がどんなに無様で、間違った方法だったとしてもね。
それが、身もだえしたくなるくらい羨ましかった」

目の前の彼女は、数々の試練を、たった一人で乗り越えたんだ。
体を苛んだ病も、世間からの心ない誹謗中傷も、大切な仲間との別れも。
たくさんの辛い現実を、その体で一手に受け止めた。
誰にも頼る事もできず。
620 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:05
「私はね、“圭”があんたを突き放した事だけは許せる気になれない。
あんたを傷付けたのが、もう一人の自分だからこそ許せないんだと思う。
まだ19歳で精神的にも未熟だからとか、
たくさんの複雑な問題に直面して、冷静さを欠いていたからとか、
擁護できる部分もあるの。だけど、それでも許せないよ」
「保田さん…」

自分の正直な想いを打ち明ける保田さん。
その言い方は、まるで自分を責めているかのようで、
いたたまれなくなってしまう。

「気にしないで下さい。私は、圭に拒絶されてもいいんです。
圭はもう私の顔なんて見たくないだろうし、
にいる事も迷惑だと思われるかもしれない。
それでも…たとえ遠くからでも、圭を見ていたいから」

そんな私に対し、保田さんは指輪の曲線を指でなぞりながら、
ゆっくりと言葉を返す。
621 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:07
「…確かに、“圭”はみーよを拒絶した。
だけど、“圭”はあんたを嫌ってるわけじゃないよ。
ううん、“圭”がもう一人の私なら、嫌えるわけがない」

「え…?」
思ってもみなかった言葉に、私は大袈裟に何度も瞬きを繰り返してしまう。

「“圭”は初めて心から信頼できる子に、
全部を見せても受け止めてくれる子に出会えた…
それがあんただった。
だからこそ、“圭”はあんたの前で自分の負の感情を爆発させたんだと思う。
きっとみーよなら、受け止めてくれるって甘えもあったんだろうね。
…経験から言わせてもらうと、嫌いな人間相手には、
私は逆に態度に出したりしないから。
作り笑顔で適当にそつなくやり過ごす…今までそうしてきた。
きっとそこは“圭”も同じだと思うの」
622 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:08
「そう、なんですか?」
おずおずと尋ねる私に、保田さんはきっぱりとこう言い放った。

「まあ断言はできないけど。
“圭”は、ある意味昔の私よりもずっと純粋な子みたいだから。
昔の私は自分の事で精一杯で、芸能界で成功する事しか考えてなかった。
メンバーを出し抜いても、自分が輝けるならそれで良かった。
でも、“圭”はやっぱり違うんだろうね。
あの子の話を聞く分には、あんたの愛情に触れて、
生き方も、価値観も多少なりとも変わっちゃってるみたいだから。
でも…それは良い変化なんだって思ってる。
私はあんたが考えているよりも、ずっと狡い大人になっちゃったから」

昔の保田さんがどんな人だったのかは分からない。
今も全てを知っているわけじゃない。
だけどそう言って、優しく、柔らかく、その中に
どこか苦みを含ませたような微笑をする保田さんに、私は見惚れていた。

様々なものを乗り越えて来た大人の女性だからこそ、浮かべられる表情。

それがとても綺麗で、今すぐにきつく抱きしめたくなった。
だけど、私はその思いを必死に食い止めようとする。
623 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:08
「“圭”は信じてるはずだよ。
たとえどんなに突き放しても、
あんたは何度も手を差し伸べてくれるって。
今も…きっと待ってるよ。みーよが抱きしめてくれるのを」

本当に…そうなんだろうか。
だけど、保田さんの言う事なら何もかも信じられると思った。
もしも…もしも圭がまだ私を必要としてくれるなら。
もう一度伝えたい。
私にとって、どれだけ圭の存在が大きかったのかを。
624 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:09
「私の事は大丈夫。
こんな私にも、まるごと全部受け入れてくれるあの子が…
もう一人のみーよがいる。
だから、安心して向こうの世界へ行って。
“圭”を、皆を見守ってあげて」

すっと空気が揺れ、保田さんが触れ合わせるだけのキスをする。

「みーよが“私”のものにならなくてもいい…どうか幸せになって」
「…私も、全く同じ事を願っていますよ」

最後に一度だけ、指先をゆるく絡ませ、視線を交わし合う。
それだけで、もう充分だった。
625 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:10
私はもう振り返りはしなかった。

肉体が朽ちても、魂は消えない。
それが、たとえ不完全なものだとしても。
私はあの世界の人間として、
モーニング娘。の二期メンバーの三好絵梨香として生を全うする。

フェイクの存在でも、その事を引け目に感じて逃げ出したりしない。

忘れない。
一生忘れない。
命が終わっても、この魂が存在する限り。
私が目指そうとしている世界は、
業が深くて、歪んでいて、穢れた場所なのかもしれない。
だけど。それでも…
この世界での記憶も、罪も、何もかも抱いて、私は非日常の世界の住人となる。
626 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:11
視界が、いざないの桜の姿をとらえた。

桜はほぼ散りかけていて、満開の頃とはまるで景色が違っていた。
たとえ散ってしまう運命でも、私は最後まで諦めたりしない。

決意を胸に、私は新たな一歩を踏み出した。
627 名前:第38話 紡がれる記憶 投稿日:2012/07/19(木) 01:12
第38話 紡がれる記憶
628 名前:あおてん 投稿日:2012/07/19(木) 01:13
>>606「圭は奏でるピアノの音色に、温かな歌声を乗せた」→
「保田さんは奏でるピアノの音色に、温かな歌声を乗せた」に訂正です。

次回最終回です(多分)
629 名前:あおてん 投稿日:2012/07/28(土) 23:43
>>620の12行目に脱字あり
→側にいる事も迷惑だと思われるかもしれない。
に訂正
630 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:44
瞼を射す眩しい日差し…ここは2000年7月の世界だ。
私が選び取った世界。
手をかざす事も忘れて、私はしばし眼前に広がる景色に見入っていた。

濡れた瞳には、全てが煌めいて見えた。
ここが、私の還る場所。
631 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:45
あの世界に残っていれば、私は誰からも責められずに済んだ。
後ろ指さされる事もなく、温室の中で過ごしていられた。
でも、私はあえて茨の道を選んだ。

これが私の運命。
目の前につきつけられた現実から、もう逃げない。
二度と迷わない。
632 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:45
...

「あれ?」

門の前で、誰かが佇んでいるのが見えた。
帽子を目深に被っているせいで、顔は見えない。
だけど、小柄な体格から見て女性だろう。

こんな状況に遭遇するのは初めてだ。
もしかして、地元の熱狂的なファンの人だろうか。
それとも、不祥事を起こした私に制裁を加えにここまで来たのだろうか。
思わず、警戒心から身構えてしまう。

そんな時だった。
懐かしい声が、鼓膜を揺さぶった。
633 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:46
「迎えに来たよ、絵梨香」

その声を、聞き間違うはずがない。
保田さんとは違う、少し幼さの残る柔らかな声。

「け…圭!?」

一瞬、幻かと思った。
そんなわけないって…
圭がここにいるわけないって、否定しそうになる。
でもそれと同時に…あの時の保田さんの言葉が頭の中で反響する。

“確かに、“圭”はみーよを拒絶した。
だけど、“圭”はあんたを嫌ってるわけじゃないよ”

私は、圭に嫌われたわけじゃない…それが本当だとしたら。
だとすれば、圭は私に会いに来てくれたのだろうか。
634 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:48
「本物…?」

「なんて顔してんの。私幽霊や幻でもないし、そっくりさんでもないよ」

そう言って帽子を取り去った圭の髪型を目にした瞬間、
私の心臓がどくんと音を立てた。

「圭…髪…っ」

「ん?ああ、何日か前に切っちゃった」

何て事のない風に、さらりと言ってのける圭。

綺麗に伸ばしていたはずの彼女のロングヘアは、
ショートヘアへと変貌を遂げていた。
この世界の圭は、背中まで伸びた長い髪がトレードマークだった。
それがまさか、ここまで思い切った事をしてしまうなんて。

おかげで誰にも気付かれなかったよ、と笑う圭。
そんな圭に、私は言葉を返す事ができなかった。
635 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:49
「こんな早朝に押し掛けて非常識だって分かってるんだけどさ…
良かったら、どっか落ち着いて話せるとこに行かない?」

そこでようやく頭が冷える。
それもそうだ。
こんなところで立ち話をするわけにもいかない。

私は迷う事なく、圭を自宅に上がらせる事にした。
636 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:50
...

