last race
1 名前:ランド 投稿日:2009/04/29(水) 18:51
きゅーと・べり中心の学園もの。
まいみが可愛ければ良いと思う。
2 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:52

一人が好きなんだ
だからあたしのことはほっといていいから


3 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:52

とか口からでまかせを飛ばした、昨日の昼休み。
うちらしくない。いや、これこそがうち。嘘ばっかりの高校生活。

本当は寂しいんだよね?
って、聞いて欲しいだけだよ。 なんて、絶対言わないけど。

そしたらあの黒髪の子は、がぜんやる気になって瞳を輝かせていた。
あの子はほんと、純粋に磨きをかけて育てられたような完璧お人好し人間だと思う。
いくら冷たい視線を浴びせようが、おはようの一言を返せないもどかしいあたしを、一度だって嫌な顔一つせずに毎朝顔を合わせて。
同じクラスになる前からそうだ。陸上部の練習をちょっと横目で見ていただけなのに、猛烈な勢いで入部しないかと勧誘された。

まあ、あたしだってそれなりに名前は通ってる方だと思う。つい数年前迄は短距離で全国大会出場まで上り詰めた、なんておまけが肩書きとしてついてる。
過去の栄光。いつまでもしがみついてる自分がみじめで、恥ずかしい気持ちしかないのに。


もう走らない
そう、決めたから


おまけにその瞳。まっすぐに、こっちを見つめてる。
その中に映る自分は何なんだろう。嘘でかためた真逆の女の子。全然可愛くない。
4 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:53

何度美容院に通ってギシギシになったこの茶髪にトリートメントを施してもあの子の
持つ黒髪の美しいキューティクルにはもう戻れないだろう。
ああ、またプリン気味だし。また染め直しだ。
県大会ベスト8に食い込んだ俊足で、まっ黒な髪をなびかせて走る彼女を見送りながら、そんなことを思った。

5 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:53




「舞美ちゃんてさ、怖いもの知らずだよねー」
「え?」

わさわさと机に散らばったスナック菓子を分け合っている途中、栞菜がふと零す。
床に落ちたその残骸を呆れた顔つきで掃除をし始める早貴とは正反対の、ずぼらで癖のある後輩だ。

放課後は陸上部全員でミーティングを行う予定になっていたが、栞菜や早貴以外の1年生はどうやら試験の補習を受けているということで、時間が大幅に遅れてしまった。
何せ陸上部の三年生は舞美だけである。栞菜と早貴は中等部上がりということで、舞美とはもう長い付き合いになるのだ。
人懐っこく恐れを知らない栞菜と、真面目でしっかりした気質の早貴とはもう気のおけない仲というより、姉妹のような関係に近い。

6 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:54


「怖いもの知らずって、あたしが?」
「うん。だって、変な噂聞いたよ」
「やだ栞菜、なんかこわーい」
「いやいや舞美ちゃん。これが結構ふざけてらんない噂だから!」
「えー、なになに?」

すっとぼけた性格の舞美とはいつもこうだ。だから、栞菜も特に気にはしない。


7 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:54


「梅田先輩って、えりのこと?」
「え、あの先輩とみぃたんって、仲良いの?」
「仲良いとまでは言えないけど…最近よく話すよー」
「それ、会話じゃなくて舞美ちゃんが話しかけてるだけだったりして」
「あ、そうかも。やだなー栞菜、なんで分かったの?」
「大体予想つくよ、舞美ちゃんのことだからね」

栞菜は解り切ったような顔をして、イスの背もたれによりかかりぐんと背伸びをする。
舞美は相変わらずあっけらかんとした笑顔でへらへらとしている。
そうこうしている間にもうすぐ1年生の補習が終わる時間だが、部員達はなかなかやってこない。

8 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:55

「でも、えり、良い子だと思うんだけどなー」
「そお?笑ってるとこ見たことないけど、あの先輩」

栞菜がわざと意地悪く言う。
それを早貴がたしなめるように、栞菜をやわく叩いた。


9 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:55

梅田えりか。舞美とは、三年になってで初めて同じクラスになった。
一年の頃から一匹狼で学校にもあまり来ず、よく教師と口論しているのが目撃されている。
栞菜曰く、整った顔立ちで、モデルのような容姿で校内でもとても目立つ為、そこそこ後輩から人気のある舞美と何か因果関係があるのでは、という噂だった。

10 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 18:55

「ないよそんなの!えりあんま学校来ないしさ」
「ま、そーだけど。でも、あんまり関わらないほうが良いって」
「えっ、なんで?」
「なんでって…あーもう舞美ちゃんはこれだから!」
「あ、皆来たよ。栞菜ももういいから、みぃたんミーティング始めよ?」


えり、良い子なのになぁ。
今日も学校、来てたし。


11 名前:ランド 投稿日:2009/04/29(水) 18:56

続々と補習を終えて戻って来た1年生を加えて、ミーティングが始まる。
毎日学校に来るのは当たり前だろうが、とつっこみをいれたい所だが、舞美はえりかのことを放っておくわけにはいかなかった。
えりかは陸上では名高い存在である。エースである自分だけでは、この学校の陸上部は成り立たない。
今この時にえりかは重要な人材なのだ。
12 名前:ランド 投稿日:2009/04/29(水) 18:56
>>11
早々ミスりましたごめんなさい死んできますorz
脳内変換よろしくおねがいします
13 名前:ランド 投稿日:2009/04/29(水) 18:57
中途半端な所できりますがここで今日は切ります。
急いで打ったのでがったがたな文章です。ごめんなさいorz
誤字脱字等もあると思いますがお許しを。
14 名前:三拍子 投稿日:2009/04/29(水) 21:40
 
こ、これは‥‥‥‥!
楽しみ過ぎてやばいです!!
 
15 名前:ランド 投稿日:2009/04/29(水) 21:43
>>14
ありがとうございまーす
舞美が可愛ければ良いんです←
16 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:45

どうして陸上辞めちゃったの?


あの子はあたしを見るなりそう尋ねた。
どんなシチュエーションだったかは忘れた。
でも、胸の奥をえぐられたような感覚だけはしっかりと刻まれている。
むかつくくらい爽やかな口調とやけにらんらんと輝いたふたつの大きな瞳が、ぐらぐらとあたしの頭の中身を揺さぶるようだった。
17 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:45

自分で言うのもなんだけど、あたしは陸上で全国のジュニア選抜として昔から割と名は知られている方だ。
あたしは身長が高いにも関わらずジュニアの最速スプリンターとして多くの記録を残し、たくさんの雑誌にも取り上げられるほど一時期は騒がれた。
それらも、一瞬にして消えた夢のようだけれど。確かにあれは現実だったんだな、と思い知らされた。
だからあのこが、あたしの力を買っていることくらい知っている。

陸上はおろか、運動部で優秀な成績をほとんど残してこなかった無名の私立高校にどうしてあたしが入学してきたのか、あのこにとっては疑問の種なんだろう。

18 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:46

矢島舞美。
彼女の名前を知った時は、なんとなく聞き覚えがあるという程度の感銘だった。
当時、ジュニア選抜の県大会で左足首を故障し、予選落ちした不運の天才児と一部の雑誌でもてはやされていたのを覚えている。
一緒に走ったことはないけれど、足腰はとても綺麗なラインでフォームも美しい。
こっちもこっちで、そこそこの力があるスプリンターが、どうしてこの学校にいるのかも気になるけど。


矢島さん 舞美 舞美ちゃん

どれも呼ぶ気になれない。思えばあたしはあのこはおろか、友達の名前を声に出して呼んだことがない気がする。
というか、友達なんてものはここ数年ご無沙汰だ。クラスメイトとしか認識されていないだろうし、こちらも同じ。
19 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:46

