FAVORITE ONE
- 1 名前:tsukise 投稿日:2009/02/21(土) 17:43
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いくつか作品を書かせて頂いておりました者です。
矢島さん、鈴木さんを中心に話を展開させて頂きます。
スレ汚しにならぬよう努めますのでよろしくお願いします。
- 2 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:43
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――――― まっすぐな瞳に惹かれた。ううん、射抜かれた。
レンズ越しでもわかる、澄み切った真剣な瞳に。
それから、弾けるような笑顔。
なんの含みもない、無邪気な子供みたいな。
夏の残光に浮かんだその姿がとっても印象的で。
きっと私は、最初に見つけた瞬間から――― 本当は追いかけてた。
- 3 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:44
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- 4 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:44
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「――♪―――♪ ―――――♪」
耳に届くのは、流れるような旋律。
視線を落とせば、その指先がとても複雑な動きをしているけど、
息を吹き入れている主は、まったく苦に感じる様子もなく、
次々と譜面に踊る音符を追いかけていく。
ううん、実際にはもう譜面なんてみてない。
全部頭の中に入ってるから。
だから、自分の中で音を膨らませてる。
その姿は、不思議に指を躍らせる魔法使いみたい。
白い肌なのが余計に際立って、
その独特な存在感のせいか、指が踊る楽器はファゴットなのに
遠くから聞こえる金管楽器の音さえ掻き消える。
- 5 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:44
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「――♪――♪――♪――♪――」
32分音符の素早いトリル。
それも難なく滑らかに歌いきって、そして彼女…りーちゃんは
やっとその指を止めた。
黒目がちでとろんとした瞳が、そのまま私に向けられる。
「やっぱ難しい」
「あははっ」
甘い眼差しとは裏腹に、開口一番りーちゃんはそんなことを言う。
全部綺麗に吹ききったくせに。
「笑うな愛理」
「ごめんごめん」
私の反応に、むっと眉を寄せて弱く抗議。
でもお人形みたいな顔のりーちゃんが怒っても可愛いだけで、
私はますます笑顔になる。
- 6 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:45
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土曜日の部活棟の廊下では、朝から私達 吹奏楽部が自主練習をしている。
1階は家庭科部や園芸部、科学部がそれ用の教室を使っているから、
2階から4階までだけど。
2階にはトランペット・トロンボーン・ホルンの金管楽器。
3階にはサックス・フルート・ファゴット・オーボエ・
そして、4階の廊下でチューバとユーフォニウム。
うちの学校には2つの音楽室があって、第一音楽室でパーカッションが
第二音楽室でクラリネットが練習中。
時間ごとにパート練習が組み込まれたりしていて、
渡された課題曲とか、みんなそれぞれに取り組んでるんだ。
大体部活の時間は放課後なら3時間。
土曜日曜や、夏休みなんかは朝9から夕方6時まで。
ラスト1時間はみんな第一音楽室に入って合奏なんだけど、
それまでは先生がくることは滅多にないから、
結構自由に、みんな色んなパートに行き来してたりする。
- 7 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:45
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今も、クラリネットの私は音楽室を抜け出して、
3階のファゴットを吹く親友、りーちゃんの所に。
別に遊びにきてるわけじゃない。
ちゃんと練習にきてるんだ。
「どう? どっかおかしい?」
「う…んと、時々音を切るとき固い感じになってるかも。ブツッ、ブツッ、って」
「あー、やっぱり? なんか息が続かなくって、時々音の最後まで
気が回らなくなってるんだよね」
「さすがにソロパートだし、目立つかな」
「うーん…」
そう、今回渡された曲にはりーちゃんのソロパートがあるんだ。
そして。
「うん。気をつける。じゃ、次愛理も聴くよ?」
「ん」
私にも。
- 8 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:46
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スペイン狂詩曲。
今回渡された自由曲はこれ。
夏の始まりの時期にある地区コンクール、
それに向けて選曲されたんだけど、これがなかなか難しい。
課題曲が大体4分。
自由曲で大体7分ちょっと。
全体で12分までに仕上げなければならないのに、
その中に2つのソロが組み込まれていて、
この大会への先生の意気込みが見えるかも。
でも、任された方は大変。
私もりーちゃんもまだ中学2年生。
そりゃあ、それぞれの楽器に触れたのはもう物心ついた頃からだから
始めて1,2年の人とは音の作り方とかもう全然違うけれど。
それでも、やっぱり周りのプレッシャーとかがもの凄いんだ。
何故かわからないけれど、先輩達は「二人なら大丈夫」なんて
よくわからない言葉をみんなするし。
でも、任されたからにはやり遂げたい。
だから、こうしてソロパートに時間を多くさく。
- 9 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:46
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「メトロノーム、使っていい?」
「いっつも愛理最初そうするね。先生も自由にしていいって言ってくれてるのに」
「んー…、そうなんだけど、いつもやってるし…基本から入りたいから」
「ま、いいけど。えーと…208でいいんだよね?」
「うん」
りーちゃんがカチカチとメトロノームをセットしてくれてる間に、
隣の椅子に置いておいたA管とB管を交換する。
いつもはB管でいいんだけど、この曲のソロはとっても低音を大事にした曲。
深く広がりのある音を出すにはA管の方が向いてるんだ。
カチ、カチ、カチ、カチ。
規則正しい機械音。
それを耳に慣らして、ゆっくりマウスピースに唇を当てる。
ちらりと視線を向ければ、りーちゃんは『いつでもどうぞ』と一度笑顔。
- 10 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:46
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確認して、素早く息を吸い込み―――― 歌いだす。
正確に。
確実に。
いつだって基本に忠実。
自由にって言われても、その方法がわからない。
りーちゃんのように、感情をそのまま音に変えることが私には難しくって
どうしても、『模範』な吹き方。
これじゃダメだってわかっていても、今はこれしかできない。
みんなが好いてくれる、この出し方しか…私は知らない。
- 11 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:47
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- 12 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:47
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「ブラボー」
吹き終わった瞬間に聞こえたのはそんな声。
りーちゃんじゃない。
りーちゃんは茶化してこんな風に言わない。
顔を上げてまず見えたのは、うんざりしたようなりーちゃん。
視線は私の後ろに。
なんだかそれだけで誰か判った気がする。
りーちゃんがちょっと苦手意識をもつ相手って限られるから。
「…ちっさー?」
「おぉっ! 愛理、うしろ見なくても気づくなんてすげー!」
「何しにきたのよ、千聖。あんたトロンボーンでしょ?」
「そんな怒りなさんなって」
冷ややかな りーちゃんの言葉もなんのその。
まったく気にしてない様子で、指先でメトロノームを止めてる。
- 13 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:48
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この子、岡井千聖は部活の中でもムードメーカーで。
相手が上級生でも、すぐ仲良くなれる不思議な子。
明朗快活、まさにそんな言葉が当てはまるかも。
小さい身体なのに、希望してトロンボーンを吹いてるけど
2年になった今も音を割る事も出来ず、お世辞にも上手いとは言えなくて。
きっと、こうやって練習を抜け出すのが原因なんじゃないかなって
いつも思うんだよね。
「二人とも、気づいてないみたいだから呼びにきてやったんだよ」
「はぁ? なに、なんなのよそれ?」
「りーちゃん…」
ケンカ腰のりーちゃんに、どうどうと抑えるそぶりをする。
このままじゃ話が進まない。
私のその姿に、一度ぶすっとしたりーちゃんだけど、
しぶしぶ「それで?」と ちっさーに話を振ってみせた。
- 14 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:48
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「昨日言われたじゃんかー。今日は午前中だけの練習で
午後からは高等部の見学に行くって」
「「あ」」
見事、りーちゃんと声がハモる。
そういえば、そんな話を昨日部長のなっきーから聞いたかもしれない。
私達の学校は、中等部と高等部、そして大学・大学院までエスカレーターで、
情報交換や、色んな指導を兼ねてこうやって部活や行事で交流があるんだ。
それなりに色んな部活で成果が出てて、この吹奏楽部も実は全国大会の
常連校だったりする。
- 15 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:48
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「みんなもう楽器片してるよ? 二人もさっさと用意しなよ?」
「わっ、行こう、りーちゃん」
「うん。 ……千聖、今回は感謝しとく。ありがと」
「へっへーん、素直じゃないなぁ〜」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ムカつく」
まぁまぁ、と、りーちゃんを抑えて私達は立ち上がるとケースを取りに行く。
私もりーちゃんも、楽器は学校のものでなくって自前だから。
パイプ椅子は片付けとくよー、という千聖に感謝して駆けてく。
階段にのぼりざま振り返ったら、
千聖が自分とあんまり変わらない大きさのパイプ椅子2つと格闘してて
ちょっと笑ってしまったっけ。
- 16 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:49
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- 17 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:49
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高等部は、中等部・初等部を含めた大きな敷地の一角に位置していて、
初等部から入学した生徒は12年+6年間をこの場所で過ごすことになる。
一応、この学校は近辺でエリート女子校として名が通っていて、
情報通の千聖いわく『桜の園』というものらしい。
おいそれと他の学校の生徒が立ち入れない特殊な学校、そんな感じ。
初等部と中等部が西館・東館と肩を並べるように建っているけど
高等部はその奥、ちょっとした林を越えた先にある旧館にある。
だから、私達にとってはどこか謎めいた世界で。
こうした機会がなければその場所を見ることさえ難しいんだ。
- 18 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:49
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「なんかさ、高等部っていっつも思うけど、独特な空間だよね」
高等部に続くアスファルトを歩きながら、先を歩いていた栞菜が振り返った。
その手に持ったテナーサックスのケースを何度も持ち替えてる。
居心地悪いのかな。
持とうか?っていうけど、栞菜は軽く首をふって笑顔。
「うん」
「だよね、やっぱり。先輩達は優しいけど、行くまでが緊張するし」
「栞菜も先輩なのにね」
くすくす笑ってみせると、なによぉーと身体をぶつけてくる。
この一つ上の先輩は、ぜんぜん偉ぶった風でもなくって
気さくに私達に話しかけてくれる。
そんなに先輩後輩とうるさくないうちの部は、名前で呼んでも怒られない。
だからこそチームワークは他の部のどこにも負けてないと思うし、
ここぞという時は、みんな一丸となって頑張れる。
ちゃんとみんな節度も持ってるから先生も何も言わないし。
- 19 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:50
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「てかさー、愛理たちはいいよねー、軽そうで」
「えぇ? 栞菜もそんなに重くないでしょ?」
「まぁ、あたしはまだねー。でもさ…」
そこで後ろに視線を向ける栞菜。
追うように振り返れば、ぜーぜー言いながらぐったりついてきている2人。
その手には、身体より全然大きいケースを抱えるようにしてて。
「熊井ちゃんと まーさは大変だよ。コントラバスだし」
「あぁ…」
確かに。
あれは辛い。
一度持たせてもらったことがあるけど、私なんかじゃ全然動かない。
二人でこそ、なんとか持って歩けてるけど、普通は何か台車に乗せても
いいんじゃないかなぁって思う。
- 20 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:50
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「まぁ、手伝うよ」
「りしゃこには無理。いいから転ばないように先歩きな」
りーちゃんが気遣わしげに駆け寄るけど、まーさは苦しさからか
すごい形相のまま、りーちゃんを追っ払った。
まーさなりの優しさなんだろうけど、ものすごく怖いよ。
「でも」
「梨沙子、潰れるだけっしょ? いいからほら」
熊井ちゃんも、苦笑してりーちゃんの頭を一撫で。
それだけでコンバスがぐらついて、おっと、なんて手で止めてる。
3年生の二人にそこまで言われて、りーちゃんはしぶしぶ私のもとに
帰ってきた。
- 21 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:50
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「だいじょうぶだよ、二人ともいつものことだし」
「そうだけど」
もごもごいいあぐねいてる りーちゃんは時々甘えん坊で、
よく二人に懐いてたっけ。
だから、力になりたいっていうのはわかるけど、
多分、余計な心配をかけるのがオチかも。
私もだけど、りーちゃんもそんなに運動神経がいいほうじゃないから。
「ほら、みんなはぐれないでよ?高等部って入り組んでるから」
『はーい』
部長のナッキーが、一番前で声をかけてみんなが応える。
確かに、何度目かの高等部だけど、林を抜けてからが大変で、
膨大な敷地の真ん中に、どでんと建っている旧館がこれまた膨大。
もちろん中に入ればまるで迷路。
こんな中、慣れていない私達がひとりではぐれたりなんかしたらと
思うだけでゾっとする。
そう、わかっていた、のに。
- 22 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:51
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「はぐれた…」
ほんの一瞬のことだった。
手に持っていた譜面が風に飛ばされて。
りーちゃんも手伝って拾ってくれてたのがほんの数分前。
ぜんぶ集めたと思って確認したら、一枚たりなくって。
首を回せば林の中の芝生に落ちていたその一枚。
高等部までは一本道だしすぐ追いつくからと、
りーちゃんを先に行かせたのが間違いだった。
拾って歩き出せば……その先には二手に分かれていた道。
道案内の掲示板は古くて見えず、とりあえず右手の法則、なんて
考えて歩き出したらのが運のつき。
- 23 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:51
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「ここ…どこ?」
どう見ても旧館だとはいえない、システマチックな建物を目の前に
途方に暮れる。
情けなく眉が下がってしまってる自分は自覚してた。
でも、どうしようもない。
本当によわっているんだから。
ドーム型の屋根造りから円柱に伸びた一面ガラスの建物。
外にいる私にも中が見えるぐらい青みがかって透き通ってる。
壁は大理石で、こんな場所があったなんてって驚きでいっぱい。
「困った…。でも…」
それと一緒に胸に湧き上がってきたのは好奇心。
こんなときに非常識極まりないけど、中を見てみたいって
純粋にそう思ったんだ。
きっと、綺麗な宝石を見つけたのとおんなじ感覚。
ただ、見てみたいって。
触れてみたいって。
- 24 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:51
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「少しだけ…なら…」
ガチャ。
中に入る扉は意外とすぐ見つけた。
そう重くはない扉を静かにあけて、一歩踏み入れる。
カツン。
それだけで響き渡る革靴。
一面大理石で出来てるから
つま先の擦れる音まで、空間に弾けていく。
「わぁ…」
そこはちょっとした吹き抜けだった。
ドーム型の屋根は、それでも所々に窓があって
差し込んでくる陽の光を集めて足元を照らし出す。
静寂に包まれているためか、なんだか自分が特別になった気分。
- 25 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:52
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反対のガラス窓を覗けば、そこには中庭。
手入れの行き届いた植物達が、噴水の周りで青々と茂っている。
水の音はここには届かないけれど、見ているだけで心落ち着くのは
この空間と、緑の幻想のせいかもしれない。
なんだか…。
「嬉しい、かも」
こんな空間を知る事ができて。
ケガの功名、なんていったらナッキーに怒られるかな。
カツン、カツン。
歩いてみてわかったけれど意外と広いこの場所は、
どうやら4つの吹き抜けを廊下で繋げているみたいだった。
その角となる場所に、一つずつオブジェを飾っていて。
そして最後に回った角。
そこがどうやら旧館の渡り廊下に繋がっているようで、
ここにきて、やっとホッとしたっけ。
- 26 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:52
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「ここからいけば…誰かに逢えるかな」
そうすれば、道を聞いて音楽室へと行けばいい。
怒られるだろうけど、しょうがない。
そう思って、その渡り廊下に一歩踏み出そうとしたときだった。
一瞬 ――――光が瞼を焦がした。
ううん、まるで前に進むのを引き止めるように。
ふっと、その光の眩しさに目を背けるように身体を反転させて、
視界に飛び込んできたものに息を飲む。
- 27 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:52
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―――― 一面のblue。
深く、溶けてしまいそうなその色に目を奪われた。
瞬きすらできない。
それだけ―――見事だった。
- 28 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:53
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それは3mぐらいのパネルにされた1枚の写真。
魚眼レンズであおりの角度から撮られた、空。
ただそれだけなのに、なんていう存在感。
淡い水色から、突き抜けていくような瑠璃色までのグラデーションが
まるでこの世界から くりぬかれた幻想のようで、ため息がでる。
「綺麗…」
写真のことなんてわからない。
どんな写技術がすごくて、どういうものはダメなのか、
そんな基準だって、ぜんぜん知らない。
でも、この写真は、そう、『好き』だ。
隅々まで延びた青は、生き生きとしていて、
うっすら風の行方を辿るように見える淡い雲は、ナイフの切っ先みたいで鋭い。
それさえも空という存在を際立たせてる気がする。
- 29 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:53
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「誰が…」
この写真を撮ったんだろう?
隅々に名前を探す。
きっと、すごい人。
もしかしたら、気難しいおじさんみたいな人かもしれない。
でも名前を探さずにはいられなかった。
好きなものなら、なんでも知っていたい。
ただ、それだけ。
誰でも思う好奇心が、今の私の中でも膨れ上がっていたんだ。
そんな私は、傍から見たらどんな光景だったんだろう?
こんな高等部の吹き抜けで、中等部の生徒が写真を見つめてる。
きっと似つかわしくない姿。
だからかな、
- 30 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:54
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「ねぇ、あなた」
突然、鋭い声が投げかけられた。
ううん、鋭いというより…、どこか凛としていて…でも甘い。
なんだか無視することを許されない威圧感が、そこにはあった。
「あ…はい…?」
きっと気持ちが高ぶっていたからだろう。
いつもなら、おどおどして萎縮してしまうのに、何も考えず振り返った。
その胸に、私にしては珍しいモヤモヤしたものを感じながら。
誰もが好きなことをしているときに邪魔されたら思う感覚、まさにそんな風に。
でも―――。
「ソレ、気に入った?」
振り返った先にいた人をみて、がちんと固まって動けなくなった。
- 31 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:54
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何気なく放った言葉は、ぜんぜんそんな感じはないはずなのに
ものすごいプレッシャーを含んでいて。
なにより、その人のカタチ。
肩口で揺れるストレートな髪。
どこか気だるげな目は、それでも強い光を秘めて私を捉えてる。
柔らかな身体の曲線。
滑らかな肌。
艶やかな唇。
すべてが、成熟した女性のそれ。
なんてことはない黒いコートさえも、
その人の輪郭を際立たせるようにハっとさせる。
一言でいうなら、
――― 彫刻のような人が扉にもたれかかるようにしてそこにいた。
- 32 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:54
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「? ねぇ、聞こえてる?」
「あ、はい…っ」
甘いアルトがかった声に苛立った様子はなく、もう一度私を呼び戻す。
幻想から現実へ。
でも、その先にいた人も、つくりものめいたような綺麗な人。
なんだか、まだ幻想を見ているみたい。
だから、かな。
自然と話せた。
「ソレ、気に入ったの?」
ソレ、なんていうけど指しているものはひとつ。
私の後ろに伸びる青。
気に入った、なんて言葉よりもっと別のものが浮かんだけれど
その言葉を私はしらない。
だからただ頷く。
- 33 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:55
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「はい、すごく」
私の言葉になにを感じたんだろう?
その彫刻の人は、一度降り注ぐ光に眩しそうに目を細め
私とその写真を視界におさめるようにして瞬きを一つ。
そして、
「そう」
びっくりするぐらい無邪気に笑った。
まるでテストで満点を取った子供をほめるように、柔らかく。
ただそれだけなのに、今まで感じていた冷たさは消えていく。
本当に子供のようにその人が笑ったから。
そのまま、ブーツのかかとをカツカツと鳴らしながら
私の隣に並ぶようにして写真を見上げる。
涼しい柑橘系のフラグレンスに、胸が鳴るのを感じながら
もう一度私も写真を見上げた。
- 34 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:55
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「どんな感じ? これ」
「え?」
「感想聞かせて。どんなこと思った?」
どんなことって言われても…。
そんな難しいことはわからない。
望んでる言葉だってわからない。
でも、ちらりと横顔を見れば穏やかに写真に向けられたままの眼差し。
彫刻の人は本当に今思ったことだけを求めているみたいで、
私は、とつとつと言葉にしたんだ。
- 35 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:55
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「えっと…、全然写真のことはわからないんですけど、
その…、ただ、いちばん好きなものを撮ったんだろうなぁって。」
じゃなきゃ、こんな潔い青なんて撮れない。
技術を気にする人は、人が気に入る作品に姿を変えるって言う。
それは音楽でも絵画でも、きっと写真でも一緒。
プロなら、それが求められるのかもしれない。
でも、この写真には、そんな見ている側の期待とか、
そういうのを背負った感じがしないんだ。
私も、音楽の…まだアマチュアだけど齧っているからわかる。
この写真は、純粋に撮りたいものだけを撮った。
そこになにもなく。
ただ、空を。
- 36 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:56
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「へぇ」
私にいったい何を見たんだろう?
隣に立つその人は、優しい目でもう一度私と写真を交互に見て。
やっぱり嬉しそうに頬を緩めてた。
もしかして、この人がこの写真の?
「あ、あの…」
「後藤、こっちや、なにしてんねん」
恐る恐るたずねようとした瞬間、遮るように投げかけられたのは関西弁。
私の声なんてかき消すほどの重いその声に、彫刻の人は振り返って。
扉の向こうに軽く手をあげて答えてる。
そして。
- 37 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:56
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「じゃ、ね」
まるで軽くステップを踏むように踵を返し、歩き出した。
あまりに颯爽としていて、声をかけられない。
でも、そんな私に声をかけたのは、他でもないその人のほうだった。
くるっと振り返って。
「あ」
「?」
「それ、クランポン?」
「え?」
なにを言われたのか、一瞬わからず呆ける。
それが私の手に持ったクラリネットのことだと気づくのに数秒要した。
クランポン。
それはクラリネットのブランドの名前。
学校で支給されるヤマハではどうしても合わなくて、
お父さんに買ってもらった。
値段は張ったけど、5年も使っているから今では私の一部。
大切なものだ。
- 38 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:56
-
「あ、は、はい」
「ふむ」
中身はもしかしたら子供っぽいところがあるのかもしれない。
その人は、探偵さんのように顎に指を当てる仕草をしてみせて、
何度も私と楽器、そして写真を見比べたんだ。
それから何かに納得したように一度頷いて。
「あなた、いい感性もってるよ」
「え?」
「クラ、頑張って」
「あ…っ」
止めようと声をあげるけれど、その人は軽やかにその場を去っていってしまった。
どこまでも彫刻のように幻想的な影を残しながら。
- 39 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:57
-
聞けなかった…。
写真を撮ったのかどうなのか。
でも、………なんとなく『違う』ってわかった。
この写真を撮ったのは、あの人じゃない。
あの人は、どこか私と一緒の匂いがしたから。
それは誰かの描く線を歩いていく人にだけある、独特な雰囲気。
それが、あの人にもかすかに感じたんだ。
自由であって、自由じゃない。
そんな…雰囲気。
- 40 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:57
-
きゅっと譜面を胸に抱いて、もう一度写真に振り返る。
それだけで心拍が上がる。
好きだ。
この写真が。
その事実だけが、はっきりわかる。
だから知りたかった。
この写真を撮った人。
きっとやっぱり難しいおじさん。
すっごく有名な人かもしれない。
それでも、知りたい。
- 41 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:57
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「名前…きっとどこかに…。…あっ」
見つけた。
くまなく写真を見渡して。
その写真の後ろ、隠れ気味に下に貼り付けられたプレート。
「1年 矢島…舞美?」
1年?
1年って、高校?
えっ? じゃあ、この人は…この写真を撮った人は、ここの生徒?
一気に現実味を帯びる幻想。
まるで別世界の人だと思っていたカタチが色濃く動き出す。
私の中に動き出す。
どんな…人?
どんな気持ちで、この青を?
逢いたい…。
聞きたい、いろんなこと。
知りたい、その人のこと。
- 42 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:58
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止まらなかった。
欲求が一気に溢れかえる。
でも、こぼれだしそうになったその心をとめたのは―――
「あっ! いた! 愛理!!」
「っ!? あ…ちっさー、りーちゃん…」
現実に引き戻す見知った人たちの姿。
ぱちぱちと瞬きをして、今どこにいるのか確認する。
そうだ…、私、こんなところにいてる場合じゃ…。
「もー、探したぞぉー。さっきすれ違った人が教えてくれたから
よかったけど、このまま見つかんないかと思ったじゃんかぁ」
「ごめん、ちっさー」
まくし立てるちっさーに頭をさげる。
迷惑かけて申し訳ない。
- 43 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:58
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でも、りーちゃんは…、
「写真? 見てたの?」
「あ……うん」
「綺麗だね」
「………うん」
こういうとき、やっぱりりーちゃんは一番の友達だと思うんだ。
私の視界を一瞬でトレスしたみたいに追いかける。
そして、もともと似た感性が、気に入った、と伝える。
だから、何もいわなくても伝わる。
いろんなことが。
「なになに?二人の世界?」
「うるさい千聖」
「なんだよもぉー! 探しにきたんだろーっ?」
「黙って」
「うわっ、無視デスカ」
きゃんきゃん噛み付くちっさーを気にも留めず、
りーちゃんは写真に近づいて、同じように名前を見た。
それから「1年…」とつぶやいて。
- 44 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:58
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「この人、わかるかもよ?」
「ほんとに?」
「うん、まだここにいれば、だけど」
「え?」
いれば?
どういうこと?と首を傾げれば、りーちゃんはプレートを
注意深く見て、
「この写真、いつのかわからないもん。もしかしたら卒業生かもだし」
「あ……」
確かに。
なんでそのことに気づかなかったんだろう?
1年、なんてあっても、それが今の学年だなんて保証ない。
こういう展示物だとよくあること。
昔の作品でも、ずっと展示しておくなんて。
- 45 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:59
-
「それに…、これ、内閣総理大臣賞受賞作品だって」
「えっ?」
「ほら」
指差されて、もう一度プレートを見れば
写真で隠れた上の部分に確かに書かれていた。
そんなすごい写真…だったんだ。
一気に気持ちが落ち込んでくる。
少し勘違いしていた自分が恥ずかしい。
そう、自分だけがこの写真のよさをわかってるだなんてうぬぼれて。
なんてことはない、みんなが気に入った作品だったんだ。
- 46 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:59
-
「みやに訊いてあげよっか?」
「みやに?」
「うん」
『みや』とは、去年高等部に上がった私達の2つ上の先輩で
りーちゃんの幼馴染でもあったりする。
きっと私達中等部よりも、同じ高等部のほうが見つけられるかも、と
思ってくれたんだろう。
でも、その言葉にやんわり首を振った。
「いいの?」
「うん。なんか、納得したから」
「…ふぅん」
りーちゃんは、一瞬眉をしかめたけれど
私の表情に何かを感じ取ったみたいで、もう言及しなかった。
そう、なんか、納得してしまったから。
『矢島さん』は私と違う。
在り方が違う。
それがわかっただけで、もう。
- 47 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 17:59
-
「おいっ、そろそろ行かないと!」
「あ」
そこまできて、やっとちっさーに思い当たった。
痺れを切らしたんだろう、入り口の扉でバタバタ飛び跳ねてる。
「行こ、りーちゃん」
「うん」
名残惜しい気持ちは確かにある。
けれど、ここまで。
次はないかしれない。
もう…忘れたほうがいいのかもしれない。
でも、あのblueだけは胸にしまって。
さぁ、行こう。
- 48 名前:Unlimited blue 投稿日:2009/02/21(土) 18:00
-
駆け出して部屋を出、扉が閉まる直前もう一度だけ写真を見た。
変わらぬ青は、凛としていて、やっぱり好きだ…と思ったっけ。
矢島、舞美さん。
たくさんの人が見つめたその才能。
好きなものを、認めさせたその才能。
透き通るblueを、余すことなく伝えた人。
一言でいえば、『凄い人』。
――――― それが私が初めて彼女を認識した瞬間だったんだ。
- 49 名前:tsukise 投稿日:2009/02/21(土) 18:02
- >>2-48
今回更新はここまでです。
スローペース、更新量大目ででいくかと思いますが
よろしくお願いします。
レスを頂ける場合は『sage』で下さると幸いです。
- 50 名前:名無し 投稿日:2009/02/21(土) 18:52
- tsukiseさんの新作待ってました!
ものすごく色が脳裏に浮かびました。
これからどんな風になっていくのか楽しみです。
tsukiseさんのペースで頑張って下さい!
- 51 名前:YOU 投稿日:2009/02/21(土) 22:45
- tsukiseさんの新作待っていましたよぉ〜!!!
今回のお話も最初っから引き込まれてしまいましたよ。
これでまた楽しみが増えました♪
これからも更新待ってますので!
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/22(日) 03:57
- なんか壮大ですね☆☆
楽しみです☆
>>17の12年+6年がわかりませんでした(>_<)
あとおせっかいかもですが、フラグレンス→フレグランスですよ〜
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/23(月) 00:09
- 自分の中では、後藤さんは過去の人にしてしまっていたけど、
いざ名前が出ると、やはり心が騒いでしまいます。
ベリキューとの絡みに期待します。
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/26(木) 21:45
- 綺麗な文章ですね
- 55 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:02
-
―――― もっとはやく。
暗闇の中で走り出す。
すべる指先は、間違えることなく
ひとつひとつの音符を追いかけながら加速。
――――正確に。
トリルは最初の音を深く伸ばして滑らかに。
強くは吹かない。
指先が忙しくなると途端にフォルテになるのは未熟な奏者だから。
同じように高音になれば叫びだすのも一緒。
そうならぬように、ブレスは一定に。
――――深く、どこまでも深く。
低音に入れば、響くように腹の奥から息を吹き込む。
広げるように、それこそ遠くの聞き手にまで届くように。
――――そして、丁寧に。
歌い終える最後の音は、どの音よりも大切に。
最後の余韻まで手を抜かない。
竜頭蛇尾にならないよう、しっかり。
- 56 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:03
-
・
・
・
- 57 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:03
-
「…………… はい、OK」
瞼をそっと開き暗闇から開放された瞬間聞こえた声に、
マウスピースから唇を離す。
こぼれた息は暖かく、
肺に残ったすべての酸素を出し切ったみたいな感じ。
「うん、いいね、すごく」
「ありがとうございます」
パイプ椅子を並べて私の音を聴いてくれていた清水先輩に頭を下げる。
緊張だらけなんだけど、マンツーマンで指導してくれるだけあって、
的確な言葉はありがたい。
高等部の見学、とはいっても、実はこうした指導で。
私達は今まで練習してきたすべてを見てもらう。
中等部と違って、高等部はプロへの道を目指している人も少なくないから
その技術は一線級なものばかり。
そんな人たちに見てもらえるんだからはりきってしまうのも無理ない。
- 58 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:04
-
「漏れるブレス音も少ないし、テンポも正確。さすがだね」
「いえ、そんな…」
「リードは何使ってる?」
「あ、3です」
「うーん、じゃあ3・1/2にしてもいいかもよ?」
「そうですか?」
「まぁ、かたくなりそうなら今でもいいけど、愛理ならいけそう」
「はぁ」
3・1/2…、それはリードの硬さ。
2、2・1/2、3、3・1/2、4と硬くなっていって、自分に合ったものをみんな使う。
私の場合はいつも平均的な3か、その3をヤスリですったものを使うんだ。
リードは大抵1箱に10枚入ってるけど、そのまま使えるのは1枚あるかないか。
だからみんな、工夫して自分に合うものを作ってリードケースにソトックする。
演奏中に場違いな音を出してしまうリードミスや、
息漏れのスースーした音を出すことは絶対にしたくないから。
「3・1/2かぁ…」
「ま、コンクールまでに合うなら試してみて」
「はい」
提案してくれた清水先輩は高等部の吹奏楽部部長さんでEクラリネット奏者。
クラリネットなら全部試した先輩だけあって、大抵の相談には答えてくれる。
性格も、冷静沈着のしっかり者で、信頼は厚いんじゃないかな。
- 59 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:05
-
「なんかごめんね、いつもあたしが担当で」
「いえ、全然」
「みんなさ、愛理と梨沙子はやる事なくってつまんないんだって」
「えぇ?」
「ほら、二人とも吹奏楽始めて長いでしょ?
だから怒るとことか少なくって困るんだって」
「そんな」
思わず苦笑。
どんな風に私達は見られてるんだろう?
全然そんなことないのに。
でも、清水先輩は「ほんとだよぉ?」なんて首を傾けて笑った。
「それにこの間さ、梨沙子に指導した子なんて逆に意見されて
凹んでたもん。自分でもわかってた苦手なところとか言われてさ」
「あー…」
確かに、りーちゃんはそういうところある。
音楽に関しては、自分にも他人にも厳しいから。
中途半端な音はとても嫌うんだ。
それが誰であっても。
前に街の商店街でやってたブラスバンドに えらく腹を立ててたし。
らしいと言えば、らしいけど時々困ってしまう。
- 60 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:06
-
「りーちゃんがすみません」
「なんで愛理が謝んのさぁ〜。あははっ」
「いえ、なんとなく」
「いい友達もったなぁ、梨沙子は」
あっはっはっ、と豪快に笑う清水先輩は嫌いじゃない。
きっと、私やりーちゃんみたいに本気で音楽の道を目指してる人だし
なにより、それ以外のことでも心配りがすごいから。
注意して落ち込む子には優しく、
注意してくらいついてくる子には厳しく。
その加減とか、ちゃんとわかってるもん。
- 61 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:06
-
「あ、でも、ひとつ愛理には注意」
「はい?」
「前にも言ったかもだけど、もっと自由に吹いていいんだよ?」
「あ…」
また…。
「愛理、技術はすごいもの持ってるんだし、そこだけもったいない」
「はい…善処します」
「んー、まー、ゆっくり」
また、言われた。
わかってること。
でも、できないこと。
「あの、清水先輩」
「ん?」
―――― どうやったら、自由は手に入りますか?
- 62 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:07
-
「あ、いえ、なんでもないです」
「そう?」
咽喉元まで出かけた言葉は飲み込んだ。
答えは、私で見つけるしかないんだろうから。
何かが足りない私。
大切な何かが。
それは経験とか、そういうものの先にあるものなのかもしれないし
突然目の前に広がるものなのかもしれない。
でも、その探し方さえわからない私は、ただもがくだけ。
必死に、今できることをするだけ。
それしか…できないんだ。
- 63 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:07
-
「あっ、おっはよー愛理ー」
「え? あ」
「もも」
軽やかな足取りで渡り廊下を走ってきたのは、2年のもも先輩。
その手に持ったバチをクルクルさせたりして、なんだかいつも
落ち着きがないイメージ。
「なにやってんの? もも、パーカスでしょ?さっさと音楽室行きな」
「いやーん、キャップ冷たーい」
「うるさい、ももに構ってる時間はないの」
「ぶー」
ころころ変わる表情は、とっても可愛い…と本人に言ったら
マシンガントークが炸裂するので言わないようにしてる。
嗣永桃子先輩、彼女はパーカッション…打楽器担当で、
いつも音楽室の主と化している。
というのも、部活時間に入ると組み立てられるドラムセットを
必ず一日一度はド派手に叩きまくるから。メチャクチャに、ただ大音量に。
だから、もも先輩が欠席かどうかなんてその音でわかる、みたいな。
今日も、さっきハチャメチャな音が聞こえてたから、今来たところなのかも。
あれ? でも今? もう1時間は経ってるよね?
- 64 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:07
-
「もも先輩、今日は遅かったんですか?」
「やーだ愛理、いつも『桃ちゃん』でいいっつってんのにぃ〜」
「いえ…それはちょっと…」
「礼儀正しいなぁー、いまだに敬語だしー」
や、あの、なんというか、呼んでもいいんだけど、
そうすると どんどんもも先輩が練習の邪魔をしてきそうなわけで…。
それは避けたいわけで…。
「なぁーに愛理? ものっそい眉がハの字になってるよー?」
「ももが無茶な要求するからよ」
「もー、またキャップはそう言うー」
「事実を告げたまでです」
「ぶーぶー」
なんだかんだで、清水先輩は本当に部長に向いているなぁ、と
こういうとき実感する。
凄く部員一人一人を操るのが上手い。
- 65 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:08
-
「あー、今日はねー日直の仕事があったのよぉー」
「あ、そうだったんですか」
切り替えの早いもも先輩は、もう私の隣でよよよ、なんて泣きまね。
幾分背が低いから、ちょっとコミカルなその動きが可愛い。
「そ。つーかさぁー、舞美と日直だったのにあの子もうどっか行ってたしー
全く頼りになんないしー」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
え?
「あー、舞美と日直だったの?」
「そ。なのにさ、すっかりあの子忘れてホームルームが終わったら
教室バビューンだよ」
「バビューンて…」
まるで非常口案内のライトみたいに走る姿をするもも先輩に
清水先輩が身体をくの字にして笑い出す。
その笑い声を遠くで聞きながら、思考が止まっていた。
- 66 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:08
-
『舞美』
その単語一つで。
「まぁ、舞美忙しいから」
「なにそれキャプテン、まるでももがヒマみたいじゃんー」
「そのまんまだけど?」
「ぶぅーっ!」
会話から飛び出す名前。
それを聞くたびに、諦めた気持ちが一気に蘇ってくるのを感じる。
自分とは違う、超えられない何かを越えた『彼女』の存在。
どうやっても、きっと今の自分では触れられない人だと、
一度は目を背けて諦めた。
でも、くっきり見える輪郭が目の前でちらついて動けない。
- 67 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:09
-
訊いて…みようか?
多分、もも先輩のクラスメート。
それがあの『矢島舞美』さんと同一人物なのかはわからない。
でも、もしかしたら。
「あの…」
「だいたい、キャップっていっつも、もものこと目の敵にしてない!?」
「不真面目部員には、いつでも目を配ってます」
「ちょっ、それ差別じゃーん!」
「差別じゃなくって区別」
「もぉー! なによーももばっかりー」
あぁ…ケンカしないで…。
ヒートアップしていく二人に、オロオロしてしまう。
- 68 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:09
-
「それに、舞美は大会近いんだから練習させてやんな」
え?大会?写真の…?
あれ?でもそれだとコンクールって言うんじゃ…。
どういうこと、なんだろう?
疑問が頭の中でグルグルする。
そんな私にお構いなしに会話は走っていく。
「あー、バスケだっけ?」
「え? バレーじゃなかった?」
通りかかった千奈美ちゃんがクラを片手に、
ひょいっと身体を捻るようにして入ってくる。
あれ?千奈美ちゃんって、みやと同じ高校1年…。
なのに知ってるって…、もしかして凄く有名人?
- 69 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:09
-
「あ、違った? や、もしかしてソフトボールかも。この間校庭にいたし」
「違う。今回は剣道の団体戦、大将にしてるからあんまり出番ないだろうけど」
「キャップ詳しい〜」
「はいはい」
バスケにバレーにソフトボール、そして剣道。
だんだん、私の知ってる矢島舞美さんに自信がなくなってくる。
そんなスポーツ万能な人が、あんな写真を撮ったりするだろうか?
ううん、それよりなにより、矢島舞美さんは二人いたりするのかも。
でなきゃ、考えにくい。
「でもさぁ、そうなるとまたえりかちゃん怒るよー?」
「大変だよね、いつも外に被写体探してくるーっていったっきり帰ってこなくて」
「さっきもなんか廊下走り回ってたよ?舞美見なかった?って」
「…まぁ、舞美にも色々あんのよ」
待って。
今「被写体」って言った。
それって写真のこと、だよね。
じゃあ…やっぱり、矢島舞美さんは…同一人物?
- 70 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:10
-
どうしよう、気になる。
確かめたい、いろんなこと。
わからない事ぜんぶ。
でも、こういうの、よくなかったりもするし。
矢島さんには、迷惑かも。
知らないところで詮索とか、そういうの。
知りたい。
でも、訊いてはいけない…?
葛藤が広がる。
悶々として、頭がぐるぐるして…。
でも、その時、
「あのー、舞美って誰ですか?」
背後からの声にぎょっとした。
自分の口から疑問が出てしまったのかと驚くぐらい。
恐る恐る、声のほうに振り返って…気づいた。
「りーちゃん…」
いつの間にか、りーちゃんが私の背後に立っていたんだ。
今まで気づかなかったのが不思議なくらい至近距離で。
- 71 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:10
-
目線を合わせれば、ちょっと呆れたように眉を軽く挙げて。
「訊けばいいじゃん」なんて言葉が聞こえてきそう。
思わずうっ、と咽喉の奥で唸ってしまう。
そんな私に、やっぱりりーちゃんは「しょうがないなぁ、もー」と
ため息一つついて、また口を開いた。
「なんか凄い人みたいですね」
「あ、舞美ぃ?確かに色んな意味で凄い子だよー」
そんなりーちゃんに応えたのは もも先輩。
高等部での情報はこの人に聞けばわかる、なんて
陰で言われているけれど、あながち間違いではないかもしれない。
凄くこの話題に乗り気みたいだし。
後輩からの疑問に、元来の姉御肌も加わっているのも一因かも。
「写真部の子なんだけどさぁ、なんていうの?すっごい頼りになるヤツ?」
「さっきといってること違うじゃん、もも」
「えー? いや、だってさー、抜けてるとことか多いけど、やっぱ舞美っていいヤツじゃん?
こないだなんて、ももが拾って困ってた捨て猫の里親探ししてくれたし」
清水先輩のツッコミもあまり効果ない。
「それっていいヤツっていうの?」なんて苦笑いして呆れてるのに。
- 72 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:11
-
「えー? でも、ここぞって時は期待に応えてくれるのが舞美じゃん?」
「確かにっ! ちーもこの間、掃除当番の日、ゴミだしに焼却炉行ったら
舞美ちゃんがいて、手伝ってくれたよ!重かったんだよねー助かったなー」
「そうそう! なんか困ってる子とか放っておけないタイプなんだよねー
男気溢れてるっていうか」
千奈美ちゃんまで加わって、なんだか矢島さんの自慢大会みたい。
いつまででも続きそう。
でも、その流れを止めたのは清水先輩。
「他にもさー」
「ちょっと、アンタたち…舞美をパシリに使ってんじゃないわよ」
いつのまに用意したのか、紙をくるくると丸めて
それを二人の頭にポコンと落としたんだ。
「ちょっ、キャップ痛いーっ!」
「ぼーりょくはんたーい!」
「うるさい」
しれっとしている清水先輩を見ると、なんだかこんな場面に
慣れてるんだなぁって苦笑い。
- 73 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:11
-
それにしても…。
ますます矢島さんという人がわからなくなった。
人柄は多分『いい人』という分類に入る人なんだと思う。
それも、凄くという文字がつくぐらい。
きっと、周りが心配してしまうタイプなんじゃないかな。
そしてスポーツが出来て、写真部で…。
まるでスーパーマン…、ううん、スーパーウーマン。
そんな人が本当にいるんだろうか?
ふっと、視線を上げればりーちゃんとぶつかる。
多分私の悩んでるの、全部わかってるんだ。
「どう?あの矢島さんだと思う?」と言わんばかりに、
小首を傾げるようにして難しい顔をしてるから。
りーちゃんも、判別つかないのかも。
俯いて、考える。
その指先でクラをいじりながら。
考え込むと指先で遊んでしまうのが私の悪いクセ。
- 74 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:12
-
知りたい。
でも、いいのかな。
多分、止められなくなる。
いつだって興味を持ったものはとことん知りたくなる私。
迷惑、かけるかも。
いろんな人に。
それでも… 知りたい?
―――――、うん、知りたい。
「あの」
自分の声に驚いた。
いつもは出ることのないハッキリした声が響いたから。
りーちゃんが肩を震わせるぐらい。
「ん?なに?」
振り返る先輩たち。
応えてくれたのは もも先輩。
そのもも先輩に、一度こくんと生唾を飲み込んで口を開いた。
- 75 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:12
-
「講堂に飾られている大きな空の写真の矢島舞美さんって、
その…、今話してる舞美さんですか?」
いきなりすぎるかな、と言ったから思った。
それからしまった、と思う。
はたり、とその場の時間が止まったみたいにみんなが一斉に
私の顔を凝視していたから。
「えっと…あの…」
かぁっと頬が熱くなる。
元々注目とかされるのに慣れてないんだ。
「講堂? そんなのあった?」
「あ、もしかして離れのことじゃない?」
「愛理、中庭の離れのこと?」
千奈美ちゃんと、もも先輩がくるくる表情を変えてる。
途端に私は今度はオロオロ。
- 76 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:13
-
離れ。
離れと呼ばれているのかな。
わからない。
でも、たぶん中庭。
「た、たぶん」
こくこくと首ふり人形みたいに頷けば、また二人が首を傾げだす。
「写真? あったっけ? ねーキャプテンー」
「もう…、アンタたちってば舞美のことなんにも知らないのに
そんなことばっか言ってんだね」
「えー、だってー」
呼ばれた清水先輩は渋い表情。
呆れたようにオーバーなため息をついたりして。
「あれ、見たんだ?」
「あ、はい」
素直に頷けば、うーん、とちょっと唸る清水先輩。
それから「んー…ま、愛理だし…」なんて謎の言葉をつぶやいて、
「そうだよ? 舞美はその矢島舞美、同一人物」
――― あっさり肯定した。
- 77 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:13
-
その声があまりにも普通で、ドラマティックなものなんかなくって
なんてことはない、試験の問題で誰もが解けるものをやっと解けた子に
「エライね」といってみる感じで……なんとなく、拍子抜けした。
ううん、もっと言ってしまえば、ちょっと、がっくりした。
とても身近な人だった。
自分の中では、どこか手が届かないような存在にしていた矢島さん。
それが、こんなにもあっさり知ることができる人だった。
「そう、なんですか」
かろうじてそれだけ言って、座っていたパイプ椅子に背を預ける。
ギシ、という音は、多分私の胸の音を代弁してくれてる。
「愛理?大丈夫?」
「…うん」
珍しい心配顔のりーちゃんに、ぼーっとしたまま応えた。
ぽん、と頭を撫でてくれたのは、りーちゃんなりの気遣いだろう。
- 78 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:13
-
「なになに、愛理は舞美に興味アリアリ?」
にやり、としたもも先輩が、清水先輩を押しのけて
私の目の前にかがんできた。
好奇心の色が見え隠れする不思議な瞳に何もいえない。
「こらっ、もも!」
「いーじゃーん! 舞美のファンって多いけど、みんな軽いノリだし。
愛理ならホントに舞美のこと応援とかしそうじゃん」
それに、なんつーの?美少女の応援する姿って萌えるわー、なんて
意味深な言葉に戸惑うけど、それより先に口を挟んだのは清水先輩。
「それを決めるのはアタシたちじゃないでしょ」
「ぶーぶーキャプテンのいけずー」
「いけ…っ!? ももっ!!」
「うわっ、逃げろー!」
思わぬ言葉に、持っていた筒状の紙をもう一度振り上げる。
でも、それが落ちる前に、もも先輩は千奈美ちゃんを巻き込んで駆けてった。
オマケは角を曲がる直前に見せたアカンベー。
茶目っけたっぷりな先輩のドタバタ劇に、私とりーちゃんは呆然。
- 79 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:14
-
「ったく! あとでシメる…!……、ってごめんね、なんか」
物騒な事を口走りながら、清水先輩は作った笑顔で私に向き直った。
なんだか額に青筋が立ってたけど、見ない振りをする。
「いえ、私こそ」
きっと、私のせいでもあるから。
ちょっと自己嫌悪。
突っ走って空回り。
友達も巻き込んで、大暴走。
やんなっちゃう。
そんな落ち込んだ私に、まぁまぁ、なんて今度こそ笑顔の清水先輩。
「んー、アタシも愛理なら別にいいかなって思うんだけど、
本人が結構困ってるんだ」
「え?」
困る?
何に?
「写真、凄い賞だって言われるの、困っちゃうんだって」
「そうなんですか」
とても意外だった。
- 80 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:14
-
自信を持っていいぐらい、あの写真は素敵なのに。
賞を取ったから凄い、のかどうかは私にはわからない。
決めるのは大人の人だから。
でも、私は素敵だと思った。
あの写真が。
あの空が。
「凄く綺麗な空なのに…」
すごく残念に思う。
あの写真は、矢島さんが撮ったからできたもの。
なのに。
「空?」
「え?はい…凄く綺麗で、私は好きだな、って…」
素っ頓狂な声をあげて聞き返してくる清水先輩に、
ちょっとオドオドして答える。
なにか、マズいこと言っちゃった…?
けれど、きゅっと一度表情を引き締めて私を凝視すると、
清水先輩は、とっても柔らかく笑ったんだ。
- 81 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:15
-
「そっか、空かぁ、うん、愛理はホントいい子だね」
「わっ」
くしゃくしゃっと頭を撫でられれば、どうしていいのかわからない。
ううん、なんでそんな風に言われるのかも。
なんにも私、褒められるような事言ってないのに…。
助けを求めるようにりーちゃんをみるけど、
同じように、りーちゃんも目を細めて笑うだけだった。
「うん、きっとさ、運が良ければいつか舞美に会えるよ」
「は、はぁ…」
言わんとすることがさっぱりわからない。
きっと、問い返しても、納得する答えは返ってこない気がする。
ただ、その後とても上機嫌になった清水先輩が
ありえないぐらいの練習を私に課したことだけが、
今日の合同練習で一番印象に残った出来事だった。
- 82 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:15
-
・
・
・
- 83 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:15
-
合同練習も終わって、私達は高等部の校舎を後にする。
初夏の陽にあてられて揺れる、来たときと同じアスファルトを歩いて。
隣には、暑さに頬を赤くしたりーちゃん。
白い肌だからすごく目立つけど、
目鼻立ちの整った顔をしてるから、可愛らしいかも。
「あんまりわからなかったね」
「うん…」
シャツの襟元をパタパタさせながら、
りーちゃんは不機嫌に言葉を投げてきた。
ならう様に私も手で顔を仰ぐようにパタパタさせる。
りーちゃんが指すのは一つだけ。
楽器のことなんかじゃない。
『矢島舞美』さんのことだ。
この親友は、ときどきこうして親身になって考えてくれる。
もともと似ている私達だから、言葉にしなくても考えてる事とか
そういうのが伝わってて。
思ってることだってわかってしまうのがたまに困るけど、
一番の味方、って言っても間違いじゃない。
- 84 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:16
-
そんなりーちゃんに、苦笑しながら歩く。
もも先輩の口から名前が出て、一気に現実味が増した矢島さん。
とても近く、もしかしたら ふっと視線を向けた先にその姿が
あるかもしれないって思うと、心がざわめいた。
けれど、そんな彼女はとっても多忙で、それに、
自分の才能のカタチを困っていたりする人だった。
あれだけ素敵な写真が撮れて、それでも賛辞の声に困惑する。
そんな人いるなんてって、意外だった。
凄いらしい賞まで獲ったのにって。
でも、そんな彼女だから…また知りたくなった。
どんな人なのか。
もしかしたら…、私のように―――…
- 85 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:16
-
「あ、愛理、ごめん」
「え?」
目をパチパチして、現実に戻る。
振り返れば、ガサガサとカバンをかき回しているりーちゃん。
「どうしたの?」
「譜面忘れた」
「えっ?」
「多分音楽室。取ってくるから先行って」
「えっ、でもっ」
戸惑う私に、りーちゃんはもう一度ごめんと言って校舎に駆け出していった。
運動がそんなにできないりーちゃんなのに、脱兎のごとく。
もう止められない。
「り、りーちゃんっ! 正門で待ってる!」
その声は届いたか。
ただ小さくなっていく背中を見送って、一度ため息。
なんだか行きに迷子になった時を思い出してしまって。
- 86 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:16
-
「ふぅ」
正門までをつま先を見つめながら歩き出す。
その頭の中は、やっぱり今日のことでいっぱい。
こんな風に一人で歩いて、道に迷った。
その先にあったのは見知らぬ建物。
中に入って見つけたのは、突き抜けるような青空の写真。
私の心を一瞬で貫いて、離れられなくしてしまった、そんな写真。
出会ったのは、彫刻のような人。
幻想的な雰囲気を持っていたその人は、
今思えば、どこかできっと矢島先輩と繋がってる。
そんな確信があった。
だって、思い出せる写真に向けられた優しい瞳。
ただの写真だと捉えていないその眼差しは、きっと、その主に向けられて。
- 87 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:17
-
「名前…聞いておけばよかった」
独特な人だったな…。
私なんかが喋っていいのかと思うほど、
普通の人とはまるで違う感じで。
ふっと顔をあげれば、正門はすぐそこ。
近くに植えられた桜は、もうハラハラとその彩を落とし始め、
新緑を所々に覗かせている。
もう、夏もすぐそこ。
「結局…なんにもわからなかったんだな…」
わかったのは、今でも高等部にいること。
もも先輩の口ぶりからして、高校2年。
写真部だけど、いろんな部活のかけもちさん。
たったこれだけ。
「矢島舞美さん、かぁ…」
ため息と一緒に桜を仰ぎ見た。
ううん、その先の空を。
と、その時。
- 88 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:17
-
さあっと。
乾いた風が吹きぬけた。
夏の始まりを告げるような一陣の風が。
舞い上がる葉桜に、ふっと目を細めたその瞬間、
―――― カシャン ――――
鼓膜を震わせた機械音。
運動部の掛け声より小さいはずなのに、はっきりと。
それはきっと―――
「あ……」
――― 私が探していた、音だったから。
- 89 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:18
-
一瞬酷い眩暈に襲われて、目の前が点滅する。
それから瞼の裏に浮かんだのは、blue。
忘れられない、鮮やかなblue。
振り返った先に、そのblueを背負ってその人はいたんだ。
長く艶やかな漆黒の髪が、無造作に風になびいてる。
背丈は高い。
私と同じぐらいかコブシ1つ分ほど。
髪の黒とのコントラストが眩しい真っ白なシャツ、
緩められた赤いタイまで夏の日差しに鮮明で、そのすべてにハっとしてしまう。
シャツの襟元は第一ボタンまでだらしなくあけられてるけど、
全然だらしなさなんてなく、皮膚の薄さを露見にして、むしろ涼しい印象。
きっとそれはシャツを肘までまくって覗いている腕や
膝上まで上げられたスカートから覗く足がスラリとして、
とても透き通っているから。
無駄な脂肪なんてどこにもない。
でも全然硬い印象もなくって、むしろこ女性的。
なぜか そのぜんぶが…どこか作り物めいて見えた。
まるであの……彫刻のような人に似た印象。
- 90 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:18
-
「あ…の……」
うまく声がでない。
いつのまにかノドがカラカラになっていて。
でも、その人は。
ファインダーの世界から、ゆっくり現実に戻って、
「こんにちは」
私に向かって、屈託のない笑顔をくれたんだ。
――――― トクン ―――――
細胞が…。
身体のぜんぶが、沸騰する。
鼓動は途端に全身を駆け巡って、思考が停止。
どうしていいのか、わからなくなる。
- 91 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:18
-
「中等部の子?」
「あ…ぅ…」
うん?と首を傾げるその人は、私の言葉を待ってくれてる。
いつまでも待ってくれそうな、そんな空気に一度深呼吸。
落ち着いて。
大丈夫、
いつものように、ちゃんと。
「こ、こんにちは」
「うん、こんにちは」
派手にどもるけど、笑顔が変わらない。
全然気にした様子もなく、まっすぐ私をみつめてる。
「わ、私、中等部で、鈴木といいます」
「あ、やっぱそうなんだ?」
言いながら手にしていた、大きなカメラのレンズに
カバーをかぶせた。
細い指先でいじられる大きなカメラはバランスが悪いのに
何故だかその人にしっくりしている気がした。
- 92 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:19
-
と。
その時。
「ごめーん、舞美ーっ! ボール取ってー!」
コロコロと私達の間に入るように転がってきたのはソフトボール。
見れば、遠くで私達に向かってユニフォーム姿の生徒が
ブンブン両手を振ってる。
「任せてー!」
えっ?と思って彼女に振り返れば、そのボールを
いとも簡単に片手で持ち上げて遠くを見据えてる。
もしかして、ここから投げる?
とても遠いのに?
思ったのと、それが行動に移されたのは同時だった。
- 93 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:19
-
「いくよー!」
大きく振りかぶるようにして、勢いよくボールを投げる。
腕のバネが、腰のバランスが、しっかり重心をとった足元が、
その全部が経験者そのものだった。
そして、見事なオーバースロー。
こんな綺麗なフォーム、女の子ではそうそういないはず。
そのまま弧を描いて小さくなっていく白球は、
強い日差しに一度きらりと輝き、元の主の下へと戻っていった。
見事に一度も地につかず。
なんていう運動能力の高さ。
「サンキュー!」
「あははっ、練習がんばれー」
まるでヒーローみたい。
口には出さなかったけれど、そう思わずにはいられなかった。
- 94 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:20
-
「あ、ごめんね、あたしは―――」
振り返った彼女に、もう確信があった。
この人は、あの『空』の人だって。
きっとたくさんいるだろう写真を扱っている人。
でも、その中でも、この人があの人だって確信が。
――― 特質な存在。
全身から感じるそんな雰囲気を否定なんてできなかったから。
だから、
「矢島舞美さん」
「矢島―― ってアレっ?」
気づいたら声に出てた。
止められなかった。
――― しまった。
思ったところでもう遅い。
矢島さんは私のことを知らない。
なのに、その知らない相手は自分を知っている事実。
- 95 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:20
-
案の定驚いたのは、矢島さん。
「あたし言ったっけ?」
「あ、いえ、あの、私が一方的に知ってるだけで…」
「そうなんだ?」
「あ、私、吹奏楽部で、高等部に時々来てて、
いろいろ、その、矢島さんのこと耳にするっていうか…」
あとは、もうしどろもどろ。
言い訳じみた言葉しか出てこなくって。
こんなとき、どうしていいのかわからない。
言っていることは嘘じゃない。
嘘じゃないけど、それだけじゃなくって。
「吹奏楽部…。あ、桃がなんか言ってたとか?」
「あ、は、はい」
「そっか、それで」
でも、彼女はなんの疑いも持たずに頷いた。
そしてまたあの笑顔。
- 96 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:21
-
まるで人を疑うなんて知らないかのような、
そんな雰囲気さえ感じて、ちょっとだけ戸惑う。
だって、こんな人と会うの初めて。
まっすぐ人を見て、笑って、そしてあの写真。
どんな道を歩いてきたら、こんな屈託なく笑える?
あんな、すばらしい写真が撮れる?
「あたしもさ、時々吹奏楽部のヘルプ、行くんだ」
「え? そうなんですか?」
「うん、手首が柔らかいとか言われてパーカスで」
コンクールとかにはさすがに出ないけどね、なんて言いながら
手に持っていたカメラを首からぶらさげ、
彼女は両手でバチをたたく仕草をしてみせた。
確かに柔らかい。
ピアノとかしてたのかもしれない。
たずねようと口を開きかけたその時。
- 97 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:21
-
「舞美ーッ!!」
わっ。
校庭中に響きわたる声に、びくっと身体がはねる。
それは目の前の彼女も。
でも、私とはちょっと違う感じで。
「やば…」
あからさまに、やってしまった、という表情。
それから私に向かって苦笑。
でも、観念したみたいに一度大きく息を吐き出して振り返る。
その視線を追いかけて、見つける。
誰だろう?
彼女と同じぐらい背が高い。
目鼻立ちがくっきりして、どこか日本人離れした輪郭。
モデルのような身体のカタチとは裏腹に、
こっちに駆けてくる足取りは危うい。
- 98 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:21
-
「こぉらぁ〜っ、舞美ぃぃぃっ!」
「えり…怖いから」
どすどす、という音が聞こえてきそうな走りでその人は
私達の前までやってきた。
そのまま彼女を睨みつける。
「あーんたッ! またフラフラっと部室出ていったかと思えば
まったく帰ってこないし!」
「や、だって、いい天気だし? 外の方が色んなの見れるじゃん?」
「とかいって、いっつも何も撮ってきてないし」
「そうだっけ? あはは」
「あはは、じゃない!」
呆然としてしまう。
今目の前で繰り広げられている掛け合いに。
どこか不思議な雰囲気を持っていた空の人は、
今は屈託なく笑うイタズラっ子みたい。
早鐘のようになっていた鼓動も、そんな姿をみたら
なんだか穏やかに落ち着いて。
不思議と…
「あは…」
笑みがこぼれてしまったっけ。
- 99 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:22
-
子供みたいに純粋なひと。
誰もがいつかは忘れてしまう大切なものを
多分、ずっと見失わないひと。
それは、彼女の全身から溢れ出していて。
だから――― 惹かれたのかもしれない。
「あ、笑った」
「え?」
ぱっと目の前のモデルの人から身を翻した矢島さん。
わっ、なんてよろめいてて躓いてる相手もそのままに、
私を見て目をパチパチしてる。
な、なにかマズイことでもしちゃったかな?
笑ったりとか、やっぱり失礼だった?
先輩なんだし、そ、そうかも…?
途端にちょっと気まずい気持ちになる。
うっ、と顎を引くようにして。
でも、彼女は「あ、違う違う」と変わらぬ笑顔で両手をふって、
「笑ってた方が、あなた可愛いよ」
なんの他意もなく、告げられた。
- 100 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:22
-
きっと、ここに梨沙子がいたりしたら噴出したかもしれない。
きっと、ここに千聖がいたりしたらちょっとバカにしたかもしれない。
でも、彼女を追いかけていた私しか今はいなくって。
ただ、
「あ、ありがとうございます…」
正直に跳ね上がる心臓に痛みを感じながら、
俯き加減にそれだけつぶやいた。
おまけはカァっと熱くなっていく頬。
こんなにも、この人からの一言に反応してしまうなんて。
きっと、好きな芸能人と握手した時がこんな感じ。
なんだか、そんな自分に驚く。
「もー、舞美はすぐ相手を困らせるー。ごめんね、気にしないでやって」
「あ、は、はい」
たしなめるようにモデルの人に言われて呼吸を整える。
そ、そうだよ、これは社交辞令。
わかってる。
そう、きっと、そうなんだって。
- 101 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:23
-
「ほら、戻るよ、舞美」
「あ、待って」
ずるずると腕を引っ張られる腕をやんわり外して
彼女、矢島さんは私に歩み寄ってきた。
そして、
「手、出して」
「え?」
戸惑う私に、矢島さんはお構いなく手の中のカメラを持ち上げたんだ。
そのまま何かのボタンを押したのか、ジーという機械音を鳴らしながら
カメラが振動してる。
「ちょっ! 舞美…っ!」
慌てたのは先を歩いていた先輩。
彼女のしようとしてることがわかるや否や、凄い形相で振り返って。
でも、それさえも気に留めることなく彼女はカメラをいじってる。
「あの…?」
「いいからさ」
「あ、はぁ…」
おずおずと両手を差し出す。
- 102 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:23
-
何をされるのかわからないから、困ってしまうんだけど、
笑顔の矢島さんを見る限り、心配はなさそう。
この人はきっと、人の嫌がることはしない。
変な話だけど、そんな確信がどこかにあったから。
「よし」
妙な機械音が止まる。
と同時に、かぱっと開いたのはカメラの後ろ。
ちょうど蓋が開くみたいに……って、えっ!?
「あ、あのっ」
それがどういうことなのか、素人の私にも分かっていた。
ある種、撮影の終了。
まだそのレンズでこれから取り込まれるはずだったものすべてを
白紙にして、巻き取ってしまったんだ。
「はい」
そして、今小さなフィルムとなって私の手のひらに。
- 103 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:23
-
「もらってやって?」
「えっ?」
「って言っても、4枚しかないんだけど」
「4枚も!?」
あとの声は、えりと呼ばれ先輩。
信じられない、というように目を見開いてフィルムと彼女を
交互に見てる。
そんなに…凄いことなのかな?
4枚しか、って私なら思うけど。
24枚撮りのフィルム。
彼女ほどの才能があるなら、きっと撮りたいものは
たくさん…本当にたくさんあるはず。
なのに、4枚。
その中の一枚は、私。
なんだかもったいないかも。
- 104 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:24
-
「いいんですか?本当に」
「うん、最後のしか、いいの撮れなかったから」
それって、私?
言葉の真意がわからずに、彼女を凝視してしまう。
けれど、返ってくるのはあの笑顔だけで。
「ありがとうございます」
深く頭を下げた。
そしたら、また彼女は、
「ううん。でもホント、あなた笑顔の方が絶対いいよ」
とかいって、なんてまた笑ってた。
屈託なく笑う彼女の心の内なんて、まったくわからなかったけど
それでも、その彼女の後ろで怖い顔をしているモデル風の人を
みるだけで、私は凄いものを手に入れてしまったんだってことだけは
はっきりと理解したんだ。
- 105 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:24
-
あれだけの賞を獲った彼女の写真。
確かにそれは、とても価値あるもので、
もしかしたら、この中の写真にもっともっと凄いものが
映し出されているのかもしれない。
それを、カメラや写真のことをまったくわかっていない私なんかが
彼女からとはいえ受け取って。
本当なら、返すべきなんだろう。
でも……、どうしても欲しくなった。
その手の中に落とされてしまえば、もう離せない。
多分それは…、彼女の目に映るものを見てみたくなったから。
どんな世界が彼女の目の前に広がっているのか、
触れてみたくなったんだ。
そんな自分にちょっと驚くけれど。
- 106 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:25
-
「舞美、そろそろ行くよ」
「あ、うん、じゃね、鈴木さん」
ぱっと顔を上げれば、にこにこ笑いながら踵を返す二人。
頷いてまたお辞儀をすると、礼儀正しいね、なんて
ちょっと場違いな言葉をこぼして、今度こそ歩き出す。
その背中の、なんて凛としたことだろう?
まっすぐ、しゃんと伸びた背筋に風になびく髪。
きっと今、私がカメラを持っていたならばその姿を閉じ込めた。
それほどまでに、ひきつける背中だったんだ。
- 107 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:25
-
「愛理ー」
「あ…」
入れ違いに帰ってきたのは りーちゃん。
歩いていく二人の脇をすり抜けるようにして。
その瞬間、僅かに会釈。
こういうところは、りーちゃんもわきまえてる。
「おかえり」
「…誰? 喋ってたね」
「あ、うん」
鋭いなぁ。
なんだか、私のすべてをりーちゃんは理解しちゃってる気がする。
親友の成せるワザ、なのかな。
「矢島舞美さん」
「右の人?」
「うん」
薄々感づいていたのか、りーちゃんは驚きもせずに確認する。
ちょっと目を細めるようにして、その輪郭を確認して。
- 108 名前:Fresh sky 投稿日:2009/04/08(水) 12:25
-
「愛理って」
「うん?」
「面食いだね」
「な、なにそれ」
明らかに動揺してしまった私に、りーちゃんはくすりと笑って、
それでも、そこから先はなにも言わなかった。
一度深呼吸。
そして、もう一度彼女の背中を目で追う。
やっぱり潔いほどまっすぐな背中。
そしてその向こう側に、あのblue。
夏の色を滲ませた、爽やかな空のblue。
「爽空、みたいな」
「うん?」
「ううん、なんでもない」
きゅっと手の中のフィルムを握って、私達はただ小さくなっていく
彼女の姿をいつまでも見つめていた。
- 109 名前:tsukise 投稿日:2009/04/08(水) 12:26
-
>>55-108
今回更新はここまでです。
季節が小説を追い越しそうです(ニガ
>>50 名無しさん
前作よりお付き合い頂きましてありがとうございます(平伏
まだまだ駆け出したばかりではございますが、
どうぞ、またお付き合い頂ければ幸いです(平伏
お心遣いも頂きまして、感謝です(平伏
>>51 YOUさん
コメント頂きましてありがとうございます(平伏
前作とはまた違った形ではございますが
楽しみという言葉が作者として励みとなります。
どうぞ、またフラリと立ち寄っていただければ幸いです(平伏
>>52 名無飼育さん
ご感想ありがとうございます。
楽しみという言葉が大変ありがたいです。
訂正、失礼致しました。作者のうち間違いですね。
12年+6年、単純計算で小中高の12年+大・院の6年、
ということですね。表現が難しいものです(汗
どうぞ、今後もお付き合いくだされば幸いです(平伏
>>53 名無飼育さん
作者も同じく後藤さんというと一歩引いた場所に位置している感が
否めない部分もございます。それでも、若い世代に絡む楽しさも
考えご登場願いましたw
どうぞ、今後の登場にもお付き合いくださればありがたいです(平伏
>>54 名無飼育さん
ご感想ありがとうございます。
作者として、大変嬉しく思います。
どうぞ、またお暇なときにでもお付き合いくだされば幸いです(平伏
- 110 名前:名無し 投稿日:2009/04/08(水) 20:43
- 更新お疲れさまです。
やっと彼女が登場ですね!
運命的な出逢いが二人には似合いますね。
これからも楽しみにしています。
- 111 名前:名無飼育 投稿日:2009/04/08(水) 21:43
- 光景を色まで鮮やかに脳裏に浮かばせる描写と、胸に響く情緒に溢れた筆致、
読んでいる側も眩暈がしそうでした(もちろん良い意味です)
脇を固める人達も皆素敵ですね。
殊にりーちゃんの魅力的なことと言ったら!
彼女でスピンオフの作品も書いていただきたいくらいですw
あぁそれにしても。
96の5行目が、現実の矢島さんと完全にシンクロして、すごくすごく好きです。
- 112 名前:ao 投稿日:2009/04/13(月) 19:54
- ao
- 113 名前:ひろすぃ〜 投稿日:2009/04/13(月) 19:59
- 更新お待ちしていました。
ついに彼女が登場してくれましたね。
今後どんな展開になっていくのかすごく楽しみです。
あっちの小説の続きも、楽しみに待ってま〜す。
- 114 名前:名無飼育 投稿日:2009/06/10(水) 05:49
- 期待age
- 115 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:00
-
「日ごろは なんともおぼえぬ鎧が 今日は重うなったるぞやと―――」
耳に届くのは、午後のまどろむ時間に子守唄になりかねない国語の一文。
上手く抑揚がついているから、なんとか意識をもっていられるけれど
クラスの半分は、瞼が落ちるのを堪えてるのがわかる。
「御身もいまだ疲れさせたまい候わず―――」
横目で教室を見渡して、私はほぅ、とため息をついた。
あれから3日。
特に何かが変わるわけでもなく、私の日常は回っていった。
高等部との接点もなく、私は私の世界を。
- 116 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:01
-
ただ…、目を閉じれば何度でも浮かび上がる鮮明な姿に困ってる。
眩しいぐらい真っ白なシャツ、まっすぐな背中、
伸びた手足はしなやかで、とっても女性的。
そのぜんぶに。
何度瞼のシャッターを切ったんだろう。
それほどまでに、私の心を揺さぶったんだ。
――― 矢島、舞美さん。
存在を確かめるみたいに唇にその名をのせてみれば膨れ上がる気持ち。
恋とか、そういうのとはどこか違う気がするけど、もどかしい…そんな気持ち。
この…フィルムのせい、かな。
コロン、とノートの上に落として視線を落とす。
たった4枚の写真。
でも、きっと矢島さんの大切な何かを閉じ込めた写真。
どうしていいかわからずに、こうしてただ持っていた。
矢島さん…、あなたって…どんな人?
- 117 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:01
-
「愛理」
「…ん?」
ぼんやりした頭で声に振り返る。
そんな私に、ため息と一緒に呆れ顔をくれたのは隣に座るりーちゃん。
よくよく考えてみれば、部活もクラスも一緒で席も隣とか、
りーちゃんとは、つくづく縁があるのかもしれない。
くわえて同じ保健委員なんだから、クラスメートが変な噂を流すのも仕方ないのかも。
「あの二人って…」「いつも一緒にいるってさぁ…やっぱり…」とか。
気にした事ないけど。
「なぁに?」
「ぽわぽわしすぎ。先生に見つかる」
「ぽわぽわ…」
りーちゃんの方がぽわぽわしてるのに。
授業中にキリっとしてる姿なんてありえないし、
今だって、ぼーっとした目で肘なんてついて。
手元のノートには落書きが並んでるのを私は知ってる。
ほら、覗き込んでみれば3頭身ぐらいの侍なんて書いてるし。
でも込み上げてくる笑みは、黒板から振り返った先生の視線にかみ殺した。
- 118 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:02
-
そうだ、今は授業中だ。
担当の飯田先生は、変に鋭い時があるし。
ギョロリとした目から逃れるように私はいそいそと教科書に視線を落とす。
そんな私に、くすくす笑ったのはりーちゃん。
むむむ。
「りーちゃん」
「だって」
ゆるく睨むけど、りーちゃんの口元を緩めたまんま。
きっと楽しんでる。
私のこと見て。
付き合いが長いからよくわかる。
ほら、雪のように真っ白な肌のほっぺの上が赤くなってるもん。
子供が面白いものを見つけたときみたいに。
- 119 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:02
-
「矢島さん?」
びくり、と肩が揺れる。
心臓も一緒に。
たった一言、その名前が出ただけで。
「愛理、わかりやすい」
「な、なにが?」
「あれでしょ? 愛理って好きな何かができたら他が手につかないタイプでしょ?」
「違…」
…う、とは言い切れない。
昔から、おもちゃでもなんでもプレゼントされたら他が霞んでしまうぐらい
そればかりに夢中になってた。
ピアノもソルフェージュもクラリネットも。
矢島さん…も?
……わからない。
- 120 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:03
-
「でも、少し後にしたら?」
「え?」
ほら、と黒板を指差すりーちゃんに促されて顔を上げると、
そこには、丁寧に書かれた「木曽義仲の最期」という文章に線が引かれ、
でかでかと、テストに出ます、という文字が走っていた。
あぁ…もうすぐ学期末テストだっけ。
「うあ…」
「愛理、学年トップじゃない?」
「それは関係ないけど…」
「ま、それが終われば夏休みもすぐなんだし」
夏休み…。
そうだ、テストが終われば夏休みなんだ。
いまさらながらその事実に、愕然としている自分がいた。
だって、そうなってしまえば、矢島さんにはきっと逢えない。
今だって逢えるってわけではないけれど、
学校の授業があるのとないのとでは、雲泥の差があるし。
不意にどこかで出逢うなんて、そんな期待さえ持てない。
- 121 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:03
-
「あぁぁ…」なんて、うなだれるみたいに窓の外を見た。
神様って意地悪だ。
「愛理?」
「なんでもない」
空返事をして突っ伏す。
聞こえた大きなため息は当然無視。
なんだか目の前が一気に色をなくしてしまったんだもん。
ちらりと見上げれば綺麗な青空。
一番後ろの窓際を陣取っている私の席は、まさに特等席だ。
初夏の日差しさえなければ最高なんじゃないかな。
「うーーーー…」
恨めしく、じぃっと太陽を見上げて、それからグラウンドを見渡した。
- 122 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:04
-
揺らめく地面と熱気の中、3年生がトラックを周回しているのが見える。
だらりとした手足に、足元を泳ぐ目。
なんだかこっちまで辛くなる。
その中に見知った姿を見つけた。
栞菜だ。
みんなと同じように、ぽてぽてと走ってる。
なんだか盗み見をしたみたいで面白い。
あ。
気づかれた。
栞菜はちょっとオーバーに息を吐き出しながら笑って見せてる。
舌なんか出したりして、苦しさアピール。
栞菜らしいその姿に、ちょっと笑って手を小さく振って見せた。
応えるみたいに手を振ってるところを見ると、まだまだ大丈夫みたい。
満足して、そのまま手を下ろそうとしたとき…―――人影を見つけた。
- 123 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:04
-
「え―――」
遠くからでもわかる。
圧倒的な存在感。
そこだけ空気が違うみたいな…、そんな空間。
遠くからなのに、歩く足音さえも聞こえそう。
あれは…あの人は…―――。
(愛理…!)
カタンと机を鳴らして、前のめりに窓の外を覗き込む。
一緒にフィルムも転がったけど、そこから目が離せない。
間違いない。
ううん。間違えるなんてできない。
(ちょっと愛理…!)
あの写真の前で出逢った彫刻の―――。
- 124 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:05
-
「鈴木愛理!」
「うひゃっ!」
突然現実に戻されて、飛び跳ねた。
反射的にフィルムを握る。
勢いでガタン、と椅子が後ろに倒れて。
教室に意識を戻せば、集まる目・目・目。
え、えっとぉ…?
横目でりーちゃんに視線を向ければ、顔を押さえて呆れてる?
これは…もしかして…?
あてられた?
えっ、ちょっ、どうしよ、聞いてなかった。
「はい、次読んで」
「えっ、あ…えっと…」
「何?カオリの話、聞いてなかったの?」
「い、いえっ」
「じゃ、次読んで」
「あ、は、はい…」
いそいそと、椅子を直して教科書を手に取る。
その瞬間、りーちゃんが前を向いたまま、
(76ページの5行目)
と小さく教えてくれたっけ。
それに感謝しつつ、もう一度だけ窓の外へと目を向けた。
- 125 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:05
-
見間違いなんかじゃない。
あの時の彫刻の人がいる。
ちょうど中等部の校門のところ。
なにをするでもなしに、門にもたれかかって中を眺めてる。
「これを見たまえ、東国の殿ばら。日本一の剛の者の自害する手本よ――」
言葉は予習してる引き出しから勝手に出てくる。
そんなことより…。
垣間見れば確認できる、あの姿。
何を…してるんだろう…?
不思議に思ったけれど、さすがに瞬き一つしない飯田先生の
威圧感に耐え切れずに、教科書へと視線を落としたんだ。
- 126 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:06
-
・
・
・
- 127 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:06
-
「わっわっわっ、愛理、待ってって」
「ごめん! お願い」
ぐん、と りーちゃんの腕を引っ張って、チャイムが鳴ると同時に教室を飛び出す。
逃したくない。
きっと、これはチャンス。
私のこと、覚えてるかなんてわからないけど、
聞きたいこと、あるから。
だから、駆け出す。
あの――― フィルムを握り締めて。
一歩校庭に出ると、うだるような熱気が肌を突き刺した。
後ろのりーちゃんが、一瞬出るのを躊躇ってしまうほど。
そんな中、日差しの眩しさに目を細めてじっと先を見つめる。
ゆらゆら揺れる地面の向こう。校門へ。
そこに…
- 128 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:06
-
「いた」
誰かと喋ってる。
あれは…矢口先生…?
3年の受け持ちだけど、全学年の生活指導の先生…でもどうして?
どんな話をしているのか、彫刻の人は身体をくの字にまげて
屈託の無い笑みを浮かべてる。
どうしよう…?
聞きたいことあったけど、なんだか話しかけづらい。
矢口先生が怖いってわけじゃなくて、邪魔しちゃいけない気がして。
旧知の仲、そんな風に見えたから。
「誰? 有名人?」
「え?」
「みんな見てる」
暑さですでにバテ気味なりーちゃんの声に、ぱっと辺りを見渡した。
さっきまでグラウンドを使っていた3年生が、校舎に戻る足を止めて
ひそひそと耳打ちをしあってる。
あの、彫刻の人と矢口先生を見て。
栞菜なんて、その場でぴょんぴょん飛び跳ねて
クラスの人と目をキラキラさせてるし。
- 129 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:07
-
有名人…?モデル?芸能人?
そうなのかな…?
わからない。
そういうの、あんまり知らないから…。
一種異様な光景に何か感じたのか、矢口先生とその人は
くるりと校庭に視線をめぐらせた。
それから困った表情で何かを喋ってる。
―――と、その時だった。
ふいに向けられた彫刻の人の視線が、私を捉えたんだ。
ここからでもわかる、ガラスのように不思議な色をした瞳。
ふわっとした笑顔。
下ろしたての絹糸のような栗色の髪が風に流れて、独特な雰囲気…。
瞬間、がちんと身体が固まったみたいになって動けなくなる。
あの、彫刻の人の視線に、動けなくなる。
- 130 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:07
-
「あ…ぅ…」
どうしたらいいんだろう?
会釈ぐらいした方がいいのかな?
でも、向こうが私を覚えてるかなんて…―――。
あ……。
「愛理、知り合い? 手、振ってるよ?」
「えっと…」
一気に背中に汗が広がっていくのがわかる。
だって、こんな私なんかを覚えていてくれてたなんて。
ただの中学生、ちょっとだけ話した子、なのに。
気さくに手をふってくれてる。
話して…みたい…。
思ったら止まらなかった。
りーちゃんの手をぎゅっと握ったまま、一直線に彫刻の人のもとへ。
私が来るのがわかっていたのか、その人も静かに笑って待っていた。
- 131 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:08
-
「鈴木ちゃん? あれ? ごっつぁんと知り合いなの?」
「えっと、あの…」
矢口先生の言葉に困る。
知り合い、というには遠すぎる。
でも、他人というには、また違う…と思う。
「あ、今日はごっつぁん、プライベートだからさぁ、悪いんだけど…」
「え? え?」
プライベート…?
どういうこと?
やっぱり有名な人?
おどおどしてしまう。
でも、矢口先生の言葉を止めたのは、その人本人だった。
「あ、いーのいーの、やぐっつぁん」
「え? でも、ごっつぁん」
「この子、アタシのこと知らない」
「えぇっ? そうなの!?」
くっくっくっ、と本当に可笑しげに笑う彫刻の人に困る。
- 132 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:08
-
どうしよう、とても失礼なことをしているのかもしれない。
だって、校庭の人たちは、どことなくどよめいた様子だし、
ちょっと殺気立った視線すら背中に感じる。
「こんにちは」
「あ…、こ、こんにちは」
「今日は友達も一緒なんだ?」
「あ、は、はい」
そんな周りも気に留めず、彫刻の人は話しかけてきた。
不思議な人。
喋るだけでわかる、独特な雰囲気。
甘い声は、それでもまっすぐ耳に届いて聞き取りやすい。
薄着であらわになっている身体のすべてが…本当に作り物みたい。
なんだか…また別世界に連れて行かれた感覚。
- 133 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:09
-
「愛理…、なにか聞きたいことあったんじゃないの?」
あ、そうだ。
人見知りが激しいりーちゃんは私の後ろに隠れてる。
でも、そんなりーちゃんに小声で言われてハっとする。
そうだ、こんな世間話のためにここまできたんじゃないんだ。
「ん?なに?」
「あ、あの…、や、矢島舞美さんを、知っていますか?」
こんなとき、またダメな自分を自覚する。
もっと違う聞き方があるはずなのにって。
写真の事、覚えてますか?とか、撮った人知ってますか?とか
それ以前に、この人のことを聞くのが礼儀、とか思うのに。
うまく言葉が出てこない。
思ってることと、うまくかみ合わない行動…私の悪い癖だ。
そんな私を、どう思ったんだろうな。
その人は、一瞬きょとんとして。
それからとても優しい目を向けたんだ。
まるで、あの写真を眺めていたときのような。
- 134 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:09
-
そして、
「うん、知ってるよ。てか、アタシの身内」
「えっ」
「姪っ子」
「えぇっ」
あっけなく、謎を解明してくれたんだ。
ちょっと待って…。
姪っていうと…この人のお兄さんかお姉さんの子。
あれ?でも、この人…どうみても20代前半だろうし…、
矢島さんは高校2年生で…えぇ…?
「あはっ、色々あるんだよ」
「あ、す、すみません」
顔に出てしまったのかな、
私のぐるぐるする思考を止めるみたいに、上品にその人は笑った。
- 135 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:10
-
「矢島ちゃんがどうかした?」
「あ、あの…、その…、しゃ、写真を頂いてしまって」
「写真?」
「はい、あの、これ、なんですけど」
あの日からずっと持っていたフィルムを両手に包んで差し出す。
あのとき、無造作の手渡されたフィルム。
本当に私なんかが貰っていいのか、ずっと不安だった。
もちろん今でも欲しいと思ってる。
矢島さんの中の世界、触れてみたいとさえ思ってる。
けれど、素敵な写真を撮り続けてきただろう矢島さん。
それは賞をとるほどのもの。
そんな彼女の大切な作品…やっぱり返すほうがいいのかもしれない。
ジレンマがむくむくと湧き上がってしまって、どうしても現像できなかった。
けど、同じ写真を見上げてたこの人なら、何か解決策をくれるんじゃないかって
そんな手前勝手なこと考えてたんだ。
でも、その人が身内だったなんて…自分の強運にあきれる。
- 136 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:10
-
「矢島ちゃんがくれたの?」
「あ、は、はい」
「ふむ…」
まるで初めてあったときと同じ姿。
ちょっとコミカルに考え込む仕草をしてみせたりして。
ふいに伸ばされた指先が、手の中のフィルムをつまみあげる。
(わ……)
鼻をくすぐる甘い香りに、一瞬たじろぐ。
大人の匂い、そんな感じ。
「んーーーー」
ひとつひとつの動作に見とれてしまう。
ううん、初めて逢ったときには気づかなかったこの人の存在自体にも。
きめ細かい肌。
艶やかな睫毛。
不思議と揺れる瞳。
…なんだか…、身体全体が輝いてるみたい。
- 137 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:11
-
「ん。ま、いいんじゃない、もらっちゃってさ」
「え?」
パっと現実に戻されたのは、意外な一声。
瞬きをして、もう一度その人をみれば、にこにこ笑ってフィルムを差し出してる。
「で、でも…」
受け取りながら困るけど、その人はひらひら手を振ったりして、
「や、ごとーもさ、実のところわかんないけど。でも、矢島ちゃん本人が
くれたんなら貰っちゃいなよ。きっと本人も助かる」
「助かる?」
それって、せっかく撮ったしってこと?