「はぁ…生き返った」

圭は冷たい麦茶を飲み干し、深く息を吐いた。

聞けば仕事は明け方に近い深夜に終わり、
圭はそれ以後着の身着のまま飛行機に飛び乗ってここまで来たらしい。
けれど、こんな早朝からインターホンを鳴らすわけにもいかず、
周辺を歩き回りながら時間を潰していたと言う。

そういうところはいかにも圭らしいと思う。
ただ、私が既に目覚めていて外を出歩いていた事は想定外だったようだ。
でもおかげで私は誰にも気付かれる事なく、圭を自分の部屋に連れ込む事ができた。
637 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:51

「ねえ、圭…もしかして一睡もしてないの?」
「ん…まあ飛行機の中でうたた寝はしたけど」

私の問いに、言葉を濁す圭。
その目は赤く充血している。

「大丈夫だよ、明日までスケジュールは空白だから。
今日は一日オフみたいなもんだし、休む時間もあるから」

彼女の言葉にホッとすると同時に、不安が胸中を渦巻く。

明日…それは私の謹慎が解け、娘。のメンバーとして復帰する日。
遂に恐れていた日を迎えてしまう。
自分が蒔いた種なのに、やっぱり怖い。
638 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:52
私にそんな資格があるのかは分からないけれど、
今はせめて前に進む勇気を分けて欲しいと思った。
圭の存在を確認したかった。

「圭…」

おそるおそる手を伸ばし、短くなった髪に指を潜り込ませる。
圭はすっと目を細め、私の手を心地良さそうに受け入れてくれている。
私が触れる事を許してくれている。
それだけで、泣きたくなる。

もう、こんな風に圭に触れる事もできないと思っていたから。
639 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:52
その時、圭が唇を開いて静かにこう言った。

「…あのね、和田さんから全部聞いたよ。
あの二つの記事の裏に、あれほど複雑な事情があっただなんて知らなかった。
絵梨香は、皆の為を思ってあの男と接触したんだね」
「…」

私は頷く事もはばかられて、思わず俯いてしまった。
まさか、和田さんが圭に話してしまうとは予想もしてなかった。
640 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:53
「てっきり、私は絵梨香が私達の関係を守る為に、
わざと男とのスキャンダルを引き起こして、
そっちに皆の意識が向くように仕向けたんだと思ったの。
絵梨香が娘。の皆に迷惑が掛かっても何とも思わない子なわけがないって
分かってた。だからこそ、絵梨香のした事を受け入れられなかった。
私を守る事を優先して、絵梨香は苦渋の選択をしたんだって思ったら、
胸が苦しくてしょうがなかった。
今考えたらホント自惚れてるよね、私を守る為だなんて。
絵梨香はそんな小さな枠にとらわれずに、
もっと大きなものを守ろうとしてたのに」

あの時…私は本当に皆の事を思って行動に移したんだろうか。
多分、違う。
641 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:54
確かに、他のメンバーがあの男の毒牙にかかるくらいなら、
自分が汚れ役を買って出た方がマシだとも思った。

だけどそれ以上に…私は怖かった。
世間の好奇の目に晒されたら、圭がよそよそしくなってしまうんじゃないかって。
私と一緒に過ごす事を拒むようになるんじゃないかって。

その事に耐えられなくて、私は知らず知らずのうちに
世間が私とあの男の関係に関心を寄せてくれる事を期待していた。
そうすれば、私と圭が接近しても誰も騒いだりしないから。

だから、圭の当初の推測は外れていない。
ただ、違っている部分があるとすれば、そう…
あれは、圭の為と言うよりも、自分の為だったのかもしれない。
結局は私が圭と離れる事に耐えられなかったんだ。
642 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:55
「圭、私は圭が思ってるみたいに出来た人間じゃない。私はっ…」

私の言葉を遮るように、圭の指が私の頬にそっと触れた。
何もかも、全て分かってると言いたげに。

「…絵梨香は、何かを守る為には…
何かを犠牲にしなくちゃいけないって、そう言ったよね。
それは真理だと思う。
でも…やっぱり、私にはそんな風に簡単に割り切れない。
絵梨香だってそうだと思うの。本当は違うって分かってたんでしょ?
仲間や周りの人達、ファンの人達をないがしろにしてまで
強引に想いを貫き通しても、痛みや虚しさしか残らないって」
「…」

返す言葉もない。
圭の言う通りだった。

私達はたった一人で生きているわけじゃない。
周りの人達の助けによって、私達は夢を追い続けていられるのだから。
そんな人達を裏切ってしまった後悔と痛みは、
きっとこれからも消える事なんてないだろう。
643 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:57
「こんな事は…いつまでも続かない。続けられない。
だから、だからね。私は…今年いっぱいで娘。を抜ける」

「…え…?」

信じられない言葉に、一瞬思考が停止した。
聞き間違いであって欲しいと祈ったほどだ。
そして少し遅れて、心臓が鋭利な何かで穿たれたような衝撃が走った。

圭の言っている事の意味が分からない。
圭はモーニング娘。でいられる事に幸福を感じていたんじゃないの?
圭にそこまでの決断をさせてしまったものは一体何?

「和田さんや裕ちゃんにも気持ちを伝えた。
随分止められたけど…でも決めたんだ。
もう引き返せないところまで来ちゃったから」

胸が苦しい。
まるで、見えない何かが心臓を握り潰そうとしているかのような。
644 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:58
「…、それ、は…私と一緒にいたくないから?」

口の中が急速に乾いていき、上手く舌も回らない。
もしもこの問いが肯定されてしまったら、私はどんな顔をすればいいんだろう。

「そうじゃないよ。本当は私だって絵梨香とずっと一緒にいたい。
これからも絵梨香と一緒に肩を並べて
同じ目標に向かって進んでいけたらどんなに幸せだろうって今も思ってる。
でも、もうそれはできないの。だってそうでしょう?
絵梨香と私は同じ仲間だけど…それだけじゃないから。
私は…私は絵梨香を愛してるから!」

穏やかだったはずのその声は、最後の最後で、
叫ぶようなものへと変わった。
645 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/28(土) 23:58
「私は絵梨香への想いを隠すなんてできない。
隠そうとすればするほど、抑えようとすればするほど、
どんどんこの気持ちは大きくなってく。
皆、あの私達の記事の件はまともに取り合ってなかったけど、
このままじゃ今度こそ本当にバレちゃう時が必ず来る。
それは時間の問題だと思うの。
いずれはメンバーにも、会社の人にも…ファンの人だってきっと…っ」
「…圭…」

否定する事なんてできなかった。
お互いを想うこの感情は、荒れ狂う川のようなものだった。
それは水かさを増して氾濫し、いつかは他の全てを
濁流の中に飲み込んでしまうだろう。
646 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:00
「それに、正直に言うと私も限界を感じてたの。
メロディアスな楽曲に、大人っぽい歌詞に、かっこいいダンス…
確かにそれは、私の望んでいたはずのものだった。
でもね…同時にこう考えるようになっちゃってた。
大人の人達の庇護の下で、簡単にCDを出させてもらって、
与えられる事を必死にこなして…
私は今のこの環境にどっぷり浸かっていていいのかなって。
甘え続けていいのかなって。
私はメンバーの皆に輝きを分けてもらって、
かろうじて存在できているようなものなの。
私が居座り続けたら、きっと迷惑になる」
「そんな事…っ」