ひねくれてる。
そうだ、あたしはそうならざるを得ない。
だから走れなくなったんだと、そう言い聞かせてここまでやってきたんだから。

20 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:46


「えりか、ちゃん。じゃー、えりでいいね!」



「よろしくえりぃー」


へらっと笑うその顔が、やけににくたらしい。
本当にこのこが不運の天才児なんだろうか。思えばあたしはスプリンターとしてグラウンドで駆ける彼女をしっかりと見たことがなかった。
いつ練習風景を見てみても、へらへらと笑いながら後輩と思しき部員達と鬼ごっこをしたり、ふざけあったりしている場面にしか出会ったことがないだけに、あまりしっくりこない。

あたしとこのこ、どちらが速いだろう。
競う気は毛頭ないけど、あの頃のあたしだったらきっと胸を張って自分だと言えるんだろう。
今のあたしにはそんなことを言う資格もない。グラウンドにも、立てない。立たない。

21 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:47


「陸上、たのしいよ?」


そんなこと知ってるよ
あんたより、あたしのほうがずっとずっとずっと
知ってるのに



22 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:48

「なっきぃ、あたし合唱寄ってから部活行くー」
「分かったぁ。みぃたんに言っとく」
「ん、ありがとー」
「なに、舞美ちゃんとこのカッパちゃん?」
「ふふ、まーそんなとこ!」


最近栞菜の機嫌が良い。それもこれも、合唱部を掛け持ちするようになってからの事。
早貴は呆れたような顔をしながらも、何故か妹を見守るような瞳で栞菜を見送る。
しっかりした気質の自分と比べると、どうも年下のように感じられてならないのだ。
23 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:48


カッパ、とは中等部の三年、矢島愛理のことである。
命名は栞菜だが、本人の前でそれを言えばたちまち下がり眉になってしまうため、極力早貴との会話以外には使わないようにしている。
栞菜が合唱部に入部したきっかけと言えば、そもそもそのカッパ、愛理にあるのだ。


「ばかんな、またカッパって言ったぁ!」
「ごめんごめん、つい癖でさー」
「癖って…どーせ舞美ちゃんの前で言ってるんでしょ」
「違うよ、舞美ちゃんは愛理がカッパだなんて知らないよ」
「あたしはカッパじゃないもん…好きだけどさぁ」

愛理はピアノを弾く手を止めて、しゅんと悔しそうな表情で眉を下げる。
禁句と分かっていても、栞菜が愛理をそう呼ぶにはちゃんとした理由があることを、当人は全く気付いていない。
栞菜は誤魔化すように愛理にそっぽを向き、コピーしたばかりの楽譜をなぞるように見つめた。
24 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:48


どうして合唱部に入ったの? と、何度尋ねられただろう。
楽そうだから 歌が好きだから 適当に理由をつけては、愛理の納得いかない答えを繰り出してまたまた眉を下げさせる。
栞菜は愛理のそんな困った顔が好きで、わざと憎らしい事を言うのだ。

本当の理由は、愛理のそばにいたいから。
口が裂けても言えない、愛理に隠しているたったひとつの秘密。
そんなことを言ってしまえば、愛理はもっともっと困った顔をしてしまうだろうから、口には出来ない。


「もぉ、ばかんなー」


その下がった眉と、いっぱいの笑顔が好きで
指先で奏でるピアノと綺麗な歌声が大好きで

たった一言、君に好きだと言えたら楽なんだろうけれど。


25 名前:白線 投稿日:2009/04/29(水) 22:49

あいにく愛理は姉である舞美に似て、恋愛事には鈍感なようである。
おまけに人見知りが激しく、初対面で年上である栞菜と一言二言会話するのも苦労を要した。
それが今では同い年の友人よりもずっと気さくに会話をすることができている。それも舞美の内助の功があってからこそ、なのだが。


「そろそろ陸上部行ったほうがいいんじゃない?」
「…ん、でももう少し」
「そう?なら良かった」
「…え?」
「栞菜と一緒にいられるもん」


サラリとそんなことを言ってのけるように見えて、栞菜から瞳を逸らした愛理の顔は赤く染まっていた。
グラウンドでは舞美や早貴、千聖らがアップを始めている。
ポロン、と愛理の奏でるピアノにのせて、栞菜の心臓の音はどくどくと高鳴る。
愛理は自分のことをどう思っているだろう。簡単に壊せてしまう、この距離を。

26 名前:ランド 投稿日:2009/04/29(水) 22:50
二回目の更新できました。なんとか。
たったか進んでってますが途中で停滞するやもしれません。
今のとこ、こんなカプで続いてきます。

今のトコ ですけどw
27 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:35


6月2日 PM12:15
曇り後晴れの予報

28 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:36
えりかがこの学校の屋上に足を踏み入れたのは、これが初めてのことだった。
本来なら施錠されていて一般の生徒は許可なく立ち入る事はできないのだが、グラウンドが利用できない日に限り陸上部に解放している。
厳重に施錠されたいかめしい鎖をじゃらじゃらと振り回して、何故だかいつも機嫌の良さそうな浮かれ顔の舞美を見る度に、えりかは心無しか胃の痛みを感じる。

午後から快晴という予報はどんぴしゃりで当たり、グラウンドが日ざしを浴びる。
「一緒にお昼食べよう!」と無理矢理腕を掴まれ行きついた場所が、ここである。
必死の勧誘も虚しく、一向にえりかに相手にされない舞美はついに強硬手段に踏み切ったのだが、いかんせんえりかとの距離は縮まる気配もない。


数多くの雑誌で報道される彼女の走りとは、一体どんなものなのだろうか。
舞美はすらりと伸びたえりかの脚をまじまじと眺め、自分のそれとじっくり比べてみる。えりかは妙なものを見るような目つきをして、大きく溜め息を吐いた。
29 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:36

「矢島さんてさ」
「やだなー舞美でいいよ、えり」
「…あ、そう」
「とっくに引退してるのに、脚の筋肉は全然衰えてないんだね。すごいなー」


一目見ただけで分かってしまうのは、舞美も陸上を長年続けている功である。
30 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:37

「今でも走ってるんだね。…違う?」

やはり、舞美の目はごまかせないようだ。
おにぎりを咀嚼したまま、えりかは返事もせずに空を見上げたままである。
それでも舞美はどこか嬉しそうに、しなやかな2本の脚をただじっと見つめていた。

真夜中になると、必ず思い出す事がある。
眠っていてもその思い出は必ずえりかを揺さぶり、決して消えてくれることのない何か。
それを晴らすには、真っ暗なアスファルトの上を走る。ただそれしか、えりかを救ってくれるものは存在しない。
眠れない夜に、自分を追い続ける悪魔から、ただただ必死で逃げるように走るのだ。



31 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:37
このこは何も知らないのに。
まるで、あたしのすべてを知っているかのような、そんな顔をしてる。
32 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:37
「舞美」
「うん?陸上、やる気になった?」
「ぜんっぜん。うちは、あそこには立たない」
「どうして?走るの、好きでしょ?あたしも好きだもん」


えりかは、さっぱりきっぱりとそう言い放つ舞美が憎らしくて、どこか羨ましかった。
素直になりなよ と、もう一人の自分が呆れた顔で呟く気がした。

湿り気を帯びたグラウンドを見つめて、促すようにえりかは小さく笑う。それを楽しそうに眺める舞美は、とても嬉しそうに。

えりかには充分伝わっていた。舞美の誘いに乗れば、またあの場所で思いきり走る事ができる。
ただそれを許さないのは自分の奥底にいる、あの悪魔が小さく微笑んでいること。

自ら犯した罰を償うためには、自分が潔く身を引くしかないと。
33 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:38

しばらく黙りこくっていると、舞美はそれ以上語ろうとはせず、二人で静かにグラウンドを見つめていた。
全日の大雨で、ところどころに大小の水たまりができている。雲の切れ間から覗く太陽がそれを照らし、小さな虹のアーチを見つけ、舞美はそれを指差してえりかに笑顔を見せた。