でも、ぜんぜんあの時の矢島さんはそんな風には見えなくて。
とても…、そう、軽い感じで手渡した。
なのに?
- 138 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:11
-
「写真ってさ…」
「え?」
そこで曇った顔をしたのはその人。
私の疑問とか、そういうのを全部分かってるんだけど…というみたいに。
「写真って、人によってはいい思い出でずっと持っていたいってのあるけど、
人によってはさ、いいものだから手放したいってのもあるんだよ」
「…? それって、どういう…?」
続けようとした言葉は、機械的な音にかき消される。
それは彫刻の人のポケットから。
「あ、ごめんね」と器用に取り出されたのは携帯。
「あ、まっつー? なに? …あれ? 今日だった? あはは、ごめん、すぐ行く」
友達かな…?
謝っているはずなのに、悪びれた様子もなく笑ってる。
- 139 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:12
-
「あ、ごめん、ごとー仕事だ」
「えー!? なんだよ ごっつぁん、今日は焼肉食いに行くっつったじゃん」
「や、なんか、まっつーめちゃくちゃ怒ってるし、行かないと」
「ったくー、ちゃんと埋め合わせしろよ?」
「うん、裕ちゃんにもよろしく言っておいて」
「おー」
手早く矢口先生と話して別れるその人は、今度は私に振り返る。
「ごめんね、あんまいい答え出せなくて」
「あ、いえ…」
「アタシ、後藤真希。えーと…?」
「あ、鈴木です、鈴木愛理」
「鈴木ちゃんね。その写真、ほんと好きにしてやって。
あの子も怒ったりしないし、保護者のアタシが保証するから」
「は、はぁ…」
「じゃ」
忙しなくそれだけ告げて、学校を後にして行く後藤さん。
それでも最後まで不思議な雰囲気のままだったのは、
持って生まれた何かのせいなのかも、なんて思ってしまったっけ。
- 140 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:12
-
「後藤真希…?」
「りーちゃん?」
気づけば、いつのまにか私の隣に立ち、去っていく後藤さんの
背中を訝しげに見つめてる。
知ってる人…?
問いかけるように見つめれば、あぁ、なんて生返事。
「後藤真希。13歳で歌手デビューしてずっと幅広い支持を得てる人。
最近同じ歌手の松浦亜弥って人が設立した事務所に移籍して
多方面で活躍してるんだよ」
「へぇ…、凄い人なんだ?」
「みたい。お祖父ちゃんがそんな風に言ってた」
あぁ…、りーちゃんのお祖父さんって芸能界では顔がきく人だって
以前聞いたっけ。
私もりーちゃんも あんまりその世界には興味がないからよく知らないんだ。
- 141 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:13
-
「それにしても…、そんな人と愛理、知り合いだったんだ?」
「ていうか…偶然出会って、偶然再会したみたいな…」
「偶然も2回続くとなんとやら、なんていうけどね」
「そんなんじゃないよ」
困って笑う。
本当にたまたまなんだから。
「でも良かったじゃない。なんか、それ、解決したみたいだし?」
「うん…」
それ、っていうのは、もちろん私の手の中のフィルム。
確かに誰かの許しをもらえたことで、その重みは一気に軽くなった気がする。
私のもの、そういっていいって言われたみたいで。
- 142 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:13
-
現像…してみようかな…。
なんだか途端に際限のない欲が生まれてくる。
写真、見てみたい。
どんなものが写ってるか知りたい。
矢島さんに―――近づきたい。
そんな風に。
「それにしても…」
「え?」
ふっと顔を上げれば、今度はりーちゃんが困り顔。
その視線はグラウンドに。
追いかけて気づくのは、色んな目・目・目。
「愛理、とんでもない人は知り合いになっちゃったんだね」
「う、うん…」
決して好意的なものばかりではないその視線は、
鋭く私達に刺さってくる。
それだけ後藤さんという人が凄い人ってことなんだろう。
私にはよくわからない。
- 143 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:14
-
「とりあえず、……ダッシュで教室に戻ろう」
「うん」
これ以上ここにいてもどうにもならない。
敵のように見る人たちから早く逃げよう。
「行くよ」
「うんっ」
土を蹴って駆け出す。
それでも追いかけてくるのはたくさんの視線。
決して運動が得意ではない私達は、ただそれを感じながら
スカートをまくりつつ走り抜けるしか出来なかったっけ。
- 144 名前:The letter of invitation of summer 投稿日:2009/07/23(木) 11:14
-
・
・
・
彫刻の人、後藤さん。
空の人、矢島さん。
どこか不思議な二人は、とても意外な接点があって。
そこに触れた私という存在。
多分、全然違う異質な存在。
だからかな…ちょっとだけ、予感がしてた。
なんだか…
なんだか、この夏は――― 何かが変わるって。
そんな、どこか運命じみた予感が。
- 145 名前:tsukise 投稿日:2009/07/23(木) 11:15
- >>115-144
今回更新はここまでです。
不定期更新で、申し訳ない限りです(平伏
>>110 名無しさん
運命的、そうですね、どこか正統派な感じの二人には
似合いそうですよね。作者も思います♪
彼女との出会いでまた変わっていく様子、
お付き合いくだされば幸いです(平伏
>>111 名無飼育さん
嬉しいご感想を頂きましてありがとうございます(平伏
りーちゃん、実際にはもっとふわふわしたイメージなんですが
二人だからこそ感じれるどこかしっかりした部分が出せると
よいなぁ…とw 想い寄せる子もきっと、はい(ぉ
実際の矢島さんとのシンクロ、その言葉だけでも嬉しいです♪
>>113 ひろすぃ〜さん
ご感想ありがとうございます(平伏
あちらの小説の終了に伴って、こちらで頑張りたいのですが
いかんせん、不定期更新となりがちで申し訳ない限りです(平伏
またどうぞ、ふらりと立ち寄って頂ければ幸いです。
>>114 名無飼育さん
更新停滞気味で申し訳ないです。
ありがとうございます(平伏
- 146 名前:名無し 投稿日:2009/07/24(金) 06:51
- 更新お疲れさまです。
色んな繋がりが広がってますね。
夏休みに入ってからの姿も期待しています。
- 147 名前:ケロポン 投稿日:2009/08/29(土) 07:41
- 待ってます
- 148 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:34
-
「ビックリした。いやホント驚いた」
「や、だから…」
「まさか愛理がねー、あんな人と知り合いだったなんて」
「違うんだってばぁ…」
「あー、なんか付き合い長いのに隠されてたなんてショックぅ」
「あーもぉー…」
その日の放課後。
音楽室に入るなり、しかめっ面の栞菜に捕まった。
サックスを首から下げたままリードを加える唇が、不機嫌そうに上下してる。
「すっごい親しそうだったじゃん? 何話してたの?」
きらりと光る黒目がちな瞳の奥。
半分好奇心、半分仕返し、多分そんな感じ。
「それは…」
ちょっと言いよどむ。
隠すほどのことじゃない。
でも、誰かにおおっぴらに伝える事でもない気がして。
- 149 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:34
-
「あー、やっぱそうなんだ、愛理ってそういう子だったのねー」
「ちょっと栞菜ぁ…」
「昔はなんでも話してくれたのにー大人ぶっちゃってー」
「なにそれ…」
お姉さんは悲しいよ、愛理がそうやって大人の階段を登るのがさ、なんて
栞菜が大げさに天を仰いだ。
そんなこと言われても、困ったように笑うしかできない。
確かに昔は栞菜にいろんな相談とか、時々泣きついたりしたけれど。
苦し紛れに、私は言葉を返した。
「栞菜だって私に最近なんにも教えてくれないじゃない」
「なにが?」
「昔はよく家に遊びに来てくれたのにそれもないし、休日には
どこかつれてってくれたのにそういうのもなくなったし」
ゆるく責めるように見つめるけれど、逆に栞菜は呆れ顔。
- 150 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:35
-
「あったり前じゃん。あのねー、あたしこれでも受験生なんだよ?
少しでも成績よく上に上がりたいし、愛理みたく勉強しなくても
主席で上がれるわけじゃないの」
「う…」
「それに、はぁ…やっぱ愛理はまだまだおこちゃまか…
休日に遊ぶって、女友達が二人…そろそろ卒業したくないわけ?」
鼻先に つん、と指先を突きつけられて咽喉の奥でうなる。
なんだかこんな時ばかり栞菜はお姉さんぶる気がする。
え? でもそれじゃあ…
「栞菜は? 誰かと、その、遊びに行ったり、とか…?」
「そりゃー…」
得意げに背を伸ばしかけて、栞菜はもごもごと口をふさいだ。
それだけでわかる。
意外、そうなんだ?
栞菜、そうなんだ?
なんだろう、なんか、すごく驚いてる自分がいる。
だって、こんな身近な人が。
- 151 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:35
-
「ま、愛理には早いか。梨沙子とじゃれついてるんだもんね」
「そんなぁ」
ぺろっと舌を出して踵を返した栞菜の背中に不満の声をあげる。
いろんな気持ちがぐるぐるして。
別に誰かと付き合うのが悪いことだなんて思わない。
私自身、そんな潔癖であるわけでもないし、
友達が誰かと一緒に歩いたところを見なかったわけでもない。
でも、なんだか、栞菜は。
栞菜は違うって勝手に思い込んでて。
言ってみれば、そう、いつも仲良くしていた友達が
突然どこか遠くに行ってしまったような感覚で…。
素直に、ショックだった。
- 152 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:36
-
「え? 何? 愛理、ショックだった?」
「え?」
しょぼんと正直に垂れる頭に、栞菜は「うししし」と笑いながら振り返る。
なんだか楽しんでるその姿。
それでも胸中複雑な私は素直に こくんと頷いて。
「……うん、すこし」
「え、マジで?」
「え? 変?」
「そんなことはないけどぉ…」
なんとも歯切れの悪い。
というか、バツの悪い表情の栞菜。
どうして?
素直な私の気持ちなのに?
「ま、まぁさ、ほら、うん、あたしだってこれからどうなるかわかんないし」
パシパシ肩を叩いてくる栞菜は、困り顔。
励ましてくれようとしてるのかな。
だとしたら申し訳ない。
- 153 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:36
-
「愛理、可愛いし、恋愛なんてこれからいくらでできるよ」
「そうかなぁ…」
「うん、なんかさ、もうその人のことしか考えられないーみたいな」
「栞菜無責任」
「なんでさー。もしできなかったら、あたしが責任持って相手するから!」
「やっぱり無責任…」
はぁぁ、と大きくため息をついて栞菜の言葉をさえぎる。
まだ私に恋愛指南をしているけれど、もちろんスルーして。
ただぼんやりと思い浮かべる。
誰かに笑いかける自分。
その誰かからも笑いかけられる自分。
自分の好きなものを一生懸命話したりして。
その人のことを、どんどん知りたくなって。
- 154 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:37
-
私にできるんだろうか?
そんな恋。
きっと栞菜の言うように、とっても楽しくてとっても幸せになって。
考えて、少しだけ怖くなった。
なんにでも のめりこんでしまう私の性分。
もしかしたら、私が思うよりも恋はもっと深いものかもしれなくて。
がんじがらめになってしまうかもしれない。
ううん、それだけじゃなくって、相手の人も巻き込んで…。
だったら。
「私は、まだいいかな」
「え?」
「まだ、恋愛はいいや」
「なに、急に」
びっくり顔の栞菜にはわからない私の胸の内。
私の独占欲の強さとかそんなの、知ったらどんな顔するかな?
思って少し笑ってしまう。
- 155 名前:Deep psyche 投稿日:2009/11/20(金) 17:37
-
「ううん、だって」
「うん?」
「期末試験、もうすぐだもん」
「ぷっ! あっはははっ、やっぱ愛理は愛理かー」
なんにも知らない栞菜は大笑い。
それを一緒に笑いながら受け流す。
今は、まだいい。
私には早すぎる。
そう確かに思っているのに、なんだか心はモヤモヤしてしまっていた。
- 156 名前:tsukise 投稿日:2009/11/20(金) 17:38
- >>148-155
今回更新はここまでです。
短めですが、今後の様子を見つつ、
少しずつでも進めていければ…と思います。
>>146 名無しさん
ご感想ありがとうございます。
そうですね、いろんな人と広がっていく彼女ですねw
これからもどうぞ、お付き合いくだされば幸いです(平伏
>>147 ケロポンさん
レスいただきましてありがとうございます(平伏
今後も気長にお待ちいただければ幸いです。
- 157 名前:名無し 投稿日:2009/11/20(金) 21:54
- 更新お疲れさまです
お待ちしてました
愛理の胸のうちは複雑みたいですねして
今後も期待しています
- 158 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:48
- 「はい、出来てるわよ。一応確認してみてくれる?」
「ありがとうございます」
次の日。
はやる気持ちを抑えながら、写真屋さんに足を踏み入れると
店員の石川さんが笑顔で声をかけてくれた。
それから受け取った紙袋から、中のものを取り出す。
二重に入っている袋の中の目的のものを目にして、ほぅと息をついてしまった。
だって、目に映ったのは4枚の写真。
あの、矢島さんが私にくれた写真だ。
- 159 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:48
- 一枚は真っ黒。
その次には、鮮やかで目にまぶしいほどの桜の写真。
場所はきっと校門。私が初めて出会った、あの場所。
だって、続く三枚目がブレてよくわからないけれど、
その輪郭と色から、また桜の写真だから。
そして。
最後の一枚が…――― 信じられないぐらい美しい桜と、佇む私の背中。
なんて…きれいな写真。
素直にそう思う。
技術なんてわからない。
でも、これは、空の写真と同じ、私の『好き』な写真だ。
- 160 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:48
- 「ありがとうございます、間違いないです」
「そ? 良かった」
にっこり微笑む石川さんは、馴染みのお姉さんだからどこか話しやすい。
用がなくても、時々相談とか聞いてくれたりして頼りになるし。
そんな石川さんに私もにっこり笑って、もう一度写真を眺めた。
矢島さんの目に映る世界…。
それは…とても美しくて、きれいで…でも、どこか不安定。
たった四枚の写真だけど…、ううん、たった四枚の写真だからこそ、
なんだか…心にひっかかった。
もっともっと美しい写真が撮れるだろうに。
無造作にそれを打ち切ってしまう行動。
その上、そのネガを見ず知らずの私なんかに平気で渡して…。
- 161 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:49
- 「いまどき珍しいね」
「えっ?」
考え込んでしまいそうになったのを止めたのは、奥の部屋から出てきた
ここの店長さんの娘さんである吉澤さんのそんな声。
珍しい?
「それ、アナログ写真でしょ? 今はデジタルの普及率が高いのに」
「アナログ…?」
「あれ? 鈴木ちゃんが撮ったんじゃないの?」
「あ、いえ、知り合いのもので…」
「あぁ、じゃあ、現像頼まれたとか?」
「そんな感じです」
別に隠すことでもないけど、説明するのもややこしい。
特に気にした様子もなく、吉澤さんも言葉を続けてくる。
ちょっと感心したみたいに、腕を組んでみたりして。
- 162 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:49
- 「だったら、その知り合いの腕は相当なもんだね」
「え?なに?どういうことよ、それ」
私がたずねるより早く、石川さんが眉を寄せて吉澤さんに振り返った。
その言葉にガックリしたみたいにオーバーにうなだれたのは吉澤さん。
「おめー、カメラ屋で働いてンだから、もちっと勉強しろよぉー」なんていうけど、
「なによもー! バイトでいいから手伝ってくれって言ったのはよっちゃんでしょー!!」
売り言葉に買い言葉、ちょっとキーの高い声で石川さんは噛み付いてる。
「あーもーうるせーっ」
「あ、あの…、腕が相当って…」
「あん? あぁ、ごめんごめん」
恐る恐るきいてみると、ぱっと石川さんからこっちに向き直って咳払いをひとつすると
ぽりぽりと、一度頭をかいてみせた。
- 163 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:49
- 「今でこそ、デジタルも綺麗で企業でも取引できるレベルになったけど、
やっぱアナログに比べると、仕上がりはまったく違うね」
「仕上がり…ですか?」
難しい話はわからない。
専門的なことをいわれたらもっと。
そんな心を読んだのかな?吉澤さんは、うーんと、なんて目をくるっと
天井で一回転させて、いい言葉が見つからなかったらしくニカっと笑いながら
私の頭をポンポン、と軽くなでた。
「ま、現像に回す場所にもよるけどさ。目が肥えてる人は
デジタルの荒削りな写真は嫌うってこと」
「そうなんですか」
「その点、その写真を撮った人、凄いね。色補正もコントラストも
ほとんどしなくてよかったから」
「はぁ」
とにかく、矢島さんはやっぱり凄い人らしい。
- 164 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:50
- デジタルでなく、アナログで撮った写真。
それだけでも、きっとこだわりがあるもの。
なのに、矢島さんは私になんのためらいもなくフィルムを手渡した。
一緒にいた先輩が驚くほど。
それはどうして?
また思考の迷路につかまりそうになったけど、
「よくいるんだよね、結婚写真でデジタルでなくシノゴノカメラ使ってんのに
色も何にもわかってない、ホテルおかかえのにわかカメラマンなんか使って
とんでもないものを現像にまわしてくる写真館がさ」
吉澤さんの口から飛び出てくる言葉に、苦笑いするしかなかった。
「もー普通に現像するとまっかっかなんだよ。こんなの30年後40年後に見たとき
客はどう思うか考えたことあんのかよって言いたいね、マジで」
確かに…受け取る側にはとても大切なことなのかも。
撮る側にとっては、ただの仕事の一枚で思い入れがなかったとしても。
- 165 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:50
- 「なんでもかんでもデジタルがいいってわけじゃないんだよ。
撮影頼んだ人間が、なんでアナログにこだわったのか、もちっと考えろってんだ。
現場の人間が意思を無視してとんでもないもんに仕上げるなっつーの」
「あ…」
そのままブツブツいいながら、吉澤さんは奥へと消えていってしまった。
残された私はポカンと後姿を見送るしかなかった。
「まったくぅ、よっちゃんはお客さん前にして何言ってんだか…。
ごめんね、鈴木ちゃん。気にしないで? あんの写真バカなんて」
「あ、いえ、そんな」
あきれた声でフォローを入れてくれたのは石川さん。
いつもの風景なのかな? 吉澤さんが消えたほうに「ホントにもぅ」なんて
ぷくっと膨れてみせてる。
- 166 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 18:51
- 「いつもは優しいんだけさ、写真のことになると人が変わっちゃうの」
「それだけ…こだわりがあるってことですよね」
「こだわりっていうか、よっちゃんにはそれしかなかったから」
「それしか…?」
たずねてから、しまった、と思った。
立ち入ったことかもしれないのに、と。
でも、石川さんはいいのよ、と言わんばかりにひらひら手を振って
困ったように笑って見せて。
「よっちゃんのお父さん、プロの写真館の現像とか任されてたけど、
ほら、さっき言ってたけどデジタルの時代でしょ?アナログをしてたおじさんが
1からパソコンとか覚えるのって難しくって」
「そうなんですか…」
「それで、お店が傾いてきて。それを立て直すってよっちゃんが
今頑張ってるの。本当は大学行きたかったくせに専門学校行ってさ」
「吉澤さん…」
「で、ろくにご飯も食べないもんだから、おばさんに頼まれて、
あたしがバイトとして来て監視してるってわけ」
えっへん、と胸をはる石川さんは、ちょっとコミカルでかわいらしい。
それに…、
- 167 名前:Analog photograph 投稿日:2011/05/17(火) 19:01
- 「頼もしいですね」
こんな人がそばにいてくれたら、どんなことにでも打ち込めるし
つらいことだって、とんでいきそう。
「もっちろん!一緒にお店も上手くいけば一石二鳥だしっ!」
うん、石川さんがいれば、吉澤さんは大丈夫なんじゃないかな。
そんな失礼なことを思いながら、とってもほほえましく感じたっけ。
「がんばってください」
そのまま店を後にする。
そんな私に、Vサインで応える石川さんはとても頼もしいお姉さんだった。
- 168 名前:tsukise 投稿日:2011/05/17(火) 19:03
- >>158-167
今回更新、ここまでです。
>>159 名無しさん
非常に遅れた更新で申し訳ない限りです。
レス、ありがとうございます。
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/05/18(水) 00:59
- 更新お疲れ様です
愛理のモノローグがなんかいいですね〜
これからも楽しみにしてます!
- 170 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:26
- なじみの喫茶店の窓際に座って、ふと思い立ちもう一度写真を袋から取り出す。
一枚は、見事な桜の写真。
そしてもう一枚は、私の背の写ったもの。
「うーん…」
なんというか、どっちもすごく綺麗だと思う。
でも、こう、私には…桜の写真が、あまりにも『無機質』に見えた。
ひどい言い方かもしれないけれど、そう『心のない写真』とさえ思うほど。
そう思ってしまうのは、私がなんにもわかっていない素人だからかな…。
でも。
もう一枚は、素直に『好き』だと思った。
私自身が写っているからなんかじゃなくって、
なんだろう、すごく胸がほっこりしたんだ。
春の息吹、桜の躍動、それからパースの効いた私の背。
それらがすごくいきいきして見えたんだ。
- 171 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:26
- 「この二枚の違いって…なんなんだろう?」
むーん、と写真とにらめっこ。
と、そこへ。
「なーに難しい顔してんの?鈴木ちゃん」
「あ…、柴田さん」
顔を上げたその先に、トレイに紅茶とケーキを乗せた柴田さんがいた。
柴田さんは、ここ、喫茶・メロンの店員さんでパティシエとしても
すごく有名な人だったりするんだ。
去年の何か大きな大会で特別賞をもらったりもしていて、お店の常連さんも多いし。
もちろん私もその一人。
人柄もとっても気さくで話しやすいし、柴田さんのファンも多いんじゃないかな。
- 172 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:27
- 「うん? 写真?」
「あ、はい」
カチャン、と小さく音を立てながらカップやお皿を並べてくれながら、
ふっと、覗き込むみたいに写真を見つめてきた。
別に隠すこともないから、私もすっと差し出してみせる。
「綺麗だね。桜? そっちは、うん?鈴木ちゃんが写ってるの?」
「よくわかりますね」
「ふふん、これでも観察眼はちゃんと持ってるつもりだし」
確かに。
パティシエさんって、いろんなものをみていそう。
あれ? そういえば。
「あの、今日は斉藤さんたちはどうしたんですか?」
そう、ここ喫茶メロンには4人の店員さんで切り盛りしているんだ。
いつもこうやってメニューを持ってきてくれるのは、ウェイトレスをしている
斉藤さん、村田さん、大谷さんのはずなんだけど…?
こうして柴田さんがフロアに出てくるなんてとても珍しい。
- 173 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:27
- 「あー、実は明日さ、突然大量のケーキ予約が入っちゃってさ。
その材料を探しにいってもらってるの」
「大量のですか。大変ですね」
「うん、アタシが行くよっていったんだけど、ほら、作り出したら
忙しいじゃん? それまでゆっくりしてなって」
「そうなんですか。やさしいですね、皆さん」
「んー、ま、そうだね」
ふわっと笑う柴田さんからは信頼の色。
長く一緒にいるから、いろんなことが伝わってるんだな…。
私とりーちゃんみたいな感じかも。
「それにしても、綺麗な写真だねぇ。鈴木ちゃんが撮った…わけじゃないか。
本人写ってるもんね」
「あ、はい…知り合いのもので…」
そこまで言って、ふと思った。
- 174 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:27
- 矢島さんはきっと、とってもすごい人。
講堂に写真が飾られるぐらいだし、その道で名前が通るぐらいかもしれない。
もしかしたら…、柴田さんにはわかるのかな。
分野は違っても、同じぐらいすごい人だし、いわゆる専門職の人。
矢島さんの気持ち…、わかる、かな。
「あの、柴田さん」
「うん?」
「たとえば上手くできた新作ケーキを誰かにあげちゃう時ってどんなときですか?」
「えぇっ?」
あ、唐突過ぎたかな。
素っ頓狂な声を上げて柴田さんは目をパチパチしちゃってる。
でも、すぐにうーん、と難しい顔をして。
- 175 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:28
- 「そんなのありえないと思うんだけど…、そうだなぁ…もし誰かにあげるなら、
それは、上手くできすぎたものだったということじゃないかな」
「うまくできすぎた?」
「うん、特別になりすぎちゃって、お店には出せないっていうか、
商品にはしたくないものができちゃったって感じかな」
「商品にはしたくない…」
誰の目にも触れさせたくない…ってことかな?
そんなものが出来ちゃったら、私なら宝物にしちゃう。
でも矢島さんは…。
「それか…」
「? それか?」
そこで一呼吸おいて、柴田さんはにっこり笑ってきた。
- 176 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:28
- 「個人的な作品だったからか」
「個人…的?」
「そう。よく言うじゃん? スペシャリストが仕事でないそれこそ
平凡な作品に時間をかけたりするのは個人的な作品だけって。そんな感じ?」
「個人的な作品…」
ま、アタシの場合はだけどね、と付け加えて柴田さんは笑った。
それからお店に入ってきたお客さんに気づいて「ごめんね、じゃ」とだけ告げて
席から離れていったんだ。
残された私は、軽く柴田さんに会釈して…考え込んでしまった。
個人的な作品。
それって矢島さんにとっては、思い入れ強く撮った写真ってことだよね。
でも、私にくれた。
確かに私が写ってるんだし、勝手に撮っちゃってごめんね、って意味も
あったのかもしれない。
でも、それだけじゃない気持ちが写真にある気がするんだ。
- 177 名前:impression 投稿日:2011/05/20(金) 14:28
- きっと、無意識の中の意識のものかもしれない。
でも、私は…――― それが知りたい。
矢島さんを、もっと知りたい。
そう、強く思うようになってしまっていることに、気づいてしまったんだ。
あの何気ない会話で。
あの…写真で。
そうだ、私は…、矢島さんをもっと。
そんな膨れ上がった気持ちを、紅茶の湯気だけがゆらゆら揺れながら
見つめていた。
- 178 名前:tsukise 投稿日:2011/05/20(金) 14:30
- >>170-177
今回更新はここまでです。
>>169 名無飼育さん
このまま鈴木さん目線で展開していくかと思います。
どうぞ、またお付き合いくだされば幸いです。
- 179 名前:111 投稿日:2011/05/21(土) 12:27
- ずっとずっと待っておりました
続きが読めて♪生まれてきて良かった♪と思いましたw
某所で呟いてらした言葉を拝見して「次からのバンバン」もとても楽しみにしております
- 180 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:35
- ――― キィンッ!
あ、まただ。
またやってしまった。
「愛理、今日はなんか調子悪いみたいだね」
「すみません…」
今日で何回目だろう?
ひどいリードミス。
こんなこと今までなかったのに。
せっかく今日は高等部の先輩たちがわざわざ中等部へ
指導に来てくれているのに申し訳ない。
隣に座っている清水先輩にもとっても悪い気持ちになってしまう。
- 181 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:35
- 「まぁ、愛理にだってそんな日ぐらいあるよね」
「あっちゃダメなんですけどね…」
「気にしすぎ、気にしすぎ〜」
清水先輩はそう言って背中をポンとたたいてくれるけど、
『そんな日』がコンクールの日だったりなんかしたら最悪だ。
そうならないように毎日気をつけなきゃいけないのに。
たぶん、本当に気にしすぎなんだと思う。
それは吹き方なんかじゃなくって、ずっとひっかかっている矢島さんのこと。
なんだか、やっぱり、なんて思ってしまうぐらい。
こうなってしまうんじゃないかって、思ってた。
夢中になりすぎて、他が手につかないとか…どれだけ子供なんだろう私は。
「愛理、そんなに落ち込まないで」
「あ…はい」
しゅん、とうなだれてしまった私に、困ったような清水先輩。
でも、パっと笑顔になると、先輩には珍しく『ふっふっふっ』と含み笑いをした。
まるで桃先輩みたいに。
- 182 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:35
- 「? 清水先輩?」
「あはは、ごめん、でもさ、なんていうか、その調子の悪さの原因、
なんとなくあたしわかるんだけど」
「え?」
「あれだよね? この間うちらに聞いてきたことが原因だったり、だよね?」
それって、やっぱり矢島さんのことを指してるんだよね…?
「えっと…はい、少し」
「あははっ、愛理って正直だから好きだよ。梨沙子と大違い」
「わっ」
ぎゅっと私を抱き寄せるようにして笑う先輩は本当に可笑しそう。
そんな笑い事じゃないのになぁ…。
でも、先輩は私を抱き寄せたまま、耳元でささやくように口を開いて。
- 183 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:36
- 「今日さ、ほら、中等部の自由曲で使うハープをもってくることになってるんだ」
「あ、聞いてます。中等部の予算では購入できないからって」
「うん、そう。でも人手が足りなくってさー、ヘルプを何人か頼んだんだよね」
「そうなんですか」
あれだけ大きなものだもの、一人では無理だし当然かもしれない。
でも、どうして今その話を?
どんどん頭の上でハテナが飛んでいく。
でも…、そうやって捕まっているから気づかなかった。
カラカラ、と、台車の音と足音がどんどん近づいていることに。
近づいて、いることに。
「ここでひとつ質問」
「はい?」
こほん、と小さく咳払いして清水先輩。
な、なんだろ?
- 184 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:36
- 「――― もう会えた?」
「え?」
一瞬、何を言われたのか気づかなかった。
でも、そっと身体を離して目をのぞき込んできた清水先輩は
すごく柔らかく笑って…なんだかお姉さんみたいで…。
はっ、と気づく。
きっと、清水先輩はなにもかもお見通しで。
私の調子の悪さの根本的なところも、何をどう気にしているのかも。
だとしたら…その質問は…、彼女に会えたかということ。
「あ…、あの…っ」
ぱっと顔をあげて口を開きかけ、―― はた、ととまる。
清水先輩は、私を見ていなかったから。
ううん、というか、その視線は私の後ろに飛ばされていて…。
けど。
その理由を尋ねる必要はなかった。
- 185 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:36
-
「佐紀ー、これどこだっけー?」
「―――― っ!」
どくん、と一度大きく跳ねた心臓がその答え。
覚えてる、この声。
耳が、ううん、全身が感覚を。
桜。
笑顔。
フィルム。
流れる艶やかな髪。
しゃんの伸びた背中。
真っ青なblue。
あまりに鮮明な記憶が甦ってきて…、言葉も出ない。
- 186 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:36
- 「あ、それそこに置いてていいよー。舞美」
どくん、と。
もう一度跳ね上がる心臓。
今度は、どくどくと血液まで沸騰しそうな勢いで大きく音を立てて。
ただ名前を聞いただけなのに。
「それより、ちょっとこっち来てー」
「? うん」
かつ、かつ、と背中から音が近づいてくるのがわかる。
どうしよう。
振り返ればそこにいる。
でも、身体が固まって動けない。
なんていえばいい?
そんなことも思い浮かばない。
- 187 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:37
- 「あ」
けれど声を上げたのは、私じゃない、彼女のほうだった。
「あなた、えーと、この間の」
「あ、う…」
横に立った彼女、矢島さんを見上げる。
逆光に照らされる彼女の顔はよく見えなかったけど、笑ってる?
「鈴木さん、だったよね?」
覚えてて…くれたんだ…。
あんな少しの間のことなのに。
「あれ? 違った?」
「い、いえ、あってます。鈴木です」
よかった、なんて髪を一度かきあげる仕草をする矢島さん。
その一挙一動から目が離せない。
- 188 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:37
- だって、こんな近くにいるんだもん。
もう会えないかもって思ったりもしてた。
すごくガッカリして、でも写真をみてそんなことないって首を振ったりして。
でも、今目の前に現実の矢島さん。
想像の人じゃない。
ただそれだけなのに…。
こんなにも、こんなにも嬉しいなんて。
心が宙を舞うって、きっとこんな気分。
「あれ? もしかしてもう知り合いだった?」
素っ頓狂な声をだしたのは清水先輩。
そうだ、先輩は全然いきさつとか知らないんだった。
- 189 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:37
- 「あ、えっと、以前、ちょっと」
「ちょっと何さ〜、なんだ〜ちょっと残念〜。愛理を喜ばせようと
舞美呼んだのに〜」
「え? なになに?」
状況のつかめない矢島さんは、首ふり人形みたいに
私たちを見つめるばかり。
なんだかその姿は、とっても子供っぽくて可愛らしいかも。
失礼だけど、そんな風に思ってしまったっけ。
「うんにゃ。なんでもない。ただ中等部のクラにすごい子がいるって
舞美に紹介したかったの」
「えっ!」
って、清水先輩突然なにを…っ。
思わぬ方向からの反撃にあからさまに戸惑う。
- 190 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:38
- 「それって鈴木さん?」
「そ! もうねぇ、一年でソロとか将来有望なの」
「へぇ、すごいんだ、鈴木さん?」
「そっ、違っ、全然っ、私…っ」
しどろもどろになるけれど、矢島さんは感心したみたいに息をついてて。
困って清水先輩を見るけど、とっても楽しそうに笑ってるだけだった。
楽しんでる…。
絶対に清水先輩は私で遊んで楽しんでる…。
滅多にこんな風にしてこない先輩だからこそ、対処に困る。
これが桃先輩だったら、受け流しておわり、なのに。
「もうすぐ合奏だし、舞美、聞いていけば?」
「え゛っ!?」
そんな。
なんて状況。
さーっと血の気が引いていく。
- 191 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:38
- 「え? いいの? アタシ、部外者だよ?」
「なに言ってんのさ。あたしが許す」
「や、佐紀、顧問じゃないし」
「いーの、いーの」
矢島さんは少し思案していたみたいだけど、
「じゃ、見ていこうかな? なんか鈴木さん、見てみたいし」
なんて、あはは、なんて軽やかな笑って頷いてしまった。
途端に愕然。
いやいやいや、私、そんなうまくないし。
いやいやいや、そんな、矢島さんが見てるとか無理だし。
今日はひどいし。
ぐるぐる回る不安に、泣きそうになる。
どうしよう、こんな姿見せたくないよ。
- 192 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:38
- 「あ、ねぇ、大丈夫? 鈴木さん」
「あ……」
そんな私に気づいたのか、心配顔に変わったのは矢島さん。
顔を覗き込むように膝を折って、目線を合わせて。
さらり、と。
長く艶やかな髪が、かすかに頬に触れる。
その隙間からは、おひさまの匂い。
矢島さんらしい、太陽の香りが鼻をくすぐる。
なんだろう…。
どきどきするけど、もっと、ううん、これは…ほっとする。
そう、なんだか安心する。
ただ、近くにいるだけで。
この人、とっても私に安心をくれる。
きっとそれは、内から滲む矢島さんの何かが私の胸に落ちてきてるから。
目に見えない気持ちが、とっても優しく人に届くから。
- 193 名前:Reunion 投稿日:2011/06/08(水) 09:38
-
うん…、なんだか…。
「大丈夫です。えっと、よかったら見学していってください」
大丈夫。
やれる。
ううん、見てほしい。
私だけじゃない、いろんな音の広がりも。
私の返事に「そう?」と小首をかしげた矢島さんだけど、
にっこりすると「じゃあ、お邪魔しちゃうね」と、また無邪気に笑ったんだ。
あぁ…、やっぱりいいなぁ。
声には出さなかったけど、心の中でつぶやいて
私はその笑顔を受け止めていたっけ。
ただ、視界の端で、嬉しそうに頷いている清水先輩だけは気になったけど。
- 194 名前:tsukise 投稿日:2011/06/08(水) 09:41
- >>180-193
今回更新はここまでです。
>>179 111さん
こんな長い期間お待ちいただけていたとは、
本当に申し訳ない&ありがとうございます。
ゆっくりではありますが近づく二人を見守ってくだされば幸いです。
- 195 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/06/11(土) 02:22
- 更新お疲れ様です!
太陽のような雰囲気の舞美ちゃんが目に浮かぶようですね〜
- 196 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/06/25(土) 14:09
- まいみーの爽やかな笑顔もあいりんの朗らかな笑顔も大好きです!
更新楽しみにしてますっ
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/04/11(水) 10:40
- 爽やかな雰囲気が好きです。
続きが気になる…
気長に待ってます。
- 198 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:21
-
「愛理のエッチ〜」
「……………」
楽器をしまう私の背中に何度目かの部員の声。
それに、うなだれるように溜め息をついた。
そんなつもりなかったのに…、全部稲葉先生のせいだ…。
事の発端は合奏中。
自由曲のソロパートに入った時、いつもより集中していた私は信じられないぐらい調子が良くて。
「おっ、鈴木にしては珍しくええ音出すやん。…そうそう…そこはもっと深く…向かってくるみたいに〜…」
自分でも驚いた。
こんなにも次から次へと流れるように音が出せるなんてって。
誘うようなタクトの動きに合わせて、息を膨らませていく。
指は旋律をもう覚えているから、歌うように…揺れるように…。
- 199 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:22
-
「そうそう…もっともっと…そうやな」
最後の音を吐き出して、ほう、と息をつく私の視界の端に一つの人影。
じっと私を見つめて、それこそ『穴があくほど』って言葉がぴったりなぐらい真っ直ぐに。
知ってた。
こんな風に何かを見つめるって。
真っ直ぐに、ブレることなく、視界に何かを捉えるって。
他愛のないものでも、きっとあの写真のように一つ一つを主役にしてしまう瞳。
その瞳が今は私を。
――――― 見つめ返したら、もう止まらなくなっちゃうのかな。
瞼を閉じて、小さく口元だけで笑ってしまう。
そんなの愚問。
だってもう…。
講堂のあの写真を見た時から私は…。
- 200 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:22
-
「むっちゃ、エロくて良かったで〜鈴木ちゃん」
そうエロくて…。
………………。
エロい…?
「………………ぷっ!!」
「ぶはっ!!!」
清水先輩が堪えきれず噴き出したのを皮切りに、あちこちであがった笑い声。
チッサーなんて、無遠慮に足までバタつかせてお腹抱えたりして。
ふっと視線を向ければりーちゃんが俯いて顔を逸らしてる。
……でもりーちゃん、私判ってるよ?
笑いたいのこらえてるんだよね?
肩が尋常じゃない震え方してるもん。
- 201 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:23
-
ひどいよ…みんな…。
肩を落としてうなだれる。
それからハッとして、顔を上げた。
矢島さんにも聞かれたんだ。
一体どんな風に聞いた?
エロいとか、そんなとんでもない言葉。
ああ…、もう、どうせなら清水先輩みたいに笑ってくれてればいい。
そしたら私も笑って誤魔化せる。
そんなことを頭の中でぐるぐる考えながらチラリと見ると。
キョトンとした目とぶつかった。
思いもしなかった表情に私の方が戸惑う。
ただ、私の視線に気付くと、「あ…」という口の形をして、それから顎を指で押さえて目を伏せたんだ。
何かを考え込むみたいに。
どうしたんだろう…?
みんながまだはやし立てる中、私はずっと矢島さんのことばかり考えていたっけ。
- 202 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:23
- ・
・
・
バタン。
思いのほか大きい音を立ててケースの蓋がしまる。
今まで考えていたことも閉じるみたいに。
そして、ふぅ、と溜め息を一度こぼした。
「愛理」
まるでそれを待っていたかのようなタイミングで聞き慣れた声に呼ばれた。
振り返れば、やっぱり、りーちゃん。
「そんな情けない顔しないの」
顔に出ちゃったのかな。
誤魔化すみたいに、あは、と笑ってみたけど絶対に失敗してる。
大きくため息をついてりーちゃんは私の頭をぽん、と撫であげてきたから。
さして大きくないはずのその手のひらだけど、私を慰めるには十分だった。
- 203 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:23
-
「だいじょぶ。なんか元気でたから」
「そうそう。ほめ言葉なんだし。大体普段の愛理なんて、つるぺたーんのお子ちゃまだし」
「それは言い過ぎ」
「でも笑った」
「もう…」
りーちゃんにはかなわない。
どうしたら私が笑顔になれるか全部知ってるんだもん。
「けど愛理があんな風に吹いてるとこ、初めて見た」
「そう…かな?」
意識せず視線をりーちゃんから逸らした。
「変……だった?」
見られる側としては凄く気になる。
そんなに恥ずかしい姿だったかなって。
だから……見られてたのかなって。
でも、
- 204 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:24
-
「変っていうより…、凄くゾクッとした」
「ゾクッと?」
「うん、別人みたいで…そう、それがエッチだったの」
またその言葉。
でも、りーちゃんの口からでると全然違った音で。
たぶん、これがりーちゃんの人徳。
貶してるんじゃない。
ちゃんと私を表してくれてるんだってわかるから。
「エッチ……かあ…」
自分のことは、自分が一番わかっているようで実はそうじゃない。
人の中にある自分を見つけて初めて自分を知るのが本当。
なんだか今、それを実感した気がする。
ただ、私の場合はりーちゃんの中が多いかな。
「なんかさ…」
「え?」
ふいに、りーちゃんから続けられた言葉は弱く、ちょっと歯切れが悪い。
なに?言って欲しい。
首を傾げて先を促すと、少しだけ眉を寄せるりーちゃん。
そして、
- 205 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:24
-
「…少しだけ不安になった…かも」
不安?
どうして?
たずねようと口を開きかけるけど、りーちゃんは一度ゆっくり瞬きをして私の向こう側に視線を投げた。
追いかけて見つけた人に小さく息を飲む。
「愛理〜」
軽く手を振ってこちらに向かってきている清水先輩と…、
「矢島さん…」
口元を緩めながら清水先輩の隣を歩いてきてる。
ただそれだけなのに、雰囲気があって目が奪われてしまう。
しゃんと伸びた姿勢のせいなのかな、それとも私の気持ちが強すぎるせい?
ただ、そんな私を見て、隣に並んできたりーちゃんがまた眉を寄せていた。
- 206 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:25
-
「お疲れ」
「お疲れ様です」
「梨紗子も」
「……お疲れ様です」
矢島さんがいるせいかな、人見知りの激しいりーちゃんは一歩下がって頭を下げた。
知らないわけじゃない清水先輩は、全く気にした様子もなく笑ってるけど。
「あのさ、この後なんか予定とかある?」
「え?」
「良かったら一緒に帰らない? うちらと」
うちらと?
それって。
「あたしと舞美と、梨紗子と愛理で」
ええっ。
矢島さんもっ?
明らかに動揺してしまった私に、清水先輩が噴き出す。
- 207 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:25
-
「なに、愛理。そんなに驚かなくてもいいじゃん。取って食べたりしないし」
「あ、いえ、すみません」
素直に謝ると、隣の矢島さんもクスリと笑みを零した。
「ちょっとさ、鈴木さんに話したい事あってさ」
「え…?」
「ダメかな?」
ダメだなんてそんな。
反射的に首を振りかけて止まる。
りーちゃんは?
私は別に構わないけど、りーちゃんはもしかしたら迷惑…かもしれない。
そんな私に気づいたのかな、りーちゃんは小さく手を上げて目を閉じると軽く首を振ってみせた。
「私、みやと約束あるから」
きっと本当なんだろう。
ちょっとだけ申し訳なさそうに私に視線を投げてきたから。
- 208 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:26
-
「じゃあ、愛理だけでも。なんか舞美も用があるみたいだし、ダメ?」
ダメなはずない。
清水先輩の言葉に今度こそ首を振って否定する。
「良かった。じゃあ片付けたら正門集合ね」
「あ、はいっ」
去り際に矢島さんがヒラヒラと手を振ってくれて、私は慌てて頭を下げる。
ただそんな私に「礼儀正しすぎだよ」って笑い混じりの声がかけられたっけ。
「りーちゃん…私、行ってもいいかな?」
「なんで私に訊くの?」
声のトーンは、いつものりーちゃん。
でも、なんとなく…なんとなくだけど…。
「りーちゃん…怒ってるみたいだから」
言った瞬間りーちゃんは、らしくもなく小さく息を飲んで口を開き…でも何かを言いかけてまたつぐんだ。
- 209 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:26
-
「りーちゃん…?」
もう一度呼びかければ、今度は ムッとした顔で前を見据える。
その視線の先を追いかければ、矢島さん。
りーちゃん…矢島さんに何か怒ってる…?
「どうしたの…?りーちゃん…ちょっと怖いよ?」
「私は愛理が怖い」
「え?」
思いもよらない言葉に瞬きを何度もしてしまう。
怖い?私が?
どうして?
頭の中でぐるぐるする疑問にりーちゃんは目を閉じて一度ため息を零した。
「矢島さん、愛理にはよくないかもしれない」
?????? え?
「愛理が矢島さんと距離を縮めるの、私は応援できないかもしれない」
ど、どうして???
「勘」
声に出していないのに、りーちゃんは私の疑問に答えた。
- 210 名前:The changing relation 投稿日:2012/06/21(木) 08:27
- 勘。
なんて曖昧な言葉だろう。
だけど…、なんて重く響く言葉なんだろう。
きっとりーちゃんだから。
私の一番の理解者で…私より色んなことに敏感だから。
「……………」
「ごめん、考えすぎかも」
何も言えない私に、りーちゃんが気がつき苦笑いと一緒に頬を緩めた。
安心させようとしてくれてるんだ、きっと。
でも…上手く返事できない…。
「一緒に行ってあげたいけどごめん。1人で大丈夫?」
「うん…」
その背をポンと押されて一歩前に進む。
振りかえれば、打って変わって本当に笑顔のりーちゃん。
「じゃあ…、行くね?」
「ん。気をつけて」
その「気をつけて」は、帰り道気をつけて帰れということなのか、それとも…。
軽く手を振って別れながら、一抹の不安が私の胸に小さなシミを作り出していた。
本当に小さな…でもハッキリとした黒いシミが…。
- 211 名前:tsukise 投稿日:2012/06/21(木) 08:28
- >>198-210
今回更新はここまでです。
亀更新で申し訳ない限りです(平伏
>>195 名無飼育さん
太陽のような矢島さん、本当にその通りですね♪
またお付き合いくだされば幸いです。
>>196 名無飼育さん
大変更新が遅れておりまして申し訳ないです。
爽やかな矢島さんに朗らかな鈴木さん、素敵ですよね♪
>>197 名無飼育さん
爽やかな二人…ご感想、大変うれしく思います。
更新がとても遅いのですがまたお付き合いくだされば幸いです。
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2012/06/24(日) 19:47
- 待ってました…本当にお待ちしてました。
月瀬さんの丁寧な描写の小説がとても好きです。
中学生ながら色っぽい鈴木さん、けしからんですねw
最後の部分でこちらにまでも不安が…
- 213 名前:名無し 投稿日:2012/06/25(月) 05:31
- ずっと待ってました!
tsukise作品がまた読める事に感謝です!
りーちゃんの勘が不安です。。。
次回もゆっくり待ってます!
- 214 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 15:56
-
茜色の空を見上げれば、すうっと心地よい風が頬をくすぐっていくのがわかる。
昼間の暑さも、今は落ち着いてちょうどいいぐらい。
ただ、傾いていく陽は、それでも夏の日に近づいているのを告げるようにゆっくりで温かく。
時間さえも、いつもの半分の速度で動いているんじゃないかって錯覚に陥る。
わかってる。
そう思わせているのは、隣に並んで歩く先輩のせいなんだって。
いつからか先輩…矢島さんとの一分一秒がすごく苦しくて、でも、大切だから。
少しでも長く一緒にいたいって気持ち隠せずにいるんだ。
ちらりと横目で盗み見れば、陽に照らされて揺れる漆黒の髪。
その隙間からは凛とした瞳が見える。
まっすぐ、本当にまっすぐ前を見ている瞳が。
本当に綺麗な瞳。
焦げ茶色で、私と同じなはずなのに…そこに映っているのは全然違うものに思えて。
瞳だけじゃない。
ちょっと上気した頬だって、やっぱり肌が薄いからかな…凄く透き通って見える。
唇も艶やかだし…まつげも長いし…。
腕も長いな…細いな…白いな…。
なんかぜんぶが大人っぽい人だな、って思う。
でも。
- 215 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 15:57
-
「なに?」
「わっ」
「えっ? なに、なんかこっち見てなかった?」
「い、いやー、あ、でも、ちょっとだけ」
「あは、へんなの」
びっくりした。
盗み見ているのに気づかれてドギマギした。
それはおてといて。
うん、でもなんていうんだろう、からっと笑う矢島さんはやっぱり綺麗なんだけど可愛くて。
そのギャップと、飾らないその姿は、きっと誰もが好きになる。
そう思うんだ。
なんだか…人気あるのがわかるなぁ。
私も…。
ん? 私もってなんだろう。
いやいや、生意気すぎる。
こんな素敵なひとなんだし、下級生の私なんかに想われても、ね。
- 216 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 15:58
-
「愛理ぃー、なんか手に取るように考えてることわかるよ、アタシは」
「えっ?」
清水先輩は、困ったみたいに笑いながら矢島先さんの隣から顔を覗かせてくる。
ぎくりと胸が鳴って、つられるように「いやー…」なんて笑いながら明後日の方向を見て誤魔化した。
ただ一人、やっぱりというか状況が飲み込めない矢島さんだけが、なになに?なんて首ふり状態。
たぶん、自分のことには、こと鈍感なんだ。
その鈍感さが今はありがたいけど。
「で、舞美、話あるんだよね」
「あ、うん、そう」
コホン、と漫画みたいに一度咳払いをする矢島さん。
それから足を止め、まっすぐ私をみて口を開いたんだ。
- 217 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 15:59
-
「あのさ、よかったらあたしの写真のモデル、お願いできない?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・はっ!!!???
「はっ!!!???」
心の声はそのまま口を出て素っ頓狂な音になった。
思わず道行く人がこちらを振り返って、あわてて口元を押さえたっけ。
でもだって。
今なんて。
モデル?
私が?
- 218 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 15:59
-
「どうして、私、なんですか?」
他にたくさんの人がいるのに。
きっと私なんかより、とっても綺麗な人や可愛い人もたくさん。
それに…矢島さんが撮るんだからそれに相応しい人とか…。
撮ってほしい人…とか…だって。
私みたいな、ふにゃふにゃしてて笑うのもあんまり上手くなくて、
気もきかない中学生なんかじゃなくって…って。
あぁ…なんだか…自分でいってて滅入ってきちゃうなぁ。
それだけ自信がないんだ。
ずーん、と頭が斜めに落ちてきそうになる私。
でも、そんな空気を変えたのは、もちろん矢島さんだった。
- 219 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:00
-
「うん、なんかさ、撮りたいって、すっごく思ったんだ。――― 愛理を」
ぶわっと。
風が吹いた。
私の中で。
だって。
今。
「ごめんね、うまく答えてあげられなくて」
続く言葉も耳には遠い。
「正直さ、あたしもよくわかんないんだ。でも、なんかさ、愛理を撮りたいって。
思ったら止められなくなっちゃって、言ってみた」
あ、また。
そこだけ色づいたみたいに私に届く。
聞き間違いなんかじゃない。
今、私のこと。
名前で呼んでくれた。
愛理って。
- 220 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:00
-
「だめ、かな?」
きっと矢島さんにはなんてことないことなのかもしれないけど、
あぁ、なんだろう…、こんなにも、胸が苦しくなるなんて…。
嬉しいのに、泣きそうな気持ちになるなんて。
「あれ…? えっ、もしかして泣いてる?泣かせた?うわっ、えっ、どうしよっ
そんな、泣くほどやだった?」
ぶんぶん首を振る。
嫌なんかじゃない。
むしろ、その逆。
でも、言葉がでない。
こらえようとすればするほど、変顔になって眉が下がっていくのが自分でもわかる。
いま絶対情けない顔をしているはず。
でも発作を起こしたみたいに息苦しくて。
- 221 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:01
-
「ほーら、しっかり」
そんな私の背中をポンポンと叩いてくれたのは清水先輩。
あたたかなその手は、小さな子供をあやす手そのもの。
でも、今の私には心地よくって。
「はい、息吸ってー吐いてー」
吸ってー吐いてー。
ならうようにすれば、矢島さんまでつられて小さく深呼吸なんてしてるのが視界の端に見えた。
ちょっと魚の口パクパクみたいで面白い。
「大丈夫?」
「は、はい、ありがとうございます」
つい笑ってしまったからかな、清水先輩は「よし」って頭を撫でて矢島さんの前に私を押し出した。
- 222 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:01
-
「返事はいつでもいいんだ」
「あ、いえ」
「うん?」
さらっと髪を零しながら首を傾ける矢島さんは、それでもまっすぐ私を見つめてる。
引き込まれそうなあの目で私を。
その目が見つめる先…レンズの先で私を撮る。
うん、それはなんだか…私だけが矢島さんを独占しているようで…。
「私、やります」
「ほんとに?」
「はい」
「いいの?」
「はい」
そっかぁ、なんて笑う矢島さんは嬉しそう…だと信じたい。
いつも笑ってるところしかみてないから、そこまでは判断つかないのが本音。
いわゆる希望的観測。
- 223 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:01
-
「あ、でも、ひとつだけ」
「うん」
「部活が一番なので」
「あ、うん」
「コンクールも集中したいんで」
「うん」
「それ以外のときでお願いします」
「うん」
何度も頷いて私の言葉を聴いてくれる。
それからやっぱりあの屈託のない笑顔を向けてくれる。
「もちろん、愛理を一番に考えるよ」
「あ…はい」
気づいてないのかな、というか気づいていたらなんて策士。
気持ちがぐらつかないわけないじゃないか、何度も名前を呼ばれたら。
- 224 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:02
-
「ねぇ舞美、気づいてないの?」
「え? なに佐紀」
「これだから属性『天然』ってのは…。愛理、ごめんね」
「あ、大丈夫です」
オーバーにため息をついてうなだれたのは清水先輩。
きっと今一番その状況を把握しているのはこの人だけだろう。
それはどちらかというと私よりの状況を。
「名前」
「うん、名前」
「ちがーう、名前で呼んでるけどいいの?」
「名前で呼ばないと誰に話してるかわかんないよ」なんて清水先輩の意図を
100%スルーして答える矢島さんは、それでもやっと気がついたみたいに、
あ、と口を大きく開いた。
- 225 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:02
-
「ごめん、無意識。鈴木さん、だね」
オーバーに頭をわしわし掻いてテレ笑いする矢島さん。
あまり偉ぶった風じゃなかったからかな、私も両手を振って。
「ぜんぜん、大丈夫です、愛理で」
「そう?ヤじゃない?あんまり知らないのに」
「ぜんぜん、はい」
そっかよかった、と矢島さんはにっこりする。
今から直されてもちょっと寂しいっていうのが本音。
それに私、たぶんあなたのこと知ってます、あなたが思ってるより…
という言葉はもやもやした気持ちと一緒に飲み込んだ。
- 226 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:03
-
「あ、ごめん、あたしここで」
「あ、舞美、電車通学だったね」
「うん」
気がつけば、駅への曲がり角はもうすぐそこで。
矢島さんは一度目で見やって肩から斜めにかけたカバンをよいしょ、と持ち直している。
ここでバイバイ、そういうことだ。
「家、遠いんですか?」
「んー、駅の3つ向こうなんだけど、そこから自転車で30分のところかな」
「遠ぉ!」
「あれ?佐紀、知らなかった?」
「知らないし。舞美、そういうの全然教えてくれてなかったし」
あれ?そうだっけ?なんて困ったみたいに笑うけど、ぜんぜん悪びれた感じがなくって、
いつもこんななんだなぁって思う。
「居候みたいなもんだから、ほら、なんか教えにくかった、とか?」
「いや、疑問系で言われてもわかんないから」
絶対に教え忘れてただけだ。
ちょっとしか一緒にいなかった私でもなぜか断言できた。
- 227 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:03
-
「ま、いいや。舞美の用事も終わったみたいだし?また明日?」
「だね」
「あ、はい」
挨拶もそこそこに、矢島さんは手をヒラヒラさせて身をひるがえした。
それからスタスタと数歩歩いて、何かを思い出したみたいに振りかえる。
あ、なんて大きく声を出しながら。
「あのさ」
「はい?」
「舞美」
「え?」
「あたしのことも、舞美でいいから」
「いやいやいやいや」
なんて爆弾提案。
私は後輩、あなたは先輩。
それはさすがに。
ぶんぶんと首をふって両手もふって遠慮する
一瞬、甘い誘惑が胸を疼かせたけど、そこは理性が勝ったから。
- 228 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:04
-
「そう?まいっか」
軽い返事。
そんなに期待してなかったのか、思いつきだったのか。
たぶん後者。なんとなく言ってくれたんだと思う。
「あたしは気にしないのに」
「舞美はもうちょっと気にしたほうがいいよ」
矢島さんが言い終わらないうちに言葉をかぶせたのは清水先輩。
ちょっと呆れたみたいに腰に手をついて、ボリボリと頭をかいている。
いつもこんな感じなのかな、二人は。
ちょっとだけ日常を垣間見た気がした。
「佐紀きびしー。あは、じゃね」
「はいはい、気をつけて帰んのよ」
今度こそ腕が外れそうなぐらい大きく手をふって夕闇のなか駅に吸い込まれていく矢島さん。
その白いしゃんとした背中は、もう、一度も振り返ることなくまっすぐと消えていった。
なぜだか目が話せなくて、清水先輩に促されるまで動けなかったっけ。
- 229 名前:Photographic subject 投稿日:2013/06/04(火) 16:04
-
・
・
・
あのときはわからなかった。
彼女が私を選んだ理由。
どうして私なんかって思った。
なんにも取り柄なんてない、ましてや写真のことなんてわからない。
どうしていいのかだって全然わからない私を、どうしてって。
でも、時が刻まれていく度に…。
フィルムが増えていく度に気づいていったっけ。
実は…彼女は『選んだ』んじゃなくて、『選んでくれた』んだって。
大げさに言うと、私を…助けてくれるために。
そう、思うんだ。
- 230 名前:tsukise 投稿日:2013/06/04(火) 16:09
- >>214-229
今回更新はここまでです。
…もう鈴木さんは大学生ですか…(遠い目w
>>212 名無飼育さん
大変ご無沙汰してます。
またお付き合い頂ければ幸いでございます。
鈴木さんは例に違わず成長著しい姿になりましたね。
>>213 名無しさん
ご無沙汰しております。
浦島太郎状態の作者ですが、またお付き合い下されば幸いです。
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/06/08(土) 00:09
- お待ちしてました!
- 232 名前:名無し 投稿日:2013/06/11(火) 21:26
- 更新キター!
待ってました!
続きが気になる終わり方ですね。
次回も待ってます。。。
- 233 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:11
- 桜が散るのは一瞬。
だから美しいなんて誰かは言うけど、綺麗なものがずっとその形であり続けることができるなら
そっちの方が素敵なんじゃないかって私は思う。
ないものねだりだけど。
「もったいないよね」
「桜?」
「うん」
チラチラと葉桜の隙間から零れる太陽の光に目を細めてつぶやけば、とくに興味ないのか
ふぅん、なんて顔をして膝に広げたサンドイッチを頬張る親友。
お昼休み、りーちゃんと二人で中庭の木陰にあるベンチを占領してお弁当を広げる。
教室の喧騒がちょっと苦手で、人もまばらなこの場所にいつもくるんだけど、
これからの時期は少し向かないかもしれないなぁ。
時々吹いてくる風は心地いいけど、地面から感じる暑さに汗ばんでいくのを感じるから。
- 234 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:11
-
「あ、昨日みやに会えた?」
「会えるよ、約束してたんだから」
「あ、そっか」
「愛理と一緒にするな」
「ぐ…」
痛いところをつくなぁ…。
すごすごと、箸でミートボールをぷすりと刺して口の中に放り込む。
口に広がる味に、至福を感じてにんまりすれば、隣でりーちゃんが、ふっと笑った。
お母さんのお弁当、美味しいんだもん。しょうがないじゃない。
「みや、先輩に呼び出されたんだって」
「え…っ? それって…」
「そ、よくある『教育的指導』」
そんなサラっと。
- 235 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:12
-
「一年のくせにスカート、短いって」
「スカート?」
「ん。目に付いたから、ちょっとトイレ来いって言われたって」
確かにみやって目立つ。
良くも悪くも目立つ。
性格もけっこうサバサバしてるから誤解も受けやすい。
でも呼びだしなんて、そんなドラマみたいなこと本当にあるなんてビックリだ。
「それでみやは?」
「面白そうだし行ってみたらしい」
「へっ?」
「したらリーダー格一人が言いたい放題言って、ほか10人ぐらいはとりまきで
ただいただけだった、つまんないって」
「つまんないって…みや〜」
額を思わず押さえた。
ちょっと論点がズレてるよ、みや。
物怖じとかしないのわかってるけど、そこまでとは…。
- 236 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:12
-
「で、不思議だから、一人ずつとりまきに聞いたんだって。『なんでいるんですか?』
『どう思ってるんですか?』『同じことしかいえないんですか?』って」
「あ〜〜〜…」
言葉も出ない。
みやに声をかけたのが間違いなんじゃないかな…その先輩も。
素直に聞くようなタイプじゃないのに。
そう、みやは曲がったことは大嫌い。
意思を曲げることもしない。
やっていけないことは、大人も子供も男も女もみんな一緒、そう思ってるから。
だから自分が決めた道は、だれにも口出しさせない。
でもフランク。
自分を慕ってくれる人にはとことん甘い。
年下への庇護欲は特に。
…というか、りーちゃんへの庇護欲、かな。
昔から一緒だから、いつもそばで見守っているのを知ってる。
要は『特別』。
みやの特別がりーちゃんで、りーちゃんの特別がみや。
すごくバランスのいい二人は見ていて気持ちいい。
- 237 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:13
-
「で、どうなったの?」
「どうなったって…、そんなの撃退してハイおわり、だよ」
ペロっと指先についたタマゴサンドのマヨネーズを舐めとって、
りーちゃんは事も無げにそう言った。
あぁぁ…なんて唸り、また額を押さえた。
眩暈がする。
「みや、悪くないもん」
「そうだけど…。ま、みやだもんね…うん」
「へんな愛理」
なんだか何を言ってもダメな気がする。
元来争いごとが苦手に私からしたら、目を丸くするしかない。
- 238 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:13
-
そう、私は争いごとがキライなんだ。
「鈴木愛理さん」
「はい?」
膝に降りてきた影に顔を上げると、そこに一人の女の人が立っていた。
制服とネクタイの色から、…みやと同じ高等部の1年生。
…でも、私は知らない。
「あなたが…鈴木愛理さん?」
「あ、はい…そうですけど…あの…?」
どちらかわからなかったのかな?
返事をしたら、私に向き直って…、なんだろう…すごく居心地の悪い…
そう、ちょっと露骨に品定めするみたいな目を向けてきてる。
頭からつま先まで。
「何か用でも?」
「あなたにはない」
声をかけたりーちゃんに、目も向けずに言い放つその人は私から視線をはずさない。
その姿を見て、やれやれと肩を軽くすくめ『適当にね』とジェスチャーするりーちゃん。
そのしぐさに、平常心を取り戻せた気がする。
- 239 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:13
-
「あの、どなたですか?私になにか用事ですか?」
お弁当箱のフタを閉めて、見上げる形だけどまっすぐ見つめる。
思わぬ態度だったのかな、その人は少しだけ喉の奥で唸って顎を引いた。
それでも一度深呼吸して。
「私は真野恵理菜。高等部写真部の一年よ。単刀直入に言うわ」
「え? あ、はい」
写真部、にひっかかったけど、それより衝撃の強い言葉をその人…真野さんは
言ってきた。
「あなたに矢島さんのモデルをする資格なんてない。辞退して」
「え…っ」
矢島さん…矢島さんと言った。
それにさっきの写真部…。
じゃあ、この人は矢島さんと同じ写真を撮る人…。
そんな人がモデルを辞退しろ、と。
- 240 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:14
-
一気に、頭が重たくなる。
混乱したように、頭の芯が熱くなって言葉がすぐに出てこない。
「ちゃんと写真のことも判ってないんでしょ? 矢島さんのこともわかってないんでしょ?
どうせ軽い気持ちでOKしたんでしょうけど、そんな簡単なことじゃないのモデルは」
畳み掛ける、とはこういうことを言うんじゃないかとさえ思ってしまう。
反応の薄い私に、鋭い眼光で真野さんは迫ってきた。
その迫力に、何もいえない。
確かに自分は写真のこともわかっていない。
矢島さんのこともわかっていない。
返事もその場で何も考えずOKした。
すべて真野さんの言っていることは正しい…。
- 241 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:14
-
「今度の写真は本当に大切なものになる。それをあなたみたいな人に任せたくないの」
心臓が嫌な具合に鳴るのがわかる。
ドクドクと、血液が流れる音が耳にうるさく届く。
それに、手のひらにもじっとり汗が浮かんで…
のどもカラカラで気持ち悪い。
「今からでもモデルをやめるって言って」
「それは…」
かろうじて出た言葉はかすれて、音になる前に消えた。
モデルをやめろ。
誰かに言われるなんて思わなかった。
矢島さんからならともかく、全然知らない人に。
ちらりと見ると、真野さんは腕組をして、じっと私の返事を待っているみたいだった。
まるでYESと答えない限り、ここから動かさないとでも言わんばかりに。
その目が苛立たしげに揺らいで、また少し胸の奥が嫌な具合に鳴った気がする。
- 242 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:17
-
ふっと顔をあげて見渡せば、私たちを遠巻きに見ている人が増えていることに気づく。
それもそのはずかもしれない。
ここは中等部で、高等部の人がいるだけでも目立つ。
しかも、なにかのトラブルがあるなら、尚の事。
『えー、なになに?』
『なんかわかんないけど、あの子、先輩を怒らせたみたい』
『え、なんか断れとかなんとか言ってたよ?』
『それって、恋愛の修羅場ってやつ? うわー面白い、誰?』
『確か、吹奏楽部の――』
ここからでも聞こえる好奇の声に、一気に背中に嫌な汗が噴出す。
いやだ。
こんな風に目立ちたくなんかない。
逃げたい。
もう、ここからはやく。
ただ一言、たった一言「わかりました」って言えば、それでいいんだ。
そもそも、真野さんの言うように私は部外者。
なんにもしらない。
真野さんだったら、すべてわかってる。
どうしたらいいのかとか、望まれるままに動けるはず。
私なんかより…、私なんかより…。
- 243 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:17
-
でも…―――。
『うん、なんかさ、撮りたいって、すっごく思ったんだ。――― 愛理を』
言ってくれた。
私を撮りたいって。
なんにも知らないのに。
矢島さんが、言ってくれたんだ――――― 愛理をって。
だから―――。
- 244 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:18
-
「………できません」
「え?なに?」
渇いた咽喉からは、やっぱりかすれた声しかでなくて、真野さんは怪訝そうに首を傾けてきた。
でも、もうそんな姿に怖気づかなかった。
「できません…、私、やります、モデル」
「なん…で…」
予期せぬ言葉、だったんだろうな。
文字通り、大きな目を見開いて耳を疑ったみたいだった。
でも、私の返事は変わらない。
「私、やめるつもりはないです」
「どうして?」
矢島さんの頼んできたときのまっすぐな目を思い出したから。
あの目は、自分をみてくれていた。
自分を必要としてくれた。
他のだれでもない、自分を。
- 245 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:18
-
私でないとできないことだって、きっとある。
なんにも判らないし、知らない。
でも、私だけができることが絶対に。
だから。
「あなたに比べたらぜんぜん私なんて力になれないかもしれません。
でも、やりたいって思ったから。それに私でいいって、矢島さん、言ってくれたから」
「そんなの社交辞令にきまってるじゃない」
「そうかもしれません。でも、決めたんです。頑張ろうって」
矢島さんの気持ちは、今はいい。
私がどうしたいかだ。
気持ちを探って、自分の気持ちを置き去りになんてしたくない。
そんな私がどう映ったのか、真野さんはぐっと唇を噛むようにして一度顔を伏せた。
それから泣きそうな、怒ったような、なんともいえない目でもう一度私を見据えて。
何かを言おうと口を開きかけた瞬間。
- 246 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:18
-
キーンコーン―――。
遠くに響く高等部の予鈴。
中等部より10分早い時間割なのに、全然時間が流れているのに気づかなかった。
その音を確認して、真野さんはやっぱりあのなんともいえない目をしたまま、
ただ一言、
「絶対認めないから」
と私に告げて、踵を返した。
その背中は、怒っているというより、なんだか少し寂しそうに見えた…気がする。
やっぱり…認めてもらうのは難しいことなんだと思う。
全然知らない、しかも中等部の後輩がモデルをするのだから当然だけど。
ただ、真野さんの気持ちも私にはわかるから…言ってしまった後だけど
また胸が痛んだ気がした。
- 247 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:19
-
「――― そんなことになってたんだ」
ふう、と大きくため息をついて隣に立ったのは、りーちゃん。
真野さんの背中を見送る目は、ちょっと冷ややかで困ってしまったっけ。
「…うん。…りーちゃんも反対?」
恐る恐る訊いてみる。
矢島さんをちょっとよく思ってないみたいだったから、
事後でこんなこと聞いたらやっぱり…怒っちゃう…?
でも、りーちゃんの答えはどこまでもドライだった。
「…しても、もう決めたんでしょ?だったらいわない。愛理が決めたなら、なんにもいわない。」
どこか突き放すような言葉。
だけど、私にはわかるよ?
- 248 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:19
-
「ありがと、りーちゃん…。ごめんね。でも、大丈夫だよ?私は大丈夫だよ?」
心配、してくれてるんだよね?
こんな言葉で揺らぐぐらいの決心じゃないんでしょって。
そうやって、試すみたいなエールをくれてるんだよね。
わかりにくい親友のエールだけど、ちゃんと届いてるよ。
「ほら、さっさと食べよ」
ぷいっと顔を背けてベンチに向かうりーちゃんだけど、その頬が少し火照ってるのもわかってる。
ただ、他の人から見ればただの不機嫌そうな顔で、ギャラリーはいそいそと退散していたっけ。
「うんっ」
返事はちょっと弾んで、りーちゃんへ。
伝えるのが苦手な者同士、たくさんの言葉は逆にいらない。
こうやっていつものように会話・返事するだけ。
- 249 名前:Disapproval 投稿日:2013/06/12(水) 10:19
-
時々思う。
こうやって、りーちゃんみたいにわかりあえる人がたくさんいればいいのにって。
そしたら相手を思う気持ちの種類も全部わかるのに。
でも、それができないから…ちゃんと伝えるべき相手には伝えなきゃいけないんだよね。
この日は…それを身をもって知った一日だった。
- 250 名前:tsukise 投稿日:2013/06/12(水) 10:22
- >>233-249
今回更新はここまでです。
>>231 名無飼育さん
ありがとうございますっ(平伏
嬉しい限りでございますっ。
>>232 名無しさん
ありがとうございます(平伏
なるべく更新頻度をあげていけたらと思っています(平伏
- 251 名前:名無し 投稿日:2013/06/21(金) 18:04
- 更新早くて嬉しいです!!
彼女も出てきましたね!
愛理頑張りました!
続きも楽しみにしてます!
- 252 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:06
- 6月も駆け足で過ぎ衣替えも終え、正門の桜もすっかり落ちて青々とした葉を揺らしているのを
教室の窓から横目で見ながら、ため息混じりに机の上のノートに頭を落とす。
ずーん。
まさにそんな感じの効果音が頭に響いてくる。
梅雨前でまだまだ天気もよくって、カラっとした空気なのに、
それさえも疎ましく思えるような気持ち。
こんなに問題山積みだなんて…。
というか、やらなければならないことが多すぎて、上手く動けないのが現実。
それがほとんど消化し切れなくて、こんなにモヤモヤしてる。
「はあぁぁぁ」
肺の中の空気を一気に吐き出して、ごろりと頭を転がす。
それから無意味に、目の前の消しゴムを指先でいじったりして。
- 253 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:06
-
コロコロ。
部活…、地区大会が近いからかもしれないけど…最近ギスギスしてるんだよなぁ…。
もっともっと思った通りに吹きたくて頑張ってるのに「愛理はいつものように」なんて
言われると、変えちゃいけないのかなって、少し滅入っちゃうんだよなぁ…。
コロコロコロコロ。
わからなくないんだ。
今、吹き方を一気に変えて本番でミスなんてしてしまったら、本末転倒。
3年生にとっては最後の大会、それを2年の私が台無しにすることはできないし。
コロコロコロコロコロコロ。
あとは…あれからまったく連絡もない矢島さん。
高等部だし、そんな簡単に会うなんてできないのはわかっていたけれど、
こんなにも会えないと…本当に約束したのかなって…不安になってくる。
コロコロコロコロコロコロコロコロ。
それに…真野さんの一件が、まだ尾を引っ張っていて…
逆に会えたとしても今は心苦しいかもしれない…。
- 254 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:07
-
コロコロコロ…、コロンッ。
「あ」
転がしすぎた消しゴムは、角に指が引っかかった瞬間、
逃げるように跳ねて床へと落ちる。
「………はぁぁぁぁぁぁ」
なんだかそれを追いかけて拾う気にもなれなくて、反対側へ頭をもたげて
またため息をついた。
「なにやってんのさ、愛理」
「んー…」
あきれ声が頭の上から投げかけられるけど、生返事。
相手が判っているからできることだけど、だらしがないことこの上ないかも。
「起きろ、愛理」
「はい、消しゴム」
「ん?」
耳になじみのない声が次いで聞こえて、あれ?と顔を上げる。
ノートが少し頬に張り付いてついてくるけど、そのままに。
- 255 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:07
-
「ちょっと〜、だらしないなぁ、愛理」
「そんなんで学年主席とか信じらんない」
「ちっさーに舞ちゃん…」
見下ろす形でそばにいたのは、クラスは違えど部活でお馴染みの二人、
ちっさーと、舞…萩原舞ちゃん。
てか、うちのクラスにやってくるなんて珍しい。
ちっさーはともかく、舞ちゃんは特に。
部活でも、ホルンを吹いてるから木管楽器の私とはあんまり接点もなくって。
ちっさーが一緒にいなきゃ、仲良くなることも難しかったんじゃないかな。
「どしたの、二人とも。授業は?」
「なに言ってんのさ。愛理以外みんな終わったってば」
「えっ?」
うそっ。
ばっと教室を見渡して……がっくし。
いつのまにやらクラスメイトはみんな帰り支度をして、我先にと教室を出て行ってる。
「愛理だけだよ、一人ノート広げてまだ勉強してんの」
「あ、あはは…」
たはは、と頭をポリポリかいて笑ってみせるけど「可愛くない」なんて
舞ちゃんの鋭いツッコミに、本気で凹みたくなる。
弱り目に祟り目、なんて。
- 256 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:07
-
「りーちゃんも教えてくれればいいのに」
「何度も声かけたし。でも愛理、なんか悲劇のヒロインになりたいみたいだったから
放っといた」
「いやいや」
そんなオーラ出してたかなぁ。
でも、自分の世界には入ってしまっていたかも。
これじゃいかんいかん。
しっかりしないと。
「すぐ片付けるよ。部活行かなきゃだしね」
「愛理、一人で部活すんの?」
「え?」
どゆこと?
きょとんと三人を見渡せば、おいおいなんて呆れ顔のちっさー。
りーちゃんと舞ちゃんは顔を見合わせてるし。
- 257 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:08
-
「テスト期間に入ったから部活はないじゃんか」
「あれっ?」
「鈴木愛理さぁーん、ちゃんと頭のネジ締まってますかぁ〜?」
「あいた、あいた」
こんこん頭をノックしてくるちっさーを甘んじて受けながら必死に
頭の中を回転させる。
テスト期間?
あ、言われればそうだったかも。
もちろんその間は部活はお休みで…。
うわぁ…、なんか一気にまた憂鬱な気分になっちゃう。
「あれ?でもじゃあなんでみんなここにいんの?」
ちっさーなんか、ここぞとばかりに遊びに行きそうなのに。
口に出したら「なんだとぉー」と腕にものをいわせてきそうだから
心の中だけでつぶやくけど。
ただ、私の一言に三人は顔を突き合わせ、それから「にひひ」なんて
怪しげな笑顔でせまってきた。
もちろんのけぞって逃げ腰になるのは私。
- 258 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:08
-
「な、なに?」
「愛理ー…、いや、鈴木先生!! 一生のお願い!テスト勉強のご教授を承りたく!」
「えぇっ?」
「もうさー、どうやって勉強していいかもわっかんないんだよぉ」
「そんな舞ちゃん、根本的なこと言われても」
「てか、愛理、ノートだけでも貸してよ」
「りーちゃん…落書きばっかしてるからだよそれ…」
おーねーがーいー、なんて三人で詰め寄ってきて動けない私は
またまた困ったみたいに笑う。
だいたいこの三人、一年の時からずっとだ。
期間に入ると、こぞってやってきて。
私にだって都合があるのに強引過ぎるよみんな…。
「それに愛理だって、みんなでやったほうが気がまぎれるでしょ?」
「え?」
「一人でやっても考えるのってあの人のことばったりだろうし」
「ちょっ、りーちゃん!」
そんな言葉言ったら、この二人が…!
- 259 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:08
-
「なになに!恋バナ!?愛理が恋バナ!?」
「うっそでしょー!?アニメの映画見たり意味わかんないカッパが好きとか
言ってる愛理が!?」
あぁ…やっぱり。
しかも結構ひどい言われよう…。
私って普段どう思われてるのさ。
「ちょ、誰よ愛理」
「いやいや」
「もったいぶんなよ、なに、同級生?他校?」
「いやいや」
「いーじゃん、減るもんじゃなし。え?もしかして先輩とか?」
「い、いやいや」
「あ、どもった。先輩だ。絶対先輩」
「あーもー…」
りーちゃん、恨むよ。
でも、当の本人はさっさと手近の机をくっつけて勉強モードに入っちゃっていた。
- 260 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:09
-
・
・
・
「で、ここのxに計算して出た2を当てはめると…」
「あ、答え出た」
「うん、そう」
「やったぁ!やれば出来んじゃん、あたし!」
「え、待って待って、あたしわかんない」
「千聖、当てはめる公式間違ってる。こっちだよ」
「おぉ!ほんとだ」
女三人集まると姦しいとはよく言ったものだけど、四人も集まれば結構すごい。
千聖一人だけでも結構賑やか…というより煩いから放課後の教室なのに
昼休みみたいに大音量で声が響いてる。
- 261 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:09
-
「愛理、こっちは?」
「りーちゃん文章問題?えっとね…」
「待って待って待って、まだこっち、ちゃんとできてないから」
「うるさい、千聖は少し自分で考えろ」
「うわっ、なんだよそれ。自分だってできないくせに」
「あーもー!千聖も梨沙子も黙って!うるさくて問題解けないじゃん!」
「あぁ…ケンカしないで…」
はぁ…、これが初めてってわけではないけれど、
テストの度にこんな感じだと参ってしまう。
私だって、自分の勉強があるのに…。
特に今回のテストは最近、身が入ってなかった分、ちょっと危ういところがあったりするんだ。
「全然関係ない話だけどさぁ」
「え?」
少し飽きたみたいな ちっさーが、突然ぱっと顔を上げた。
結構集中力が途切れていた私も、反応して顔を向ける。
そしたら、少しシャーペンを指先でクルクルさせながら渋い顔をするちっさー。
- 262 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:09
-
「愛理って学年トップじゃん?」
「…みたいだね」
「その愛理がさ、解けない問題とか出たらどうすんの?」
「は?」
「誰にきくの?やっぱ先生?」
「まぁ、その時々だけど、先生とか自分でいっぱい調べたり」
「うっは…優等生」
「なんでよぉ」
お手上げ、みたいな表情をするちっさー。
「あ、じゃあさ」なんて乗っかってくるのは舞ちゃん。
「どうせなら、先生に言ってよ『私も解けないならみんな解けないし
こんな問題、試験に出さないでください』って」
「あ、それいい。うちらが言っても先生聞かないけど、学年トップの言葉なら
聞いてくれそう」
「で? うちらの点数も上がって2重にラッキー、みたいな!」
「はぁ……」
ため息しか出ない。
きっと二人は考えることを放棄しちゃってる。
もう勉強で頭パンクしちゃってるんだ。
普通に考えて、そんなことがまかり通るわけないじゃない。
たかだか一人の生徒の意見でテスト内容が変わるなら世の中苦労しない。
- 263 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:10
-
「りーちゃん、なんか言ってよ…て、りーちゃん?」
机にへばりつくようにしてノートを書きなぐっているりーちゃんの袖口を
くいくいっとひっぱるけれど、りーちゃんは動かない。
あ、でも、その肩が小刻みに揺れて…。
「愛理!」
「わっ、な、なに?」
がばっと顔を上げて私の両腕をつかんできた。
そして。
「先生に文章問題をなくすように言ってきて。私も解けませんって」
「いやいやいやいや」
目がマジだよ、りーちゃん。
「愛理ならできる!なんなら数学自体テストからなくしてきて」
「そうだよ!愛理ならできる!頼むよ!」
「いやいやいやいや」
なんて結束力。
いつもは火花さえ散らすような、ぶつかりしかしない三人がこんなに結託するなんて。
どんだけ勉強が嫌いなのさ。
てか、冷静になってよ。
どうやったらテストから数学をなくすってできるのさ。
みんな頭がウニになっちゃってるよ。
- 264 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:10
-
誰か…助けて…。
軽く額を指先で押さえて、椅子の背もたれに体重をかける。
ぎし、という音と一緒にため息もこぼれた。
と。
ふっと、何かが頬に触れた。
さらっとしたもの。
同時に、視界が少し暗くなる。
ううん、視界が暗くなったんじゃなくって影が落ちてきたんだ。
頭の上から机全体に。
感じるのは人の気配。
すぐ私の後ろ、背中に寄り添うみたいに覗き込んでる。
えっ、と思って見上げた。
「テスト勉強?」
ばっちり目が合う。
凛とした瞳と。
空気が揺れるたびに、ストレートの髪が頬に触れてきてくすぐったい。
うん?なんて首をかしげたりする姿は、やっぱり綺麗で。
「えらいね」
続けられた言葉と、ふっとノートに向けられた視線に我に帰る。
- 265 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:10
-
「矢島さん…っ」
「えっと…だれ?」
見れば、ちっさーは前のめりに舞ちゃんにもたれかかるようにして
興味津々に突然現れた先輩を見つめてて。
その隣で、りーちゃんも思わぬ人物に面食らってる。
「あ、ごめん突然。あたし高等部2年3組の矢島舞美」
「なんで高等部の先輩が、こんなとこ来てるンすかー?」
「うん、ちょっと愛理に用があって」
クラスとかわかんなくて探しちゃった、なんてからっと笑う矢島さん。
息が少しあがっているし、いちいち探していたのかな。
放課後にしたって中等部だし、目立ったんじゃないかな。
高校生だし、美人だし。
そんなちょっと場違いなことを考えてしまった。
- 266 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:11
-
「え、愛理の知り合い?」
「あ、うん、ちょっと」
どこまで話していいのかわからず、曖昧に頷く。
隠すつもりもないけれど、上手く説明できないから。
こういうときの私って滑舌が破滅的に悪いからきっと1/10も伝わらないし。
「少し話したかったんだけど、勉強の邪魔しちゃ悪いね」
「あ…、えっと…」
ふっと、私の背中から離れてタイを緩めるように指でいじる矢島さんに戸惑う。
たぶん大事な話。
これからのこととか、そんなのかもしれない。
真野さんの一件があったからかもしれないけど、
すごく敏感になってしまっている自分は自覚していた。
いつもならごめんなさいできることも、矢島さんが絡むとそっちに頭がいってしまって。
- 267 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:11
-
「急ぎの話ですか?」
「そんなことないよ」
りーちゃんの何気ない質問に、さらっと答えて両手を振ったりしてる。
「じゃあ…、勉強教えてもらうとか、できます?」
えっ? りーちゃん?