閉じようとする喉を必死にこじ開け、私は声を荒げていた。
私にとっての圭はいつも、どんな時も輝いている。
見る人の心に入り込もうという強い意志さえ伝わってくる。
保田圭という人は、目も眩みそうなほどの輝きを持っている人だ。

なのに目の前の圭は私の言葉にも首を横に振った。
647 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:00
「今の自分じゃダメなの。
今の私じゃ、絵梨香の隣に立てない。
私は…自分に誇れる自分になりたい。
その為には、娘。という枠から外れた…
自分を客観的に見られる場所に行かないとダメなの。
娘。は私にとってかけがえのない居場所だったけど…
いつかは離れなきゃいけない。
その時期が、少し早くなっただけの話だから」

圭の言う通り、いつまでも娘。のメンバーとしていられるわけじゃない。
いつまでも娘。という肩書きを笠に着てるわけにはいかない。

「圭は、娘。を辞めて…どうするつもりなの?」

その問いに対する答えを、圭は既に用意していたようだった。
648 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:01
圭は迷いのない目で、はっきりと告げる。

「私…音楽の勉強をしたいの。
いつか世に出しても恥ずかしくない曲を生み出して、
それをたくさんの人に聴いてもらいたい。
そして叶うなら、歌い続けたい」

それは衝撃的な告白。
だけど、心のどこかで“ああ、やっぱり”と納得している私がいた。
圭は娘。の楽曲より、ピアノをメインにしたサウンドに
傾倒している事も薄々分かっていた。
649 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:03
「和田さんにこの事を相談した時に、
和田さんがある人を紹介してくれたんだ。
その人がね、私の作った曲を聴いて言ってくれたの。
『現段階でははっきり言ってプロの作曲家としてやっていくのは
難しいけど、何曲かのうちの一曲が心に引っかかった。
可能性は感じるから、卒業したらまずは自分のところで
デモ制作をしないか』って」

その人は、さほど名の知れた音楽家ではなかった。
だけど、いつか紗耶ちゃんが大事に持っていた
切り抜きに載っていた人だと知った。

その人の言葉を借りるなら、
圭は音楽人としての必然的な欲求に目覚めたんだろう。
並大抵ではない実力と勇気と努力が必要とされる道を、圭は選んだのだ。
650 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:03
私が今までの私だったらなら…
この世界がもしも元いた世界と全く同じだったなら…
私は何としてでも圭を止めていたかもしれない。

だけど、この世界はもう、私の知らない世界へと変貌を遂げてしまった。
私が知っていたはずの“未来”は、
もうこの世界では全く意味を成さないものとなってしまった。
引き止めようが引き止めまいが…
どちらが圭にとって最善の道なのか、私には推し量る事はできない。

娘。も難しい状況になってきている。
どういう選択をすべきだったか、
だなんてその時になってみないと分からない。

ならば、私は圭に後悔のない選択をして欲しいと思う。

それに、この世界を歪めてしまったのは他でもない私の責任。
そんな私に止める権利なんてどこにもない。
651 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:05
私は救世主なんかじゃない。
その事を本当の意味で、ようやく理解する事ができた。

今まで理解したつもりでいて、理解しきれていなかったんだ。

ちっぽけな私にできる事は、ただ見守る事。
成り行きに身を任せるんじゃなくて、相手を信じてしっかりと向き合う事。

たとえ、私が涙ながらに圭を引き止めたとしても、
圭の意志が変わらない事は分かっていた。
圭は今、自分の道を選び取った時の
明日香や彩さん、紗耶ちゃんと同じ瞳をしていたから。

そして、圭の中に密かに息づく才能にも気付いていた。
652 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:06
有り余る才能があっても、誰にも発掘される事なく
埋もれたままで終わってしまう人だって大勢いる。

だけど圭には、幸運にもその才能を認めてくれる人がいた。
それはとても恵まれている事で、心底喜ぶべき事なんだ。

本当は籠の中の鳥でいて欲しかった。
だけどそんな幼稚な独占欲で、
個人の勝手なわがままで圭を縛るだなんてできない。
羽根をもいでまで、圭を側に繋ぎ止めておけるわけがない。

遠かった圭の背中…それが更に手の届かない場所まで遠ざかってしまう。
何かが私達の間で変わろうとしている。

本当は嫌だって、圭と離れたくないって叫びたい。
でも、言葉は喉にはりついて声にならない。
653 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:06
「…随分、静かだね」

圭は苦笑いしながら、私の前髪をそっと払う。

「そりゃこんな事いきなり話しても反応に困るよね…ごめんね。
本当にごめん。全部勝手に一人で決めちゃって。
でも…私、本気なんだ」

前髪で隠れていた顔が露わになり、
圭の真っ直ぐな視線が直接突き刺さる。
それでも、目をそらす事はできない。

その視線を浴びたかった。
真摯な想いを受け止めたかった。
654 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:07
しばし無言でお互いを見つめあっていた後…
ふと、意を決したかのように、圭が再び唇を開いた。

「絵梨香…前に私、絵梨香に曲を作るって約束したよね。
その約束の半分を、今ここで果たしてもいいかな?」

そうだ。
私はこの世界で圭とそんな約束をしていた。

まだ、覚えててくれたんだ。

その事実だけで胸がいっぱいで、
私は返事をする事も忘れていたけれど…
私の表情を見た圭はそれを肯定と受け止めてくれたようだ。
655 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:07
圭はすっと空気を吸い、酸素を肺に取り込む。

そして、直後に彼女の唇から美しい歌声が零れた。
まるで、完成された楽器のような歌声が。
656 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:08
歌詞もない、伴奏もない。

ただ、ひとつひとつメロディーを追いう圭の歌声が、私を痺れさせる。

まるで子守唄のように優しい響き。
同時に肌になじむような温かさを感じる。
657 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:08
そのメロディーに聴き覚えはあった。

そう…保田さんが最後に歌ってくれたあの歌…
あの歌と、同じ音の連なり。
まるで保田さんが圭に乗り移っているのではないかと
錯覚しそうなほど、この時の圭の姿は、保田さんと重なって見えた。

だけど今こうして魂のこもった歌を聴かせてくれているのは、
他でもない圭。

奇跡というものがあるのなら、私は今確かに奇跡を感じていた。
658 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:09
まるで時が止まったようだった。

この空間だけ、世界から切り離されたようだった。

それでも、胸を占める想いはとどまる事を知らず、
水のように流れを変え、形を変えていく。
圭への想いが溢れて止まらない。
たとえ嫌われたとしても、どれだけ離れてしまっても、
この想いはひと欠片も損なわれたりしない。

それは、きっと圭も同じなんだと…何故だか、そう思えてならなかった。
659 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:10
...