現在は弱小陸上部の部長。
かつて不運の天才児と呼ばれた彼女は、どうしてこんなに強いんだろう。
まともな練習メニューもこなさずに、ただ走りたいという単純な気持ちだけで、どうしてここまでまっすぐでいられるのか、あたしには分からない。
あたしは、今でも走りたいと思っているんだろうか。自分でも分からない位の月日が経ってしまった今では、その答えを見つけだす事すら困難でいる。

あたしも、ただひたすらにまっすぐに生きたい。かつてそうしていたように。

34 名前:白線 投稿日:2009/04/30(木) 21:38


『おいらのことでお前が走るの辞めるなんて、絶対許さないからな』


今でも、そう言ってくれるのだろうか。
病室で涙を堪えながら、精一杯の笑顔で応える先輩の姿に、えりかはただ立ち尽した。
あらかじめ用意していた謝罪の言葉を口にすることも、気休めにならないかすみ草の花束も何もかもが無駄に感じられて仕方が無かった。



矢口さん、ごめんなさい。あたしはまだ、踏み出せずにいるんです。


35 名前:ランド 投稿日:2009/04/30(木) 21:39
更新です。
なんだか先が見えづらくてごめんなさい。
次はあいかんになるかと。
36 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/01(金) 10:02
更新お疲れさまです
かわいいやじうめに期待
次も楽しみにしています
37 名前:ランド 投稿日:2009/05/01(金) 18:59
更新です
予定変更して違うカプにorz
38 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:00

「…舞美ちゃん、どうしたの?」
「へ?」
「さっきから溜め息ついてばっかりだよ、変なの」

39 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:00

大好きなお笑い番組が始まる時間となり、夕飯を食べ終わるなりテレビの前に座り込んだ所までは良かったが、舞美は心無しか上の空である。
両親が共働きのため、もっぱら夕飯は舞美と愛理の姉妹で一緒に作るか、早く帰宅したどちらかが作る事になっている。
この日は先に帰宅した愛理がハンバーグを作り、楽しく談笑しながら夕食を終えたのだが、愛理は舞美のふと見せる浮かない表情を見のがさなかった。

いつもは愛理の作る夕飯を美味しいと言ってくれる舞美だが、今日は何だか口数も少なく、ぼうっとテレビを見つめてもぐもぐと咀嚼をするだけ。
少し年上の姉には、自分には分からない悩みを抱えているらしい。それが分かった時、愛理は言い様のない寂しさを噛み締めた。
40 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:01

姉の舞美が愛理と同じ学年の時から、いやそれ以前から獲得してきた、数多くのトロフィーやメダル、表彰状などがずらりとリビングのショーケースに並べられている。

それに反して愛理は学力に優れている。姉と同じ私立の附属中学に入学をし、今まで学年成績で1位を他に譲った事は一度もない。
しかし、愛理にとってはその点に関して、何も特別に感じている事ではないのだ。
舞美のように、思いきり地面を蹴って、とびきり速く走れたら良い。それは愛理が幼いころから、ずっと思い続けてきたことである。


「部活のことで何かあった?」

冷凍庫から舞美の好きなアイスを選り好みして取り出し、目の前に差し出す。
舞美は途端に愛理の寂しそうな様子を察して、それを受け取り笑ってみせる。

41 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:01


「ううん、たいしたことじゃないんだけどさ。あ、さっきのハンバーグ美味しかったよ。ごちそうさま。いやー、さすがあたしの妹。とか言って」
「…ほんと?舞美ちゃん、黙って食べてるから」
「あー、ちょっとね。えりのことで」
「えり? あ、梅田先輩…」
「愛理知ってるんだ。今陸上部に入らないかって勧誘してるんだけど、なかなかうまくいかなくってさー」


えりかの事は、おしゃべり好きな栞菜から少し聞いていた。
愛理は舞美の話にふうん、と小さく相槌を打って、眉をしかめながらアイスを頬張る
姉を見ながら小さく笑った。
自分が笑われている事に気付き、不思議そうに首をかしげる姉を、愛理はとても可愛く思う。
小さな頃から舞美に外に連れ出され、公園で一緒にかけっこをしたり、二人だけでかくれんぼをしたことをふと思い出す。

あの時から何も変わらない舞美が、愛理は好きでたまらない。
走る事が大好きで、それ以上に妹である自分を愛してくれるたった一人の姉を、愛理はとても大切に想っている。
続に言う、シスコン。と栞菜に冷やかされたが、そういう皮肉を言われようが、愛理の姉離れは当分無理なようである。

42 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:02


「栞菜はえりのこと嫌がってるけどさ、絶対陸上やって欲しいんだよね。えりには!」


舞美は毎晩欠かさず行っている柔軟ストレッチを始め、ぽつりと呟く。
それに少しだけ嫉妬のような感情を抱いた事は、ぐっと我慢をして、「そうだね」と返事をする。
もし姉に好きな人が出来たら、自分はどうするだろう。きっと悔しさと悲しみで、ハンバーグなど悠長に作っていられない。
43 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:02

ぐん、と上体を曲げてストレッチをする舞美の背にもたれかかる。


「なにー愛理」
「今日、舞美ちゃんと一緒に寝たい。ダメ?」
「あはは、いいよ。じゃあ早くお風呂入ってきて?」
「ん、分かった!」

44 名前:スタート 投稿日:2009/05/01(金) 19:02

ぱたぱたと風呂場に向かう妹を見て、舞美は安心したように微笑む。
最近の愛理は何やら楽しそうだ。確か、栞菜が合唱部に入部してから。
いつも愛理をいじめているようで、どこか愛情のある栞菜は姉の自分よりもずっと安心して愛理を任せる事ができる。
けれど、たった一人の妹である愛理を簡単に引き渡すにはまだ早いと、かたく決意している。

「うーん。あたしもまだまだかなぁー」


妹ばなれ、しなきゃ。
舞美が柔軟を終えた頃には丁度バラエティ番組もエンディングに近付き、よいしょと立ち上がって背伸びをする。


「ん、何か言った?」
「ううん、なんでもないよー」



45 名前:ランド 投稿日:2009/05/01(金) 19:03
次回こそは…
今回はこんな感じです
46 名前:ランド 投稿日:2009/05/01(金) 19:03
>>36
たったか進んでますがやじうめもじっくりやっていきたいです
ありがとうございます
47 名前:スタート 投稿日:2009/05/07(木) 22:55
「栞菜、ラストー!」


舞美の声と同時に、栞菜は走るスピードを加速していく。

校庭を無心で走り続ける中で、五分完走を初めて体感した時、失神するかと思うほどの疲労に襲われたのを思い出した。
苦しくて、身体中が悲鳴をあげて翌朝布団から出られなかったのを今でも覚えている。
今でこそそんなことはなくなったが、たった五分という短い時間をとても長く感じる。ストップウォッチを手にして仁王立ちする舞美を横目で流し、その足で水道まで向かう。
よろよろと倒れるように座り込み、蛇口をひねって頭から水をかぶる。
48 名前:スタート 投稿日:2009/05/07(木) 22:56

6月といえど、気温・湿度ともに初夏へ向かっている。蒸し暑い放課後の陽射しは、今日も部員達を容赦なく照りつけた。

「お疲れ」
「んー…って、愛理?!」
「へへ、来ちゃった」
「来ちゃった。って、合唱は?」
「今日中澤先生が出張だからないんだよ。って昨日メールしたでしょ?」
「あ、そっか」


汗だくの栞菜とは対照的に、愛理は姉譲りのさわやかな笑顔で栞菜にタオルを手渡す。
それをおずおずと受け取り、さっきまでストップウォッチを手にしていた舞美がグラウンドを走っているのに気付いた。

手渡されたタオルに顔をうずめて、においをかいでみる。舞美と愛理は同じ匂いがする。そのためこのタオルにも、二人の匂いがしっかりとついていた。
――これじゃあたし、変態じゃん!
49 名前:スタート 投稿日:2009/05/07(木) 22:56


それほどに愛理を想っていても、打ち明けられないのは、どうしても越えられない壁があるから。
愛理がここに来た理由が、舞美の姿を見るためだということは、栞菜には手にとるように解る。