思わずばっと顔を見つめ返してしまった。
でもりーちゃんは特に気にした様子もなく「なに?」なんて涼しい表情。
でも、だって。
りーちゃんはどちらかというと矢島さんをあんまりよく思ってなかったはず。
それに人見知りだって激しいから、あんまり知らない先輩に教えてもらうとかは…。
なのに、そんな提案…。
「お、そうだよ。愛理の知り合いだったらいいじゃん。高校生だし楽勝じゃね?」
「じゃあじゃあ、愛理も解けないのとか聞いとこうよ」
「舞ちゃんナイス! はいはーい、じゃ、ここ座ってー」
ちっさーと舞ちゃんは、早くもノリノリに矢島先輩さんを近くの席から持ってきた椅子に促してる。
こういう時のコンビプレーはすごいんだよね…。
- 268 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:12
-
「え? いいの? 迷惑じゃない?」
「ないない。これで成績アップすれば文句なし」
「高校生が教えてくれるんだし、愛理引きずりおろしちゃうかもだよ」
自分の顔を指差してたずねる矢島先輩にぶっそうなことを口にする二人。
引きずり下ろすって…。
テストはそういうものじゃないじゃん…。
結局、二人の強引さに負けて、矢島さんから教えてもらうことになってしまったっけ。
・
・
・
- 269 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:12
-
「さっすが高校生、わかりやすい」
「そう?」
「もうね、愛理も教えてくれるんだけど、時々滑舌悪くてききとれなかったりするんだよ」
痛いところを…。
だったら聞きにこなきゃいいのに。
「でも、愛理、学年トップだし間違ったことは教えないじゃん」
持つべきものは親友。
だよね、だよね、と泣き真似よろしく りーちゃんに頭をよせると、よしよしと撫でて慰めてくれる。
「へー!愛理、学年で一番なんだ?すごい!」
「いやー…」
感心した声をくれたのは矢島さん。
その声になんの含みもなかったからか、素直に私はテレてしまう。
いつもストレートだなぁ、矢島さんは。
- 270 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:12
-
「ねぇ、舞美ちゃんは?得意科目って何?」
「あたし? そうだなー、あたしはー…」
そういえば。
勉強し始めてしばらく経った頃、意外と馴染んでしまった矢島さんに
ちっさーと舞ちゃんが、『先輩って堅苦しいし名前で呼んでいいっスか?』なんて言い出して。
気のいい矢島さんは、私に爆弾提案したぐらいだし、すんなりOKしたりして。
今ではすっかり「舞美ちゃん」「舞ちゃん」「ちっさー」「梨沙子」状態。
驚いたのは、りーちゃん。
舞ちゃんとちっさーの流れのおかげか、普通に「舞美ちゃん」って呼び出して。
そんなキャラだったっけ!?なんて顔を二度見してしまったぐらい。
でも、私を見るりーちゃんは、またあの涼しげな視線で、
「愛理も呼べばいいじゃん」なんて言いたげな顔。
それができれば苦労しないよ。
一度意識しちゃったら中々変えられないものでしょ?
- 271 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:12
-
「あたしは、アレだ、英語得意だよ?」
「英語?マジでー、舞、超ニガテ〜」
「一緒。大体日本人なんだから英語とか選択にすればいいのに」
「あはは。でもあたし、いわゆる『帰国子女』だから」
えっ? そうなの?
悶々としながら会話を耳にしていたけれど、そこで顔をあげる。
重要な情報だもん。
「そうなの? え、いつ日本きたの?」
「去年の三月。だからこの学校には高等部からの編入組なんだ、あたし」
「へー、なんかかっこいい、きこくちじょ…」
「千聖噛んでるし」
りーちゃんの冷静なツッコミに、ちっさーは「うるせー」なんていいながらテレ笑い。
つられるように笑顔を浮かべるけど、目線が矢島さんから離せない。
- 272 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:13
-
そうなんだーそうなのかー。
高校からの編入組。
そりゃ、知らないはずだ。
こんなにも素敵な人、長く同じ敷地にいるだけでもすぐ気づきそうなものだもん。
それだけじゃない。
帰国子女、なんてステータスまで持っていて。
なんかすごい。
ひとつひとつ新しいことを知るたびに、気持ちが膨れ上がっていく感じ。
もっと、もっと知りたいって思ってしまう。
「じゃあ、舞美ちゃんは、なんで日本に?」
・
・・・
・・・・・・・。
あ。
言っちゃった。
言ってしまった。
今、確かに無意識だったけど、『舞美ちゃん』って。
にやり、と口角を上げるりーちゃんがバッチリ視界に入ってきたし。
- 273 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:13
-
「あ、うん、まぁ、家庭の事情ってやつ、かな?」
しかも私の質問はかなり際どかったと見る。
正直、「やっちまったー!!」状態。
あぁぁぁぁぁ、なんて少し頭を押さえて机に突っ伏すと、
「え?なに?大丈夫?」と背中をさすってくれる矢島さん改め舞美ちゃん。
「ごめんなさい。なんか聞いちゃいけないことだった気がして」
「えぇ? あぁ、気にしないで。ぜんぜんそんな複雑な事じゃないから」
へらっと笑ってパタパタと手をふる舞美ちゃんは、いつもと変わらない。
その笑顔に感謝しながら、うんと小さく頷いた。
- 274 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:13
-
と。
その時。
≪下校時刻10分前です。校舎に残っている人は速やかに帰宅しましょう≫
絶妙のタイミングで下校を促すアナウンスが流れたんだ。
「ここまで、だね」
「うん、ありがとう舞美ちゃん」
「頑張れそう?」
「もうね、愛理に一泡ふかせてやるよ」
「そっかそっか」
広げたノートや教科書をトントンと机で立てながら離す舞ちゃんとちっさーは
満足げな表情。
それを見て、どこかお姉さんみたいに、肩を抱いて笑う舞美ちゃん。
あ、そういえば。
- 275 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:14
-
「舞美ちゃん、何か私に用があったんじゃ?」
「あ、そうそう、忘れてた」
ポン、と手を打って、まさに今思い出したようにスカートのポケットに手を入れる舞美ちゃん。
もしかして私が聞かなかったら、このまま忘れてしまっていたんじゃ…と心配してしまうほど
軽い反応だった。
「愛理の番号とメアド、聞いとこうと思って」
取り出したのはピンクの可愛い携帯電話。
ピンク、好きなのかな?
ワンポイントもピンクのシールだ。
「あ、うん」
「なになに、じゃあ舞も!」
「あーはいはいはいはい、あたしも」
「…じゃあ、私も」
え、三人は関係ないんじゃ。
ってか、りーちゃんまで?
ぎょっとするけど、舞美ちゃんは気にした感じもなく、
いち早く携帯を取り出した舞ちゃんと赤外線で交換しちゃってる。
- 276 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:14
-
ま、いっか。
三人がいなかったら、こうやって仲良くなれたかわかんないし。
舞美ちゃん、なんて絶対呼べなかったし。
「はい、愛理も」
「あ、うん」
気づけば、敬語でもなくなっちゃってるもん。
なんだか不思議。
真野さんの一件から、次にあったらどうやった話そうとか、
何をしたらいいのかとか、すっごく悩んでいたけれど、
いざ会ってみたら、こんなにも仲良くなって。
そして、新しい一面も知って。
「んふふふ」
「え?なに?」
「ううん、なんでもない」
「へんなの」
にやにやが止まらない。
でも舞美ちゃんも、へんなのって言いながらまた笑顔。
後ろでは「キモいよ愛理」なんて三人の声が聞こえるけど完全無視。
だって嬉しいんだからしょうがない。
- 277 名前:Intermission 投稿日:2013/06/26(水) 17:14
-
「よし!じゃあ、あたしは教室にカバンとか置いてるから戻るね」
「あっ、そっか、ごめんなさい」
「ううん、気にしないで。楽しかった」
ガタン、と椅子を立てば、ちょっとした身長差で見上げる形に。
でもどの角度から見ても綺麗な舞美ちゃん。
その舞美ちゃんに私はどんな風に映ってるのか…。
「じゃ、またね」
「うん」
ばいばーい、なんて大きく手を振るちっさー達に小さく手を振りかえして
舞美ちゃんは颯爽と教室を出て行ってしまった。
一度も振り返らずに。
でも、この間までの焦燥感はない。
だって、また会えるってわかってるから。
いつとか約束してなくても、きっとそれは近い未来に。
そう、たぶん、―――― 期末試験後には、絶対。
不確定な約束なのに、私の中には確信めいたものが浮かんでいたっけ。
- 278 名前:tsukise 投稿日:2013/06/26(水) 17:18
- >>252-277
今回更新はここまでです。
>>251 名無しさん
感想ありがとうございます。
ちょっと誤字が出てしまいましたが、はい、彼女も登場ということで(平伏
いろんなことにぐらつかずに鈴木さんには頑張ってほしいですねw
- 279 名前:名無し 投稿日:2013/06/26(水) 17:40
- 更新待ってました!!
また舞美の謎がひとつあきらかになりましたね!
思わず呼んでしまった愛理ににんまりしてしまいました。
次回も楽しみにしてます!
- 280 名前:名無し 投稿日:2013/06/26(水) 17:42
- すみません。。。あげてしましいましたorz
- 281 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 14:59
-
「んだよぉ、結局愛理じゃんー」
千聖の憮然とした表情と、つんと尖らせた唇に苦笑いをしてその場を離れた。
「あ、ちょっと待ってよぉ」とパタパタついてくる足音は、舞ちゃんだ。
テストが終わって、翌週の朝には廊下に張り出されたテスト順位。
別に狙っていたわけではないけれど、私の名前は1位の下に書かれていた。
それを見ての千聖の反応がさっきの言葉だ。
「愛理アレでしょ、うちらの知らないところで猛勉強したんでしょ?」
「えぇ? 普通だよ」
「普通ってどんくらいだよぉ」
「今日の予習と昨日の復習して、残った時間を参考書と問題集といてただけ」
「うっは…なにそれ、絶対むり」
「舞も無理。さっすが優等生」
ちっさーが目を回すみたいに黒目がちな瞳を大きく見開いてのけぞって見せた。
となりで「ありえなーい」と、ちっさーにもたれかかりながら天を仰いでいるのは舞ちゃん。
というか、いきなり嫌味ですか。
二人とも朝から酔っ払いみたいに絡むのやめてよ。
通り過ぎていく人が、笑いながらこっち見てるし。
- 282 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 14:59
-
はぁ、と、ごちっている二人を尻目に大きく息を吐く。
同時に冷たい空気を吸い込んで瞬きひとつ。
7月に入ると、館内の冷房が稼動するからコンクリートの廊下は風の通り道でとくに心地いい。
大抵私は髪をアップにしているから、一瞬外との温度差に身が震えるけど
汗ばんだ首筋にすっとするし、登校したらやっとホっと一息つける感じ。
30度超えが珍しくなくなっているこの時期、登校するまでのうだる暑さに
息苦しささえ感じるけれど、ひんやりとした空気が待っているって思えば
夏休みまでの短い期間、頑張れるって感じかな。
私の個人的な感想だけど。
ふっと、窓から外を見ると、校庭で朝の部活にいそしむ運動部が見えた。
大変だろうな、っていつも思う。
自分自身が運動が得意ではないからっていうのもあるけれど、
得意な人でも、この暑さは堪えるだろうし。
きっと好きだから続けられるんだろうな。
- 283 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:00
-
ただ、時々思ったりするんだ。
好き、がなくなったときって、どうしてるんだろう…なんて。
私自身、好きなことがそうでなくなった時がまだないから。
やめる?
それでも続ける?
続けたら、また好きになれる?
わからない…。
たぶん、そのときにならないとわかんないんだろうな、私は。
- 284 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:00
-
「あ、おい愛理、あれ」
「え?」
ぼんやりしていた私に呼びかけたのは、ちっさー。
何かに気づいたみたいに私の顔の横で、窓の外を指差した。
その先を目線で追って見つける。
私たち二年の教室棟のひとつ、というか二階真ん中の私の教室の窓が開いて
中から誰かがこっちに手を振ってる。
あれは…りーちゃん?
ぱっと、手近な窓を開けて「りーちゃん!」と呼びかければ、
穏やかに笑ってるりーちゃんが、軽く笑って見せた。
りーちゃん、本当に肌が白いなぁ…。
ここから見ると、陽に照らされてキラキラして見えるもん。
- 285 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:00
-
「おはよー!」
「あいりー、うちら今日日直ー!」
「そうなのー?」
菅谷と鈴木、出席番号はお隣さんで順に日直が回っていくから、そっか、今日は私たちなのか。
あ、じゃあもしかして、
「出席簿と日誌、職員室から持ってきてー」
「わかったー!」
やっぱり。
涼しい教室から多分動きたくないんだろうな、りーちゃんは私を見つけてお願いしてきたんだ。
もしかしたら、あそこからずっと見張ってて、登校して来るのを待っていたのかな。
もう、りーちゃん、めんどくさがりなんだからー…。
- 286 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:01
-
「ちっさー、よく見つけたね。ありがと」
「鋭いだろー」
「でもヤマ張ったテストできてないし」
「そぉなんだよねぇー!おっかしいよなぁ」
舞ちゃんの突っ込みに、あいたたたと頭を押さえて悔しがるちっさー。
自己添削で赤点にはならなかったって言ってたし、ま、次があるよ、うん。
「じゃ、私行くね」
「おー、また部活でー」
「ばっははーい」
「ばいばい」
クラスの違う二人と、階段の前で別れる。
先に職員室に行かなきゃだしね。
- 287 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:01
-
・
・
・
「失礼しましたー」
手早く出席簿と日誌を棚から取って、教室に続く階段へ向かう。
と、階段に足をのせたその時。
「鈴木さん」
「…はい?」
後ろから呼び止められて、立ち止まる。
返事をしながら振り返れば、そこには一人の生徒。
私の記憶にその顔はないから…、多分初対面。
シャツにネクタイじゃなくてリボンの所を見ると、中等部。
でも、色は私と違って紺色…ということは先輩、3年生だ。
- 288 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:01
-
「えっと…?」
「ちょっと、話したいんだけど、今いい?」
困ったみたいに見つめると、ふわっとした笑顔で小首をかしげるその人。
つい最近、『先輩』からの話で痛い目にあったばかりだし、みやの話も
聞いていたから、ちょっと身構えてしまう。
「別にケンカしに来たとかじゃないよ。その逆。ダメかな?」
「あ、いえ」
逆? 逆って、どういうことだろう?
とりあえず、確かにケンカとかそんな雰囲気はない。
じゃあ、と校舎の時計に目を向け予鈴までにまだ時間があるのを確認し了承する。
- 289 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:01
-
・
・
・
つれてこられたのは中庭。
朝練習の運動部も、そろそろ片付けて教室に向かう慌ただしい時間だから
私たちの方を気にも留めていないみたい。
それを横目で見ながら、前を歩いていた先輩は私に振り返り正面が見据えてきた。
「急に呼び出してごめん」
「あ、いえ」
「突然だけどさ、今付き合ってる人とかいる?」
「え?」
えっと…。
それはその…。
思い浮かんだひとつの答えは、きっと間違ってない。
そんな経験ありはしないけど、本や映画で何度か見たことある。
多分、この先輩は、私に。
- 290 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:02
-
「いません、けど、あの…」
「だったら、私と付き合わない?」
やっぱり。
途端に困惑していく自分を自覚する。
背中に汗が一気に噴出した気もした。
別に嫌悪はしていない。
栞菜の話を聞いても驚きはしても、そんな感情は本当になかったから。
でも。
「ごめんなさい」
これでもかというぐらい、頭を下げた。
両手でもった出席簿を強く握りながら。
- 291 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:02
-
「どうして? 女同士って気になる?」
「そんなこと、ないです」
ぶんぶんと首を振って否定する。
じゃあなぜ?と首を傾げる先輩に言葉を詰まらせてしまう。
どうしてだろう?
なにがダメなんだろう?
知らない人だから? それもあるかもしれない。
怖いから? そうかもしれない。
でももっと、何かがあるんだ。
しっくりこないけど、そう、言うなら…―――『選びたい』んだ。
『選んでもらう』んじゃなくて『選びたい』。
考えて、考えて考えて、納得して、そして…選びたい。
すごく面倒くさい子だと思う。
でも、気持ちを偽るなんてできないから。
だから。
- 292 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:02
-
「ご…ごめんなさい…うまく言えないんですけど、その、
私には、無理じゃないかって思って。先輩の言葉は嬉しいんですけど
えっと、なんていうか…」
「あ、そう、うん、うん、わかった。ありがと」
「あ…」
上手く言葉にできなくてもどかしがる私に、先輩は、ふぅと一度ため息をついて
話を切り上げた。
私も、そういわれてしまえば続ける言葉もない。
思わず自分の滑舌の悪さを悔やんだけど、仕方ない。
みんながみんな、最後まで話を聞いてくれる人ばかりじゃないんだし。
「ごめんね、引き止めて。じゃ」
「あ、はい。あの、ありがとうございました」
おかしいかなって思ったけど、もう一度頭を下げた。
顔を上げたときには、もう先輩はいなかったけど。
それでも、私に好意を持ってくれたことは感謝したかったから。
はぁ、と大きく息をはきながら空を見上げて、校舎に入った。
- 293 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:03
-
「愛理」
「っ!!」
びくん、と身体が大きくはねた。
思いもよらない方向からの呼び声に。
ぱっと顔を向けると、そこにはりーちゃん…と。
「みや…?」
「おは」
思わぬ人物の登場に目をパチパチしてしまう。
でも、当のみやは全然気にした様子もなく、片手をあげて軽く挨拶。
「え? なんでみやがいるの?」
「たまたまだよ、梨沙子の忘れ物届けた帰り。教室戻ろうとしたら愛理が目に入ったの」
「ケンカ…じゃなかったみたいだね」
「あ…うん」
合点がいった。りーちゃんの言葉で。
- 294 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:03
-
多分二人は心配してきてくれたんだ。
先輩に呼び出されてる私を見て。
中庭って、実は教室から見える場所だったしね。
あぁ、でもなんだかバツが悪い。
あんまり友達とかには見られたくない場だから。
「その様子じゃ断ったんだ?」
ぐ…、みやってばストレート。
歯に衣着せぬ言葉がみやのいいところではあるけれど、いまこの場面はキツいよ。
「あの子確か、3年の主席の子だよ」
「そう、なんだ?」
意外とみやは情報通。
見てないようで、色んな人をしっかり見てる。
興味ないフリして、実は人一倍物事に敏感。
なんだか、私と大違い。
- 295 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:03
-
「ふーん、なるほど。3年主席が2年主席にねー…、わかりやす」
「あはは…」
困ったみたいに笑うしかできない。
きっと、みやには私のわからないことまでわかっていて。
何を言っても、多分打ち返されるだろうから。
「もう終わった話だよ。ちゃんとお断りしたから」
「なんで?」
「えっ?」
なんでって…その、言わなきゃいけない?
また上手く話せないと思うのに?
困って隣のりーちゃんに目線を向けると、明らかに不機嫌な表情でみやを見ていた。
「何事も経験で付き合ってみたらいいじゃん。案外相手を知れば
しっくりとくるかもしれないのに」
言ってみやは廊下を歩き出した。
ついていくように私たちも歩き出す。
- 296 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:04
-
しっくり…、しっくりかぁ…。
そういうものなのかな…よくわからない。
でも、相手を知ってもしっくりこなかったら?
それこそ、軽い気持ちでっていうのはすごく失礼な気がする。
うーん…。
そんな風に唸りながら歩く私の隣で、ようやっとりーちゃんが口を開いた。
「みや、無責任」
りーちゃんにしては、すごく棘のある声だった。
声だけじゃない、全身からビリビリした電気を放つみたいにして
怒っているのが見て取れた。
けど、みやはそれを一瞥しただけで、スタスタと歩を進める。
- 297 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:04
-
「そうかな。愛理、付き合ってる人とか好きな人とかいないんでしょ?
意外と付き合ってみたら視野が広がるかもよ」
視野が広がる。
少しだけひっかかった。
視野…確かにそれは、私に足りないもののひとつだ。
周りが見えていない。
ちゃんと見えていないから、自分のことでいっぱいいっぱいになる。
付き合ってみたら…視野が広がる…。
そういうものなの、かな?
「みや、本当に無責任」
今度は、さっきより強くいい放つりーちゃん。
その目が珍しく本気で怒ってる。
でもやっぱりみやは、そんなことに怯む事もなく。
きゅっと足を止めると、りーちゃんに振り返り軽く腕組した。
それだけでなんという威圧感。
- 298 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:04
-
「では親友の菅谷さん。あなたはどう思いますか?」
なのに続けられた言葉も、重い感じ。
私だったら逃げ出したくなっちゃう。
けど、みやと付き合いの長いりーちゃんがそれで引くこともなくって。
ぐっと一度だけ顎を引いて、みやを見据えたけどまっすぐ言葉を告げたんだ。
「愛理にとっての特別な誰かは、良くも悪くも愛理を変えてしまう気がする。
だから今は微妙。あたしは応援できない」
その言葉は…いつかの言葉を思い起こさせて、ハっとしてしまう。
そうだ…それは…、舞美ちゃんが中等部にきてくれた時に聞いたあの言葉。
『矢島さん、愛理にはよくないかもしれない』
警告みたいに私の中に響いて、上手く返事もできなかった。
- 299 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:05
-
今、舞美ちゃんのモデルを決めた私自身に、
変わってしまったとかそういう自覚はまったくない。
でも、舞美ちゃんが相手でなくても…、りーちゃんは思っていたんだ。
私に特別な誰かはよくない、と。
なんとなく…言いたいことがわかるだけに、なんにもいえなくなってしまった。
「意味わかんない、なにその哲学」
「みやにはわかんないよ」
あっそ、なんて肩をすくめてみせるみや。
それを見て、ぷいっと顔をそむけるりーちゃん。
こんな二人を見るのは初めてではないから、私は困ったみたいに笑うだけなんだけど
二人とも、形は違えど私のことを気にしてくれたわけで。
ちょっとだけ申し訳ない気持ちになったっけ。
- 300 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:05
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・
・
- 301 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:05
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テストが終わってしまえば、放課後に考えるのはもう部活のことだけ。
地区大会を控えているし、ここが正念場。
ほかの事に意識を飛ばしている場合なんかじゃない。
「りーちゃん、私出席簿と日誌もって行くから教室の窓閉めだけお願いー」
「わかったー、またあとでねー」
軽く言葉をかわして、教室をあとにする。
こんなタイミングで日直っていうのが残念だけど、練習する時間はたっぷりある。
焦ってもいい音は出ないし、はやく片付けてしまおう。
二年の私たちの教室は職員室からちょっと離れていて、
近道という近道も遠く、部活棟の渡り廊下のすぐそばを横切るのが最短。
なんというか、そこからすぐに部活にいけるのに職員室に向かわなければならないのがまた残念。
- 302 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:06
-
ふぅ、と一度ため息をついて職員室へ向かおうとして…、足を止めた。
ちらりと見た渡り廊下。
思わず二度見。
だって、ほらあの横顔、知ってる。
整った顔立ち。
意志の強い瞳。
夏服に変わって半袖シャツから伸びる腕は、白く繊細な上に長く綺麗で自然と目を奪われる。
姿勢よく背筋まで伸びて清々しい立ち居振る舞い。
遠くからでもわかるその姿は。
そう、舞美ちゃんだ。
- 303 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:06
-
いったいあんなところで、なにしているんだろう?
高等部とは離れたこの場所に、どうしているんだろう?
ここからではよくわからないけど、ちょっと上を見上げるようにして何かを探してる?
よほど真剣なのか口が開き気味だし、無意識に指先を中空でくるくる回して。
何かをなぞらえて数えてるみたいな仕草だけど、時々首を傾げてて、
目的の何かがみつからないみたい。
……なんだか面白い。
中等部の校舎内だし、本当は声をかけたほうがいいのかもしれないけど、
ちょっとコミカルなその動きをもう少し見ていたくて、廊下の角にそっと隠れて盗み見ることにした。
なにを探してるんだろ…?
離れすぎてるし、死角になる壁から覗き込む形だから何を見ているのかわからない。
でも、確かに何かを見ている。
- 304 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:06
-
左から順々に数えるみたいに指先を振りながら頷くみたいに頭をこくこくして。
途中で何かを見つけたのか指が止まったと思ったら、ぱぁっと表情を明るくして。
それから、うんうん、とまた頷いて、右へと何かを探し始める。
………こういう子、いるよね。
図書館とかで、調べ物をしている小学生とか。
夢中になりすぎて、周りが目に入らなくなっている子。
「わかったぁ!」なんで大きな声を上げて初めて、状況把握して恥ずかしがったり。
その姿を見つけるたびに、ほほえましく思っていたのを覚えてる。
なんだか今の舞美ちゃんがそれにダブって見えた。
それからしばらくして、本当に目的のものを見つけたのか
舞美ちゃんの指先が固まったように止まった。
ううん、止まったのは指先だけじゃない。表情も。
「え…っ?」と口がぽかんと開いてきて、驚いたみたいに目も大きく開いて。
それでも信じられないのか、何度も見つめ直しては「えっえっ」なんて顔。
なんだか面白い。
- 305 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:07
-
しばらくそうやっていたけど、やっと納得したのかな、両手で口元を押さえて
どこか嬉しそうに笑顔を浮かべたんだ。
じっと観察していたからなんとなくだけど、かすかに見える唇が、
「そっかそっかぁ」と言ってるみたいにみえる。
そんなに興味をひくものなんだろうか?
あの舞美ちゃんが、中等部にまで来て眺めるもの。
なんだろう? なんだろう? 気になってきた。
声をかけようか、そう思ったときだった。
- 306 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:07
-
舞美ちゃんが、びくっと身体を震わせて向こう側を勢いよく振り返った。
その視線の先から、誰かが小走りでやってきてる。
あれは…。
見たことある。
あれは確か、そう、写真部の人。
初めて舞美ちゃんと会ったあの日、一緒にいたモデルみたいな先輩だ。
ちょっと、ズンズンなんて音がしてきそうなぐらい大股歩きで近づいてきて、
なんだか少し怒っているっぽい。
それは顔にも出ていて、眉を寄せて呆れたような表情してる。
極めつけは、びしっと舞美ちゃんに向けて立てられた人差し指。
早口なせいで何を言っているのかは読み取れないけど、結構な剣幕。
なのに対する舞美ちゃんは、のほほんとした空気のまま
にこにこ笑って謝るみたいに両手を合わせてる。
- 307 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:07
-
なんというかその姿は、現れた先輩がちょっと舞美ちゃんより高い身長のせいかな、
いつもは頼れる不思議な印象なのに、今、あの先輩としゃべっている舞美ちゃんは、
いたずらが見つかった子供みたいな幼い印象を受けて。
すごく年相応の女の子に見えて…。
一言で言うなら…『可愛い』。
だって、すごく仕草が女の子で。
口元を押さえて笑ったり、テレ隠しに髪を指でくしゃっと梳いてみたり。
先輩の肩をぱしっぱしっと軽く叩いてみたり。
友達にはそういう感じなのかな?
そういえば、清水先輩にもすごくフランクだった。
いつもはカッコいいのに、可愛い。
でもって美人で、可愛い。
可愛い連呼でなんだけど、今の舞美ちゃんにはそれしか浮かばない。
なんて贅沢な人なんだろう、舞美ちゃんって。
どうでもいい、そんなことまで考えてしまった。
- 308 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:07
-
ただ。
「…あ……」
次に二人を見たとき、少し…モヤっとした。
何かを教えるみたいに、嬉しそうに壁を指差す舞美ちゃん。
それに対して、写真部の先輩は「はいはい」というように手をひらひらさせてる。
それから「いくよ」とばかりに、舞美ちゃんを手招きして向こうへ歩いていく。
「あ、待って」と追いかけていく舞美ちゃんは…、
その先輩に嬉しさを全身で表すように、とびつくように抱きついて。
よろめく先輩に、二言、三言言葉を交わして、はじけるような笑顔を向けていたんだ。
笑い声まで聞こえてきそうな、本当に嬉しそうな笑顔を。
そのまま視界から見えなくなるまで、ちょっとオーバーに身振り手振りを交えて
ずっと笑顔で二人とも会話をしていたと思う。
- 309 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:08
-
「……………」
…あんな顔、初めてみた。
確かにそんなに知り合って日が経っているわけじゃないけれど。
それでも、ただの先輩後輩じゃない、と勝手にだけど思ってた。
でも、あんな風に知らない顔をしている舞美ちゃんを見たら…
なんだか…そう、『友達』と『後輩』の線引きをされているのを実感したみたいで…。
本当はそんなことないのかもしれない。
まだ少ししか知らないけど、舞美ちゃんは誰が相手でも態度は変わらないと思う。
舞ちゃんやちっさーと喋っていた時も、全然先輩って感じはしなかった。
でも、だからこそ…線引きじゃなくても…『距離』を感じてしまって。
まだ遠い…、私と舞美ちゃんはまだ遠いって、突きつけられた気がしたんだ、たぶん。
- 310 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:08
-
きゅっと胸元で抱いていた出席簿を強く握った。
思いがけずその姿を見つけて嬉しかったのに、今はなんだかちょっと違う。
別に不思議なことじゃない。
友達に笑って話をするとか、私だって当たり前にしている。
舞美ちゃんだって、私の知らない人と話すのは当たり前。
そう、当たり前のこと。
でも、当たり前のことだから、ちょっと、なんともいえない気持ちにもなって。
気持ちを振り切りたくて、ぶんぶん首を振って息を大きく吐くと一歩踏み出す。
- 311 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:08
-
「………なに、見てたのかな…?」
そうだ。
舞美ちゃんは何かを見ていた。
熱心に、探すように。
それってなに?
部活の時間は気になったけど
それよりも好奇心が勝って、渡り廊下へと足を向けた。
そして…、見つけたものに、正直…驚いた。
そこにあったのは、中等部2年の上位50名を書いた成績発表用紙だった。
そういえば、いつも放課後にはここに移動されていたっけ。
- 312 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:09
-
これを見ていたの?
わざわざ中等部にきてまで?
一瞬、胸に淡い期待が浮かんだ。
でも、さっきまでの光景があまりにも印象強くて、すぐにその気持ちを打ち消した。
私のことを見にきてくれた、とか、そんな期待。
きっと、舞ちゃんたちがどうだったか気になったんだ。
その中に私もいただけ。
自分が勉強を少なからず教えたんだもん。
ちょっとは気になるよね。
そうだよね。
りーちゃんなんて、すっごい成績Upして50位以内に初めて入ったんだし、
それがすごいって見ていたんだ、きっと。
- 313 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:09
-
「なんか…」
なんか、私、ダメだ。
なにが、とか、わからない。
でも私、今、ダメだ。
- 314 名前:uncontrollable 投稿日:2013/07/10(水) 15:09
-
「……………練習…! 練習に行かないと!」
ばっと顔を上げて、パンパンっと両手で頬を二回叩く。
出席簿の角がおでこに当たったけど、それよりも強く叩いて、しゃんと前を向く。
立ち止まっている場合じゃない。
私には、やるべきことがある。
それを浮ついた気持ちで流したりなんかできない。
だいたい、こんな私、舞美ちゃんも困っちゃう。
ぐっと足に力を入れて、廊下を歩き出す。
しっかりしないと。
私の今の一番はなに?
一番は…。
音楽。
そう、音楽。
…そう、確かに思うのに…即答できなかった自分に苦しさがこみ上げたっけ。
- 315 名前:tsukise 投稿日:2013/07/10(水) 15:10
- >>281-314
今回更新はここまでです。
>>279-280 名無しさん
ご感想ありがとうございます、励みになります。
今までの関係が変わるのって実は意外と些細な出来事からですよねw
また次回もお付き合い頂ければ幸いです(平伏
- 316 名前:名無し 投稿日:2013/07/11(木) 20:52
- 更新お疲れさまです!
愛理の落ち込みとかすごいわかります。。。
元気にがんばれますように!
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/07/13(土) 00:26
- 更新ありがとうございます!
ひとつひとつの場面をゆっくり見つめながら読むことが出来て幸せです。
これからも楽しみにしています。
- 318 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:29
-
――― ひとつひとつ、丁寧に、しっかりと。
根底にあるのはそんな言葉。
私なら音楽を。
クラリネットを、丁寧に、しっかりと。
当たり前の吹き方。
基本的な吹き方。
誰もが最初に触れる演奏。
そこから自分らしく、息を…指先を紡いでいく。
それがその人の音になって、その人自身になって『その人』だという認識をされて。
色んな人に広がっていく。
きっとそれは特別でもなんでもなくて、些細なきっかけがすべて。
私にそのきっかけはまだだけど、いつかは…。
音楽だけじゃない。
絵でも、運動でも、なんでも…。
そのきっかけは本当に些細なことで。
そう、…人と人とのつながりだって、当たり前で些細なことがはじまりだったりするんだ。
- 319 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:30
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・
・
・
- 320 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:30
-
「スケール1」
「「「はい」」」
いつもの合奏の始まり。
部長のなっきーの声に、みんなが返事をして楽器を構える。
音楽室に響くのは、カチ、カチ、と規則正しいメトロノームの音。
スケール、それは全員で奏でる音階。
Bの音で調音したあと、稲葉先生が来るまでの間、続けられるんだ。
最初は全音符、そして4分音符、そして8分音符と三段階続ける。
地味に思われるかも知れないけれど、大切なこと。
誰だって、楽器を組み立ててすぐに曲を吹く人はいない。
ちゃんとロングトーンして、慣らして、ようやっと演奏する。
みんなに迷惑かけないためにも、準備が大切。
- 321 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:31
-
「スケール2」
「「「はい」」」
4分音符の音階が始まる。
いつも練習では耳にすることは少ない金管楽器にも注意しながら。
ひときわ大きな音を吹いているのは、きっとちっさー。
割れてない音で、でも、人一倍息の吹き込みはしている。
その努力は買っているから、稲葉先生も注意はしてもやめろといわない。
合奏になるとこうして、一人一人の部員がよく感じ取れるから好き。
重なる音が、すごく面白い。
追いかけあう指先がすごく楽しい。
そんなとき思うんだ。
あー、私ってソリストには向いてないかも、なんて。
- 322 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:31
-
「スケール…」
バタン。
「はいはいー、おはよー」
なっきーの声に割って入ってきたのは稲葉先生。
音楽室に続く顧問室から現れて、指揮棒をくるくる回して指揮台に向かってる。
「「「おはようございます」」」
おかしな話だけど、私たち吹奏楽部では朝も昼も夜も、挨拶は「おはようございます」だ。
もちろん何度も使うわけじゃない。
その日初めて顔を合わせた先輩や先生に、新しい気持ちをこめて、だ。
運動部ほど上下関係が厳しくはないけれど、これは何年も続く伝統みたいなもの。
- 323 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:32
-
「ん、ほんなら、課題曲からいってみよか。頭から」
「「「はい」」」
音楽室を使っているから、どうしても指揮台はグランドピアノの向こう側だ。
その狭いスペースに椅子を置いて座る稲葉先生だけど、存在感は十分。
キャラがすごいのもあるけれど、やっぱり指導力があるから。
指示は的確だし、男性顧問にも負けない芯の強さがある気がする。
全国大会常連という肩書きは、他校にも一目置かれるぐらいだし。
私も、稲葉先生の指導は嫌いじゃない。
抽象的な表現や、感情的な言葉も多いけど。
全部、私たちの成長を促すためのことだってわかっているから。
- 324 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:32
-
「いくでー…。ワーン、ツー、ワン、ツー、スリー、ハイ」
指揮棒で軽く拍子を取って、呼吸を合わせる。
「スッ」というみんなのブレス音が揃って、一気に曲が走り出す。
今年の課題曲のテーマは「マーチング」。
にも関わらず、稲葉先生が選んだ曲は、およそマーチングとは言えないものだった。
難易度はそんなに高くないはずなのに、表現の仕方によってまったく違う曲に
なってしまうようなもので。
ただ、譜面を追いかけているだけでは、絶対に評価が貰えないのが明らかな曲だった。
稲葉先生曰く、『サムソンとデリラ』と『火の鳥』を足して2で割った感じやなぁ、とか。
わからない私たちは、こぞってCDをレンタルして聞いたのを覚えてる。
「シンコペーション意識してー、駆け足になりすぎや、もっと全部の音に神経使えー小さくまとめてー」
「「「はい」」」
前半は、トゥッティで印象付けて、そこから滑らかな音の木管で丁寧な流れ。
クレッシェンド・デクレッシェンドの繰り返しで、低音は腹に響くぐらい深く。
引き継いで金管も早いところがあるから、音にバラつきがないよう調整。
耳に心地いいグロッケンは、それでも全体の邪魔しないように程よい強さ。
- 325 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:33
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激しいところは、大きくではなくて強く。
カンカンなる音が好きじゃない稲葉先生は、何度も指導してくれた。
大きくと強くの違い。
それを大切に守って…。
「オンザビートで、音切るで。短い余韻わすれずー…、はい!」
一瞬の静寂も正確に。
1つの音だって乱れないように消すのに完璧にできるまで何度も何度も練習した。
―――――
張り詰めたつような静寂。
♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪
前半と一転、軽やかで心地よく耳に響くシロフォン。
決して大きな音じゃないのに、静けさを破るように凛と。
- 326 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:33
-
そこから、栞菜のアルトサックスのソロ。
寄り添うのは、りーちゃんのファゴット。
まさにカンタービレ。
歌うように、流れるように。
このときばかりは誰もが酔いしれる。
ビブラートでは、ピカイチの栞菜だから。
りーちゃんだって控えめな音で邪魔しない。
稲葉先生のタクトは、ソロの邪魔にならないようにメトロームのように正確に。
ともすれば、雰囲気を崩しかねないシロフォンへ右手を少し伏せるようにしてpの指示だけ。
気持ち良さそうだな…と思う。
あんな風に表現できたら…と。
でも思うのもその瞬間だけ。
すぐに続くように、木管全体で同じ旋律が始まるから。
引き継ぐ、というより厚みを増すように追いかける。
シロフォンの音を正確に確認しながら、揺らめくように、滑らかに…
- 327 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:34
-
「すべらさんようにやでー」
黄金のトライアングルとさえ言われるホルン・トロンボーン・トランペットへのパスも
ここでは同じ色調を大切に流して…―――
「すこし強く転換やでー、はいっ」
そして一気に後半に向けての駆け足。
金管主体になっててしまえば、一気に音はフォルテに。
でも、ガシャガシャするんじゃなくって強さにほんの少しの抑揚に乗せて。
一般の部なら、もっと情緒が必要かもしれない。
でも、私たちは中学生。
残念だけど、審査員の評価基準は「若い感性、元気な表現力」。
プロのような演奏は望まれていない。
年相応の演奏を、悔しいけど金賞を狙うってそういうこと。
- 328 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:34
-
「盛り上げてー、金管もっとー」
全パートが一気に加わって、ラストに音を持ち上げていく。
複雑な音が混ざるけれど、一音も間違えないよう。
激しい動きで、バラバラにならないよう、稲葉先生をしっかり見て。
そして――。
♪―――!
余韻をたっぷり残して、終了。
・
・
・
- 329 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:35
-
「8割方完成してんねやけどなぁ…」
唸る稲葉先生。
自由度が高い課題曲だけに、先生の指示が本当に大事で。
ふぅ、と一度ため息をついた稲葉先生は。
「…ていうか、あんたら全然音出てないし、ちょっと校庭3周走ってきて」
・・・・・・・・・・はぁ。
珍しいことじゃない。
こうやって言われることは。
この学校では、時々校庭を吹奏楽部が走ってる…制服で。
運動部もはじめはギョッとしていたけれど、今では見慣れたのか
苦笑いしながら場所を譲ってくれる。
- 330 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:35
-
罰とかそういうわけじゃない。
ちゃんと理由があってのこと。
休憩を挟んだりすればしょうがないことだけど、音が出ない、ということは結構ある。
楽器が冷えているときも。
走る、ということは、身体を温め器官も開いて、そう喉も開く。
口先だけで演奏するのを良しとしない稲葉先生なりの策なんだ。
わかっているから私たちもため息はついても従う。
それが今最良だと思うから。
「ほい、行った行った。戻ってきたら水分補給してロングトーン」
「「「はい」」」
そして部員全員が楽器をパイプイスにおいて、音楽室をゾロゾロと後にした。
・
・
・
- 331 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:36
-
「あと2周ー!」
「「「はい」」」
過酷。
その言葉しか出てこない。
一年のとき、初めてこうしてグラウンドを走って、
なんで文化部がこんなことしてるんだろうって本当に思った。
喉が開くからって、他に方法あるはずなのに、とか。
先生も一緒に走ってよ、とか。
でも、よくよく考えたら先生だって私たちと同じ年ぐらいにこういうことをして、
実になって、自分自身にプラスになってるって思ったからこうしているんだって、
今なら少しわかる気がする。
でも。
それでも…。
- 332 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:36
-
「あつーい!!」
「栞菜言うなー!!」
「舞ちゃんだって、汗だくじゃんかー」
「言うなってー!」
辛い…。
腹筋は鍛えたりしているけれど、この季節に3周はひどい…。
自然と顎があがって、両手両足は鉛のように重くなってる。
「みんなまじめに走って!」
「てか、なっきー、すっごい顔になってるよ。ウケるんですけど」
「熊井ちゃんが余裕すぎるんだよ!」
「いや、でも、ほんとなっきーの汗ハンパないし。見てよまーさ、ほら」
「もう!いいから真剣に走って!」
「はいはいー」
遠くでみんなのそんな声が聞こえる。
そう本当に遠くで。
私やりーちゃん、他に運動が苦手な部員は離れたところで言葉も無く続くだけ。
- 333 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:37
-
「愛理…生きてる…?」
「なんとか…」
息も絶え絶えって本当にあるんだな、なんて冷静に思っている自分は
軽く意識を飛ばしかけてる気がする。
でも、りーちゃんの呼びかけに応えるだけの余裕はまだあるみたいで
歯を食いしばって先輩たちについていく。
「あと一周ー! みんなついてきてよー!」
なっきーの声だけ聞いたら、どこの運動部だって感じだけど、
返事なく苦しく走る私たちを見たら、なんて場違いな部員たちって感じだろうな。
ただ、救いなのは吹奏楽部恒例みたいなものだって周りが認識していて
他の運動部がトラックを譲るようにちょっと離れて走ってくれることかな。
ちょっと口元に笑みを浮かべていて恥ずかしいけれど。
あと……少し……。
そして。
- 334 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:37
-
「ゴール……」
吐き出すようにそれだけ言って、膝に手をつく。
酸素を求めて口が大きく開くけど、カラカラに乾いてしまった喉に何度か咳き込んだ。
「大丈夫…? 愛理…」
「う…、りーちゃんこそ…」
よろよろと近づいてきたりーちゃんは、もたれ掛かり気味にだけど背中をさすってくれる。
りーちゃんの向こう側には、仁王立ちして息を整えてるちっさーが見えて、
どんだけ体力ありあまってるのさ、なんて思ったっけ。
「はぁ…、はぁ…」
激しい動悸に震える膝。
信じられないぐらい流れて落ちる汗。
ふっと頭を上げると、途端にチカチカ点滅する視界。
心臓の音が、ドクンドクンとうるさいぐらい耳に響く。
ちょっと…ヤバイ…かも。
はっ、と息を吐いて思ったのと、カクンと膝が折れたのは同時だった。
- 335 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:37
-
「愛理!?」
同じぐらい辛そうにしていたりーちゃんが、悲鳴にも似た声を上げた。
それからよろけながらも、かろうじて倒れかけた私の身体を支えてくれるけど、
ありがとうの言葉も出ないぐらい、辛い。
「大丈夫…! 愛理!」
「そこ、どうしたの!? 熱中症!?」
「貧血かも…。愛理、聞こえる? 大丈夫?」
りーちゃんの声に気づいた部員が私の周りに集まってくる。
大丈夫です、って言いたいけれど、顔を上げるのも辛くて。
りーちゃんから引き継ぐように、ぐいっと まーさが身体を引き起こしてくれて、
少し体勢が楽になって呼吸を整えた。
ゆっくり大きく呼吸しないと。
深く……ゆっくり…。
うん、少しずつ、意識がしっかりしてきた…。
「ごめん、大丈夫」
まだ視界はチカチカするけれど、倒れるような感じはもうない。
これなら、大丈夫。
まだ まーさにもたれ掛かる感じになってるけれど笑ってみせる。
- 336 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:38
-
「真っ青で全然大丈夫に見えないし。ちょっとさ、保健室行ったほうがよくない?」
「確かに。そんな状態で合奏とか絶対無理だって」
「そんな…」
「大体愛理ソロあるじゃん。ちゃんとできないなら迷惑にもなるから」
あ…そうか…。
そういう考え方もあるんだ。
自分の不調でみんなを引きずるのもよくない。
大事な時期だからこそ。
「うん…わかった。ごめん、少し保健室に行ってくる」
「うん、そうしな。まーさに付き添ってもらおうか?」
「ううん、大丈夫。みんなは合奏に戻って? よくなったら私も行くから」
「そう? じゃあ、先に戻ってるね」
まだ心配そうにしている部のみんなに、辛い表情はできるだけ押し隠して笑顔で別れた。
辛いのはみんな一緒。
でも、これ以上足をひっぱるわけにはいかないから。
そのままフラつく足元をなんとか踏ん張って、みんなとは反対の校舎へと向かったんだ。
- 337 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:38
-
・
・
・
いつもはそんな遠くに感じない保健室も、今日ばかりは足取りの重さに比例して
すごく距離を感じてしまった。
それでも、少し落ち着いてきたのか、胸の動悸は落ち着いてきていて。
これなら少し休めば大丈夫そう。
そう思いながら、保健室の扉を軽くノック。
そしてガラガラという音を立てて開く。
「失礼します…」
消毒液のツンと鼻にくる匂いに一瞬眉をしかめて中へ踏み込むと
廊下の暗さと白一色の空間のコントラストの強さに瞬きひとつ。
保健室ってそんなに好きじゃない。
のっぺりとした壁や天井の白があまりにも無機質で、不気味だし。
保健室独特の閉塞感に息苦しさを感じて、実際の広さより狭く見える部屋とか
全部が苦手だ。
- 338 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:38
-
「先生ー…」
まだ少し くらくらする額を押さえながら呼びかけるけど、返事はない。
いないのかな…?
そう思ったそのとき。
「あ、はいは〜い」
どこか気の抜けた返事。
ちょっと今まで寝てました、って感じの。
先生じゃないよね…と思っていたら、追いかけるみたいに奥のベッドサイドから
カーテンを勢いよく開けて姿を現す声の主。
その人を見て――― 一瞬言葉を失った。
だって。
その人は。
- 339 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:39
-
「ごめん、今先生いなくて、うちが代わりなんだけどいい?」
特徴的な一人称。
目線は私より高く、背格好も。
アジアンテイストっていうのかな、すごく映える顔立ちだけど、
ともすれば冷たい印象になりがちなのが、笑顔で弧を描く口元が上手く柔らかさを出してる。
あぁ、やっぱり。
舞美ちゃんと一緒にいた、先輩だ…。
「どうしたの? めちゃ顔色悪いね」
「あ…えっと…」
うまく言葉がでない。
緊張ももちろんあるけれど、それ以上に舞美ちゃんと一緒にいた姿が頭から離れなくて。
親しそうに…すごく楽しそうにしていた姿が…離れなくて…。
- 340 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:39
-
「ここ、座って」
「あ……」
目の前のその人は、さりげなく私の背に手を伸ばして支えるように近くの椅子に座らせてくれた。
突然の来訪者にも全然身構えることも無くって、自然な促し方に強張っていた自分の
身体がすこし和らぐのを感じたっけ。
優しいお姉さん、まさにそんな言葉がピッタリなイメージ。
少しだけ…印象が変わった気がする。
「貧血?」
「あ、はい…」
「もしかして、さっき校庭走ってた吹奏楽部の子?」
「あ、見えてました…?」
「うん、すっごいよね。制服で走るとか」
「あはは…」
「稲葉先生らしいっていうか、えーと、ちょっと待ってね」
言いながら先輩は、奥の冷蔵庫をガサガサかき回して「あったあった」と
ひとつの箱を取り出した。
そこから強引に引っ張り出したものは水色の長方形の…熱さましのシートだ。
- 341 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:39
-
「これ、首の後ろに張るといいよ」
「あ…、ありがとうございます…」
正直まだ頭がクラクラしていて、うまく腕が上がらない。
それに気づいたのかな、先輩は小さく声をあげると「ちょっとごめんね」と
私の背後に回りこんできた。
それからそっと貼る場所を確認するみたいに、指先で うなじをさらっとなで上げた。
ちょっとひんやりした指先の感触に、ぶるっと身体が震えてしまったけど
あんまり先輩は気にしていなかったみたいで、ぐっと押さえつけるみたいに
続けてシートが貼られたんだ。
一気に冷たさがご首から頭部に広がっていく。
体内温度が1℃は低くなった気さえする。
「ぅわ…っ」
「あ、ごめん、ちょっとだけ我慢ね」
遅いです、と小声でつぶやけば、「あ、やっぱり?ごめんごめん」なんて
笑っても整った顔立ちのまま謝られた。
- 342 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:40
-
あれかな…舞美ちゃんの近くにいる人ってみんなこんななのかな。
さっぱりとしていて、失敗とかあんまり気にしなさそうな…そんな感じの。
でも、ぜんぜん鼻につかない。
心地よい距離を保ってくれているみたいで、はじめの緊張はもう消えていた。
「水は? 飲む?」
「あ、大丈夫です」
「そう? うちも結構貧血とか起こすんだけど、そういう時って冷や汗とかで
水分もなくなってることもあってさ、ちゃんと補給してあげないと身体、辛いよ?」
「じ、じゃあ一杯だけ…」
「そうしなよ」
最初から飲ませたかったんだろうな。
会話しながら、もう先輩はコップを取り出し始めていたから。
その気遣いを無碍にするのもできず、おとなしく頂くことにした。
- 343 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:40
-
「ごめん、勘違いじゃなかったら、あれだよね?あなた舞美からフィルム貰った
中等部の子だよね?」
「あ、は、はい」
覚えてくれていたんだ?
でも、確かにあの場所には私しかいなかったし、高等部にいるってだけでも
印象強かったはずだしね。
「そっか、やっぱり」なんていいながら、冷蔵庫のペットボトルの水をコップに入れ
もってきてくれる先輩。
「はい、冷えてるよ」
「ありがとうございます」
頭を一度下げて、コップを受け取る。
ふっと見えた指が、とっても細くて綺麗で大人だなあ、と一瞬思ったっけ。
「舞美から聞いたけど、あなたにモデルを頼んだんだって?」
「あ…はい」
ここで、その話題がくるかぁ…っと、心臓が一度大きく跳ね上がった。
別に不思議な話の振り方じゃないと思う。
矢島さんと仲がよくって、私のことも知っていればおのずとこの流れになるだろうし、
第一、ほかの共通点とかないんだから、当たり前のことかも。
- 344 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:41
-
「ごめんねぇ、あの子思ったことすぐに行動に移すタイプだから。嫌じゃなかった?」
「大丈夫です。あの、私も興味あったんで」
「そう? なら良かったんだけど。嫌ならハッキリ言ってやってね?結構あの子ニブいから」
あぁ、そんな感じする。
でも、それは笑って済まされるくらいの軽い鈍さ。
深刻なことには、敏感なんじゃないかな…。
人のこと…とか。
「でもちょっとホっとしたかなー」
「え?」
「あの子さぁ、目的無く写真撮ること多くて。撮りたくないのかなーって
半分諦めかけてたから」
「そうなんですか? でも、この間撮ってましたよね?」
「そ!だから驚いたってのが本音! その時の生徒がまた目の前に現れて
今こうして話してるのも驚き!」
「あれ? じゃあ、最初から私のこと…」
「ごめん、実は保健室入ってきたときから知ってて探ってた」
ペロっと舌を出して笑うその人は、すごくお茶目。
なんだ、気づいていたのならすぐ言ってくれればいいのに。
でも、許せてしまう感じは矢島さんと一緒で…不思議な人だなぁ。
- 345 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:41
-
それにしても、こんなタイミングでこの先輩と話すことになるなんて。
正面から先輩を観察する。
第一印象と同じく、本当に美人でモデルさんみたい。
ハっとするくらい目鼻立ちがクッキリしていて輪郭が高校生にしては際立ってる。
背も私より全然高くて、立ち居振る舞いにすごく品があって。
背中から肩にゆるく掛けたカーディガンとか、前髪を留めたシルバーピンとか
すごくセンスがいいなぁって思うし、似合ってる。
自分の身体の形をちゃんとわかってるんだと思う。
それに対して、どうやったら自分らしさを出せるかも。
とにかく『大人』、それが先輩の今の印象。
「ん? なに?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「そんな緊張しないでよ。別にいじめたりとか考えてないから。っていうか
辛い?どっか苦しいとか?」
「あ、そんなことないです。すっごく気持ちいいですし、楽になってきました」
「そう? 良かったよ〜」と笑う先輩は、それでもすごく綺麗。
整っている人って、笑っても何をしてても綺麗なんだなぁ…うらやましい。
- 346 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:41
-
そんな綺麗な先輩と…舞美ちゃん。
すごく…絵になる二人だなぁって、素直に思う。
ため息が出るぐらい似合ってると思うし…。
「それにしても、あなたにモデルをかぁ…。自分から写真を撮るとかって、
滅多に言わない子だから聞いたとき驚いたなぁ」
「そうなんですか?」
「うん。しかも人物とか、信じられないって感じ」
そんな風に目を瞬かせながら話す先輩は、全身で驚きを出してるみたい。
そうなんだ…?
確か以前4枚写真が撮れていたってだけですごく驚いていた。
それって、いつも矢島さんは写真を撮ること自体少なくて…、
今回自分から撮るっていうのが本当に珍しいってことなんだろうか。
- 347 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:42
-
「あの…舞美ちゃ…あ、いえ、矢島先輩っていつもどんな写真を撮ってるんですか?」
「写真? あー、言っちゃあなんだけど、一枚もまともな写真なんて撮ってきたこと
ないね。高1からずっとつるんでるけど、あの子、写真にだけはなんでか真剣に
打ち込まないっていうか…趣味程度のお遊びっていうか…」
お遊び…。
でも、あの写真は…。
私の脳裏に焼きついて離れない、あのblueは―――。
「ただ、1枚だけかな。講堂にね飾られてるのがあるんだけど。ご家族さんが
エントリーしたかなんかで賞貰ったやつ。あれだけかな、『舞美の写真』っていえるのは」
付け足された言葉に、息を飲む。
やっぱり、あの写真は…あの写真だけは特別なものだったんだ。
ご家族さんがエントリー…後藤さん…かな?
それとも、ご両親?
う…ん……、まだピースが集まらない。
矢島さんを象るピースが…、あまりにも足りなさ過ぎる。
- 348 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:42
-
「ま、力になってやって。うちもカメラ詳しいわけじゃないから、友達としてはこれぐらいしか
言ってあげられないや」
「あ、はい。頑張ります」
『友達』。
確かにそう言った。
それに話の節々から感じるのは、素直に友達を案じるようなことばかり。
それが少しだけ私の気持ちを浮上させてくれた気がする。
話してみてわかったけれど、先輩はやっぱりちゃんと他人との距離をわかっている気がした。
踏み込んでいい場所と、立ち入ってはいけない場所。
その境界線をちゃんとわかっていて。
だから、ほぼ初めてに近い私とは当たり障り無く、それでも突き放すんじゃなくって
一定の距離でお互いが笑えるぐらいの話題を。
まさに大人な対応に、甘えるしかできなくて申し訳ない気持ちになったっけ。
あ、そういえば…。
- 349 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:43
-
「あ、あの」
「んー?」
「私、その、あんまり写真のこととかわからないんですけど、その、
モデルとか引き受けてしまって、…迷惑だったかなって、後から思って…」
「あぁ」
梅田さんは合点がいったのか、何度も大きくうなずくみたいに首を振って。
部員の全員が全員よく思ってくれてるとは限らない。
軽率ともとれる私の判断が、悪影響を及ぼしていないかすごく気になったんだ。
「ぜんぜん気にしないで。ほんと舞美が決めたことだし。いい作品ができるなら
それにこしたことないんだよ」
「でも、あの…他の先輩とか、納得されてないんじゃないかなって」
真野さん、とか。
矢島さんがすごい人だから、きっと私みたいななんにも知らない子が
モデルとかって、部員のほかの人も認めてないんじゃないかなって…、
そんなネガティブに考えてしまうんだ。
でも、先輩は、一度ポカンと口をあけて呆けたみたいな表情をしたけど
くしゃっと鼻の頭に皺を寄せるみたいにして可笑しそうに笑った。
- 350 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:43
-
「あっははっ、ぜんっぜん。ていうか部員っていっても、うちと舞美と一年2人で、
あとは留学生の2人だから、頭数足んなくて部じゃなくって、正式には同好会なの」
「そうなんですか?」
「一年の子がさ、舞美の写真の大ファンだったみたいで、うちをも巻き込んで
同好会設立しちゃって。だから別に大丈夫だよー……って…、もしかして
真野ちゃんがなんか言ってきた?」
最後のほうは、笑みを消して眉を顰めて尋ねてきた。
それだけでなんとなくわかった。
多分同好会を設立したのが真野さん。
矢島さんの写真の大ファンなら、その作品をもっと見たいって思う気持ちはわかるし。
あんなに飾らずに、誰にでも対等に接してくれる人だって知ったら、一緒にいたいって…
同じものを見つめてみたいって気持ちもわかるから。
だからこそ…もっと言ってしまえば…追いかけていた人の視線の先に立っていたくて。
でも、見ず知らずの中等部の子がモデルになったなんて信じられなくて…。
仕方の無い行動だったのかもしれないな…なんて今になってわかった気がする。
私が真野さんの立場だったら、すごく…悔しいって思うから。
- 351 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:43
-
「大丈夫です。ちゃんとお話、しましたから」
「そう? 真野ちゃん、意外と押せ押せモード激しいでしょ?」
「えっ、あの、まぁ、はい」
「あはは、正直ぃ〜」
『意外と』の部分にアクセントがついてて、あぁ、きっと梅田さんも真野さんに
少し振り回されたんだなってちょっと苦笑したっけ。
「でも、あの心意気はすごく買ってるんだ、うち。なんていうの?『執着心』みたいな?」
「執着心、ですか」
「そう。多分うちもそうだけど舞美も他の子も、真野ちゃんほどの写真への執着心が
足りないと思う。だから、引っ張ってくれてるなぁって思うときもあるし」
暴走もするけどね、と付け加える先輩だけど、その目は優しい。
多分根っからのお姉さん気質なんだと思う。
周りに敏感で、どうやったら上手くまとまるかを考えて。
またそれが的を得た方法だから、みんなが集まる。
決して先頭をきって走るタイプじゃない。
でも、ちゃんとコントロールするいわば舵取りなんじゃないかな。
- 352 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:44
-
「ま、それはおいといて。舞美が珍しくやる気になってるし、ほんと力になってやってね」
「あ、はい。私なんかでよければ、頑張ります」
「鈴木さん、礼儀正しいねぇ、ほんと」
「あ、あの…」
「うん?」
「愛理でいいです」
「え?」
「これからも、お世話になりそうなんで…あの…仲良しになりたいなって」
言って自分でも驚いた。
仲良しに。目の前の先輩と。
苦しい気持ちは残ってる。
矢島さんとあんなにも仲良く付き合っている姿は少なからず衝撃があったし。
でも、話してみて本当にいい先輩だった思ったから。
もっともっと、この先輩とも仲良くなりたいって本当に思ったから。
相手を知るには自分から、なんて大げさだけど、もっと…、
もっと私は自分の心の門、開いていかなきゃいけないんしじゃないかって思うんだ。
じゃなきゃ多分、物事の本質を見抜けない。
うわべだけじゃない、中身をちゃんと知っていきたい。
- 353 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:44
-
だから。
はじめの一歩は、思い立ったこの瞬間から。
「うわぁ、いい子だねぇーホント。舞美が気に入るのもわかるよー」
「えっ? えっ?」
思わぬ言葉に少し身を乗り出した。
舞美ちゃんが?
…本当に?
ちょっと、いぶかしむ私に、先輩は「ははっ」と笑って。
「うちも名前でいいよ?舞美もそうなんだよね?」
「はい、えっと…」
「えりか。梅田えりか」
「えりか…ちゃん」
届くか届かないかの小さな声だったから、少しだけ顔を近づけて呼んでみた。
そしたら、困ったみたいに笑いながら先輩…えりかちゃんは肩を軽く押して。
「愛理、近い近い近い…」
「あ、ごめんなさい」
「いいけど」
やっぱり整った顔のまま笑ったんだ。
- 354 名前:Short rest 投稿日:2013/07/19(金) 14:44
-
なんとなくだけど、舞美ちゃんの気持ちがわかったかも。
えりかちゃんとあんなに仲良く話したり、笑いあったり。
それって、本当にえりかちゃんが素敵な人だから。
ちゃんと相手を理解しようとしてくれて、その相手のために
ちょっと厳しいことだって言ってあげたり、時に叱ったり、
そういうのが普通にできる人だから一緒にいるんだ。
私にとってりーちゃんがそれ。
そうそう簡単になれるものじゃない。
だからそんな二人には、特別な空間ができていて。
それに少しだけ嫉妬してしまったんだ、きっと。
でも、こんなに素敵なんだもん。
いいじゃないか。
それに素直に今、えりかちゃんと仲良くなれて嬉しいから。
これからもいい関係でいたいなって、ひっそりと心の奥で思ったっけ。
- 355 名前:tsukise 投稿日:2013/07/19(金) 14:45
-
>>318-354
今回更新はここまでです。
>>316 名無しさん
人のことを思うとどうしても一喜一憂してしまいますよねw
作者的にも元気で頑張って欲しいものですw
>>317 名無飼育さん
ご感想ありがとうございます、更新の原動力になりますw
結構スロー展開となっていますが、更新速度は上げていきたいと
思っていますので、またフラリと立ち寄って頂ければ幸いです。
- 356 名前:名無し 投稿日:2013/07/20(土) 05:36
- 更新お疲れさまです!
二人が仲良くなれてにやついてしまいました。
私も吹奏楽部だったので作者様の音楽表現大好きです!
これからの更新も楽しみにしています!
- 357 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:57
- 身体を休めて回復した私は、足取りも軽く合奏にもどり。
まるで嘘みたいに出る音に自分で驚きながら、その日の合奏を終えた。
気持ちひとつでこんなにも音が変わるのかって思ったけれど、
その通りなんだから、しょうがない。
「愛理、保健室でなんかあった?」
「ん? んー…ちょっとだけ」
楽器をバラしながら聞いてきたのは、りーちゃん。
やっぱり気づかれたか。
というか…いつも思うけど…、
「ねぇ、なんでわかるの?」
「愛理、すぐ音にでるの、そういうのって」
どんな音なの、それ…。
きっと、なんともいえない顔をしていたんだろうな、
りーちゃんは、ぷっと吹き出して「面白い顔」なんて指差してきたから。
ひどいなぁ…。
- 358 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:58
- 「お疲れー!合奏、聞いたよー」
バタン、と音楽室の扉が開いて、振り返った先にいたのは田中さんと亀井さん。
二人とも、この学校吹奏楽部のOGで、今は吹奏楽団に所属しているクラの大先輩だ。
突然の先輩の訪問に、あわてて部員全員が頭を下げる。
「お疲れ様です!」
「あ、気にしないで楽にしてて」
私や、りーちゃんをよくスカウトしに来ては練習も見ていってくれて、
すごく頼りにしていたりするんだけど。
今日は、両手に袋をたくさん持って…どうしたんだろ?
「部長。これ、陣中見舞い。もうすぐ地区大会でしょ?みんなで食べて」
「なんですか?」
「最中。冷たいものも考えたんだけど、体調崩しても困るし、甘いもので
集中力あげて頑張れってことで。あ、稲葉先生には許可とってるから」
「あ、ありがとうございます。頂きます!」
部長のなっきーが、代表して紙袋を受け取る。
そっか…後輩の応援…、というか様子を見にきてくれたんだ。
- 359 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:58
- 何度も頭を下げたなっきーは、「ちょっと顧問室に置いてくるね」と席を立っていってしまった。
残された私や他の部員は、二人にお礼を伝えてまた手元に視線を落とす。
ただ、そのまま私を追いかけてきたのは…、
「鈴木ちゃんが、クラのソロなんだよね」
「あ、はい」
田中さん。
まるで最初から私と会話するのが目的だったみたいに、すぐそばまできて楽器を眺めてきた。
それを感じ取って、またあとで、というように、りーちゃんは田中さんに場所を譲って
自分の椅子に戻っていった。
実は田中さんもクラでプロを目指しているから、ちょっとした意見だけでも
すごくためになったりする。
清水先輩のように、丁寧な指導とはちょっと違って感覚で話してきたりするから
理解できなくて困ってしまったりもするんだけど。
けれど私が吹奏楽団の演奏を見に行ったときは、必ず田中さんがソロを吹いてた。
それだけ任せて貰えるってことは、どれだけ言葉が少なくても、音への信頼は厚くて、
演奏だってすばらしい人なんだ。
- 360 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:58
- 「いつもどうやって練習してるの?」
「あ、えっと、メトロノームでリズムとって…それから自分なりに」
「ふーん…ちょっと待ってね」
「あ、れーな…!」
亀井さんが声をかけるけど、田中さんは気にした様子も無く、
近くのパイプ椅子に持ってきていた自分の楽器ケースを置いて、ガチャリと開けた。
すばやくポケットからはリードケースを取り出して、1枚くわえて。
そのまま楽器を組み立てながら、私の元へ歩いてくると「ちょっとごめんね」と譜面を確認。
え、もしかして今ここでこの曲を?
いきなりですか?
だって、なんにも前ふりもないのに、練習を見てくれるってことですか…?
戸惑っている間にも、田中さんはリードをマウスピースにはめて固定し、音だしを始めた。
「どうしても気になってさ。鈴木ちゃんのソロ」
そして。
「ちょっと聞いてて」
短くそれだけ言うと、一気にソロ部分を吹き出したんだ。
- 361 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:59
- ♪―♪―――♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪―――…
唖然。
呆然。
だって。
頬にビリビリくるほどの、とてつもない質量。
なんて圧倒的な厚みをもった音なんだろう。
他の部員たちも見惚れるほどで、今は楽器を片付ける音より小さいはずの
田中さんの音だけが音楽室に響き渡る。
♪♪♪――♪―――♪♪♪―♪♪♪♪――
私と違って、1音目から重い。
2音目だって
それに、続く音は どろりとした果実のように甘ったるく、それでも激しく揺れて、
腹の奥底に、言い知れぬ空腹感を残す響き方。
頭をもたげてしまいそうな重圧感が全身をかけめぐって、思わず鳥肌が立った。
- 362 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:59
- 「ふぅ」
ソロ部分を吹き終えると、まだ肺に残っていた空気を全部出し切る田中さん。
余裕ある吹き方に、見ていた部員全員がため息と拍手を送る。
それを、軽く手を上げて頭を下げ応える田中さんだけど、視線は私から離れない。
「アタシが感じたイメージはこんななんだけど…鈴木ちゃんとは随分違うのわかる?」
随分…違う。
そう、それは誰から見ても明らかなぐらい。
あまりのことに言葉が出ず、ただこくこくと頷くしかできない。
いとも簡単に私の悩んでいるところを乗り越えた演奏。
これが経験の差なのか、それとも生まれ持った何かの違いなのか。
とにかくそこには、人を惹き付けるに相応しい音があったんだ。
「どうやったら…、どうやったら田中さんみたいに吹けますか?」
無意識にたずねていた。
もう藁にもすがる思いだったかもしれない。
どうやったら。
どうやったら自分もあんな風に、意のままに演奏できる?
答えの見つからない問いを、乗り越えている先輩に。
けれど田中さんは、一度軽く息を吐いて告げたんだ。
- 363 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 11:59
- 「今の鈴木ちゃんには、たぶん無理」
「え…?」
ガツンと頭を殴られた感覚。
でも、田中さんの言葉は続けられる。
「意地悪で言ってるんじゃないよ? でも、鈴木ちゃんには曲の理解が足りないの」
「曲の…理解」
「極端な話、ただ譜面を追いかけてるだけで、感情表現が幼稚だし、色んな経験が
足りなすぎるんだよ」
「ちょっ、れーな、言いすぎ」
止めたのは亀井さん。
肩を軽くつかんで、ゆるくにらんでる。
「こんな時期に、そんなこと言うために来たんじゃないでしょ?」
「あ…そうだった。ごめん、鈴木ちゃん、熱くなりすぎた」
「あ、いえ…、大丈夫です」
傷ついた。
結構えぐるような言葉に。
でも、それ以上に思い知った。
自分でも気づかなかった、悪いところを。
- 364 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:00
- 田中さんの言ってることは…悔しいけど正しい。
私はただ譜面を追いかけてるだけだ。
指示だって、稲葉先生に言われた事を譜面の余白に書きなぐって、その通りに。
それは私の音であって、私の演奏じゃない。
わかってる。
わかっていたことだけど、見ないようにしていた。
それを暴かれたんだ。
「鈴木ちゃんの演奏は、中学生だしコンクールのものとしては正しいと思う。
けど、アタシはその先の音楽に触れてほしいって思うの。このまま才能を
埋もれさせてしまいたくないから」
その先の音楽…。
私だって…触れたい。
でも、どうやったら…?
疑問が顔に出たのか、田中さんはうなだれるみたいに首をふった。
- 365 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:00
- 「ごめん、こっから先はアタシには何もできない。鈴木ちゃんが見つけなきゃ
いけない答えだから」
そう…ですよね。
コクン、と頷くと、申しわけなさそうに…それでもしっかりと田中さんは
私の手を握って言ってくれたんだ。
「頑張れ。アタシは鈴木ちゃんの才能を信じてる」
「…はい」
重いけど…まっすぐな気持ちを。
- 366 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:00
-
・
・
・
- 367 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:00
- ♪――♪――♪♪―――。
違う。
もっとこう…叙情的に…。
たしか、もっと指の動きが滑らかだった。
あんな風に音を流すことができれば…。
♪――♪――♪――♪――。
どうしてだろう。
もっと重い音がでるはず…、田中さんのように…こう、もっと。
熱さを感じるような、そんな重みをもった音が…。
「愛理ー、まだ帰んないのー?」
はっ、と声に顔を上げれば、いつのまにか音楽室には私一人で。
遠く、入り口の扉にもたれかかって立つなっきーが呆れた顔でこっちを見つめてる。
その手に音楽室の鍵が握られてて…、あぁ、そうか。
そろそろ閉めなきゃいけない時間なのか。
時計をみて納得。
全然気づかなかった。
- 368 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:01
- 「うーん…」
どうしても田中さんの言葉がひっかかって。
自分の演奏に納得できなくて。
もう少し、もう少しと練習している間に遅い時間になってしまったみたい。
もう他の部員も全員帰ってしまっていることを考えたら、ちょっとひどいかも。
思わず苦笑してしまう。
「……………」
いつもの私だったら、また明日って切り上げた。
また早朝から練習なんだし、今日はもう頭を少しクリアにしなきゃって。
そんな風に気持ちを切り替えてた。
でも。
どうしても今日は、自分自身で納得できなくて。
もう少しで掴めそうな何かを手放したくなくて。
- 369 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:01
- 「…ごめん、なっきー。鍵は私が返しておくから、あと10分だけさせて?」
「マジ…? そんな根つめてやらなくても…今の愛理だって十分いい音だよ?
明日でもいいんじゃないの?」
「ありがとう。でも、あとすこしだけ」
そこでなっきーの大きなため息。
それから、手の中にある鍵をカチャカチャと振り回しながら私のそばまできて。
「わかった…。雨降りそうだし、ほんと早めにね」
「うん、ありがとう」
カチャン、と譜面台の端に鍵をひっかけたんだ。
私の反応を見て、もう一度しょうがないなぁってため息ひとつ。
それから、ひらひら手をふるようにして、なっきーは音楽室を後にしていった。
- 370 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:01
- 「もう一度…」
静寂に耳が痛くなるのを感じながら、マウスピースに口をつける。
頭の中に流れるのはメトロノームのリズムと、田中さんの演奏。
でも、どうしても重ならないメトロノームと田中さんの音に、
どう演奏するのが正しいのかわからなくなってきて…、
なかなか最初の1音がでない。
そうやって立ち止まってしまえば早くて。
そっと楽器から口をはずすと膝に置いた。
りーちゃんがいてくれたら、少しは上達したかな…?
今日はソルフェージュのレッスンがあるから、と先に帰った親友を思い出す。
りーちゃんだってソロを吹くから、私の勉強にもなっていたりするし。
うん…一人よりは二人のほうが、少しは気持ちも変わったかもしれない。
でも、根本的に楽器の構造自体が違うし…最後は自分で乗り越えなければならないもので。
- 371 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:02
- 「…はぁぁぁぁ…」
うなだれるように頭を垂れた。
どうやったら…自由に吹けるんだろう?
最後にいきつく疑問が、また私を苦しめる。
「うーーーん!」
気分を変えようとして両手をあげて伸びをする。
と。
そのとき、耳に届く小さな音。
サーーーー、と。
ノイズのように、静かにだけど確かに聞こえてくる。
これは…雨…?
のろのろと立ち上がって、廊下に出る。
それから窓に寄り添って…ため息が漏れた。
- 372 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:02
- もう夕闇が迫る空に、厚い雲を乗せて雫をいくつも落としてきている。
なっきーが降りそうとはいってたけど、本当に降ってくるなんて…。
きっと、このまま どしゃぶりになること確定な真っ暗になった西の空。
まるで自分の心みたいで、嫌になる。
「はぁぁぁぁ…」
軽く瞼を閉じて、窓にコツンと額をつける。
ひんやりとした硬い感覚に、身体ぜんぶが持っていかれるような錯覚に陥って。
頭の中をからっぽにした。
なんにも考えない。
感じるものは、冷たさと…雨音だけ。
時折サッシに当たって跳ねる水音が、少しだけ心地いい。
それからトタンになっている所に当たる雨も、面白い。
- 373 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:02
- いつだったか、初めてクラリネットに触れた日、指導してくれていた人に
「君は耳がいいね」といわれたことがある。
そのときは、まだ幼かったこともあって、全然意味がわからなかった。
けれど、こうして常に音楽に触れるようになってわかってきたんだ。
耳がいい…、それは色んな音を感じ取れるということ。
普通の人なら見落としてしまうような、些細な音でも気づいてしまうということ。
時々人ごみの中でとらえてしまう何気ない音は、煩わしくもあったりする。
でも…こんな雨の日の水音や、静寂の中で浮かび上がる音を捕まえるのは好きなんだと思う。
けれど…耳がよくったって、それと演奏は比例しない。
私の練習は…、頑張りは…無意味、なのかな…。
・・・・・・・・・・。
・・・・・。
・・・。
- 374 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:02
- 「!」
はっとする。
近づいてくる足音に。
タン、タン、と確かに石の階段を上がってくる音がする。
多分すぐ近く。
だとしたら、この階には音楽しかなくて…ここに、誰かくる。
先生? だったら怒られるかもしれない。
まだ返ってきていない鍵のことを言われるかも。
ぱっと窓から離れて、階段に続く廊下の方を見る。
少しだけ緊張しながら。
タン。
最後の一段を上り終える音。
そして。
廊下に現れた人に――― がちん、と身体が硬直した。
- 375 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:03
- 「あ、やっぱ愛理だ」
なんで…。
どうしてここに…。
あまりのことに言葉が出ない。
ただ、鬱々とした空気を一気に吹き飛ばしたその人を見つめるしかできない。
そう、ふわりと笑いながら軽く首をかたむけている…舞美ちゃんを。
「や、さっきさ、部活が終わってから着替えてふっとこっち見たら、愛理に似た子が
窓から見えてさ。あ、部活って、陸上部だったんだけど、中等部の自主練に付き合ってて。
違うかなって思ったんだけど、愛理かもしれないなぁって思ったら、気になっていつのまにか
こっちに来ちゃってた」
まとまりのない話で一生懸命話してくれるけど、ぜんぜん私の耳には届いていなかった。
- 376 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:03
- なんでこのタイミングで、この人は現れるんだろう?
これが桃先輩なら笑って話せた。
清水先輩なら慰めてもらっていたかもしれない。
でも。
でも、舞美ちゃんは…。
舞美ちゃんには、どう話していいかわからなくて。
「……? 愛理?」
反応の薄い私に、舞美ちゃんは不思議そうに近づいてきた。
それでも一言目が口からでない。
「愛理さーん? だいじょうぶ?聞こえてるー?」
「…ぁ…、ぅん…、聞こえてる」
ひらひらと目の前で手を振られて、やっと私は声を出す。
喉が枯れてしまっているみたいに、ちゃんと出てはこなかったけれど。
「愛理も自主練?」
「え…?」
「にしては、もう遅い時間だけど…」
言って自分の腕時計を確認する舞美ちゃんに、ちょっと気まずくなる。
- 377 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:03
- 思いがけない時間にいる私。どんな風にうつったのかな。
それに、今の私は…どんな顔してるんだろう。
不安になってうつむいてしまう。
「あ、ねぇ、愛理一人だったら、少し音楽室つかってもいい?」
「え?」
「なんていうか、たくさん人がいるとピアノとか使えないじゃん?
少し、触ってもいい?」
「あ…、うん」
本当はどうなんだろうって思うけど、今は私一人しかいないし、
鍵だって私が預かってるぐらいだし…、少しなら、いいんじゃないかな。
曖昧な私の返事だったけど、舞美ちゃんは気にした様子もなく
やった♪ありがと、と小さく笑って中へと入った。
それを静かに追いかける。
- 378 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:04
- 音楽室は明日の朝練のために、合奏の形を保ったままになっている。
さすがに盗難とか怖いから、楽器はちゃんと片付けているけれど。
だからパイプ椅子と譜面台が円陣を組んでいる形でピアノまで通りにくい。
それを、よいしょ、よいしょとすり抜けながらピアノのもとへ行く舞美ちゃん。
細身だし、ひょいひょいっと身体を曲げれば通れてしまって、
逆に追いかける私の方が、ちょっと鈍くさいかも。
「わー…ちょっと緊張」
そんな風に鍵盤の前に立ち蓋を開ける舞美ちゃんだけど、
なんだかその目は、いたずらっ子のようにキラキラしていて、すごく楽しそうに見える。
―――♪―――
Cの音をひとさし指でポンと軽く押して、ほぅっと一度息をつく。
無音になってしまっていた音楽室が色づくみたいに、空気を変える。
たった1音で。
敏感にそのことを私の肌が感じ取って、ぶるっと身体が震えた。
音が、ある・ないだけでこんなの気持ちが変わるんだ…なんて
ちょっと場違いなことを考えながら。
- 379 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:04
- 「あたしさ、結構雨女なんだよね」
何気ない言葉なんだろうな。
ふとつぶやいた言葉に、耳を傾ける。
「そうなの?」
「うん、でも―――」
♪――
♪―――
♪―――
そこでポロンと和音を軽く指ではじいて、ふっと笑みを浮かべる舞美ちゃん。
ちょっと楽しそう?