歌が止まっても、私は金縛りに遭ったように動く事ができなかった。
そしてそんな呪縛を優しく解いたのは、やはり圭だった。

「絵梨香。こっちに来て」

圭の声にはまるで魔力が宿ってるみたいだ。
抗えない。
いや、抗いたくもない。
私はゆっくりと、圭の元へと近付いていく。
お互いの吐息が感じられる距離まで。
660 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:10
「抱きしめさせて」

その言葉と共に、私は圭の腕に引き寄せられる。

圭の腕の中は、柔らかくて温かくて、ほっとする。
世界が時を刻むのと同じように、圭の鼓動が命を刻む。
そして私の心臓も圭と同じリズムを響かせている。
世界も、圭も、私も、全てにおいて生命の存在を感じる。
果てのない想いが伝わる。
661 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:11
「…圭の歌…圭のあったかい想いが伝わって来た。
私は今まで、圭に嫌われたんだと思ってたのに」

「そんなわけないじゃない…
そりゃ、絵梨香を好きにならなきゃ
こんな風に悩む事もなかったのにって思った時もあったよ。
絵梨香に出会わなかったら、本当の恋なんて知らなかったら、
私はひたすら夢を追う無邪気な女の子でいられた。
絵梨香に恋して…狡くて、汚ない自分も知っちゃったけど…
でも、私はこんな自分を受け入れて、前に進みたいって思える。
絵梨香を愛しているから、絵梨香を好きな自分を信じて成長していきたいの」

私は狡い大人になっちゃったから、と
寂しそうに笑った保田さんの姿が脳裏に浮かび上がる。

どうして、彼女達は自分を狡いと言うんだろう。
私にとって彼女達の想いは、息を忘れるくらいに綺麗で、
その心に触れたいと願うほどなのに。
662 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:11
「ただね…確かに、後悔してる事がある」

一歩、圭が距離を詰める。
「それはね、あの時絵梨香の手を払いのけてしまった事」

立て続けに、流れるように言葉を続ける。
「ずっと後悔してた。
なんであの時絵梨香の手を離しちゃったんだろうって。
私よりも絵梨香の方がつらかったはずなのにって。
今でもこんな自分が許せない」

「?圭が謝る必要なんてどこにもないよ?
酷い事をしたのは私だから」

だけどそんな私の言葉も、圭には通じなかった。
663 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:14
「ダメ。そんな風に許そうとしないで。
私は、絵梨香を傷付けた事には変わりないんだ。
絵梨香の全部を受け入れるって誓ったのに、
私は自分からそれを破っちゃったの。
だから、今度こそ絵梨香の全部を受け入れたいの。
お願い…今から私の気持ちがウソじゃないって証明させて?」

そう言って、圭は自分の服のボタンに指を掛けた。
私はわけも分からず、ただそれを呆然と見守るしかなかった。
チョウチョが羽化するように、
圭の身に着けていた服が床に落ち、美しい体が現れる。

今更ながらの関係でも、頬が熱くなる。
言葉を発する事もできず、動く事もできなかった。
664 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:14
圭がゆっくりと膝の上にまたがって来たかと思うと、
私の右手を掴む。

「圭…?」

自分の指先が視界に入り、はたと気づく。

私の爪は伸び切っていて、どこか凶悪ささえ滲ませていた。
そういえば色々とゴタゴタがあってからは
楽器に触れる事もしなかったし、
爪の手入れをする事さえ忘れていた。

その長い爪先が、圭の入り口にあてがわれる。
665 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:15
まさか。
そう思った時には、私の指は根元まで圭の中に埋まっていた。
圭が自分から一気にねじ込んだと言ってもいい。

「んっんぅうっ」
「圭!?」
666 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:15
圭の中は熱く柔らかい。
けれど、まだ湿り気を帯びてはなかった。
異物の侵入を拒み、内壁は精一杯の抵抗を見せている。
強い力で私を外へと押し出そうとしているのが分かる。
これ以上奥へは入らないと言うように。

にもかかわらず、圭は体重をかけて更に腰を落としていく。
圭の内側に爪が引っかかる感触に、背筋が冷たくなる。

「圭っ待ってすぐ抜くから…!」
「うっ、んんっ」

そんな私に、圭は必死に首を横に振る。
それでも圭も違和感を感じているのか、眉間にしわを寄せ、
呻くような声を漏らしている。
667 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:16
「やだぁっ!手離して!圭っ離してったら!」

手を引っ込めようとしても、掴んだ圭の腕はびくともしない。
その細い腕の一体どこにそんな力があるのかと疑いたくなる。

万力の力で圭は私の右手首を掴み、より深くへと誘う。
長い爪先が圭を抉る。

内部の様子が見えなくても分かる。
繊細な粘膜には傷が付いているはずだ。
668 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:17
「離さないよ…これは、絵梨香への気持ちの証だから。
今度は絶対に絵梨香の手を離さない。
口だけじゃないって事、証明したいの。
ちゃんと態度で示したいの。
私には…絵梨香だけだから。
こんな風に全部を許したいって思えるのは、絵梨香だけなの」

圭があいた方の手で、私の左手を絡め取る。
溺れるように、すがりつく手。
いや、すがりついているのは私の方だった。

苦痛でしかないはずなのに、圭はうっすらと目を開けると、
幸せそうに私に微笑みかけた。
私の引っ掻いた傷も喜びとして受け入れてくれる。
669 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:17
「愛してる…」
「け、ぃ…圭…っっ」

体が痛みを訴えても、圭の心は幸福に満ち溢れている。
それが分かっているからこそ、止められなかった。

私は圭の想いの一欠片も零さないように、全てを受け入れ続けた。

手の戒めが解けた頃には、私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
670 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:18
...

慎重に指を引き抜くと、指先は赤く染まっていた。
涙の膜に覆われた瞳にも鮮やかに映る赤。

「…う」

思わず顔を背けそうになってしまう。

だけどそんな私とは対照的に、圭は自分の血を見ても
顔色を変える事もなかった。

「やっぱり、血出ちゃったか」

淡々とそう言って、圭は私の指を口元に寄せ、舌で赤を掬い取る。
671 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:19
「ごめんね、私のわがままに付き合わせちゃって。気持ち悪かったよね」

圭は私を泣かせてしまった事、
血で汚してしまった事を気にしているようだった。
私はそんな圭に必死で首を横に振って見せる。

「気持ち悪くなんかないよっ圭は綺麗だよ…でも、バカだっ…」

「うん…バカだよ。絵梨香をこんな風に泣かせて…
自分でもどうかしてるって思ってるのに、今嬉しいんだ。
私はこの痛みを、感覚を忘れずにいられると思うから。
まだ、絵梨香が私の中にいるみたいで、心があったかいの」

どうして圭はここまで真正面から全てを私にぶつけてくれるんだろう。
これほどまでに私を愛してくれる人には、きっともう出会えない。
そして私も、圭以上に誰かを愛する事なんてできない。
672 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:20
「信じてくれる?私の絵梨香への気持ち」

私はもうしゃくりあげながら頷く事しかできない。

そんな時、圭の強い意志を含んだ声が響いた。

「約束して。私が娘。を卒業しても、絵梨香だけは、最後まで残るって。
勝手な事ばかり言ってるって分かってる…でも、言わせて。
モーニング娘。の絵梨香は、本当に輝いてるの。
そう思ってるのは私だけじゃない。
皆絵梨香の放つ輝きに魅かれて、憧れてる。だから、だから…っ」

圭が抜けたら、私も後を追う事を危惧しているのだろう。
そんな事はしない。
私は圭を愛している。

でもそれだけじゃなくて、娘。にも強く執着しているんだ。
遠い夢だと思っていたものを、一度手にしてしまったから。
もう私はきっと、自らそれを手放す事なんてできない。
673 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:21
「約束…するよ」

涙混じりで上手く声にならない。
それでも、懸命に喉から言葉を絞り出しながら私が頷くと、
圭は安心したように私の頭を撫でてくれる。

そして耳元でもう一度だけ、「約束ね」と念を押すように囁いた。

「絵梨香が同じ業界で活動する人間であろうと、そうでなかろうと、
これだけは言える。私は三好絵梨香を愛してる。
今までも、そしてこれからも。ずっと、ずっとね」

圭の優しくも激しい愛に包まれながら、
私はただ、圭をきつく抱きしめた。
674 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:22
...