愛理はただでさえ人気がある。
舞美の妹ということだけで興味を持たれるし、姉譲りの容姿の持ち主なのだから、放っておかれるはずがない。


無論、愛理の視線を独り占めにできる存在は、皮肉にも姉である舞美だけなのだが。


50 名前:スタート 投稿日:2009/05/07(木) 22:57

「…ほんと、シスコンだなぁ愛理は」
「ちーがーう。またそういうこと言うんだ、ばかんな」
「…隠さなくても分かっちゃうって。ほどほどにしなよ」


そう言い捨てて栞菜は練習に戻った。
愛理のむっとした顔を見るのもなんだか悔しくて、呼び止められるのを期待している自分がそれ以上に惨めに感じられた。


最近の栞菜には、どこかトゲがあるように思う。
投げかけられる言葉は冗談だと分かっていても、たまの沈黙や、栞菜の切ない表情が何かを意味しているような気がしていた。
それが自分とその姉のせいだということなど、愛理は知る由もない。

51 名前:スタート 投稿日:2009/05/07(木) 22:57

「…ばかんな」

いつもなら、笑ってくれるのに


近ごろの栞菜は少し変だ、と愛理は思う。
舞美以外の先輩で唯一心を許して何でも話せるような関係だったにも関わらず、最近では部活に顔を見せても黙ったままだったり、時折先のような意地悪を口にするだけである。

気が付かない間に、何か気に障るような事をしてしまったのだろうか。
部活を見に来た事が気に喰わなかった?

だが、どれも違う気がする。愛理は理由を知らぬまま、重い足取りでグラウンドに向かう栞菜を見送った。
こんなことで関係が崩れるわけがない。
そう、信じていた。

52 名前:ランド 投稿日:2009/05/07(木) 22:58
少ないですが今回はこれで。
梅さんが放置ぎみですが次回は…
53 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/08(金) 12:23
やじうめ、あいかんともにマジ面白いっす!
続きも期待してます!
54 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:03

「愛理おそーい、おいてくよ?」
「あーごめん、楽譜見つかんなくて・・先行ってていいよ」
「分かった。早くおいでよ?」
「んー!」

千聖はじれったそうにしていたが、小走りに音楽室へ向かった。

次は音楽の授業だというのに、肝心の楽譜をどこかに無くしてしまったらしい。合唱部の顧問でもある中澤の担当している授業のため、忘れ物や遅刻はいくら学年トップの愛理であっても許されないことだ。
55 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:03

「うー、どうしよぉ」
家に置いてきたのかもしれない。
途端に息苦しくなり、見つからない探し物を諦めて、一思いにカバンを机になげうった。
こういう日に限って失敗するのはいつものことだが、よりによって中澤を相手にしてしまうとは。
56 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:03


「…?」

ふと窓の外を見下ろしてみると、高等部の制服が目についた。
もうすぐ四限が始まるというのに、明らかに不自然な光景ではあるが、愛理は目を丸くして窓から身を乗り出す。

あの人、舞美ちゃんが言ってた――


57 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:04

PM16:00 


「さー、えり!今日こそ部活一緒に…」
「行かない。じゃーね」

放課後になると毎度のやりとり。スパイクを目の前に差し出して、満面の笑み。
この人、笑ってばっかだ、ほんと。
帰り支度をしてカバンを背負うあたしとは対照的に、学校のエンブレム入りのジャージを着てスパイクを抱いている。


このコ、走る事しか能が無いのかも。

58 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:04

「えー、せっかく栞菜とか説得してきたのに。じゃ、来週は?」
「いつでも無理だってば。舞美、しつこい」
「…あ」
「何?」
「えり、やっとあたしのこと、名前で呼んでくれた!」


無意識について出た言葉に、自分でも不思議に思った。
と同時に、何となく後悔。
必死であたしにしがみつくこの子に、あたしは少しづつ何かを取り戻している。

嬉しそうに微笑んでスパイクをぎゅっとだきしめる姿を見て、あたしはただ呆然と立ち尽す。
何が彼女をここまで駆り立てるんだろう。生意気で強情なクラスメイトに、どうしてそこまでする?
59 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:05


「今度、他校と合同練習あるんだ。だからいつもより練習時間増やしてんの」
「…ふーん」
「楽しみだなぁ。うちの学校に相手してくれるなんて、かなり貴重だと思わない?」
「はは、確かに」
「あ!えりが笑ったぁー!」
「…あー、うるさいなぁ」


毎日、ひとつひとつ、何かを埋めていく。
あたしがあの日失ったもののすべてを、この子は全部知ってるみたいに、あたしの落としてきたものを拾っていく。
断ち切ろうと思えば簡単にできるのに、あたしはそれを躊躇っているだけ。
諦めたはずの陸上をまだ忘れられないでいるのは、この子のせいなのかな。

「バイバイ、えり。また明日ね」

大袈裟に手を振って、渡り廊下を物凄いスピードで駆けて行く彼女を背中で見送った。
迷いのない、あの子の走りができたなら。あたしの人生だって、少しはマシになっていると思った。
60 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:06

――この子なら、助けてくれるんじゃないか。
不覚にもそんなことを考えていた自分に、ほんの少しだけ絶望したけれど。
61 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:06




「栞菜、陸上は?」
「んー…今日はいいや、行かない」
「行かないって、どうして?」
「……そーゆー気分じゃないから」

ピアノを弾く手を止めて、愛理は思い出したかのように振り向いた。
机に肘をついてふてくされたように返事をする栞菜は、どこか不機嫌だった。
グラウンドを見つめながら佇む栞菜の背中には、愛理には分からない大きな何かが背負われているように感じた。
62 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:07


先日の練習後から栞菜の態度が少し変わったのが、愛理には気掛かりである。
学校内で擦れ違ってもまるで見えて無いかのように愛理と目を合わせようとせず、そそくさとその場を立ち退き、さすがに異変に気付いた早貴が栞菜の肩をこづくのを見た事がある。
やっと合唱部に顔を出したと思えば楽譜に目も通さず、先程から机に突っ伏しているだけ。

――舞美ちゃんの話をしたのが、いけなかった?


だからと言って、栞菜の機嫌を損ねる理由が分からなかった。
知らない間に栞菜と舞美が喧嘩をしたなどということはまず有り得ないし、何かあったなら毎日顔を合わせている姉の様子で直ぐに分かる。
63 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:07

栞菜と知り合ってから、愛理の毎日は少しづつ変わって行った。
ひょんなことから入部してきた見知らぬ先輩に最初は戸惑っていたものの、栞菜の社交的な性格に次第に打ち解け合い、今では何でも話せる親友のような存在になっている。

悩みがあれば、何も言わずに黙って聞いてくれる。
意地悪を言っても、それが冗談だということくらい分かっていた。
だから、親友と呼べる。

しかし、栞菜にしてみればそれほど残酷な言葉は、他に無いのだが。

64 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:08

「かん、な」
「んー?」
「あたし、何かしちゃった?」
「…へ?」
「…栞菜、怖い、よ」


ピアノから離れ、栞菜のそばへ寄ってみる。
いつもと違う声調子に思わず振り返った栞菜は、俯き加減で拳を握りしめるその姿を見て、ふと思い出す。
栞菜が入部してきた頃、人見知りの激しい愛理がちょうどこんな風に不安げに俯いていたことを。
65 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:08

「…ごめん。ちょっと、考え事」
「うそ。栞菜怒ってるよ」
「怒って無いって。ばかあいり」
「じゃあ何でさっきからあたしの目、見てくれないの?」

核心をつく質問におどけてみせたのも虚しく、自分のブレザーの裾を掴んだままでいる愛理の左手を握った。
こうして、簡単に触れる事は出来る。
それでも何も知らずにこんな風に近付ける愛理に、これ以上距離を合わせていられなかった。
ぎゅっと握り返された色白い手を、ただじっと見つめる。