「なんか、得した気分かも」
「え?」
「だって、ちょっとさ、誰もいなくなった学校とかって、特別な感じしない?」
「特別な…」
あぁ、確かに。
ただ、これが一人だったらもっと違った…、そう、怖いとか、そういう気持ちに
なったかもしれない。
でも。
舞美ちゃんが一緒だから、全然そんなことは感じなくて…。
もっと、こう、本当に特別な気持ちでいっぱいになってる。
- 380 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:04
- ――♪――♪♪♪♪♪―♪――
返事も出来ずにただ舞美ちゃんの指先を見つめると、
そのまま右手で滑らかな旋律を奏で始めた。
細く白い指は、すごくしなやか。
前に、手首が柔らかいって言ってたけど…本当にその通り。
流れるような弾き方で、自然と目で追いかけてしまう。
「綺麗…。なんて曲?」
「あ、これ? 『雨』っていうの」
「雨?」
「うん、後藤さんの…あ、あたしの叔母さんなんだけどさ、後藤さんって。
その人の部屋にあったから、たぶん有名な歌手の曲だと思うけど…
気に入っちゃってさ。この曲だけピアノ練習して覚えたんだ」
ちょっとテレたみたいに笑う舞美ちゃん。
私は、そういう世界には疎いから誰の曲とかわからない。
でも、その旋律は本当に今の雨にピッタリで…舞美ちゃんにピッタリで。
- 381 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:05
- 「ぜんぶ…聞いてみたいな…」
「え?」
「ダメ?」
素直に…、もっと聞きたいって思ったんだ。
舞美ちゃんは、ちょっとびっくりしたみたいに顔を上げたけど、
たぶん弾きたかったんだろうな、「あたし、ヘタだよ?」っていいながら、
椅子に浅く腰掛け直してコホン、と咳をひとつ。
それから「間違ったらゴメンね」と少しだけ笑って……深く一度深呼吸した。
一瞬の静寂。
そして―――。
♪――♪♪♪♪♪―♪―― ♪♪♪♪―♪―♪――♪――♪――
透明感のある旋律を、指先からはじき出したんだ。
防音になっている音楽室でも響く音に、私は閉められたピアノの屋根に両腕をついて
頭を乗せた。
目を閉じれば、耳に届くのはかすかな雨音と…舞美ちゃんの紡ぎだす音楽だけ。
- 382 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:05
- 「―― ひとつひとつ 消えてゆく雨の中 みつめるたびに悲しくなる――」
多分、失恋の曲。
ドラマにありそうな大人の恋愛の終わり、そんな曲。
でも、なぜだろう。
舞美ちゃんが歌っているから、全然感じが違う。
一生懸命…、全力で恋をした。
でも通じなかった、通じてなかった…そんな女の子の曲に聞こえる。
勝手な想像だけど…、すごく…、綺麗な終わり方だと思ったんだ。
つたなくて、まだ全然本当の恋なんてわからない、そんな女の子の。
「―― 雨は冷たいけど ぬれていたいの 思い出も涙も 流すから――」
たぶんそれは、舞美ちゃんの声がすごく素直なものだったから。
変なアクセントなんかない。クセだってない。
上手く歌おうとか、そんな計算なんかもない。
歌いたいように歌う、そんな素直な声だったから、そう聞こえたんだ。
瞼を開けば、時折苦しげに寄せられる眉。
感情が歌声に乗って。
舞美ちゃんの中で世界ができてて。
あぁ…、きっとこれが…『惹かれる』ってことなんだって思ったっけ。
- 383 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:05
- ♪――♪♪♪――♪――♪♪♪――♪―――。
「愛理」
静かに鍵盤から指を離し、ペダルから足をはずすし静寂がまた蘇ってくる。
でも、その静寂を引き継ぐみたいに、舞美ちゃんは私の名前を呼んだ。
「ん…?」
ぼんやりと頭を上げると、静かに笑みを浮かべた舞美ちゃんがこちらに振り返る。
「あたしさ、たぶん、愛理が悩んでることの1/10もわかってないと思う」
「え?」
聞き返すけど、舞美ちゃんは『聞いて?』というように目で私を制した。
何かを伝えようとしてくれてる。
なにか大事なことを。
だから、私はただ舞美ちゃんの目を見つめ返した。
「苦しい気持ちとか、今ものすっごい頑張って何かを乗り越えようとしてるのとか
どれぐらい辛いかなんて、たぶん、ううん、絶対ぜんぶわかることはできないと思う」
「……………」
―――誰かから、もしかしたら私のことを聞いたのかもしれない、と。
後になって思ったけれど、このときは極端に視野が狭くなってしまっていて、
自分のことしか考えてなかった――。
- 384 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:06
- 「でもね、愛理のこと応援したいから。頑張ってほしいなって思うから。
だからさ、ちょっとの無理は止めたりしない」
「舞美ちゃん…」
そうだ…そういえば…。
舞美ちゃんは、止めなかった。
一人でいる私に、こんな時間まで自主練をしていたんだってわかっていたはずなのに。
ここに来たとき、なっきーのように明日にすれば、とかそういうこと言わなかった。
きっと言われても、私もやめる気はなかったと思うけど。
でも、それでもそれは舞美ちゃんなりのエールだったんだ…。
「これはあたしの独り言だと思って聞いてね」
「え…? あ、うん」
そっと鍵盤に布をかぶせてフタを閉めると、舞美ちゃんは一度だけ大きく息を吐いた。
そして、少し首を傾げるように私の顔を覗き込んできた。
「あたしは、できないなりにも頑張ったら、絶対その努力はいつか必ず報われると思ってる。
それが最初は、誰かの真似だってかまわないと思う。だってそれって真似したいぐらい
その誰かが素敵だってことなんだろうし」
この曲みたいにね、と少し笑って。
また正面から私を見つめる舞美ちゃん。
その目は深い焦げ茶色なのに、どこまでも澄んでいる。
- 385 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:06
- 「あたしはさ、真似をするっていうのも巧くなる1つの形なんじゃないかなって、思ってるんだ。
どう真似したって、その人にはなれないけど、目指したからわかることだって…多分、あるから。
自分ができることと、できないこととか」
難しいことはよくわからない。
でも、多分舞美ちゃんは大事なことを今私に伝えてくれた。
いい意味でも、その逆でも模範的な私の演奏。
その先に進むのにどうしていいのかわからなくて、ただがむしゃらに練習してる。
でも、今日の田中さんの演奏に衝撃を受けて…あんなふうに吹けたらって思って。
無意識のうちに…吹き方をコピーしようとしてたかもしれない。
それは田中さんの吹き方であって、私の吹き方ではない。
でも、そう…舞美ちゃんの言うように本当に素敵な演奏だったんだ。
あんな風に吹きたいって、心から思ったんだ。
そうやって真似をして気づいた。
田中さんの指のタッチの強さ。
小指と薬指の関節の柔らかさ。
ブレたりしない息。
私には到底真似さえできない、もって生まれた感性のすべて。
私が田中さんのようには吹けないって気づいて、身動きがとれなくなった時
どうしていいのかわからなくなった。
- 386 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:07
- でもそうか…。
そうかも、しれない。
田中さんのようには吹けない。
だったら、模範的でもいい、私の吹き方に戻ればいいんだ。
でもただ戻るんじゃない。
田中さんのいいところをほんの少しだけど私のものにして。
真似する域にいかなかったけど、ブレたりしない息は私だってできるから。
そこだけでも、もっともっと磨いて。
あぁ…、こういうことなのか。
自分ができることと、できないこと。
「舞美ちゃん…」
「うん?」
「ありがとう…」
素直に…教えてくれた舞美ちゃんにお礼を告げた。
見失った自分の音を、取り戻せる気がした。
どうしていいのかわからなかったけど、もう一度…道しるべをみつけたから。
- 387 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:07
- 「今のはあたしの勝手な独り言だってば。お礼とかおかしいし」
あははっ、と笑う舞美ちゃんは、それでもやおら私に手をのばして。
くしゃりと頭を撫でてくれた。
「でも、愛理が少しでも元気になれたんならよかったよかった」
「…うん」
「雨女もたまにはいいかもね。…ってやんだ? 雨、やんだっぽくない?」
「あ…」
そういえば…、もう雨音が聞こえない。
いつのまにやんだんだろう、全然気づかなかった。
ぱっと見上げれば、扉の向こうを眺めるみたいに首を伸ばしたりしてる舞美ちゃん。
その横顔に見惚れた。
なんだろう、どの角度もすごく綺麗な人だけど、横顔は特に。
滑らかな輪郭が、整った目鼻立ちがすごく印象強くて…。
それはどこか…そう、後藤さんのようで。
おいそれと触れてはいけないような神聖さまで感じてしまったっけ。
- 388 名前:Rain 投稿日:2013/08/01(木) 12:08
- 「ね、もしよかったら一緒に帰らない? …あ、まだ練習する?」
続けられた言葉は恐る恐る探るように。
でも、こちらに振り返った舞美ちゃんが、なんでもないみたいに
本当に軽い雰囲気をにじませていたから。
私も、笑顔で応えられたのかもしれない。
「ううん。一緒に…帰ろう?」
これ以上やっても、きっと成果は自分でわからないだろうから。
明日の練習で…みんなに…聞いてほしい。
気持ちが変わって…どれだけ音も変わったか。
ふんわり笑って、頷いてくれた舞美ちゃんが手のひらを差し出してきてくれて。
私も、そっとそれを握り返したっけ。
・
・
・
きっと、何気ない行動だったのかもしれないけれど…。
実はね、その手のひらにとってもたくさんの勇気を貰っていたんだよ?舞美ちゃん。
いつだって…。
そう、本当にいつだって、舞美ちゃんから。
- 389 名前:tsukise 投稿日:2013/08/01(木) 12:08
- >>357-388
今回更新はここまでです。
>>356 名無しさん
音楽表現、拙い部分も多いと思いますがご感想嬉しく思います(平伏
私自身も吹奏楽をかじっていたので、ついつい熱が入ってしまいますが
またお付き合いくださいw
- 390 名前:名無し 投稿日:2013/08/01(木) 21:22
- 更新お疲れ様です!
ジャストタイミングの舞美に思わずガッツポーズしました!!
OG登場も嬉しいです!
次回も楽しみにしてます!
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/08/03(土) 17:40
- 恋心とは偉大なものです。鈴木さんはこれからも成長していくのでしょうね〜
それにしても矢島さんスーパーマンのようですね。モテるのも頷けるw
- 392 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:04
-
どんどん広がっていく私の世界。
こんな世界もあったんだ。あぁ、こんな世界も…。
そんな風に、どんどん新しいものが私の中に入っていって。
色んな自分を知っていく。
きっかけは、ぜんぶあなたで。
だから――― ぜんぜんわかってなかった。
あまりにも、貰った世界がキラキラ輝いていて、気づかなかった。
………あなたを取り巻く、あなただけの『世界』に。
- 393 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:05
-
・
・
・
- 394 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:05
-
「はい、ほんなら地区大会の予定を書いたプリントを配るでー、回して」
朝練習を終えて、稲葉先生が一番近いSクラの先輩にプリントを渡す。
受け取った先輩は後列にも行き渡るように、3つほどの束にして方々へ。
「えー、いよいよ明後日地区大会になります。まだプリント回ってへんから
わからんかもしれんけど、うちらの出番は午後の1発目になってます」
途端に、あちこちであがる「えー」「うそぉ」という声。
1番目って…。
後ろの方でも困るけれど一番目というのも、凄く困る。
というのも…
「はい静かにー。まあ小学校の部の後やから、どうしても比較がつくけど…
うちらはうちらの演奏をするだけですー」
関西弁独特のイントネーションで話す稲葉先生だけど、
逆に飄々とした感じにもとれて、みんなは「そうだよね」なんて納得したように
手に渡ってくるプリントに目を落とした。
- 395 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:06
-
私のところにもやっと回ってきたプリント。
その中身は、明後日の一日の流れが事細かに書かれている
朝6:30に、この音楽室へ。
そして、軽く合奏し7:30には大型楽器と打楽器をトラックに積む。
それから私たちは電車とバスを乗り継いで会場へ。
10:00頃現地に着いて、楽器の確認と色んな手続き処理。
11:00に一度ロングトーンで楽器を温めて、それから昼食。
それが済めば、リハーサル室へ移動し合奏。
分刻みで使うリハーサル室だから、合奏だって全部できるわけじゃない。
でも、最低限の確認だけをして…そして本番。
その後は他校の演奏を聞いて、結果発表を待つ。
緊張の一日になるんだけど、私はどちらかというとワクワクしていた。
ちょっとした遠足みたいな、そんな浮かれた気持ちに近いかもしれない。
そんなんじゃダメなんだってわかっていても、本能的なものだからどうしようもない。
- 396 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:06
-
「まぁ、今日の感触やったら、地区大会は軽く通って欲しいところやな。たーだー」
そこでギョロっとした視線とタクトを、私とりーちゃんに向ける稲葉先生。
びくっと身体が震えたのをごまかすみたいに、慌ててプリントに視線を落とす。
でも威圧感は全身にビリビリきていた。
「ソロ組ー、しっかりしてなー。特に鈴木ちゃん」
「えっ」
名指しなんて珍しくて、ドキっとする。
私、どこかおかしかったのかな…。
「今日の合奏の音、なんかフワッフワしてたで?もっと重く。感じとしては
爽やかすぎるわ」
「すみません…」
フワッフワ…?
あまりにも抽象的な表現でよくわからない。
でも、今日の音は稲葉先生の求めるものではなかったんだろう。
- 397 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:07
-
昨日の田中さんのように息のブレの修正は、ちゃんとできたと思ったけど…、
表現の仕方がまだ違うんだ。この曲のイメージと。
ただ、少しだけ思い当たった原因は…。
「演奏中は、曲に集中せなあかんで?ソロがしっかりせな全体に響く」
「…はい」
ずばり言い当てられて、苦く返事する。
途切れた集中力。
そう、私は…大事な場面で、ある人を思い出してた。
もちろんそれは…舞美ちゃん。
原因はそこ。
演奏しながら、そんな誰かのことを考えるとか普通できるわけないのに
頭の中で鮮やかに浮かび上がったんだ。
昨日の雨音の中、私をみつけてくれた舞美ちゃん。
柔らかな、でも情感たっぷりに歌った舞美ちゃん。
私に…がんばる意味を教えてくれた…舞美ちゃん。
- 398 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:07
-
ダメだなぁ…。
集中しないといけないってわかってるのに。
りーちゃんに昨日、私は音にすぐ出るって言われたばっかりなのに。
しっかりしないと。
スペイン狂詩曲の背景を、もう一度頭に叩き込まないと、きっと痛い目みる。
2年の私が、先輩の足を引っ張りたくなんてない。
一度、大きく息を吐き出して、気持ちを切り替える。
地区大会は通らないと。
「はい、じゃー今日の朝練は終わり。終業式に遅れんように教室にもどりやー」
「「「はい」」」
そして、なっきーがいつもの号令。
「起立、ありがとうございました」
「「「ありがとうございました」」」
- 399 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:08
- ・
・
・
パタン、と。
楽器をケースにしまい、一度大きくため息をつく。
こんなに悩む性格じゃなかったのになぁ。
胸に浮かぶのはそんな気持ち。
もともと長く悩むことができない性質だったんだ。
どんなことでも、ポジティブに考えられるのが長所だって思ってた。
でも、ここ最近の変化。
思春期、という一言で片付けてしまいたくはない。
でも、少なからず自分の中で処理しきれない気持ちがあるのも確か。
- 400 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:09
-
昔はソロを任されても、そつなくこなしてた。
周りが認めてくれていた。
……ううん、今ならわかるけれど、その当時の音で許してくれていた。
でも、今は…足りない何かを求められるようになって。
私だけが注意を受けることも多くなって。
人知れず泣いたこともあった。
期待されているってわかる分、プレッシャーも感じるようになって…。
私、そんなにできないよ…とか思ったりするのをなんとか奮い立たせたりもして。
もっともっと…知っていかなくてはいけないことが多すぎて、今は息苦しささえ覚えてる。
曲の理解・時代背景・この曲なら…ラヴェルの性格、クセ。
全部を知るのは難しくとも、そこから自分の世界を膨らませなくてはいけないんだ。
私なりに。
気持ちをこめて。
- 401 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:09
-
「はぁぁぁ」
膝に頭をうずめて視界を閉ざす。
なんとなく気持ちが滅入って。
…って、だから私はこんなんじゃなかったはずなのに…。
苦しくなって、胸元を押さえる。
ううん、押さえたのは胸ポケットに入れた生徒手帳。
その中にある…一枚の写真を鷲掴みにするみたいにかき抱いたんだ。
舞美ちゃんから貰った、写真を。
私と…桜を写した、あの写真を。
何が変わるわけじゃない。
でも、無意識に…そこに助けを求めてしまっていたのかもしれない。
…舞美ちゃんに。
- 402 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:10
-
「愛理、大丈夫?」
「…ぁ…、なっきー」
ぽん、と背中を叩くみたいに、同じようにしゃがみこんできたのはなっきー。
部長だし、フォローに来てくれたのかな。
だとしたら、申し訳ない。
「そんなに気にすることじゃないよ? 昔に比べたら全然いい音だしてるもん」
「うん…」
「みんなもさ、ちょっと心配してて」
「そう、なんだ…」
でも、そうだよね。
もう明後日なのに、こんな不安定な姿を見せてちゃ、みんな困るもんね。
しっかり…しなきゃ…!
「大丈夫。ちゃんとソロ、がんばるよ?」
「あ…、ゴメン、そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど」
「わかってる」
バツの悪そうな表情のなっきーに笑顔で答える。
もとが、サッパリしているなっきーだし、計算してそんなこと言ってくるような
人じゃないっていうのも知ってる。
純粋に私を励まそうとしてくれたんだよね。
ちゃんとわかってるよ。
- 403 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:10
-
「ありがと、なっきー。ほんとのところ、少しだけへこんでた」
「うん、なんかそんな気してた」
「あ、やっぱり?」
「めっちゃ眉毛ハの字になってたし」
「あはは」
参っちゃうな。
きっとなっきーにバレたってことは、みんなにもバレバレだ。
「やっと笑った。良かったら今日終わって自主練付き合おうか?」
「うん、考えとく」
「うん、じゃ、終業式に遅れないようにね」
「ありがと」
さっき叩いてきたよりも、少しだけ力をこめてもう一度背中を叩くなっきーは、
そのまま、ぴしっと人差し指を私に一度向けて去っていった。
部長だし、他の部員へのフォローもしてくれてるんだ、きっと。
そのなっきーに、もう一度心の中で感謝しつつ、私も部活棟を後にした。
- 404 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:10
-
・
・
・
- 405 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:11
-
「えー、夏休みという長期の学校生活と離れた時間を過ごすことになりますが―――」
終業式っていうのは、どこだって学園長の話が長い。
冷房設備が完備されている体育館といっても、こう間延びしてしまうような
模範的な話が延々されると、どれだけ優等生だって退屈してくるものだと思う。
現に、チラっと視線をあたりに向ければ、あくびを噛み殺して目元に涙を浮かべている栞菜や
軽く瞼を閉じて器用に立ったまま眠っている舞ちゃん。
クラスメートの何人かも心ここにあらずって感じでぼんやりしてる。
私も、多分見ためは真面目に話を聞いているように見えるかもしれないけど、
頭の中では全然違うことを考えてた。
このあとの部活でまたミスったらどうしよう、とか。
みんながいる中で注意されると、実はすごく傷つくんだよね…。
後輩が見てるから、とか、そういうのじゃなくって、うーん、うまく言えないけど
個人的に言われるより…すごく辛い気持ちになるっていうか。
- 406 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:11
-
ふぅ、と一度ため息をついて瞼を閉じる。
こんなに引きずって悩むことがなかったから、頭の中がごちゃごちゃしてる。
ちゃんとリセットしなきゃ。
じゃなきゃ新しいことも詰め込めない。
ぶるぶる頭を振って、しゃんと前を向いて…気づく。
誰かの手が、こっちに向けてヒラヒラされてる。
隣のクラスだ。
背の順で並んでるから、私より前に立ってる人で…誰…?
って。
あ、ちょこんと人の影から顔がこっち向いた。
あれは、ちっさー?
見れば、いたずらっ子みたいな顔で私に向かって笑いかけてる。
もう…、集中力が足りないんだから…ちっさーは。
それに、前から数えて3番目の位置なんだし、1年生が前にいるにしても
目立ちそうなんだから真面目に話聞いたほうがいいのに…。
- 407 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:12
-
あきれたみたいにため息ついて、前を指差すけれど、
意図がわかっているはずなのに、ちっさーは気にせずこっちに身振り手振りをしてきた。
え?なに?
顔をパタパタ手で仰いで…、カバンを背負う格好。
その場で足踏みして、左手で作ったこぶしの上で右手をグルグル回してる。
最後にその左手を食べるような仕草をして、こっちにOK?と聞いてる。
なになに…?
顔パタパタ…『暑いから?』
カバン背負って足踏み…あ、『帰り?』
最後がわかりづらい…左手に右手ぐるぐるをパクッ…あ、なんだっけこれ、食べ物であった。
えーとえーと、暑い日に食べる、あれだ!ソフトクリーム!
確か帰り道に美味しいアイス屋さんがあったっけ!
要は『暑いから、帰りにソフトクリームを食べないか?』ってことだ!
- 408 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:12
-
もちろんOKだよ!とジェスチャーしかけて止まる。
あ、そうだ、部活が終わってから、なっきーが自主練に付き合ってくれるって言ってたっけ…。
ごめんね、と両手を合わせるようにしたら、ちっさーは露骨に顔をしかめてきた。
なんでだよー、なんて声が聞こえてきそう。
えーと、どう伝えたらいいんだろ?
私はちっさーほど起用じゃないし…。
えーとえーと…。
なんて考えていたら、私の前でジェスチャーする人影がまた1つ。
同じクラスで、私の2つ前に立つあの影は、りーちゃんだ。
見れば、私の代わりにちっさーへジェスチャーしてる。
でも、あまりにも極端なジェスチャーに思わず吹く。
だって。
りーちゃんのジェスチャーは、いたって簡潔。
私の方を親指で示し、それからちっさーを指差したら、両手をクロスして×を作って。
直訳すれば『愛理は千聖とは行かない』、だ。
- 409 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:13
-
りーちゃん…めんどくさいんでしょ…。
思わず苦笑するしかない。
もちろん、そんなジェスチャーに納得いくわけないちっさーは猛抗議。
りーちゃんを指差して口に手をつけ、あひるみたいなしぐさ。
『なんで梨沙子が言うんだよ』ってところかな?
それに対するりーちゃんは、やっぱり簡潔。
ちっさーを軽く追い払うように手を振って、『千聖には関係ない』みたいな。
ジェスチャー対決がそこから続く。
『梨沙子が言うな』
『千聖、前向け』
『用があるのは愛理なんだよ』
『迷惑でしょ』
『少しぐらいいいだろー』
『ダメ』
どんどんヒートアップしていく二人の動きは、かなり大きくなっていて、
ちょっと周りが気になりだして見渡しながら、二人に呼びかけるように手を振る。
- 410 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:13
-
『二人とも、先生に見つかるよ』、と。
…が、そのタイミングが最悪だった。
背後にいつの間にかいた矢口先生が、ボソっとつぶやくように、
でもハッキリと私たち三人に告げたんだ。
「鈴木、菅谷、岡井。後で生徒指導室にきなさい」
「「「……………」」」
って。
- 411 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:14
- ・
・
・
「あーサイアク。なんでこんな終業式の日まで、怒られなきゃなんないんだっての」
こってり絞られて、生徒指導室を出た瞬間にちっさーがごちる。
両肩を落とすようにして、本当にうんざりって感じが見て取れて苦笑する。
「千聖が真面目に聞いてりゃ、怒られなかったんだよ」
りーちゃんは逆にしれっとした顔でそんなことを言う。
なんだとぉ、なんて鋭い目を向けてくるちっさーを、どぅどぅと私は抑えるけれど、
りーちゃんの表情は変わらない。
いつまでたっても、この二人はこんな感じなのかな…はぁ。
- 412 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:14
- 「だいたい、愛理もなんでパっと返事しないんだよ」
「ごめん、なんか上手く返せなかった」
「勉強できるほうなんだし、もっと頭つかえよなー」
「勉強とは違うよぉ」
使う脳が違うっていうか、多分要領の問題だと思うんだけど…。
ちっさーって意外と器用だし。
私なんて突然のこととかに、実は少し弱いから。
「ま、いいや、今度アイス1個奢ってくれたらチャラね」
「えぇっ? なんかおかしくない?」
「いや、愛理のせいで見つかったんだし、それぐらいしろって」
「ん〜〜〜〜」
なんだか腑に落ちない。
でも、言ってることも一理ある気もするし。
むぅ、しょうがない。
- 413 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:14
- 「わかった、今度ね」
「らっきー♪ よしっ、じゃ、部活行こうぜー!」
「はいはい」
そこでおとなしくなってる、りーちゃんに振り返る。
なに?と小首を傾げて私を見るその目に、さっきまでの不機嫌さはない。
でも、一応…
「りーちゃん、ごめんね」
「……いいよ、別に。私が勝手に千聖に噛み付いただけだから」
あ、テレてる。
りーちゃんって、よく表情を読むのが難しいって言われるけど、全然そんなことないよね。
感情の起伏が実は激しい方だし。
ちゃんと向き合えば、面白いところがたくさんある。
誤解もされちゃうけど、私は、そんなりーちゃんが大好きだ。
- 414 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:15
- 「あ…」
あれ…は…。
りーちゃんに笑いながら、ふと移した視線の先、みつけた影に足が止まった。
痛っ、と続いて後ろを歩いていたりーちゃんが、私の背に鼻先をぶつけるけれど、
謝るのも忘れて、そちらを凝視。
だって。
視線の先には職員室から出てくる矢口先生と…、後藤さん。
そして、うつむき加減に、控えめな笑みを浮かべている――― 舞美ちゃんだ。
どうして中等部にいるんだろ?
矢口先生と後藤さんが友達みたいな感じなのはこの間知ったけど。
どうして舞美ちゃんが?
というか、さっき指導室に来たのは矢口先生じゃなくって保田先生だった。
用事があるから替わったんだって言っていたけど…。
じゃあ、その用事っていうのが…後藤さんと舞美ちゃん?
- 415 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:15
- 「あれ…? 後藤さんに、――― 舞美ちゃん?」
「うん…」
一瞬、痛めた鼻を押さえて眉を顰め、わっと口を開きかけたりーちゃんだけど、
私の見ている先を目で追いかけて、トーンダウンする。
多分、考えているのは私と一緒。
どうしてここに舞美ちゃんが後藤さんと一緒にいるのか。
普通に呼びかけて聞いてみたらいいのかもしれない。
でも、なんていうか…、舞美ちゃんの様子が、少しいつもと違うみたいに見えて…。
それに、後藤さんがいるってことは、保護者が必要な話があったのかもしれなくて。
私なんかが踏み込んでいいのか、ちょっと物怖じしてしまったんだ。
「あ…」
そうこうしているうちに、舞美ちゃんは矢口先生に一礼して去っていってしまった。
なんとなく、沈んでいるように見えたのは気のせい、かな…。
ただ、見送った後藤さんと矢口先生がなんともいえない顔をしていたのが
ちょっと印象深かった。
- 416 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:16
- 「愛理ー、梨沙子ー、部活遅れるぞー」
「あ、うんー」
少し前を歩いていたちっさーが、立ち止まってる私たちに気づいて呼びかけてくる。
それに返事をして、追いかけようとして…、
「鈴木ちゃーん」
「えっ?」
遠くで呼ばれた声に、出鼻をくじかれるようにその場でたたらを踏んでしまった。
これまた、後ろで駆け出しかけていたりーちゃんが、また私の背中で鼻をぶつけて
今度こそ、恨めしげに「あ〜い〜りぃ〜」と迫られ、ごめん、とたじろぐ。
でも、ほら、今、呼んだのは。
「今から部活ー?」
「あ、はいっ」
やっぱり。
職員室の前で、こちらに気づいたみたいで手を振ってる後藤さんだ。
りーちゃんもそれを見て、少しだけ警戒心を出すみたいに私の腕をとるようにして振り返った。
- 417 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:17
- 「ちょっとさー、そのあと時間とれないー?」
「え…?」
「話したいかなーって。良かったら、お友達も一緒にー」
いいのかな…。
なんか、どんどん凄い人と知り合いになっていってる気がするんだけど。
私なんかで、いいのかな…。
「りーちゃん、どうしよう…?」
「どうしようって…、後藤さん、愛理に用事があるんでしょ?
もしかしたらだけど、舞美ちゃんのことかもしれないじゃん?」
「あ…、うん」
「だったら、迷うことなくない?」
そうだよね、後藤さんは舞美ちゃんの保護者なんだし。
大切なことではないかもしれないけれど、少しぐらい舞美ちゃんのことも
聞けるかもしれない。
だったら…。
- 418 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:17
- 「あのっ、6時ごろになるかもですけど、いいですかっ?」
「6時ねー。そんぐらいにまた来るよー」
「すみません」
ペコリ、と頭を下げて、待ってくれているちっさーの元へ駆け出す。
りーちゃんも倣うようにして走り出す。
「こぉらぁー! 廊下は走るなぁー」
「「「すみませーん!」」」
追いかけてくるのは、矢口先生の怒鳴り声。
あんな小さな身体なのに、似つかわしくないほどの声量で、びっくりしちゃうんだよね。
そんな私たちに、後藤さんは可笑しそうに、またひらひらと手をふって笑っていた。
- 419 名前:One step 投稿日:2013/08/11(日) 06:18
-
・
・
・
なにか難しい話をされたらどうしよう?
大人の話なんて私にはわからない。
でも、多分なにかあって私を呼び止めたんだろうから。
じゃなきゃ、ほとんど接点がない、ただの中学生の私に声をかけること自体おかしい。
とにかく、部活が終わったら、りーちゃんと一緒に行こう。
一人ならちょっと困ったけど、りーちゃんとなら大丈夫な気がするし。
そこまで考えて…、きっと後藤さんも一人では敬遠されるかなぁと思ってりーちゃんを
呼んだんじゃないかな、なんて申し訳ない気持ちにもなってしまったっけ。
- 420 名前:tsukise 投稿日:2013/08/11(日) 06:18
- >>392-419
今回更新はここまでです。
大量更新となり申し訳ないです(平伏
>>390 名無しさん
矢島さん、すごいタイミングでできすぎ感がありましたね(ニガ
OGも、少しずつ絡んでいけたらなぁ、とは思っています(ニガ
>>名無飼育さん
本人がちょっと意識していない部分の感情ですしほんと偉大ですね。
スーパーマンな矢島さん、いつまでもそんな雰囲気でいてほしいですw
- 421 名前:名無し 投稿日:2013/08/11(日) 16:36
- 更新お疲れ様です!!
舞美のことが気になります。。。
明日も更新との予告に楽しみにお待ちしています!!
- 422 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:15
- 「練習みたよー、凄いね、二人ソロだったんだね」
「あ、ありがとうございます」
なっきーに断りをいれて部活が終わってすぐ、正門に向かうと、もう待っていた後藤さん。
私とりーちゃんの姿を見つけるや否や、黒塗りの車を門につけて。
乗って、なんて言われて、すごく困ったのを覚えてる。
本当にどこにいくかわからなくて、どうしようか迷っていたんだけど
結局乗り込んだ私たちは、高速を何度か乗り継ぎ…、
普段では絶対にくることも無いだろうネオン街へと到着したんだ。
夏で日が長くなったけれど、もう薄暗がりになった空にはとても明るい。
ちょっと目がチカチカするほどかも。
「あの…後藤さん…」
「あ、だいじょぶだいじょぶ。事務所の社長に一応紹介するだけだから」
「社長さん、ですか…?」
「うん」
大丈夫だよ、ともう一度私たちに笑いかけて、後藤さんは1つのマンションの中へと
入っていった。
残された私とりーちゃんも、一度顔を突き合わせてから追いかける。
そういえば、以前りーちゃんが言ってたっけ。
後藤さんの遍歴と、社長さんについて少し。
松浦さん、という女の人が社長、とか言ってた気が。
- 423 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:15
- 女社長。
それってとてもすごいことだと思う。
男社会の中で、埋もれずにちゃんと活動していけるって。
全然芸能界に詳しいわけじゃないけれど、その大変さぐらいはわかる。
どんな…人なのかな。
やっぱりすごく厳しくて、ちょっとガッチリしていたりして…。
スーツにめがねって感じなのかな…。
そんなことを考えている間に通された部屋。
意外と普通の内装。
どこにでもあるマンションの、2部屋を改装して1部屋にした感じで、とても広い。
それに無駄なものはなくって、逆に空間を贅沢につかった仕様。
「こんのー、まっつーは?」
「あ、奥の部屋にいるかと…」
「奥…、また試作DVDとか見てるわけ?」
「たぶん」
「ったく」
車を運転してくれていた女の人が、困ったみたいに笑いながら返事をしてる。
後藤さんの、マネージャーさん、とかかな。
ずっと私たちの後ろをついてきてくれてるけど…。
その人に、少しため息まじりの目線を向けてから、後藤さんは奥へと続く扉を開いた。
- 424 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:16
- 「わっ!」
「うわ…」
瞬間、私とりーちゃんは一気に耳を押さえて二・三歩後ずさる。
だって…。
なんて大音量。
―――♪――!! ♪――!!
クラシックじゃない。
これは、ポップスのライブコンサートだ。
ジャカジャカと、ギターやベース、ドラムセットがこれでもかと鳴り響いてる。
あんまり好きな空間じゃない…。
でも。
暗闇の中、目の前に広がったスクリーン。
そこに映し出されている映像を見た瞬間、鳥肌が立った。
- 425 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:16
- あれは…後藤さん。
色とりどりの光に照らされて、激しく踊りながら、それでも強い歌声を響かせてる。
周りにダンサーの人がたくさんいて、後藤さんより全然背も高いし、身体だってすごく幅がある。
なのに、まったく遜色のない圧倒的な存在感。
衣装を纏った姿は初めてみる。
なんて印象を変える人だろう。
露出された肌は多い。
でも、全然、その、いわゆる性的な感じじゃなくって、妖艶なイメージ。
色んな使い分けがちゃんとできてるんだ。
これが…プロの歌手さん…。
最初こそ、その衝撃が強くて拒絶する気持ちばかり浮かんだけれど、
耳の慣れもあって、今は手を耳からはずし…スクリーンの後藤さんに見入ってしまっていた。
- 426 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:17
- 「だーから、ごっちんはこーゆーとこが甘いんだってば…だいたいMC?
昔よりマシんなったけど、まだまだだね。初めて見に来てくれたお客さんを
ファンにして帰すぐらいの勢いが足りないっつーの」
ってあれ…?
どこかから呟く声が…。
よく見れば、スクリーンのまん前に大きな椅子があって、誰かが座っている?
あ…、もしかして、社長さん…?
「だから、そこ間違えてるってのに…。何回目なんだよ、ごっちん」
気づいていないのかな…。
だとしたらなんて集中力。
「あー…、あーなったら まっつーしばらく動かないし…とりあえず
そこのソファーに座って待っててくれる? 紺野、飲み物お願い」
「はい」
促されたソファーは、社長さんの後ろの大きな黒皮のソファー。
いいのかな、と、りーちゃんと目配せして、一緒に座る。
思いのほか沈む感触に、わっと思ったっけ。
- 427 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:18
- それにしても…、後藤さん…綺麗だな…。
わかっていたつもりだけど、こうして本当にお仕事をしている姿を見たら三倍増しで。
それに…、素の姿もとっても素敵で、ちょっと別の世界に引き込まれた感じ。
そんな人とお近づきになっているなんて、不思議だな…人の縁って。
ちらり、と後藤さんを見れば、ソファーの縁に浅く腰掛けて、
映像を目を細めてみている。軽く腕組まれたその姿も、なんだか格好いい。
ぼーっと見つめていたせいか、私の視線に気づいた後藤さんは「ん?」と眉を上げて
もう少し待ってね、とジェスチャーで伝えてきた。
あ、退屈しているみたいに見えたのかな。
だったら申し訳ない。
- 428 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:18
- 「あ、あの」
あわてて声を出すけど、部屋中に響き渡る音楽にかき消されていく。
でも、多分私の表情でなにか読み取ってくれたみたいで、
後藤さんは、身体ごと傾けて「うん?」と耳を寄せてきてくれたんだ。
その瞬間、鼻をくすぐる甘い香水の匂い。
ほのかに香る感じで全然嫌味なものじゃない。
むしろ…すごく後藤さんに合っていて…。
素直に…、ドキドキした。
大人の女性って感じで。すごく色っぽいし…、でも格好いいし。
うっ、と変な声をあげて口元を押さえながら、目をパチパチしてしまう。
ガチャン!
「わっ」
突然の音に驚いて、身を引く。
ぱっと音のほうを見れば、さっき後藤さんに飲み物を頼まれて席を外していた、
スーツ姿の女の人だ。
どうしたんだろう、ちょっと震えてる…?
その表情も、厚いレンズのせいで目は見えないけど、どことなくピリピリしてる?
- 429 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:19
- 「こんの?」
「あっ、すみません…っ」
後藤さんの呼びかけに弾かれたみたいに、ぱっと顔を上げて。
わたわたとソファー前のガラステーブルに、コースターと飲み物を置いていってる。
すみません、ありがとうございます、と顔を覗き込むと、びっくりしたみたいに
私の顔を凝視して、それから情けなく眉をハの字に下げてもごもご口ごもった。
かろうじて「いえ…どうぞ」という声だけ聞こえたけれど、何か私やってしまったのかな、
ちょっと警戒するみたいに、その人は後藤の背後に立つようにして下がってしまった。
なんでだろ…?よくわからない。
- 430 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:19
- 「はぁぁぁぁぁぁ」
あ…。
そうこうしているうちに、どうやら映像が終わったみたいで、
社長さんが大きなため息をついたんだ。
そしてそのまま、くるっと回転椅子を回して、振り返った。
わ…。
思わずまた口が驚きで開く。
女社長さんっていうから、もっと年輩の厳しそうな人だと思っていたけれど。
予想に反して、とっても若い。
どう見ても20代前半。
もっと言ってしまえば、後藤さんとさほど変わらない?
ただ、その瞳はすっごく意思の強さを秘めていて、キラリと光っている。
自信の表れみたいに口元がゆるく結ばれて、印象的。
ストレートで長い髪は、堅い雰囲気になりそうなところを上手くカバーして柔らかさを出してる。
一言で言えば…圧巻。
- 431 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:20
- 「あれ?いつのまにいたの、ごっちん」
「今さっき。なんかまっつー集中してたから待ってた」
声を聞いてイメージがまた変わる。
柔らかい。
でも深い。
後藤さんよりキーが低いけど、心地いい。
多分、この人も歌ったらすごく素敵なんだろうな、なんて思ったっけ。
「いやいや、ごめんごめん。ってそっちは?」
「あー、こっちは…」
「もしかして入社希望!? えっ!?アイドル志望!?」
ガタンと椅子を倒してこっちにくる社長…松浦さん。
わたわた、とその椅子を直しに行くスーツの人もそのままに、
がばっ、とガラステーブルに前のめりになって手をついて、思わず私たちは仰け反ってしまう。
でも全然気にしていないのか、じーっと私とりーちゃんの目を見つめて、
いい目をしているわ…、とつぶやくと不適な笑みを浮かべてきて思わずたじろいだ。
- 432 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:20
- 「あなたには輝ける才能があるわ。どう? 少しだけでもやってみない?」
ぐぐぐっとさらに顔を近づけてくる松浦さんは、やっぱりすごくキラキラした目をしている。
それに…なんだろう、私なんかと違って、その存在自体が輝いているみたい。
この世界の人ってみんなこうなのかな、後藤さんもそうだし。
「えっと…」
圧倒的な松浦さんの空気にたじろぎながら、そっと後藤さんに視線を向ける。
気づいた後藤さんは、ちょっとだけ困ったみたいに笑った。
それから私の肩を軽く抱くように手を置いて。
「まっつー。鈴木ちゃん、困ってるから」
「えー?」
「それに、才能だけじゃどうにもなんないっしょ」
「あいたたたー、ごっちんが言うと真実味ありすぎ」
わざとらしく手で頭を押さえながらのけぞる松浦さんはとってもコミカル。
全然堪えてないのが丸わかりだけど、なんだか憎めない。
きっと、それがこの世界でやっていける人の特徴なんじゃないかな。
- 433 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:20
- 「んでー? ごっちんが連れてきたのに、そーゆー意味じゃないなら、どーゆー用件?」
くるりと、器用に片足で回転椅子を回して私から遠ざかりながら、
後藤さんに尋ねる松浦さんは、ちょっとつまんなそう。
「まーまー、そんな腐らないでよ」
「腐りたくもなりますよ。実績ある中で独立したから経営は安定してるけど、
逆になに? 新しい人材っての?そーゆーのないから『貴社にはもっと相応しい
ステージが用意できましたらお願いします』だの『おたくのスタッフなら海外も
狙えますよ』だの、お〜お〜、じゃあ本当に海外進出したら、あんたたちとの
仕事は今の三倍増しの料金にしてやるっての!」
「はいはい」
滑舌完璧の恨み節に、またまたたじろぐ。
すごいな…、私なんてテンパっちゃうと何言ってんのかわからないってよく怒られるのに。
ちゃんと一息で言いきっちゃった。
なんだか、その勢いで頭から湯気が出てそうだけど。
- 434 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:21
- 「ごめんね、まっつーちょっと最近荒れてるの。プライベートが上手くいってないみたいで」
「はぁ…」
ぼそぼそと口元を隠して私に告げる後藤さん。
いつものことなのかな、全然困ってるようには見えなくて。
曖昧にうなずくしかできない。
「…って、あれ!? 待って待って待って! 後ろのあなた!!」
「私、ですか?」
「そう!あなた!!」
ガタン!と大きく椅子を後ろに弾いて、松浦さんは私の後ろに首を伸ばす。
その先にいたりーちゃんは、きょとんとした表情で自分の顔を指差した。
あ、そういえば。
りーちゃんは、りーちゃんのおじいさんは。
「菅谷会長さんのお孫さん!?」
「あ、たぶん、そうだと思います」
さらっと答えたりーちゃんに、松浦さんは絶句しているみたいだった。
よろよろと一度仰け反って…、それから凄い形相でりーちゃんの両肩をつかんだ。
ちょっと、怖い…。
- 435 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:21
- 「あなた、この世界に興味ある?」
さっきのガラステーブル越しの時とは声色が全然違った。
目も真剣で、射るような感覚さえ感じる。
まるでノーとは言わせない、とでも言うような威圧感。
でも。
「いいえ」
ばっさりと、そんな空気を切り裂いて否定するりーちゃん。
私がいうのもなんだけど、りーちゃんも肝が据わってるよね…。
「まったく?」
「まったく」
「そぉ〜んな、ばかなぁ〜!」
今度はコミカルに大きくよろめいて。
「ごっちーん」と指を一度鳴らす松浦さん。
- 436 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:22
- 「へいへい?」なんて返事しながらそばによる後藤さん。
その後藤さんの胸倉を強引に引っ張って。
思わず私は「わっ」なんて身体を震わせてしまった。
でも、後藤さんは全然気にしていないみたいで、なになにー?なんて
ちょっとだけ気だるそうな表情。
「接待コースBで行くよ〜」
「や、だからまっつー、ごとー、そんなつもりでここに連れて来たわけじゃないんだってば」
「じゃあ、こんな逸材を逃がすっての!?」
「それは…。でも、ごとーは、静かな場所で矢島ちゃんの話をしようと…」
え?舞美ちゃん?
後藤さんの呟きに思わず反応する。
そうだ、私たちだって舞美ちゃんのこと聞きたかった。
なんかどんどん脱線してるから忘れてしまいそうになってたけど。
でも、その原因となっている松浦さんは簡単に下がるつもりはないみたいで。
- 437 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:22
- 「はぁ!? 社長命令が聞けないっての?」
「はぁ…、りょーかいー…」
押しの強さで、後藤さんの首を縦に振らせたんだ。
なんてすごい人なんだろう、松浦さんって。
なぜだか逆らえない何かをもっていて。
でも、嫌味にまではなってなくて。
多分、こういう人が、芸能界では生き残っていくんだろうなって妙に納得してしまったかも。
唖然とする私たちに後藤さんは「ごめんね、少し付き合ってあげて。そしたら気が済むから」
なんて申しわけなさそうに言ってきて、ただ「はぁ」と返事して、これまたぼーっとしている
りーちゃんと手をつなぐしかできなかったっけ。
- 438 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:23
-
・
・
・
- 439 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:23
- つれてこられたカラオケルームは、意外とこじんまりとした、どこにでもあるような場所で。
芸能人、という枠組みに入っているにしては普通なんだな、と思ったんだ。
ただ、それを伝えたら松浦さんは「芸能人だって、ただの人間だしー」と
全然気にした様子も無く、入店の手続きをしていたっけ。
確かに。
あんまりそういう世界の人に詳しくはないけれど、
元は一緒なんだし当たり前のことか…。
ただ、通された部屋は大人数が一気に入れるような広いところで、
ちょっとインテリアの素材自体が私の知っている感じとは
全然違うもののような気がする。
ソファーだって、座った瞬間に少し沈むような感じで…少しだけ居心地が悪い。
なんとなく…、細かなところに、VIPな匂いがしてしまったっけ。
- 440 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:23
- 「さ、じゃんじゃん歌うよ。持ち歌OK、ジャンル問わず!」
いいながら、機器を触っているのは松浦さん。
手馴れたように、ポイポイテーブルにマイクやら並べてる。
その手際に良さに、私もりーちゃんも困惑するばかりなんだけど…。
「なーにーなーにー?若いもんは元気に率先して歌う!」
「あ、いえ…でも、あんまり曲とか知らなくて…」
「そんなんじゃダメだよぉ〜? 恋人とかできたらどぉすんのさ!
今でもカラオケって結構王道だよぉ?」
「あ、いえ…あの…」
「よし! じゃーまずアタシ行くから、よぉーく聞いておくように!
いぇ〜、めっっちゃ ほ〜りで〜い!!」
いつの間に曲を入れていたのが、大音量の電子音が鳴り出す。
そして、部屋の明かりも、なんにもしてないのに原色の光があちこちに飛び出した。
まさにステージさながら。
普通の服なのに、キラキラ輝いていて、身体全体から光を放っているみたいだった。
これが…松浦亜弥という人なんだ…。
- 441 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:24
- あまりのライトの眩しさに、わっ、と思って視線をはずしたときに、
めがねをかけたスーツ姿の女の人が入り口の照明ボタンを調整しているのが目に入った。
あぁ、そうか、この人が今部屋のライトの調整をしているのか。
そうだよね、こんな意思をもったみたいに自由にライトが松浦さんにあたるなんて
できすぎてる。
ほんとに誰だろう?
その人は、私と目が合うと軽く会釈して、また松浦さんの動きに合わせて
ライト調整している。
「ごめんね、まっつー結構強引で」
「あ、後藤さん」
「菅谷ちゃんも大丈夫?」
「…はい」
ふわっとした笑みを浮かべて私の隣に腰を下ろしたのは後藤さん。
片手に、甘い香りのするカクテルを持っていて、また大人の雰囲気にたじろぐ。
誤魔化すみたいに、笑って松浦さんへ視線を戻しながら話しかけた。
- 442 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:24
- 「歌手の人たちもカラオケって行くんですね」
まだ人見知り全開のりーちゃんの代わりに話を振る。
慣れればりーちゃんも会話できるけど、結構時間がいるし。
というか、りーちゃんは歌っている松浦さんから視線を向けたままで…、
もしかして、気に入ったのかな、カラオケ。
「歌うの好きだからね」
「あ、なんかわかります」
「そう?」
だって、スクリーン越しでも、ステージで歌う後藤さんは、すごく楽しそうで。
それ以上に、どうやって人に自分を魅せたら格好いいのかを十分わかっていて。
そして、それを余すことなく伝える術も知ってるみたいだった。
「なんか、後藤さん、歌ってるとき凄くキラキラしてましたから」
この人のファンは、きっと夢中でそのパフォーマンスに魅入っているんだろうなって
そんな風に思ったんだ。
指先一本まで神経をめぐらせて、一瞬だって気を抜かない。
相手を楽しませるために、自分も目いっぱい楽しむ。
それって実はとっても凄いことなんじゃないかって思う。
- 443 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:25
- 「キラキラ、かぁ」
「かっこよかったです」
正直な感想を伝えると、ありがと、と へらっと笑いながら後藤さんはカクテルを飲み干した。
そして、やおら首を回して、照明を調整している女の人に振り返ると、そのグラスを差し出したんだ。
気づいたその人は、わたわたと照明から離れて後藤さんのグラスを受け取り、
「同じものでいいですか?」なんて訪ねてる。
やっぱり会社の人なのかな?
「あ、鈴木ちゃんも菅谷ちゃんもなんかいる?お茶でもジュースでも」
「あ、私はいいです」
「私も」
答えれば、後藤さんは女の人に、じゃあそれだけ、と軽く返事をしていて。
女の人も、はい、と部屋を出て行った。
少しだけ近くで顔をみてビン底めがねっていうのかな、表情が読めないレンズの厚さに驚く。
こんなメガネをかけている人って本当にいるんだ…なんて。
でも、ふっくらとした頬が印象的で、全体的に柔らかな雰囲気の人だった。
- 444 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:25
- 「あ、紺野、気になる?アタシのマネージャーなんだけど」
私の背中を追いかけるような視線に気づいたのか、
後藤さんが扉と私を見るように首を回して口を開く。
あぁ、マネージャーさん。
それで後藤さんのグラスとか細かなことに気がつくんだ。
なんというか、少しアンバランスにも感じるけれど。
「優しそうな方ですね」
「優しい、ねぇ。確かに優しすぎるのが欠点だねぇ」
「え?」
オーバーに、ため息をつく後藤さんはどこかつまんなそう。
どうしてですか?と少し首を傾げてみせたら、気づいた後藤さんが
あぁ、うん、なんて歯切れ悪く口ごもって。
「誰にでも優しいから相手が勘違いしちゃう」
「はぁ」
優しいから勘違い。
よく意味がわからない。
- 445 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:26
- 「アタシの気もしらないで…」
「え?」
ぶすっとした表情でつぶやいた最後の言葉は、
松浦さんの大音量の声に掻き消えて、私の耳には届かなかった。
「ううん、なんでもない。それよりどう? 矢島ちゃんとうまくいってる?」
切り替えして聞かれて、一瞬言葉につまる。
どの程度を「うまく」といっているのかはわからない。
でも、昨日のことを考えても、険悪とか疎遠とかではないし…、
そう思って、ただこくこくと頷いた。
「自由でしょ?矢島ちゃん」
「少し」
何を自由の定義とするかはわからないけど、
私から見た舞美ちゃんは、本当に『自由』に見えた。
- 446 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:26
- 「正直だね〜」
「よく言われます」
いいことなのか、そうでないのか…。
なんとなく複雑な笑みを浮かべてしまう。
でも、後藤さんはからっと笑ったまま「褒め言葉だよ?」と顔を覗き込んできて。
どう返していいかわからなかったから、ありがとうございます、とお辞儀一つだけ。
「でも結構不自由も知ってる子だし、なにより真面目だし。付き合ってあげてね」
そうなんだ…?
あ、でも、帰国子女って言ってた。
家庭の事情で、とも。
そう考えれば、私の知りえないところで苦労をしたのかもしれない…。
こくんと頷いて。
ふと浮かんだ疑問。
それを自然とたずねていた。
本当に自然に。
- 447 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:27
- 「あの、後藤さん」
「うんー?」
「歌手ってお仕事…やっぱり好きだから続けられるものですか?」
「んー。簡単なようで難しい質問だね」
「えっ、そうですか…?」
そんなに?
うーん、と腕組をして、音も無く帰ってきた紺野さんが差し出してくカクテルを
手のひらで制して考え込んでしまった。
どうかしました?というように、私に視線を向ける紺野さんに、少しだけ眉をさげて
笑うしかできなかったっけ。
それからしばらく、首をひねっていた後藤さんは、うん、と一度うなずいて
正面から私を見据えて答えてくれたんだ。
「まーごとーの持論だけど、好きでも続けられないことだってあると思うよ?」
好きでも続けられない…。
たぶん、ここらへんが『後藤さん側』と『私側』の違いなんじゃないかと思う。
大雑把に分ければ『大人』と『子供』の違い。
体験したからわかる後藤さんと、体験していないから想像するしかない私の。
- 448 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:27
- 「それは…、どんなときですか?」
聞かずにいられなかった。
好きでも続けられないこと。
そんなことが、あるのかってまだわかってないから。
「まぁ、辞めることを強制されたときとか、いろいろあるかもしれないけど…」
そこで何かを思い出したみたいに「あー」という口をする後藤さん。
それからとても不思議な顔をしたんだ。
なんだろう、苦虫を噛み潰したみたいな、そんな表情で一度目を伏せて。
こみ上げてくる感情を抑えるみたいにため息を大きく一つ、
そして、少しだけ寂しそうに、口を開いたんだ。
「一番は…、やっぱり好きなことや物を、嫌いになりたくないとき、かな」
後藤さんの言葉に、どんな意味が含まれていたのかわからない。
でも、とっても大切なことをいったんだってことは判った。
多分、私にとっては、青天の霹靂のような。
好きなことやものを嫌いになんて、そんなことあるなんて思っても無かったから。
全然理解ができない。
- 449 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:28
- 「嫌いに…なりたくない、とき…」
「好きなものをずっと好きでい続けるってのも、大変ってこと」
つぶやく言葉に後藤さんは、かすかにうなづいて。
紺野さんの手から、グラスをすっと取って一口あおったんだ。
「あのさ」
「はい?」
続けられる言葉に、首を傾げるように聞き返すと、
後藤さんはちょっと考え込むような仕草をして。
「矢島ちゃんに付き合ってあげてって言っといてなんなんだけど」
「?」
「もし…、一緒にいることで辛いことがあったら…迷わず離れてね。
見た感じ、鈴木ちゃんって引っ張られそうだから」
実はこの話がしたくて呼んだんだ、とそこで後藤さんは少し申しわけなさそうに笑った。
意外な言葉だった。
一緒にいることで辛いことがあったら…なんて。
いつもニコニコ笑っていて、ちょっと抜けているところもあったりするけど
すっごく根は真面目な感じの舞美ちゃん。
そんな舞美ちゃんから元気を貰うことはあっても、辛いことなんてあるのかな…?
- 450 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:28
- 「あの、それってどういう…」
「おーい、ごっちーん!モー娘。歌おうぜぇ!」
被さるようにこっちに呼びかけてきたのは松浦さん。
みればいつのまにか、りーちゃんを巻き込んでマイクを振り回してる。
多分、新しいものに触れるのが好きなりーちゃんだし、
カラオケの機能とか、そういうのに興味をもったのかもしれない。
今も、なんか色々モニターのタッチパネルをずっといじってるもん。
「まっつー、もう酔っ払ってんの? しかもモー娘。って仕事敵じゃん」
「古巣の曲だし、いーの!ほら!『青春の光』いくよー」
「しょーがないなぁ。ごめんね、鈴木ちゃん。ま、ゆっくりしてって」
「あ、はい…」
ああなったら止められないんだ、なんて後藤さんは困ったみたいに笑って見せて
ソファーから勢いをつけて立ち上がった。
その背を見つめながら、思い馳せるのはやっぱり舞美ちゃん。
- 451 名前:Virtual image 投稿日:2013/08/12(月) 06:28
- どうしても後藤さんの言葉が気になって。
そうだ、どうして職員室にいたのかも聞きそびれてる。
雰囲気からして、なんとなく難しい話をしていたようにも思える。
聞いていいのかな…。
多分聞けば、後藤さんは答えてくれる気がする。
でも、それが果たしていい選択かどうか。
いってしまえば、舞美ちゃんにとって失礼なことじゃないかな、とか思ったりして。
結局、この日私は3曲の後藤さんの持ち歌なるものを教わって、
何も聞くことなく別れたんだ。
気づけば、妙にハイテンションになってしまっていたりーちゃんを連れて帰るのが大変だったっけ。
- 452 名前:tsukise 投稿日:2013/08/12(月) 06:29
- >>422-451
今回更新はここまでです。
>>421 名無しさん
そうですね、少しずつ矢島さんに言及していきたいかと。
少しペースダウンしそうですが、またお付き合い下されば幸いです。
- 453 名前:名無し 投稿日:2013/08/12(月) 15:59
- 更新お疲れ様です!!
あやちゃんのパワーすごいですね。。。
こんごまもあってニヤニヤしました♪
さすが作者様です!!
次回もお待ちしています!!
- 454 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:21
- 特別な人には3つあると思う。
生まれたときから特別な人。
努力をして特別になった人。
そして…―――特別になることを強いられた人。
私は、そのどれも当てはまらない。
だから見えるんだと思う。
特別な人というのが。
そして――― それがどの特別なのかも。
- 455 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:21
-
・
・
・
- 456 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:21
-
『プログラム1番、私立―― 学院中等部。 ………金賞、ゴールドです』
聞こえた瞬間、私たちは一斉に立ち上がって歓声を上げる。
会場中に響き渡るぐらいの黄色い声。
栞菜なんて、隣のちっさーとその場で跳ね上がって席から転げ落ちそうになってるぐらい。
そんな中、私も隣のりーちゃんの手を取って半泣き状態。
それだけの重い発表を受けたんだ。
私たちが挑んだ地区大会。
前日まで悩みに悩んだソロも、ミスなくこなして審査委員の高評価とともに、
まずは金賞をもぎ取った。
それから…心配した『ダメ金』になることもなく、約二週間後の県大会へと駒を進める。
実は…ここからが正念場なんだ。
この地区を代表する演奏をしなきゃならないのはもちろんだけど…、
一気に審査委員の嗜好も変わっていく。
大本の『中学生らしい演奏』はそう変わらないだろうけど、1つのミスが命取り。
特に…ソリストへの負担は大きく、そのプレッシャーを跳ね返すだけの気持ちを
つけることも要求されるんだ。
私は…、それをちゃんと逃げずに出きるだろうか?
…悩んだところで、その日はやってくる。
ただ、練習を積み重ねていくだけ。
- 457 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:22
-
・
・
・
「70点や」
ぴしゃり、と。
音楽室にもどって全部員が集まった中、稲葉先生が開口一番そう言った。
まだ、金賞を取ったことで、ふわふわしていた私たちは、一気に現実に戻る。
途端に、しんと静まり返った。
そんな私たちの顔を、くるっと見渡した稲葉先生。
その顔の厳しい表情は崩れない。
- 458 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:22
-
「細かいミスは指摘せんでも、各々でわかってるやろ。ただなぁ――」
嫌な予感がした。
久しぶりに感じる感覚。
戦慄が走るっていうのかな。
胸から背中まで、矢が放たれて貫通していくような…。
それが今…―――
「鈴木。アレはあかんわ」
私に放たれた。
ぎりぎりいっぱいまで絞られた矢が、心臓を貫いていくように。
全部持っていかれた。
私の中のものをぜんぶ。
- 459 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:22
-
「―――、――――。――、――――――」
そこからは、稲葉先生が何を言っていたのか判らない。
抜け殻の私が、ただの音になったものを聞いていたんだ。
恐ろしいぐらい鋭い目をした、先生を見つめながら。
良かったなぁって思ったのは…、涙さえこぼれなかったことだけ。
無様にみんなの前で泣き出さなくてよかったなってことだけだった。
なにがダメだったんだろう?
ミスはしなかった。
無駄な抑揚もつけなかった。
田中さんのような深いブレスは、できていたはず。
ちゃんとリズムも正確に取った。
なのに、なんで私は怒られたんだろう?
ねえ、先生…。
私はどう演奏したら、いいんですか…?
- 460 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:23
- ・
・
・
気づけば、りーちゃんが強く私の手を握って目の前に座り込んでいた。
パイプ椅子に座っている私の前に、膝をつくように。
いつからいたのかわからない。
でも、呼びかけることもせずに…私が意識を戻すのを、待ってくれていたんだ。
部員のみんなが帰ってしまったのに。
「…りー…ちゃ」
思いのほか咽喉が渇いていて、咳き込む。
「うん」
でも、気に留めることもなく、いつもの表情のまま待ってくれてる。
言葉を待ってくれてる。
なんだか…そのりーちゃんと、私を隔てるものを恨めしく思ってしまった。
- 461 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:23
-
同い年、同じ木管、同じ息の出し方。
なのに、決定的に違う何かがあった。
聴いていて判る。
りーちゃんの音は、どんどんよくなっていってる。
元来プレッシャーを楽しめるタイプなんだ、りーちゃんは。
自分のクセさえも、相手に納得させるだけの強さを持っていて。
時々見るのが、苦しくなったこともある。
だって私は…。
もがけばもがくだけ悪いほうに進んでいって…。
そう、…私は、私に自信を無くしてしまっていた。
きゅっと握られた手に力を少しこめれば、うん?と顔を傾けてくるりーちゃん。
やさしいな…。
でも、そのやさしさが今は辛いや…。
ぐっと瞼を閉じて、思いのままにりーちゃんに言葉を告げようとした瞬間。
- 462 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:23
- ガタン!
「愛理ー! おめでとー!!」
「やるじゃーん! 金賞!!」
音楽室の扉をおもいっきり開けて、大音量で呼びかけてくる声2つ。
あまりのことに、りーちゃんもそちらを見て口をあけてしまっている。
私も呆然としながら振り返って…――目を見開いてしまった。
なんで…。
どうして…。
「なに、どうしたの二人きりで……って! あっ!!なんかイケナイ時間だった?」
「…なに言ってるんですか、嗣永先輩」
きゅるん、と両腕を胸の前に持ってきて可愛さアピールしているもも先輩に
絶対零度の声で言い放つりーちゃん。
でも、ぜんぜん堪えてない先輩は、じょーだんだよーじょーだんーなんて笑顔。
でも、私の視線はその後ろ。
もも先輩に続いて入ってきた、にこにこ顔の人から離れなかった。
- 463 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:24
- 「舞美…ちゃん…」
「すごいね! 金賞だったんでしょ!次もがんばれ!」
なんで…本当に舞美ちゃんはいつもこんなタイミングで私の前に現れるんだろう?
ごちゃまぜになった気持ちで、なんにも返事できなくてその顔を見つめるしかできない。
「なんか…あった?」
異変に気づいたのか、舞美ちゃんは声のトーンを落として近づいてくる。
眉間を寄せるようにして、笑顔も消して…。
舞美ちゃんのそんな顔は初めて見るかもしれない。
でも…顔が整っている人って、いつだって綺麗なんだな…なんて
どうでもいい事を考えてしまったっけ。
「ううん…大丈夫…。舞美ちゃんは…どうしたの?」
「なんだよ、桃は無視かいっ」
「先輩、黙って」
りーちゃんは、私から離れるともも先輩に歩み寄っていった。
ボソボソと何かをつぶやいているみたいだけど、
今の私には、そこまで気がまわらなくて…ただ、舞美ちゃんを見つめてた。
その舞美ちゃんは、りーちゃんたちをちらっと見た後、
- 464 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:24
- 「うん、愛理に逢いたくて来ちゃった」
そんな言葉を告げたんだ。
私に、逢いに。
それは…私という存在を許してくれているようで。
俯いた瞬間に、ずっとこらえていた涙がこぼれたんだ。
「愛理…っ? えっ、どうしたのっ」
「なんでもな…」
どうしよう、止まらない。
あれだけ練習したのに、認めてもらえなかった。
どこをどうとか、もう判らないのに。
田中さんのブレスを頑張った。
ミスのないよう注意した。
それでも、まだダメなんだ…。
泣き崩れる私に、舞美ちゃんは背を撫でてくれながら…誰かと何かを話している。
もしかしたら、りーちゃんかもしれないし、もも先輩かもしれない。
でも嗚咽の向こう側にある音は、届かなかったんだ。
- 465 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/04(水) 14:24
- ただ。
「愛理。明日の午後、部活終わったら一緒に出かけよっか?」
そんな突飛な言葉に、ぱっと顔を上げた。
ぐしゃぐしゃになってしまった顔で、情けないことこの上ないけど、
舞美ちゃんは優しく自分のハンドタオルをポケットから取り出して頬を拭ってくれて。
あのいつもの笑顔で、もう一度言ったんだ。
「部活、午前中だけなんでしょ? だったら、あたしと出かけよう」
もう、なんか、頷くしかできなかったっけ。
ただ…帰り道で、りーちゃんは呪文のように私に話してくれてた。
「愛理、うまくなったんだよ? 本当にうまくなったんだからね」と。
後になって思えば…、練習のおかげで伸びたから…また先生は伸ばそうと思って
怒ってくれてたんだってことだったんだけど…。
さすがに今の私には…誰かの優しさにすがりつくことしかできないぐらい
凹んでしまっていたんだ。
- 466 名前:tsukise 投稿日:2013/09/04(水) 14:27
- >>454-465
今回更新はここまでです。
寄り道してばかりでしたが、本腰入れたいです(何
>>453 名無しさん
このパワーこそ松浦亜弥って感じですよねw
こんごまは趣味で申し訳ないですw
ご感想、励みになります、ありがとうございます。
- 467 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:30
-
「「「ありがとうございましたー!」」」
大会翌日ということもあって、午前中だけで終わった部活。
先生に一礼して、全員が楽器を片付け始めた。
幸いなことに今日の合奏で怒られることはなくって、私は心底ほっとしていた。
昨日自宅に帰って晩御飯もとりあえず、防音室に篭って遅くまで練習したし、
何度も何度も自分の音を録音しては聴き返したりしたから。
先生の求める音じゃなかったかもしれないけど、流してくれるぐらいの音に
なっていたのかな…。
ぜんぶ希望的観測だけど…。
「愛理」
ぼーっとしていた所を呼ばれて、顔を上げればリードをケースにしまいながら
こっちに楽器ごと歩いてくる りーちゃん。
その目は、いつもよりとっても優しい。
- 468 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:30
- 「今日、すっごく良かった」
「え…っ、本当?」
「うん。不思議な吹き方だったけど、メランコリー…って感じで」
「めらんこりぃ?」
軽く頭を斜めにもたげて、メランコリーなんていうりーちゃんに、
私も同じように頭をもたげて、めらんこりーなんていってみる。
なんだ、この図。
おもわず、ぶっと二人で噴出せば「辞書引いて」と手をヒラヒラするりーちゃん。
うん、そうする。
「今日はどうするの? やっぱ自主練してくの?」
「あ、ううん、今日は」
言いかけたそのとき。
「あいりー!」
わわっ。
音楽室の扉を、ばたんと大きく開けて大音量の呼び声。
おもわず、びくんと身体を跳ねさせて、そっちを見れば…
- 469 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:31
- 「舞美ちゃん」
集まる視線にマズかったと思ったのか、目を細めてごめん、と謝ってくる。
しょうがないなぁ…、って思いながらも頬が緩むのを抑えられない。
だって、本当に舞美ちゃんは今日来てくれたから。
昨日の約束を守るために、ちゃんと来てくれた。
「舞美ちゃん…、本当に来たんだ」
びっくりしたのは、りーちゃん。
あ、そっか、りーちゃんも昨日一緒にいたもんね。
「なぁ〜にぃ〜、来ちゃダメみたいな梨沙子の言い方ぁ〜」
「もも先輩」
ひょっこり舞美ちゃんの後ろから顔を出したのは、もも先輩。
ぎゅっと、舞美ちゃんの腰に抱きつくようにしてふたりして少しよろめいてる。
本当に仲良しさんなんだなぁ二人は。
性格とか、正反対に見えるのに…なんて言ったら怒られるかな。
- 470 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:31
- 「べつに…1日ぐらいならいいんじゃないですか?」
「あは、梨沙子がスネた〜」
「先輩うるさいです」
ぶすっと言い放つりーちゃんに、もも先輩は ぴょんぴょん跳ねて近づくと
その頬をツンツン指先でつついてきた。
仏頂面のりーちゃんは、ますます仏頂面。
でも、そんな顔しても可愛いだけなんだよね、りーちゃんって。
「今日さ、うちの近所でちょっとした祭があるんだ。だから行ってみない?」
みんなを気にして、そっと耳打ちしてくる舞美ちゃんに、ぱっと振り返る。
いつもは大きくハッキリとした目が、今はにこにこ笑顔ですごく細くなってる。
満面の笑みってこういうことを言うんじゃないかな。
楽しいことを全身で表す素直さがそこにあったんだ。
「うん、行きたい」
無意識に返事を返すけど、舞美ちゃんはさらに嬉しそうに目を細めて
やった、と小さく手を合わせた。
可愛いなぁと思う。
こんな人、今時珍しいもん。
- 471 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:31
- 「じゃ、一緒に帰ろう。電車と自転車を乗り継ぐけど大丈夫?」
「あ、うん」
そういえば、舞美ちゃんの家はちょっと遠いって
この間清水先輩と話してて聞いたっけ。
大丈夫かな…。
急に不安になる。
初めてのことに物怖じしてしまうのは私の悪い癖なんだけど、
知らない場所に行くというだけで、ちょっと腰が引けて。
「あたしも電車で舞美の駅まで行くし、あいりん、大丈夫だよ?」
「もも先輩」
ほら、この本 図書館に返すんだ、なんて、もも先輩に似合わないぐらい
分厚い参考書を持ち上げてみせてくれる。
- 472 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:32
-
なんだか…みんなに助けられてるなぁ…って思う。
きっと本の返却なんて今日じゃなくても大丈夫なはず。
でも、付き合いの長いもも先輩のことだから、私のことを気にしてくれて
こんなこと言ってくれてるんだ。
「ありがとうございます」
差し出された厚意を無碍にするほど私は子供じゃない。
心の中で本当に感謝しながら頭を下げる。
気にしないでよー、なんていいながら、またきゅるんっとアイドルみたいに
笑うもも先輩は、間違いなく気持ち悪かったけど。
- 473 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:32
-
・
・
・
- 474 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:32
- 「それじゃ、ももはここでバイバイだ」
電車に乗って、駅についてすぐ。
舞美ちゃんが引いてきた自転車の後ろに腰掛けていると、もも先輩が
くしゃっと私の頭を撫でてきた。
おまけに、スカートが翻るギリギリで身体をくるんと回転させて。
感謝してます、と頭を下げれば「やぁだー、もう、いいっていいって」とまた笑顔。
なんでもないように、優しさを差し出せる人って本当にすごいと思う。
ともすれば嫌味にだってなりかねないのに、もも先輩にはぜんぜんなくって。
少しだけ、見方が変わったかも。
「じゃ、愛理もらってくね!」
「おー、気をつけてねー。あ、くれぐれも愛理を落っことさないでよっ!」
「任せて!」
「その自信が怖いんだって、舞美の場合は」
えへへ そっかな 気をつける、なんてやっぱり目を細めて笑う舞美ちゃんは楽しそう。
水を得た魚って、こんなだよね…と、思いながら きゅっとサドルの後ろにつかまる。
ちょっと涙目になってしまうのは、初体験なんだから、しょうがない。
大体自転車自体、あんまり乗ったりしないのに人の後ろに乗るなんて…。
- 475 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:32
- 大丈夫かなぁ。
舞美ちゃんは運動神経が抜群だけど、私は絵に描いたような文化部員なんだ。
ぎゅんっ、なんて飛ばされたら、ばびゅんっ、なんて一瞬で飛ばされちゃいそうなのに。
擬音語たくさんでアレだけど、それだけ私はテンパってた。
「じゃね、桃」
「ばっははーい」
駅まで一緒に付き添ってくれたもも先輩に、最後にもう一度ぺこんと頭を下げる。
まるで小動物に向けるみたいな目で、私を見ていたのが印象的だったっけ。
そう、基本、もも先輩は優しい。
いつもはそんな風に見えないけど、さりげない気遣いが上手で。
気分を持ち上げてくれるのがうまいんだと思う。
今日の私には、すごくありがたかったな。
舞美ちゃんがまっすぐ励ましてくれるなら、もも先輩は1クッション置く感じで。
流れていく景色の中、少しだけ周りの優しさに胸が温かくなった気がした。
- 476 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:33
- ・
・
・
「今更だけど…っ、自転車の二人乗りはっ、ダメなんじゃなかったっけ!」
乱れる前髪を押さえながら、舞美ちゃんに呼びかける。
それでも舞美ちゃんは気にした様子もなくって、へらっと笑った。
「だいじょーぶ! この道、誰も知らない道だからー!」
その言葉の最後に、「あ、こんにちはー!」なんて、すれ違うおばあさんに
笑顔で声をかける舞美ちゃんにさらに不安があおられる。
誰でも知ってる道なんじゃ…。
でも、小さくなっていくおばあさんが「元気ねー、気をつけるんだよー」なんて
呼びかけてるのを見ると、きっとこんな風にここを通ったのは初めてじゃないんだ。
だからきっと、要領もわかっていて…。
なんていうか、しょうがないなぁって思う。
舞美ちゃんだもん。
その一言で許せてしまうのが悔しいけど。
- 477 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:33
- 「あ、ここから少し下り坂ー!ちゃんと掴まっててー!」
「あ、うん!」
とは言ったものの、いったいどこに掴まればいいんだろう。
サドルの端を持ってるだけでは不安だから声をかけてきたんだろうし。
ど、どこを…。
「愛理、ここ!」
「わっ!」
戸惑っている私に、舞美ちゃんは少し強引に腕をとって自分の腰に回した。
自然と引っ張られる形になって、もう片方の手も舞美ちゃんの腰に。
「わっわっ」
ちょうどしがみつくみたいになって、戸惑う。
でも、舞美ちゃんは、またへらっと笑って。
- 478 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:33
- 「よしっ、行くよー!」
ぐん、と右足を大きく踏み出して加速したんだ。
なんて、無謀。
下り坂なのに。
でも遅い。
もう自転車の前輪は、走り出してる。
「ひゃっ! わわわっ!」
「大丈夫だってー!」
でも、だって。
まるでジェットコースター。
ちょっとした浮遊感のあと、一気に重力の負荷を全身で受けて。
あまりのスピードに目をつぶって、回した腕に力をこめた。
自然と舞美ちゃんの背中に顔をうずめる形になって息を飲んだっけ。
- 479 名前:Cloudy 投稿日:2013/09/06(金) 16:33
- おろしたてのシャツのような、おひさまの匂い。
それに、ほんの少し汗を含んだ、それでもサラっとした漆黒の髪が頬をくすぐって。
鼻を掠めるのは、そのシャンプーの香り。
目を閉じているから、逆に感覚が鋭くなって、舞美ちゃんのすべてに反応してしまう。
舞美ちゃんのぜんぶを感じて、たまらなくなる。
わーって声を上げたい気持ち。
それでも耳に届いたのは、どくん、どくんと強く脈打つ心臓の鼓動と、
楽しそうに笑う舞美ちゃんの空気だけだった。
- 480 名前:tsukise 投稿日:2013/09/06(金) 16:34
- >>467-479
今回更新はここまでです。
二人乗りは犯ざ(ry)げふんげふんっ。
- 481 名前:名無し 投稿日:2013/09/12(木) 15:50
- 更新お疲れ様です。
自転車こぎだす瞬間とか、ぎゅんと踏み出す感じが舞美らしくて笑顔になりました♪
愛理が元気になるよう祈りつつ次回更新も待ってます。
- 482 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:36
-
頬を照らすのは、橙色の提灯。
耳に届くのは、キャッキャと上がる子供の声と太鼓の音。
そして…手には、あたたかいぬくもり。
そっと隣を見上げれば、繋いでくれてる手の主は、
すぐに気づいて無邪気な笑顔を惜しげもなくくれる。
夏祭りって、それだけでとても特別な雰囲気。
まだ時間は早くって空は明るいけれど、私にとって今年初めてのお祭りだし
思っていたよりも、すごく大きなところでもう満足しちゃってたんだ。
「うわー…」
「あっちがステージで、いろんな民謡とかダンスとか出し物してて、
子供用のトランポリンがあっち。で、周りは全部屋台だよ?30はあるかな。」
「すごくおっきいね」
「うん、あたしも去年初めて来て驚いた」
目を細めてニコニコ笑う舞美ちゃんに、私も口元が緩んで。
くるっと会場を見渡して、はやる胸をちょっと手で押さえた。
なんだか、いいのかなって思っちゃうんだ。
こんなに幸せで。
辛いこと、いっぱいあったのに、今こんなに楽しくっていいのかなって。
- 483 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:36
- 「ほら、愛理っ。あそこ たこ焼きあるよ?行ってみない?」
「あ、うん」
でも、こうやって手を引っ張ってくれる舞美ちゃんに、
なんだかすべてを許されてる気がして、今はいろんな事を忘れようって思うんだ。
きっと私には休息が必要なんだ。
今は、それができない大切な時期ってわかってるけど。
でも、だからこそ…このほんのひと時…舞美ちゃんといるときだけでも
ソリストの鈴木愛理じゃなくって、ただの中学生の鈴木愛理に戻っていいんじゃないかなって。
順番に並んで、出来立てのたこ焼きを1つ受け取った私たちは
人ごみから少し離れた場所で立ち止まり、手の中で容器の蓋を開いた。
同時に軽く「おぉ〜」なんていうのはお約束ってやつかな。
「おっきいね、ここのたこ焼き」
「ほんとだぁ」
「愛理、食べ物のことになると幸せそうな顔するね」
ふふっと笑う舞美ちゃんに、私もふにゃっと笑って応える。
だって本当に幸せな気持ちになるんだからしょうがない。
- 484 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:37
- 「なんか、あたしまで幸せな気持ちになるなぁ」
「なっちゃってよぉ」
「あははっ」
祭りの魔力かな。
いつもは、いえないような言葉もポンポン浮かんでくる。
りーちゃんにいつも言ってるみたいに。
「はい、どうぞ?」
「いいの?」
「うん。これ一番大きいし、食べな?」
「わぁい」
立ったまんまで行儀悪いけど、舞美ちゃんが割り箸で差し出してくれてる
目の前のたこ焼きから、もう目が離せない。
鼻をくすぐるのは香ばしいソースに、かつおぶしの匂い。
湯気が立ってて熱いのは判ってるけど、ここは思い切って食べるもんだよね。
たまらなくなって、お箸を受け取ると、おっきく口を開いて一口でぱくついた。
- 485 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:37
- 「わっ、一口? 熱っついよ?」
「はふっ、はふっ、あっふぃけど、お、おいひぃ…っ、あふっ!」
「あははっ、愛理って本当に食いしん坊さんなんだなぁ。ほら、お水」
器用に片手で自分のスポーツバッグからペットボトルを取り出す舞美ちゃん。
その差し出されたミネラルウォーターを、わたわたと受け取って喉に流し込んだ。
ごくっ、ごくっ、と大きな音を立てて飲み干す私を、舞美ちゃんはやっぱり
にこにこしたまま見つめていたっけ。
「ふあっ、ありがとう舞美ちゃん…」
「ううん、いいよ。でも、半分に切って食べるほうがいいね」
「うぅ…外はパリパリの中がトロ〜で美味しいんだけどね」
「今、のどを火傷なんてしたら大変じゃん、愛理」
「あ、それもそうだね…」
全然考えてなかった。
でも逆に、舞美ちゃんは何にも考えてないようで…
実はいろいろ考えてくれてるんだなって…思ったっけ。
- 486 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:37
- 私…舞美ちゃんのこと、まだよく知らないんだな。
高等部の先輩で、素敵な写真を撮る人で。
優しくって、綺麗で、雰囲気がとってもあたたかくって…、
笑顔がとっても幸せそうな人で…って。
そうだ…本当に私、舞美ちゃんの表面しか知らない。
そっと見れば、伏せた睫毛が明かりに照らされていて本当に綺麗。
後藤さんに似て…彫刻のような横顔。
その瞳は穏やかで…目が離せなくなる不思議な色。
そんな舞美ちゃんの胸の内は…いったいどんななんだろう?
いつも何を考えてる?
どんなことに喜んだり、悲しんだりするの?
好きなものは? 嫌いなものは?
あなたのこと――― もっと知りたいな。
- 487 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:37
- 「はい、愛理」
「えっ?」
意識を飛ばしていたからかな、ぱっと現実に戻ったのは
やっぱりにこにこ顔で呼びかけてくる舞美ちゃんの声だった。
一緒にお箸で挟んで差し出されたのは、半分に切られたたこ焼き。
あ、まだ熱いかな、なんて、ふぅふぅと息を吹きかけて、それからもう一度。
えっと、それは、あの。
「ほら、あーん」
やっぱり?
なんにも思ってないのかな?こういうの。
それとも私が意識しすぎちゃってる?
「あ、あーん」
「ほい」
意を決して口をあけると、そっとたこ焼きを押し込んでくる舞美ちゃん。
慎重に、落とさないように。
入ってしまえば、やっぱり広がるふわっとした食感とクセになる味に
笑顔がこぼれる。
こればっかりはしょうがない。食べ物マジックだ。
- 488 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:38
- 「おいひぃ〜」
「そっかそっか。良かった」
ペロ、と。
無意識だったんだと思う。
でも、確かに舞美ちゃんは、今私にたこ焼きを届けたお箸を
ちろっと出した舌で舐め取ったんだ。
少しだけついていた かつおぶしを掬うように。
それはいわゆる、間接キスで―――。
「うん? どうかした?」
「な、なんでもないっ、なんでもないよっ」
「へんなの」
あはは、と笑う舞美ちゃんにポカンとしてしまう。
それから、へんなのはあなたです、と喉元まで出た言葉は飲み込んだ。
確かに女の子同士だし、全然気にするようなことじゃないかもしれない。
ちっさーや舞ちゃんとだって何度かこういうことあった。
でも、舞美ちゃんは…、先輩で、友達なんかじゃなくって、
あぁ、なんていったらいいんだろう、
こう、言い表せられない気持ちがあったんだ。
やっぱり、意識しすぎなのかな、私が。
- 489 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:38
- 「ね、たこ焼き食べたら、かき氷食べようよ」
「えっ、熱いの食べて冷たいの食べるの?舞美ちゃん大丈夫?」
「あ、今ちょっと子ども扱いしたでしょ愛理」
「そんなことないけど、お腹の中でケンカしちゃうよ?」
「うーん、それもそっか」
なんだかおかしいな、舞美ちゃんって。
さっきの舌を出してた姿は、どきっとするほど大人な顔をしてたのに、
今は、ちっちゃな子供みたい。
そのギャップが本当に楽しい。
新しい舞美ちゃんが見つけられて嬉しい。
こうやって、どんどん知っていきたいな、あなたのこと。
私のことを、なぜか私より知っているあなたに、
なにか私もしてあげたいって思うから。
- 490 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/15(火) 23:38
- 「じゃあ、スーパーボールすくいやろう?」
「私、得意じゃないよ?」
「いーのいーの。こういうのは、その場の雰囲気を楽しんだ者勝ちってやつなの」
「そうなのかなぁ」
「そ。ほら、だからたこ焼きをまず片しちゃお?」
「うんっ」
あ、また。
食べ物が目の前にくると反応しちゃう私に、舞美ちゃんはくすりと笑って。
ちょっとだけ、子ども扱いされて悔しくなる。
自分だってまだ子供なのに。
でも、そんな気持ちなんて、また小さく切って差し出されるたこ焼きを前にしたら
シュワシュワっとサイダーの泡みたいに消えちゃうんだ。
それでもきっと、今日のこのお祭りは、ずっとずっと忘れられない夏の思い出として
私の中に深く残っていくんだろうなって…大きく口を開けて、たこ焼きを待ちながら
そっと思ったんだ。
- 491 名前:tsukise 投稿日:2013/10/15(火) 23:39
- >>482-490
今回更新はここまでです。
>>481 名無しさん
矢島さんって結構擬音語が似合いそうな感じなんですよねw
鈴木さんとの距離を縮めていく姿って書いていて楽しいです♪
ご感想ありがとうございます、こちらもまたお付き合いくだされば幸いです♪
- 492 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/16(水) 00:09
- 更新ありがとうございます
たこやきはふはふ食べる15歳の愛理とかやばいですね
縁日のゲームを楽しむやじーとか情景が浮かびすぎてステキです
- 493 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/16(水) 22:24
- 「「「ありがとうございましたー!」」」
陽は傾き始め、夏の暑さも息を潜める頃、やっと部活の時間が終わる。
時計を確認すれば、きっちり6時。
朝からずっと音楽室にいたから、解放感がすごいかも。
うーん、と一度伸びをして立ち上がれば、ちょっとした立ちくらみを感じて
額を押さえてしまったっけ。
でも、その手の隙間から見えた顔に、一気に目が覚めるような気持ちになる。
「愛理」
いつものように、真っ白なシャツにタイを緩めた舞美ちゃんだ。
今日は、もも先輩はいないみたいで、入り口からひらひらと手を振って笑ってる。
その額には、うっすらと汗をかいていて、舞美ちゃんらしくて頬が緩んできた。
あぁ、なんか癒されるなぁ。
今日も合奏でソロを注意されたけど、昨日気分転換したからか全然堪えなかった。
というか、ぼんやり舞美ちゃんの顔が脳裏に浮かんで、ずっと集中しきれなかったかも。
ダメだなぁって思うけど、しょうがない。
あれだけ昨日楽しかったんだもん。
- 494 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/16(水) 22:24
- 昨日の今の時間は、ちょうど別れる駅の前にいた。
道とか全然わからない私を舞美ちゃんが送ってくれたんだけど、
その間も会話が途切れることとかなくって、すごく楽しかった。
愛理、本当に学年主席だったんだね、すごいね、とか。
ふんわりしてるから、一緒にいると癒されるなぁ、とか。
なんか楽しすぎて、ばいばいするの寂しいなー、とか。
くるくる表情を変えて話してくれる舞美ちゃんは、すごく女の子で。
こんな風に一緒に遊んだりする友達がいなかったから、
私も、さよならするのが、ちょっと寂しかったっけ。
りーちゃんとは帰り道が全然違って、学校以外で会ったのも数回で
それもテスト勉強のために、ほぼ無言で喫茶店に篭ったぐらいだし。
ちっさーや舞ちゃんとカラオケに一度行ったことはあったけど、
そのときは二人のマシンガントークに、相槌を打つぐらいしかできなかったしなぁ。
舞美ちゃんが初めてだよ、ちゃんと私の話を聞いてくれた家族以外の人は。
だから残念。もっとおしゃべりしたかった。
それをそのまま伝えたら、
『よしっ、じゃー明日また部活が終わったら遊ぼうよ!いいとこ教えてあげる』
なんて言ってくれて。
その切り替えの早さに驚きながらも、嬉しさを隠せずに
笑顔で頷いている自分がいたんだ。
- 495 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/16(水) 22:24
- そして今。
約束を忘れずに、ここにこうやって来てくれたんだ。
夏休みなのに、わざわざ制服を着てくれて…。
「舞美ちゃん、来てくれたんだ」
「うん、あたし約束は守る方だよ?」
へへっと笑って目を細める舞美ちゃんに、私もふにゃっと笑いかけて…。
「愛理」
うわっ。
りーちゃん。
舞美ちゃんと私の間に割り込むように、
にゅっと顔を出してきたりーちゃんに仰け反った。
あまりに突然で心臓がばくばくしちゃってる。
だって、その表情は能面みたいに無表情で…
どこか私を責めるように目だけが、ぎろりと私をとらえていたから。
- 496 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/16(水) 22:25
- 「な、なに? りーちゃん」
「……………。なんでもない」
なんでもないっていうには、すごく間があったよ、りーちゃん。
それに、むぐむぐと唇が動いていて、もどかしい。
「話、あるなら聞くよ? なに?言ってほしいな」
「……………。ううん、明日も練習がんばろう」
「え? あ、うん」
それだけ言って、りーちゃんは楽器とケースを持って行ってしまった。
歯切れが悪いなぁ…。
いつものりーちゃんだったら、ちゃんと言ってくれるのに。
どこか調子が悪いとか…?
でも、お昼のお弁当も完食してたし、合奏でのソロも私と違って完璧だった。
相談事とか、あったのかな…?うーん…。
「なんか、悪いことしちゃったかな」
「えっ?」
むむむ、と考え込んだ私に、舞美ちゃんは困ったみたいな笑顔。
その視線は、りーちゃんの背に向けられていて。
私はますます首をかしげる。
- 497 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/16(水) 22:25
- 「梨沙子、愛理の親友なんでしょ?」
「うん」
「心配、してくれてるんじゃないかな」
「心配? なんの?」
言った途端、舞美ちゃんは不思議な顔をした。
どこかを痛めた時にするように、眉を寄せて目も細めて。
ともすれば、それはどこか私をもどかしく見つめているみたいで…。
でも、小さく息を吐いて、瞬きを一度すると、ゆっくり口元を緩めてみせたんだ。
それが…なんともいえない顔だった。
でも、それも一瞬。
「梨沙子ーっ、愛理、借りてくねーっ?」
大きく、りーちゃんの背に向かって舞美ちゃんは声をかけたんだ。
聞えたりーちゃんは、一瞬びくりと身体を震わせ、
それでも背を向けたまま、右手をひらひら上げてきた。
「どうぞ」なんて声が聞えてきそう。
- 498 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/16(水) 22:25
- 「ありがとーっ」
なにが起こっているのかよくわからない。
どうして舞美ちゃんがりーちゃんに声をかけたのか。
それに対してりーちゃんの反応も。
最後のお礼も。
ただ、オロオロする私の頭を、ぽんと撫でてくれる舞美ちゃんは
今までで一番やさしい笑顔を向けてくれていたっけ。
いいんだよ、っていうみたいに。
ぜんぜん、よくなかったのに。
- 499 名前:tsukise 投稿日:2013/10/16(水) 22:26
- >>493-498
今回更新はここまでです。
>>492 名無し飼育さん
15歳の鈴木さんは、まだなにもかもがあどけなさ残る時期で、
でも、うまくいかない現実の入口に入りかけてたころですよね(ニガ
作中ではふにゃにふゃさんで矢島さんと縁日駆け回って楽しくしてますが、
どうぞ、今後の二人も見守ってあげたくだされば幸いです♪
- 500 名前:名無し 投稿日:2013/10/17(木) 20:50
- 更新毎日楽しみです!