圭と東京に戻る準備をしている時、
部屋に小さなメモが残されていた事に気付いた。

それは、もう一人の絵梨香からのメッセージだった。

ただ、それは今までで一番短く、簡潔で…
しかし重みのある言葉だった。


私も、圭さんも、絵梨香が大好きだから。
私達だけじゃない、この世界のたくさんの人が絵梨香を愛しているから。
必要としているから。
だから、生きてと。
誰にも必要とされていない人間なんて、この世にはいないからと。
675 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:22
絵梨香は私を恨んでなんかいなかった。
都合の悪い時だけ利用して、保田さんを求めてしまった
私なんかを、変わらずに大きな愛で包んでくれていた。

私がもしも絵梨香の立場だったら、
絶対にこんな言葉をかける事なんてできない。

私はきっと、一生絵梨香には頭が上がらない。

たとえ絵梨香が見ていようがいまいが、
私はもう二度と絵梨香に恥じない自分でいたいと…強く思った。
676 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:23
...

覚悟をしていても、皆と顔を合わせるのはやっぱり怖かった。
ただ、たとえ疎まれても、謗られても、全てを受け入れようと思った。
謝ってどうにかなるものではないという事は分かっていたから。

「おかえり」

てっきり、私が真っ先に浴びるのは皆の冷たい視線なのかと思っていた。
だから、その言葉に私は耳を疑った。
677 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:25
「あんたのしでかした事、正直簡単に許す気にはなれへん。
でも、絵梨香はウチらの仲間や。
それだけは絶対に変わらへんのや」

「絵梨香がモーニング娘。を好きな事私達は知ってるもん。
時間がかかっても、皆にそれを伝えていけばきっといつか分かってくれるよ」

私はまだ夢を見ているんじゃないかと錯覚しそうになる。
責められて当然の事をしたのに、
どうしてこんな言葉を掛けてもらっているんだろう。

「…まだ私なんかが娘。を名乗っていいんですか?
石川の教育係をやってもいいの?」
「三好さんにいなくなられちゃ困ります。
まだまだ教えてもらわなきゃいけない事いっぱいあるんですから!」

意外にも、真っ先に私の問いに答えを返してくれたのは梨華ちゃんだった。
678 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:25
「石川…」

どんな罵詈雑言も受け入れようと思っていたのに。
なのに私に届いた言葉は、私の存在全てを優しく包んでしまう。

誰一人として私を責めなかった。
こんな風に私を甘やかして、どういうつもりなんだろう。

もう耐え切れなかった。
皆の想いが私の中に流れ込んできて、それが涙となって溢れ出す。

私は膝をつき、すすり泣いた。
最近泣いてばかりだ。
679 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:26
温かい涙。
こんな涙をこの世界でまた流せるようになるとは思わなかった。

「うっ…うぐ、ぅう」

私はいつしか嗚咽を堪える事もしなくなっていた。

それはまさしく産声だった。

私はもう昔の私じゃない。
ただの分け御霊じゃない。

きっと生まれ変われる。
一人の人間として。
本当のモーニング娘。のメンバーとして。
680 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:27
皆は私の様子に戸惑っていたようだった。

その中で、梨華ちゃんは一歩前へ踏み込み、
私の頭をぎゅっと抱いてくれた。

「三好さんって、可愛いですね」

元の世界にいた頃は、こんな風に梨華ちゃんに甘えた事なんてなかったのに。
だけど、今だけはその好意に甘えていたかった。
681 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:27
その日、皆は私の復帰祝いと称し
ささやかなパーティーを開いてくれた。
パーティーと言えば大げさかもしれない。

コンビニでお菓子とジュースを用意して、ただ皆で乾杯しただけだった。

それだけでも、私はどれほど救われただろう。

友達でも家族でもない不思議な絆。
こんな私を仲間だと思ってくれている事が何より幸せだった。
682 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:28
ただ、直接会う事ができなかった明日香達からは、
代わりに電話でお叱りを受けた。

“どうして何も話してくれなかったんだ”とか、
“バカにもほどがある”とか。

でも、そんな言葉の端々にも、私に対する愛情を感じられた。

きっと自惚れなんかじゃないと思いたい。
683 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:28
皆、決して私を見捨てる事はしなかった。

謹慎期間中は、会社から私との接触禁止令が敷かれていたようだった。
にもかかわらず、私の部屋にはメンバーからのFAXが山ほど届いていた。

そのほとんどが、私を励ます内容のもの。
中には、よく分からないポエムや、何て事のない日常を
報告しただけのものもあった。
それでも、全てが尊くて愛しかった。

北海道に帰っていた時には届かなかった言葉。
だけど、確かに今その全ては私の心の糧となっている。

私は、私達の絆がこの先どんな事があってもほどけない事を祈った。
いずれ卒業し、会う機会もなくなっていったとしても。
たとえどれだけ離れても。
684 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:29
...

和田さんは、結局あの男の与する会社に異動する事となった。

その理由をメンバーの誰が尋ねても、
和田さんは決して口を割らなかった。

“大人の世界では色々と複雑な事情があるんだ”の一点張りだった。

けれど、なんとなく察しはついていた。
685 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:30
あの男は言っていた。

“私達の事務所が屈服しない限り、妨害は続く”と。

多分、その事と関係があるんだろう。
時には、抗う事を諦める事だって必要なのだと私は知った。
余計な混乱を避ける為には、無抵抗でいる事が最善策となる時だってある。
向こう側に忠誠を示す為には、“貢ぎ者”が必要だった。
そして結果的に和田さんが人質として引き抜かれたのだ。

きっと和田さんは身を挺して皆を助けてくれようとした。

「俺はもう直接お前達を守る事はできないけど、
しっかりと前を見据えて歩いて行くんだぞ」

引き継ぎを終えた後、和田さんは私にそう言って去って行った。
686 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:31
もう、私は目先の事にとらわれたりしない。
率先して私が運命を切り開こうというおこがましい事は考えない。

私にどれほどの時間が残されているのかは分からない。
だけど、これからは…
少しでも長く皆と共にあれるよう、物事の本質を見極めて生きていくつもりだった。
687 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:32
...

私はたった一人、波が打ち寄せる波止場にいた。
周囲に人気は全くない。
こんな中途半端な時間帯に
海辺をうろついている変わり者はそうそういないだろう。
688 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:32
私は持っていた手鏡の感触をそっと確かめる。

この世界でも同様に、いざないの桜の木の下には手鏡が埋まっていた。

幼かった頃の私が埋めた手鏡。
それは今、この手の中にある。

ここから全てが始まった。
多くの奇跡と、幸福と、悲劇を呼んだ。

これを手の届くところに置いていてはいけない。
もう誰の目にも触れさせてはいけない。
689 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:33
今一度、私は鏡を掲げてみる。

見納めだとでも言うように、鏡は最後に
一度反射して煌めきを見せた。

私は持って来ていた分厚い布で、その手鏡を何重にもくるむ。

そして、私はそれを海に向かって放り投げた。

小さな水飛沫を上げると同時に、たやすく深い群青に呑まれ、
その姿が見えなくなる。

沈んでいく。
決して誰にも届かない遙か遠い場所へ。
690 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:33
「…ふぅ」

しばらくして、私はやっと息をする事ができた。

この世界はまだ、変わる事なくちゃんと存在している。
私の推測は間違っていなかったようだ。

何故私はこんな事をしたのかというと…
昔、祖母に聞かされた話を思い出したのだ。
691 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:34
水面は水鏡。
水鏡は全てを映す鏡。
天も、地も、この世のあらゆるものを映し出すと。
そして、海には古来から海神が宿っていると。

元々、この手鏡自体は神器でも何でもなかった。
ただ、いざないの桜が不思議な力を分け与えただけの
不完全なものだった。

だから、私はこの手鏡を、あるべき場所に還す事にしたんだ。

この鏡は、海の藻屑となって消滅するわけじゃない。
ただひとつに戻るだけ。
大きな水鏡の一部となるだけ。
よって、この世界は今の形を保っていられるはずだ。
692 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:35
ただ、転移の事となると話は別。