「嫌いになった、の?」


あたしのこと。
66 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:09


消えそうな声で呟く愛理をこの手で抱きしめたなら、全てが終わってしまう。
躊躇っている間にも、愛理の頬を濡らしている涙を拭うことは出来ずにいた。
置き去りにされたピアノが夕陽に照らされて、オレンジと黒のコントラストを見事に映し出している。
栞菜はその色を見つめ、次の言葉を探した。

「…ごめん、愛理。あたしもう無理なんだよ」
「無理って、何?」
「分かってよ、そんくらい」

67 名前:戻れない 投稿日:2009/05/09(土) 01:09

白くて細い指に自分のを絡め、栞菜の頬にも冷たくなった涙が触れた。
唇に触れた瞬間、微かに震えたのが分かっても、重ねたそれを離すことがどうしてもできなかった。

一体どのくらいの間、こうしていられるのだろう。

大切な人を失うことは、これほどに悲しい事なのだと、初めて知る。
こんなにも近い距離に愛理がいること自体、栞菜にとっては許されない事だった。

もう戻れない。そう思った。
68 名前:ランド 投稿日:2009/05/09(土) 01:10
更新しました。
ちょっと短かめ。ほとんどあいかんっていう。
69 名前:ランド 投稿日:2009/05/09(土) 01:10
>>53
ありがとうございますー
とりあえずスレ終わるまで見守っててくれるとありがたいです
70 名前:ランド 投稿日:2009/05/09(土) 01:11
ベリはそのうち出てきます
た、多分←
71 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/09(土) 01:25
動き始めちゃった

楽しみや〜
72 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/09(土) 02:25
今回の更新で書くのはアレだと思うんですけど…
ここの姉妹がかわいすぎる!
73 名前:三拍子 投稿日:2009/05/09(土) 07:42

栞菜切ないですね‥‥(>_<)
最近あいかんが減っていて仕方ないとわかっていてもやっぱり悲しいので。
ここの小説楽しみにしてます!!

74 名前:ランド 投稿日:2009/05/10(日) 11:05
ちょっと多めに
75 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:05
「かん、な?」

絡めた指をほどいて、愛理は自らの唇に触れた。
確かな感触に、間違いはなかった。
栞菜と、キスをした。
誰にも触れられたことのないその場所に、栞菜は初めて触れてしまった。

鼓動が高まる。体温が上がって、じんわりと背中に汗をかいたのが分かった。
まっすぐに栞菜を見つめていた愛理の瞳が曇り、思わずその場を飛び出した。

この口付けが、全ての答えだったなんて。

76 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:06




「あー、バカ」

いつもなら愛理に向かって口にする言葉が、今は自分に突き刺さる。
愛理は泣いていた。冷たい態度をとる栞菜が、自分から離れていくのではないかと不安に思ったからだ。

距離をおかなければ、いつか終わりがくる。
そう思って愛理を避けた。それなのに、それを拒んだのは他でもない、愛理だ。
離れないで。
そう訴える愛理の目を見たら、勝手に体が動いた。
離れようなんて少しも思えなくなるような熱い瞳に、どうしても視線がはずせなくなった。

77 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:07

「あれ?栞菜、何してんの?」

グラウンドに背を向けて音楽室を見上げていると、聞き慣れた声を察して思わず鳥肌が立つ。
練習メニューをこなした後であろう。額に汗を滲ませて、舞美は首をかしげた。


「っ、舞美ちゃん!」
「あはは、なんでそんな驚いてんの?愛理は?」
「え、と・・ゴメン、用事あるから、帰る!」
「用事?って、行っちゃったし」


――愛理と何かあったかな?


普段は鈍い舞美であるが、この事態に何かを察して、音楽室を見上げる。
いつも通り、窓が少し開いて白いカーテンが風になびいる。

いつもと違うのは、ピアノの音色が聞こえないこと。
78 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:07




「ねー愛理、栞菜とまた喧嘩でもしたの?」

夕飯を食べ終えてアイスの棒をくわえたまま、舞美は何の気なしに尋ねた。

79 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:07


「…んーん、してない」
「今日栞菜が先帰ったでしょ?なんかやたら元気なかったから、愛理何かしたのかなぁと思って」
「そんなこと…何もしてないよ」

されたのは、こっち。
何か機嫌が悪いと思ったら、キスをしてくるなんて。
80 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:08

「舞美ちゃん」
「うん?」
「あたし、栞菜が分かんない」
「え、やっぱ何かあったの?」
「・・なんもない、けど」

ひんやりとしたアイスの感触を舌で感じながら、思うのは栞菜のことばかり。
初めてあんなに近い距離で栞菜の目を見たこと、触れた唇の感触。
どれをとっても夢のような出来事で、現実に起こったこととは到底思えない。

舞美は眉をしかめて愛理の顔を覗きこもうとしたが、すぐにそれをわされて部屋にこもってしまった。
急な反抗期かと思ったが、どうやらそうではない。
――やっぱ、そうなんだ。
81 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:08

愛理から栞菜と手を繋いだり抱きついたりのスキンシップは日常茶飯事だった。しかしそれを受け入れてくれていたのは、自分が一番の友人であるからという認識しかなかっただけであり、それ以上の感情を栞菜に対して抱いた事は一度もなかった。

今日、一線を越えてしまうまでは。



――栞菜は、そうじゃなかったの?

82 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:09

だとしたら、最近の栞菜の行動の理由も明らかになる。
必要以上に自分を避けて距離を置こうとしていたことに気付かなかったのは、栞菜を信じていたから。


キスをする栞菜の目は、本気だった。
いくら栞菜でも、冗談で親友にあんなことをするわけがない。
栞菜が音楽室から飛び出して行った後も、胸の高まりと焦りは一向に引きはしなかった。


いつもならリビングで過ごす時間に、ベッドに突っ伏して携帯を開く。
待ち受けの画像に映る栞菜がまるで別人のように思えて、思わずそれを閉じた。
二人で学校帰りに撮ったプリクラは、大切な宝物だった。

83 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:09


明日になれば今日のことが嘘になる。愛理はそう自分に言い聞かせて、携帯をベッドサイドにそっと置いた。

また、戻れるよね?

あの時、姉の舞美に抱く憧れとは違う何かを栞菜に感じた。
それがその夜終始愛理を悩ませ、悲しませた。

分かんない。分かんないよ、栞菜。


84 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:09



「えりー次移動だよ、起きて」
「ん、うー…」
「もーほら、はやく!」
「わかったから!手引っ張んないでって!」


寝ぼけ眼のあたしを叩き起こし、ご丁寧に次の教室へ無理矢理誘導しようとする。次はさぼろうと思っていたのに、このこはことごとくあたしの計画を壊すのが好きらしい。

思えば、何だかんだであたしはこの子の作戦にまんまと引っ掛かってしまったようだ。
朝から放課後まであたしの傍らから離れようとしない。まるで飼い犬のように従順だ。今まであたしを見てきたクラスメイト達は必要以上に関わらないようにしていたはずなのに、この子は違う。というか、他より思考回路が少しズレているんだと思う。
85 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:10

あたしに陸上をやらせたい。
本気でそう思っているとしても、あたしには理解ができない。
心から許し合える、そんな友人など一人も持ったことがないし、持とうとも思わなかった。


だからあたしは、走ることしか出来なかった。
自分との戦いで精一杯なふりをして、他人との関わりを断とうとしていた。


「ガーッと走れば間に合うよ!えり!」
「うち遅刻でいいから、舞美走りなよ」
「えー?だめだよ。あたし、えりと走りたい」

舞美の真っ直ぐな言葉には、いつだって嘘はない。
渡り廊下の手前で立ち止まり、舞美はあたしの手をぎゅっと握った。
86 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:10