月瀬さんのやじすず大好きです☆
これからも楽しみに待っています
- 501 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:57
- 時間も時間だし、そんな遠くには行かないだろうなって思っていたけれど、
舞美ちゃんが連れてきてくれたのは、学校からバスで3つ離れた場所にある天文台だった。
こんなまだ明るい時間に?って訪ねたら、舞美ちゃんは「ふふん」と一度不敵に笑って。
こっちだよ、と私の手を取って前を歩き出した。
幾分背の高いその背中が楽しそうに揺れてる。
なんだろう?
なにを私に見せてくれるんだろう?
予想もつかない。
でも、きっと素敵なこと。
舞美ちゃんの世界のひとかけらだ。
そのことに、少しだけ胸が鳴った気がした。
- 502 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:57
- 「ほら、あそこ」
「あれは…」
ドーム型の屋根で、建物自体が少し丸くなっていて。
入り口には、星の看板…。
あれってもしかして…。
「プラネタリウム?」
「そう。今日のこの時間がラストなんだ」
「へぇ…、すごい。私初めてだ」
「うそ、ほんとに? だったらすっごい楽しいよ?」
弾んだ声に、私の胸も期待で膨らむ。
だって、舞美ちゃんがすごいって言うんだもん。
きっと、本当にすごいんだ。
行くよ?と手を取る舞美ちゃんに笑顔で応える。
その横顔が颯爽としていて、とっても綺麗で…改めて見惚れた。
- 503 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:57
- まだ17歳。
きっと、もっとこれから綺麗になる。
あどけなさが残る頬だって、まだ柔らかさが強調された身体だって
どんどん磨かれて、輝いていくと思う。
その未来が、容易に浮かんだんだ。
でも、その胸の奥にある信念は失わない人なんじゃないかな。
だから…惹かれた。
あの突き抜けるような空を、そのままあらわしたような人だったから。
一点の曇りもない、そんな人だったから。
「うん? なに?」
「ううん、なんでもない」
なんの含みもない笑顔を向けられて、私も笑って応えた。
へんなの、なんてまた目を細めて笑う姿は、やっぱり綺麗で、
そんな人を今独占できている優越感に押されて、ただただ
握った手に力をこめたっけ。
- 504 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:57
-
・
・
・
- 505 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:58
- 視界いっぱいに広がったのは眩いばかりの星屑。
右も左も、上も下も…180°ぜんぶを埋め尽くしてて、自分の存在さえ霞んじゃう。
ぐぅん、と廻る世界に瞬きさえもできなくて、私はただただ輝く天体を見つめてた。
音楽と一緒に流れるナレーションは小学生でもわかる言葉ばかりで、
それだけがちょっと残念だったけど、初めての私には何もかもが新鮮で。
ひとつひとつの輝きを追いかけるだけで、胸がいっぱいになってたんだ。
『――― 夏の大三角と呼ばれるものが――』
あぁ、そういうの、理科で習ったなぁ…なんてボンヤリしていると、
突然隣にいた舞美ちゃんが私の方へと体重をかけてきた。
いきなりのことで、えっ、と動揺するけど…、
「ねぇ、ベガとアルタイルって本当に天の川を挟んでるんだね」
舞美ちゃんは、こそこそっと子供みたいな無邪気な声を耳元に届けてきたんだ。
- 506 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:58
- えっと、ベガとアルタイルっていうと…
「織姫と彦星?」
「うん。ちゃんと見えないじゃん?この街の空じゃ」
確かに。
この街はお世辞にも空気がいいとは言えないから。
こんな宝石を散りばめたような輝きは私たちには届かない。
「なんかさ、一年に一度しか会えないって言うけど…寂しくないのかなって
小さい頃ずっと思ってたんだ、あたし」
舞美ちゃんらしい。
そんな幼い舞美ちゃんを想像すると、すごく可愛くって、
横顔を見つめて、ふふっと笑ってしまった。
- 507 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:58
- 「あ、笑わないでよぉ、昔の話なんだから」
「ごめん、でも可愛いなって思っちゃって」
素直にそう言ったら、舞美ちゃんは喉を詰めたみたいな変な声を一度出して。
暗闇の中でも判るぐらい、キョドって見せたんだ。
そして、
「こら、年上をからかわないの」
そんな風に言いながら、私の手の平を軽く叩いてそのまま指を繋いできたんだ。
今度は私が動揺する番。
だって、ほら…、絡まった指は、いわゆる恋人つなぎってやつで。
熱いぐらいの舞美ちゃんの手のひらのぬくもりを、私に送り込んでるんだもん。
きっと他意なんてない。
でも、ちょっとテレたみたいな笑顔が、拗ねたような唇が、
私の胸を疼かせて…、もう星空になんて集中できなくなっちゃったんだ。
- 508 名前:Cloudy 投稿日:2013/10/17(木) 20:58
- あぁ…なんだか…。
私、ダメかもしれない。
舞美ちゃんに…ぜんぶ持っていかれる。
この感情の名前には、気づかないフリをした。
そうでもしないと…私は私でいられなくなる気がしたから。
栞菜と話していたときに広がった不安のように。
そう…のめり込んでしまう私は、
新しいこの感情を意識してしまった瞬間、
まるでイカロスのように堕ちていってしまうんじゃないかって。
それこそ…舞美ちゃんを巻き込んで。
それだけはしてはいけない。
しちゃいけないんだ。
だから…気づいちゃいけない。
認めちゃいけないものなんだ、これは…。
そう確かに思うのに…、心臓の音だけは正直に音を立てていたっけ。
- 509 名前:tsukise 投稿日:2013/10/17(木) 20:59
- >>501-508
今回更新はここまでです。
>>500 名無しさん
ありがとうございます♪そう言っていただけると励みになります♪
結構スローテンポで進んでいく二人の関係ではございますが、
どうぞ、チ、チラ見でお付き合いくだされば幸いでございますw
- 510 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/18(金) 13:00
- 更新ありがとうございます
今回のはちょっとドキドキ
- 511 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/18(金) 13:00
- 更新ありがとうございます
今回のはちょっとドキドキ
- 512 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/18(金) 13:01
- 更新ありがとうございます
今回のはちょっとドキドキ
- 513 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/18(金) 13:03
- 3回もドキドキスレよごし申し訳ありませんorz
- 514 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:01
- 部活の後は毎日めいっぱい遊んで。
優しい眼差しに見つめられて。
胸に圧し掛かっていたものを、少しずつ私は忘れていった。
それはとっても心地よくって、解放された気持ちになって。
等身大の私を曝け出したんだ。
でも…、忘れちゃいけないこともあるっとことさえ…、私は見失っていったんだ。
すべてを…舞美ちゃんに任せっぱなしにして。
- 515 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:01
- ・
・
・
- 516 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:01
- 「わっわっわっ」
「大丈夫だって。愛理、なかなか慣れないね」
「だって、わわっ」
満面の笑顔で自転車のペダルを漕ぐ舞美ちゃんに、
私はやっぱり腰にしがみついて、情けない声を出していた。
だって、私は本当に運動ができる方ではなくって、
振り落とされないようにするだけで精一杯なんだもん。
それに、舞美ちゃんは気をつけてくれてはいるけれど、
突然、びゅんと風を切って速度をあげたり、
前を見ることも忘れて私に話しかけたり、正直あぶなっかしい。
- 517 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:02
- 一緒にいる時間が増えて気づく舞美ちゃんの姿に、
最初こそ嬉しかったりしたけど、知れば知るほどこの人は困った人で。
突然のアクシデントには弱くって、すぐテンパっちゃったり。
勘違いとか、そういうのが多くてテレたみたいに笑ってごまかしたり。
いちいちやることはカッコいいのに、どこか抜けてて可愛かったり。
よく、ここまでまっすぐに育ったなぁ…なんて心配しちゃうんだ。
「舞美ちゃんのご両親は素敵な人なんだろうね」
「えっ?」
流れる景色の中、ぽつりと呟いてみれば、
首を回して聞き返してくる舞美ちゃん。
わっわっ、危ないよ、前見て!と続けて言えば、
ごめんごめん、なんて軽い言葉。
- 518 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:03
- 「舞美ちゃんのお父さんとお母さんってどんな人?」
何気なく聞いたんだ。
ちょっとだけ興味が沸いて。
きっと舞美ちゃんのことだから、テレたみたいに自慢するんだろうなって思って。
でも―――。
「そうだなー、すごい人だったよー」
その声からは、なんにも感情が読み取れなかった。
表情だって、前を向いているから分からないけど…、
すごく、なんだか…、緊張したみたいな声で。
私は、そこからなんにも言えなくなった。
だって、そこに含まれていたのは…―――「触れないで」という拒絶。
言われたわけじゃない。
でも、敏感に私の心が感じ取ったんだ。
- 519 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:03
- いつもにこにこして、柔らかい空気を出している舞美ちゃんの周りが
突然1度ぐらい冷たくなったみたいにガラリと雰囲気を変えて。
些細なものだと思う。
ちらりと覗き込めば、相変わらず舞美ちゃんは笑顔だったし
口元も楽しそうに緩んでいたから。
でも…私は確かに感じたんだ。
薄い、本当に薄いけど、絶対に打ち破れない舞美ちゃんの人を拒む壁を。
それに、聞き違いじゃなかったなら…
舞美ちゃんの言葉は『過去形』だった。
気づいて自分に舌打ちしてしまう。
舞美ちゃんは、叔母さんである後藤さんと過ごしているっぽかった。
だとしたら、理由は分からないけれど、ご両親は今、舞美ちゃんと一緒にいない。
なのに私ってやつは…。
- 520 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:03
- 「……ごめん」
気づけば、私はかすれた声で謝ってた。
誰にだって触れられたくないことってあるはずで。
舞美ちゃんだって例外なんてない。
いつもなんでもないように笑ってるから、見落としてしまっていただけで。
それが何か知らなかったとはいえ、たぶん私は舞美ちゃんの傷に確かに触れた。
触れてしまったんだ。
だから。
「なんで謝るのさー、愛理なにも悪くないよー?」
へらっと笑う舞美ちゃんは、困ったみたいな声。
きっと顔もしょうがないなぁって感じなんだと思う。
でも、私はただ腰に回した手に力をこめて、抱きつくしかなかったんだ。
「いい子だなぁ、愛理は。――― ありがと」
くしゃっと、片手で頭を撫でられれば、ううんと首をふる。
舞美ちゃんが言いたくないなら聞かないでおこう。
私なんかが聞いて、困らせたくもないから。
そう確かに思うのに、もどかしい気持ちは小さく胸を疼かせていたっけ。
- 521 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:04
- ・
・
・
「わー…きれー」
「でしょ? あたしのお気に入り」
カチャン、と。
自転車のスタンドを立てながら、
前に立つ私に笑顔で応えてくれる舞美ちゃん。
だって。
なんて見事なんだろう。
目の前には、一面真っ青な海。
すぐそこの堤防に身を乗り出せば、潮の香りを含んだ風が一気に頬を撫でていく。
それに、傾き始めた陽が水面で反射して、眩い光を瞳に投げてきて。
耳に届くのは、ざざーんと砂浜に寄せては返す波の音。
目を閉じてしまえば、まるで抱かれているような心地よさ。
ちょっと遠出をしただけで、こんな場所があったなんて。
システマチックな街並みしか知らなかった私は、感動してしまっていた。
- 522 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:04
- 「お金をそんなに使わなくっても、なんか幸せな気持ちにならない?」
「うん、なる」
単語単語の返事で申し訳ないなぁって思うけど、
それだけ目の前の景色に夢中になってたんだ。
舞美ちゃんも、そんな私に気づいたのかな、
くすりと一度笑って、一緒に堤防に手をつくようにして隣に並んだんだ。
「すごいね…」
「うん」
二人してバタバタと髪を風に舞わせて、水平線の彼方に光る陽を見つめる。
不思議な光景だと思う。
女の子二人が、無言で海をみてるなんて。
でも、どこか癒されるような透き通った海に、なんにもいえなくて。
ただ…本当に無意識に、隣の舞美ちゃんの手を握った。
- 523 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:04
- 一度ちらりと私を見た舞美ちゃんは、それでもなんにも言わずに
手を握り返してくれて。
その無条件のやさしさに…泣きそうになった。
そんな人だって分かってたけど…、
わかってるつもりだったけど、
本当に差し出された…見返りを求めない優しさに、
弱っていた心がすがりつく。
「舞美ちゃん…」
かすれた声は、舞美ちゃんに届く前に風に消えた。
でもそれでよかったと思う。
だってなんだか鼻の奥がツンとしてきて…。
目もジンジンとしてきて…
気づかれたくなくて、慌てて私は空を見上げてしまったから。
滲んだ視界は、まるで空が涙を零しているみたいで。
戻した視線に、その涙が海に帰っていった気がしたっけ。
私の心ごと。
- 524 名前:Warm rain 投稿日:2013/10/18(金) 22:04
- 「寒く、ない?」
「大丈夫…。だから、もう少しこのままで…」
私の声に振り返った舞美ちゃんは、一度息を飲んだみたいだった。
そう、だよね。
今、だって私…泣いてるんだもんね。
でも、拭うこともできない。
あまりにも…目の映るすべてが優しすぎたから。
ただ…握っていた手に、ほんの僅かに舞美ちゃんは力をこめて。
また、一緒に海を眺めてくれていたっけ。
陽が落ちるまで。
私が…私自身の意思で動き出すまで。
- 525 名前:tsukise] 投稿日:2013/10/18(金) 22:05
- >>514-524
今回更新はここまでです。
>>513 名無し飼育さん
熱心なレス、本当にありがとうございます♪w
二人の色々な変化は見ている側としては本当に
ドキドキ…ハラハラしますね。どうぞ続けてお付き合いください♪
- 526 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:07
- ジリジリとした暑さと耳に届くセミの鳴き声に、ぼんやりとした頭で瞼を開く。
その視線の先には、見慣れた部屋の天井。
カーテン越しに陽の光が、薄く部屋を照らし始めてて瞬きを何度かする。
くるりと首を回して壁にかかった時計を確認すれば
時刻は4時になったばかりで…少し汗ばむ額に手の甲をつけて、ため息をついた。
最近、寝付きがよくない。
夢見も悪くて、ちゃんと睡眠が取れていない気がする。
別に体調が悪いわけじゃない。
それなら、舞美ちゃんと出かけることさえ、ままならないんだから。
きっとずっと脳が興奮状態で、寝かせてくれないんだ。
あまりにも、毎日が楽しすぎて。
そっと、枕元に置いた生徒手帳を手にとって開く。
入っているのは、あの見事な桜の写真。
舞美ちゃんが私にくれた、大切な写真。
- 527 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:08
- 「…舞美ちゃん…」
無意識に、唇からこぼれた名前は、自覚できるぐらいどこか切なく。
続けて零した吐息の熱っぽさにも、気づいてた。
夜なんて来なければいいのに。
子供じみた我がままだってわかってる。
でも、そう思わずにいられない。
どれだけ楽しい時間をすごしたって、かならず陽は沈み終わりを告げる。
舞美ちゃんとの時間の終わりを。
笑顔でまたね、と言ってくれるけど、
その度に私の胸は、ぎゅっと締め付けられたように痛むんだ。
- 528 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:08
- さよならしたくない。
ずっと一緒にいたいな。
もっと楽しいこと教えて?
舞美ちゃんの目に映るものぜんぶ。
ううん、舞美ちゃんを…あなたをぜんぶ、教えてほしい。
距離が近づけば近づくほど、もっともっとと求めてしまう。
頭の中で警告音は鳴り続けていたけれど、もう止められない。
そうなっちゃいけないと、何度も戒めていたのに、
固い決心は綻び始めて…ついにダムの水が決壊したように一気に溢れた。
会いたい。
舞美ちゃんに会いたい。
今すぐにでも。
別れてまだ一日も経ってないのに、もう恋しいんだ。
あの優しい目で私を見てほしい。
どろどろに甘やかしてほしい。
できることなら、私を…攫ってほしい。
- 529 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:09
- ぶるぶると頭を振って、鉛のように重い身体を起こすと、
ただぎゅっと手帳を胸に抱いた。
こんなの妄想だって分かってる。
舞美ちゃんが、そんなことをする人じゃないってことも。
あんなにまっすぐな人だから。
前を見つめて、ちゃんと立っている人だから。
でも…、思わずにはいられなかった。
舞美ちゃんと一緒にいる時間が増えると同時に、
どんどん削られていく私の睡眠時間。
そんな覚めない頭で冷静な判断ができるわけもなくって…。
この日は盛大に寝坊し、――― 練習に初めて遅刻した。
- 530 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:09
- ・
・
・
- 531 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:09
- 「愛理…、なんか、調子悪そうだね。顔色も悪いみたい」
「……そんなことないよ?」
いつもみたいに部活が終わって待ってくれていた舞美ちゃんと、
並んで今日は繁華街を歩いていた。
相変わらず舞美ちゃんは大きなスポーツバックを肩から斜めにかけて
夏休みだというのに、私に会うために制服を着てくれて。
そのシャツの眩しさに目を細める。
日差しの下にいるからか、朝のような渦巻く気持ちは微塵もなくって。
少しだけふらつく足元を気にしながらも、舞美ちゃんに笑顔を向けた。
でも。
返ってきたのは、いつものニコニコした笑顔じゃなくって、
眉を寄せて私の顔をじっと見つめる真剣な眼差しだった。
- 532 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:10
- 「ちゃんと寝てる?ご飯も食べてる?」
「…うん」
まるで、怒られる子供。
うっと喉の奥で唸って、顔を下に向けて視線から逃げるしかできない。
あのいつでもまっすぐな視線から。
あまりにも私が落ち込んで見えたのかな、
舞美ちゃんは怒ってるんじゃないよ、というように、
優しく背中をその細い指で撫でてくれた。
「愛理、こっち」
「え?」
くん、と。
ちょっとだけ強く腕を引いて、舞美ちゃんは人の波をすいすいすり抜けていく。
わっ、わっ、と引っ張られるようにヨロヨロ後についていけば、
視線の先には大きな木の下に並んだベンチ。
- 533 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:10
- 「すこし休も?」
すとんと並んで座れば、舞美ちゃんは私の頭を導くように自分の肩に乗せた。
いつもだったら、わっと飛びのいたかもしれない。
でも…今日ばかりは、周りの景色も、匂いも、なにもかもが無機質で。
ただこめかみの辺りから感じる、舞美ちゃんのぬくもりだけがリアルに届いて…。
その心地よさに、睡魔が襲ってきて…。
ぐにゃりと、視界が歪んだと同時に…私は意識を手放したんだ。
- 534 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:10
- ・
・
・
「……〜♪ 〜♪」
最初に耳に届いたのは、アルトがかった鼻歌。
バラードかな、ゆっくりしたテンポで耳に心地いい。
それから感じたのは、ちょっとした肌寒い風。
ぶるっと一度身体を震わせて瞼を開くと、すっかり陽は傾いていて、
目に映るお店は、目に柔らかいオレンジライトを次々に点けていた。
「あ、起きた?」
ささやくぐらい小さな声で呼びかけられて、ぼんやりと身体を起こす。
そこでやっと、私は自分の状況を把握した。
あぁ…こんな長い時間眠ってしまっていたんだ。
腕時計を確かめれば、ゆうに一時間半も過ぎていて。
その間、ずっと舞美ちゃんは私に肩をかしてくれてたんだ。
- 535 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:11
- 「ごめん…、重くなかった?」
「ううん、ぜんぜん」
舞美ちゃんは、気にした様子もなくにこにこ笑って、私の頭を撫でた。
「疲れてたんだね。一度かくんと頭が落ちそうになったんだけど、
わかんなかった?」
「ぜんぜん気づかなかった…」
ふと見れば、私の身体にはグレーのカーディガンがかけられていて。
差し出された優しさに、胸が温かくなったっけ。
「暗くなってきたし、帰ろっか」
「………うん」
薄暗がりでも見える舞美ちゃんの笑顔に胸が痛む。
こみ上げてくるのは、たまらない寂しさ。
- 536 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:11
- 仕方ないことだって分かってる。
舞美ちゃんは高校生で、私なんて中学生だ。
いろんな制約もあって…、家のルールだってある。
でも…そうだと分かっていても…
分かっていたのに…
――――― 私は言ってしまった。
「帰りたく、ないな」
まだ、頭がクリアになってなかったから、言えたんだと思う。
でも、そういうときに限って…本当に心の奥底にある本能が暴れだして、
優しい人に襲い掛かったんだ。
- 537 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:11
- 「愛理…」
「舞美ちゃんと、離れたくない」
戸惑った舞美ちゃんは、続けて言った言葉に小さく息を飲んだみたいだった。
ごくん、と大きく一度喉を鳴らして、その目が大きく見開かれてる。
真面目な舞美ちゃんは、きっと判ってる。
中途半端な優しさは、逆に私を苦しめること。
そして今、ここがギリギリのラインだってことも。
引き返すなら、今しかなくって。
逆に言えば…始まるのも…今なんだ。
「あい、り…」
「……………」
舞美ちゃんの言葉を待つ間、ぐらぐらと揺れる頭が、
まだ寝たりないことを私に伝えてる。
でも、ほんの少し残っている理性が悲鳴をあげて覚醒しようとしているのも
判るんだ。
- 538 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:12
- 困らせたくない。
こんな舞美ちゃんの顔をみたかったわけじゃない。
それに、こんな自分を曝け出したくもなかった。
きっと今、なんでもなかったみたいに「冗談だよ」って笑ってしまえば
舞美ちゃんも一緒に笑ってくれる。
だから、ほら。
ちゃんと、自分で立って。
「なんてね、冗だ…」
「愛理」
「…っ」
目を逸らして笑って見せようとして、
それは舞美ちゃんの声にかき消された。
どこまでも真剣で、少し怒ったみたいなそんな声に。
ふっと顔を見上げれば、おんなじぐらい真剣な表情。
- 539 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:12
- なんで、そんな顔…。
まるで私の心の奥の柔らかなところを、鋭い矢で射抜くみたいに。
冗談になんかしないで。
しちゃいけない。
愛理の本当の気持ちを、誤魔化しちゃダメ。
そういうの、ダメなんだよ。
言われたわけじゃない。
でも、言われた気がしたんだ。
その深い焦げ茶色の瞳が、瞬きひとつせず向けられていたから。
- 540 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:12
- 「一日だけ、考えて」
え?
「もし、今日一日考えて…、まだ思うなら、明日はうちに行こう」
―――っ。
混乱した。
舞美ちゃんの言葉に。
一日考えて、まだ、そう、舞美ちゃんと一緒にいたいと思うなら
舞美ちゃんの家に。
本当なら、今日一緒にいたいんだ、とか。
嫌だ、帰りたくない、とか。
そんな風に言ったのかもしれない。
- 541 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:13
- でも、舞美ちゃんの見たこともない真剣な表情と
信じられない言葉に、かけらほどだった理性が一気に落ちてきて、
脳をクリアにしたんだ。
これが舞美ちゃんの精一杯の妥協点。
まだ中学生の私を気遣って。
高校生の自分を戒めて。
あぁ…、そんな人だから、きっと私は惹かれてしまったんだ。
最後のギリギリで、それでもちゃんと人を思いやれる人だから。
でも…そのときに気づかなきゃいけなかった。
- 542 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/19(土) 22:13
- じゃあ…舞美ちゃんは?
最後のギリギリの時に、舞美ちゃんを思いやってくれる人は
ちゃんとそばにいた?
ちょっとだけ泣きそうな顔をしていた舞美ちゃんに、
私はちゃんと気づいてあげなきゃいけなかったんだ。
それなのに…――― 私はあまりにも幼すぎて、
差し出された優しさにすがりつくしかできなかったんだね、きっと。
- 543 名前:tsukise 投稿日:2013/10/19(土) 22:13
- >>526-542
今回更新はここまでです。
- 544 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:14
- 心の迷いは、私のすべての自由を奪って。
揺らぐ気持ちは、何もかもを曇らせて。
私は、私を見失い始めていたんだ。
舞美ちゃんに――― どんどん流されていってたんだ。
- 545 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:15
-
・
・
・
- 546 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:15
- 「愛理、ちょっと」
練習が終わって、すぐになっきーに呼ばれた。
見れば、ちょっと怖い顔で手招きしてる。
「なに?」
「いいから、ちょっと」
なんだろうと思いながら、楽器を片付ける手を止めてなっきーの元へ行く。
気のせいかな、みんなの視線が痛い。
特に…りーちゃん。
眉を寄せて、ただじっと私を見つめてる。
いつもだったら、オドオドとしてしまっていたかもしれない。
怒られるんじゃないかって、びくびくしていたかもしれない。
でも…、どこか麻痺した頭は、遠くから自分を見ているみたいに
第三者として、今を捉えていたんだ。
- 547 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:16
- 「愛理…、どうしちゃったの?」
合奏では使わないもう一つの音楽室に来るや否や、
なっきーは、眉をひそめてそう言ってきた。
組んだ腕が、傾げられる頭が、少し苛立たしげに揺れてる。
でも、私はそれをどこかぼんやり見てた。
なんで?
なんでそんなに怒ってるの?って
「なにが?」
「なにがじゃないよ…! もう県大会まで時間ないんだよ?」
県大会…、あぁ、そうだ…。
ふっと壁にかけられたカレンダーを見れば明後日の日付に
赤い丸がされていて。
時間の感覚もズレてきている自分をやっと理解できた。
- 548 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:16
- 「どれだけみんながいい演奏をしても、ソロの旋律ひとつで
全部台無しになったりするんだよ? それちゃんとわかってる!?」
「…うん」
そうだね、確かに。
わかるよ、わかってる。
嫌なぐらいわかってる。
「先生は愛理の好きにさせなって言うけど、こんなんじゃ県大会を
通るのだって厳しいかもしれないんだよ! もっとしっかりしてよ!」
しっかり…。
そうだよね、しっかりしなきゃなんだよね。
わかってる、わかってるよ。
でもさ、でもなっきー?
- 549 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:16
- 「じゃあ、私、どうしたらいいの? どうやって演奏したら
みんな満足してくれる? 怒られない?」
「愛理…?」
「教えてよ? 私の演奏、どこが悪い?ちゃんと言われたとおりにするよ?
だから教えて? どうやったら金賞取れる? みんな喜んでくれる?」
「ちょ…っ、愛理…! 本気で言ってるの…?」
なんでそんな顔するの?
信じられないって、大きな目をしてさ。
だらしなく開いた口が、何かをもごもご言ってるけど聞き取れないよ。
けど。
僅かに残っている、ちゃんとしなきゃって自分が心を戒めてきて…。
言葉を失っているなっきーに、ごめんねと謝ってる。
- 550 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:17
- そうだよ…、なっきーは心配してくれてるんだもん。
こんな言葉言ったら困らせるだけだよ。
ダメだな…、舞美ちゃんみたいに甘えちゃダメなんだよ。
みんながみんな、私を助けてくれるわけじゃない。
そう、舞美ちゃんみたいに。
脳裏に、一瞬舞美ちゃんの笑顔が浮かんで、
私は緩く笑みを浮かべてしまった。
その瞬間、なっきーは…動揺したみたいに一歩後ずさった。
それはどこか、本能的に人間が危険を感じたらする行為みたいで、
ちょっとだけ面白かったっけ。
- 551 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/20(日) 22:17
- 「ごめんね、もっと頑張るよ、私」
「……うん…。ねぇ、愛理?」
「なに?」
「あたしは、愛理にしかソロはできないと思ってる。逆にさ、
愛理だからできるって思ってるから」
あ、それ、ちょっと重いよ、なっきー。
そう思ったけど、その言葉は飲み込んだ。
「ありがとう」
さぁ、もう部活は終わる。
だから…――― 舞美ちゃんに会える。
今日も、舞美ちゃんに。
だから早く楽器を片付けて、逢いにいかなきゃ。
はやく、はやく。
- 552 名前:tsukise 投稿日:2013/10/20(日) 22:17
- >>544-551
今回更新はここまでです。
- 553 名前:名無し飼育 投稿日:2013/10/20(日) 23:00
- あいりぃ…
梨沙子の勘が見事に当たっちゃって切ない。。。
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/21(月) 00:25
- 連日更新ありがとうございます!
最近℃-uteを知り月瀬さんの小説にハマりました。
読むたびに舞美が謎すぎて気になります。
- 555 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:42
- 「愛理」
音楽室をあとにしようとした私は、思わぬ声に呼び止められた。
いつもの舞美ちゃんの、落ち着いた低い声なんかじゃなくって、いわゆるアニメ声。
まさかって思ったけど、こんな声を出す知り合いなんて、私は学校で1人しか知らない。
「もも先輩。………と、清水先輩?」
「お疲れ様、愛理」
思わぬ組み合わせに、目をパチパチしてしまう。
だって、二人が一緒にいるのなんて高等部の音楽室ぐらいでしか
見たことないし。
こうやって夏休みなのに一緒に行動してるなんて、すっごく不思議な感じ。
そんなに仲良しさんだったっけ?なんて首をかしげちゃう。
でも、すぐにここに来た理由を私は知ることになる。
思いがけない、一言から。
- 556 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:42
- 「すみません、あの、私、約束があるんで」
申し訳ないとは思ったけど、今はもう部活の時間じゃない。
だったら、自由に自分の時間を使いたい。
そう、舞美ちゃんに…逢いたい。
ぺこりと頭を下げて、扉を出ようとした。
でも、それをとめたのは他でもない、目の前の清水先輩だった。
ばん、と一度強く私の前を遮るように扉に手をついてきて。
えっ?と顔を向ければ、ぞくりとくるぐらい真剣な眼差しの先輩。
後ろのもも先輩が、縮こまって困ったみたいに見つめるほど。
一言で言えば…鋭い視線で私を…睨んでいたんだ。
- 557 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:43
- 「ごめん、今日は舞美のところに行かせるわけにはいかない」
――― えっ?今、なんて…?
呆然としてしまう。
なんで、清水先輩がそんなこと…。
というか、どうして舞美ちゃんに会うってことまで知って…。
ちらりと後ろに立つもも先輩を見れば、困ったみたいな
ちょっと渋い顔をして清水先輩と私を交互に見てる。
それだけでわかる、もも先輩も知ってるんだ。
その事情。
「愛理」
「? りーちゃん…?」
振り返れば、いつのまにいたのか、りーちゃんにちっさー、舞ちゃんに栞菜が
不安そうにこっちを見ていた。
ううん、りーちゃんはすごく厳しい顔で…、清水先輩みたいに。
- 558 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:43
- なに…?
みんな、どうしてそんな風に見てるの?
なにか、私、悪いことした?
「愛理…わかってないの?」
「なに…が?」
りーちゃんの言っている意味がわからない。
なにに対して?
けれど、その先をりーちゃんが言うことはなかった。
ただ大きくため息をした後に、どことも言わない場所に視線を向けて
軽く舌打ちをして…。
それから、肩に手を置くと眉間にしわを寄せたまま私をまっすぐ見つめてきた。
- 559 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:43
- 「……私も今日は愛理を行かせたくない。いつまでも付き合う。
だから練習しよう? 一緒に練習しよう」
なにが、どうなっているのかわからない。
ただ…ひとつ理解できたのは…、みんなが私と舞美ちゃんを
引き離さんとしていることだった。
どうして?
みんな、突然なんでそうやって…。
意味がわかんないよ…。
だけど…きっと、このままみんな私を行かせてはくれない。
舞美ちゃんに会いに行かせてくれない。
本当は今日、すごく楽しみにしていた。
けれど、…仕方ない。
- 560 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:44
- 「……わかった。ちょっとだけ、連絡してきてもいい?」
「……うん」
目を伏せてそれだけ言った私に、
りーちゃんは、ほっとした息をついたみたいだった。
なんだか、頭がぼんやりするけど…りーちゃんが心配してくれてる。
それだけは分かったんだ。
その瞬間、少しだけ胸が痛んだ。
私が、そんな風にさせてるんだって…気づいたから。
もしかして…みんな?
みんなも、私のことを心配、してくれている?
それで?
それで、こんな風に声をかけてくれたの?
さっきのなっきーも、清水先輩も…?
- 561 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:44
- あぁ、なんだろう。
胸が…苦しい。
いろんな人の、いろんな気持ちが交差して…受け止めきれない。
舞美ちゃんに吐き出すだけだった私には、とっても重くて苦しい。
あぁ、そうだ…。
私、ずっと舞美ちゃんに…吐き出すだけだった。
弱いところ、ぜんぶ吐き出すだけで…嫌なことから目を逸らしてた。
大会、近いのに。
私も、頑張ろうって思ってたのに…その気持ちも捨てて。
なに、やってんだろ私…。
しっかり…しないと。
あぁ…でも…、どうやって私吹いてた…?
わからない…。
そっと廊下に出て携帯を開いた。
舞美ちゃんに連絡しようと思って。
そしたら、知らない間にメールボックスに1つ着信があって…。
もしかして…と開けば、やっぱり――― 舞美ちゃん。
- 562 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/21(月) 21:44
- 『今日はごめん。
佐紀に、任せるよ。
練習、がんばれ』
絵文字もなんにもなく、それだけ書かれていた。
どんなことを思って、送ってくれたんだろう?
昨日の今日で、すっごく困ってたんじゃないかな?
あきれた?
私のわがままに。
愛想がつきた?
勝手な振る舞いに。
でも…。
それでも、私には舞美ちゃんが必要で…。
振り切れない影を持ったまま、ため息ひとつ零して…私は音楽室に戻っんだ。
みんなが、待ってくれてる、音楽室に。
- 563 名前:tsukise 投稿日:2013/10/21(月) 21:45
- >>555-562
今回更新はここまでです。
>>553 名無し飼育さん
こういう勘の当たり方は、本当にせつないものがありますよね。
その中で鈴木さんがどう行動するのか、見守って下されば幸いです。
>>554 名無飼育さん
作者としては、とても嬉しいご感想をありがとうございます(平伏
矢島さん、そうですね、まだ彼女のことは全面に手で来ては
いないんですよね。続けて追いかけて見守ってくださると嬉しいです♪
- 564 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:44
- 唇が痛い。
どれぐらいぶりだろう感覚に、大きく息を吐いて窓の外を眺める。
清水先輩の指導は、今までにないぐらい厳しくて。
何度も何度も怒られた。
こんなに怒られたことないんじゃないかな。
私の記憶の中には、ぜったいない。
でも、その甲斐あってか、私は無難ながらもソロを吹くことが
できるようになっていた。
ああしたい、とか、こうしたいとか…そこまでは浮かばなかったけれど
ミスもなく、ソロとして任された最低限のことはクリアできてると思う。
何度か何か言いたげな りーちゃんだったけど、
私の顔色を見ながら、慎重に言葉を選んでくれて…。
はじめてみる優しさの形に、胸が痛んだっけ。
- 565 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:44
- そして今…、10分の休憩をもらって一人廊下に出たところ。
ぐん、と腕を伸ばしてのびをすれば、固まってた背中がぴきりといった気がした。
舞美ちゃん…、今頃何してるんだろ?
メールに一言「わかった」と返してから、連絡はない。
気をつかっているのか、それとも…。
よくわからない。
舞美ちゃん、いつも優しいから…こういうとき、どんな気持ちなのか、
ちゃんと考えたことなかったから。
「あいりん」
「? もも先輩…」
呼ばれて顔を向ければ、へへっと笑いながら私の隣にくるもも先輩。
すっかり暗くなってしまった校庭に寂しさを感じていたけど、
なんだかもも先輩の笑顔で、雰囲気が変わった気がする。
「舞美のこと、考えてた?」
「…、はい」
「正直だなぁ、愛理は」
見透かされてる気分になって、うっと顎をひく。
でも、もも先輩は気にした様子もなくって、また笑顔。
それから…静かにため息をひとつついて…口を開いたんだ。
- 566 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:45
- 「…あの子でも、あんな顔するんだね」
「え?」
「初めて、キャップと舞美がケンカするとこ見たよ」
「えぇっ?」
ケンカ…!?
清水先輩と舞美ちゃんが!?
本当に!?
「愛理の思うようにさせてやれって言われて、キャップが先にキレちゃって」
「舞美ちゃんが、そんなことを?」
「意外と舞美、頑固なとこあるんだよ? いつもはドがつく天然だけど」
信じられない。
舞美ちゃんと清水先輩にそんなことがあったなんて…。
仲良くしてる姿しか見たことがなかったから…。
あごの辺りを指でいじるようにして考え込んでしまった私に、
やっぱりもも先輩は笑顔で、経緯をとつとつと話してくれたんだ。
どうして、ここまで先輩が来てくれたのかも。
- 567 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:45
-
・
・
・
- 568 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:45
- 珍しく梨沙子から相談受けたの。
「愛理を舞美から離して欲しい」って。
なんで、そんなこと言い出すんだろって、
桃には、ぜんっぜんわかんなかった。
だってさ、愛理と舞美、すっごいいい感じだったじゃない?
ほら、愛理がメチャ落ち込んでしまってたとき、舞美なんて
すっごい心配して、なんとかしてあげたいって一生懸命だったし。
愛理だって、次の日元気になってたって聞いたし。
だからなんで?って思ったの。
キャップもそうだったんたろうな、梨沙子に「なんで?」って聞いてた。
そしたらさ、梨沙子ったら初めて見るぐらい怖い顔してさ、
「愛理、このままだとダメになる」なんて言い出して!
はぁっ!?って感じよ、もう。
キャップだって、驚いたさ! 珍しくポカンと口開けて桃に振り返ったりして!
いや、桃にはわかんなかったから、ぶんぶん首を振るしかなかったんだけど。
- 569 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:46
- 続けてさ、事情聞いたの。
なんで?どうして?って。
そしたら、なに、練習にまったく上の空で参加して?
ソロなのに感情とかなくなって、義務感で演奏してるだけだの?
このままだったら、部活も義務でやっちゃうことになるとか?
強制されてやってるだけになってるー、とかだっけかな?
あの梨沙子がだよ? そんなこと必死になって言ってきたの!
桃はさ、そんな大げさなぁ〜なんて言ったんだけどぉ。
あ、ほら、部活が嫌になったりとかって、誰だって1度はあるもんでしょ?
だから。
なんだけど、キャップは違ったの。
もうさ、すんごい怖い顔して!あれ、きっと鬼の形相っていうんだろうね、
とにかく見たことない顔してさ!
梨沙子にただ一言「任せて」って言ってたわ。
- 570 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:46
- 問題は、そ・の・あ・と!
今日も練習あとに約束してると思うって話を聞いたキャップが、
この部活棟に舞美がくるのを待ってさ。
裏門から現れた瞬間に、その腕を、こう、ぐいっ!っと掴んで!
あれよあれ!よくテレビであるイジメっぽく裏庭に連れてって!
事情の飲み込めていない舞美に、開口一番こう言ったの。
「愛理を部活に集中させてあげて」
って。
なんのこっちゃわからん舞美は「えっ? なに?」って目をパチパチしてたけど
キャップが続けて
「部員の子が、最近の愛理の様子がおかしいって心配してるの。
舞美と…一緒にいるようになって、愛理の音がおかしくなったって」
そんな風に言ってさ。
いや、愛理の音がおかしいんじゃなくって、愛理がおかしいんだって
言ってたんじゃなかったっけー?とか思ったけど、あ、これいらない?
ごめん、キャップと舞美の会話だよね?
- 571 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:46
- 「明後日には県大会なの。みんな愛理に期待してる。
ちゃんと練習しろって言ってあげて、舞美から」
まぁ、正論だよね。
県大会で金賞獲らなきゃ、そこで今年の吹奏楽の目標が1つ消えるんだし。
3年も、まぁエスカレーターだからそこまで必死にならないかもだけど、
部活は終えて、受験勉強に突入〜みたいな?
主役は3年なんだし、キャップの言葉は当然でしょ?
でもさ!
舞美、そのときなんて言ったと思う!?
あの子ってば、
「それは愛理が決めることだから、あたしからは何も言えない」
なんて言ったのよ!?
あの、おっそろしい顔してるキャップに向かって怯まずに!
- 572 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:47
- それだけでも桃はビックリだったのに、そのときの舞美といったらさぁ!
見たこともないぐらい真剣な顔してて…っていうか、
ちょっと怒ったみたいにピリピリしてて!
あんな舞美…見たの初めてだったなぁ。
でもさ、キャップも梨沙子からお願いされた手前、はいそうですか〜
なんていえるわけないじゃん?
だからすぐに舞美の否定に首をふったわけよ。「そんなの無責任だ」って。
でも、舞美も引き下がんなくって、
「あたしは、今だけ頑張ればいいって考えは捨てた方がいいと思う。
今、無理やりにでも愛理を拘束して大会に向けた演奏をさせるのは
簡単だと思うよ。でも、それって、これからの愛理を歪める事にならない?」
そんなこと言ったのよ?
あの、舞美が。
なんにも考えてないみたいに、いつもニッコニコしてる舞美が。
拘束ーとか、歪めるーとか!
- 573 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:47
- まぁ、でも、そんな風に言われて、ふんふんと聞いてられるような
うちのキャップは温厚じゃなくってさ。
隣にいた桃にもわかったよ、あ、今キャップキレかけって。
青筋とか、こめかみに見えたからね。
声もさ、とげとげだよ、もう。
「団体競技なんだよ? 一人が抜けるってどれだけ周りに影響与えるか
舞美わかってない!」
おっとぉ、ってびっくりしたよ。
キャップが大きな声を出すなんて1年に1回あるかないかだもん。
でもさ、それだけ真剣に部のこと考えてたのよ。
ただ、キャップが部のことを考えてるように、
「そうだね、あたしにはわからない。たぶん、佐紀のいうことは一生。
でも、愛理が自分でもどらなきゃ、意味ないんじゃない?
あたしは…無理強いはできない」
舞美は愛理のことを真剣に考えたんだと思う。
- 574 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:47
- なんていうか、こんな二人見たの初めてでさ、
これはヤバいなって桃もさすがに思って。
まぁまぁ、って二人の間に入ったよ。
オロオロって感じ?
したら、まだやっぱり怖い顔で二人見つめ合ってたけど、
「舞美には悪いけど、あたしは愛理を連れ戻す」
それだけ言って、キャップはこの音楽室にあがってっちゃったの。
残された舞美はさ、それでもずっとキャップの背中を見てて。
呼びかけたら、やっと桃の存在に気づいたみたいに笑って。
あー、でも、失敗してたかなぁ、あの笑顔は。
ちょっとだけ、怒られた子供みたいに、泣きそうにも見えたもん。
でさ、一言だけ言ってたな。
「あたしにも…あんな友達が昔いてくれてたら、変わってたんだろうな」
なんて。
え?なに?って聞き返したけど、ううん〜なんて笑って首振って
それ以上は教えてくれなかったなぁ。
もしかしたら、舞美には舞美なりになんか事情があったのかもね。
わかんないけど。
- 575 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:47
-
・
・
・
- 576 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:48
- 「これが顛末」
話し終えて、もも先輩は暗い雰囲気になりそうな空気を変えるみたいに
おどけたみたいに両手を肩口であげる仕草をしてみせた。
でも…あまりのことに、私はもも先輩を見つめたまま、何にもいえなかった。
そんなことが…あったなんて。
それじゃあ…メールの返事が来ないのも無理ないか。
きっと私が連絡しなきゃ、舞美ちゃんからは来ない。
ポケットから携帯を取り出して画面を開く。
アドレスはすぐ見つかった。
それをじっと見て…――― それでも私は何もせずに携帯を閉めた。
- 577 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:48
- 「いいの? 連絡しなくて」
見ていたもも先輩は、不思議そうに首を傾けて聞いてくる。
それを、やんわり首を振って…応えた。
「いいんです…。今日は…、ううん、県大会まではまず…練習します」
きっとそれが今私がしなきゃいけないこと。
いろんな人を巻き込んで、迷惑をかけて、傷つけてしまったんだから。
せめて…望まれることをしないと。
じゃなきゃバチが当たりそうだ。
きっとそれでも、みんなが求める音はでないかもしれない。
こんなにみんなに心配されても…気持ちは…舞美ちゃんに
もっていかれたままだから。
でも、そんな私でも必要としてくれてるから。
だから…。
- 578 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:48
- 「そっか」
「はい…。まず、県大会で結果を出して、それからにします」
舞美ちゃんに会うのは。
口に出さなくても分かったんだろうな、
もも先輩は、なんともいえない顔をしたけれど、
舞美ちゃんと会うな、とか、そんな風に怒ったりはしなかった。
私がボロボロになった瞬間を見ていて、
それに、舞美ちゃんに引っ張り上げられる瞬間も見ていたから。
どうしたほうが正しいのか…きっと分かりかねてるんだと思う。
- 579 名前:Thick fog 投稿日:2013/10/22(火) 21:48
- でも、私だってわからない。
どうしていいのか。
だったら、自分に正直に…。
したほうがいいと思うことを順番に。
すごく胸が焼け付くような痛みはある。
ジリジリとした渇望感みたいな。
一日会えないだけで。
でも、結果が出れば…きっと会えるから。
だから…。
そうやって私は…この日初めて21時まで居残り練習をして帰った。
終わったときの、一緒に残ってくれていたりーちゃんのアクビが
半端なく可愛かったのが印象的だったっけ。
- 580 名前:tsukise 投稿日:2013/10/22(火) 21:49
- >>564-579
今回更新はここまでです。
- 581 名前:名無し 投稿日:2013/10/23(水) 23:50
- きょうはこうしんないのかな!?
- 582 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:36
- 真っ暗な天井を見上げて、額を押さえる。
耳の奥がキーンとするぐらいの静寂に、胸が苦しい。
息苦しさまで感じて、エアコンのリモコンを取るとゆるく冷房をまわす。
それからひとつ深呼吸。
眠れない…。
今日の部活から帰宅したのも遅かったから、ご飯を食べてシャワーだけ浴びて
お父さんやお母さんとの会話もそこそこに、ベッドに入ったんだけど
身体がまだ興奮状態で…、頭もグルグルしてて沈むことができないんだ。
ううん、浅い眠りはすぐに来た。
でも、…一緒に、夢魔を連れて。
- 583 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:36
- 夢の中では、合奏をしていた。
そして何度もソロで止められるタクト。
苛立たしげなみんなの顔。
ぼんやりと、それを見つめる私。
フラッシュバックするように、なんにもできなかった自分の姿が
何回も流れては巻き戻し、また流れる。
それは期待に応えることが出来なかった数時間前の自分。
ぎゅっと固く拳を作って、振り切るように強く目を閉じたりしても所詮夢。
消すことも遮ることもできない。
悲しいかな、視界を閉じた事で逆に感覚は強くなって私を苦しめたんだ。
まるで、今まだクラに息を吹き込んでいるように。
じんじんと痛む唇が、現実なのか夢なのか本当にわかんない。
- 584 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:37
- そんな中、痛めつけてくるのは、攻撃的な自分。
まるで苦しんでいる自分を、あざ笑うみたいに現れて。
なんでできなかった?
格好悪い。
いつもできてたよね。
なのに?
やめてやめて…!
こんな記憶はいやだ…!
耳を塞ぐけど、土台夢の話。
いつまでも脳内で悪魔のようにささやき声や笑い声が聞える。
ただ、そう、目の前に大きな『何か』があった。
誰かはそれを『壁』と呼ぶかもしれない。
それが、ことごとく私のすべてを否定したんだ。
もう一人の私になって。
- 585 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:37
- 無理。
そんなのじゃ誰もいらない。
そんな音は誰もほしくない。
言われたわけじゃない、誰かに。
でも、言われた気がしたんだ、誰かに。
これは夢…?
それとも現実…?
ぐっと腹の底からこみ上げてくるものに、むせるように咳き込めば
やっとベッドに投げ出された自分の身体に意識が戻って…。
夢の終わりを告げたんだ。
そんな浅い眠りの繰り返し…。
まだ朝は遠いのに…。
- 586 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:37
- 「…っ!」
両耳を押さえて、両目も閉じてシーツを引き寄せるとうずくまる。
すべてを断ちたくて。
ぜんぶを消したくて。
それでも、音にあふれたこの世界をさえぎるなんてやっぱり出来なくて。
耳を押さえた両手の血流の音が、嫌なくらい耳についた。
助けてほしい。
どうしていいのかわからない。
私には、どうやってこの壁を突き崩せばいいのか、もう。
助けて…助けて…。
いやだ…。
- 587 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:37
- ――― 舞美ちゃん…!
がたがた、と、夢中で伸ばした手で、生徒手帳を引っつかんだ。
そのまま皺が出来てしまうぐらい固く握って胸に抱く。
舞美ちゃん、舞美ちゃん、舞美ちゃん…!
逢いたい…! 助けて…。苦しい…。助けて…!
昨日逢えなかっただけで、なんて有様。
こんな私、舞美ちゃんだって困る、きっと。
でも…、もうどうしていいのか分からないんだ。
- 588 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:38
- 「まいみちゃん…、寝てる…かな…」
携帯を手にとって開けば、煌々とした青白い光に浮かぶ文字。
午前2時をまわったところだ…。
かすかに残った理性が、必死に私を止める。
迷惑だ。
心配もかけてしまう。
誰かの為に自分を投げ出したりする、そういう人だから。
だから冷静になって。
でも…。
あぁ、私の身体ぜんぶが…細胞ぜんぶが舞美ちゃんを求めてる。
たった一言でいい。
愛理、って名前を呼んでくれるだけでいい。
ううん、私の電話を取ってくれるだけで…それだけでいいから。
思ったときにはもう携帯から番号を呼び出していた。
- 589 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:38
- プルルル プルルル プツ。
『もしもし?愛理?』
どくん、と。
大きく胸が鳴った。
と同時に、全身に血液が逆流する感覚。
あぁ…この声だ。
この声だけが…私の今の拠り所。
だめだってわかってるけど、それでも縋ってしまうもの。
『どうしたの? こんな時間に…』
こんな時間に、なんていう舞美ちゃんだけど
その声は全然今まで眠っていたとか、そういう声じゃなくって
いつも耳に届いていた、あのアルトがかった声だった。
- 590 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:38
- 「ごめんなさい…」
『ううん、いいよ。…なんか、あった?』
うん。
あった。
舞美ちゃんに逢えなかった。
『部活とか…、しんどかった?』
うん、すっごく。
みんな怖い顔してたの。
りーちゃんまで…見たことない顔してた。
『愛理…?』
口は開いているのに言葉が出てこない。
こんなんじゃ舞美ちゃんだって困っちゃうよ。
でも、どれを言っていいのか、どれを言っちゃいけないのか
今の私にはその境界線がわからなくなってて…。
苦しく瞼を一度閉じて、息を飲み込んだ。
- 591 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:38
- 『………今夜は…月が、綺麗だね』
え…?
突然脈絡もなく言われた言葉に、ぱっと目を開く。
「……つき?」
『うん。満月』
「うそ」
ぱっとベッドから抜け出して、カーテンを開く。
もう傾きだしている月は、それでも煌々と輝いて光を届けている。
まんまるの、大きな顔で。
優しげなオレンジがかった姿は、一気に私のドロドロとした気持ちを
消し去っていく気がした。
ううん、多分それは舞美ちゃんが、同じモノを見ているから。
私と同じ満月を今みているって…感じたから。
- 592 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:39
- 「綺麗…」
『でしょ? あたし、なんか眠れなくってずっと月見てたの』
「舞美ちゃんも?」
おかしいでしょ?なんてテレたみたいに、くぐもった息を吐くけれど
私は、ううん、と大きく首を振る。
おかしくなんかない。
ぜんぜんおかしくなんてないよ?
私だって、そうだから。
『も、ってことは、愛理も眠れないの?』
「……うん。いけないって思ったけど…電話、しちゃった」
一瞬、息を飲み込んだ舞美ちゃんは、きっといろんなことを考えてる。
清水先輩のこと。
コンクールのこと。
そして…私との約束のこと。
小さな葛藤みたいなものを…携帯越しにも、感じたから。
だけど…舞美ちゃんは、やっぱり舞美ちゃんだった。
- 593 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:39
- 『そっか。で、あたしの声聞いて、少しは…元気でた?』
どこまでも優しい。
私を突き放すようなことはしない。
それで自分が辛い気持ちになるとしても。
絶対に…すくい上げた気持ちを、落としたりなんかしない。
真面目すぎる心が、大事に…壊れかけた私のすべてを包んで、
今、癒そうとしてくれてる。
なんだか…胸が詰まって、目の奥がジンジンしてくる。
鼻だって、ツンとして、ぐっと唇を噛み締めた。
愛しくて…苦しくて。
「…うん…、元気、でた」
ぽたり、と床に涙がこぼれたけれど、気づかないふりをして
舞美ちゃんに言葉を届ける。
元気が出たのは本当だから。
- 594 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 05:39
-
『それは良かった。…――― がんばれ、愛理。がんばれ』
なんてあったかい声なんだろう?
機械を通しているはずなのに、胸に染み込んで…
私の身体ぜんぶを包み込んでくる。
まるでそれは…舞美ちゃんに背中から腕を回されて抱かれてる感じ。
がんばれ、なんて大会数時間前の私にはプレッシャーなはずなのに
舞美ちゃんの言葉だってだけで…勇気になった気がしたんだ。
「うん…。うん、がんばる。ありがとう、舞美ちゃん」
月を見つめたままお礼を言えば、くすりと笑った気配。
きっと同じように月を見上げてる。
私と同じものを見てくれてる。
もう、大丈夫。
私には、舞美ちゃんがいる。
そのぬくもりを抱いて、電話を切れば、もう夢魔にうなされる事もなく
静かに眠りに誘われて…ベッドに沈んでいったんだ。
なんて無様。
でも…、これが今の私。
- 595 名前:tsukise 投稿日:2013/10/24(木) 05:40
- >>582-594
今回更新はここまでです。
>>581 名無しさん
遅ればせ更新申し訳ないです(平伏
お付き合い頂いていることに、感謝です♪
- 596 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:19
- 『プログラム12番、私立―― 学院中等部。 ………金賞、ゴールドです』
わっと、私の周りで歓声が上がる。
次いで先輩も後輩も関係なく、手を取り合って笑顔。
私も、その輪に加わるように、リーちゃんと手を握り合っていたけど…、
どこか遠くでそれを眺めてる感覚が否めなかった。
もちろん私も頑張った。
ソロ部分だって、ミスなく流れるように歌いきったと思う。
プレッシャーさえ感じなければ、覚えた指先が、覚えた息が、
そして学んだいろんな人の演奏が私の中でパズルのように出来上がって、
会場にぜんぶ届けた。
こんな風に、吹けるんだ、私って…少し驚きながら。
でも、それだけ。
12分ちょっとの世界は、まるでテレビドラマを見ていたように
ぱちん、と番組を終わらせて電源を落とし、ただの過去になる。
そして…現実のはじまり。
色も温度も音も、やっとリアルに感じられる私だけの現実のはじまり。
- 597 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:20
-
・
・
・
- 598 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:20
- 「じゃあ、解散。明日は午前中のみやけど、気合入れていくで」
「「「はい」」」
薄暗闇に空が包まれる頃に終わった反省会は、淡々と過ぎていった。
ううん、もしかしたら注意とか事細かにあったかもしれない。
けれど、私に対してのものはなんにもなかったんだ。
怒られることはなかったけれど、褒められることも、なんにも。
いつもなら、それに違和感を感じたかもしれない。
でも、…その時の私には、すべてが無機質で。
音楽室にいる自分さえも、異質なものみたいに感じていたんだ。
そんな私を現実に引き戻してくれたのは。
「愛理」
あぁ…。
心解かれる。
優しく名前を呼ぶ、たったその一声に。
- 599 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:20
- 「舞美ちゃん」
楽器を手早く片付けてから、廊下に出れば壁に背を預けて
静かに笑っている舞美ちゃんに駆け寄る。
真っ白なシャツは今日も眩しくて、蛍光灯に反射してひかる顔がすごく綺麗。
目線の高さで見える、緩めたタイの奥に覗いた白い喉元にはうっすらと汗。
上気している頬は少し赤くて、ぼんやりと全体の輪郭を眺めてしまったっけ。
「…? 大丈夫?」
「…うん。なんか…久しぶりだなぁってちょっと感動してたの」
「ふっ、大げさ愛理。2日しかあいてないじゃん」
からっと笑う舞美ちゃんは上品に唇で弧を描いて。
それをどこか私は拗ねた感じで見つめた。
舞美ちゃんにとってはそうなんだ?
でも、私にとっては2年ぐらいの懐かしさと寂しさがあったんだよ?
大好きなおやつに手を出すのを禁止されたような渇望感で
胸をかきむしりたくなる衝動に苦しみながら我慢してたんだよ?
- 600 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:21
- 「それに電話もしてたし」
声を聞いちゃえば、余計寂しくて。
マンガの世界にある、瞬間移動できる扉が欲しいって
馬鹿な考えさえ一瞬浮かんだぐらい。
「そう、だね」
曖昧に笑っちゃう。
こんなこと私が考えてるなんて、きっと思いもよらないんだろうから。
だけど、1つだけ。
舞美ちゃんのぜんぶに、私のすべてが反応してしまっているから。
そっと…本当にそっと、舞美ちゃんの指先に自分の指先を絡めて
取ったんだ。
みんなの視線から隠すように、音楽室に背を向けて。
ぴくり、と。
一瞬ためらいを見せたのは、舞美ちゃん。
細い指先が、がちんと一度固まって。
でも…、ゆっくりと、私の指の感触を確かめるみたいに握られた。
- 601 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:21
- 「舞美ちゃん…、今日、遊びに行っていい?」
首をかしげるように顔を見上げる。
続く言葉はあえて伝えない。
私の心の中を、きっともう舞美ちゃんは見抜いているだろうから。
「……愛理がいいなら」
答えた舞美ちゃんの声は、少し熱がこもっているみたいだった。
ううん、私を見つめる目も潤んでる。
そこに少しだけ違和感を感じたけど、押し流すように首を振る。
『そういうこと』を期待していたわけじゃない。
私はまだ子供だし、舞美ちゃんだってそうだ。
子供の領分、そういうのをちゃんとわかってるつもりだし。
強引に大人になることは望んでいない。
でも、それでも…期待に胸が鳴ったのは事実。
新しい舞美ちゃんの姿を見ることができるって。
表面しかしらない、舞美ちゃんの。
- 602 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:21
- 「愛理、お疲れ。――― 矢島先輩も」
不意に、声をかけてきたのは、りーちゃん。
わざとワントーン落とした声で。
まるで私たちの意識を引っ張り出すように、不機嫌に。
「あ、お疲れ様、りーちゃん」
「………うん。また、明日。……ちゃんと、来てよ?」
りーちゃん…。
なんだろう、胸がちくりとした。
小さな、本当に小さな棘が刺さったみたいに。
だって、なんで…。
あんなに悲しげに笑うりーちゃんが初めてだったから。
そうさせているのが、ほかでもない私だったから。
- 603 名前:Flood 投稿日:2013/10/24(木) 22:22
- ただ、続けてりーちゃんが視線を向けた舞美ちゃんには
明らかな感情が浮かんでいるみたいだった。
――― 後悔、怒り、悲しみ。
そんな全部、負の気持ちが。
受け止めた舞美ちゃんは、口元を緩めて一度頷いていたけれど、
ぽつりとこぼした言葉が、舞美ちゃんの本心を落としていたっけ。
「…梨沙子に、嫌われちゃった、かな」
そんなことない、とは言えなかった。
でも、私にはどうすることもできなくて。
親友と先輩の苦しい立場に、瞼を閉じて…心で念じていたんだ。
手放すことが出来ない優しさに、たゆたっていたかったから…。
そう、ただ一言。
『ごめんなさい』と。
- 604 名前:tsukise 投稿日:2013/10/24(木) 22:22
- >>596-603
今回更新はここまでです。
- 605 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:06
- とってもシンプル。
それが、舞美ちゃんの部屋の第一印象だった。
まったく無駄なものなんてなくって、必要最低限のものばかりで。
机の上に散らばったメイク道具ぐらいが、今風な感じ。
…高校生ってみんな、こんなに整然としたものなの?
私なんて、装飾からなにから暖色のもので揃えてて
アニメのキャラクターものだって、がんがんベッドの上とかに
散らばらせてる。
人が来るからーなんてなったら慌てて片付けるのが私。
でも、舞美ちゃんの部屋は、カーテンだって涼しげなブルーなら
木製の机も、洋服ダンスも、ベッドだって、ありふれたものばかり。
窓際のハンガーにかけられた制服がなかったら、
女の子の部屋かもわからないんじゃないかな。
- 606 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:06
- 「なんか変?」
「あっ、ううん、そんなことないよ?」
「そう? でも、愛理ってばずっとキョロキョロしてるから」
困ったみたいに笑う舞美ちゃんは、私の視線を追って部屋を見回す。
どっか変かなぁ…と、ポリポリこめかみのあたりをかきながら。
その仕草に笑ってしまった。
ちょっとポイントがズレてるだけなんだろうね。
帰国子女、なんて言ってたし、住んでた国によっては
もっともっとシンプルだったりするんだろうし。
って、そうだ…。
せっかくだし、もっと舞美ちゃんのこと、知りたい。
「ねぇ、舞美ちゃん」
「うん?」
「舞美ちゃんって、以前どこの国にいたの?」
「あ、ここに来る前?」
うん、と頷けば、ちょっとだけ考えるそぶりをみせて。
それからニッコリ笑って見せたんだ。
- 607 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:06
- 「ちょっと待ってね。なんか飲み物持ってくる。麦茶とかでいい?」
「あ、一緒に行く」
「そう? すぐだよ?」
「一緒が、いいの」
ぱっと目を大きく開く舞美ちゃんは、ちょっと驚いたみたいに口も開けて。
でも、すぐに緩く唇で笑みを浮かべて、いいよ、と手招きしてくれたんた。
止められなくなってる自分は自覚してる。
舞美ちゃんの世界を全身で感じてしまって、気持ちは加速して。
1秒だって離れたくない、なんてちょっと怖いことまで考えちゃってる。
これじゃいけないって思うのに…舞美ちゃんはなんにも言わないから。
いいよ、ってなんでも許してくれるから。
もっと、がんじがらめになるぐらい甘やかして欲しくて、追いかけてしまう。
- 608 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:07
- 廊下を並んで歩きながら、そっと指先を握れば、
ん?って顔で私を見て、それからまた笑顔。
きっと舞美ちゃんは、私の本当の心の内をなんにもわかってない。
可愛い後輩のお願い、そんなぐらいにしか捉えていないかもしれない。
でも、そうじゃないんだよ?
オレンジ色の街灯に照らされて告げた言葉、忘れてないよね?
…離れたくない。
ずっと、一緒にいたいの。
なにもかもから耳を塞いで、目も閉じて。
ただ…舞美ちゃんだけの世界の中で。
なんとなく薄暗い気持ちになりながら、舞美ちゃんに引かれるように
廊下を横切るその時だった。
- 609 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:07
- 「たっだいまー…」
がちゃり、と開いた玄関扉。
むっとする夏の空気と一緒に、眩しい陽の残光を背負って、
ひんやりした家の中へ逃げ込むように、人が入ってきたんだ。
次いで、もう一人追いかけてくるのは、暑苦しいスーツをきた人。
あの人は…、
「後藤、さん?」
「んあ? あれ? 鈴木ちゃん?」
そうだ、見間違えるなんてない。
こんな圧倒的な存在感を放つ人を。
その後ろにいる、ぷっくりしたほっぺの人を見れば、あぁ、やっぱり。
後藤さんと紺野さん。
栗色に輝くストレートの髪をかきあげて、気だるげに顔をあげて
ちょっと不機嫌そうにも映る唇が、今はあんぐり開いて、
思いもよらない場所にいる私の姿に驚いてる。
- 610 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:07
- その視線が、すっと下に下がって…私たちの繋がった指先を一瞬ちらりと見た。
あ、っと後ろめたさを感じて離せば、舞美ちゃんは うん?と一度だけ私を見て。
それから、なんでもないみたいに後藤さんに顔をあげたんだ。
「おかえりなさい、後藤さん。あの、すいません、勝手に…」
「んー? なんで? 謝ることないよー、ここ、矢島ちゃん家でも
あるんだしー」
私の前に立って、すまなそうに目を細める舞美ちゃんだけど
後藤さんは全く気にした様子もなく、ヒールの高いミュールを
器用に指先に引っ掛けて脱いでいってる。
それからへらっと笑って、私へと小首をかしげるように視線を向けて。
「いらっしゃい」
「お、お邪魔してます」
「まさか鈴木ちゃんがいるとは思わなかった」
「すみません…」
「なんでー、ぜんぜん。初めて矢島ちゃんが人を連れてきたから
嬉しいよ、ごとーは」
- 611 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:07
- 初めて?
そうなの?
ぱっと舞美ちゃんを見上げれば、ちょっとだけ恥ずかしそうに
目を細めて、アヒルのような唇の形で笑った。
わ…可愛いな。
テレ…てるんだよね?
それに…嬉しい。
舞美ちゃんの初めての1つに私が入ったことに。
「色々聞いてみたいこととかあるんだけど、ごめん、ごとー
これからすぐ海外ロケなんだ」
「これからですか?」
「うん、一週間、家あけるんだけど大丈夫?」
「えっ、あ、は、はいっ」
先の言葉は私に、あとの言葉は舞美ちゃんに。
本当に急いでいるのか、後藤さんはテキパキと家の指示を
舞美ちゃんに伝えていく。
- 612 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:08
- 火の元注意。
重要な書類は、どこそこに。
女の子の一人はぶっそうだから、まっつーにもちゃんと伝えてるし
何かあったら事務所に行け。
帰ってきたら焼肉食べに行こう。
本当に家族が家を空けるときに、お願いするだろうことをぜんぶ。
最後の一言は少し茶目っ気があって和んだっけ。
その間にも、一緒に自宅へとやってきたマネージャーの紺野さんは
あれやこれやと、後藤さんの荷物をまとめているみたいだった。
でも不思議なんだ。
マネージャーさんって立場はわかるけど、紺野さんの動きは
なんというか、勝手知ったる我が家…みたいな様子で。
まるで後藤さんのすべてを知ってるみたいに、アレはここ、
それはここ、なんてパタパタしてる。
そんなものなのかな。
- 613 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:08
- 「で、鈴木ちゃん」
「あっ、はい」
一通り舞美ちゃんに指示を出して、簡単なメモを渡してから
後藤さんは、さてと、というように私に振り返った。
舞美ちゃんと同じように、切れ長の瞳が細く緩やかなカーブを描いていて、
どこまでも優しい。
「なんか前会った時と印象違うなぁ」
「えっ?」
「ま、いーや。矢島ちゃんのことお願いね」
「わっ」
最初の言葉が気になった。
ともすれば、少し訝しむような表情を一瞬してみせたから。
でも、それは本当に一瞬のことで。
ぱっと笑顔をもう一度頬に浮かべて、ぽんぽんっと私の頭を撫でてくれたんだ。
- 614 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:08
- 「最近の矢島ちゃんってば、口を開けば『愛理が愛理が』だったし」
えっ?
「後藤さん…っ!」
「んははっ。結構一人で無茶とかしちゃう子だから、気をつけてあげて?」
「あ、はい」
わわわっ、と両手を上げ下げして慌てる舞美ちゃんに一度目を向けて
それから、わたわたと後藤さんに返事する。
私なんかが、先輩である舞美ちゃんをどうするとかできないだろうけど、
社交辞令だったとしても、舞美ちゃんを任されたのが、ちょっと、嬉しかったから。
それに…私の話とか、してたんだって…少し胸の奥がくすぐられたんだ。
だって、舞美ちゃんって本当に真面目な人で。
自分の気持ちをまったくと言っていいほど、伝えてくれなくて。
不用意に、心の奥のものを零したりなんかもしない人で…。
少しだけ、不安だったんだ。
私、迷惑なんじゃないかなって。
最近は特に。
でも…そうじゃないって、言ってもらえた気がして、
明らかに、ほっとしている自分がいたっけ。
- 615 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:09
- ・
・
・
「ごめんね、もっとゆっくり話とかしたいんだけど…」
「後藤さん、あと10分です」
「わかってるって」
玄関口で、コンコンっとミュールのつま先を鳴らす後藤さんは
扉を開けたまま待つ紺野さんに手をヒラヒラさせて。
最後に、ふぅ、と一度大きなため息をついたんだ。
「矢島ちゃん。先生にも呼び出しくらったし、戻ったら少し…進路の話しよ。
戻るか、残るか、ね」
「……………はい。いってらっしゃい、後藤さん」
「ん」
その会話が、強く私の胸の奥を揺さぶった。
得体の知れない不安が、頭の中を舐めるようにぐるっと一回転した感じ。
正常な判断を鈍らせるように…、黒い何かが視界を鈍らせるように。
- 616 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:09
- 戻る? 残る?
なんの話?
進路って後藤さんは言った。
呼び出しをくらった、とも。
それってなに?
待って…あぁ、私、一度見た。
学校に不釣合いな姿の後藤さんと…雰囲気の違った舞美ちゃんがいた所。
もしかして、あの時なにかが…?
- 617 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:09
- 「鈴木ちゃん」
「あっ、はい…?」
「今度、ソレ、聴きたいかも」
「あ……、はい」
ソレ、なんて軽く指差したのは、玄関からの渡り廊下の先に置かれた
私の荷物…クラリネット。
ただそれだけなのに、薄暗い気持ちが広がる。
後藤さんも…なんですか?って。
みんなみたいに、私に吹いて欲しいんですか?って。
でも、もう一度目線を上げて見た後藤さんに、ぐっと喉の奥が詰まった。
だって、なんで、そんな顔。
そんな――― しょうがないなぁって顔。
- 618 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:09
- 後藤さんは、どこか…公園で走っていた小さな子供が転んで、
お母さんが抱き上げる時にみせるような…いたわる様な…、
でも、ちょっとだけ楽しそうな、そんな顔だったんだ。
見抜かれてる?
私の今の気持ちとか。
どうしてここにいるのか、とか。
舞美ちゃんから、何か聞いて…?
ごくん、と一度喉を鳴らして後藤さんを見つめるけど、
表情はぜんぜんかわらない。
いいんだよ、そんな時もあるさ。
自分の足で進んでるんだもん、転んだりするよそりゃ。
言われたわけじゃないのに、そんな声が聞こえた気がした。
それぐらい軽く、ポンと私の肩を叩くような眼差しだったんだ。
期待じゃくて、希望。
『聴かせて欲しい』じゃなくて『聴いてみたいな』。
それぐらいの柔らかいレスポンス。
…心地いい…レスポンスだった。
- 619 名前:Dusk 投稿日:2013/10/25(金) 21:10
- 「んじゃ、いってきまーす」
「はい、いってらっしゃい」
「お気を付けて」
「うん」
返事も軽く。
ステップを踏むように扉の向こう側に消えていく後藤さん。
最後に見えたのは、髪をかきあげて圧倒的なオーラを背負った、
キラキラと金色に輝く、歌手・後藤真希の姿だった。
- 620 名前:tsukise 投稿日:2013/10/25(金) 21:10
- >>605-619
今回更新はここまでです。
- 621 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/25(金) 22:40
- 後藤さんの存在感は、やっぱり圧倒的ですね。
- 622 名前:名無し 投稿日:2013/10/25(金) 22:51
- tsukiseさんの書く文章がほんとに大好きです。
アンリアルなのにリアルな本人たちの心情だったりを上手く混ぜてあるので、
読んでいて更に気持ちが入ってしまいます。
毎日更新お疲れ様です。
これからもひっそりと応援してるので頑張ってください。
- 623 名前:名無し飼育 投稿日:2013/10/25(金) 23:11
- 更新ありがとうございますo(^-^)o
後藤さん、やっぱり説明出来ない凄さみたいなのがありますね。現実でも小説でも。
それにしても舞美ちゃんは一体何者ナンダァ…
- 624 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:48
- 写真、見たいな。
その一言に、舞美ちゃんは一度キョトンとして。
それから私を導いてくれた。
こっちだよ、と。
そして…。
「この部屋だよ」
舞美ちゃんに導かれて足を踏み入れた部屋。
くるりとぜんぶを見回して、私は素直に感歎のため息をついた。
だって。
4畳半ほどの板間に、ぎっしりと舞美ちゃんを形作るものが
所狭しと広げられていたから。
壁側に綺麗に、はめ込まれた棚には、
手入れの行き届いたカメラやレンズの数々。
種類とかぜんぜんわからない。
でも、埃ひとつ ついていないのを見ればわかる。
どれだけ大切にされているか。
- 625 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:48
- 壁側の反対には小さな机。
上に広がっているのは、裁断機やルーペ、羽ぼうき。
多分ここに座って写真を触っているんだ。
足元のゴミ箱には、写真の端が切られたんだろう白く細長い紙が
たくさん入ってるから。
そして…一番目に付いたのは、机の隣にある戸棚。
そこだけすごく重厚感を放つような、古びた洋風のもので…。
上部は3段のガラス窓の棚だけど、
真ん中から下は鍵付きの戸棚になってる。
なんてことはない、ガラス戸棚にはファイルが並んでいて
タグには年号が書かれてるし、きっと今まで舞美ちゃんが撮ってきた写真の
集まったものなんだと思う。
でも…どうしてだろう…すごく違和感。
ポップ調の部屋のせいかな…、すごくそこだけ異質で…。
- 626 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:48
- 「舞美ちゃん」
「うん?」
「あの戸棚だけ、すごく古そうだね」
「あー、うん、そうだね。あれは…前に住んでた所から持ってきたの」
「それで…。何が入ってるの?」
「見てわかる通り、今までの写真だよ? 何年何年って書いてるでしょ?」
……………。
きっとなんてことない言葉。
でも、私には分かってしまった。
いつもより早口になる姿に。
しきりに腕をさすりながら、困ったみたいに笑う姿に。
この数日、ただ一緒にいただけじゃない。
舞美ちゃんの一挙一動、見逃さないようにしてた。
私のこと伝えるぐらい一生懸命に舞美ちゃんを見てた。
だからわかる。
今の舞美ちゃんは、…ちょっと――― 動揺してる。
まるでそう、風を切って進んだ自転車で尋ねたご両親の話。
あの時の…薄く人を拒む何かが、そこにあったんだ。
- 627 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:48
- 「ふぅん…」
もう一度戸棚に視線を向ける。
そこで気付いた。
よく見ると、鍵付きの部分が少し開いてる。
長い年月の中で、壊れちゃったのかな?
ほんの少し開いた暗がりは、目を凝らしてもよく見えない。
「カメラとか、手にとってみる?」
ぱっと雰囲気を変えるみたいに顔を覗き込んできたのは舞美ちゃん。
本当に、あの棚には触れて欲しくないんだ。
「いいの?」
「うん、色々あるけど…どれにしよう?」
「うーん…じゃあ、一番珍しいのを」
「珍しい…。あ、ちょっと待って。じゃあ珍しいの取ってくる」
「えっ?」
「部屋にあるんだ」
あっ、と声を上げるけど、その次の瞬間には舞美ちゃんは
もう部屋を飛び出していて、苦笑してしまったっけ。
- 628 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:49
- 一人になって、くるりともう一度部屋を見る。
ちょうど真ん中に小窓があって、ブルーのカーテンからは
陽の光が入っていて目に優しい。
この部屋が、舞美ちゃんの歴史。
その中に今、私がいる。
それがすごく嬉しかった。
と。
「あれ…?」
ふっと見上げた先。
カメラの並んだ棚の上に、一枚の紙。
なんだろう? 気になる。
写真ではなくって、ちょっと色あせた紙だ。
「届くかな…?」
あたりを見渡して、小さな踏み台をみつけて。
それをよいしょ、と棚に寄せて上に上がる。
「んーー…っ、もうちょっと…っ」
こんなとき、成長期真っ只中の身体を恨めしく思う。
多分舞美ちゃんなら届いた。
でも、頭半分ぐらい違う身長が、ここで差を出して…。
- 629 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:49
- 届きそう。
指先は、その紙のはしをつついてる。
「もう、少し…っ」
伸び上がって、もう一度…と指を伸ばす。
その瞬間だった。
ぐらり、と傾ぐ踏み台。
反射的に、棚にしがみつけば、がくんとバランスを崩して。
目の前のカメラのレンズも大きく揺れた。
いけないっ、とレンズに手を伸ばしたのが間違い。
並んでいたレンズが、次々と指先から逃れるように転がって、
「あっ」
がくん、と。
膝が折れて、踏み台から落ちると同時に床に尻もちをついた。
だん、と緩く。
- 630 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:49
- 「痛…っ」
軽い衝撃。
対したものじゃない。
でも。
ガタガタ、と耳に届いた不気味な音に顔をあげて…―― 息を飲む。
だって、ほら…。
たくさんのレンズが、棚から今――― 私に向かって真っ逆さまに。
「…っ」
あっと思ったけど、身体はがちんと固まったみたいに動かなくって。
落ちてくるレンズの山をスローモーションのように見てた。
でも。
「危ないッ!!」
空気を切り裂く鋭い声。
びくん、と身体が跳ねてそちらに視線を向ければ、
いつのまに戻っていたのか、疾風のような影が私に迫っていて…。
舞美ちゃんが…迫っていて。
- 631 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:50
- 「っ!!」
どん、と強く私の身体を抱きしめて倒れてこむ感覚。
と、共に、勢い余って重力に逆らうことなく床に叩きつけられていく。
私じゃない。
私を巻き込んで倒れた舞美ちゃんの身体が。
小さな衝撃は、頭、肩、膝に。
でも本当にわずか。
傷のひとつにもならないようなそんな。
逆に、強い衝撃はぜんぶ舞美ちゃんに。
ぐぅ、と小さな呻きが耳元で聴こえるけど。
頭を押さえ込まれるようにして抱き込まれているから
舞美ちゃんの姿がよく見えない。
「舞美ちゃん…!」
ぐいっと、その背に手を回して頭を回すけど、
そこでまた目を見開く。
ちょうど視線の先、机の上に無造作に置かれた裁断機が
ぐらぐらと揺れている。
このままだと…。
- 632 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:50
- あ…!
小さな声は、喉の奥に掻き消えた。
だって、ほら。
キン、と裁断機の刃の部分がストッパーから外れて、
私たちに落ちてきてる。
間違いなく…当たる位置。
頭に浮かんだのは最悪の状況。
そう、刃に切られて…鮮血が吹き出すイメージ。
でも。
そのイメージが形になる前に。
「くっ!」
身体がもう半回転。
気付いた舞美ちゃんが、ぐりん、と最後の力を振り絞るみたいに
私と一緒に床の上を転がったんだ。
でも、鈍い動きに、獲物を捕らえた刃は見逃すはずもなく。
スパン―――!
鋭い一閃を突き立てるように、床に刺さって落ちた。
- 633 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:50
- ・
・
・
何が起こったのかわからなかった。
ただ、目の前で散るのは、鮮血の赤なんかじゃなくって。
目が覚めるような―――黒。
パラパラと、紙吹雪が舞うように。
さらさらと、私の視界の先で愉快に踊るように。
舞美ちゃんの背中越しに手を伸ばして…掴んで気づく。
指先から、さらさらとこぼれ落ちていくそれは…
――― 舞美ちゃんの、髪だった。
- 634 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:50
- 気づけば一気に意識が落ちてくる。
さーっと血の気が引く感覚が全身に広がってくる。
「あ…あ……ぁ…」
伸ばした両手は、わなわなと震えながら美しい残骸を
次々に掴んでは落としていく。
あの漆黒で、流れるように風に舞っていた…美しい髪を。
「舞…美、ちゃん…」
呼びかければ、ようやっと私の無事を確認したみたいに
大きく息を吐いて、身体をゆるゆると解放する舞美ちゃん。
反動でパラパラと私の顔に落ちてくる髪。
あぁ…やっぱり。
見上げた舞美ちゃんは別人のよう。
それぐらい、ざっくりと。
持って行かれた舞美ちゃんの髪。
私の…不用意な行動一つで。
なのに。
- 635 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:51
- 「愛理…、大丈夫? 怪我はない?」
目の前いっぱいに広がる舞美ちゃんの顔が歪んで
最初に心配したのは、私のことだった。
瞬間、胸が切り裂かれたように痛む。
ううん、刃が深く胸に突き刺さったように鈍く。
どうして…。
ううん、でもわかってた。わかっているはずだった。
舞美ちゃんはそういう人なんだって。
自分じゃない、誰かを一番に考える人だって。
今更分かっていたはずなのに。
こんなにも、心が痛むなんて…。
そこまでさせているのが自分なんだって分かっているから余計に苦しい。
- 636 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:51
- 「舞美ちゃん…。…っく…ひっく…」
「愛理…? どうして、泣くの?」
だって…。
舞美ちゃんが、優しすぎるから…。
私に、すべてを差し出してくれるから。
こんな、どうしようもない私に。
自分が傷つくことも恐れず…何もかもを出してくれるから。
「だって…舞美ちゃん、髪が…」
「あぁ…。でも髪なんて、また伸びるからいいんだよ」
そうは言っても、この量は…。
真横一閃に落ちた刃のせいで、不揃いな斜め髪が
肩口で揺れてる。
あんなに柔らかな雰囲気を出していた、絹糸のような
なだらかな髪は、もうない。
- 637 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:51
- 「愛理…? あいり…?」
あぁ、そんな優しい人に、私はどうしたらいい?
ここまで溺れてしまった私は、どうやって自分で立ち上がればいいのか
もうわからないのに。
でも、苦しめたくない。
これ以上、私のエゴで舞美ちゃんを苦しめたくない。
だけど、でも、だって…。
両手できゅっと顔を押さえる。
何も見えない視界で、自分の心だけを見つめるみたいに。
でも、そうすればこみ上げてくるのは激情だけで。
むき出しの本心を突きつけられたんだ。
…――― 離れたくない。
離したくないんだ、舞美ちゃんを、と。
ここまでしてしまったくせに。
それでも、離したくない、と。
- 638 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:52
- だって。
あなたが――― ううん、だめだ。
言っちゃだめだ。 認めてしまうことになる。
「愛理は…舞美ちゃんが―――」
そうなったら、もう戻れない。
際限のない欲が、どんどん襲いかかるのを知ってる。
でも、分かっていても。
私は――――
- 639 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:52
-
「舞美ちゃんが…好きなの」
――― ついに、言ってしまった。
- 640 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:52
- 「好きで好きで好きで…、どうしたらいいのか
わからないぐらい好きなの…」
溢れ出した気持ちはもう止まらない。
止められない。
ギリギリで止めていた心の鎖は、一気に砕け散って。
渦巻く感情を全部吐き出してしまった。
「あい、り…」
かすれた声で呼ばれて、ぴくんと身体が反応する。
拒絶される?
そう、だよね。
舞美ちゃんがそんな気持ちじゃないんだってことはわかってる。
ただ、身動きのできなくなった私を少しでも助けたいって
思ってくれていたんだってことも。
なのに、こんな言葉を言われて…困るよね。
ごめんね。
- 641 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:52
- 胸に広がる後悔に観念しながら、視界を覆っていた両手を開く。
でも、その先にいた舞美ちゃんの表情は、想像していたものと
全然違っていた。
定まらない視点。
灰色に濁った瞳。
高揚したように赤い頬。
吐き出される息は、とっても熱く。
短い間隔で呼吸しているのがわかるぐらい大きく揺れる肩。
「舞美ちゃん…?」
「ごめん…なんか…」
言葉は苦しげに。
次いで寄せられた眉は、とっても辛そう。
気づけば額や喉元から吹き出している汗。
これは…。
もしかして…!