元の世界では、いざないの桜の木の下には
まだ変わらず鏡が埋まってあるんだろう。

あの時私が一度掘り返して、結局はまた地中に戻してしまった鏡。
そしてこの世界でも、同じ場所に同じ鏡が埋まっていた。

同じ場所に、同じ鏡…それが重要なポイントだった。
二本のいざないの桜の木と、地中に埋まった二つの鏡、二つの魂…
その条件があって、私は二つの世界を行き来できた。

だけど、私は今こうして鏡の一つを持ち出し、海に沈めてしまった。
いざないの桜の木からこれほど遠くまで引き離してしまえば、
今後二度と転移できないだろう。
神域と呼ばれたあの場所だからこそ、起こせた奇跡だった。
693 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:35
もう後戻りはできない。

けれど私の心は穏やかだった。
これで、連鎖を断ち切る事ができる。
運命の輪から外れる事ができる。
694 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:36
きっともう元の世界とこの世界が直接干渉する事はない。

絵梨香がこの世界の夢を見る事もなくなる。
だけど、それでいい。
私が最後の神隠し…それでいいんだ。

運命を変え続けた私に残された時間はどのくらいあるのかは、
もう誰にも分からない。
でも私は恐れない。

たとえ鏡映しの世界でも…
いい加減な気持ちで過ごせるほど、この世界は軽いものじゃない。
ううん、きっと、どこの世界だってそれは同じなんだ。
695 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:36
「私…覚悟、決めたよ」

保田さんと、もう一人の絵梨香…
そして、まだこの世界では出会っていない親友たち、
あらゆる人に向けて語りかける。

きっと二度と届かないであろう言葉は波音に混じる。

これからはもう、この世界は元の世界の真似事をする必要もない。
私達皆で一つ一つ築き上げていくんだ。
696 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:37
これまでの私は覚悟なんてものとは程遠かった。

先を憂い、自分の無力さに絶望し、罪を背負う事に怯えてた。
圭や皆を守りたいと願う気持ちを免罪符にして、
自分の行いを正当化しようとしていた。

年を重ね、肉体が成長し、業界での渡り方を覚えても、
私の中身は成長できていなかった。

易しい道なんてどこにもない。
そんな事すら分からなかった。
697 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:38
初めてこの世界に転移してから、
今この瞬間までの記憶を引きずり出す。

まるでお伽草紙のような体験。
だけど、めでたしめでたしでは終わらないかもしれない。

たくさんの人を傷付けた私が、人並み以上の幸せを望むのは間違ってる。
でも、せめて周りの皆が幸せになるのを願う事だけは
許して欲しいと思う。

もしも、神様というものが存在するのなら。
どうか、全てを見守っていて下さい。
いざないの桜の地の民だけじゃなく、もっと広い、世界中の人々の事を。

まるで私の願いに応えるかのように、
海辺の彼方から柔らかな潮風が吹き込んで来るのを感じた。
698 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:39
・・・・・・
In Another World
699 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:40
「あれ、圭さん。これ円山公園の写真ですよね」

みーよの問い掛けに、私は作業する手を止めた。
今まで撮りためてきた写真が膨大な数になったから、
新たにスクラップブックを作る事にしたのだ。

たくさんの写真に囲まれ、当時の思い出話に
花を咲かせながら、作業をする私達。

そして今、みーよの関心を引いたのは、一枚の写真。
それはまだ、記憶に新しいもの。
700 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:40
「これは…ラベンダー、じゃなくて…ムスカリですね」

確かに、紫と青の濃淡が美しいその可憐な花は、
ラベンダーに見えなくもない。

みーよが見間違えそうになるのも無理はないと思う。

この公園で私とみーよは頻繁にデートするようになっていた。
そして、ラベンダーを背景にこの子の写真を撮った事だってあったから。

でも、この子が手にした写真に写っている人物は…
この子であって、この子じゃない。

そう…私を“保田さん”と呼び、
不器用な愛を伝えてくれたあの子。
701 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:41
胸の中に生じた違和感を隠しもせず、
考え込むような仕草を見せるみーよ。

「こんな写真撮りましたっけ?」
「…」

私はあえて彼女に答えを提示する事はしなかった。
ただ、一言も発さずに静かに微笑するだけ。

そこから何かを察したのか、一瞬だけみーよの瞳が揺れた。
どうやら、この写真がもう一人の“みーよ”を
撮った物だという結論に辿り着いたみたい。

あの子との最後のデートの様子は、夢を通じて彼女も知っているから。
702 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:42
「…元気にしてるんですかね」

そう言って、みーよはすっとまつ毛を伏せる。

みーよは、近頃はもうあの世界の夢を見る事もなくなったと言う。
何が起こったのかは、もう今となっては知りようがないけれど…
おそらく、あの子…もう一人の“みーよ”が
何らかの細工をしたのだ。

あの子は、私達を巻き込んだ事を気に病んでいたから。

もうあの子の事で必要以上に神経をすり減らす必要もない。
だけど胸に大きな空洞がぽっかり空いたような喪失感はまだ拭えない。

それは目の前のみーよも同じ。
みーよも、ふとした時に、どこか遠くを見つめている事が増えた。
あの子達の事を思っているのだと、聞かなくてもわかった。
みーよは未だに毎朝いざないの桜の元へ向かう事をやめられないらしい。
703 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:43
二人の間に漂うしんみりとした空気。
そんな空気をかき消すように、みーよが話題を変える。

「それにしても、ムスカリ綺麗ですね。
…知ってます?ムスカリの花言葉には、
通じ合う心や、明るい未来って意味もあるんですって。
素敵ですよね」

みーよの言葉を耳にした直後。
何かが私の頬を伝った。

みーよの瞳が、はっとしたように見開かれる。
704 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:44
「…圭さん…」

悲しいわけじゃない。

そう決して。

私にはこの子がいる。
私が愛し、そして同じように私を愛してくれているこの子がいる。
705 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:44
近いようで遠い遠い世界。
どれだけ叫んでも、この声は届かない。
きっともう二度と会う事もない。

だけど、私は忘れないから。
ううん、私だけじゃない。
私も、みーよもあの不思議な日々を忘れる事なんてできない。

そんな私達にできる事は、ただ彼女達の幸せを祈る事。
そして、もう一つの世界と、彼女達が実在したという事実を、
ずっと忘れないでいる事。
706 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:45
「あの世界の皆は、幸せにしてるのかな」
「きっと…幸せですよ。私達のように」

涙の膜の向こう側で、みーよが切なく微笑む。
その温かい手で、私の涙をそっと拭ってくれる。

そして、泣いている私を隠すように、
長い腕ですっぽりと包み込んでくれる。
707 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:46
「みーよぉ」
「悲しむ必要はないですよ。
あの子はもう、答えを見つけたんですから」

「違う…悲しいわけじゃないの。
…ホント、なんでだろ。
なんか、胸の奥が熱くなって、急に涙が…」

的を得ない私の言葉にも、みーよはちゃんと耳を傾けてくれる。
そして、より強く、しっかりと私を抱きしめてくれる。

「圭さんの涙が止まるまで、こうして私が抱きしめますから。
側にいますから」
「泣いてる時だけじゃなくて、笑ってる時も側にいて。抱きしめて」
「ふふっちゃんと一緒にいますよ。
圭さんが望んでくれる限り、ずっと」
708 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:46
心の中で、もう一人のみーよに問いかける。

今、どんな気持ちで過ごしているの?
あんたは今幸せ?