信じて良いんだよ、えり。


真っ直ぐなその瞳にそう言われたような気がして、あたしは渡り廊下を突っ走った。

初夏の湿り気を含んだ風が頬をかすめたけれど、そんなことは少しも気にならなかった。
風を切って走ることがこんなに気持ち良かったなんて、ずっと忘れていた。



「一緒に走ろ、えり」



君となら、またやり直せる。そう思った。
あたしはまんまと、この子の策略にはまってしまった。

87 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:10



舞美の作った朝食はろくに喉を通らず、少し残してしまったことに罪悪感を感じた。
何を尋ねるわけでもなくそれを片づけ、いつでも明るく振る舞う舞美は、愛理にとって特別な存在に変わりはない。
それでも、栞菜の存在はそれとも違う。
授業を受けていても友達と会話をしていても、脳裏にこびりつくのは昨日のこと。
一夜で忘れられるようなことではないと分かっていたが、愛理が恐れているのは、たった一人の大切な人を失うことだ。

今日は、朝から一度も栞菜の姿を見かけていない。
もし見かけて目を合わせてくれなかったら、逃げられてしまったら?
そればかりに洗脳されて、教室を出るのも気が引けてしまった。

88 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:11

生憎朝から天候が悪く、正午を過ぎてから激しい雨に見舞われた。
どんよりと曇った空を見上げて、遠方に金色の一筋の光が通った瞬間、愛理はごくりと息を飲んだ。

今日は合唱部の練習はオフであるにも関わらず、愛理は音楽室にいた。
この天候の為陸上部の練習は無くなり、待ち人である栞菜がここへやってくるかもしれない。
わずかな期待と不安の中、縮こまるようにしてピアノの下へもぐりこむ。
きっと来ない。 そう分かっていても、この場所から動く事は出来なかった。

一人取り残された音楽室は空の色のように色落ち、壁に貼られている数々の音楽家の自画像がぎょろりと愛理を睨んでいるようだ。
89 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:11

以前、同じような事があったのを思い出す。
集中豪雨で大きな雷音がゴロゴロと鳴り止まぬ夕方、愛理はここに一人きりでいた。
薄暗くなった教室に時折差し込む無気味な光と音に怯え、泣いていた。
あの時、もし栞菜がいなかったら――
90 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:12



「わーすごい!!どっかーんって聞こえたよね、今!」
「舞美、うっさい。窓閉めてよ、雨入ってくるじゃん」
「そーだよ、えりかちゃんの言う通りだって」
「えりかちゃんて、タメ口じゃん…」
「いーのいーの、ここでは上下関係なんてあってないようなものだから」

無茶苦茶なのは舞美だけではなかったようである。
やたら人懐っこい後輩に囲まれえりかは戸惑いを隠せなかったが、こんなに管理体制の緩い部活なら弱小と呼ばれる所以もはっきりしている、と納得出来た。
唯一過去に大きな記録を残している舞美だけでは、大会に臨むことはできない。
顧問のいない部活だからこそ自由に活動は出来るが、統率者がいないというのは大きな問題である。

91 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:12


梅雨へ向かうこの時期、外での練習はままならないことがほとんどである。
舞美の誘いにようやく乗ったえりかを迎えてミーティングを始めたものの、あまりの豪雨と雷音に栞菜は焦りを感じた。
何か嫌な予感がしてならない。この感覚は、どこかで覚えがある。

突如、地面を裂くような雷音が学校内に轟いた。
それとほぼ同時に室内が真っ暗になり、外ではゴロゴロと蠢く雷音と雲が空を這っている。
92 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:13

停電の放送が校内に入り、栞菜はふと我に返った。


『復旧までしばらく待機。生徒達はその場を動かないように』



「そうだ愛理…雷…」
「まあそのうち復旧するんじゃない?それまで皆でトランプでもやろうよー」
「いやいや暗いし見えないでしょ。…って、さっきまでここにいた子は?」

「えり、栞菜なら大丈夫だよ。たぶん、あそこにいる」

舞美は何故か得意げになって、ぴっと別棟の一角を指差した。

「あそこって…音楽室じゃん。待機してなくて平気かな、廊下も真っ暗なのに」
「だいじょーぶだいじょーぶ。あたしの妹がついてるから!」
「…そう言えば、愛理って雷苦手じゃなかった?」



――これで仲直りしてくれるかな、二人とも。



93 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:13



窓も壊れる勢いの雷音に震えていると、聞き慣れた声がした。

「愛理、いるの?」

他でもない、栞菜の声だった。
もう何日も、何ヶ月も耳にしていないと錯覚するほど懐かしく感じる、その声。
毎日の当たり前がこんなにも特別に感じた事は一度も無かった。栞菜はピアノの下にうずくまる愛理を見つけて、ぺたんと床に座り込んだ。

昨日のことはなかったことになる。きっと、また戻れる。
そっと手を伸ばすと、細い糸がプツンと切れたかのように、愛理が胸に飛び込んできた。

94 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:14


「…かんちゃん、栞菜ぁ!」
「う、わっ!落ち着いて、愛理っ!」

少しだけ自分より背の高い愛理だが、抱きしめるとなるととても華奢で、信じられないくらいその存在を小さく感じた。
強く握られた手は昨日よりもずっと温かく、懐かしいものに感じられた。
もう二度と触れる事ができないと思っていた。この手にも、舞美によく似た綺麗な黒髪にも。


「ごめん、気付くの遅くて…ここで何やってんの?今日部活ないじゃん」
「っ…待ってたんじゃん、栞菜のこと」
「何で?あたし、愛理に酷いコト…」
「栞菜があたしからいなくなるなんて、ヤだよ。傍にいてよ」

強く握られた左手を解こうと思っても、肩に顔を埋める愛理から離れる事など、栞菜には出来る筈もなかった。
どうせなら、思いきり嫌われてしまえばいい。それなのにこの手を振り解く事が出来ないのは、愛理が好きだから。
それ以外に理由を探しても、どこにも見つからない。

あの時もここで、愛理は泣いていた。
あの時からずっと、この気持ちをあたためてきた。

95 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:14


「…愛理のそれと、あたしのじゃ全然違うんだよ?分かってるでしょ?」
「何が違うの?一緒にいたいんだもん、同じだよ」

愛理は顔を上げて、しっかりと栞菜の目をみつめてそう言った。


「どこにも行かないで、栞菜」


栞菜は愛理の涙を拭って、参ったかのように微笑んだ。
ずっと愛理の傍にいればいい。愛理が必要としてくれれば、それでいい。
今まで焦り続けて燻っていた気持ちが次第に解けていくような気持ちに、
やっと落ち着きを取り戻せたような気がした。
96 名前:戻れない 投稿日:2009/05/10(日) 11:15

「…もう、戻れないよ?」

栞菜の言葉に、愛理はこくりと小さく頷いた。
二人が距離にしてゼロに重なった瞬間、電力が復旧し学校内に明かりが点灯した。それにすら気付かない二人は、ピアノの下にうずくまったまま想いを一つに遂げた。
外は嘘のように晴れ晴れとして、グラウンドに広がる一面のみずたまりには虹がかかり、ざわざわと校舎内にいた生徒達がそれを見物を始める。

それよりも今は、二人でこうしていたい。
栞菜は愛里の真っ赤になった頬に触れて、こつんと額を合わせていつもの悪戯な笑みを浮かべる。

「ばかんな」

その顔が妙に憎らしくて、愛おしい。
愛理は何回かのキスの後、何度もその言葉を口にした。



97 名前:ランド 投稿日:2009/05/10(日) 11:15
以上です。
場面転換しすぎでややこしいですねごめんなさいorz
とりあえずあいかんはこんなかんじに。
98 名前:?????h 投稿日:2009/05/10(日) 11:17
レス返し

>>71
展開が早過ぎて読みづらいと思いますが…がんばります

>>72
やじすずもありなかんじで

>>73
かんちゃんの復帰が未定なだけに…
元気な姿を早く見たいですね
99 名前:ランド 投稿日:2009/05/10(日) 11:18
↑名前欄文字化けしてしまいました
失礼しましたorz
100 名前:もう一度 投稿日:2009/05/28(木) 23:19