- 642 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:53
- 「舞美ちゃん、ちょっとごめん」
「あ…」
ふっと手を伸ばして額に当てる。
一瞬顎を引くように逃げた舞美ちゃんだけど、怯まずに。
そして気づく。
手のひらから伝わってくる、信じられない体温に。
「ひどい熱…っ。いつから?」
「えっと…わ、わかんない…かも」
あぁっ、もう。
へにゃんと情けなく笑う舞美ちゃんに、きゅっと唇を噛む。
ううん、悔しさは舞美ちゃんにじゃない。
ずっと気付けなかった私にだ。
あれだけそばにいてどうして…!
なんでもっと早く…っ。
いつからだろう?
そんなすぐに、こうなるはずがない。
- 643 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:53
- 「もしかして…っ」
あ…、そうだ…!
学校で一瞬感じた違和感。
ここに来たいと言ったあのとき、舞美ちゃんに僅かな変化があった。
微かに熱っぽさを含んだ息に、潤んだ瞳。
本当のことは分からない。
でも、あの時からジワジワと舞美ちゃんを蝕む何かがあったとしたら
どれだけ辛さを押し隠していたんだろう。
「とにかく、休まなきゃ…!」
浮かんだ涙をぐいっと制服の袖で拭い取って、
舞美ちゃんの身体を押し戻す。
そのシャツ越しから伝わる熱さに、一瞬触れた手を離してしまうぐらいだ。
「大丈夫だよ…、そんな愛理、大げさ」
なんでこの人は…! もう!
さっきまでとは違う意味で舞美ちゃんにもどかしさを感じる。
もっと…もっと自分を大事にしてよ…舞美ちゃん!
私なんかが言える立場じゃないから声には出さなかったけど、
だって、なんでこんなに…!
- 644 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:53
- ただ…。
「あ…髪…」
パラパラと舞美ちゃんが動くたびに床に落ちる黒。
どうしよう…?
考えて。
優先順位を。
大切なことは何?
とにかく…舞美ちゃんを休ませることだ。
髪はそのあとでなんとでもなる。
「少し、ごめんね、舞美ちゃん」
「わっ」
強引だって思ったけれど、私は起き上がると
舞美ちゃんの頭にやおら手を伸ばし、わしゃっと軽く頭をかき回した。
パラパラと床に散らばっていく髪は、思ったよりは少ない。
シャツのサラっとした素材も今は有り難く、弾いてくれてる。
ぱんぱんっと肩口を叩けば、ほとんどふるい落としたようで
これなら片付けは、なんとかなりそう。
- 645 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:54
- 「舞美ちゃん、とにかく横になろう」
「そんな、大丈…」
「舞美ちゃんの大丈夫はアテにならないよ。ほら、はやく」
「あ…っ」
ぐいっと腕を引くようにして立たせると、舞美ちゃんの部屋へと
その身体を支えて進んでいく。
いいよ、とか、大丈夫、とかまだごちゃごちゃ言う舞美ちゃんは
この際無視。
だって、私、任された。
後藤さんに、舞美ちゃんを。
きっと社交辞令。
それでも、唯一の家族に…許されたから。
舞美ちゃんに踏み込むことを。
だから…。
「寝巻きとか、自分でできる?」
「…うん…」
「じゃあ、私、部屋を片付けてくるから、寝ててね」
「あ、そんなこと…」
「もういいから。舞美ちゃんは黙って私の言う事聞いて」
- 646 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:54
- まるで駄々っ子。
意外と頑固だって、もも先輩から聞いてはいたけど、
ここまで頑なにされると、ちょっとむっとしちゃう。
もっと頼ってって。
あなたに私が寄りかかったものを返すことはできないけれど、
それでも、あなたのSOSには、誰より先に気づきたいって思ってる。
だから、もっと、私に弱さもぜんぶ見せてって、声を大にして
言いたいぐらいなんだ。
「あ、掃除機はどこにあるの? あと、水枕と薬も」
続けてポンポン聞いて申し訳ないとは思ったけれど、
思い立ったことはすぐ行動したいんだ。
舞美ちゃんの体力だって、無尽蔵じゃない。
だったら今のうちにできることはすべてしてあげたい。
- 647 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/26(土) 21:54
-
「い、いいよ、自分で、する…」
「舞美ちゃん?」
「…あ、はい…」
きゅっとゆるく睨みつければ、眉を下げて力なく笑う舞美ちゃん。
一瞬、逡巡したように指先で唇をいじって、それから観念したように
すべての場所を教えてくれた。
ごめんね、と一言だけ告げて。
その姿が……、なんというか髪を失ってあどけなさの残る顔のラインとか
一気に幼さが浮き彫りになったせいで
すごく弱々しくて…頼りなくて…、胸がずきんと痛んだっけ。
- 648 名前:tsukise 投稿日:2013/10/26(土) 21:55
- >>624-647
今回更新はここまでです。
621 名無飼育さん
そうですね、後藤さんの出番はそんなにないはずなのにw
存在感あるのは、きっと生まれ持ったものもあるのかもです(←ごまヲタw
622 名無しさん
ありがとうございます。作者としては嬉しい限りです(平伏
彼女たちのリアルの悩みとは別方向からの物語だったりしますが
それでも、根本的な彼女たちは崩したくはないな、と思っております。
またひっそりとお付き合いくだされば幸いです♪
>>623 名無し飼育さん
こちらこそ、立ち寄って読んでいただき感謝です(平伏
後藤さんの存在って、小説界隈でもリアルでも少し特殊ですよね。
少しでもそれが出せているなら幸いです。矢島さん…どんな人なんでしょうねw
また続けて読んでくださればありがたいです♪
- 649 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/26(土) 22:57
- いきなりの手に汗握る展開に驚きました!
この先の展開もすごく楽しみです。
- 650 名前:名無飼育 投稿日:2013/10/27(日) 02:38
- めちゃいきなりの展開に!すっごく!心臓バックバクです!舞美の髪が。。。
- 651 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:00
- ――― 人の弱さに気づけたとき、どうすればいいのか。
キラキラ輝いていたその人の、その人だけの『世界』の中に
不安定に揺れるものの正体を見つけてしまったとき、どうしたらいいのか…。
耳の奥に聞こえたのは、後藤さんの言葉。
『好きなものをずっと好きでい続けることも、大変ってこと』
今やっと、理解する時がきた。
そのフラグが…すべて立つときがきたんだ。
でも、おかしいんだ。
後藤さんの言葉と一緒に、最後に耳の中に聞えてきた言葉は、
なぜか、もも先輩のあのアニメチックな声だったんだ。
―――― 甘えた分だけ、大人になれよ。
って。
- 652 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:01
-
・
・
・
- 653 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:01
- カチン。
「よし…」
掃除機を回して、あらかた片付いた部屋を見回して息をつく。
結構な量の髪が散らばっていたことにすごく胸が痛んだけれど、
止まってなんかいられない。
舞美ちゃんの体調は最悪といっていいほどだし、無理をしちゃうタイプだから
ちょっと目を離しただけで、起き上がったりしちゃいそうで。
早くもどってあげたかったから。
思いのほか手間取ってしまって、ちらりと部屋の時計を確認すれば
ゆうに6時をまわっていた。
オレンジ色に傾いた陽が、窓から差し込んできてるけれど
じりじりとした暑さは健在で、額に浮いた汗をぬぐって一伸び。
- 654 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:02
- 「片付けてから…水枕と…タオルを」
愛理って器用だね、とかクラスメイトや友達によく言われるけれど
本当はそんなんじゃない。
実際には、こうやっていろんなことを確認しながらじゃなきゃ
ちゃんと動けなくて。
ちょっとだけ、人よりスマートに動きたいって思うだけなんだ。
かっこ悪いところを見せたくないって、そんな風に。
ただ…こうして時々起こるイレギュラーにはとっても弱いんだ。
それに…気持ちを伝えた相手だからこそ。
「そういえば…返事、聞けなかったな…」
そんな場合じゃないし、当然なんだけど。
少しだけ…残念に思ってしまっている自分もがいた。
それと同時にホっとしている自分もいて。
もし、ごめん、という言葉が返ってきていたら…、そう思うと足がすくんだ。
こんなにも強くなってしまった想いの捨て方を私は知らないから。
傷ついて怯えながら舞美ちゃんのそばにいるなんて、もうできない。
そう思うと、返事はなくてよかったのかもしれない。
- 655 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:02
- 「あとは…」
ぱたぱたと、台所に立って冷蔵庫に手をのばす。
簡単なおかゆはもう作っておいたから、あとは飲み物と…。
冷たくしたタオルの替えと、そして水枕の準備。
「ふぅ…」
からからと氷を入れながら、顔を上げた。
それからふと思ったんだ。
後藤さんと二人で暮らしている舞美ちゃん。
後藤さんは、お仕事の関係もあって、こうやって家をあけることは多いと思う。
そのとき、舞美ちゃんは……ひとり。
この広い家の中に、ひとり。
それは…どんな気持ちなんだろう?
私だったら…耐えられない。
考えれば考えるほど、胸の奥がぎゅうっと痛くなって。
急いで部屋に戻ったんだ。
- 656 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:03
- ・
・
・
コンコン。
「舞美ちゃん、大丈―――」
扉を開けて、眉をひそめた。
ちょっとむっとした空気に。
それよりなにより、身じろいでみせた舞美ちゃんに。
「舞美ちゃん!?」
明らかに様子がおかしくて駆け寄る。
「………っ」
近くに来て、その姿に息を飲んだ。
- 657 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:03
- 乱れたシーツに、ずれた枕。
間に合わせに置いた額のタオルは、落ちて目元をすっぽり隠して。
よほど苦しいのか、胸元を強くかき抱いたまま舞美ちゃんは浅い呼吸を繰り返し。
額には玉のような汗を浮かばせて、肌に髪を張り付かせている。
「しっかり…っ」
急いで額の汗を拭ってタオルを取り替えると、水枕を用意する。
ごめんね、と頭を持ち上げるけど、意識の白濁した舞美ちゃんからの反応はない。
それが私を余計不安にさせた。
上気した頬。
何度も大きく上下する胸、苦しげに身じろぐ身体。
時々伏せられた瞼が開くけど、視点の定まらない潤んだ瞳を彷徨わせて。
辛いのか、すぐに頭を左右に振ってゆるくいやいやしてる。
- 658 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:03
- 「舞美ちゃん…舞美ちゃん…」
こんなに弱った舞美ちゃんを見たことがなかったから、
本当に今の私の行動は正しいのか、不安になってくる。
でも、他にどうしようもなくて。
医学の知識があるわけじゃない。
ましてや、後藤さんは出かけたばかり。
でも、だからこそ、自分がしっかりしなきゃって
なんとか奮い立たせてるんだ。
「あいり…?」
水枕に頭をのせたそのとき、掠れた弱い声に呼ばれた。
見れば、ゆるゆると瞳を潤ませて舞美ちゃんが薄くこちらを見つめていた。
- 659 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:04
- 「舞美ちゃん…っ、大丈夫?」
言って、自分の愚かさに腹が立つ。
大丈夫なわけないじゃない。
なのに何言ってるんだ、私は。
それでも舞美ちゃんは一度瞬きをして、口元を少し緩ませ頷いたんだ。
そのわずかな動きに、額の汗が流れ落ちる。
「愛理…あたしは大丈夫だから、もう帰りな。家の人が心配する」
言われて部屋の時計を確認する。
時刻は、7時を指そうとしていて、
確かに友達の家に遊びにいっているにしても遅い時間だ。
しかも連絡さえしていない。
だけど、こんな弱った舞美ちゃんを誰が一人になんてできる?
- 660 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:04
- 「でも…」
「あたしは…こういうの、慣れてるから」
慣れてる? 何が?
顔に疑問が出たのか、舞美ちゃんはもう一度瞼を閉じてうなずくと
弱々しくもまた笑顔を浮かべた。
ううん、もしかしたら自嘲していたのかもしれない。
それぐらい…見落としてしまいそうなぐらいのわずかな笑みだったんだ。
「結構…ひとりでいること多くて…だから、慣れっこなの」
慣れっこ…。
慣れっこって言った。
一人でいることが?
一人が慣れっこって、そんな人、本当にいるの?
こんなに辛い時に一人でも?
そんなの…、
- 661 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:05
- 「そんなのあるわけないじゃない…!やめてよ、舞美ちゃん!」
「あいり…」
泣きそうになって声が震える。
こんな時でも、自分より誰かのことを考える舞美ちゃんに悲しくなったんだ。
思わずシーツの上に投げ出されていた手を握って、
自分の額に祈るように押し付ける。
きっと、これが初めてなんかじゃない。
ずっと、ずっと昔からこうやって一人だった。
病気で心が弱ってしまっても、誰にも頼れなくて。
長い夜の闇の中でも、たった一人で…。
本当のことはわからない。
でも、舞美ちゃんには、それが『当たり前』になってしまって。
そばに誰かがいても、素直に甘えることができなくなってしまったんだきっと。
ううん、もしかしたら…甘えるという考えさえ…なくしてしまったのかもしれない。
- 662 名前:Evening calm 投稿日:2013/10/27(日) 21:05
- それは一歩引いた形で周りを見せて。
鈍感で天然なくせに、他人のことには敏感になって。
誰かのためには自分さえも投げ捨てて…。
それって強いことだと誰かは言うかもしれない。
自分の気持ちをちゃんと制して、しっかりしてると言うかもしれない。
でも、それを私は…悲しいことだと思うんだ。
もっとわがままになっていいんだよって。
自分に優しくしてあげてって。
自分を大切にしてあげてって。
そう、教えてあげたくなるんだ。
ひとりだった頃の舞美ちゃんを、助けてあげたい。
そばに行って、何ができるわけでもないけど、一緒にいてあげたい。
無理だとわかっていても、思わずにはいられなかった。
- 663 名前:tsukise 投稿日:2013/10/27(日) 21:05
- >>651-662
今回更新はここまでです。
>>649 名無飼育さん
そうですね、突然というか急転直下な展開で振り回しております(^^;
もう少しディープなところまで、二人にはいってほしいところです(ぇ
>>650 名無飼育さん
一気に矢島さんに迫っていく展開となってしまって申し訳ないです(^^;
時期的にはズレてしますが、矢島さんの髪は…どうしても入れたかった
部分だったり(ニガ)またお付き合いくだされば幸いです。
- 664 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/10/28(月) 13:35
- 今まで見た中で一番面白いです、本当に文庫化して欲しいくらい。。。
舞美ちゃんの謎さが本当に気になあります
- 665 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:47
- どれぐらいそうしていたんだろう?
握っていた手から、すっと力が抜けるのを感じて私は顔を上げた。
「まいみ、ちゃん…?」
覗き込むようにベッドに手をついてみれば、
舞美ちゃんは静かに瞼を閉じて、眠ってしまっているみたいだった。
その額からは汗が浮かび、まだ苦悶の表情を浮かべていて痛々しい。
確かめて、唇をきゅっと結ぶ。
――― もう、決心していた。
そっと舞美ちゃんの手を戻して、立ち上がると部屋を後にする。
それから廊下を横切って、置いたカバンから携帯を掴んでダイヤル。
もちろんその先は…自宅。
- 666 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:48
- 「―――…もしもし? うん、私、愛理。…ごめんなさい。うん、大丈夫。
今日ね、りーちゃんの家で練習することにして…うん…、だから…泊まって…
いい、かな?」
電話越しに、お母さんが少し驚いた声をあげた。
そうだよね、ぜんぜんそんなこと言ってなかったし。
こんな時間になって言うとさすがに怪しい、よね。
でも…、りーちゃんの名前に、小さく頷いて。
「………ありがとう。うん、伝えておく。じゃあ」
大きな嘘に胸が痛んだ。
お母さんのことだ、何かに気づいているかもしれないけれど、
それでも許してくれた。
その信頼と優しさに、ごめんなさい、と心の中で呟いて、通話を切る。
- 667 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:48
- もし、お母さんがりーちゃんの家に電話したとしても、
きっとうまく対応してくれる。
どんな風に思っていても、りーちゃんなら。
そう思ってしまう自分に嫌悪さえ感じるけれど、今は…
舞美ちゃんの力になりたいんだ。
一人苦しんできた…舞美ちゃんの。
大きく息を吐き出して携帯を閉じる。
こんなことしている場合じゃない。
さぁ、舞美ちゃんのそばに。
そう思って歩き出して……止まる。
視界に入ったのは、さっきまで片付けていたあの部屋。
カメラや写真で埋められたあの部屋は、何故かすごく私の心を掴んだんだ。
私の知らない舞美ちゃんがそこにある気がして。
- 668 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:49
- だめ、と。
頭の片隅で冷静な私が止める声が聞える。
勝手に部屋をのぞくなんて、しちゃいけないって子供でもわかる。
自分がされたらすごく嫌だ。
でも。
知りたい…。
なんにも教えてくれない、笑顔の舞美ちゃんに隠れた本当の姿を。
誰も…知りえない、胸の内。
そういうの、ぜんぶ知りたいんだ。
好奇心に負けた私は、そっと扉を開いて中へ。
- 669 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:49
- 漂う闇を消すように、部屋の明かりを点けるけど、閉塞感がすごい。
それだけぎっしり詰まった部屋の雰囲気。
無機質なカメラのレンズ。
ぴったりと同じ高さで並んだファイル。
そして、冷たさ感じる木製の棚。
舞美ちゃんを形作るそのすべての空気に、一瞬たじろいだ。
「そういえば…写真、見せてもらってなかったな…」
思えば早くて、ガラス戸棚を開いてひとつのファイルを手に取る。
年号は一年前。
ぱっと指先で残ったファイルをたどれば、ぜんぶ一年前から始まっているみたいで
…ということは、舞美ちゃんが日本に来てからの写真…ってことか…。
- 670 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:50
- 開いて、うわ…と目を細めた。
だって、目の前に広がった写真は、すっごく綺麗。
他愛もない写真だと思う。
校舎の写真だったり、陸上部の練習風景とか。
クラスメイトかな、何人かがVサインしているものだったり。
でも、それはとても私の胸を温かくするものだったんだ。
だってほら、地を蹴ってグラウンドを駆け出す陸上選手は、躍動感溢れて
少し苦しげに息を吐き出す表情だって、音さえ伝わってきそうだし。
笑顔を向けているクラスメイトだって、色づいた頬がとっても柔らかくて
全体的に淡く暖かさが伝わってくる。
河川敷から撮られたみたいな草木は、雨が降った後なのか
瑞々しい水滴を弾いて息吹を感じる。
散歩中のお母さんと小さな子供は、つないだ手を中心に
ほんのり優しい気持ちが流れているみたいで、こっちまで笑顔になる。
- 671 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:50
- どれも、全部ありふれた風景。
でも、ぜんぶ…色があった。
口では言いあらわせられない、色が。
それを撮った舞美ちゃん。
うん、なんだかわかる気がする。
あんなにも柔らかなひとだから。
でも…少しだけ疑問が残ったんだ。
私がはじめて舞美ちゃんを知ることになった、あの空の写真。
あの写真は…内閣総理大臣賞なんて、すごいものをもらうぐらいだった。
だったら…、なにか大きな大会とか、そういったところに出したものとか
そういうのはなかったのかな…?
学校で真野さんがすごい剣幕で私につっかかってきたりした。
そのとき、どれだけ舞美ちゃんがすごい人なのかを必死で伝えるような
そんな雰囲気を感じた。
だったら…、そういう大きなところに出した写真がきっとあるはずなんだ。
でも…。
- 672 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:51
- パラパラと、いくつかのファイルを続けて手にとってめくるけれど
それらしいものはどこにもない。
どうして…?
私の考えすぎなんだろうか?
実はそんなにカメラをやっていたわけではなくって、
つい最近はじめたとか…?
……ううん、そんなはずない。
だって、くるりと見回せば大切に並んだカメラの数々。
全部手入れが行き届いていて、ただの趣味だからって集めたものなんかじゃない。
大切に、本当に大切にされてきたものだ。
だったらきっと。
そこでふっと視線を上に向けた。
棚の上に見えるものに。
さっきは届かなかった紙が、ごたごたがあってこっちによってきてる。
あれなら、届くかもしれない。
なんの変哲もない紙かもしれない。
でも気になった。
そうなったら私の悪いクセ。
確かめずにはいられない。
- 673 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:51
- 「よいしょ…」
さっきの今で、慎重に椅子を棚に近づけて上に乗る。
ぐらっとくる感覚はなくって、手を伸ばせば…
思いのほかすぐにその紙に手が届いた。
慎重に椅子から降りて、その紙に視線を落とし…息を飲む。
「これは…賞状?」
埃を表面に浮かせたその紙は、日本語でも英語でもない、
どこか別の国の言葉で書かれた賞状だった。
なんて書かれているかは分からない。
でも…『MAIMI YAJIMA』とあって、確かに舞美ちゃんのもので…
中央にはめ込まれたゴールドのメダルの中にカメラが象っていて…、
それで気づく。
きっとこれは…写真の大会かなにかの賞状だ、と。
- 674 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:51
- やっぱり…。
胸に浮かぶのは、そんなストンと落ち着く感情。
あんなに素敵な写真を撮る人だもん。
そういう結果が残されていておかしくない。
だから、あぁ、やっぱりな、って。
ただ、驚いたのはその賞状に書かれた年。
今から5年前…。ということは、舞美ちゃんは12歳…!?
そんな年齢で獲った賞!?
愕然とする。
舞美ちゃんの本当の凄さを今目の当たりにして。
ううん、もしかしたら、もっと昔から舞美ちゃんは
注目されていた存在だったかもしれない?
そんな人に…私は…。
- 675 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:52
- でも、だって、舞美ちゃんはぜんぜんそんな風にしてなかったから。
そう偉ぶることも、驕ることも、それこそプライド高く人をはじくオーラもなくって、
誰にも平等に優しさを差し出していたから。
気づかなかった。
ううん、気づけなかった。
そのとき…ふと思い出した言葉があった。
そう…少し前に聞いた清水先輩の言葉。
『写真、凄い賞だって言われるの、困っちゃうんだって』
なにが?
どうして?
あのときに生まれた疑問が、もう一度よみがえってくる。
でも、あのときとは違う疑問の形で。
- 676 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:52
- だってこんなにみんなが認めているんだよ?
すごい写真だっていってくれてるんだよ?
たくさんの人が注目してくれているんだよ?
なのにどうしてって。
カタン、と。
何気なく後ろに下がって、背後の棚に身体が当たってよろめく。
あっ、と思って振り返れば、あの鍵付きの戸棚。
少し開いた…戸棚。
………。
視線が吸い寄せれる。
薄く開いた扉の中に。
思えば早かった。
ぱっと賞状を棚の上にそっと戻して…。
- 677 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:52
- 緊張で震える手で、ぎしりと軋む扉を開けて…、
「―――っ!」
息を飲んだ。
ひっ、と声が出そうになって両手で口元を押さえる。
だってこれは…。
「ど、どうして…こんなところに…」
見つけた、見つけてしまった。
舞美ちゃんの…――― 過去。
広がったものに、一瞬動揺する。
それから、うるさいぐらいに響く心臓の音を落ち着けるように深呼吸。
落ち着いて…落ち着いて…。
大丈夫、舞美ちゃんは眠ってる。
そう簡単に起きるはずない。
大丈夫…。
一度目を閉じて…、うん、大丈夫、落ち着いてきた。
ふぅ、と大きく息を吐くと思いのほか大きな音がしたけど、
もう動揺はなかった。
- 678 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:53
- 「これは…ぜんぶ写真…」
中に指先を伸ばして…ひきよせる。
その先には、たくさんの写真があったんだ。
無造作に集められて、ただ押し込めるように入ってたものが。
押し込める…というのが正しいのかわからない。
でも、なんだろう、この入れ方は…。
言うなら、もう二度と目に入ることがないように、
奥に押しやるような…そんな感じに見えた。
本当のところはどうかわからないけれど…。
そっと一枚手にとって…、目を細めた。
それは、取り出してわかったけれど、
その写真は…真ん中あたりで破かれていた。
破れていたんじゃない…、これは破かれていたんだ。作為的に。
- 679 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:53
- 誰かに破かれた?
それとも舞美ちゃんが?
わからない…。
でも、写真に写っているものは…とても見事な建物…だと思う。
半分しかわからないから確かなことはいえないけれど、
これは…多分美術の教科書とかでみたことがある、有名な建造物だ。
他には…、と指先を伸ばして別の一枚を手に取る。
そして――― 眉を顰める。
その写真も…破かれていた。
どこかの国の大理石像に見える。
これもとても見事な写真…だと思う。
まさか、と思いながら、かき寄せるように他の写真を両手で引き寄せてみて…、
愕然とした。
そのまさかが的中。
そこにある写真、すべてが破かれていたんだ。
本当にぜんぶが。
きっとどれもすごい写真。
なのにぜんぶ…ぜんぶがまるで否定するみたいに。
- 680 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:53
- 「どうして…」
つぶやいて、ふとかち合う写真を見つけて二枚を重ねる。
その写真は立派な大聖堂の写真。
光をいっぱいに集めて、神々しいっていうのはこういうことなんだと思う。
本当にすごい。
すごい写真……なんだけど…。
どうしてだろう…私には、ピンとこなかった。
どう言い表していいのかわからない。
でも、そう、言うならば…『あの空』を見たときのように
惹きつけられるものが…その写真にはなかったんだ。
すごいのに、綺麗なのに、…好き、ではない。
あの、一目見て心を持っていかれた感覚がまったくないんだ。
- 681 名前:Collapse 投稿日:2013/10/28(月) 20:54
- 何が違う?
見事で綺麗だ。
すごく美しいし、すごいとも思う。
でも…違う…違うんだ。
表現できなくてもどかしいけど、いえるのは1つ。
私は――― 好きではない。
それだけだった。
夢中になっていたせいかな…、私は気づかなかった。
ぎぃ、と一度音を立てて開いた部屋の扉に。
そして、
「…なに…、してるの? 愛理…?」
「……っ!?」
揺らめくようにこちらを見ていた、舞美ちゃんに。
- 682 名前:tsukise 投稿日:2013/10/28(月) 20:54
- >>665-681
今回更新はここまでです。
次回更新に、少しばかりお時間頂きたいと思います。
>>664 名無飼育さん
そう言って頂けると作者としてはありがたい限りです(平伏
少しずつ紐解かれていく矢島さんに、どうぞまたお付き合いくだされば幸いです。
- 683 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:01
- 「まい、み、ちゃん」
思った以上に声がかすれてしまっていた。
身動きも取れない。
だって。
ぐらりと傾ぐ身体を、壁に手をついてかろうじて支えている舞美ちゃんが
ぼんやりとした目で、私をとらえていたから。
そして、くるっと今、私の周りに広がったものに目を向けて…。
きっとその視界で捉えただろう、たくさんの写真に埋まる私の姿。
怒られる。
反射的に身をすくめて目を閉じた。
だって、ひた隠しにしていただろう舞美ちゃんの過去。
それを、こんな無遠慮に土足で踏みにじるように行動。
私だったら耐え難い。
それに…嫌がっていた。
こうして、過去に触れられるのを。
薄く、本当に薄いガラスのような壁だったけど確かに拒んでいた。
なのに、知らぬ間にかき回して。
- 684 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:01
- 「ご、ごめ…」
「あぁ…、これ…写真」
「え…っ」
反射的に謝る言葉を遮ったのは、舞美ちゃんの力のない声。
ぱっと目を開いて舞美ちゃんを見れば、ゆらりと身体を揺らしながら私のすぐ隣に。
ぐらぐらしている頭が、まだ熱に浮かされているんだって知らせていて
慌てて私は、膝を折る舞美ちゃんの肩を支えた。
「すごいよね。これだけたくさんの写真撮ってきたなんて」
「え…?」
写真を見まわして、一瞬だけ悲しそうな顔をするけど、
舞美ちゃんは、それでも目を細めるようにして笑みを浮かべた。
でもそれはいつもの、おひさまのような見ている人を温かくするものなんかじゃなくって
痛々しくて、すぐに無理に浮かべた笑顔なんだって気づく。
- 685 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:02
- いつもなら、どうしたの?大丈夫?なんて気軽に訊けた。
何があったの?って自然に訊けたかもしれない。
でも、こんなにも傷ついた表情で、それでもそれを隠そうとして笑う舞美ちゃんに
なんにも言えなくて…。
かける言葉すべてが、大切にしていたものを壊してしまう気がして、
ただじっとその瞳の奥を見つめるしかできなかった。
「これ…父が撮ってた写真なの…」
「舞美ちゃんの…お父様?」
「うん…」
さらり、と肩口で揺れる髪の奥で、その唇が熱い溜息をこぼした。
次いで、なんか…と言いかけて一度口をつぐみ…、軽く首を振るとごくんと唾を飲み込む。
まるでそれは、不用意な言葉を紡いでしまわないように、感情を抑えてしまうに。
その姿に…すごく胸の奥が軋むように締め付けられた。
- 686 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:03
- 「父は…有名な写真家だったの。いろんな賞の審査とか任されるぐらい」
「そう、なんだ…?」
「うん…。その父が亡くなって…、あたしも…写真は撮らなくなったんだけど…」
ぽたり、と。
額から伝った汗がフローリングに落ちて弾けた。
それでも、軽く瞼を閉じたまま、どこか朗読のように舞美ちゃんの言葉は続く。
「最後に、って、向こうの…フランスのコンクールに出した写真が大賞を獲っちゃって。
でも…、なんていうんだろ…、その写真は昔父が撮った写真と全く構図もパースも
一緒だったみたいで…失格になっちゃって」
舞美ちゃん…フランスにいたんだ…。
そう思ったのは一瞬で、すぐに眉をしかめて突き上げるような胸の痛みに耐える。
- 687 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:03
- 失格…、その結果はどれだけ舞美ちゃんの心を傷つけたんだろう?
自分の写真なのに、一生懸命撮ったものなのに、すべてを否定されて、
なかったものにされて…。
ううん、それどころか…お父様の…『盗作』にされて。
ちゃんと見ればわかるはずなのに、それさえもしてもらうことなく消えた写真。
きっと、計り知れない苦しみがそこにあったはず。
絶望だってしたかもしれない。
何が正しくて、何がそうじゃないのか…私だったら見失う。
そして…何を…信じていいのかさえ。
「お、お母様はなんて?」
よせばいいのに、私ってやつはいらないパスを投げてしまった。
そうしてしまって後悔する。
やんわり弱く首を振る舞美ちゃんが、またあの痛々しい笑顔をしたから。
「母は…ずいぶん昔に父と離婚して…それ以来会ってないんだ」
「ご、ごめんなさい…!」
いいよ、なんて瞬きで返事する舞美ちゃんはどこまでも優しい。
こんなになっても、私を許して…。
- 688 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:04
- 「でも…日本に来て…、後藤さんと一緒に住むようになって…写真を忘れて
そういう生活もいいな、って思ってた。…思おうとしてた」
苦しげに身じろぎする舞美ちゃんを、肩に手をまわしてしっかり支える。
まるごと抱きしめるみたいに。
「こっちにきて、すぐだったかな…、後藤さんに自由になんでもいいから
写真を撮っておいでって言われてさ。ひどいんだよ?後藤さん。一枚も
撮れてなかったら晩御飯抜きとか言って」
くすり、と笑う舞美ちゃんは思い出の中にたゆたい始めてる。
私の知らない思い出の中に。
「でさ、どうしても、いろんなこと考えちゃって、綺麗に撮ろうとか、そんな
余計なこと考えちゃって。あーもー無理だなって思って河川敷に寝転がった時、
びっくりしたんだ」
「え…?」
「あまりにも…空が青くて」
空が…青くて…。
あぁ、その青はきっと…。
- 689 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:04
- 「もう、夢中で写真撮ってた。なんにも考えずに、ただ」
私が惹かれた青。
あなたをあなただと認識した青だ。
「それを後藤さんに見せたとき、…笑ってくれたんだぁ…」
「舞美ちゃん…?」
「うれしかったなぁ…。あたしの写真見て笑ってくれる人って…初めてだったから。
いつもみんなさ、なんか、難しい顔で…ううん、怖い顔であたしの写真を見てたから」
どれだけ嬉しかったんだろう?
ううん、どれだけ……救われたんだろう?
たくさんの賞賛の声よりも、たった一人の笑顔に。
後藤さんの、笑顔に。
- 690 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:05
- 「でも、転校して、しばらくして、知らないうちに賞を獲ったって通知があたしに届いて…。
後藤さんがいつのまにかコンクールに応募してたみたいで…あれには参ったなぁ」
かすれる声は、熱があがってきたのか弱い。
すぐにでも寝かせたいけど、舞美ちゃんは今必死に伝えようとしてる。
今まで言えなかったなにかを伝えようとしてくれてる。
その想いを止めたくない。
だから、相槌を打ちながら…ぎゅっと手を握った。それしか…できなくて。
「凄い賞だね、って…みんなが言ってくれたんだけど…、誰かが父のことを知っていて
あぁ…そうなんだぁって、言われ始めて…」
どこまでもついてくる影。
それは血の宿命。
私にはわからない、舞美ちゃんの。
「悔しいなぁ、やだなぁって、思ったら…父の写真、ぜんぶこんなにしてた」
はは…、と力なくまた笑う舞美ちゃんの視線の先に、あの写真。
真ん中で破られた、あの写真。
その時の舞美ちゃんの感情がつめられたもの、だったんだ。
いつも笑顔の舞美ちゃんに隠れた、ひとつの表情。それが、これだったんだ。
- 691 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:05
- 「でもさ、その時ふっと浮かんだんだ、頭に」
「え…?」
「賞を獲った写真、あれを撮って帰ったときの後藤さんの笑顔が」
「笑顔…」
うん、と頷く舞美ちゃんの額からまた一筋汗が伝って落ちた。
それを目で追って、もう一度舞美ちゃんの顔を見てはっとした。
だって。
そんな、どうして?
なんで、そんななんの含みのない笑顔を浮かべているの?
それだけ、びっくりするぐらい屈託のない笑顔だったんだ。
「そしたらさ、なんか、ふっきれて…。もういいやってなって」
短くなった髪の向こう側に見えるその人は、私のよく知る舞美ちゃんだった。
- 692 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:06
- 「言いたい人には言わせておけばいいやって。でも、私の写真なんだもん。
私が撮りたくて撮ったものなんだもん。それで、たった一人でも、…後藤さんだけでも
好きだって言ってくれたんだから。だから、いいじゃないって。それでいいんだって
そう思えるようになったの」
そう思えるようになるまで…どれだけかかったんだろう?
きっと私なんかが推し量ることもできないぐらい苦しんだ。
割り切るなんて、そんな簡単にできないって、私だって知っているから。
でも、今こうして笑っている舞美ちゃんは…嘘じゃない。
不安定に揺れたりもしてるし、時々まだ傷ついたりもしてるのを見てきた。
でも、それでも前を向いていくって決めたんだ。
迷いながら、寄り道しながら、それでもまっすぐ―――自由に。
――――― 自由、に。
- 693 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:06
- 「ただひとつだけ…困っちゃったのは…」
ぐらり、と。
身体が傾ぐ。
ひとつ、ふたつ、と額から伝った汗を顎から落として。
慌てて両手でその身体をもう一度強く抱きしめれば、
もたれかかったまま、ゆるゆると薄く目を開いて。
「自由になって……目標とか…なくなっちゃったこと、かな…」
「目標…?」
「なにを…撮ったらいいのか……わかんなくなって……でも……
愛理が……いて……」
意志に関係なく、だんだん閉じられていく瞼は、まるで舞美ちゃんの心のように
静かに…静かに…扉を閉じていくみたいだった。
今やっと、舞美ちゃんの心に触れるところまできたのに。
ひた隠しにして、誰も触れられない所に置き去りにしてきた舞美ちゃんに。
そのタイムリミットを知らせてたんだ。
- 694 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:07
- 「撮ってみたいって……思ったんだ……やっと……」
「舞美ちゃん……」
舞美ちゃんの柔らかなところ、強固な鎖で縛りあげて誰にも触れさせなかった…
ううん、自分さえ気づいていなかったかもしれない、つもり積もった深い心の傷。
その傷はきっと癒えてはいない。
でも、きっと時間がゆっくりと解決していってくれるんだろう。
その過ぎる時間の中に私を選んでくれた奇跡。
偶然じゃなくって、もしかしたら必然だったのかもしれない。
だって…ほら…。
話を聞いて、少し感じていたことを…
「それに……あたしみたいに、苦しんで欲しくなかったから…愛理には…」
今確信したから。
そう、舞美ちゃんは…昔の自分を私に重ねてみていた。
立場とか微妙に違うけれど、根本的なところが似すぎる私たち。
だから。
- 695 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:07
- 「愛理は……ひとりしかいない…から…。誰も…愛理にはなれない……
そんな愛理を……あたしは………」
そこまで言って、舞美ちゃんは意識を手放した。
かくんと私の胸元に落ちる頭が、信じられないぐらいの熱を持っていて
無茶をさせたことを後悔する。
でも、聞きたかった。
舞美ちゃんの本心が。
舞美ちゃんの…真意が。
どうして清水先輩のように音楽にもどれ、と言わなかったのか。
どうしてりーちゃんのように、離れろって言わなかったのか。
それは全部経験していたから。
経験した中で、どれだけ苦しんで傷ついたのか知っていたから。
突き放される痛みや、別れの悲しさを知っていたから…だから、
それで自分が傷つくことになっても、絶対に私をひとりにしなかったんだ。
- 696 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:08
- じゃあ、舞美ちゃんは…?
後藤さんの優しさが、ぜんぶを包み込んでくれたわけじゃないだろう。
まだ痛むところを、静かに心の奥に潜ませているのかもしれない。
「舞美ちゃん…」
そっと髪を撫でながら、頭を抱く。
首筋を撫でる鋭い毛先がくすぐったいけど。
のぞきこめば視線の先には、一気に幼くなった寝顔。
「私…、やっぱり、舞美ちゃんが好きだ…」
変な使命感かもしれない。
もしかしたら罪悪感とか、過去の清算で私と一緒にいるのかもしれない。
でも、それでも…、私を助けてくれてた。
その事実はなにものにも変えられない。
その時の気持ちだって、もちろん。
だから。
- 697 名前:Darkness 投稿日:2013/11/05(火) 12:08
- 「舞美ちゃんに、私はなにができる?舞美ちゃんが望むならなんだってするよ?」
あなたを助けたい。
きっと、そんな必要ないよ、なんて笑うかもしれないけれど。
あなたのために、すべてを捧げても惜しくないって思うんだ。
ううん、あなただから、すべてを差し出したいんだ。
二人なら…、悲しいことは半分に、嬉しいことは二倍になるって、信じられるから。
信じさせてあげたいから。
- 698 名前:tsukise 投稿日:2013/11/05(火) 12:09
- >>683-697
今回更新はここまでです。
次回まで、また少し間隔が開くと思います。申し訳ないです。
- 699 名前:名無し 投稿日:2013/11/06(水) 15:36
- 前回の終わりからどうなるかドキドキしてました。
舞美の悲しいぐらい優しい姿に泣きそうになりました。
愛理が早く立ち直って舞美を救ってほしいな。。。
- 700 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:25
-
涙の数だけ悲しみは広がって。
涙の数だけ痛みを知る。
でも、それだけじゃなくって。
きっと――― 涙の数だけ…人は強くなる。
そして…誰かに優しくできるんだ。
- 701 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:26
-
・
・
・
- 702 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:27
- 「ありがとう、愛理。もう大丈夫だよ」
「だめ。舞美ちゃんの大丈夫は、ほんと一番アテにならない」
「あ、それちょっとひどい」
でも、ほんとのことでしょ?
その気持ちは、ゆるく睨む瞳に込める。
途端に首をすくめて目を細め、困ったみたいに笑う舞美ちゃん。
ついで誤魔化すみたいに膝元に置いたおかゆに「いただきます」なんて
小さく手を合わせて、れんげを取る。
一晩休んで、舞美ちゃんの熱は下がりつつあった。
真っ赤になっていた頬も、今はほんのり色づくぐらいになって。
夜中に何度も、うなされていたから気が気じゃなかったけれど、
無意識に起き上がるなんてことはなくって、水分補給と額のタオルの替えだけ
しっかりしていたっけ。
そして今、ベッドに腰をかける形で私の作ったおかゆを口に運んでる。
- 703 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:27
- 「どう?おいしい?」
「…、うんっ、美味しい!愛理上手だねっ」
確かめるみたいに、もぐもぐと唇を動かして喉を通すと、
一気にぱぁっと花が開いたみたいな、嬉しくてたまらないみたいな
笑顔を向けてくれて。
それだけで、私も幸せな気持ちになる。
そんなに料理はできないけれど、一生懸命作ったし…、
なにより、気持ちをたくさん込めた。
元気になってって。
早くまた私に笑顔を向けてって。
だから本当にうれしい。
「良かった…。舞美ちゃんの好みとか、わかんないから…」
「んー、そんなの気にしなくていいのに。あたし好き嫌いとか
そんなにないし、出されたものはみんな食べるのがマナーでしょ?」
あ、優等生な答え。
そんなの聞いてると、本当に写真しか教わってなかったのかよくわかんない。
でも、にこにこ笑顔でほおばる姿は本当に美味しそうで、もともと食べるのが
好きなんだろうな。
- 704 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:28
- 「食べたら、私が髪切ろうか?」
「んー、それより、一度愛理は家に帰った方がいいと思う」
「あ……」
すっかり失念してた。
舞美ちゃんと一緒にいるのが当たり前みたいに思っていたから。
でも、そうだ。
ここは私の家じゃなくって。
もっと言ってしまえば、私のわがままがすべての発端なんだ。
「愛理の家の人、心配してるんじゃない? あたしから連絡しようか?」
「ううん、それは大丈夫」
「そう?」
だって、そんなことしちゃったらお母さんにバレちゃう。
りーちゃんの所に泊まるって言ったのに、存在さえ知らない
高校の先輩の所に行ってたなんて…絶対に怒られる。
変に勘ぐったりする人じゃないから、言わなきゃ言ってこないけど。
だったら…、秘密にしておくのが一番だ。
そんなことより…。
- 705 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:29
- 「ねぇ、舞美ちゃん」
「んー?」
ふーふーとお粥に息を吹きかけながら、目を向けてくる舞美ちゃん。
その姿に一瞬口元が緩みそうになるけど、きゅっと一度つぐむ。
そして、きりだした。
「ゆうべの、ことなんだけど…」
本当は触れない方がいい。
でも、あえて聞きたい。
舞美ちゃんのためにできることを知るためにも。
「ゆうべ?」
ぱくり、と。
意外と大きな一口でお粥を頬張って、ん?なんて目を向けてくる舞美ちゃん。
もぐもぐ動く唇はすぼめられて、なんとも可愛い。
って…あれ…?
予想外の反応。
きょとんと。
え?え?なんて空いた手で頭のあたりに手を当てたりして。
もしかして…、もしかしなくとも、これは…。
- 706 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:29
- 「覚えてない?」
「ぜんぜん…。なんかあった…? えっ、なんか、あたし迷惑かけたっ?」
途端に れんげをぱっと置いて、口元に手を当ててお粥の存在を気にしながら
もう片方の手を私の腕に伸ばしてくる。
や、大丈夫だよ、なんて伸ばされた手を取りながら首を振る。
「ほんと? えっ、ほんとに大丈夫?」
「うん、なんでもないよ」
大丈夫、ともう一度頷けば、まだ難しい顔をしたままだったけど
舞美ちゃんは、背中を立て掛けていた枕に体重をかけて。
おずおずと、もう一度れんげを手に取った。
忘れているんだ…。
それは案に『思い出したくない記憶なんだ』と告げているようで。
だったら静かに、その記憶の蓋は閉じておこうって思ったんだ。
いつかまた…舞美ちゃんが話してくれるようになるまで。
- 707 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:30
- 「それはそうと、愛理」
「え?」
「部活には、行かないの?」
「あ…」
そこで思い至る現実。
私の日々を占めていた音楽という存在。
すっかり頭の中にもなかったけれど、舞美ちゃんの一言で
じんわりと頭の中を、ほの暗い色がどろりと広がっていく。
「舞美ちゃんは、行った方がいいと思う?」
ずるいと思いながら、うつむきがちにそんな訊き方をしてみた。
どんどんと目の前がかすんでる自分を自覚しながらも、
舞美ちゃんに引っ張ってほしいと思っていたから。
でも、なんとなくだけど、私には舞美ちゃんの答えはわかっていた。
そして、やっぱり。
かちゃん、と、もう一度れんげを置く舞美ちゃんに顔をあげれば
とっても穏やかな笑みで、愛理、と名前を呼んで。
- 708 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:30
- 「何かひとつでも気になるなら行った方がいいよ?やらないで
後悔するよりはやって後悔した方が、すっきりしない?」
あぁ、そうだね。
あなただから言える言葉。
私以上に、いろんな世界に振り回されたあなただから。
でも全然重くない。
むしろ…ぽん、と軽く背中を指先で押すぐらいの軽さ。
無理強いはしない。
でも、愛理が思う通りにしてごらん?
あたしは…ここにいるから。
そんな声が聞こえてきそう。
お母さんだったらきっと「行きなさい!」と叱りつけた。
なっきーだったら、何やってんのって呆れたように強制した。
でも、舞美ちゃんは…どこまでも私に寄り添うように。
- 709 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:31
- 「うん…。行ってくる」
そう言うしかないじゃないか。
ちょっと落ち込んだ私に、怒ってるんじゃないよ?とでもいうように
頭を撫でてくれる舞美ちゃん。
ちらりと目を向ければ、黒目がなくなってしまいそうなぐらい
目を細めて笑っていて…なんだかくすぐったい。
それに。
「ごめんね、今日は迎えにいけないけど」
その一言に一気に心が浮上する。
迎えに、と言った。
それはつまり。
「また…来ても、いいの?」
「もちろん。愛理がいいなら」
許された私の存在。
舞美ちゃんへ踏み出すことだって。
現金だなぁ、って自分でも思うけど、ほころぶ口元を誤魔化せない。
- 710 名前:Not alone 投稿日:2013/11/22(金) 21:31
- 「あ、でも、ちゃんと一度家に帰ること、それ約束」
「…はい」
でも、どこまでも真面目なお姉さん。
後になって思えば、舞美ちゃんは本当にぜんぶを見抜いていたんだと思う。
自分という存在が、私にどれだけの影響を与えていたのかも。
どれだけ…この時の私が、すべてを捨てようとしていたのかも。
でも、それは、してはいけないことだってこともわかっていたから…。
最後の最後で、戒めてくれていたんだ。
どれだけ私を甘やかしても、最後には必ず。
人を怒ったり、喧嘩したり、そういうの苦手なのに。
舞美ちゃんだって誰かに甘えてもいい子供だったのに。
すべては…私のために。
それがきっと…私の先を走っていた舞美ちゃんが
差し出してくれていた優しさの形。
自分のようにならないで、と…ほんの少し願いを滲ませた、
寂しい優しさの形だったんだと思う。
- 711 名前:tsukise 投稿日:2013/11/22(金) 21:32
- >>700-710
今回更新はここまでです。
>>699 名無しさん
ご感想ありがとうございます(平伏
本当に鈴木さんに矢島さんを支えてあげてほしいと
作者も願ってしまいます…。どうぞ、またお付き合いくだされば幸いです。
- 712 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/11/22(金) 23:06
- 可愛らしい二人が読めて、本当に楽しいです。
完結してしまうのは辛いですが、楽しみにしてます。
- 713 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:38
- 「ストップ、ストーーップ」
指揮棒が激しく振られて演奏が止まる。
次いで耳に届いたのは、稲葉先生の盛大なため息。
今日何度目だろう。
頭がクラクラしていてよくわからない。
ただ、ちらりと見渡してみえた部員のみんなの呆れたような苛立ったような視線に
私の中に、いつもの暗い感情が渦巻くのがわかった。
『まただよ』
『鈴木?』
『やっぱ二年でソロって無理だったんじゃないの?』
『せっかくもらったのに』
『台無し』
『全然ダメじゃん』
何がダメなのか。
どこかダメのか。
回らない頭で考えるけど、どうしたらいいのかわからない。
- 714 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:38
- 「え? いえ…あの…」
静まった音楽室は、ただでさえ防音壁に囲まれて窮屈さを感じるのに
今はそれに加えて…息苦しさもこみ上げてくる。
集中する視線と…見抜かれてしまった心に。
「まぁええけど…、なんか…泥の中で溺死しそうな音やで。
そんなん、人に聞かせる音ちゃうわ」
泥で…――― 溺死…。
言われて愕然とした。
- 715 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:39
- 間違いなく、私を溺れさせようとしているのは…―― 舞美ちゃんだ。
私……ダメだ。
このままじゃダメだ。
見失う。
自分を。
自分のしてきたこと、やりたいこと、全部。
私だけじゃない。
きっと舞美ちゃんも巻き込んで。
こんな私なんて、きっといらない。
困っちゃう。
せっかく舞美ちゃんは私を必要としてくれているのに、いつか…。
そんなのいやだ…!
ちゃんとしなきゃ。
ちゃんと、私を取り戻さないと…一緒にいられなくなる。
そんなのやだから。
あぁ、でも…私って。
―――― 私って、どうやって演奏していた?
- 716 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:40
- ・
・
・
- 717 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:40
- 「愛理」
楽器を片付けていると、耳に慣れた声に呼ばれた。
ふりかえらなくてもわかる。
「りー…ちゃん」
視線は向けない。
言われるだろう言葉を知っているから。
もしかしたら、それ以上に刺さる言葉を言ってくるかもしれない。
りーちゃんだから。
でも、背後で聞こえたのは、大きな…本当に大きなため息だけだった。
肺に入った息を、全部吐き出すような。
ううん、胸の奥に貯めていた言葉を全部音になる前にかき消すような。
- 718 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:41
- そして…。
そっと…、本当にそっと私を背中から抱きしめてきたんだ。
「りー…。梨沙子?」
思ってもなかった行動に戸惑う。
梨沙子がこんなことをしてくるのは初めてだったから。
私と違ってどこまでも潔癖で、他人との接触を人一倍苦手としているのを知ってるし
慣れあうのも嫌いで、去る者は追わない主義。
みやのような特別な立ち位置にいなければ、内側に入れることも許さない。
そんな子なんだ。
そんな子、なのに…、どうして…?
- 719 名前:Not 投稿日:2013/11/23(土) 05:41
- 「私、困ってる」
「え…?」
きゅっと、首元に回された手に一度力が込められる。
同時に切ない声色が、私の耳元に熱い息と一緒に触れて胸の奥を揺さぶった。
「どうやったら、愛理は私の所に戻ってきてくれる?」
「…っ!」
ひどく胸が痛んだ。
切り裂かれるような、貫くような、そんな痛み。
なんで、そんな言葉…。
必死に理解しようと頭がフル回転する。
でも浅い眠りのせいで鈍った思考では、梨沙子の言葉が届かなくて。
真意を推し量ることができなくて…。
ただ、呼吸さえ詰まってしまうような痛みに、静かに混乱するしかなかったんだ。
- 720 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:42
- 「愛理はひとりなんだよ…? 誰にもなれないんだよ? ねぇ、わかって…」
私は…ひとり。
誰にもなれない…。
あぁ、その言葉はどこかで聞いた…。
そうだ…舞美ちゃんが、うわ言のようにつぶやいていた。
熱に浮かされて、苦しげに…でも、そう、いまの梨沙子のように…切なく。
それが意味することは…―――― 何?
なにか、大事なことを私は、忘れてしまってない?
誰にもなれない。
私はひとり。
私だけしか…――― できないことが…ある?
誰の…代わりもできない…?
- 721 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:43
- 目の前に扉があって、鍵穴に鍵を差し込んでいる状態が今。
もう答えはわかっているはずなのに、鍵はピッタリあっているのに、
扉の開け方だけがわからなくなってしまっていて。
押すのか引くのか、滑らせるのか…ただ、それだけなのに、わからない。
「梨沙子…私…」
「………私、待ってるよ。いつまでも待ってる。愛理が…ちゃんと戻ってきてくれるの」
すっと離れたぬくもりは、残り香だけを私の鼻に届けて…掻き消えた。
きっと今視線を向けたところで…、梨沙子は一度も振り返らずに颯爽と歩いているだろう。
そういう子だから。
他人にも自分にも厳しい梨沙子の、これがエールの送り方なんだ。
- 722 名前:Not alone 投稿日:2013/11/23(土) 05:43
- 無理に引っ張り上げない。
でも、手を伸ばせば。
本気で手を差し伸ばせば、絶対にこたえてくれる。
私から、ちゃんと手を伸ばせば、絶対に。
ただ…今はその時じゃない。
だから…もどかしくも私を突き放して…。
そこまで理解しているのに…、私はまだ踏み出せなかった。
どぷん、と頭から浸かった泥の中で、落とした答えを、たった今この瞬間から
汚れたまま探し始めることしか、できなかったんだ。
ぐしゃぐしゃと、泥をかきわけて…かき分けて…。
わかっているはずなのに―――― わからない答えを。
- 723 名前:tsukise 投稿日:2013/11/23(土) 05:44
- >>713-722
今回更新はここまでです。
>>712 名無し飼育さん
ありがとうございます。作者として大変うれしいお言葉です。
可愛らしい二人の進んでいく道に、今しばらくお付き合いくだされば幸いです♪
- 724 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:20
- いつもより重い右手を感じながら、部活棟を後にする。
重い、のは ただの錯覚なんだけど、その右手の存在が今苦しいんだ。
私の相棒、クラリネットの存在が。
こんなこと一度だってなかったのに。
大好きなものなのに。
心が離れているから、そう思ってしまってるってことは気づいてる。
でも、どうしようもなくて…。
こんなことで…あとの大会も大丈夫なのかな…。
途方に暮れて、ほぅ、と溜息をついて空を仰ぎ見た。
ぷかぷかと浮かぶ雲は、どこまでも自由で…
風を受けてどこかへ消えていってる。
いろんな形に変えて。
- 725 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:21
- その行き先に視線を向ければ…高等部の建物が見えた。
舞美ちゃんが通う場所が。
高等部での舞美ちゃん…。
どんななのかな。
きっと私が知る舞美ちゃんと変わらない。
あの笑顔と、まっすぐな目でいろんな人を魅了して。
でも、にこにこと目がなくなってしまいそうなぐらい細めて
元気に駆け回ったりして…えりかちゃんあたりに怒られてそう。
想像しておかしくなったっけ。
と、そこでふと思い立つ。
高等部だって…、夏休みも部活動はしている。
ほら、遠くから聞こえる陸上部の独特な掛け声や
弾むボールの音とか、ここまで届いているし。
だったら…もしかしたら…写真部も活動、しているかもしれない?
- 726 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:21
- どうしよう?
気になる。
舞美ちゃん、そういうことなんにも言わないから、
本当にしているかもわからないし。
でも、もし、えりかちゃんがいたら…舞美ちゃんのこと…、
何か教えてもらえるかもしれない。
………行こう。
気づけばもう、足は高等部へと向いていた。
少しでも…舞美ちゃんを知りたくて。
写真のこと、苦しげにしている舞美ちゃんから訊くことは難しいだろうから。
- 727 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:22
- ・
・
・
- 728 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:22
- コンコン。
控えめに目の前の扉をノックする。
『部員募集中!!』なんて大きなPOP調の文字を乗せた張り紙に
苦笑してしまうけど。
『はーい』
中から届いた声に、聞き覚えがあった。
えりかちゃんじゃない。
これは、この声は確か。
「…あら…、あなた…鈴木さん」
「こ、こんにちは」
明らかな不機嫌顔の真野さん。
整った顔立ちをしているから、凄みが増してて首をすくめてしまう。
そんな表情じゃなきゃ、すっごく美人さんなんじゃないかなって思うけど。
「あれ? 愛理? どうしたのこんなとこまで」
「あ…えりかちゃん」
次いで奥から聞こえた声に、あからさまにほっとする。
のんびりした、トーンの高めな声は前に保健室でも私は心安らいだし。
ただ、えっ?と眉をしかめたのは真野さん。
私とえりかちゃんを交互にみて、関係に困惑してる。
- 729 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:23
- 「知り合いなの。真野ちゃんも、だよね?」
「あ、はい……。でも、彼女…」
「うん、舞美のモデル」
「そこまで知っててどうして…っ」
わっと口を開きかける真野さんだけど、えりかちゃんはどこまでも
優しい笑顔のままだった。
その雰囲気は舞美ちゃんを思い出させる。
ううん、ちょっと明るめの印象は、舞美ちゃんより快活な感じかも。
「真野ちゃんだって知ってるでしょ? 舞美が一度決めたことを
絶対に曲げないって」
「それは…っ、そうですけど…」
勢いよく口を開いたのに、しゅん、と頭を下げるようにして
落ち込んでいく真野さんに、少し申し訳ない気持ちが広がる。
その想いの強さを知っているから。
私と同じぐらい、舞美ちゃんを心配とかしてるってわかるから。
- 730 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:23
- 「それに、舞美がまた写真撮るって言ってるのはいいことじゃない」
「はい…」
「真野ちゃん、舞美のファンなんでしょ?」
「好きなんです…」
どきり、とした。
最後の一言に。
『好き』。
零れた声には、淡い色があって。
きっと…私と同じ色があって。
なんとなくわかっていたけど、少し息苦しさを感じてしまったんだ。
あれだけ素敵な人なんだから、しょうがない。
そうだよ。
そう確かに思うのに、真野さんを改めて見て…少し落ち込んだ。
だって…艶やかな肌に、色香を含んだ瞳。
健康的な褐色な肌とは対照的に、柔らかく女性的な印象の身体の形。
その全部が私と正反対。
ひょろひょろっとした身体に、白さばかりが浮き立つ肌。
お団子にした髪は校則縛りのせいで、高校生のような自由はない。
全部が幼さを出してて、まったく違う人種にさえ思えてしまう。
- 731 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:24
- 「んで? 愛理はどうしたの? こんなとこまでわざわざ」
ぽん、と。
軽く落ち込む真野さんの肩をたたいて慰めると、えりかちゃんは
私に柔らかく笑ってくれる。
ここにくるまでは、色々知りたいとかおもってたけど
いざやってきて、こんな風に真野さんの姿を見た今、
どうしていいかわからなくなった。
「えっと…、その…」
「んー? ま、せっかく来たんだし、中見ていく?結構珍しいもの
いっぱいあるよ?」
「あ、その…いいの?」
「もちろん。その代わりアレだ、中等部の勧誘よろしく」
「あはは」
ま、それは冗談、なんて言ってくれるえりかちゃんの気遣いに感謝。
きっとえりかちゃんがいなかったら、動けなかったから。
ちらり、と真野さんに視線を向ければ、しぶしぶというように
「どうぞ」と場所を開けてくれたっけ。
- 732 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:24
-
・
・
・
- 733 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:25
- こじんまりとした部室は、写真部というにはあまりにも何もなく。
よく漫画なんかで見た『暗室』とかも何もなかった。
ただ木枠の棚に、5つほどのカメラと、10ばかりのレンズがあって。
あとは簡単な機材が壁に立てかけられているだけ。
「あ、拍子抜けしちゃった?」
「あ、いえ…」
私の心を見抜いたのか、えりかちゃんがおかしそうに笑いながら
ポリポリと頭をかいてみせた。
慌てて両手をふるけど、いいのいいの、なんて軽くパタパタ手を振って。
「うち、同好会だからさ。あんまし予算とかないんだ。このカメラは
なんとか予算で買ったけど、レンズはぜんぶ舞美のものだったりするし」
「えっ」
舞美ちゃんの?
や、まぁ、確かに…舞美ちゃんの部屋にあがった今だからわかるけど、
あれだけたくさんあったカメラ関係のものだし、学校に持ってくるとかも
問題なかったんだろうな。
でも、そういえば…カメラって私の楽器と一緒でピンキリ。
手ごろなものもあれば、本当にびっくりするお値段のものもあった気がする。
- 734 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:25
- 「大変ですね」
「んー、まぁね」
「だから、賞を獲るのに必死なの」
「えっ?」
続けられた言葉は、背後の真野さんから。
その手に、大事そうにレンズを持って布で丹念に磨いてる。
えりかちゃんに、咄嗟に視線を向ければ「あー、まぁね」なんて
困ったみたいに笑ってて。
「賞を獲れば賞金が出る。そしたらちゃんと部として認めてもらえるし
予算も増える。予算が増えれば、もっともっといい写真を撮るために
いろんなところに矢島さんを連れていってあげることもできるから」
「真野ちゃん…」
「だって…! 矢島さんはこんな小さな学校で静かに終わらせていい
人なんかじゃないんです!もっともっと輝けるところで、ちゃんと
認めてもらっていい作品を作ってほしいんです…!」
悔しそうにしている姿に胸を突かれる。
本当に舞美ちゃんのことを思っている真野さんは、どうしたら
その才能を広げてあげられるか必死に考えていて。
形は違えど、私と一緒だったんだって…思ったんだ。
ただ…違うのは1つ。
決定的に違うことが…1つだけあった。
- 735 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:26
- 「舞美ちゃ…、矢島さんはそんなに凄い賞を獲ってた人なんですか?」
あえて、真野さんにそういう訊き方をする。
知らないわけじゃない。
夕べ、ほんの少しこぼされた言葉は、苦しくも輝いていた過去の栄光を
滲ませていたから。
でも、本人からじゃない目は、どう舞美ちゃんをとらえていたのか
知りたかったんだ。
案の定というか、真野さんは盛大な溜息をついて私を呆れるように
見つめてきた。
なんにも知らないのね、本当に。とでもいうみたいに。
それは苦笑いで受け流した。
- 736 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:26
- 「矢島さんは、お父様が有名な写真家でその意志を継ぐべくして
現れた期待の新星だったのよ。昔から。それぐらい矢島さんの写真は凄いの!」
「そう…、なんですか」
ずきん、と痛む胸は無視する。
「あなたは知らないでしょうけど、転校する前はフランスにいて
幼少期からそれは凄い賞を総なめにしてきたんだから。ちょっと待ってよ?」
手に持ったレンズを大切に机に置いて、真野さんは近くの戸棚から
1冊の写真集を取り出してきた。
ふっと追いかける視線の端では、うーん…とこめかみのあたりを押さえて
困り顔のえりかちゃん。
ただ、私の視線に気づくと『ごめんね、付き合ってやって』というように
軽く手を合わせてきて、小さく頷く。
たぶん、こんな風に真野さんがなるのは初めてじゃないんだろうな。
その行動に、えりかちゃんに並んで同じくらい困り顔で笑う舞美ちゃんが
目に浮かぶようだった。
- 737 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:27
- 「これ…! これは向こうで最高峰のコンクールで大賞を獲ったものなの。
色使いも見事だし、パースだって考えられたものだって審査員だった
お父様も認めてくれたものだったのよ?」
「そう、ですか…」
ずきん、ずきん、と。
また痛む胸に、眉をしかめてしまう。
舞美ちゃん…、その時あなたは笑ってた?
心から…喜んだ…?
お父様から…どんな言葉をもらった?
嬉しかった?…それとも…?
「このコンクールではね、10回称号を獲るとマスターとしての栄誉を
得られて、一流の写真家として認められるの。矢島さんは6回も貰ってて
このままいけばマスターも間違いないっていわれていたの」
それだけの実力を持っていた。
きっとお父様の影がなくっても。
でも。
- 738 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:27
- 「けど…お父様が亡くなられて…。出品もされなくなって…」
同時にお父様の影がなくなって、
自由になって…、不自由になって…。
「でも!まさかこの学校に転校してきたなんて知らなかった…。
ご家族さんが出品した作品がなかったら、私だって気づかなかったもん!」
目をキラキラさせる真野さんに、一瞬はじめて『舞美ちゃん』をみつけた
あの日を思い出す。
どこまでも深く、遠く、尽きせぬ想いを抱かせた…あの『空』を。
―――もう、夢中で写真撮ってた。なんにも考えずに、ただ―――
そう言ってた。
そうだろうと、今ならわかる。
何物にも囚われない、自由の青。
それがあの写真だったから。
- 739 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:28
- 「初めて会ったとき、すっごい泣きそうになったなぁ。あんなに
綺麗で優しくて笑顔が感じいい人で、全部が素敵なひとだったから」
スラスラと語られる舞美ちゃんの話を、私はどこか遠くで聞いていた。
まるでTVから流れてくるニュースのように。
「その時の矢島さんの写真も大賞だったのよ」
自分のことのように自慢する姿は、逆に私の中の冷静さを連れてきて。
そうなんですか、と頷くだけだった。
きっと真野さんは純粋に写真が好きで…純粋に…舞美ちゃんが好きで。
少し前なら、私も真野さんと同じ気持ちだったと思う。
好きな人だから、なんでも知りたくて。
調べて調べて、いろんなことを知って嬉しい気持ちになって。
いってみれば、まっさらのファイルに付箋を張り付けていくような感覚。
増えていくページが嬉しくて、読み返しては笑みを浮かべる、そんなファイル。
でも、それは好きであって、好きじゃない。
うまく言えないけれど、きっとそれは…崇拝する気持ち。
- 740 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:28
- ――― 矢島さんの『写真』は凄いの。
その言葉がすべてだと、今ならわかるんだ。
舞美ちゃんを見ているようで、舞美ちゃんを見ていない。
集まっていく『舞美ちゃん』ページに満足しているだけ。
そういうことなんだ。
「ねぇ、聞いてる?」
「あ、はい」
「だから、これだけ凄い人なの。わかった」
「はい」
こういうことなんだろうな。
『凄い』って言われることが悲しいって。
自分をステータスで見られてしまう、そういうのが…辛かったんだな。
無性にまた…舞美ちゃんに逢いたくなったっけ。
- 741 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:28
- 「はいはい、舞美自慢は終わった?」
「あ…」
思考の渦にのまれようとしていた私を呼び戻したのは、
部屋の奥にあるパイプ椅子に座って、いつのまにか脚組みして
こっちをみていたえりかちゃん。
よくそんなにポンポンでるねー、なんてちょっとあきれ顔で真野さんを見て。
真野さんも、やっちゃった、って顔をしてるし、いつもの風景なのかな。
「すいません、梅田さん」
「ま、いいけど。その心意気は買ってるところだし」
ぎしり、と一度音を立てて立ち上がるえりかちゃんは、
「さてと」なんて目を伏せて、私の前に立つ。
舞美ちゃんも背は高いとおもっていたけれど、こうして目の前で見ると
えりかちゃんはもっと。
でも上から降ってくる視線は全然威圧感なんてなくって、
どちらかというか見守ってくれるみたいな温かなもの。
きっとこういうのが、器なんだろうなって思う。
真野さんの熱っぽい感情もまるごと包んでしまうような、そんな
感じさえしたから。
- 742 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:29
- 「愛理、ヒマ?」
「え?」
「っていうか、舞美の居場所知ってる?」
ぐ、っと喉の奥が詰まる。
なんだか心の中を見透かされたようで。
一緒にいるところを見られたわけじゃない。
でも、確実に距離を近づけている私と舞美ちゃん。
それをどこか鋭く見つけられたような感覚。
責められているわけじゃないけど、最近いろんな人に突つかれてきたせいか
ほの暗い気持ちになってしまったんだ。
「えっと…まぁ」
「じゃあさ、これ、渡しといてくんない? 今日・明日までだよって」
「え?」
そんな私を気にした様子もなく、えりかちゃんはすっと何かを差しだしてきた。
一瞬、隣にいた真野さんが「あっ」と小さく声をあげたのが気になったけど
視線を落としてそれを確かめる。
- 743 名前:Not alone 投稿日:2013/11/24(日) 06:29
- 「写真展示会…?」
「うん。なーんとなーくだけど、愛理が誘えば一緒に行く気がして」
「えぇ?」
どういう意味なんだろう?
でも、意味深な笑みと一緒に言われた言葉に戸惑ってしまう。
もちろんというか、隣の真野さんは振り返らない。
ぶるりとしてしまうように、そこだけ10度ぐらい温度が下がっている気がしたから。
「行くまでは渋るかもだけど、一歩入ったら、ずんずん進むだろうから」
ずんずん、て。
でも的確な言葉に噴出してしまう。
舞美ちゃんっぽい。
あの長い脚で、一歩一歩大きく進んでいく感じ。
「わかりました。必ず渡します」
「うん、お願い。あと、伝言」
「はい?」
「たまには写真部にも顔出せって」
「あ、はい」
茶目っ気たっぷりなえりかちゃんの言葉に私も笑う。
強制的な言葉なのに、ぜんぜん押し付ける感じじゃなくって、
このぐらいの距離だから、きっと舞美ちゃんもえりかちゃんには
弱いんだろうな、なんて思ってしまったっけ。
- 744 名前:tsukise 投稿日:2013/11/24(日) 06:31
- >>724-743
今回更新はここまでです。
- 745 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:00
-
――――― 甘えた分だけ、大人になれよ。
今一度よみがえってくる、もも先輩の言葉。
実際に言われたわけじゃない。
でも、あの軽い声が確かに私の頭の中で駆け回って。
その意味を…、理解する時が今なんだって、気づかされたんだ。
- 746 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:01
-
・
・
・
- 747 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:02
-
「びっくりした…」
「へへへ」
開口一番、あんぐりと口を開いてそんな言葉が出た。
だって、ほら。
目の前には、肩口で綺麗に揃えられた髪の舞美ちゃん。
毛先は軽く梳いてあって、さらっとした質感で跳ねてて、
鋭く痛々しい面影はもうない。
「愛理が帰ってから、ちょっとして美容院行ってきた」
「そんな、ひとりで? もう…っ」
「大丈夫だって」
なんでこの人は…。
まだ熱あるんでしょ?
どうして無理するの?
なんでそんな笑顔で私を迎えてるの?
もっと自分を大事にしてよぉ…。
- 748 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:02
-
「へーきへーき。愛理が助けてくれたから、あたしはほら、元気」
力こぶを見せる舞美ちゃんだけど、その顔はまだほのかに赤い。
そんな無茶して…。
でもきっと、あのままだったら私が気に病むと思ったんだろうな。
まともに舞美ちゃんを見れなかったの気づいてたんだね…。
なんだか申し訳ない。
- 749 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:03
-
学校から一度帰宅して、お母さんにこってり絞られた私は、
背中を押しやられるようにバスルームに行き、熱いお湯に浸かったんだ。
思っていた以上に疲れていた身体は、優しいあたたかさに意識まで
ゆっくり流していって…1時間もお風呂で眠ってしまって、
またお母さんに叱られたっけ。
そのまま休むのがきっと良かったんだろうけど、私の意識は
妙にぴんと張りつめていて。心配するお母さんの制止もやんわり断ると
傾く太陽を背負って家を後にしたんだ。
りーちゃんに逢いに行く、なんてまた小さな嘘を重ねて。
いい加減、何かに気づいていたんだろうな…、お母さんは一度だけ
閉口して、それでも、ちゃんとお父さんにもメールぐらいしなさいよ、なんて
優しく背を押してくれたっけ。
ありがとう…、そして、ごめんなさい。
- 750 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:03
- それだけしても、逢いたかった。
舞美ちゃんに。
胸に広がる罪悪感を跳ねのけても。
だってひとりだ。
後藤さんのいないこの家に、舞美ちゃんはたったひとり。
大丈夫なんて言っても、どこまでそれを信じられる?
あれだけ弱って傷ついた姿を見てしまった今となっては、
一秒だって離れたくなんてない。
そんなこと、面と向かっては言えないけれど。
あ、そうだ…。
「舞美ちゃん」
「うん?」
リビングへと通されて、大きなソファに腰掛けながら
私は、肩からかけていたカバンを漁ると、頼まれものを取り出した。
- 751 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:04
-
「これ、えりかちゃんから預かってきたの」
「えりから…?」
大きな目を開いて、渡されたものと私の顔を交互に見やる舞美ちゃん。
そりゃ驚くよね。
なんで?ってなるよね。
「たまたま逢って、渡して欲しいって」
「へぇ…」
説明は長くなりそうだったし、舞美ちゃんに伝えることでもないと思って
それだけ言った。
そんな私を、まったく疑うこともせずに手元のチケットを見つめてる。
なんだか、その姿に苦笑してしまうなぁ。
もう少し舞美ちゃんは人を疑った方がいいよ、って。
「今日、明日までなんだって」
「う…ん…」
さっと表情が曇ったのを私は見逃さない。
やっぱり…人の作品でも今は写真に触れたくないのかな…。
心の奥にあるものを見てしまったからか、そんな心配が浮かぶ。
でも。
舞美ちゃんは、ぱっといつもの表情に戻って。
- 752 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:04
-
「愛理、今から時間ある?」
「え?」
「良かったら、一緒にどうかなって」
一緒に。
そう言った。
単純にきけば、デートの誘い文句みたいな軽いもの。
でも、私は気づいてしまった。
にこにこと細められる目の奥にある不安定に揺れるものの存在に。
一緒に、と、どうかなの間に言葉が入るのに。
『一緒に』ついてきてもらいたいんだけど『どうかな』。
ぐわっと。
みぞおちのあたりが熱くなる。
胸じゃなくって、みぞおち。
これは…たぶん、私の中にある――― 勇気の源。
自分のためじゃない。
誰かのために…、ううん、舞美ちゃんのために自分を捨ててもいいと思える…。
- 753 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:05
-
……違う、そうじゃない。 そうじゃないんだ。
わかりかけてる。
これは、自分を捨ててもいいとか、そんなものじゃない。
そんなの勇気とは言わない。
そうだ――― 『一緒に』
一緒になんだ。
一緒に…進みたい。
あぁ…
なんで、
こんな時に…思い出してしまったんだ。
違う。
今だから。
思い出せた。
- 754 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:05
-
愛理はひとりしかいないんだよ、と言った舞美ちゃんと、
愛理はひとりしかいないんだよ、と言ったりーちゃん。
そう…りーちゃんは、ずっと教えてくれていた。
誰にもなれない。
誰にも私の代わりはできない。
1つの大切な音。
全体の中の小さな1つでも、欠けてはいけない1つ。
それが私。
一緒に。
一緒に…一緒に―――― トゥッティ。
舞美ちゃんと、一緒に。
りーちゃんと…、ううん、部員全員で一緒に。
今より一歩前に。
今より、いい音楽を。
- 755 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:06
-
――――さぁ、行こうか…と。
慣れ親しんだ、自信に満ちたプライド高い私が今…背を叩く。
あとは、踏み出すだけ。
いつだっていい。
踏み出すだけ。
自分の足で。
そこまできた。
もう、答えはでた。
そうだ。
どうやって演奏していた?なんて愚問。
考えるからダメだったんだ。
吹きたい、と。
そう思う気持ちがあれば…それだけで良かった。
あとは、なにもいらなかった。
『気持ち』、それさえ取り戻せば…。
私は、私を取り戻せる。
そういう、ことだったんだね…りーちゃん。
ぜんぶが舞美ちゃんでいっぱいになってたから…。
でも、最後の私のKeyを教えてくれたのも…舞美ちゃん、だったんだよ。
- 756 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:07
-
・
・
・
- 757 名前:Not aone 投稿日:2013/11/25(月) 06:07
- 「大丈夫?」
「うん、ありがと」
まだ少しふらっとしてしまう舞美ちゃんを支えながら、会場に着く。
思っていたよりも大きな大理石でできた建物で、少し気遅れしてしまうけど、
私がそんなだと、舞美ちゃんが困っちゃう。
ごくん、と一度だけ喉を鳴らして、舞美ちゃんと手をつないで中へと足を踏み入れた。
わぁ…。
思わず声もなく、そんな口になる。
だって、すっかり陽の落ちた外とまったく印象の違うまばゆいライトが
いくつもの写真を彩って、所せましとその存在をアピールしていたから。
思わず、つないだままの舞美ちゃんの手を強く握ってしまうぐらい、
私は興奮していた。ぜんぜん写真のことなんてわからないのに。
そんな私に舞美ちゃんは、口元を緩めて。
それからチケットを受け付けで差し出した。
「あなた……矢島舞美さん?」
「あ…はい。そうですが、なにか…?」
チケットを受け取ったスーツのお姉さんは、一度舞美ちゃんの顔をまじまじと見て。
それから人懐っこい笑顔を向けてくれた。
柔らかく、弧を描く目元がなんだか優しい。
- 758 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:08
- 「やっときてくれたのね。ごっつぁんにも頼んでたのに、あの子あなたには
伝えてなかったみたいだし。あ、まーそれがごっつぁんの優しさなんだろうけど」
「あの…?」
戸惑って動けない舞美ちゃんの代わりに、眉をひそめて尋ねてみる。
ごっつぁん…って、もしかして後藤さんのことなんだろうか?
矢口先生も似たように『ごっちん』って言ってたから…。
そしたら、その受付のお姉さんは、くしゃっと崩れた笑みで目尻を下げながら
ごめんごめん、とまた子供みたいな笑顔をくれた。
たぶん、童顔ってこういう人のことをいうんだろうな。
「あたしは安倍なつみ。写真の現像とか、そういうラボを開いてる会社の
一応社長なの」
「はぁ」
「ちーなーみーに。後藤真希所属の松浦んとこの事務所の専属写真館として
契約もしてるんだよ?」
「えっ? あ、後藤さんがお世話になってます」
「えへへへっ、いやいや、そんなことないよ」
慌てて頭を下げたのは舞美ちゃん。
というか、私も驚きでつられて頭を下げてしまったし。
なんていうか世間って広いようで狭い。
こんなに横のつながりがすぐ近くにあるなんて。
- 759 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:08
- 「あなた宛てに何度かいろんな写真展覧会の招待状は送ってたんだよ?」
「そうなんですか?」
「うん。…って、その様子じゃ、ぜんぶごっつぁんが内緒にしてたのかな」
「後藤さん…が…」
「ものすっごくあなたを大切にしてるっぽかったから。会わせてって
言ってたのに『また今度』『また今度ねー』とか全部断られてたもん、なっち」
「そうなんですか…すみません」
ぜんぜん、と笑う安倍さんは、すごく優しい目で舞美ちゃんを見つめてる。
それにしても…。
こうして舞美ちゃんをさりげなく守っていた後藤さん。
私が見てきた後藤さんは、ぜんぜんそんな感じはしなかったけど、
こうやって…知らないところで、舞美ちゃんが傷つくことを、
避けるようにして守っていて…。
保護者として、一番の理解者として、ちゃんと今までずっと舞美ちゃんを
見守ってたんだって初めて気づかされたっけ。
- 760 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:09
- 「ここに来たってことは…、写真、見る覚悟ができたってことかな?」
「…少し、ですけど」
「わっ、正直。うん、でも、えらいえらい。じゃあこっちにどうぞ」
えっ?
こっち?
自由に見て回るんじゃないの?
顔に私の疑問が出てしまったんだろうな、舞美ちゃんは
ごめんね、というみたいに目を細めて小さく謝ってきて、
案内してくれる安倍さんを追いかけながら、
ここに来た本当の理由を教えてくれたんだ。
「ずっと前から、この展覧会は各地で開催されてて…、ここでは
明日が最後だったんだけど。チケットとかなかなか取れない状態でさ。
えりが、少し無理して取ってくれたんだけど…なかなか行く勇気がなくって」
「?」
まとまりのない話し方に首を傾げれば、言いよどみながらも
舞美ちゃんが観念したみたいに一度大きく溜息をついて…。
- 761 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:09
- 「父の…写真が、最後に撮ったらしい写真が飾られてるらしくって」
息を飲んだ。
お父様の写真…。
それが飾られている場所に、向かっている現実。
それに言った。
安倍さんは覚悟ができたのか、と。
それはつまり…。
写真と向き合う覚悟ができたのか、過去と…向き合う覚悟ができたのか、
ということだ。
舞美ちゃんは、少し、と言った。
いつもの、しゃんと伸びた背中なんかじゃなくって、
頼りなく揺らめいた姿で。
まだ熱に浮かされているせいかもしれない。
でも、そうじゃないことも…私にはもうわかる。
まだ…怖いんだ。
蓋をした感情に飲み込まれるかもしれなくて。
また…絶望を目の当たりにするかもしれなくて。
でも、ここにきた。
いろんなものを連れて、それでもここに。
そんな舞美ちゃんを…私は、ちゃんと―――支えたい。
- 762 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:10
- 「…っ、愛理…?」
ぎゅっ、と。
一度強く手を握った。
私の存在を思い出してもらうために。
びっくりしたみたいな舞美ちゃんは私を見つめてくるけれど、
その視線には答えない。
舞美ちゃんが見るべきものは、私じゃない。
そう、今から見つめるものは私なんかじゃなくって…舞美ちゃん自身だから。
ただ、少しだけ私を覚えていて欲しいから。
あなたの隣には私がいることを。
だから、手を、繋ぎなおしたんだ。
想いはとどいたか。
舞美ちゃんは、すっと姿勢を正して瞼を閉じると一度大きく深呼吸をした。
そして…私と同じくらい強く手を握って、ぱっと目を開くと
まっすぐ、ずっとずっと先を見据えたんだ。
行こう―――愛理。
そんな声が聞こえてきそう。
その姿が…私の大好きな姿に重なって…頬が緩んでしまったっけ。
- 763 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:10
- ・
・
・
「もう閉館前なんだけど…、今日はあたしの担当だし、気がすんだら
また受付にきてね」
「いいんですか?」
「お身内だし、特別」
「ありがとうございます」
いいのいいの、なんてひらひら手を振りながら安倍さんはまた
来た道を引き返して行った。
かつん、かつん、という大理石でできた床は、大きく音を立てて
私たちの存在を浮き彫りにしていく。
本当に閉館前だったから、他に人はいなくて…、
大きく壁いっぱいに引き伸ばされた写真の数々に圧倒されてしまう。
でも、舞美ちゃんはまったく気にしていないみたいで、
一枚一枚、真剣な眼差しで見つめていく。
ううん、探していく。
お父様の作品を。
- 764 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:11
- 素人の私には、やっぱり写真のことはよくわからない。
でも、目にするすべてがとっても見事で…。
プロの凄さを思い知った気がした。
ただ…感じたのは…あのいつもの違和感。
見事だけれど…――― 好きではない。
なにかがピンとこないんだ。
舞美ちゃんがいる手前言えないけれど、お父様の写真じゃないのが
救いだった。
でも、同じようにお父様の写真もそうだったとしたら…。
そう思って歩を進めた次の瞬間―――、
「あ」
思わず漏れる声。
掠れて音になる前に消えたけれど。
それだけの衝撃が胸を貫いていったんだ。
- 765 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:11
- まさに閃光。
視覚から一気に脳へ駆け巡る鋭い感覚。
鋭い…じゃない。
これは…、脳にいろんな温かく柔らかなものが流れてきて、
受け止めきれずに溢れて…弾ける感覚だ。
一枚の写真を見た瞬間に。
「すごい…」
今度は音になる声。
それしか言えないみたいに。
だってほら。
なんて目に鮮やかな薄桃色。
ふわりふわりと空の青に誘われるように舞い上がるそれは、桜の花びら。
瑠璃色の空へ吸い込まれそうなのに、決して混じらない色彩。
- 766 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:12
- そして…それを見上げる一人の女の子の背。
漆黒の長く艶やかな髪が、花びらを追いかけるように風に舞って、
陽に照らされた一本一本が目に眩しい。
それに、真っ白なシャツのせいで、強いコントラスト。
桜や空に柔らかさを感じるなら、その人物にはハっとするような鋭さ。
ナイフの切っ先のような研ぎ澄まされたような。
細かなところはすべてピントから外れていて。
何を撮りたかったのかは一目瞭然。
女の子だ。
その子だけが撮りたかったんだ。
そこまで見つめて…やっと全体を見回す。
きっと…技術は今まで見た展示の写真の一番下だと思う。
色も荒いし、構図だってありきたりすぎる。
桜の木の隙間から見える空を見上げる女の子なんて。
でも、…私は、この写真が一番『好き』だと思った。
どの写真よりも、この写真が。
まるでそれは…初めて舞美ちゃんの写真を見たあの時のような感覚。
技術なんてわからない。
ただ、好きだと。
それだけ。
- 767 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:12
- なんとも言えない感覚になって、舞美ちゃん、と名前を呼びかけて…息を飲んだ。
舞美ちゃんは…――― 目を開いたまま、泣いていた。
ぽろぽろと。
大きな瞳から、頬へと幾筋もの涙を伝わらせて。
「舞美、ちゃん…?」
呼びかければ、ハっと我に返ったように慌てて涙を指先でぬぐう。
でも、受け止めきれない水は、どんどん溢れて…手首を濡らし、
冷たい石の床へと弾けた。
- 768 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:13
- 「だ…大丈夫?」
無意識に手を伸ばしてかけた声に、舞美ちゃんは笑顔で軽く手のひらを向けて制した。
「大丈夫。や、悲しいとかじゃないよ? でもさ、なんかわかんないけど涙が出ちゃうの」
そう言って、また笑いながらもポロポロと涙をこぼし舞美ちゃんは口元を隠した。
「ごめんね、ほんと大丈夫」、何度もそう言うけれど、全然そうは見えない。
「舞美ちゃん…」
そっと背中をさすると、舞美ちゃんはやっぱりその手を制すみたいに
震える手のひらを私に向けて、うんうんと何度も頷いた。
遠慮に似た拒絶。
迷惑かけたくない、と同時に、自分の弱さも見せたくない。
そんな頑固な気持ちが、涙ににじみ出ているみたい。
でも、それは…。
とっても綺麗な涙だけど…―――とっても悲しい涙だとも思った。
誰にもわからない、わからせたくない舞美ちゃんの苦しみの形で…。
- 769 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:13
- 「いいよ…、わたしぜんぜんなんにもできないし、いっしょにはなし…はなしきくしか
ぜんぜんほんとできないから…いっしょにいるよ…ううんいさせて…?」
こんなとき自分のふがいなさにうな垂れてしまう。
滑舌も悪くて、自分でも何いってんのかわかんなくなってて。
でも、舞美ちゃんの力になりたくて…。
私も…あぁ、なんかダメだ。
「あは、なん…、なんで愛理まで泣いてんのさ、おかしー」
そんなこと言うけど、舞美ちゃんだって。
声にはしなくても、舞美ちゃん自身が一番分かっているんだろうな、
ぐいっと、もう一度頬をぬぐって、はぁ…、と大きく息をついたんだ。
そして。
- 770 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:14
- 「この写真…、父の」
うすうす感じていた答えを、くれたんだ。
もう一度仰ぎ見れば、一気に私の心に迫る写真。
それはいつかの舞美ちゃんの写真のように。
とても有名で素晴らしい写真家だった舞美ちゃんのお父様。
なのに、こんなにも荒削りの写真。
でも…私は思う。
これは…2つとない、素敵な写真なんだと。
なんにも気にせず、ただ…撮りたくて撮った写真なんだと。
だから…惹かれた。
「それに…これ、あたしだ」
きゅっと写真に指を伸ばして、黒髪の女の子を指す舞美ちゃん。
驚きはなかった。
そうなんじゃないかと、少しだけ思っていたから。
- 771 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:14
- 「これが…お父さんの…最後の写真…」
どんな気持ちなんだろう?