たとえつらい思いをしていても、あんたは一人じゃない。

この言葉はもう届かないって分かってる。
だから、祈るから。
あんたが少しでも幸せでいられるように。
どんな時も。
どれほど離れていても。
ずっと、ずっと。

だから…どうか、どうか幸せに。

709 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:49
・・・・・・
New World
710 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:50
数年後…

この世界は、想像以上にめまぐるしい成長を遂げていた。

もはや、モーニング娘。はこれまでとは全く別次元の存在となっていた。

ひとつのジャンルにとらわれず、常に進化と変化を繰り返すグループ…
そのコンセプトが世間に完全に浸透したと同時に、
かつてのデビュー当時のモーニング娘。像は音を立てて崩壊してしまった。
711 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:50
常に優秀な人材が求められ、頻繁に追加オーディションが
繰り返され、世間や会社の人達の望み通り、
期待の星が続々と私達の元に集まった。

だけど、それによって従来のメンバーは
尋常ではないプレッシャーに晒された。

歌でも、パフォーマンスでも、あらゆる面において完璧を求められる。
立ち止まる事は許されなかった。
712 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:51
才能の塊のような逸材と肩を並べ、
息急き切って坂道を駆け上がり続けるような日々。

そこには、簡単には語り尽くせない苦悩や挫折があった。

自分の能力に限界を感じ、自ら卒業を希望するメンバーも少なくなかった。
それは私自身も例外ではなく。
つらいという言葉では片づけられないほどの
試練に見舞われる事だって幾度もあった。

だけど、その度にいつも圭の事を、
そして自分のせいで傷付けてしまった人達の事を思い出し
自分を奮い立たせた。
こんなところで逃げ出すわけにはいかないと。

そして、もしかしたらまだあの世界の保田さんや絵梨香が
見守ってくれているかもしれないという思いが、
私に生きる活力を与えてくれた。
713 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:51
想像を絶するほどの紆余曲折を経て、私は今、ここにいる。

大きな会場がたくさんの人で埋め尽くされている。

今日は、私の単独イベントが開催される日。
正確に言えばリーダー就任式といったところだろうか。

そう。
この日…私はモーニング娘。のリーダーとなる。
714 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:52
何故私なのか。
未だにそんな疑問がくすぶる時がある。

だけど後になって、裕ちゃんが会社の人に
私をリーダーにする事を推奨していた事を知った。

“頼んだで。今の絵梨香になら、ウチは安心して娘。を預けられる。
娘。ってとんでもなく重いもんやけど、
絵梨香なら潰される事はないって信じとる”

そう言って、裕ちゃんは清々しい笑顔を見せて私に後を任せてくれた。
そんな言葉をもらってしまっては、私はその大役を担うほかはない。

信頼されているという事が、
どれだけ恵まれているという事かを知っていたから。
715 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:53
失った信用を取り戻す…
この数年間、それがどれほど困難なものなのかを身をもって学んだ。

未だに私の事を快く思っていない人がいる事も分かってる。
どれだけ償っても、過去のあやまちをなかった事にはできない。
それは重々承知している。
だから、そこから目を背けず、
一生全てを抱えて生きていくんだ。
716 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:53
娘。としての活動は多忙を極め、
プライベートの時間を満喫できる余裕はなかった。

よって、卒業してしまった仲間とは会う機会も減ってしまった。
寂しくないと言えばウソになる。
けれど彼女達が第一線で活躍している事を、
メディアを通じて間接的に知るだけでも、私は強く励まされた。
717 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:54
裕ちゃんは元の世界と同じように、
歌やドラマ、バラエティとマルチな才能を発揮している。

明日香はヨリコという友人とインディーズバンドを結成し、
自分達の望む音を追いかけ続けている。

彩さんは大手のアパレルデザイナーとして活躍している。
今、私の身を包んでいるこの衣装も、彩さんがプロデュースしたものだ。

紗耶ちゃんは日米合作映画にてその演技力を評価され、
今や女優市井紗耶香としてその名を轟かせている。

そして、圭は…

718 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:55
「今日は、私の大切な人が来てくれました」

私の言葉を合図にして、ステージ上に彼女がゆっくりと姿を現す。
その姿に、会場のファンが色めき立った。

「圭ちゃん来てんじゃん!」
「ウソっ!」

もう彼女の事をモーニング娘。の保田圭として認識する人はいない。
娘。の肩書きがなくても、圭の名前は個人で世間に浸透していた。
719 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:55
圭は、宣言通りシンガーソングライターとなった。

最初こそデモ制作の為にスタジオに籠りきりで、
楽曲を発表する事はなかった。

しかし扁桃腺の手術を終えた後、
圭はセルフプロデュースという形でソロデビューした。

長く音楽チャートの上位に食い込むほどの
大ヒット曲を生み出してるわけじゃない。
それでも、繊細なメロディーと温かな歌声は、多くの人を魅了した。

その能力が認められ、現在圭はセルフプロデュースのみならず、
様々なアーティストに楽曲提供を行ったりもしている。
720 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:56
ただ、圭の詞には時々ドキッとさせられる事があった。
忘れた頃に、私とのエピソードを歌詞に取り入れるのだ。

上手くぼかしてはあるけれど、察しのいい一部の人は
きっと女性から女性へのラブソングだという事に気付いているだろう。

“娘。にいた頃は、こんな自己表現もできなかったから、
つい開放的になっちゃった”と
電話越しに楽しそうに笑っていた圭の声が、昨日のように思い出せる。
721 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:57
「まずは…絵梨香。リーダー就任おめでとう」

堂々と視線を交わしながら、圭は私に色とりどりの花束を渡してくれる。

「ありがとう」

圭とこれほどまで接近するのは久し振りだ。
私は無意識のうちに、胸一杯に彼女の香りを吸い込んでいた。
懐かしくて優しい香り。
722 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:58
ふと、彼女の胸に光っているシルバーの輝きを見つけ、
私の心は更に揺れ動いた。

同じ二つのシルバーの指輪を、
華奢な一本の鎖で繋いだネックレス。

その二つの指輪は、かつて圭と私がお揃いではめていた物。

私は圭の卒業コンサートの日、それを彼女に託した。
いつかまた、堂々と二人ではめる事ができるようにという願いを込めて。
その想いごと、圭は今も変わらずに預かってくれている。

「私は絵梨香を誇りに思うよ。
絵梨香は私の思った通りの…ううん、それ以上の…」

最後まで言い終える前に、圭は涙に声を詰まらせてしまった。
相変わらず、圭は泣き虫だ。
抱きしめたくなるのを堪え、私は圭の髪をそっと撫でた。
723 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:58
圭はどうにか口の両端を上げると、
涙を拭いながら皆に向き直った。
そして、マイク越しによく通る声を会場の皆に届ける。

「実は、今日この日の為に、
私達が長い間温めて来た曲があるんです」

熱気をはらんだ会場が更にヒートアップする。

「絵梨香の事を大切に想ってくれている皆さんに
是非聴いていただけたらなと思ってずっとこの時を待ってました。
これから皆さんの前でそれを初披露したいと思います」

そう言って、圭は隅に立てかけてあった私のギターを取り、
この手に持たせようとする。
724 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 00:59
「え…えっ?」

何の事?
そんな話は聞いてない。
今日私と圭が歌うのは娘。の曲だったはずじゃ…。

確かに打ち合わせではそう聞いていたのに。

狼狽する私を見ても、圭は柔らかい笑顔を崩さない。

「大丈夫。絵梨香は…覚えてるはず」

そう言って、体をくるりと回転させてから、
圭は後ろに備え付けられたキーボードの元へと向かっていった。

海が割れたように、サポートメンバーの人達は
ステージの両脇にはけていく。
725 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:00
「それでは聴いて下さい、『君への歌〜Always Love〜』」

圭が鍵盤に指を乗せ、タイトルを告げると、
会場がシンと静まり返る。

その瞬間、全てが繋がった。

この曲を、圭がこれまで決して世間に発表しなかった理由。
それは、今日この日の為だったんだ。
726 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:01
圭が卒業して少し経った頃、圭から
この曲が入ったMDと歌詞が送られて来た。
あの衝撃を、私はきっと一生忘れられないと思う。

歌詞も、メロディーも、
あの時保田さんが聴かせてくれたものと全てが一致していた。

圭は元の世界とは一切干渉していない。
全ては、圭の内から溢れ出たものだったんだろう。
だけど、もしかしたら、保田さんの想いの片鱗が
遠い時空を超えて圭の想いとシンクロしたのかもしれない。