あたしはあの場所で、何をしていたんだろう。
救急車のサイレンだけが聞こえていて、視界にあったのは動かないあの人の姿。
大声をあげることも泣き崩れることも出来ずに、この先に起こる事態だけが脳内を駆け巡っていた。

台なしにした。
あたしは、あの人の全てを奪った。


顧問は大会が近い事を気にしてあたしをひたすらに走らせた。二度と思い出す事のないよう、長い白線をたどって。それでも、顧問の『仕方が無いから』という一言で済まされるような問題じゃなかった。

101 名前:もう一度 投稿日:2009/05/28(木) 23:20

絶対に忘れるな
今も頭の片隅に、その囁きが聞こえる。

102 名前:もう一度 投稿日:2009/05/28(木) 23:20



「…り、え…」

うつらうつらとする意識の中、いつもの声が聞こえた。


昼休みになっても机に突っ伏したまま動かないあたしを心配してか、舞美が神妙な面持ちで声をかけてきた。
別にどうってことはない。いつもの『発作』みたいなものだから、さして処方箋が必要なことでもなかった。

103 名前:もう一度 投稿日:2009/05/28(木) 23:20


「えり、具合悪いの?朝からずっと寝てる」
「んー平気だよ。それよりノート見せて」
「ならちゃんと起きててよ、心配するじゃん。はい」


いたたまれない罪悪感を憶えた。
まっすぐにあたしを見つめる舞美、手を伸ばせばすぐに届く距離にある過去の栄光に、それらすべてに。

寝ていた分を少しでも取り戻さないと、せっかく学校に来るようになったのに内申が悪ければ意味がない。
達筆な字で記された舞美のノートはどれも綺麗だ。字列もまっすぐだから、字は人を写すんだなと思った。


まっすぐに走りたいと思う。少しもズレずに、まっしろなノートの上で走る黒い線のように、舞美のように。

104 名前:ランド 投稿日:2009/05/28(木) 23:21
ものすごい中途半端ですが明日あたりにまた更新しますorz
今回はやじうめ多めかも、
105 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/29(金) 21:17
楽しみに待ってる
106 名前:ランド 投稿日:2009/05/31(日) 22:37
更新します。
場面がちょっと転換してるので、あしからず
107 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:37
放課後、担任に呼び出された。
案の定眉をひくつかせて突きだしてきたものに目を落として、指先でそれをつまむように受け取った。

また補修、か。
108 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:38

赤ペンで修正された一枚のプリントを眺めながら、昨日の練習で久々に履いたスパイクの感触を思い出していた。
思い出すだけで背筋に緊張が走る。
スタートを切った瞬間にそれがじわじわと快感へと変わって、喉に熱いなにかがこみあげるあの感じ。
あたしは今でも、たまらなくそれが好きなんだと思った。

それも多分、あの子がいたからなんだろうか。
ああいう熱苦しいのは好きじゃないけど、あの子の持ってる力は並じゃない。

いつでも一人で走ってるあたしとは違う。
人を引き付ける大きな魅力が、あたしを動かした。

109 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:38



「梅田さん、勉強してないなー」
「…舞美」
「あれ、びっくりしないんだ。えりはほんとクールだなぁー」


どこから現れたのか、舞美が妙にやらしい表情でぴっと指先であたしのプリントをひったくった。
この表情、なんかむかつく。

誰かに似てる。
そう思ったけど、思い出すのも億劫で目を逸らした。

110 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:38


「オフなのに、こんな時間まで何やってんの?」
「んー、えり待ってた。とか言って、あはは」


舞美は顔の前でプリントをひらひらとさせて、あたしはただバツだらけのそれを見つめていた。
けど、意識はその向こうの舞美に注がれてきた。

いつものつまらなすぎるその冗談が、何故かグサリと胸に刺さったから。

111 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:39


「愛理と帰る約束してたんだけどさー、栞菜に先越されちゃったみたいで退散してきたんだ。あ、愛理ってあたしの妹なんだけど。最近そればっかで、寂しくってさー。ま、二人のキューピッドはあたしなんだけどね。それでさー」
「一人で帰るの寂しいから教室覗いてみたら、うちがいたと」
「やだなぁ、誰でも良いわけじゃないよ?」


前の席にどさっと腰を下ろし、ぐるりとあたしの方を向いて、マシンガントークだった舞美がそんなことを口にした。
プリントと格闘するあたしを上目遣いで見上げ、えへへと笑う。


何だろう、この感じ。

特に意味なんかないその台詞に、不自然に視線が泳いでしまった。
あたしの握っていたシャーペンをすっと奪って添削をし出した舞美には、多分ばれてないだろうけど。

ぶつぶつと計算式を唱える舞美とは対照的に、あたしはぼうっとそれを見ていた。
ただ、気付かれていないことに安堵して。
112 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:39


「で、こうしたらxが出るからね」
「…」
「えり、聞いてる?」


顔を上げた舞美との距離が近くなり、言葉がぐっと喉の奥に押し込まれてしまった。
数学の解説はほとんど耳に入って来ず、つやつやとした舞美の黒髪に目を落としていた。

まっすぐにおろした髪に触れた時はほぼ無意識で、ぽかんとした表情の舞美に気付き、はっと我に返る。

何してんだ、あたし。
113 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:40

「あ、いや、ごめん」
「あはは、どもってるし。えりはいいなぁ。茶髪、似合ってる」


何の気なしに舞美が伸ばした指が、あたしの痛んだ髪に触れた。

ペットでもさわるかのようなやわらかい手つきがなんだかくすぐったくて、それでもそれを拒む気にはなれなかった。

ぽん、とあたしの頭に手を乗せて、じっとあたしの瞳を見つめる。
何か言いたげな唇が、かすかに震えているように見えた。
114 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:40




「…えりと一緒に走れて、嬉しかった」
「…え」
「あたし何も知らないから、えりの背負ってるもの…取り除いてあげられないんだけどさ。一緒に、陸上楽しんでもらいたくて」


震えていた唇が強ばるように笑みを浮かべて、それがいっそうあたしの心の傷を塞いでいくようだった。

ただ走ることしか能がなかったあたしは、それが出来なくなることなんて少しも考えたことがなかった。
与えられた目標を達成して、さらなる高みを目指してただ走り続けていた毎日を、舞美は知らない。
強引だけど、ちゃんと引き際は知ってる。そんな舞美があたしを動かしたんだ。

115 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:41


何も迷わずに、挫折したあたしを立ち直らせてくれた。


だから、多分あたしも迷ってちゃいけないんだ。
知られたくなかった、あのことを打ち明けなければいけない。
116 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:41


「迷惑、だったよね?あはは…」

今更かとは思うけど、舞美が頭に手をあてて苦笑いを浮かべた。
そんなことないよなんて言えなかったから、静かに首を横に振ると嬉しそうに目を細めた。
あたしには出来ない笑い方をする舞美が、すごく可愛いと思った。
頬杖をついてぼんやりしていた毎日を違う色に染めていったのは、紛れも無く舞美の笑顔と言葉があったから。
117 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:41


「ありがと、えり」
「…いいえ。こちらこそ」
「ふふ。えり、好きだよー」
「な、えっ」
「あはは、またどもった。さ、プリントも終わったし、ガーッと走って帰ろうか!」
「ちょ、舞美っ」


手首を掴まれて、反論する間もなく廊下を走った。
嬉しい時、楽しい時に舞美は決まって走りたがる。それがもう癖らしくて、周りなんて気にしないくらいの強さが逆に羨ましいくらい。
少し気になる相手に好きだと言われたくらいで言葉に詰まるようじゃ、ガチガチに固めたあたしのプライドも簡単に壊れてしまうんだろう。
ヒビが入り始めているそれを隠すのに精一杯で、黒髪をなびかせて走る舞美の顔をまともに見る事なんて出来なかった。
118 名前:もう一度 投稿日:2009/05/31(日) 22:42
きっとそのまっすぐな瞳を覗いたら、この小さな気持ちに嘘がつけなくなりそうな気がしたから。
119 名前:ランド 投稿日:2009/05/31(日) 22:43
今日はここまで。
微妙な進展ですがこれで御勘弁をorz