最後の写真が、大賞を獲るようなそんな凄いものでなく…
こうして…舞美ちゃんへの…そう、最後の贈り物だったなんて。
『よく言うじゃん? スペシャリストが仕事でないそれこそ
平凡な作品に時間をかけたりするのは個人的な作品だけって』
脳裏に浮かんだのは、いつかの柴田さんの話。
きっと、それがこの写真だろう。
専門家のお父様が、撮りたくて撮った、1枚。
- 772 名前:Not alone 投稿日:2013/11/25(月) 06:15
- ゆうべの舞美ちゃんの口からこぼれたお父様の思い出は、
決していいものではなかった気がする。
でも、そんなお父様が最後に遺したものは…、こんなにも優しさに満ち溢れたもので。
否定した大きな存在から…惜しみない愛情を注がれていたという真実。
きっと私なんかにはわからない。
でも…今、くしゃくしゃに顔を歪めて涙をこぼす舞美ちゃんが
答えなんじゃないかって思うんだ。
凄く残念に思ったのは…――― この想いがもう、二度と繋がらないって事だった。
どうやっても、もう…。
そうやって時を超えて届けられた贈り物への涙は…、
私だけが胸にしまうことになったんだ。
- 773 名前:tsukise 投稿日:2013/11/25(月) 06:15
- >>745-772
今回更新はここまでです。
- 774 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:43
- 熱の篭った手のひらに戸惑いながらも、舞美ちゃんの自宅に戻った私は、
ぐらぐらと揺れる身体を支えながら、舞美ちゃんを部屋に押し込んだ。
きっと今は…時間が必要なんじゃないかなって思ったから。
そのまま私は帰るのが良かったんだろうけど…、
まだ体調が万全じゃないし、少し目を離しただけで無茶をしそうな舞美ちゃんを
ひとりになんてしておけなくて、私はただ…閉ざされた部屋の扉の前で
膝を抱えるように座り込んだ。
ひんやりした床は、夏の夜には心地いい。
立てた膝に額を乗せれば、眠ってしまいそう。
- 775 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:43
-
――――― いろいろなことがあった。
…ありすぎた。
私だったら受け止められない想いの波。
飲み込まれて、溺れて…沈んでいく、たぶん。
舞美ちゃんは…?
今までひとりで乗り越えてきた舞美ちゃんは?
今度もひとりで…乗り越える?
わからない…。
でも、おいそれと触れることのできないたくさんの想いは、
ただ…待つしかないことを教えてくれて。
舞美ちゃんからの…声を待つしかなくて。
そんな私を―――。
舞美ちゃんは、ぜんぶわかっていた。
- 776 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:44
- 「……愛理」
がちゃり、と。
目の前の扉は静かに開かれて。
膝を抱えるように座り込んでいた私に、
腰を落として目線を合わせてくる舞美ちゃん。
今にも泣きそうな、でもそれを堪えるように痛々しく顔を歪めて笑いながら。
助けて、と。
ただ一言いえばいいのに。
哀しいかな、その方法さえ知らない小さな女の子。
それが今の舞美ちゃんのような気がした。
だから…私は…。
- 777 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:44
- 「舞美ちゃん…」
そっと膝立ちをすると、舞美ちゃんの頭を抱き込むようにして
優しく髪を撫であげたんだ。
いいんだよ、って。
もう我慢しなくていいんだよって。
泣いてもいいんだよって伝えるように身体を揺さぶれば、
おずおずと私の腰に回される腕。
最初はためらいがちに。
それから指先に力を込めて。
…一度捕まえてしまえば、冷え切った心が温かさを求めて…すがりつく。
その弱々しい姿に、胸のずっとずっと奥が、ぎゅうっと締め付けられた。
「…っ…、ごめん…、少しだけ…」
「いいよ。ずっと…一緒にいるから」
「ごめん、ごめんね…」
謝らないで、と。
軽く首を振って、強く頭を引き寄せる。
なにも悪くない。
舞美ちゃんは、なんにも。
- 778 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:45
- ・
・
・
まだ調子の悪い舞美ちゃんを、そのまま廊下にいさせるわけにもいかなくて、
そっと部屋に入るとベッドに二人で腰かけた。
その手を握ったまま。
「だいじょうぶ…?」
顔を覗き込むようにしてみせれば、舞美ちゃんは弱く笑みを浮かべて頷いた。
ひどく疲れた横顔が不安にさせる。
「ごめんね、なんか、一緒についてきてもらったのに」
「ううん」
「恥ずかしいとこ見られたね」
「ぜんぜん」
「愛理も大変なのに…あたしなんかに時間とらせて…なにやってんだよね」
こんな時でも、私を拒むように薄く壁を作ろうとする舞美ちゃんに
もどかしさを感じてしまう。
もっと曝け出してくれればいいのにって。
私は、そんなことで…。
- 779 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:45
- あぁ、そうか。
そこで思い至る。
いつだって自分の足だけで立とうとする舞美ちゃん。
誰かのためには全力で頑張るのに、自分は置いてけぼりにしちゃう舞美ちゃん。
それは多分、環境が…許してくれなかったから。
お父様からの写真指導は…きっと私なんかが知りえないぐらい
厳しかったのかもしれない。
お母様がそばにいなかったのなら、なおのこと。
必死だったんだ。
お父様に…――― 気に入ってもらえるように。
写真だけじゃない。
それは舞美ちゃん自身も。
でも…その対象が、こつ然と消えて…。
弱り果てた自分を支えてくれた優しさに…きっと戸惑った。
後藤さんの、さりげなく包んで守ってくれる優しさに。
でも、慣れていなかったから…、そんな無条件のものに
触れたことがなかったから、どうしていいのかわからなくて。
まだ、今も…たぶん…過去に囚われたまま。
心が、鎖に縛られたまま。
- 780 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:46
- 「舞美ちゃん…っ」
「え…?」
伝えたい。
ちゃんとぜんぶ。
ありのままのあなたでいいんだと。
どれだけ感情のままに言葉を吐き出したとしても、
私は――― 幻滅なんてしない。
舞美ちゃんを、ひとりになんかしない。
してなんかやらない。
だから。
「もう、いいんだよ?」
「…?」
「もう、自分を許してあげてもいいんだよ?誰も責めたりしないし、
誰も…、ううん、私は、舞美ちゃんを嫌いになったりしない」
一瞬、舞美ちゃんの顔が歪んだ。
苦しげに、辛そうに。
でも、本当に一瞬で。
- 781 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:46
- 「なに、そんな、あたし」
そうやって無理に取り繕うとするから、ほころび始める。
押し隠してきた心の奥の感情が。
「舞美ちゃん」
ぎゅっと正面から両手を包んで軽く揺らせば、
泣きそうな顔で、うっと私を見つめて。
それから観念したように、かたく…本当にかたく瞼を閉じていく舞美ちゃん。
そのまま、一度大きく息を吐き出してから、
うなだれるように下がってきた頭を…私は肩口で受け止めた。
「愛理…」
葛藤が見えた。
本当にいいのか。
私に、ぜんぶ吐き出してもいいのか。
どこまでも真面目な心が、最後の最後で戸惑って。
だったら…。
私から――― もう一度、あなたへ心を差し出す。
- 782 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:47
- 「舞美ちゃん…。私は、舞美ちゃんが好きなの。誰よりも好き。
だからぜんぶ知りたい。舞美ちゃんのことぜんぶ。それに…
ぜんぶ、欲しいとも思ってる。舞美ちゃんをまるごとぜんぶ」
その言葉は、舞美ちゃんにどう届いたか?
ぴくん、と一度小さく震えた身体が、
短くなった髪の隙間から見える真っ赤な耳や首元が…
すべてを物語っている気がした。
「あいり…そんな…あたし…でも」
「だめ? 私は…舞美ちゃんのぜんぶがみたいの。だって好きなんだもん。
泣いてるところも笑ってるところも。なんにもできなくても、ぜんぜんいい。
それだって、舞美ちゃんだもん」
友達や兄弟に使う『好き』じゃない。
はっきりと色と温度を持った『好き』。
それを、ちゃんと伝えて…、伝えられて。
- 783 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:47
- 「うぅぅ…、もう、かなわないなぁ…愛理には」
特別になることを強いられた舞美ちゃんを、
今…――― 解放してあげられた気がしたんだ。
ほら、だって、胸元でくすくすと笑って零れる吐息が、どこまでも優しい。
ぴんと張りつめていた空気は、もうそこになかったから。
「あたし、結構わがままだよ?」
「ぜんぜん」
あなたがわがままだというなら、私はなんと言えばいいんだろう?
「空気読めなかったりとかするし」
「そんなことない」
読みすぎてしまったから、ひとり苦しんだんでしょう?
「愛理が思ってるほど、綺麗な人間じゃないよ?」
「それでもいい」
ううん、それがいい。
今まで私の目に映ってきたあなたは、とっても綺麗で真っ白で。
そんなあなたの、いうなら人間くさい部分、ぜんぶが見たい。
- 784 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:48
- 「………ほんとに、あたしでいい、の?」
密やかな吐息は、あぁ、なんて可愛いんだろう?
かっこよくて、可愛くて…。
あたしでいい? なんてそんなの…。
「舞美ちゃんがいい」
「愛理…」
「舞美ちゃんじゃなきゃ、やだ」
困ったみたいに笑う舞美ちゃんは、ふっと息を噴き出して。
こつん、と額を私の肩にもう一度ぶつけてきた。
心地よい重みに、うっとりする。
でもね、私だって女の子だよ?
女の子って…ちゃんと口にしてもらえないと不安になるって
舞美ちゃんだってわかるよね?
- 785 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:48
- 「舞美ちゃん、は?」
「え…?」
「私でいいの? 私のこと…好きに…なってくれる?」
舞美ちゃんの心はいつもわからなかった。
私を励ましてくれるのも、元気づけてくれるのも…寄り添ってくれるのも
すごく温かくって、心がこもってるってわかってたけど…。
その感情の名前は、見えなかったから。
そんな私に。
舞美ちゃんは、ゆっくり身体を起こすと。
「………あいり…」
「……っ…」
息がかかるぐらい近くに顔を近づけてきて、名前を呼ぶ。
視界いっぱいに舞美ちゃんが広がって、
その真っ黒な瞳の奥が見えてしまいそう。
水面を思わせる、ゆらりと涼やかな瞳の奥が。
- 786 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:49
- どきり、と跳ねる心臓に、なんにも言えなくなってただ見つめ返せば、
ゆっくりと閉じられていく、舞美ちゃんの瞼。
長いまつげは艶やかで…目が離せない。
そして次の瞬間――――、
「………」
「ん……っ」
息を捕まえる感覚と、くにゃり、と熱く柔らかなものが私の唇をふさぐ感触。
ぼやけた視界は舞美ちゃんの輪郭で…。
すべてを理解した瞬間…、私もゆっくりと瞼を落としたんだ。
どれぐらいそうしていたんだろう。
たぶん一瞬。
でも、あまりにも生々しい感触に、私の頭が思考をゆっくり停止して
痺れた心が時間をとめたように思わせたんだ。
- 787 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:49
- 「まいみ、ちゃん…」
ゆっくり唇を離した舞美ちゃんだけど、
さっきと同じように、息がかかるくらいの所でまた私を見つめてくる。
まるで舞美ちゃんの熱が伝染ってしまったように、全身が火照る私も動けない。
そしたら、そんな私に気づいたように、口元を緩めて。
舞美ちゃんは鼻先をこすりつけるように頬に肌を滑らせて。
柔らかく、そっと私の身体を抱き寄せてくれたんだ。
いつのまにか、床に落としていた私の腕ごと包み込むように。
そして―――言ってくれたんだ。
「あたしも……愛理がいい。愛理が…好き、だよ」
『好き』
一気に洪水のように全身へ沁みわたる言葉を。
- 788 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:50
- あぁ…、
心が舞い上がるって、きっとこんな感じ。
ふわふわして、私が私じゃない感じだ…。
途端に暴れだしそうになる気持ちを止められない。
もっともっとと、舞美ちゃんを求めてしまう気持ちを。
一瞬じゃなくってもっと。
舞美ちゃんをもっとちょうだいって。
どうして、こんなにも好きが溢れるんだろう。
次々と。
思ったところで、どうしようもない。
触れたい。
こんなに抱きしめあってるのに、まだ足りないんだ。
もっと、私を捕まえて。
離さないで。
一番近くにいて。
ねぇ、この気持ち、どうしたらいい?
どうしたら満たされる?
教えて?
その答えをくれたのは―――― やっぱり舞美ちゃんだった。
- 789 名前:Not alone 投稿日:2013/11/26(火) 05:50
- 「もっと…、いい?」
「え…?」
「もっと、愛理と、近づきたい」
それはつまり…。
舞美ちゃんも私と同じ気持ちでいるということ。
どれだけ近づいても苦しくて、切なく胸を締め付ける感覚に
舞美ちゃんも解放されて、満たされたかったんだ。
恥ずかしい気持ちは…私だけじゃない。
まだ知らない道に戸惑うのも、きっと一緒。
だったら…
――――― なにも、躊躇うことなんてない。
一秒だって離れたくなくて…答える前に今度は私から舞美ちゃんに唇を重ねた。
ぎこちなく深まっていく私たちの姿を、
ただ静かに、四角い窓から姿を現しだした月だけが見つめていた。
- 790 名前:tsukise 投稿日:2013/11/26(火) 05:51
- >>774-789
今回更新はここまでです。
- 791 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/11/26(火) 22:22
- 今回の展開ではぐっと来るものがありました…ついにここまで、と。
2人の距離が縮まっていく過程を見守ることが出来て嬉しいです。
これからも楽しみにしてます
- 792 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/11/27(水) 06:15
- 更新お疲れ様です!最近読みはじめて虜になりました!!他の小説も読みました!!愛理…良かったな…舞美も。こんなに素晴らしい小説を書かれているのに完結したら引退するという話を聞きました。tsukise作品が大好きなのでまだまだseekで頑張って欲しいです!我儘ですいません!!でもお願いします!!小説の続きも楽しみにしてます!!
- 793 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:23
- 『もし…、一緒にいることで辛いことがあったら…迷わず離れてね。
見た感じ、鈴木ちゃんって引っ張られそうだから』
そんなことを後藤さんが言ってた。
なに言ってるんだろうって思った。
そんな、舞美ちゃんと一緒にいて辛くなるなんてって。
お父様のことなら、それはまったくの間違いですよって。
この時は、そんなとこ思ってた。
でも…。
ゆっくり、ゆっくりと舞美ちゃんが変わるにしたがって。
私の中の何かも大きく動き出し…、ううん、一歩…踏み出して。
『一緒にいることで辛いこと』が、なんなのかが見えてきたんだ。
- 794 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:23
- ・
・
・
- 795 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:24
- 遠くに聞こえる新聞配達のバイク音で、ふと目が覚めた。
重い瞼を開けば、薄暗くも見知らぬ天井が広がっていて…瞬きを1つ。
景色はそれでも変わらない。
軋む身体を持ち上げて、額に手をつく。
私、どうしたんだろうって。
でも、気づくのは早くって…というか、なんにも身に纏っていない自分の姿を見れば
いやでも記憶はよみがえる。
そうだ…私、舞美ちゃんと。
ぼんやりする頭のまま、くるりと首を回せば枕に顔を埋めるみたいにして
眠っている舞美ちゃん。
隣に空いた空間が、とっても愛しい。
寝相が悪いよ、って言ったのに大丈夫、なんて笑顔で隣を許してくれて。
まだ痺れが残っていた私の身体を、いたわるように抱き寄せてくれたっけ。
舞美ちゃんの頭の上にある時計に目を凝らせば、まだ4時前。
街並みがよみがえる瞬間には、まだ早い。
- 796 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:24
- 「まいみちゃん…」
まじまじと一度顔を覗き込んで、笑みがこぼれた。
私と違って、眠っていても整った顔立ち。
すぅすぅと聞こえる寝息も規則正しくって、耳に心地よい。
短くなった髪だけが、乱雑に顔にかかっていて、ちょっと可愛いかも。
あぁ、全部が愛しい。
そのシーツから覗かせている肩だって指先だって。
優しく、顔にかかった髪を整えて、起こさないように離れると床に散らばらった
服を無造作に指先でつかんだ。
まだ目が暗闇に慣れてないから、どれがどれかわかんなくて…。
それでも手に取ったものに…口元が緩む。
舞美ちゃんが着ていた、真っ白なワイシャツだ。
制服で規定されているような、あの。
袖を通して、指先が届かないことにまた笑みがこぼれる。
あぁ、やっぱり舞美ちゃんと私ってこんなに違うんだって。
そんなのわかっていたはずなのに。
- 797 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:25
- そのまま第二ボタンまでだらしなく外しながらも、ベッドのはしに膝立ちして座れば
すぐ近くの四角い窓から、見事なグラデーションで彩られた空が見えた。
眠気さえも飛んでしまうような、吸い込まれるような不思議な空が。
すごい…。
舞美ちゃんの部屋からは、こんな綺麗な景色が見えるんだ。
半分まで下がっていたブラインドを、音をできるだけ立てないようにあげて窓も開ける。
ジリジリした昼間の日差しと違って、肌を包むような優しい空気。
それに密やかな虫の音が耳に届いて…目を細めてしまう。
なんて気持ちいいんだろう。
涼しい風が吹き抜けて髪を揺らせば、そのまま目を閉じて身を任せてしまうほど。
舞美ちゃんはいつも、こんな空間にいるんだ。
市街地から少し離れるだけで、こんなにも自然にあふれた場所があるなんて…。
また新しい舞美ちゃんを知ることができてうれしくなる。
びゅう、と、また涼しい風が頬を撫でて髪が膨らむ。
その心地よさに胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
- 798 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:26
- と、その瞬間―――。
カシャン
一度耳に響く、機械音。
ううん、これは…シャッター音だ。
えっ?と思って振り返れば、いつのまに持ち出していたんだろう?
舞美ちゃんが、枕に背を預けたままの姿で
少し古ぼけた、その細い指先には不釣り合いなほど重そうなカメラを
私に向けていたんだ。
- 799 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:26
- 驚いた、よりも先に浮かんだのは、しまったって気持ち。
静かにしていたつもりだったんだけどな…。
「ごめん…、起こしちゃった?」
「ううん、なんとなく目が覚めただけだから」
気にしないで、というように、舞美ちゃんは寝起きなのに綺麗な笑みで手を振って。
ベッドの近くのテーブルにカメラをゆっくり置いた。
それからシーツを引き寄せて、くるりと自分の身体に巻き付けると、
私の隣にまで、よじよじとにじり寄って、よいしょ、と座ってきたんだ。
「ね」
「うん?」
呼びかけられて返事をすれば、舞美ちゃんは少しためらいがちに私の指先に
自分のそれを絡めて顔を覗き込んできた。
- 800 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:26
- 「身体、大丈夫?」
あぁ…いたわってくれてるんだ。
少しだけ、その表情が曇っていて…無理をさせたとでも思っているのかもしれない。
本当に舞美ちゃんってば…、人の事ばっかり。
自分だって、そんな経験ありはしなかっただろうに。
もう愛おしくて仕方なくなって、膝立ちしたまま舞美ちゃんと同じように
指先を絡めるように両手を取って向かい合う。
それから、大丈夫だよって言うみたいに口の端を緩めて頷いてみせた。
「良かった…」
本当に安心したみたいに目を細めて笑う舞美ちゃん。
昨日のことを思い出せば、そんなに不安がることないのに。
どこまでも優しく私に触れてくれた感触を、身体全部が覚えてるもん。
壊れ物でも扱うように、丁寧に…。
- 801 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:27
- なんだか…胸の奥がぎゅうぅって疼き出して…、
たまらなくなって舞美ちゃんの額に、ゆっくり口づけた。
ちょっとびっくりしたみたいに目をパチパチした舞美ちゃんだけど、
すぐに瞼を落として、私の好きにさせてくれたっけ。
そのまま、こめかみに…頬に…、瞼に…耳に、と唇で触れて…、一度離れると、
静かに瞼を開いた舞美ちゃんを確かめるように視線を交わらせてから…唇を重ねた。
熱く…柔らかな感触は、すごく気持ちよくって…ドキドキする。
「あいり…」
水を称えるように揺らめいた舞美ちゃんの瞳は、私の身体の奥を熱くさせて。
その細い腕で腰を抱きしめられれば、程よい力に私も首に腕を回して頭を抱いた。
サラサラと指の間をすり抜けていく髪がくすぐったい。
「まいみちゃん…」
何度も唇を塞いで、どんどん深くなっていくキスにバランスを崩して、
舞美ちゃんが私の身体を巻き込んでベッドに沈む。
それでも追いかける唇は止まらない。
もっともっとと、求められて、求めて…自然と重なる肌。
- 802 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:27
- いい?と確かめるように私に向けられる舞美ちゃんの視線に、
一度頷きかけて、止まる。
待って。
私、思うの。
私ばかりが舞美ちゃんに翻弄されてる。
それって、すごく満たされてるけど…。
くん、と手首を掴んで舞美ちゃんの姿勢を崩すと、身体を預けるようにして半回転。
そして、今度は私が上で跨る形になる。
「愛理…?」
少し戸惑ったように見上げてくる舞美ちゃん。
でもぼんやりした瞳は、ゆるやかに思考を流してしまっているみたいで熱っぽい。
その瞳の色を見ながら、私は指を絡めて舞美ちゃんを見下ろす。
- 803 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:28
- 「私も、まいみちゃんに触れたい…一番、深くまで」
かすれた声に自分の余裕のなさを感じたけど、どうしようもない。
だって、今すぐにでも舞美ちゃんに噛みつきたい衝動をこらえるのに必死で。
一度知ってしまえば、どんどん際限なく求めてしまう心と…身体。
ジリジリとした焦燥感と一緒に。
頭の芯まで熱に侵されて、もう強い感情が止められない。
そんな私に気づいているのか、舞美ちゃんは何も言わずに薄く微笑んだまま、
小さく頷いてくれた。
すべてを許すみたいに。
ぜんぶを受け入れるように。
それを合図に、私たちはまた溺れる。
真っ白なシーツの海で、息の仕方も忘れたように。
ただお互いの熱だけを追いかけて。
生まれたままの姿で…本能のままに。
- 804 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:28
- 「あ…っ、あいり…っ」
白い喉元をあらわにして、苦しげに喘ぐ舞美ちゃんさえ逃さない。
焼けつくように熱い素肌は、擦りあわせるたびにお互いの境目をあやふやにして。
むっとするほどに溶けた汗の匂いだけがリアル。
絡み合って混ざりあって…満たされたくて解き放たれたくて…
舞美ちゃんの内側を探れば、あぁ…と吐息をこぼし、
表面を滲ませた瞳で私を見つめたまま、うわ言のように名前を何度も呼んでくる。
じんじんと痺れる脳は意識を白濁させて、もうめちゃくちゃになって舞美ちゃんを揺すぶった。
「まいみちゃん…、もっと…」
中毒性のある秘め事に、私も舞美ちゃんも、もう抜け出せない。
「あいり…あいり…っ」
「まいみちゃん…いい…?」
きゅっと強く抱きしめ合えば、キーンとする耳鳴りを感じながら…
「???っ!」
しなやかな身体を大きく波打たせて、舞美ちゃんは意識を飛ばした。
その表情を眺めて私はうっとりする。
こんな乱れた舞美ちゃんを独り占めしているんだって…嬉しくて。
- 805 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:29
- ・
・
・
息が整ってくれば額の汗を拭いながらも、
私を求めて力なく手を伸ばしてくる舞美ちゃん。
にっこり笑ってその手に頬をすりよせると、安心したように息をこぼした。
「愛理…汗すごい…」
「舞美ちゃんに言われたくないかも」
「確かに」
くすくす笑いながら、ころんと隣に寝転がって身体を抱きしめると
舞美ちゃんも向かい合うようにして、そっと私の頭を抱き寄せてくれた。
「愛理に逢えて良かった…神様に感謝したい」
「大袈裟だよ…」
「ううん…、だってあたし…思い出せたんだもん、愛理のおかげで」
「え…?」
目の奥を確かめれば、やっぱり舞美ちゃんはあの細い目で笑って。
本当に幸せそうに、ぎゅっと一度腕に力を込めて。
ただ…切なく声だけは、震わせていた。
- 806 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:29
- 「あたし…いろいろあったけど…写真が好き。あのシャッター音も色も、触った感じも。
そういうのも全部お父さんが居なくなって…都合よく忘れようとしてた。
お父さんに強いられてたんだって思い込ませて。お父さんのせいでって…。
でも違ってた。
あたしがしたくて始めて、お父さんは助けてくれていただけだったんだ。
あたしがもっと頑張りたいって思ってるのを知ってたから。なのに遠ざけて…
あたしを道具にしか思ってないなんて勘違いして…。でも…愛理のおかげで気づけた。
それ、ぜんぶ間違いだったって」
そこで一度大きく溜息をついた舞美ちゃんは、身体を少しだけ離して。
「ありがとう、愛理…。愛理がいなかったら…お父さんの最後の写真にも
出会えなかった」
コツンと額をぶつけてきたんだ。
その小さな重みが心地いい。
私なんかが、舞美ちゃんの力になれたのが嬉しい。
いつも、助けてくれていた…ううん救いあげてくれていた舞美ちゃんを
少しは…自由にしてあげられたことが…心から嬉しい。
- 807 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:29
- 「あ…そうだ、えりかちゃんがコンクールに作品を出すようにって」
「ん? あー、そういえばそんなこと聞いたことあるかも」
「どうするの…?」
どれだけ解けた心でも、まだ解決できないものだってあると思う。
他人の評価、とか…。そういうの、一番困っていたし。
そんな不安が顔にでちゃったのかな、舞美ちゃんは くしゃくしゃっと
私の髪を撫でてあのいつもの笑顔を見せてくれると、
「出すよ? もう、あたしは大丈夫」
強く頷いてくれたんだ。
それはどこか、初めて出会ったあの春の日を思い出させる。
颯爽と現れた舞美ちゃん。
空の青を背負って、まっすぐ、どこまでもまっすぐな姿勢。
目に眩しい白いシャツに、潔いほどの背中。
その存在の特別さに、目を細めてしまったっけ。
それほどまでに、今の舞美ちゃんは…輝いて見えたんだ。
- 808 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:30
- 「あいり…」
え…っ、待って。
慌てて手を胸元に置くけれど、舞美ちゃんはまた鼻先を擦りつけるように
私の肌に唇を落としてくる。
や、待って、ほんとにっ。
「舞美ちゃん…っ」
「なに?」
「も、もうこれ以上は…あの、私…」
もたない…。
本当に体力的に。
軋む身体が、まだ一日が始まったばかりなのに悲鳴をあげているんだ。
というか、どうしてそんなに舞美ちゃんは元気なの?
どこから、その体力が湧き出てくるんだろう?
- 809 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:30
- 「あははっ、そうだね、残念」
それでも、頬に口づけてきた舞美ちゃんに、かぁっと顔が熱くなる。
残念、なんて…。舞美ちゃんって実は結構…。
ごにょごにょと口の中で呟けば、うん?と首を傾げてくる。
その可愛さに、胸が大きく鳴ったけど…本当にもう無理で、
ただ舞美ちゃんにしがみついて誤魔化したっけ。
「まだ朝まで時間あるし…少し休もっか?」
「うん…」
包み込まれれば、心地よいあたたかさに…すぐに睡魔がやってきて。
瞼を落とせば、どんどん意識が流されていく…。
ただ、そんな意識の中でも…一つだけ残ったシコリ。
私の中にくすぶったシコリが…頭の中で浮かび上がってきたんだ。
- 810 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:30
- 誰かのためじゃなくて、自分のためにしたいものが舞美ちゃんにはあった。
それが何ものでもない、ずっと苦しむ原因だった写真だって言い切る強さ。
自分は? 自分はどう?
強い意志で言い切れる何かはある?
もう、わかってる。
大切なもの。
本当に大事にしなきゃいけないもの。
ここで、こうしている自分に警笛を鳴らす…もの。
向き合わなきゃいけない時が、もう来てるんだ。きっと。
りーちゃんの…あの背中に手を伸ばす時が。
でも…、本当にそれは私が求めているもの?
一人になっても、追いかけていきたいもの?
そう考えると…足がすくむんだ。
ううん、身体が震えるだ。
誰かのためじゃなくって―――
- 811 名前:Departure 投稿日:2013/12/01(日) 10:31
- 「あいり…」
「…っ…」
びくん、と震えた身体を、少しだけ強く抱きしめる腕にハっとする。
瞼を開いてみれば、優しく笑ってくれてる舞美ちゃん。
いつの間にか、怯えた小さな子供みたいに縮こまっていた私の背中を
撫でるように包み込んでくれていたみたい。
「焦らなくていいよ。絶対に、愛理の求めてる答えは見つかるから…」
「舞美ちゃん…」
気づいて、いたんだ…。
なんで、舞美ちゃんはこんなに鋭いんだろう?
自分の事は置いてっちゃうのに。
「…ほんとうに…? 私、見つけられる? どうしたらいいか…見つけられる?」
「うん。それは、1時間後かもしれないし1年後かもしれないけど」
「わかんないよ……」
「大丈夫。…絶対、大丈夫だよ…」
「…うん…。………うん……」
あぁ、だめだな、私。
大事な話をしてるのに、安心しちゃうとすぐに眠ってしまうのが悪いクセ。
結局わたしは、そのまま舞美ちゃんに背を撫でられながら…眠ってしまったんだ。
夢も見ずに…深くも温かい安らぎの中へ。
- 812 名前:tsukise 投稿日:2013/12/01(日) 10:32
- >>793-811
今回更新はここまでです。
>>791 名無飼育さん
少しずつ近づいて、重なっていく二人にお付き合い頂いてありがとうございます。
本当に、ここまで寄り道が多かったり回り道したりでしたが、今少し、歩き出す
二人を見守ってくだされば幸いです。
>>792 名無飼育さん
作者としては大変光栄で嬉しいレスをありがとうございます。
ご回答はサイトの方でさせて頂いたので割愛させて頂きますが、
どうぞ、これからも二人の姿を追いかけてくだされば幸いです。
- 813 名前:tsukise 投稿日:2013/12/01(日) 14:36
- すみません、今回更新分に少々性的描写を含みますので落とします。
以降sage進行で行かせていただく予定ですので、レスなど頂ける時は
E-mail欄にsage記入をよろしくご協力下されば幸いです。
- 814 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/12/01(日) 17:26
- Departure ここにきて始まる二人の関係にキュンとしました。
tukiseさんの描く矢島さんが本当に好きです。
- 815 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:00
- 「あいり…愛理…っ」
「んー…」
「もう起きなきゃ…」
「あと5分だけぇ…」
「さっきも聞いたよ? それ」
ゆさゆさと、心地いい振動にシーツに小さく丸くなってくるまる。
だって、こんなにも気持ちいい眠りは久しぶりだったから、
まだ、こうしていたいんだ。
「あいりー、愛理さーん」
「んー…もうちょっとぉ…」
お母さんも粘るなぁ…。
いつもだったら、そろそろ霧吹き攻撃が始まる頃だ。
その前に…。
「あっ、潜り込んじゃだめだってば…っ」
こうしてしまえば、大丈夫。
そう思っていたんだけど。
- 816 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:01
- 「しょうがないなぁ…。よいしょ…」
ベッドが軋む音と一緒に、振動で揺れる身体。
乗り上げてきたのかな? お母さんも新しい手をよく考えるなぁ。
でも、もう少しだけ寝かせてほしいんだ本当に。
なんだか、身体がだるくて…。
と、次の瞬間。
「あいり…」
「っ!!??」
きゅっと腰に腕が巻き付いてくる感覚に、びくりとした。
えっ、なにっ!?
「早くおきないと…」
「んっ!?」
かぷっ、と耳に噛みつかれて、柔くも鋭い刺激が走り抜ける。
追いかけてくるのは、ぞくぞくと腰が砕けるような感じ。
なにっ!? やっ、待ってっ。
なんでこんなっ。
待って待って。
それ以前に、私なんで何も着てないの…っ?
- 817 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:02
- ―――あ、そうだ…私。
思い出した瞬間、がばっと勢いよくシーツを弾き飛ばして起き上がる。
わっ、と驚いたらしい私の背にいた人は、腕を解いて、それでもくすくす笑っていた。
「舞美…ちゃん…」
「おはよ」
「う…、お、おはよう…」
むぐむぐとシーツを鼻先にまで引き寄せて、立てた膝に顔を隠してしまう。
だって、なんでこの人はこんなに爽やかな笑顔を朝から向けてくるんだろう。
ドキドキして心臓が持たない。
「ごめんね、もっと寝かせてあげたいんだけど…時間ヤバいかなって」
「時間…わわっ、7時半っ!?」
「うん、部活って9時からでしょ?そろそろ起きないと間に合わない」
わたわたと時計と舞美ちゃんを首ふり人形みたいに見れば、
やっぱりおかしそうに笑って、そっと乱れた私の髪を直してくれる。
優しいその指先に、ちょっとだけ落ち着いてきて。
やっと舞美ちゃんの姿を確かめる。
- 818 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:02
- いつ起きたんだろう?
ちゃんと着替えも済ませて、身だしなみだってバッチリ。
キャミソールにジーンズというラフな格好なのに、
スタイルがいいし、線が細いからすっごく似合ってて。
ぼーっと見惚れてしまった。
「? 愛理? 大丈夫?」
「うん…。舞美ちゃんに見とれてた」
「…やだ、やめてよもー…あたしだって自然にしようって思ってるんだからさー…」
あ…やっぱり舞美ちゃんも恥ずかしかったんだ?
私ばっかりが困ってるんだとばかり思ってた。
なんだか可愛いな。
にこにこ笑顔で、ぱたぱた手を振りながら顔を真っ赤にして。
- 819 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:02
- 「ほら、シャワー浴びてしゃきっとしてきな? 朝食も準備してるし
着替えも綺麗にしてるから」
「あ、う、うん」
ぽん、と軽く背を叩いてベッドから降りる舞美ちゃんは、
どこかお姉さんみたいで。
でも。
「あ、そうだ。愛理、すっごく可愛かったよ?」
「えっ?」
「あっ、違う違う、そういうことじゃなくって、寝顔がねっ、うんっ」
やっぱりどこか抜けてる、困った天然さんだった。
- 820 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:03
- ・
・
・
生まれ持った性格とか習慣は、そう簡単には変わらないもので。
舞美ちゃんに起こされても、まだ眠たさにふわふわしていたら
ほらほら、と手を引かれるようにバスルームに押し込まれて。
ふんわりした湯気の先には、気を遣ってくれたんだろうな…、
バスタブに少しぬるめの湯が張ってあったんだ。
少しだけ身体の奥に沁みる感覚を覚えながらも、身体を浸らせれば
引きずっていた余韻が抜けていく感じで心地よく、ほぅと息をついて身を任せた。
ある意味、至れり尽くせりで口元が緩んでくる。
私のために、色々考えてくれたんだなって…嬉しくて。
うっかりバスタブの縁に頭を乗せれば、また睡魔がやってきて、
だめだめ、と熱いシャワーを頭からかぶったっけ。
あんまり長居すると、また舞美ちゃんのことだし、
心配してやってくるかもしれない…手早く出よう。
お世辞にも、時間はたっぷりあるとも言えないし。
- 821 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:03
- 「あ、お湯、大丈夫だった?」
「うん、ありがとう。すっごく気持ちよかった」
濡れた頭を拭きながらリビングに戻れば、
髪を小さくまとめてエプロンをつけた舞美ちゃんが、
テーブルに朝食を並べているところだった。
「うわぁ…美味しそう」
並んだお皿には、オムライスにサラダにスープ。
あとはウインナー、ハム、ベーコンが1つにまとめられていて小皿が添えてあった。
すっからかんのお腹に焼けたベーコンの香ばしい匂いが、食欲をそそってたまらない。
「これ、ぜんぶ舞美ちゃんが?」
「うん、口に合うかわかんないけど」
口に合わないとか、絶対ないよ!
こんなに美味しそうなんだよ?
うわぁ…。舞美ちゃんって本当になんでも出来ちゃうんだね。
- 822 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:04
- 「んー、でも食べる前に髪を整えなきゃだね」
「あ…」
そっと指先を伸ばして毛先に触れた舞美ちゃんは、
ぱっとヘアアイロンとポーチを取り出してきて、
窓際のソファーに「おいで」と私を呼んだ。
そのニコニコ笑顔に逆らえない。
ちょこん、と。
舞美ちゃんの前に座れば、ヘアアイロンの独特の音を立てて、
髪をぬ一房ずつ手に乗せて整えてくれる。
「愛理の髪って、ふわっとしてて手触りいいね」
「くせっ毛で困っちゃうんだよ」
「でも気持ちいいよ」
冷房がきいた部屋で、こんなゆっくりした朝、初めてかも。
時計を確かめれば、十分間に合うぐらいあって…
起こしてくれた舞美ちゃんに感謝だなぁ。
でも、同時にここにいるタイムリミットも感じてしまって。
込み上げてきた寂しさに…つい私は口にしてしまった。
- 823 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:04
- 「離れたく…ないなぁ」
困らせるってわかっていたけど。
こんなにも…舞美ちゃんといる時間が愛しくて。
日常に戻るのが、少し残念だったんだ。
「愛理…」
カチンとアイロンのスイッチを切って、
ポーチから取り出したゴムで、私の髪をおさげにし始める舞美ちゃんは、
やっぱり少しだけ困った顔をして、それでも口元を緩めたんだ。
「あたしも、だよ?」
「ほんとに?」
「ほんと」
あぁ…その言葉は少しだけど私の気持ちを浮上させてくれる。
慰めだとしても…がんばれる気がしてくる。
「ありがとう…」
「ううん。…はいっ、出来たっ」
弾む声に自分の髪に触れれば、ごわついた所もなく綺麗にまとまったおさげ。
小さめの鏡を渡されて確認して、嬉しくなった。
舞美ちゃんがしてくれた、それだけで。
- 824 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:05
- 「さ、ご飯にしようっ、冷めちゃう」
「うんっ」
ぽんっ、と軽く背を叩かれて立ち上がった瞬間、ぐぅ、と盛大な音を立てるお腹。
わわっと恥ずかしくなって手で押さえるけど、次いで今度は舞美ちゃんの
お腹が鳴って、顔をつき合わせるようにして笑ってしまったっけ。
- 825 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:05
- ・
・
・
「忘れ物、ない?」
「うん、大丈夫だと思う」
「あっても、届けるし」
「ありがとう」
トントン、と。
靴の先を地面で叩いて かかとを合わせると、
くるりと扉の前で舞美ちゃんに振り返る。
ほどいた髪が肩口で揺れていて、まだちょっと見慣れないな。
でも、目を細めて笑う姿はいつものもの。
変わらない、舞美ちゃんの笑顔だ。
なんだか見つめているだけで、愛しさと…切なさがこみ上げてくる。
- 826 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:05
- 「朝食、ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「ぜんぜんっ」
へへっとテレたように笑う舞美ちゃんに私もはにかむ。
だって、とっても美味しかった。
ふわっふわのトロっトロだったオムライス。
口の中に入れた瞬間、卵の甘さとほんの少しのコンソメの風味が舌に優しく、
初めての食感にほっぺが落ちそうだったし。
中のトマトペーストで味付けされたご飯も、絶妙な味だった。
スープは胃に優しい細切れにした野菜がたっぷりで。
焼きたてのパンに、チーズやハムなんか乗せて食べれば、幸せな気持ちになったんだ。
あんなに料理が上手だったら、すぐにでもお嫁にいけちゃうね。
なんて。
そうやって、舞美ちゃんを知れば知るほど…こうやって離れるのが辛くて。
そろそろ出発しないといけないのに、もうちょっと、もうちょっとと
ぐすぐすしてしまうんだ。
- 827 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:06
- 「愛理?」
「…わかってるよ? 家にもちゃんと帰らなきゃだし…部活、行かなきゃだし」
「……………」
俯いて、手に持ったクラのケースを指先でなぞれば、
少しだけ重い気持ちが広がる。
吹けるかな…、怒られないかな…、大丈夫かな…。
そんな気持ちと一緒に頭が傾いてきちゃうんだ。
「……あいり」
「え? …あ…」
ふっと呼ばれて顔をあげれば、すぐそこに迫る舞美ちゃん。
唇が触れる直前に瞼が閉じられて…私も反射的に目を閉じる。
あぁ…、もう…舞美ちゃんはやっぱり天才。
こうして、なんでもないみたいに、私をぜんぶまるごと救ってくれる。
暗闇の中で触れた唇は、軽く息を捕まえるようなものだった。
でも、そのキスが丁寧であればあるほど私の重い気持ちを
吹き飛ばしていくかのようで…、唇を合わせたまま笑みを浮かべてしまったっけ。
- 828 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:06
- 「なにかあったら、すぐ呼んで? 飛んでいくから。とかいって」
「舞美ちゃん…ありがとう」
ぐっ、と握り拳を見せて笑ってくれる舞美ちゃんは
とっても頼もしくって、まさにヒーローみたいだった。
うん。
もう会えないってわけじゃないんだ。
いつでも会える。
だから、がんばろう。
そう、私には舞美ちゃんがいてくれる。
だから。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
ガチャリ、と扉を開けて一歩踏み出した瞬間に、
眩しい朝陽に、いつもと違う感覚を抱いた気がした。
こんなにも…なにもかもが違って見えるんだなって…、
そう、舞美ちゃんが…私のすべてを変えてしまったんだなって。そんな風に。
- 829 名前:Departure 投稿日:2013/12/06(金) 18:07
- >>815-828
今回更新はここまでです。
>>814 名無飼育さん
ご感想をありがとうございます。始まった二人がこれからどんな道に進むか
また見守ってくだされば幸いです(平伏)作品の登場人物には等しく愛情を
注いでいるので、好きだとのお言葉、本当にうれしく思います♪
- 830 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:03
- すぅっと大きく息を一度吸い込む。
遠くにセミの声が聞こえて、無意識に額から汗が流れてくるけど、
それさえも心地いい。
こんなにも…本当にすべてが輝いて見えるなんて。
舞美ちゃんに変えられてしまうなんて。
ほとんど知らない路線の電車に乗れば、見知らぬ人たちがいて。
本を読む人、携帯をいじる人、音楽を聴く人…いっぱいいて…、
あぁ、こんな風景もあったんだって思ったんだ。
いつも、扉の近くにもたれて外ばかり見ていたから、気づかなかった。
それに、学校までの通学路も。
青々と茂る木々が、風に揺れるだけで零れ落ちてくる陽の光。
まだ鋭さをひそめた真夏の光線は…私の肌に生気を与えてくれるみたいで
うーん、と伸びを一回。
アスファルトも、遠く公園で散歩する人も、
通り過ぎる車やお店の店員さんだってまるで昨日までと違う。
ほら、視界に映る圧倒されそうだった校舎だって…今は静かに佇んでる。
- 831 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:03
- 「よし…行こう」
まだ怖じ気づく気持ちはある。
でも、確かに私の中で何かが変わっていってる実感があるから…。
見つけたいんだ。
一時間後かも、一年後かもしれない…答えを。
「あっ! おっはー愛理ーっ!」
「わわっ」
ばんっ、と強く背中を叩かれて、校門をくぐり抜ける手前でたたらを踏む。
じんじんする所を抑えるようにして振り返れば。
「ちっさー…、舞ちゃんも」
仲良し二人組。
私とりーちゃんと違い、明るさと話題をふりまく二人はいつもムードメーカー。
こんな朝でも、それは変わらない。
- 832 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:04
- 「もうさ、千聖、うっさい! 朝早いし、アレだよ絶対、吹奏楽部への
騒音苦情の半分は千聖だね、まじ」
「なんでそんなこと言うかなぁ! ンなのわかんないじゃん、舞ちゃんの
外れた音が騒音かもしんないし!」
「舞、そんな外した音とか出さないから。それ千聖じゃん」
「残念でしたぁー、あたしまだ音とか割れませんからぁー」
「自慢すんなよそこ。音割れないってそれ逆にダメだし」
あぁ…、二人とも、きっと今が一番騒音…。
って、あ。
「二人ともうるさい…っ!」
ぽこん、ぽこん、と。
後ろから二人の頭を、丸めた冊子かなんかで小突く人影に苦笑い。
だって、ほら…向こうも呆れ顔でこっちを見てる。
こういう時には、やっぱりというか部長だよね。
「ちょっ、なっきー痛いし!」
「千聖、静かにしろやー。ほんっと苦情の中に千聖の声もあるから」
「げっ、まじで!?」
「だからさっさと学校行きな」
「…はぁ〜い…」
「舞も」
「へぃへぃ」
ぶつぶつ言いながらも、先行くわーと私に手をひらひら振って
二人は校門をくぐって行ってしまった。
残された私となっきーは顔を見合わせて苦笑い。
困ったもんだね、なんて。
- 833 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:04
- でも、それだけじゃない、どこかきょとんとした目で
私を見上げてくるなっきー。
なに?なんて首を傾げれば、特徴的な厚ぼったい唇をにんまりさせて。
「ううん、なんでもない」
「えぇ〜、なぁによぉー」
「じゃあ、言うけど…。なんか、愛理、この間と雰囲気違って見えたから」
「えぇ〜?」
雰囲気違うって。
どんなよそれ。
「なんだろ、アレだ、死相漂うっていうの?昨日までそんなだったけど
今日はすっごい活き活きしてるっていうか、あたりが柔らかいっていうか
なに、なんかあったの? 今日美味しいごはん食べてきたとか」
「あ」
そこまで言われて、思い至る。
そうだ。
決定的に、昨日と今日では違う。
ぜんぜん違う。
声を大にしてなんて言えないし、
こんなことは、私と…舞美ちゃんだけがわかっていればいいことだから
誰にも秘密にしておくけれど…。
きっと、そういうことだ。
- 834 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:05
- 「なになにー、ニヤニヤしてキモいよ愛理」
「あっ、ひどい。違うの、今日ご飯食べてきたの」
「いつも食べてないんかい」
「そういうわけじゃないけど。ふわっふわのオムライス食べた。
あとねぇ、ハムチーズベーコンにサラダに…とにかくいっぱい食べた」
「朝からそんなに!? どんな胃袋してんのさ」
「へへ〜」
はいはい、なんて呆れたように笑うなっきーと部活棟に入る。
一気にガンガンに効いた冷房の冷たい風が吹いてきて、
お互いに、ぶるっと身体を震わせてしまったっけ。
「でもさ」
そのまま階段に差し掛かった時。
なっきーが、足元に視線を落として…目を伏せた。
思っていたより長い睫毛が、ちょっと艶めかしい。
「ちょっとホッとした」
「? なんで?」
「愛理、ちょっと前まですっごい怖かったから」
「えぇ?」
「なんだろう…、声かけるのも怖いぐらいだった」
「そんな」
ほんとだよ…、と困った顔をするなっきー。
私、どんな風に見られてたんだ。
そう思うけど…すぐに、あぁ、確かに…と心の中で手を打った。
- 835 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:05
- どうすればいいのか、なにもかもがわからなくって。
もがけばもがくほど、深みにはまっていって…。
何が正しいことなのかも、気づこうとしなかった。
その気持ちが全部なくなったわけじゃない。
ただ…、希望もなくないから。
もう、あと一歩なんだ。
やっと…そこまできた。これた。
すべては私の気持ち1つ。
その答えが…もうわかったから…、
だから…違って見えるのかもしれない。
「梨沙子のおかげかな?」
「えっ?」
「愛理が落ち込んだりすると、あの子まで落ち込むのよ?
泣きそうな顔してると、あの子も泣きそうな顔してたし」
「本当に…?」
「ちょっと、親友でしょ? 何見てるのさぁ」
「ごめん…」
りーちゃん。
本当に…?
あぁ、そうだ…りーちゃんはそういう子だ。
なのに私ってば…自分のことでいっぱいいっぱいだったから…。
- 836 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:06
- 昨日…、どんな気持ちで私を抱きしめてくれた?
『戻ってきてくれる?』なんて、そんな弱音、
一度だって聞いたことなかったのに。
私を支えているもの。
聞かれれば多分『舞美ちゃん』と答えるだろう。
間違いじゃないし、当然だとさえ思う。
でも、それだけじゃないんじゃない?、と頭の中で声がするんだ。
それに…うん、と頷く自分もいる。
支えてくれるものは、1つじゃない。
誰だって。
そう、それは
家族だったり、友達だったり、仲間だったり、信念だったり…
―――― 音楽 だったり。
- 837 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:06
- 大抵のいろんな大事なことは、やり直しなんてきかないものばかりで
手放してしまったものに、後悔して涙して、その痛みだけを胸に押し込んで
前に進んでいくんだと思う。
でも…やり直しがきくものだったとしたら?
そのチャンスさえ捨てて前に進むなんて、ナンセンスじゃない?
格好悪くても、あがいて、必死になって…そのチャンスを掴んだ方が…
たとえ失敗しても、後悔なんてしない気がする。
くしくも…そのチャンスは、私のチャンスは
―――いま、なんだと思う。
まだ苦しい気持ちはある。
でも、今、踏ん張らないでどうする?
- 838 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:06
- 「なっきー」
「うん?」
「…色々ごめんね? それに、ありがとう」
「うわなに、愛理どっか遠くにでも行っちゃうの?」
「そんなんじゃないよぉ」
「てかさ、なんでそんな、今日はふにゃふにゃしてんのさー」
「んふふ、ごめん」
それはね、嬉しいから。
ちゃんと周りを見てみたら、いろんな人が私のことを
見ていてくれてるんだって気づいたから。
ちっさーや、舞、なっきーや梨沙子も。
「いいけど、ほら、今日は初めに先生から話あるんだし
シャキっとしなよっ!」
「うん」
音楽室につけば、パラパラと集まった部員に挨拶をしながら
楽器を組み立てる。
- 839 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:07
- 膝の上に立てて…リードを咥えたまま、少しだけ感慨深い目で見つめる。
今までごめんね、ちゃんとあなたをコントロールできなくて。
もっと私、頑張ってみるから。
だから…一緒に頑張ろう?
こつん、と額をつけて目を閉じれば、イメージが広がる。
一音一音、深く、響くようにホールで演奏する自分の。
大丈夫。
私には、舞美ちゃんが…みんながついてる。
大丈夫、信じて。
「………愛理」
ぴくん、と身体が跳ねた。
凛とした声に。
目を開けなくても誰かなんてわかってる。
「りーちゃん」
名前を確かめるように呼んで…半拍おいてから顔をあげる。
視線の先には…やっぱり。
- 840 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:07
- 「おはよ」
「…おはよう、愛理。……」
なにか言いたげ。
多分、みんなにはわからない微妙な表情の変化。
でもわかるよ? すごくもどかしい顔してる。
「なぁに?」
「…昨日…、愛理のお母さんから電話あった」
「…あ…、ごめん」
「ううん、ちゃんと…練習、してますって、言った」
「ありがとう…」
泣きそうだ、りーちゃん。
ごめんね、嘘とか誤魔化しとか大嫌いなのに。
でも、その表情は、すぐにひっこむ。
ついで浮かんだのは、しょうがないなぁって笑み。
もうきっとぜんぶわかってる。
私より精神的に大人なりーちゃんは、
私より、いろんなものが見えていて。
…こうなるだろうことも、わかっていたのかもしれない。
- 841 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:08
- でも、どうなるか…わからなかったこともあったはず。
『そう』なってしまった私は、どうなるのか。
舞美ちゃん一色になってしまっていた私は、どうなるのか。
確実に私は変わったんだと思う。
何もそれは、大人になったとかそういうことじゃない。
ただ、見えていなかったものか…ほんの少し見えてきただけ。
それをどう繋げるかは、私次第だ。
「はい、じゃー、先生来るまで個人練習ー」
「「「はい」」」
遠くのなっきーの声に、私は思い立つ。
色んな気持ちと一緒に。
- 842 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:08
-
私は勘違いしていた。
舞美ちゃんは強い人、だって。
そんなことない。
舞美ちゃんだって、どこにでもいる女の子だ。
笑顔で、なんでもないって言ってくれてたから。
大丈夫だよ、って言ってくれるから…、そんな当たり前のことも見落として。
傷ついて、苦しんでいることにも気づけなかった。
辛くないはずなかったんだ。
何をしても、どれだけ素敵な写真を撮っても、お父さんの影がついてまわって。
賞をとっても、それは舞美ちゃんのものじゃないって、みんなに言われて。
どれだけ傷ついた?
どれだけ大切な気持ちを押し隠してきた?
あの笑顔の裏に、どれだけ…。
すべてから解放されて、本当に自由になった舞美ちゃんを見れば一目瞭然。
- 843 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:08
- でも、立ち上がって、それでもカメラを持ち続けるのを決めるのに、
どれだけの勇気がいっただろう?
前を向き続けることに、どれだけ頑張って自分を奮い立たせたんだろう?
カシャンと。
私に向けられたシャッター音は、舞美ちゃんの自分が選んだ第一歩。
それを大切に心の奥において、また歩き出して。
それなのに、私はこんなところで何をしてるの?
失敗することを恐れて、逃げ出して、いろんな人の気持ちを押しやって。
それでいいの?
できない、なんてなんで言えたんだろう?
できないんじゃなくて、やっていないだけ。
私は私に誇れるほど、がむしゃらにやってみた?
自分に言い訳できなくなるくらい、ちゃんと音楽と向き合った?
逃げ出さずに、頑張った?
ぜんぜん。
なにもしてないじゃない。
- 844 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:09
- 「りーちゃん…、お願いがあるの」
「…なに?」
やらないで後悔なんてしたくない。
そんなこと、舞美ちゃんだって望んでない。
『やらないで 後悔するよりはやって後悔した方が、すっきりしない?』
その通りだね、本当に。
だったら。
「練習、付き合って?」
できないなら―――できるようになるまで。
みるみるりーちゃんが笑顔になっていくのがわかる。
きっと、千聖だったら「そうかぁ?無表情じゃん」なんていいそうだけど、私にはわかる。
親友なんだもん。
- 845 名前:Departure 投稿日:2013/12/07(土) 06:09
- 「しょうがない、いいよ」
それは「許してあげる」の意味。
ありがとう、りーちゃん。
あなたにどれだけ支えられてきたんだろう。
それを最高の音で返していきたい。
「メトロノームは? いくつ」
カチャン、と床に置かれる慣れ親しんだ友達。
でも、君の出番は…。
「ううん、いらない」
「…いいの?」
「うん。もう、いらない」
基礎は十分。
ここから必要なのは、私の中にあるもの。
音にどう伝えるかだけ。
どうやって、表現するかだけ。
さあ、はじめよう。
今の私ならできるはず。
もう、できるんだ。だから。
- 846 名前:tsukise 投稿日:2013/12/07(土) 06:10
- >>830-845
今回更新はここまでです。
- 847 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:37
- ・
・
・
「あいりーっ、梨沙子も、こっちこっち!」
「栞菜」
ガヤガヤした会場の中、パタパタと手を振ってくる栞菜を見つけて、
私とりーちゃんは、席に向かって歩いていく。
見渡せば、人、人、人で埋め尽くされている会場。
そんなに大きな所じゃないんだけど、ここまで人が集まると
どれだけみんなの期待を背負っているのかが分かる気がする。
そう、高等部の吹奏楽部が。
- 848 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:37
- ・
・
・
合奏の時間になって、音楽室にみんなが集まったんだけれど、
稲葉先生は、最初に話がある、って言いだして。
なっきーがそんなことを言っていたなぁって思い出した私は
ハテナマークをくるくるしていたりーちゃんの視線に、うん、と
一度頷いたっけ。
『えー、今日は、全国大会へとシードで向かう高等部の
夏の壮行演奏会を見学させてもらえることになりました。
よって、各自楽器を片付けたら、会館へと向かうようにー』
先生の話って、こういうことだったんだと驚いた。
まさか、聴かせてもらえるなんてって。
その時配られたパンフを見て驚いた。
なんてバラエティ豊かなんだろうって。
クラシックもあれば、歌謡曲もあって、ムードミュージックもあれば
ゲームサントラまである…本当にいつ練習していたんだってぐらいの
ボリュームだったんだ。
- 849 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:38
- 『しっかり勉強するよーに』
そう言った先生の真意はわからない。
でもきっと、いつも自分たちの演奏と向き合っているだけでは
得られない刺激をここで体感してくれ、ということなんだろう。
支部大会まで期間はあるけれど、
いろんな建て直しも兼ねているのかもしれない。
私のソロ、とか。
申し訳ないなぁって思うけど、それ以上に…今は。
もっと、もっと高みに、と思う気持ちの方が大きい。
- 850 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:38
- 「ね、愛理」
「えっ?」
「なんか、あったの?」
「? 何が?」
こそこそっと耳元で話しかけてくる栞菜に首を傾げる。
私の返答に、いや、だって、と唸る栞菜は、
「なんか…昨日と雰囲気ちがう」
「髪のせいじゃない?」
「いや、そういうんじゃなくって…あ、おさげも可愛いよ?」
「ありがとう」
「ほら、そういうところだよっ!」
「えぇ?」
何が言いたいのか、よくわからない。
困って笑えば、あぁもー、と身体を揺さぶる栞菜。
栞菜って感情を身体全部で表すから面白いよね。
女の子って感じで可愛いし。
- 851 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:39
- 「そうじゃなくってさ。栞菜は心配してくれてるの」
「熊井ちゃん?」
「そうそう。愛理、ずっと落ち込んでたじゃん?
なんか高等部の先輩に連れられてったこととかあったし」
「まーさ?」
ちょうど後ろの席に座っていたらしい二人が、
私とりーちゃんの背もたれに腕をひっかけるようにして
話に乗っかってきた。
えっ? えっ?、とわたわたしてしまう。
なんで、そんな、みんな突然。
「結構さーみんな大丈夫かなーって言ってたの。愛理、根が真面目だし
絶対凹んでしまってるだろうなって」
「千聖なんて、励ましてやろうって食事会でもしよーぜ!とか
言ってたぐらいだし」
「いや。あれは千聖が焼肉食べたいだけだったけど」
「あ、確かに」
熊井ちゃん、栞菜が話を進めるけど脱線したところをまーさが引き継ぐ。
- 852 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:39
- あ、なんかそういうところ、想像つく。
あれだよね、みんなが話してる所に、にゅって千聖が顔つっこんできて
舞ちゃんを巻き込んで、自分が楽しくなるように盛り上げてたって感じでしょ?
って…噂をすれば。
「ねぇっ、そこ栞菜の隣2つあいてんでしょ? あたしと舞ちゃん入れてよ」
「うるさいのがきた…」
「りーちゃん…」
反対側に顔を背けてぽつりとつぶやくりーちゃんに苦笑い。
相変わらずなんだなぁ、りーちゃんは。
「おい、梨沙子今なんか言っただろ」
「言ってない」
「言ったって!じゃなきゃ愛理が笑ったりしないだろーが」
「いいからさっさと座れば」
「うわっ、ほんっとムカつく!」
「はいはいもー、後ろ詰まってんだから、千聖さっさと行ってよ!」
後ろから背を押す舞ちゃんに、ぐぬぬぬっと持ち上げた拳を下して
千聖は渋々と席に着く。
- 853 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:40
- 「なぁ、あいりー」
「え?」
「元気かぁー?」
「は?」
意味不明な、千聖の問い。
でも…あぁ、そういうことだったんだね。
ふっと視線を一回転させれば…。
ステージを見たまま緊張した顔で返事を待ってる千聖。
その向こう側に、にしし…と歯を見せて千聖を指さしながら笑う舞。
手前の栞菜は、黒目がちな瞳で頷いてくれてて。
背中の熊井ちゃん、まーさが、ポンポンっと交互に頭を撫でる。
そして…隣のりーちゃんは、信じられないぐらい優しい目で
私の瞳の色を確かめるようにして…笑ってくれて…。
- 854 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:40
- こんなに、みんなに守られていたんだ…私。
こんなに……みんなが、心配してくれて…励ましてくれていたんだ。
なのに…私ってば一人で抱え込んで…。
舞美ちゃんに…すがりついて。
それが悪かったなんてことは、きっとない。
弱り切った心を癒してくれたのは、確かに舞美ちゃんで。
他の誰にも、変えられる人はいなかったはずだから。
でも…―――ちゃんと振り返った時に、みんなは…仲間はいてくれたんだ。
全部の声が、私を否定しているだなんて錯覚に陥って、
迷走して…、こんなたくさんの眼差しに気づかなかった…気づけなかった。
ごめんね、みんな…。
そして、ありがとう。
私…私ね。
「…元気―――だよ?」
つん、と鼻の奥が痛んだけれど、なんとかこらえる。
震えそうになった声も飲み込んで、精一杯それだけ答えた。
- 855 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:41
- 「…そっか。…そりゃー良かった」
「……うん」
いつもは小生意気に聞こえる千聖の声も、今は胸にしみる。
もう、大丈夫だよ。
私は、もう大丈夫。
「はいはいー、そろそろ始まるから静かにねー」
「なっきー、いたの!?」
「いたし! 熊井ちゃんの隣にずっと座ってたし!」
「存在感薄っ! てか、熊井ちゃんで見えなかった」
「ひどっ!!」
部長の声に、くすくすと笑いが起こる。
千聖、舞ちゃんの容赦ない口撃って誰もかなわないよね。
ぶすっとしたなっきーを よしよしする熊井ちゃんがすっごく
お姉さんに見えて面白かったっけ。
- 856 名前:Departure 投稿日:2013/12/10(火) 05:41
- 「あ、ほらはじまる。静かにね」
気を取り直したなっきーは、しーっと人差し指を口元に立てて注意。
それを合図に私たちも静かに座りなおす。
さぁ、高等部の演奏が始まる。
金賞常連校の実力、ちゃんと聴きたい。
清水先輩や…もも先輩の、本気を。
ごくん、と一度緊張に喉を鳴らした私に…
隣のりーちゃんが、そっと手を繋いで…大丈夫って揺らしてくれて…、
その温かさにホっとして…まばゆいステージを見つめることができたっけ。
- 857 名前:tsukise 投稿日:2013/12/10(火) 05:42
- >>847-856
今回更新はここまでです。
- 858 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/12/10(火) 22:00
- 青春って感じでいいですね。
鈴木さんは矢島さんと関わることでまた成長している。これからもどうなっていくのか気になります。
次回更新も楽しみにしてます。
- 859 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:03
- ・
・
・
震撼するって、まさにこのこと。
ビリビリと鼓膜を震わせる一音一音が、
ううん、胸の奥に…心に迫る旋律が、音楽を私に確かめさせる。
これが高校生。
プロをも目指す集団が作り上げる音楽。
ソロだって完璧。
一音だって間違えないし、雰囲気を壊さない。
みんなが作り上げた空間の邪魔にならず、溶け込ませてる。
ここにいる全員を納得される力がそこにあった。
それに返事をする信頼も。
私のように独りよがりの音なんかじゃない。
そして…みんなの呼吸が…ピッタリ。
それが一番の衝撃。
ブレス音が揃うと、鳥肌が立ってしまうぐらいだ。
- 860 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:04
- 『――では、次はゲームミュージックでも。――』
司会をしていた清水先輩は、トークも達者。
きっとこれが人を束ねることができると人なんだろうな。
会場の笑いも誘いながら、でも柔らかい口調で惹きこんでいく。
『えー…、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
今回、我が学院の中等部の吹奏楽部も、現在奮闘して
順調に大会を進み、来月頭の支部大会へと駒を進めています。
次の曲は…彼女たちへのエール曲でもあり…ソリストへの
メッセージも込めさせて頂きました』
…えっ?
思わず、繋いでいたりーちゃんの手に力を込めてしまう。
今、なんて?
ソリストへの…エール?
『ソリストというのは…ともすれば一番プレッシャーも強く
えー、少なからず孤独でないとできないものだと思っております。
でも、決して一人では…独りではないんですよね。ちゃんと
バックにはみんながいて、旋律を支えてくれていて…。
どれかひとつ欠けてもいけない、それが音楽だと思います。
全員で1つの音楽、ということで、聴いてください――「独りじゃない」』
- 861 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:05
- 清水先輩が着席すれば、タクトがあげられる。
一斉に集中する視線。
そして。
優しく走り出す音。
オーボエ・ファゴット・Sクラの3本を主体に。
重ねてくるのはフルートの涼やかな音色。
リズムを取るように、密やかに弾むタンバリンはもも先輩。
ゆるく弧を描いた唇が、真剣さの中に楽しさと、
ほんのちょっとの切なさを滲ませて、胸が詰まった。
主体に入っても、ソロラインをオーボエたちが流れるように。
支えるのはスタッカートの木管。
低音で支えるのが、ユーフォニウムの深く響く音。
お腹の奥まで届いて、心地いい。
3rdクラまでが主体を演奏すれば、一気に広がる旋律。
緩やかに、歌うように、でも…他の楽器のよいところをかき消さぬように。
それはまさに、トゥッティ…私が大好きな…音楽。
みんながみんなの邪魔をしない。
みんなの…どの楽器の音も聞いて…自分を重ねる。
寄り添わせる。
あぁ、そう、この音楽が…私は好きなんだ。
- 862 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:05
- トランペットのソロが始まっても、うるさくない。
むしろ柔らかだった音楽が色を変えて、冷たい風のように吹き抜ける感覚。
一気に前半の雰囲気からがらっと変わって、盛り上がりを見せていく。
ホルンの広がる音は、いつだって優しい。
強くとあっても、キツくはならない。
ピッコロだって、なんて優しく温かいんだろう?
こんな音…出せるんだ。
ううん、きっと私たちだって出してた。
私が…聞いていなかっただけ。
みんなの音を、ちゃんと聞いていなかっただけ。
そして、一番のメインどころで全員が揃えるように演奏を重ねれば
もう私の胸は熱くなって…息さえも苦しくて…。
目を開いたままなのに…涙がこぼれてきたんだ。
だって、なんて見事。
指揮者を全員が見つめてる。
楽器は手元で楽しげに揺れてる。
その音だって、会場に広がって混ざって…溶けて…。
主旋律だけが主役じゃない。
重なる音はぜんぶが主役。
ひとりだって欠けちゃいけない。
そう…一音だって、なくしちゃいけないものなんだ。
- 863 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:05
-
―――独りじゃない。
独りじゃ、ないんだよ。
演奏全部が…私の背を押してくれてる気がした。
そして…りーちゃんが、私の手を握り返してくれて…また実感する。
ううん、りーちゃんだけじゃない。
隣の栞菜が、ハンカチを膝に置いてくれて。
後ろの熊井ちゃんとまーさが、肩を叩いてくれて。
きっと、みんなが私の揺れる肩を、優しく見つめてくれてる。
なんで…。
なんで私は独りだなんて思っちゃったんだろう?
こんなにもたくさんの目に守られていたのに。
もう涙腺はゆるく、とめどなく溢れてくる涙。
まるで…そう、昨日の舞美ちゃんのように。
だから、あぁ、そうなんだなって。
たぶん、舞美ちゃんも昨日、こんな気持ちだったんだなって。
好きだったものを、もう一度『大好き』だと、気づいたんだなって。
知らないうちに包んでくれていた優しさにも気づけたんだなって。
- 864 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:06
-
―――♪
演奏が終われば、たっぷり余韻を残した会場に割れんばかりの拍手が起こる。
それを見て、また思ったんだ。
あぁ、私も…こんな演奏したいって。
見ている人の心揺さぶる演奏を。
そう、クラを始めた頃…、音が出ただけで嬉しかった。
部に入って、新しい譜面を貰えるたびにドキドキした。
合奏の時間になると、色んなパートの和音が繋がって感動して。
もっともっと上手になりたくて、もっともっと音楽を知りたくて続けてきた。
あのドキドキを、どうして忘れてしまっていたんだろう
極端に視野が狭くなってしまっていたから、わからなくなっていた。
自分のことしか考えてなかったから見落としていた。
一人で音楽はできないってこと。
みんな一緒に頑張っているから繋がる音楽。
たった一曲、数分のものでも、完成したときのあの感動はみんなで共有するものだ。
みんなの音を聞けば、どう演奏すればいいかなんてわかるはず。
みんなと演奏したいって、そう思ったから吹奏楽部に入ったのだから。
その時の自分の気持ちを、もう、否定したくない。
- 865 名前:Departure 投稿日:2013/12/11(水) 16:06
- あぁ…、そういうことなんだ。
私は…私の今やれることを一生懸命頑張ればよかったんだ。
きっとそれが…自由への第一歩。
基本しかできなくてもいいじゃない。
そこから見える自由だって絶対あるんだから。
土台、今の自分じゃ、きっと力不足。
いっぱいサボってしまったし、寄り道もしたから。
でも…、今、心から演奏したいと思うんだ。
だって、私…音楽が好きだ。
どうやったって、その答えに最後はたどり着くから。
なんて単純なんだろう。
でも、なんて難しい答え。
その答えを導き出したなら…もう迷いはない。
たとは進むだけ。
うん、進むだけ。
舞美ちゃん――― 私、見つけたよ。
目の前で笑顔を向けている、清水先輩が見えて…私は久しぶりに
純粋に笑顔になれた気がしたんだ。
- 866 名前:tsukise 投稿日:2013/12/11(水) 16:07
-
>>859-865
今回更新はここまでです。
>>858 名無飼育さん
本当にその時にしか体験できない青春って感じですね♪
鈴木さんの成長が、これからどういう方向に向かっていくのか
どうぞ、見守ってくだされば幸いです(平伏
- 867 名前:Answer 投稿日:2013/12/12(木) 06:00
-
『うん、わかったよ。私の事は気にしないで、愛理は今できることを頑張って』
画面に映った文字に少しホっと口元を緩めて、それから携帯を閉じる。
ぱっと顔をあげれば、廊下に連なった窓から見える空は夕闇に包まれ始め。
朝見たグラデーションに近くて、目を細めてしまったっけ。
- 868 名前:Answer 投稿日:2013/12/12(木) 06:01
- 高等部の演奏が終わって、音楽室に戻ってきた私たちは、
ロングトーン、チューニングをして…合奏を始めたんだ。
何度も何度も、同じところを事細かに注意されてもめげずに。
ソロ部分だって、いつも以上に指導が入った。
あそこがダメだ、ここがダメだ。
ひとつダメだと言われれば、なし崩しにすべてにダメ出しが入って。
でも、もう心折れることはなかった。
心を、折ることじゃなかったんだ、って気づけたから。
一つでも高みに。
一音でも最良の音色を。
そういう想いが込められてるんだってわかったから。
自分たちが楽しむ音楽だけど、コンクールはそれだけではいけない。
結果が伴わなければ、努力は『無』、そんな世界だから。
- 869 名前:Answer 投稿日:2013/12/12(木) 06:01
- 物事に優劣をつけることは、最近ではよしとしない世の中で、
こんな頂点を目指して争うなんて、滅多にない。
ナンバー1よりオンリー1。
そんな風潮が広がっているから。
もちろんそれが間違いだなんて言わない。
個性は、よくも悪くも、人を認識させるものだから。
でも…、それだけで鍛えられない心の部分がきっとある、私はそう思うんだ。
そのための順位。
今の自分たちがどのぐらいで、どうやったらもっと高みにいけるかを考える大切な機会、
それがコンクールや試験じゃないかとさえも思う。
誰かに勝つものじゃない。
自分を知るためのもの。
その意識があれば、きっと、もっともっと私たちは上を目指せる。
- 870 名前:Answer 投稿日:2013/12/12(木) 06:02
- 「はーい、今日はここまでー」
「「「ありがとうございましたー」」」
稲葉先生が終わりを告げて、みんなが楽器を片付ける中…、
私はすぐに、りーちゃんを捕まえた。
りーちゃんも分かっていたんだろうな、なんにも言わなくっても
いいよ、とでも言うように、待っていてくれて。
そして…個人練習に付き合ってくれたんだ。
先生が全体のバランスを気にする分、個人的なところを二人で何度も確認して。
さすがに痛んだ唇に…、やっと休憩を挟んだのが、今。
「舞美ちゃんに連絡しなくていいの?」なんてりーちゃんに言われて、
やっと思い出した愛しい存在に、わたわたと携帯を掴んで廊下に飛び出したっけ。
- 871 名前:Answer 投稿日:2013/12/12(木) 06:02
- でも、不思議なんだ。
信じられない話だけど、私は練習中、本当に一度も舞美ちゃんを思い出さなかったんだ。
それだけ集中していたってことなんだけど、少しだけ自分自身に驚いてる。
もっと波のように、私の意識を攫って行ってしまってるって思っていたから。
弱気になればすぐにでも、影が追いかけてくるんじゃないかとも思っていた。
でも…こんなにも、形なくなるなんてって。
たった数時間で、こんなにも。
『今日は、このまま練習して帰ります。明日も部活に集中して頑張ってきます』
なんて文字を送ればいいのかわからなくて、ただ思ったままを伝えた。
その返答がさっきのもの。
5分も経たないうちに返ってきたし、
もしかしたら、私の連絡を待っていてくれたのかもしれない。
それはただの杞憂で、真面目な人だから、すぐに、と思っただけかもしれないけど。
ただ忘れていた存在への罪悪感は、メールの返事が優しく流してくれたっけ。
…それでも。
少しだけ…胸の奥に、おもぼったい雪のようなものが積もった気がしたんだ。
- 872 名前:tsukise 投稿日:2013/12/12(木) 06:03
-
>>867-871
今回更新はここまでです。
- 873 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:00
-
―――今日もまた、一日が過ぎる。
『今日も一日がんばります』
『うん、愛理なら大丈夫、がんばれ』
がむしゃらに、ただ何も考えず音だけの世界に身を置いて。
音色が重なれば、満たされるような気持ちになって…夢中に追いかけた。
- 874 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:01
-
―――次の日。
『練習きついなぁ、指がすこし痛いよ』
『痛むぐらい集中してるんだね、偉いっ』
上手くいかなかった。
薬指と小指のトリルは鬼門。
どれだけ鍛錬していても、躓いてしまう。
悔しくって、でも、冷静になるために何度も溜息をついて心落ち着かせた。
そうだ、こういう時は基本に戻るんだ。
そう思ってメトロノームを120にして、すべてをリセットするように
1からやり直した。
その甲斐あって、合奏でのミスはなかった。
それがなりよりも嬉しい。
みんなの邪魔にならなかったのが嬉しい。
- 875 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:01
-
―――また次の日。
『まだ少しソロ部分が不安なんだ』
『不安になるってことは、それだけ大事にしたいところなんだね』
ソロへの集中砲火が来た。
出だしから先生のダメ出し。
「鈴木の一音が、ぜんぶを壊してる」とまで言われた。
ショックだった。でも、それだけ。その一瞬だけ。
次に胸に広がったのは、熱い気持ち。
なにくそ、って。
私はもっとできます!聞いてください!