“この曲が、きっと辛い時にみーよを守ってくれると思うから”
私は何度もこの曲に救われてきた。
だけど今ほど、保田さんの言葉の意味を強く噛み締めた事はなかった。
727 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:01
圭からのプレゼントを受け取った直後、
私もその曲をギターで弾き語りし、
録音したものをこっそりと圭に送った。

思うように会えない間、そんなやりとりを何度か続けた。
密かに、間接的に私と圭はセッションを楽しんだ。

二人だけの秘密の曲。
だけど、それは今この瞬間生まれ変わる。
美しい旋律は、歌となって多くの人の耳に届き、
きっと誰かの心の糧となる。

私達の歌は、世界中で溢れ返っている愛の歌を前にすれば、
紛れてかき消えてしまうのかもしれない。
それでも、この歌に託した想いは決して消える事はない。

今はただ、伝えたかった。
とどまる事を知らない愛しい人への想いを。
届けたかった。
私達を見守ってくれる皆へと。
728 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:02
私は愛用のギターを手に取る。
そう、彩さんから譲り受けたものだ。

思えば、私が音を奏でる喜びを知ったきっかけは圭だけじゃない。
彩さん、そして明日香の存在も大きかった。

明日香、私…ちゃんと音楽続けてるよ。
本当に奏でたいと思う音を、ちゃんと見つけた。

この会場のどこかにいてくれるであろう明日香に、
心の中で呼びかける。
明日香は、今日のイベントに来ると言っていたから。
729 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:19
数年ぶりの圭とのセッション。
でも、不安はない。
この指が、耳が、心が、魂が覚えてるから。
そして、私達二人のコンサートが始まった。
730 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:20

私の歌声と圭の歌声が交差し、幾重にも絡み合う。

どうやら、圭は下のパートを歌っているようだ。

圭の声は耳に心地良く、それに誘発されるように私の声もいくらでも伸びていく。
打ち合わせも一切抜きのこの状況でも、二人の息はぴったりと合っていた。
寸分の狂いもない。
それは、隣にいてくれるのが圭だからだ。
誰よりも信頼し、心を許し、深く愛している圭だからこそ、
私はしっかりと地に足をつけて立っていられる。
731 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:21
こうして圭の隣に立てるまで、どのくらいの高みが必要だったのだろう。
ううん、まだきっと本当の頂点を極めたわけじゃない。

5分程度の恋愛。
今の私達に許されているのは1曲分の時間。

だけど、確かに今私達はひとつの存在と化し、
他の誰にも引き離す事なんてできないほどに深く繋がっていた。

言葉はなくても、愛していると言ってくれているのが分かる。
そして私も、誰より圭を愛してる。
きっとこの想いは、今圭にも伝わっていると思う。
732 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:25
曲が終われば、私達はまたそれぞれの場所に帰る。
だけど信じてる。
たとえどれほど遠くても、どれだけ時間がかかっても、
最後には一緒になれると。

その時が来たら、私は圭に全てを打ち明けるべきなのだろうか。
もう一つの世界の事を。
本当の私の事を。

それとも、一生真実を隠し通したまま生涯を終えるべきなのだろうか。
正直、迷っている。

だけど、それでも、私は迷いながらも歩いていくんだ。
そしていつかは、圭と手を繋ぎ合って。
733 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:26
私がねじ曲げてしまった…
いびつな、だけど愛すべき世界。

私は最後の瞬間まで、この場所に立っていたい。

許される限り全ての行く末を見届ける。

ここが、世界の果て。
私が探し求めていた場所なんだ。
734 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:26
もう決して交わる事のない、二つの運命。
私はこれからも“保田さん”を忘れるなんてできない。
でも、後悔はしない。
悩んで、悩み抜いて最後に自分で決めた事だから。

私が選んだのは他の誰でもない“圭”なんだ。
そう、私と同じ時代を駆け抜けた、たった一人の“保田圭”。
愛しさを込めて、抱きしめてキスをするのはあなた一人だけ。

この体も、心も、命も、あなたの為に。

あなたこそが、私の運命。
735 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:27
「圭…いつか、一緒に幸せになろうね」

私の小さな呟きは、大歓声に混じり風に散る。

幸せになれるなんて保証はどこにもない。

多くは望まない。

たとえこの世界が虚像の世界でも。
私はこの最果ての地で、あなたと生きていきたい。
736 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:27
最終話 最果ての地であなたと共に
737 名前:最終話 最果ての地であなたと共に 投稿日:2012/07/29(日) 01:28
・・・・・・
END
・・・・・・
738 名前:あおてん 投稿日:2012/07/29(日) 01:32
投稿している途中で連投規制がかかったりと焦りましたが、
どうにか完結しました!
せめて小説の中ではみーよの夢が叶って欲しいという思いと、
やすみよへの歪んだ愛からこの作品が生まれました。
正直ここまで長くなるとは思ってもみませんでした。
無事完結できたのは皆様のおかげです。
こんな長い話に付き合っていただき本当にありがとうございました。

これからは主にブログでやすみよ愛を綴ると思います。
739 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/07/29(日) 16:38
完結おめでとうございます
最後はどうなるかとやきもきしてましたが無事エンディングを迎えられてほっとしています
登場人物もみんな幸せそうで何よりです
あおてんさんの次回作を楽しみにしています
740 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/29(日) 19:56
2スレに渡る長編の完結お疲れ様です。

連載当初は飼育では色物(失礼)的扱いのやすみよをどう物語にしてくれるのか
期待半分不安半分で見守っていましたが、結果的にはやすみよの代表作になった
のではと個人的に思います。
4期の問題児2人の消滅や塀の中の大先生登場など、予期せぬ出来事もありまし
たけど、それも話の終わりを迎えた今となってはいいスパイスとして働いたので
はないでしょうか。

長編を書き終えたばかりで、次の話、というのはなかなか難しいかもしれません
が、エロスレでのやすみよはいつでも待ってますよw
741 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/07/30(月) 02:20
やすみよという最新(?)のCPを扱いつつも、モーニング娘。の歴史を紐解き
さらに歴史改変というアレンジを加えながら展開してゆく内容が最早古参の域に
さしかかった自分も楽しめました。
やすみよの恋の行く先はもちろんのこと、辻加護からキッズ・エッグ・そしてモ
ベキマスという路線を捨てた本格的アーティストの娘。がどのような進化を遂げ
るのか最後まで見守っていたい気持ちはありますが、出会いがあれば別れもある
ように物語にも終わりがあるわけで、個人的に想像を膨らませるに留めておきます。
ともあれ、完結おめでとうございます。そして楽しい物語を書いてくれてありが
とうございました。
742 名前:あおてん 投稿日:2012/08/01(水) 02:31
訂正です。

>>662の2行目
一歩、圭が距離を詰める。→ そう言って、圭が抱擁を解く。

9行目
「?圭が謝る必要なんてどこにもないよ?
酷い事をしたのは私だから」→
「なんで?圭が気に病む必要なんてどこにもないよ?
酷い事をしたのは私だから」

挙げだしたらキリがないですねorz

743 名前:あおてん 投稿日:2012/08/01(水) 02:44
>>739
エンディングにいくまでこれほど時間がかかってしまいすみませんでした。
最後まで見守って下さり本当に感謝してます。
次回作…
これほどの長編はもう書けないかもしれませんが、またやすみよを書けたらな
と考えてます。

>>740
ありがとうございます!
うわぁ、代表作なんて恐れ多い…
問題児コンビの件は、ファンの方には申し訳ないですが
終盤で歴史の改変を行いたかったので(汗)
エロスレにはいずれまた顔を出すつもりでいます。
内容はエロくないですがw

>>741
当時は小学生で、90年代の時代背景が曖昧で
この作品でそれを忠実に再現できたかいささか不安ですが、
古参の方にそのような言葉をいただけてほっとしました。
こちらこそ最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!

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