次回、べリがやっと出せそうです。
120 名前:ランド 投稿日:2009/05/31(日) 22:43
>>105
どっと更新できなくてすみません
あたたかく見守っていただければ幸いです
121 名前:ランド 投稿日:2009/06/07(日) 00:09
更新開始
ストックを手違いで消してしまい修正点がありありなので暫くきゅーとさんのみになりそうです
申し訳ないorz
122 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:11


「愛理ー、御飯出来たよー」
「はぁーい」


出張で両親が家を留守にすることは珍しいことではなく、そんな時は専ら舞美が二人
分の朝食を用意する。
毎朝のランニングに加えてほとんど日課になっている朝食作りは舞美にとって当たり
前のことではあるが、朝が弱い愛理はまだ眠そうに目をこすりながら、胸元のボタン
をおぼつかなくとめている。

愛理はコップに注がれた牛乳に口をつけるが、視線を舞美に注いだままこくりと喉を鳴らした。
唇をきゅっと結んで何か言いたげにしている愛理を察したのか、舞美が目玉焼きを口にしたまま小さく首をかしげた。
123 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:12


「…ママ達、しばらく帰って来れないんだよね?」
「ん?そーだね、三日はいないって言ってたかな」
「じゃあさ…呼んでもいい?」

おずおずと尋ねる愛理の目はどこか不安げで、舞美の様子を伺うように眉は下がっている。
舞美はトーストを咀嚼しながら、愛理の意図していることが数秒の沈黙の後に理解できた。
一瞬ためらったのは言うまでもないが、可愛い妹を前にして首を横にふることはできない。
――そっか、でもまあ…



「栞菜と、約束したの?」
「え?あ、うん…」
「ふふ。そっか、うん…へぇー、そっかぁ」
「な、何?」
「んーん。いいよ、泊まりにおいでって、あたしからも言っておくから」

かちゃん、とフォークを皿に置いて舞美が言うと、愛理はふにゃふにゃとした笑顔を見せてようやく食事に手を付けた。
どうやらキューピッドの役目はまだ続いているらしい。姉としては複雑な気持ちではあるが、近頃栞菜との距離がようやく縮まった妹を見ていればそうもしていられないのが本音である。
124 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:13

――いいなー、恋してて

恋をすると人は美しくなるという。
そう言えば、愛理はなんだか大人っぽくなったような気がしなくもない。
ついこの間まで姉である自分と手を繋いで通学していた、幼い妹の面影はほとんど無くなっている。
まだ中学生と思っていたけれど、いつしか知らない間に遠い存在になってしまうような気がした。

「…あいりぃー」
「わ、舞美ちゃん?」
「お姉ちゃんをひとりにするなー」
「ちょっ、せっかくとかしたのにー!」


鏡とにらめっこしながら髪を結う愛理を、後から抱きしめる。

身長こそ舞美のほうが勝っているが、少し大人びた愛理をしばらくの間引き止めてお
きたい。

まだまだ甘えて欲しい、甘えさせて欲しい気持ちがある。
でも今は、ただこうしていたい。


「遅刻するよー、舞美ちゃんてばぁ」


久々のスキンシップに何だか恥ずかしく、照れ隠しに舞美の腕をぱしぱしと叩く。

まあ、たまにはこんな姉も悪くない。


125 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:14




「栞菜ぁ、舞美ちゃん良いって!うちに泊まりにおいでって!」
「ぶっ」


放課後、音楽室に来るなり愛理が瞳をきらきらとさせて栞菜のもとへ小走りにやってきた。
栞菜はというと、口にしていたパック飲料を吹き出しそうになり、慌てて愛理に背を向ける。


「と、泊まるの?あたしが、愛理んちに?」
「え?うん」
「…えーと、遊びに行って良いかとは聞いたんだけどな」
「舞美ちゃんが泊まっていきなって。あーでも急だよね」
「や、そうじゃなくてー」


――我慢、できるかな。イロイロと。

126 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:15

首をかしげてたたずむ愛理には分からないであろう、栞菜の気持ち。
距離が縮まった分、以前よりも簡単にはいかなくなったことがある。

例えば、こんなことだって。


「…迷惑じゃない?」
「ううん、全然」
「じゃあ…お邪魔します」
「へへ、やったぁ」


愛理が栞菜の肩にちょんと首を置いて、何気ないスキンシップをすることすら何だかぞわぞわとする。

嬉しさでいっぱいになりながらも、以前のように振り返って愛理を抱きしめることはできない。
先日交わしたキスのことなど、愛理は忘れてしまったのだろうか。
いつもと変わらないように思えて、特別になったはずの距離は、いかんせん埋まっていないような気がしていた。
127 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:15


あれから愛理に目に見えて変化があったわけでもない。
部活の間の他愛ない会話や、栞菜の意地悪にすねる愛理をからかうのもいつものことである。
栞菜がグラウンドにいれば窓から顔を出してそれを眺めるのも、以前と変わらない。
しいて言えば、一緒に帰る回数が増えたくらいだ。

あたし、本当に愛理とキスしたんだっけ?

誰よりも近い距離で愛理に触れた時は、夢のような心地だった。
今では甘い雰囲気どころか、お互いが何事もなかったかのように毎日を過ごしている。

音楽室では慣れていることでも、初めて上がる愛理の部屋に二人きりとなれば、「そういう」雰囲気になってもおかしくない。

愛理は、どう思ってるんだろう。


128 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:16




「えりは一人っ子だよねー」
「うん」
「寂しくない?」
「別に。もう慣れた」


舞美のマシンガントークに付き合わされるいつもの昼休み、先に昼食を終えたえりかがうたた寝をするのを遮られた。

箸をくわえたまま眉間にしわを寄せている舞美の顔がやけに滑稽に見えて、えりかは顔を背けて静かに笑った。
妹のことを考えているときの舞美はたいていどこか上の空で、えりかにはそれが舞美にとって唯一の悩みでもあるようにも見えた。
129 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:18


「あたしは愛理がいなかったら寂しいなぁ」
「だろうね」
「栞菜には勝てないのかなぁー、あたし」
「んー、それとこれとは別だと思うけど」
「え?」
「たぶん、愛理ちゃんは舞美のこと好きだよ。その、栞菜ちゃんのとは違くても」


えりかには、舞美のように愛理という妹がいるわけでも無ければ他に兄弟もいない。
それでも、舞美が愛理にとって最愛の家族の一員であるということくらいは分かっているつもりだった。
愛理には、優しさのカタマリでできているようなこの姉を超える存在は、どこを探しても二人といないだろうから。

えりかの言葉に安堵し、舞美は「よし!」と何かを決心したかのようにガッツポーズをする。 

そういう舞美のことが、あたしは――

130 名前:ほんとうのこと 投稿日:2009/06/07(日) 00:18




「じゃ、えりも泊まりにおいでよ!」
「は?」
「そしたら寂しくないし!ね、おいでよえり」
「いやいや、だから寂しくないって」
「じゃなくて!あたしが、寂しいんだもん」


舞美は上体を傾けてえりかに寄りかかる。
ずくん、とえりかの中で何かが蠢き、「分かった」とだけ返事をした。
愛理の代替えのような存在なのだろうか。だがそうは口にしなかった。後で鼻歌を歌いだす舞美に、そんなことを聞けるほど勇気はない。


『友達の家に泊まる』
そう母親にメールを送信した直後、授業開始のチャイムが鳴り。舞美に引きずられて屋上を後にした。


131 名前:ランド 投稿日:2009/06/07(日) 00:19
このへんで切ります
132 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/08/04(火) 12:39
待ってます・・・!
133 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/08/18(火) 01:38
一気に読みました
舞美が可愛いのはもちろん、みんな可愛くてニヤニヤしてしまいましたw
続きも楽しみに待ってます!
134 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/26(月) 16:23
梅さんは卒業してしまいましたが待ってます!

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