そんな気持ち。
それは気持ちだけじゃなくって、指先末端までの神経に行き届いて。
最後には、先生が笑ってくれるほどの旋律を歌いきった。
私だけが作れる音で。
信じられないぐらいの達成感が、胸に広がったっけ。
- 876 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:02
-
―――別の日には…。
『みんなで合奏する瞬間が好きなの』
『信じあってるってことだね。素敵だなぁ』
部員の間で衝突があった。
怠慢してしまった何人かが、練習に来ず…、
そのせいで不協和音が広がり…合奏にも乱れが生じたんだ。
その中に、千聖もいて。
部長のなっきーが、たまたまカラオケボックスから出てくるところを見つけて。
私や、りーちゃん、熊井ちゃんにまーさ、そして舞ちゃんに連絡をくれた。
そのままカラオケボックスに逆戻りした私たちは、
なっきーのお小言を聞くのかなって…ハラハラしたんだけど…。
「今日は歌おう!!めいっぱい楽しもう!」なんてマイクを取りだして、
ポカーンとその場にいた全員が固まったっけ。
な、なに言ってるの、なっきーって、舞ちゃんが言ってたけど、
そのなっきーに便乗してマイクを取ったのが、熊井ちゃんだった。
- 877 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:04
- 「アタシ、悪いけど、うまいよ? 採点とかしたら千聖なんか一発だし」
そんなことを言いながら、今時のアイドルの曲を手慣れた感じで入力して、
ほらっ、なんて、なっきーの腕をとって一緒に歌ってた。
もちろん、その挑発に千聖が乗らないわけなくって。
「上等!舞ちゃん、次うちらいくよ!モー娘歌おうぜっ!」
「ちょっ、待ってよ、舞、モー娘よりミキティ行きたいんだけど」
「じゃあロマ浮かな。決定」
「千聖ひどっ」
そんな風に、大カラオケ大会になっちゃったんだ。
でも…そうやって、みんなでバカみたいに騒いで。
笑って、怒って、悔しがって…、そしてまた笑って。
みんなの声が潰れるほど歌ってから…、
「みんな、ごめん。あたしらが悪かった」
千聖が練習をボイコットした部員と一緒に頭を下げてきたんだ。
千聖の気持ち、知らないわけじゃない私たちは、怒る気にもならなかった。
そう…千聖は千聖で苦しんでたんだから。
トロンボーンの音が割れない、というのは致命的で。
メインでフォルテで攻めるところでは、…吹き真似をすることが多くて。
ともすれば…戦力外とでも思ってしまっていたのかもしれない。
- 878 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:06
- でも、そうじゃない。
どんな音でも、必ず出番はあって。
ホルンとのユニゾンでは、優しくも力強い安定した千聖の音は武器だったりするんだ。
きっと…私と一緒。ちゃんと周りを見れば気づける。
これだけ迷惑をかけたから、教えてはやらないけど。
「じゃ…あしたから…も、う゛う゛んっ、ちゃんと…練習、くるように…」
喉をおかしくしてしまったなっきーは、何度もドリンクを飲みながら
静かにそれだけ言って解散になったっけ。
もちろん…その後ボイコットする部員は、一人だっていなかったっけ。
- 879 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:06
-
――― そうやって月日が流れて。
『舞美ちゃんは、今、なにをしているの?』
夏休みがあとわずかとなったころ。
私たちの、大会への演奏も完成度を高め…。
部員みんなが一致団結しているいい状態を
肌で感じられるようになっていたんだ。
そして…私は。
返信されてきた文字に、一つの決意をする。
『あたしも今、部活だよ』
- 880 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:07
-
・
・
・
高等部校舎へと続く道の途中で…大きな重い扉を開く。
そして…カツン、と足音を立てながら中に入れば、
ひんやりした空気に身震いをひとつ。
いつ来ても静寂を称えているこの場所は、まさに荘厳。
部活を終えてもう暗闇が迫っているから、余計にこの場所だけが
浮き上がって見えるのかもしれない。
「ふぅ…」
一度、肺にたまった空気を吐き出して…進む。
はじめてここに来た時は…、おっかなびっくりだったな。
慣れない高等部で迷子になって。
思い返せば、笑いがこみあげてくる。
だって、そんな偶然がなかったら、ここに入ることもなくって。
もっと言ってしまえば…
―――舞美ちゃんに出会うこともなくって。
- 881 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:08
- ほら。
視線の先の。
一枚の写真。
「……………」
何度見上げても、見事な青。
風の動きさえも捕えたみたいに、音まで聞こえそう。
きっと…河川敷の芝生に寝転がって見上げたこの空は…本当にきれいで。
夢中で…本当に、何も考えずにシャッターを切ったんだろうな。
初めて見たときに思った、潔いほどの青。
舞美ちゃんの象徴の、空。
ううん、『自由』。
そうだ、舞美ちゃんは…いつも人の事ばかりで。
でも…きっと、その胸には誰よりも自由な心を持ってる。
だから。
うん…、ちゃんと、その自由を返してあげないと。
そして…私も。
- 882 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:08
- ・
・
・
コンコン―――。
「…あれ? 愛理?」
「こんばんは」
高等部、写真部の扉から顔をのぞかせたのは、えりかちゃんだった。
思わぬ時間にいる私に、瞬きを何度かして。
それでも、何かに気づいたみたいに、ゆるく口元で笑みを浮かべたんだ。
まるで、ぜんぶを理解しているかのように。
ううん、実際えりかちゃんは…気づいていたんだと思う。
私と、舞美ちゃんのこと。
それほどまでに、私たちは…色々変わっていたのだから。
「うち、もう帰るから最後の鍵閉めだけお願いしていい?」
「えっ?」
「舞美、中にいるから」
「あ…うん」
ここまで気を遣われると、かえって申し訳ない。
でも、気にするな、というみたいに優しく私の頭を撫でるえりかちゃんは
とっても綺麗で、見とれてしまうぐらい美人だった。
だから、素直にその手の鍵を受けとって…中に入った。
- 883 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:09
- ・
・
・
静寂。
その中を冷房の音だけが聞こえる。
ううん、それと一緒に…シュッシュッ、と何か空気の出る音も。
邪魔はしたくないんだけど、このまま立っていてもどうにもならない。
きゅっと一度唇を噛んで、まっすぐ中に入る。
そして、愛おしげにレンズの手入れをする、その姿を見つける。
「――― 舞美ちゃん」
呼べば、ぱっとこちらに振り返った。
瞬間、短くなった髪をちょうど片方だけ横で編み込んでいて…
反対の髪がスっと滑らかな頬に揺れ落ちる。
ここにいてもわかる舞美ちゃんの匂い。
それをまとって…大きな瞳が…まっすぐ私を捉えた。
- 884 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:09
- 「愛理…?」
思わぬ姿に舞美ちゃんは一度驚いた顔。
でもすぐに、にっこりと笑いかけてくれたんだ。
あの唇が弧を軽く描くように、柔らかく安心するような笑顔で。
その姿に目を細める。
なんにも変わらない舞美ちゃんだ。
柔らかい雰囲気も、優しい笑顔も。
それに、気持ちいいぐらい涼しげな印象さえ。
最後に別れたあの日から、まったく変わらない。
ちょっとだけ罪悪感みたいなものを感じていたから、
面食らったのが正直な意見。
だって…、あの日以来…舞美ちゃんと共に朝を迎えて以来、一度も逢わなかった。
メールはしてたけど、文字なんかじゃ伝わらないことだってあったはず。
でも逢わなかった。
ううん…、逢いに行かなかったんだ。
逢えばまた、流れてしまう自分を、少なからず感じていたから。
舞美ちゃんに、また溺れない保証なんてなかったから。
- 885 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:09
- ほら、だってまだ覚えてる。
唇が触れ合って、たまらなく切なく疼いた胸。
隙間なく擦りあわせた肌から伝わった灼熱。
その熱に侵されて、意識さえ溶かしてしまった強い刺激。
どこまでも丁寧に輪郭を確かめられて、剥がれ落ちた理性。
そして…乱されて、心溢れて…満たされた、あの瞬間。
そのぜんぶを身体が覚えてる。
あまりにも鮮明に。
だから怖かったんだ。
またふたりで逢えば…狂ったように求めて…、
今度は舞美ちゃんを、私が傷つけてしまうんじゃないかって。
大好きだから。
大好きすぎて。
- 886 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:10
- 「久しぶり、だね。こうして逢うのは」
「…うん…」
レンズを机に広げたクロスの上に置いて、
カタンと椅子から立ち上がった舞美ちゃんは、
首を傾けて、静かに笑ってる。
でも…―― 何かに気づいているのか…私との距離は詰めない。
それが…少し私の心を軽くしてくれた。
あぁ…舞美ちゃんも…分かっているんだなって。
「あのね、舞美ちゃん…。大事な話があるの」
「うん」
大きく一度深呼吸。
そして…瞼も閉じて…気持ちを整理する。
誰かと一緒にいるから成長できることが、あると思う。
でも、その逆もあるんだって、私、わかったんだ。
色んな人を巻き込んで。
色んな人の気持ちに触れて…やっと。
舞美ちゃんと一緒にいると、すごく嬉しいし楽しい。
舞い上がるような気持ちにもなって、なんでもできるような気がした。
- 887 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:10
- でもね。
舞美ちゃんと一緒にいるから、できないこともあるんだって気づいたんだ。
すべてのことが、舞美ちゃんで塗りつぶされて。
私がしたいこと、しなければならないことを見失って。
私にしかできないことも何だったのか、わからなくなって。
ずっとずっと、色んな人に迷惑かけた。
舞美ちゃん。
あなたは天才で。
あなたは努力の人で。
そして私の大切な―――道標。
でも、それじゃダメなんだ。
自分で…探さなきゃいけない道だってあったんだ。
だから…、
―――― 今日、いま、ここで。
- 888 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:11
- 「私、見つけたの。ううん、思い出したの。今、どうしたいのか…何を大切に
したいのか。その答えも」
「うん」
「それを…ちゃんと見つめたいから。いっぱい、いっぱい頑張りたいから…だから」
だから―――。
「私、―― しばらく舞美ちゃんのこと、忘れる」
まっすぐ、舞美ちゃんを見つめる。
そして、迷いなく…言い切る。
「じゃなきゃ、どんどん自分の事を、嫌いになっちゃいそうだから」
それに…舞美ちゃんを嫌いになりたくないから。
「モデル、頼まれてたのに――― ごめんなさい」
深々と頭を下げる。
一度受けておいて、それを断るなんて…すごくひどいことだと思ったから。
それに…。
あれだけの愛情で包んで、守ってくれていた舞美ちゃん。
なのに、私はその優しさを振り払って、歩き出そうとしてる。
舞美ちゃんを、置いて。
罵られても仕方ないことを、今、しようとしてる。
- 889 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:12
- なのに…
「顔、あげて?」
舞美ちゃんは…
「そっか、うん、わかった」
大好きな、あの笑顔のままだった。
柔らかく、ぱっと おひさまのようにあたたかい、あの。
「愛理が笑顔で、頑張っていけるんだったら、あたしはそれを応援したい。
それに、あたしも負けてられないって思うし…、うん、お互い、頑張ろ?」
あぁ…。
なんで舞美ちゃんは、そんなにも。
思わず鼻の奥がツンとして、目の奥がジンジンしてくる。
でも、だめ。
そんな顔したら、舞美ちゃんが困っちゃう。
泣いたりなんかしたら…、また、きっと私を全力で励まそうとしちゃう。
そうしたら、また…離れられない。
だから。
- 890 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:13
- 「うん…うん…っ、が、がんばる。そうだっ、もし舞美ちゃんが賞を獲ったら、
私にも、その写真、欲しいな」
「いいよ? じゃあ、愛理が金賞獲ったら、あたしも何かお願いしようかな?」
「うん。じゃあ、頑張らなきゃ」
「お互いね」
……ダメだね、私たち。
やっぱり、子供だ。
始まりは簡単だったのに、終わり方がわからない。
困ったみたいに、笑みを浮かべるだけ。
でも…、やっぱり…答えをくれたのは、舞美ちゃんだった。
いつだって…舞美ちゃん、だった。
- 891 名前:Answer 投稿日:2013/12/13(金) 17:14
- 「愛理、――― 大好きだよ」
「…私も」
無くなっちゃいそうなぐらい、目を細めて笑って、それから一歩踏み出すと、
ぎゅうっと強く、私の身体を抱きしめてきたんだ。
遠慮なんか知らない、気持ちのままの強い力で。
思わず身じろいでしまいそうになるけど、甘んじて受ける。
だってきっと…、このぬくもりには、もう…触れ合えない。
いつまで、と制約を口にしなかったということは、つまりそういうことなんだ。
次、触れ合える日が来るのかも、わからない。
だから。
覚えていたくて。
ずっとずっと、忘れないように…舞美ちゃんの形を。匂いを。すべてを。
夕闇を背に受けた舞美ちゃんは、どこまでも優しくて…
手放さなくてはならない、愛しい存在に…、胸がひどく痛んだっけ。
そうして私たちの…―――――夏休みが終わった。
- 892 名前:tsukise 投稿日:2013/12/13(金) 17:14
- >>873-891
今回更新はここまでです。
- 893 名前:名無飼育さん 投稿日:2013/12/14(土) 22:14
- あぅ。こうなるんですね。
彼女たちが、がんばるものに一区切りついた後が楽しみです。
- 894 名前:名無飼育 投稿日:2013/12/15(日) 18:26
- 展開が楽しみです
- 895 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:31
- 『プログラム9番、私立―― 学院中等部。 ………金賞、ゴールドです』
わっとあがる歓声。
もちろん私たちが座っていた客席から。
部員全員が跳びあがって。
隣にいた千聖なんて、立ち上がる時に前の座席に膝を打ち付けるぐらいだったし
栞菜もバタバタはしゃいじゃって、隣にいたなっきぃに体当たりしまくってた。
もちろん、私だって嬉しくって、泣きそうになりながら、りーちゃんの手を握ってた。
でも、さすが部長のなっきぃ。
すぐにみんなをまとめて、会場に向かって一礼を促したんだ。
私たちの力でここまできたわけじゃないから。
父兄のみなさんや、支えてくれていた後輩、他の地域の同志がいたからの演奏だ。
だから。
割れんばかりの拍手が、きっと答え。
これを受け取って、私たちは次のステージへ。
2学期が始まってすぐの支部大会。
さすがに、2つの大会を勝ち上がってきた学校が揃っているだけあって、
音のまとまりなんかは、中学生なのに信じられないぐらいの完成度。
ミス1つが命取りのコンクールになっていたっけ。
そんな中での、私たちの金賞は価値あるもの。
大きな自信にも繋がって、いよいよ…全国大会に駒を進める。
たった一ヶ月しかない期間で、どれだけもっと高みに行けるか…。
それだけを考えて。
- 896 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:32
- ・
・
・
「愛理、凄いね」
「えっ?」
不意にかけられた声に、楽器を片付けていた手を止めて振り返れば、
そこには、手に持った何か小さな紙に視線を落として、目をパチパチしているなっきぃ。
どうしたんたろ? なんのことかな?
「あぁ、ごめん。あのね、稲葉先生が「部長には」って渡してくれた
支部大会の審査委員の評価表なんだけど…ソリストについてのコメントだらけで」
ソリスト。
私とりーちゃんのこと?
きょとんと首を傾げて見せれば、疑問に気づいたなっきぃが、うん、と一度頷く。
「梨沙子の気だるげな雰囲気と、愛理の深く流れる旋律が最高評価されてるの」
「そうなんだ?」
「ちょっ、なにその反応。嬉しくない?」
「うーん…。嬉しいけど」
ソロに目がいくのは構成上当たり前のことなんだと思う。
でもだからこそ、全体を大切にしたい。
じゃなきゃソロだって生きないから。
- 897 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:33
- 「まだまだだよ」
「うわっ、上昇志向。でもいいね、それ」
「はは…」
うまい言葉が浮かばなくて、苦笑いでかわした。
そう、まだまだだ。
もっと上に行ける。
私はできる。
ちょっと前なら思いもしなかった欲が、最近どんどん膨れ上がってきてるんだ。
自分でも驚いてる。
こんな気持ちが、自分の心の奥底に眠っていたなんてって。
でも、今までで一番今、演奏するのが楽しい。
もう、ただ譜面を追いかけるだけじゃない。
頭の中に叩き込んできたイメージを捕まえるみたいに音を紡いで。
広がる旋律に寄り添って。
そして…自分だけの音色を、聴いているみんなに届ける。
印象強く、胸に深く深く残るように。
私を見て、と。
誰かの視線や意見に怯える自分は、もうそこにいない。
今の自分でいいんだって、もうわかっているから。
こんな私でも…、求めてくれている人がちゃんといるんだって…。
好きで…いてくれる人がいるんだって、わかったから。
- 898 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:33
- それだけで、こんなにも豊かになる心。
だから、私は今日も前だけを向いて進むんだ。
―――そういえば…。
ふと思い出す、愛しい存在。
舞美ちゃんは、写真部に真面目に通ってるって、えりかちゃんから聞いた。
サボリ魔だったあの舞美が…なんて、目を細めていたし、
きっと一生懸命写真と向かい合ってるんだと思う。
今まで、避けていた分、反動で貪欲に求めてしまっているのかもしれない。
私、みたいに。
たまに移動教室で、高等部に行くことがあって、すれ違うことがあっても、
私たちは動揺することなんてない。
一瞬だけ、視線が交わると笑顔を向けて…また、それぞれの道を歩き出す。
もっともっと、って。
まだまだ高みに行けるって、信じているから。
じゃなきゃ別れた意味がない。
あの時のままじゃ、決意した自分達が可哀想だ。
だから。
ただ前だけを向いて。
- 899 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:33
- ・
・
・
そうやって月日が流れて…ある日のことだった。
全国大会へのキップを手に入れた私たちが、わずかとなった練習期間に
高等部の先輩からの指導を受けられる日がやってきて。
「あいりーん♪」
「もも先輩」
向こうに見えるのは、きゅるん、っとその場で回転して満面笑顔のもも先輩だ。
絡まれると厄介かも。
挨拶もそこそこに通り過ぎようとしたら、
ちょっとぉ〜も待って待って、と腕を掴まれて止められてしまった。
残念。
「もも先輩、パーカスですよね。早く行ってあげた方がいいんじゃないですか?」
「やーん、愛理が冷たいーっ!ってか、いつからそんな物言いするようになったのよ」
あ、後半真顔だった。
意外、なのかな?
自分ではわからない。
ただ、もも先輩は、いやいや、いい傾向だよ?愛理自己主張とかしない方だし、なんて
笑ってくれていて、そうなのかな?なんてただ頷いたっけ。
- 900 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:34
- 「舞美のおかげ?」
「えっ?」
「あれ? 違う? あんだけ一緒にいたじゃん」
「あー…、そう、ですね」
知らないんだ、もも先輩。私たちのこと。
というか、舞美ちゃん、誰にも言ってないのかな。
そう、だよね。舞美ちゃんってあんまり自分の事を言ったりしない人だし。
曖昧に笑って視線を落としたけれど、もも先輩は首を傾げるだけだった。
「そうだ!舞美といえば!!凄いね!」
「えっ?」
「ちょ、知らないの? 舞美、ふ…」
「もも!」
ちょっとテンション高く話し出したもも先輩の言葉を遮ったのは、清水先輩だった。
楽器を手に、いつもは優しく下がっている目をきゅっと強く戒めるように鋭くして
もも先輩を見つめている。
「えっ、なに?キャップ、そんな怖い顔して」
「…いいから。さっさと音楽室に行きなさい。後輩が待ってる」
「ぶー、いけずー」
「さっさと行く」
「はいはい」
- 901 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:34
- 有無を言わせないような清水先輩に、うっと顎を引いて。
それでも渋々といったように、もも先輩は私に背を向けた。
ただ、最後にターンをして「まったね〜あいりん♪」と可愛さアピールを
忘れないあたり、転んでもただではおきない人だなぁ…なんて思ってしまったっけ。
「なんかごめんね、もも。いつもあんなだから迷惑でしょ?」
「あ、いえ…」
「さ、練習、始めようか?」
何事もなかったように、前を歩きだす清水先輩。
その背に違和感を感じた。
まるでさっきの清水先輩は、もも先輩を遮るみたいだった。
その時に話していたのは、舞美ちゃんのことで…。
何か、舞美ちゃんのニュースがあるようなニュアンスだったし…。
舞美ちゃんに…なにかあった?
「あの、清水先輩」
「……今は、聞かないほうがいいよ」
「え?」
はたり、と。
足を止めて、背中を向けたまま清水先輩は静かに息を吐いたみたいだった。
薄々、私が気にしていて聞いてくるって分かっていたのかな?
それだけで、少し緊張してしまう。
こんな風に、清水先輩が何かをためらう姿とか、見たことなかったから。
- 902 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:34
- 聞かない方がいい、そういった。
間違いなく、この流れだとそれは舞美ちゃんのことだと思う。
じゃなきゃ、こんな風に私を遠ざけるような話し方はしないはず。
前に…溺れる私を見ていたし…、それをよしと思わなかった先輩だから。
「愛理、今一番いい時だから。それに…舞美も今一番いい時なの」
「一番いい時…」
「うん。だから、今のバランスを、あたしやももや第三者の言葉で乱したくない」
そこで振り返った清水先輩は、情けなくも優しい表情だった。
言いたい。伝えたい。
でも、私や舞美ちゃんのために言わない。
それが伝わってくるような。
だったら…。
- 903 名前:Decision 投稿日:2013/12/20(金) 15:35
-
「わかりました…。練習、お願いします」
「うん。…ごめんね」
「いえ」
私は私のすべきことを全力で。
そう言い聞かせて私は、また音楽に没頭していったんだ。
でも…。
後々になって、この選択が本当に良かったのか、私は自問自答することになる。
それだけ…お互いにとって大事なことが重なっていた時だったんだ。
お互いを…見つめることもできないぐらい。
- 904 名前:tsukise 投稿日:2013/12/20(金) 15:35
- >>895-903
今回更新はここまでです。
>>893 名無し飼育さん
彼女たちの選択で、このような形になってしまいました、はい…。
それでも、そうですね今後の彼女たちの接点にもお付き合い頂ければ幸いです。
>>894 名無飼育さん
ありがとうございます。どうぞ今後も見守ってくださればありがたいです。
- 905 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:17
- 衣替えした制服が、馴染んできた時期。
まさに、天高く馬肥ゆる秋。
――― 月初めにあった体育祭。
クラス対抗競技ばかりだったから、千聖が信じらないぐらい張り切っていたなぁ。
でも、張り切り過ぎて、みんながついていけずにムカデ競走で見事に転んでて。
応援していたクラスメイトの、感嘆の声がすごかったのを覚えてる。
私も運動が苦手だったけど、りーちゃんと一緒に二人三脚に参加して。
初めて『勝つ』ということを体験したんだっけ。
みんなが信じられないって顔をしていたのが印象深かったなぁ。
そうやってドロドロになって。
くたくたになりながらも笑いあって、打ち上げを時間が許す限り教室でやったのは
大切な思い出のひとつになるんだろうな…なにもかもを忘れて、身体を動かして、
すごく楽しかった。
- 906 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:18
- ――― 文化祭は盛大に。
高等部との合同文化祭は、学院最大のお祭りイベント。
父兄の皆さんや、周辺地域に住んでいる人との交流会みたいなもので…。
でも、それだけじゃない。いつもは仲良くできない高等部の先輩と、
距離を詰めることが出来る絶好の機会。
去年もそうだったけど、この時期になると…色んな噂が立って色めき立つ。
誰それ先輩に告白した、とか。誰かと誰かがうまくいった、とか。
クラスの何人かの子も、高等部の校舎に駆けていって楽しそうだったなぁ。
「愛理は?誰かいないの?」そんな風に友達に言われて、笑いながら手を振って
教室を飛び出していくのを見送ったんだけど…。言われて…気づく逢っていない時間に…
ほんの少し寂しさを感じたっけ。
「…逢いたいなぁ」呟いて教室の机に突っ伏せば…、たまらなく求めてしまう気持ちが
一気に込み上げてきて…、ぶんぶんと思いっきり頭をふって立ち上がったっけ。
だめだめ、こんな私じゃ困っちゃう。足手まといにはなりたくないし、心、強くありたい。
と。
そんな立ち上がった私の鼻先に、香ばしい何かが突き付けられて。
パチパチと目を瞬かせれば、ふぅ、と一度溜息をついているりーちゃん。
なに? と口を開く前に…その差し出されたものを見れば…、
長方形の発泡スチロールに、ころんと10個も転がった、たこやきだったんだ。
- 907 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:18
-
「高等部の屋台行ってきた。だからお土産」お土産って…そんな…。
多分高等部に行きたがらない私を見て…、舞美ちゃんに逢うのを避けてる私を見て
気をつかってくれたんだろうな…。
「ありがとう」行って笑顔で受け取れば、ふっと口元を緩めて、りーちゃんは
ぽんぽん、っと私の頭を撫でてきた。ふにゃ?と顔を上げる私に、優しい笑顔が飛び込む。
「2-3の屋台のだよ、それ」 …! それだけでピンとくる。…舞美ちゃんのクラスだ。
思わぬ言葉に、つまようじに指していた、たこやきがポロっと落ちてしまったっけ。
でも、りーちゃんは、面白い顔、とくすりと笑うだけで、私の隣に静かに腰掛けてきた。
ただ、「ある先輩がさ、アタシの姿見つけて持ってけって。絶対喜ぶからって」とか
「お客さんがいっぱいいたのに、それ全部待たせて、新しいの作ってくれたの」とか…
「めちゃ汗輝いてたなぁ」なんて言ってくれて…私を取り巻く温かなものに泣きそうになったっけ。
あぁ…舞美ちゃん…。あなたも少しは私を思い出してくれてる?こんな些細な食べ物でも。
逢えない時間に…想いを募らせてくれてる?だったら…うん、もう大丈夫。また私は頑張れる。
もっとしっかりしなきゃ。自分の足で立たなきゃ。そして…舞美ちゃんに見合う人にならなきゃ。
そんな気持ちは、熱いたこやきと一緒に飲み込んだ。
- 908 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:19
- ―――そして。
大会の日が迫っていたある日のことだった。
たまたま通りがかった廊下の先、職員室の入り口で見知った姿を見つけた。
ううん、目が吸い寄せられてた。
―――舞美ちゃんだ。
その隣に、いつかのように後藤さんがいて。
目の前に立つ高等部の中澤先生と矢口先生が、二言・三言声をかけている。
なんの話をしているんだろう?
いつかの日とは違って、清々しい表情をしている舞美ちゃんに、
悪い話じゃないんだろうなってことはわかるけど。
話し終えたのかな、中澤先生から1つの茶封筒を後藤さんは受け取って
舞美ちゃんと頭を下げている。
それから、こちらに気づかずに、舞美ちゃんはもう一度後藤さんに頭を下げてて。
ひらひら手を振って苦笑している姿を見れば、何かの許しを得ていたかな…?
よくわからない。
そのまま背を向けて歩いて行ってしまう舞美ちゃん。
あまりにも、しゃんと伸びたその背中に、久しぶりに胸が鳴った気がしたっけ。
- 909 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:19
-
…って。あ。
中澤先生と矢口先生が職員室に戻って、振り返った一人の影と目が合う。
後藤さんだ。
いつかの日も思ったけれど、後藤さんってすごく勘がいい気がする。
というか、ある意味霊感みたいなものが強いのかな。
じゃなきゃ、こんな2回も遠くにいる私の姿を捉えるとかめったにないはず。
少し迷ったけれど、軽く会釈をするように頭を下げる。
ふわっと笑う後藤さんは、やっぱりどこか特別な存在みたいにキラキラしていて、
ドギマギしてしまったっけ。
それに。
「鈴木ちゃーん。少し時間あるー?」
離れていても通る声で呼ばれて、びくん、と身体が震えた。
まるで遠慮を許さないような強い何かを感じて、私はただコクコクと頷くしかできない。
一瞬、今日はりーちゃんがいないんだけどなぁ、とか。
舞美ちゃんとのことを聞かれたりしたらどうしようとか思ったけれど、
あの強い瞳で見つめられて、なんにも言えずに、手招きされるままに歩を進めるしか
なかったんだ。
- 910 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:19
- ・
・
・
「支部大会、だっけ?金賞だったんだってね、おめでとう」
「ありがとうございます」
学校が終わってすぐ。部活の時間を少し後回しにして、
この辺の地理に詳しくない後藤さんに、私は喫茶メロンを紹介したんだ。
「へぇ、雰囲気のいいお店だね」と着けていたメガネと帽子を取って息をつく後藤さんは
気に入ってくれたみたいで、ほっとした。
ただ、驚いた顔をしたのは斎藤さんや大谷さん、そして村田さん。
やっぱりというか、後藤さんはすごく有名な人らしく目を丸くしてたんだ。
サインいいですか?なんて震える手で色紙を差し出したりしてたし、
ちょっと苦笑してしまったなぁ。
でも、そんな三人を諌めるように声をかけてきたのは柴田さん。
ぽんぽんぽんっと三人の頭を軽く小突くと、私たちに笑顔を向けて。
入口からは見えにくい奥の席に案内してくれたんだ。
その心遣いに感謝です。
そして今…、カチャンと私と後藤さんのテーブルにコーヒーとココアが運ばれる。
ごゆっくり、と私に笑ってくれる柴田さんは、小さく「全国おめでとう」なんて耳元で
囁いてきて嬉しかったっけ。
- 911 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:20
- 「鈴木ちゃん…また雰囲気変わったなぁ」
「そう、ですか?」
うん、と口元を緩める後藤さんは、静かにコーヒーカップに唇をつけた。
鼻をくすぐるコーヒーと、甘いココアの香りが不思議に重なって、心が落ち着く。
店内に流れるジャズも静かに耳に届いて心地いいかも。
「……矢島ちゃんと、離れて良かったんだね」
言われた言葉に、静かに息をこぼす。
あぁ、やっぱり後藤さんは、なにもかもお見通しだったんだ、って。
そう、だよね。
一番近くで、舞美ちゃんを見ている人だもん。
あんなことがあったんだ…、その変化に気づかないわけがない。
小さく頷けば、責めてるんじゃないよ?とでも言うみたいに、
ふっと、顔を覗き込むみたいにして笑ってくれる。
- 912 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:20
- 「矢島ちゃんも変わったなぁって思ったけど、鈴木ちゃんのおかげなんだろうね」
「そんなこと…」
「ううん。感謝してるよ? アタシでは、あんな風に笑顔にさせてあげられなかった」
遠くを見るみたいに、カップを皿に置いてふちをなぞる後藤さん。
その心の内はわからない。
きっと、私なんかより舞美ちゃんの辛い部分を見てきたんだろうし
支えてきていたんだから。
そのさりげない優しさの形を私は知っているから…何も言わずにココアを口に含む。
「なんかさ、ごとーの仕事、なくなっちゃった気がするなぁ」
「え?」
「あー…うん、ま、矢島ちゃんが一人で歩き出せたんだなって、意味ね」
「はぁ」
「もしさ、またあの子が―――……、ううん、なんでもない」
「え?」
首を傾げるけど、後藤さんは「ごめんね」とだけ告げて、
その先をもう一度口にすることはなかった。
なんだか歯切れが悪い。
何かを誤魔化しているかのような…、隠しているかのような。
そこで思い出したのは、この間の清水先輩。
伝えないのは、今一番いい時だから、って言ってた。
後藤さんも、そういうのを感じて黙っているのかな?
だとしたら…なんにも言えない。
- 913 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:21
- 「次、全国大会なんだよね?」
「あ、はい」
「いつ?」
「あ、えっと来週の日曜日です」
「来週の…日曜…。そっ、か…」
「なんですか?どうかしましたか?」
尋ねずにはいられなかった。
あまりにも、後藤さんの表情がサっと変わったから。
どこかを痛めたような…、でもちょっと焦ったようなそんな…。
いつも静かに笑ったりとか、そういうポーカーフェイスの後藤さんしか
見たことなかったから…、なにかあったのかと心配になって。
それでも、私の顔を見るとハっとしたみたいに首を振ってくる。
なんでもないよ、気にしないでというみたいに、不思議な笑みを浮かべて。
「ううん。矢島ちゃんがね、すごく気にしてたからさ。……頑張ってほしいってことだね」
「そう、なんですか?」
「うん。…金賞、取れるといいね。ごとーも応援してる」
「ありがとうございます」
- 914 名前:Decision 投稿日:2013/12/21(土) 15:21
- 本当は、もっと突っ込んで訊きたかった。
そんなことじゃないんじゃないですか?って。
他に、なにか私に用事があったんじゃないんですか?って。
舞美ちゃんのことで。
だって、以前私とりーちゃんを連れ出したあの時も…舞美ちゃんへの忠告をしてくれた。
図らずしも…後藤さんの言ったように…私たちは気持ちを重ねて、心を共有して…
そして……離れた。
だから、今日も何かを伝えたかったんじゃないかって思ったんだけど…。
何も言わない後藤さんは、多分尋ねても…頑ななまでの心で、告げはしないだろう。
それが…舞美ちゃんのためなら尚更。
たった一人で頑張ってきた家族なんだから、当たり前のように自分を悪者にしても、
隠し通す、守り通す…そんな気がした。
そんな後藤さんに私が言える言葉は、なんにもなくって。
ただ寂しげに時々茶封筒に視線を落とす後藤さんを、見つめるしかなかったんだ。
- 915 名前:tsukise 投稿日:2013/12/21(土) 15:22
- >>905-914
今回更新はここまでです。
- 916 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:28
-
―――― 一面のblue。
深く、溶けてしまいそうなその色に目を奪われた。
瞬きすらできないぐらい。
それだけ―――見事だった空の写真…。
あなたの写真。
そして…、潔いほどまっすぐだったあなたの背中。
その向こう側に、また…blue。
夏の色を滲ませた、爽やかな空のblue。
どうやったって、最後には…あの青にたどり着く。
そう、すべて、あなたに辿りつく。
それだけ―――好きだったんだ。
好き、だったんだよ?
- 917 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:29
- ・
・
・
「いってきまーす!」
校舎から手を振ってくれる部員に手を振り返しながら、私たち吹奏楽部はバスに乗り込む。
全国大会の2日前、毎年こうして勝ち進んだ時は、レギュラーは合宿を兼ねて授業が終わると
会場近くにホテルを取って、最終練習をするんだ。
部費では補えない費用は、父兄の皆さんが走り回ってかき集めてくれて…
それだけで、ありがたい気持ちと、しっかりしなきゃって戒めになる。
そう、最高の結果で恩返ししたいって。
あいにくの雨模様になってしまったけれど、私たちはいたって元気で。
走り出したバスの中では、賑やかすぎるぐらいだった。
特に、千聖。
マイクを持ったが最後、いつから用意していたのか、
カラオケ用の最新CDをわざわざもってきていて、
一気に大カラオケ大会が始まって。
人前で歌うのが苦手な、私やりーちゃんまで結局、強制参加。
- 918 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:29
- でもさ、不思議なんだ。
後藤さんと知り合ってから、りーちゃんはなんだか変わったみたいに音楽を聴きこんでいて。
J−POPなんて、まったく知らなかったはずなのに、今時の曲を何曲かチョイスして。
部員みんながポカンと見つめてしまったぐらい。
だって、ソルフェージュで鍛えた声量に、抜群の音感。
それだけでも凄いのに、原曲が霞んでしまうぐらいの歌の説得力。
もとから、こんな曲だったんじゃないかと思うぐらいの勢いがあったんだ。
なのに、歌い終わったらケロッとしたように、
時間つぶしに持ってきていたらしい小説を広げて。
そのギャップに、私は噴き出してしまったっけ。
「愛理、失礼」
「だって…」
むっと突き出した唇はテレてるんだよね?
いつもみたいに不機嫌に見えるけど、ほっぺの上の方がほんのり赤くなってるもん。
可愛いな、こんなりーちゃん久しぶりに見るよ。
隣に座っている人の特権だね、こういうのに気づけるのは。
- 919 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:30
- 「でも次、愛理みたいだよ」
「えっ?」
「はい」
「あ…」
くい、っとマイクを渡されて、わたわたしてしまう。
私、曲なんて知らないのに…。
合唱曲とか歌ったら笑われるよね…。
「はい、じゃ次あいり〜っ!なに歌うんだ?」
「えーと、えーと」
「早く言わないと、勝手に入れちまうぞー」
「わっ、待って待って」
しかめっ面の千聖は、はやくはやくと急かしてくる。
でも、そんな、知らない曲ばっかりなのに。
りーちゃんみたいに、何か1曲でもちゃんと聞いておけば……って、待って。
私、知ってる。
1曲なんかじゃなくて2曲ぐらい。
そうだ、りーちゃんと一緒に聞いた。
耳には自信ある。記憶力にも。
だったら…歌えるかな?
あんな…情緒豊かにはできないだろうけど…。
だって、すべてが彫刻のように創りものめいた、あの、後藤さんの曲なんだもん。
でも…、ちょっと、歌ってみたい。
「ちさとー、決まった、これ」
「おっけー。次あいりー、バラード入りまーす」
ひゅ〜、と囃し立てるみんなに、ぺこぺこっと頭を下げてイントロを待つ。
- 920 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:30
- 〜♪
綺麗なバイオリンの旋律に、ピチカートがかかる弦楽器が追いかけて、耳に心地いい。
そんなに感情表現はうまくできないけれど、後藤さんのイメージは壊さないように
歌いたい。
きゅっと、軽く瞼を閉じて深呼吸。
そして…歌いだす。
ねえ「ウソだよ」と誰か言って 「また会えますよ」と言って
アコースティックギターの音が気持ちいい。
なんか、吸い込まれる。
音に、歌が吸い込まれる。
でも、後藤さんはもっと、感情が全部詰まってた。
切なさ、悲しさ、悔しさに諦め…そして、願いを全部込めてた。
そんな風にはできないけど…少しでも、近づきたい。
誰かを好きになるのと 誰かを信じるのとは
本当は違うことね 初めて信じた人です
初めて…信じた…人…。
歌っていて…脳裏に影がかすめていく。
愛しい…影が。
- 921 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:31
-
あぁ…、そうだ…この歌詞、その通りだ。
写真を見て気になって…そして好きになった…、浮ついた気持ちで。
多分、今思えば、ファンの子や真野さんと同じ気持ちだったと思う。
でも…、そうやって好きになって、近づけば近づくほど…色んなものが見えてきて。
差し出してくれる優しさや、示してくれる心の強さに…信じたいって、信じようって思った。
出会えたこと 感謝しています 一生大切にします いろんな笑顔を
心から偶然に感謝した。
どれだけの確立で、なんの接点もない2人が出会えるかを考えれば奇跡にも近い。
そんな中で…気持ち、重ねて。心、合わせて…。
目を閉じれば、どんどん浮かぶ笑顔。
目が無くなっちゃいそうなぐらい細めて笑ってた。
でも、ひそやかに、そっと見守るみたいに静かにも笑ってくれてた。
ぜんぶ、その笑顔ぜんぶ思い出せる。
あなただけのLOVE SONG もう一度会いたい
逢いたい…よ。
自分で決めたことなのに、こんなにも逢いたくなってる。
戒めてきた心が、後藤さんの歌で…綻んできちゃう。
- 922 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:32
- でも、大会が終わればきっと。
そう、笑顔で…、もう一度逢いたい。
そしたら、大好きな笑顔で迎えてくれるかな…?
愛理、頑張ったね、って頭を撫でてくれるかな。
あぁ…そうしてくれたなら…、私は癒される。
あなたが…舞美ちゃんが、笑ってくれるなら。
だから…、そのために……頑張るんだ。
気を張る必要なんてない。
私が私であることが、自由になる方法だったんだから。
最後の笑顔だと知っていたら もっと頭ん中焼き付けたのに
舞美ちゃんの最後の笑顔…忘れちゃいそうだよ。
だから、ちゃんと……私を待っていて?
それだけが…私の今の気持ち。
永久を願うLOVE SONG もう会えないのね
『一緒にずっと歩こう?』
あなただけのLOVE SONG もう一度逢いたい
たったひとつ、それだけが私の願い。
- 923 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:32
- ・
・
・
―――― 鬼だ。
みんなの顔が、そんな風に物語っている。
でも、私も今日ばかりはそれに賛同してしまう。
だって。
ホテルに着いてすぐ、稲葉先生は近くに借りていたホールに集合をかけ、
ロングトーン、チューニングもそこそこに、合奏を始めたんだ。
もう一秒だって無駄にできないのは分かっていたから、私たちだって
必死でくらいついていったんだけど…。
時刻が7時を過ぎた頃、やっと終わらせてからの稲葉先生の言葉に戦慄したんだ。
「えー、ほんなら今日はこれで上がり。ホテルの食堂で各自食事をとって
お風呂にゆっくり浸かって、休んでなー。まぁ、ここのホールは2日間貸切やから
24時間使用可能やで。……24時間使用可能やねんからな?」
うわぁ…。
そんな声がみんなあがりそうな顔。そして、さっきの鬼って発言。
だってその稲葉先生の言葉って、
『ほぉ、アンタらまさか何もせんと寝る気か? そんな悠長に寝てて大丈夫なんか?
いやいや、まぁ、アンタらの大会やしぃ? ええねんけどなぁ』
…なんてものに聞こえてならなかったんだから…。
- 924 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:33
- 「鬼だ…鬼すぎる」
事実、今隣で食事している熊井ちゃんが、げっそりしたように箸先で
小鉢のおしんこをつつきながらうなだれてる。
そうだよね…ここの所、緊張とかがこみ上げてきて、眠るのだって難しいのに
あんな風に言われたら余計プレッシャーだよね…。
「でも、考え方ひとつだよ」
「なっきぃ?」
ちょっと声のトーンを上げて、熊井ちゃんの隣でパクパクとおかずの焼き魚を
頬張っていたなっきぃが、にっこり笑う。
まるで、わざと食堂にいる全部員に聞こえるようなその大きな声に、
私もぴん、と耳が立つ。
「必死に楽器と向き合うだけが、すべきことじゃないでしょ?疲れていたら
寝るのも仕事。でも眠れないーってなったら、熊井ちゃんは何がしたい?」
「あたし? あたしは……はぁ、そうだね、今は楽器弾きたい」
「そーゆーことだよ。じゃ、ご馳走様っ! 中島、大浴場行ってきまーす」
「あっ、待ってよなっきぃ! あたしも一緒に行くからっ」
カチャン、と。
手元のお皿を重ねて立ち上がるなっきぃに、熊井ちゃんが慌てたみたいに
残りのお味噌汁をかきこんでから追いかける。
なんだか微笑ましいな、あの二人。
でも、そうだ、そういうことだ。
くるっと見渡せば、きっとみんなが私と同じことを思ってる。
24時間空いてるって、別にずっと練習しろってことじゃない。
どうしようもなく疼く胸とか、緊張でわーってなってしまった時に、
それを全部ぶつける場所があるんだっていう安心感を、稲葉先生はくれたんだ…たぶん。
- 925 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:34
- 「なんだよもー、なっきぃ一人かっこつけちゃってー」
「いや部長だし」
千聖のむくれた声に、隣で舞ちゃんが口元に手を当ててご飯を気にしながら突っ込む。
至極もっともな意見だったんだろうな、ぐっと詰まった千聖は、勢いよく近くの
コップにお茶を注いで飲みほし、「うぉーい」なんておじさんみたいな声をだして
誤魔化していたっけ。
「千聖は? 練習すんの?」
「冗談でしょ? あたし夜は喉閉まってきてて吹けないってば」
「確かに。あ、じゃあ早朝だ?」
「まーね。なに、舞ちゃんは?」
「あたしも早朝。あ、じゃあ起こしてよ。一緒にやろ?」
「しゃーないなぁ、ちゃんと起きてよ?」
あぁ、あの二人も本当に可愛いなぁ。
お姉さんぶって舞ちゃんを引っ張りたがる千聖だけど、
実はいつも舞ちゃんが主導権握ってるんだよね?
舞ちゃんに泣かれると弱いの、私は知ってる。
と、そこで。
ご馳走様、と食器を片付けるりーちゃんに振り返る。
ご飯中は黙々と食べるから、話しかけづらいんだけど今なら大丈夫かな。
- 926 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:35
-
「あ、ねぇ、りーちゃんは? 練習するの?」
「ううん。もう個人でできることは全部したから。今日はお風呂入って寝る」
さすが。
思わず心の中で拍手したくなる。
きっぱりと言い切ってしまう強さ。
自分を曲げない姿。どんなことがあっても絶対ブレない意志。
これこそが、りーちゃんの武器だよね。
だからソリストとしては、尊敬してしまう。
「愛理は?」
逆に尋ねられて…考える。
多分頭は緊張状態で、簡単に寝るなんてできないと思う。
でも、練習するには…多分千聖じゃないけど、喉は開いてこないはず。
無駄に体力を消耗するよりは…うん。
「私も今日は休むよ」
「いいの?」
「うん。休むのも仕事だよ」
「そっか」
にっこり笑えば、ふわっと笑い返してくれるりーちゃん。
なんだか、りーちゃんに助けてもらってばっかりだね、私。
こんな些細な事でも自分で決めるのに時間がかかるのに、
急かしたりせずに、待ってくれて。
- 927 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:36
- そう…いつでも、私を待ってくれて。
正しいことを伝えてくれていたのに、伸ばされていたその手を振り払ってしまっていて
本当にごめんね。
言葉ではいえないから、情けなく笑うだけだけど。
そして、私も食べ終えて食器を片付けようと立ち上がった時だった。
ブー、と電子音が近くで何度も響いて。
これは…携帯?
首を回せば、ちょうど栞菜がその携帯を手に取って開いていたところだった。
でも、不思議なんだ。
その表情が…みるみるうちに変わって。
ほの赤く頬が色づいて…笑顔まで零れてる。
あ…もしかして…。
「恋人さん?」
「わっ!愛理っ!! ち、違うっ、家族だよ家族っ!」
背中を向けていた栞菜の肩口から顎を乗せて覗き込んで訊けば、
がばっと振り返りざま後ろに飛びのくようにして、椅子を大きく鳴らし
栞菜は後ろ手に携帯を隠して、困ったみたいに笑ってきた。
隠すことないのに。
私、知ってるし…。
ってあ…。
- 928 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:36
-
「『応援してるよ、帰ってきたら、いっぱい一緒に遊びに行こうね』」
「わわわっ!!」
栞菜が飛びのいたことで、すぐ後ろにいた まーさが、
目の前に突き出される形になった携帯画面を、棒読みし始めた。
慌ててまたピョンピョンその場で飛び跳ねる栞菜だけど、もう遅い。
全部聞こえちゃったよ。
「応援してくれてるんだ?」
「うぅ…、うん…、見に行くからって」
「そっか」
観念したのか、栞菜はストンと椅子に座り直して小さく口を開いた。
本当は遠征するだけでもお金かかるし、チケットだってもう売り切れだし
見れないよ?って言ったんだけど、せっかくの晴れ舞台だし、
好きなことを全力でやってるのを見たいんだって言われて…。
しょうがないなぁって思いながら…、家族用のチケットを渡したんだ。
そしたら、すごく喜んでくれて。なんか、あたしもがんばろう、みたいな。
甘い声で、胸の内を話してくれる栞菜はとっても可愛くて女の子で、
思わずぎゅーって抱きしめてしまいたいぐらいだった。
だって、顔だって真っ赤にしてさ…、嬉しくてたまらないってその声がはずんでるもん。
- 929 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:37
-
きっと、栞菜のことを大切に思ってくれてる恋人さんなんだろうな。
じゃあ、目一杯頑張らないとだね。
ただ、
「青春だねぇ」
ご飯をかき込みながら呟いた まーさに、私も栞菜も顔を見合わせて
ぷっと噴き出してしまったっけ。
まーさには、まだまだ色気より食い気、なのかなって。
でも……。
そんな風に、色づいた心に触れたからかな…。
堪らなく…恋しさがこみ上げてきたっけ。
私も…連絡したら、来てくれた?って。
ううん、それ以前に、今電話しても…笑って出てくれる?って。
きっと杞憂。
舞美ちゃんだったら、頑張れって、あの優しい声で言ってくれると思う。
私が望めば、それをかなえようとしてくれる人だから。
でも、だから…。
戒めなきゃ。
あと少しだから。
- 930 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:37
- ・
・
・
ぼんやりしながらホテルのロビーを歩く。
その手に携帯電話を持って。
かけるなんてできないって分かっているけど…、手放せないんだ。
カチン、と携帯を開けば青白い光が浮き上がって…目に眩しい。
今頃…なにしてるのかな。
もう22時だし、寝てるかも?
それとも…あの日の夜みたいに、月を見上げてる?
ふっと、私も月を見上げるように、ロビーの窓際に立って目を細める。
さすがに外気が入り込んでくるロビーだけあって、ちょっとした寒さに
身震いしてしまったっけ。
「あれ?愛理?」
「あ、りーちゃん…」
ほのかに匂いたつ花の香りに顔を向ければ、
頬を上気させたりーちゃんが、こちらに向かって歩いてきてる。
お風呂あがりなんだろうな、化粧ポーチ片手に首からはバスタオル。
ほこほこ、なんて音が聞こえてきそうなぐらい柔らかな表情のりーちゃんは
とっても可愛い。
鼻先をバスタオルにうずめたりすると、ちょっと小動物みたいだね。
- 931 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:38
- 「こんなとこでどうしたの」
「あ、うん……」
曖昧に返事して笑う。
パタン、と携帯を閉じて。
逆にそれが違和感あったのかな、りーちゃんは少し首を傾げるようにして
私の隣に並んだ。
それから私の顔をじっとみて…。
何か感づいたのか、視線を窓の外に向けて。
「連絡、とってないの?」
何事もなかったみたいに濡れた髪をバスタオルで撫で上げながら訊ねてきた。
あまりに自然に訊かれたからかな、ふっと携帯に視線を落として
私は軽く苦笑しながら窓の手すりに両肘をつく。
誰に…とか、そんな誤魔化しは、りーちゃんに通用しない。
わかっているからこそ、観念して私は頷いた。
「…うん」
ふいに頬を撫でるのは、どこからか入り込んでくる、ひんやりとした風。
髪を揺らしては消えていくその流れが、どこか心地よい。
ここからの景色はお世辞にも綺麗なものとはいえない。
それでも庭の小さな池があるし、いつもは感じることのできない
夜の虫の声もこの場所なら静かに…でも、しっかりと耳に届く。
それがまた、私の心を落ち着かせるんだ。
ううん…閉じ込めた気持ちを…浮き上がらせてくるんだ。
考えないようにしていたことを、ぜんぶ…ぜんぶ。
- 932 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:38
-
「愛理ってさ、やっぱり頑固だよね」
「……かもしれない」
別に離れたからといって、なんにも制約なんてないんだ。
逢おうと思えば逢えるし、電話やメールだってしてもいいはず。
でも、それを頑なにしない姿に、りーちゃんは呆れてるのかも。
不思議だよね。
あれだけ一緒にいたのに、こんな関係になってしまっていることが。
りーちゃんみたいに、いい距離を保ってずっとここまで来たのとは違うから
余計そう思うかもしれない。
時々思う。
なんで私たちは、りーちゃんのようにスマートにできなかったのって。
お互いをいい方向に導くように恋をして、そして自分のなりたいものに
向かっていく…、そんな関係になんでなれなかったのかって。
でも…私たちだから…なれなかったんだろうなとも思うんだ。
不器用すぎて…相手を大切にしすぎて…。
自分を捨てて…、苦しく溺れて…。
何をしたいのか、していきたいのかを見失って…それでももう一度見つけた時、
動き出す一歩の足枷に相手をしてしまうのが怖かった。
だから…。
そう…だから、これで良かったんだ。
せめて…思い描いた自分の目標に届くまでは…。
- 933 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:39
- 「でも…」
「?」
俯いてしまった私に、バスタオルを再び首から下げて…
りーちゃんは、小さく口を開く。
どこまでも優しく…密やかに。
「愛理と…舞美ちゃんらしいね」
「…………そう、だね」
その通りだね。
たくさんある道に迷うぐらいなら、真ん中をまっすぐ。
それこそ胸を張って。
2人で歩ける道が遠いなら…怖くても、一人で突き進む。
その先に…また交わる道があるって信じて。
本当に不器用すぎて泣きそうになる。
でも、選んだ時の自分を信じたいから。
あの時の気持ちを、大切にしたいから…、これでいいんだ。
「これ、独り言」
「え?」
突然、りーちゃんはそんな前置きをして。
ちらりと私に視線を一度だけ向けると、また窓の外に目を向けた。
- 934 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:39
- 「私、舞美ちゃんは眩しいなって思ってた。芯が強くて、輝いてて、強くて。
だけど、同時に危うさも感じたの。初めて舞美ちゃんを見た時、どこかに
消えてしまいそうなそんな雰囲気も感じたから。…そんな人に惹かれた
愛理がどっちに転ぶかわからなくて、邪魔もしたけど…、でも、こうやって
戻ってきて…、一気に変わった愛理を見たら…、―――二人は出会えて
惹かれ合って…良かったんだなって思った」
驚いた。
そこまで全部私たちを見つめていたことに。
他人には、関心をもたないはずのりーちゃんが。
でも、逆に思う。
それだけ…私たちを心配してくれていたんだって。
なんだか申し訳ない気持ちになったっけ。
「これからどんなことがあっても…、もう私が止めることはないと思う。
辛いこととか、たぶん二人とも不器用だから、人よりたくさんしそうだけど
大丈夫そうだから」
「りーちゃん…」
「でも、大人になってすべきことは、大人になってからしてほしかったな」
「ひぁっ!」
突然、するっと私の背中を人差し指で下からなぞってきて跳ね上がる。
ぞくぞくぞくって全身に電気が走ったみたいで、思わず自分を自分で
抱きしめてしまったぐらい。
- 935 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/23(月) 08:40
- 「もー…」
ゆるく睨むけど、全然悪びれた顔なんてせずに、りーちゃんはふふんっと
小さく鼻を鳴らして笑ってきた。
その無遠慮な攻撃に、しょうがないなぁって溜息が零れる。
親友の心が詰まった言葉だもん。
受け入れるしかないじゃないか。
って、ちょっと待って。
「え…? 待って、りーちゃん、その…、大人になってからって…あの、私が…」
「シたことぐらい、会った瞬間にわかったよ」
「〜〜〜〜っ!!!」
あぁ、もう、この親友は…。そうだとは思っていたけど…うぅ…。
一気に顔が火照って、ぱくぱくと口をさせれば、
してやったりというように、頭を小突いてきて。
「……全国大会、頑張ろうね」
「…、うん。最高の演奏、しようね」
それだけ言って、りーちゃんは「寝る」なんて呟いて行ってしまった。
もう、ほんとかなわない…。
でも、うん、元気出た。
欲しかった声ではなかったけれど、でもそれ以上にリラックスできた。
だから、あとは…向き合うだけ。
自分の最高の音と。
――― 大会まで、あと1日と少し…。
- 936 名前:tsukise 投稿日:2013/12/23(月) 08:41
- >>916-935
今回更新はここまでです。
- 937 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:14
-
何も考えない。
この一日は、ただひたすら、いい音楽を作ることだけ考える。
「なっきー、ここのテンポだけど」
「あぁ、ここはね、もう少しデクレッシェンド強調して」
「あ、そっか」
譜面に次々書き込んでいく文字。
もう、白い部分を探すのが難しいぐらい。
これだけたくさん書いたのは、いつ以来だろう。
それだけ夢中になってた。
キィン!
「そこ1stクラ、リードミス多いよ!」
「すみません!」
「集中!」
「はい!」
かっこよくなくっていい。ただ、いい音楽を、いい演奏をしたい。
結果は後からついてくる。
たとえそれが、望んだものじゃなくっても。
「もう一回、おんなじ所からー」
「はい!」
「最後の一人ができるまで何度でもやるでー」
「はい!」
精一杯、自分自身頑張ったって、胸を張りたい。
これ以上の演奏はできなかったって、あの瞬間がベストプレイだったって
これから先、振り返ったときに言いたい。
- 938 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:15
- 「オンザビートで合わせて」
「はい!」
「ワーン、ツー、ワン、ツー、さん、しー」
パン!
「もっかい」
パン!
「OKー」
このメンバーが、ベストメンバーだったって、声を大にして言いたい。
それだけ、今のこの時がとても愛しい。
苦しい、辛い。でも、最高に楽しい。
音楽が…、演奏することが、心から楽しい。
――― 教えてくれて…ありがとう。舞美ちゃん。
緊張しないなんて、絶対出来ない。
でも、頑張れる。
頑張るよ、私。
このメンバーで。
最高の音を届けてみせる。
――――― 大会まで…あと数時間。
- 939 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:15
-
・
・
・
夏の太陽をしっかり受けて、青々と茂っていた木々は息をひそめ、
秋の優しい息吹に包まれた秋の彩られた自然の奥。
その先に静かに佇む会館。
そこへ、活気あふれる学生たちの声が広がる。
そう…、私たちと同じく、つたなくともみんなで作り上げた音楽の集大成を響かせて、
認めてもらおうと集った者達の声が。
―――ついにきた。特別な、この場所。
みんなが…吹奏楽をするものみんなが一度は踏みたい舞台、普門館。
聖地、なんて大それた代名詞をつけられているけど、そんな綺麗なものじゃない。
みんなの苦しい練習や、辛い経験、涙とか無意識に流れた汗とか、
そういう泥臭いものが集まって、ここに届けられる。
求める結果が欲しくてここにくる。
厳かな会場とは裏腹に、そんな熱い気持ちが届けられる場所だから、
私は『聖地』だなんて、ひとくくりにしてほしくないなぁって思っちゃうな。
- 940 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:15
-
「愛理、行くよー」
「あ、はい」
「みんなも、はぐれないようにー」
なっきぃの声に、はっとして振り返れば、裏口から入って中の廊下スペースに
楽器ケースをおろしていく。
リハーサル室は、順番の2つ前にしか入れない。
しかも、時間は曲を通すほどの時間もない。
だから、私たちはその間、外に出てロングトーンやチューニングなど各々行う。
指を温めて、喉を温めて…万全の状態で舞台に立つために。
ただ…。
私たちの出番は、くじ運がいいのか悪いのか中学の部の2番目で。
緊張に終わる1番は免れたにしても、会場の冷静すぎるほどの眼差しを
受けることになるんだ。
「はーい、リハーサル室に入るよー」
「「「はい」」」
あ、なっきぃも顔がこわばってる。
そりゃ、部長だって人間。
緊張しない方がおかしいよね。
でも、努めて冷静を装ってるんだし、気づかないふりをするのが優しさだよね。
みんなもそう思っているから、なんにも言わない。
いつもは茶化しそうな千聖でさえ。
- 941 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:16
- 中に入って、防音扉をガシャンとスタッフに閉じられれば、静寂に耳が痛む。
静かにパイプ椅子にみんなが座る音と…、次いでクラからのパスでチューニング。
ある程度音を流せば、式台の上でみんなを見ていた稲葉先生が止めた。
一斉にみんなの視線が稲葉先生に集まる。
でも、稲葉先生は、どこまでも冷静だった。
「んじゃ、課題曲の最初の音ください」
「「「はい」」」
重要な出だし。
私たちに会場の耳を惹きつけるための、最初の一歩目を合わせる。
そして。
「はい、自由曲の最初4小節ください」
「「「はい」」」
肺活量をもっとも要すフルートの最初は肝心。
掠れようものなら、全体が崩れる。
その確認は徹底的に。
その全部を確認した稲葉先生は、静かにタクトを下し。
「…いつも通りにやったらええから。アンタら最高やもん、めっちゃ輝いてるもん
そんなんで結果が出んかったら、神様恨んでもええで」
満面の笑顔で、関西弁ばりばりに言ってきたんだ。
緊張をほぐすみたいに。
過度なぐらいに。
- 942 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:17
-
本当だったら、余計なプレッシャーになるかもしれない。
でもいつも聞いてきたんだもん。
こんな稲葉先生の言葉を。
だから私たちは笑みを浮かべる。
最上級のエールに。
「アンタらやったら大丈夫」
そう、私たちなら大丈夫。
コンコン。
「移動お願いしますー」
士気が高まったところで、スタッフさんが入ってくる。
いよいよ、本番だ。
なにも不安がることなんてない。
今までやってきたとおりにすればいいだけ。
さぁ、行こう。
踏みしめた地に、感覚が一気に落ちてきて…引き締まる想いがしたっけ。
- 943 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:17
- ・
・
・
『プログラム2番、私立―― 学院中等部吹奏楽部。 課題曲3に続きまして、
自由曲、ラヴェル作曲「スペイン狂詩曲」。 指揮は、稲葉貴子です』
アナウンスが流れて…、一気に眩い照明が上がる。
熱気さえこもったような強い光には、いつも慣れない。
それにここは全国大会。
今までの会場より、見ている目は鋭く…厳しい。
拍手が上がっている間に、密やかに溜息をついた。
大丈夫…いつも通りに…。
ここまでくるのに色々あったけど、私は私の音楽に納得してきたんだから。
ふと視線を映せば、りーちゃんが私を見ていて…ふっと一瞬だけ口元を緩めた。
――― ちゃんとついてきてよ。
まるでそういうみたいに。
りーちゃん…楽しんでるでしょ?
元来、こういう勝負所には強いりーちゃんらしい。
あぁ、でも、うん、なんかリラックスできたかも。
私だけが頑張るんじゃない。
みんなの音を聞けば大丈夫。
おいかけていけば大丈夫。
- 944 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:17
-
さぁ、賽は投げられた。
稲葉先生は、指揮台に。
くるっと一度全員を見渡した稲葉先生は、信じられないけれどみんなに向かって
にかっと白い歯を見せるぐらい笑って。
思わぬその笑顔に、みんなが噴き出しかけて…堪える。
こんなのずるい。
いつも真剣な表情なのに…。
でも、うん、一気にみんなの雰囲気が変わった。
いける。
私たち、いこう。
そんな気持ち一色になってる。
それを確認して、満足そうに一度頷いた稲葉先生は、きゅっと頬を締めて…
タクトを上げた。
- 945 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:18
- ・
・
・
―――♪―――♪―――
導入部から、一気に惹きこむように息を注ぎ込む。
でも、それは激しくであって、うるさくじゃない。
重く、深く、ほんのすこしのたたきつけるような鋭さを込めて。
金管の音で切り裂くように。
物語は古代ローマ。
砂のように荒れた時代。
キリスト教を、公の場で追放宣告をされた者達への、
残酷なまでの現実を突き付けるように、威圧・厳然、そして絶望を表す。
―――♪―♪―♪――
そしてメインへ。
一音も走り出してはみ出していかないように、キッチリ合わせる。
栞菜の滑らかでありながらも、重みをもった旋律が悲痛に包まれる追放者にぴったりだ。
そう…追放宣告を受けた集団は、遊牧民となりシルクロードを西から東へと進みだす。
その先への不安・悲しみ・苦痛を胸に巡らせながら。
厳しい旅に、光は見えなくって、ただ砂の上を一歩一歩前へと重い足取りで進むだけ。
- 946 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:18
-
―♪―♪―♪――♪―
ホルン・トロンボーン・トランペットのパスは丁寧に、音のばらつきのないように
歌うように、踊るように。
ちゃんと、リズムとしてホルンが…舞の音がついてくるし、耳を澄ませて…繋いで。
先の見えない旅に、怯える者、夜の闇に恐怖に煽られる者、その不安が広がる道。
引き返すことはできない心の支えを失った者達は、疲弊をわずかに覗かせながら…まだ歩く。
―――♪♪♪♪♪――
木琴の音色が、一気に会場に響き渡れば、うっとりとするような栞菜のソロ。
深く、ビブラートに揺れる旋律は、心に広がって胸が温かくなる。
ミスはない。みんな知ってる。だから、邪魔にならないように音色を重ねる。
不安に満ちた遊牧集団の、つかの間の休息。
タクラマカン砂漠の先、世闇を切り裂く美しい月光に照らされた砂上の城での宴。
持ち寄った楽器・酒での、しばしの陶酔を手に入れて心潤されていく者達。
絶望だけじゃない、希望をもう一度思い出して明日につなげる、そんな部位…。
―――♪♪♪――
クライマックス、主旋律は最初に戻る。
でも、ただ戻るだけじゃない。
厚みを。
重ねる音に深みを。
一人でも欠けてはいけない。
みんなの音を1つに、そして―― ラストまで駆け抜ける。
熾烈を極める旅の果て、信じ進んできた集団は、圧倒されるほどの漢の国を目の前にし
慄くこともせず、信じた道を貫いて…東の国へ足を踏み入れる。
信念を貫くように。
そこで―――物語は終える。
そして私たちの課題曲も。
――♪―――!!
- 947 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:19
- 4分30秒…。
身体に沁みついた時計がちゃんとカウントしてる。
あとは自由曲を。
パーカッションが移動し、私たちも譜面をめくる。
そして一呼吸。
自由曲は課題曲から一転、全く曲調も違う。
頭の切り替えをしっかり…。
ふっと顔を上げれば、全員が稲葉先生を見つめてる。
信じて疑わない眼差しで。
いつだって、私たちを甘やかすことをしなかった稲葉先生は、
課題曲の選択も、難易度の高いものばかりで。
自由曲だって、私たちの今のレベルより1つ高いところを目標にして。
でも、そうでもしなきゃ私たちが発起しないのを知っていたから。
高等部と違う、中等部の部活は、ともすれば慣れあいで繋がってしまうことだってある。
先輩後輩の仲が良ければなおのこと。
それをよしと思わないから、いつだって厳しく。
でも、それが身になって…今ここに。
- 948 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:19
- タクトがあげられる。
最初は跳ねるように、ピッコロ・フルートから。
―♪―♪―♪―
うん、涼やかで気持ちいい。
その音を追いかけるように、ハープが音を広げる。
そしてすぐに、深く沈む低音。
空いたお腹に、ぐぐっと響くように。
くん、と、また稲葉先生のタクトが振られれば、今度はクラリネットが旋律を奏でる。
どこまでも柔らかく。
フルートが作った空間をつぶさない。
でも、軽くステップを踏むように…。
そしてまた重低音。
今度は音の波をつなげて、弾けさせる。
そこから一気にスペインらしい、弾んだ音に。
カスタネットをよく聴いて。
リズムを乱さず。
スタッカートを意識して、でも走り出さない。
みんなで一緒に。
フォルテになれば、パンと硬い金管がかぶさってくるけど、無理に追いかけない。
ここの主役は、金管。
だからあくまでフォローに。
激しく強い旋律が飛べば、コントラバスが引き継いで…緩やかに音を沈ませていく。
- 949 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:20
- そこからが…勝負。
濃厚な、たぷんとした蜜の中に会場全体を惹きこむように、たゆたい始める。
頭をもたげてしまいそうな、そんな雰囲気に落として。
そして―――はじまる、ソロ。
まずは、りーちゃん。
♪―――♪♪―――
あぁ…なんて深くて、息苦しい。
動悸が激しくなるぐらい、心が全部持っていかれる。
気だるくも、妖艶。
本来オーボエの高い音なのに、ファゴットを選んだ稲葉先生の意図が全部
いい方に出てる。
最後の一音まで、丁寧に歌いきったりーちゃんは、静かに瞼を落として、
まだ肺に残っていた酸素を全部吐き出したみたいだった。
どこまでも艶やかな唇に、目が奪われそう。
でも…集中。
今度は、私。
A管に持ち替えた私は、静かにマウスピースに唇を乗せて…一気に息を吸い込む。
それから―――歌いだす。
- 950 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:20
- ♪――♪――♪♪♪♪♪―
温まり切ったクラは、一音一音、深くなだらかに旋律を届ける。
低音になればなるほど、喉が開いて余韻に頭がくらくらしそう。
あぁ…これが多分一体感。
タンギングはいらない。ぜんぶ吹ききる。
そんな調整は初めに全部確認した。
ただ歌う。
一音も粗雑にしない、全部大切に丁寧に歌いきる。
まさにメランコリー…憂鬱に。
エロティックに、妖艶に。
―――歌い、切った。
感慨深さを感じる暇はない。
すぐに全員での、焦燥感さえ感じる蜜の中へ。
そこから、ゆっくりと…走り出す。
祭りへと。
フルートの爽やかさを合図に。
一気に場面が変わるように。
まさに青空・晴天を思わせるような奏で。
クレッシェンドでトランペットが一迅の風のように会場に音を届ければ、
全員で、祭りの踊りのように楽しく、元気に。
カスタネットとピッコロが耳に心地いい。
それを追いかけて、一気に上り詰める。
- 951 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:21
- ここまでくれば、洪水のように強弱の波で遠くまで飲み込んで。
半音上がって、スペインらしくキザに、カッコつけてすべてフォルテで。
最後の見せ場はトロンボーンのスラー。
千聖の音が、ここにきてやっと一瞬割れたような気がして、目が開くけどそれは後で。
『これが最後やで』
そんな声が聞こえた気がした。
全員が見つめる先にいる、稲葉先生から。
あぁ…そうだ。
これが最後なんだ。
このメンバーで作り上げる音楽は。
大会に向けて長く辛い道のりの先にできた、この音楽を演奏するのは。
涙腺が緩みそうになる。
でもまだ。
ほら、最後の一音まで。
みんなで。
誰一人欠けることなく。
さぁ。
―――♪♪♪♪♪♪♪―!
- 952 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:21
-
…………静寂。
そして………割れんばかりの拍手。
放心…しそうになって、我に返る。
まだだ。
稲葉先生が下から持ち上げる仕草をして、私たちは立ち上がる。
乱れもなく、ざっと音が立つぐらい揃えて。
バラバラと立ち上がるのは見苦しい、と一番最初に言われたことだ。
だから、みんな合図したように、一瞬も乱れなく。
それだけで、胸に広がる熱い気持ち。
照明が落ちるまで、微動だにしない。
その姿で稲葉先生が頭をさげて…―――拍手と「ブラボー」という声をききながら、
―――私たちの演奏が、終わったんだ。
- 953 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:22
- ・
・
・
『プログラム2番、私立―― 学院中等部。 ………金賞、ゴールドです』
聞こえた瞬間、目の前が真っ白になった。
立ち上がって、わーっとみんなで抱き合う部員もスローモーションに見える。
隣のりーちゃんも珍しく、千聖とハイタッチなんかして笑顔で。
くしゃくしゃになって泣き笑いする なっきぃを、熊井ちゃんがぎゅっと強く抱きしめて
うんうん、なんて頷きながら頭を撫でて、一緒に泣いてる。
栞菜も口元を強くおさえて泣きじゃくってて、舞が頭を撫でてて…。
その視線のずっと向こう側で、まーさだけで腕を組んでステージに向かって何度も頷いてた。
まるで夢のような出来事。
今、私はここにいるんだろうかってわかんなくなるぐらい。
でも、ほら、立って!と涙声で促してくるなっきぃに…そのまま全員で会場に頭を下げる姿に
やっと…実感がこみ上げてきて…、頭を下げた瞬間に瞬きもできなかった目から涙が零れたんだ。
あぁ…、私、金賞獲れたんだ。
ずっとずっと目指していたものに、手が届いたんだ。
なんて満たされた気持ち。
胸の奥が熱くなって、ううん、頭の中だって熱くなって…。
なにがなんだかわかんなくなって…。
頭を上げた瞬間に、りーちゃんに強く飛びつくように抱き着いてしまったっけ。
- 954 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:22
- ・
・
・
「この賞は、みんなでつかんだものや。おめでとう。特に三年、受験勉強も大変やのに
よう頑張った。これからは心置きなく、勉強してや。そらもう、遅れを取り返してな」
うわぁ…、なんて苦しげな声が三年の先輩の席から聞こえてきて、みんなで噴き出した。
賞状・盾・トロフィーの授与が終わって、席に来た稲葉先生からのねぎらいの言葉を
受けて…私たちは、やっと涙を止めることをできたんだ。
変わるように、みるみる笑顔が広がって。
私もすごくうれしい気持ちになったっけ。
「えー、この後片付けをしたら記念撮影を会場前でして、それから学院に帰ります。
その後、今後の話もあるんで、音楽室に残っててな」
「「「はい」」」
「最後に、みんなほんまようやった。おめでとう!」
高らかに言えば、またなっきぃの涙腺が緩んだみたいで、
わたわたと熊井ちゃんがハンドタオルを差し出していたっけ。
- 955 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:23
- ・
・
・
解散になり、人もまばらになった会場をクラの友達と写メを撮りまくって
やっと後にしようとした時だった。
「鈴木ちゃん」
「? ―― えっ、後藤さん!?」
思わぬ場所にいる後藤さんに驚く。
メガネをかけたり、帽子を目深にかぶっているけれど見間違えるはずなんてない。
いつだって、後藤さんの立つそこだけ空間が違うみたいに輝いているんだもん。
どうしてここに?
お仕事とか、あるんじゃ…。
ぱっと視線を後ろに向ければ、やっぱりハラハラしたみたいに紺野さんが腕時計を
気にしていて、わざわざこの会場に足を運んできたのは明らかで。
ますます動揺してしまう。私に、逢いに来たのかなって。
一緒に歩いていた部の友達が遠慮して「愛理、先に行くね」と後藤さんのオーラに
圧倒されながら離れていくのを、ごめんね、と手を振って。
それから、おずおずと後藤さんに歩み寄った。
「どうか、したんですか?」
時間に制約がある後藤さんがわざわざここまで来たんだから、
何かあったって考えるのが自然だった。
他でもない、舞美ちゃんに。
でも、後藤さんは一度目を細めて、ステージをくるっと見渡すと、
ゆるく唇で弧を描くようにして微笑んできたんだ。
- 956 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:23
- 「金賞受賞、おめでとう。聴いてたよ」
「あ、ありがとうございます」
「感動した。クラシックってごとー、そんなに詳しくないんだけど
鳥肌めっちゃ立ったもん。菅谷ちゃんと鈴木ちゃんのソロとか、最後とか」
「ど、どうも…」
ストレートに褒められると、困ってしまう。
意識していなかったから、余計に。
でも、
「部員みんなで頑張った結果なので、本当にうれしいです」
そう、私やりーちゃん、栞菜は多分要だったと思うけど、
それは部のみんなが一人も欠けずに、必死に頑張ってきていたから。
だからいい音楽ができた。
私だけの力なんかじゃない。
そう告げれば、へぇ、というように目を開いて。
それから嬉しそうに後藤さんは笑ったんだ。
そっか、と。にこにこと。
その笑顔が一瞬、舞美ちゃんとダブる。
目が無くなってしまいそうなぐらい細める姿が似ていたから。
「あの…、後藤さん。舞美ちゃんに、なにかあったんですか?」
一度遮られた言葉を、もう一度届ける。
少しだけ、胸の奥にちりっとした感情が浮かんだ気がして。
ちょっとした焦燥感みたいな…嫌な予感、みたいな。
そしたら、後藤さんは、肩からかけていたカバンを漁り。
何かを取り出したみたいだった。
- 957 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:23
- 「これ、預かってきた」
「え?」
そのまま、そっと差し出されたものに視線を落とす。
緑色の縁取りがされた可愛らしい封筒…手紙、かな?
誰から、なんて聞かなくても後藤さんの表情でわかる。
舞美ちゃんだ。
でも、そんな手紙なんてどうして…。
疑問が顔に出てしまったのかな、ためらいながら指先で受け止める私に
後藤さんが、少し寂しげに目を伏せて、
「読めばわかるよ」
それだけ言って、俯き加減に、微笑んでくれたんだ。
読めばわかる…?
なんで、そんな悲しそうな目をしてるんですか?
あぁ…なんだろう、胸に黒いシミのように不安が広がってくる。
舞美ちゃんに…何があったの?って。
とにかく…読んでみよう。
カサカサと封を切って、中から便箋を取り出す。
広がる文字は、舞美ちゃんらしいクセのない涼しいもので、
逢えなかった分、たったこれだけで、胸が鳴ってしまったっけ。
- 958 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:24
- 『愛理へ
この手紙を読んでくれる時には、もう大会の結果が出てるんだよね?
納得いく結果は得られたかな? それを一緒に確かめられないのが心残りです』
………え?
どういう、こと?
『今、私はフランス行きの飛行機に乗っています。高校留学という枠で
卒業までの期間、写真の勉強を主に、向こうの学校で頑張りたいと思ったからです』
――――? なに、が、起こっているの?
留学?
高校留学?
写真の勉強?
どういうこと?
舞美ちゃんは…―――― そばに、いない…?
ばっと顔を上げて後藤さんを見つめるけれど、
視線に気づいているはずなのに、こちらを見ない。
ただ静かに腕を組んで目を閉じているだけ。
それだけで…これが現実のことなんだと思い知らされる。
本当のことなんだって。
舞美ちゃんは…そばに、いないんだ。
手も、届かない場所に…。
- 959 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:24
- 『今月に入ってすぐにあった、写真のコンクールに出品した作品が大賞を取りました。
その賞品として、高校留学があり…悩んだ末に、行くことに決めました。
愛理に…一言も相談しなくてごめんなさい。でも、愛理に逢うと決心が鈍りそうで、
すっごく頑張ってる愛理の邪魔をしてしまいそうで、できませんでした。
なんにも言わずに行ってしまうこと、許してください。』
思い返せば、以前、今一番いい時だから、と清水先輩は言っていた。
それは…私だけじゃなくって、舞美ちゃんにもいい時だったということで…。
私が音楽に打ち込んでいる時、舞美ちゃんは…写真を出品して…大賞を取って…
未来を…決めてしまっていたんだ。自分自身で。
もし…職員室から出てきた舞美ちゃんを捕まえれば気づけた?
メールで、近況を聞けば、知ることができた?
……わからない。
今となっては、もし、なんてもう遅く過去の話だから。
でも、舞美ちゃんのことだ…。
そうやって問い詰めたところで…なんにも言ってくれない気がした。
誰よりも強い信念を持った人だから。
「どうして…」
なんにも知らなかったのは…私だけ。
みんな…みんな隠してて…。
私だけが一人、舞美ちゃんに逢える日を楽しみにして…。
そんな日、来やしないのに…。
- 960 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:25
- 「なん、で…、舞美ちゃん…」
もう視界は滲み出していて、文字がぼんやりとしてしまう。
でも、まだだ。
まだ舞美ちゃんの文章は続いてる。
カサリ、と2枚目の便箋に目を通す。
迷いとかあったのかな…、文字が揺らいでる。
もしかしたら、この手紙を後藤さんに託す事自体迷ったのかもしれない。
優しい人だから。
でも、その優しさが、今は辛い。
『でも、私が留学を本当に決心したのは、頑張る愛理の姿があったからだよ。
忘れる、と言われて別れて、すごく悲しい気持ちもあったけど、愛理が毎日
吹奏楽部で頑張ってるって耳にして、あぁ、あたしも頑張んなきゃって思って、
そうして出来た最高の一枚の写真を認めてもらえて嬉しかった。
でも、もっともっと色んなものに触れていきたいから、愛理に負けないように
輝いていたいから、すべてを失った場所で、すべてを手に入れてみたいんだ。
…とか言って』
私に、負けないように…。
あぁ、舞美ちゃん…、あなたも私と同じことを思ってくれていたんだ。
- 961 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:25
- そう、私たちはどこか似ていて…すごく不器用で。
手に入れたいもの全部を追い求めることは難しいって分かってた。
いつか、それが自分の自由を、ううんお互いの自由さえ奪ってしまうって…見えていたから。
だから…離れることに、迷いはなかった。
悲しいし、寂しいし…胸が引き裂かれるような気持ちになったけど。
でも、それがお互いの一歩には大切だと思ったから。
そうやって離れて、自分自身を見つめる時間ができたから…高みに行けた。
そして、それはもっともっと行けるんだって希望につながった。
お互いに負けないぐらい頑張ろうって、そんな風に。
だから…――そうだなって。
仕方ないなって…、心のどこかで納得してる。
こういう結果になってて、それでもしょうがないって言える自分がいる。
悔しいけど。
『また1から頑張ってみます。その間、愛理を待たせるなんてできないから
あたしのことは、忘れてもいいよ。それに保証もない。日本に帰るって』
まとまりのなくなっている文章に、舞美ちゃんの心が透けて見える。
こんな文章、書きたいわけじゃなかったんでしょって。
忘れてなんて欲しくないんでしょって。
ずっと待っててって、もしかしたら書きたかったかもしれない。
でも書かない。
絶対に。
最後の強がりで。
こんな風に書けば、私が舞美ちゃんに愛想をつかして離れていくとでも思ったんだろうか?
怒って、喚いて、二度と会いたくないって突き放すとでも思ったんだろうか?
- 962 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:26
- 舞美ちゃんはわかってない。
まだ、愛理の事わかってないよ。
こんな風に書かれたら…忘れられるわけないじゃないか。
きっと涙を流しながらこれを書いた。
凄く悲しい気持ちで、ともすれば、自分を嫌ってくれるように願いながら書いた。
その時の舞美ちゃんを抱きしめてあげたいぐらい、愛しい。
こんな文字だけの手紙にさえ、自分じゃない私の事を想って。
バカだなぁ…。
舞美ちゃんは本当にバカだ…。
だから…好きで好きでしょうがなくなるのに。
『逢うと決心が鈍るので、このまま行きます。ごめんね さようなら
矢島舞美』
ごめんね、とさようならの文字の間に空いたスペースが胸を突く。
もっと何か書きたかった。
でも、書けば書くほど…苦しくなるから。
強引にさよならを書いたんだって…すぐにわかる。
読み終えて…、俯いたまま便箋を封筒にしまう。
色んな想いがこみ上げてきて、どんな顔をしていいのかもわからない。
でも。
- 963 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:26
- 「鈴木ちゃん…、大丈夫?」
心配してくれる後藤さん。
この人は、すべてを知っている人。
舞美ちゃんの全部を。
そして、多分…私の全部も。
だから…心のままに曝け出す。
どうしようもない気持ちも、ぜんぶ。
「大丈夫じゃ、ないですけど…しょうがないなぁって思います」
「…そう」
ふっと笑顔を向けたつもりだけど、多分それは失敗してる。
だって、後藤さんも少し眉をしかめて…笑ってくれてるから。
悲しい笑顔で見てくれてるから。
「舞美ちゃんが決めたのなら…しょうがないなぁって」
「うん」
「ひどいなぁって、勝手だなぁって思うんです」
「うん」
「でも…、不思議だけど…もっともっと好きになっちゃうんです」
「……そっか」
無意識に涙がこぼれる。
どう取り繕ったって、やっぱり悲しいんだ。
心の奥は悲鳴を上げて、泣き叫んでるんだ。
でも、それをぶつける相手は、後藤さんじゃないってことも分かってるから。
ただ、静かに頬を伝って流れていく幾筋もの涙を指先でぬぐうだけ。
- 964 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:27
- 「すみません、みっともない顔して」
「ぜんぜん」
「あの…もう、逢えないんでしょうか?」
ぽろりと出た本音に、後藤さんは何も言わずに少しだけ顔を歪めて。
もう、それが答えな気がした。
高校留学なら…、卒業を目的としていてこれから一年は逢えない。
それは分かっている。
でも、もしかしたらその先の未来でって、淡い期待をもっていたんだ。
「そう、ですか」
ぽたぽたと、俯けば、受け止めきれなかった涙が床にもこぼれる。
それはまるで、今までずっと我慢していた舞美ちゃんの想いが
溢れて、弾けて…消えるみたいで…、それが無性に悲しかったっけ。
- 965 名前:Favorite one 投稿日:2013/12/27(金) 06:27
-
舞美ちゃん…。
私、金賞獲ったよ?
すっごく頑張ったんだ。
でもね、何故かな…、嬉しいはずなのに…悲しい涙しか出てこないの。
あなたがいないだけで。
そう、あなたがいないだけで…こんなにも、世界がまた…変わってしまうなんて。
逢いたいよ。
逢いたいんだよ。
好きなの。
大好きなの。
こんな風に遠ざけられても。
だから…、もう一度私の、愛理のそばにいてよ…。
そばに…いさせてよ…。
くしゃりと、顔を歪めて泣きだせば…、後藤さんがそっと私を抱き寄せて
その背を優しく撫でてくれたっけ。
そうやって、舞美ちゃんと違う手で触れられて…改めて…いなくなってしまったんだって
実感したんだ。
- 966 名前:tsukise 投稿日:2013/12/27(金) 06:27
- >>937-965
今回更新はここまでです。
- 967 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:09
- ぴん、と空気が張っているのがわかる。
ともすれば肌に突き刺さるような、そんな空気。
下校時刻も過ぎてずいぶん経ち、暗闇に浮かぶ非常灯だけが私の視界を照らしてる。
あとは無。
なにもない。
冷たい大理石の床が広がっているだけ。
その中を、一歩、また一歩と進んでいく。
カツ、カツ、と。
大きく靴音が響くけれど気にならない。
誰かに気づかれたって構わない。
今は、そんなこと全然気にならない。
だって、たったひとつだけを求めて来たから。
それを見つめたくて。
最初の…、本当に始まりのこの場所にあるそれを。
私と、彼女のはじまりのすべてのもの―――…。
「……………」
『そこ』に たどり着いてしまえば、なんともいえない想いが広がる。
達成感?
ううん、そんな感じじゃなくって。
嬉しい…悲しい…楽しい…苦しい…、
そのどれも当てはまらない。
- 968 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:09
- ただ…、そう、『からっぽ』。
目の前のものしか入ってこない。
もっと言ってしまえば…目の前の世界しか、ない。
――――― 一面のblue。
その世界が、今の私のすべて。
ほかに、なにもない。
「……………」
何度この写真を見ただろう?
その度に焦がれて、焦がれ続けて。
何に、なんて…今でもはっきりわからない。
でも、ただ、好きになった。
この空を。
自由がそこにあったからかもしれない。
私の手の届かない自由が。
でも、今ならこうも思うんだ。
もしかしたら…、そこに『不自由』もあったからかもしれない、って。
私が、知りすぎるほど知った、不自由が。
……だから、彼女も。
知りすぎるほど知っていたから。
- 969 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:10
- 「舞美ちゃん…」
何にだって一生懸命だった。
それに、なんだってできた。
きらきら、本当に輝いてうらやましいぐらい。
でも、本当は…、そうやってたくさんのもので視界を曇らせてた。
本当に一番のものを。
ありったけの強がりで、わざと距離をおいて。
それは、なんて不器用な『好き』のカタチ。
まっすぐすぎる彼女の、たったひとつの弱さ。
つき壊せなかった弱さ。
けど。
今は。
「…………きれい」
精一杯伸ばした指先で、ナイフの切っ先のような雲をなぞらえる。
瑠璃色を泳ぐ薄い白は、その存在感が圧倒的。
そのまま指先を額から…プレートへ。
- 970 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:11
- 「矢島、舞美」
何度も見つめた名前。
そして、何度も呼んだ愛しい名前。
その人は、本当の『好き』を手に入れて。
――― 私の前から、消えていった。
悲しい事なんかじゃない。
やっと、彼女が一番のものを手に入れたんだから。
辛いことなんかじゃない。
きっと、彼女は変わらず、ひたむきに、突き進んで成功するはずなんだから。
なのに。
そう、わかっているはずなのに。
「どう、して…」
こんなに胸が痛むんだろう?
時々感じたチクチクした痛みが、今はもう刃物で刺されたように痛むんだ。
その刃の痛みは全身を駆け巡って、胸の奥くの心までたどり着き、私を苦しめる。
「違う…、違うよ…」
ふっと浮かんだ答えを首を振って否定する。
『私を嫌いになったんだ』なんて。
そんな人じゃない、絶対に。言い切れる。
じゃあ私は?
……私だって。
- 971 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:11
- 「舞美ちゃんの事…私は本当に…」
舞美ちゃんは素敵な人で。
凄い人で。
誰よりも優しい人で。
だから。
だから、私は、――― 恋をした。
憧れなんかじゃない。
確かに、色と熱を持って…全力で恋をしたんだ。
だからこそ……。
「…やだよ…、本当はやだ…」
離れたくなかった、なんて強く思ってしまう自分がいるんだ。
後藤さんの前では、仕方ないんだ、なんて聞き分けのいい子でいたけれど。
しがみついて、みっともなく「一緒にいて」と言えば良かったんだろうか?
溺れるみたいに、舞美ちゃんを捕まえて、めちゃくちゃになりながら音楽を続けば
どっちも手に入ったんだろうか?
- 972 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:12
- ――― そんなこと、絶対ない。
わかってるんだ。
これで良かったんだってこと。
これが、正しかったんだってことも。
でも…寂しいよ…、辛いよ…。
舞美ちゃんの声も、肌も、涙も、ぬくもりも…。
どうやって忘れたらいいのかわからないんだもん。
それだけ好きになった。
だから…胸が張り裂けそう。
「逢いたいよぉ…っ…なんで…、そばにいてくれないの…?」
矢島舞美、というプレートに、膝を追ってしがみつく。
たった名前の文字だけでも、私をとらえてしまうことに困り果てながら。
こんな暗がりの中で、ここにいても何も変わらない。
どこまでも自由な心を持った舞美ちゃんは、鳥籠から飛び立ってもう戻らない。
空に…、このなんにもなくて…すべてがある空に行ってしまった。
はぁ…、と熱い息を一度こぼして、制服の袖で乱暴に涙をぬぐう。
そして…立ち上がると…――― きゅっと写真を見上げた。
まっすぐ。
- 973 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:12
- 「舞美ちゃん」
ホールに響く名前を胸に刻む。
一つの決意と一緒に。
もう戻らないなら。
ここで、この地に逢いにきてはくれないのなら―――。
「私が行くよ。何年かかっても。どこにいてもずっとずっと追いかける」
そのために必要なものは、たくさん。
しなければならないことも、課題も試練も。
多分、何度も心折れそうになると思う。
でも。
ぱっと開いた手のひらを、写真に向かって精一杯のばす。
そう、この自由の空の向こうに、舞美ちゃんがいる。
私と同じくらい…ううん、一度捨てた場所で、私以上に辛い思いをして頑張ってる。
だったら。
- 974 名前:Favorite one 投稿日:2014/01/05(日) 06:13
-
「愛理は泣き言なんて言わないよ」
もう一度、舞美ちゃんの横に並ぶために――― 信じた道を貫いて見せる。
「だから…、待ってて。絶対に、逢いに行くから」
周りの人が聞いたら笑うだろうね。
子供が何言ってるのって。
現実も知らない子供がって。
でもね。
現実を知らない子供だから、言うんだ。
どれだけ大きな壁に当たっても、この時の気持ちを忘れないでいたいから。
口に出して言えば、叶えたいという想いがいつか大きな流れに乗って…
実現できる日がくるって信じていける今だから。
「舞美ちゃん。大好きだよ」
最後は笑顔で。
また来るね、と写真に告げて。
私は……新しい一歩を踏み出した。
- 975 名前:tsukise 投稿日:2014/01/05(日) 06:13
- >>967-974
今回更新はここまでです。
次回更新で、ラストとなります。
- 976 名前:tsukise 投稿日:2014/01/06(月) 06:13
- スレ数オーバーの為、草板へ次スレを立てさせて頂きました。
ラストのみとなりますが、よろしくお願いいたします。
次スレ『FAVORITE ONE2』
ttp://m-seek.net/test/read.cgi/grass/1388956307/
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